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5月31日(金)曇り 渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「農兵募集de来訪編」コース図
2024.05.31
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5月31日(金)曇り・おぎゃ~と生れて、24828日 (67年11カ月22日)・[2020年1月22日、心筋梗塞]から生かされて、1592日 (4年4カ月10日) 5月も今日で終わり明日から6月、本年度の計画では自然農に勤しんでいる頃なのだが、5月は指の骨折、6月は白内障の手術で土をさわる農業はおろか汗を掻くことも控えなければならない。 しばし療養期間だ。片目2週間×2、じっと我慢の時だ。髭剃り2日目、首下シャワー3日目、洗顔入浴は術後5日目だ。 感染症だけは回避しなければならない。6月をいかに過ごしかがこれからの人生の質を左右する。 目のためにもそして心臓のためにも、この1カ月で規則正しい生活習慣を身に付けよう。 ピンチはチャンスだ!
2024.05.31
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5月30日(木)曇り 井原線ウォーク、6月・7月の予定が試行錯誤の末、決定しました。最近の井原線ウォークのご参加いただいた方にハガキを送らせていただいております。枚数に限りがあり送り切れていない方々が多いですので友人知人にお誘いいただけるとありがたいです。 今後は紙媒体での周知からブログサイト「井原線ふるさとじゃ~ナル」、noteサイト「ほのぼの岡田さんのほほほのおと。」での情報発信をご覧ください。
2024.05.30
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5月30日(木)曇り 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その15】 興譲館から西へ進む右手の山裾に井原中学校がありその裏山が青蔭城址、興譲館の応援歌にも詠まれています。大正橋を渡ると桜の名所、井原堤です。JAと広島銀行の信号を左折すると駅前大通り、しばらく進むと右手に御菓子司「古月堂」があります。このウォークコースのお土産は「朗盧饅頭」がおススメです。井原駅に帰ってきました。那須与一ゆかりの地ということで駅舎が弓と矢、そして澄川喜一作「扇」がお出迎えです。御菓子司 古月堂 には「扇の的」もございました。お疲れさまでした。
2024.05.30
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5月28日(火)雨【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その13 】 武徳殿と仰徳園。武徳殿は昭和15年に新築された武道場、興譲館の文武両道をめざす教育の要。その向こうの丘が仰徳園、初代館長や歴代館長の功績碑が並ぶ。 講堂にも掲げられていた阪谷朗盧署「天下」の漢詩を刻んだ「天下の碑」が道路脇に建っている。渋沢栄一と阪谷朗盧に共通する考え方として「中庸」の大切さがある。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その14 に続く】
2024.05.29
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5月28日(火)雨【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その12 】 講堂に入ると正面左に、阪谷朗盧署 漢詩「天下」(年不詳)の掛け軸、右に、阪谷朗盧署 漢詩「興譲館之起時之詩」(慶応3年)が掛かっている。ここで講義が行われていたのです。書斎、朗盧さんが実際に使用した部屋が残されている、机には書籍も並び、肖像画も飾られている。昔が偲ばれる。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その13 に続く】
2024.05.28
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5月28日(火)雨 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その11】 校門から奥に進んでいよいよ「講堂」にやってきました。佇まいは幕末嘉永6年、開学当時のままです。屋根は当初かやぶきだったものを安政6年に瓦葺にしたもので元治元年当時の興譲館 講堂はこのようだったと思われます。ここが渋沢栄一と阪谷朗盧のファーストコンタクトの場所?! 玄関より奥を見ると講義をしたであろう2間が続く。「興譲館」という扁額は栄一が来訪した当時のものではなく明治45年に彼が揮毫したものである。元治元年、来訪時には古賀茶渓揮毫の扁額が掛かっていたのか? 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その12 に続く】
2024.05.28
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5月27日(月)曇り 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その10】 校門脇にある石碑「白鹿洞書院掲示」を校是として、毎朝、子弟共々講堂に会して朝礼を行い、この「白鹿洞書院掲示」を唱えてからその日の課業に入りました。以降、160年の間この「白鹿洞書院掲示」が興譲館の教育の根幹を貫く建学の精神として脈々と息づき、伝承の校訓として引き継がれています。渋沢栄一が朗盧先生を尋ねられた時も一緒に唱和されたのではないかと思う。 いよいよ「講堂」(嘉永6年完成・岡山県指定史跡)です。「大河ドラマ 青天を衝け」で、栄一が朗盧先生を訪ねたシーンはこの講堂をNHKさんが調査に来られてスタジオ内に再現して撮影されたという。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その11 に続く】
2024.05.27
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5月27日(月)夜半未明雨のち曇り 梅雨を思わせる高温多湿、南方海上では台風1号が発生した。今週半ばから週末には本州に影響がありそうだ。台風接近でコースとスピードによって予報がコロコロ変わりそうだ。 今朝、眼科で白内障の最終検査と説明を受けた。いよいよ手術が近づいてきた。メスを入れる恐怖と劇的に見えるようになるという期待が入り混じった気持ちもあと少しだ。読書やパソコンを苦痛かえあ解放されることを楽しみにしよう。 転倒防止にも早く視力を取り戻したい。
2024.05.27
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5月26日(日)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その9】さあ、いよいよ郷校興譲館です。一橋代官友山勝次の発議に七日市宿の佐藤正左衛門など領内の主だった庄屋が設立運営に当たった庶民の子弟が学べる学校です。その初代教授として請われたのが阪谷朗盧でした。設立はペリー来航の嘉永6年(1853)でした。そして元治元年(1864)、この興譲館の阪谷朗盧に会いに来たのが渋沢栄一でした。ここで2人はお互いを認め合い地域の人々に信頼され栄一の「農兵募集」は成功したのでした。 校門をくぐると正面に本館、その右奥に渋沢栄一がこの学校を訪れた時にもあった「講堂」がある。講堂に行く前に校門横の「館祖お手植えの紅梅」を見てほしい。一時期、樹勢の衰えが進んでいたが手当てが功を奏し今年も春にはピンクの花が咲いていた。館祖阪谷朗盧が植えて以来170年以上の長きにわたり見守り続けた紅梅だ。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その10 に続く】
2024.05.26
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5月25日(土)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その8】 「一橋府江原役所跡」消えかかった木製の標柱が残るのみだがこの奥に広い陣屋があった。江原陣屋の守護神として勧請された正一位稲荷、俗に「館跡稲荷」と呼ばれ、鳥居には「文政十三年」「平木京助奉納」と刻銘されている。一橋領の時代には、2月の初午の日に陣屋の門扉が解放されて領民がお参りしていたという。江原陣屋は三方に濠をめぐらせ文政十二年に竣工し、歴代九名の代官が赴任した。その中でも弘化四年から十年在職した第六代友山勝次は経済・医療・教育に功績大きく名代官として有名。陣屋見取り図の北西にある稲荷は今も現存している。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その9 に続く】
2024.05.25
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5月25日(土)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その7 】 東新町公民館にやってきました。ここに池田丹次郎という者の家があり、地域の有力者に聴いた「撃剣家・・・剣術の先生なら関根某という人がある」ということで、この家で関根という剣術の先生と手合わせした。難なく栄一が勝ち、その噂が近隣の人々の口から口へ伝わり彼を見る目が変わり人々が集まりだしたということが「渋沢栄一伝記資料」に記されている。 江原八景絵図を見ると旧山陽道の江原東新町に直線道が意図的に曲がったつくりで枡形とよばれる、城下町や宿場町などの入り口に造られた敵の侵入を防ぐため道路を直角に曲げた場所。ここに池田家があった。かなり広い屋敷だったようである。 旧山陽道を東新町から本新町を抜け神戸川まで戻る。橋を渡って右折し川沿いを進むと西江原郵便局、興譲館グラウンドが左手にある。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その8 に続く】
2024.05.25
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5月24日(金)晴れ 最近、医者通いが異常に多くなった。井原市民病院&福山市民病院(心筋梗塞)、よしだ歯科(歯の脆弱)、平木眼科(白内障)、森本整形(指骨折)・・・なんとも情けない。 満身創痍のカラダだが、取り替えられるものではない。メンテナンスして1日でも長く自分のことは自分でやれる。ピンピンコロリの健康管理をしていきたい。 昨日、歯のブリッジ治療ができて昨夜から噛める幸せを感じている。 理想のピンピンコロリのための「医者はしご」、まずはしっかり咀嚼できる歯を取り戻せたのは嬉しい。 次は「左手のギプス」を外して不便な日常生活からおさらばしたい。 そして「白内障手術」でパソコンや本の文字が苦痛なく読めるようになりたい。 「心筋梗塞」は気長に付き合うしかないが来年の1月には丸5年だ。再発せず、体力の衰えも想定以上に持ち堪えている。 ピンピンコロリのカラ元気よりも「ユルユルコロリ」で自立したライフワークを楽しみたい。
2024.05.24
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5月23日(木)晴れ 7月の井原線ウォークの『渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「江戸幕末明治の香り漂う山成酒造編」』を7月15日(祝)に開催日を変更します。 これで最終確定し、会員のみなさまに周知します。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「江戸幕末明治の香り漂う山成酒造編」〇とき:7月15日(祝)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約12km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約 利き酒オプション:300円◆行程:井原駅~井原池田陣屋・池田長発像~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク、第2弾。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れ興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集を成功させ徳川慶喜に認められた。栄一は訪欧使節に選ばれパリで先端知識を吸収し近代日本の産業発展をけん引。栄一の前に遣欧使節、それも正使としてパリでナポレオン3世に謁見し外交交渉をおこなった人物がいる。それが井原の殿様、旗本の池田長発。こちらも一緒に学び、栄一ゆかりの桜渓塾と山成酒造を訪れる。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.23
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5月22日(水)曇り 本日は2カ月に一度の井原市民病院での定期健診。先日の転倒による骨折について心臓に対する直接の影響はないが、血液サラサラの薬の影響で出血しやすいので外傷だけでなく内出血しやすいので気を付けるようにとのことだった。 検査結果では中性脂肪と摂取食塩量の値の上昇が注意された。2つの値ともケガ以降の運動不足とプールでのサウナができなくなっていることが原因の一因とも考えられる。 運動と汗を流し老廃物を排出することは大切だ。そしてそれが減ってしまうならば食事も減らさなければ蓄積されてしまう。
2024.05.22
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5月22日(水)曇り 沖縄奄美が梅雨入り、山陽地方はいよいよ夏本番だ。今年の冬は明確な休眠打破がなく桜の開花が狂いに狂った。積算温度では開花が早いはずなのに咲く時期を迷った挙句遅れに遅れて新年度を満開で愉しませてくれた。 太陽フレアが観測史上最大級ということは地球だけでなく太陽系全体が異常な温暖化の時期に突入したのだろう。太陽からの磁気嵐が地球のマントルを活性化して火山噴火や地震が起こりやすくなっているのかもしれない。 この夏、暑~い夏をどのように乗り切るか?「神は乗り越えられない試練は与えない」というが、じっと我慢してるだけでは乗り越えられない。「天は自ら助るものを助く」という。 神も、天も、生きるために自助しないものは助けてはくれない。
2024.05.22
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5月21日(火)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その6】蓮華寺からすぐに国道486号を左折して信号を渡って蓮華寺からの延長線上の細い道、旧山陽道に進むと斜めT字路、くの字に曲がって左手に現在の「平成一ツ橋自治会」がある。 ここに幕末の頃、一橋陣屋の札会所があった。当地を訪れた渋沢栄一も立ち寄っただろうし、この建物の裏手に陣屋があったのだからこの周辺は農兵募集に苦戦していた頃にはイライラしながら歩き回っていだろう姿が思い浮かぶ。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク その7 に続く】
2024.05.21
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5月20日(月)晴れ 心筋梗塞によって3週間の入院でほぼ全身の筋力が弱くなり、今また若干握力の残っていた左手が骨折療養のため3週間のギブス固定をすることになった。 これで余生でできることがさらに狭められることになる。4年半前の心筋梗塞発症と入院でフレイルになったことを思うと何もせず放っといたら玉手箱を開けてしまった浦島太郎のように一気に老人になってしまう。 今回は前回の轍を踏まぬように治療と同時進行でリハビリをしなければならない。 老化を食い止めるためには脚力と腹筋力と肺活力を鍛えよう。
2024.05.20
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5月20日(月)晴れ 今日は昨日のケガの治療の方針を検討した。市民病院の主治医の先生に連絡をとる。心臓は転んだくらいでどうこうなるものではないようで、まずは中指の治療を優先するようにとのアドバイス。現在、井原市民病院には整形外科の常駐医師がいないので市内の民間整形外科を薦められた。 即、近所の整形外科を受診。診察室で診て、レントゲン撮影、診断。中節骨基部裂離骨折、骨の端っこの出っ張ったところに黒い筋がある。いわゆるヒビだがれっきとした骨折だ。中指のこの部分はよくあるケースらしい。このまま放置しておくと腱に引っ張られて指が曲がって手術が厄介らしい。 治療は、添え木を当てて固定するだけ。指を使うと剥がれて剥離骨折、裂離骨折となってしまう。1週間ごとにレントゲン撮影で剥がれていないか確認する。3週間はこのまま添え木ギプス固定とのこと。 骨折も早期発見早期治療が大切だ。ほったらかしちゃ~ダメだね。 プールでの水の抵抗は厳禁との注意。トホホ・・・。 汗を掻かず、動かさず、痛み止めは骨を修復に良くないということで処方なし。ただ時間という薬だけ。健康管理を根本から見直さねば。 生活を改めよう、ピンチはチャンスだ!
2024.05.20
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5月19日(日)晴れのち曇り 地域の溝掃除が終わった。無事にと言いたいところだが、用心していたのだが、地域内の通路をゴミ袋を抱えて歩いていて、昔のマラソン選手じゃないが ”こけちゃいました” 注意を促す自治会長が転んでいては様にならない。 心臓を守ろうとしたのと顔から落ちるのを避けようとしたのだろう咄嗟に手を衝いたようで、その時はケガもなく良かったと思ったのだが、時間が経つにつれて左手中指が内出血して腫れてきた。 保冷剤で冷やして様子を見ているが骨にひびが入っている可能性もあるので、明日、かかりつけの井原市民病院で診察してもらうことにする。 自治連合会の会長さんにも電話連絡を入れてボランティア保険の有無を確認。すぐに井原市役所に問い合わせをしていただき、担当窓口と必要書類を折り返し連絡いただいた。感謝! 帰宅して寒気がして3時間ほどベッドに入って休んだ。倒れた時の心臓への衝撃とストレスも気になる。こちらも診察を受けておかないと不安。
2024.05.19
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5月18日(土)晴れ 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その5 】 日芳橋碑から堤を下る、この細い道が旧山陽道、自動車修理工場の隣が山陽酒造、備中江原八景図にも描かれている酒屋さんだ。昔のお店の玄関だろう。一橋陣屋から近い酒屋さんということを考えると渋沢栄一が阪谷朗盧にお酒と漢詩を送ったという話を思い出す。 こちらの蓮華寺も絵図に描かれている。目をつむって通りに佇むと幕末の頃のこの備中江原の繁栄がしのばれる。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その6 に続く】【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その6 に続く】
2024.05.18
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5月18日(土)晴れ 昨日の観光協会総会は「予想通り」の継続審議となった。やっぱり根回し不足?いやその前に「誰に、何を、どのように」という計画書自体の錬成不足だった。 予算ゼロ円というのは役所にとっては魅力のない取組なのだ。ボランティアボケしているように見られたようだ。 活動、コンテンツのよさは認識してもらえたと思う。 ボランティアだけでは持続可能な取組とは為り得ない。「誰もがいいね」「やっみたい!参加したい」と思ってもらえる事業計画にブラッシュアップしなければならない。 シャンシャンシャン会議に「?インパクト」を感じてもらえたら今回のプレゼンは大成功だ。 これからの求める答えは「3年後の明確な成果を出せる予算を必要とする計画でありそのロードマップだ」「地域を変えるほどの予算規模・・・大きければ大きいほどインパクトが大きい」。 面白い総会だった。
2024.05.18
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5月17日(金)晴れ 本日、井原線ウォークの新章へのプレゼンをする。プレゼン資料は昨日体調不良の中で書き上げた未完成品だが今朝、そのまま市の観光協会の担当さんに委ねた。 3時半からの総会の時にプレゼンを薦められた。 「民」が新たな「井原線ウォーク観光響会」を立ち上げ、「官」がサポートする。それがより事業者や当事者にとって自由度の高い活動となり、地域の魅力を訪れる人々にも喜んでもらえる。 井原発の観光モデルが発足できるかどうか?は、本日の総会でのプレゼン次第だ。 ロマンチック313の髙橋孝一さんのアドバイスが思い出される。「岡田君は何もかも自分でやり過ぎじゃ、ええことをしょうるんじゃけぇ、ある程度実績ができたら”提唱者”になって、人に任せぇ~!」 少し実践期間が長すぎたかなぁ。
2024.05.17
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5月16日(木)曇り 早朝にはよく晴れてあったかくなってくれるのかと思いきや一日曇り、滅茶苦茶な強風に雨まで混じってひどい一日だった。 低気圧の通過に伴って体調不良に逆戻り。肩こりで押しつぶされそうだった。夕方にはタンスから冬物のダウンジャケットを引っ張り出して羽織った。 体調の悪い時につくった計画書は弱気になってしまう。本当なら余生をこれに賭けるくらいの強気で「井原線ウォーク観光響会(案)」を押し出すべきなのだが弱腰のまま一応プレゼン用の資料は作った。 明日、観光協会総会だ。晴れてあったかくなれば弱腰を払しょくできるか?
2024.05.16
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5月16日(木)晴れ 7月の井原線ウォークに山成酒造での「利き酒オプション」を追加する。3月の山成酒造ウォークはあいにくの雨で参加を見合わせた方にも再度楽しんでいただこうという趣向です。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「江戸幕末明治の香り漂う山成酒造編」〇とき:7月14日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約12km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約 利き酒オプション:300円◆行程:井原駅~井原池田陣屋・池田長発像~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク、第2弾。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れ興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集を成功させ徳川慶喜に認められた。栄一は訪欧使節に選ばれパリで先端知識を吸収し近代日本の産業発展をけん引。栄一の前に遣欧使節、それも正使としてパリでナポレオン3世に謁見し外交交渉をおこなった人物がいる。それが井原の殿様、旗本の池田長発。こちらも一緒に学び、栄一ゆかりの桜渓塾と山成酒造を訪れる。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.16
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5月15日(水)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その4】 小田川に到着、江戸時代には芳井川と呼ばれ幕末になるまで橋を架けることが許されていませんでしたが、一橋領になり友山勝次が代官として赴任すると領内の産業振興のため橋の架設を願い出て日芳橋が架けられました。 橋ができるまでは水かさによって渡河運賃が定められ「七日市宿 川上がり場」が定められていました。 安政4年(1857)に木橋(幅約3.6m、長さ60m)が完成し、七日市と芳井川から1字ずつとって日芳橋と名付けられました。渋沢栄一がこの地を訪れたのが1864年ですから木橋の日芳橋を渡って当地の若者たちを説得したことでしょう。 現在の赤いトラス橋の日芳橋は、大正15年(1926)に完成して両端に街灯がともりモダンな設計です。大正期の鋼鉄橋は珍しく岡山県内には岡山市の京橋と同橋しかなく。「日本の近代土木遺産」に登録されています。 橋を渡って西江原町の川岸に「日芳橋碑」がある。興譲館館祖の阪谷朗盧が安政5年(1858)に日芳橋架橋の経緯を碑に残し、友山勝次の功績を顕彰している。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その5 に続く】
2024.05.15
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5月15日(水)晴れ 昨夜というか今朝かな。鮮明な夢だった。 母が黙って私の後ろに座っていた。玄関に数人の見知った顔があった。親戚の人たちもいた。私には理解できない言葉で「父の亡骸を指さしながら私にも一緒にこっちへ来い」と言っているらしい。 父はもう10以上前に亡くなっている。親戚のおじさんたちもみんな今はこの世にいない者達ばかりだった。 昨年春に亡くなった母が背中の後ろでじっと亡者たちを静かにみつめていた。にらみつけていたのかもしれない。 母は何も言わないが「まだこっちへ来るな」と私に言っているように感じた。 久しぶりに母の姿を観られてうれしかった。私を守ってくれていることを感じられた。 目が覚めて血圧を測ると160を超えていた。しばらく深呼吸をして118に落ち着いたが、ここ数日の体調不良は危険領域だったのかもしれない。 母は「まだこっちへ来る時ではない」「現世でやるべきことがある」と諭してくれていた。 ライフワーク「ほほほのおと。」に専心しよう!
2024.05.15
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5月14日(火)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その3】 本陣跡の石碑から90m、割烹料理一久の狭い脇道、これが笠岡往来笠岡小路だ。ここから南へ進むと笠岡の港へとつながっている。 渋沢栄一が農兵募集で訪れた時、興譲館の塾生や近隣の若者と笠岡沖で鯛網を楽しんだという記録が残っている。まさにこの道を栄一達も通った小路だ。今見ると細い道だが江戸時代にはこれが主要道だったんだね。 進行方向三目を向けると赤い橋が見える。これが日芳橋だが、旧山陽道は右に見える細い道であった。この狭い道を大名行列も往来していた。 【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その4に続く】
2024.05.14
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5月14日(火)晴れ【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その2】 井領堂から旧山陽道をしばらく進むと武速神社前の信号がある。この信号を左折すると笠岡往来の井原小路である。江戸時代には旗本池田家の井原陣屋への道であり梁瀬村の桜渓塾へとつながっている。 神社の西に脇本陣があった。本コースでは旧山陽道を直進する。 武速神社は平安中期に創建され、「天王様」とも呼ばれスサノオノミコトなどが祀られている。境内の椋木は江戸時代の絵図にも描かれている。 神社正面にも脇本陣があった。 武速神社から40mの道向かいに石碑があるここに七日市宿の本陣があった。現在は駐車場になっている。農兵募集で訪れた栄一もこの七日市宿で村人に声をかけていたのだろうか? 本陣東隣にも脇本陣があった。七日市宿には本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠権があったというから大変賑わっていたようだ。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その3に続く】
2024.05.14
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5月13日(月)雨のち曇り ハラハラドキドキの井原線ウォーク企画の決定。 6月に2回の白内障手術を予約しているため7月以降の予定を決めかねていた。現状パソコンの字も見えにくくなってきて趣味の読書も休止している。手術自体に不安も感じてウォークの開催を躊躇していたが、手術した友達数人から「手術はあっという間に終わるし、劇的に見えるようになる」というアドバイスを信じて7月以降の井原線ウォークを設定した。 ライフワークとしての「井原線ウォーク」のチャレンジを模索することにした。 手術の心配をするより術後のワクワクを考える方がいい。 「観光資源としてのウォークガイドブックとウォーク企画運営のシステムづくり」に挑戦するのは楽しいワクワクだ。
2024.05.13
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☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「幕末明治に思いをはせる編」〇とき:7月14日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約12km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約(定員50人)◆行程:井原駅~井原池田陣屋・池田長発像~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク、第2弾。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れ興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集を成功させ徳川慶喜に認められた。栄一は訪欧使節に選ばれパリで先端知識を吸収し近代日本の産業発展をけん引。栄一の前に遣欧使節、それも正使としてパリでナポレオン3世に謁見し外交交渉をおこなった人物がいる。それが井原の殿様、旗本の池田長発。こちらも一緒に学び、栄一ゆかりの桜渓塾と山成酒造を訪れる。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.12
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5月11日(土)晴れ 6月9日(日)の予定している「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク」についてはコースの変更を行います。 「桜渓塾~山成酒造」については7月に開催します。 「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク」を2回構成で開催いたします。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク「農兵募集de来訪編」〇とき:6月9日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約5km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約(定員50人)◆行程:井原駅~旧山陽道(七日市宿界隈~西江原界隈~西江原陣屋跡)~興譲館高校~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れました。この時、興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集は大成功し、第15代将軍徳川慶喜に認められました。井原は栄一にとってサクセスストーリーの始まりの地です。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.11
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5月10日(金)晴れ 本日のコースは、日本の資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一が一橋家の所領だった備中江原村に一橋慶喜の命で農兵募集にやって来た時から始まった井原市における渋沢栄一の足跡を想像しながら歩きます。スタートは井原駅です。さあ、しゅっぱ~ついたします。駅前通りを進み2つ目の信号を右折します。この通りは江戸時代の山陽道です。現在は旧山陽道と呼ばれています。すぐに左に四つ堂がある。井領堂です。栄一もこの堂に腰かけて休んだかもしれません。少し進むと七日市宿に入ります。参勤交代の大名行列が入宿するときには宿の入り口の下座所に村役などみんなが土下座して迎えたようです。下にぃ~、下にぃ~、ってね。【渋沢栄一ゆかりの地ウォーク…その2 に続く】
2024.05.10
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5月10日(金)晴れ 草刈り日和。 除草剤が嫌いなのでせっせと草刈り機を担いであっちの畑こっちの畑と刈りまくる。 汗が吹き出てくる。汗がしょっぱい。心地よい振動が全身の毛穴を開いて体に溜まっていた毒素を吐き出していく。 水分補給にぬるま湯を湯飲み茶わんに1杯、炭酸水をコップに1杯、飲み干す。白湯が甘い。炭酸水が全身の血管を掃除していく。疲労感がおさまり心臓の拍動は少し軽くなる。 夕方までもうひと仕事草を刈ろう。明日も晴れ。畑全体を草マルチで覆おう。草が枯れ串たちや微生物たちが畑を耕してくれる。自然との共生のために人のするべきことは草を刈って彼らに草というエサをプレゼントするだけでいいのだ。
2024.05.10
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5月9日(木)晴れ 次回、井原線ウォークまであと1カ月、予約受付ています。 メールでお申込みいただくと申し込みが確実です。 よろしくお願いいたします。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク〇とき:6月9日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約13km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約(定員50人)◆行程:井原駅~旧山陽道(七日市宿界隈~西江原界隈~西江原陣屋跡)~興譲館高校~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れました。この時、興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集は大成功し、第15代将軍徳川慶喜に認められました。井原は栄一にとってサクセスストーリーの始まりの地です。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田) E-mail;okada999@ibara.ne.jp
2024.05.09
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5月8日(水)曇り時々晴れ 寒い一日だった。体調管理が大変です。 昨日に続き今日も井原線ウォークの実施状況の調査を行った。 古くなるにつれて調査が難しくなる。2024(R 6)年: 5回・・・5月現在2023(R 5)年:10回2022(R 4)年: 1回・・・コロナ禍2021(R 3)年: 0回・・・コロナ禍2020(R 2)年: 3回・・・コロナ禍2019(R 1/H31)年:14回2018(H30)年:12回2017(H29)年:12回2016(H28)年:12回2015(H27)年:12回2014(H26)年:12回2013(H25)年:12回2012(H24)年:12回2011(H23)年:14回2010(H22)年:20回2009(H21)年:22回2008(H20)年:25回 合計、198回。 年間25回ということは月平均2回以上ということだ。 1999年に井原線沿線探訪会としてウォークを始めたのであと9年分の調査が残っている。ここからが大変です。
2024.05.08
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5月7日(火)雨 井原線ウォークの実績を現在からさかなぼって調査しています。 今日の調査でわれながら驚いたことがあった。昨日は2013年までまとめたが月1のペースで開催実施していてよく続いていると思ったが、今日の調査範囲にさかのぼってくると2010年10月、11月には月3回も実施している。ほぼ毎週やってたんだよ。 これはボランティアとは言えないね~。 中国新聞の連載を書いてたのはこの頃かな? これでは家族からそっぽむかれちゃうね。
2024.05.07
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5月6日(月)雨 今日は雨天なので内業をした。現在から2013年までに実施したウォークを書き出した。コロナや豪雨災害で休止した期間があったが105回のウォークを確認していくと「ほほほのおと。」の中のコースごとの大雑破ながらグループがまとまりつつある。目次であり検索をするときの住所のようなものだ。 ・自然探訪シリーズ ・お花見シリーズ ・野鳥観察シリーズ ・山城探検シリーズ ・歴史探訪シリーズ ・廃線跡シリーズ ・古道探訪シリーズ ・寺社探訪シリーズ ・人物ゆかりの地シリーズ ・工場見学シリーズ ・産業見学シリーズ ・芸術鑑賞シリーズ ・工房探訪シリーズ ・お祭りイベントシリーズ ・収穫体験シリーズ ・酒蔵探訪シリーズ ・うまいもんシリーズ ・タウンウォッチングシリーズ 現在書き出したのここ11年間の井原線ウォークだから基本、月1回だが。これより古くなると月2、月3回開催していた。これからが記憶も薄れてくるし大変だ。 井原線ウォークの集大成としてのウォーキングガイドブックの編纂はこれからの私のライフワークだ。
2024.05.06
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5月6日(月・祝)雨 雨のゴールデンウィーク最終日、健康ダイエットのリスタートにはちょうどいい。初心に帰るだけでは「80壁」の突破が難しくなってきている。 心機能低下と老化による筋力低下で体重が落ちるのでは体力も衰えるし免疫力も衰える。 市民病院での定期健診までに筋力アップをはかりつつ15日間で2㎏のダイエットを達成する。 昨年秋以降コントロールできていた体重管理が崩れたのはこの3月以降だ。そして「80の壁」が居座ってしまった。 健康管理の基本に帰って「生活リズム」から改めようと「早寝早起き、11時就寝⇒6時起床」を心得とし、今朝は5時に目覚め6時起床した。 早朝の1時間、2度寝厳禁ということでアイデアマラソンもリスタート。 生活リズムの狂いは二度寝が原因だったんじゃないかと思う。畳の仕事をやめて時間が自由になったせいで時間管理がルーズになっていたように思う。 今朝の健康状態は【6:00 35℃ 80.2㎏ 127/6/-56】
2024.05.06
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5月5日(日)晴れ いよいよ7月新札が発行される。その1万円札の顔が井原市ゆかりの渋沢栄一だ。農兵募集で訪れた備中江原一橋陣屋周辺や親交を深めた興譲館館祖 阪谷朗盧、お二人ゆかり地をめぐるウォークを開催します。☆渋沢栄一ゆかりの地ウォーク〇とき:6月9日(日)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)13:50井原駅◆距離:約13km◆参加費用:500円(資料・保険料)・要予約(定員50人)◆行程:井原駅~旧山陽道(七日市宿界隈~西江原界隈~西江原陣屋跡)~興譲館高校~桜渓塾~山成酒造~井原駅◆内容:新1万円札の顔となる渋沢栄一ゆかりの地をめぐるウォーク。日本資本主義の父といわれる渋沢栄一は元治元年、今から160年前に一橋家家臣として備中国西江原村を訪れました。この時、興譲館の初代館長の阪谷朗盧と語り合い、親交を深めて農兵募集は大成功し、第15代将軍徳川慶喜に認められました。井原は栄一にとってサクセスストーリーの始まりの地です。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田)
2024.05.05
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5月4日(土・祝)晴れ 今日は何人かの人に「井原放送見ましたよ!」と声を掛けられた。 「シャクヤク花摘み体験ウォーク」にカメラが来ていたのは昨日のブログで書いたが、ニュースレポートの中でニューストピックス「シャクヤク花摘み体験ウォーク」として紹介されていた。 井原駅の出発、花山跡での解説、シャクヤク畑での花摘み体験が映像として紹介され、次回井原線ウォークの「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク(6/9)」の紹介もしていただけた有難い。 井原線ウォークが地域活性化に役立てば25年間、毎月開催してきたかいがあったというものだ。 5月6月のウォークが、7月からの井原線ウォークの転換点になれば面白い。頑張ってみよう。
2024.05.04
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5月3日(金・祝)晴れ 気持ちのいいウォーク日和だった。 9時10分井原駅集合で「シャクヤク花摘み体験ウォーク」が始まった。 めざすは「高月山頂のシャクヤク畑」、途中七日市町花野の「花山跡」で備中江原八景図の解説をして山登り開始、45分で目的地到着。 春爛漫、芍薬の咲き乱れるお花畑です。こちらはすでに咲きすぎでしょうか。 説明を聞いて花摘み開始。蕾の多く残っている防災無線等に近い畑に移動。 青空のもと花摘み体験、気持ちがいい。 井原放送の取材カメラを気にしつつも思いも思いに花摘みを楽しんでいただいた。 帰りは下り30分ほどで駅に到着。サポートの車で運んだシャクヤクの切り花を持って満足そうにお家に帰って行かれた。 「シャクヤク花摘み体験ウォーク」無事終了。楽しい企画だった。
2024.05.03
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5月2日(木)晴れ おはようございます ウォーク日和に感謝! 本日の井原線ウォークは予定通り開催します。当日受付参加OKです。☆シャクヤク花摘み体験ウォーク ○とき:5月3日(金・祝)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)12:40井原駅◆距離:約6km◆参加費用:1000円(資料・保険料) (シャクヤクの花10本収穫持ち帰り込)◆行程:井原駅~花野~高月佐能農園(シャクヤク花摘み体験)~井原駅◆内容:高月山は江戸時代、歌にも詠まれた景勝地、その山頂にあるシャクヤク農園が目的地です。井原市内の薬用シャクヤク栽培グループとのコラボ企画、芍薬といえば美しい女性の姿を形容する花ですが根は葛根湯などの原料になる生薬です。美しい花はイライラを鎮めてくれます。 芍薬農園de花摘み体験ウォークを一緒に楽しみましょう。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田)
2024.05.03
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5月2日(木)晴れ 今日は「渋沢栄一ゆかりの地ウォーク」のフィールドワークで、吉澤先生とまほろば館に立ち寄って学芸員さんにいろいろと教授いただいた。 「ほほほのおと。」ウォークガイドブックの編纂の心強いアドバイザーだ。しゃべったことは消えやすいが活字になると間違いが残ってしまう。ウォークコース上のチェックポイントのデータベースは出来得る限り正しいものを発表したい。 まほろば館からの帰りに久しぶりに鏡獅子に会いに平櫛田中美術館に立ち寄った。 玄関を入ったところに「ガンダムマンホール」が展示されていたので写真を撮った。 バンダイナムコグループの「ガンダムマンホールプロジェクト」に井原市が応募して寄贈を受けた2パターンだ。星空を見上げる「RX-78-2 ガンダム美星星空保護区バージョン」と鏡獅子と美術館の前に立つ「MS-06F-ZAKUⅡ 平櫛田中美術館バージョン」だ。 手を触れないでください」とのこと。記念写真を撮っているカップルさんが2組、これは経済効果と言えるのかな。
2024.05.02
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5月2日(木)晴れ 明日の井原線ウォークは(予約 定員)について変更し、当日受付参加OKとします。☆シャクヤク花摘み体験ウォーク ○とき:5月3日(金・祝)◆集合場所:井原駅(集合)9:10 (解散)12:40井原駅◆距離:約6km◆参加費用:1000円(資料・保険料) (シャクヤクの花10本収穫持ち帰り込)◆行程:井原駅~花野~高月佐能農園(シャクヤク花摘み体験)~井原駅◆内容:高月山は江戸時代、歌にも詠まれた景勝地、その山頂にあるシャクヤク農園が目的地です。井原市内の薬用シャクヤク栽培グループとのコラボ企画、芍薬といえば美しい女性の姿を形容する花ですが根は葛根湯などの原料になる生薬です。美しい花はイライラを鎮めてくれます。 芍薬農園de花摘み体験ウォークを一緒に楽しみましょう。◆お問合せ:井原線まちおこしネット: 090-3746-8142(岡田)
2024.05.02
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5月1日(水)雨 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る~と歌にも歌われる雑節の一つ「八十八夜」だ。もう立春から88日になるんだね。八十八夜といえば茶摘み、この日摘んだ新茶を飲むと長生きすると言われるが私は番茶で十分だ。 今日は涼しいが年々温暖化が進むと季節感が狂ってくる。農事のために編纂されている暦の雑節も植物の生理とズレてきているんじゃないかと思う。自然界のリズムにあわせて修正が必要なんじゃない?
2024.05.01
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