21世紀の経営と経済

21世紀の経営と経済

2002.12.30
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カテゴリ: ■経営
かつて人類の歴史には国や、権力者により人々が支配されてきた時代があった。様々な封建制度、奴隷制度、植民地政策などがその例である。しかしながら、時代の進展と共に、多くの犠牲を払い民主主義、自由主義が現れ、人々は自由を獲得してきた。とりわけ第2次世界大戦以降、多くの植民地が列強諸国の支配から独立し、さらには社会運動により、個人の自由、権利が保証されるようになってきた。

しかしここにきて個人の自由、権利を余りにも追求しすぎた結果、とりわけ"周囲の人を忘れた自由"を追求した結果、大きな反動が返ってきているように見える。

例えば電車内でマナーの悪さをほんの少し注意したことが原因で、口喧嘩ならともかく、暴行、殺人事件にまで発展している。また親子間においてすら、プライベートを重視する余り、十分なコミュニケーションが無い場合もある。まさに、さわらぬ神にたたりなしといった状況すらある。即ち追求してきたはずの個人の自由により、社会があたかも仕返しを受けているかのようである。

現代は真の自由とは何かを再び、しかも根底から問い直す時代を迎えているように思える。かつては強大な権力による支配から逃れるために自由を求め、一応の自由を得た個人ではあるが、行きついた所には必ずしも真の自由はなく、今一度"本来あるべき全体"の中での"人とのつながり"を模索しているのではなかろうか。結局個人と言えど全体の中に存在しており、全体を無視した個人がありえないのは自然である。

時代が大きく変化する時にはパラダイムシフトがおきる。パラダイムシフトとは、これまで当たり前とみんなが信じていた考え方の枠組みが、根底から覆されることを言う。これまで権力により支配し、支配されることが当然の"ピラミッド支配型の組織"であった。そして前述の通り、そのような権力支配から逃れようと個人の自由を人々は追及してきた。今後21世紀は全く逆の発想で、能力や地位のある人がより多くの人を、愛情と責任をもって下から支える"逆ピラミッド支持型の組織"に発展するのではなかろうか。過去の"支配型の全体"の中では満足できなかった人も、本来あるべき"支持型の全体"の中では自己貢献を通じて最高の喜びを得るのではなかろうか。自分のために、他人を犠牲にするといったことは、次の時代ではもはや考えられない「時代遅れの発想」になるかもしれない。

最近ではマスメディアの影響力もあり、政界、財界において、個人の不正に対する追求は厳しい。これもそういったパラダイムシフトの始まりを告げているような気がする。すぐには目立たないが"支持型の組織"が、今後じわりじわりと時代を変えて行きそうである。


誠心誠意
助け合い主義
https://tasuke-i.jp/
モデル都市推進本部





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最終更新日  2021.08.08 06:02:10


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