21世紀の経営と経済

21世紀の経営と経済

2003.01.09
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カテゴリ: ■経営
人のプライドは例えば、悪なるものに自分が染まりたくない、或いは不本意な物事に妥協したくないといった場面ではプラスの効果として働くことがある。

しかしながら、ひとたび自分が間違っていると分かっても、その間違いを認めたくないといった場面では、プライドは残念ながらマイナスの効果となりかねない。

政治、経済といった人間社会を扱う "社会科学" の議論を聞いていると、このプライドが議論を非常に非生産的にしていることをしばしば見受ける。

一方、主に自然界を扱う "自然科学" の議論は、答えを自ら実証する必要があったり、それまでに築き上げられた学問体系があったり、またしばしば答えは1つであるため、聞いていて分かりやすい。彼等は自分の理論の基礎を明確に示す必要があるし、無責任な仮定をすれば笑われるだけである。自分の理論の限界を示すのも彼等の流儀である。

政治、経済といった "社会科学" の分野では、最終的なゴールは「不変」であり、かつ「普遍的」なものであるべきであろうが、そこに到るための「施策」は、時代的背景、社会的背景、地理的条件、人口動態などに依存して当然である。

そのため、例えば2か月前に政府が発表した内容が、2か月後に全く逆になっても、本当に必要であれば何の不思議もないはずである。ところが、政治家(特に野党)、また反政府のエコノミストの発言を聞いていると、「政府の方針は2か月前と全く違う! 無責任ではないか?」、「支離滅裂で、論理が通っていない!」と表層的な批判をする。政府だって判断を誤らないように細心の注意を払ってはいても、判断を誤ることはあるわけで、そのような場合には、「これこれこういう理由でその時の判断は間違っていました。」と言えば良いのに、そのように言うことはなかなかできない。即ち自分の誤りを認めたがらない。結局相手を批判し、自己を防御することの言い争いに終始する場面をよく見かける。視聴者のレベルをその程度と見ているからであろうか。余談ではあるが、政治家、エコノミストの知性、愛情、行動力を見極める、視聴者参加型のトークショウを実現すべきではないかと思う。

プライドは時としてやっかいなものである。自分が間違っていると思った時、人の意見を素直に受け入れ、正しい方向にみんなで一緒になって進めば良いのに、プライドゆえに受け入れられない。せっかくの発展・成長のチャンスを自ら閉ざしてしまう。自分中心の、誰のためにもならないプライドが頭を持ち上げた時、要注意だ。


誠心誠意
助け合い主義
https://tasuke-i.jp/





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最終更新日  2021.08.08 06:00:39


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