活き活きPC&園芸三昧

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March 24, 2014
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カテゴリ: 世相

  最近、大相撲をテレビ観戦しなくなった。理由は、両手の指では数え切れないほど、稀勢の里に裏切られたことが大きい。1月場所で完全に稀勢から卒業できた。この3月場所は、何と鶴竜の綱取り場所だったとは知らなかった。一番横綱になって欲しくない力士だ。理由は、1)日本語ができない 2)何を考えているか見えない。 3)相撲道や日本古来の文化に精通しているとは見えない。などである。

   昔、北の湖が横綱になった頃、マンガを読んでいて話題になった。この頃から相撲は日本古来の文化とは言えなくなっていました。ここで言う相撲とは、あくまで日本相撲協会の相撲興行のことである。日本相撲協会は、いわゆるビジネスをする企業体となっており、日本文化を守るという虚像で文科省より補助金を受け、日本放送協会NHKというところからも莫大な放映権料を得ている。私は、相撲道や相撲文化を否定するものではないが、あまりにも日本相撲協会の運営が前近代的で、ズサンで、日本文化を担う協会とはかけ離れ過ぎているからである。

   2014年3月23日の鶴竜と白鵬戦は、鶴竜が横綱になるための大切な取り組みであったという。実況放送を見ていたが、白鵬の仕切りを見ていると、観客に見破られないようにいかに負けるか必死に考える姿が見えてきた。両者には死闘前の勢いなど全く感じられなかった。行事軍配が挙がってからも、必死の様相とはかけ離れた演技相撲に見て取れた。白鵬にはシャニムに勝とうという意気込みは全く感じられず、引き気味。一方の鶴竜は、白鵬の受け相撲にいかに乗っかるかを考えながら演技をしていました。これは、明らかに仕込み相撲であると、思わず叫んでしまったのです。それにしても両者は下手な演技でした。

   白鵬の無気力相撲、そして鶴竜の綱取りを確かなものにする仕込み相撲。それを感じ取ったのは、私だけではないと思います。直接的な金銭がかかっていないので、八百長相撲とは言えないかも知れませんが、この相撲を問題にしない日本相撲協会は、死に体であるし、このような相撲がまかり通ること自体が相撲を文化として捉える考え方の終焉である。

  佐村河内詐欺事件、STAP捏造事件に相当するくらい重くて暗い不愉快な取り組みだった。






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Last updated  May 24, 2017 09:49:10 PMコメント(0) | コメントを書く


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