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自分の年老いた母親と同じマンションの別の階に住む友人が、暗い顔で私に話してくれた。お母さんは70代後半、特に病気は無く毎日フィットネスクラブに、歌にと人生を楽しんでいるそうだ。
友人は仕事や家事の合間をぬって、一日一回30分~1時間程顔を出し、母親の話相手をするそうだ。時には高校生や大学生の孫が顔を出すこともあるという。
話を聞いたらこれ以上ないほど恵まれたお母さんだ。でも友人はお母さんから時々「親孝行が足りない」「感謝が足りない」と叱られるそうだ。私は思わず「お母さん呆けてきているのでは?」と尋ねてしまった。
でも呆けているわけではないそうだ。「自分は自分の親にもっと親孝行した」と言われるらしい。今は一日一度話し相手をしに行くのが苦痛で仕方がない、と友人が話していた。
「親孝行」とか「感謝」ってとても美しい言葉だ。でもこんな使われ方をしたら、とても醜い言葉になるんだなあ、と思った。
「自分の心に感謝の気持ちや親孝行の気持ちを呼び起こすこと」と、「相手にその気持ちを要求すること」は全く違う。美しい言葉が相手を責める道具になってしまい、とても醜い。
そういえば息子の同級生のお母さんが息子さんに「お母さんはこれだけあなたのためにしてあげてきたのに」と言うのを聞いたことがあった。人のためを思って行動するのも美しいことだ。けれど、それを恩着せがましく相手につき付けたら、それは息子のためにしてきたのではなく、見返りを期待して自分のためにしてきた行為だとしか思えない。
美しい言葉が相手を責める道具にならないように、使い方に気をつけなければいけないと思った。