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今まで
「信じていることが世界になる」
「この世はマーヤ<幻>(ヒンズー教)」
「すべては無(仏陀)」
等々耳に目にしてきた言葉を、まさに実感としてここ数か月体験しています。
そもそも、自分の意志に反して細菌やウィルスが身体を侵すことは宇宙の法則からいっても「有り得ない」ことを知っているからでしょうか、今回の世界的騒動が全くの茶番に見え、本当に恐怖心など微塵も無く、一瞬でさえも湧かないのです。
これほどあからさまに全世界が虚構に振り回されているのを傍観しているという体験は人生でも初めてで、とても不思議な感覚がしています。
正に「信じていることが世界になる」という真理ですね。
ウィルスに侵され発症する危険性があると信じている人にとってはそれが真実であり、そう信じていない人にとっては逆が真実となる。
もっとも、私の場合はアフリカのアンゴラ共和国での体験が強く影響しているのかも知れません。
マラリア感染率が90%を超えるアンゴラに1年以上滞在した時に、毎日蚊に刺されまくりながらも一度もマラリアに罹らなかったのです。
それは、アンゴラに赴任する前に「自分は絶対に罹らない」と決めて行ったからです。
一方、アンゴラは金や石油といった資源豊かな国ゆえ、日本の大手商社マンたちがよく出張ベースで来ていたのですが、彼らは軒並み罹っていました。
「病は氣(=想念)から」
これはいわゆる感染病でも全く同じことなのです。
それと、ある意味新型コロナウィルスの蔓延以上に世界的に懸念されている、経済の落ち込みから来る大不況。
こちらも、目に見えるもの・五感で知覚するものはすべてエネルギー「現象」であって、「実在」ではない。それらは恰も白いスクリーンに映し出された映像の立体版、或いは束の間空中に漂うシャボン玉の表面に見える虹色模様のようなもの・・・
それを恐れる理由が一体何処にあるというのでしょう?
この肉体がまだ小さく、まだ赤ん坊の頃・・・或いは母親の子宮の中で胎児だった頃・・・果ては受精前の父親の精子と母親の卵子だった頃・・・「自分」はどこにいたのでしょう?
そして、この肉体が朽ち果てるとき、そして火葬場で焼かれるとき、「自分」はどこにいるのでしょう?
肉体が自分でないことは明らかですね? 手足4本切断して、首も切ったらどれが自分?って感じですよね。頭でしょうか?胴体?あれ?「自分」はどこ・・・?って(笑)
見えるものは今この瞬間でさえ、すべては遅かれ早かれ消滅します。
肉体はもちろん、地球も、宇宙でさえも。
ゆえにヒンズー教ではすべてはマーヤ<幻>だと言い、仏陀はすべては「無」だと言った。
しかし、今、「自分」は在る。すべてを「認識」している「自分」が在ることは間違いない。
それは、意識すればするほど実在感が増し、忽然と光輝き、熱い炎のごとく「在る」。
そういえば、晩年「Osho(和尚)」と名を変えたインドの覚者バグワン・シュリ・ラジニーシの講話録で「死-最大の虚構」というタイトルの本がありました。
死がある(ように見える)からこそ覚醒することができるように、今回の新型コロナウィルスも多くの人々を覚醒に導く役割を担っているのでしょう。
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よびりん♪ さん