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歪んだ天球儀か外つ国の古き太后のくしゃみなのか異形の夏はその影をずるずる引きずって条里はもう立秋だというビーグルの犬よお前はお前の天真の赴くままいらくさに戯れるもよいだが お前の鼻面やら猫じゃらしの穂先に揺れるこの秋の相は石女(うまずめ)豊かな稔りをもたらすことのない逃亡者犬 ビーグルの犬よやがて来る一直線にやって来る冬の悪い前触れがこの俺をせめるのだ
2014.08.18
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つつめども隠れぬものは夏虫の 身よりあまれる思いなりけり (後撰集)あだし野の露のいのち蛍どのに一筆 ふみことづけを頼むとしてもアイラブ ユーラブなど浮いたことばのひとつもさらさら これなく古風にして 控え目しかし それなりに思いのたけを託すからには奏者蛍の尊称をばたてまつることとしたかえしぶみ 心待ちに 三日過ぎたが蛍どのの余命もあと二日とやらされば 心せかるる今宵なのです 昼ながら幽かにひかる蛍一つ 孟宗の藪を出でて消えたり 北原白秋
2014.08.11
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その夜甍は月光の底に沈み街は青い寂しさに包まれていた死ぬべき運命を背負った人たちの時間はその日を期して截然生きるべき季節を迎えたのだが 八月一五日の夜は余りにもひっそりしていた「耐エ難キヲ耐エ 忍ビ難キヲ忍ビ・・・」曽てなくいや それ以後にもなく一億人が一つの思念をかみしめ反芻し また かみしめ取り敢えずの生をみつめるそれは静かな 静かな夜であった
2014.08.09
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灼けつく季節のランナーは狂乱の思い出を背にマラソン・ゲートをいま やっと 潜ったばかりホモ・サピエンス生きとし生けるものの一匹にしか過ぎないこのわたしの原点は夕焼けた今日の地平に埋没するのかいや少し傾いだ座標の軸を修正するときは今しかない未練気な夏雲の彼方から寄せるさやかには見えぬ一陣の涼風がそこばくの勇気と決断をきっと わたしに与えてくれるだろう
2014.08.08
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「ご冥福を心よりお祈り申し上げます」理化学研究所、発生・再生科学総合研究センター(CDB)の笹井芳樹副センター長の死についての関係者の異口同音のコメント「冥福」とは死後の幸福のこと死者に対して死後の幸福を祈るくらいならば何故 生前正当な評価、処遇を用意できなかったのか 「冥福を祈る」とは生き残った者の 死者に対する免罪符的文言のような匂いがして好きになれない「STAP現象は最有力な仮説」との主張のどこが不正なのか正直よくわからないそもそも笹井氏や小保方氏の論文にマスコミの記者たちは何人目を通しているのか大いに疑問であるいまこそ「千の風になって」の歌唱が思い出される私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません 眠ってなんかいません千の風になって あの大きな空を吹きわたっていますI am a thousand winds that blow.ですから「冥福など祈らないで下さい」
2014.08.07
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新暦の8月2日から8月6日ごろは七十二候の上では大暑末候「大雨時行る」(たいうときどきふる)文字通り大雨は四国地方に災害をもたらしたがまだまだ炎暑はつづきそう蝉の木に登らんとして見上げをり 高浜 虚子いづこより礫うちけむ夏木立 蕪 村夏木立たのしき雨のふることよ 高田風人子丘陵地帯を開発してできた住宅地のせいでここらへんの高層マンションの間々には夏木立がまだまだのこっているのがうれしいそのなかに一本のユーカリの木を見つけた幹回りの割に上へ上へとよく伸びたものだ周りの木に負けじと日照を求めて伸びるしかなかったのか下枝はあまりなくててっぺん近くにだけ葉が茂っている夏雲の果てに何が見えるのかおーい ユーカリの大樹よ
2014.08.06
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セロやピアノよりおれは ドラムやマラカスの方がずっと好きだったさらに それよりコンクリート・ミキサーの回転音を遙かに愛したミレーやシャガールのどの作品よりもゴッホのサイプレスが好きだった太陽は夏中おれを焼きつづけおれは 手帳にCHAOS(混沌)と記入した燃える銅鑼のような夏よ季節はいづれ遠く往き過ぎやがて今度は月がおれを照らすだろうおれは青白い光を浴びて法律と哲学を勉強しようあゝ それから手帳には忘れずにORDNUNG(秩序)と記入しよう
2014.08.05
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くらい くらい 泉・・・そこからもかなしく金色ののぞみは噴き上げるそんな日は雲鳥も通わぬりんどう色のたかあい空で埴輪のように無想でいたいのだプロメテウスの劫火が髪の毛を焦がすだろう蝋細工のように身体は融けるだろうだがかなしい一つののぞみだけは天に泛ばせたいのだ
2014.08.04
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「無いもの」が「ひとつ有ってね」おじさん嘘でしょ こんな立派な門構えして安くサービスしとくから買ってよそんなこんなで何軒門前払いを食ったことやらへーお隣さんはそんなこと言ったかい なにせケチだからなうちだったらはっきり言うけどな「うちはいまお金がありませんから」とねだいたい「無い」ものが「有る」ちゅうのがおかしい「無いものは無い」「有るものは有る」というのが世の中の真実だろうが「うーん」つまり「無いもの」が「有る」ってことは「お金が無いという状態」が「いま我が家に厳然として存在している」という意味なんだろうが・・・その嘘を論破して売り込めないのが悲しい営業成績ゼロで国語の勉強ばっかりそんな日もあるさ
2014.08.03
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「縦のものを横にもしない」とは怠け者や無精者をいう言葉だしかし 縦のものを横にしない方がいい場合もあることも忘れてはならないまた もともと横様の状態にあるものはそのままにしておけばよい危険なのは横書き文化が縦書き文化よりすぐれているかの如き思い込みである例えば英語教育が国語教育より大事であるとか何でもかんでもIT化・横書き化への流れこれらによって無意識のうちに失われるもののあることを危惧するのである1443年李氏朝鮮四代の王世宗がつくり1446年訓民正音の名で公布されたハングル世宗がこの文字をつくった動機は久しく中国の文化に支配されて、漢字・漢文を正統な文字・文語としていたのを民族的自覚によって朝鮮固有の文字を作る必要を感じかつ人民の日常の用にも供しようとしたところにあったしかし やがて漢字・漢文を正統化する傾向が根強くなり、ハングルは李氏朝鮮の終わるまでの啓蒙的な意味しかもちえなかったこの文字が真に朝鮮の国字に復活したのは第二次世界大戦後の朝鮮の<解放>以後であるそして反日による漢字廃止政策から1970年以来学校でも教えなくなりいまや 自分たちの古典すら読めない文化断絶が起きているこれこそ 縦のものを見境もなく横にしてしまった恐るべき失策以外のなにものでもない
2014.07.29
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朝の散歩の途次ふと思ったことがある人類の遠い先祖が二足歩行を始めてこのかた人は何万年も歩いてきたとすると散歩という行為も類人猿の行動の延長であり猿真似 つまり広義のコピーではないのかとそして路傍にはそのとき桜が咲いていたが日本の桜は 往古の中国では「ゆすらうめ」のことだったらしいとすれば 桜はゆすらうめの改竄にあたるのではないかとそもそも科学者の世界ではダーウィンの法則やらメンデルの法則やら万有引力やら相対性理論やらもろもろの理論・法則・定理をば寸分の疑念も持たず自家薬籠中のものとして無断で取り込み己の論文の背景に利用してきたではないかだからコピペといい改竄といい不正引用とか剽窃とか声高にいう学者の周辺も胡散臭さが拭い切れないのだコピペという言葉自体コピーという語からきたコピペだから厄介だつまり こういうこと世の中には完璧なオリジナルなんて存在しないってこと
2014.07.28
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青空をけふ渡り来しサシバかな 田中政子鷹一つ見付けてうれしいらご崎 松尾芭蕉都会の雑踏のなかをすいすいと一風変わった見慣れないTシャツを着た男が行く背中に漢字で「鸇」と大書してあるえっ?これはこれは何と読むのかなかなかの難訓であるがとよくよく見れば漢字の下に「SASHIBA]とローマ字表記してあった「さしば」は刺羽とも書く鷹の一種で万葉集にも出てくる渡り鳥稀に鷹狩にも使ったらしいとするとあの日雑踏にまぎれて消えたあの男は古い狩猟法を受け継ぐ鷹匠の一人ででもあったのだろうか
2014.07.25
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皇居のクスノキの樹上にオオタカが営巣しているのが見付かったそうだ。6月に3羽のひなが確認され、親が餌を与えるのも目撃された。3羽とも無事に巣立ったようだという。都内の緑地が増えるのにつれ、野鳥類の生活圏が広がりつつあり、「鳥類の都市化現象」が起きているらしい。とき、あたかも暦の七二候では、小暑末候「鷹乃学を習う」(たかのわざをならう)(およそ7月17日~7月21日ごろ)つまり鷹のひなが、飛び方をおぼえるころで巣立ちし、獲物を捕らえ一人前になっていく季節なのだ。鷹一つみつけてうれし伊良湖崎 松尾芭蕉鷹来るや蝦夷を去る事一百里 小林 一茶鷹の羽を拾ひて持てば風集う 山口誓子鷹すでに雲を凌げり雲流る 加藤楸邨白骨の一樹に鷹の動かざる 角川春樹鳥類のなかでも、ワシタカ目ワシタカ科のうち、比較的小型の種を一般的にタカと呼ぶらしい。ミサゴ・ハチクマ・ノスリ・ツミ・チュウヒ・サシバ・クマタカオオタカなど、ワシタカ目の16種が日本で繁殖し、13種が秋冬に渡来するという。
2014.07.20
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F紙のニュース時評欄での評論家K.O氏の言。 『7月10日に閉幕した第6回米中戦略・経済対話」で、両国政府は年内に投資協定の大枠を固める方針で一致した。この席で、中国の習近平国家主席は米国代表団を前にこんな演説をした。 「天高く自由に鳥が飛び、広がる海を魚が跳ねる。『広い太平洋には中米両大国を受け入れる十分な空間がある』と感じる」 「鳥は中国軍機で、魚は中国潜水艦のことらしい。何をバカなことを言っている、太平洋はこの2国だけのものではないだろう、といいたい。」と述べたあと・・・・・ 最後にこうもおっしゃる。「中国にはやはり反論したほうがいい。日本は歴史を忘れようとしているが、中国は歴史を歪曲しようとしているからだ」と。 親中か嫌中か、右か左か、保守か開明かにかかわりなくこの見解には若干の違和感がある。 それにはこういう理由がある 「天高く自由に鳥が飛び 、広がる海を魚が跳ねる」という文言は、おそらくは中國の古典「詩経」からの引用かと推測されるからである。「鳶飛戻天 魚躍于淵 豈弟君子 遐不作人」(詩経・ 大雅・ 旱麓) 鳶飛ンデ天ニ戻リ 魚 淵ニ躍ル 豈弟ノ君子 遐ゾ人ヲ作サザランヤ 鳶は飛んで天に戻り 魚は淵に躍りて楽しむ 安らけく楽しき君は 何ぞ人を作興せざらんや(海音寺潮五郎訳)習近平に肩入れする気は毛頭ないが引用された詩を知らずに曲解してやれ軍機だ、潜水艦だと歪曲するのも大人気ないし、建設的でないと思うのである。
2014.07.19
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ある日曜日何日ぶりかで一人暮らしの娘に電話した受話器の遥か向こう側から「ニャオー」と猫のなきごえが聞こえてくる「エレオノーラだね」娘は五匹猫を飼っていてそれぞれに名前をつけているのだが物覚えの悪いわたしは何故か「エレオノーラ」しか覚えていない明治期ラグーザ(Vincenzo Ragusa 1841~1927)というイタリア・シチリア島生まれの彫刻家は日本に近代洋風彫刻を紹介した明治9年(1876)日本政府の依頼により来日し工部美術学校彫刻科の教師として日本に初めての西洋彫塑の基本的技術を教えた明治22年(1889)に帰国したが明治32年(1899)に東京美術学校(現東京芸大)ができるまで、その弟子たちによって、洋風彫刻の命脈はよく保たれたのだったラグーザの遺作の多くは夫人 玉(清原 玉・ラグーザお玉 1861[文久元年]~1939[昭和14年])によって寄贈されたが、玉もまた画家としてよく知られているそして 玉のイタリア名がエレオノーラ・ラグーザ(Eleonora Ragusa)だった受話器の向こう側でないている猫のエレオノーラきみはきっと「もしかしてだけど」の「お絵描き猫」じゃないのか近いうちに必ず会いに行くからね
2014.07.15
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「いにしえの昔の武士の侍が馬から落ちて落馬して・・・」こういう同語反復をトートロジー(tautology)というらしい集団的自衛権についての国会論戦をきいているとこの言葉を思い出す質問する野党の側も答える政府の側も非建設的なトートロジーを弄していたずらに時間を空費するだけもはや、不毛の論議を繰り返している段階ではない基本的理念を憲法九条におき集団的であれ個別的であれ非戦、平和の道を如何に進むかそれこそ国を挙げて真摯に考えるべきときが来ている
2014.07.14
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日本人は日本の自然について太陽暦の春夏秋冬の四季に分けそのうえで一年を二十四等分した二十四節季さらに七十二等分した七十二候を考えた七十二候は季節それぞれの出来事をそのまま名前にしている今日七月十二日は四季のうえではいうまでもなく夏二十四節季では小暑小暑とは梅雨が明けて本格的な夏になるころのこと七十二候では七日~十一日ごろは小暑初候で「温風至る」という十二日~十六日ごろが小暑初次候にあたり「蓮始めて開く」という さはさはと蓮うごかす池の亀 鬼 貫 蓮の香や水をはなるる茎二寸 蕪 村 利根川のふるきみなとの蓮かな 水原秋櫻子 前の人誰ともわかず蓮の闇 高浜 虚子 興亡や千万の蓮くれないに 山口 青邨
2014.07.12
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確かこの辺にあったはずだが住宅街の家並みの奥近くにお稲荷さんの祠もあったようないちまいの表札そこには「蜩」と書かれていたその読みをそのときは知らなかった難しい苗字 何と読むのだろうずっと気になっていたあるとき北原亜以子の時代小説を読んでいたその小説の題が「慶次郎縁側日誌」のうちの『蜩』「ひぐらし」だったのだひぐらしさんを探して再び住宅街の奥を訪ねてみたが記憶の迷路はボーッとかすんで二度と見付からなかった
2014.07.11
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天高く重いシューズを放り投げ忍び足でなくスニーカーは走れ書を捨てよ野に出でよスニーカーは走れ思考は広く回路は深く忍び足でなくスニーカーは走れ
2014.07.11
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櫱という漢字がある「ヒコバエ」と読む櫱の下半分の木の部分を米に替えると糵「モヤシ」子に替えると孼「ワザワイ」となるしかし音読みではすべて「ゲツ」だま、それはそれとしてわたしなんぞは木の幹に簇生するサルノコシカケかヒコバエみたいなものだろうし日陰に育ったモヤシかも知れず生存していること自体がもはやワザワイなのかしらとつねづね思ったりするのだが・・・まてよ或る日 里山でのこと年経る桜のヒコバエが返り咲きの花を付けているのを見つけたその一輪は凜とした気韻を漂わしいかにも潔い風姿を見せていたー満更ヒコバエも捨てたものでもないー 以来 老桜にあやかってこのわたしというヒコバエもあとしばらく せめて十年位は咲いてみることにした
2014.07.10
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「オスプレイ」「オスプレイ」って言うけれどよく知られているのはいま問題のアメリカ海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22のことしかし 英語「OSPRAY]のもともとの意味はタカ科の鳥「みさご」のことなのだ「みさご」は垂直に降下して魚を捕るみさごは夫婦仲がとてもいいらしい雄と雌のみさごが河の洲でのどかに鳴き交わしているさまが中国の古典「詩経」(国風)に詠まれている海音寺潮五郎は次のように訳出している『河の洲に みさご二つゐて 鳴きかわすや ほろほろと よき家に しら玉のたをやめこもりゐて よき若人の迎え待つらむ』いまや日本の防衛上の課題としてすったもんだの「オスプレイ」がこよなく夫婦仲のいい愛すべきみさごのことだなんてちょっとしたブラックユーモアではないか
2014.07.09
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五年前反日蔭の露地の一角に丁寧に植えた石楠花が今春やっと花を着けた庭石の裾に去年植えこんだ春蘭の一株にもひっそり花が咲いた卯月初め咲き誇る桜の季節をよそに『秘すれば花』と申し合わせたかのように咲きそろった石楠花と春蘭なにか佳きことの予兆めいて春は束の間卯の花くたしの季題をよぎりいま 梅雨のさなか梔子(くちなし)の白い花が重たげに匂っている
2014.07.08
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こころは体の容器で体もまたこころの容器に違いない雅楽の世界にいう呂と律こころと体が陰陽お互いに共鳴し合っている状態がいちばん健康なのだろう人間もそろそろ耐用年数を過ぎるころ心と体の呂律が合わなくなってくるそして認知症という魔物に取り憑かれたりするのだしかし よっく考えてもみよそもそも認知症って何なのだ胃に癌ができれば胃癌肺に癌ができれば肺癌わかりやすい筋委縮性側索硬化症なんて難病もあるがだいたいの意味は解るところが認知症の認知という語は工学・哲学・心理学にも使われるし法律用語でもあるしたがって認知症とはだれがつけたか概念のはっきりしない語だなあ・・・といったい認知機能が人一倍優れた芸術家は認知症ということになるのか認知機能のネガティブな障害だけをいうのなら認知障害といえばいいではないかそれ以前に医学上の認知の概念をはっきりさせておくことだきりがないからこのへんで止めておこう
2014.07.07
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いまにして思えば もう半世紀も昔のこと ロシアはまだソ連邦だった 当時の首相は フルシチョフだったか 或いはブルガーニンだったか 東欧からソビエト歴訪の 旅の土産にと ある方から マトリョーシカ人形をもらった ずっと大事にしてきた 老いの記憶には いまも マトリョーシカは生きている 木製の入れ子になった人形を 一つずつ取り出しては 思い出を紡いでいる 記憶の連鎖は ときとして 思いもかけぬベクトルへと繋がるもの 一月のとある日 「イシカワケン ホースグン アナミズマチ シュッシン オイテカゼべヤ・・・・」 大相撲初場所のテレビ中継 呼び出しの声に なに ホースグン? フゲシグンの間違いだろう? 老人の記憶の抽斗にも 入れ子のハコにも 鳳至郡はあっても 鳳珠郡などなかったのだ ファンの興奮と歓声のなか 何故か マトリョーシカの記憶が甦った そして一月 ロシア・ソチでの冬のオリンピック ゲレンデの雪中に聳え立つ おお 巨大なマトリョーシカ 群衆の大歓声と国旗の波 老人の前頭葉の回路は まるで スクランブル交差点の 渦中にいるかのように なにもかもが パニックの極致 収拾がつかないのだった
2014.07.06
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「コン コン」と 目の前で そのひとは 二つ 三つ 空咳をした あれは 心中に なにか 鬱屈があったせいなのだろうか 「ひとは何故 空咳をするのか」 とりたてて言うほどの 哲学的命題でもないが ほんのちょっぴり わたしは考え込んだ そして 冷めた 卓上の コーヒーカップをはさんで しばし沈黙のときが流れた
2014.07.05
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あれは たしか 若狭湾に向って 小さく突出した 常神(つねがみ)半島でのことだった なだらかな丘陵に 夕日の光(かげ)が耀(かがよ)うていたしz さわやかな5月の風に 一面の茅花(つばな)の花穂が まるで 近くから遠くへと 銀色の波となって 揺れていた 海鳴りとて届かない 半島の静寂(しじま)のなかで お下げ髪の少女が 茅花の穂を抜いては 虫籠に編んでいたっけ 狐の親子が コンとひと声鳴いて 現われそうな 半島のかわたれどきだった あれは
2014.07.04
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カレンダーを一枚めくったら 今日から夏バージョン 杜は青嵐 花ならハイビスカス 卉(くさ)は半夏(はんげ) 雲の峰遥か 蒼穹のキャンパスに 白いチョークで 何の詩を書こうか
2014.07.03
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春すぎて 夏来にけらし 春の花咲き 春の花散り いま夏の真盛り 夏の花咲く 百日紅の花咲き 木槿の花も 木槿は かの国の花ムグンファ かの国と この国と 垣に鬩ぎ 海を争う 夏のまなかに かの国にも この国にも ムグンファの花 咲くといえども ひとの世の絆はかなく 恩讐の念浅からず
2013.08.08
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「やまいだれ」に「固い」と書く漢字 それは「しこり」痼と読む わたしの場合 身体のどこかが しこっているわけではない 痛みだけが 局部に わだかまって わるさをしては 暴れているらしい いま ペイン・クリニックというのに通っている 痛みを緩和するケア・クリニックである おもえば 春だというのに うっとうしくて ご苦労様なことだ 我ながら でも とも思う このクリニックに通ってくる 患者さんだけでも 相当な数にのぼる いわんや 身体の痛みだけではなく 精神の痛みをかかえた人 その痛みに耐えかねているひと そんな人のなんとおおいことか 桜咲く 春とはいえ そんなことを思って 痛みに耐えている
2013.04.04
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「雪虫ちゃうか」 誰かがいった 「違うでしょ 風花ですよ」 ほかの誰かが打ち消したが 今年いちばんの寒い日 遥かな蒼空の亀裂から 白い天のかけらが いのちあるもののように 零れ落ちてきたのだった 「ノーブレス オブリージュ」 こんな日はきっと 愛と寛容と忍耐を 啓示するもののように 純白の天のかけらが 舞い降りてくるのです こんな詩をつくったのは まぎれもなく如月なかば それから何日たったというのだ 雨の一日 図書館を出る際のこと 濡れた傘を入れるビニール袋の底に 5センチばかり 薄黄色い雨水がたまっていた ああ やっぱり 黄砂がきていたのだ 遠い中国大陸から飛んで来た黄砂が 雨に融けて 薄黄色い弥生の雨となった 間もなく この国は 桜色の花模様でいっぱいに 染められるというのに
2013.03.23
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なべてこの世は 良いことは少ないのに 悪いことばかり多い そしてまた 少しの良いことも 悪事がおこっては邪魔をする 世界中の善意が集まって 東日本大震災へ 寄せられた義捐金は その後きちんと 配分されたのだろうか 尖閣購入の寄付金は? それこそ 説明責任大有りだろう 大が小を飲み込んで 権力がのさばる世は いつの時代も 暗い闇夜だ 庶民はもっと怒らなければならない 寸善を尺余の善に結集し 尺魔を懲らしめなければならない
2012.11.24
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小さい秋みつけた♪ 秋が小さいのには それなりのわけがあった 秋という漢字はもともと 作物を意味する禾扁と 縮まるという意味を持たせた 亀と火が 組み合わさってできた字であったらしい 禾扁に亀で「あき」と読ませる苗字は いまも通用している 亀を火で乾かすと収縮するように 作物を火や太陽で乾かして収縮させるのが 秋という季節なのだ だから 愁(うれい)は心が縮んだ状態 木扁に秋はひさぎであり 細くて引き締まったあかめがしわの木のこと 先日漢字検定の一級の書き取り問題で 「しりがい」というのがあった これは革扁に秋と書く 牛や馬の尾にかけて ぐっと引き締める 革ひものことである このように 秋には 夏のあいだに 伸び広がった 万物が ぐっと縮まるときという 深い意味があるのに わが宰相殿は 自らを「どじょう」と称しつつも・・・・ 魚扁に秋 鰍は「かじか」でもあり「どじょう」でもある しまって細い魚なのだ さればこそ いまの季節こそ ぐっと心身を引き締め ここに進退を決する 秋(とき)なのではあるまいか
2012.11.07
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わたしにしろ だれにしろ それぞれが いまここにあると いうことについては みんなそれなりのわけがあって わけもなく あるひから いきなり ここにやってきたわけ ではないのです だから わたしにしろ だれにしろ それぞれがいま そこここにある わけやもんだいを よく じぶんのこととして ときあかさねばならない のであって わたましじゃー ひっこしじゃー わたましじゃー ひっこしじゃー といって そこここの わけやもんだいに せをむけて にげるのは よろしくないし とても それは ひきょうなことなのです
2012.11.01
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わたしにしろ だれにしろ それぞれが いま そこここにある ということについては みんな それなりのわけがあって あるひ いきなり そこここに やってきたわけではない だから わたしにしろ だれにしろ それぞれがいま そこここにある それぞれのもんだいやわけを じぶんのこととして よく ときあかさなければならない のであって わたましじゃー ひっこしじゃー わたましじゃー ひっこしじゃー といって そこここのわけやもんだいに せをむけて にげるのはよろしくないし それは とても ひきょうなことなのです
2012.11.01
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秋の彼岸を過ぎ 朝晩すこしづつ寒くなってきた 寒がりやの身としては 列島縦断 新幹線「こがらし1号」に乗って 南の方に移動しよう そしてまた 暖かい春ともなれば 格安航空 LCC「春1番」とやらに乗って ゆっくり帰って来ればよい
2012.10.31
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バーチャルな インターネットの市場に 言葉を注文した 「『を』を3ダースほどください」 「を?」 「尻尾のことですか?」 「いいえ格助詞の『を』です」 「何にお使いですか?」 「前頭葉のサプリメントに」 「それはいいお考えです」 女店員が 可愛い包装紙にくるんで 赤いリボンで結んでくれた さあ 『を』をちりばめて たくさん 詩をつくろうか
2012.10.30
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いまは アキノキリンソウの 毒々しい黄があたりを席捲している でも一月前は彼岸花の赤が乱舞していた そのころ 稲刈りも近い 田圃のあぜ道に 彼岸花が群れをなして 咲き誇っていた 稲田の黄色い絨毯を 彼岸花の赤が くっきりトリミングしていた 赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀屋敷に雨が降る♪♪♪ 往年の流行歌にもある 曼珠沙華は梵語で「天上の花」 彼岸花は別名「しびとばな」「したまがり」とも 同じ対象が呼称で差別されている 夏水仙 狐のカミソリ これらはみな 同じ 学名リコリスの仲間である リコリスと称べば 何とはなしロマンが漂うではないか 神の田と人の田隔つ曼珠沙華 神蔵 器 なかなか死ねない彼岸花咲く 種田山頭火
2012.10.30
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中国最古の詩集「詩経」は孔子が編纂したとされるが そのなかに「文王」という詩がある。 「文王」とは周王朝の基礎をつくった王で、その人物、 政治は、儒家の模範とされた。 <詩経 大雅 文王> 文王在上 於昭干天 周雖旧邦 其命維新 文王上に在リ 於(ああ)天に昭(あら)わる 周は旧邦と雖も 其の命維(こ)れ新たなり それから二千年 日本にこんな歌が生まれたとは誰が予想したろうか 昭和維新の歌(1952年)三上卓 昭和維新の春の空 正義に結ぶますらおが 胸裡百万兵たりて 散るや万朶の桜花 それからさらに60有余年 さて「日本維新の会」 其の進むべき道やいかに
2012.10.17
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心という字の源は 心臓らしい 金文でも 篆書でも 心臓の形をしている だからといって 自分の心臓を摘出して おお これが俺のこころだったか と 納得した人など誰もいないし そんなことは不可能 なように ほんとに悲しいことなのだが 自分の心というものは この齢になっても いまだに よくわからないのです
2012.10.16
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鶏頭の十四五本もありぬべし 子規 こぼれた種子から 文字どおり 鶏頭が十四五本 芽を出し すくすく伸びて 十月の日差しを浴びている 赤い冠をかざして いつまで咲くつもりか いま 遅咲きの 身頃である
2012.10.16
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水葬・火葬・土葬 鳥葬・風葬 宇宙葬やら 樹木葬がニューファッション いやはや のっけから 縁起でもない話だ 「が」 小春日和の 落ち葉焚きは 風流だ 「が」 けやきの枯葉は 命終えたいま つかの間の炎となって 昇天した 「が」 あとに残った 灰はこやしとなって けやきの木を より大きく 成長させるだろう してみると 植物の生と死は 連環し 輪廻している 「が」 水葬・火葬・土葬 鳥葬・風葬 そして 宇宙葬・樹木葬 人の死には 次世代の生への 連環の意識はない 「が」 自然の摂理として これは 不思議なことだ これは 反自然といえる 矛盾ではなかろうか とすれば 人の死の形のありかた 御弔いの方式について ゆっくり 考えてみなくっちゃ 「が」・・・・・
2012.10.13
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北から南へ 南から北へ 一望千里の半島に ムグンファの花が 白・赤・紫 群れをなして 今年も咲いたろう 人は誰しも 夢の深みに ひっそりと そこばくの憂いや悲しみを蔵しているもの ムグンファも きっと 淋しさを少し堪えていたに違いない 北から南へ 南から北へ 王はパラサイト そして 人民はデラシネとなって ただ一途に それが天命ででもあるかのように 口を閉ざし よるべのない たつきをつづけているではないか 北から南へ 南から北へ 夏から秋へ 巡ってくる厳寒烈風の 冬を目前にして ムグンファは告げよ 王には告げよ 「巧詐不如拙誠」 パラサイトの詐りはやめよと そして人民には伝えてよ デラシネの漂泊をやめよと 俘囚の枷を絶つのだと 年年歳歳 季節は確実に巡ってはくるが 半島のムグンファが 色鮮やかに 希望の花を咲かせるのは いつ その日がやがて来ることを信じたい
2012.10.13
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歪んだ天球儀か それとも大王のくしゃみなのか 異形の季節は その影をずるずる引きずって 条里はいま秋だという ビーグルの犬よ おまえはおまえの天真の赴くまま いらくさに戯れるもよい だがおまえの鼻面やら 猫じゃらしの穂先に揺れる この秋の相は石女(うまずめ) 豊かな稔りをもたらすことのない 逃亡者 犬 ビーグルの犬よ やがて 北の天涯から 一直線にやってくる 悪しき冬の前触れが この俺をせめるのだ
2012.10.13
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丘の辺(べ)に 秋の日差しを浴び 蝶が一匹休んでいる 翅(はね)をひろげ 土に臥せり 季節をよぎる 地の声を聞いているのか 蒼い翅に 虹の形の 白い弧を 染め抜いた その色の調べは 韃靼海峡を いま 渡ってきたかのようだ 手にとり 笹の葉にのせてやると 自然の気息を 通わせたたものか 両の翅を 拡げては閉じ 閉じては拡げ 夢の狭間を往こうとしたか 一瞬 季節の風が渉り 蝶はまた はらりともとの地に落ちた つかの間の休息なのか 永久(とわ)の休息なのか やがて 丘の辺(へ)に 秋の陽も沈もうというのに
2012.10.06
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「うとう」という鳥がいる 漢字では「善知鳥」と書く 不思議な鳥である 伝説にもでてくる 謡曲にも能楽にも登場する 地名にもなっている 童謡には鳥を題材にしたものがいくつもあるが 詞もメロディーもどこか哀調をおびている 思うに 陸地に定住する人間にとって 鳥のような 塒(ねぐら)も定めず漂泊するものへの 哀憐の情がどこかにあって それが おのずから 哀調を呼ぶのではないだろうか 「浜地鳥」 鹿島鳴秋作詞 青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が 波の国から生まれでる ぬれた翼の銀の色 「かもめ」 室生犀星作詞 かもめ かもめ 入日のかたにぬれそぼち ぴょうと鳴くはかもめ鳥 あわれ都をのがれきて 海のなぎさをつたいゆく 白鳥はかなしからずや空の青海の青にもい染まず漂う 牧水 善知鳥は海鳥ではあっても 漂鳥(渡り鳥)ではなく留鳥であるが それでも「うとう」をめぐる伝説には哀愁の調べがある 藤原定家の歌に 「陸奥(みちのく)の外の浜なる呼子鳥 鳴くなる声はうたふやすかた」 という一首がある この歌の由来となった伝説を世阿弥(1363~1443)が 謡曲にとりあげた その概要は 「陸奥の外の浜の猟師が 生前繰り返した殺生のため地獄に落ちる 砂原の穴の中に子を産むウトウを捕らえるのに 「うとう」とその名を呼べば巣穴にいる子は 「やすかた」と応えるので捕りやすく 悲しむ親鳥は血の涙を流して飛びまわる 地獄では化鳥になったウトウが鷹に変身し 雉になった猟師を追って苦しめる 猟師の亡霊が旅の僧に頼んで懺悔する」 というものである (つづく)
2012.09.27
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承前 俳句においては『鱈』は冬の季題である 鱈裂くや海豹沖に泣き止まず 安田 北湖 能越の山わかちなき鱈場かな 大橋越央子 鱈船の崩るる涛をまたかぶり 伊藤 彩雪 こたびの東日本大震災において甚大な被害を受けた 宮城県気仙沼に「五駄鱈」という地名があるという これは「ごだんだら」と読むのだそうだ この名はある伝説に由来する 美しい娘に夜ごと通って来る端正な顔立ちの男があったが その男の正体は実はタラの化身だった 鉤(はり)が刺さって死んだことによってその正体を現した タラは 運ぶのに馬が五頭(五駄)も要るほどに大きかった のだそうだ 漁業の町気仙沼ならではの ちょっぴり哀しくも素朴な話である それにしても 鱈の思い出もさることながら いまは「五駄鱈」の町の一日も早い復興を願わずには居れない (おわり)
2012.09.27
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承前 棹秤(さおばかり)の把っ手を支点とし 棹の一端の鉤に 大きな鱈をぶら下げると 子を孕む鱈の腹は ぷっくりと膨れて弾けるくらいである 秤の分銅を移動し 水平にバランスのとれたとき その目盛りが すなわち鱈の重さ(目方)だ 幼年期の記憶に刷り込まれた冬の情景である 雌の鱈は卵(眞子=たらこ) 雄の鱈は白子を内臓している 大型の鱈ともなれば ずっしりと重い だから鰓から口へと わら縄を通してぶら下げて持ち帰ったものだ 「惻隠の情」という言葉がある いたわしく思う あわれみのこころである もともと武士道において使われた言葉だろうから 魚に対して言うのは ふさわしくないかもしれないが しかし 幼年期の あの雪の日の情景を思うとき 売られゆく 一尾の母鱈に 無意識のうちに もののあわれを感じていたことは間違いない (つづく)
2012.09.26
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子を孕む鱈なり鰓(あぎと)に鉤かけて売られゆくなり雪降る日なり 降り積もった雪を踏んで 振り売りの魚屋がやってくる 天秤棒の両端にモッコ 氷詰めのモッコに載せたトロ箱には 旬の魚介がいっぱい収まっている ただしトロ箱は今と違って 発泡スチロールではなく木でできていた 「さあ 買ったり 買ったり」 田舎では どこにでも見られた 往時の日常風景だった いまどきの消費者の大多数は 魚といっても きれいに捌かれパック詰めにされた切り身か 更に調理加工された煮魚や焼き魚を買ってすましている 世間にスーパーというものが出来て以来 いわゆる『お魚やさん』は成り立たなくなり 対面販売方式の鮮魚専門店は影をひそめた それとともに およそ 食材としての魚は 原型をとどめぬ したがって何の情感をも伴わぬ 魚肉と化してしまった 昔といっても せいぜい50年位前までは そうではなかった 鱈・鯖・鰯・鯛・鰤・鯵など 丸ごと一尾のまま買い求め 目の前で魚屋にリクエストして 刺身用・煮つけ用・焼き物用という具合に 目的に応じてそれ相応に捌いてもらうか 各家庭でそれぞれに捌いたものだ だから どんな家にも 刺身包丁もあれば 出刃包丁もあった 鱗をとり 二枚か三枚におろし 身だけではなく 内臓でも 皮でも カマでも 食べられるものは 無駄なく食べた それは 生き物の「いのち」をいただくことに対する 感謝の気持ちをこめた 一種の儀礼のようなものでもあった (つづく)
2012.09.25
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承前 ホヤの仲間は日本近海で300種 相模湾だけで100種以上が知られている そのなかでマボヤ・アカボヤ・スボヤは 東北や北海道に分布していて食用に供される 外皮を剥いて肉を生のまま酢の物にしたり 白焼を吸い物や煮つけにして食べるが この吸い物は「ツルの味」がするといわれ ことに東北の人に喜ばれる 外国でも地中海沿岸地方では食用にしているらしい 東日本大震災で甚大な被害をうけた宮城県南三陸町は ホヤの漁獲高ではトップなのだという 後にも先にも たった一度だけ 女川で口にしたホヤはいったい どの種類だったのか今は知る由もない 昭和天皇の採集にかかるホヤ類は 「相模湾産海鞘類図譜」として出版され 世界的に知られている こうして見てくると 一見グロテスクなこの動物もなかなか捨てがたい美点 を持っていて東北の漁業にとっては大事な海の資源な のである 地震(ない)一過海鞘の春眠ただならず 海鞘が棲む入り江に沈む月の影 歌人の馬場あき子さんには次のような秀歌がある 海鞘食(は)みてはじめてうまし咽喉ごしに香りて深く酒は沁むなり 北の海の岩礁(いくり)に棲むと聞くときのほのくれなゐの海鞘の軟体 あづまひとまして京びと海鞘きらひ軟体は海鼠(なまこ)をもて上となす (おわり)
2012.09.25
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女川の夕べ寂しみ「ほや」を食む人体模型の肌色のそを 十数年も以前のこと とあるオンボロ会社で 販促のため 仙台営業所に赴任した 仙台営業所といっても 営業拠点はなぜか多賀城にあった 多賀城から 塩釜・松島・石巻を経て女川まで足を伸ばした 女川のさるお宅を訪問したときのこと お茶受けに「ほや」を出された それは酢の物だったが なにかグロテスクな印象を受けた記憶がある 「じゅごん」の肉なら きっとこんな色合いだろう とはいうものの せっかくの好意を無にするわけにもいかず こわごわ その一切れを口にした ナマコでもない イカ刺しでもない 酢だこでもない しこしこした食感のあとに すこし生臭みが残った それっきり 以後「ほや」なるものを口にしたことがない 京都の錦市場でも 大阪の黒門市場でも 金沢の近江町市場でも お目にかかったことがない あのときの オンボロ会社の同僚たちは いまごろ皆元気にしているだろうか・・・ 「ほや」は漢字では「海鞘」の字を宛てる ものの本には 「ホヤは海底に着生し セルロースに似た物質チュニシンからなる 独特な被嚢で包まれている 系統的位置は長い間不明であったが 1866年ロシアのコヴァレフスキー による発生の研究以来 脊索動物・尾索類の一目として扱われる ホヤの体は厚くて堅い皮(被嚢)で包まれ 岩などについているので 海草が岩に生えている感じがする 陸上のヤドリギを方言でホヤという地方があって 大木にホヤ(ヤドリギ)が根を張っている様子と この動物が岩についている様子が似ているので この動物をホヤとよぶようになったらしい 雌雄同体である」 などと書かれている(つづく)
2012.09.23
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