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稲吉は走っていた。稲吉はかつて親しい友人にもらしていた。自分は右翼である。この日本という国をどこまでも愛している。そして日本民族を。だが稲吉にはどうしても理解しがたいことがあったのだ。なぜ先の戦争のとき、天皇陛下は責任をとらなかったのか。そうして国体護持のためにいたずらに敗戦の受け入れを引き延ばしたのか。それでは左翼の糾弾と変わらぬではないか。友人が冷笑する。そうだろうか、そうかもしれぬ。稲吉はうつむき、黙り込んだ。到底届かぬであろうことばをそうして体にため込むようにして、だが稲吉は思っていたのだ。たとえ陛下が責任をとり、退位をしたとしてもそれでよかった。天皇は平民となり、国体はズタズタに解体されたとしても、民族が死滅するわけではない。日本民族はそこから本当にすべき戦いを戦い、やがて誇りある再生を遂げるだろう。そうして新しい天皇陛下を押し上げることだろう。それが本当の意味の日本の再出発になるべきだったのだ。稲吉はこうも思う。日本は国力で負け、兵力で負け、そうして道義で負けたのだ。連合国の「正義の戦い」はまやかしである。だがそれならばなおのこと、日本は「正義」を貫かなければならなかった。アジアの盟主として欧米列強の軛を解き放つために、なにより「正義」を立てなければならなかった。それなのにどうしたことだろう、アジア諸国でわれわれ日本国がしてきたことは、なんと薄汚れたことだったか。われわれは恥辱にまみれ、しかしそこからスタートするほかはなかったのだ。だが戦後に日本がしてきたことは正反対のことだった。日本がアジアにしてきた非道の数々をひたすらに小さく見積もろうとした。日本は責任をとろうとしなかった。そうして豊かになった。これほどの恥辱はあるだろうか。このままでいて、日本人は誇りを、道義を、取り戻すことができるだろうか。そうではない日本へ。稲吉は夢想した。そうではない日本へ。稲吉はナイフを腰にため、走っていた。
2007.06.27
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ここのところ、ほとんど20歳年上の人のことをよく考えている。男性である。とある会合で知り合い、少しずつ話を交わすようになった。御茶ノ水の駅前、路地を入ったところにある、いまだビニール張りのシートの喫茶店で話をする。店主なのか、和服に割烹着を身につけたおばあさんがゆらりと立っている。その人は、大きな会社を定年退職し、それからたくさんの本を読んでいる。すごく繊細な人なので、話しているとどきどきする。私たちは対話し、そこで引っかかったことを持ち帰ってさらにメールのやりとりなどもする。その人は生硬な、そして集中して考え込まれた文章を送ってくれるので、私はそのことばを噛み砕くのに難儀する。仕事の合間にその人のことばをとりだして、手に取ってみる。上から見たり横から見たりかざしてみたりする。いけない、仕事に戻らなくては。私はもとより正しい人間ではない。矛盾を抱え、偽善に生き、まあ、はっきりいって悪人だ。それでもなお生きていたいので、生きるにあたっては、もう少しは考えて生きていきたいものだとは思うのだ。そのくらいはしてもいいだろう。そのくらいはしなくては。自分にいう。その人のことばへ向けてかえすことばを組み立てる。自分はどのように生きてきたのか、そのことが問い直される。つらいこともあるけれど。
2007.06.26
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ぼーがいっぽんあったとさはっぱかなはっぱじゃないよ かえるだよかえるじゃないよ あひるだよろくがつむいかにあめざーざーさんかくじょうぎに ひびいっておまめをみっつ くださいなあんぱんふたつ くださいなこっぺぱんふたつ くださいなあっというまに あっというまにかわいい こっくさんときは1993年ころ。奥村フクオさんは44歳である。とある商店街でささやかに電器店を営んでいる。ちょっと小柄、ふっくらと中年太りが始まっていて髪の毛も後退しつつある。要するにどこにでもいるおじさんだ。妻に子どもがひとり。子どもは大学合格が決まり、妻はその子どものアパート探しのために、泊まりがけで出かけている。そういうわけでこの日の昼、奥村さんはひとり、近くのそば屋でどんぶりものを掻き込んでいる。すると背中合わせに座っている、スーパーの店員さんか、喫茶店のウエイトレスさんのようなかっこうをした遠久田(とおくだ)さんに話しかけられる。「1968年6月6日木曜日、お昼なにめしあがりました?」「とっても遠くからきた」(たぶん未来とか地球外とか)遠久田さんにとっては、これはなんとしても確かめたい事柄である。でも、奥村フクオさんにとっては、20数年前の話、なにか特別の日だったわけじゃない。それまで生きてきた1万数千日分の1日のお昼ご飯のことに過ぎない、どうしてそんなこと思い出せる?って話だ。だけど物語はここから猛然ところがっていく。通り過ぎた時間の、ある一点。1968年の6月6日。19歳の奥村さんが当時勤めていた石浜モータースの小さな社員食堂、窓から見渡せる小学校の先生と児童、さらにその向こうの小学校脇の道を通り過ぎる軽トラック、郵便屋さん、そしてポストに手紙を投函する女性…。遠久田さんは言う。「楽しくてうれしくてごはんなんかいらないよって時も悲しくてせつなくてなんにも食べたくないよって時もどっちも6月6日の続きなんですものねほとんど覚えていないような、あの茄子のその後の話なんですもんね」高野文子の漫画って不思議だ。圧倒的なデッサン力、伸縮自在、まるで自由に伸び縮みするかのような大胆にして繊細なコマ割。あるときはただただ美しく懐かしく、けれど安心して読んでいると鋭利な刃物を突きつけられていたりする。そうしてこの人が「たいしたものじゃないんだけどさ」とでも言うように提出してくる作品が(それがきっとこの人の好むスタイルだ)、実はものすごく考え込まれた作品だってことがしだいに身に沁みてわかってくる。さて、この作品。「奥村さんのお茄子」という。解釈しても野暮なんだと思う。傑作というのはそんな気にさせるものだ(それを言ったらおしまいだけど)。だが、どんな人にも日常があり、それらは大抵の場合、平凡で退屈で後から思い出せることなどほんのちょっとだとしても、かけがえのないことなのかもしれないということ。そうして誰かが生きているということはまた、ほかの誰かが生きていることと微妙に反応し合いそして…、あっ、まあいいか。最初に挙げたのは「棒がいっぽん」という絵描き歌の歌詞。地方によって微妙に歌詞が違っていたりするだろうけれど、この歌が、この「奥村さんのお茄子」の言わばBGMとして流れている。そうして、この「奥村さんのお茄子」を収録した、ほとんど奇跡に近い高野文子作品集のそのまま表題となっている。どうして「棒がいっぽん」なんだろう? 「ほとんど奇跡に近い」ってどういうことさ? それは言わない。ぼくらは考えてみる。1968年の6月6日のお昼ご飯、何を食べたっけ、とふと立ち止まる奥村さんみたいに。「奥村さんのお茄子」『棒がいっぽん』所収高野文子著 マガジンハウス1995年 定価918円
2007.06.19
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ロックさん、ごめんなさい、悲しいお知らせです。ていうか、悲しいなら言わなきゃいいんですが。でも言います。ツバメのことです。この春はスズメにいたずらされたりして、育ち上がったのは3羽。ひな鳥はやっと飛行訓練に入ろうとしているところでした。親鳥がえさを運ぶと、もう大歓声をあげていました。けれど、今週の火曜日の早朝と思われるのですが、巣が荒らされていて、そこにはもう誰もいませんでした。注意して周囲を見渡したのですが、ひな鳥の姿も親鳥の姿も見あたりません。そこにあるのは静寂だけでした。それから数枚のツバメの羽根と。これまでの経験からいうと、カラスに襲われたものと思われます。今日は木曜日、火曜日以来親鳥の姿も確認できません。不在。でも、自然の世界ではこのようなことは珍しいことではないわけですよね。カラスが悪いわけじゃない。当たり前です。そんなふうにしてみんな、生きているのだから。そんなことがありました。悲しいと言ってもしかたがない。しかしそこに不在がある。そんな感じです。
2007.06.14
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