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2020年03月25日
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カテゴリ: 不幸の予防方法
さて、最近書き込みましたもので、「鬼瓦にしか見えなかった実話」について。

霊体の本性が「鬼瓦」の場合の姿について、検証してみました。

「鬼瓦(オニガワラ)ってどんな感じの姿だったのかな~?」
・・・と気になりまして。

霊能力者Aさんには、その女性の本性の姿が鬼瓦にしか見えなかったとのことですので、一体、どんなふうな姿に見えたのかな~?と、鬼瓦の画像をいろいろ観てみたくなりました。

その女性の本性の姿がろくでもない鬼瓦だと一瞬で見抜いて、しかもそれから10年弱後に本当に鬼瓦だったということが発覚して、見事に的中していたので。

完全に当たっていて、見事的中ですからね。

しかも、その周りにいた人々は誰も全く分からなくて気がついていなかったのですから、他の人々には鬼瓦が観えていなかったわけです。

その場にいて、はっきりその女性の本性がろくでもない鬼瓦だと見抜くことが出来ていたのは、霊能力者Aさんたった一人だけでした!



「その女性の本性は鬼瓦の姿だった」って、どういう姿に観えていたのでしょうかね?

どんな姿なのでしょうか???

その姿がどんなふうに観えるのか分かれば、皆さんも生活の中で参考にできるかと思います。


・・・そこで。
鬼瓦
という単語を入れて、インターネットで画像を検索してみました☆

すると、たくさんの鬼瓦の画像が出てきました。

鬼瓦、鬼瓦、鬼瓦・・・鬼瓦がいっぱい(笑)!こんなにたくさん鬼瓦があると、笑ってしまいました~!!!

爆笑しました!


皆様もぜひ、検索して画像をチェックしてくださいね。


・・・鬼瓦って、こんなふうな顔の姿なのだな~と。



聖書に書かれているフレネミー・サタン(悪魔)もこれと同じものを指すと思いますが、宗教画で残されている悪魔の絵は、地肌の色が黒っぽくて2本角が生えていて、しっぽが生えていますよね。

霊能力者Aさんが見たその女性のろくでもない本性である「鬼瓦」と聖書の「悪魔」は、偶然にも姿がそっくりですよね。

「鬼瓦」と「悪魔」の姿は、そっくりなことが検証できました!

洋の東西を問わず、同じもの(霊体、本性)を観た場合、その例え方とか言い表し方の単語が異なるだけで、霊能力者Aさんは日本人なのでその女性の本性の姿がああいうふうに真っ黒で角が生えていて邪鬼みたいな姿を自分の記憶の範囲で身近なそっくりなものにあてはめて、「鬼瓦にしか見えなかった」と言葉で表現なさったのだな~と分かってきますね。

日本人の記憶の中では、鬼瓦そっくりに観えたということが理解できます。



霊能力者Aさんが見たものは、結局は「鬼瓦にそっくりだった」=「悪魔の姿」ということで、点と点がつながって、ピッタリはまりましたね!

日本の「鬼瓦」の姿は、西洋の聖書の「悪魔」とそっくりですね。
これはビックリです!

・・・ここまで書いてぞっとしましたが、霊能力者Aさんの「鬼瓦」という表現がピタッとツボにはまっていることが分かり、やっぱり今振り返っても霊能力者Aさんが言っていたことはますます信憑性があるな~と分かりますよね。

的中した内容だけでなく、同時に「本性の姿」をはっきりと観たという霊能力者Aさんの証言は、この情報を知れば皆様も生活の中でヒントとして生かしていくことができるかもしれません。

霊能力者Aさんの目線で「鬼瓦にしか見えなかった」という稚拙な言葉の表現に聞こえる話が、実はまさに的をついた表現であったことが理解できて、今になって私もビックリしました!

「鬼瓦」=「悪魔」なのですね。同じものを指しています。

つまり、東洋にも西洋にも悪魔が存在するのだということですね。


「悪魔」って人間として誕生していて、しかもこの世の人間達の中にポツンポツンと実在しているのですね。・・・これもビックリです!
フレネミー・サタン(悪魔)も人間として普通に生まれて普通に生きていて、中には一般に真面目とされているような先生にも混じっているということですよね。
公立の学校の先生。
え?教わっている子供達への影響は?←そりゃ、子供達には大きな影響がいっているでしょう。波動ですから。だからこういう先生に反抗する子供のほうが案外、光に向かっている魂なのかもしれません。反抗する子供は実は感覚が鋭くて見抜いているのかもしれないですね。

途中まで6歳くらいまで実のお父さんと実のおじいさん&おばあさんだと思って育っていたのに、急に「やっぱりあなたの本当のお父さんは外にいましたから。」って言われても、その子への影響は?

途中まで自分の子供だと思って育てて見守っていたご主人への影響は?

途中まで孫の誕生を喜んでいたし信じて疑わなかったおじいさん&おばあさんへの影響は?
・・・

考えたらこんがらがってきて訳が分からなくなってきますね。


その子供ご本人への影響は一番大きいとお察しできます。
立ち直れるのだろうか?
それか、母親と同じ波動の魂が引き寄せられてきて同類の母親の胎内に宿るので、同じような鬼瓦が誕生しているのかもしれませんから、べつに何ともないのかもしれません。
・・・そして、未来も鬼瓦は同じような鬼瓦の魂と引き寄せ合ってくっついて、また同じ波動の鬼瓦を呼び寄せて誕生させていくのが続いているのかもしれませんね。
これは今始まったことではなくて、聖書の書かれた背景の何千年も前の時代から、ずっと続いてきたことなのかもしれないです。
もっと前から続いていたことなのでしょう。

孫だと信じて可愛がっていたおじいさん&おばあさんにとっても、お見合い話を持ってきてすすめたせいもあるし、やりきれない気持ちでしょう。

でも周りの皆さんが全く見抜けなかったのが不思議ですが、一見、外見的には愛想が良くて朗らかであったり、良い子であったり、真面目な職業で学歴もあったりするから、周りの人々は霊体の本性には気がつかないのでしょうね。
ほとんどの人達は、本性を見抜けない、本性に気がつかない!

こういうケースは、ちまたでもよくあるのかもしれません。


このように、聖書に書かれているフレネミー・サタン「悪魔」は実際に人間として生まれていて、この人間界にポツンポツンと混じっているのですね。
そんなことは今まで深く考えたことがなかったですが。
皆様も考えてもみなかったことでしょう。
そりゃ~、世の中には悪行をする人達もいることは納得できますね。もとはフレネミー・サタン「悪魔」の世界からスライディングして呼び寄せられて生まれてきたのですから、仕方がないですよね。
家系の歴史はくり返しますし。
カルマ、因果応報は宇宙の法則ですから。


神から観ると、宇宙には良いも悪いもなくて全てニュートラルで同等の存在なので、善悪というものも同じように淡々と捉えているだけなので、悪魔も神も同じ扱いと捉え方ですから、どちらも良い悪いも上も下も無いです。
そして宇宙空間では、神、天使、悪魔などは無数の館に分かれているので、同じような波動の世界にいるため、波動が違うと接点が全く無いため、出会う機会が全く無いから、問題は起こらないです。

この3次元の世界、人間界の中では、あちらの世界では無数の館に分かれて存在している様々な霊的進化段階の魂が、同時に一度に存在することができるため、それで波長が合わなかったり、誰かがやっている悪行が理解できなかったり、ののしられたり、褒められたり、いじめられたり、迫害されたり賞賛されたり、色んな人を見たり、色々なことを実際に体験できる世界なのです。


上記の仕組みを考えたら、波長が合わない人っているのは仕方がないことですね。

この世では理解し合えないことがあるのも、仕方がないことですね。無理ないです。


この世では、自分と波長が合う人と共に生きて、淡々と動じないで冷静に、不動心を持って生きていくのが幸いなのですね。

そして、様々な無数の霊的進化段階からこの世に誕生した人間達の世界で生きているのですから、相手に無理なことを要求しないようにして、相手の魂の成長によるのだから本人の自由意志にお任せしておくことが大事で、裁かず、批判せず、理解しあおうとするのではなく(理解しあえないから無駄)、淡々と腹5分くらいでお付き合いに気をつけていくほうがいいのですね、やっぱり。

理解しあおうとするのが無理なことなのだから、自由意志に任せておくこと、押し付けないこと、淡々としていること、でも「何が幸いであるか」というヒントは神を知っている上級生が示す義務があるということですね。


本当に、この世では、人との関わり、人との距離感(腹5分くらいまで)には、気をつけて淡々と暮らしていき、自分の役割と仕事にエネルギーを注ぐほうが良いのですね。

ちょっと理解できてきましたね。


皆様も、お互いに、人との付き合いの距離感、踏み込まないこと、裁かないこと、愛を送って遠くから離れておくこと、それぞれの魂の学びの速度に差があるので相手に無理なレベルのことを求めないこと、その人はそこがその魂の進化段階にとってはせいいっぱいで学んでいる最中なのだからそっと見守ること、悪魔(鬼瓦)がののしってきても愛の光を送って包むことが大事ですね。

その人(鬼瓦)にはその行動と生き方がせいいっぱいなのだからそうなっているわけで、鬼瓦も神が創造したものなのだから、そっとして見守って、でも自分は鬼瓦を伴侶には選ばずともそっと遠くから愛の光を送って「頑張って成長してね」と包むことがいいですね。

「仕方がない」
という日本語、深いですね。


「無理なものは仕方がない、だって鬼瓦(悪魔)なのだからそこからスタートして頑張っているのだ。」

「鬼瓦(悪魔)だって好きで鬼瓦(悪魔)として生まれたわけではないのだから、仕方がない。」


私もこの画像のことを機会に、考えさせられました。





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最終更新日  2020年03月26日 05時30分38秒
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