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2020年03月30日
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カテゴリ: 不幸の予防方法
さて、お客様からのお便りの一部分を掲載します。

新約聖書の、ヨハネの福音書についてです。

ありがとうございます。

こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします☆


>「ノアの方舟のようだなと思いました。
・・・
ヨハネの福音書3:19〜21を読んで、最近のブログに書かれている内容みたいだ…と思いました。

やはり預言されていたのですね。

ブルーシャさんとのご縁をいただけて本当に本当に感謝しました。

これからもよろしくお願いいたします。」



(以下、ブルーシャ記す)

wikisourceより、転載します。
「ヨハネによる福音書」(口語訳)から抜粋。


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 


彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。


また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。


肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。




わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。


天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。

そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。



それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。


神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。


彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。

そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。

悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。

しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。


上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。




しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。

神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。



善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。

また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。


世はあなたがたを憎み得ないが、わたしを憎んでいる。わたしが世のおこないの悪いことを、あかししているからである。

もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもよい。

しかし、もし行っているなら、たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう。


「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。



わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。

わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。



わたしは自分から語ったのではなく、わたしをつかわされた父ご自身が、わたしの言うべきこと、語るべきことをお命じになったのである。

わたしは、この命令が永遠の命であることを知っている。それゆえに、わたしが語っていることは、わたしの父がわたしに仰せになったことを、そのまま語っているのである。





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最終更新日  2020年03月30日 14時20分05秒
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