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けっきょく、昔、アナログ盤で買ったアルバムをまた買ってしまう。正月には横浜西口のHMVで、アニタ・オデイの「ANITA SINGS THE MOST」を購入。このアルバムは、1972年、大学に入学した春に買ったものだ。ちょうどジャズ喫茶通いが始まった頃だった。(昨日はファンキー、今日はメグ、明日はスウィング…)たぶん、アニタ三部作と呼ばれている名盤の一枚のはずだ。数えきれないほど繰り返し聴いたので、曲順のままにスタンダードナンバーが頭の中で聞こえてくる。同じ場所にいた人でないとうまく伝わらないだろうが、このアルバムを聴くと、あの大学の、なんとも浮ついて無節操で、しかもことあれば群がって騒ぎたい70年代初頭の「気分」が蘇る。もちろん録音は50年代だから、アニタ様にはなんの責任もない。先週の金曜日は、神保町の割烹「花家」を久々に訪問。すずらん通り裏に、昭和30年代を凍結したような美しい店を構えていたのだが、昨年11月に水道橋寄りに移転したそうだ。女将は盛んに恐縮していたが、真新しい壁や天井がちょっと恨めしかったのは事実。帰りに中古レコード屋で、まりや様の「UNIVERSITY STREET」を購入。これは1979年のリリースで、冒頭の「オン・ザ・ユニバーシティ・ストリート」と2曲目の「涙のワンサイデッド・ラブ」の間にこんな掛け合いが入っている。ハーイ、まりや、元気?うん、元気してるよ。試験、どうだった?××××(聞き取れない)バイビー!バイビー!(苦笑)「ユニバーシティ・ストリート」の雑踏になぜか鐘の音が重なっていて(チャペルなんかないぞ)、ヤラセの掛け合いにマリヤ様が思わずふきだしてしまうというのが愛嬌。僕が卒業した3年後の、タテカンもめっきり減っただろうあのキャンパスのイメージが、なんだか悪くない。
2008/01/27
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金曜日は、ケイズワークの市田炎子や「カフェヒラカワ」の平川克美さんと新宿サザンシアターで、小池昌代さんの「感光劇場」を見物。『感光生活』と『屋上への誘惑』が文庫になったので、その記念イベントであったらしい。第三部で、小池さんが、『タタド』のスズコになって、セリフを二言、三言発声したのがよかった(もっとやってほしかった!)。終わってからロビーで筑摩書房の菊池社長をはじめ、昔の同僚や後輩に再会した。ずいぶん久しぶり。みんな、もう、ナントカ部長の肩書きの付いたオッサンたちである。土曜日は、ラジオデイズ落語会。柳家小ゑん、柳家喜多八両師匠の顔組みで客席は満杯。気だるいはずの喜多八師匠はパワフルだった。小ゑん師匠の「レプリカント」がよかった。「レプリカント」のライブは初めてだ。細部までつくりこまれていて、しかも爆笑のネタがごろごろ転がっていて、口演中に客席から拍手が湧いた。それに東横線沿線の住宅街や都立大駅前という、ふだんはあまり落語に縁のない地域が織り込まれていて、しかもそれがどこか懐かしい気配を漂わせている。時代は特定されていないが、紛れもなく70年代後半である。日曜日は、野口裕二さんの著書『物語としてのケア』(医学書院)を読んだ。臨床の視点から、「語り」と「物語」の治癒行為における意味や役割を論じた作品だ。年末に入手したもののなかなか手がつかなかったが、約5時間で一気に読了。面白かった。2月にGLOCOMの研究会で野口先生とご一緒するのがとても楽しみになった。その読書の合間に、NHK教育TVで全日本卓球選手権を見た。シングルスの決勝である。女子で二連覇した平野早矢香も強かったが、同じく男子で二連覇の水谷隼(みずたにじゅん)が凄かった。水谷は名門、青森山田高校の三年生で、昨年17歳7ヶ月の史上最年少優勝に続く二度目の優勝である。もちろん高校生の二連覇も史上初。昨年、世界ランキングで89位から29位まで駆け上った。僕が生涯でそれなりに打ち込んだスポーツは卓球とスキーしかない。中学から高校2年まで卓球部に所属して、自分の運動神経のレベルを呪うほど練習したので(要するに強くはならなかったので)、あの球技だけは身体的に理解できる。18歳の水谷少年は、若さといえば荒削りでがむしゃらなパワーで相手を押しまくる、みたいなステレオタイプからかけ離れた、多彩な技術と緻密なタクティクスに基づく老練な(!)アスリートだ。対戦相手の26歳の吉田海偉(日産自動車)とフルセットにもつれ込んだが、主導権はほとんど水谷の方にあった。変幻自在のサーブ(最近は「ヤンジェネサーブ」というものがある)、閃光のようなバックハンド、数種類の回転を使い分けるフォアハンド・ドライブ(「ナックルドライブ」というものがあるそうだ)、相手のスマッシュをロビングで拾って拾って、逆襲のスマッシュを打ち返す脅威のカウンターパワー(これを世界の大舞台でやってしまう)。アナウンサーが「なんでこんなことができるんですか?!」と解説者に聞くと、次の答えが返ってきた。「彼の想像力が豊かなんです。教えて身についたものじゃない」たいしたものであるよ、ホントに。
2008/01/20
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今年の正月休みのフィナーレは東伊豆・菖蒲沢の磯釣りであった。釣友T君を辻堂駅でピックアップし、昨年の台風で撃破されて、修復中の西湘バイパスを通り抜け、箱根新道から伊豆スカイラインへ。東伊豆の海はきわめて穏やかだった。菖蒲沢とは、河津と白浜の中間にある一連の磯の名称で、南伊豆が磯釣りのメッカとなってしまった今では、ややマイナー磯に転落してしまったが、古い磯釣り師には馴染み深い場所である。我々が宿泊した船宿「菖蒲沢荘」もこの世界の老舗で、その姓である「村木」が昭和30年代の磯釣りガイドブックに載っている。奥様とともに宿を守るご主人は80歳になられるそうだ。伊豆の釣りの話になると、毎回同じようなことを書いているが、僕は40数年前にこの方が舵を握る渡船で磯に渡ったことがある。その時も冬だった。おぼろげな記憶だが、港を左へ出たところの低い磯だったから、「沖の大金」(おきのだいがね)あたりだったのか。今、「千代丸」を操っているのは、もちろん「若」船長だが、この方もおそらく僕らとそう離れた歳ではない。長年の潮風がもたらした渋面の髯面はなかなかダンディである。我々は、船長のご提案「鬼が崎」を生意気にもお断りし、樽ヶ野の「スズメ」に乗せてもらった。天気は晴朗、心配していた北東風(ナライ)も微風にとどまっており、絶好の釣り日和と見えたが、そうそうコトは甘くないのね。ここ数日で水温が1度以上下がってしまったため、海はかぎりなく生体反応から遠かった…。新しいダイワのリールを購入して勇んで臨戦した友人はゼロ。僕はタカッパ(タカノハダイ)と30センチほどのカワハギ。初釣りが早くも今年の厳しい釣運を暗示しているようである。でも、ていねいに低温保存して持ち帰ったカワハギはベリーグッドだった。肝をそーっと取り出してから三枚におろし、釣り雑誌の推奨レシピに従って「すまし汁」を試みた。これはよかった!プリプリの白身、精妙複雑な肝に舌鼓をポン。在野のルネサンス研究家、杉浦明平氏は、『カワハギの肝』というエッセイを書いているが、賞賛を贈りたくなる気持ちなら浅学菲才の僕も共有できる。おどけた仏頂面のこの魚の肝臓は、フォアグラという名の脂肪肝よりずっと清涼で深遠である。メジナは釣れなかったがカワハギが釣れた。これまた、磯の恩寵である(と今年も大袈裟なトーンで)。そうそう、ようやく最終節を改稿し、『炎の回りで踊れ』第二章は近々リリースの運びとなりそうです。
2008/01/06
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