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先日ふとした拍子に体重を測ったら、正常値より2.5キロ増えていた。どうも、このところ身体が重かったもんね…で、決心して、リンゴダイエットに踏み切った。リンゴダイエットとは、朝と昼は普通に食事をして、夜はリンゴ一個に限るという他愛ないものだが、それなりの効果がある。立場上、「サービス残業」は常態なので、どうしても夜の食事は遅く、不規則になる。外食メニューはたいてい高カロリーだし、家で食べれば必ず食べ過ぎる。だから、夕食をやめてしまえばいいのだが、確実に空腹はやってくる。それをリンゴ一個(または半分)で解消する。で、寝てしまえばいいのだ。すると、目覚めがよくなって、朝飯がすごく美味しくなる。悪くないよ、これ。小説を送ったO君から礼状メールが来て、本も薦められた。鴻上尚史の小説『僕たちの好きだった革命』。30年の眠りから覚めた47歳の「山崎義孝」が、30年振りに高校に復学して、「革命運動」を再開するという話である。鴻上は悪ふざけのように見せながら、けっこう核心をついている。たとえば――「闘争」の途中で逃げ出した仲間を責めようとする女子生徒と山崎の会話。「だって…だって、希、逃げたんだよ。裏切ったんだよ」 未来が携帯を口から離して、通話口辺りを手で押さえつけて言った。「裏切ったんじゃないよ。負けただけだよ」「だから、」「何度負けてもいいんだよ。最後に勝てばいいんだから」 山崎は微笑んだ。「…だけど」「大切なクラスメイトじゃないか」これはとても重要な考え方だと思う。負けるのはかまわない、相手が強いのだから。最終的に負けたことを認めなければ、勝ちの機会は残っているのだから。1958年生まれの鴻上は、ちょっと離れたところから、いいものを見つけ出している。
2008/05/29
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第1章が完成したのが2005年1月だから、第2章には3年以上かかったことになる。こんなぐうたらが許されるのも、これが「作家ごっこ」だからである。厳しい催促もないし、怖い編集者もいない。掲載される雑誌があるわけでもない。時折、友人が「あれ、どうした?」と声をかけてくれるぐらい。だから、まるきり自由である。何を書いてもいいし、書かなくてもいい。このまま黙って止めてしまっても、どこかから文句を言われる筋合いはない。でも、だからこそ、書き続けてこれたのである。『炎の回りで踊れ』は、1969年の都立高校を舞台にした、いわば私的幻想小説である。某評論家なら「偽史」と呼ぶかもしれない。第1章を読んだ同期のN君が、「うん、確かにそんなことがあったような気がするよ」と言ってくれたのがすごく嬉しかった。「ひょっとしたらあったかもしれない物語」は未発の可能性とでもいうべきもので、僕には一番美しいと思える。第1章は「午後の傾向」だったが、第2章は「共同演奏論」と題した。第1章で主人公の「リュー」こと風街龍子は、一大決心して学園祭での芝居の公演を企てた。第2章では、春から夏へ季節がめぐり、2年J組の素人劇団が際限のない議論と稽古に突入していく。彼女を助けるのは、片足をひきずる美少女の「サキ」と都心の高校を追われて転校してきた「トリ」。この3人を中心に、あの練馬の高校のどこかにいたようなクラスメイトたちが、それぞれ40年前の相貌で登場する。第2章は、やや面倒なテーマを言葉にするために、劇中劇のような格好を採った。成功したかどうかは定かでないが、どうしてもこのスタイルしか思いつかなかった。読者がなにかを感じてくださることを祈るしかない。第1章を読んでくださった方々には近日中にインターネットでお届けします。水溜りさん、たいへんお待たせしました。最終章である第3章は、恐らく1969年の10月から12月を扱う。学園祭から12月8日のバリケードまでネタは尽きないが、まだ、筋書きはできていない。できることなら、2009年のうちに完結させ、SIXTY NINEの40年目のアニバーサリーを兼ねて大きなかがり火(Bonfire)を焚きたいものだ、と思っています。では、よろしく。
2008/05/13
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金曜日のラジオ収録のゲストは、雑誌「SWITH」を世に送り出した新井敏記さんと、名著『香港 旅の雑学ノート』を書いた山口文憲さんだった。お二人とも(例によって)20数年来の再会である(山口さんとは立ち話がその間に二回ある)。新井さんと出会ったのは、サム・シェパードのご縁である。ヴィム・ヴェンダースの「パリ、テキサス」の試写会でもらった広報資料に、この映画の原作はサム・シェパードの『』モーテルクロニクルズ』であると書いてあるのを見て、確かその日のうちに版権エージェントのタトル・モリに電話を入れた。運よく、まだ、権利が空いていた(牧歌的な時代だったんだね)。翻訳は新進の畑中佳樹君に頼んで、装丁は老練な菊地信義さんにお願いした。僕のつくった単行本の中でも、もっとも美しい本の一冊である。翻訳にかかった頃だったろうか。誰かに教えてもらったのかもしれないが、本屋で「SWITH」を見つけた。サム・シェパードの特集号で、その雑誌の創刊号だった。編集長の新井さんに電話をかけて会いにいった。青山通り沿いの編集室はかなり古ぼけた、しかし、妙に味のあるビルの中だった(まだあるよ、この「外延ビル」)。新井さんのやろうとしていたことと僕の興味はかなり近かったので、ごく自然に友好関係を結ぶことになった。『ジャングル・クルーズにうってつけの日』の原稿を書いていた生井英考さんも、なぜかこの編集室に居座っていたから、南青山にはちょくちょく出かけていった。その後の「SWITH」は僕が説明するまでもない。日本のカルチャーマガジンの一翼はこの雑誌がまちがいなく担ってきた。ひとりの人物に焦点を当てて、その人物のいる場所の空気を蘇らせる。そのような手法で、へヴィカルチャーの主人公たちを続々と採り上げた。トム・ウルフ、ビート・ハミル、トム・ウェイツ、ジョン・ベルーシ、ウディ・アレン、ジョージ・ブリンプトン、トルーマン・カポーティ、ライ・クーダー、ジム・ジャームッシュ、クリント・イーストウッド、ダイアン・キートン、ジャック・ニコルソン、ブルース・スプリングスティーン…80年代の「SWITH」のバックナンバーは壮観だ。今回の番組の中で、新井さんが、雑誌とカルチャーヒーローが取り結ぶ関係について、ジョン・レノンと「ローリングストーン」を例に引いて興味深い話をしてくれている。インタビュアーをしながら、僕は正直なところ胸があつくなった。サム・シェパードには、この後、別の縁も頂戴した。「ファーノース」という映画である。それが出版の世界を飛び出す機縁となった。幸いだったのかどうかは(まだ)分からない。でも、住みなれた町は遠くから美しく見えるから、悔いはないね。
2008/05/10
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どうも釣れないのである。釣りに行く回数が外的条件によってかなり減っているため、もともとたいしたことのない「勘」が鈍っているに違いなく、加えて心身能力が日に日に衰えつつあるからして、集中力と持続力を要求される磯釣りには無理が来ているのであろう。昨年12月に遥々三宅島を訪れてもメジナはさっぱり。正月の伊豆・菖蒲沢もタカノハダイにカワハギ。寒メジナ最盛期のはずの茅ヶ崎・エボシ岩もぜんぜん。(その上、リールが壊れる、磯シューズの底がはがれるなどのアクシデントも数々)そろそろ、この不調から抜け出さなくてはいかんと、友人Tと語らってGWのさなか、南伊豆・中木に満を持して向かった。のんびり箱根・三島を抜けて船原峠から土肥へ出ると初夏の伊豆・西海岸であった。松崎港でキスやメゴチをからかってから、翌日のコマセを仕込んで石廊崎方面へ。絶景の懐かしい海岸線と雄大な富士を目の端にひっかけながら、クルマを走らせる。中木港は夕暮れ。一泊二食のお世話になったのは渡船「武丸」の経営するリゾートインTAKEMARU。気さくで明るい「お母さん」の手料理でビールが美味い! これって極楽? 釣りの前日の夕食ほど楽しいものはない(「明日は釣れるかもしれない」の幻想係数のなせるワザ)。翌朝早朝の中木港には、いるわいるわ、機動戦士みたいなカッコのむくつけき釣師がざっと50~60人。さすがにGW。さすがに磯釣りの聖地。武丸の一番船に乗せてもらったものの、カツオや白根はもちろん、大根島の銀座や平島あたりは、まあ、我々には十年早いんですかね。結局乗せてもらったのは、岡牛根から回りこんだ「大通し」あたりの磯。気を取り直して、支度を整え、コマセを打って、第一投、第二投、第三投…ん? エサ取り不在、ツケエサそのまま、1時間たっても2時間たっても生体反応なしの5月の海。昨日までは確かに釣れていた。メジナはもちろん、イサキも石鯛も、なんとモロコまであがっていたのに、急転直下、本日の海は沈黙したまま、魚からの発信はない。昼過ぎの上げ潮二分の頃合、北東の強風に抗って仕掛けを入れるべく2Bのガンダマを打ったG2のウキがしゅっと沈んで、そりゃあ!とばかり合わせるとドスン。来たよ、来た、来た!強烈に手前の根に突っ込むのを、竿を突き出してかわし、ぐっとためて数十秒、ようやく水面下に腹を見せたサカナはなんだか赤っぽい。予想通り、浮いてきたのは35センチほどのアイゴ君。がっくし。このあとは小さなベラが二枚。T君は玉砕。どうも、我々はおんぶおばけにつかまっているらしい。こいつを引き剥がさない限り、この先、輝かしい釣果とは縁がないだろう。帰りのクルマの中で、暗い目をした二人の男は梅雨メジナの作戦を練るのに余念がなかったが…
2008/05/05
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