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「文革」以前の1950年代の中国を舞台に、毛沢東の製作に翻弄される庶民の姿を描いた傑作。監督は中国の第五世代を代表するの田壮壮。1993年の東京国際映画祭で、グランプリと最優秀女優賞を受賞。 私の知る限りでは、中国国内ではいまだに上映はされていない作品でもある。 東京・新宿のミニシアター、K's cinemaにて開催中の『中国映画の全貌2007』にて鑑賞。 『青い凧』 評価:☆☆☆☆☆ 1995年から東京・千石にあった三百人劇場で、2,3年おきに「中国映画の全貌」と題する特集上映が行われていた。1990年の終わりころから、(東京で)劇場公開される中国映画の大半は見てきたと思うが、(当然?ながら)1990年代以前の中国映画には未見なものが多く、それを解消してくれるのに、この特集上映は大変に役に立っている。といっても特集当たり10本も見れればよい方ではあったが……。 ところが、昨年(2006年)で三百人劇場の閉鎖してしまったので今後はないのかと思っていたら、今年は会場を新宿のK's cinemaに変えて開催。 上演本数も、今年は(香港映画も加わっていることもあり)74本と昨年の約3倍。 ざっと数えたところ、そのうちの44本が鑑賞済みの映画であった。 さてそれで、『青い凧』。 中国の歴史、とくに現代史は(私には)じつはよく分かっていない。 偏に私の不勉不足のためなのだが、現在では共産党によっても否定されている文革=文化大革命が、なぜ、どういう経緯で成されたのかが、謎という印象がある。 文革(が引き起こした悲劇)については、映画的には例えば『シュウシュウの季節』などの傑作(後味は非常に悪いが、映画自体は見事な傑作)があって、それなりには理解しているつもりがだ、中華人民共和国が成立してから文革までの期間を描いた作品は、たぶん本作が初めてだろう。 映画の筋は、詳しくは「あらすじ」を見ていただくとして、1950年代の政治活動に踏み込んで、それが如何に家庭を崩壊させ、また個人の一生をめちゃくちゃにしてしまうのかを描いた本作によって、そのあたりの事情が何となくだが見えてきた。 文革の誤りを元に辿って追っていくと、結局は中華人民共和国の成立と中国共産党そのものを批判することになって、まぁ確かにこの映画が中国国内で上映禁止なのも、分からなくはない(そこの壁が突破できない限り、大きく開けることもないのではと思うが) 本作で印象的だったのは、あらすじには触れなかったが、主人公・樹娟の兄の彼女。 兄・樹生は空軍の参謀で、彼女・朱瑛(チュウイン)は軍の劇団因だったが、党の幹部が来る度に接待にかり出されることに嫌気がさして退団するが、やがて反革命の罪に問われて逮捕されてしまう。彼女自身、何が起こっているのか、まったく理解できない状況で、党幹部の“餌食”になってしまう姿は、彼女への哀れ以前に底知れない恐怖を感じる。 まぁ今はこんな腐った党幹部はいないだろうが、こういう告発を紛れ込ませてしまうとは、田監督、おそるべしか。 そして文革の時代は、(映画をその通りと受け取れば)小学生が校長先生をつるし上げていたのかと思うと、これもちょとおっとぞっとする。 監督の演出としては、ともすると(日本であれば)感傷的に描いてしまうところを、かなり淡々と描いていく。それが、より当時の時代状況を考えさせてくれることになる。 また、監督は子役の使い方がうまいなと思った。 また三度の結婚式や、随所に挟み込まれている食事のシーンが、時代状況の移り変わりを象徴していて興味深い。 良くも悪くも“お隣”の国、中国を知る上で、本作は必見の傑作と言えよう。 なお本作のDVDが発売されていたようだが、現在では品切れのようだ。【あらすじ】(ネタバレあり) 1953年3月、北京近くの胡同。小学校の女性教師・陳樹娟(シューチュアン)は、図書館司書の林少竜(シャオロン)と結婚した。中華人民共和国が成立して4年、人々は新しい国の建設という希望に溢れた時期で、二人の質素な結婚式でも、新郎新婦が毛沢東主席の肖像に敬礼した後、全員で革命歌を合唱するのであった。翌年、息子の鉄頭(ティエトウ)が誕生。 1957年。鉄頭は父の作った青い凧を上げるのが大好きであった。それは、一家の希望の象徴でもあった。折しも、毛沢東は整風運動──官僚主義を改めるために、党や官僚主義に対する批判を述べるように人々に奨励する──を推進するが、に一転して反右派闘争──党批判を行った者(=右派)を罰する命令が出され、図書館への割り当てから、少竜は右派のレッテルを貼られてしまい、労働改造に送られる。美大生であった樹娟の弟・樹岩も故郷の農村に追放された。そして、少竜は伐採事故のため死亡する。 1960年。少龍を密告したことに責任を感じていた同僚の李国棟(グオトン)は、その後ずっと樹娟親子の面倒を見てきたが、樹娟と再婚した。鉄頭はこの“おじさん”を好きであったが、大飢饉(1959~61)の際に、樹娟親子のために苛酷な労働をして粗衣粗食に耐えた無理がたたったのか、国棟は突然、病死してしまう。 1965年。息子の将来を案じた樹娟は、姉・樹英(宗晩英)の紹介で、党の幹部である老呉(ラオウー)の後妻になる。二人は老呉の住む立派な洋館に引っ越すが、鉄頭は新しい継父が好きになれず、反抗ばかりしていた。 翌1966年、文化大革命が始まった。老呉を批判する壁新聞も貼り出された。老呉は、樹娼と鉄頭に危害が及ぶことを危惧して、離婚を申し出た。ある日、様子見に鉄頭と戻ってきた樹娼は、老呉が紅衛兵に暴力的に連行されようとする現場に遭遇、心臓の悪い彼を連れていかないように懇願するが、一緒に連行されそうになる。紅衛兵に猛然と飛びかかった鉄頭は、袋叩きにあい失神してしまう。老呉は病死し、樹娟は労働改造に送られる。気づいた鉄頭が頭上に見たものは、枯れ木に吊り下がった、ぼろぼろになった青い凧だった……。『青い凧』The Blue Kite 藍風箏【製作年】1993年、中国【製作】北京映画製作所【監督】田壮壮 ティエン・チュアンチュアン【脚本】肖矛 シャオ・マオ【撮影】侯咏 ホウ・ヨン【音楽】大友良英 オオトモヨシヒデ【出演】呂麗萍 リュイ・リーピン(母:陳樹娟)、易天 イー・ティエン(鉄頭:3歳)、張文瑶 チャン・ウエンヤオ(鉄頭:6歳)、陳小満 チェン・シアオマン(鉄頭:12歳)、濮存■ プー・ツンシン (父:林少龍) ほか文革を扱ったDVD『シュウシュウの季節』書籍『中国映画の100年』中国映画の全貌を知る上で必携の好著
2007.08.11
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『時効警察』シリーズで話題?の三木聡監督による最新昨。 臨死体験をルポするために、ライター(伊勢谷友介)とその友人(松尾スズキ)が鍵となる“死にモドキ”を探すロードムービー(って映画を見ていない人には訳の分からない要約か)。 テアトル新宿にて鑑賞。 『図鑑に載ってない虫』 評価:☆☆ うーん、何とも微妙な作品。 もしかしたら大傑作なのかも知れないが、私的にはちょっと厳しかった。 面白くない訳ではないが、ある意味、弾けすぎというかメーターが振りきれすぎて、かえって観客を拒否しているような感じ。 はじめに雰囲気・ノリについていけないと、しらじらとしたまま過ぎてしまう、そんな作品だった。(そういう意味では『舞妓Haaaan!!!』に似ているとも言えるが、あちらは笑いが“古典的”な分、一般受けしやすいと思う) 細かくは笑える小ネタ(「岡」とか、カップヌードルの肉を集めてできたステーキとか、サロンパス煙草とか、電動チュッパチャプスとか)が散りばめられていて、結構笑ったりはしたのだがが、何というか、それぞれバラバラ・単独に提示されるだけなので、その場限りでおしまい、全体として話にカタルシスがない、と大げさに言わなくても、映画を観たという満足感が生じない、というところだろうか。 脚本的には、たぶんロードムービーとしては、中心となる人物が増えすぎではないか。せめて主人公の「俺」(伊勢谷友介)と友人のエンドー(松尾スズキ)、それにリストカットマニアのサヨコ(菊地凜子)までにして、目玉のおっちゃん(岩松了)とその子分のチョロリ(ふせえり)はもっと一見さん的な脇役的にしたほうが良かったのではないか?(役柄としては面白かったけど) 伏線などでも、前半、あれだけカメラマン真島(松重豊)を探すことで引っ張っておきながら、出会ったあとはあまりにもあっけなさ過ぎるし、わりと冒頭に意味深に出てきた黒幕の部下(嶋田久作)もそれっきりだし、いきあたりばったりに作っているのが、個人的には裏目に出ているようにしか思えなかった。 まぁラスト、伏線とは思っていなかったことが、そういうつながりをするか、という部分もあることはあったのだが……。 役者的には、伊勢谷友介がこういう“くだらない”(失礼)役に全力で取り組んでいる姿が好感。たぶん二度と見られないだろうなという感慨もあったりして。それにしても彼は“芸”の幅が広いなぁ。 松尾スズキは地のママというか他の作品でもまぁ似たような役どころなので、安心感?はある。 菊地凜子は、こういうトボケた役は(も)資質に合っているとは思うのだが、今回は上滑りしているとしか思えなかった。ヒロインとしては、その辺、『亀は意外と速く泳ぐ』の上野樹里の方が役者が上だったかな。 全体として、役者が楽しんで演じている雰囲気がまったく感じられなかったのも大きなマイナス。その辺も『舞妓Haaaan!!!』と違うところか。あちらは出演者のほとんどから「楽しくて仕方がない」オーラが出ていた(と思う)。 個人的には、三木監督作品としては『亀は……』『ダメジン』は割と面白かったんですけどね(『イン・ザ・プール』は外した感)。 ということで、役者や監督のファンなど、気になる人は(劇場でなくても、近い将来DVDが出てからでも)鑑賞した方がよいとは思うが、そうでない人には今一薦めがたい作品、というところだろうか。『図鑑に載ってない虫』【製作年】2007年、日本【配給】日活【監督・脚本】三木聡【撮影】小松高志【音楽】坂口修【出演】伊勢谷友介(俺)、松尾スズキ(エンドー)、菊地凜子(サヨコ)、岩松了(目玉のおっちゃん)、ふせえり(チョロリ)、水野美紀(美人編集長)、松重豊(カメラマン・真島)、笹野高史(モツ煮込み屋の親父)、渡辺裕之(船長)、嶋田久作(黒幕の部下)、片桐はいり(SMの女王様)、高橋惠子(サヨコの母親) ほか公式サイトhttp://www.zukan-movie.com/原作本三木聡監督作品『時効警察』DVD-BOX三木聡監督作品『亀は意外と速く泳ぐ』DVD三木聡監督作品『ダメジン』DVD三木聡監督作品『イン・ザ・プール』DVD
2007.08.10
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井上靖の代表的名作『しろばんば』の映画化。複雑な家庭に生まれた少年の葛藤と成長を描いた傑作。 今年(2007年)7月に神保町にオープンした小学館直営の映画館、神保町シアターで開催中のレイトショー特集「こどもたちのいた風景」にて鑑賞。 『しろばんば』 評価:☆☆☆☆☆ 井上靖は格別に好きな作家というわけではないのだが、いくつかの作品は個人的に非常に印象に残っている。 というのは、私が中学校1年生の時、文化祭での図書委員会の企画展示が「井上靖」特集で、『蒼き狼』『しろばんば』『夏草冬濤』『あすなろ物語』の4作は自分の担当だったこともあり、読み込んだ覚えがある。いずれもその後数十年、読み返したわけではないので、記憶が薄れてしまってはいるのだが……(自伝的小説として『しろばんば』『夏草冬濤』の後に『北の海』が刊行されているが、当時はまだ文庫化されていなかったため、未読のまま現在へ……)。 『しろばんば』は、井上靖が天城湯ケ島で過ごした多感な子供時代を綴った自伝的小説で、「しろばんば」とは晩秋の天城で、夕方に白い綿毛をつけて飛ぶ虫のこと。 原作は主人公の洪作(こうちゃ)と育ての“親”ぬい婆ちゃ(曾祖父の妾)を中心に、主人公をめぐる複雑な人間ドラマを淡々と描いていたような記憶があるのだが(うろ覚え)、映画ではどちらかというと、洪作と叔母のおさき姉ちゃんとの関係──少年が若くて美しい女性に抱く淡い恋心──に焦点が当てられている。 主人公の洪作役の島村徹のあどけなさを全開にした演技──少年が年上の女性に抱くそこはかとないときめき──もさることながら、叔母役の芦川いづみが、美しいというか、少年が心をときめかせる理想とも言うべき女性像を見事に演じきっていて素晴らしい。 そして、おぬい婆ちゃ役の北林谷栄が、これまた見事なはまり役。彼女は(若い自分から)嫌味なおばあさんというイメージが強い(混血の姉弟を育てる『キクとイサム』(1959年)でのおばあさん役は非常に良かった)が、その皮肉・文句たれたれな様子の背後に、洪作への無償ともいうべき愛情が溢れている様を好演している。 脚本の木下恵介は、言うまでもなく『二十四の瞳』などの名作を撮っている監督だが、非常に複雑な人間関係を巧みに処理して描いており、膨大な原作を1時間半という尺に手際よくまとめる手腕はさすがだ。 鑑賞後は劇中で頻繁に唄われる「箱根八里」がぐるぐる回ること必至。 なかなか鑑賞の機会は少ない作品だとは思うが、機会があれば一見をお薦め。 ちなみに,井上靖の同じく自伝的小説『あすなろ物語』も映画化されていて、同じく神保町シアターでの特集で上映された。脚本が黒澤明(!)だったりする(1955年、東宝作品。堀川弘通の監督デビュー作で、師匠の黒沢が脚本を贈った)。 この作品も鑑賞したが、こちらもお薦め(評価:☆☆☆☆)。【あらすじ】(ネタバレあり) 大正初期の伊豆・湯ヶ島。伊上洪作は、豊橋に住む軍医の父や母、妹と別れて、母方の曾祖父の妾であったおぬい婆さんと、土蔵で二人で暮していた。おぬいにとって、最初は嫌々預かった洪作ではあったが、今では可愛くてしかたがない。母方の本家は近くにあったが、おぬいと本家との中はあまりよくない。 明日から春休みという日、本家の次女で叔母のさき子が女学校を卒業して帰ってきた。新学期から洪作の通う小学校の教師になるという。洪作は優しいさき子が帰って来たのが非常に嬉しく、一方のさき子も、不憫な暮らしをしている洪作を何かと可愛がるのだった。同級生たちは「ひいき、ひいき」と騒ぐが、洪作は気にしない。 夏休み。洪作はぬい婆さん連れられて、豊橋の父母の家に出かけた。自分の手元に引き取りたい母親とぬいとの口論から、洪作は自分がおぬい婆ちゃの本当の孫ではないと知ってショックを受ける。 さき子は、洪作の担任・中川先生と恋に落ちた。そして、さき子の妊娠が発覚すると、中川先生は祝言もそこそこに、新学期を前に、遠くみかん栽培の盛んな地へと転任していった。 冬。さき子は子供を出産した。赤ん坊を負ぶり、洪作と散歩しながら歌を唄うさき子は以前よりもかなり痩せていた。さき子は結核に罹っていた。部屋を訪ねる洪作を追い返すが、洪作は扉の前に座って歌を口ずさむ。さき子も声を合わせるのだった。 さき子の病状は思わしくなく、中川の元へ行くことになった。村人に知られないように夜中に旅立つさき子を、洪作はぬい婆さんと見送るのだった。そして、初秋。さき子が死の知らせが届いた。『しろばんば』【製作年】1962年、日本【配給】日活【監督】滝沢英輔【原作】井上靖【脚本】木下恵介【撮影】山崎善弘【音楽】斎藤高順【出演】島村徹(伊上洪作)、北林谷栄(曽祖父の妾:おぬい婆ちゃ)、芦川いづみ(叔母、本家の次女:さき子)、細川ちか子(曽祖母:おしな)、清水将夫(祖父:文六)、高野由美(祖母:たね)、芦田伸介(父:伊上捷作)、渡辺美佐子(母:伊上七重)、畠山とし子(妹:伊上小夜子)、宇野重吉(父方の祖父、校長先生)、山田吾一(中川先生) ほか井上靖の原作本『しろばんば』旧制中学時代を描いた『夏草冬濤』旧制高校時代を描いた『北の海(上)』『北の海(下)』芦川いづみの代表作DVD『陽のあたる坂道』『あすなろ物語』の監督による黒澤明論書籍『映画の昭和雑貨店(続々々)』書籍『映画の昭和雑貨店(完結編)』
2007.08.09
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ブログにしばらくアクセスできなくて更新がかなり滞ってしまいましたが、またポチポチと復活させますので、よろしくお願いいたします。 とりあえず自分のための覚え書きとして、4月以降に鑑賞した映画で、ブログ未記入のもののリストです(区分別に鑑賞順番。括弧内は私の評価)。ある程度は過去に遡って、徐々に感想を書いていきたいと思っています。【日本映画(新作)】棚の隅(☆☆☆☆)東京タワー(☆☆☆)俺は、君のためにこそ死ににいく(☆☆)パッチギ! LOVE&PEACE(☆☆☆☆☆)きみにしか聞こえない(☆☆☆☆☆)憑神(☆☆☆)監督・ばんざい!(☆☆☆)アコークロー(☆☆)吉祥天女(☆☆☆☆☆)14歳(☆☆☆☆)アヒルと鴨のコインロッカー(☆☆☆☆☆)ピアノの森(試写会)(☆☆☆)恋する日曜日 私。恋した(☆☆☆☆)転校生 さよならあなた(☆☆☆☆☆)サイドカーに犬(☆☆☆☆☆)天まであがれ!!(☆☆☆☆☆)こわい童謡 表の章(☆☆☆)こわい童謡 裏の章(☆☆)遠くの空に消えた(試写会)(☆☆☆)西遊記(☆☆)【外国映画(アジアを除く)】ボビー(☆☆☆)善き人のためのソナタ(☆☆☆☆☆)バベル(試写会)(☆☆☆☆)BRICK〈ブリック〉(☆☆☆)スモーキン・エース(☆☆☆)輝ける女たち(☆☆☆☆)ゾディアック(☆☆☆)イラク 狼の谷(☆☆☆)ボルベール<帰郷>(試写会)(☆☆☆☆☆)イタリア的、恋愛マニュアル(☆☆☆☆)ダイ・ハード4.0(☆☆☆☆)ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(試写会)(☆☆☆)それでも生きる子供たちへ(☆☆☆☆☆)シェルブールの雨傘(☆☆☆☆☆)ロシュフォールの恋人たち(☆☆☆☆☆)あるスキャンダルの覚え書き(☆☆☆☆)魔笛(☆☆☆☆)トランスフォーマー(試写会)(☆☆☆☆)シュレック3(☆☆)レミーのおいしいレストラン(吹替版)(☆☆☆☆☆)プロヴァンスの贈りもの(☆☆☆)【アジア映画】ワイルド・アニマル(キム・ギドク監督特集@ユーロスペース)(☆☆☆☆)私たちの幸せな時間(試写会)(☆☆☆☆)ジェイムズ聖地へ行く(☆☆☆☆☆)雲南の少女 ルオマの初恋(☆☆☆☆)《以下、「中国映画の全貌2007」@K's cinema》テラコッタ・ウォリア-秦俑(☆☆☆)上海家族(☆☆☆☆)ふたりの人魚(☆☆☆)狩り場の掟(☆☆☆☆)青い凧(☆☆☆☆☆)春の惑い(☆☆☆)【日本映画(旧作)】《以下、市川雷蔵特集@新文芸坐》弁天小僧女と三悪人大殺陣 雄呂血歌行燈婦系図桃太郎侍《以下、相米慎二特集@シネマアートン下北沢》台風クラブ東京上空いらっしゃいませ雪の断章 -情熱-光る女《以下、黒木和雄特集@フィルムセンター》キューバの恋人わが愛北海道日本発見シリーズ 群馬県ぼくのいる街TOMORROW 明日日本の悪霊飛べない沈黙祭りの準備《以下、川島雄三特集@フィルムセンター》人も歩けばグラマ島の誘惑縞の背広の親分衆赤坂の姉妹より 夜の肌イチかバチか喜劇 とんかつ一代女優と名探偵天使も夢を見る適齢三人娘学生社長箱根山昨日と明日の間シミキンのオオ!市民諸君還って来た男青べか物語《以下、清水宏特集@シネマヴェーラ渋谷》信子しいのみ学園蜂の巣の子供たちみかへりの塔次郎物語花形選手按摩と女その後の蜂の巣の子供たち泣き濡れた春の女よ小原庄助さん母のおもかげ《以下、「こどもたちのいた風景」@神保町シアター》警察日記あすなろ物語《以下、「湯けむり温泉紀行」@ラピュタ阿佐ヶ谷》温泉女医秋津温泉
2007.08.08
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浅野忠信主演のタイ映画。共演は、韓国のカン・ヘジョン(『トンマッコルへようこそ』など)、日本の名バイプレイヤー・光石研、香港のエリック・ツァン(『インファナル・アフェア』でのマフィアのボス役など)、タイのトゥーン・ヒランヤサップ等という国際色豊かなメンバー。 東京・六本木のシネマート六本木にて鑑賞。 『インビジブル・ウェーブ』 評価:☆☆☆「愛する人を殺め、すべてを失った男が、旅先で見つけたのは、偶然と運命がもたらした不思議な女と、「本当」の自分――」というのは、パンフレットに記されたキャッチコピー。 罪悪感で混沌としていた男がマカオ→香港→プーケット→マカオ→香港と漂う中で、さまざまな人に出会い、自分の人生の意味に気付いていくという、一種のロードムービー。 何とも言えず静謐な映画である。 ストーリー展開からすれば、熱くどろどろとした作品になりがちだが、回想的に描かれる殺人の場面にしても、キョウジが何者かに襲撃されるシーンにしても、全編、できるだけ余計なものを省き、静かに淡々と描かれる。 『裸足の1500マイル』や『上海の伯爵夫人』、『レディ・イン・ザ・ウォーター』などの撮影を担当したクリストファー・ドイルによる、緑を多用した色使いも、画面に独特の落ち着きをもたらしている。 静謐ということでは、もちろん、途中、主人公が耳栓をするシーンに象徴的だが、できるだけ余計な音を省いている録音もそうだし、最近音楽過剰気味の映画が多い中で、聞こえるか聞こえないかの境目で使われるBGMもそうだ。 そういう静謐感が、主人公の抱える罪悪感――ボスの命令で初めて人を、しかも自分が愛していただろう恋人を殺してしまった罪悪感が浄化していく過程を、くっきりと浮かび上がらせる(という意図だと思う)。 それに輪をかけて、何を考えているのかよく分からないような浅野忠信の風貌と雰囲気が、映画全体にえもしれない彩りを添えている。というより、それだからこそ彼を主人公に起用したのだろう。 ただ私的には、浅野忠信の起用が成功したようには思えなかった。 彼の演技の特徴は、先に書いたように、何を考えているのか分からない、その没感情的なところにこそ魅力があるのだと思う。 しかるに本作は、罪悪感で混沌とする魂が、不思議な女性とその赤ん坊への愛情や、さまざまな人の示唆的な言葉によって、徐々に人生の本質を見付だしていって救われるというものだから、主人公の心の変遷の微妙な機微が表現されなければならない(はずだ)。 それにしては、彼の演技は感情表現に乏しく、主人公の心情(の変化)がこちらに伝わってこない(少なくとも私にはそうだった)。 主人公が旅先で飲み物はミルクしか頼まず、また何度も吐くシーンがあるが、この意味が途中まで(初めて人を殺したとある人に訴えるまで)よくわからなかったし。 そして、ラストの主人公の決断も、その感情移入しがたい浅野忠信であればこそ衝撃的ではあったが、今ひとつ納得のいく成り行きではない。どうにも唐突で不自然なのだ。 もっともそれは、旅の途中で知り合い、愛情を抱くことになるカン・ヘジョの描き方が中途半端なことにも関係する。 彼女とのエピソードが練り込み不足なために、浅野との関係は単に一方通行の“一目惚れ”でしかなく、復讐に固まっていた心情が翻意させるまでに至るとは思えないのだ。 なので、観客(私)には戸惑いしか残らない。 また、如何にも思わせ振りなイコン(船室の壁に書かれた文字だとか)があちこちに散りばめられているが、あまり効果的だとは思えず、そもそも私はこういう虚気おどし――製作者側にも明確な意図が用意できていないにもかかわらず、それらしい物を配置することで、オタク連が喜んで当て推量するようなアレコレ――は好きでない。多くの場合、メインのストーリーがきちんと描けないことの“逃げ”にしかなっていないからだ(その端的な例が『マトリックス』シリーズだろう)。 タイトルは、プーケットが舞台だから、当然、2004年12月の(地震による)大津波と関係があるのかと思ったら、監督によれば「本当にタイトルの意味するものは分からないのです」とのこと。うーん、何だそれ。 こういう辺りも主題を明確にもっていないようで、好きになれないなぁ。 ということで、映像としては見るべきものはあると思うが、作品としてはわざわざ劇場で鑑賞することをお薦めする感じではないかな。【あらすじ】 マカオ。キョウジの粗末な下宿に、艶やかな女性セイコが訪れる。料理人である彼の手作りのディナーを楽しみながら情事にふけるが、彼女は裸のままもがき苦しんで死んでしまう。キョウジがワインに毒を入れたのだった。 翌日、香港のレストランに出勤すると、ボスから休暇を楽しんでこいと言い渡され、帰りの途中、僧侶からタイのプーケット島への切符と金、リザードという男の連絡先を受けとる。 船に乗り込むと、キョウジの船室は、電気もまともにつかないような粗末な部屋だった。船内散策の途中、赤ん坊を連れた若い女性ノイと知り合う。旅行は忙しい恋人からのプレゼントという。出会ったばかりのキョウジに娘を預けてプールで泳ぐなど、あけすけな性格に、キョウジは強く惹かれていく。 ドアが開かなくなるトラブルや日本人のバーテンダーと知り合うなどするうちに、船はプーケットに到着した。ノイから携帯電話の番号を聞き出したキョウジは、安ホテルに身を落ち着ける。両替と買い出しから戻ったキョウジは、何者かに襲われ、すべてが入ったバッグを盗まれてしまう。困ったキョウジは香港のボスに連絡をとり、アロハを着た男に会うのだが……。『インビジブル・ウェーブ』 Invisible Waves【製作年】2006年、タイ・オランダ・香港・韓国【配給】エス・ピー・オー【監督】ペンエーグ・ラッタナルアーン【脚本】プラープダー・ユン【撮影】クリストファー・ドイル【音楽】フアラムポーン・リッディム【音響】清水宏一【出演】浅野忠信(キョウジ)、カン・ヘジョン(ノイ)、光石研(アロハの男)、エリック・ツァン(僧侶)、トゥーン・ヒランヤサップ(ボス)、久我朋乃(セイコ) ほか公式サイトhttp://www.cinemart.co.jp/iw/
2007.06.30
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たぶん『E.T.』の昔から、何となくドリュー・バリモアが好きである。 決して美人ではないし(というとファンの人には怒られるかな)、華がある訳でもないが(さらに怒られるか)、あのふっくらした幸せな佇まいの中に何とも言えない寂寥感がある感じがするあたりが惹かれるポイントだったりする。 なので、たぶん彼女の劇場公開作品はたいてい映画館で観ている(と思う)が、本作も彼女が出演という一点で映画館に足を運んだ。4月に公開された彼女(とヒュー・グラント)の主演作『ラブソングができるまで』が傑作だったので、ちょっぴり期待しながら。 ワーナー・マイカル・シネマズ板橋にて公開初日(2007/6/23)に鑑賞。 『ラッキー・ユー』 評価:☆☆ うーん、ドリューとエリック・バナのラブコメかと思っていたら、エリックとロバート・デュバルの父子ものでした。いや、きちんと事前に情報を仕入れていかない方が悪いのだが……。 ラブストーリーとしてみてしまうと、女性の造形がステレオタイプに過ぎることと、今ひとつ会話の妙や感情の機微が描かれておらず、非常に中途半端な感じがする作品だ。 正直ドリューが居なくても、結局は話は成り立ってしまう感じであって、ちょっと事前の期待とはすれ違ってしまった感じ。 とはいえ、その父子(をテーマにした)映画としてみると、それなりの出来。父親に反発しながらも、同じポーカー・プレイヤーの道を歩む息子。その父子がポーカーの世界選手権の決勝戦で戦う場面が、この映画のクライマックスだ。 エリック・バナのいわゆるポーカー・フェイスの縁起も悪くはないが、とくにロバート・デュバルの演技が絶品もの。 二人が母親の指輪を“かた”にポーカーに興じるあたりの丁々発止のやりとりでは、完全に主人公のエリックを喰ってしまっていた。 たぶん一層のこと、ドリューの役柄をなくしてしまって、ポーカーをめぐる父子の対立(と和解)にしたら、監督が『L.A.コンフィデンシャル』のカーティス・ハンソンなので、もっと面白い話(ちょっとした傑作)になったのではなかろうか。(少なくともゴルフ場のシーンは余計だったような気がする。) 肝心の世界ポーカー大会は、その父子と女性一人を除けば、実際の出場者(プレイヤー)たちを集めたというだけあって、迫真の雰囲気で見所は十分。 ただ欲を言えば、あれやこれやの末に予選に出場することになった主人公な訳だが、その予選自体のゲームをしっかりと描くべきではなかったか。まぁ、話の作りとして、ポーカーの駆け引きでそんなにたくさんの場面を描けるわけではないだろうが、何かあっさりと通過してしまった印象が強く、その後の決勝戦でのギリギリの駆け引きが薄っぺらい感じがしてしまった。 ちなみにポーカーのルールは、今年の正月映画『007/カジノ・ロワイヤル』でも出てきた、テキサスホールデム。日本ではあまり馴染みがないと思うし、正直なところ、007を見ておいて良かったと思った。 映画の中ではほとんど説明されないので、ルールをあらかじめ知らないと、正直、何をやっているのか、何が勝負なのか全然分からないのではなかろうか。 逆に、それだけ(世界では)テキサスホールデムが一般的ということでもあるだろうか。 ということで映画的には可もなし不可もなしというところか。 私のようにラブコメを期待していると肩すかしを食うことは間違いないが、ポーカーが好きだったり、ラスベガスが好きな人にはお勧めかも。 また、それぞれの役者のファンは、見ておいても悪くはない作品だとは思う。『ラッキー・ユー』 LUCKY YOU【製作年】2007年、アメリカ【配給】ワーナー・ブラザース映画【監督・脚本】カーティス・ハンソン【脚本】エリック・ロス【撮影】ピーター・デミング【音楽】クリストファー・ヤング【出演】エリック・バナ(ハック・チーバー)、ドリュー・バリモア(ビリー・オファー)、ロバート・デュバル(ハックの父:LC・チーバー)、デブラ・メッシング(ビリーの姉:スーザン・オファー)、ホレイショ・サンズ(ギャンブル依存症:レディー・エディー)、チャールズ・マーティン・スミス(ハックに出場料を貸す:ロイ)、ジーン・スマート(ポーカー・プレーヤー:ミシェル) ほか公式サイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/luckyyou/DVD『ラブソングができるまで』ラブコメとしてお薦めDVD『007カジノ・ロワイヤル』『The poker全日本ポーカー選手権公式ガイドブック』『カジノ大全』
2007.06.28
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1950年代にテレビ坂のスーパーマンを演じた俳優が、1959年6月16日、身体に一発の銃弾を残して自宅で死亡した。彼の名はジョージ・リーブス。 警察は自殺として処理するが、リーブスの体に残された打撲痕や自宅に残された複数の弾痕など、その真相は未だ明らかにされていない……。 世界一有名とも言えるスーパーヒーローを演じた俳優の栄光と苦悩の日々と、彼の死の真相を探し求める探偵の姿とを、交互に映し出しながら、ハリウッドの虚実――「映画の都」の持つ夢と毒を浮き彫りにした、人間ドラマの秀作。 東京・日比谷のシャンテ・シネにて鑑賞(2007/6/24)。 『ハリウッドランド』 評価:☆☆☆☆ 映画としては、ハリウッドの表と裏を見事に活写した脚本や、1950年代のハリウッドを忠実に再現したという美術や衣装も見どころ充分だが、何と言ってもベン・アフレックの演技が素晴らしい。 日本で公開されたベンの出演作はほぼ見ていると思うが(『インディアナポリスの夏/青春の傷痕』や『200本のたばこ』、『ドグマ』なども劇場で見ていたりする。今年の公開作品では感想は未記入だが『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』にもちょい役で出てましたね)、たぶんベン出演作中で本作がベストともいうべき出来だろう。 表面的には、かつては『アルマゲドン』などの出演を契機にスターとしてもてはやされながら、最近は(ジェニファー・ロペスとの破局以降は)バッシングされることの多いベンの姿そのものが、俳優ジョージ・リーブスの人生と重なってイメージされる部分が大きいのも事実。 しかし、それが無くても、自分のイメージを理想とするものから遠く固定されてしまってフラストレーションに苦しみ、本当の自分とは何かを悩むスター俳優の孤独さを、深みのある演技で見事に体現していて、拍手喝采ものだ。 ベン・アフレックのベストと書いたが、彼の過去の出演作中でというだけでなく、同世代の役者の中でもベストに近い出来ではなかろうか。 それは、共演者のアカデミー賞受賞男優エイドリアン・ブロディ(ベンとは1歳違い)の演技がやや一本調子なのと比べてみれば明らかなように思う。 話自体に興味がもてない人も、彼の演技を見るだけでも鑑賞の価値はあると思う。 役者としては、そのベンの愛人を演じたダイアン・レインも凄い。 子役スターは大人になるとただの人になってしまう場合も多いが(テイタム・オニールとか)、ダイアンは1979年の『リトル・ロマンス』(その可憐な演技は、未だに印象的)から、『コットンクラブ』以降1990年代後半まではやや低迷していた感はあるものの(私が知らないだけかも)、21世紀になって、『運命の女』や『トスカーナの休日』などで演技派の“大人の”女優として活躍しているのは、映画ファン的には大変に嬉しい。 本作で彼女が演じたトニー役は、実在の人物ながらダイアンを想定して当て書きしたという。 それもあってか、8歳年下の若い恋人をもって浮かれて幸せの絶頂の様子から、その恋人が新人女優のもとに去ってしまって悲嘆に明け暮れる姿まで――中年女性の光と影を、圧倒的な迫力で演じきっている。 とくに最初にベンの前に現れた時のはっとするような美しさと、悲しみの虜になって顔の小皺もあらわになる後半の演技は特筆もの。 かつて『デブラ・ウィンガーを探して』という映画が、現行のハリウッド・システムの中で中年になった女優が、役柄がなくいかに苦労しているかを、数々の当該年齢の女優にインタビューして描き出していたが、未熟な若さだけだ取り柄のような若手女優を中心に据える作品だけでなく、もっともっと経験豊富な彼女らが大いに活躍できる映画が(アメリカだけでなく日本でも)もっとたくさん創られてほしいと思う。 話が本作からずれたが、もう一人の主人公を演じたエイドリアン・ブロディも悪くはないが、先に書いたように、やや一本調子なのが珠に傷か。 もともと好きな俳優ではないので、点数が辛いのかもしれないが、個人的には『キング・コング』での彼の演技も今ひとつだったんだよな。 確かに『戦場のピアニスト』は凄かったが、そもそもの役柄が良かったのと演出の力が大きかったのではなかろうか。 たぶん底力をもった役者であろうから、渾身の一作を是非見てみたいと思う。 とくに往年のアメリカ映画のファンには強くお薦めしたい秀作。『ハリウッドランド』 HOLLYWOODLAND【製作年】2006年、アメリカ【提供】ミラマックス・フィルムズ&フォーカス・ピクチャーズ【配給】ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)【監督】アレン・コールター【脚本】ポール・バーンバウム【撮影】ジョナサン・フリーマン【音楽】マーセロ・ザーヴォス【出演】エイドリアン・ブロディ(探偵ルイス・シモ)、ベン・アフレック(スーパーマン俳優:ジョージ・リーブス)、ダイアン・レイン(ジョージの愛人:トニー・マニックス)、ボブ・ホスキンス(MGMの重役:エドガー・マニックス)、ロビン・タニー(ジョージの婚約者:レオノア・レモン)、ロイス・スミス(ジョージの母:ヘレン・ベッソロ夫人) ほか公式サイトhttp://www.movies.co.jp/hollywoodland/DVD『リトル・ロマンス』DVD『トスカーナの休日』DVD『デブラ・ウィンガーを探して』CDオリジナルサウンドトラックDVD『ストーリー・オブ・スーパーマン』ジョージ・リーブスの勇姿が見られる
2007.06.27
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大ヒット作『クレヨンしんちゃん』のテレビ版はまったく見ていないが、映画版はクオリティが高く、三作目当たりからだいたいは見てきた(ここ2、3年はちょっと落ちてきた印象はあるが)。 中でも2001年に公開された9作目『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、20世紀の日本(高度経済成長期)をテーマに、子どもは子どもなりの、そして大人は大人なりの楽しみ方が出来るという希有な出来の大傑作。とくに「クレヨンしんちゃん」の嫌いな人や、子ども向きと馬鹿にしているヒトには強くお薦めしたい作品だが、これを撮り上げたのが原恵一監督。 ちなみに、第10作目の『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』も感動ものの傑作である。 まえふりが長くなったが、その原監督が長年温めていた木暮正夫の原作(岩崎書店刊)を元に、オリジナル脚本でアニメ化したのが、この『河童のクゥと夏休み』。 7月28日(土)からの全国公開を前に、一足先に試写会(6/21、九段会館)にて鑑賞。【追記】8/11に、シネリーブル池袋にて鑑賞。細部まで作り込まれていることがよく分かった。 『河童のクゥと夏休み』 評価:☆☆☆☆☆【あらすじ】 話は江戸時代、 河童の親子が池の埋め立てを止めてくれるように侍の役人に訴え出るところから始まる。父親がその侍に斬られたときに起こった地震によって、子どもの河童は地中に埋まってしまい……。 時は現代。夏休み前のある日、小学生の康一は学校からの帰り道、偶然に河原で見つけた変わった石を持ち帰り、水で洗うと、中から出てきたのは河童の子どもだった。長い冬眠状態から目覚めたその第一声から、康一はクゥと名付け、最初は驚いていた家族もクゥを受け入れて、4人と1人の日常生活が始まった。そして夏休み、康一はクゥの仲間を捜すために遠野へと出かけるが……。 非常に丁寧な作りの、良い作品だ。日本が日本である限り、あり続けるべきであろう心象と風景が見事に描き出されている。 やはり上手い監督は何を撮らせても上手いなぁ。 いろいろと誉め所はあるが、まずはキャラの描き方が非常に秀逸。 主人公の康一は、密かに同級生の女の子・菊地が気になっているが、同級生の男子にからかわれると一緒になっていじめてしまうあたりは、私を含め、かつて小学生だった“男の子”たちには大いに得心するところがあるだろう。 康一の父親の冴えないサラリーマン姿、母親のはきはき物をいう性格、妹の我がままぶりなど、家族の会話やあり方が非常に自然に描かれていて、very good。とくに、妹の言動には笑わせていただきました。 また、河童の存在を知った後の興味本位のマスコミと世間の人々の姿は、どこかにいる他人ではなく、他でもない(映画を見ている)自分自身なんだと鋭く突きつけてくるようだ。 人物の作画的にはやや不統一な部分もあったりはするが、背景美術も非常に綺麗で、例えば康一がクゥと出かけた旅先で泳ぐシーンなどは、そのまま自分も飛び込みたくなるほど透き通っていて爽やかだ。 などという余計な情報を仕入れるよりも(^^;)、まずは映画館に見に行くことを強くお薦めしたい。 と断った上で、ネガティブなことも述べておくと、全体で2時間20分近く、というのは親子で鑑賞するには(とくに子どもには)ちょっと辛い長さだと思う。 まぁ『ハリー・ポッター』で長い映画にも慣らされていたりはするのだろうが、やはり2時間は切らないと子どもには薦めがたい部分はある。 とくに東京タワーのクライマックス以降だけで30分近くあったりして、もう少し短くまとめた方が良かったと思う。その丁寧さが個人的には好ましくはあるのだが、試写会場で私の両隣にいた小学生は、やはり最後の方は飽きていたようだ。 それと、映画の出来としては、大流行の宮崎駿監督作品などよりは格段に上だと思うが、如何せん“華”がない。映画全体として、非常に地味な印象は免れない。 昨年の『時をかける少女』みたいにキャラ萌えも期待できそうにないし(まぁ主人公の同級生の女の子・菊池さん萌える人もいるかもしれないが……)、興行的には大きく苦戦するような気もする。 でも、一見ありそうで中身のない宮崎映画なんかよりも、こういう映画こそ本当は大ヒットして、より多くの人に見て欲しい作品だと思う。 鍵は、河童のクゥ自体を可愛いと思う層がどの程度存在するかかな。【追記】2回目になる映画館で鑑賞した際に気になったのは、愛犬がなくなったときに、それを放っておいてクゥを追いかけるところ。せめて(誰かが)抱いていかないかな。……というようなマイナス?要素も加味しても、いまのところ、今年の日本映画のベスト1か2、かな。 『キサラギ』も候補ではあるが、老若男女を問わずに薦められる作品として、こちらの方が(私の中では)ちょっと優位な感じ。『河童のクゥと夏休み』【製作年】2007年、日本【配給】松竹【監督・脚本】原恵一【原作】木暮正夫(『かっぱ大さわぎ』『かっぱびっくり旅』より)【キャラクターデザイン・作画監督】末吉裕一郎【美術監督】中村隆【撮影】箭内光一【音楽】若草恵【声の出演】冨沢風斗(クゥ)、横川貴大(上原康一)、植松夏希(菊池沙代子)、田中直樹(康一の父:上原保雄)、西田尚美(光一の母:上原友佳里)、なぎら健壱(クゥの父親)、ゴリ(キジムナー) ほか公式サイトhttp://www.kappa-coo.com/オフィシャルブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/kappa_coo2007原作本(岩崎書店)公式ガイドブック主題歌CDCDオリジナルサウンドトラックDVD『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』
2007.06.27
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谷崎潤一郎の戯曲『無明と愛染』の映画化。脚本は、現在日本最高齢(95歳)の監督として活躍を続ける新藤兼人。 『鬼の棲む館』 評価:☆☆☆☆ 私が一番好きでかつ一番上手いと思う女優、高峰秀子の出演作。 なので、今まで見たいと思ってきたが、機会がなくて鑑賞できなかった(3年前の東京国立美術館フィルムセンターで開催された「映画女優 高峰秀子」特集には熱心に通ったのだが、タイミングが合わず、この作品は未見)。 折良く、東京・池袋の新文芸坐で開催した「[没後十年]誇り高き昭和の天才役者 天衣無縫 勝新太郎」にて鑑賞。 中心となるのは(あらすじに記したとおり)盗賊となった勝新太郎、その妻の高峰秀子、勝の愛人の新珠三千代、新珠のかつての愛人の佐藤慶の4人だが、女性陣二人の演技が出色。 高峰秀子の凄さはいまさら言うまでもないが、夫が愛人と仲睦まじくする傍らで、その傍若無人な夫に健気に使え尽くす妻を通して、女の“怖さ”をいやというほど体現していた。とくに、新珠と佐藤が本堂にこもっている際に、庫裏での勝とのやりとりは絶妙だった。いや、お酒を造っておいた、鳥が焼けた、と甲斐甲斐しくしているだけなのだが、その有様が、背筋がぞっとするほど怖い。 確かに、こういう女性が妻だったら、逃げ出したくなるだろうなぁ。 そして、新珠三千代が妖艶。 新珠三千代というと私の世代的には、小学生の頃にテレビで見ていた『細うで繁盛記』の旅館の女将役──貧乏旅館に嫁いだはいいが、夫は不能、身内からの強烈ないじめやライバル旅館の嫌がらせなどの困難にもめげず、旅館を大手のチェーン店に育て上げる若女将──のイメージが非常に強い。 映画としては、『洲崎パラダイス 赤信号』の退廃的な女性姿や『人間の条件』でのひたむきな妻像、『女の中にいる他人』の情念の妻などが印象に残る作品。 なので、いままで彼女に、いわゆるエロチックな艶っぽさを感じたことはなかったのだが(って失礼かな)、本作での彼女は、ただひたすらに艶めかしい。なるほど、これならば女性断ちした僧侶でも誘惑されてしかるべきかもと思ったり(ヌード場面は吹き替えだったようだが)。 この妖しさに対抗できるのは、私がすぐに思い浮かぶ範囲では、往年の若尾文子くらい、かな(他にも、ロマンポルノ系とかで対抗できる女優はいそうだが)。 ただ、せっかく、その妖艶さというか猥雑さと“高潔”な僧侶と対決するのだから、脚本的にはもう一捻り欲しかった気はする。高僧が堕ちるのが、ちょっとあっけない感じだったのは残念。 (そもそも佐藤慶が高僧、というのがイメージに合わなかったりはするのだが) ということで、勝新太郎特集での上映ではあったが、高峰秀子と新珠三千代の演技を堪能すべき映画としてお薦め。【あらすじ】(ネタバレあり) 南北朝時代。 晩秋のある日、戦火を免れた山寺に、京から一人の女性・楓が訪ねてくる。寺には、彼女の夫である太郎と、元白拍子の愛染が、戦乱の都を離れ、淫らな暮らしをしていた。楓は出奔した夫を探しまわり、ようやく見つけたのだった。 太郎は、自分が愛しているのは愛染だと、楓を追い返そうとする。そこへ、吉野へ逃げる途中の落武者の一団がやってくるが、自分達の暮らしを邪魔されたくない太郎は、彼等を悪鬼のように倒した。楓はそのまま庫裡に住み着き、太郎の世話をやきはじめる。 冬になり、蓄えていた食糧が底を尽きると、太郎は愛染のために都へ出て、盗み・浪籍を働くようになり、無明という名でおそれられるようになる。 春のある日、道に迷った高野の上人が、一夜の宿を求めて寺を訪ねてきた。迎え入れた楓は自分の身の上を語り、鬼のような夫の愛人のために苦しんでいると訴えると、上人は、愛染を憎む己の心の中にこそ鬼が住んでいると諭した。そこへ、無明の太郎が戻ってきた。太郎は、上人が所持していた黄金の菩薩像を盗ろうとするが、上人の祈りの文言に光を発した像の前に立往生してしまう。 それまで、陰で様子を伺っていた愛染が姿を現すと、上人は驚く。その昔、上人がまだ貴族の青年であった時に、白拍子の愛染に惚れ込み、恋仇きの貴族を殺してしまって、それが縁となって仏門に入ったのだった。呆然自失の太郎をみて愛染は、仇をとろうと、上人を本堂へと誘う。楓も、上人のありがたい説教で愛染が改心するのを期待して、二人を送り出す。 あの手この手で上人を篭絡する愛染に、抵抗虚しく上人は、彼女と体を重ねてしまう。勝ち誇った愛染の笑い声に、楓と太郎が駆け付けると、われに還った上人は、慚愧に身をふるわせて、舌を噛みきるのだった。「仏にこの身体が勝った」と嘲けり笑う愛染。その様子をみて、自分が何をなすべきかを悟った太郎は、愛染を一刀で切り捨てたのだった。 翌朝、出家した太郎は、高野山を目指して寺を出る。その後を、楓がついていく……。『鬼の棲む館』【製作年】1969年、日本【製作・配給】大映【監督】三隅研次【原作】谷崎潤一郎【脚本】新藤兼人【撮影】宮川一夫【音楽】伊福部昭【出演】勝新太郎(無明の太郎)、高峰秀子(太郎の妻:楓)、新珠三千代(太郎の愛人:愛染)、佐藤慶(高野の上人)、五味龍太郎(武将)、木村元(中将)、伊達岳志(武者) ほか中古ビデオ原作所収谷崎潤一郎 戯曲傑作集(中公文庫)DVD『洲崎パラダイス赤信号』DVD『女の中にいる他人』高峰秀子主演のお薦め映画は数々あるので、いくつかを挙げておくDVD『乱れる』DVD『女が階段を上る時』『稲妻』『放浪記』
2007.06.26
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第46回芥川賞受賞を受章した宇能鴻一郎の原作の映画化。 東京・池袋の新文芸坐で開催中の「[没後十年]誇り高き昭和の天才役者 天衣無縫 勝新太郎」にて鑑賞。 『鯨神』 評価:☆☆☆ 大映の看板スター、市川雷蔵とのコンビも多い田中徳三監督の入魂の一作。 たぶんに『白鯨』を意識したと思われる映画だ。 予想以上に緊迫感の溢れる作品ではあったが、如何せん、大映では特撮技術に関するノウハウがなく、肝心要の“鯨神”がしょぼくて、戦いの悲愴さが薄れてしまっているのがもったいない。 一応、監督の言によれば3種類くらいの模型を作って望んだらしいが、ラストの頭部はともかく、水中でのシーンが大きいイルカくらいの感じなのがなぁ。 この辺、東宝(の円谷英二)を招くなんてことはできなかったのだろうか? 音楽は伊福部昭で、あきらかに『ゴジラ』なりを意識した曲つくりな訳けだから、肝心の特撮も……(というのはしつこいか)。 あと、村全体がほとんど何も働いておらず、一体全体何で生計を立てているのか、鯨を捕るだけでクラしていけるのか、といったあたりも曖昧模糊としているのが、ちょっともったいないかも(鯨神を村全体で倒すことの切迫感が乏しいというか)。 役者陣は、主演の本郷功次郎や勝新太郎、藤村志保の中心となる3人が好演。 志村喬は相変わらず志村喬のイメージの役であった(そういえば彼も東宝か……)。 なお、原作が宇能鴻一郎と目にしたときは、一瞬、疑ってしまった。どうにも官能小説作家のイメージが強いので。 (映画的には金子修介監督のデビュー作のロマンポルノ『宇能鴻一郎の濡れて打つ』)とかもあるし) 話的にはともかく、勝新太郎たちの演技は見る価値があると思う。【あらすじ】(ネタバレあり) 鯨捕りを生業とする九州・和田浦の漁師たちは、悪魔の化身のような巨大な鯨――鯨神(くじらがみ)に長い間戦いを挑み、何百人が死んでいた。 血気盛んなシャキの祖父、父はすでに殺され、この年も兄が鯨神に挑むが、仲間たちとともに殺されてしまった。シャキは、自分の手で鯨神を倒すことを堅く決意する。 村の鯨名主が、鯨神を殺した者に、一人娘のトヨと家屋敷や田地名跡のすべてを与えると宣言した。シャキは真っ先に名乗りを上げ、そして1週間ほど前に紀州から来た男がそれに続いた。 そんな様子を不安気に見守るエイ。彼女は密かにシャキが好きだった。一方のシャキは、鯨神を倒すことだけが目的で、トヨを嫁にもらって名主の跡を継ぐことなど眼中にはなかった。 また、シャキの幼なじみのカスケは、鯨神に挑んで命をなくす村人らは愚かだと、医者になるために長崎へと出奔する。 よそ者の紀州が気に入らない村人たちは、酒の勢いで喧嘩を挑むが、誰一人敵わず、紀州の強さに一目置くようになる。ある晩、紀州は海岸でエイを犯した。 冬。長崎からカスケが戻り、シャキの妹ユキを嫁にほしいという。鯨神と戦って死ぬつもりのシャキは、カスケに妹を託す。 春はじめ。梅の花のほころんだ日に、エイは村の外れのあばら屋で、密かに赤ん坊を生んだ。シャキは、村の衆に自分の子だと名乗りあげる。彼もエイを愛していた。夫婦の契りを交す二人。赤ん坊に自分の跡を継がせて立派な鯨捕りにするというシャキの姿に、紀州は感じるところがあった。鯨名主の娘トヨは、自尊心を傷つけられる。 ついに、鯨神が和田浦へ向かっているという連絡が、南の村からやってきた。今年こその意気に燃え上がる村人たち。甲船出の前日、紀州は「俺に一番刃刺しを譲れ」と迫るが、シャキは応じない。殴りあいになるが、互いに何かを感じあうのであった。 翌朝、一斉に出発した10隻近い船の前に姿を現す鯨神。鯨名主の合図で、数十本の銛が投げられ、鯨神の背中に背中に突き刺さる。鯨神は猛烈な速さで沖に泳ぎはじめ、いくつかの船が引っくり返される。そのとき、紀州が海に飛び込み、鯨神の脇に取り付くと、槍で急所をつき立てる。続いて飛込もうとするシャキを、まだ早いと鯨名主は抱きとめた。鯨神は海に潜った。 しばらくして、ふたたび鯨神が浮上すると、紀州は絶命していたが、鯨神もかなり弱っていた。ここぞとばかりに飛込んだシャキは、鯨神の頭にとりつき、鼻こぶに刃物をふるう。幾度となく突き刺さるその刃物に、血が次々と噴き出す。潜っては浮上する鯨神との壮絶な戦いに、海は朱に染まるのだった。 ついに鯨神は倒れた。しかし、シャキも瀕死の重傷だった。鯨神の胴体は解体された。目を醒ましたシャキは、彼のために残された鯨神の頭と、砂浜で寝棺に入ったまま対峙する。寄り添うエイに、紀州が無謀なふるまいに出た時に、赤ん坊の父親が誰かを知ったと告げる。夕陽が海を沈むころ、死期が迫るシャキは、自分こそが鯨神だと感じるのだった。『鯨神』【製作年】1962年、日本【製作・配給】大映【監督】田中徳三【原作】宇能鴻一郎【脚本】新藤兼人【撮影】小林節雄【音楽】伊福部昭【出演】本郷功次郎(シャキ)、勝新太郎(紀州)、志村喬(鯨名主)、藤村志保(エイ)、江波杏子(鯨名主の娘:トヨ)、高野通子(シャキの妹:ユキ)、竹村洋介(長崎へ医者になる:カスケ)、見明凡太朗(ヨヘエ)、村田知栄子(シャキの母)、河原侃二(シャキの祖父) ほかDVD原作本(中公文庫)田中徳三監督を知るにはこの1冊がお薦め。『Respect田中徳三』DVDジョン・ヒューストン監督『白鯨』DVD『宇能鴻一郎の濡れて打つ』
2007.06.25
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阿部サダヲ(単独)初主演、柴咲コウ、堤真一共演のコメディ映画の秀作。 ワーナー・マイカル・シネマズ板橋にて公開初日に鑑賞。 『舞妓Haaaan!!!』 評価:☆☆☆☆【あらすじ】 鬼塚公彦は、高校の修学旅行で京都を訪れて以来、舞妓の熱狂的なファン。舞妓を応援するサイトを立ち上げるも、じつは未だに御茶屋にあがったことがない。 ある日、京都支社に転勤が決まり、同僚の彼女・大沢富士子をあっさりと捨てて、一躍京都に向かう。勇んでお茶屋に向かうが、一見さんお断りで入ることができないが、偶然、会社の社長と出会い、仕事で結果を出せば連れて行ってあげるとの口約束に、猛然と仕事に励み出す。そして、念願のお茶屋デビューを果たすが、そこには常連の野球選手・内藤貴一郎がいて……。 一方の富士子も、鬼塚を見返すために、京都で舞妓の修行を始めたが……。 いや笑わせて貰いました。 終始笑いっぱなしの感じで、鑑賞後には少しお腹が痛かったり……(^^)。 正直最近のクドカン(宮藤官九郎)の脚本は、外しが多かったように思う。 『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』は当初のTVドラマ時代には遠く及ばず、初監督作品『真夜中の弥次さん喜多さん』も笑いが滑っていて、『ゼブラーマン』も哀川翔のキャラクターを活かし切ったとは言えず、『ドラッグストア・ガール』も外した感が強かった。 ということで、あまり期待はしていなかったのだが、いやいやこれが思いっきりツボにはまった。 私的には久々のクドカンのヒット作となった。 とにかく阿部サダヲが凄い。 もともと上手い役者とは思っていたが、主人公をやらせて、ここまでノリノリにハイテンションで押しまくるとは思いもしなかった。 パンツ一丁であそこまでやる人・映画は、最近ではとくに珍しい気がする。 予想外だったのが堤真一。主人公以上に変わり身の早い男を、非常にイキイキと演じていたのは、どちらかというと落ち着いた役の多かった彼のイメージが強かったので、ちょっと意外だった。 彼の演技を見ただけでも、この映画を鑑賞した価値はあった気はする。 柴咲コウは、舞妓としては今ひとつ綺麗でないように感じてしまったが、ハイテンションの二人を相手に非常に好演。とくにお化粧のシーンは背筋がぞくぞくっとした。 もっとも、コメディエンヌとしての才能があるかどうかはまだ未知数と言うところか。彼女を主人公の据えて、もっともっと弾けさせた(コメディ役者としての)演技が見てみたいな。 そして、本作品がよかったのは、小出早織の名演があったからかも知れない。 ある意味で話の中心人物である舞妓の駒子を可憐に演じていて、今後が非常に楽しみである。 また図らずも植木等の遺作となってしまったが、あの飄々とした姿を久々に(新作映画で)拝見できたのも嬉しかった。 阿部サダヲには、植木等を継ぐ役者を目指して欲しいな。 とはいえ、この映画、鑑賞者の好き嫌いがはっきりする作品だとも思う。 たぶん楽しめない人は最期まで楽しめず、何を馬鹿なという感じで終わってしまうだろうし、阿部サダヲの猫顔が嫌いな人も、たぶん映画そのものが受け入れがたい感じではなかろうか。 映画の冒頭、高校の修学旅行のシーンが判断の基準になるか。ここで乗れない人は、もしかしたらさっさと映画館を出てしまった方が、時間を無駄にしなくて済むのかも知れない。 そういう意味では、映画館ではなく、DVDなりで家庭で鑑賞するので十分といえなくもない。描写的に、大画面でなければ楽しめない話ではないので(ただ、柴咲コウが舞妓の化粧をするシーンのアップは、大画面だからこそのゾクゾク感があったりはするのだが)。 舞妓を題材にした映画というと、個人的には、溝口健二監督の『祇園囃子』(若き日の若尾文子主演)や『祇園の姉妹』、深作欣二監督の『おもちゃ』あたりが印象深い。 ああ、そういえば、チャン・ツィイー主演の『SAYURI』という異色作も最近ありましたね。この作品に対する日本からのアピールということで、『舞妓Haaaan!!!』をアメリカ公演して欲しい気もする(って日本人が馬鹿だと思われる可能性もあるが……)。 ということで、笑いに飢えている人にはお薦めの映画だと思うが、人を選ぶ作品でもあると思うので、その辺の判断は各自の好き好きで。『舞妓Haaaan!!!』【製作年】2007年、日本【企画・製作】日本テレビ放送網【配給】東宝【監督】水田伸生【脚本】宮藤官九郎【撮影】藤石修(J.S.C.)【音楽】岩代太郎【出演】阿部サダヲ(鬼塚公彦)、堤真一(内藤貴一郎)、柴咲コウ(大沢富士子)、小出早織(駒子)、吉行和子(女将:さつき)、京野ことみ(小梅)、酒井若菜(豆福)、真矢ミキ(こまつ)、伊東四朗(社長:鈴木大海)、植木等、山田孝之(修学旅行生) ほか公式サイトhttp://www.maikohaaaan.com/オフィシャル・ブックシナリオ本ナビゲートDVDCDオリジナルサウンドトラックDVD『祇園囃子』収録DVD『祇園の姉妹』中古ビデオ『おもちゃ』DVD『SAYURI』
2007.06.24
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田中麗奈、麻生久美子のダブル主演による、広島原爆をテーマにした傑作。原作は、こうの史代の同名のマンガ。 イマジカ東京映像センター 第二試写室で開催されたブロガー試写会(2007/6/7)にて鑑賞。 『夕凪の街 桜の国』 評価:☆☆☆☆☆ とても良い映画だ。生きることの大切さと喜びや、平和への願いがしみじみと深く胸に染み込んでくる。 地味ではあるが、素直により多くの人に見てほしい作品だ。とくに、私自信も“戦争を直接には知らない”世代だが、より若い人にこそ是非とも見てほしいと思う。 映画は大きく二つのパートに分かれる。 広島の原爆投下(1945年8月6日)から13年後の広島に暮らす被爆者の女性・平野皆実(みなみ)を描いた「夕凪の街」と、現代に生きるその姪である石川七波(ななみ)の物語「桜の国」だ。 シリアス調の前者に比べて、後者はややコミカルだが、そこがよりしみじみとした感動を生んでいて感動的。 昨今、黒木和雄監督を除くと、原爆をテーマにした映画はほとんど作られていないように思うが、『黒い雨』などの名作に並んで、また一つ傑作が生まれた。 まだ未見の方は、私の感想を読むよりも、一刻も早く映画館に足を運んで鑑賞することを強くお薦めしたい。【追記】8/11にシネリーブル池袋で改めて鑑賞。試写会で見たときよりも、涙が止まらなかった。 以下はまぁ蛇足。 本作はたいへんに良い映画ではあるが、原作に惚れ込んでいる立場の者としては、若干のすっきりしなさを感じたのも事実。 すっきりしなさというより、表現するメディアの違いを再認識した、と言うべきかな。 マンガにはマンガならではの表現手段があり、それが感動を呼ぶ場面が原作には結構ある。 例えば、「夕凪の街」で言えば、川面の場面(コマ)や、白コマの使い方(ネタバレになるので、詳しくは書きませんが)。 とくに前者は、映画でどのように表現するのか期待していただけに、省略されてしまったのは残念(まぁ予算を考えれば仕方のないところではあるが)。 マンガは、紙媒体であるが故に、気になった伏線はすぐに前に戻って確認できる利点があるが、映画ではそれが難しいため、割と直接的な映画きかたになるのも、ちょっとマイナスだったかな。 例えば「桜の国」で、父親が川沿いの木下である男性と会うシーンとか。マンガでは何度か見直して初めて「ああ、そうだったのか」と気がついて感動した覚えがあるが、そこが直截的だったりすると、少し醒めてしまう。 逆に、映画にしかできないだろう直截的な表現を使って、原爆投下直後のシーンを描いて欲しかった気はする。マンガだと、どんなにきつい描写でも抽象的になってしまって(それが利点でもあるが)、原爆の恐ろしさ、悲惨さが減じてしまう。 まぁ、ある“絵”を使って上手く逃げていた気はするが、皆実が妹を負ぶさって歩く場面は、作り物すぎてちょっと興ざめ。ここが厳しくないので、皆実の葛藤が鋭く観客に迫ってこない気がしたし、そここそ映画にしかできない表現ではなかったろうか。 もっとも、監督のインタビューを読むと、なかなか製作会社も決まらないような感じで、予算的にはかなり厳しかったと思うので、“絵”の使用もやむなしだなと納得はするのだが。 【追記】改めて鑑賞すると、結構写真が使われていたのね。 と批判を並べたところで、映画ならではの良かったところを挙げると。 「桜の国」の二人の追跡劇は、映画の方が断然に面白い(時間というか長さの問題もあるけど)。二人の心情が素直に伝わってくる。 また、原爆が「落ちた」という弟の発言を「落とされた」と言い換えるシーンも原作にないものだが、これはものすごく印象的(このために余計にアメリカで公開できなくなってしまった気はするが)。 ラスト近くで、現在と過去の融合とうか七波を使った描写は非常に感動的だった。 小道具(髪留めなど)の使い方も、さすがという感じだった。 (あ、でもラストのサッカーボールは、原作の松ぼっくりのままでないとダメでないかな。野球のボールの代わりなんだから) 役者的には、麻生久美子と田中麗奈の二人の主人公がやはり上手い。 とくに麻生演じる皆実が死ぬシーンは、確かにマンガの表現の方が凄いのは事実だが、映画は映画で非常に感動的であった。 田中麗奈のややコミカルな演技が個人的には非常に気に入った。そして、徐々に父親と母親、そして会うことのなかった伯母の過去を知っていく心情の微妙な変化を見事に表現していたと思う。 ということで、映画は映画で大変によい作品で、多くの人に見て欲しい感動作であるが、さらにこの映画をきっかけにして、一人でも多くの人に原作を手にとって読んで欲しいと思う。『夕凪の街 桜の国』【製作年】2007年、日本【配給】アートポート【監督・脚本】佐々部清【原作】こうの史代【脚本】国井桂【撮影】坂江正明【音楽】村松崇継【出演】田中麗奈、麻生久美子、吉沢悠、中越典子、伊崎充則、金井勇太、藤村志保、堺正章 ほか公式サイトhttp://www.yunagi-sakura.jp/公式ブログhttp://blog.eigaseikatu.com/yunagi-sakura/原作本ノヴェライズ本CDオリジナルサウンドトラック原爆を扱った映画(DVD)『TOMORROW 明日』『父と暮らせば』『鏡の女たち』『その夜は忘れない 』『ひろしま』『原爆の子』ほか『黒い雨』『さくら隊散る』
2007.06.23
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ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール主演の、二人のマジシャン(奇術師)の確執を描いた傑作。監督は『メメント』『バットマン ビギンズ』のクリストファー・ノーラン。 ワーナー・マイカル・シネマズ板橋のレイトショーにて鑑賞。 『プレステージ』 評価:☆☆☆☆【あらすじ】 19世紀末のロンドン、二人の奇術師が互いの腕を競い合っていた。一人は華麗なるパフォーマンスを得意とするロバート・アンジャー、通称「偉大なダントン」。もう一人は奇想天外な発想を持つトリックメーカーのアルフレッド・ボーデン、通称「ザ・プロフェッサー」。本来は互いに一番分かり合える間柄になるはずが、アンジャーの妻の死をきっかけに、アンジャーはボーデンに復讐を誓い、ボーデンもアンジャーに憎しみを抱くようになる。そして、舞台でアンジャーの壮絶な死を目撃したボーデンは、アンジャー殺しの罪で捕らえられてしまう……。 大変に良くできた映画だ。 細かな伏線が張られた脚本もさることながら、主役二人の心理描写の演技力と演出力は、たいへんに見事だ。2時間強の上映時間が短く感じられるほど濃密な映画であった。 できるだけ余計な知識を仕入れずに虚心坦懐に見に行くのがベストと思う。 以下は、基本的にネタバレはしないように記述するつもりだが、勘のよい人には微妙にはバレてしまう可能性があるので、ご注意を。 上述のように素晴らしい作品ではあったが、映画の難点の一つは、時制が行ったり来たりするのがやや分かりにくいこと。 ボーデンが逮捕されて裁判のシーンから始まるが、これを現在とすると、アンジャーが死んだ(近い)過去、二人が競い合っている(中くらいの)過去、アンジャーの妻が死ぬ前までの(やや遠い)過去、などが入れ替わって描かれる。 映画に慣れてくると、きちんと描き分けられているので混乱することはないとは思うが、『メメント』のクリストファー・ノーラン監督だよちうような知識がない場合には、映画が始まった当初は少なからず混乱するのではないだろうか。 もう少し整理できていれば、さらに良かったのではないだろうか。 個人的には、ボーデン側のトリックは早い時点(サラの家での出来事)で気がついたが(ミステリー好きであれば当たり前か)、アンジャー側のトリックは、本当にこんなSFチックな(ファンタジックな)仕掛けなのかなぁと半信半疑のまま、ラストシーンの水槽の中に“あるもの”を見るまでは確信できなかった。 終了後にパンフレットを見ると、この映画はクリストファー・プリースト『奇術師』の映画化と知った。 この小説、実は私も持っているのだが、例によってツンドク状態。 もともと早川書房の「プラチナ・ファンタジー」の1冊として刊行されたのだから、まぁトリックもそれはありだなと納得。 もう一度映画を見直して、細かなシーンを確認したい欲求に駆られた。 (その前に原作を読むべきか?) 知り合いの評論家によれば、原作はさらに入れ子上の記述になっているとのことで、そういう意味では、映画の脚本はかなり大幅にアレンジされていたようだ。 ちなみに原作者のクリストファー・プリーストは、私的にはある意味で懐かしいSF作家で、彼の『スペース・マシン』や『ドリーム・マシン』(いずれもH・G・ウェルズの『タイム・マシン』にオマージュを捧げたSFの傑作。創元SF文庫)、『逆転世界』(サンリオSF文庫→創元SF文庫)などをいずれも楽しく読んだ。 『魔法』(早川書房)はファンタジーだが個人的には今ひとつ、『双生児』は未読。 映画ファン的には、鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督の映画『イグジステンズ』のノヴェライズ本を著した人としての方が有名かも知れない。 SFが好きな人には『スペース・マシン』はお薦めです。 自然科学を一応の生業とする身としては、劇中にニコラ・テスラが登場することが嬉しいが、それをデヴィッド・ボウイが演じているというのが、世代的にはたまらないプレゼントだ。よくぞ引っ張り出してきた。 役者的にはスカーレット・ヨハンソンの使い方がもったいなかったような気がする。途中で消えてしまったし。 評価は、クリスチャン・ベールとマイケル・ケインが並ぶとどうしてもバットマンを思い出してしまって、個人的な印象としては醒める部分があったのと、1個マイナスにしたが、普通であれば☆五つにするであろう傑作と思う。 多くの人にお勧め。『プレステージ』 THE PRESTIGE【製作年】2006年、アメリカ【提供・配給】ギャガ・コミュニケーションズ【監督・脚本】クリストファー・ノーラン【脚本】ジョナサン・ノーラン【原作】クリストファー・プリースト『奇術師』(ハヤカワ文庫FT)【撮影】ウォーリー・フィスター【出演】ヒュー・ジャックマン(ロバート・アンジャー)、クリスチャン・ベール(アルフレッド・ボーデン)、マイケル・ケイン(カッター)、スカーレット・ヨハンソン(オリヴィア)、デヴィッド・ボウイ(ニコラ・テスラ)、パイパー・ペラーボ(アンジャーの妻:ジュリア・マッカロー)、レベッカ・ホール(ボーデンの妻:サラ)、アンディ・サーキス(テスラの弟子:アリー) ほか公式サイトhttp://prestige.gyao.jp/原作本 DVD『メメント』プリースト著『スペース・マシン』プリースト著『魔法』プリースト著『双生児』プリースト著『イグジステンズ』
2007.06.22
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松本人志の初監督作品。ワーナー・マイカル・シネマズ板橋のレイトショーにて鑑賞。 『大日本人』 評価:☆【注意:以下、微妙にネタバレあり】 正直言って私は松本人志があまり好きではない。 というより、ダウンタウンの漫才以来、彼のお笑いを見て・聞いて、苦笑することはあっても、これは面白いと腹の底から笑ったことがない気がする。 人の感性はそれぞれだから、彼のお笑いを面白いと感じる人がいて当然だが、なぜあそこまで人気があるのか、私にはさっぱりわからない。面白いのかな、面白いんだろうな、うーんどこが……、という感じ。 彼の提供する笑いが笑えないことに加えて、折りあるごとに「俺は偉いんだ」「もっと尊敬しろ」という傲慢・高慢な感じが鼻につくのも(とくにインタビューなどで顕著)、彼を好きになれない大きな原因。(直接面識があるわけではないので、実物は謙虚な人なのかも知れないが) なので、本作もまったく期待はしていなかった。 そういう意味では、外した感じはせずに、予想通りといえば予想通りの仕上がりではあった(もちろん話の展開は予想外だったが)。 映画としての出来は、私の後ろで鑑賞していた女性の二人組が「見なければよかった」と評していたのが象徴的、かな。 松本人志のファンが松本人志が創ったからという理由で見る以外では、あえてお薦めするような映画ではないと思う。 とはいえ、世間に疎外されるヒーロー、という着眼点は悪くない。 ヒーローの日常と悲哀をテーマということでは、大ヒット『スパイダーマン』シリーズを筆頭に、それこそあまたの作品・映画が創られてきたが(小説では夏見正隆氏の『たたかう!ニュースキャスター』シリーズ[朝日ソノラマ]が傑作だ)、世間から嫌われるヒーロー像をきちんと描いた作品はあまりない(と思う。SF系は一応、私のメインの守備範囲なので)。 それ故、その辺りをもう少し丁寧にor突っ込んで描きだせば、それなりの秀作にはなったのではないかと思うが、結局、テーマが大きすぎたのだろう。 最後は誤魔化して、スーパージャスティス(とその家族)のおちゃらけ(笑い?)に逃げてしまったのは、所詮その程度だったのかと、残念。(主役の立場を譲り渡し、卑屈になるのは、自分自身の投影か?) 話の構成としては、ドキュメンタリーの手法でというのも、結構よい発送だとは思う。 ただ、ヒーロー本人へのインタビューに終始するのではなく、もっともっと周囲の人々(第三者)のインタビューをふんだんに取り入れるべきではなかったか。 一応、うどん屋の亭主など、いくつかちょっとしたインタビューはあったが、隣の家の主婦とか、近所の公園の子どもたちとか、壁に落書きをした人とか、元の奥さんももっと長く撮るとか、ヒーロー本人のインタビューではなく、周辺の人々の口からヒーローの日常を浮かび上がらせた方が、よりインパクトがあったと思う。 まぁ、監督本人が主人公を演じる、というのが(北野武にならって)そもそもの目的でもあったのだろうから、ヒーローインタビューがなければ松本人志的には本末転倒になってしまうだろうが、少なくとも豊富な外部インタビューで構成されていれば、世間から疎外されるヒーロー像はより浮彫りになっただろう。 本人インタビューでも、意表をつくような発言が出てくれば良かったのだが、それもなく、予想を裏切る・展開も(スーパージャスティスの登場を除いて)まったく無かった。 この辺、まぁ(長編を支えきるだけの)ストーリーテラーとしての才能があるとは思っていなかったので、当然と言えば当然の成り行きではあるが。 そういう脚本力もさることながら、監督の力量としての問題点を一つ指摘しておくと、画面のパースが大きく狂っていること。 端的には、大日本人のサイズ・大きさが、ショットショットでばらつき過ぎ。旅館(らしきところ)に納まっている姿と都庁前に立っている姿を比べれば、大きさがいい加減なことは一目瞭然(お祖父さんは、さらにデタラメだ)。 もちろん、その時その時の変身の具合で大きさが変わる、という設定ならばともかく、大きさは同じ旨の発言があり(また、父親はより大ききなろうとして電圧のかけすぎで死んでいるし)、何より同じ獣(じゅう)相手に戦っている中で、ころころ大きくなったり小さくなったりするのは、正直、鑑賞に耐えがたい。 特撮・CGは他人にお任せ状態かもしれないが、だからこそパースペクティブを統一するのは、監督の最低限の努めだろう。 監督本人は、実力があると思っているのかもしれないが、一事が万事、力の底の浅さがあちこちで露呈していて痛々しかった。 今までまったく映画・特撮(の製作)とは関わって・縁してこなかったのだから、経験が不足しているからこそ、監督第一作目としては、文字通り“等身大”の世界を描いた作品で勝負すべきだったのではないか。 明らかな戦略ミスに思う。誰か忠告できる人はいなかったのだろうか。 まぁ、映画の中でよいなと思った部分がまったくなかった訳ではなく、中部地区で変身する話での、電気関係者へのインタビューのあたりは結構良かったかな。 どんな話になっていくのか、会話の流れの先が読めず、なかなかスリリングであった。 あと、せっかく様々な獣(じゅう)を登場させたのだから、もっと大暴れして街を破壊してほしかった気はする。 最初に出てきた獣が冒頭でビルを落とした以外、まったくと言ってよいほど、獣たちは何も壊していない(ので、退治する必然性はあるのかな?) スーパージャスティス一家の方がよほど破壊していたりするが、まぁ予算の問題か。 ということで、松本人志ファン以外は、わざわざお金を払って映画館で見るべき価値があるとは(私には)思えないが、見ないで後悔するか見て後悔するかは、人それぞれかな。『大日本人』【製作年】2007年、日本【製作】吉本興業【配給】松竹【監督・企画・脚本】松本人志【脚本】高須光聖【撮影】山本英夫【音楽】テイ・トウワ、川井憲次【出演】松本人志(大佐藤大、大日本人)、UA(マネージャー:小堀)、長谷川朝二(取材ディレクター)、竹内力、神木隆之助、板尾創路、海原はるか ほか公式サイトhttp://www.dainipponjin.com/オフィシャルガイド夏見正隆著『たたかう!ニュースキャスター』夏見正隆著『B型暗殺教団事件』夏見正隆著『嵐を呼ぶ整形魔人』
2007.06.21
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いで湯(温泉)の町を舞台に、島倉千代子の歌にのせて綴られる歌謡メロドラマ。 東京・阿佐ヶ谷のラピュタ阿佐ヶ谷にて開催中の「映画×温泉 湯けむり日本映画紀行」での上映を鑑賞。 『いで湯の姉妹』 評価:☆☆ 時間的には47分だから、この特集上映の前に開催されていた「SPパラダイス」向きの作品とも言える。 話的にはたわいのないもので、温泉町と焼き物との関係をもう少し上手く演出してあると、主人公の苦悩もより浮き彫りにされて、良かったと思うのだが、時間が時間だけに難しいところか。 本作の見所は、島倉千代子と若山セツ子の姉妹かな。 (私のイメージでは)演歌歌手の大御所、島倉千代子はこの前年にレコードデビュー(『この世の花』、同名の映画の主題歌)。略歴を見ると、以降3年間くらいは映画にもかなり出演していたみたい。 本作では非常に可憐な姿を披露しているが(演技は今ひとつ)、彼女が河原で歌いながら洗い物をしていてスカウトされる場面での当の曲は、前年のヒット曲『りんどう峠』。 若山セツ子は、東宝ニューフエイス第1期(三船敏郎や久我美子)。私的には、三船のデビュー作『銀嶺の果て』(1947年)における山小屋の少女役や、大ヒット作『a href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/0471d589.98604c29.0471d58a.435f6b7d/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fguruguru2%2ftdv-2919d%2f&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fguruguru2%2fi%2f10023913%2f" target="_blank">青い山脈』(1949年)のお茶目な女学生役、成瀬巳喜男監督の『薔薇合戦』(1950年)における次女役(長女が三宅邦子、三女が桂木洋子)あたりが印象的だが(もう一つ『ゴジラの逆襲』も)、一番の当たり役は、マキノ雅弘監督の「次郎長三国志」シリーズにおける次郎長の女房・お蝶だろう。 ただ、1953年の第六部でお蝶が死んで以降、あまり役に恵まれず、この『いで湯の姉妹』を撮影した1956年に谷口仙吉監督と離婚、躁鬱病に罹って以降は出演がぐんと減ってしまい、1985年に入院中に自殺したとのこと。 本作の芸者役では、非常に好演していて、リアルな庶民派女優という幹事で好きなタイプではあったので、惜しいことをしたと思う。 出演者のファンの方は機会があれば是非どうぞ。【あらすじ】(ネタバレあり) 北陸の山々に囲まれた山中温泉。 父が病に倒れ、家業の塗絵焼を手伝うため、東京の美術学校に学んでいた鹿島隆が帰郷してきた。駅まで迎えにきた幼なじみの千代と隆が橋にさしかかると、千代は河原にいる姉・清香に声をかける。その姿を見て、隆は愕然とする。清香は芸者になっていた。隆と清香は想い合った中だった。 家に帰った隆は、父親と再会。その夜は、旅館の主人・酒井を訪ねて塗絵焼の談義を弾ませる。帰りしな山中名物の獅子踊りを見物するしていると、踊り手の中に清香がいて暗然とする。 隆は、以前から考案していた新型の花瓶を作りはじめる。千代は隆を手伝ううちに、ほのかな恋心を抱く。失敗が続く中、ようやく試作品に成功。しかし、その新しい焼物は周囲にはまったく受け入れられなかった。一方、河原で洗い物をしていた千代が口ずさんでいた歌に、折から宿泊に来ていた作曲家の原田が興味を抱き、千代に声をかけるが、彼女は逃げ出してしまう。 隆の新作焼物を、千代が姉に頼んでお客に買わせようとするが、それを知った隆は怒って外に飛び出すとが、橋のところでで清香と偶然に再会する。清香は、記念の品として彼の新作を購入するつもりだったこと、兄の事故の賠償で芸者になるしかなかったことなどを語ると、そのまま逃げるように離れていってしまう。隆は自責の念に打たれ、酒井に仲介を頼んだ。芸者を嫁にはできないと反対していた父も、酒井が一旦養子にするということで、二人の結婚を承諾するのだった。 隆と清香のことで傷心の千代は、レコード歌手となるべく原田の元へ上京することを決心するのだった。『いで湯の姉妹』【製作年】1956年、日本【製作・配給】東宝【監督】小田基義【原作】竹中弘祐【脚本】村田武雄【撮影】鈴木斌【音楽】古賀政男【出演】沖諒太郎(鹿島隆)、三津田健(鹿島の父:南風)、島倉千代子(北川千代)、若山セツ子 (千代の姉:清香)、本間文子(千代の母:たき)、高田稔(旅館の主人:酒井)、若原雅夫(作曲家:原田)、左卜全(木樵の権助爺さん) ほかDVD『銀嶺の果て』DVD『青い山脈 前後編』DVD『ゴジラの逆襲』島倉千代子CD『古賀メロディを唄う』
2007.06.20
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イスラエル(とアフリカ。一部フランス)を舞台に、少年の苦悩と成長を描き、生きることの意味を鋭く問いかける傑作。 東京・神保町の岩波ホールにて最終日に鑑賞。(乾燥が遅くなってしまった) 『約束の旅路』 評価:☆☆☆☆☆ 今年鑑賞したイスラエル関係の映画としては、 ・徴兵された二人の女性兵士の日常を描いた『クロース・トゥ・ホーム』 ・イスラエル占領下にあるゴラン高原(元シリア領)に住む女性がシリアの男性に嫁ぐ一日を捉えた『シリアの花嫁』 ・キブツを舞台に少しずつ壊れていく母親と13歳の少年の物語『甘い泥』 ・イスラエルの“いま”を切り取る四つの短編映画 ・自爆攻撃に向かうパレスチナの二人の若者の48時間の葛藤を描く『パラダイス・ナウ』などがあるが、いくつかの短編を除けば、みな是非とも鑑賞して欲しい傑作だった(それぞれの感想はリンク先参照)。 また、今月の下旬からは渋谷で『ジェイムズ聖地へ行く』も公開予定。 そして、この『約束の旅路』。これもとても良い感動作であった。 「感動作」と書くとたちまち陳腐にな表現になってしまうが、最近の邦画に多い「いかにも泣いてください」映画とは違って、心の底から揺さぶられて、自然と涙があふれ出てきてしまう、そういう映画であった。 物語は、「モーセ作戦」を発端とする。 エチオピアには、先祖代々ユダヤ教を信じ、いつの日か聖地エルサレムに帰還できることを夢みている、黒人のユダヤ人──エチオピア系ユダヤ人がいた(なぜエチオピアでユダヤ教が広まったかはよくわからないが、ソロモン王とシバの女王の子孫だという)。彼らをイスラエルに移送するのが、「モーセ作戦」(1984~85年)と「ソロモン作戦」(1991年)だ。 実際は、当時の政権はエチオピアからの移住を禁じていた。そのため、スーダンの難民キャンプまで数千キロも逃れてきた者を救出するというものであり、彼らはスーダンの難民キャンプまで、数千キロの道のりを歩かねばならず、途中で4000人以上が死亡したという。 モーセ作戦によって8000人、ソロモン作戦によって1万5000人が移住、ファラシャ(土地を持たない者)と侮蔑?的に呼ばれるようになる。 エチオピアでは少数派のユダヤ人として差別され、イスラエルに“戻って”も黒人のユダヤ人ということで差別されてしまう。このあたりも、映画はじつに丁寧に描いている。 少しはイスラエルについて知り始めたかなと思っていた私も、黒人のユダヤ人(エチオピア系ユダヤ人)がいること自体をまったく知らなかった。お恥ずかしい。 主人公の少年は、このモーセ作戦のおかげでイスラエルに移送されるが、実は彼はユダヤ人ではなく、キリスト教徒だった。実の母親が息子を生き延びさせるために、子どもを亡くしたばかりのユダヤ系の女性に託して、イスラエルへと脱出させたのである。 息子は幼かったために、なぜ自分が母親から突き放されたのかが分からない。 この息子を突き放すときに、母親がかけた言葉が、原題の“Va, vis et deviens”だ。 2005年のフランス映画祭で上映された際には、この原題を直訳して『行け、生きろ、生まれ変われ』とタイトルがつけられていた。これはいろいろに考えさせられる言葉だ。 この3番目の「(何かに)なりなさい」というのが、特に青年になってからの主人公の悩みの一因でもなる。自分が何になれるのか、何ができるのか。 (ネタバレになるが)結局、彼が選んだのは、育ての父親が望んだ銃で国を守る(=人を殺す)ことではなく、人を生かす──医者になる道であった。ここまで。そしてラストを見ると、『約束の旅路』というタイトルが非常に秀逸なことに気がつく。 話を戻して、幼い主人公をイスラエルで迎え入れてくれた家族は、敬虔なユダヤ教徒ではなくリベラル(左派)に属していた。このある意味で自由な家庭環境が、逆に、自分が本当はユダヤ人でないことの悩みをより助長させ、偽りの日々を送ることの負担が彼を責め立てることになる。 彼が初めて家族に打ち解けて食事をする場面は、大変に感動的だった。 この後、映画は、少年時代から青年時代までを丹念に描いていく。 個人的に衝撃が大きかったのは、(ネタバレになるが)主人公が留学のためにフランスへ旅立つ際に、育ての母親が「自分は養子を迎えることに大反対であった」と打ち明ける場面。 幼年時代から、黒人ということで学校その他で差別される主人公を、暖かく包み込み、時には周囲に攻撃的になって、守ってきたとしか思えない彼女のこの言葉に、母親の愛情というのは、男性の私が思いもよらないほどに、本当に奥が深いものなんだなぁと、しみじみと感じ入った。 衝撃的ということでは、(予告編でも流れているが)イスラエルに連れてこられた主人公が、シャワーを浴びた際に、流れていく水を見て、もったいないと泣き叫ぶシーン。 直接ではないが、難民問題の深刻さが端的に表されていて、名場面だと思う。 また、宗教的な意味合いはよく分からないが、肌の色の議論のシーンもいろいろと考えさせてくれて印象的。 余談になるが、本作をアフリカ映画としている方が多い。確かに、映画の冒頭とラストはアフリカであり、エチオピアが物語の背景にあるので間違っているとは言えないが、私的にはイスラエルはアジアの一部という認識だったので、ちょっと意外だった。 なお、『約束の旅路』ブログ募金キャンペーンが展開されているので、バナーを貼っておく。 この映画は、単に少年の成長物語としてだけでなく、人種や宗教的な差別の問題、“母親”の無償の愛、難民問題の深刻さなど、さまざまなものを訴えていて、多くの人に鑑賞して欲しい傑作だと思う。【あらすじ】(ネタバレあり) 1984年、スーダンの難民キャンプ。エチオピア系のユダヤ人だけがイスラエルへ脱出できることを知った母親は、9歳の息子に「行きなさい、生きなさい、生まれ変わりなさい」と旅立たせる。2人はキリスト教徒だった。その日、子どもを亡くしたばかりの女性ハナと医師の手助けで、息子はイスラエルにたどり着く。 エチオピアのユダヤ人たちはファラシャと呼ばれ、歓迎される一方、移民局の厳しい審査を受けなければならなかった。なんとか入国が許された少年は、役人からシュロモというユダヤ名を与えられ、ハナは病で逝ってしまう。 シュロモは、リベラルなヤエルとヨラム夫婦の養子となる。一家は愛情をもって接するが、黒人の少年への差別は厳しく、またシュロモも本当はユダヤ人でないことを誰にも打ち明けられず、一人苦悩する。 ある日シュロモは、テレビで知った宗教指導者のケス・アムーラに会いにいき、難民キャンプにいる実の母親にエチオピアの言葉で手紙を書いてくれるように頼む。その晩、シュロモは初めて家族と打ち解けた。 1989年。シュロモは成人の儀式を向かえ、パーティでエチオピアの踊りを踊る。ケスは、これからは自分で手紙を書けとシュロモに告げる。 学校では、友達がサラという女の子に出す恋文を代筆していた。彼女の誕生日祝いにシュロモも招待されるが、黒人を嫌う父親に追い返されてしまう。サラが家まで来て、シュロモを路上のダンスに誘う。そしてシュロモは恋をした。 サラの父親に本当のユダヤ人であることを示すために討論会に参加、「アダムの肌の色は何色だったか」との議題に見事勝利するが、かえってサラの父親に悪魔よばわりされる。そんな彼を励ましたのは、一警官だった。 徐々に養父ヨラムと対立するようになったシュロモは、ヤエルの薦めでキブツ(集団農場)に行く。ヤエルの父はキブツの創設者の一人だった。しかし、ここでも彼は孤独だったが、心配して訪ねてきた祖父に、土地は分かち合うべきだ、と教えられる。 1993年。シュロモはテレビでアフリカの干ばつと飢餓を知る。実の母親を探しに行きたいと訴えるシュロモにケスは、自身の悲惨な過去を語り、今ここで生きることの大切さを説く。荒れて警官に捕まったところをケスに助けられ、シュロモは過去の一切を打ち明ける。そして母親の真の気持ちを教えられるのだった。 傷を負っていたシュロモを、ケスは知り合いの医師のところへ連れていく。彼は、かつて赤十字の一員としてスーダンの難民キャンプにいて、シュロモの脱出を手助けした、あの医師だった。シュロモは、ようやく自分の進むべき道を見つけた――医者になるためにパリ行きを決意をする。 ヨラムは兵役拒否をするのかと猛反対したが、ヤエルは息子を励まして送り出した。出発の日、ヤエルは秘密を打ち明ける。実は自分は養子をとることに反対であった、強引に彼を迎えたのはヨラムで、彼のおかげで家族になれたと。 2000年。シュロモはイスラエル軍の軍医として、戦場と化した町にいた。アラブ人の子どもを助かるが、負傷してしまう。 病院を訪れたヤエルは、サラは10年もあなたを待ったのだから、愛してると言いなさいとシュロモを威す。自分の家族を捨てて、サラはシュロモと結婚した。初夜の晩、秘密を明かそうとするが、結局言い出せない。 サラが妊娠した。シュロモはやっと真実を語るが、10年のあいだ自分を信じてくれなかったと、サラは怒って家を出てしまう。ヤエルは、心から愛しているから失うのが怖くて言い出せなかった、これは愛では、とサラを諭すのだった。大勢の母親に愛されているのね、とシュロモのところへ帰ってくる。 しばらくの後。 国境なき医師団の一員として、シュロモはアフリカの難民キャンプにいた。携帯電話にかかってきたサラと片言を話始めた子どもからの電話にでるために、テントの外に出たシュロモの目に、一人の女性が映る。母親だった。『約束の旅路』 Va, vis et deviens【製作年】2005年、フランス【配給】カフェグルーヴ、ムヴィオラ【監督・原案・共同脚本】ラデュ・ミヘイレアニュ【脚本】アラン=ミシェル・ブラン【撮影】レミー・シェヴラン【音楽】アルマンド・アマール【出演】ヤエル・アベカシス(義母ヤエル)、ロシュディ・ゼム(義父ヨラム)、モシェ・アガザイ(幼年時代のシュロモ)、モシェ・アベベ(少年時代のシュロモ)、シラク・M・サバハ(青年時代のシュロモ)、イツァーク・エドガー(ケス・アムーラ)、ロニ・ハダー(シュロモの恋人・妻:サラ)、 ラミ・ダノン(おじいちゃん) ほか公式サイトhttp://yakusoku.cinemacafe.net/原作本
2007.06.19
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小栗旬、ユースケ・サンタマリア、小出恵介、塚地武雅(ドランクドラゴン)、香川照之という、“旬”の(というより一癖も二癖もある)俳優5人による、ワンシチュエーションの密室劇。 シネ・リーブル池袋にて鑑賞。 『キサラギ』 評価:☆☆☆☆☆ いやいやサスペンス?映画の傑作だ。 少しでも見たいという気があるなら、以下の駄文なと読まず、できるだけ余計な情報など耳にしないで、劇場に駆け付けるべきだ。【あらすじ】 アイドルの如月ミキが自殺してから1年後の2007年2月4日。彼女のファンサイトの常連メンバー――「家元」、「オダ・ユージ」、「スネーク」、「安男」、「いちご娘」の5人は、如月ミキ一周忌追悼会に集いあい、初めて顔を合わせた。 会の半ば、一人が「如月ミキは殺されたんだ」と言い出したのを端緒として、次々と意外な事実が明らかとなってくる。一体、如月ミキの死の“真相”とは……。 上記に「密室」と書いたが、部屋が閉ざされている訳ではなく、一人がトイレで出たり入ったりするのを除いて、最初から最後まで一つの部屋を動かないという意味。 というのは、元々は、48BLUESが中野の小劇場で演じた舞台劇だからだ。 一つの空間の中での会話劇だから、映像として映画にする必然性は薄いとも言えるが(実際に映画的な技法としては、個々の役者のクローズアップが使われるくらいか)、これだけの豪華キャストでのぞめるのは、やはり映画だからだろう。(舞台だと練習期間を含めたスケジュール調整が厳しかろう) 例えば、オダ・ユージの役を、その名前で非常に強く連想される某テレビドラマで共演していたユースケ・サンタマリアが演じるなんて、やはり映画ならではだ。 実際、どこまでが演出で、どこからがアドリブなのか分からない、芸達者なメンバーによる丁丁発止のやりとりと、先の読めない二転三転するストーリー展開は大変にスリリングで、非常に魅力的だ。 役者も凄いが、やはり脚本が素晴らしい。 アイドルの死の真相の追求というシビアな話を、状況を次々と転がしながら、最後は観客を幸せな気持ちにさせる、その手腕は並大抵のものではない。 って、原作・脚本の古沢良太は、どこかで聞いた名前だと思ったら、『ALWAYS 三丁目の夕日』の脚本家だった。なるほど。 最初の方で語られたエピソードの多くが、後の伏線となっていて、それらが徐々に絡み合って、思いもかけない結末へと向かう展開は、見事だと思う。 強いて言えば、エンドタイトルの宍戸錠のくだりは必要なかったかと思う。さらに話を引っくり返したくなる気持ちは分からなくはないが。 舞台の映画化というと、すぐに屋外に出たりとか舞台を移しかえることで勝負するものが多いなか、あえて設定を舞台と変えることなく、役者の演技のみで勝負に挑んだ本作は、そのストレートさが成功の一番の要因だろう。 小栗旬がいつの間にか上手くなっていて、ちょっとびっくり。 香川照之は相変わらず“濃い”怪演を披露していたし、小出恵介も弾けていて、なかなか良かった。 塚地武雅も本作の演技で『間宮兄弟』がフロックでないことを証明した。 スクリーンで見てもブラウン管で見ても、たぶん違いはないかなと思ったりはするが、今年のベストワン級の傑作として、とくにミステリーが好きだったり、サスペンスものに興味・関心がある方には強くお薦めしたい。『キサラギ』【製作年】2007年、日本【企画・製作】野間清恵【配給】東芝エンタテインメント【監督】佐藤祐市【原作・脚本】古沢良太【音楽】佐藤直紀【出演】小栗旬(家元)、ユースケ・サンタマリア(オダ・ユージ)、小出恵介(スネーク)、塚地武雅(安男)、香川照之(いちご娘)、酒井香奈子(如月ミキ)、宍戸錠(如月ミキショーの司会者)公式サイトhttp://www.kisaragi-movie.com/オフィシャルムック小説版CD オリジナルサウンドトラック
2007.06.18
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私の大好きな川島雄三監督作品。長い間、みたいみたいと思っていながら機会を逸していて(今年のラピュタ阿佐ヶ谷での「芦川いずみ特集」でも見損ねた)、ようやく鑑賞することができたた。 東京・京橋にある東京国立近代美術館 フィルムセンターで開催中の「映画監督 川島雄三」 にて鑑賞。 『東京マダムと大阪夫人』 評価:☆☆☆☆☆ タイトル通り、隣り合う二人の夫人がことある毎に張り合うという、ある種たわいのないコメディなのだが、これが大変な傑作。 川島監督は、この映画を撮った翌々年、古巣の松竹から日活へと移ってしまう。時を同じくして、三橋達也らの出演者も日活に移籍するので、今日から見ると松竹と日活の合作映画のようだ。 映画の成功は、まずはそのセットに追うところが大きいだろう。 飛び越えられるような境の低い柵、境にあって共用される井戸、隣の家と重なる窓枠など、両家にかかわる事もそうだし、縁側やちょっとした広さの庭など、このセットを舞台に使うだけで傑作が撮れるように感じる(と思うのは素人の浅はかさだが)。 そして、上手く練られた脚本に、おさえ気味の演出が合わさって、極上のコメディになったと思う。 話的には、単に二人の夫人の張り合いということだけでなく、そこに専務の娘と、ご近所でリーダーシップを発揮する人事課長の奥さんを絡め、群像劇としてまとめているところが秀逸だ。 映画の尺的にも過不足ない。 電気洗濯機の購入を競うエピソードがあるが、電化製品の購入が家庭のステータスだった時代を端的に表しているようだ。電気冷蔵庫は高くてまだ手が出ないとのセリフもあるが、それが当時(敗戦後8年)の一般的な住居環境か。 話の展開上、男性陣は八郎役の高橋貞治(と父親役の坂本武)を除くとやや影が薄いが、これもたぶん当時の世相をうまく反映しているのだろう。 女優陣では、中心となる月丘夢路と水原真知子の演技が良いが、専務の娘役の北原三枝と人事課長夫人役の丹下キヨ子の二人がインパクト大。ラストでちょこっとだけ登場する高橋豊子も強烈だ。 芦川いづみは本作が映画初出演。可憐は可憐だったが、新人オーラ全開で、演技としてはまだまだだったかな。 コメディ映画が好きな人は、機会があれば是非とも一見をお薦め。【あらすじ】(ネタバレあり) 東京・郊外にある、通称“あひるヶ丘”の社員住宅。人事課長の奥さんを中心に、今日も近所のご婦人方が井戸端会議に余念がない。 伊東光雄の妻・美枝子は江戸の下町・老舗の傘屋の娘、隣に住む西川隆吉の妻・房江は大阪・船場育ち。二人の亭主は会社の同じ課の同輩であることもあり、美枝子と房江は何かと張合う仲であった。房江は隣りに先駆けて電気洗濯機が届いたことでちょっぴり自慢気だったが、数日遅れて美枝子も電気洗濯機を購入、また、夫のアメリカ赴任をめぐって鞘当てあったりする。 ある日、セスナなどの操縦士である房江の弟・八郎が訪れてきて、そのまま居候となった。時を同じくして美枝子の妹・康子も、番頭との結婚を無理強いする父親から逃れて、伊東家にころがり込んできた。豪放磊落な八郎と内気な康子は、次第に惹かれあうようになる。 近所に住む会社の星島専務の令嬢・百々子は、ある時、その高慢の鼻を八郎にへし祈られたことから、却って八郎を好きになってしまった。房江は夫の出世のためにも八郎と百々子の結婚を画策しはじめる。一方の美枝子も、妹の幸せのためにと動き始める。 ある時、八郎に百々子との結婚を承諾させようと、大阪に出張した弟を追って房江は実家に戻る。すると、そこにはすでに家族と親しくなった百々子がいた。房江の西下を聞いて、美枝子も自分が大阪へ出かけようとするが、折良く、夫が大阪出張になる。母親の必ず説得するからとの言葉に意気揚々と引き上げてきた房江は、その足で専務のお宅へ伺い、うまくいったことを報告する。一方、大阪で八郎と酒を酌み交わした光雄は、八郎の様子から彼が康子に気があると確信するが、東京に戻ってみると、あひるヶ丘は、八郎と百々子の結婚話で持ちきりだった。康子はその噂を聞いて、父親の待つ実家へ戻ってしまう。 しかし、帰京した八郎は姉の専断にかんかんになって怒り、康子が好きだったと宣言する。が、時すでに遅し。美枝子は喜ぶが、実家へ戻っても、父親に邪魔されて妹にはあわせてもらえず、そうこうするうちに八郎はアメリカへ1年間、出張に出かけることになった。八郎の宣言で失恋した百々子は、康子の実情を知ると美枝子の実家に乗り込み、康子を連れ出し、出発間際わの飛行場へと駆けつける。父親も、妹がどれだけ父のことを思っていたかとの美枝子の言葉に、二人の中を認めるのだった。 そして、今日もアヒルヶ丘では、ご婦人たちの話し声がガーガーと喧しく鳴り響くのであった。『東京マダムと大阪夫人』【製作年】1953年、日本【製作】松竹大船【配給】松竹【監督】川島雄三【原作】藤沢恒夫【脚本】富田義朗【撮影】高村倉太郎【音楽】木下忠司【出演】月丘夢路(伊東美枝子)、三橋達也(美枝子の夫:光雄)、芦川いづみ(美枝子の妹:康子)、坂本武(美枝子の父:丹下忠一)、水原真知子(西川房江)、大坂志郎(房江の夫:隆吉)、高橋貞二(房江の弟:田村八郎)、北原三枝(専務の娘:星島百々子)、滝川美津枝(専務の妻)、多々良純(秋元人事課長)、丹下キヨ子(秋元夫人)、高橋豊子(ラストに越してきた春本夫人) ほか『川島雄三乱調の美学』自著『花に嵐の映画もあるぞ』藤本義一著『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』
2007.06.18
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映画史的には、森繁久彌と淡島千景による名作『夫婦善哉』の原作者として有名な織田作之助による同名の小説の映画化。明治から昭和に渡る大阪を舞台にした人力車夫の他吉と、彼をめぐる人間模様を描いた一代記。南田洋子が一人二役に挑戦している。 東京・京橋にある東京国立近代美術館 フィルムセンターで開催中の「映画監督 川島雄三」 にて鑑賞。 なお、本作はDVDが発売されている。 『わが町』 評価:☆☆☆☆ 原作はほとんど入手不可能なので、未読。 いわゆる川島作品(若尾文子とのコンビなど)をイメージして鑑賞すると、肩すかしを食うかも知れない。しかし、この作品は傑作だ。 もともとは戦時中に溝口健二監督が撮る予定だったらしいが、溝口監督が戦時協力的なことを嫌ったことと、織田作之助による脚本が気に入らなかった?らしく、お蔵入り?していたものを、織田氏の死後に、盟友?の川島雄三監督が追悼の意味合いも込めて撮影したもの、らしい(自分で調べたわけではないので……)。 ご存知ない方のために触れておくと、川島監督のデビュー作『還って来た男』は、織田作之助の短篇「清楚」を映画化したものである。 話的には、原作は未読なので何とも言えない部分はあるが、少し尺が短い(約100分)感じで、時間が大幅に飛んでしまうところ(とくに戦時中)はもう少しじっくりと描いて欲しかった気もするが、映画製作の当時としては、まぁこれが限界だろう。 フィリピンで、数百人の日本人の死者を出したというベンゲット道路の建設工事に従事していた、通称ベンゲットのタあやん※が、大阪の下町に帰ってきて巻き起こす人情ものだが、その大阪の下町──天王寺の裏町・我太郎長屋を中心とした──の様子が実に生き生きと描かれて、当時の(関西の)日常風景が活写されているが、過度に近寄るでも突き離すでもなく、適度なポジションで捉えている演出がgood。※単行本『花に嵐の映画もあるぞ』に所載の川島雄三監督と辰巳柳太郎との対談での表記による。 そして、何よりも主人公を演じた辰巳柳太郎と、同じ長屋の隣人を演じた殿山泰司の演技が素晴らしい。辰巳柳太郎の映画というと『人生劇場 飛車角と吉良常』くらいしかすぐには思い浮かばないのだが、頑固だが人情味あふれるタあやんの不器用な生き様は、彼の代表作となるものではなかろうか。 また、娘や孫を演じた高友子や南田洋子も大好演。 ただ、欲を言えば、個人的には主人公を阪東妻三郎が演じた作品で(も)見てみたかった気はする。バンツマの傑作『無法松の一生』での人力車夫姿と、本作がダブル部分があることもあるが。 この映画のもう一つのポイントだと思うのは、数少ないプラネタリウム物語にもなっていることだ。 後半、孫娘の君枝と幼なじみの次郎が、タあやんが折に触れて語るフィリピンの星空を見に、大阪私立電気科学館(四つ橋)に行く場面があり、そしてラストシーンは、このタあやんとプラネタリウムのシーンで終わる(この場面、涙なしでは見られない)。 私の知る限り、映画の中でプラネタリウムが重要な形で登場したのは(そしてプラネタリウムでなければならない)、これが始めてではないかと思う(外観などは別にして)。 なお、作家の瀬名秀明氏が、プラネタリウムを題材に、織田作之助氏と『わが町』にオマージュを捧げた作品として『虹の天象儀』を著している。短い作品だが(文庫本)感動的なので、この映画をご覧になられた方は是非ご一読を。 次のボーナス(って出るのかな?)で、やっぱりDVDを買うことにしよう。『わが町』【製作年】1956年、日本【製作・配給】日活【監督】川島雄三【原作】織田作之助【脚本】八住利雄【撮影】高村倉太郎【音楽】真鍋理一郎【出演】辰巳柳太郎(佐渡島他吉)、南田洋子(他吉の妻:お鶴/他吉の孫:君枝)、高友子(他吉の娘:初枝)、大坂志郎(初枝の恋人・夫:曽木新太郎)、殿山泰司(長屋の隣人:桂〆団治)、北林谷栄(長屋の住人:おたか)、小沢昭一(おたかの息子:啓吉)、三橋達也(君枝の幼なじみ:花井次郎)、長岡秀幸(少年時代の次郎)、大友美鶴(少女時代の君枝)、志摩高子(少女時代の初枝) ほかDVD大谷晃一著『織田作之助』藤本義一著『川島雄三、サヨナラだけが人生だ』川島雄三著『花に嵐の映画もあるぞ』瀬名秀明著『虹の天象儀』プラネタリウム小説の傑作『せちやん』プラネタリウムの解説本『地上に星空を』
2007.06.17
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チャン・ツィイー(章子怡)主演による古代中国の宮廷絵巻で、『ハムレット』の見事な翻案映画。 ワーナー・マイカル・シネマズ板橋にて鑑賞。 『女帝[エンペラー]』 評価:☆☆☆☆ 様々な映画評論では、かなり評判がよくないが、私的には結構気にいった。 ひとつは、その圧倒的な映像美。美しい。 やや無国籍風の美術といい(呉越の国の竹林は日本の禅寺のようだ)、鮮やかな色使いといい、映画でしか体験できない、大画面で一見すべき価値のある映像と思う。 当時(設定は約1100年前の五代十国時代)の匂いがしない、という批判もあるが、何もリアルに描くことのみが映画の効用ではないし、写真も映像もない当時の何をもってリアルと判断するのかは、単に評者の主観でしかない(まぁその時代を研究している歴史学者であれば別かもしれないが)。 個人的には、権力者というか人間の「欲望」を描こうとするのに、その普遍性――時代を越えたテーマ性にとって過度のリアルさは邪魔になると思っている。 もっとも宮中のシーンは、舞台の演劇を写しとっているようで、小じんまりとしてしまって、もっと宮殿の壮大さを活かした演出があってもよいとは感じた。 色彩が鮮やかと書いたが、全体的にはかなり押さえめ。ただ、ここぞというところ(皇后就任の着物など)での色調は華やかだ。 宮中での王妃・皇后の「赤」、新帝の「黒」、皇太子の「白」の対比が見事だが、私的には前半、皇太子が隠居?している呉越の場面での「緑」が大変に印象的だった。 ラストも、ある穏やかな「緑」で締め括られるので、欲望の代償としての“死”に対して、“生命の力”をイメージさせる緑の色は、監督の隠れたモチーフ色なのではないかと想像したりもする。 監督のフォン・シャオガンは、映画監督になる前は美術の仕事をしていて、とくに油絵――ヨーロッパの絵画をやっていたらしいので、それが活かされた画面作りだと思う。 それがまた、中国らしくないと不評の原因でもあろうが、アメリカやヨーロッパの市場に進出するには、そして若者受けするには(素人考えだが)悪くないのではなかろうか。 本作は、先にも書いたように『ハムレット』の翻案もので、かなら細部にまでこだわって創られているように思う。 1点、設定を大きく変更してあるのは王妃(皇后)で、皇太子ウールアンよりも4歳若く、皇帝に嫁ぐ前は皇太子と密かに想いあっていたらしいこと。 これは秀逸な変更だ。 私が『ハムレット』批判するのもおこがましいが、ハムレットがマザコンに見えてしまったり、王妃ガートルードが息子ハムレットに親子以上の男女の愛情をもっているとしか思えなかったりして、どうにも変な作品にしか捉えられなかった。 それがこの変更によって、王妃(皇后)ワンは皇太子ウールアンの想い人で、また彼女も皇太子を密かに愛していて、そこに宰相の娘で皇太子の婚約者チンニー(『ハムレット』のオフィーリア)と、そもそもの事件というか野望の発端たる新皇帝リー(同じく王弟クローディアス)が絡むという、三つ巴、四つ巴の関係になるわけだが、母子間の男女愛という特殊例が混じるものから、いわゆる男女間の愛憎と嫉妬という、より普遍的な関係性が描かれることで、原作がより身近に、一般的に、そして現代的になったと思う。 いま何故改めて『ハムレット』なのかという疑問に対する答えは、上記の通りだ。 加えて言えば、いまの20歳代以下の世代で、原作の『ハムレット』を読むなり、演劇や映画で見ている人は、(私の周囲で尋ねた範囲でも)40歳代以上に比べて圧倒的に少ない。 評論家の方の多くは、さまざまなハムレット映画を見ているだろうから、新しい作品(それが旧作よりも劣っていると感じればなおさら)の意義を認めにくいだろうが、若い世代に、同時代・同世代の役者たちが演じる新たな作品の形で、古典を翻案して提示する意義は十分にあるだろうし、それが中国で創られるとすれば、絶大な人気を誇るチャン・ツィイーが主演というのは、極めて妥当だろう。 まぁしかし、そのチャン・ツィイー、いま一つ、皇后としての気高さを感じさせないのも事実。その点は映画としてマイナスかな。 彼女はやはりデビュー作『初恋のきた道』や、役者として新たな境地を拓いたと思う『ジャスミンの花開く』などのように、無名の庶民が似合っている女優だと思う。 皇太子を演じたダニエル・ウーも好演していたが、役者的に凄かったのは、新帝リーを演じたグォ・ヨウ。下手な役者がやると嫌みな奴にしかならないが(ほとんどのハムレット映画で描かれるクローディアスが、単に嫌な奴でしかない)、一途な愛情でもって皇后を愛する姿を、非常に魅力的に演じていて、本作を深みのある物語にしている。 そして、皇太子の婚約者を演じたジョウ・シュンが大変に可憐で絶品だった。 ちょっと残念だったのは、宰相の息子イン・シュン将軍の役。演じたホァン・シャオミンが悪い訳ではないが、皮相的な感じでしかなくて、脚本で人物像をもう少し掘り下げて描いてあれば、クライマックスの妹チンニーの踊りとそれに続く一連の場面がもっと活きたのではないだろうか。 あと映画の最後。 この映画が『ハムレット』の翻案だと考えれば、じつは五つ巴の愛憎劇だったことを示していると思う。それは、映画の所々でアップになる兜の赤い血の○○で補完される。その分、現実離れすることにはなってしまうのだが。(原作を知らない人には不親切かも) ということで、何かと批判の多い本作だが、私としてはいろいろと見所があり、何より『ハムレット』の翻案映画としては近年の秀作として、とくに『ハムレット』を読んだことも見たこともない人たちに強くお薦めしたい。 なお、中国ではすでに、『ハムレット』の翻案映画として『ヒマラヤ王子』(原題:喜瑪拉雅王子)が存在している(私は昨年末開催の上海映画祭にて鑑賞)。『女帝[エンペラー]』 夜宴 THE BANQUET【製作年】2006年、中国=香港【提供・配給】ギャガ・コミュニケーションズ【監督】フォン・シャオガン【アクション監督】ユエン・ウーピン【美術・衣装】ティム・イップ【音楽】タン・ドゥン【出演】チャン・ツィイー(皇后ワン)、グォ・ヨウ(新帝リー)、ダニエル・ウー(皇太子ウールアン)、ジョウ・シュン(皇太子の婚約者チンニー)、宰相イン(マー・チンウー)、将軍イン・シュン(ホァン・シャオミン) ほか公式サイトhttp://jotei.gyao.jp/ノベライズ本CD オリジナルサウンドトラック文庫『新訳 ハムレット』DVD『ハムレット』(1948年,イギリス)DVD『ハムレット』(1964年,ロシア)DVD『ハムレット』(2000年,アメリカ)DVD『萬斎ハムレット』(2003年,日本)
2007.06.16
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“イタリアの至宝”モニカ・ベルッチ主演、フランスの往年の大女優カトリーヌ・ドヌーヴ共演の、フランス発アクション・スリラーの怪作。 銀座シネパトスにて鑑賞。 『ストーン・カウンシル』 評価:☆☆【あらすじ】 3歳の時に孤児になったローラ・シプリアンは、慈善事業を展開するイニット財団の理事長で心理学者のシビル・ヴェベールを後見人として成人するが、不妊のため、イルクーツクの施設から、モンゴル人の男の子リウ=サンを養子に迎えた。いまは、駐仏ロシア大使館のフランス語通訳として、息子と一緒に親友のクラリスをルームメイトとしてパリで暮らしていた。 リウ=サンの7歳の誕生日が近付くころ、ローラとリウは同じ夢を見たり、リウの体に不思議なアザが現れたりする。主治医は問題はないと診断を下すが、二人が帰った後で、彼はアザが現れたと何処かに連絡を入れた。また、ローラの元に別れた元恋人リュカがまとわりつき始める。 ローラが海外出張に行くことになり、リウをシビルに預けることになった。リウはシビルの所にいるのが嫌だと抜け出し、ローラの車に忍び込むが、帰宅途中、鷲が襲ってきたことに驚いたローラは、事故を起こしてしまう。ローラは無事だったが、リウは意識不明の重体。しかし、医師が驚くほどのスピードで、リウの傷は自然治癒していった。 ローラはヘビに襲われる幻覚に悩まされる一方、リウが聞いたことのない言語の録音を残しているのを見つける。また、リウのいる病院の駐車場では主治医が惨殺され、リウの言葉を解析してもらおうと訪ねた言語学者も殺されていた。リウのいた施設も、火事で書類は焼け院長は死んだという。 そして、リウが意識を取り戻すと、シビルが彼を何処かへと連れだしてしまった。大使館員のセルゲイの協力で調査を進めていたローラは、リウの行き先がモンゴルであると確信する。モンゴルのある部族に伝わる伝説では、神秘の力をもつ子供が生まれ、その子を殺した者は永遠の命を得るという。 ローラは息子を取り戻すために、一路モンゴルへと向かうが……。 何とももどかしい作品だ。 原作が『クリムゾン・リバー』のジャン=クリストフ・グランジェなので、お得意の秘密結社もの。ただ怪奇趣味の度合いはかなり薄い。 スリラー映画としては話を省略しすぎで(編集が悪い?)、スピード感はあるものの繋ぎが悪く、意味不明の箇所も多い。素材の処理の仕方も工夫の余地が大きいだろう。 秘密結社もボスが永遠の命を得るために必死なのは分かるとして、部下たちが何故命をかけるのか、まったくわからない。「教え子」というだけでは、普通あそこまで動かないでしょう。金がふんだんにある組織とも思えないし。 アクション映画としては、モニカ・ベルッチを主人公にしたのは画期的だが、ただそれだけ。当たり前だが、彼女が主体のアクションシーンに、他の映画のような見所を求めるのは、そもそも間違いだろう。 したがって、本作品で私的に関心があったのは、役者陣と、モンゴルが舞台となる点。 まず前者。 主人公のモニカ・ベルッチは、“イタリアの至宝”“イタリアの宝石”などと紹介されながら、彼女の(単独)主演作は意外なほど日本では公開されていない。ぱっと思い浮かぶところでは『マレーナ』くらいか。 ほかは、『マトリックス』シリーズにしても『ブラザーズ・グリム』にしても、妖艶な美女として“脇役”ばかりだ。役者として濃すぎるのだろうか。 もっとも、映画祭を除けば、イタリア映画が劇場公開されること自体が少ない昨今、単に我々が知らないだけだとは思うが。 そういう意味で、本作は単独主演の珍しい作品だ。しかも、ほとんどすっぴん(ノーメイク)のショートヘア、しかも後半はアクションにも挑むので、ファンに限らず、貴重な作品といえるだろう。お約束?の全裸シーンもあるし(全然官能的ではないが)。 彼女のアクションについては、設定が30歳代なかば?の普通の女性なのだから、アンジェリーナ・ジョリーのような過激なアクションシーンがあるとしたら、かえっておかしい訳で、これはモニカの健闘・頑張りを讃えるべきものだろう。 映画中で、もう一人の華というべきカトリーヌ・ドヌーブは、(ネタバレになるが)彼女には珍しく、秘密組織の親玉役。出番は多い訳ではないが、なかなかの怪演ぶり。これを見ただけでも、価値があったかもしれない。 私としては、カトリーヌというと、『シェルブールの雨傘』や『ロバと王女』などのジャック・ドゥミ作品での可憐なイメージが非常に強いが、本作の演技をみていたら、なぜか細○数子女史を思い出してしまった。なんが貫禄が似てない? 他の役者では、モンゴルの少年役を演じたニコラ・タウが好演。なかなか出演の機会には恵まれないだろうが、今後に期待大。 この映画、後半はモンゴルが舞台になる。 『モンゴリアン・ピンポン』の感想で書いたように、個人的にモンゴルの大地が描かれた作品は出来るだけ見たいと思っていて、その点で、この映画にほんの少し期待していた。 が予算の関係だろう、ほとんど映し出されることなく終わってしまった。 いや町並みなどロケされたシーンもあるが(本当にモンゴルかどうかは確かめようがないが)、圧倒的に物足りない。 せめてローラとセルゲイ、そして案内人の3人が、馬に乗って山の中の“禁断の地”を目指す場面は、もっとじっくりと描いてほしかった。 ちなみにラストを見ると、続編が作られる感じだ(って本国フランスではヒットしたのだろうか)。 ということで、スリラー映画、アクション映画は欠かさずに見るという人や、モニカやカトリーヌの出演作品は欠かさずに見るという人などを除くと、薦めたいという映画とは言いがたいが、気になる人は、見ないで後悔するよりも、見て後悔した方がよいと思う。『ストーン・カウンシル』 LE CONCILE DE PIERRE【製作年】2006年、フランス【製作】UGC YM【配給】アルバトロス・フィルム【監督】ギョーム・ニクルー【原作】ジャン=クリストフ・グランジェ【脚本】ギョーム・ニクルー、ステファーヌ・カベル【撮影】ピーター・サシツキー【音楽】【出演】モニカ・ベルッチ(ローラ・シプリアン)、カトリーヌ・ドヌーヴ(シビル・ヴェベール)、モーリッツ・ブライブトロイ(大使館員セルゲイ)、サミ・ブアジラ(元恋人リュカ)、エルザ・ジルベルスタイン(ルームメイト:クラリス)、ニコラ・タウ(息子リウ=サン) ほかDVD『マレーナ』DVD『ダニエラという女』DVD『ロバと王女』DVD『昼顔』
2007.06.16
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長澤まさみの10代最後の主演作ということで気になっていた作品。共演は山田孝之、塚本高史、国仲涼子ほか。原作は『いま、会いにゆきます』の市川拓司による同名の小説。 東京・池袋のテアトルダイヤのレイトショーにて鑑賞。 『そのときは彼によろしく』 評価:☆☆☆ 評価はものすごーく甘目。 話的にはすかすかな内容だが、主要な舞台となるアクアプランツショップ(水槽用の水草を扱う店)に並んだネイチャーアクアリウム(水槽の中に水草によって、草原や森林などの自然景観を表現したもの)がたいへんに圧倒的だったこと(これは一見の価値あり)、子供時代を演じた3人の子役が良かったこと、何だかんだ言って中心となる3人(長澤、山田、塚本)の演技――とくに表情の微妙な変化など――が上手かったこと、などで☆三つ。 特定の役者のファン以外にはお薦めする映画ではないと思うが、上記の点については機会があれば、DVDなりテレビ放映などで見ても損はないと思う。 繰り返しになるが、少なくとも、ネイチャーアクアリウムの映像はとても綺麗で癒される。必見。(以下ネタバレあり) しかし、この作品、ファンタジーだとは思いもしなかった。 ファンタジーにはファンタジーのフォーマットがあるので、“病気”の部分だけ幻想的にすればよいというものではないのだが、演技がリアリズム指向な分、何を描きたいのか不明なまま、全体としてちぐはぐ、中途半端な作りになってしまった感は否めない。(以下、本当にネタバレ) 子供のころから、眠りにつくとそのまま昏睡状態に陥り死んでしまう病気に罹っていて、という設定だが、花梨の病気は話の設定の肝心要。ここが幻想的なものだと、登場人物の想い・哀しみや行動に観客が感情移入できず、浮わついた軽いものになりすぎて、感動が生じない(生じにくい)。 これがマンガや小説だとさほど違和感は生じないのだが、映画だと映像がもろにリアルである分、相当の仕掛けがないと説得力に乏しくなる。 とくにラストはハッピーエンドで、そんな簡単に治ってしまう病気だったのかと興醒めしてしまった(再び眠りにつく=死ぬ可能性も高いのでは?)。 また、たぶん3人がそれぞれ互いを必要とする関係性を描く、というのが話の中心だと思うが、どうもそうはなっていない感じ。 塚本高史演じた画家(の卵)は、極端には(大人になってからは)いてもいなくても、長澤・山田二人の関係性に変化は生じない(そういう風にしかストーリーが作られていない)。逆に、塚本自信に必要だったのは、思い出以外には、ちょい役で北川景子が演じた恋人・妻だけだろう(自分を捨てて、さらに金銭詐欺まで働いた母も重要だが)。 子供時代の智史と祐司、花梨と祐司、それぞれの関係をもう一歩エピソードとして描いてあればとは思う。 互いに音信がとれなくなったというのも、結局、それぞれが互いに思いあってなかったことの表れな気がしてしまう。 孤児院出身ならば、(連絡を取りたい友人がいるならば)自分の所在くらい施設に連絡するだろう。そこが互いの連絡拠点になるはずだ。仮に施設が潰れたのだとしても、智史が引越してすぐならば花梨や祐司から智史への連絡が途絶えるのがよくわからないし、高校くらいの時だとしても、映画の現時点からたかだか数年前のことだ。連絡を取り合いたいと思う者どうしが音信不通になる理由がわからない。 この点、原作は花梨を地球の裏側に移住させて当地の郵便事情としているし(私の経験上、ラテン人はアバウトだ、そもそも15年という時間が経過していたりと(その時代ネットもないし)、割りとうまく処理している。 とはいえ、女の子1人に男の子2人の幼なじみをめぐる難病もの(長い眠りにつく物語)という設定は、今年の始めに公開された『天国は待ってくれる』が思い浮かばせるが(『天国…』は女性ではなく、男性の一人が眠りにつく)、それに比べれば『そのときは…』の方が、子供時代を一応きちんと描いている分、メインの話に真実味が生じて悪くはない。 人に薦めるならば、こちらの『そのときは…』だろう(岡本綾は好きなんだけどね)。 ところで、映画と原作で設定がかなり違うという話を聞いたので、鑑賞後に原作を読んでみた。 ……って全然違う話じゃん。 一番の違いは、年齢。原作では30歳前後、3人が絆を結ぶのも14歳の中学生のとき。 映画では、主人公を長澤まさみにキャスティングした段階で20歳代前半に変更したのかもしれないが、そのために様々な歪みが映画に生じている(智史が店を持つには若すぎるとか)。 それと、花梨と祐司の家族設定。花梨には両親と姉!(原作ではこれが重要な役柄)がいるし、祐司には父親がいる(母親の設定は同じ)。映画的によりドラマチックという意味で変更も分からなくはないが、互いに音信が取れなくなる理由とか、粗誤が出る原因でもあろう。 細かい点では、智史の父親は不通のサラリーマンで、智史はかなり歳をとってからの子供だったり、花梨が智史のアクアショップで勤めることができたのもネット関係の整備をするためだったり(ラスト近くで、これが良いエピソードを生み出している)、美咲はベーカリーの店員ではなく結婚紹介所で知り合って交際を始めたばかりの女性だったり、まぁあれやこれやが変えられている。 どちらが良いと感じるかは人それぞれかもしれないが、私的には原作の設定を活かした映像化の方が、良かったのではないかと思う。 その場合は、主要キャストは総入れ替えになってしまうが。長澤まさみにこだわるのであれば、彼女が20歳代後半になってから作るとか。 先にも書いたように、主要キャストの演技自体は良かった。あくまでも脚本に難ありということだ。 いずれにしろ、映画で描かれた水槽の中の“別世界”は、体験して損はないと思う。『そのときは彼によろしく』【製作年】2007年、日本【配給】東宝【監督】平川雄一郎【原作】市川拓司【脚本】いずみ吉紘、石井薫【撮影】斑目重友【音楽】松谷卓【出演】長澤まさみ(滝川花梨=モデルの森川鈴音)、山田孝之(遠山智史)、塚本高史(五十嵐佑司)、国仲涼子(ベーカリーの店員:柴田美咲)、和久井映見(智史の母:律子)、小日向文世(智史の父:悟朗)、黄川田将也(アクアプランツショップの店員:夏目)、北川景子(佑司の妻:桃香)、黒田凛(子供時代の花梨)、深澤嵐(子供時代の智史)、桑代貴明(子供時代の佑司) ほか公式サイトhttp://www.sonokare.com/原作本コミックCD オリジナルサウンドトラックDVD『天国は待ってくれる』DVD『いま、会いにゆきます』
2007.06.15
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ペルシア軍100万人 対 スパルタ兵300人という、荒唐無稽としかいいようがないテルモピュライの戦い――ヘロドトスの「歴史」にも記されているという、紀元前480年のこの戦いを、『シン・シティ』のフランク・ミラー原作・製作総指揮で送る、斬新かつ鮮烈な映像で描きだした歴史アクション映画の傑作。 ワーナー・マイカル・シネマズ板橋のレイトショーにて鑑賞。 『300〈スリーハンドレッド〉』 評価:☆☆☆☆☆ いやはや何とも物凄い作品だ。 スタイリッシュというのか、ハードボイルドな一大スペクタルというのか、ダークな美しさに溢れているというのか、いろいろな形容を付けてみても、到底、映画の本質を表しきることはできないだろう。 それだけのパワーと迫力、そして映像美をもった作品だ。 とはいえ、鑑賞者の好みを如実に反映する映画でもあろう。 映画に重厚な人間ドラマを求める向きには、まったくお薦めできない。本作にドラマらしいドラマはないからだ(なので評論家受けも極めて悪い?)。 例えば、ラスト近く裏切り者に対面したシーンでも、主人公は「後悔するな」と声をかけるだけだし、王に応援を送りたいとする王妃をめぐって多少のあれこれがあるが、ステレオタイプな展開でしかない。 後者では、子供―王の息子をからめて、ドラマ作りすることも可能であったと思うが、製作者たちの思惑・興味は、そういう、如何にもな人間ドラマにはまったく無いようだ。 そもそも、なぜ屈服・服従せずに、戦い・死を選択するのか、その辺りも非常に漠然としている。「自由のため」「神秘主義・専制主義に抗する」などのセリフは聞かれるが、きちんと話として描いている訳ではない。(さらに言えば、スパルタ自体、奴隷制度をしいた軍事国家な訳で、「自由のため」という言葉が空々しく響く) あるのは、徹底した人間と人間との戦い――肉体の限りを尽した男たちのバトルだけだ(戦闘にサイやゾウも出てくるが、呆気なく退場してしまう)。 それを画期的かつ斬新な映像で表現する。 したがって、いわゆるアクション映画に興味・関心のない人には、何だこれ、と一刀両断されてしまうだろう。 まぁ所詮は見る人の好みの問題かなとは思うが。 それにしてもこの作品、見ている間、といより見終わった後で、黒澤明監督の『七人の侍』や『蜘蛛巣城』を彷彿とさせる場面がたくさんあったことに気付く。 スパルタの王レオニダス(英語的発音としてはレオナイダス)が戦いの戦略を土の上に描くところとか、人数の不利を補うために狭いホットゲートに導こうとするところとか、無数の矢が突き刺さるシーンとか。 そう思ったのは私だけではないようで、パンフレットにも書かれていた。 そういう意味では、人間ドラマのない黒澤映画を、過去に例のない(少ない)画期的な手法でみせる作品、ということになろうか。 なお、テルモピュライの戦いを描いた映画として、1961年製作のルドルフ・マテ監督『スパルタ総攻撃』がある。 描かれ方がいかにも1960年代という感じではあるが、空前の大規模エキストラによる映像は、一見の価値があると思う。本作と比較しながら見るのも一興かもしれない。 劇場予告編を見ても何も感じなかった人は、わざわざ見なくてもよいかもしれないが、予告編で何らかの引っ掛かりを覚えた人には、是非とも劇場の大スクリーンと大音響で体験することをお薦めしたい。『300〈スリーハンドレッド〉』 300【製作年】2007年、アメリカ【配給】ワーナー・ブラザーズ映画【原作・製作総指揮】フランク・ミラー【原作】リン・バーリー【監督・脚本】ザック・スナイダー【脚本】カート・ジョンスタッド、マイケル・B・ゴードン【撮影】ラリー・フォン【音楽】タイラー・ベイツ【出演】ジェラルド・バトラー(スパルタ王レオニダス)、レナ・ヘディー(王妃ゴルゴ)、ロドリゴ・サントロ(ペルシア王クセルクセス)、デイビッド・ウェナム(語り手、片目のディリオス)、ドミニク・ウェスト(政治家セロン)、ビンセント・リーガン(隊長) ほか公式サイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/300/原作本アートブックDVD『スパルタ総攻撃』DVD『シン・シティコンプリートBOX』
2007.06.14
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昭和の名曲・ヒット曲をモチーフに、個性派の監督たちによる12の小編映画のオムニバス。 シネスイッチ銀座にて鑑賞。 『歌謡曲だよ、人生は』 評価:☆☆☆☆ なんとも懐かしい曲が並んでいる。 すべてを同時代的に聞いていたという訳ではないが(そこまで年ではない)、オープニングを除けば、いずれもそこはかとない郷愁を呼び起こしてくれた。 各短編は、それぞれの曲をモチーフにと言っても、あくまでも監督の発想なり演出の“素材”であって、曲を知らなくても十分に楽しめるだろう。 この手のオムニバス映画は玉石混合で、可もなし不可もなしになりがちだが、本作は、個々の作品レベルが高くお薦め。 とくに私よりも上の、大半の曲を同時代的に聞いてきた世代の人には、この曲でこんな物語が展開されるなんて、と興味深く見ることができると思う。 個人的には外したなと思ったのは、『乙女のワルツ』1作だけだった。 逆に気に入った作品は、衝撃度では『いとしのマックス』、ドラマ度では『逢いたくて逢いたくて』、ノスタルジック度では『みんな夢の中』、SF度では『小指の想い出』あたりだが、最優秀賞は『女のみち』かな。 以下、各話の簡潔な紹介と評価。●オープニング『ダンシング・セブンティーン』(歌:オックス) ドラマではなく、曲に乗せて、高円寺の阿波おどりの映像が映しだされる。結構マッチしていて、意外な面白さ? この曲は初耳。 評価:☆☆☆●第1話『僕は泣いちっち』(歌:守屋浩)【監督・脚本】磯村一路【出演】青木崇高(真一)、伴杏里(沙恵)、六平直政(漁師の親方)、下元史朗(ボクシングのトレーナー)【あらすじ】 北の大地で恋人だった二人。沙恵はダンサーを目指して東京へ出て、真一もあとを追って出ていくが、沙恵には既に過去の想い出。やけになった真一は、偶然の出会いからボクシングを始め、二人はそれぞれ舞台に試合にのぞむが…。 ありふれた話だが、磯村監督が手堅くまとめた。1960年代の青春映画のダイジェスト版のような作品。ラインダンスが懐かしい。ヒロインはちょっと薬師丸ひろ子に似ているかも。 評価:☆☆☆●第2話『これが青春だ』(歌:布施明)【監督・脚本】七字幸久【出演】松尾諭(大工:藤木貢)、加藤理恵(施主の娘:恵理)、徳井優(大工の棟梁)、田中要次(エアギター選手権の司会)、池田貴美子(清掃婦)【あらすじ】 大工の藤木は失敗ばかり。一目惚れした施主の娘・恵理を危険な目にあわせて落ち込んだ時に手にしたのが、エアギター選手権のチラシ。恵理に格好いい姿を見てもらうべく猛練習。そして当日を迎えるが…。 主人公を演じた松尾のドジさ加減もほどよく、またエアギターも決まっていて、完成度の高いコメディ映画。ヒロインの加藤理恵は本作が映画デビュー。 評価:☆☆☆☆●第3話『小指の想い出』(歌:伊東ゆかり)【監督・脚本】タナカ・T【出演】大杉漣(初老の男)、高松いく(女)、中山卓也(若い頃の男)【あらすじ】 初老の男は町工場を出て楽しげに家路につく。アパートでは、娘のような若い女性が待っていて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。ふと、若い時に故郷に残してきた彼女の姿が浮かんでくる。懐かしい想い出。気が付くと、彼女は…。 初老の男が、なぜ娘のような女性と妻のように暮らしているのか。大杉漣の一人芝居的な作品だが、オチがSFチックな一編。個人的に、この手の作品は大好きだ。 評価:☆☆☆☆●第4話『ラブユー東京』(歌:黒沢明とロス・プリモス)【監督・脚本】片岡英子【出演】正名僕蔵(古代の女/現代の極道者)、本田大輔(古代の男/現代の清掃夫)、千崎若菜(清掃夫の妻)【あらすじ】 太古の昔、ある男女が恋に落ちるが、火山の噴火で引き裂かれる。現代の東京、古代の女の生まれ変わりである極道者は、早朝の渋谷で清掃夫に心惹かれる。彼は古代の男の生まれ変わりだった。再会した二人は…。 一番意表をつかれた幕開け。『ラブユー東京』の曲で古代というのは……。現代編の話の展開にもう一捻りあれば、傑作になったのではなかろうか。 評価:☆☆●第5話『女のみち』(歌:宮史郎)【監督・脚本】三原光尋【出演】宮史郎(刺青の人:次郎)、久野雅弘(高校生:正治)、板谷由夏(次郎の彼女)【あらすじ】 奈良のある銭湯のサウナ。正治が友人との我慢比べに勝ち、一人残っていたところへ、刺青をした男・次郎が入ってきて、「女のみち」を歌い始める。が、途中の歌詞を忘れて思い出せない次郎は、正治に一緒に考えろとすごむが…。 歌を唄っている本人(宮史郎)が出演したのは本作のみ。演技的には?な部分もあるが、結構はまっていた。不運に見舞われたお人好しの高校生を演じた久野くんも好演。短編映画のお手本ともいうべき仕上がり。 評価:☆☆☆☆☆●第6話『ざんげの値打ちもない』(歌:北原ミレイ)【監督・脚本】水谷俊之【出演】余貴美子(女)、山路和弘(男)、吉高由里子(少女)、山根和馬(青年)【あらすじ】 女は昔の男から逃げ出して、海沿いの町の不動産屋で働いていた。ある日、男がやってきて、腐れ縁を断ち切るために、ある行動をする。季節が移り、女は、痴情のもつれから青年を殺そうとしていた少女を止める。そして封印していたバイクにまたがり…。 ある意味で、一番ドラマチックな展開の、そして昔風の話かもしれない。余貴美子のバイク姿が歌にぴったりしていて、格好いい。 評価:☆☆☆●第7話『いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー』(歌:荒木一郎)【監督・脚本】蛭子能収【出演】武田真治(一郎)、久保麻衣子(良子)、インリン・オブ・ジョイトイ(先輩:川井)、矢沢心(先輩:横田)、希和(先輩:山下)、長井秀和(上司:若林)【あらすじ】 デザイン事務所で働く良子は、いつも先輩たちのいじめを受けていて、今日も公園で先輩たちに下着姿にされてしまう。すると、彼女に想いを寄せる同僚の一郎が現れ、良子に赤いドレスを手渡した。駆け出した二人は先輩たちの元へ。そして一郎の怒りが爆発して…。 マンガ家・蛭子能収の劇場映画の監督デビュー作。破壊力、インパクトではナンバー1だろう。インリンや矢沢らの嫌みな先輩ぶりがはまっているが、怒りを爆発させる武田真治がもの凄い。 評価:☆☆☆☆☆●第8話『乙女のワルツ』(歌:伊藤咲子)【監督・脚本】宮島竜治【出演】マモル・マヌー(マモル)、内田朝陽(若いマモル)、高橋真唯(リカ、若い女)、山下敦弘(若い男)、エディ藩(ゴーゴーバーのマスター)、鈴木ヒロミツ(医師)、梅沢昌代(マモルの奥さん)【あらすじ】 喫茶店のマスター・マモルは、常連の若者が連れてきた新しい彼女が、昔の恋人にそっくりで驚く。若きマモルは、横浜でバンドを組んで、ゴーゴーバーで演奏していた。そして、客のリカと愛し合うようになるが、ある日リカが倒れてしまい…。 第1話と同様、よくある感じの話だが、磯村監督ほど手だれていない分、平凡な仕上がり。現在と過去のつながりの処理が難点かな。ヒロインの高橋真唯は可憐だった。 評価:☆☆●第9話『逢いたくて逢いたくて』(歌:園まり)【監督・脚本】矢口史靖【出演】妻夫木聡(鈴木高志)、伊藤歩(妻:恵美)、ベンガル(前の住人:五郎丸隆俊)、小林トシ子(大家)、江口のりこ(友人:啓子)、堺沢隆史(友人:和男)、寺部智英(友人:浩二)【あらすじ】 アパートに越してきた鈴木夫妻が、ゴミ置き場から「連絡済み 五郎丸」と貼り紙のある文机を拾ってくると、引き出しの中には、五郎丸が女性に宛てた手紙が大量に入っていた。思わず読んでしまうと、彼がある女性に交際を迫る様子が綴られていて、まるでストーカーのようだった。そこへ引越し祝いに訪ねてきた友人たちと一緒に五郎丸が現れ…。 ドラマの完成度としてはこの作品が一番かな。“逢いたくて”の対象がそっちなのかという意外性。やはり妻夫木くんは上手い。全力疾走する姿がよかった。 評価:☆☆☆☆☆●第10話『みんな夢の中』(歌:高田恭子)【監督・脚本】おさだたつや【出演】高橋惠子(原美津江)、烏丸せつこ、松金よね子、キムラ緑子、本田博太郎、鈴木ヒロミツ、田山涼成、北見敏之、村松利史【あらすじ】 廃校になって久しい小学校で同窓会が開かれた。みんな50代になり、当時の面影は…。美津江が少し遅れてつくと、ちょうど校庭から掘り起こしたタイムカプセルに入っていた8ミリフィルムが上映される。子どもの頃を懐かしんでいると、校庭が不思議な光で包まれ、同級生だった鉄太郎が小学生のまま現れ…。 主人公の高橋惠子(関根恵子)ほか芸達者な実力派の役者陣が、テストなしの一発本番で撮ったという本作は、リアリティに溢れていて、本当の同窓会に紛れ込んだような気持ちにさせてくれる。それにしても小学生時代は遥か遠くになりにけり。 評価:☆☆☆☆●エンディング『東京ラプソディ』(歌:渥美二郎)【監督・脚本】山口晃二【出演】瀬戸朝香(バスガール:香織)、田口浩正(運転手)、中村咲哉(小学生:悟)【あらすじ】 東京の街を走る観光バスの中では、バスガイドの香織が『東京ラプソディ』を乗客と合唱、香織をじっと見つめる小学生の悟。神田の見学のときに、悟が姿を消した。慌ててみなが探すなか、香織が彼を見つけた。何かを隠そうとする悟。新宿、渋谷とめぐり、終点へ。悟は、湯島聖堂で購入したお守りを、香織にプレゼントするのだった。 藤山一郎のレコードの発売が昭和11年(1936年)なので、唯一、戦前の曲だが、懐かしい感じがするのは何故だろう。小学生の淡い(年上の女性に対する)恋心をうまく描いていて、締め括りにふさわしく秀逸な出来。 評価:☆☆☆☆ 現在では歌謡曲そのものがなくなってしまった。 歌謡曲には、たんに喜怒哀楽をもつだけでなく、当時の世相が折り込まれ、そして何より、子供からお年よりまですべての世代に共通する(した)というのは大きな価値がある。 昨今のヒット曲にオール世代は望めないというのも時代なのだろうが、世代間の断絶を象徴しているようで寂しい。 本作が、老若男女を越えて多くの人に見てもらえればと願う。『歌謡曲だよ、人生は』【製作年】2007年、日本【製作】桝井省志【企画・製作】アルタミラピクチャーズ【配給】ザナドゥー公式サイトhttp://www.kayomusic.jp/完全ガイド映画監督短編集
2007.06.13
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中国の内モンゴル(蒙古)自治区の草原に暮らす3人の少年と、謎の白い球をめぐる“冒険”譚。 あちこちの宣伝文句に使われている、内モンゴル版『トム・ソーヤーの冒険』(byパンフレット)というのが、確かに一番端的に内容を表しているだろう。といっても、こちらは主人公たちが7歳になる前の話だから、件の小説よりはやや幼いか。 シアター・イメージ・フォーラムにて鑑賞。 『モンゴリアン・ピンポン』 評価:☆☆☆☆☆ 一昨年の東京国際映画祭、昨年のNHKアジア・フィルムフェスティバルで上映されていて、私は昨年すでに鑑賞していたが、素朴な味わいが非常に気にいっていたので、改めて観に行った。 傑作だ。すっきりとした爽やかな感動作だと思う。 こういう作品がひょいと出てくるあたり、中国映画は侮れないと、素直に思う。 話の展開としては、ある意味でドラマチックなことは、ほとんど何も起きない。 ただ穏やかだった日常生活に、たまたま川で拾った謎の白い球が、少年たちにちょっとした波紋を引き起こす様子を、淡々と捉えていく。 「ドラマチックなことは」と書いたが、これはあくまでも大人の視点かな。 子どもにとっては、そもそも未知のものが現れたことでもワクワクの事態だし、途中、3人で遠出して、警官に連れて帰ってもらう場面があるが、自分の家から遠出することも大冒険だろう。 そういう、子どもにとっての“事件”の連続を、きっちりと捉えた脚本と映像は見事だと思う。 でも3人が喧嘩して、父親がピンポンに関してある解決をするのだが、あれって子ども的にはトラウマになるんではなかろうか。まぁ人は、そうやって大人になっていくのだろうけど。 話の展開もさることながら、何と言っても登場人物たちの顔というか表情がすごくいい。 中心となる少年3人は言うに及ばず、主人公の姉や両親、祖母、果ては警官(という名称なのかな)に至るまで、何というか生きているなという“輝き”がある。目が違うとでも言おうか。 ラストの主人公の表情も絶妙だった。 ただ、行商の青年だけは、何となくやる気の無さが全身に漂っていて、表情もそういう感じなのだが、それがまた周囲の人々を引き立たせているので、彼は彼で良かったと思う。 出演者にプロの俳優はいないらしく、全員、監督自ら現地の家々を訪ねてスカウトし、キャスティングしたそうだ。 ちょっとビックリなのは、学校に入る前だから7歳くらいの少年も、普通の馬に乗って駆けていること(3人のうち1人はスクーターだったりするけど)。 モンゴル(モンゴル国と中華人民共和国の内モンゴル自治区)を舞台にした映画が公開されると、できるだけ見に行くようにしているが、それは広い緑の草原と青い空が好きで、それをじっくりと味わいたいから。その昔、NHK番組『シルクロード ~絲綢之路~』もモンゴル編は夢中になってみたものだった 今年公開された『蒼き狼 地果て海尽きるまで』も、話的・映画的には全然であったが、モンゴルを写し撮っているという1点で評価してたりする。 もっともモンゴルを舞台にした映画といっても、公開される作品そのものが少なかったりはする。すぐに思い浮かぶのは『プージェー』『天空の草原のナンサ』『らくだの涙』かな。 いま公開中のモニカ・ベルッチ主演『ストーン・カウンシル』も、モンゴル人の養子が誘拐された主人公がモンゴルに息子を捜しに行くもの、らしいので、ちょっと楽しみ。 何人かの方のブログを拝見していて、背後に中国の国家と民族問題(子どもたちは確かに北京を目指すし、冒頭、一家でとる記念写真の背景は天安門だったりする)なども折り込まれているようだが、中国に詳しくない私の手に余る話題なので、そういうことがあるということだけ記しておく。 ブログに書くのがすっかり遅くなってしまったので、東京ではすでに公開は終わってしまったが(すみません)、大阪ではシネマート心斎橋で7月7日からモーニングショーにて公開される予定。 今年公開された必見作の一つ。絶対のお薦めです。【あらすじ】(公式サイトより転載) モンゴルの雄大な自然の中に家族と暮らす少年ビリグ。この土地にはまだ電気も水道もひかれていないが、やんちゃ盛りのビリグや同じ年頃の友達エルグォートゥとダワーにとっては、馬に乗って駆け回る大草原全体が遊び場だ。 ある日、ビリグが川の水を汲みに行くと、上流から小さな白いピンポン球が流れてきた。しかし、卓球を知らない少年たちは謎の物体に興味津々。ビリグのおばあちゃんは、それは川の上流に住むという精霊の宝物「光る真珠」だという。しかし、夜じゅう待ってみても球は光らない。物知りのラマ僧たちにきいても、誰も知っている人はいなかった。 そんなあるとき、ダワーの父親がテレビを買った。大草原に手作りのアンテナを立てて奮闘するが、なかなか映像が映らない。しかし少年たちは偶然テレビから聞こえてきた雑音まじりの音声から、あの白い球は「卓球」というスポーツに使われるボールらしい、ということを知る。さらにアナウンサーが続けて言う。「ご存知のように卓球は我々の国技、このボールは我が国家の球なのです。」 これを聞いた3人はびっくり。「卓球」がどんなスポーツかはわからないけれど、そんなに大事な球がなくなって「国家」は困っているに違いない、「国家」のある北京まで球を返しにいこう、と思い立つ。馬とスクーターで北京を目指した3人。しかし、大草原は彼らの想像をこえてどこまでも広がっていた・・・ さあ、はたして少年たちは白い球の正体を探し当てることができるのだろうか?『モンゴリアン・ピンポン』 緑草地 Mongolian Ping Pons【製作年】2005年、中国(内モンゴル)【製作】ル・ビン、ヘ・ブ【配給】ダゲレオ出版、イメージフォーラム・フィルム・シリーズ【監督】ニン・ハオ 寧浩【脚本】シウ・エナ、ガオ・ジェングオ、ニン・ハオ【撮影】ドゥ・ジエ【音楽】フー・ヘー【出演】フルツァビリゲ(ビリグ)、ダワー(ダワー)、ゲリバン(エルグォートゥ)、ユーデンノリブ(ビリグの父)、バデマ(ビリグの母)、ウリン(ビリグの姉:オルナー)、デゥゲマ(ビリグの祖母)、ジン・ラオウ(都会の品を売りに来る青年:セレグレン)、ブヘビリゲ(ダワーの父)、サランゴォ(ダワーの母) ほか公式サイトhttp://www.imageforum.co.jp/pingpong/DVD『天空の草原のナンサ』DVD『らくだの涙』
2007.06.12
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タイ発のサスペンス映画。究極のリアリティ・オンラインゲームに巻き込まれた(飛び込んだ?)主人公が、次第に人間性を奪われていく姿を描いたもの。 シネセゾン渋谷のレイトショーにて鑑賞。 『レベル・サーティーン』 評価:☆☆☆ タイ映画というと、日本で公開されるジャンルとしては、『トカゲ女』『The Eye』シリーズや『心霊写真』などのホラーか、『アタック・ナンバーハーフ』のようなコメディ、または『七人のマッハ!』『トム・ヤム・クン!』がほとんどという印象があるが(まぁ『風の前奏曲』のような音楽映画や『ガルーダ』のような怪獣映画もあるけど)、この作品は珍しくサスペンス。ちょっとホラーとスプラッタ風味も入っている。 たぶんに観る側の好き嫌いがはっきり分かれる映画かもしれない。とくに5番目のゲームとか。 私的には好きなタイプの作りだが、あまり人に薦めやすい映画でないことも確か。 ぱっと見た目はB級映画──予算も人でもあまりかけていない映画のようにみえるが、なかなかどうして、話が進むに従って、狙って作っているなという感じが見えてくる。 設定そのものは、とくに斬新なものではない。 一つの課題をクリアする度に賞金が上がっていくが、課題も難易度を増していくというゲーム自体は、まぁよくある(考えられる)ものだ(『クイズミリオネラ』など)。 殺人も含めた究極のリアリティ・ゲームという自体も、スティーヴン・キング原作(リチャード・バックマン名義)の『バトルランナー』や映画『ローラーボール』などで昔から描かれている設定。 プレイヤーが、第三者に監視されているというのも、(ちょっと意味合いは違うが)『トゥルーマン・ショー』などでお馴染みのパターンである。 それらを上手くミックスして話を作ってあるという特徴に加えて、もう一つ、明らかな形では描かれないが、ゲームを動かしている側も、さらに大きな何者かに支配されているという、メタ構造になっている。 (ややネタバレになるが)最後(13番目)のゲームに至る際に、ゲームを動かしていると思われる少年が「自分もプレイヤーだ」旨の発言をするし、主人公が巻き起こす混乱を操作していた警官も、電話一本で引き上げさせられ、しかもラストに意味ありげに登場するなど、ゲームをする者とさせる者に、何段階かの構造があることが伺われる。 ただ、それが明確に示されていないので、単なる思わせぶりに終わってしまっていて、(途中のゲーム自体の後味の悪さは別にして)鑑賞後の後味がすっきりしない。 なお冒頭に出てくるボーイスカウト風の少年。不覚にも、映画の最中はずっとどういう関係にあるのだと疑問に思っていて、映画が終わってはじめて、がゲームプレイヤーだったことに気がついた(だと思うのだが。だから携帯を取りに戻ったんだと思う)。ちょっと間抜けかも知れない>自分 まぁご都合主義的な部分は大きいし、脚本の練度も今ひとつではあるけれども、期待しないで見に行けば結構楽しめる作品だと思う。【あらすじ】 バンコクの楽器会社のセールスマン・プチットは、頼みの仕事を同僚に奪われ、突然会社を解雇されてしまう。母親からは借金の無心が引きも切らず破産の寸前。頭を抱えて座り込んだ彼の携帯電話が鳴った。13のゲームをクリアすれば3億円の賞金をとの言葉に、怪しみながらも思わず“YES”と答えてしまう。 最初のゲームは、目の前に止まっている蝿を、雑誌でたたき落とすことだった。クリア。すると銀行口座に入金があった。そして、一つの課題をクリアするごとに、次の新たなゲームが告げられるのであった。こうして課題をクリア──周囲に騒ぎを引き起こしながら、やがて警察に追われる身となる。 一方、彼の同僚トンは、プチットが引き起こした事件をテレビの報道で知る。ネットで調べる中、ある会員制のサイトに辿り着くと、そこではゲームに挑むプチットの姿がリアルタイムに中継されているのだった。しかし、サイトの運営者は一度だけトンに、その内膜を見せると、あとは煙のように消えてしまう。 段々とエスカレートしてゆくゲームの重圧と、つり上がっていく賞金によって、プチットは段々と自分を失っていく。そして最後、13番目のゲームが待つ建物にたどりつくが……。『レベル・サーティーン』 13(LEBEL THIRTEEN)【製作年】2006年、タイ【提供・配給】ファインフィルムズ、熱帯美術館【監督・脚本】マシュー・チューキアット・サックヴィーラクル【原作・脚本】エカシット・タイラット【音楽】キティ・クレマニー【出演】クリサダ・スコソル・クラップ(プチット)、アチタ・シサマナ(同僚の女性:トン)、サルンヨー・ウォングックラチャン(ストラチャイ警部)、ナターポン・アルンネトラ(ミク)、フィリップ・ウィルソン(プチットの父)、スクルヤ・コンカーウォン(プチットの母) ほか公式サイトhttp://www.level-13.jp/
2007.06.11
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それまで、インディーズ系の映画で活躍していたジョニー・デップを、一躍メジャー映画の大スターに押し上げた海賊シリーズの第3弾。 ワーナーマイカル・シネマズ板橋のレイトショーにて鑑賞。 『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』 評価:☆☆ 第1作『呪われた海賊たち』(私の評価:☆☆☆☆☆)は事前に期待していなかったこともあり、大変に面白かったが、シリーズが進むごとに、つまらなくなってくる。 第2弾の『デッドマンズ・チェスト』(私の評価:☆☆☆)は、たわいない内容(食人族の島でのあれこれや、水車を使っての三ツ巴の戦いなど)を、無駄に豪華に撮影しただけという気がしたが、それでもキャプテン・ジャック・スパロウという稀有のキャラクターを活かした話の展開ではあったので、それなりに楽しめた。 しかし本作では、シリーズの要とも言うべき、ジャックのたち振る舞いが話を引っ張っていくことがまったくない。海賊側で話を動かすのは、キーラ・ナイトレイ演じるエリザベス・スワンと、復活したバルボッサ船長だ。 ジャックは狂言回しにさえなっておらず、“死の国”からの脱出のときの閃きと、海賊王選びの投票を除けば、完全に居ても居なくてもよい存在でしかない。 これでは映画が面白くなるはずかない。(製作者もそれが分かっていたのか、ジャック・スパロウの分身を二人登場させて、その会話の妙で誤魔化そうとはしていたが、とても成功していたとは思えない) ジャックと東インド会社との取引も、ウィル・ターナーを同じように動かしてしまったがために、ほとんど意味がなくなってしまった。 また、エリザベスとウィルの結婚を司るのも、ジャックではなく、バルボッサだ。これでは、ジャックは浮かばれない。(良くも悪くも、バルボッサ船長を復活させたのが、映画的にはキャプテン・ジャック・スパロウにとって受難だったようだ) これらは、まさに脚本の失敗で、いわゆる海賊の(海の)自由な価値観と、東インド会社の経済的な価値観との戦いに話の主眼を設定した段階で、ジャックの居場所がなくなってしまった感じだ。 無駄に長く(2時間50分は長すぎだ)、さまざまな要素を整理して考えることなく、詰め込みすぎたことが問題だろう。 例えば、チョウ・ユンファの登場は楽しみの一つだったが、彼と誰かの戦いが描かれる訳でもなく、無様な途中退場では、わざわざ役柄をつくった意味がない。 シンガポールの造形は力が入っていたが、そもそも何故“世界の果て”の海図があり、それをチョウ・ユンファが持っていたのか。そこを描かないのであれば、女神カリプソたるティア・ダルマが海図を持っていたとする方が、よほど説得力がある(何せバルボッサ船長を死から蘇らせることができる力の持ち主なのだから)。 と考えると、エリザベスにキャプテン職を譲る以外に、チョウ・ユンファが存在する意味はまったくないことになる(エリザベスのキャプテン就任は別な形で可能だろう)。 細かいことでは、海賊の会議で、ブラックパール号の船長としては、ジャックかバルボッサかのいずれか一人にしか代表権がないように思うのだが(二人が同時に船長というのは、“死の国”から戻ってきた後なので、かつての海賊会議への参列は、いずれか一人だったはず)、その辺はどうなっていたのだろうか。 船を無くしても、他の海賊親分たちは、キャプテンと認めたままなのだろうか。過去の業績で判断? それともジャックは、海賊の“掟の番人”の息子ということで、特例なのだろうか。 そして、さらなる問題は、クライマックスの、海賊の連合VS東インド会社の艦隊。 ベケット卿率いる艦隊の大船団が霧の中から現れた瞬間は、どんなにかものすごい艦隊戦が繰り広げられるかと思いきや、単に大渦での、ブラックパール号とフライング・ダッチマン号との1対1の戦闘で終わってしまい、思いっきり肩透かし。 それはないだろう。ここが一大スペクタルシーンとして描かれていれば、キャプテン・ジャック・スパロウが不在であったとしても、海賊映画としては大成功だったはずなのに。 まぁ、その1対1の戦闘場面は、それなりに見所はなくはないが(戦いながら結婚式をあげるとか)、でもここぞというシーンはなかったな。 そしてこの後の、ベケット卿の旗艦エンデバー号VS海賊船2艦だが、これまた拍子抜け。 何でエンデバー号は単独でのこのこ出てきたのか、まったくわからない。自分の手で止めを刺すにしても、あれだけの大船団なら普通はもう数隻で勝負を挑むだろうに。 ただ見守るだけで何も(本当に何も)しなかった他の海賊の大親分たちが無邪気に喜んでいる姿が、長々と映し出されていたが、これも興醒めに拍車をかけるだけだった。 また、解き放たれた女神カリプソは、結局、大渦を作り出しただけなのだが(と思う)、その大渦に巻き込まれる(た)のが、たった2艦というのでは、あまり役にたっていない。 海賊たちは、その勝機を、相手の艦隊を大渦に巻き込んで、そこで決戦を挑むことと捉えていたように思うが、前述のように、ブラックパール号とフライング・ダッチマン号のみしか大渦に巻き込まれないのでは、何のために海賊たちは彼女を復活させたのか。 せめてCGで、海賊の船や、東インド会社艦隊の艦を描き入れて、疑似的にでも戦闘を描くことはできなかったのだろうか。予算は、他の映画では考えられないくらい潤沢にあったのだろうから。 と何やかんやで、個人的には全然面白くない作品だった。 もちろん映像的には見るべきシーンはあったとは思うし、役者としては、とりわけキーラ・ナイトレイの頑張りは凄かった(あとジェフリー・ラッシュの存在感)と思ったりするので、評価は☆二つにした。(期待?のキース・リチャーズは、ただのカメオ出演だった。まぁ事前にブラッカイマーもそう言っていたので、文句をつける謂われはないのだが) エリザベスとウィルの話は、この3部作で完結したので、次回作があるとすれば、キャプテン・ジャック・スパロウの新たな冒険になるはずだが、それを楽しみに待つことにしたい。 今度こそジャックが大活躍しますように。 なお小説で、少年時代のジャック・スパロウの冒険物語が刊行されているが(現在は第7巻の『黄金の都市』まで)、この『ワールド・エンド』よりはずっと面白いと思うので、興味のある人は手にとってみてはいかがだろうか(ロブ・キッド著、講談社)。『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』 PIRATES of the CARIBBEAN : AT WORLD'S END【製作年】2007年、アメリカ【提供】ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ【製作】ジェリー・ブラッカイマー【配給】ブエナ ビスタ インターナショナル(ジャパン)【監督】ゴア・ヴァービンスキー【脚本】テッド・エリオット、テリー・ロッシオ【撮影】ダリウス・ウォルスキー、ASC【音楽】ハンス・ジマー【出演】ジョニー・デップ、キーラ・ナイトレイ、オーランド・ブルーム、ジェフリー・ラッシュ、ビル・ナイ、チョウ・ユンファ、トム・ホランダー、ステラン・スカルスゲードル、ナオミ・ハリス ほか公式サイトhttp://www.disney.co.jp/pirates/ノベライズ本CD オリジナルサウンドトラックDVD『呪われた海賊たち』DVD『デッドマンズ・チェスト』書籍『ジャック・スパロウの冒険1』書籍『ジャック・スパロウの冒険2』
2007.06.10
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かつて『このミステリーがすごい!』の2000年版で、海外部門の1位を獲得した『極大射程』の映画化。主演は『PLANET OF THE APES 猿の惑星』『ミニミニ大作戦』のマーク・ウォールバーグ。 ワーナーマイカル・シネマズ板橋にて鑑賞。 『ザ・シューター/極大射程』 評価:☆☆☆ 評価はちょっと甘いかも。 個人的にはマーク・ウォールバーグは好きな俳優の一人で、『ビッグ・ヒット』以来の出演作(日本公開作)はだいたい見ていると思う。 その彼が、元海兵隊の敏腕スナイパーを演じるというので、少し楽しみにしていた作品だ。 結果は、可もなし不可もなし、といったところか。 たぶん一番の難点は、主人公が優男タイプという点も含めて、マット・デイモン主演『ボーン・アイデンティティ』とイメージが被ってしまうことか。 ただ比べると、『ボーン……』は主人公が自分の正体を探っていくミステリーとしてのサスペンス感や、後半のカーチェイスなどの見せ場があったのに対して、本作は、主人公を陥れた“敵”の正体を探る家庭が今ひとつだし、見せ場になるのではと思ったクライマックス場面の雪山が肩すかし状態、ラストでちょっと小気味いい大活劇はあったりするが、全体として見せ場に乏しい印象はぬぐえない(FBIの新米捜査官と二人で罠とわかっている所に乗り込んでいくあたりは、見所はあったが)。 まぁ銃器に詳しい人がみると、その辺は今までの映画にはないくらい、かなり丁寧に作り込んであるらしいので、面白く見ることができるのだろうが、関心がない私のような者にとっては、全体として歯切れの悪い感じはぬぐえなかった。 一番のウィークポイントは上述のように、クライマックスの雪山だろう。 周囲から標的にならないようにと、敵が位置どる中、主人公がどうやって「極大射程」を克服して、狙撃するのか、その辺の駆け引きが一番の見せ場なのでは、と予告編を見て勝手に想像していたら、あっさり凄腕でばしばしと倒してしまうし。 おまけに、捕まった後での密室ので会談のシーンがなんとも歯切れが悪い。 あと主人公の行動原理として、国家が“悪”を働くのには愛国心の名の元に疑問を感じないが、その国の中での悪事は見過ごせないというのは、正直、説得力がなかったのも残念。 山奥から出てくるのに、もっと違った理由付けが必要だったのではなかろうか。 細かいことでは、ボブ・リー・スワガーが倒した(殺した)兵士たちって、ただ上官に命令されただけで、本人たちは何も悪くないと思うのだが、その辺は気にしてはいけないのがお約束? まぁ、マーク・ウォールバーグのファンとしては、彼がアクションの中心というだけで嬉しかったりはするので、評価はとりあえず☆三つにした。 ちなみに原作は未読(本は持っているのだけれどね)なので、原作ファンが鑑賞した際にどういう感想をもつのかはよくわからない。 読んでみたいとは思いつつ、様々な本がツンドク状態なのでさて何時になることか。(あらすじは省略)『ザ・シューター/極大射程』 SHOOTER【製作年】2007年、日本【製作】バラマウント映画【配給】UIP【監督】アントワーン・フークア【原作】スティーヴン・ハンター『極大射程』(新潮文庫)【脚本】ジョナサン・レムキン【撮影】ピーター・メンジース・Jr【音楽】マーク・マンシーナ【出演】マーク・ウォールバーグ(ボブ・リー・スワガー)、マイケル・ペーニャ(FBIの新人捜査官:ニック・メンフィス)、ダニー・グローバー(ジョンソン大佐)、ケイト・マーラー(元相棒の妻:サラ・フェン)、ネッド・ビーティ(ミーチャム上院議員)、ローナ・ミトラ(FBI職員:アローデス・ガリンドー) ほか公式サイトhttp://www.shooter-movie.jp/DVD『ボーン・アイデンティティ』 原作本(上巻)原作本(下巻)「ボブ・リー・スワガー」シリーズ『ダーティホワイトボーイズ』『ブラックライト』上巻『ブラックライト』下巻『狩りのとき』上巻『狩りのとき』下巻
2007.06.09
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傑作『羊たちの沈黙』でアンソニー・ホプキンスが怪演したハンニバル・レクター博士の誕生譚。シリーズの原作者トマス・ハリス自ら脚本を書いている。 いわゆるロードショー公開で見損ねて、昔で言うところの二番館とも言うべき東京・銀座の銀座シネパトスにて鑑賞。 『ハンニバル・ライジング』 評価:☆☆ じつは、見るかどうかかなり迷って、そのためロードショー公開では見逃してしまった訳だが、結果は、まぁDVDでも良かったかな、というところ。 “ハンニバル”ものではない作品として作られていれば、そこそこの佳作になったのではないかとは思うが、“ハンニバル”シリーズの第一作としては違和感がありすぎ。 青年ハンニバルがギャスパー・ウリエルという点の違和感は脇に置く。 一番の問題は、ハンニバルが妹の復讐のために殺人を展開すること。『羊たちの沈黙』や『ハンニバル』から受ける博士の印象・造形からは、目的を持った復讐劇を行う人物像は、とても想像できない。 だから意表をついてよいという評価もあるかもしれないが、かなり奇をてらいすぎ。 もっとも、この後次々と続編が作製されて、人物像の変遷が描かれて、『羊たちの沈黙』でのハンニバル像に結びつくようになる可能性はあるかもしれないが、情動的な心根が変化するには、よほどのイベントを用意しなければならないだろう。 もう一つ、ハンニバルをハンニバルたらしめる人食嗜好――この理由が、結局わからないことが大きな難点だと思う。 子供時代にあのような経験をすれば、ふつうは逆に、人間の肉には拒絶反応を起こすようになるはずだ。それが反転するわけだから、よほどのきっかけ――本人の意思ではない、外からの強制的な働きかけ――が必要だろう。それがない。 復讐の一貫として(無理矢理に)食べたら予想外に美味しくて、というのもありだとは思うが、それであれば、最初の復讐(国境警備兵)の段階ですでに頬肉を食したらしいので、肝心のその場面を描くべきではなかったか。それを省略して、4人目(リーダー)の復讐の際に、ようやく頬に噛みつくシーンが描写されても、何の説得力も生じない。 また、復讐劇の話としては、一学生でしかないハンニバルVS人身売買の組織のリーダーと(多数の)手下、という図式になるが、観客にはハンニバルの将来の無事な姿が分かってしまっているので、リーダー側が先手をとりハンニバルが危機に陥るように見えても、なんら緊迫感やスリルを生み出す演出になりえていないのも、大きなマイナス。 話の展開で細かいことを言えば、最後の復讐対象者を、もったいぶってラストに登場させたにしては、私には意味なしにしか見えなかった。 何か隠された深い意味などがある(あった)のだろうか? 強いて言えば、単にヨーロッパからアメリカ大陸に渡るきっかけ、か。なんかすっきりしない。 せめて、“叔母”であるレディ・ムラサキとの関係描写が、もっと突っ込んで描かれていれば、それはそれで、ハンニバルの人格形成として面白い物語になったと思うが、そこも中途半端な感じだった。 最初の殺人の際に、レディ・ムラサキが事後にある手助けをするわけだが、その後の展開でそれがあっさりスルーされてしまったのは、もったいない。 そもそも、始めに映画ありきで企画がスタートし、それからトマス・ハリスが小説を執筆、ついで脚本も執筆、そして映画化という流れの本作。 もしかしたら鍵となるのは小説かもしれないが、まだ未読。ちらちらとページをめくった感じでは、なんとなく雰囲気が映画とは少し異なっているようで、小説を読むと意外にすっきりするのかもしれない。 なるべく早い内に目を通したいとは思うが、さていつになるか。 青年ハンニバルを演じたギャスパー・ウリエルは、確かに演技力的には悪くないが、「新しいハンニバル像を想像する」という製作者の試みは、上述のような脚本・演出の違和感もあって、成功しているとは言いがたい。(あと顔の外見はともかく身長が高すぎないか?) レディ・ムラサキを演じたコン・リーは、彼女のデビュー作『紅いコーリャン』から種々出演作を見てきているので(個人的には『きれいなおかあさん』が彼女のベスト)、どうしても日本人には思えず、その点もこの映画の違和感を覚える原因の一つであるが、これは仕方のないところか。 私も、たとえばイギリス人とフランス人、ドイツ人の区別がつくかと問われると、かなり厳しいのも事実なので。 と、いろいろと批判を書いたが、映像的には見所もあるし、役者陣の演技も悪くない。 先に記したように、“ハンニバル”シリーズから独立させて、ハードボイルド復讐劇として作られていれば、それなりの佳作になったのではないかと思うと、何かもったいなかったようで残念。 なお、“ハンニバル”ものは、本作を含めて5回映画になっているが、私の評価では『羊たちの沈黙』が☆五つ、『ハンニバル』が☆三つ(クラリスがジュリアン・ムーアというのに大きな引っ掛かりがあり)、『レッド・ドラゴン』ほ☆四つ(エドワード・ノートンが好演)、『刑事グラハム/凍りついた欲望』(DVDは『レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙』として発売)は☆二つ(こういう軽い?感じも悪くはないが、如何せん脚本が雑すぎ)、というところかな。(あらすじは省略)『ハンニバル・ライジング』 HANNIBAL RISING【製作年】2006年、イギリス、チェコ、フランス、イタリア【配給】東宝東和【監督】ピーター・ウェーバー【原作・脚本】トマス・ハリス【撮影】ベン・デイビス【音楽】アイラン・エシュリケ、梅林茂【出演】ギャスパー・ウリエル(ハンニバル・レクター)、コン・リー(レディ・ムラサキ)、ドミニク・ウェスト(ポピール警視)、リス・エヴァンス(逃亡兵のリーダー:グルータス)、スティーヴン・ウォルターズ(手下:ミルコ)、ケヴィン・マクキッド(手下・カフェの主人:コルナス)、リチャード・ブレイク(手下・国境兵:ドートリッヒ) ほか公式サイトhttp://www.hannibal-rising.jp/コン・リー出演作DVD『きれいなおかあさん』『紅いコーリャン』原作本(上巻)原作本(下巻)DVD『羊たちの沈黙』DVD『レッド・ドラゴン』DVD『ハンニバル』
2007.06.08
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ロストロポーヴィチという名前が(普通の)映画ファンの間でどのくらいの知名度を持つのか分からないが、クラシック音楽ファンにとっては、世界的なチェロ奏者であり、彼と並ぶのはパブロ・カザルスくらいであろう。指揮者としても活躍し、数々の名盤を残している。 今年(2007年)4月27日の逝去に際しては、マスコミで結構ニュースが流れたので、ご存知の方も多いかも知れない。 そのムスティスラフ・ロストロポーヴィチと、妻でソプラノ歌手のガリーナ・ヴィシネフスカヤの生涯を描き出すドキュメンタリー映画。 シアター・イメージ・フォーラムにて鑑賞。 『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』 評価:☆☆(映画ファンとして)、☆☆☆☆(クラシック音楽ファンとして) ロストロポーヴィチ氏については、EMI CLASSICSのサイトが詳しいのでご参照のこと。 映画は第1部と第2部に分かれているが、さほど意味がある感じではない(たぶん)。 映画は華やかなパーティ会場──モスクワのメトロポール・ホテルで、2005年5月15日に開催された金婚式の模様から始まる。若かりし日のヴィシネフスカヤが熱唱するチャイコフスキー「聞かないで」のモノクロ映像を挟んで、数十年の後を経てかなり肥えた彼女が、乾杯の音頭をとり、ロストロポーヴィチに熱い口づけをする。 昔の写真と映像のコラージュ。1969年からは反政府作家ソルジェニーツィンを自分の別荘に匿い、1974年には亡命を余儀なくされる。 カメラはモスクワでの彼らの住まい──近代の音楽博物館開館のための準備がなされている──に移り、ソクーロフ監督自身によるロストロポーヴィチへのインタビューと、妻へのインタビュー(別々)へと続いていく。 ロストロポーヴィチは、「世界には二種類の個性がある。演奏者と作曲家です」として、ショスタコービッチとプロコフィエフ、この二人の偉大な作曲家との関わりや、その他のロシアの作曲家について様々に語っていく。ヴィシネフスカヤは、ロストロポーヴィチと再婚する前にいた息子の、幼い死について悲痛に話す。 そして、ロストロポーヴィチが、スペイン女王から贈られたという手回しオルガンを奏でて、第1部は終わる。 第2部は、再び金婚式のパーティ会場へ。老夫婦を囲む、欧州王室の豪華な顔ぶれ。ロストロポーヴィチが(どこかのコンサート会場で)スペイン女王を引っ張っていって席に座らせるシーンが映されるが、女王に対してこんな振る舞いが出来るのは彼だけだ。 夫婦の生い立ちの写真が、コラージュ風に紹介される。 子育てに無関心な両親に見捨てられて、祖母に育てられたヴィシネフスカヤは、専門的な音楽教育を受ける機会もなく海軍将校と結婚、終戦後に個人レッスンを受け、25歳でコンクールを勝ち抜いてボリショイ歌劇場の舞台にたつ。 一方のロストロポーヴィチは、チェロ奏者の父とピアニストの母の間に生まれ、4歳で難解な曲を聴きわけ、モスクワ音楽院に進学して13歳でオーケストラと共演、音楽院を飛び級し、ショスタコーヴィッチに注目され、卒業後にはプロコフィエフに出会う。 二人の生い立ちは非常に対照的だ。しかし、「音楽に奇跡はない。二人とも他人に抜きん出ねばならなかった」 作曲家のペンデレツキがロストロポーヴィチに献呈した曲の、初演前のウィーン国立歌劇場でのリハーサル風景。指揮者は彼の弟子であり親友である小澤征爾。カメラは、ロストロポーヴィチと小澤征爾、ウィーンフィル、そしてベンデレツキの姿を次々と撮らえていく。それと併行して、モスクワのオペラ学校でのヴィシネフスカヤの個人授業の様子が映し出される。この部分が第2部の白眉だ。 再度、ヴィシネフスカヤのインタビュー。最近の音楽界について、イタリア声楽との違いについて。 パーティ会場の隅でひっそりと座る夫婦の娘たちを捉え、ロストロポーヴィチの指揮者姿を映し、彼のショスタコーヴィッチとプロフィエフに恋していたという話で映画は終わる。 クラシック音楽の一ファンとしては、ロストロポーヴィチの語る貴重な音楽観や、彼の非常にお茶目かつ無邪気な姿に接することができるなど、ふだんCDを聞いているだけでは捉えようもない様々な事象に溢れたこの映画は、大変に魅力的なものだ。 とくに、マーラーを絶賛していたショスタコービッチと、マーラーを“マラリア”と呼んで嫌っていたプロコフィエフとを対照的に語る場面は大変に印象的だった。 また、世界初公開される曲の、しかもこの曲の演奏がロストロポーヴィチにとって最後になるという、その貴重なリハーサル風景を十分に堪能できたのも、この映画の大きな収穫(あ、でもつまらない人には全くつまらなかったかもしれない)。 また、老夫婦の生い立ちが対照的であったように、晩年の二人の醸し出す雰囲気もまた見事に対照的だ。たいへんに気さくで人のよさそうな夫と、たいへんに厳しい目をして人との馴れ合いを拒否するような妻と。その辺を捉えたカメラも秀逸だと思う。 そして、この映画で語られる音楽の普遍性と、政治に抑圧された芸術家の魂は、多くの人を魅了するものでもあろう。 しかし、1本の映画としてみると、映像が過去・現在あちこちに飛び、構成が非常にわかりにくい。これは、ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤに興味がない人には(そういう人が映画を見るかどうかは別にして)苦痛以外の何ものでもないのではなかろうか。 また、冒頭でナレーションが語る「夫婦は別姓を貫いている」理由が明かされることもなく、また豪華な王族たちとどうのような交遊があったのかや、ソ連当局とどのような“戦い”があったのかに触れられることもない。 まぁこれらは直接、音楽には関係しないのかも知れないが、タイトルが「ロストロポーヴィチとヴィシネフスカヤ、人生の哀歌(Elegy of Life)」という作品であるならば、多少は触れられるべきところだろうと思う。(しかし邦題だが、長くなるので奥さんの名前を省くのは致し方ないとしても、「人生の祭典」というのは何だかなぁ) 欲を言えば、せっかく第2部のリハーサルシーンで小澤征爾が長々と映されるのだから、彼のインタビューなりコメントなりが一言くらいあっても良かったかなと思う(というのは、同じ日本人だからだろうか?)。 アレクサンドル・ソクーロフ監督は、全編ワンカットで撮った『エルミタージュ幻想』や、昭和天皇を主人公にした『太陽』など、非常にチャレンジングな作品を送り出し続ける人だが、作品の種類としては、ドキュメンタリーの方が圧倒的に多い。そのドキュメンタリー作品を、個人的には初めて見ることができたという意味でも良かったと思う。 ロストロポーヴィチの演奏については今さら私が述べるまでもなく、多くの好事家の方たちが語っているので、私の好きな演奏をいくつか末尾に挙げるだけにしておく。 最後に、偉大なるマエストロのご冥福を心よりお祈りする。『ロストロポーヴィチ 人生の祭典』Элегия Жизни. Ростропович. Вишневская.(ELEGY OF LIFE Rostropovich. Vishnevskaya.)【製作年】2006年、ロシア【提供・配給】デジタルサイト【監督・脚本】アレクサンドル・ソクーロフ【撮影】イゴール・ジェルジン、キリール・モショヴィチ、ミハイル・ゴルブコフ【音響監督】ウラジミール・ペルソフ公式サイトhttp://www.sokurov.jp/バッハ無伴奏チェロ組曲全曲ベートーヴェンチェロ・ソナタ全集ドヴォルザークチェロ協奏曲ショスタコーヴィチ交響曲第5番プロコフィエフ交響組曲「ロメオとジュリエット」より
2007.06.07
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『ミリオンダラー・ベイビー』『ボーイズ・ドント・クライ』で2度のアカデミー主演女優賞に輝くヒラリー・スワンクの主演による、ホラー or/and スリラー or/and ミステリー映画。 本当に久しぶりに池袋東急にて鑑賞。 『リーピング』 評価:☆☆ 旧約聖書に造詣が深かったりキリスト教の信者の方だとまた、映画の捉え方が違うかもしれない。 と予め断った上で、“十の災い”と聞いて、そういうのもあったなくらいにしか思い浮かばない私的には、あまり怖くもなく、どんでん返しも先読み出来てしまって、今ひとつな出来であった。 カエルが降ってきても、まぁビックリはするだろうが、何が災い・恐怖なのか、まったく分からなかったし(様々な要因が重なれば生物が大発生するのは、よくあることだ)、演出的にも観客を脅えさせるには迫力不足に感じた。 いや確かに映像自体は、結構迫力ある場面が多かったのは事実だが、宣伝にある「ホラー史上最強の“怪奇現象”」までいうと、ちょっと誇大広告くさいかな。 “十の災い”をホラー的に扱い、そこに少女の正体という謎とき要素をプラスした、というのがたぶんこの映画の特徴だと思うが、いずれも中途半端な気がする。 先にも書いたように、クライマックスの謎が明かされる場面は、ミステリー好きであればすぐに解ってしまうだろうし、ラストも途中で想像がついてしまって、サプライズがなかったのが残念。 まぁこれは受け手の問題かもしれないが、もう少し工夫が欲しかった。 何より一番残念なのは、せっかく、九死に一生を得て奇跡を信じていながら、その奇跡を確認するために科学的調査に従事するという、ベンという魅力的な人物を同僚・部下に設けたのに、その設定を活かしたドラマ作りになっていないということ。クライマックスは、もう一つベンに何かがあればまだしもだが……。 ベンを媒介に科学と宗教の相剋を、もっともっと突き詰めて描いてほしかったなぁ。 と、けなしてばかりいるのも何だが、主人公のヒラリー・スワンクは確かに上手い役者だとは思う。 ただ、如何せん、主人公は状況に押し流されるだけなので、演技力が発揮されていたとは言い難い。 ということで、私のようにできるだけホラー映画をスクリーンで見たいという人以外には、ちょっと薦めがたいところかな。【あらすじ】 大学教授のキャサリンは、かつて聖職者としてスーダンで布教活動をしていたとき、夫と娘が日照りの生け贄として惨殺されてしまい、信仰を捨てた。以来、奇跡とされる現象を科学的に解き明かす第一人者となった。 そんな彼女の元に、ヘイブンという町の教師ダグが訪れてきて、「川の水が血に変わった」現象を調べてほしいと依頼する。そして、一人の少女が町中に忌み嫌われていて、危険だという。 キャサリンは、相棒のベンとともにヘイブンに向い、“血の川”を調べはじめる。彼女が川岸で少女ローレンを見掛けたとき、突然、樹上から大量のカエルが降ってきた。その夜、ダグの家でバーベキューをすると、いきなりブヨと蛆が肉に大発生する……。 科学的には説明できないような現象が次々に起こる。これらは、旧約聖書に記された“十の災い”なのだろうか。町の人々の恐怖と疑惑は謎めいた少女ローレンに向けられるが、キャサリンには亡くした娘が少女に重なり、哀れな子どもにしか映らなかった。 そして、人々の怒りが爆発するが……。『リーピング』 THE REAPING【製作年】2006年、アメリカ【配給】ワーナー・ブラザース映画【製作】ジョエル・シルバー、ロバート・ゼメキス、ほか【監督】スティーブン・ホプキンス【原案】ブライアン・ラウソ【脚本】ケイリー・W・ヘイズ、チャド・ヘイズ【撮影】ピーター・レビィー、A.C.S.、A.S.C.【音楽】ジョン・フリッゼル【出演】ヒラリー・スワンク(キャサリン)、デイビッド・モリッシー(ダグ)、アイドリス・エルバ(ベン)、アナソフィア・ロブ(ローレン)、 スティーブン・レイ(コスティガン神父) ほか公式サイトhttp://wwws.warnerbros.co.jp/thereaping/
2007.06.06
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TOKIOの国分太一主演の、落語を題材にした、無器用な人たちの物語。原作は、今年『一瞬の風になれ』が本屋大賞を受賞して話題の佐藤多佳子。 東京・池袋のシネ・リーブル池袋にて公開5日目に鑑賞。 『しゃべれども しゃべれども』 評価:☆☆☆☆☆ 突っ込み所は結構あったので、評価はやや甘いかもしれないが、なかなか良かった。 原作者の佐藤多佳子女史は、雑誌『月刊MOE』の第10回童話大賞を「サマータイム」で受賞したときからのファンだったりする。 この左腕だけの少年ピアニストと友人姉弟の話は、非常に衝撃的だった。短いページ数の中に凝縮されているものは圧倒的で、単行本の帯のコピーは確か「童話は もう ここまできている」。雑誌の掲載号は大事にしまってある(ので、すぐには取り出せないのだが)。 ちなみに続編の『九月の雨』も傑作。 なお、今はなきMOE出版から出た単行本には「四季のピアニスト」というシリーズ名がついていた。 いずれも短い作品なので、この映画が気に入った人は是非読んでほしい(新潮文庫から刊行中)。 まえふりが長くなったが、なので佐藤多佳子女史が児童文学ではない、大人向け?に書いた『しゃべれども しゃべれども』が発売されたときは、すぐさま購入して読了、その作品世界に非常に感銘を受けた。 私もどちらかと言うと話すのが苦手なので、しゃべることにコンプレックスを抱えた主人公たちに強く共感し、繰り返し読んだ。 たた一点、弱いかなと思ったのは、中心となる落語について。 別に取り上げている噺が云々とか、書き方がどうのこうのではなく、落語はたぶん、文字にした瞬間にこぼれ落ちてしまうものが沢山あるのではないかということ。 落語の良さ・面白さは、“文字”で読むのではなく、“声”を聞き、身振りや雰囲気を肌で感じとるところにあると思う。目で見る文字を100万字費やしても、わずか数秒の声には敵わないことがあるのではないか。 もちろん逆の場合もあろうが、こと落語に関しては、たぶん 声>>>>>文字という図式が成り立つのではなかろうか。 と偉そうに思っていたが、この原作を読んだ時点での私の落語体験は、・亭生で聞いたことは一度もなく、・高峰秀子主演の映画『銀座カンカン娘』で五代目 古今亭志ん生を味わったこと、・それがきっかけで、志ん生の落語CDを何枚か聞いたことがある、というだけであった。 なので、まったくの落語素人だったわけだ。 その後、現在に至るまでに、立川志らく等の落語を何度か生で体験している。 とくに、一昨年から池袋の新文芸坐で定期的に開催されている、立川志らく師匠による「シネマ落語」には、欠かさず通っている。 そうした経験を重ねるに連れ、上記の「落語は文字ではなく声」(さらには生の体験)と益々感じるので、たぶん本質を外していないと(勝手に)思う。 その意味で(ようやく本題です)本作品が映画化されたことは、落語部分が“文字”ではなく“声”(と演技)になって体験できるので、発表があってから、ずっと楽しみにしていたものだ。 もちろん、映画化に対するちょっとした不安もあった。 ひとつは、主人公が大丈夫かという点。俳優に落語が演じられるのか、逆に落語家に演技させた場合は落語以外の場面が駄目になってしまうのではないか。 2点目は、原作通りだと時間が足りなく、話が走り過ぎなければ良いな、ということ。 結果はまったくの杞憂だった。 主人公の国分太一はみな素晴らしく、脚本も原作を損なうことなく、うまくまとめていた。もちろん、落語を聞き慣れた“プロ”の方からは、あれこれ不満もあるだろうが。 主人公の会話教室?に弟子入りする人数は原作よりも1人絞られていて、口べたなヒロインの香里奈、関西弁でいじめられる小学生の森永悠希、口べたな野球解説者の松重豊の3人。 この改変は映画の尺を考えれば正解だろう。 改変ということでは、原作では吉祥寺が舞台であったのを、下町に変更したのもvery good。随所に移される東京の町並みは、21世紀の東京都は思えないような感じで、江戸から連綿と続いている下町の香りが画面に匂い立つような映像で、良かった。 その流れで、ラストの隅田川の水上バスでのシーンは、原作にはないものだが、これはこれで映画の締めとしては悪くはない(好みの問題はあるが)。 役者の中では、まずは小学生の噺家?を演じた森永悠希が上手い。彼の話す「まんじゅうこわい」の関西バージョンは、すでにオーディションには暗記して臨んだというだけあって、非常に面白かった。将来が楽しみな逸材。 香里奈も、『深呼吸の必要』以来、久々によかったように思う(ひたすら“怖い顔”な訳だが)。浴衣姿とラストの笑顔が印象的。 松重豊も独特の持ち味を十分に活かす役柄だったし、主人公が密かに惚れている占部房子も日常感あふれる好演。 そして主人公の国分太一。 最初に配役を聞いたときはかなり不安だったが、予告編を見て一安心。 実際に映画を鑑賞すると、結構すごいの一言に尽きる。真面目で一本気な青年落語家を、なりきって演じている姿は、そのまんま私のイメージ通りの三つ葉だった。 白眉はやはりクライマックスで演じた「火焔太鼓」だろう。生の落語を上述以外はほとんど聞いていないが、たぶん下手な二つ目さんよりはマシなのではなかろうか。 DVD発売時には全編を通して収録して欲しいなぁ。 落語の語りとしては、伊東四朗演じる師匠の「火焔太鼓」も独特の味わいを生みだしていて素晴らしかったが、この映画で話される落語の中での一番は、祖母役の八千草薫が庭掃きしながら口にする「まんじゅうこわい」ではなかろうか。さすがに件の名女優、恐るべし。【あちゃー、映画の筋に関係する話を述べる字数がない……】 落語を落語として取り入れた映画は、ありそうで実はあまりないが(『幕末太陽傳』などの傑作はあるが、落語そのものが語られるわけではない。昨年の『寝ずの番』も落語の師匠が亡くなって……という話だが、落語そのものは極短いシーンを除いて演じられていない)、落語映画の傑作として後世に残る作品なのではなかろうか。『しゃべれども しゃべれども』【製作年】2007年、日本【配給】アスミック・エース【監督】平山秀幸【原作】佐藤多佳子【脚本】奥寺佐渡子【撮影】藤澤順一(JSC)【音楽】安川午朗【主題歌】ゆず「明日天気になれ」【落語監修・指導】柳家三三、古今亭菊志ん【出演】国分太一(今昔亭三つ葉:外山達也)、香里奈(十河五月)、森永悠希(少年:村林優)、松重豊(元プロ野球選手:湯河原太一)、八千草薫(三つ葉の祖母:外山春子)、伊東四朗(今昔亭古三文)、占部房子(村林の叔母:実川郁子)、建蔵(三つ葉の兄弟子:今昔亭六文)、日向とめ吉(三つ葉の弟弟子:今昔亭三角) ほか公式サイトhttp://www.shaberedomo.com/佐藤多佳子 著『サマータイム』佐藤多佳子 著『一瞬の風になれ』3巻セットDVD『銀座カンカン娘』原作本コミックス版サウンドトラックCDシングル『国分太一のしゃべれどもしゃべれども』
2007.06.05
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【注意】ラストのネタを記していますので、ご注意ください。 メル・ギブソンは、この頃では俳優というよりは、すっかり監督業が板についた感じであるが、その彼の監督最新作。 マヤ文明後期の中央アメリカのジャングルを舞台にしたアクション映画で、全編マヤ語で語られる、一味変わったアクション(たぶん)映画。 一足先に試写会(半蔵門駅近くの東宝東和試写室)にて鑑賞。 『アポカリプト』 評価:(ラスト直前まで)☆☆☆☆☆ (ラストを含めた全体)☆☆ 配給会社の試写室で公開前に映画を鑑賞させていただくのは、これが2回目(前回はGAGA提供で『バベル』→すみません、こちらの感想はまだ書いてません)。ゆったりした座席に音響もよく、何より一般試写会のように座席確保に苦労することがないのがよい。 まずは招いていただいた関係者の方々に感謝感謝。【愚痴】だけど、基本的に自分の金で年間数百本の映画を見ている身としては、評論家の多くが自腹(1800円)を切ることもなく、優遇された待遇で鑑賞して、〔提灯持ち〕記事を垂れながしているのかと思うと、何か腹立たしく感じたのも確か。って、ここで述べるべきことではないか。 ただ、この映画は、雄大なジャングルをたっぷりと味わうためにも、できるだけ大スクリーン(の映画館)で鑑賞した方がよい作品だろう。私も劇場公開されたら、もう一度観にいくつもり。 この映画で描写されたマヤ文明の正しさ(というのかな)については、正直よく分からない。まぁハリウッド映画で日本がどのように描かれているのかを見れば、何となく想像はできるが、判断材料はないので、とりあえずは保留にせざるを得ないが、本作のように残酷描写が多い場合は、その点は厳密に検証しないといけないとは思う(ただ何故メル・ギブソンがこのような描写をしたのかについては、たぶん下記に私が書いた感想で正しいと思ってはいる)。 タイミング良く、今年(2007年)の7月14日(土)から東京・上野の国立科学博物館にて、「インカ・マヤ・アステカ文明展」が開催される(~9/24まで)ので、この特別展を観覧後に、もう一度映画鑑賞したいとは思う(上映されていれば)。【あらすじ】 若き狩人ジャガー・パウが、部族長の父フリント・スカイや親友のブランテッドらと大きな獲物を仕留めて戻った翌日早朝、村はホルケインの戦士たち――マヤ帝国の傭兵に襲撃・焼き射ちにされた。パウは何とか臨月の妻サラと息子タートル・ランを涸れ井戸に隠すと果敢に抵抗するが、父を目の前で惨殺され、仲間たちとともにジャングルから連れ去られてしまう。 河を渡り山を越えて、一行はやがて大きな都市にたどり着いた。そこで女たちは奴隷として売買され、男たちはピラミッドの神殿で行われている、干ばつを鎮めるための生け贄の儀式に供される。そしていよいよパウの順番が来たとき、皆着既日食が起こり、神の御業と信じる神官らによって儀式は中止となった。 が、生き残ったパウや仲間たちは、競技場で傭兵たちの人間狩りゲームの標的になってしまう。背後から飛んでくる無数の矢と槍をかわして必至に走るジャガー・パウ。脇腹に矢を受けるものの、瀕死のブランテッドの助けもあり、傭兵のスネーク・インクを倒してジャングルに逃げ込み、一路、故郷の村を目指す。涸れ井戸の妻子を助けるために。一方、息子であるスネーク・インクを殺された傭兵の隊長ゼロ・ウルフは、小隊を率いて彼を追いかける。 こうして、ジャングルを舞台にした過酷なサバイバル・ゲームが始まった……。 まずは、冒頭の狩りのシーンから、むせかえるようなジャングルの自然──木の香りや様々な音が圧倒的に迫ってくるようだ。実際には匂いも音もある訳がないのだが、それをまざまざと脳裏に思い浮かべさせる映像の迫力は、ただものではない。 そして、ほぼ全員が映画初出演というネイティブ・アメリカンの登場人物たちが、そのジャングルを縦横無尽に駆け回っている姿に、あっという間に、かつてのマヤ文明のあった時代に引き戻されるようだ。 この彼らの演技が、これまた凄い。最近のCGで作られたアクションではなく、本物の躍動する肉体が繰り広げる様々なアクション──滝に飛び込み、ジャガーに追いかけられ、泥沼に落ち、木に登り、木々の間を駆けめぐる──は、非常に魅力的だ。滝に飛び込むシーンなども、役者自身が演じているという。 映像の凄さは、ジャングルのシーンだけでなく、再現された村のシーンもそうだし、河の渡ったり危険な河岸の崖を歩く場面、そしてマヤ・シティ──ピラミッドが建ち並ぶ街の姿など、すべてが言葉を絶するような見事な出来映えだった。 「いまだかつて誰も見たことのないビジュアル」というのは、確かにその通りで、大いに成功していると思うし、話の展開などはさておいても、この映像を見るためだけでも映画館に足を運んだ方がよいだろう。 ストーリー的には、まずは人々の過酷な暮らし──始めは人間対自然、そして中盤は傭兵対部落の住人、都市の住人の圧政などを、これでもかというくらいに丹念にリアルに描き出していく(はじめ、遠くのピラミッドの頂上から、ごろごろと落ちていくものが人間の首だとは思わなかった)。 過酷と言えば、主人公の妻の出産シーンは、今までで見た映画の中でこれ以上はないという悲惨な状況で、子どもを産み落とすことになる。(これと同じくらい過酷なのは、私が思い浮かぶ中では、『ジャスミンの花開く』の中で、チャン・ツィイーが豪雨の中、橋の欄干で出産するシーンくらいだろうか) 細かい突っ込みを言えば、天文学的に日食と満月は同じ日(の前後)には起こらないとか、ジャガーはあんなに速く走らないのではとか、ご都合主義的な部分も目には付いたが、それを上回っていろいろと感動した部分はたくさんあり、これは稀に見る大傑作だ、と思っていたのだが……、ラストシーンを見て、一気に興奮が醒めてしまった。(以下、ネタバレあり) たぶん、これは人によって感じ方が大きく異なるとは思う。 たぶん、一部(多く?)の人には、ラストが感動的なのかも知れない。 そして、このラストこそ、たぶんメル・ギブソン監督が一番にいたかったことに違いない。それは、監督の前作が『パッション』で有ることに思い至れば明々白々だろう。 しかし、私は、単なる言い訳映画のように思えてしまって仕方なかった。(以下、本当にネタバレします) ラストは、主人公と生き残った追っ手二人が海岸にたどりつく。そこで彼らが見たのは、沖には船が停泊しており、侵略者たち──スペイン人たちと神父がボートでやってくる姿だった、というものだ。(その後、茫然自失の追っ手を残して、主人公が妻と子どもを助けるシーンがあるが) このラストを見たとき、とくにボートで神父の姿が大写しになったとき、ああ、これはキリスト教の言い訳映画だったのかと、私は一気に醒めてしまった。 もちろん、「キリスト教」と一言でまとめてしまうのは、さまざまな宗派の方々に大変失礼であることは承知しているつもりであるので、失礼があったならばお許し願いたい。 しかし、マヤ文明が、確かに文明自身に自滅に至るさまざまな要因を抱えていたとしても、直接的に滅亡の引き金を引いたのは、スペイン人とキリスト教(と住人には未知の感染症)の侵略である。 それを、映画で散々、傭兵と都市の人間の残虐さを描いていたのは、彼ら自身が招いたものであり、そこにキリスト教が救いとして現れた、冒頭の「文明は外から崩されるのでなく、内部から崩壊する」というフレーズも、キリスト教が滅ぼしたのではない、ということが言いたかったのかと思ったら、キリスト教に縁もゆかりもない私には、映画全体が単なるキリスト教の正当化映画、“言い訳映画”にしか思えなくなってしまった。 たぶんラストに感動する人は(結構)いるのだと思うし、それ自体を否定するつもりはない。 ただ私の評価としては、全体としては☆三つがいいところだ。 ということで、マヤ時代を描いた、「いまだ見たことのない」映像を見せてくれる映画として、本作は大変にお薦めではあるし、見て損は絶対にないが、ラストの解釈は人それぞれなので、映画全体の出来・評価も人それぞれだろうか。『アポカリプト』 APOCALYPTO【製作年】2006年、アメリカ【配給】東宝東和株式会社【監督・製作】メル・ギブソン【脚本】メル・ギブソン、ファラド・サフィニア【撮影】ディーン・セムラー ASC,ACS.【音楽】ジェームズ・ホーナー【出演】ルディ・ヤングブラッド(ジャガー・パウ)、ダリア・ヘルナンデス(パウの妻:セブン)、ジョナサン・ブリューワー(パウの太った友人:ブランテッド)、モリス・バード(パウの父)、ヒラム・ソト(狩りで出会ったフィッシュ・ハンター)、ラオウル・トルヒーヨ(ホルケインの戦士のリーダー:ゼロ・ウルフ)、フェルナンド・ヘルナンデス・ぺレス(高僧) ほか公式サイトhttp://www.apocalypto.jp/
2007.06.04
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三波春夫のデビュー曲にして大ヒット曲の『チャンチキおけさ』をモチーフにした歌謡映画で、三波春夫本人も重要な役で出演している。 ラピュタ阿佐ヶ谷で開催中の「添えもの映画百花綾乱 SPパラダイス」での上映を鑑賞。併映はザ・ピーナッツのデビュー映画『可愛い花』。 『チャンチキおけさ』 評価:☆☆ 昭和歌謡界の大御所(だったと思う)、三波春夫は、この映画の公開された前年1957年に、それまでの浪曲界を離れて、歌手としてデビューする。デビュー・シングルのA面が「チャンチキおけさ」で、当時としては220万枚の大ヒット。 翌1958年は、日活が歌謡映画を量産しはじめた年で、そういうタイミングで作られたのが本作。 「歌をモチーフに」と書いたが、まず主人公は“おけさ節”の本家、新潟の佐渡出身。映画の締め括りも、おけさ踊りだ。 歌詞1番の♪知らぬ同士が 小皿叩いて♪のフレーズは、まさに三波春夫の登場シーン。屋台とも見間違うような小さな飲み屋に、二谷英明扮する主人公の兄が立ち寄ったとき、小皿を叩きながら「チャンチキおけさ」を歌っていたのが、新顔の客、三波春夫扮する春さんだ。 また2番の、恋人の娘を一人置いてきて、母親は達者かというのは、主人公の設定そのもの。ただ、主人公は恋人と母親を心配している様子ではないが。 3番の、大きな夢を抱えて故郷(くに)を出て(上京して)きたが溜め息、というのも、佐渡から出てきた主人公が、結局東京で華を拓くことが出来ずに、帰ってゆくという話の流れそのものだ。 とはいえ、歌詞そのものは暗いながら、三波春夫が歌うとどこか明るい調子をおびてしまうのだが(それがこの唄の魅力でもある)、その明るい雰囲気が映画のストーリー展開のイメージと微妙にずれているのが(後半は、やくざの密輸品をめぐる話だし)、作品評価としてちょっと辛いところか。 また、三波春夫が、途中のやくざの組に入ったと告げる場面や、ラストの正体が判明するシーンで、彼のニコニコ顔がかなり“浮いて”しまっているのも、厳しい感じがしてしまう(本人が悪い訳ではないが)。 演技的にもやや難ありだが、これはもともと俳優ではないのだから、要求すること自体が間違っているだろう(その辺、同じ歌謡界の大御所だった美空ひばりが、役者としても才能を発揮したのとと大きく違うところか)。 話は、佐渡で家業の漁師が嫌な主人公が、一華咲かせたく上京するが、就職もままならず、憧れていた次兄にも失望して、やくざの手伝いをするようになり、結局夢破れて佐渡に戻る、というもの。 あっ、こうまとめてみると、当時の上京者の大半が映画の主人公と同じような立場にあったと思うが、鑑賞中は違和感のあった三波春夫の唄の明るさは、彼らが抱いていた一筋の希望として、意味のあったものなのかもしれない。 監督の小杉勇は、戦前は俳優として、『限りなき前進』や『真実一路』、『路傍の石』、『土と兵隊』、『王将』など数々の傑作に出演、戦後は監督に転業して、おもにテレビで「刑事物語シリーズ」「機動捜査班シリーズ」などを残している。 脚本の池田一朗は、後に『影武者徳川家康』などの傑作時代小説を著す隆慶一郎。 映画の冒頭とラストは佐渡ロケが実施されたようで、添えもの的なプログラム・ピクチャーでありながら、結構お金をかけている様は、映画全盛時代の底力を感じさせる。 また隅田川からみた周辺(浅草の松屋デパートのでかでかとした有り様とか)や競艇場など、当時の東京の一断面を切り取っているという意味で、「銀幕の東京」ファンは楽しめる作品かもしれない。 出来としては可もなし不可もなしという感じだが、往時を知る意味では悪くないかとは思う。もちろん三波春夫ファンは必見だろう(ってかなら年齢層は上の方になりますが)。【あらすじ】(ネタバレあり) 新潟・佐渡。漁師一家の三男・田所三郎(沢本忠雄)は、長男・源一(長尾敏之助)から始終 小言をくらうのに嫌気がさし、都会への憧れが募るばかり。ある日、兄と喧嘩して、心配する母親・ふさ(紅沢葉子)と恋人・千枝(香月美奈子)を残し、家を飛び出して上京してしまう。 東京には、元競艇の選手で、現在は遊覧船を運転しているという次男の太平(二谷英明)がいたが、実際は水上バスの運転手であった。仕事帰りに、行きつけの飲み屋に太平が顔を出すと、新顔の春さん(三波春夫)が良い調子で「チャンチキおけさ」を歌っていた。その晩、上京した三郎は、憧れの東京で競艇選手になって良い暮しをしたいと言うが、地道な生活を進める太平。 翌日、三郎は競艇場に行ってみると、客から太平が以前に八百長レースをやったとの噂を耳にして喧嘩になってします。太平は弟の就職先を探すが、なかなか見つからない。水上バスなどで何かを顔を合わせる春さんにも相談するが、春さんは長谷部組の盃を貰ったという。一方、三郎は、ダフ屋稼業に勤しむチンピラの金公(近江大介)の喧嘩を助け、一緒にキャバレーへ飲みに行く。そこには、長谷部組の組長・長谷部(長弘)が、ダンサー・野見京子(横山美代子)と酒を飲んでいた。野見は、太平の元恋人。子分の森(青木富夫)から、三郎が太平の弟で船の操縦ができることを聞いた長谷部は、三郎を子分にする。 太平は三郎の就職先として石川島の修理工を決めてくるが、飲み屋で春さんから、三郎が長谷部組の子分になったことを聞いて愕然とする。慌てて帰宅した太平は三郎を諫めるが、三郎は八百長をしたではないかと詰って、アパートを出てしまった。三郎は野見のマンションへ行き、勢いで彼女をベッドに押し倒すが、「私は長谷部の女」との一言に黙って逃げ出してしまう。 長谷部は密輸を行っていた。その船の操縦を三郎に任せるのだった。弟を追いかけてきた太平は、野見に久しぶりに再会する。そして、長谷部に八百長を強要されたが、嫌で手が震えてボートを転覆させてしまったと打ち明ける。野見から三郎が長谷部の密輸を手伝っていると聞いた太平は、モーターボートで追いかけて、船上で格闘になるが、多勢に無勢、三郎とともに捕まってしまう。倉庫に監禁され、海に沈められようとする二人。しかし、そこに現れた警官隊に救助されるのであった。警官隊の中には春さんこと三杉刑事がいた。三杉は長谷部組を内偵する潜入捜査官だった。 三郎は佐渡に帰る。そそて、地元の祭りで千枝と楽しそうにおけさを踊る。 東京では、飲み屋で背広姿の三杉刑事が、皆と一緒にお別れの「チャンチキおけさ」を歌う。隣には太平がいたが、歌の途中で席を立つと、一人寂しく帰って行くのであった。『チャンチキおけさ』【製作年】1958年、日本【製作・配給】日活【監督】小杉勇【脚本】池田一朗、小川英【撮影】柿田勇【音楽】小杉太一郎【出演】沢本忠雄(田所三郎)、二谷英明(三郎の次兄:田所太平)、香月美奈子(三郎の恋人:千枝)、三波春夫(春さん、三杉)、堀恭子(飲み屋の娘:町子)、横山美代子(キャバレーのダンサー:野見京子)、近江大介(町のチンピラのダフ屋:金公)、長弘(長谷部組組長:長谷部雄三)、青木富夫(長谷部組の代貸)、長尾敏之助(三郎の長兄:田所源一)、佐久間玲子(源一の妻:田所春江)、紅沢葉子(三郎の母親)、河上信夫(飲み屋の主、町子の父) ほかCD『チャンチキおけさ』CD『三波春夫ベストコレクション』自著『歌藝の天地』北原照久『昭和アンソロジー』-日本を元気にした歌-
2007.06.03
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ザ・ピーナッツといって、今の若い人にどの程度通じるか分からないが、かつて一世を風靡した、歌唱力抜群の双子の女性デュエット。 そのザ・ピーナッツが初めて主演した歌謡青春映画。 ラピュタ阿佐ヶ谷で開催中の「添えもの映画百花綾乱 SPパラダイス」での上映を鑑賞。併映は『チャンチキおけさ』。 『可愛い花』 評価:☆☆☆ 世代的にザ・ピーナッツというと、イコール、1961年公開の映画『モスラ』に登場したインファント島の小美人(あの♪モスラーーや、モスラー♪を歌っていた双子)だったりする(と言っても、実際は私が生まれるよりも以前の公開で、幼い頃に何度となく『モスラ』はテレビで放映されていたのを見たのだが)。 その2年前の1959年、彼女らがデビューした年に、本格的に映画出演したのが本作である。 映画タイトルの『可愛い花』は、ザ・ピーナッツのデビュー・レコードのタイトルでもある(レコードという言葉は今では死語?)。 産まれてすぐに離ればなれになっていた双子の姉妹が再会し、デュエットとして華々しく世に出ていくまでを描いた軽いタッチの歌謡映画。 レコード会社のディレクターに岡田真澄が扮し、またライバル会社の人気歌手を平尾昌章が演じていて、その喉を聴かせてくれる。 深みやドラマチックな展開がある訳ではないが、こういう“歌手”を歌手としてきちんと使った話は、個人的には結構好きだったりする。 併映の『チャンチキおけさ』で、出演の三波春夫と歌が映画の中では完全に“浮いて”いたのとは対照的だ。 そして、50分という短い時間の中で、ディレクターとその妻である興信所の調査員との、倦怠期?にある夫婦が絆を取り戻す話が、全体を貫くもう一つの糸として織り込まれていて、これが単なる歌謡映画を味のあるものにしている(ラストを見ると、こちらが話の本筋のような感じだ)。 まぁ展開そのものはご都合主義以外の何者でもないが(とくに投資云々あたり)、この夫婦の姿が、双子姉妹の両親とダブってくるあたりの展開は、なかなかに効果的だ。 もっとも演技的には、主演のザ・ピーナッツの二人は、セリフが棒読みだったり、ちょっと厳しい感は強い。 しかし、映画中で聴かせてくれる数曲の歌は(当たり前だが)さすが絶品ものだ。 私が知る限りでは、日本の女性デュエットの中で、彼女たちを越える歌唱力のコンビは、その後、出てきていないのではないか。 確かにレコーディング技術の発達で、(それらしく)聴かせてくれるデュエットは数々あるが、お腹の底に響く歌声とハーモニー、そして歌謡曲から民謡まで歌の種類の広さでは、ザ・ピーナッツがピカ一だろう。(と思うのは、単に自分が“おじさん”だからかもしれない……) その歌声を楽しめるだけでも、この映画の価値はあるであろう。 主演二人の演技がおぼつかない分、まわりが好演していたように思う。 彼女らを形の上では見出したことになるディレクターに扮した岡田真澄は、デビュー4年目で、まださほど演技力がある感じではないが、ちょっとドジでまぬけな役がらを軽妙に演じていて、なかなかによい。 ある意味、クライマックスでおいしいところを持っていく平尾昌章は、出番が多い訳ではないが、歌唱を披露することとあいまって、味わいのある演技をみせる。 双子の父と母に扮した松下達夫と相馬千恵子は、互いに頑固で意地っぱりな両親を巧みに演じていて、姉妹をうまくサポートしていた。 なお、映画の中に出てくるテレビ番組「ザ・ヒットパレード」は、実際にフジテレビで放映されていた番組で、この1959年からザ・ピーナッツはレギュラー出演している。 言ってみれば、ザ・ピーナッツを売り出すためのたわいない映画ではあるが、昭和30~40年代に、日活ほかの映画会社が数々つくった中篇の歌謡映画――ヒット曲をモチーフに、歌手本人が出演した――の中では、ザ・ピーナッツの魅力と心の離れかけた夫婦が絆を取り戻す話とをバランスよくまとめた、ちょっとした佳作ではなかろうか。【あらすじ】(ネタバレあり) 化粧品会社の社長・荒谷しずえは、娘・ユミがテレビ番組のCMソングを歌っているのをみて、烈火のごとく怒るが、その頃、当のユミは家出していた。しずえは、興信所の腕利き調査員・岡本ミヤを雇って娘の居所を探させる。 一方、ミサイル・レコードの社長・銭山は、ライバル会社の看板歌手・平田昌彦のリサイタルに顔を出すが、その平田から、かつて銭山の会社のディレクター・岡本信一を訪ねた際に、岡本がラジオの株式情報に夢中で、ろくに歌を聞いて貰えず追い返された経験があったからこそ現在の自分がある、との話を聞かされた。慌てて会社に戻った銭山は岡本に、新たなヒット歌手を見出さなければ馘だと言い渡す。 折しも、かつての流行歌手の竹下が、娘・エミの歌を聞いてほしいと岡本を訪ねてきたが、エミの歌は彼の胸には響かなかった。そこに岡本の妻でもあるミヤが、ユミを探しにやってくるが、当のユミ自身も、歌を聞いてもらいたいと飛込んできて、ばったりエミと対面することになった。 同じ顔をした二人に竹下は、実は二人は双子の姉妹で、妻との離婚とともに、一人ずつ引き取ったと打ち明ける。しずえがユミが歌手になることに反対なのは、別れた夫が、売れなくなっても歌手にしがみついて苦労したことが原因だった。 その夜、しずえがミヤを相手に甲斐性のない夫・男性はダメだ、自分を頼ればよいのにと愚痴ると、夫の岡本よりも稼ぎのよいミヤは、それに激しく同調する。一方、竹下も岡本を相手に、女房が何だと気勢をあげ、それに激しく共感した岡本はミヤと離れて暮らすことにした。 岡本のところで再会したエミとユミは、互いに入れ替わって、父と母に甘えることにした。が、いずれも頑固に相手を批判するだけの両親の姿に、エミとユミは入れ替わっていることを明かし、仲直りしなければ自分たちだけで暮らしていくと訴える。 その娘の姿に反省した竹下としずえは、よりを戻し、歌手になりたいという娘たちの希望を叶えるために、改めて岡本のもとを訪ね、歌を聞いてほしいと頼みこむ。どちらが先に歌うかで譲りあったエミとユミは、たまたま一緒に歌うことになった。いつものように岡本は、一旦はラジオの株式番組をきき始めるが、二人のデュエットの素晴らしさにラジオを切り、その歌声に聞き惚れるのであった。 たまたま、その場に同席していた平田は、慌て自社に戻った。社長に凄い新人がいるので是非契約をと話し、手数料の受け取りの条件を取りつけると、再びエミとユミの歌っているミサイル・レコードに引き返してきた。そして、竹下としずえを密かに呼び出し、契約書に判を押させてしまった。 歌のテストが終わり、銭山が(二人が未成年のために)両親と契約を取り交そうとするが、後の祭り、エミとユミはライバル会社の専属になっていた。岡本は馘になる。 その夜、平田とミヤは、岡本がミヤの元に戻るために会社を馘になるようにしたと打ち明け、平田が受け取った手数料を全額手渡すが、岡本はその金を手に姿を消してしまう。 エミとミヤのコンビはザ・ピーナッツと名付けられ、レコードにテレビにと華々しいデビューを果たした。そして、デビュー・リサイタルが開催されることになった。会場に着いたミヤの前に、スポーツカーで颯爽と乗りつけたのは岡本であった。彼は受け取った金を元に、好きであった株式投資を始め、巨額の財産を築いていた。ザ・ピーナッツの歌を聞きながら、岡本とミヤは厚く手を握りあうのであった。『可愛い花』【製作年】1959年、日本【製作・配給】日活【監督】井田探【脚本】高橋二三【撮影】柿田勇【音楽】中村八大【出演】伊藤エミ(エミ)、伊藤ユミ(ユミ)、岡田真澄(岡本信一)、白木マリ(岡本ミヤ)、平尾昌章(平田昌彦)、松下達夫(エミとユミの父:竹下)、相馬千恵子(エミとユミの母:しずえ)、深見泰三(ミサイル・レコード社長:銭山)、堀恭子(銭山の愛人:ミドリ) ほかCD『ザ・ピーナッツベストセレクション』CD-BOX『ザ・ピーナッツ全集』CD『可愛い花』DVD『モスラ』
2007.06.02
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東宝映画史上、一番の美女、と私が勝手に思っている白川由美が主演した、コミカルな探偵もの。 ラピュタ阿佐ヶ谷で開催中の「添えもの映画百花綾乱 SPパラダイス」での上映を鑑賞。併映は淡路恵子と三木のり平主演の『月と接吻』。 『女探偵物語 女性SOS』 評価:☆☆☆☆ 白川由美扮する美人探偵が、プレイボーイの魔の手から社長令嬢を救うために奮闘するという話。 内容的には、まぁ☆二つという感じだが、なかなか主演作品の少なかった白川由美が、全編にわたって活躍しているというだけで、個人的には大満足だったので、評価は甘く☆四つ。 それにしても白川由美は、やはりめちゃくちゃ綺麗だ。 探偵役が様になっていたかと言えばかなり疑問もあるが、彼女の凛としたたたずまいは、最近の女優ではまず拝めないものだろう(それが良いか悪いかは別にしても)。 彼女が土屋嘉男扮するプレイボーイと同室して襲われかけるシーンでは、佐原健二扮する同僚の気持ちが非常によくわかるほど、ドキドキしてしまった。 全体としてユーモラスな作りだが、さすがに白川由美にコメディエンヌはさせられなかったのであろう、コミカルな部分を担ったのが(『ウルトラQ』の)佐原健二と、その他の脇役の人々。 とくに彼がホテルの一室で、一人で踊っている姿は、何気におかしかった。 佐原健二=特撮映画というレッテルが貼られているようにも思うが、シリアスな役も、こういうちょっとユーモラスな役所もぴたっと決まるあたりは、さすがだと思う。 そういえば、2年前の2005年に、池袋の新文芸坐が「戦後60年」として組んだ特集の一つに、「監督・黒澤明」「女優・美空ひばり」と並んで「俳優・佐原健二」があったことを思い出した。まぁさすがに前二者と違ってオールナイトのみだったが。 どこかで、白川由美特集と、佐原健二特集は開かれないものだろうか。 まぁ映画自体は大したことのない作品だが、白川由美を観るべき作品としてはお薦め、かな。【あらすじ】(ネタバレあり) 帝国秘密探偵社の小川信江は、某会社の令嬢・西条みどりがスキー場で知り合い恋人にしたという岩田洋一郎の素行調査を、みどりの母・綾子に依頼される。 信江は、洋一郎の勤務先などを訪れて話を聞くが、彼は粗野で評判はよくなかった。大学の構内で、やはり洋一郎の調査していた興信所員に出会い、情報を交換しようといわれるが、信江は洋一郎の許婚者だと誤魔化してしまう。 同僚の木下とレストランで食事をしていた信江は、洋一郎が盛装をした紳士と一緒にいるのを見つける。その後、ダンスホールに寄った二人は、そこで盛装の紳士が洋一郎の従兄弟・民夫であることを知る。洋一郎を挑発して情報を得ようとするが、逆に“いろづかい”と侮辱されてしまう。 洋一郎のアパートを訪ねた信江は、彼から、みどりが洋一郎と思っているのは民夫であることを知らされる。民夫は住まいを持たず、女の所を転々とする生活らしい。 その頃、みどりは民夫とドライブに出かけていた。海岸に車を停め、強引に関係を迫る民夫をみどりは拒むが、それでも彼に惹かれる気持ちは変わらなかった。そして、みどりは民夫を自宅に招くのであった。信江は木下とともに帰る民夫を尾行し、バーのマダムとねんごろな仲になっている民夫の本性を探り出す。 西条家で、信江はみどりと両親を前に、民夫の正体を報告する。しかし、みどりは自分は大人だ、天国に行くこともできるとダダをこねて、信江に叩かれた。みどりの心が民夫から離れないことを知った信江は、一計を案じた。妖艶な姿になってバーで民夫に誘いをかけ、翌日の夜の約束を交わす。 翌日、洋一郎のアパートを尋ねたみどりは、そこで本物の洋一郎に会い、愕然とする。その夜、信江は民夫をホテルの部屋に誘い込んだ。そこには盗聴機を仕掛けてあり、隣室には不安な様子の木下が待機していた。そこで、みどりに民夫の本性を聞かせるためだった。 しかし、民夫が信江を誘惑して犯そうとする受信機の“音”を聞かされても、みどりはこれは録音された芝居だといって本気にしなかった。「信江は僕の恋人だ」と叫ぶ木下に、みどりが何かあると感じたその時、受信機から信江の悲鳴が聞こえてきた。隣室に飛び込む木下。一部始終をみたみどりは、ようやく民夫の本性を悟り、洋酒のビンで民夫の頭を叩き、信江の危機を救うのであった。 休日。信江と木下が野球を見に出かけようとしたところ、木下は散水車に水をかけられて、びしょ濡れになってしまう。「アイロンをかけてあげる」と初めて彼女の部屋に招かれて喜ぶ木下だったが、「廊下で待つのよ」と釘を刺されてしまうのであった。『女探偵物語 女性SOS』【製作年】1958年、日本【製作】田中友幸【配給】東宝【監督】丸林久信【原作】中山保江【脚本】若尾徳平【撮影】山田一夫【音楽】宅孝二【出演】白川由美(小川信江)、佐原健二(信江の同僚:木下)、土屋嘉男(調査対象:民夫)、平田昭彦(民夫の従兄弟:岩田洋一郎)、峯京子(西条みどり)、一の宮あつ子(依頼主でみどりの母:西条綾子)、林幹(みどりの父:西条有正)、小沢栄太郎(探偵社の部長)、 ほか
2007.06.02
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話題のTVドラマ『24 -TWENTY FOUR-』において主人公の娘役を演じて大ブレークしたエリシャ・カスバート主演のサスペンス映画。 一ツ橋ホールの試写会にて一足(かなり)先に鑑賞。 『キャプティビティ』 評価:☆☆☆ エリシャ・カスバートの出世作『24 -TWENTY FOUR-』は、じつは今年のGWにようやく、シーズン1とシーズン2を見た(シーズン1は、自分自身への話題として、気合いを入れて一気見をした。朝10時から翌朝の5時までかかった… ^^;)。 確かに面白いことは面白かったけど、結構、場当たり的な展開が気になったかな。 それで、結構、彼女のことは気に入っていたので、映画・スクリーンで主演作を見てみたいと思っていたので、今回の試写会は純粋に嬉しかったりする。 実は今回の試写会で鑑賞したのは、幻のバージョンとなりそう。 そもそも6月に日本公開予定だったが、製作者の意向で、再撮影、再編集を行い、全米での公開が延期になり、日本での公開も秋になるとのこと。 劇場公開されるのは、「更に衝撃的なシーンをふんだんに追加した“最凶”バージョン」とのことで、期待して待ちたいと思う。 とはいえ、この手の、プロデューサーによる“改変”が入った作品よりも、得てして監督・脚本家のオリジナルの方が良い場合が多いので、さてどうなるかと不安はあるが、確かに今回上映されたバージョンでは物足りないのも事実。 大ざっぱに物語は、人気モデルのエリシャが誘拐されて、どこかの部屋に監禁されていて、隣の部屋に同じように監禁されている男性と何とか脱出を謀ろうとする前半、途中からは犯人の正体が観客に明かされて、その犯人との駆け引き・対決になる後半に大きく分けられるが、犯人の正体の意外性が低く(出てきた段階で分かってしまったし)、サスペンスとしても今ひとつ盛り上がっていない。なにより、全体を通しての緊迫感がない。 (人によって評価は違うが、緊迫感に満ちた『13/ザメッティ』を先週見ていたりするので、私的にはなおさら) ちらちらと犯人の影が見えるのだが、怖くなければ、サスペンスフルでもない。 また、あれこれと伏線らしきものが貼られていながら、それが投げ出されたままで処理されてなかったり(後半に活かされていなかったり)する。たとえば、わざわざ服装を何度か替えさせたり(一度は犯人自ら忍び込んで着替えさせている)する割には、それが何か意味があったのか、結局不明のまま(私の見落としか?)。 なぜだか分からないが密室に監禁された、という設定では『SOW』という傑作が、ほんの少し前に後悔されたばかりなので(といっても2004年の公開だけど)、何らかの目新しさがないと正直、かなり厳しい。 もっともエリシャ・カスバートのような美女が、そういう状況に置かれているだけで魅力的な設定とも言えたりはするが、30分ドラマならばともかく、1時間半の映画としては弱い。 後半もちょっと(かなり)展開が弱いがネタバレになるので省略。 正直なところ『キリング・フィールド』を撮ったローランド・ジョフィ監督、『フォーン・ブース』のラリー・コーエンが脚本を書いた作品とは思えないできあがりなので、プロデューサーの再撮影・再編集指示は正しいと思うが、さてどうなるであろうか。 ということで評価的には、大甘で☆二つなのだが、主演のエリシャが可愛く魅力的だったので、☆一つおまけ。【あらすじ】 トップモデルのジェニファーが眼を覚ますと、そこは分厚いコンクリートに囲まれた、窓一つない密室だった。暗闇と孤独が怖い彼女はパニックに陥るが、部屋に置かれたテレビモニターにが映し出した映像──自分の部屋と、イベント会場から誘拐されるシーンから、監禁された事実を知る。 やがて1と記された鍵を手にしたジェニファーは、1の番号のふられたロッカーをあける。そこには犯人が用意した衣裳が入っていた。換気口から脱出をはかるが、そこには以前に監禁されていたとおぼしき女性の詰めが堕ちており、またチェーンソーが壁を突き破って出てきて、犯人の差し出した注射で再び眠らされてしまう。 絶望に陥っていたジェニファーは、塗料の剥がれおちたガラスの壁の隙間から、隣人の青年、ゲリーを知る。彼も3日前に誘拐されてきたという。互いに励まし合うが、睡眠中に侵入してきた犯人によってガラス製の空間に閉じ込められ、落ちてくる砂で生き埋めにされかかるが、天井を破ってゲリーによって救出される。そのまま脱出を試みるが、二人はガスで眠らされて、ふたたび囚われの身となってしまう。 その頃、ジェニファーの行方を二人の刑事が追っていた……。『キャプティビティ』 CAPTIVITY【製作年】2007年、アメリカ・ロシア【製作】マーク・ダモン【配給】キュービカル・エンタテイメント【監督】ローランド・ジョフィ【脚本】ワリー・コーエン【撮影】ダニエル・パール【音楽】マルコ・ベルトラミ【出演】エリシャ・カスバート(ジェニファー)、ダニエル・ジリス(ゲリー) ほか公式サイトhttp://www.captivity.jp/
2007.06.01
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『父と暮らせば』『紙屋悦子の青春』の黒木和雄監督による、東京電力の横須賀火力発電所の記録映画の第2弾。 「水」を主題とした『海壁』に続く本作では、タイトル通り「火」をテーマに、いよいよ発電所本体の建設作業を捉えていく。 東京・京橋の東京国立近代美術館 フィルムセンターで開催された「追悼特集 映画監督 今村昌平と黒木和雄」での上映を鑑賞。併映は『海壁』『東芝の電気車輌』。 『ルポルタージュ・炎』 評価:☆☆☆ 『海壁』が埋め立てと防波堤つくりという、発電所建設の基礎の基礎のみを映していたのに対して、土台づくりに始まり、炉心の建設、配線や火入れ(点火式)まで、発電所の本体が形づくられていく様を克明に捉えていく。 といっても前作同様、単なる記録映画ではなく、冒頭から、焚き火(キャンプファイヤー?)を囲んで若者たちが裸踊りをしているとおぼしきシーンから始まる(と私は思ったのだが、バレーらしい(^_^;)。ボカした映像なのでよく分からない)。 また、ラスト10分くらいは、夜の東京・銀座の(ネオンに揺れる)映像を中心にしたモンタージュを、一切のコメンタリーなしで流したり、また全体的に松村禎三による音楽も前衛的だったりと、インディーズ作品の香りも濃厚に漂うような仕上がりだ。 ただ、『海壁』が潜水夫や工事夫などの人間対自然を(ドラマチックかつ淡々と)撮りあげていたのに対して、本作では人の描写を極力廃し、機械の機能美を強調するために、建設に必要な科学技術の解説に終始してしまったような感じで、巨大建設物オタク(結構多いらしい)や発電所フェチな方にはともかくとして、私的にはあまり面白くはなかった。 やはり、こういう建設ものは、“人”を中心に描かないと、共感の対象が乏しくなって、魅力が半減してしまう。前作の『海壁』が稀有な存在だ、と言うべきかもしれないが。 もっとも私の子どもの頃にこの映画を見ていたら、当時想像されていた未来像を先取りしたような感じで、面白く鑑賞できたような気もする。 ともあれ、科学技術に従事する人で、映画を趣味とするような人は、機会があれば、『海壁』とともに一度は目にしても損はないと思う。『ルポルタージュ・炎』【製作年】1960年、日本【企画】東京電力【製作】岩波映画【監督・脚本】黒木和雄【撮影】小村静夫【音楽】松村禎三【ナレーション】長門裕之自著『私の戦争』佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』
2007.05.31
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宮沢りえ主演『父と暮らせば』、原田知世主演『紙屋悦子の青春』などで知られる黒木和雄監督の出世?作。ドキュメンタリーではあるが、この作品によって、映画業界に黒き監督の名前が知られるようになる。 東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の特集上映「追悼特集 映画監督 今村昌平と黒木和雄」にて鑑賞。併映は、本作の続編『ルポルタージュ・炎』と『東芝の電気車輌』。 『海壁』 評価:☆☆☆☆ 高度経済成長時代を迎える直前、関東地方一円の増大する電力消費をまかなうために建設された、東京電力の横須賀火力発電所の、建設に関する全行程の記録映画の第一弾。 “火力”発電所なのだが、第一弾の本作品では、基本的には建設の基礎となる、“水との戦い”が収録されている。 冒頭は海底のシーンから始まり、発電所建設に至る経緯と当時の横須賀の横顔(アメリカ軍兵士が街を歩いているシーンとか)が簡潔に語られた後、建設予定の地となる後背の山の切り崩し(爆弾に埋め込み作業と、防空壕の跡が爆破作業とともに崩壊するシーンが印象的だった)から、はじめはその土砂を使っての埋め立て、次いで運ばれてきた土砂による埋め立て作業の様子が、3分の1くらいの時間を費やして記録されている。 圧巻は、その後の、埋め立て地(の内湾側)を襲う“波”との戦いだ。 波による浸食を避けるために、旧日本軍が残した防波堤を利用し、捨て石を入れて海底をならし、ケーソン(コンクリート製・鋼製の超大型の箱)を多数つなげて設置し、外海面には波浪の効果を弱めるためのテトラポットを使って、護岸工事を完成させる。 完成直前には、超大型台風の襲来があり、その“対決”シーンは、並の劇映画ではとうてい及ばないほどの緊張感がある。 そして、護岸工事の終了をもって、本作品は終わる(なので、一見すると、発電所の建設記録とはとうてい思えなかったりする)。 とくに捨て石をならす作業では、中高年(と思われる)の潜水夫たちが1日かかって1人2~3畳分しか進まない様子など、どちらかというと最下部の作業に携わる人たちの姿をきっちりと捉えている点も、本作品の特徴だと思う。 海から上がってきた潜水夫が、ゴテゴテの潜水キャップを外して、最初にするのがタバコを吸うシーンがとくに印象的であった。 ドキュメンタリーとは言いながら、水中撮影や空撮、線画までを使って語られる映像は迫力に満ちており、映画のタイトルもM・デュラスの小説「太平洋の防波堤」から借用していたり(らしいです)、コメンタリーを詩人・飯島耕一に書かせる(ナレーションは長門裕之)など、黒木監督の作家性が前面に出されており、それが非常に上手く的確に建設の足音を伝えてくる(この点で、後に作られた『わが愛北海道』とは対照的。こちらは、恋愛要素を絡めるという作家性と、北海道の紹介とが、折り合わずに破綻してしまっている)。 単なる記録映画としてではなく、“物語”映画としても十分に楽しめる作品だ。 岩波映画製作の企業ドキュメンタリーなので当然劇場公開された訳ではない(らしい)が、この作品の出来の良さが、じわじわと映画業界に黒木監督の名前を浸透させていったようだ。 撮影の経緯は、それまで助監督だった黒木氏が「桑野茂の推薦」で撮ることになったというが、実態は、桑野氏が3年も横須賀に付きっきりで取りかかれるのを避け、代わりに引き受けた、というのが実際らしい。 佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』の巻末に収録されたシンポジウムでの黒木監督の発言によれば、日本で最初にシネマスコープ(いわゆる縦横比1:2.3前後の、横に長いワイド画面)で撮影したのは黒木監督のこの作品だという。 一般には、1957年に公開された『鳳城(おおとりじょう)の花嫁』が日本最初のシネマスコープ(東映スコープ)とされているが、この『海壁』は完成・公開(1959年)までに3年かかっており、『鳳城の花嫁』よりも1年早く撮影が開始されているわけで、日本最初という栄冠は、この『海壁』に与えるべきではないかとも思う。(元々劇場公開される映画ではないことが災いしている、とも言えるが) 音楽は、20世紀の日本を代表する作曲家、伊福部昭の門下であった池野成、小杉太一郎、原田甫、松村禎三、三木稔らが担当している。これがなかなか緊迫感あふれるもので、映画の展開にぴったりであった。 余談だが、『プロジェクトX』も本作品を参考にしていれば、もう少しまともな番組になったのではないかと思うのだが……。 発電所の建設、しかも用地準備段階のドキュメンタリーという題材のために、門前払いする人も多いだろうが、一見の価値のある秀作だと思う。『海壁』【製作年】1959年、日本【企画】東京電力【製作】岩波映画【監督】黒木和雄【脚本】桑野茂、黒木和雄【コメンタリー】飯島耕一【撮影】加藤和三【音楽】池野成、小杉太一郎、原田甫、松村禎三、三木稔【ナレーション】長門裕之自著『私の戦争』佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』
2007.05.30
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言わずと知れたシルベスター・スタローン主演のロッキー・シリーズの最終作。公開2日目に地元のシネコンにて鑑賞。 『ロッキー・ザ・ファイナル』 評価:☆☆☆☆☆ はじめロッキー・シリーズの続編の話を聞いたときは、たぶん多くの人が感じたのと同じく、「まだやるの」「最近パッとしないので、苦しい時の過去の栄光頼みか」と思ったが、いやこれは大変な傑作であった。 素直に頭を下げたい。まさにスタローン畏るべし。 まぁ『ロッキー5』で深刻な危機となっていた脳のダメージが、どこかへ行ってしまっていたり、突っ込み所は結構あったりはするが、そういう瑕疵を吹き飛ばすほど(私にとっては)パワーに満ちた作品であった。 第1作目が傑作であり成功したのは、それが自分の夢の実現という人生の問題を、非常にシンプルにストレートに語っていたからだろう。 本作も、表面的な話の構造は第一作に似ているが、夢を諦め、挫折した人生をやり直すという点で、ごくごく一部の人を除いて万人に共通する物語であるだけに、余計に感動的であった。 自分自身を振り返ってみても、少年時代や学生時代に思い描いていたような人生は、仕事的にも普段の生活的にもとても送っているとは言えないし、日々妥協とあきらめの連続と言い変えても良い。 その意味では、若い人が本作を見てどのような感想を持つのか、正直なところは分からないが、中年(以上)の人にとっては、ふたたび頑張っていこうという勇気を沸き立たせてくれるだけでも、本作を鑑賞する価値は十分にあると思う。 ちなみに、ロッキー・シリーズの個々の作品に対する私の評価は、下記の通り。『ロッキー』 ☆☆☆☆☆『ロッキー2』 ☆☆☆『ロッキー3』 ☆☆『ロッキー4』 ☆『ロッキー5』 ☆☆☆『ロッキー・サ・ファイナル』 ☆☆☆☆☆ 5は人によっては評価が低めでそれは分かるものの、結局ストリートファイでしか戦えない主人公の悲哀が感じられて、個人的には気に入っている作品ではある。3と4はない方が良かったのではないかと思うが、それでもこの2者を比べれば、3の方が見所はあった。(と偉そうに書いているが、スクリーンで鑑賞したのは第1作と2のみで、あとはDVD鑑賞) 人生に疲れた中年以上の方には、とくにお薦めしたい作品。【あらすじ】 ヘビー級チャンピオン・アポロとの大熱戦から30年。リングで情熱を燃やしてきたロッキーも今では引退して、地元フィラデルフィアで小さなイタリア・レストランを経営、客の求めに応じて当時の試合の模様を聞かせる毎日だった。妻のエイドリアンは数年前にがんで亡くなり、息子のロバートは有名人の父を煙たがり、家を出ていた。 エイドリアンの命日に墓参りをした後、ロッキーは彼女の兄で親友のポーリーとともに、思い出の地を訪ね歩くが、孤独を痛感する。街をさまよい、ふと立ち寄った昔馴染みのバーで、かつて不良少女であったマリーに再会する。それを縁に、彼女と息子ステップとの親交をもちはじめる。 ロッキーは、胸の奥底にボクシングへの情熱が燻っていて、時々その思いを押さえられなくなることを感じ、再びボクシングを始めることを決意、一旦は協会に拒否されるも、プロボクサーのライセンスを取得する。 一方、ヘビー級チャンピオンのディクソンは連戦連勝、不敗を誇っていたが、常に格下の相手と戦っていることに非難が殺到していた。あるテレビ番組が、ディクソンと往年の王者ロッキーと強さを検証する対戦シミュレーションを放映、彼のマネージャーはロッキーとのエキシビジョン・マッチを企画する。 ロッキーは、勤務先を馘になったポーリー、レストランで働くことになったマリーらの応援を受けて、試合を受諾、かつての名トレーナー・デュークの指導で猛特訓を始める。その父の姿に、人生に迷っていたロバートも会社を辞めて、ロッキーの元へ帰ってくる。 そして試合当日、満員の観衆のロッキー・コールの中、リングに上っていく……。『ロッキー・ザ・ファイナル』 ROCKY BALBOA【製作年】2006年、アメリカ【配給】20世紀フォックス映画【監督・脚本】シルベスター・スタローン【撮影】クラーク・マシス【音楽】ビル・コンティ【出演】シルベスター・スタローン(ロッキー)、バート・ヤング(ポーリー)、アントニオ・ターヴァー(ディクソン)、マイロ・ヴィンティミリア(ロバート:ロッキー・ジュニア)、ジェラルディン・ヒューズ(マリー)、ジェームズ・フランシス・ケリー三世(ステップ:マリーの息子)、トニー・バートン(デューク) ほか公式サイトhttp://movies.foxjapan.com/rockythefinal/DVD『ロッキーDTSコレクターズBOX』ノベライズ本
2007.05.29
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宮沢りえ主演『父と暮らせば』、原田知世主演『紙屋悦子の青春』などで知られる黒木和雄監督によるPR映画。 タイトルからは何だか分からないだろうが、羊毛の宣伝のためのPR映画。だが、はっきり言って宣伝映画の枠を大きく飛び出した異色作。 東京国立近代美術館フィルムセンター で開催中の特集上映「追悼特集 映画監督 今村昌平と黒木和雄」にて鑑賞。併映は『わが愛北海道』『日本発見シリーズ 群馬県』。 『恋の羊が海いっぱい』 ☆☆☆☆ 羊毛の宣伝用に書かれた羽田澄子の脚本を、黒木監督が大きく改変して、全体をミュージカル調な仕上がりにまとめたもの。いや、これは(当時は)事件だ(ったであろう)。 映画は森の中を疾走する少女のショットで始まり、続いて町を歩く(スーツ?を着た)女性(ペギー葉山)のショット、引き続き森の少女を映し出し、彼女が駆け抜けた先に拡がる牧草地と、羊の集団。そこで初めてナレーションが入る。 引き続き、色鮮やかなセットを舞台にボディ・スーツを来た女性たちが踊りを披露。その後は、ある洋品店の2階にいるお針子たちの場面。ぎゅうぎゅう詰めになった仕事場で、彼女たちは早口の会話を取り交わし、お弁当を食べ、仕事をする。 以降、斬新なカメラワーク、鮮やかな色彩、お洒落なファッション、様々なイメージが混じり合って展開していく。 若きぺギー葉山が歌って踊る。 男たちが次々と羊毛を刈っていく。その周りを走り回る冒頭の森の少女。 そしてラストは、作詞:寺山修司、作曲:山本直純の主題歌で締めくくられる。 ちなみに衣裳は森英恵。タイトルは寺山修司。 正直、何が何だか分からないうちに進んでしまうのだが、その不思議な魔力に惹かれて目が釘付けになることは必至。いやー、これはミュージカル映画としても傑作ではなかろうか。 (しかし、この文章を読んだだけでは、どんな映画か想像はつかないか……) というか、これがPR映画の枠内で作られたこと自体、驚異的としかいいようがない。 ラストに出てくる「すべての繊維はウールをめざす」の文字は、スポンサー側の意向なのか、黒木監督のものなのかよく分からないが、そういう映画ではないことは確か。 こういう作品が上がってくれば、それはスポンサー(と製作会社)と喧嘩になるわな、ふつう。 お針子の場面では、九里千春、水垣洋子、五月女マリ、次の『わが愛北海道』で主演(助演か)した及川久美子など、当時の若手女優が多数出演して、強烈な印象を残している。 現在では、PR映画という存在そのものがなくなってしまったと思うが(反面、広告代理店によるプロモーションビデオは全盛か。この辺、苦手なのでよく分からない)、ドキュメント映画史上に残る傑作(怪作)であることは間違いない。 20分という短い作品なので、機会があれば意見することを強くお薦め。『恋の羊が海いっぱい』【製作年】1961年、日本【製作】岩波映画製作所【企画】日本羊毛振興会 (←名称不確か)【監督】黒木和雄【脚本】黒木和雄、羽田澄子【撮影】清水一彦【音楽】小野崎孝輔【衣裳】森英恵【解説】大平透【出演】ペギー葉山、フォーコインズ、岡乃桃子、及川久美子、久里千春、五月女マリ ほか自著『私の戦争』佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』
2007.05.28
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宮沢りえ主演『父と暮らせば』、原田知世主演『紙屋悦子の青春』などで知られる黒木和雄監督のデビュー作。 タイトルにあるのように、いわゆる劇映画ではなく、東芝のPR映画である。 東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の特集上映「追悼特集 映画監督 今村昌平と黒木和雄」にて鑑賞。併映は『海壁』『ルポルタージュ・炎』。 『東芝の電気車輌』 評価:☆☆☆ 原題は『ELECTRIC ROLLING STOCK of Toshiba』で、海外向きに作られたもののようだ。 東芝(当時の正式名称は東京芝浦製作所)の府中工場で造られている電気機関車の製造過程を、20分という時間内でコンパクトに紹介するもの。 当然ながら、コンピュータによる支援のない1958年当時の、車輌製造の実際を手際よくまとめている。 他の製造現場もそうだったと思うが、現場は一人ひとりの職人芸によって支えられていた様子がよく映し込まれている。ヘルメットや手袋無しに作業しているのは、今からすると非常に危険と感じるが、当時は、そういう安全管理基準だったのだろう。 しかし、東芝が電車を造っていたとは知らなかった。ナレーションによれば、明治時代の電車の黎明のころからだそうだ。 そして、台湾やインドなどにも相当数が輸出され、現地で走っている様子も撮られている。世界の東芝ですな。 ラストは、当時新しく走り始めた、先頭車輌を細長く丸めた、小田急のロマンスカーの紹介で締め括られている。うーん、時代を感じる。 たぶん“鉄っちゃん”な人には、大変に面白い・興味深いものになっているのだと思う(逆に批判も多いかも)。 現在の車輌製造過程(新幹線など)を捉えた映画があるならば、併映されると、より多くの人に楽しめるのではないかとは思う。 黒木監督の演出は、この時点ではまだオーソドックスなものだが、この後、編集を他人任せにしないで自ら行う姿勢は、すでにこのデビュー作から実施されていたという。 産業技術史的には意義のある一作だと思う。『東芝の電気車輌』【製作年】1958年、日本【製作】岩波映画製作所【監督】黒木和雄【脚本】高村武次【撮影】藤瀬季彦自著『私の戦争』佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』
2007.05.27
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田原総一郎による原作小説の映画化。 原子力発電所のある港町を舞台に、若き日の原田芳雄演じる青年やくざが恋人の死の真相を追う中で、原発の関与が浮かびあがってくるが……。 監督が黒木和雄ということで、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の特集上映「追悼特集 映画監督 今村昌平と黒木和雄」にて鑑賞。 『原子力戦争』 評価:☆☆☆ 田原総一郎が小説を書いていたことを知らなければ、それが映画化されていることも知らなかった(正しくは、こういうタイトルの映画を黒木監督が撮っていたことは知識として知っていたが、内容はまったく知らず)。 はっきり言って、映画そのものはそんなに面白くない。 話の展開がサスペンスフルでもミステリアスでもなく、結局、心中事件の真相ははっきりしないままで終焉してしまう。原子力発電所の関与も(様々に示唆されつつも)曖昧なままだ。社会派的な問題提起としても弱く、エンタテイメント性も中途半端。 黒木監督の演出も淡々としていて、1か所を除き、格別に凄いというわけではない。 では、この映画の何が凄いかというと、1978年の時点で、電力会社による「原発の事故隠し」を、中心テーマに据えている点だろう。 ご存知のように、今年に入って、電力会社各社が、原子力発電所に起こっていた事故を隠蔽していた事実が、次々と明らかにされてきた。 多少の疑いは持ちつつも、まさかここまでとは誰も思っていなかったであろうし、それ故、事故隠しの体質があることを早くから見抜き、小説として発表して指摘していた田原総一郎の慧眼と、それを映画にした関係者の努力には、感服するしかない。 その告発性を明確にするシーンがある。 主人公を演じた原田芳雄が、原子力発電所の組合員に話を聞きに、発電所の入り口を訪れる場面だ。 このシーン、いきなり守衛がカメラの方に手をかざして、「撮影はしないでください」と遮ろうとする様子を写し出す。そして、邪魔をされながらも、入り口付近をうろうろする原田を何とか撮影しようした苦闘の跡をフィルムは延々と観客に見せつけるのだ。 これは尋常の映画の撮り方であれば、カットされるところだろう。ここだけ映画がメタ構造になってしまっているのだから。無くても話の展開に影響はないし。 このシーンを残したところに、映画の意義がある。テロなどの警戒はあるとしても、守衛所付近が撮影されて困る合理的な理由は、少なくとも私は思いつかない。 これに関連して、黒木和雄監督の著書『私の戦争』(岩波ジュニア新書)には、次のような一節がある。最初に目標にしたのは福島第一原発です。田原さんは「福島原発の無事故とは事故を起こさないということではなく、事故を外部に漏らさずにもみ消すことだ」と書いています。ときどき放射能漏れを起こしていたにもかかわらず、地元ジャーナリズムの追及がほとんどなく、真相は闇に包まれていました。原子力発電所では、事故が起きても、秘密主義のもと、ほとんど事故がうやむやに葬り去られているようです。 撮影は、いわき市に合宿して福島第一原発、第二原発の近くで行われましたが、映画の内容を知っていた原発側は私たちの出入りを一切禁止しました。東電の監視者がクランクインの日から現場近くに張り付き、撮影の様子を仔細に某所に報告している様子もあって、いささか緊張したはりつめた日々のロケでした。 引用が長くなったが、そうして創られた作品ゆえに、今だからこそ、鑑賞の価値があると言えよう。 その意味では、昨年、『日本沈没』が内容を大きく変えてリメイクされたように、本作もストーリーを大幅に手を加え、しかし原発の事故隠しのテーマはそのままにリメイクしたらばよいのではないかと思う。 もっとも今の映画(製作)業界は、テレビ局主導といってもよいような状態なので、テレビ局の一大クライアントである電力会社を批判するような映画は、撮影できないだろうけど。1978年のこの『原子力戦争』も、いわゆるATG方式――ATG(日本アート・シアター・ギルド)と製作プロダクションとが、500万円ずつ出資して映画を製作――だ。 ということで、繰り返しになるが、原発の事故隠しが明るみに出た今だからこそ、観るべき価値があると思う一作。【あらすじ】(ネタバレあり) 東北の原子力発電所のある港町。海岸に若い男女の心中死体が打ち上げられた。 その10日後、坂田が町へやってきて、この町出身の青葉望という女性を探しまわる。ようやく突き止めた望の実家では、かつて市長だった望の父親から、娘は帰っていないと追い帰されるが、玄関にはかつて坂田が望に買ってあげた日傘があった。漁業組合の組合長をしている望の兄を訪ねるも、対応は同じであった。兄は次期市長選挙に立候補する予定だった。 その夜、坂田は地元の新聞記者・野上とバーで出会い、心中死体の片割れが望だと告げられる。心中相手の男は、原子力発電所の技師で、新婚半年だった。原子力研究の権威である神山教授がしばらく滞在中であり、原子力発電所に何か起きたと感じていた野上は、スクープをものにして東京に戻りたいと思い、坂田の登場をチャンスと捉える。そして坂田に、山崎の妻・明日香を訪ねるよう示唆する。 山崎宅を訪れた坂田は、自分のために進んで体を売ってくれた望が他人と心中する理由がない、山崎と望は殺されたのではないかと明日香に語る。すると、明日香は坂田に身を任せるのであった。明日香が山崎が消えた夜の出来事を話し始めた時、警察官が踏み込み、婦女暴行罪で逮捕されてしまう。 翌朝、証拠不十分で釈放された坂田を待っていたのは、望の妹・翼であった。彼女は姉から聞いていた話で、坂田に好意を持っていた。どうして逮捕を知っていたのかとの問いに、翼は「ここはそういう町だ」と答える。 翼と別れた坂田は、地元の親分衆に呼び出され、札束を渡されて町から引き上げてほしいと頼まれる。駅まで見送られるが、秘かに町に戻ると、山崎失踪の夜に彼を迎えに来た小林という電力会社の組合員を訪ねる。小林は夜にすべてを話すと約束するが、約束した場所で数人の男に襲われ、坂田は重傷を負ってしまう。彼を手当てしたのは翼だった。 翼から明日香が会いたがっていると聞いた坂田は、電力会社の関係者とおぼしき人と会っていた彼女を連れ出した。明日香は坂田に、失踪する夜に山崎が明日香に託したという原子力発電所の資料を手渡す。坂田の隠れ家で、二人は再び関係をもつ。 資料をもって野上を訪れた坂田は、小林が首吊り死体で見つかったことを知る。4番目の犠牲者は坂田かもしれない。そういう野上は、原発事故を示すであろう資料を坂田から受け取ると、原子力発電所を訪れて事故の存在を追求するが、所長にはのらりくらりと逃げられてしまう。そして、新聞社の支局から呼び出しがかかり、取材を断念するように勧告される。 翼の家では、原発反対を訴えてきた父と、漁民のために容認派の兄とが、望の死をめぐって醜い争いをしていた。いたたまれなくなった翼は家を飛び出し、坂田の隠れ家に逃げ込む。しかし、何者かが襲ってきて、翼を拉致してしまった。 その頃、諦めきれない野上は、神山教授にすべてを話すが、原子力開発の初期であり、先行不安な石油資源に頼らない社会を築くためには、いまは多少の偽瞞はやむをえないと説得されてしまう。そして、教え子であった山崎が操作ミスを起こしたと自分のところに相談に来たと語り、それが心中の原因ではないかと語るのであった。 坂田は翼の兄に彼女の行方を問いつめるが、逆に「野良犬」侮蔑され彼に重傷を負わせてしまい、警察から手配される。野上の愛人のバーで、野上の居所を尋ねるがシラをきられてしまう。そして、町で見掛けた明日香の跡をつけ始める。彼女は海岸の松林に入っていくと急に姿を消してしまい、かわりに何十人という老若男女が坂田を取り囲んだ。 新聞社の駐在所では、野上は若い部下に、自分は記者を続けたいから原発の取材は諦める、将来機会がくると嘘ぶくが、部下は愛想をつかして出ていってしまった。 海岸の波打ち際に倒れている一人の男。それは坂田だった。そして、脇の道路を走る高級車の後部座席には、神山教授と手を繋いで頭を寄せる明日香がいた。『原子力戦争』【製作年】1978年、日本【配給】ATG【監督】黒木和雄【原作】田原総一郎【脚本】鴨井達比古【撮影】根岸栄【音楽】松村禎三【出演】原田芳雄(坂田正首)、山口小夜子(山崎明日香)、風吹ジュン(坂田の彼女・望の妹:青葉翼)、石山雄大(望の兄:青葉守)、浜村純(望の父:青葉繁)、佐藤慶(新聞記者:野上)、岡田英次(神山教授)、戸浦六宏(新聞社支局長)、和田周(原発会社の組合員小林) ほか原作所載本中古ビデオ自著『私の戦争』佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』
2007.05.26
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「13人によるロシアン・ルーレット」 予告編や事前宣伝のあちこちに記されているので、そう書いてもネタバレにはならないと思うが、クライマックスに集団ロシアン・ルーレットを扱った、フィルム・ノワールorスリラー映画orサスペンス映画の傑作。 2005年ヴェネチア国際映画祭の最優秀新人監督賞や2006年サンダンス映画祭の審査員大賞など数々の賞を受賞している。 東京・渋谷のシネセゾン渋谷にてレイトショー上映を鑑賞。 『13/ザメッティ』 評価:☆☆☆☆【あらすじ】 グルジアから移民してきた若者セバスチャンは、屋根修理のわずかな収入で家族4人と暮らしていた。ある日、仕事先の屋主ジャン=フランソワが友人や妻に、大金を得る方法をもたらす“封筒”を待っていると語るのを耳にする。 封筒が届いた日、屋主は麻薬の過剰摂取で命を落とし、セバスチャンは偶然にも封筒を手にする。そこには、パリ行きのチケットとホテルの領収書が入っていた。 パリのホテルの部屋に着くと、深夜に電話がかかってきて、セバスチャンはその指示に従っていく。すると、暗い森の奥にある屋敷へとたどり着いた。そこに待っていたのは、運命を狂わせる邪悪なゲーム――13人の生死をギャンブルとする集団ロシアン・ルーレットだった! 時すでに遅く、セバスチャンは〈13〉の番号を与えられ、ゲームに参加させられる……。 タイトルの「ザメッティ」とは、グルジア語で「13」のこと。と書けばお分かりのように、監督と主演男優はグルジア人だ。 恥ずかしながら、グルジアが旧ソ連でどのあたりに位置するのか、パンフレットを見るまで分からなかった。黒海の東、トルコの北に隣接する、約7万平方キロ(日本の5分の1)の共和国(リンク先は外務省のページ)。 いやー、観客が5人しかいないのが大変にもったいないくらい、凄い映画だった。 モノクロで撮られた端正な映像と、セリフを多用しない演出(主人公はほとんど寡黙だ)は、凄まじいまでの緊迫感で、ぐいぐいと観る者を引っ張っていく。 そして、カメラワークと場面構成は、これが監督のデビュー作とは思えないほど、完成の域に達している。 とくに中心になるロシアン・ルーレットの場面の緊張感・緊迫感は、名作『ディア・ハンター』(マイケル・チミノ監督、1978年)を凌いでいるのではなかろうか。 その場に集った男たちの、ギラギラと光らせた目と、妙に汗ばんだ表情は、パンフレットの解説で山田正紀氏が書いているように、最近の映画では見られなくなったものだ(特攻映画でさえ爽やかに演じられることが多いのだから)。 そんな中、初めてゲームに参加する主人公は、孤独と不安と、そして自分が死ぬことと人を殺すことの二重の恐怖に苛なまれるわけだが、その様子をほとんど目だけで演じたグルジア人男優ギオルギ・バブルアニは、本当に見事だ。素晴らしい。 監督の実の弟の彼は、これが映画初主演だというが、とてもそうは思えないほど、演技に強烈なインパクトがある。 プロフィールによれば、ベルリンの壁の崩壊が彼の5歳の時。少年時代をグルジアの混乱と抗争と死が日常的な環境の中で過ごした体験によるものなのだろうか。 設定上、主人公はそれなりに生き残るだろうなと先がある程度読めてしまったのが一番の難点か。 また、結末がややありきたりなのも残念だが、救いようのない話の中で、ラストの主人公の家族に指す“光”には、少しほっとする。 来年の公開を目標に、ハリウッドでのリメイクが決定しているというが、『インファナル・アフェア』をリメイクした『ディパーテッド』の前例が示すように、明るいギャング映画に堕してしまうのではないかと、心配だ。 ゲラ自身が監督することが条件なのが救いではあるが、現場に様々口を出す(らしい)ハリウッド・プロデューサーを相手に新人監督がどこまでやれるのか、不安は募る。 まぁ、どうなるかわからないリメイクは置いておくとして、本作品は、フィルム・ノワール、サスペンス、スリラー、犯罪映画などに興味・関心のある人は見て損はない映画だと思う。『13/ザメッティ」』 13 TZAMETI【製作年】2005年、フランス【配給】エイペックス・エンタテイメント【監督・製作・脚本】ゲラ・バブルアニ【撮影】タリエル・メリアヴァ【音楽】イースト(トラブルメーカーズ)【出演】ギオルギ・バブルアニ(セバスチャン:No.13)、オーレリアン・ルコワン(ジャッキー:No.6)、パスカル・ボンガール(ゲームの進行役)、フィリップ・パッソン(屋主:ジャン=フランソワ・ゴドン)、オルガ・ルグラン(ジャン=フランソワの妻:クリスティーヌ・ゴドン)、フレッド・ユリス(No.13の雇い主:アラン)、ディディエ・フェラーリ(刑事) ほか公式サイトhttp://www.13movie.jp/DVD『ディア・ハンター』
2007.05.25
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キューバを舞台にした映画ということで、以前から気になっていた作品。 ドキュメンタリー映画監督であった黒木和雄氏が、1966年に念願の劇場映画の第1作として撮った『とべない沈黙』の3年後に作られた、黒木監督の劇映画第2弾。 キューバ革命10周年を機に、キューバの国立映画芸術協会と合作されたものである。 東京国立近代美術館フィルムセンターで開催中の特集上映「追悼特集 映画監督 今村昌平と黒木和雄」にて鑑賞。 『キューバの恋人』 評価:☆☆☆ 一言でいえば、革命の熱気に溢れるキューバを舞台にしたラブ・ストーリーだが、恋愛ものとしては成功しているとは言い難く、キューバのドキュメンタリー映画としてみた方がよい。 津川雅彦が演じた主人公は典型的なノンポリの感じで、キューバの地では完全に浮き上がりまくっており、単なるストーカーにしか見えない。「自分を幸せにできない者が、他人を救うことはできない」と宣いつつ、その幸せとは「自分と一緒に日本へ行く」ことで、単なる阿呆な姿をさらす。 ある兵士に主人公が「自分は自衛隊に入ろうと思ったことがある」と言って、それは何故かと尋ね返されたとき、「戦車に乗りたかったから」というセリフ(とそれを聞いて侮蔑したような表情の兵士たちの姿)は、非常に象徴的だ。 しかし、まぁそれは、たぶん監督があえて狙っていたことなのだろう。 そういうだらしない日本人を中心に据えることで、映画に写し撮られた当時のキューバの町や人の姿や、また挟み込まれた記録映像などを通した、キューバ革命の歴史と実際が、観客に真に迫って感じられることにもなる。 そこで描き出される革命像は、単に理想的なものではなく、多くの人が死に、また今なお苦しむ人がいて、掴むことができたもので、それを守り抜こうという人々の決意が強く映し込まれている。 ちなみに津川の話すスペイン語は、(ちらっと囓った程度ではあるが)私の耳にもかなり流暢に響き、時折混じる日本語のアクセントあいまって、ちょっと嫌な日本人青年を好演していたと思う。 知識としては、チェ・ゲバラ──国家元首フィデル・カストロとともに、革命の指導者であり、その後ボリビアで亡くなった革命家──の思想が、キューバの民衆に広く浸透していたと知ってはいたが、至るところに立てられた看板や兵士たちの語りなど、なるほど、こういうものだったのかと納得。 また映画のところどころに、フィデル・カストロ首相の演説姿が写し撮られているが、いや当時は若くて(当然か)少し小太りであったのは、ちょっと意外。 なお、オリバー・ストーン監督作品『コマンダンテ』は、監督自らがインタビュアーとしてカストロに密着取材したドキュメンタリーで、東京では今週末(5/26)から渋谷のユーロスペースにて公開予定だ。 この映画は、冒頭にも書いたように、キューバとの合作映画である。 もともとは、劇映画を撮ることができずにいた黒木監督の下に、竹中労が話を持ち込んで取り持ったもののようだが、当然、当時のキューバに映画製作の予算、余分な外貨があるわけでもなく、黒木監督があちこちに借金して制作費を捻出したようだ。かわりにキューバ側は、日本人スタッフに一切の制限をかけなかったという(キューバ側が黒木監督を指名してきたのは、『とべない沈黙』がキューバで評判になったからのようだ)。 しかし、当時の映画各社に配給を断られ、結局、自主(的)上映になったために、相当な借金を背負ってしまったという。 後半の祭りのシーンでは、「座頭市」らしき姿に扮した男が、仕込み杖を振り回すシーンが出てくるのが、ちょっと印象的。 当時(今でも?)キューバに敵対するアメリカの映画が上映されることもなく、かわりに人気があったのは日本の映画であったという。なかでも『座頭市』はヒットしたようで、その他のラテンアメリカ諸国や東南アジアでもかなりの人気を博したらしい。まぁ香港映画にはもともと武侠映画という土壌があるわけだが。 音楽は、この後、黒木監督作品でずっとコンビを組んでいくことになる松村禎三。 チェンバロを中心としたオリジナルな旋律と、『グァンタナメラ』などのキューバ音楽がうまくミックスしていて、独特の魅力を作り出している。 タイトルから想像される“恋愛映画”としては決してお薦めはできないが、1960年代当時のキューバの姿を知るには、監督のニュートラルな立ち位置もあって、大変によい映画ではなかろうか。【あらすじ】(ネタバレあり) 1968年の夏、キューバ革命10周年に沸く首都・ハバナ。休暇をとって上陸していた日本の青年船員のアキラ(津川雅彦)は、街で煙草女工のマルシア(ジュリー・プラセンシア)に出会い、一目惚れする。マルシアを追いまわしては盛んに口説くが、彼女は素っ気なく、故郷のサンティアゴ・デ・クーバに帰るという。 旅立つ彼女の後を追ってバスに乗り込んだが、到着した先は警戒態勢をとる前線だった。彼女はチェ・ゲバラを信奉する女民兵だった。 彼女に先発されてしまったアキラは、途中で出会った黒人少女とよろしくやるべくサトウキビの収穫を手伝うが、泊めてもらった家は大家族で少女と懇ろになるどころではなかった。 ようやく岬町でマルシアに再会。一夜を友にする。彼女も彼を好きだったのだが、革命のために仲良くなれなかったのだ。そして、彼女の故郷サンティアゴ・デ・クーバでアキラが見たのは、彼女の家族を始め、革命に身を捧げた死者の墓標だった。アキラが無邪気に拳銃ごっこをしていると、いつの間にか彼女は姿を消してしまっていた。 彼女が参加すると行っていた古都サンタクララでの式典。アキラはカストロの演説もそっちのけで彼女を捜すが、すれ違って見つけることはできない。その夜の熱狂的なカーニバルの中でも、彼女に出会うことはできなかった。 ハバナに戻ったアキラは、マルシアの勤務先のタバコ工場を訪れるが、彼女はすでに兵士になるために退職した後だった。『キューバの恋人』【製作年】1969年、日本・キューバ【製作】黒木プロ=キューバ国立映画芸術協会【監督】黒木和雄【脚本】長谷川四郎、阿部博久、加藤一郎、黒木和雄【撮影】鈴木達夫【音楽】松村禎三【出演】津川雅彦(アキア)、ジュリー・プラセンシア(マルシア)、グロリア・リー(黒人少女)、アルマンド・ウルバチ(青年民兵)、フランシスコ・カステイセーノ(チェ・ゲバラ部隊兵士) ほかDVD『キューバの恋人』『黒木和雄 初期傑作集DVD-BOX』松村禎三サウンドトラックCD佐藤忠男著『黒木和雄とその時代』黒木和雄 戦争レクイエム三部作 DVD-BOXDVD『チェ・ゲバラ&カストロ』DVD『チェ・ゲバラBOX』DVD『モーターサイクル・ダイアリーズ』
2007.05.24
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今注目の若手女優、成海璃子の主演最新作で、共演は、アイドルグループ「AKB48」の前田敦子。真戸香の原作小説をもとに、名匠・市川準監督が思春期の揺れ動く少女たちを瑞々しく描きだした傑作。 東京・池袋のシネ・リーブル池袋にて公開2日目に鑑賞。 『あしたの私のつくり方』 評価:☆☆☆☆【あらすじ】(公式サイト掲載の文章を一部改変) 学校では仲間外れにされないように目立たず、家では離婚した両親を気遣って良い娘であろうとする女子高生・寿梨(成海璃子)。日南子(前田敦子)は、憧れの優等生からクラスで無視される存在に変わった小・中学校の同級生。寿梨は高校生になって山梨へ転校した日南子に、偽りの名前“コトリ”を使って、架空の物語を携帯メールで送り続ける。それは、人気者“ヒナ”のハッピーな生活を描いた「ヒナとコトリの物語」。日南子は、次第に物語の中のヒナに魅了され言動を真似し、誰からも好かれる女の子になっていく。自分のことのように喜ぶ寿梨。しかし、いくら理想の自分たちを物語として紡いでも、現実を生きていかなくてはならない。“本当の自分”と“偽りの自分”の間で悩み傷ついた少女たちが見出した希望とは…。 いやはや、恐るべし成海璃子。彼女の演技力は圧倒的ですね。 『神童』もすごかったが、あちらは設定上の役柄そのものが天才ピアニスト少女であったので、“天才”に見えるか否かが結構ポイントだったりして、その分、演技の評価に割を食っていたように感じるが、本作のように等身大の役柄だと、その凄さは一目瞭然(いや撮影時に14歳で高校生役だから等身大ではないか)。彼女を観るためだけでも、この映画を鑑賞する価値はあると思う。 もっとも、周囲を気にしてバランスを取るあまりに自分を見失ってしまう主人公は、もしかしたら(幼くして)映画/TVドラマ業界に飛び込んで本来の自分のあり方を模索している彼女自身なのかもしれない。 容貌自体は好みのタイプではないが、惚れてしまったかも知れない。 今後の飛躍が大いに期待できる(数少ない?)女優だと思う。今のうちはびしびししごく監督の存在自体、最近減ってきたような印象はあるが)に付いて、さらにその演技力を高めていって欲しい。 近々公開される『きみにしか聞こえない』も、ストーリーはともかく(って失礼かな)期待度は大。 もう一人の主人公とも言うべき前田敦子は、秋元康が手掛けるアイドルグループ「AKB48」のメンバー、らしい。私はこのグループの存在自体、知らなかった……^^;。 映画初出演ながら、思いつめた表情など印象的で、良かったと思う。ただ、演技力は相手役が相手だけに、今ひとつの印象は否めなかった、かな(ファンの方、ごめんなさい)。 とくに、クライマックスの二人が会話を延々と交わす場面など、成海璃子と並んでしまうと、その力量の差がはっきりしすぎていて、ちょっと可哀想な感じもした。まぁ監督的には、あえてその素人っぽさを出して、二人を対照させたかったのだろうし、そういう意味では、ありのままの“普通の高校生”らしくて、良かったとも思う。 女優としての将来性は、未知数、とだけ書いておこう。 役者としては、成海璃子の両親役の石原良純と石原真理子。これがなかなかどうして見事にはまっていました。この二人が日常的に喧嘩していたら、そりゃ子どもは顔色を伺うような性格になるわなぁ。 話的には、昔からあった(であろう)「いじめ」の問題、自分自身のアイデンティティの確立など、ありふれたテーマではある。 それを、今時の中学生・高校生にとって無くてはならない必携のアイテム──携帯電話というコミュニケーション・ツールで表現しているあたりが、斬新さであろうか。多くの中年以上にとっては、携帯は用事があって使用するものであって、コミュニケーション手段にはなりきってはいないと思う(少なくとも私には)。 文字を画面に見せる手法は、10年以上前にパソコン通信による男女の交流を描いた森田芳光監督『(ハル)』あたりが先駆けと思うが、本作でも割と効果的に使われていたように思う。 ただ、クライマックスの携帯のTV電話は、(おじさん世代には)ちとやり過ぎの感じはした。小中高校生ではこれが当たり前なのだろうか?(この辺に世代のギャップがあるのかもしれない) あと、全体的に、携帯の使い方──無意味に機種をアップで映していたり等──が、NTT DoCoMoの宣伝番組のようで、大いに難点(なので☆一つマイナス)。まぁ監督が、TVCM監督として名を馳せてきた市川準ということもあるだろうが……。 全体の筋には直接には関係しないが、一つ気になったのは、マスゲーム「涼月譜」の全体像がまったく見えなかったこと。 学校側は、これを行うことで一体何を表現しようとしていたのだろうか? あと、たぶん撮影したはずなので、DVDの特典か何かで観てみたいな。 ということで、とくに清酒映画が好きな方には、機会があれば是非鑑賞をお薦めする。『あしたの私のつくり方』【製作年】2007年、日本【配給】日活【監督】市川準【原作】真戸香【脚本】細谷まどか【撮影】三條知生【音楽】佐々木友理【出演】成海璃子、前田敦子、石原真理子、石原良純、高岡蒼甫、近藤芳正、奥貫薫、田口トモロヲ ほか公式サイトhttp://watatsuku.goo.ne.jp/原作本主題歌所収CD成海璃子出演『瑠璃の島』DVD-BOX成海璃子出演『最後のナイチンゲール』DVD成海璃子出演『1リットルの涙』DVD-BOX成海璃子出演『雨の町 デラックス版』DVD
2007.05.24
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『プロデューサーズ』で軍服姿の変人戯曲家を快(怪)演していたウィル・フェレルが、“作家”に人生を“操られ”てしまう悲哀を演じた、ちょっとユーモラスなヒューマンドラマ。 ワーナーマイカル・シネマズ板橋にて鑑賞。 『主人公は僕だった』 評価:☆☆ そもそもの設定――作家の書く物語の通りに人生を送っていた主人公に、その物語自体が聞こえてしまうことから起きるドタバタ劇――自体はたいへんに魅力的だが、脚本がそれを活かしきれていなかったように思う。 とくに後半、主人公と作家が同じ街の同じ時間軸に存在していて、執筆中といういわゆる“メタ構造”が作り出す“ややこしさ”は、ある意味、タイムトラベルものに似ていて(とくに近い過去に戻った場合)、かなり緊密な構成が要求されるはずだが、そこがかなりいい加減な感じだ。 象徴的なのが、後半に作家の所にかかってくる主人公からの電話。 この段階で、それまではたぶん小説中には登場していなかった作家自身が、物語中に登場することになったはずである。その意図はよく分からないが、3度も電話をかけさせて試すところを観ると、作家の登場はほぼ確実だろう。 しかし、そうすると、それ以降の小説の展開において、作家は自分自身の行動・考えも書き込まなければならないはずだが、そのような(メタ構造になっている)描写はまったくない。あくまでも作家は、神の存在としてその後の主人公の人生も描いている(ようにしか映画では見えない)。 これはものすごく不自然だ。 なので、ラストの改変もまったく感動的ではなくなってしまっている。 もう一つ、主人公が死ぬことで大傑作になるという会話が交わされるが、端々に描かれている小説の筋を追う限りは、どう考えてもそのようには思えないんだよな。 決まり切った生活を送る国税庁の職員が、ケーキ職人の女性と恋人になり、そして子ども助けるために死ぬ、というだけの話でしょう。なんで大傑作なのか、さっぱり分からん。 映画製作者たちは、世に数多存在する小説を読んだことはまったくないのだろうか? とくにメタ構造な話は、筒井康隆をはじめ、(日本の)SF作家やミステリ作家で得意としている人は結構いるので、それらの翻訳本(があるとすればだが)を是非とも読ませてみたいなぁ。 設定上の不自然さに気づいたスタッフもいるだろうが、まぁ船頭多くして……のパターンで結局、どうにもならなかったんだろうな。 そういう意味では、徹底的にコメディにしてしまって、不自然さを吹き飛ばすような爆笑の渦に包ませてしまった方が良かったのではないか。突っ込み所を突っ込み所として昇華するには、笑いが一番である。 もう一つ、映画の冒頭は「これはハロルド・クリックと、彼の腕時計の物語だ」とのナレーションで始まり、また作家の書いている小説のタイトルに「腕時計」とある。その割には、そこで描かれる主人公の人生と映画の展開に(ラストを除き)腕時計がほとんどまったく関わってくることはない。所々に光らせたりしてはいるが、(ラストを除いて)「腕時計の物語」と呼べるようなことは何もない。 そもそもラストの使い方も、改変したからそうなったのであって、作家がはじめにどのように考えていたのか、まったく分からない。【追記】コメント欄で 仙道勇人さん にご指摘いただきましたが、「(腕時計のように規則正しい)ハロルド・クリックの物語」というのが、たぶん正しい解釈だと思います。仙道さん、ありがとうございます。ただ、上記は鑑賞直後に私が思ったことなので、自戒もこめて記述はそのままに、追記する形にしました。 ということで、理屈好きな人やタイムパラドックスものが好きな人には、まったくお薦めできない映画だと思う。 恋愛映画としては、まぁそこそこかな。【あらすじ】(goo映画より転載) 平凡で面白みのない男、ハロルド。国税庁の会計検査官である彼は、過去12年間、毎日決まりきった生活を送っている。しかしある朝、ハロルドの頭の中に、彼の行動を文学的な表現で語る女性の声が割り込んできた。それからというもの、その声はハロルドの頭にたびたび響くようになる。彼女によれば彼はどうも小説の主人公のようで、しかも彼に死が近づいていることもほのめかしていた。それから自分の運命を変えようとするハロルドの奮闘が始まった。『主人公は僕だった』 Stranger Than Fiction【製作年】2006年、アメリカ【提供】コロンビア・ピクチャーズ、マンデイト・ピクチャーズ【製作】スリー・ストレンジ・エンジェルズ【配給】ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント【監督】マーク・フォースター【脚本】ザック・ヘルム【撮影】ロベルト・シェイファー ASC【音楽】ブリット・ダニエル【出演】ウィル・フェレル(国税庁職員:ハロルド・クリック)、マギー・ギレンホール(ケーキ職人:アナ・パスカル)、ダスティン・ホフマン(ヒルバート教授)、エマ・トンプソン(作家:カレン・アイフル)、クイーン・ラティファ(作家の助手:ペニー・エッシャー)、トム・ハルス(国税庁のカウンセラー)、リンダ・ハント(精神科医)、トニー・ヘイル(ハロルドの同僚:デイヴ) ほか公式サイトhttp://www.sonypictures.jp/movies/strangerthanfiction/
2007.05.23
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『リング』シリーズの原作者・鈴木光司による短編小説「夢の島クルーズ」を映画化したもので、アメリカのホラー監督の競作作品『マスターズ・オブ・ホラー」』第2シーズンの中の一作(の映画バージョン)。 なので、スタッフ・キャストのほとんどが日本人ながらも、れっきとしたハリウッド映画で、東京湾を舞台にしながらも、セリフのほとんどは英語で日本語の字幕付きという、今までの日本映画にはないテイスト?を持ったホラー映画である。 出演は、ヒロインに幅広い役柄をこなす木村佳乃、その夫に海外作品への出演も多い石橋凌、ヒロインを愛する弁護士に新鋭ダニエル・ギリス。監督は『リング0』の鶴田法男。 『ドリーム・クルーズ』 評価:☆☆☆【あらすじ】 資産家の斉藤英治(石橋凌)に連絡をとった顧問弁護士ジャック(ダニエル・ギリス)は、夢浜マリーナに呼び出されるが、待ち合わせ場所にいたのは英治の美人妻・百合(木村佳乃)であった。じつはジャックと百合は不倫の関係にあった。百合は恐ろしい予感に震える。英治の前妻・直美(蜷川みほ)は、百合と英治の関係が進んだ頃、突然失踪していたのだ。 遅れて現れた英治は、ジャックをクルーズに誘う。少年時代に弟ショーンを海で亡くして以来、水に対するトラウマを負っていたジャックは固辞するが、英治に押しきられてしまった。 百合は自分を美しい装飾品のように扱う英治への愛情が冷めていて、異国で暮らすジャックは真剣に百合を愛するようになっており、そして英治は2人の関係に気付いている様子だった。それぞれの思惑を乗せ、クルーザーは海上に出る。 海が夜の闇に包まれる頃、何かがスクリューに絡まって、船は停止してしまった。水が苦手なジャックに、潜ってスクリューを確かめることを強要する英治。百合の口添えで結局、英治が水に入っていくが、スクリューに絡んでいたのは、人間の髪の毛だった! そして突然スクリューが回り始める……。 こうして、外界から隔絶されたクルーザーの中、恐怖の一夜が始まった…。 すでに前宣伝で明かされているが、『リング』の貞子、『呪怨』の伽椰子にあたるのが、失踪した前妻の直美で、苦悶と憎悪に満ちた怖ろしい姿でヒロインらに迫っていく。 ただ、貞子や伽椰子を越える新たな女性怨霊が創造できたかというと、ちょっと微妙。 確かに、あり得ない角度に曲がった頭部や、緑色の燐光に包まれた姿など、演じた蜷川みほとスタッフは頑張っていたと思うが、クルーザーの脇に佇む姿は貞子の、船底を這いずる姿は伽椰子の、それぞれ二番煎じな感じは否めない。せめて最後の海中のシーンで何か工夫があればよかったのだが。 また、アメリカ人弁護士の幼かった弟ショーンの亡霊が出てくるのも、『呪怨』での“トシオ”を想起させてしまい(登場の意味合いは大きく異なるものの)、それもナオミのインパクトを削いでしまっていたように感じてしまった。 とはいえ、キャラクターとして貞子や伽椰子が凄すぎるのであって、怨霊としては結構 魅力?的であったし、話の恐さ・怖さとしては『リング』『呪怨』に匹敵する感じではあった。 個人的には、とくに前日に、不在性の恐怖をメインにした『アパートメント』を見たばかりなので、怨霊による即物的な恐怖は、充分に訴えてくるものを感じた。 ヒロインの木村佳乃は、目で恐怖を訴える演技が素晴らしく、また大人の女性の魅力満開という感じではあったが、『蝉しぐれ』のように、和服の方がより艶っぽく感じるのだがなぁ(単に私の好みだが)。 アメリカ人弁護士役のギリスは、パンフレットを見るまで、『スパイダーマン2』でメリー・ジェーン(MJ)の婚約者役の人だとは気が付かなかった。 しかし、何と言っても、石橋凌の演技が凄い。嫉妬心をおびた狂気がにじみ出るような様は、正直ナオミよりも背筋が寒くなるものを感じた。もっと他のホラー映画でも是非とも見てみたい俳優だ。 原作の「夢の島クルーズ」は、すでにテレビドラマ(「幻想ミッドナイト」の一エピソード)として1997年に飯田譲治監督によって映像化されているので、機会があれば(比較のためにも)見てみたいものだと思う。 ホラーは好みの違いが大きいので万人にお薦めとは言いがたいが、ホラー映画ファンであれば一見の価値がある映画だと思う(ま映画館でなくても良いとは思うが)。『ドリーム・クルーズ』 DREAM CRUISE【製作年】2007年、アメリカ【配給】角川映画【監督】鶴田法男【原作】鈴木光司(「夢の島クルーズ」)【脚本】高山直也、鶴田法男【撮影】さのてつろう(J.S.C)【音楽】コージー・エンドウ・Jr.【出演】木村佳乃、ダニエル・ギリス、蜷川みほ、石橋凌 ほか公式サイトhttp://www.dream-cruise.jp/原作所載本DVD-BOX『マスターズ・オブホラー Vol.1』DVD-BOX『マスターズ・オブホラー Vol.2』『リング』コンプリートDVD-BOX『呪怨』DVD
2007.05.23
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日本の宮崎あおいと、韓国のイ・ジュンギ主演の、日韓合作によるラブストーリー(韓国映画を観ない人のために補足すると、イ・ジュンギは韓国の大ヒット作『王の男』でその“美貌”が脚光を浴びた若手スターで、主演作の『フライ・ダディ』が公開中)。 ワーナーマイカル・シネマズ板橋にて鑑賞。 『初雪の恋 ヴァージン・スノー』 評価:☆☆ エンドクレジットを眺めていると、監督は韓国人、脚本家は日本人であるが、それ以外のスタッフはほぼ両国の人間が半々のようで、きちんとした合作のようだ(分類では、監督に敬意を表して韓国映画にする)。 「初雪の日にデートした恋人たちは幸せになる…」という、韓国(のソウル)の若者たちの間で流布している言い伝えから生まれた物語、らしい。 イ・ジュンギは『王の男』での演技が印象的で(『フライ・ダディ』は未見)、また宮崎あおいもナチュラルな佇まいが気に入っていて、出演作は大概、映画館で見ていたりする(『パコダテ人』や『富江 最終章』も映画館で観たし)。なので、事前には、イ・ジュンギと宮崎あおいとのラブ・ストーリーということで、ちょっと期待していたのだが……。 鑑賞した感想は、もう少し脚本が練れていれば、それなりの佳作になったかな、というところ。せめて編集を工夫すれば良かったのではなかろうか。 もっとも、合作であるが故に、文化的な違いで修正を重ねすぎて、脚本から逸脱した可能性も否定はできないが。 そもそも映画の前半、イ・ジュンギの独白で進行するが、途中途中、宮崎あおいの方に切り替わるのが、とっても不自然。 宮崎側の家庭の描写をひとまずすべて外して、彼女が突然消えてしまった驚きを、イ・ジュンギと一緒に体験させるというのが王道ではなかろうか。冷めた目で見ることしかできなくなってしまう。そして、映画後半(“2年後”)で、偶然再会した彼女の口からその理由を説明する形にした方が、恋のドキドキ感と合わさって、観客をぐっと引き寄せるのではなかろうか。 もし視点の混在が、二人をある程度同等に出演させるという制約から来ているとしたら、本末転倒も甚だしいし、仮に脚本段階で視点を混在させて描きたかったとしたら、当然、イ・ジュンギのナレーションは止めるべきだろう。 前半の始めの方で、言葉のギャップで笑わせる場面はそれなりに設けられているが、もっと生活習慣のギャップで彼が困惑する(そして、それを宮崎なり塩谷瞬なり森田彩華なりの手助けで解決・克服する)場面を入れても良かったのではないだろうか。 そうでないと、恋愛映画があふれかえっている現在、あえて「日韓の男女の恋」を描く意味がないような気がする。 合作映画なので、監督がコントロールするというわけにもいかず、準備段階や撮影現場でのさまざまなギャップがあって、それが悪い方向に作用してしまったような気がする。 まぁ同じく日韓合作『素敵な夜、ボクにください』に比べれば、数段マシではあったのだが。 イ・ジュンギはマウンテンバイクに乗っている様が決まっていたし、宮崎あおいは巫女姿や浴衣姿がとても似合っていて、また儚く可憐な様子が非常に良かった。 京都の風景もうまく切り取っていたりするし、いいところもあるので、映画全体を批判するのは若干気が引けるが、それ故に余計にもったいない気がしてしまうのだな。 細かいことでは、1)イ・ジュンギが焼き物をマスターするのが早すぎる、2)宮崎あおいは韓国の初雪情報をどうやって入手して、どうやってそれに間に合わせるように当地を訪れたのか、3)韓国の美術館、夜間は忍び込んで、展示してある絵に描き込みが可能(本人だから“いたずら”とは呼べないが)というのは、そんなんでいいのか? というあたりがとくに気になった。 ということで、出演者のファンや恋愛映画フリークを除いては、私的にはあまりお薦めはしない、かな。悪くはないんだけどね。【あらすじ】 陶芸家である父親が交換教授として日本に訪れた機会に、京都の高校に転校してきたキム・ミン。マウンテンバイクで転んだ際に追った傷を洗おうと、神社の境内に入ったとき、神社の巫女・佐々木七重と知り合いになる。その可憐な姿に一目惚れしたミンは、体育の授業で、彼女が同じ高校に通っていることを知り驚く。父親がくれた“ナンパ用”の日本語テキストで言葉を勉強しはじめ、積極的に七重にアプローチするミンの姿・気持ちに、七重も徐々に心を動かされ、やがて二人は付き合い始める。しかし、祖母が倒れたということで一時帰国したミンが京都に戻ってくると、七恵はいずこかに消えてしまっていた……。『初雪の恋 ヴァージン・スノー』【製作年】2007年、韓国=日本【製作】角川映画、Dyne Film、CJ Entertainment【配給】松竹【監督・原案】ハン・サンヒ Han Sang-Hee【脚本】伴一彦【撮影】石黒興【音楽】Jung Jae Hwan【出演】宮崎あおい(佐々木七重)、イ・ジュンギ(キム・ミン)、塩谷瞬(小島)、森田彩華(七重の友人:香織)、柳生みゆ(七重の妹:百合)、菅原大吉(暴力男)、松尾諭(お坊さん)、乙葉(ミンの担任:福山先生)、余貴美子(七重の母:真由美)、チョ・ソンムック、テ・ヒョンシル、イ・ファン、ソ・イン、チョ・テヒョン ほか公式サイトhttp://www.hatsu-yuki.com/top.htmlCD オリジナルサウンドトラックDVD『王の男』韓国盤DVD『フライ・ダディ』DVD『初恋』DVD『パコダテ人』
2007.05.22
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『ボイス』『友引忌』『コックリさん』などを撮った韓国唯一のホラー映画監督、アン・ビョンギによる最新作。原作は、韓国での人気マンガ『アパート』(とのこと)。 本当に久しぶりに訪れた東京・池袋のシネマサンシャインにて公開3日目に鑑賞。 『アパートメント』 評価:☆☆☆ アン・ビョンギ監督の名前を見て、一時期、劇場公開される韓国映画の大半がホラーであったとき(2003~2004年ころ)があったことを懐かしく思い出した。 その監督の作品の中では、第2作目『ボイス』はホラーの秀作と思うが(私のお気に入り女優ハ・ジウォンが主演だし)、『友引忌』と『コックリさん』はちょっと外しだった、かな(本作もそうだが、女子高生を活かすのが苦手な感じがする)。 最新作の本作は、『ボイス』のように主人公をキャリアウーマンに設定して、アパートという限定された空間でのサスペンスタッチのホラー映画だ。【あらすじ】 仕事で疲れきってマンションに帰宅してきたオ・セジンは、向かいに建つアパートのすべての照明が、今日も、夜9時56分になると一斉に消えるのを目撃する。翌朝、日課のジョギングから戻ると、手首を切って自殺した女性の遺体が運ばれるところだった。 その夜、上司に仕事を批判され傷ついた彼女は、帰りの地下鉄のホームで、飛込み自殺を図る赤い服の女性に、「寂しくない?」と道連れにされそうになる。何とか手を振り払うと、セジンの目の前でその女性は地下鉄に轢き殺された。以来ショックで仕事を休み、自室にひきこもるようになる。そして、その夜も9時56分になると照明が一斉に消え、セジンの見ている前で、アパートの住人が飛び降り自殺した。 セジンは警察に、照明と連続死には関係があると訴えるが、反対に覗き見の容疑者として注意をされてしまう。そんな中、アパートに暮らす車椅子の少女ユヨンと知り合い、10時前に照明を消さないように忠告する。が、アパートの住人は迷惑がるばかりであった。 その後も、エレベーターでの墜落死、若妻の薬物注射による怪死、風呂場での溺死などが続き、刑事ヤン・ソンシクが調査を始める。共通点として浮かんだのは、被害者たちがある部屋の鍵を持っているということだった……。 キーワードとして、「ひきこもり」「いじめ」などの話題が織り込まれながら、連続殺人事件のようにも見え、何かの呪いのようにも見え、ミステリーの謎を追うような形でドラマは展開していく。 そして、隠されていた秘密が明らかになったとき、“真犯人”が浮かび上がってくる(ミステリー好きには、ちょっと先読み出来てしまうのが難点か)。 そういう点では、『ボイス』のような恐怖というか恐さは薄れているので、その趣きを期待するとやや外すことになる。 しかし鑑賞後には、逆にもっとリアルな、都会特有の“隣人”の怖さに背筋がぞっとしてしまう、そういう感覚のホラーだ。 あ、秘密が明かされると言っても、例えば時間の謎解きはされるが、ある意味で肝心のなぜ照明が消えるのか、消されなければならないのかは分からないままだなぁ。 まぁホラー映画なんで、そのままでも文句を言う筋合いではないが。 あと、笛木優子の演じた赤い服の女性。私的には地下鉄の場面が一番怖かったりしたが、彼女はなんで飛込み自殺したんだろう。これも追求するのは野暮かもしれないが、ラストに関わってくるだけに(と書いてもネタバレにはならないと思う)、かなり気になる。裏設定は用意されているのだろうけど。 子どもを切望する若夫婦の葛藤を描いた『エンジェル・スノー』や、スパイの悲恋もの『二重スパイ』での好演が印象的だったコ・ユソンの、5年振りの女優復帰作でもあるだけあって、主人公の寂しく孤独な(孤立した)姿はぴたりとはまっていた。 本作がスクリーンデビューとなるパク・ハソンも今後が楽しみな女優だが、話的には役柄として今ひとつ活かしきれていないのが、もったいなかった。記憶がなくなったことをもう少し効果的に利用できないものだろうか。 強烈な押しはないものの、いわゆる霊やゾンビ等を含めた人と人との関わりから生じる恐怖ではなく、「空間で起こる断絶、さびしさ、疎外感から派生する恐怖」(by監督)を描いた作品として、韓国系ホラーが好きな人は見ても損はないだろうと思う。『アパートメント』APARTMENT【製作年】2006年、韓国【制作】トイレット・ピクチャーズ アンズ・ワールド【配給】トルネード・フィルム+ハピネット【監督】アン・ビョンギ【原作】カン・プル『アパート』【脚本】アン・ビョンギ、イ・ソヨン、チョ・ムサン【撮影】ユン・ミョンシク【音楽】オ・ポンジュン【出演】コ・ソヨン(オ・セジン)、カン・ソンジン(刑事ヤン・ソンシク)、チャン・ヒジン(車椅子の少女ユヨン)、パク・ハソン(女子高生ジョンホン)、笛木優子/ユミン(飛込み自殺した赤い服の女キム) ほか公式サイトhttp://www.apartment-movie.com/DVD『ボイス』DVD『友引忌』DVD『コックリさん』DVD『エンジェル・スノー』
2007.05.21
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