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昨日、狸さん(うちの幼子2歳)の通う託児所でパーティーがあった。 2週間も前から「みなさんお国料理を持ってきてください」と紙が渡され、保母さんにも「メニューが重ならないようにもう一人の日本人のママンと相談して♪」とまで言われ、私の悩みの種だった。 悩んでいるうちに残るは2日となった。日本の料理で、託児所のパーティーで食べられそうなものといったら、巻き寿司ぐらいしか思い浮かばない。巻き寿司なら簡単そうだ。そうだ、これにしよう。 前日、焼海苔とスモークサーモンを大量に仕入れ、巻きすも購入、Yahooグルメで巻き寿司のレシピを検索して、特訓した。簡単と思えた細巻き寿司はなかなか難しく、失敗作を口に放り込んでいるうちにたちまち満腹になってしまった。こんなことをしている間に、あっという間に日が暮れた。 当日。狸さんを託児所に送る前も下準備をし、狸さんを託児所に送ったあとも、再び取り掛かる。やっぱりうまくできない。この調子で失敗作を食べ続けていたら私はデブになってしまう。もう散らし寿司にしてしまおう…と途中で血迷って散らし寿司にしかけたりしながらも、最終的にはやはり巻き寿司をつくった。 3時間分の血と汗と涙を巻き込んだ寿司を寿司桶に並べ、下に氷を入れて、託児所にいつもより早めに向かう。 ついてみると、他の父兄は「お国料理」などというのはまったく気にしていなかったようですべてケーキやマドレーヌだった。父兄たちの手作りのケーキは30個ぐらいあっただろうか。まるでケーキのコンペティションのようで壮観だった。 その中で、完全に浮きまくっている寿司桶。 これで誰も箸をつけなくて全部残ったりしたら余計目立って悲惨だな…と思っていたが、幸い甘いケーキに食傷気味だった大人には好評だったようで哀しい目立ち方をしなくてすんだ。 好評といっても、実際には、すでにレストランなどで日本食経験があるらしい5人ぐらいの父兄がずっと寿司桶の脇に張り付いて、「Oh! Sushi!」(アメリカ人)、「これはwasabiね」「この寿司ボウル(寿司桶のことらしい)はどこで買えるの?」「午後の5時に寿司が食べられるとは思わなかったわ」とせっせとおかわりしていたというのが実態で、やはり普段外食と縁のなさそうな雰囲気の父兄は興味がなかったようである。 それにしても、考えてみると、昨日はこの寿司をつくるために狸さんを預けている貴重な時間すべてをささげてしまった。 締め切りがせまった翻訳が3つもあるのに。 本末転倒ではあったが、自分が汗水たらして巻いた寿司が売り切れたことに生まれてはじめての不思議な感動を覚えたのであった。すし屋になろうかな。
2006年06月15日
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クリスマスの翌日である本日。狸さん(うちの赤子もうすぐ1歳9ヶ月)を抱っこしてお買い物に出掛ける時に、郵便受けをチェック。郵便物の中に、マリアンヌの横顔と「自由平等博愛…フランス共和国」と書いてある、税務署の請求にそっくりな封筒が一通、ゆんゆんと不吉なオーラを発していた。とりあえずその封筒だけを手にとり、残りは郵便受けに残して、外に出て歩き始めながらその封筒を開け、中に入っている紙を広げた(私は抱っこ帯を使っているので両手が空いている)。途端に、目の前がすうっと暗くなり、狸さんを抱っこしたままクラクラと卒倒しそうになった。「あなたの産休にともない社会保険からあなたに支払われた2,700ユーロを、返金してください」2,700ユーロは日本円にして約40万円。なんですかこれ?!こんなに貧乏なのに、また何かお金を取られなければならないのですか??!!産休中の給料返せってことですか???あんな沢山の社会保険費用を払い続けていたのに私には産休をとる権利もなかったのですか???なぜ今ごろになっての連絡なんですか???家に帰ってから早速、その紙にあった電話番号に鼻息も荒く電話してみたが誰も出ない。そこで、私と同じ時に元同僚で産休をとった人たち(その年は出産ラッシュで次々と妊婦が3人も出た)に電話してみたが、二人ともそんな紙は来てないという。その後、小一時間もの間、私は「共和国大統領に直訴の手紙を書いてやる」と涙をちびって激高する状態と、虚脱状態を繰り返し続けた。そんな私を見て狸さんは手を叩いて大喜びだ。少し落ち着いてもう一度良く読むと「あなたの産休中に支払われた給与に加え、余分に社会保険からあなたに支払われた2,700ユーロを、返金してください」と書いてある。産休中の給料を返せということではないようだ。そういえば、思い出した。産休中、中途半端なお金が3回ばかり社会保険から振り込まれ、こんなお金が貰えるとはどこにも書いてなかったので、何かの間違いだろう(使ってしまったら後が怖い)ととても不安に思い、社会保険事務所に言いにいったことがあった。(もちろん、電話しても通じないので、こういうときもわざわざ足を運んで並ぶわけだ。しかし産休関係以外にも税金だのなんだの余りにも書類だの役所通いだのが多すぎたので、このこともすっかり忘れていた。)この間違いの件について、社会保険事務所からの紙面の連絡は一切なかったが私の最後のほうの給料明細からは「社会保険から受け取り過ぎた手当の返金」とやらの名目で勝手に200ユーロぐらいずつ毎月引かれていた。その後、私は辞職したわけだが、そのために、給料から勝手に引き落とし続けることができなくなり、今回の請求は「まだ払ってない残り」ということらしい。私は、お金を振り込まれた途端、すぐ「何のお金かわからない。間違いではないか?」と指摘したのに、もうすぐ2年近くたつ今頃になって、しかもクリスマスの翌日にこんな手紙を送ってくるとは、さすがフランスだ。そして、2,700ユーロってこの金額は一体??追徴金でも入ってるのか?と思ったが、この書類にはどこにも「追徴金」らしき言葉は見あたらない。(そもそも私のミスではなく社会保険事務所のミスで起こったことだし、しかも私は自分のほうから正直に間違いではないかと指摘したぐらいだから追徴金だなんてとんでもない…でもフランスではそれもありがち。)書類には「名目違いの事故的徴収」という言葉が見あたるので、役所のミスであることは向こうも認めているらしいが、謝罪の言葉は一切ない。そういえば、この間、税務署から全く何の説明もなく突然2000ユーロ近い振り込みがあった。夫が問い合わせたところ、「取りすぎた税金を返した」そうだけれども、これも2年後ぐらいに「やっぱり間違いだったから2000ユーロ返金してくれ」といわれたらどうしよう。これももう使っちゃったんだけれども。いきなりあとから数千ユーロの額を返せといわれても返せない貧乏人に対し、こういうミスをしないでほしい。また、何事も、足を運んでその場にいって並んで人に会わないと解決できないフランスでは時間的精神的ロスも多大なものである。お役所が開いているのは平日の昼間だけなののい、二人とも普通の平日昼間毎日フルタイムのサラリーマンで共働きの夫婦なんかはこういうの一体どうしているのだろうか、不思議で仕方がない。
2005年12月26日
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フランス人と結婚してフランスに住む日本人の99%は、クリスマスが近づくにつれ、チック症・不眠・鬱・手足の震えや痺れ・抜け毛・食欲不振・生理不順・不正出血・腹痛・頭痛・下痢・嚥下障害・めまい・動悸・吐き気などの様々な心身症の症状が出てくる。これがいわゆるノエル・ブルーだ。フランスの伝統的なクリスマスは、いってみれば日本の伝統的なお正月のようなもの。半ば義務的に親戚一同が集まる。親戚の中には当然、価値観の合わない人、会いたくない人だっている。クリスマスの社会的・経済的ストレスは、大人であればフランス人でも感じる人は多い。よっぽど付き合いが好きな性格でなければ、ヨメやムコなど「外から来た人」にとっては疲れるものだ。まして外国人…しかも文化背景と言語が全く違う日本人ともなると更に疲れるだろう。クリスマスプレゼントは大人も含む全員にフランスでは貧しかろうとなんだろうと家族親戚全員へのプレゼントを選ばなければいけない。時間もお金もかかるし神経も使う。プレゼント選びでクリスマスになる前から何週間もストレスがかかるのである。処分に困るゴミ大量発生苦労に苦労を重ねたクリスマスプレゼント選びの代償として、時間もお金も神経も全く使われていないと思われるゴミのようなプレゼントを山ほど貰う。私の友人Yは別にタカビーな人ではない。むしろ日本人女性にしては非常に物質的な価値観が弱い人だと思う。だが、そんな彼女も、余りにもゴテゴテとした嵩張るばかりの安物クリスマスプレゼントに辟易し、毎年こっそりゴミに出しているそうだ。「私がクリスマスプレゼントにあげたアレ、どう? 飾ってる?」などと後で言われないかびくびくするという。でも、実用品ならまだしも、醜悪な非実用品だったらやっぱりそのまま捨てるしかないと彼女はいう。そりゃそうだ。「でも、いつも私がゴミに出すクリスマスプレゼントのガラクタを、ゴミ収集が来る前に持ってく近所の人がいるんだよね。もしかして来年のクリスマスにプレゼントとして誰かにあげるつもりなのかな。私も子供が生まれて切りつめなければいけないことだし、これからは捨てないでそうしようかな…」と彼女は呟いていた。肉体的苦痛ヘビーな料理をこれでもかと大量に食わされる。涙目になっていてもフランス人のオバチャン族は容赦しない。「何ダイエットしてんのよ! あんたは痩せすぎなんだから、もっと食べなさいよ!」と食べさせられる。食べないと気を悪くされる。しかし、言われる通りに食べていると、日本人の平均サイズの胃袋の場合、当日の夜に気分が悪くなって吐いてしまうか或いはわざと吐くかしないと、翌日から数日間は消化不良で苦しむことになる。フランス語ができてもできなくても苦痛フランス語があまりできない人は長時間殆どフランス語がわからない中でニコニコしながら過ごさなくてはならないので大変。フランス語が中級の人は会話が全部わかるわけではないのにニコニコしながら全力を傾けて会話に参加し続けなくてはならなくて大変。フランス語が上級でもフランス人配偶者の親戚が性格が悪かったり民度が低かったりすると絡まれたりして大変。そういう人が親戚の中にいると「日本って貧しい国なんでしょ。フランスに来られてよかったね。嬉しいでしょ」「産児制限があるそうだけど、君たちが子供作る場合は2人以上つくったらたとえばもう日本に住むことはできなくなるの?」といった、本当に無知なのかそれとも意地悪でわざといってるのかわからないような質問を延々と相手しなければならない。遠隔地に住んでいると、お泊まりでノエルに参加しなければならない。…とまあ、こんな感じだそうだ。私もクリスマスを「義母の退屈な会話の相手をさせられ、鵞鳥の強制肥育のように食べさせられるのをどうしても免れられない日」としてストレスに感じていたが、他の人の話をきいているうちに、次第に自分はラッキーだと思うようになった。徒歩20分・メトロで2~3駅と近いのでお泊まりはあり得ないし、少なくともプレゼント準備の心配がないし、集まる人数が少ないし義母以外は話が面白い人たちだからだ。(夫の実家のクリスマスがフランスの一般家庭に比べとても地味であっさりしているのは、葬式以外教会には縁がなさそうな左翼インテリ家庭である上に、なにより夫が一人っ子で従兄弟も一人もいないことに原因があると思う。義父母+私たち+生涯独身を貫いてきたおじさん一人と夫に先立たれたおばさん一人で義父母宅でクリスマスディナー。とくにシステマティックにプレゼント交換ということもしないので、行く時は普段と同じように手みやげに花やチョコレートを持っていくだけ。)
2005年12月21日
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一応、アダルトな話。かなり前からフランスでは雑誌におまけをつけて売るのが流行っている。これはキオスクでは場所を食うし陳列しにくいので嫌われているが、おまけつきのほうが売れ行きは断然良いそうだ。さて、「Jalouse(ジャルーズ)」という女性誌がある。この雑誌のコンセプトはかなりポジティブ(…というよりはアグレッシブ?)に「若い女性の自由」を前面に打ち出すことにある。もちろん、「一部の特殊な若い女性のためのマニアな雑誌」ではなく、キオスクにいつも置いてある、一般的な雑誌である。私も一度オマケに惹かれて買ったことがある。その時のオマケは、一瞬、女性器のように見える写真がついたビニールのバッグ。よく見ると人の片目が縦にアップで写っているだけ。面白いと思ったので買ったはいいものの、これ、持って歩けない。日本だったら持って歩いていてもまわりの人に引かれるだけだろうけれども、フランスだとこんなものを持って歩いたら娼婦かなにかと間違えられてしまうだろう。かといって、なかなか面白いデザインのものを捨てるのも惜しいような気がして、結局、家でしまいこんだままになっているのであった。さて、そのJalouse誌の年末年始号のおまけは「バイブレーター」。「Good vibrations 2006年」とビーチボーイズの歌のタイトルからとった少々季節はずれなキャプションがついている。ヌーベル・オプセルバトゥールの記事によると販売部数の半分にあたる5万部にこのおまけがついており、オマケつきだと4ユーロ。オマケなしだと3ユーロ。オマケは不透明のプラスチックで包んであり「18禁」と書いてあるそうだ。オマケ付きとオマケ無しのバージョンを売り出したのは「読者や販売者が選択できるように」だそうである。つまり、「こんなものうちの店にゃーおけない!」と思った店は、3ユーロのオマケ無しのほうだけ仕入れればいいということだ。それにしても、たとえ店がこれを店頭に並べたとしても一体誰がキオスクで買うのだろうか? しかも5万部も。SPMI(プレスマガジン&情報組合)の組合長パスカル・マリー女史は「バイブレーターは今日ではフツーに消費されているもの」「今ではバイブレーターの地位は昔と大きく変わり、自由に販売され、広告にも堂々と出てくる」というが、…そうなのですか???いくらフランスでもこれを若い女性がガンガン買うのが一般的とは思えない。だが、「ソニア・リキエルが、セックスショップの外にバイブレーターを持ち出した先駆者」という一行が上記の記事にあったので、ちょっと検索してみたら、ソニアリキエルからは口紅型のバイブレーターや海外ドラマSex and the cityででてきた「兎」というバイブレーターが出ているそうで、サンジェルマンのリキエルのブティックでもエロティック・コレクションのコーナーがあるとのこと。また、Yobaというお洒落路線を打ち出した女性向けのランジェリー&セックスショップもできたそうだが、サイトを見ると、なんとプランタン百貨店内にもブティックがあるようだ(下着だけかな?)。…でも、数日前、近所の新聞屋さんで新聞を買った時になんとなく雑誌の並べてある場所を見てみた時は、Jalouse自体が並んでいなかった。やっぱり「普通!」といいきるには無理があると思う。ちなみにこのYobaのサイトを見てみると、「boules de Geisha(芸者ボール)」なるものがあった。紐に、クリスマスのデコレーションのようなボールが二つつながっているもので、これも性具らしい。「boules de Geisha」で検索すると、山のように他のセックスショップのサイトも出てくるのでフランスのアダルトグッズでは定番のもののようだ。ところが、日本語で「芸者 玉」「芸者 ボール」「ゲイシャ ボール」「アダルト ボール」で検索してみても、似通ったものは出てこない。「遊女 性具 玉」で探したらやっと「りんの玉」というものが昔あったらしいことが見つかった。が、「りんの玉」で検索してみると、それが現代の日本でアダルトグッズとして商品化されているということはないようだ。変なところで生き返って一人歩きしている日本の昔の文化…。はるばる海と時代を越えてこんなものをリバイバル・普及させているフランス人の文化的熱意には頭が下がる。
2005年12月19日
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今回の暴動に際し、思想家アラン・バディウ氏が、11月15日のル・モンド紙で、(学問の話ではなく)個人的な体験を語っている。 ちなみにバディウ氏はENS(高等師範学校、通称ノルマル)哲学科名誉教授。彼の思想や業績については、表象文化論出身のくせに不勉強な私にはよくわからないので私にきかないでいただきたい(ご興味ある方は検索してね)。モロッコ生まれけれどもモロッコ人ではなくフランス人の模様(間違っていたらご指摘願いたい)。 バディウ氏には16歳の養子がいる(仮名ジェラールとする)。ジェラール君は黒人である。バディウ氏とジェラール君が住むのは、今回の暴動の部隊となっているような「治安の悪い貧しい郊外」ではなくパリ市内であるが、それでもジェラールは常に警察のコントロール(職務質問や身分証の確認、所持品・身体検査など)に遭っている。 2004年3月31日から今日までの1年半だけで、ジェラールは、路上で数え切れないほどのコントロールにあい、6回も「逮捕」されている。逮捕というのは、つまり、手錠をかけられて警察署に連れて行かれ、侮辱されたりベンチにつながれたりして、何時間も、時には1~2日も拘留された、ということである。ジェラールは何もしていなかったのに、である。 「迫害体験の最悪な部分は往々にして詳細の部分。だからちょっと細にわたるが…」と断りつつ、最近の逮捕についてバディウ氏は語る。 午後四時半頃、ジェラール君は友だちのケマル(トルコ人家庭の子)と一緒に女子校の前にいた。ジェラール君がナンパをしている間、クレープ屋などでバイトして小銭を持っているケマル君は、女子校の隣の高校の生徒から自転車を20ユーロで買っていた。 しかしその後、3人のもっと年齢の低い子ども達(白人の)が来て、「この自転車はボクのだ。1時間半前に、よそのお兄さんに貸してって言われて貸したら返してくれなかったんだ」と言う。要するに、ケマルは「借り物」を売りつけられてしまったわけだ。ジェラールは「返すしかないだろ」と言い、ケマルも返すことを決心。3人の子たちは自転車を持ってその場を去ろうとした。 その時、きーっとブレーキ音とともにパトカー到着。パトカーから出てきた2人の警官がジェラールとケマルに飛びかかって、地面にねじ伏せて手錠をかけ、立たせて壁に押しつけた。「このカマ野郎!馬鹿野郎!」 ジェラールとケマルは「自分たちが一体何をしたというのか」ときいた。警官たちは「分かってるだろう。あっちを向いて、お前らが誰か、お前らが何をしたか、みんなによーく見てもらえ!」と二人を通りのほう へ向けた。なんと30分もそうしていたそうな。(バディウ氏は「中世の晒し台」の再現だ、といっている。) そして、「お前らだけになったらたっぷりお見舞いしてやる」「犬は好きか?」「署にはお前らをかばってくれるヤツは誰もいないんだからな」などと脅しの言葉。 3人の子どもたちは「彼らは何もしてないよ。僕たち、自転車は返して貰ったよ。」といったが、警察はジェラール、ケマル、3人の子どもたちと自転車を警察署に連行。警察署ではジェラールとケマルと3人の子たちはバラバラにされた。3人の子どもたちは先に返された。ジェラールとケマルは、ベンチに手錠でつながれ、その前を警官が通るたびに向こうずねを蹴られた。ジェラールは「デブ豚」「垢野郎」などと言われた。二人はやっと拘留の理由をしらされた。2週間前に起こった集団暴行事件の疑いをかけられているのだ。(つまり自転車は全く関係なかったわけだ。) その時すでに夜10時。バディウ氏は家で息子を帰りを待っていた 2時間半後、電話がなり、「息子さんが集団暴行参加した可能性で拘留されているのですが」と警察から連絡。バディウ氏は「この“可能性”という言い方がまたいいよね」と皮肉る。警官全員がジェラールを犯罪者確定扱いしていたわけではなく、通りがかりにジェラールに「それにしても君はどんな事件にも関わりなさそうだけどねー。なんでまだここにいるの?」と言った警官も一人いたそうだが。どこからこんなことになったのか、というと、ジェラールとケマルが門前にたむろっていた女子校の生徒監督が、ここのところ話題になっている暴動に参加した若者と勘違いして二人のことを通報したからだったようである。 別の逮捕の時には、警察がジェラールの学校に、全校の黒人生徒全員の写真と書類を全部送るように、と依頼したこともある。バディウ氏は警部のデスクにその書類があるのを見たので、学校側も警察の言う通り黒人学生の書類を提出したようだ。 バディウ氏に警察が「息子さんを引き取りにきてくれ」と連絡したのは夜10時をはるかにまわったころだった。ジェラールは何もしてなかったのに。警察側は謝った。しかし、バディウ氏は「謝られたって、甘んじて許せるもんか」と怒りを隠さない。氏は「これが(ジェラールのように比較的恵まれた立場にある若者ではなく)“郊外”の若者だったら、謝罪すらしてもらえないのだろう。」と言う。「彼らが日常生活でこうした汚辱を受け続けていれば、これが荒廃をもたらさないはずがなく、暴動も無理もないこと。暴動が起こったのは(この社会の)自業自得。治安と称して金持ちばかり守り、労働者系や外国人系の子ども達に犬を放つような国家は全くもって軽蔑すべきものだ。」***私はフランスに住むようになってもう○年になる。「この不当な扱いはもしかしたら人種差別ではなかろうか? それ以外に理由が考えられない」という嫌な思いが頭をよぎった瞬間というのは何度もあるけれども、まだ警察のコントロールに遭ったことは一度もない。数え切れないほどコントロールに遭ってたった1年半で6回も何もしてないのに拘留されてしまったジェラール君との格差にびっくりだ。この記事への購読者の反応から、警官によるコントロールの経験の有無を語っているものだけ抜粋。Anonyme(匿名)さん「僕は警察のコントロールに遭ったことがない」(この人の人種は記事からは判別不明。年齢は最低でも20代半ばか?)jさん「僕も青少年。白人だけど、僕も何もしてないのに同じような目に遭ったことがある。ル・モンドに証言が一つ載ってるけど、その裏でどれほどの数の同じような出来事が起こっていることか。郊外の青少年にはお父さんがノルマルの教授だなんていう恵まれた人はいないからなー。」Ireneさん「うちの子はちょっと褐色だけどそれほどでもないの。で、うちの子の友だちはハイチの子(もっと色が黒いという意味らしい)。二人とも何十回も同じ経験をしているわ。いつも、うちの子は止められないのに、お友達のほうがコントロールされるのよ。メトロのシャトレ駅に行けばいつも警官がコントロールやってるから分かるわよ。」Anneさん「私はパリで1974年から1979年の間学生やってたんだけど、たった2回しか身分証明書見せろって言われなかったわよ。2回ともマルチニック出身(黒人)の友人と一緒だった時だわ。彼だってフランス人なのにね!」Jeanさん「私の友人のお嬢さん(白人)と結婚した、高学歴で銀行で良いポストについてる黒人を食事に招いたことがあるのだけれども、彼が自分もそういう経験があると言ってた。とくに新車を買ってから大変らしい。Golf(スポーツカーですか?)に乗ってる若い黒人ってことで…」(←麻薬ディーラーと間違えられてしまう、ということだと)Gerard B.さん「僕は白人で、コントロールされたことはない。アラブ人の友だちがパリに来た時に一緒に出歩いていたら24時間もたたないうちに彼がコントロールに遭った。それで僕もはじめて、赤の他人である警官に「お前」呼ばわりされることが現実にあるんだなと知った。」un jeune de droite...さん「僕は土着フランス人なのでコントロールに遭ったことはない」他の意見には、バディウ氏に批判的な意見も結構多かった。「バディウ氏の話は捏造」「バディウ氏は急進派の左翼活動家だしねー」「暴動が起こったのは社会の自業自得ざまー見ろだなんて不謹慎」「たしかにアラブ人と黒人のほうがコントロールされやすいが、それには理由がある」「20ユーロで自転車が買えると普通本気で思うか?息子を高校の門の外でうろうろさせとくなんて、バディウ氏の教育が悪いのでは?」等々。ただし、ここまで書いて、「購読者の意見」欄の意見書き込みフォームをチェックしてみたところ、名前を変えて何度も投稿するのが可能であることが判明。だから「購読者の意見」欄に書いてある体験談がどこまであてになるかはなんともいえない。(せっかく体験談を拾って概訳したのにがっくり…。)
2005年11月18日
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FN(フロン・ナショナル、国民前線)ジャン=マリー・ル・ペン氏。2002年の大統領選で、指導者層の意表をつき、最終戦に残ってシラクと対決。結局ル・ペンが破れたものの、この事件で、社会党支持者の政治意識の低下していること(バカンスに行くので投票をさぼったなんていう人が多かった)、及び、いままでどちらかというとマージナルに見られていたFNが、予想外に大きな支持層(労働者などの庶民層)に支えられていることが判明。私もフランスに生きる一人の外人である。だから、個人的にこの人には政権を握って欲しくはないが、もし実際に会ったら「一緒に記念写真撮ってください」「あ、ついでにサインも…」と言ってしまうかもしれない。非常にカリスマ性のある人なのだ。2002年の大統領選最終戦の時の候補者テレビ演説でも、自分の政策の話をするのでなく、おもむろにり自分の家族アルバムを開いて、田舎のおじいさんが来客に家族自慢でもするかのように、テレビの前で写真を見せ始めたのは印象深かった。 今回の暴動についてのジャン=マリー・ル・ペン氏の意見であるが、フィガロ紙を見てもル・モンド紙を見てもどうもポイントがはっきりせず、短くあしらわれている(フランスにいる人なら、彼の意見は大体誰にでも想像がつくからかもしれないが…。)そこでFNのサイトに行ってみた。現在、トップページに、「移民、公害問題の爆発的増加…ル・ペンは既に予告していた!」というキャプションとともに、1999年のFNのキャンペーン映像が置かれている(燃える郊外の映像から始まる)。また、11月14日パレ・ロワイヤル広場で「≪Immigration, emeutes, explosions des banlieues : assez !≫(移民、暴動、郊外問題の爆発的増加、もうたくさんだ!)」というテーマで行われジャン=マリー・ル・ペン氏の演説がオーディオできける。完全に一人舞台なので結構長い(40分超)。 私も全部きくのが面倒くさくなって今回の暴動に関してのFNのパンフレットを見ることにした。さすが庶民層を相手にしているだけあって、短く分かりやすくまとめてある。以下、今回の暴動に際してのFNの主張。暴動の原因はFNによると(原文では「~でなかったら、暴徒たちは暴れただろうか?」という言い方をしてますが)●今までの政府(左派右派含め)の刑事政策は、犯罪者は社会の被害者だというイデオロギーに支配され、完全放任主義だった●刑罰が実質的な刑罰になってない。実際に刑務所に入れられることが少ない。●重罪軽罪で有罪判決が出た外国人について、司法はきちんと国外追放してこなかった。●メディアのリンチにあうので、治安部隊・憲兵・警察がまともに仕事ができないし、自衛すらできない。職務中、死んでしまうこともある。●フランス国籍の取得が単なる手続きにすぎず、本来フランス人だけに与えられるべき各種の福祉・手当て・雇用を利用する権利を、希望する者に与えてきた。というわけで、FNの主張は●殺人者については死刑の復活。●フランスの法を破って拘禁されている1万6000人の外国人を国外追放。●帰化してフランス人になった者で重罪・軽罪を犯したものはフランス国籍剥奪。●国籍に関する法律を改革●400万人の不法滞在者の国外追放…ということだ。で、「今回もジャン=マリー・ルペンとFNは正しかった!」と主張。以下、その他あっちこっちのメディアで書いてあったことを拾ってみます。9日、BBCにインタビューされた時も、ル・ペンは暴動参加者でFrancais de papier(ペーパーフランス人)なヤツはフランス国籍を剥奪して追い出せ、といっている。何回か書いてきたように、生地主義をとってきたフランスでは、フランスで生まれた人はみんなフランス人である。帰化人及び、フランスで生まれた移民の2世、3世のことを指しているものと思われる。「移民問題について30年も私が言い続けてきたことが正しいと証明された!だからFNに投票するべきなのだ!」とも。「暴動参加者のうち外国人は国外追放」というサルコジの対応に関しては、ル・ペンは「もともとFNの提案なのに真似された!」と国外追放案の著作権(?)を主張。(フィガロ紙)サルコジにしてやられて悔しかった違いない。また、「暴力の原因は30年もなげやりな移民政策をしてきたから」「フランスに来る全ての外国人は、自分と家族の生活費は自分で出すこと。社会福祉は全く与えない。社会福祉はそのために金を出しているフランス人専用なのだ」と言っているそうな(ル・モンド紙) これ、みなさん、「日本人には関係ない」と一瞬思うだろう。しかし、実際には、フランスに留学している日本人留学生の殆どに影響が出るはずだ。なぜなら、現在のフランス政府は、なんと外国人学生にも家賃補助の手当を気前よく出しており、これは別に貧国から来たわけでなくても支給される。日本人学生たちもちゃっかり利用しているわけだ(ただ、サルコジが政権に入ってからは減額されたときいているけれども)。まわりからきくかぎり、日本の実家が貧乏か金持ちかなどということも関係ないようである。 そして、一応言っておくと、外国人でもフランスで合法的に働けばフランス人と全く同じにがっぽり社会福祉分も天引きされ所得税も取られているので、その点をル・ペンさんどうぞお忘れ無く…。フランスでは、パートやアルバイトや契約社員でも闇労働でないかぎりきちんと天引きされる。FNの国籍政策は、生地主義の放棄と血統主義の採用。二重国籍禁止といい血統主義といい、FNにとって国籍のポリシーに関しては日本が理想的、ということになる。私も日本で生まれ育った日本人なせいかFNの国籍ポリシーにはとくにショックを受けない。実行に移されたら、私が困るルペン氏の主張、それは「滞在許可証(外国人のフランスへの滞在を許可する外国人登録証みたいなもの)は有効期間1年以上のものを発行するな!10年許可証を廃止しろ!」というもの。私でなくてもフランスに家族をつくって永住している日仏家庭、日々家庭の日本人はほぼ全員困ると思う。 現在でも日本が二重国籍を許さない為、日本人の場合は殆どの人がフランス国籍を取得しない。「フランス人配偶者が先に死んだら、日本に帰って老後を過ごしたい」などという人も多い。年をとってくると、日本人にはフランスは辛い。冬は、あふれんばかりのお風呂でたっぷり温まった後、コタツにあたり蜜柑を食べながら紅白を見たくなるのだ。岸恵子だって、お洒落でリッチなサンルイ島に住んでいたのに、フランス生活に疲れ果てて日本に帰ったではないか。フランス人と結婚してフランスに住む場合、1年か2年ぐらいたつと(私の時は1年だったのですが、サルコジ以来2年待つことになったらしい)最終的には「10年許可証」が出る。フランス人と結婚してなくても、一定の条件を満たせば、他の外国人にも出る。フランスでの各種手続きは、山のような書類が必要だし、長い行列に何度も並ぶことになる、体力戦である。その10年の1回の更新も、外人や移民に甘い社会党時代には、郵便だけですませられたときく。しかし、最近はどうなっているのだろうか…。これがもし毎年更新になったら、毎年更新のために警察に押し寄せる人も増えるわけで、毎年毎年、長蛇の列で並んでも途中で列をきられて追い返されてまた翌朝朝市のメトロで…なんてことになるかもしれない。それがいやだったらフランス国籍を取得しろ、というわけだ。しかしフランス国籍を取得(日本国籍を放棄)したら、再び日本人に戻りたいと思っても戻るのは難しいだろう。日本も国籍関係の法律は厳しいからだ。
2005年11月17日
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14日の大統領演説でもシラクが「暴徒の家族は責任をとらなくてはならない」と言っていたが、その責任の取らせ方について、経済制裁(各種援助や手当の一時停止)の是非が議論されている既に、ドラヴィルの市長、トロン氏は、実行に移している。暴徒の家族への福祉・援助(食費援助、電気水道代援助、家賃や給食やバカンスに関する援助)を一時的に停止する、というものである。ランシー市長、ラウール氏は、暴徒の家族に関して「アロカシオンファミリアル(家族手当)を1ヶ月から3ヶ月の間、停止する」と宣言している。今回の暴徒は、家族がこうした手当や援助に頼って生きているような貧しい郊外の若者たちであることは間違いないが、それにしても、万一、何かの間違いで金持ちの家の子が混じって暴れていた場合はその子の家庭についてはどうするのだろうか?などとチラと思った。それから、食費や電気水道代にまで援助をもらっている人たちがいるとはびっくりした。うちも貧乏(私は育児をきっかけに失職、夫は最低賃金に毛が生えたような給料)なので、非常に羨ましくねたましい。(…と、こうした感情が庶民の間に極右に対するシンパシーを生むのかな?)
2005年11月16日
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狸さん(うちの赤子1歳7ヶ月)が寝たので、ラーメンでも食べようかと思ってラーメンをつくったら、ラーメンが出来た途端にオギャーと起きてしまった。しかたがないからラーメンを気にしながら、添え乳。その間に、中庭からシラク大統領の声が聞こえてきた。もちろん、私はエリゼ宮に住んでいるわけはなく、同じ建物の4階に住んでいる頭のおかしいヒッピー世代のマリファナおじさんが、大統領演説に刺激されてテレビのボリュームを最大限にアップしてるのだ。窓を閉めているのに、演説内容が全部聞こえてくるほどだ。とりあえず私に聞こえた部分だけ書くと、、シラクは「discrimination positiveポジティブな差別」は、あくまでも採用しない、と言っていた。discrimination positiveとは、英語でいう、アファーマティブ・アクション。アメリカでしばらく前まで盛んだった方法で、就学や就職などに際し「黒人を何%採用しなければいけない」などと義務枠をつくって社会から強制的に差別を抹消していく対策のことだ(アメリカのことはよく知らないけど、どうもアメリカでは最近は必要なくなったと見なされ廃止の傾向にあるらしいですね)。これはまあ現在のフランスにおいては正しい選択なのかもしれない。アファーマティブアクションは、フランス社会で目に見えて分かるほどゲットー化してる彼らをなんとかするには一番簡単な方法ではあるとはいえ、ただでさえフランスの庶民層は、「移民が優遇されすぎている」「移民に仕事を奪われている」と思っているのだ。この上、移民の子弟たちにアファーマティブ・アクションなどとったら、移民や移民の子弟に対する彼らの不公平感と憎悪を更に煽ってしまうであろう。そして極右政党支持者が更に増えるだろう。少数のエリートがフランス社会を導いているとはいっても、選挙となれば、庶民層が数で大きな力を見せるのは前回大統領選で証明済みだ。それから移民といってもヨーロッパ系移民だっているし、非ヨーロッパ系に限定したところで、アラブ、アフリカだけでなく、パキスタン人だの日本人だの…いろいろいるのだ。どの移民系に対しアファーマティブ・アクションをとるか決めるのは至難の業だろう。…4階のマリファナおじさんが急にボリュームを下げた。狸さんはそれからまた1時間半ほどぐずって、オッパイ(もう出てないと思うけど)を飲みまくり、やっと寝た。ラーメンの前に戻ってきたら、麺がスープを吸ってスパゲッティのような太さになっていた。昨日もラーメンが出来上がったところで狸さんがオギャーと起き、寝付かせるのに2時間もかかって、私はぶよぶよの冷たくなったラーメンを泣きながら食べたのだ。狸さんも早く私の人権を尊重してくれるようになればいいのにと思った。ちなみに、あとで新聞サイトをチェックしたら、シラクは、このほか、「若者たちよ、君らの出自がどうであれ君らはみーんな共和国の子ども達なのだ」「まずは治安が最優先」「貧しい郊外の若者たちに職が見つかるようにservice civil volontaire"(*)を強化、彼らの職への取り込みを活性化させる」等々言っていたそうな。(*) service civil volontaire 私も「ヴォランティアの市民サービス」と訳しそうになったし日本のメディアでも「ヴォランティア対策本部」等と訳されているみたいですが、これは確か、以前の「兵役(service militaire)」に代わってできた若者用プログラムだった思う(でもservice national volontaireという別の呼称だったような気も??)。うろ覚えだけれども、以前の義務兵役は、もっとプロフェッショナルな兵力が欲しい軍にとってもたいして役に立たなかったどころか、若者の就職を妨げていた側面もあり、若者の中での希望者(男女問わず)が、治安や社会福祉の現場で職業訓練的な要素を持った市民活動に関わることができるようなシステムに取って代わられていたと思う。テレビをつけた時に(ニュースなどで部分的に)シラクの演説が映っていると、当然、あのカタカタとした顔の筋肉や上体の動き方に赤子は釘付け。狸さんはシラクが映るたびに「プー!プー!」と、縫いぐるみのプーとテレビのシラクを見比べながら騒ぐようになった。確かに眉毛がカタッと落ちているのと目のあたりがなんとなく似ていないでもないが。シラクのテレビ演説はしばらくの間こちらで見られる。
2005年11月15日
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エマニュエル・トッド氏インタビューの話の続きトッド氏は「今回の暴動の参加者である、移民の2世3世の若者たちは、フランス共和国的な価値観(とくに自由・平等)を内化しており、そしてその価値観がフランス社会で機能してないと感じているからこそ、蜂起したのである」として、この意味で、移民の子たちはフランス社会にとって異分子なのではないのだと主張。氏によると、今回の現象(移民の子たちの暴動)は、市民革命を繰り返してきたフランス社会の典型であり伝統でもあり、まあとにかく非常にフランス的な出来事なのだそうだ。だから、暴徒たちをフランス社会の異分子扱いするサルコジの挑発的な言葉についてはトッド氏は評価していない。トッド氏は、フランスの移民の同化度の一例として、異民族間結婚の率をあげ、イギリスのパキスタン人やドイツのトルコ人に比べて、フランスのアラブ・アフリカ移民のほうが異民族間結婚が多いことを指摘。政府の対応(非常事態宣言、夜間外出禁止令など)に対しては、トッド氏は適切な対応だし、節度も守られていたと見ている。「1968年5月革命に参加した若者たちは『CRS(共和国保安機動隊=治安部隊)はSS(ナチ親衛隊)だ!』と叫んだものだが、実際には治安部隊側は非常に慎重に対処していた。それについて当時の左派が『警察は暴徒を撃たないのは、ブルジョワ層が自分たちの子どもを殺したがらないからだ』などと言ったほどだ(ご存じと思うが、5月革命の学生運動の参加者にはブルジョワの子弟が多かった。)。今回の暴動では、暴徒はブルジョワ層の子どもたちではなく、移民の子ども達であったが、共和国は、移民の子ども達についても撃ったりはしなかった。」つまり、トッド氏の言いたいことは「国のほうだって移民の子らを異分子としては扱っていない。ブルジョワのお子様たちと同様に大事に扱っているのだ!」ということなのだろう。「暴徒のせいで最初の死人が出た時点で、急激に暴力行為が減った。今回の件でフランスを嘲笑する海外のメディアはこの点について考えてくれたっていいんじゃないか。」ここでは、トッド氏は「暴徒である移民の子らも異分子として共和国そのものを否定しながら暴れているのではなく、フランス共和国市民としての共感やモラルがある市民なのだ。彼らがフランス人であるからこそ、死人が出たら、暴力行為を控えるようになったのだ。」といいたいのだろう。氏は「移民の子たちはフランス社会の異分子ではない。移民の子らもフランス人として行動しているし、共和国も彼らをフランス人として扱ってるのだ」と再三強調しつつ、「経済についてはこれからグローバライゼーションのせいで雇用や給料に圧力がかかって厳しくなると思うが、政治的にはこれから良くなるだろう。全国に広がった今回の暴動をきっかけに右派政権も政策について良く考えるだろう」としている。トッド氏自身も楽観論といってるが、私も彼の言っていることは楽観論だと思う。更に、トッド氏の論の後ろには、「なにはともあれ、フランスという国は素晴らしい。絶対フランスが間違うことはないのだ」という、絶対自分の非を認めないフランス的な傲慢さがある。 トッド氏が移民系若者たちの暴動も、政府の対処をも肯定しているのは、どちらも、はっきりいってそれが「フランス的だから」という理由で、ちょっとゴーインだ…。 フランス的であれば、車を焼き払い、公共交通機関を襲い、幼稚園や保育園を焼いていいものなのか?死人が一人出たら各地の暴力行為の数がめっきり減ったとトッドさんは言うけれども、死人が出た頃は、暴動の始まりから相当日数がたっていて、事態の深刻さに政府が厳しい対応を始めた頃だったので、「死人が出たので全国の郊外の移民系若者たちが反省して暴動を自粛しはじめた」と考えるのはちょっと無理がないか? 確かにフランス革命だってもし鎮圧されていれば今ごろ単なる暴動扱いだったかもしれないけれども、今回の郊外の若者たちは何らかの理念を掲げて何か具体的な革命を要求しているわけではなった。2人の移民系若者の感電死をきっかけに、普段からかかえている不満や怒りの表現として暴れていたのではなかったか? (サルコジ辞任しろ!という声もあったけれども、それは後付で取って付けたようなものであって、暴徒たちはサルコジ辞任を求めて火炎瓶を投げているわけではない。)確かにこの「普段からかかえている不満や怒り」は、トッド氏が言うように、「フランス社会からのけ者にされることに対する不満や怒り」ではあり、そういうふうに解釈すれば、「彼らが全国各地で暴れたこと自体にメッセージ性がある」ということになる。百歩譲ってこれを「メッセージ」として解釈するなら、彼らが「フランス社会からのけものにされている」状況に触れるべきだと思うのだが(たとえば統計学者なら統計を出しながら、とか)、トッド氏は、逆に、「彼らはそれほどフランス社会から隔絶されてません。海外のメディアはフランスを移民政策に失敗したアホ国家扱いしないでね! 彼らがフランス人としてフランス社会に同化している度合いが高いからこそ今回の暴動が起こったのですよー」と詭弁を弄して無理矢理ポジティブな話に持って行っているような気がしないでもない。とくに「移民の第二世代第三世代はどちらかといえば庶民階級には良く同化してるほうだと思うし、中流階級やエリート階級にのしあがった者だっている」と言ってるあたり、「んー、やっぱりトッドさんも移民のことは統計からしか見えてないエリートさんなのでは?」と私は生意気に思ったりするのであった。 まず、庶民階級あたりにいる移民系は、非ヨーロッパ系移民に限れば、庶民階級(労働者階級)に「同化」しているというよりは単に物質的な生活レベルが同じくらいになっているというだけの話ではないか。庶民階級(労働者階級)は、移民やその子孫の存在の影響を一番受けやすい。低賃金で働く移民が流入したために職(工場労働など)はどんどん奪われてしまうし地元の低所得者住宅も満員になる。彼らの子どもが増えるため、地元の公立保育園や公立校(幼稚園も含め)もやはり満員になる。だから、庶民階級には非ヨーロッパ系移民が嫌いな人がダントツに多い。アラブ人の多い地域で極右政党の支持率も高いのもそのせいである。 移民出身でも、エリート階級にまでのしあがる人はいるにはいる。サルコジだって移民第二世代だ。ただしサルコジの場合は移民第二世代といっても、ヨーロッパ系だ。それに、お母さんが弁護士だったはずで、それなりの家庭出身だったのではないか? 失業率が高く貧乏なアラブ人とアフリカ人ばっかりの郊外の低所得者住宅に生まれ育って、自分一代でエリート階級にまでのし上がるのは、「お父さんが無職でお母さんがパートの経済的にしい家庭に生まれ、高校まで田舎の公立校に通ってて塾にも行かず東大現役合格し、エリート就職した人」ぐらいの率だ。学歴社会フランスにおいてはフランス式スーパー学歴さあれば本当にサクセスストーリーは可能なのだけども、ただ、そのスーパー学歴をえ身につけるのがやっぱり大変なのだ。 移民第二世代第三世代は、「フランス人」なので、ル・ペンがいくら「暴徒はフランス国籍を剥奪して追い出せ!」と息巻いたところで、追い出すことはできない。たとえ国民投票かなにかで法律をかえて追い出すことにしても、フランスの国際的地位を考えれば無理な選択だろう。(ル・ペンの場合、いろいろ「ああしろこうしろ」と大衆の歓心を買うことを言うけれども、フランスの国際的立場というのを全く考えていない。確かにフランスは自給自足しようと思えばできないこともない農業国だろうが、鎖国するわけにもいかない。「古き良き時代」とはフランスを取り巻く国際情勢も変わってしまっているので、「古き良き時代のフランス」に戻るためにはタイムワープする以外方法はないだろう。) 追い出すことは不可能なのだから、政府は暴動を鎮圧するだけでなく、暴徒の層を救済するために、何らかの社会的対策もとるつもりなようだが、容易なことではないだろう。そもそも、同じフランス国内でも、暴動の起きていない地区では、暴動の話が外国での出来事のような気がするほどだ。それほど彼らはゲットー化してしまっているのだ。そして、今回、政府がすぐに成果をあげられず、もう一回何かこの類のことが起こったりすれば、次の選挙では極右台頭だ。そして私たち在仏日本人だってとばっちりを被るのだ…。在仏日本人の掲示板OVNIを見ると、社会党ジョスパンが首相でなくなってサルコジが内相になっただけで、日本人の滞在身分や運転免許書き換え、外国人学生に出る手当の金額(フランス政府はなんと外国人学生にまで住宅手当を出している)にもかなり影響が出ている模様だ。これがル・ペンが大統領になったらものすごいことになるだろう。もちろん、私も、今回のようなカタストロフィーに際し、悲観論のほうが簡単なのはわかっているのだけれども、しかしトッド氏の楽観論はあまりに無理があるように思えてならないし、フランスの非ヨーロッパ系一移民の身としても、、とても楽観してはいられないのであった。
2005年11月15日
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エマニュエル・トッドは(まだソ連が崩壊してない70年代に)ソ連の崩壊を予告した社会人類学者・人口統計学者である。各国の移民事情についてもいろいろと研究している。そんなトッド氏、今回の暴動であっちこっちにインタビューで引っ張りだこだが、11月12日のル・モンド紙でもインタビューに答えている。http://www.lemonde.fr/web/article/0,1-0@2-3226,36-709613@51-706775,0.html結論から先にいうと、ソ連やアメリカについては崩壊を予告するのが大好きなトッドさんなのに(ソ連のはあたったけど)、自分の祖国フランスについては比較的楽観的な見方(と私は思った)。トッドさんはフランス社会指導者層から離れていく3つの層について言及している。これら3つの層は、必ずしも普段から何についても意見を持っている人たちではないため、普段の世論調査などではなかなか姿を現さない。何かの出来事があった時に、突然意見を持って姿を現し、指導者層(フランスを導いていく政界実業界のエリートたち)をびっくりさせちゃうのだ。普段はろくに新聞すら読んでないのに、今回みたいなお祭り騒ぎがあるといきなり関心&意見を持ってしまう、私やあなたのような人がフランスにも多いということだ。1.2002年の大統領選蓋を開けてびっくり。なんと最終戦にル・ペン(極右政党Front Nationalの党首)が残ってしまった。結局、シラクが勝ったが、この大統領選で、指導者層とは明らかに意見を異にし別の層をなしている古くからの保守的な庶民層(労働者など)(ル・ペン支持層)の姿が明らかとなった。2.国民投票での欧州憲法否決フランス指導者層は当然欧州憲法肯定派であり、フランスも活発に欧州憲法準備にかかわっていた。ところが国民投票をしたところ、結果は「ノン」。ノンを投票したのは上記1の保守庶民層に加え、公務員を中心とした新中流階級であった(トッドは彼らを「国家のプチ・ブルジョワ層」と呼んでいる)。ここでも指導者層から異化していくまた別の層が発覚。3.今回のフランス各地の暴動貧しい郊外出身の移民2世3世の若者たち3つのカタストロフィーの首謀者である上記3つの層は、指導者層に対し反目している点が共通事項だとトッドはいう。しかし3つの層が手をつなぐことはない。保守庶民層と郊外の移民系若者層は、政治的経済的には同じレベルに属するが、歴史的文化的には違う拝啓からきている。保守庶民層と新中流階級は、両方とも国民投票で欧州憲法にノンと投票したが、前者は、既に現実に起こっている状況(失業・低賃金化)に怒ってノンと投票したのに対し、後者は現状維持して自由競争から免れるためにノンと投票している。この3つの層の中で、「(保守庶民層+新中流階級)vs貧しい移民系若者」という反目関係はないのか?という質問に対し、トッドは、「ないと思う」と答えている。トッド氏は今回の移民系若者の暴動は「社会からのけ者にされることを拒絶」するものであり、移民の子ども達がフランス社会の根幹をなす価値観(たとえば「自由、平等」など)を多かれ少なかれ自分のものにしているからこそ起こっていることなのだ!という。まあ、そりゃそうだ。アブデルさんの「故郷(アルジェリアやモロッコなど母国の)なら父親が自由に躾できるのに、フランスでは子どもを躾のためにぶったりすれば、子は警察に行く」という言葉を思い出した。たしかに、普段は警察が来ると「権力の犬め」と物を投げつけるくせに、父ちゃんに「こらっ」とぶたれると「えーん児童虐待だよー子どもの人権侵害だよー」と警察にかけこむ小ずるい姿は、完全にフランス人そのものだ(笑)。(中途半端だけどこのへんで寝ることにして、多分続く)
2005年11月14日
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リベラシオン紙の記事。http://www.liberation.fr/page.php?Article=337921リベラシオンは、フランス語が読みやすいため左翼インテリ層というよりはどちらかというと中間層の社会党支持者に購読者が多い新聞である。ついでに言うと、インクの質のせいなのか、読むと手が真っ黒になるのもリベラシオン紙の特徴。そんなリベラシオン紙が、郊外の貧しい移民の中でも最貧層の悲惨な状況をレポート。パンタン(今回暴動が起こったパリ郊外セーヌ・サン・ドニにある地区)の低所得者住宅の建物のゴミ置き場で寝る母子の話。母子4人(母親アイシャタ・ドラメさん23歳・18ヶ月の赤ん坊・4歳の娘・3歳の息子)は、昼間は低所得者住宅の中にアパートを持つ友人宅ですごさせてもらうが、夜9時になると、子ども達を連れて12階のゴミ置き場に寝に行く。4平方メートルほどの窓も換気もないスペースにマットレス・絨毯を引き、ダストシュートには枕や毛布をつめて就寝(18ヶ月の赤ん坊がダストシュートに落ちたりしないのかちょっと心配)。ゴミ置き場には建物の共有部分の管なども通っている(水道管だったら水の音がうるさいのではないかと想像)。アイシャタさんはここにテーブルを設置し、オムツなどを置いているが、もちろんいつ捨てられるかはわからない。「ここに置いてあるものは全て捨てます」と貼り紙がしてある。ではこの家族は無職なのか、と思いきや、父親のマサンバ・ドラメさん44歳は清掃業の会社に勤務。夜はメトロで28駅を通過しながらパリを横切りパリ市内13区にある施設で寝に行く。朝は5時半の始発メトロでパンタンまで出勤。朝8時、アイシャタさんは、ゴミ置き場を出て、子ども二人を幼稚園に送り、赤ん坊と一緒に低所得住宅に住居を持つ友人宅に転がり込んで日中をすごさせてもらう。友人宅も既に大家族であるが、電話、台所、トイレなどを使わせてくれる。夫婦はアフリカのマリ出身。マサンバさんはイスラム聖職者の子だった。彼がフランスの労働許可証を手にしてからもうすぐ15年たつ。つまりマサンバさんは不法労働者でも不法滞在者でもないのである。アイシャータさんは警察官の娘だった。彼らは2000年にパリで結婚。当時は、アフリカ式「ブラザー」(同郷出身者は誰でもブラザーになってしまうらしい)が住んでいる低所得者住宅に住まわせて貰っていた。ブラザーは、マサンバさんがアイシャータさんを連れ込んだときも、一人目のこどもが生まれた時も、許容してくれた。2人目の子どもが生まれた時、マサンバさんは、低所得者住宅に住む申請を出した。3人目の子どもが生まれると、ブラザーはついに「もう出て行ってくれ」と言い始めた。ブラザーにも嫁さんと子どもができたのである。5月、マサンバさんはまた市役所に手紙を書いた。今回は市役所は返事をすぐくれた。しかし良い返事ではなかった。「ご同情申し上げるが、現在はご要請に答えられない」。なにしろ低所得者住宅は、空きは少ないのに、入居を待っている人たちが山のようにいるのだ。6月、ブラザーはマサンバさんに「悪いがどうか9月までにアパルトマンを出て行ってくれ。打ちにも息子が生まれたしT3(3部屋?)のアパルトマンに8人での共同生活はもう無理だ。出て行ってくれなければ、追い出す。」と「手紙」をよこした。マサンバさんはまた市役所に手紙を書いたが、返事はまたノンであった。まもなく、ブラザーからの最後通告。9月末のことであった。ある日、アイシャタさんが子どもを幼稚園から連れ帰ると、アパルトマンの扉は閉まっており、荷物が踊り場に出されていた。その日から、アイシャタさんと子ども達はその脇にあるゴミ置き場に寝ることとなった。アイシャタさんは、ソーシャルワーカー、市役所、幼稚園の心理カウンセラーなどに相談してまわったが何の解決も得られなかった。8頁にわたる安ホテルのリストを手にして、パリの北部にある郊外各地を足を棒にして歩いて回ったが、大人数の家族を受け入れるホテルはたった一軒、一月1880ユーロ(約26万円)の宿泊費であった。ちなみにマサンバさんの給料は月1200ユーロ(法定最低賃金)、それに手当が月420ユーロ。ホテルはとても無理である。低所得者住宅は、1年間につき100件の空きがあれば3600の申請が来る。つまり、一つのアパルトマンに、36家族が入りたがっているということだ。ちなみに、この1家の収入(給料+手当)1620ユーロは22万円くらい。フランスの不動産屋や家主は、借り手に対し、一般には「家賃の3倍くらいの定収入」を要求する。1620ユーロの1/3は540ユーロ。うまく探せば、いつ入れるかわからない低所得者住宅でなくても、最大で30平方メートルぐらいのワンルームを見つけられるのではないか。低所得者住宅よりは高いし、家族5人には狭いとはいえ、ゴミ置き場で寝るよりはましだろう。敷金三ヶ月分がなかなかたまらないのかもしれないが。ただ、敷金や不動産屋に払う手数料が払えたとしたら、貸してくれるところは簡単に見つかるのだろうか。月1620ユーロの収入があれば、白いフランス人であれば普通はこの程度のアパルトマンはなんとか借りられる。ここでやはり、「マサンバさん家族のような人たちがフランス社会でどう見られているか」が絡んでくるのである。30平方メートルのワンルームといったら、貸すほうは、学生か独身者に貸すことを考えている。なぜなら、狭いところに無理矢理大家族で住むようなタイプの店子(大抵はアフリカ人)は、更に「ブラザー」などを呼び寄せて無茶苦茶な状態にして住むかもしれないし、家賃踏み倒し率や居座り率もやっぱり高いからである。マサンバ&アイシャタさん夫婦の場合も、長い間「ブラザー」の家に住ませて貰っていたが、ついに追い出されるまでねばっている。他に行く場所がないのでねばらざるを得ないからだろうが、ねばられるほうも大変である。それに家賃が滞っても冬季に入ってしまえば人道上も法律上も追い出せなくなる(フランスには冬季の間は、たとえ家賃が払われていなくても住居から借家人を追い出してはいけないという法律がある)。大家族のアフリカ人は危ない…は、偏見ではあるが残念ながらかなり根拠のある偏見でもあり、余計彼らのおかれている状況をますます厳しくしている。では「偏見を被るような生き方」をかえればいいのではないか、と思うかもしれないが、フランスでは、(例外もいるけど大雑把には)人種がそのまま社会階層・経済階層・職業階層になってしまって側面が大きく、それは個人の努力だけでそう簡単に抜け出せるものではない(抜け出した人もいるがやはりどちらかというと例外の部類に属するだろう)。建前では全ての人が平等なことになっているが、やっぱり貧乏で職が不安定なのは有色人種の移民層に多く、その中でもアフリカ人は最下位に位置しているのだ。私たちのアパルトマンの隣にも、今はヨーロッパ系移民(イタリア?)が住んでいるが、その前はアフリカ人大家族が住んでおり、どうも親戚や友人も寝泊まりしているようで、一体何人住んでいるのかさっぱりわからなかった。何人かは仕事もしているようだった。階段では挨拶もするし、静かに住んでいるし、隣人としては別に不安や不満は感じなかったが、家主は大変だったらしい。なぜなら、彼らは7ヶ月分の家賃を踏み倒して夜逃げしたからだ。フランスでは人種や国籍によって差別をすることが禁じられている。が、大家がこの禁止事項を逃れることは簡単である。本当の理由が「アフリカ人はいろいろ問題が多いから」であっても、「あなたはアフリカ人だからダメ」とさえ言わなければ問題はない。「悪いが他の人に決まった」で片づければすむことだ。たまに、うっかり書面などで差別の証拠を残してしまった不動産屋がニュースになることもあるが。
2005年11月13日
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サルコジ内相が、公の場で暴徒を「ラカイユracailles(社会の屑、ゴロツキ)、ヴォワユvoyou(ゴロツキ)」と呼んで話題になり、暴動をも刺激したが、10日の夜にテレビに出た彼はこれらの言葉の使用を正当化して強調。「消防士を殴ったり消防士に石を投げたり、はては高層住宅の上から消防士に向かって洗濯機を投げ落とすようなやつを、なんて呼べばいいのか教えていただきたいものだね。若者か?ムッシューか?いーや、そんなやつはゴロツキだからゴロツキと呼ぶんだ。」「私が『ラカイユがいる』というのは、彼ら自身が自分たちをそう呼んでいるからだ。やつらを『若者』なんて呼ぶのはやめたまへ。」("J'aimerais bien que l'on vienne me dire bien en face, quelqu'un qui ose frapper un pompier, qui jette des pierres sur un pompier, qui balance du haut de la tour une machine a laver sur un pompier, on l'appelle comment ? Jeune homme ? Monsieur ? On l'appelle un voyou parce que c'est un voyou". "Quand je dis il y a des racailles, eux-memes s'appellent comme cela. Arretez de les appeler des jeunes", )とくにこの「ラカイユ」という言葉、単に「社会の屑」だの「ゴロツキ」という意味に加え、特定のコノテーションがある。「郊外の若者jeunes des banlieues」のうちで非行に走っている者(週末に車を燃やして遊んだり、グループでまわりを威圧しながら堂々と万引きしたり、バスやメトロや電車の中で堂々マリファナを吸いながら大きい声で麻薬取引の話や刑務所に入っている兄ちゃんの話をしてまわりを威圧したり、商店のガラスをぶちこわしてテレビゲームを盗んでいったり、消防士や警官が来ると高層建築の団地の上から物を投げ落としたり…)というコノテーションである。彼ら自身が自分たちをラカイユと呼んでいる、とういのは、アブデルさんも指摘している。実際そういう非行少年たちと交流があるわけではないので私もよくわからないが、多分、仲間内ではふざけて「おいラカイユ」とお互いに呼び合ったり、警察に職務質問をされると「どうせ俺たちはラカイユだからだろ」などと言ったりしてるということなのだろう。「郊外の若者jeunes des banlieuesジューヌ・デ・バンリュ」という言い方だが、こちらも文字外に含まれた意味が盛りだくさんである。-公共団地が建ち並ぶ貧しい郊外に住んでおり-移民の2世3世…しかも主にはアラブ・アフリカ系移民の子弟-貧しい-ファッション的にはスニーカーを履きフード付きのジャージを着ている…というイメージである。「jeunes des banlieues」と聞いて、ヌイイやサンジェルマンアンレーなどの金持ちの多く住む美しい郊外の白人フランス人のオボッチャマをイメージするフランス人は誰もいないだろう。…で、サルコジに話を戻すが、サルコジはテレビでゴロツキさんたちを煽ってどうするつもりなのだろうか。1.暴動を煽って更に逮捕者を増やし、そのうちの国外追放できるものはなるべく国外追放し、陰で糸を引いている組織があるならそれが現れるのを待つ。2.なにかの「つもり」があるというより、サルコジの性格自体、義憤に燃えやすい性格、思っていることをストレートに言ってしまう性格であった。3.つまり、既に次の大統領選のことを考え、ル・ペンのひきいる極右政党Front Nationalに票が流れないよう、爆発寸前のフランス市民の気持ちをテレビで代弁。個人的には2と3ではないかと思う。3についてであるが、前回大統領選でも確認できたように、最近のFront National支持者たちというのは、庶民が殆どであり、エリート政治家(右でも左でも)および彼らのポリティカリー・コレクトな発言や政策が嫌いで、それにフラストレーションを感じている。ル・ペン氏の人気の秘密の一つは、ポリティカリー・コレクトネスに構わず、ずばずばメディアでそうした庶民の感情を代弁する点にある。サルコジはこうしたル・ペンのポピュリスム手法を先取りしてしまうことで、極右へ流れてしまうかもしれない人気を自分に集めようとしているのではないだろうか。まあル・ペンよりはサルコジのほうが全然ましだと思うし、今回政府がなまぬるい対応をしたら次の大統領選では一挙に極右に票が流れるに決まっている。ル・ペンが大統領になったら外人である私にはフランスが更に住みにくくなるのは必至である(ただでさえ住みにくいのにさ)。とりあえず頑張ってねサルコちゃん。
2005年11月12日
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一部の暴徒たちが「12日にパリで暴れよう」とSMS(携帯テキストメッセージ)で呼びかけあってるのを警察が把握。よって、集会も禁止になった。この週末は、3000人の警官が動員され、パリ市内、およびパリへの公共交通機関の警戒にあたる。ちなみに本日終戦記念日の11日は、シャン・ド・マルスで、暴力反対デモをした人たちがいたそうだが、許可はおりてなかったとのこと。(デモをするには警察の許可をとる必要がある)。なお、「暴動の中心は郊外の貧乏な若者たちなのに、パリまで来る交通費あるの?」と思うかもしれないが、非行青少年たちには「タダ乗り」という手段があるのだ。彼らが聞こえよがしに麻薬取引や刑務所に入ってるお兄さんの自慢話などをしてグループで騒いでいれば、車掌も怖くて改札・罰金取りなんてとてもできない。
2005年11月12日
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暴動が起こっている郊外各地区で、夜間外出禁止令(未成年の単独外出が対象なようですが)が発令されたというニュースを読んだ時、真っ先に思ったのは「夜になる前にパリに移動してきて、夜になったらパリで暴れるのでは?」ということだった。案の定、インターネットやSMS(携帯用テキストメッセージ)で「パリに集結しよう」と呼びかけあっている方々がいらっしゃるのを、警察が把握、本日、パリ市内でもエンジン用燃料の容器での小売り販売が(つまり車に直接入れるのではなく瓶だの容器だのに入れての販売ということだと思いますが)、未成年成年にかかわらず、禁止になった。スーパーや薬局などで売っている燃料系液体についても、同様の要請が出されてるらしい。フランスのスーパーは日本のスーパーのように店員さんが空になった手前のほうの棚にこまめに商品を並べ直したりしないので、商品が購入されて減ってるかどうかが一目瞭然。昨日行ったスーパーで、全然減ってないホワイトガソリンの棚を見て、「これを暴徒が買ったりしないのかしらん?」などと思ったが、今日見に行けば、あのホワイトガソリンは撤去されて空になっているのだろうか?郊外の暴動は下火になっているとは報道されているが、一方で、各地の「郊外の若者」(フランス語でこの言い方をした場合にはほぼ間違いなく荒れた郊外の低所得者住宅に住む移民系若者…そのなかでもとくに非行系青少年のことを集合的に指している)を刺激しないように報道規制も行われているだろうし、どこまで本当かわからない、と、猜疑心が深く悲観主義者の私は思うのであった。
2005年11月10日
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フランスの暴動で暴れている青少年達に対し、鎮圧するだけでなく、今後彼らに対して救済策を打ち出さなければいけないという話も当然されているわけだが、そこでド・ヴィルパンが7日に打ち出した驚きの対策(まだ実行段階には入ってはおらず、具体的なことはなにも発表されてないようですが)。「義務教育の年齢を現在の16歳から14歳に下げる」より正確には「学校に行きたくない子には14歳から見習い就業を可能にする」(フランス語の読める方用にドヴィルパンの言ったことの引用。こうできるようにしたいとのことです→ "de pouvoir proposer l'apprentissage des 14 ans a des enfants qui, visiblement, n'ont pas le gout, n'ont pas l'envie ou qui ont quitte l'ecole")ド・ヴィルパンも随分思い切ったものだ。一瞬「えっ」と思ったがよく考えると納得のいく対策である。暴徒たちの殆どは、勉強する気も失い、既に学校にも不登校の少年たちだ。学校に来ないから時間はあるけどお金もないので、つまらない。マクドナルドで働こうと思ったって16歳未満だと働けない。こうした少年たちが、街で徒党を組んで悪さをするよりも、もっと早くから職業訓練をしながら働き始めることができるように、ということなのである。これを可能にするには、もちろん労働法なども改正しなくてはならない。1960年代以降、義務教育レベルを上げることが底辺層の生活の向上につながるとずっと信じられてきた。実際、フランスの教育は、最初から最後まで公立と国立で通せば確かにかなり安上がり。貧しくてもバカロレアをとり、大学を出ることは大変ではあっても不可能ではない。だがフランス白人ですら普通に大学を出ても就職することができない人がわんさかいる現状で、苦労して大卒になることにどれほどの意味があるのだろうか。一般には、お金をもたらしてくれる職とつながった学歴を身につけるには、日本と同様、フランスでもやっぱりそれなりにお金がかかる。本人が物凄く優秀で環境が貧しくても一人で勝手に勉強して授業料免除や奨学金を取りまくりながらどんどんグランゼコールに行ってしまった場合などはまた話が別であるが、やっぱりこういう人は現実に存在はしていても、どちらかといえば少数派だ(知的にも経済的にも貧しい家庭に生まれ育って、幼稚園から高校まで全部地元の公立校で、塾にも全く行かなかった人が東大に現役合格するぐらいの割合、とイメージすれば分かりやすいと思う)。また、フランスの学校教育は、日本の学校と違い、基本的には、生活面(ミシンの使い方や日曜大工のやり方など)・モラル面・情操面の教育がない(関連:「 フランスに家庭科の授業は無いらしい?」)。それこそ、フランス語だの数学だのといった、お勉強が全ての世界だ。日本の学校のように「算数だの国語だのは嫌いだけど図工や体育が楽しみだから学校に来る」なんてことはきっとないのだろう。 生活面モラル面情操面の教育は各家庭にまかされており、そのために水曜日が休みなわけだが、実際に水曜日に家庭で教育しているうちは、今回暴動が起きているような地区では一体どのくらいあるだろうか。習い事に行かせている家では一応それが情操教育になっているのだろうが、今回問題になっているような子たちの家庭が習い事にやるようなお金や心構えがあるとは思えない。街でふらふらするだけだ。 つまり、フランスの学校は、子ども本人にフランス語だの数学だのといった学科のお勉強を続ける気が全くないのなら、その子にとっては来る意味があまりない場所だとも言える。下手すると今まで「非行少年層」だったものを「文盲層」にまで引き下げるリスクもはらんでいるド・ヴィルパンの案だが、時間とエネルギーをもてあましていて学業にも興味ない青少年が、年齢のためにまともに労働することもできず、遊ぶ金ほしさに窃盗を働いたり麻薬の取引をしたりするよりは遙かにましだろう。ただ、この案には一つ大きな穴があると思う。それは学校をドロップアウトした思春期の扱いにくい年頃の子どもを合法的に雇ってくれるところがどれほどあるのか?ということ。全員がファーストフード店でバイトというわけにもいかないだろう。今後、おそらく学校に戻ることがない彼らには手に職がつくようなタイプの仕事のほうがいいだろうし。「それに、フランスというのは、日本などおよびもつかないほどの、ものすごい職能学歴社会。職種に対応した学歴がないとその職にはつけないことが多くなっているし、その傾向はますます広がっている。「企業が人材を育てる」という習慣のない現在のフランス企業は、ホワイトカラーの職業だけでなくブルーカラーの職人仕事や肉体労働についても免状や資格を求めるところまで来つつある。町の小さな修理工などは、徒弟をとるときに免状や資格を求めないが、こうした家族経営レベルの小さな修理工は、家族以外はノワール(闇)でしか雇う余裕がないところが殆どだ。このへんは一体どうするのかと思うが、まだ余り具体的なことは打ち出されていないようなので、毎日楽しみに新聞を見ることにしよう…。
2005年11月10日
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暴動の起こっている地区の移民の親たちのインタビュー記事http://news.tf1.fr/news/france/0,,3261514,00.html「躾の問題だ」と答えている人が多いが、中でも印象に残ったのは「フランスでは躾ができない」「警察は躾ぐらい自由にさせてくれ」論。"bled"つまり、アルジェリアやチュニジアなどのにある自分たちの故郷に、夏休み中子どもを連れ帰ると、そこでは遠慮なく躾ができる。夕食の時間までに帰ってこなければ父親がスリッパでビシビシとお仕置きだ。だが、フランスだと、子が馬鹿なことをしたからといって父親が殴ったりすれば、フランス人としての自分の権利をよく知っている子どもはすぐ訴えに行く。だからフランスではそれが怖くて父親たちは躾ができない。フランスでは子どもが甘やかされすぎて、働く気もない(by アブデルさん)…と、そういうことだ。とりあえず「殴るのだけが躾じゃないでしょ」と突っ込みつつ、ふと、私の中学高校の同級生の話を思い出した。彼女は大学卒業後、教員として母校に戻っていったわけだが、その彼女によると、叱られれば「申しわけございませんでした」と素直に反省文を書いていた私たちの時代と違い、最近の子は叱られると「子どもの権利条約」を引き合いに出して朗々と抗議したりするそうだ。子ども達が段々生意気になっているのはどこの国でも同じらしい。話を元に戻すとアブデルさんは更に「フランスは女が強すぎるせいで父親の権威が失墜してるから躾ができない」等、躾の出来ないのをフランス社会のせいにしてみる一方で、サルコジが「社会の屑racailles」を「一掃nettoyer」するという言い方をしたことについては、「問題なし」と見ている。「それは団地のガキども自身がつくって使ってる言葉。サルコジはそれをそのまま使ったわけで他意はないだろうし、行動派だし。」とサルコジ擁護派。
2005年11月09日
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内相サルコジが、各県庁に、暴動に参加した外国人(滞在許可証所持の合法滞在者含む)の国外追放を要請した。ちなみに今のところ逮捕者の中にはカルト・ド・セジュール(滞在許可証)を持った合法滞在者を含め120名の「外国人」がいるそうだ。 日本人がきくと「そんなの当たり前じゃない???」と思うかもしれないが、長年人権大国としての構えを誇ってきたのフランスにしてはなかなか思い切った対応といえる。 もっとも暴動参加者の殆どは、見た目はアラブ人やアフリカ人であっても、フランスで生まれてフランスで育ったフランス国籍保持者の「フランス人」。もはや「本国に帰そう」としたところで「本国はフランス」な人たちなわけだけれども。
2005年11月09日
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警察から逃げようとして変電所に入り込み、移民系少年が二人感電した事件をきっかけに起こったパリ北東郊外の暴動。連日、各地に拡がっていく様子がニュースになっており、感電死した少年達の家族の呼びかけや、イスラム主導者の呼びかけ(というのは暴徒はアラブ系やアフリカ系のイスラム家庭の子弟であるため)にもかかわらず、激化する一方だった。内相サルコジが、公の場で暴徒を「racailles(ゴロツキども)」と(正直に)言ってしまったのが火に油を注いだようである。個人的には、自分の町の幼稚園や保育園までも燃やす馬鹿どもをゴロツキと呼んで何が悪いのだと思うが、まあ、とりあえず鎮静化を優先させなければいけない内相の立場としては確かにまずかったかもしれない。(いつも思うのだが、サルコジって、他の政治家とは違い、どんどん実行にうつして仕事を誰よりも真面目にしてるのにもかかわらず、右からも左からもゴロツキからも嫌われやすい。なんだかストレート過ぎて上司からも部下からも疎まれている熱血課長みたいだ。そして、ついに非常事態宣言と、郊外各地には必要とあれば夜間外出禁止令を出して良いという指示が出された。水曜日にLe Parisien紙に出されたアンケート結果によると、73%のフランス人は夜間外出禁止令許可の措置に賛成だそうである(現在までの放火や襲撃は夜間に行われている)。今宵は既に郊外都市で夜間外出禁止令が発動されはじめている。放火の燃料に使われているエンジン用燃料の容器での販売をとりあえず禁止した地区もある。 暴徒達はミッテラン時代に移民専用に作られた郊外のHLM(低所得者住宅)に住む移民(これはひとつの社会層をなしている)の子弟である若者たち。平均年齢は16歳だそうで、若者というより、はっきりいって「少年」に近い。暴動は、政治的主張よりもむしろ "C'est la fete!(祭りだ祭り!)"というノリによって拡がっているようだ。感電死した二人に捧げられたブログすら、「全部ぶっ壊せ」などといった彼らの煽りの場とそれに反対する人たちの喧嘩の場になってしまい、ブログホストのskyblogは彼らのコメントを削除し、ブログ主も「このサイトは追悼のための場だ!」と遺憾の意を表明している。 うちの近所の公園を狸さん(うちの赤子)を連れて散歩していたら、「C'est la guerre!戦争だぜ」と興奮して携帯電話で話している14歳ぐらいの少年を見掛けた。少年は携帯で話をしながら、遠くのほうに立っている二人の少年にフクロウのような声をあげてなにやら合図していた。この手の光景はよく見掛ける。大抵は少年グループ同士の争いであるが、今回はひょっとして暴動の相談なんだろうか? 同じ公園の番人さんに異常がなかったかきいたら、指さしながら「昨日はあっちの方とあっちの方で車が燃えてたよ。」と平然と教えてくれた。新聞には全く載ってなかったのに。もしかしたら、2台の車は、暴動分としてではなく、サッカーの試合分として警察にカウントされ、マスコミに計上されなかったのかもしれない。以前も、サッカーの試合の翌日、うちの近所で車が黒こげになっていたのを見つけたことがある。実は、車を燃やすというのは、この手の若者のお祭り騒ぎに時によくあることで、暴動の時に限ったことではないのだ。もちろん何千台という規模はやっぱり異常事態だけども。関連リンク:内田樹氏の分析
2005年11月09日
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フランス人はトイレトレーニングだけは必死だ。哺乳瓶、おしゃぶり、ベビーカー、doudou(ベベさんが気に入って愛着を持った縫いぐるみなど)に関しては3歳4歳まで普通に使わせているのに、オムツだけは早く取ろうとするのはなぜだろうか。また今度別の機会に書くが、哺乳瓶、おしゃぶり、ベビーカー、doudouは、大人のペースに子どもをあわせるために必須なツールとして、長らく利用される。が、オムツは…。オムツが3歳前に取れるか取れないかは、共働き家庭にとっては死活問題だ。なぜなら、フランスの幼稚園は私立公立を問わずオムツが取れていないと3歳を過ぎていても入れて貰えないからだ。そして、子どもを預けるのにはベビーシッターや保育ママさん代、送り迎えの人のバイト代など、当然お金がかかる。公立保育園はコネでもなければ普通のフルタイム共働き家庭が第一子で入れるなどということはあり得ないし、公立保育園でもいろいろな補助や控除を使って、一月400ユーロぐらいかかるときく(世帯収入により枠があって費用も違ってくるが一番入れて貰えるタイプの世帯はこれくらい取られている、ということだと思う)。さらには、日本の保育園のように延長保育もないし、ストライキなどあればすぐ閉まってしまうので、親の片方が店員さんなど定時に帰れる職業でない限り、公立保育園だけでは間に合わず、おばあちゃんおじいちゃんなど助っ人を頼める人がいなければ、保育園にお迎えにいって家に連れ帰って親が帰ってくるまで子守りをしてくれるベビーシッターなどもプラスで雇わなければならない。保育所では保母さんたちが時々憤っている。というのは、親達は焦ってどんどんオムツを外してしまうが、子ども自身はトイレトレーニングの準備が出来てないので、すぐ床を汚されるのである。近所のクリーニング屋さんのおばさんは「うちの子はもうオムツ外してるのよ」といっていたが、その時その子は1歳7ヶ月だった。当時私は子どもの発達について全く知識がなかったから、なんとも思わなかったが、今考えてみると、「おそろしく早い」か「無理矢理オムツをとっちゃっただけ」のどちらかではないかと思う。(クリーニング屋さんだから、汚してもすぐにクリーニングできていいのかな?)私自身も私の弟も、最初から最後まで布オムツだったにもかかわらず(*)3歳すぎまでオムツ離れしなかったそうだ。だから私は最初から布オムツを使って苦労する気はなかったし、トイレトレーニングに関しても、早く始めてそれだけストレスを抱える期間を長く持つよりは、3歳手前ぐらいになって狸さん本人が言い出してからでもいいかな、と思っていた。うちも別に余裕があるわけでなくフランスの多くの家庭と同様、一刻も早く共働きを再開しなくてはまずいのだけれども、自分にもできなかったことを狸さんに押しつけるのは気の毒だ。(*)布オムツを使う人も多い日本では一般に布オムツのほうがオムツ離れが早いと言われているらしい。しかしどうやら狸さんは私ほどオムツ離れが遅くなさそうな予感がしてきた。赤ん坊は同じ音を繰り返す言葉のほうが教えやすいようで、私はずっとオムツを替える時に「ウンチ」と「カカ(フランス語caca=うんち)」の両方で狸さん(うちの赤子もうすぐ1歳7ヶ月)に話しかけてきたのだけれども、狸さんが言ったのは案の定「カカ」のほう。 1ヶ月ほど前からウンチをした時に「カカ!」と言いながら、そわそわとして、オムツを替える用のマットを出してきたりするようになった。時には、きれいなオムツを出して、マットの上に横になったりしている。最近になって、狸さんが「カカ!」と言ってもウンチしてないときもあるので、「さては『カカ』といえば私が『なに、カカ? どれどれ』といって顔色を変えて(*)飛んでくるから、虚偽の申告をして私の注意を惹こうとしているのだな」思っていた。が、どうもちがったらしい。それに気づいたのは昨日あたりから。「カカ」といってから、口をキッと結んでちょっと力んだりして、一応ウンチする努力をしているのだ。虚偽申告とみえたのは、ウンチする努力が失敗した時で、これでもしウンチに成功していれば立派な「事前申告」だ。(*)狸さんのウンチはまだ時々ソフトなこともあり、余り放置しておいて、その間に狸さんが動き回ってウンチが漏れたり、勝手にオムツを脱がれたりすると面倒なので。考えてみると、自分がオムツ離れが遅かったからといって、自分の子も遅いとは限らない。とりあえず格好だけでもつけるために補助便座でも買ってみようかなと思った。アンパンマンがスイッチを押すとしゃべるという素敵な補助便座を日本から取り寄せたいけれども、フランスのO型便座に取り付けられるだろうか?情報おもちの方どうかお寄せ下さい。
2005年10月28日
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5日から始まっているポンピドゥーセンターのダダ展に狸さん(うちの赤子1歳半)と一緒に行ってきた。ダダ展に入る前に、子どもコーナーの展示もチェック。複数作家による"Ombres et lumie00re - Reves d'Ombre"(光と影 影の夢)展。タイトル通り、光と影をテーマにした展示で、狸さんは、鏡の前に柱が林立している作品が(柱の間を出たり入ったり歩けるので)面白かったようだ。で、目的のダダ展。予想通り、巨大な展示だった。特別展のスペースの広さは普段と同じなのだけれども、それを細かく区切ってこれでもかとぎっしり展示してあるのだ。とても一回で全部は見られない。しかも赤子連れでは。狸さんは割と機嫌が良かった。まず、入り口近辺にあったジャン・アルプが気に入ったようだ。また、ダダイストたちのマリオネット(操り人形)でも喜んだ。フロイトの人形なんかもあったけど、狸さんが気に入ったのは、鹿のマリオネット。指さして「わんわん。わんわん!」といってる。ただ、抱っこ帯からうっかり下に降ろしたら展示スペースが小部屋に分けられているのを面白がって、スタスタ小走りを始めた。展示の量もすごいし、開催して初めての週末なので、人の数も半端ではない。私が一瞬でも作品に気を取られたりすれば、もう迷子確実。危険なので日を改めて出直すことにした。無理矢理、土曜日の今日来たのは、狸さんの託児所が週5日になってから、平日はかえって外出できなくなってしまった(保育時間が3時間と中途半端だし延長はできない)からなのだが、まあ一日託児所はお休みして狸さんと一緒にまた平日来ればよい。カタログぐらいは買っていきたかったが大きいのであきらめてあとでamazon.frに注文することにした。今回のカタログは電話帳に似せてつくられていて、紙質も電話帳のようだったので、ページ数のわりには軽かったものの、既に狸さん及び赤子用品バッグを抱えて歩いている私にはやっぱり重い。電話帳とはいかにもダダ的。普段、ポンピドゥーセンターの特別展のカタログは、紙が私の嫌いな厚口パピエ・グラセでずっしり重いし手が切れそうでもう死ぬほどダサい(死語)、そのわりには(というか、おそらくはそういう紙を使うせいで?)値段は高いので、ただでさえもう蟻一匹収納する余裕のない我が家に買って帰るのには、なかなか食指が動かなかった。だが、今回のダダ展のカタログは欲しい!欲しい!絶対欲しい! 狸さんに1冊は囓られたりしてダメにされそうだから、2冊欲しい。一刻も早く欲しくて、さっそくamazon.frのサイトを検索したけれども、配送まで2~3週間かかると表示されていたので、やっぱり出直したときに直接買ってきたほうが早いかな…。そのかわり、ピカビアの葉書を買った。穴が開いていて、その脇にJeune fille(若い女)と書いてある意味深な葉書である。中学生の時に買った、オノ・ヨーコの葉書(穴が開いていて、その脇に「A hole to see the sky through空を見るための穴」と書いてある)と一緒にしまいこむことにした。L.H.O.O.Q.(*)と書いたTシャツが売られていて、それにもちょっと惹かれたが、日本ならともかく、フランスではこれはさすがに着て歩けない。あきらめた。(*)デュシャンの作品で、モナリザに、ヒゲとL.H.O.O.Q.という文字列を書き加えた作品がある。L.H.O.O.Q.はフランス語で続けて発音すると「エラショオキュ→Elle a chaud au cul→彼女は×××が熱い」という意味になる。このTシャツを着て私がパリを歩くのは、外人さんが「この女、発情中」と書いてある漢字Tシャツを東京で着て歩くのと変わりない。このように「アルファベットを並べ、発音すれば意味のある文章になる」というのはフランスでは昔から、諷刺紙などの端っこでちょっとしたユーモアとして、あるいはダダイスト・シュルレアリストなどが文学的実験として行っていたものだが、現代では若者たちが携帯電話のメッセージで少ない入力文字数でコミュニケーションするためにごく普通に使っている。だから、デュシャンの作品だという元ネタを知らないお兄ちゃんにだって「この女、発情中」と書いてあることだけは分かるわけで、このTシャツを着ていたら、とりあえず男性器がついてない人間であれば、年齢容姿人種国籍にかかわらず、見ず知らずのゴロツキさんたちに大もて(?)になってしまうのは間違いない。
2005年10月08日
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日本で学芸員をしている友人Tさんが研究調査のためパリに来ていた。彼女と、ジャックマール・アンドレ美術館のダヴィッド展に行って来た。もちろん狸さん(うちの赤子1歳半)も一緒。ジャックマール・アンドレさん(と先に無くなった旦那さんのエドワール・アンドレ)のコレクションとお住いが、ジャックマールさんが、Institut de Franceに寄贈してそのまま美術館にしたところである。ティエポロの壁画なんかがフツーにあるゴージャスなお住いである。ところで私は、一応アーティストなので、ルーブル、オルセーなどは身分証を見せれば無料で入れる。ポンピドゥーセンターは年間フリーパスを買っているので、そのパスで何回でも入れる。しかし、このジャックマール・アンドレ美術館では、いくら東洋人は若く見られるからといても私は子どもでは通用しないし、まあ、つまるところ、満額9.5ユーロ払わなければならない。しかも、この美術館の雰囲気は、どちらかというと、それなりの社会的経済的地位のある熟年の方々のデートか、オバサマがたが張り切ってお洒落してお茶するのにぴったりな場所という感じで、子育てにやつれ服に赤子がなすりつけたヨーグルトの跡がついてるような女が来る場所ではないという気もしていた。実際、館内にいた他の客たちの中では私たち(30代)が一番若く、他の客の平均年齢は退職年齢前後な感じだった。いくら平日の午前中でも、ほかの美術館では必ず学生風な人やアーティスト風な人がいるものだけれども。それでなかなか来ないでいたのだけど、今回、友だちが誘ってくれたおかげで、来る勇気が出た。もし美術館の中で狸さんが暴れたり泣きわめいたりしたら、狸さんはTさんの赤子だというふりをしよう。いったんここで切り上げてまたあとで続き書きます。
2005年10月07日
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赤子を託児所に預け、買い物をしていると携帯が鳴った。電話に出ると託児所の園長さんだった。(「託児所」というからには「所長」なんだろうけど、所長というとまるで女囚映画みたいなので「園長」ということにします。)狸さん(うちの赤子もうすぐ1歳半)が怪我をしたそうだ。 保母さんの一人が、プレイスペースと入り口のスペース(ここで子どもの靴や靴下を脱がせて裸足にしたり、ロッカーに予備の服をしまったりする)を区切るドアを開けた時に、その向こうに狸さんが座っており、狸さんの足の指を思い切りドアで挟んでしまったそうだ。足の親指から、血が出て、爪が真っ黒になっているという。「歩けるので骨は折れていないと思うが一応医者に連れて行ったほうがいいと思う」との電話だった。 このドアはガラスなのだが、大人の腿ぐらいの高さまで半透明の草の模様がプリントしてある。これがくせもので、この草のプリントが光を反射してこちらがわにある物を映すせいで、注意していないとドアの向こうがよく見えない時がある。 あわてて迎えに行った。迎えに行く途中、近所の小児科医に携帯から電話。明日でないと診られないという。仕方がないから明日に予約を入れた。 託児所に着いてみると、狸さんはオムツを替えられている最中で、ぬいぐるみのプーさんを抱きしめながら、まだヒックヒック泣いていた。私を見ると堰が切れたように大泣き。とりあえず抱っこして確認すると、足の親指の爪全体が血で真っ黒になっている。見るからに歯が浮くほど痛そうだ。大人でもこれは痛い。ばい菌でもはいっていたら、腫れ上がったり膿んだりして大変なことになるのではないのだろうか? おそらく狸さんは、怪我をさせた保母さんがプレイスペースを出る時についていって、ドアのところで待っていたのだろう。それを不注意のせいでこんな怪我をさせるなんて、狸さんが不憫な余り、怒りがこみ上げてきたが、とりあえず自分を押さえた。 園長が、「怪我した部分を水で冷やした」「痛みのショックを和らげるためと腫れをおさえるために、ホメオパシーのアルニカの砂糖玉を10粒与えた」「歩けるか確認したら歩ける。骨は折れていないようだ」などと、すでにした処置を私に説明。私が近所の小児科医では明日にならないと診て貰えない旨を話すと、園長は「PMI(母子保健所)の医師が診られないか電話してみる」と、近所のPMIに電話した。検診の予約でいっぱいで診られないとのことだった。(それに本来PMIでは検診以外はしないことになっている。もちろん区役所の託児関係者同士では融通がきいたりすることもあるからこそ、園長は電話したのだろうけれども。) 「ロベール・ドゥブレ(パリ市内の子ども専用の病院で小児科専用の救急でも有名)に連れていってもいいと思うか?」ときいてみたら、「この程度の怪我だと、2~3時間待たされた挙げ句他へ行けと言われるのがオチなので病院(*)に行くのはやめたほうがよい」と言われた。 子ども怪我をした時にすぐに診て貰うこともままならない。インフラにせよなんにせよパリ中心主義のフランスにおいて、そのパリでさえこうなのだから、地方だったらもっと大変なのかもしれない。フランスってこれでも先進国のつもりなのだからなんとも見上げたものだ。 園長や保母さんたちと「明日まで待たずすぐ診て貰うにはどこに連れていけばいいのか」という話をしつつ、頭の隅で、「この人たち、いつ謝るのかな。謝らないってのもフランスだとありそうだな…」などと思っていたが、さすがに最後に園長が謝罪の言葉を述べた。 そして、謝罪の言葉と同時に「もしよかったら、これから週5日預けませんか?」と5日目をオファー(もちろん無料ではないけれども、ウェイティングリストで待っている人が多い中、週5日も預けられるのはかなりの優遇である)。お詫びのつもりなのだろうけど…おいおいもしもしおいおいおい…もうちょっと間をおいて欲しかった。怪我させられたばかりなのに、そのお詫びとしてもう1日オファーされても、すぐには喜べない。お返事はあさってまで保留することにした。託児所を出て、その足で薬局へ。小児科医には明日にならないと診て貰えないが、何もしないで放っておくのは忍びない。薬局で、事情を説明して狸さんの足を見せたところ、「レントゲンをとったほうがいいんじゃないか」と、近くの私立のレントゲン専門センターを教えてくれた。これも当然ながらかなり待った。赤子にちょっかいを出してくるばあさんやじいさんたちと話をしたり、愚図る狸さんを抱っこして廊下で踊ったり。 私が、廊下の隅でこそこそ狸さんにおっぱいをやっている間に、おばあさん二人組が、スタッフに向かって「赤ちゃんが可哀相よ。昼ご飯食べてから今まで何も食べてないんですって!」とギャアギャア騒いでくれたため、本当はもっと待つはずだったのに、そのおばあさんたちのすぐ後に診て貰えた。 「赤子がいるので順番飛ばして早く診てくれ!」とは自分からはとても言えないし、自分から言ったのでは「赤ん坊がいたって順番は順番だから」と木で鼻をくくられるように言われてしまう確立も高い。騒いでくれたおばあさんたちの親切には本当に助かった。で、レントゲンの結果、骨には異常はなかった。良かった良かった。となると、あとはバイ菌でも入らないように気をつければ良いだけだろう。とりあえず、明日はまたさっき予約した小児科医に連れていくし、あさっては検診だから、3日連続して違う医師に怪我を診て貰うことになり、ひとまず安心した。(*)こちらでは、病気や普通の怪我で「病院(オピタルhopital)」に辿り着くのは容易なことではないようだ。緊急措置をしないと生死に関わるような大怪我か、そうでなければ、「一般医(全般を診る町医者)の推薦で専門医→専門医の推薦で病院→やっと病院」という経路でなければなかなか行けない。日本人旅行者の海外旅行保険などと連携しているヌイイのアメリカンホスピタルなどは別のようだけれども。 最近行われた社会保険の改悪では、いくつかの例外をのぞき、主治医の紹介や処方箋無しにいきなり専門医にかかると保険の払い戻しの率が低くなるなど、ますます、専門的な医療や高度な医療を受けにくくするシステムとなっている。狸さんのレントゲンも、医師の処方箋や紹介無しで直接行ったので、おそらく払い戻し率は低いであろう。 日本は乳幼児医療が無料で、医者にかかった時の代金が「薬の容器代50円」などですむそうで、羨ましい話だ。
2005年09月27日
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狸さん(うちの赤子もうすぐ1歳半)は託児所にすっかり慣れたそうだ。最初は「お宅のお子さんは泣いてばかりで、これでは預かりきれない」と託児時間をどんどん減らされたりしたが、お昼寝とオヤツを強制しなければ、結局、問題はなかったらしい。 私が託児所を去る時と迎えにいった時だけ泣き、あとはオヤツも食べずお昼寝もしないまま、概して機嫌良く過ごしているそうだ。 迎えに行った時に泣くのは、多分、私の姿を見た途端、今まで預けられていたことを思い出してしまうのだろう。迎えに行くと、まず、ガラスのドア越しに、ロメロ監督のゾンビのようにヨタヨタと群れてプレイスペースを徘徊する赤子たちが見える。狸さんも、自分の胴体ぐらいのプーさんを抱きしめ、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。ガラス越しに私の姿を認めた途端、「うわわわわあああん!」と突然目をバッテンにして惨めな顔で大泣きしながら小走りに駆け寄ってくるのだ。実は、これには保母さんたちは最初かなり困惑していたらしい。これではまるで狸さんが託児所で不幸せな時をずっとすごしていたかのような印象を私が持つのではないか、と心配していたのだと思う。最初は私に向かって「あらあら、いままで笑っていたのに、お母さんの前では泣いたりして…」などといちいち言い訳がましいことを言っていた。そのうち、私のほうでもわかっていることを相手もわかったらしく、言わなくなったけれども。 まあそんなわけで、兎にも角にも一日3時間×4日預けられるようになった。3時間では大したことはできないとはいえ、狸さんがいないと、買い物やシャワーなどごく日常の当たり前のことが、狸さんと一緒の時の半分の時間で済ませられるし、少なくともこの3時間は狸さんが怪我や悪戯をしないように気を張りつめて無くて済むので、かなり楽になった。しかし。(←フランスの生活では「しかし」が必ずつきもの)(続く)
2005年09月26日
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9月3日に、うちの表通り側の二重窓に大穴が開いてから、2週間以上たった今日、やっと修理してもらえた。「赤ちゃんがいるからね」と窓枠ごと持っていってくれて、ガラスをはめてからまた重い窓を持ってきてくれた。窓枠の内側のアルミシールドに穴が開いたり、二重窓の間に砂のようなもの(ガラスをはめる時に使う材料らしい)とガラスの小さな破片が入っているが、まあ仕方がない…。たった380ユーロでやってくれたのだし(こっちは正直1000ユーロぐらいかかるだろうと思っていた)、普段からいろいろ直して貰っている修理屋さんなため、これでも融通きかせて早くやってくれたほうだと思う。(実は最初別の修理屋に頼んだのだが、見積りだけでも1週間以上かかった上に、見積りを催促したら「こちらから連絡すると言っただろう!」と怒られた。しかも、連絡してこなかったので、そちらはやめた。)しかし。窓を閉めると、隣の透明な窓と比べて全体的に白濁している。何回拭いてもやはり、汚い雑巾で拭いたような白い跡がガラス全面についている。なんと、二重窓の内側にその汚れがついているのだ!(しかも2枚とも)あーもう疲れた。日本に帰りたいです。
2005年09月20日
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狸さん(うちの赤子1歳5ヶ月)は、かなり前から、他のベベを指さしてベベと指摘するのみならず、時々、自分のほっぺを指さして「ベベ!」というようになった。まあ、「我もまたベベなり」という自覚があるということは良いことだ。その狸さん、最近、私がシャワーから出て、バリア(*)を外すと、待ってましたとばかり駆け寄ってきて、私の帝王切開の傷を、しきりと指さしたり、指でなぞったりしながら、「ベベ!ベベ!」という。自分がどこから生まれてきたのか、きちんと分かっているらしい。不思議だ。自然分娩の赤ちゃんも、やはり同じようなことをしているのだろうか?(*)バリア:どこにでも私をストーキングしてくる狸さんがシャワーに侵入してこないように歩行器をロックして置いてバリアがわりにしている、その歩行器のこと。
2005年09月18日
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うちのアパルトマンの窓辺に立って視線を下に落とすと、向かいのテレコムショップの中にいるお兄さんと目があってしまうが、この場合、いちいち挨拶するのはお互い鬱陶しいので、双方、気がつかないふりを決め込んでいる。ごちゃごちゃした下町で、お互い、自分たちの精神的領域を守るための、気遣いであった。 ところが。 狸さん(うちの赤子1歳5ヶ月)がその一線を超えてしまったのである。 狸さんは、窓から外を覗くのが好きで、いつもは、目の前の建物の軒にとまる鳩や、通りを歩く犬、通園する子ども達などを指さして「ハト!」「ワンワン!」「ベベ!」などと指摘に忙しかった。 しかし、今日は、ふと気がつくと少し様子が違った。狸さんは、窓辺に立って、「オーヴォァー、オーヴォァー(Au revoirさよなら)」と盛んに手を振ってはキャハキャハ笑っている。 ついに、向かいのテレコムショップのお兄さん(店の中に座っている)と手を振り合うことを覚えてしまったのである。テレコムショップのお兄さんからは、狸さんの手と顔だけが見えるものと推測される。 挑発したのはもちろん狸さんだと思う。お兄さんのほうにとっては、店番もあるのに、延々と向かいの建物の2階の窓にいる赤ん坊に向かって手を振っていなければならなくなるのは、決して都合の良い話ではないからだ。 お兄さんの反応を期待しながら満面の笑みで延々と手を振り続け、合間合間には腕をさしのべながら「リロ!リロリロリロ!リロ?!」と演説調に呼びかける狸さん。お兄さんは無視するにしのびないらしく、時々、知らんぷりをしてみたり、お客と話をしたりするものの、また狸さんのほうをチラと見る。そうすると狸さんがまだ必死に手を振ったり、さしのべたりしているので、お兄さんもにっこりして手を振り返す…。そうすると狸さんは「オーヴォアー、オーヴォアー」と手を振ってキャッキャと喜び…。 私は一歩下がって、いつまでも繰り返されるこのやりとりを垣間見ていたのだが、そろそろ狸さんを捕まえてお風呂に入れなければなならないので、仕方なく、窓辺に貼り付いて手を振り続ける狸さんをベリッと剥がし、抱っこした。 この時、ついに、私もお兄さんとばっちり目が遭い、お互い、窓越し・通り越し・1階分の空間越しに会釈をすることになってしまった。この会釈で、今までの「お互い見えないフリ」がぶちこわしになってしまったのだ。 まあ、狸さんが家にいながらにして、向かいのテレコムショップのお兄さんが子守りをしてくれると考えればよいかもしれないが、それにしても、これから毎日狸さんが、お兄さんに手を振らせようと窓辺で延々と騒ぎ立てるのは目に見えており、どこまでお兄さんが相手してくれるかが気になるところである。
2005年09月09日
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うちのアパルトマンは、日本式に言うと、建物の2階にある。そして居間は通りに面している。居間の窓は二つとも、向かいのテレコムショップを見下ろす位置にある。もちろん、そのテレコムショップからも、ちょっと目をあげれば、うちのアパルトマンのこの窓が目に入り、私が窓際にいれば、私の腿から上ぐらいが見えるはずである。テレコムショップとはインターネット、安い国際電話、ファクス、コピーなどのサービスを集めた小さい店で、だいたいアフリカ人かアラブ人が経営しており、移民の多い地区で繁盛している。個人または家族親族レベルの小規模経営なので、営業時間も長いし土曜も日曜もずっと開いていることが多い。 更に、アフリカ人やアラブ人は、日がな一日、自分の(または親戚や友人の)店の前に立ちはだかって通りをみまわしたり、或いは、そこで男同士たむろして延々と話をする習慣がある。居間の窓を開けて、「ああ、いい天気だ」と空を仰ぎ、目の前の緑を鑑賞して(うちの目の前の建物は1階しかないためその向こうに緑が見える)、ふと視線を下に落とすと、彼らと目があってしまうことも屡々だ。 このテレコムショップができた当初、私はかなりこの店を憎んでいた。なにしろ、男達がたむろって、夜までガヤガヤ話したり笑ったり、こちらも窓を開けていなければ暑いような気候の時には五月蠅いし、歩道を挟んで、男たちが突っ立って群れているので、目の前を通りにくい。窓辺にちょっと立ってうっかり視線を下にやると、すぐそいつらと目が合ってしまう。 それに、この店の人や、この店にたむろしている男達は、階下のバー(騒音にモノ柔らかく苦情を申し入れた私たちを脅迫した)と、同郷で仲がよいようなので、私たちとしては「取り囲まれている」ような気がしていたのである。 しかし、毎日観察していると、このテレコムショップのお兄さんは、子ども好き(変な意味でなく)で、心優しい人らしい。当初、精悍な顔つきと体格、およびバーのヤツラと仲良くしていることから、勝手に「凶悪そう」と判断した私が悪かったゴメンナサイ。お兄さんはその濃い外見とはかけ離れた爽やかお兄さんだったのである。 お兄さんは、いつも違う赤ちゃんや子どもを抱っこしてあやしている。母親、保育ママさん、ベビーシッターたちが、インターネットしている間、子守りをしているのである。これが商売繁盛の秘訣でもあるのだろうけれども、単に商売熱心なだけでは、いつもいつもこんなに子どもの相手をしていられるはずはない。テレコムショップの顧客ばかりでなく、その隣の中華料理屋で食事をしている女の人の子どもまでが、母親が食事をしている最中、テレコムショップのお兄さんと一緒に遊んでいる。 私はこのテレコムショップを利用したことは一度もなかったが、私が狸さん(うちの赤子現在1歳5ヶ月)を抱っこして通ると、お兄さんはいつも狸さんに話しかけたそうにしていた。 あれは狸さんが1歳3ヶ月の終わり頃か、歩きはじめてから数日たった、ある日。狸さんが、ヨチヨチ歩きながらテレコムショップに入りそうにしたのをきっかけに、お兄さんは狸さんに、そして私に話しかけてきた。それから、私とお兄さんも挨拶や天候の話ぐらいは交わすようになった。 このテレコムショップが、階下のバーの連中と一緒になって私たちのことを敵視しているに違いない、と思ったのは、こちらの思いこみにすぎなかったようだ。 階下のバーのアルジェリア人オーナーは「俺がこの界隈のアラブ人のボス」といわんばかりの態度で私たちを脅してきたのだが、はっきりいって、それはオーナーが勝手にそう思いこんでいるだけで、まわりのアラブ人は、私たちとバーの係争はたとえ知っていても、「どうでもいいし関係ない」と思っているらしい。それどころか、(白い背広などを着て偉そうに通りを睥睨しているバーのオーナーの目の前で)、これ見よがしと思えるほど親しげに私に挨拶してくる人もいる。 まあ、そんなわけで、狸さんを介して、目の前のテレコムショップのお兄さんとは挨拶しあう「正式な顔見知り」となった。 尤も、自分の家にいながらにして、家の外の人と目があってしまうのは、顔見知りになればなったところで…いや、顔見知りになればなるほど、余計にいやだ。 だから私は窓から外を見るときにはなるべく視線を下に向けないようにしてきた。たまたま私が視線を下に向けると、いつも入り口付近にいて外を見ながら店番している例の子ども好きのお兄さんと目が一瞬あってしまうが、お兄さんのほうも心得ているのか、さっと目をそらす。お互い、見えなかったふりをすることで、気まずい思いを避けてきた。だって、お互い、自分の店の中、自分のアパルトマンの中にいるのに、目が合うたびに、挨拶するなんて、イヤではないか。(続く)
2005年09月09日
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狸さん(うちの赤子1歳5ヶ月)のギャルドリ(一時保育をしてくれる託児所)が始まった。夏休み前は狸さんはギャルドリを楽しみにするほどになっていたし私も満足だった。休み中は毎日公園に連れていって他の子どもと遊んでいたので、問題はないだろうと思い、1日目、3時間たっぷり預けた。迎えに行ったら、「明日は2時間にしてください」と言われた。次の日、2時間預けたら、「2時間泣きっぱなしだったので明日は1時間にしてください」と言われた。その次の日、1時間預けて、私が迎えにきたら、みんなオヤツの最中だった。狸さんは、オヤツを食べておらず、私を誰よりも早く発見。ヨダレ掛けをつけたまま、クシャクシャの泣き顔になって私のほうに手をさしのべて歩き出した。その時、若い保母さんEが、 「Arrrrrrete! Ca suffffffit!! Arrete ta comediiiiie!」…とイライラした声とウンザリした口調で狸さんに叫んだ。日本語になおすと、ちょっとヤンキー調で、「もぉおお、やーめーてぇーよー! いい加減にしてよぉー! 芝居はやめてよぉ!」という感じだ。Eさんは、その時、入り口に背を向けていたため私に気がつかなかったのかもしれない。が、私が来たことに気がついても、恥じ入る様子もなかった。その場に保母さんGもいたが、保母さんGも平気な顔をしている。 保母さんGは今期からこの託児所に来た人。保母さんEは、夏休み前に狸さんが「一番小さい子」たちのグループに入っていた時に世話になっていた保母さんだが、Eさんは悪人ではないものの、まだ若くて経験が少ないせいもあるのか、気が短めな人で、保母さんしてるよりは、ビキニをきて海岸でボーイハントをしているほうが似合いそうな人である。彼女が狸さんの面倒を見た日は、「もう大変だった」と言われてしまうのが常であった。老練なCさんが狸さんの面倒を見た日は「今日もとってもいい子だった」なのに、随分な違いだ。狸さんが相手を見て態度を変えているのか、それともCさんとEさんの心根の違いなのかは不明だが、個人的には、心根の違いを見て狸さんが態度を変えているのではないかと思う。(残念ながらCさんは、今期からは狸さんのいるグループ担当でない。もっと小さな子たちの担当である。)それにしても芝居はやめろって、…1歳5ヶ月の赤ん坊に向かってそりゃないでしょ。預けられ慣れていない赤ん坊が預けられて母親が恋しくて泣く、母親が迎えに来たときに安堵と甘えの涙をちびらせて駆け寄る───これ以上自然なことは世の中にないと思うのですが。フランス語のArrete ton cinema!とかArrete ta comedie!、つまり「茶番はよせ、芝居よせ」という表現が私は大嫌いである。自分に論理的反駁能力や理解能力が欠如しているくせに、そのことは棚にあげ、相手のディスクールあるいは行為自体を「茶番」として扱うことで無条件に吟味もせず却下しねじ伏せるようとするその愚かさ狡さ怠惰さ。このタイプの表現を好むのは、頭が悪いくせにプライドばかり高い、感情的な人間であるのは容易に想像がつく。そもそも、相手は赤子だ。泣くのをやめさせたければ「泣くのはやめなさい」といえばいいわけで、「泣くのはやめなさい」で泣きやまなかったら、「芝居はやめろ」でも泣きやむわけはない。だいたいからして「芝居はやめろ」という表現自体、上で書いたように歪んでるのだし、狸さんにも悪影響だ!園長に一言モノ申そうと思ったが、「ひょっとして、これは私が外人ゆえフランス語を曲解&拡大解釈しているのだったらどうしよう」と迷っているうちに、園長のほうから全く別のことで話しかけてきた。「ちょっと狸さんのことなのですが。狸さんはお昼寝もしないし、オヤツも食べない。泣いてばかりいる。とくにお昼寝をしないのは致命的である。これでは、保母さん一人が狸さんにかかりきりにならなければならず、他の子の面倒がみられない。狸さんのせいで託児所が機能不全に陥ってしまう。これからは慣らし保育として毎日来て貰うかわりに1日最大1時間だけ預かる。お昼寝もオヤツも終わった午後3時から来てください。ただし、それも、狸さんがご自宅でお昼寝をすませた場合のみです。お昼寝をすませてない場合は、来ないでください。午後2時半までにお昼寝をしなかったら、キャンセルのために電話入れてください」狸さんが最高に機嫌の良い時だけ1時間だけ預かってもらっても、1時間じゃ、実質私が自由な時間は1時間ないわけだし、掃除機かけて買い物したら終わりだし、その上、2時半まで狸さんがお昼寝するかどうか家で待ち構えているのでは、午後いっぱいは結局出掛けられないことになる(預けないなら預けないで、狸さん抱っこして買い物でも本屋でも行き帰りラッシュアワー避けながら行けちゃうもんね)。その上、実質預かって貰った時間は1時間でも料金は最低でも1日につき2時間分からとられる。「乱暴で他の子に怪我させるから預かれない」などといった理由ならともかく、泣いて手がかかるから預かれないとは、託児所側の職務能力に問題があるのではないか? それを棚に上げて、「この子がいると託児所が機能不全になる」と狸さんにだけ責任をなすりつけるとはあまりにも酷い。いろいろ言いたいこともあったが、しかし、ここはパリ。完全に預かる方の売り手市場だ。入りたい人は山のようにいて、みんなウェイティングリストに登録し何ヶ月も何ヶ月も待っているのである。文句言ったら「じゃあ来なくていいです」でバイバイかもしれない。仕方がないから、ハイハイ、とその通りにすることにした軟弱な私であった。
2005年09月07日
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あとで書く予定。
2005年09月03日
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狸さん(うちの赤子1歳3ヶ月)、1歳前後から「どうぞ」と言ってモノを渡してくれるようになったのだけれども、未だに使い方が微妙に間違っているようだ。なぜかというと、私にモノを渡すときだけでなく、何かを私に取って欲しい時も「どぞ、どぞ!どーぞ!」と欲しいもの(またはそれがある方向)を指さしながら呼びかけるからである。すぐ取ってあげないと「ドゾー!!ドゾー!」といって突っ立ったまま両手を投げ出してオイオイ泣く。狸さんの頭の中では「狸さんと私の間でモノが渡される行為」=「どうぞ」になっているらしい。 以前禁止されたことをしようとする時には、先に「ノンノンノン」といって頭を振りながらこっちを見てニヤニヤする。夫が狸さんに何かを禁止するときに「ノンノンノン」と相好を崩しながら言うせいだ。私があれほど夫に「やっちゃいけないことをダメというときには怖い顔ではっきりダメというように!」と注意してあるのに。狸さんと接する時間が少ない夫は、「ダメと言うポイントの絞り方」を心得てない。だから何から何までノンノンノンで禁止だらけ、そのかわり一個一個のノンノンノンがダラシナイのだ。これから先が思いやられる。ここ数週間は「ワンワン」「ハト」「ベベ」を指摘するのが狸さんのマイブーム。私は最初幼児語を言うのが照れ臭かったので「ほらほら狸さん犬! 犬よ犬! いーぬ! 居るのに居ぬとはこれいかに?」…等と言って教えていたのだけど、狸さんはちっとも「犬」と言わない。こんなに私が教育熱心に喋りっぱなしに喋ってるのに一体この子は言葉が遅いのかしらん、などと思っていたが、ある日ふと「ほらワンワン」といってみた。すると狸さんは一発で「ワンワン!」と言った。やっぱり幼児語にはそれなりの存在意義があるらしい。「ベベ」に関しては、私は「赤ちゃん」と教えていたのだけれども、これもなかなか言わないのでフランス語のほうが言いやすいかと思って「ベベ」と言ってみたら、案の定すぐに言うようになった。 狸さんに限らず、ベベというものは他のベベを「ベベ」と指摘して優越感に浸るのが大好きらしい。すれちがった赤ちゃんと狸さんが、得意げに「ベベ!」と同時発声し、お互い「お前が犯人だ」と言わんばかりに人差し指でばっちりと指さしあったりしている。二人ともベベのくせに…。「鳩」に関しては、初めて言った時は「アト!アト!」だったので、さてはHが発音できないフランス人の欠陥が遺伝子に刷り込まれているのか心配したが、その日のうちにHをマスターしたようで「ハト」というようになった。やっぱり狸さんは日本人なのだと安心した。狸さんが「アト! ハト! ハ、ト!」と騒ぎ出すと、必ず鳩がいる。一見、そのへんに見あたらなくても、狸さんの指さす方向をよーく見ると、とんでもなく遠い遠い屋根の樋にちょこなんと鳩がとまっていたりする。鳩が灰色で樋が灰色だったりすると近眼の私には注視してすら動くまでそれとわからない。赤子の視力はこっちが思っている以上に良いらしい。逆に引っ込んでしまった言葉もある。1歳前後、店などに入るとボンジュー!ボンジュー!(ボンジュール)と連発してうるさかったのだけれども、いつの間にか言わなくなってしまった。これは離乳食が進んできていちいち準備しなければいけなくなったため外に本格的に出かけるのがおっくうになり、前のように頻繁に外出しなくなったせいがあるかもしれない。 なかなか歩かなかった狸さんであるがついにヨチヨチ歩きもするようになった。 そうなると今度は歩きたがって大変だ。 この間もデパートで一度うっかり狸さんを降ろしてしまったところ、私の指を握ってひっぱってフロアを限りなくテコテコ歩き続ける。これでは買い物できない。ギャースともがいて抵抗する狸さんをやっと捕まえて抱っこ紐におさめ、通りすがりにろくに見もせずそそくさ片手で掴んだソルド最終割引のベビー服を持ちレジに向かう。 この時、店員さんと抱っこ紐の話になり、「その抱っこ紐便利そうですね」と言われ「ええ、このタイプはとくに出し入れが簡単なんです。ほら」と狸さんを出して下に降ろして見せた。 降ろしたついでに買い物の精算もしようとして自分の財布に気を取られていたところ、この一瞬の隙を衝いて、狸さんは、嬉しそうにハァハァ言いながらすごいスピードで逃走。ヨチヨチ歩きなのにダシダシダシダシダシダシと信じられない速さだ。平日昼間の閑散としたフロアではあったが、向こうからアメリカ人観光客らしき人たちが巨躯を震わせながらダンプのごとく歩いてくる。跳ねられたら危ない。 狸さんを捕まえようとして私ばかりでなく店員さんも思わず飛び出したが、彼女は若いので多分自分の子もいないし赤ちゃんの扱いにも慣れていないのだろう、飛び出したものの赤子のどこを掴んで捕まえたら良いのか迷っている様子だった。財布を放り出した私がとりあえず狸さんを捕獲。 それにしても、今まで私の指をしっかり握りしめてヨチヨチ歩いていたので、手を離したらどうせ大して進めないだろうとタカをくくっていたのだけれども、まるで逆だった。しがみつくものが何もないと、倒れないように夢中で進んでしまうので余計スピードが出るのだろうか? 外では車道なんかに走り出さないように気を付けなければならない。こうなると近い将来、「まるで犬扱いで非人間的」に見える「ベビーハーネス」も必要になってくるのかもしれない。
2005年07月22日
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ここのところ狸さん(うちの赤子1歳1ヶ月)のストーカーぶりがだんだん熾烈になってきて何もできない。狸さんは退屈するとグズるので、常に踊ったり歌ったりしてエンターテイナーでなくてはならないのだけれども、これはかなり気力と体力がいるし、その上、私はもともと根暗なので二重にきつい。狸さんが妙におとなしくしていると思うとそういう時は必ず何かしら悪さをしている。最近のお気に入りは、水の入った哺乳瓶を傾け、その先から滴る水滴で、絨毯の刺繍の薔薇に一輪一輪丁寧に水をやる行為で、おかげで絨毯はグショグショだ。哺乳瓶を取り上げると、真っ赤になって強烈に怒るので、水を捨てて空にしてみたら、水滴がしたたらないのが不満らしく、座ったままぺったりと二つ折りになって絨毯に顔をつけてこの世の終わりのように号泣…。週3回の託児所はかなりの救いになる。最初は、こんなかたちばかり預けても意味あるのかと思っていたが、今になってはもう不可欠になってきた。狸さんがグズるのはだいたい退屈している時なので、託児所のある日はたとえ数時間であっても狸さんの退屈がかなり埋まるのだ。また狸さんが絨毯の薔薇に水をやってるので、ここで切り上げます。はぁ。
2005年05月24日
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フランスの託児システムはいろいろあるが───いろいろあるといっても好きなものが選択できるという意味ではないのだけど───その中の一つに、専業主婦でも預けられるアルト・ギャルドリがある。(以下、「ギャルドリ」としておきましょう。) 私が数ヶ月待ちでやっと入れてもらった近所のギャルドリは、半日(午前か午後の3~4時間)×週2回。今も朝は母乳だけの狸さんの場合、連続して耐えられる時間は2時間。だから2時間預けている。先日「空きが出たので週3回いかがですか」とオファーが来た。 狸さん(うちの赤子1歳)は、最初慣らし保育が難航し慣らし保育だけで1ヶ月も続いたが、今やすっかり託児所が楽しみになったらしい。託児所への道を歩くと、「ウヒ♪キャッ♪」といって一人で喜んでいる。一度、預ける目的でなく一月分の託児料の小切手を渡しに行くためギャルドリに向かった時も、勘違いしてキャッキャと喜んでいた。1回2時間だと大したことはできないし、却って忙しいような気もするけど、一応狸さんは楽しみにしているらしいし、ここのところ狸さんが体調を崩したりして週2回すらも実際には行ってないこともあり、申し出を有り難く受け入れて週3回にしてもらうことにした。ところで、ギャルドリは専業主婦も預けられる場所だからいわゆる「ママ友」でもできるかな、と思っていたのだけれども、これが期待から大外れであった。(ちょっと用事できたので中断。また続き書きます)
2005年04月20日
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漢字の授業は基本的にはこちらが一方的に板書しながら一方的にしゃべるという講義型授業だった点において私にとっては一番楽な授業だった。しかし、別の意味では大変だった。なぜなら、私が教えていた場所は、フランス国内の大学および大学相当機関の日本学部の中でも漢字に厳しくて有名なところだったからだ。どれぐらい厳しいかというと、普通の日本人が準備無しにいきなり1年生の漢字の試験を受けたらまず受からないぐらい厳しい。たとえば「小」という字を書くとき、真ん中の棒の一番下をきちんとハネないと、1年生の漢字の試験ではこの字の分の点数は零点となる。「銀」など金偏の一番下の横線は、右上がりにしないと、「銀」という漢字一個全体が零点となる。ハネ・トメの他も、線の長さ、プロポーションなど、非常に細かく教える。守らないと1年生の漢字の試験ではその字の分は零点となる。また、音読み訓読み当て字の区別もできないと点が取れない。1年生2年生の漢字の試験では、音読みはカタカナで訓読みと当て字はひらがなで読みを書かなければならず、読みそのものはあっていても音訓を間違えると減点である。当然教えたり採点したりする私たち教官のほうも大変だ。書道家でもないのに正しい楷書体を覚えている日本人は一体何人いるだろうか。書き順も試験に出すため、漢字の授業でなくても1年生の前では板書する時には気を付けないと「先生、書き順が違うんじゃないですか」と学生から真面目に指摘されてしまう。そんな時は「あなたたちは駄目ですが、私は日本人だからいいのです。日本人特権なのです。私の母国語だから私の好きなようにするのです。」 と、横暴に構えるしかない。(今から考えると、学生の中には日仏の学生もいたから、「日本人だからいいの!」だとちょっとまずかったか…)学生の中には、「漢字が厳しすぎる。もっと甘くしろ」と図々しいながらも切々とした訴状を書いて教官全員のロッカーに爆弾よろしく投げ入れる者もいた(のち教官ロッカーは、テロ対策のための政令で閉鎖となったが)。実は教官の間でも「厳しすぎる。もっと緩和するべきだ」と、漢字の授業の責任者を批判する人もいた。最初は「これは厳しすぎる!ここまで厳しくしなくてもいいのではないか!」と私も思った。(教育上の観点からよりも、はっきりいってハネやトメまで全部チェックしなくちゃいけないなんて自分が大変だったからだけど。)だが半年後には私も「いや、これくらい厳しくしないと」派になっていた。その理由はまた続きで。
2005年04月16日
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狸さん(うちの赤子1歳)が、悲劇的な顔をしてひぃひぃ言いながら頭をばりばり掻いている。額、顔、肩が真っ赤になっており、特に首から肩にかけては肌が少し盛り上がってくびれが白く見えるほどの腫れ方だったので、あわてて服を脱がせてみると、お腹や背中のほうも真っ赤。今日、何か変わったことをしてないか、考えてみると、そういえば、今日はじめて食べさせてみたものがあった。HIPPというメーカーの有機栽培のプチポ(瓶詰めベビーフード)には、アレルギー対策版の商品ラインがあり、その中のニンジンとトウモロコシのピューレを(例によって嫌がったけど無理矢理)一匙与えてみたのだけれども、狸さんはどうやらトウモロコシが駄目だったらしい。やっぱり「AA アンチ・アレルギー」と銘打ってあっても、結局、何にアレルギーを起こすかは個体によるのね…。小児科医に電話をすると、「薬局でポララミンを買って与えて、様子見て、良くならなかったらまた電話くれ」と指示。薬を与えてから1時間ほどたつと腫れも引っ込み、痒みもとれたようだ。ポララミンは抗ヒスタミン剤である。抗ヒスタミン剤は副作用で眠気をおこす。「飛行機に乗る時に眠らせたいんですが」と日本の小児科医に相談した時に出してもらったのがポララミンだった。しかし全然効き目がなく狸さんはフライトの間中元気に遊んだりぐずったりし続け、ご飯も食べられなかった私はそのフライトだけで3キロ痩せた(その後また太って元通りになったけど)。今回も、「アレルギーがおさまるついでに抗ヒスタミン剤の効果で速やかに寝付いてくれるかな?」とちょっと期待したのだけど、私の期待も虚しく、かゆみがとれてすっきりした狸さんは夜10時まで元気に遊んでくれた。そしていつも通り、夜中に何回も起きた(それは下の騒音バーの奴らのせいだけどね)。
2005年04月15日
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フランスでは企業(とくに大企業)が求人をする時に「手書きの履歴書」を要求することが多い。日本企業も一昔前は手書き重視だったことが多かったようだが、これはむしろ求職者の真剣さを見るためのもので、別にわざわざ専門家に鑑定にかけたりはしていないと思う。しかし、フランス企業の場合、手書きの手紙や履歴書を「グラフォロジー」を専門とする「グラフォロジスト」に見せる。そして、字からその人のパーソナリティーや仕事への向き不向きなどを判断させる。グラフォロジーという言葉は辞書をひくと筆跡学と出ている。もし「これはナポレオンの筆跡ですな」「16世紀のフランス人の筆跡を分析すると職業や社会層によってこれこれこういう特徴が…」というのだったら確かに「筆跡学」だけれども、企業の履歴書などを扱うグラフォロジーの場合、「この人の文末のeは端っこがこう跳ね上がってるので、行動力のある人だ」「この人のsの形は、おっちょこちょいな性格をあらわしている」とか、はっきりいって、エセ心理学みたいなもので大変うさんくさいと思う。これでは筆跡学というより筆相性格判断ではないかしらん?履歴書の字の筆相で人柄や仕事の能力を判断するとは、理性中心の合理主義者を自認するフランス人の慣習にしては意外な気もする。一方、理屈好きなフランス人は科学(…ただし自分の理解できる範疇の)でカバーしきれないことはもっともらしい理屈でカバーしたがるゆえ、エセ心理学やエセ精神分析が大好きでもあり、そういう意味では納得できる。リクルートの際の筆相鑑定の是非はともかくとしても、読みやすいきれいな字で書ければそれにこしたことはない。現代の企業の人事課においてだけでなく、フランスの古典的な教育においても、美しい癖のない字で書けるかどうかは、教養の一つとして重視されてきた。しかしどうも医者の字だけは例外らしい。医者の処方箋をグラフォ ロジストに鑑定させたら、ひどい結果が出ると思うのだけど。elionさんやluanaさんのコメントにもあったように、一般人には判読不可能な医者の処方箋を読んでくれるのが、薬局および薬剤師の一番重要な役割である。特に、箱ごと薬を売るだけのフランスの薬局の場合、薬の調合などということはしないみたいだし、副作用などの説明は薬の箱に入っている説明書に全部印刷してあるので特に薬剤師に説明してもらう必要もない。だから余計「薬剤師の仕事=医者の字を読むこと」と思えてくる。7種類の薬(鼻を洗う用の生理的食塩水も入れると8種類)が書いてあるこの日の狸さん(うちの赤子1歳)用の処方箋も、各薬の名前の横に「一日△回を×日間」と書いてあるが、その数字が全く判読不可能。だから、私を接客している若い薬剤師さんに「すみません。これ、読めないので判読お願いいたします。数が多くてどれが一日何回なのか忘れそうなので、薬の箱の上に書いていただけますか。」とお願いした。若い薬剤師さんは「ちょっとお待ち下さい。マダムCに説明してもらいますので」。マダムCとは、この薬局の女主人である。つまり、医者の処方箋の汚い字は薬剤師ですら経験を積んでいない人は読めないこともあるのだ。プロの薬剤師とは、どんなに酷い医者の処方箋でも読める人のことだ。マダムCは「医者の字って何でみんなこんな読みにくいんでしょうか」とこぼす私に「そうなのよねーお医者さんの字は…」と相槌を打ちつつ判読してくれた。そして、数多い薬の箱の上に、自分で「一日△回×日間」とボールペンで一つ一つ丁寧に書き込んでくれた。ところが、密かにおそれていたことが起こった。薬局のマダムのその字(しかも肝心な数字の部分)がこれまた判別不可能なのだ。なじみの薬局だし悪い人たちではないので、いくら真実であっても「医者の字だけでなくあなたの字も汚いですね!」とまではさすがに言えない。熱を出してキャッキャとはしゃいでいる狸さんを抱き、7種類(2箱出された薬もあるので合計9箱)の薬が入った2つのビニール袋を下げてすごすご家に帰ってきた。こうなったら各薬の説明書を一つ一つ読んで、それでもわからなかったら小児科医に電話することにしよう…。
2005年04月09日
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狸さん(うちの赤子1歳)が、ゴホゴホ咳をしたり洟を出したりしている上に、珍しく熱まで出し始めたので小児科に連れていった。(前回はどこの小児科も満員だったので、一般医に行かざるを得ず2時間待合室で待ったが、今回は、幸い小児科に予約がとれたのだ)。右耳が中耳炎になっていた。ついでに、夜中の咳が1ヶ月ぐらい前から続いており、すでに2人の医者にかかって薬も出されているがちっともよくならないことも話した。そしたら「もしかしたら口の外に出してないだけで吐き戻していて、それに咽せているのかもしれない」と、また別の薬を出してくれた。医者が書いてくれた処方箋を持って帰りがけに薬局に寄った。薬局の人が処方箋を見て薬を揃えてくれる。こちらは日本のように必要な分量だけ調合して出してくれるのではなく、全て箱ごと買うことになる。フランスの医者はいつも薬を出し過ぎだと思うけど、今日は、ことさら、ものすごい量だった。なんと、全部で7種類だ。これだけあると、もうどれを1日何回やって何日続けるのか、どれが「様子によってはあげる」薬だったのか、思い出せない。処方箋にもう一度目を落とした。各薬の名前の脇に「1日△回を×日間」と書いてあることはわかるものの、その数字が2なんだか3なんだか5なんだか6なんだか、判別不可能だ。医者の手書き処方箋というのはいつもそうなのだが、まるでわざとのようにミミズののたくったような下手くそな字で書かれている。ちなみにフランス語は、日本の書道とちがい、「きれいな字」とは「読みやすい字」であり、「達筆すぎて読めない」などということはない。つまり、読みにくい字とは単純に下手な字なのだ。狸さんがぐずりだしたのでまたあとで続き書きます。
2005年04月09日
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ただでさえフランスは日本に比べ離乳食の進め方が遅いが、更に、狸さん(うちの赤子1歳)はアトピーなため医師の指導のより、日本の人はびっくりするぐらい離乳食を遅らせている。1歳になった数日後の検診でも、歯がためにバゲットを囓らせる以外は、どろどろピューレのかたちのみと指導。食材もたいへん限られている。「10ヶ月ぐらいから赤ちゃんにスプーンを握らせて自分で食べたいようにやらせてみろ」と育児書に書いてあるので何回かやらせてみせたがそのたびに、星ヒュウマのお父さん状態(ちゃぶ台をひっくり返す人)。器をひっくりかえし、ピューレのべったりついたスプーンを投げて「ウヒウヒ」と喜ぶのだ。なにしろ、ドロドロなので汚れ方も半端でない。掃除をするのが大変である。だから、狸さんはスプーンや器に手を伸ばすけれども、触らせずに私が食べさせていた。しかしそろそろ狸さんにやらせてみないとまずいのではないか?自分でやりたがる時期を逃し、その後いつまでも私が食べさせてあげなくてはならなくなったら困る。40歳ぐらいになっても椅子に座って口を開けて私が食べさせるのを待っているような人になってしまったら苦労するのは私なのだ。そう思って、久々に狸さんにスプーンを渡してみた。狸さんはスプーンを握り、それを自分の口に運ぶかと思いきや、否!満足げに私の口に突っ込んでくれた。仕方がないから私はまずいベビー用ピューレを美味しそうに食べた。狸さんは「うひゃっ!」といって大喜びである。おかしくてしかたないらしい。ゲラゲラと笑い続けながら、ちょうど私が狸さんに食べさせるときのように、私の口に何回もスプーンを運んだ。やっぱり「自分で食べさせる練習開始」の時機を逸してしまったのかもしれない…。
2005年04月08日
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警察の指定業者が音響計測に来た。この計測の依頼者は下のバーとなっているが、もちろん、自発的に依頼したのではない。彼らは、警察命令で警察指定業者に依頼しなければならなくなったのである。計測の人たちは、昼間1回きて、計測用のテープを下のバーのコンポに入れ、うちのアパルトマンの中で計器を持って計測。夜にも、一人だけ来て、今度はうちのアパルトマンの中だけでを計測。計器を持って計りながら、なにやら「1、2、3」などと声を出したり、ポンッと変な音をさせたりしている。これは下のバーの音量そのものを計るためのテストではない。だから計測業者の人があらかじめ下のバーにその間音楽をかけないようにいったのだと思う。さっきまでガンガンかかっていた音楽がやんで静かだった。計測の人が帰った途端、下のバーの奴らは、私たちへの嫌がらせに、普段よりも更に強い、大晦日の夜並のボリュームで挑戦的にガンガン音楽をかけはじめた。そういうメンタリティの奴らなのだ。警察呼ばれることを想定してか5分くらいで音量を普段並みに下げた(それでも十分うるさいけど)が、それでも当然狸さん(うちの赤子1歳)はウウーンと目をさましてしまった。しかし夫と私はにんまりしていた。この業者に計測代を支払うのは下のバーであるが、夫が「参考までに、いくらなんでしょう?」と計測業者さんにきいたところ、「950ユーロ+point d'impact一つにつき1500ユーロ」(!)という答えが返ってきた。point d'impactが具体的には何かは知らないが(音響学の専門用語だろうけど、音のショックがこっちに伝わる時の始点みたいな意味だろうなと推測)、それがたとえひとつだとしても、950+1500=2450ユーロ。下のバーの奴らは計測試験だけで最低でも2450ユーロを払わなくてはならないのだ♪うふふふふふふふふふ♪。しかも、この計測で(そんなことは絶対あり得ないと思うが)万一「防音工事の必要はない」という、奴らにとっての「勝利」たる結果が出た場合であっても、払うのは依然として奴らなのだ。なぜなら、この計測は、商売上音楽を流している場所では、1回はしておかなければいけない計測だからだそうだ。きししししししししししし♪最近、バーの一家は私たちと建物の玄関や道ですれ違っても私たちを見ないふりをしている。バーの前を通ると、常連客と一緒にじろじろと私たちを挑戦的に睨んでいる。今やそれすらも快感に思えてきた。今まで、自分たちが眠れないだけでなく、赤子へ悪影響があるんじゃないか毎日毎夜胃がキリキリするほど心配し、腰を低くし頭を下げて「うちは赤子がいるのです。おたくの騒音のおかげでベッドがびりびりいいます。一日中ベッドに頭をつけて寝ている赤子がかわいそうです(騒音がはじまった当時は赤子はまだ2ヶ月にもなってなかった)。どうか音量を下げてください、さもなくば防音工事をしてください」と何ヶ月も何ヶ月も切々と頼み続けてきた私たちを侮辱したり脅迫してきた下のバーの奴ら、今や年貢の納め時なのだ。私たちみたいに、優しく礼儀正しい人間が本当に怒ると怖いのだ♪(あまりにもこの問題に時間がかかりすぎたため、当時は一日中横たわっていた赤子は、もう1歳になって座ったり立ったりしてガンガン遊んでるけど。しかし未だに夜は何回も下のバーに起こされている。)なお、結果(分析+結論つまり防音工事の必要があるか否か)は、バーのオーナーに送られると同時に警察署にもコピーがまわされるという。たった一つの懸念は、彼らが業者に支払いを拒否した場合である。業者は支払われるまで結果を渡せない。支払いを請求する弁護士だの執達吏だのといった余計な過程が入るので、結果が出るのが遅れるというわけだ。それにしても馬鹿な奴ら。私たちが、優しく丁寧に礼儀正しく、「防音工事をなるべく安くあげるために自分たちでやったらいくらかかるか」まで親切に調べてあげて防音工事をするように頼んでいた時に、罵倒や脅迫で答えるかわりに、日曜大工で素直に防音工事をしていたら、今回の音響計測に支払わなければいけない金額だけでも防音工事は出来ていたはずなのに。この上、防音工事をしなければいけないという結論が出された場合は、防音工事もおそらく指定業者に頼まなければいけないから高くつくだろう。もう、溜飲が700メートルぐらい下がった気分だ♪狸さん抱いて歩いてる時に奴らの仲間に後ろから背中を押されたり、建物の共同郵便受けに入れられた大きめ郵便を嫌がらせに盗まれたりしないよう気を付けなくちゃ♪(いやこれはでもマジで…。実際「警察に訴えたりしたら、この界隈にいられなくしてやる。道を歩くときは気を付けろ」と脅されてたわけだし。)
2005年04月05日
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特別展はPaul Guigou(1834-1871)。具象そのものなプロバンス風景画だが、空と水…とりわけ水の描写において、幼稚園で使うクレヨンのような、或いは、一歩間違えると銭湯の壁画になりかねないような(…といっても私は日本人のくせに銭湯に行ったことないのであくまでもイメージだけど)、ポール・モーリアも真っ青のミズイロミズイロした水色が使われている。紺碧の波間に空のミズイロが映ったマルセイユの海なんか、なかなか悪くはなかった。ついでに常設展(モネだとか装飾画だとか)も数年ぶりだったため一通りざっと歩いてきたが、狸さん(うちの赤子11ヶ月)は、向こうの方から手など振ってちょっかいだしてくる館員さんたちに気を取られ、全然見てないようだった。私もどうせそんなにモネのたぐいは好きではないのでどうでもいいけど。わざわざ絵を見なくても、近眼なのでコンタクトレンズを外せば世界はデフォルトでモネになるし、光の効果だとかなんとかいって輪郭が大雑把な絵はコンタクトレンズが濁ってるような気がしてどうも鬱陶しいのだ。
2005年03月15日
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やはり赤子にはコンテンポラリー・アートが一番わかりやすいのだろう。パリ市内の美術館の中では狸さん(うちの赤子11ヶ月)はポンピドゥーセンターが一番好きなようである。ということで、気温が緩んできた今日はポンピドゥーセンターへ。本日の目的はポール・コックス展。展示スペース一面に積み木。もちろん遊んでいいのである。テーブルの上に累々と積み木の山。あちらこちらに、回路のように積み上げられたり、半分崩れたり、場所が狭かったり、積み木だけでなく他の玩具が一緒においてあれば、「ただの子供部屋じゃん?保育園じゃん?」となるが、まあまあ広いスペースで積み木ばかり、というのは、なかなか圧巻。このスペースは普段から子供用アートスペースなこともあって来ていたのは、赤ん坊や小さい子を連れた親が数組。みんな、はしゃいで走り回る子を「静かにしなさい!その棒はあなたには長すぎるから離すのよ」なんて怒ったりして、なんだか母親らしい。私も、母親チックなことがしてみたくなり、一応安定度をチェックしてからテーブルのうえに狸さんを置いて「ほら、こうやってごらん」と、積み木を積み上げてみせた。と、狸さん、私が積み上げる端から、積み木をワッシと掴んではぶん投げ、ぶん投げては掴みして、ケラケラと高笑いしながら崩しにかかる。まるで賽の河原の鬼だ。ムキになって私が積み上げる勢いを増すと、狸さんはそのスピードにあわせ益々興奮して積み木を崩す。そんなことをしているうちに、いつのまにか、一人で入ってきて、あたりを綽然とねめ回すおじさんがいた。親子連ればかりの中、非常に浮いている。そのおじさんが、私と狸さんに「どーですか?」と声をかけてきた。つい警戒した私は「大変結構でございます、どーも。」と、「これ以上話しかけないでくださいネ」というオーラ全開で、木で鼻をくくるように冷たく答えた。(←このへん私も悪い意味でパリ化)しかしそれと同時に、おじさんの胸に「Centre Pompidou(ポンピドゥーセンター)」と書いたバッヂがついてるのに気がついた。もしかして…。おじさんが去った後、展示スペースの入り口で番をやってるおばさんに「今のはもしかしてポール・コックス本人だったんですか?」ときいた。そしたらやっぱりご本人でした(汗)。ポール・コックスさん、怪しいおじさん扱いしてごめんなさい。家に帰って、ポンピドゥーセンターのサイトを見たら、ポール・コックスのブログへのリンクを発見。ブログを読むと、どうやらコックスは、「今日の建築物」(展示を見に来た人たちが積み木を使って作ったカタチ)の写真を撮るために毎日展示スペースに来ているらしい。私が見た時も、そのために来ていたのだろう。積み上げられた形から、厳島神社の鳥居や金閣寺みたいなものを連想してるのが、ちょっと笑える(ちなみにこの人、ブログ見ただけでもわかるけど日本とは関わり深いらしい)。ポール・コックス、絵や絵本はどちらかというと余り趣味でない…というか好きも嫌いもないフーンという感じだが、今回の参加型インスタレーションは悪くはなかった。
2005年03月11日
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今、まどの外を見たら、ピアノ配送専用のトラックが。新品のアップライトピアノが運び出されている。いやな予感がした。やはりうちの建物に運び込まれたようだ。階段のところで、配送のおじさんたちに「何階ですか?」ときく。うちのすぐ上の階だった。「もしかして、うちのアパルトマンの上ですか?」ときく。そうだという。上のアパルトマンはもちろん防音もなにもしてない。子供が玩具を引きずる音、掃除機の音、物を落とす音、全て筒抜けだ。(時にはうっとうしいけれども、生活音として許容範囲ということにしていた)。下からはバーの騒音、上からはピアノの騒音…。私たちはどこまで運が悪いのだろう…。
2005年03月08日
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釣った魚に餌はやらないフランスの企業の続きその後…<次々といろいろあったがかなり話を省略>…ケーブル接続のN社にテーブルテレビ解約依頼書を受領証付書留便で出した。N社がそれを受領したという受領証が来た。受領の日付は2月28日。間に合った。これで、見ないケーブルテレビへの支払いは4月までとなる。強欲で売り手本位な契約書により「解約には2ヶ月以上前からの予告が必要」であるため、受領証付書留便で解約の手紙を送って、相手がそれを受け取ってから、最低2ヶ月は、ケーブルテレビを支払い続けなければならない。しかし課金は月単位なので、2月末までにN社が私の解約の手紙を受け取れば、解約成立は4月末日になる。つまり、この場合、支払いは4月いっぱいまでだ。しかし受け取りが3月に入ってしまったら、それが3月1日であっても、5月いっぱいまで払わなければならない。2月28日、ぎりぎりだった。郵便局の使い勝手の悪いコピー機や長い行列で赤子抱えたまま2時間もさんざん苦労した甲斐があった。そう思っていた矢先の昨日、N社から手紙がきた。「解約日は5月31日となります♪」( ̄□ ̄;)ええっなんで?4月末じゃないの?更に、「解約金40ユーロです♪自動引き落としにて引き落とさせていただきます。」( ̄□ ̄;)ええっ契約違反じゃないの?N社が要求する解約金40ユーロは、私がN社と契約した時代の契約書では、私のケースでは払う必要が無いと明記されている。だからその契約書のコピーの該当部分に下線まで引いて送ったにも関わらず、私が予想&心配していた通り、N社は完全無視してきたのだ。都合の悪いことになると無視するのはフランス企業の常套手段である。書留で送ってすらこれだ。私は「この契約書にもかかわらず40ユーロとるという場合は、明瞭な説明をしてくれ」と書いたのに、説明もなにもない。まるで、手紙を読まずに食べてしまう山羊さんにお手紙出してるみたいである。しかし読んでいることは間違いない。都合の悪いことには答えずわざと無視しているのだ。もーがっくり。これでもかこれでもかと消費者を虐め抜くフランス企業。目の前がうるうるとかすみ、鼻がつーんとしてきた。これから一生こんなことばっかやってフランスで生きてくのかと思っただけで、ムラムラと、このままポン・ヌフまで走っていって身投げしたくなる。この遣りどころのない怒りを誰かにシェアしてほしくて、早速夫に愚痴の電話。夫はいつも通り「じたばたしても無駄。あきらめろ。ストレスになるだけ。」という。そんな夫は携帯電話のS社に、手間と時間と160ユーロをだまし取られたばかり(そして結局サービスは使えなかった)。「160ユーロぐらいどうでもいい」と言えるほどお金があるわけではないのに、あっさりあきらめるな!いや逆か。この人は何に付けてもこの調子だからいつも金無いのかな…。160ユーロという金額も私が締め上げるまで私には隠していた。私に「あっさりあきらめるな!」と怒られるのが怖かったのだろう。私だって人間、「もうあきらめたい」という誘惑には何度も駆られている。だって、フランスの生活って、コメディ映画ですか?と思うほどに、こんなことばかりが毎度毎度毎度毎度起こり、それが堆積して両手両足にがんじがらめに絡まってくるのだ。いちいち対応していてもきりがないので本当に疲れてしまう。しかし、日本で生まれ育ったヤマトナデシコの私は、消費者としての責任感というものを持っている。その責任感が私にあきらめてしまうことを許してくれない。(とはいえ、実は何度もあきらめてるけど。でも、あきらめるたびに、消費者としての責務を果たさなかった罪悪感を感じるのだ。)「あきらめろ。忘れろ。」としか言わない夫に愚痴をたれてもしょうがない。電話を切ってPCに向かい「これは契約違反ではないか?2月末日に受け取ったのに、5月まで支払わせるとは何事か?」と怒りのメールをN社に書く(解約となると話を引き延ばされるだけで埒があかない有料電話にはもう貢ぎたくない。)翌日(つまり今日)、N社から返事が来た。解約金40ユーロの件については相変わらず無視だが、解約日については、「間違いでした許してちょんまげ。おっしゃるとおり、2月末にお手紙受け取りましたので、4月末となります。」やった!プチ勝利だ!受領証付き書留だから、解約依頼書を受け取った日付はごまかせないのだワハハ。…と心が浮き立ったが、その直後に、これくらいのプチ勝利で喜んでいる自分がとっても可哀相になった。こうしたことを、いちいち細々チェックしてクレームをするだけでもかなりのエネルギーがいる。なにしろこうしたことは(N社が一番ひどいとはいえ)N社だけではないのだ。でも、いちいちチェックして異常があったらクレームをつけないと、限りなくお金を巻き上げられる。企業の側がすぐ気がついて修正してくれるなどということはあり得ない。そもそもN社の場合はどう考えても、こちらが気がつかないことを期待してわざとやっているとしか思えない(N社は、サポート係イコール営業で、しかも彼らは売り上げ業績に応じ報酬を支払われているものと思われる)。クレームをつけなければそのままになってしまうのだ。そう、まさに「お金を巻き上げる」という表現がぴったり。「不当にお金をとられている思ったらやめればいい」というようなレベルではない。やめようとしてもやめさせてくれず自動引き落としで勝手にお金を引き落としていく。銀行に引き落としを差し止めさせれば、逆にこっちが企業から裁判で訴えられてしまう。被害を受けた顧客の会が結成され、企業に対し裁判を起こしている人たちもいるが、企業にとっては消費者相手の裁判など痛くも痒くもないようである。
2005年03月02日
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夜9時。ドアをコツコツと叩く音。約束通りパリ警視庁だ。しかし、区の警察署による昨日の派手なオペレーションで、コンポに音量制限器までつけられた階下のバー、いつになく小音量である。とはいえ、やつら、昨晩はウーファーを(音量制限つけられた)コンポから外して別の音源につけたらしく、いつも通り夜中までドカドカドスドスやっていたのに、今日は急に怖くなってやめたのだろうか? それともまさか今夜警視庁が来ることを感づかれてしまったのだろうか? 今夜は、いつもは閉めてない居間のカーテンを閉めた。その窓は、通りの向かいにあるテレコムショップ(*)の店番から丸見えであり、その店番はバーの人たちとマブダチである。(*「テレコムショップ」と私がここで呼んでいるのは、インターネット・安い国際電話・ファックス・コピーなどができる店(インターネットカフェなどといったものとはかなり雰囲気違う)のこと。貧乏な移民が多い地区に増殖。日本の田舎のパブにも似て、同じ民族の者同士にとっては世間話をする憩いの場でもあるらしいが、その分、その民族でないと非常に入りにくい排他的な雰囲気が漂っていることも。で、計測結果は、防音工事を強制するには不十分だった。警部は「また彼らが騒音を出しはじめたら来てあげるから心配するな」と言ってくれたが、どうなるんだろう。心配だ…。音楽だけでなく客の喧嘩の声やタバコの煙まであがってくるし、デシベル値自体は低い小音量であっても一晩中ドロドロきかされるのでは眠れない。半端に音楽の音量を絞るだけでなく、なんとか防音してもらわないと。
2005年03月01日
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昼頃、呼び鈴がなる。「どちら様?」ときくと「区の警察署のものですが」というのであけると3人の私服の男女が立っていた。階下のバーの騒音の件で来たという。いろいろ手続きをしてから既に1ヶ月以上が経過しているが、やっと来たのかパリ警視庁…。いや、でも、おかしいな。今、区の警察署と言ってた。来るのは警視庁じゃなかったっけ?しかも、私たちとランデブーとって来てくれるんじゃなかったっけ??まあいいや。警官達はまるで映画のようにきびきびと行動した。うちのアパルトマンの中に2人が残り、1人がバーの中に降りていく。うちに残った2人はそれぞれ寝室と居間にスタンバイ。居間にいるブロンドストレートヘア+そばかすの女性警官が、通り側の居間の窓を開け、居間の真ん中で腰に手をあてて仁王立ちになる(かっこよかった)。その時になってやっと、突然の出来事に絨毯の上に座ったまま口あんぐりの狸さん(うちの赤子11ヶ月)の存在に気づいたらしい。狸さんに向かって「あらベベちゃん♪」とちょっとウインク。バーに行った警官は、バーのカウンターにあるコンポのボリュームを上げたり下げたりしては通りに出てきて、「どう?」とうちの窓に向かって叫ぶ。居間にいる警官は「強すぎるわ!低音が響くのよ!」とか「大丈夫だと思うけど、寝室のほうはどう?」と寝室に入った警官に呼びかけたりする。寝室にいる警官は「こっちでは強すぎるよ」とか「そんなに強くはきこえないけど、俺だったらこれじゃ眠れないな!」などと居間にいる警官に叫ぶ。居間にいる警官はそれをまたアパルトマンの窓から通りに向かって叫んで「寝るには強すぎるってよー!」と下の警官に伝えるのである。寝室と居間(うちのアパルトマンは日本でいう2階にある)と、そして通りの間でキビキビと叫び合う3人の警官。なな、なんとも派手な方法だ。(うーん、バーの人には分からないように夜こっそりやってきて、デシベルで計測するってきいてたような気がするのだけど…。)うちの近所はアルジェリア人が多い。今は冬だからみんな中に入っているが、ちょっと物珍しいことがあると、そのへんの店の前の歩道にいっぱい暇なおっさんや子供が出てきてうろうろする。通りにちょっと視線を投げると、彼らが総出になってうちのアパルトマンを見上げているのがわかった。 このへんのアルジェリア人どうしは全員知り合いで、一つのコミュニティーをつくっているのでバーの騒音をめぐるバーと私たちの問題はこの界隈全体のアルジェリア人の噂になっているらしい。近所のアルジェリア人主婦Sさんとの立ち話で彼女が「うちのアパルトマンは暗くて」というので「うちは下のバーの騒音が」といったら「あらっ、それじゃお宅なのね!バーのことで警察に苦情を持ち込んだというのは。」と言ったのでああ噂になってるんだなと気がついた次第である。3人の警官のチームワークによる大胆なオペレーションが終わり、バーにに降りていった警官が戻ってきた。「バーのコンポにlimitateur(音量制限器)を付けてきたわ。厳重注意しときましたから。」音量制限器ってどんなものなのだろうう。音量コントロールのつまみにガシッと熊手みたいなものが付けられて、そこに南京錠がかけられている様子が目に浮かんだが、もしそんなものだとしたら、これもまた結構ワイルドな…。私:「あのー、防音工事を義務づけることはできますか?」警官:「それは私たちにはできないわ。勧告はできるけど。彼らが勧告を守らずまた騒音を出したら、罰金刑ね。私たちにできるのはそこまで。」あれ?防音工事をしなかったら、強制的にバーを閉めさせるんじゃなかったっけ?なんだかきいていたのとは違うなあ。…と密かに同様する私に、警官達は「また騒音があったら遠慮せず御連絡ください」と力強いスマイルを残して帰っていった。警官が帰ってから30分ほどすると、小さくではあるがまたズンズンとバーから音がきこえてきた。自分が話しているときこえないが、黙ると、ズンズンズンズン耳につくレベルだ。音量制限器をもうちょっと小さい音量のところにつけてくれればよかったのに…。警官たちは「寝ようとしてる時だったら…」などと想像力を働かせて最善をつくしてくれたが、車やなにやらで結構騒がしい真っ昼間の通りに向かって窓を開け、3人で叫び合っているのでは、やっぱり夜寝ようとして寝台に頭をつけて横たわっている時と比べて騒音に対する感度が違いすぎる。それにしてもおかしいな。パリ警視庁が執行官と一緒に夜中に計器を持ってやってきてバーに知られないようにこっそり計ってくれるはずだったのに、なぜ区の警察署から真っ昼間にきて、しかもバーも巻き込んで音量制限器?もう警視庁は来てくれないのかしら?そんなことを思っているうちに、夫が仕事先から連絡してきた。夫「パリ警視庁から連絡があったよ!明日の真夜中に執行官連れて来てくれるって!」なんと皮肉なことであろうか。今まで待ちに待ったパリ警視庁。パリ警視庁からの訪問予告の連絡があと数時間早ければ、私は区の警察署の人たちに事情を説明し、バーに感づかれないよう帰ってもらったのに!!今日の昼、区の警察署からのあんなに派手なオペレーションと厳重注意があったばかりでは、今やバーはすっかり警戒してしまったであろう。やつらは今までも夜間パトロールを呼んだりすると、2、3日は静かにして、その後また音量をあげるということを繰り返している。その上、今やコンポには音量制限器までつけられているのだ。夫に今日の出来事を説明し、「パリ警視庁の担当の人に電話して、今日あったできごと(区の警察がきて制限器をつけていったこと)を話すように」言った。夫もしょんぼりしてしまった。パリ警視庁の担当は「それでも一応来ます。」とのことだった。とりあえずランデブーを夜の9時に変えて、明日来て貰うことになった。私たちも想像していなかった今日の警察署によるオペレーションは、どうも、私たちが区役所コネからもプッシュしようとしたのが、裏目に出たのだと思われる。そういえば、先日、区役所から、「この件には特に注意を払ってくれと区の警察署に一筆したためた」と手紙があったばかりだ。このオペレーションが9ヶ月ほど前に行われていたら、非常に助かっていただろうが、長い時間かけてたどり着いた最終手段(パリ警視庁の計測)が来る前日とは、あまりにもあまりにもあまりにもタイミングが悪すぎる。(泣)
2005年02月28日
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(注意:フランス在住の方は、読むだけで自分の経験を思い出して気分が悪くなるおそれがあります。)私はもうかれこれ4年以上も、ケーブルインターネット接続と、全然見てないケーブルテレビの基本プランに、1月60ユーロ(約8,500円)払い続けている。ネットでプロバイダNのサイトを見ると、現在、私の接続(ネットのみだと39.9ユーロ)と全く同じ速度の接続は、プロモ無しでも19.9ユーロ。フランスの企業は、時代の流れでサービス全体の価格が下がったからといって、高かった時代に申し込んだお客の価格も改定して下げる、などということは絶対しない。客が自分で気がついて行動しなくては駄目なのだ。ということで、今回、思い立って、テレビを解約し、インターネットのほうもプラン料金を変えることにした。しかしこれがまた(予想通り)一仕事であった。フランス企業は新しく飛び込んでくるカモ(新規顧客)には申し込み用フリーダイヤルまたは安い通話料金の電話を用意しているが、一旦顧客になってしまった人間には1分0.34ユーロ(つまり50円近く)の有料通話以外では答えてくれないのが通例である。プロバイダNもその例に漏れない。そして、有料電話だから速やかにつながるかというと大間違いなのだ。ダイヤルすると、「この通話は1分0.34ユーロです。ウェブのこれこれのURLのお客様ページでは、無料でサポートが受けられます♪云々」と長々自動メッセージが流れる。これだけで既に1分。ちなみに、その無料サポートが受けられるはずのお客様ページでは、プラン料金の変更の項目は、いつ見ても「サイトの技術的問題でただいま使えません。こちらの電話番号(有料ダイヤルのカスタマーサポート)に電話してください」となっている。1ヶ月間、毎日見ててもそうだったので、多分、このページが使えることは過去にも現在にも未来にも一度も無いのだと思われる。で、電話サポートだが、最初の自動音声案内のあとも「○○のサービスは1、○○のサービスは2を、それ以外は3を…」という自動音声。それで「2」を選ぶとまた、【○○については1を、○○については2を…」と延々と続く。自動音声の指示を3段階ぐらい経ないと生きた人間にたどり着けない。3~4段階経た後も、きくに耐えないほどダサイ…という死語がぴったりなほどダサイ80年代風の音楽がチャチャラチャラ延々と流れて待たされる。しかも、そのチャラチャラをたっぷり5分はきかされた後、突然「ブッ!ツーツーツーツー」と向こうから勝手に切られてしまうことが数回続いた。1回につき10分(500円ぐらいですか)ほど無駄にしながら、何回もかけなおさなくてはならなかった。4回目ぐらいにふと思いついて、自動音声案内で「プラン料金の変更」を選択しないで、「その他」を選択してみた。案の定、待たされたがやっと人間につながった。プロバイダNのオペレーターには、私が電話をかけただけで、私の全てのデータ(申し込んであるプランやその料金、今までカスタマーサポートに送ったメール)が見えている。だからどうしても「電話がかかってきた時点でデータを確認し、『この客にプラン料金を変更させたら、今まで通りにぼったくれなくなる』と判断すると、プラン料金変更ができないように電話を切って妨害しているとしか思えないのである。(続く)
2005年02月27日
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書留便を出さなくてはいけないので郵便局に行った。例によって長い長い列。フランス人は睡眠時間を除いた人生の1/3ぐらいは行列をつくっているのではないか?狸さん(うちのもうすぐ11ヶ月になる赤子)は退屈して反っくり返ったりしながらキョロキョロしはじめた。それにつれて、だんだん抱っこがずれてくる。しかし片手が郵便物やコピーでいっぱいなのでうまく抱き直せない。抱っこ帯を使っているので落ちるようなことはないが、ずれてきたため腰への負担がなかなか厳しい状況になってきた。弾みをつけて抱き直そうと跳ねてみたり苦労していると、私の前にいたおばあさんが、私を指さし、そして列から離れたところにある椅子を指し示し、フガフガしながら途切れ途切れに何か私に話しかけてきた。「vous(あなた),asseoir(座らせる),moi(私), la queue(列)」いわゆる"petit negre(プチ・ネーグル)"のフランス語、つまり、植民地時代の黒人のような、動詞だったら活用せず原形をそのまま使い単語を羅列する片言のフランス語である。おばあさん自身が外人なのか、それとも、私が外人なのでフランス語がわからないと思ってるのか?(かなり希とはいえ、年寄りの場合、時々そういう話しかけ方をしてくる人がいる。)「vous asseoir(あなた座る)」と言ってるし、赤子を抱えて必死の私に「私が列の順番をとっていてあげるから、あなたはあちらに座ってなさい」と言っているのだろう。ああなんて親切なおばあさんなのかしら! さっき「このおばあさんガメツそうだ。きっと預金の残高を確認するのにも、ATMじゃ信頼できなくてわざわざ窓口に来てるにちがいない。こういうババアがいるから郵便局が混むのだ」なんて思ったりして申し訳なかった。 生き馬の目を抜くようなエゴイストばかりのギスギスとしたパリで、このおばあさんのようなうココロの美しい人もいるのだ。世の中捨てたもんじゃない。感動のあまり目頭が熱くなった。善意には善意で報いなければならない。ここはおばあさんに「おばあさんこそお座りなさい。私が順番をキープしててあげますよ」と言うべきだろうな…。私:「ありがとうございます。でも私は大丈夫。」「おばあさんこそお座りなさい」と続けようとしたその時、おばあさんは私の言葉を遮った(相変わらずフガフガとであるが急に普通のフランス語で)「ノンノン!そじゃない! あたしはあっちさ座ってるから、あーた、あたしの場所とっておいておくれ」…( ̄□ ̄;)ノノ思い出した。ここはパリなのだ。赤子連れだからといって親切にしてもらえるなど思っていた私の間違いだった。草に座らなくてもそれがわかるのであった。
2005年02月25日
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今日はバレンタインデーだなんてすっかり忘れ、Amazon.frで自分用にCDや本を注文したりしていた。んでも、夫のほうも忘れていたので、おあいこ。さて、バレンタインデーだなんて思い出しもせず、狸さん(10ヶ月になるうちの赤子)を一時託児所に預けて、近所のスーパーEで買い物をした。このチェーンスーパーはMやCに比べ、随分安い。だからといって品質は(日本に比べりゃそりゃ劣るけど)他のスーパーより特別に低いわけでもない。だが、私は滅多にスーパーEには行かない。貧乏でも───いや、貧乏だからこそ。なぜなら、私の住んでいる一画でこのスーパーに行くと、買い物かごが汚れて真っ黒でなんだかネバネバしてるのはフランスのスーパーではありがちなこととしても、客層があまりにも貧乏臭く、行くだけでとっても貧乏臭い気分になってしまうからである。本当に貧乏な時には、これはキツイことである。貧乏でない時は、侘び寂びのココロを持つ奥ゆかしい日本人であり且つ廃墟趣味のある私は、ひなびた場所を好んだものであり、従ってこのスーパーにもよく足を運んだものだ。が、自分が貧乏な時は、貧乏臭は、悪阻のようにウッとくる(尤も、私は妊娠中悪阻はなかったが)。「梵じゅーる!」と声がきこえるので振り返ると、ロック・オペラ「トミー」の映画に出てくるウハウハ歌う変質者アンクル・ウィリーみたいなアブナイ顔した、これまた貧乏臭いおっさんが、パチクリとウインクをしてきた。まわりを見回すが、私しかいない。気持ち悪いので勿論無視した。あっという間におじさんの存在を忘れ、買うものをかごに放り込み、レジに向かうと、レジは1個しか開いておらず長蛇の列(←フランスでは当たり前のこと)。 ぼーっとその長い列の後ろについて、ふと頭をあげると、列の先のほうにさっきのおじさんがおり、手をハーイ♪とばかり挙げてまたウインクをしてきた。 おじさんがウォンウォンウォンと送ってくる電波というか秋波というか、とにかく気色悪い色気に気がつかないふりをして視線をそらす。視線をそらしたまま私は別の考え事にふけり、オジサンの存在をすっかり忘れ、またうっかり顔をあげてしまった(最近育児ボケか記憶力が弱い。すかさずおじさんがウインク。ずっとこっちを見てるのだ。気持ち悪いことだ。 このスーパーでは、妊娠中、店員にもナンパされたことがある。そのころはまだ今ほど貧乏でなかったので、このスーパーには何のコンプレックスもなくよく行っていた。だからその店員とはほぼ顔見知りであった。 そいつが、トイレットペーパーの棚とその向かいの生理用品の棚の間で、もじもじしながら「今宵、仕事が終わったら一緒に映画でもいきませんか」と声をかけてきたのである。なんだか、こんなことを言って悪いけど、濡れたネズミみたいなしょんぼりした感じの男で、このときもショボ~イ気分になったものだ。「あんたはショボイからいやだ!」というわけにもいかないので、「3人子供がいるので面倒を見なければならず、そんな暇はない」と嘘をついて断った。 もう、舞台やエキストラ(自分のことを棚にあげて言わせて貰うとこのスーパーに来る客たちは殆どが何かしら貧乏臭い)がしょぼい上に、そこで起こる出来事もしょぼいという、トリプルパンチである。まるで自然主義小説の一場面だ。 常々思うことだが、なぜ私はかっこわるい男にしかナンパをされないのだろう?(怒)アラブ人であればシャア・アズナブルみたいな、フランス人であればベルモンド(ただし中年以前の)みたいな、アジア人であれば金城武みたいな、そういうのであれば軽々しく声を掛けられても、こっちも気分が良い。 しかし、私に軽々しく声を掛けてくるのは、アラブ人であればスーパーマリオみたいな(マリオはイタリアンだけどね)チビデブ髭のおっさん、フランス人であれば年取ってからのジェラール・ドパルデューみたいなむさ苦しい狒狒親父、アジア人であれば芸能人のホンコンみたいな…もうそんなのばっかり。(´・ω・`)とってもしょぼーい、陰々滅々とした気分になるのだ。赤子を抱いて歩くようになってからこういう精神的通り魔に出会うことはなくなったのだが、今日は狸さんを預けてきたため、手ぶらだった。狸さんが、今まで悪霊醜男退散のお守りがわりになっていたのだな、と改めて気づいた日であった。
2005年02月14日
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階下のバーとの戦争続報狸さん(もうすぐ10ヶ月のうちの赤子)をアルト・ギャルドリに連れて行く。慣らし保育は延々と続いているが、預ける時間は2時間にのびている。狸さん、相変わらず、保母さんに渡された途端もう「うぃーん!」と真っ赤になって顔をくしゃくしゃにしている。やれやれやれ。アルト・ギャルドリの方向から家へ帰ってくると、どうしても階下のバーの前を通ることになる。しかも、カウンター内で働いている人が外を見ていれば、後ずさりしながら歩きでもしない限り、必ず目があってしまう。午前中は客も少ないせいか大抵オーナーの奥さんが一人でバーで働いている。 この日、奥さんは、私を待ちかまえていたように走り出てきた。 愛想笑いしながら「ちょっと、見に来てください」と私の腕をひっぱる。仕方なく引っ張られるままにバーに入った。魂胆はわかっているのだが。奥さん「見てくださいよ。ウーファーが二つあったんだけど一つは取ったのよ。」私「ええ、知ってます。ましにはなったけど、でも残念ながら、やっぱり夜はきついんですよね。」 たしかにウーファーが二つあった当初よりは、微妙にましになっている。二つあった時は、夜中ばかりでなく日中も拷問そのものであった。奥さんがラジオでニュースをきくだけでも、まるで床下をクマンバチの大群がブンブンビリビリ飛び回っているようだったのだ。ウーファーが一つになったのは、夜な夜なバーに電話してオーナーの息子(夜は彼がカウンターを切り盛りしている)をなだめたりすかしたりした私の根気強い努力の成果だ。しかし、なんでまたこんな天井近くに置くのだろうか。しかも天井に作りつけになっている棚(天井から下がったかたちになっている)の中に置いてある。これでは、客やバーの人の頭の上を音が通り越して言ってしまうので、バーの中にはかなりボリュームをアップしても普通の音量にしかきこえない。殆どの音は棚と天井を伝って、私たちのアパルトマンに来てしまっている。なにしろバーの天井の半分は、私たちのアパルトマンの床である。そしてウーファーは、私たちのアパルトマン側の天井の下に置かれている。 だいたいウーファーが使われていない時ですら、バーの音はうちのアパルトマンに筒抜け。「下のバーで客がハッピーバースデーを歌ってるから誰かの誕生日祝ってるな」「おっ喧嘩だ」といちいちわかるほどだ。床に耳をつければ、喧嘩の原因までわかるであろう。また、夜中の音楽にあわせて客がカウンターを叩いたり、ステップを踏んだりすると、その音も音楽と一緒にドコドコカタカタ伝わってくる。「昼間はこれぐらいのボリュームでかけてるのよ。ちょっと強くかけるときはこれぐらい。」…と奥さんは、普段はしない愛想笑いをしながら、私の前でボリュームコントロールをひねってみせる。 彼女、先日、私の怒りぶりを見てしまい、「こりゃまずい。本当に訴訟でも起こされたら。なんとか懐柔しなくては。」と思ったのだろう。オーナーはおそらくアルコールで半分脳が溶けているが、奥さんのほうはある意味外交官だ。ただし、決定権は奥さんには全くない。奥さんといくら表面上和んだ雰囲気で話が出来たところで、何も変わらないのは今までの接触でわかっている。私「どちらにしても、昼間の多少の音は仕方ないとこっちも思ってるし昼間はいいんですよ。問題は夜なんです。バーにとってはそんな大音量ではない、というのは私も自分で夜にバーに来たことがあるのでわかってます。でも、バーにとっては普通の音量でも、夜寝なくちゃいけない私たちにとっては大きすぎるんですよ。防音工事してもらわなくちゃ無理ですね。バーからの音は、私たちのほうでは、防音できないですから(*)。」(*)これは本当。たまりかねた夫が「もうあいつらに言っても無駄だから、悔しいけど自費でうちが防音工事しちゃおう」と、見積もりを呼んだことがある。下からのバーの騒音がきこえないようにするには、バーが天井を工事するしかないとのことだった。奥さん(また私が言いつのってきたのを見て危険を感じたのか):「そうだわね。そうだわね。防音が必要かもしれないわね。」奥さんが口でそう言っても(あるいは本気でそう思っていても)、オーナー本人は防音工事に金を使う気が全くないのはわかっている。だが、私はそれ以上は何も言わず、奥さんと私は、表面上は友好的に微笑みながら別れた。当然朝のこの会話は何も状況を変えなかった。そればかりか、今宵は、まるで挑発のように大音量で音楽をかけては急にボリュームを落とすということを繰り返している。「警察を呼んでも無駄だぜ。着いた時にはもうボリューム落としてるよ」といいたいのだろう。ナチの軍靴のようにドッドッドッドッと重低音が響き続ける。しかし私たちのほうも、既にある行動を開始していたのだ。ふふふ。ふふふふふ。見てろよふふふふ。
2005年01月27日
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夜7時。呼び鈴がリリリリリリン!とけたたましく鳴った。(うちの呼び鈴のけたたましさについてはこちら参照)。「さては」と思い、ドアを開けずに誰何すると、案の定、階下のバーのオーナー。夫は留守である。夫には「もし来たら開けるな」と言われていたが、ちょっと迷ったあげく一応開けることにした。 オーナーが奥さんを後ろに従えて立っていた。オーナーは多分50代ぐらいだが、背は高く腹はでっぷりと出て体格が良い。いかにもマフィアの中間管理職チックな外見である。本当にマフィア関係かどうかは知らないが、オーナー本人も、一日中自分のバーや表の通りを親戚の男どもを連れてふらふらしてるだけなのにずっとダブルのスーツを着ていたり、何かというと偉そうに腕組みをしたり、マフィアっぽく見せようと努力しているようである。オーナーは普段は誰でも彼でもtu(君・おまえ)で呼んでるし、先日の電話での侮辱の時はもちろんこちらをtuで呼んでいたが、今日は時々間違えてtuを混ぜながらもvousを使おうと努力していた。やりとりは、(冗長になるので)先にまとめておくとオーナー:「旦那に、明日の夕方5時にバーに来いと言え」私:「もうその手は食わない。誰が行くか。」…であった。以下、やりとりのだいたいの様子。オ:(ドスをきかせた声で)「旦那はいますか?」私:「いませんが何か。」オ:「何時に帰ってくる?」私:「わかりません。」オ:(「俺はお前らの習慣を知ってるぞ」とばかりマフィア笑いをしながら) 「夜中の2時か?」(夫は、夕食&狸さんのお風呂がすむと、また近所にある自分のオフィスに戻っていき、仕事や論文の続きをやって、家に再び戻ってくるのが夜中の0~2時頃になることも多い。)私:「わかりませんね。日によります。」オ:「旦那に明日午後の5時にバーに来いと言ってくれ。」私:「どうしてですか?」オ:「どうしてって。話をしたいからだ。5時だぞ。いいですな。」私:(ホールに響いて同じ建物の住人にきこえるように声を張り上げ)「いーえ。うちの夫は行きませんよ。あんなに脅されてこっちは戦々恐々としてますのよ!(←ここでまた声量アップ) 召還されるままにノコノコ来るわけないでしょう。」オ:(おそらく自分で毎日鏡の前で訓練しているであろうジャン・ギャバン笑いを浮かべて) 「脅しって何の話だ。」私:(岩下志麻スマイルのつもりのスマイルで対抗して) 「お忘れになりましたか? 録音してありますよ。」オ:「う…。ところで、土曜日、警察を呼んだのはあんたたちか?」私(もう一回能面スマイル):「そうですが、何か?」オ:「警察を呼ぶなんていかん。いかんな。」(かっこつけて指をちっちっと横にふりながら)私:「『騒音くらいでいちいちバーに電話してくるなタコ』ってあなたがおっしゃったでしょ。騒音元と話が出来ないなら警察呼ぶしかないじゃないですか。あーもうドア閉めていいですかね。赤ん坊の風邪が悪化しちゃうわ。」オ:「友好的に解決しようといってるんだ」(↑おいおい「戦争だ戦争だ」って言ってたのは誰だよ…。)私:「友好的? その努力を何年も私たちがしてきたわけですが、そちらの対応といったら、こちらをホモ野郎呼ばわり・ウンコ呼ばわりした上に脅迫までして(←声量パバロッティ)、友好的とはほど遠いじゃないですか。今更なんですか。」(↑もちろんこれを全部言う間にオーナーは何回も口を挟もうとしたが、ここはフランス。当然相手に口を挟ませないように声量で制圧して話し続ける) オ:「こっちは28年もここに住んでるんだぞ。」私:(数日前、「25年」といってたのに3年増えてるな、と思いつつ) 「28年住んでたというのが何か騒音の問題に関係あるんでしょうか? 関係ないですね。はい、もう赤ん坊が風邪ひくのでドアしめさせてください。」オ:(異様にたじろいで) 「関係ないっていうのか?」私:「ないです。28年間住んでようと何しようと、夜中にどうしてもバーで音楽かけて騒ぎたいなら防音工事するべきです。一度私たちに防音工事すると嘘ついて何ヶ月も引き延ばしてくれましたが、いい加減にしてほしいですね。」オ:「防音工事の約束なんかしておらん。騒音をうるさがってるのはあんたらのほうなんだから、あんたらが防音工事すればいい。こっちの問題じゃない。」(↑このオーナーは嘘つきまくりで、昨年の夏は、「再来週に防音工事をする。もう材料は買ってある。」と嘘をつき、私たちの苦情を数週間にわたり封じ込めていたのだ。私たちは、「せっかく相手が工事する気になったところにあまり苦情を言ってまた機嫌を損ねられてしまっては元も子もない」と思って、我慢していたが、結局いつになっても工事は行われなかった。)私:「ほら、友好的に話し合いで解決なんていったって、そっちはその調子なんですからもう話すだけ無駄。そろそろドア閉めさせてもらっていいですかね。赤ん坊の風邪がひどくなっちゃう。」オ:「どうするつもりだ。訴訟でも起こすのか?」私:「まだ何もきめてませんが。必要なら訴訟もありうるでしょうね。じゃ、もうこれで…」オ:「あんたたちんとこは、借りてるのか?それとも持ち主なのか?」(↑おそらく、「借家人であればもっと脅せば出て行くだろう」と思っての質問だと思う。)私:「持ち主ですが何か。家主会議に出てればわかるでしょーが。」(ちなみに、バーのオーナーは建物の家主会議をすっぽかし続けている。)オ:「あんたの旦那に明日5時に来いと言っといてくれ」私:「行きません。言いたいことがあるのなら書面でどうぞ。じゃ。」オ:「ふん。気をつけるんだな。おまえの旦那にも。」私:「さよなら」(鼻先でドア閉める)今更「友好的な話し合い」だなんていったってもう遅いのだケケケケケ。(しかもその手にはもう何回も騙されている。彼らのいう「友好的」とは、結局、こっちが友好的に堪え忍ぶことを意味してるのだ)ところで、バーのオーナー一家は、なぜか「俺たちのほうが長く住んでいる」というのが最強の封じ文句だと本気で思い込んでいるらしい。「そちらが何年住んでいようが騒音の問題とは関係ない」と私が(私にとってはごく当たり前のことを)言った時のオーナーのたじろぎ方は異様だった。偉そうな態度に急にガタガタッと隙が出来たその様子は、あたかも整形手術の顔がいきなり崩れだしたような感じであり、こっちのほうが驚いてしまったほどだ。多分、彼と同じアルジェリアからの移民が多いこの界隈では、同郷人に対してはそれで通用してきたのだろう。
2005年01月25日
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先日、毎晩のことだが夜中の1時を過ぎても下のバー(パリ下町、階下の異世界・パリ下町、階下の異世界2参照)がドコドコとうるさいので「おそれいりますが赤子が眠れませんのでボリュームを下げてくださいまし」と電話をした。いつもは夜中にバーのカウンターで働いているオーナーの息子が出て「奥さん今日は祝日/土曜の夜/誕生パーティー/ラマダン/クリスマス/大晦日/ライの音楽祭/パリ市音楽祭/パリ市白夜祭ですぜ。これ以上はボリューム下げられないね。」…などといろいろゴネたあげく、私の腰が低いが執拗な要求に、ほんのちょっぴり音量を下げたり、ウーファーの位置を変えたりするのだ。(パリ白夜祭なんてつくったドラノエ市長、恨みます。) しかし、今日はオーナー本人が出た。私「もしもし。上の住人ですが、もう夜中の1時過ぎてるんでいい加減ボリューム下げていただけませんでしょうか。これじゃ赤子が眠れません。とくに今日は中耳炎だから眠らせてやりたいんですけど。」オ:「もしもし?もしもしもしもし?」私:「もしもしー。きこえますかー。赤子が眠れないのでボリューム下げてくださいな。」オ:「はあ?赤ん坊?赤ん坊?赤ん坊がどうした!糞食らえだ。ケツの穴かっぽじるぞこのクソが。あんたの旦那もホモ野郎だ。おまえらなんかウンコだ。クソクソクソ、糞食らえ糞食らえ俺たちはこの界隈に25年も住んでるんだぞ。」私:「25年住んでるかどうかなんて何にも関係ないでしょ。25年住んでいてもうるさいものはうるさいんです。お宅で対応拒否なさるなら警察呼びますが。」オ「ああ? 警察? 気をつけな。俺はあんたもあんたの旦那も知ってるんだぞ(道で見たら誰だかわかるという意味らしい)。ただですむと思うなよ。戦争する気なんだな。戦争だ戦争!戦争だ!」私:「戦争だなんて大袈裟な。もう夜中の1時すぎなんで音下げてくれと言ってるだけです。脅迫までされちゃかなわいませんわ。」オ:「うるせー知るか。眠れないんだったらてめえらが引っ越せこの糞が!こっちは25年も住んでるんだ。おまえらガタガタ言うなら外に出るときゃ気をつけろよ。」私:「そちらこそ気をつけたほうがいいんじゃないですか。この会話録音してますからね。」オ:「あんたの言ってることさっぱりわからん。音楽は朝まで続けるからな」(がちゃん!)結局、そのあと音楽のボリュームが5分ほどあがってから静かになった。(向こうはこっちがすぐに警察を呼ぶと思っていたらしい。) 電話でオーナーが出たのは2回目だが、2回ともこの調子であった。 1回目は夫が電話した時だったがやはり口汚く罵られている。この時、途中で私が夫から電話ひったくって出たため私も1回目の電話にも出ている。なぜひったくったかというと、夫が頬を紅潮させて受話器に向かって「侮辱するのはいい加減にしなさいムッシュー!」などと怒ってるので、どんなドラマチックな侮辱をしているのかきいてみたかったらだ。内容は、以下の数少ないフレーズの繰り返しであった(今回もそうだったが)が、それでも普段の生活では余りきく言葉ではないので、充分映画っぽい。Je t'encule! (文字通りに訳すと「ケツの穴に突っ込むぞ」だが、英語の「ファックユー!」のようなもの。)Je t'emmerde. (「クソ食らえ」)Pede!(ホモ野郎)Tu n'est qu'un merde.(「おまえなんかクソに過ぎない」merdeは女性名詞なので正しくはTu n'est qu'une merde)余り腹が立たないのは、私は夫と違って外人な上に、語学を耳から学ぶ才能が無く文法から入った人間であるため、いちいちフランス語のあら探しをしてしまう(オーナーはアルジェリアからの移民第一世代である)せいもあるだろう。がそれよりも何よりも、既に騒音自体で限界まで腹が立っているのでこれ以上腹が立ちようがないというのが本当のところかもしれない。それにしても、脅迫自体はこれで私の知る限り3回目だ。1回目は夫がバーに直接文句をいいに降りていったところ、バーの中で脅されている。面倒くさいけどそろそろ腰を上げて警察に行くか。
2005年01月21日
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