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京都に日本レース(株)と云う会社が有った。 レース製造業は今でこそ繊維雑品 レース・リボンのジャンルに別けられているが、かつては西陣織・友禅染で代表される染め呉服と並んで、輸出貢献度も大きい優良企業だった。 戦後の変革期 既に実績を上げていた企業は 逆に時勢に乗り切れなかったのか 又社長が有徳の人に過ぎたのか 当時の社長岩井盛次氏は、京都商工会議所の会頭 関西経済連合会 関経連の副会長を関西電力の芦原義重氏や 倉敷レーヨンの大原総一郎氏などと同期努めている。大証・東証 一部上場会社だった。
昭和三十年の有名な地評が総力を挙げて戦った日本レースストライキ事件以降 業績は細るばかり 同じ頃 四条大宮で任天堂社員が不当解雇を理由にハンガーストライキを起している。今日大を為している任天堂も一からのスタートではなくマイナスを帳消しにしてからのスタート 命運を別けたのは、日本レースは滋賀県で土地転がしをして財を為したとされる上田建設 上田茂男氏との絡みが出来て日本レース株が仕手筋に渡り キナ臭い話を色々と聞くことになる。
柳居子のスタンスはいつも 『かくかく 然々の記事が載ってましたが、新聞の伝える通り信じてよいものですかなぁ』 同業者・メディア・その道の専門家と思われる人に聞く 同業ライバル会社の言う事は額面より少し小さく聞かねばならない。結構メディアの伝える内容とは違う事がある。
ストライキの仲介に行政の立場で京都府から職員が日本レース社長に面談に出掛けた。真夏の炎天下 当時流行ったホンコンシャツにネクタイを緩めて社長を待つ内 ネクタイ・背広上下隙無く着込んで 『この度は 何かとご造作をお掛けして申し訳ございません』 と挨拶を受けた時、其の府の職員の服装に関する価値観が激変したという 対等若しくは指導的な立場で話をするのだが、余りにみすぼらしい己の服装に唯々 恥ずかしかったそうだ。爾後 其の府の職員(柳居子の友人)は人と体面の時は必ず真夏・真冬季節に関係なくスーツを着用するようにしているという。もう八十歳に近いが今も現役で経営コンサルタントとして頑張っている。
大ストライキ時の社長岩井盛次氏 岩井氏を助けてその後上田建設とも色々と遣りとりをした信江○○氏(名前失念) 後に社長になった人だが、柳居子の仕事場の直ぐ近く横丁に自宅があり横丁の御隠居さん 奥さんとはよく話を交わす 御隠居さん 腰が悪くて歩くのが大儀そうだった。『暫くご主人様お目に掛かりませんがご自宅でご静養ですか?』と尋ねると 人差し指 空指して『参りました この一月に もう四十九日の法要忌明けも済ませました。八十五歳ご近所に知らせたら 貴方も参って呉れるでしょ そんな御迷惑掛けれない』
『親しい方だけで お送りするのが良いですよ 私の母の時も家族だけの弔いごとで済ませました』
先日も葬式の簡略化の記事を載せたが、もう家族葬は社会の常識レベルになっているのかも知れない 信江さんの他界を知って日本レースのことを思い出した。