私は、龍樹(Nagarjuna)仏教哲学の、「空」概念をある意味、理解しているつもりです。とくに、時間に対する考察と人間の執着に対する考察は他の追随を許さないものがあると云えます。但し、それは人間についての考察に適用されるものであって、物質界までに適用することには無理が有る様に思えます。全てを縁起のもとで否定し、独立して存在しえないというのは人間精神には妥当だとしても、宇宙存在に当て嵌めるには無理が有ると云えます。中論の思考でいけば無が在って宇宙存在ありきとなってしまいます。無から存在が生まれるとしたら、存在(宇宙)或いはビッグバンそのものの原因である[神]に滅びがあることになりましょう。これは、大乗仏教哲学者の矛盾点ではないでしょうか。また、、私は龍樹が、釈迦牟尼仏に対して最後に言う大聖に感謝す。此の文言は、許せません。そうでしょう?、大聖とは有名なお猿さんの西天大聖の称号からも、見とれる通り、仏とはかけ離れたものとなりましょう。。

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