Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年03月08日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/イマヌエル・カント-33(三百八十五)
 カントは「12の範疇」の相互関係については詳細を語らず、此の「12の範疇」の背景にあって統合する「モノ」を先験的統覚とか先験的自我と呼称しています。其の先験的なる語彙をカントはラテン語の「より先なるもの」「後なるものから」という意味のラテン語を転用して認識の経験からの独立性に関連して使い認識論上の術語と成さしめます。例えば、数学の真理の正しさは、経験とは独立に、つまり経験に先だって知られる。従って此れは、ア・プリオリ(a prior)な知識です。対して物理学の法則の正誤は、実験や、観察といった経験的な事柄によってのみ確かめられる。即ち、経験した後になって真理として知られるので、いわゆる「経験則」の事である「経験を通じて得るまたは得た」というような意味合いを持つア・ポステリオリ(a posteriori)な知識と区分しています。但し、此の区分には異論も多くあり、極端な経験論者は、数学上の成果を含めて全ての知識はア・ポステリオリに得られるとするし、更には物理学の法則は全てア・プリオリなものだと主張する思想家もいます。また、「経験」の内容をどう了解するかによっても、ア・プリオリとア・ポステリオリの区分範囲がは変わってきます。カントは原因あるいは実体からの認識・推論が伝統的に真理性が高いと生得的・先験的・非(超)経験的といった含意を決定づけ持たせたのがカントで,空間・時間は先駆的な直観形式,カテゴリーはア・プリオリな思考形式とします。更には、人間の思考形態が統覚という立ち位置を持つことが、自らを「先験的」にするのであり、此の位置から認識を取り扱うことによって、通常には主観的に過ぎない感覚が「超主観的」、此の語は、仏教哲学云うところの「我執を離れる」を連想させますが、「超主観主義」仏教哲学云うところの我執を離れる「無我」へと引き上げられるとしています。高度の人間精神の基底に可能性として在るのが「客観的超主観」だとするのです。
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最終更新日  2016年03月08日 06時24分27秒
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