Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年08月29日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/フォイエルバッハ37(五百二十四)
 キリスト教的観念論は、神は「主体」にして「父」であり「主」である。人は「客体」にして「子」であり、其の父なる神の「しもべ(僕或いは下僕)」にして被造物である。此の原則は原理であり侵されべからずの規範的思考が導き出されます。対して、シッダールタの興した哲学から派生した大乗哲学、「いとも気高き白蓮教」を説く日蓮仏法においては、衆生である人間と神とは言えないにしても存在的に普遍とされる「仏」との相互関連が逆転します。日蓮の教えを説く「御義口伝」では、 「我等衆生は親なり仏は子なり」と思考が逆転します。衆生に現出した人間が「覚り」を得て「覚った人間」である「覚人=仏」と成り得たからです。日蓮仏法は「諸法実相抄」にて 「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主・師・親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては侯はず返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり」と、仏教にも多かれ少かれ否、支配的に存在した、仏が主であり衆生が子という思考が完全に転倒します。其の行く付く先は、衆生が「法」を覚ることによって、湧き上がってくる自然な振る舞い・働き、即ち慈悲や主・師・親の三徳、所謂、仏教で一般に云われる三種の徳ですが、其の基底には仏・如来・涅槃には三種類の徳、 実践や経験を介さないで、純粋な思惟・理性のみによって事物の真相に近づく思弁が具わっており、「法」を「覚る」或いは「悟る」という思考方法を示唆しています。
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最終更新日  2016年08月29日 06時18分34秒
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