Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2016年11月22日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/プラグラティズム7(六百六)
 ウィリアム・ジェームズは友人C・S・パースとジョン・デューイらプラグマティストたちが提唱したのと同じ土俵の可謬主義の立場を選択します。可謬主義(かびゅうしゅぎ/ Fallibilism )は、「人間が判断した知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」という哲学上の学説を掲げ、 知識が絶対に確実であることは不可能であるとまで論じる可謬主義者達さえ生み出します。懐疑主義(scepticism)が物事の既存知識を、一旦は、ドクサ(独断)を吐き捨てる事により、新(あら)ためて過去時の知識とは無縁の再度の思考構築するのに比して、可謬主義は我々が知識を捨てる必要性ということには含意してはいません。我々は我々自身が知っていることを論理的に確実に正当化する根拠を持つことさえ必要されず、寧(むし)ろ、可謬主義は、経験的知識は観察をすることによって修正され得るということを根拠に、我々が知識と看做しているものはどれも誤りであることが判明する可能性があるということを承認します。実のところ、可謬主義其のものは、クセノパネス、ソクラテス、そしてプラトン等の古史に登場する哲学者たちの見解の中にもすでに存在していました。紀元前387年にプラトンが学園を開設した地名「アカデメイア」がそのまま学園名として継承されたアカデメイア派は「人間は何事についても確信をもちえない」と考えて、新たにプラグマティスト達が提唱した思考方法ではありません。公理的に真であることを例外とする可謬主義者、将又、たとえ其れ等公理的な学説がある意味で不可謬としても、我々はそれらの学説と連動するときに誤ることが出来得る。。批判的合理主義者ハンス・アルバート (Hans Albert) によると、論理学や数学においてさえ、どの真理であろうと確実に証明することは不可能であるとさえ断言します。この議論はミュンヒハウゼンのトリレンマと呼ばれていますが、同じ三者択一を迫られて窮地に追い込むトリレンマを、この問題を最初に明確に指摘した古代ギリシャの哲学者にならって「アグリッパのトリレンマ」と呼称されることも多々あります。此れ等の思考の要には人間が「真理」とするものは論理学や数学の公理においてさえ誤謬が入り込む余地があることを示しています。其れならば、大型集中コンピューターの二進方算には間違いがあり得ないかと云えばインプットが人間である以上、誤謬の可能性は残ります。棋界にあって将棋の最高峰には未だに十万手先を読み込むコンピューターが勝利を収めることが出来ません。最高棋士の判断には誤りを直感する曖昧であろうとも閃きがあります。可謬主義とは其の思考経緯を示します。真理は何ものの実体に在るのでしょうか。
cap-hiroのプロフィール Han-Albert1

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最終更新日  2016年11月22日 06時22分36秒
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