Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2017年01月15日
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カテゴリ: 夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル44/ニーチェ13(六百六十)
 ニーチェは大学を病弱の理由から教壇に立てず、其の後は在野に下った哲学者として生活、病気の療養に、夏はスイス冬はイタリア・フランスの村や都市に赴き、時折はナウムブルクの家族のもとへも顔を出したますが、妹エリーザベトとの衝突を避けようとして頻繁にとまではいきません。彼はバーゼル大学からの年金で療養の旅を続けますが、さしもの年金も療養を兼ねた旅路の生活資金を賄いしきれません。教壇時代の師弟ヨハン・ハインリッヒ・ケセリッツ、彼がペンネームを贈ったペーター・ガストがニーチェの秘書として生涯勤めるかたちで資金を提供、ニーチェの生涯を通じて誠実な友人であり続けます。更には、リヒャルト・ワーグナーの友人でもある作家マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークもニーチェがヴァーグナーのサークルを抜け出た後も、ニーチェに対して母性的なパトロンでありつづけます。此れ等の友人の支援を得てニーチェは活発な執筆活動を始めています。後に騎士領を所有する一家の次男として生まれ、ユダヤ系で宗教はプロテスタントで、ライプツィヒなどで学び。父親の希望により一年志願兵として普仏戦争に従軍するも、まもなく負傷し、退役したニーチェに共通する経歴の後に医師として名を成すパウル・レーとチューリッヒ大学で宗教学、哲学、そして芸術史を修める才女と愛の三角関係を構成しますが、すべてが破局、ニーチェとレーとザロメの三角関係を不道徳なものとみなしたエリーザベ-トが、ニーチェとザロメの仲を引き裂くために密かに企てた策略も一役買ったともされてはいますが尚問題を残します。此処に、ニーチェの真骨頂、失恋による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐっての母や妹と不和になったための孤独、自殺願望に取り憑かれた苦悩などの一切から解放されるために、ニーチェはイタリアのラパッロへ逃れて、驚くべきことには、僅か10日間のうちに後世に代表作とされる「ツァラトゥストラはかく語りき」の第1部を書き上げてみせます。
cap-hiroのプロフィール
Malwida-von-Meysenbug1

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最終更新日  2017年01月15日 06時40分06秒
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