Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2017年03月22日
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カテゴリ: 夢有無有
{思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル58/ニーチェ25
 ニーチェ云うところの「虚無主義」と史的哲学体系の意味するところの「虚無主義」は同じ「ニヒリズム」という言葉を使用していますが、ニヒリズムというという成語は意味合いを異にし、形而上のニヒルとニーチェ云うところのニヒルは共に「造語」であり生成の思考経過と目するところが異なります。。本来的にはニヒリズムとは連続論に対置された原子論の意味であり、今まで最高の価値と人々がみなし、目的としていたものが無価値となった歴史的事態のことを言うときに多用されます。かといって、西洋哲学者がインドの龍樹(ナーガルジュナ)其の人の思想を批判するときには「虚無主義」は、何ごとであれ否定し尽くす意味合いでも用いられています。「時間は去らない・ものごとに原因は無いし結果は無い」とするナーガルジュナを「虚無主義」者、此の場合には何ごとをも否定する者を意味しています。ニーチェが神学体系其のものを粉砕することを目的としようとしないようにするのと同様に、ナーガルジュナは多くの偽経を派生させたにも関わらず仏教哲学の祖とされるのは、釈尊の説法の語彙語句を哲学的に捉えんとしたからです。ニーチェ云うところの「虚無」が是々非々を意味するのであれば、「龍樹」説くところの「否定の論理」は「有」は否定するものの「空」、在るとも無いともつかないものを「肯定」的に捉えており、ニーチェ云うところの「虚無」は妥当しません。西洋観念論が云う形而上哲学からの批判、「無」を「虚」とすることに対しても「龍樹」は人間の精神が捉える「時間感覚」を否定するのであって人間の外界の物理世界そのもの迄も否定してはいません。ニーチェ「虚無」を「龍樹」に当て嵌めることは不可能であり、形而上哲学の観点からの「虚無」を龍樹に当て嵌めることは、外世界そのものを否定していないことから、藪から棒の批判となります。
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龍樹1

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最終更新日  2017年03月22日 06時18分27秒
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