Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2018年06月27日
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カテゴリ: 夢有無有
「霊魂論」神秘学97
 シッダルタの覚醒は一時期には阿育王(アショカオウ)の帰依をもって隆盛を極めますが、如何せん、シッダルタの「正覚」も古代インドの六派哲学、なかでも、開祖はカピラと伝えられるサーンキヤ(数えあげる)の意で,世界を分析観察する学派、物質的原理の束縛を離れる解脱を目指した学派、精神的原理であるプルシャと物質的原理であるプラクリティを謳いプラダーナの二元を立てるバラモンの哲学。プルシャは本来清浄であるが物質に束縛されているが故に生存が苦であるとする説。苦からの解脱の直接原因は知であるが、其れがヨーガの修行を補助的に薦めていることはシッダルタも当時のインドの最高学府の教育を受けたからには重々承知の上で其れに則(のっとった)修行法をもって悟り即ち「正覚」を得ます。紀元前6世紀頃のインド大陸では、バラモンの伝統に忠実な者が大半を占めるとは云え、「正覚者」釈迦を含め様々な思考様式を持つ異端者がいたことは史的では当然に確認されています。苦行者や遍歴の修行者、将又ヨーガの行者や呪術師や弁証家などです。或る意味、「零の概念」を発見する民族は「無」はゼロではなく経過の特異点であり、輪廻も其の意味で繰り返しが可能となります。ある者は輪廻を成り立たせる業(カルマ)を克服しようと極端な苦行に励み、ある者はヨーガのエクスタシーを追求し究めようとします。極度の抽象的な思考に走る者、極端なニヒリズムや唯物思想を抱く者たちも西洋同様にいたのもインド大陸の民族の多様性を考慮に入れれば不思議はありません。苦行を畳々に積んで前世を想い出そうとしたり、世界に無限性を認める者がいるかと思えば、世界にはなんの原因も存在しないと因果を否定する者や、全ては世界の起動者でない人間には不可解であり到達不可能だとする不可知論者もいたことは世界の思想とは特別に奇特でないことはインドの宗教画なかでもヒンズー教のカラフルカラーには驚かされはしますが其れは民族性の問題です。


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最終更新日  2018年06月27日 06時19分19秒
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