「霊魂論」エチカ詳解3 スピノザがエチカを書き綴った頃の初期の題名は「我が哲学」とする目論見であったらしいが、書き進めるうちに哲学なかに正義の定義に重きを置く傾向が強く持ち込まれたこともあり、論理より倫理学を強調する「エチカ(Ethica)」が選択されたと想われます。然し乍ら、其の内容たるや倫理学にはとどまらず「神即自然」を唯一の実体とした汎神論、知的直観による至福の獲得を目指す体系を、幾何学的方法により演繹的に論証するものであり、一の倫理書の範疇には収めきれません。1675年には五部からなるエチカの形態が整いますが、友人であるとともに保護者であったアラン・ドロンの「黒いチューリップ」で有名なオランダの大政治家ヨハン・デ・ウィット(Johan(Jan) de Witt,)民衆による虐殺が起こり、珍しくスピノザが激怒した虐殺で「エチカ」の出版は困難となり、出版地を変更したものの其処にも弾圧は及び結果は死後出版でしか日の目を見ることはありませんでした。