「霊魂論」エチカ詳解7 スピノザに「細胞」の概念を与えたアントーニ・ファン・レーウェンフック(Antonie van Leeuwenhoek/1632-1723)はスピノザと同様にオランダの商人ですが、17世紀のオランダと云えば、正式には日本語ではネーデルランド、蘭語でNederlanden、英語ではNetherlandsで「低地の地域」を意味しますが、其れを日本では「オランダ」(Holland)というのが一般化しています。オランダの正式名は正しくは「ホラント」で国名ではなく、ネーデルラントの中心にある州の名前です。日本に最初に来たヨーロッパ人であるポルトガル人が、ネーデルラント連邦共和国をオランダと呼んでいたのが日本で定着し現在に及んでいるのです。17世紀のオランダはまさに海洋商業国家として世界に羽ばたかんとして羽ばたいた時期です。ネーデルラントは商業国家であり移民を受け容れる寛容国家でもありました。当時のアムステルダムは世界屈指の港湾都市で世界の海洋商業は此処に通じる状況を生みます。船舶業は重要であり其の用途に供される熟練工は重要であり他地域から移民を受け入れています。レンズ磨きのスピノザの称号「レンズ磨きの神(God of lens polishing)」とは、単に職人に与えられる称号にとどまらず、創意工夫に対する賞賛の意を含んでいます。