Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2021年09月04日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-159
 スピノザ著「エチカ」の定理三三では、物の生成に関して偶然が果たして可能かどうかを問います。それでは人間の感情などの精神ではどうなのか。特に人間が異性間に起こる閃きの「愛」は偶然なのか若しくは必然なのか。物の生成に関しては確かに宇宙の森羅万能の法則が仂くことが予期され納得させられます。だが、生命体として精神を獲得した人類の行動が必然的だとは誰も認めないでしょう。西欧の唯一神教のナザレのイエスは其のままに捉えれば、世界の偶然ではなく必然です。此の論の立場にたてばキリストに自由はありませんでした。其れ故に、人類の罪を覆ったイエスは父なる神に解放を求めたのです。だから、神なる子であるイエスには人間としての生存の自由さえ許されませんでした。此処に、スピノザ思考の中に幼児期から青年になる時期の信仰の影響が関与してると捉えます。
 備考一 私はこれで、物自身の中にはその物を偶然であると言わしめるような何ものも絶対に存在しないことを十二分に明白に示したから、ここに私は、偶然ということをどう解すべきかを手短かに説明しよう。しかしその前に、必然および不可能ということをどう解すべきかを語ろう。ある物が必然と呼ばれるのは、その物の本質に関してか、それとも原因に関してかである。何となれば、ある物の存在は、その物の本質ないし定義からか、それとも与えられた起成原因から必然的に生起するからである。次に、ある物が不可能と呼ばれるのも、やはり同様の理由からである。すなわちその物の本質ないし定義が矛盾を含むか、それともそうした物を産出するように決定された何の外的原因も存在しないからである。これに反して、ある物が偶然と呼ばれるのは、我々の認識の欠陥に関連してのみであって、それ以外のいかなる理由によるものでもない。すなわち、その本質が矛盾を含むことを我々が知らないような物、あるいはその物が何の矛盾も含まないことを我々がよく知っていてもその原因の秩序が我々に分からないためにその物の本質について何ごとも確実に主張しえないような物、そうした物は我々に必然であるとも不可能であるとも思われないので、したがってそうした物を我々は偶然とか可能とか呼ぶのである。
 以上をの定理三三備考一を考察するに、定理三三では、物の生成に関して偶然が果たして可能かどうかを問うていると解釈します。此れを現代の量子力学に従う系、不確定性原理(Uncertainty principle)はどのように解釈するのでしょう。


哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年09月04日 06時10分04秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: