Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2021年12月05日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-250
 スピノザは人間一般が普通「善い」とか「悪い」とかいう言葉を結びつけている諸観念は、誤謬に基づいている或いは混乱です。善や悪は事物そのもののうちにある現実的なものではなく、我々が事物を互いに比較して作る相対的な概念に過ぎない。我々はある個物が「善い」とか「悪い」とかいう言葉を結びつけている諸観念の概念に反すると、それはその本質に適ってはいず、不完全であると考える。しかし何事も神の意志に反しては起こらないのだから、悪や罪は相対的なものであって、積極的なものではないのであるとします。それは単なる否定や欠如に過ぎず、我々の表象においてのみ何ものかであるように見えるに過ぎない。
 定理二九 人間身体のおのおのの変状の観念の観念は人間精神の妥当な認識を含んでいない。
 証明 なぜなら、人間身体の変状の観念は(この部の第二部定理二七 人間身体のおのおのの変状〔刺激状態〕の観念は人間身体そのものの妥当な認識を含んでいない。により)身体自身の妥当な認識を含んでいない。あるいはその本性を妥当に表現しない。言いかえればそれは(この部第二部の定理一三 人間精神を構成する観念の対象は身体である、あるいは現実に存在するある延長の様態である、そしてそれ以外の何ものでもない。により)精神の本性と妥当に一致しない。したがって(第一部公理六 真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。により)その観念の観念もまた人間精神の本性を妥当に表現しない。あるいはその妥当な認識を含んでいない。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 以上を勘ぐれば、人間精神は物を自然の共通の秩序に従って知覚する場合は、常に自分自身についても自分の身体についても外部の物体についても妥当な認識を有せず単に混乱し且又毀損した認識のみを有する、ということになる。此れは人間として身籠り産まれたキリストの磔の刑の今際の言葉「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか。)」に象徴されます。



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最終更新日  2021年12月05日 06時10分04秒
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