Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年01月04日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-280
 定理四八 備考 精神の中に認識し・欲求し・愛しなどする絶対的な能力が存しないことも、これ(因果)と同一の仕方で証明される。この帰結として、これらならびにこれと類似の能力は純然たる想像物であるか、そうでなければ形而上学的有、すなわち我々が個々のものから形成するのを常とする一般的概念にほかならないということになる。したがって、知性がこのあるいはかの観念に対し・意志がこのあるいはかの意志作用に対する関係は、石なるもの一般がこのあるいはかの石に対し、人間なるもの一般がペテロあるいはパウロに対する関係と同様である。なお、何ゆえに人間が自分を自由であると思うかの理由は第一部の付録(要約:神が必然的に存在すること、唯一であること、単に自己の本性の必然性のみによって在りかつ働くこと、万物の自由原因であること、ならびにいかなる意味で自由原因であるかということ、すべての物は神の中に在りかつ神なしには在ることも考えられることもできないまでに神に依存していること、また最後に、すべての物は神から予定されており、しかもそれは意志の自由とか絶対的裁量とかによってではなく神の絶対的本性あるいは神の無限の能力による云々。の中で説明した。
 だが先へ進む前に、ここで注意しなければならないのは、私が意志を欲望とは解せずに、肯定し・否定する能力と解することである。つまり私は意志を、真なるものを肯定し・偽なるものを否定する精神の能力と解し、精神をして事物を追求あるいは忌避させる欲望とは解しないのである。しかし我々が、これらの能力は一般的概念であってそれは個々のものから形成され実は個々のものと区別されないものであるということを証明したので、今度は、その個々の意志作用が事物の観念そのもの以外のある物であるかどうかを探求しなければならぬ。つまり精神の中には観念が観念である限りにおいて含む肯定ないし否定以外になお他の肯定ないし否定が存するかどうかを探求しなければならぬ。観念が観念である限りにおいて肯定ないし否定を含むことについては次の定理四九ならびに、この部の定義三(観念とは、精神が思惟する物であるがゆえに形成する精神の概念のことと解する。説明 私は知覚というよりもむしろ概念という。その理由は知覚という言葉は精神が対象から働きを受けることを示すように見えるが、概念はこれに反して精神の能動を表現するように見えるからである。)を参照して欲しい、そして思惟を絵画に堕さしめないようにしてもらいたい。なぜなら私は、観念を、眼底に形成されるとされる脳の中央も表象像とは解せずに、思惟の概念、あるいは単に思惟の中に存する限りにおける事物の想念的有と解するからである。



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最終更新日  2022年01月04日 06時10分05秒
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