Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年01月30日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-306
 人間誰しもが肉体を持って産まれたからには、何れは身体能力に目覚めて活動し、其れを自覚している自分に目覚め、精神活動を高め自我に到達します。:記
 次に欲望の何たるかはこの部第三部の定理九の備考に(要約:欲望は自らの衝動を意識している限りにおいてもっぱら人間について言われるというだけのことである。このゆえに欲望とは意識を伴った衝動であると定義することができる。このようにして、以上すべてから次のことが明らかになる。それは、我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するがゆえにそのものを善と判断するということである。)において説明した。
 この三者、喜び・悲しみ・欲望のほかには私は何ら他の基本的感情を認めない。なぜならその他の諸感情は、以下において示すだろうように、この三者から生ずるものだからである。
 だが、先へ進む前に、いかにして観念が観念と相反するかをいっそう明瞭に理解するために、私はこの部の第三部の定理一〇(我々の身体の存在を排除する観念は我々の精神の中に存することができない。寧ろそうした観念は我々の精神と相反するものである。)をここでもっと詳しく説明したい。
 第二部定理一七の備考(要約:我々は、しばしば起こるように、もはや存在しないものをあたかも現在するかのごとく観想するということがいかにして起こりうるかを知る。そしてこのことは他の原因からも起こることが可能である。)において我々は、精神の本質を構成する観念は身体自身が存在する間だけ身体の存在を含むということを示した。次に、第二部定理八の系(個物がただ神の属性の中に包容されている限りにおいてのみ存在する間は、個物の想念的有(エッセ・オブエクティヴム)すなわち個物の観念は神の無限な観念が存在する限りにおいてのみ存在する。しかし個物が神の属性の中に包容されている限りにおいて存在するばかりでなく、さらにまた時間的に持続すると言われる限りにおいても存在すると言われるようになると、個物の観念もまた持続すると言われる存在を含むようになる)。ならびにその第二部定理八の備考(もし誰かがこの事柄をもっと詳細に説明するために例を求めても、私がここに語っている事柄は特殊な事柄だから、これを十分に説明するいかなる例も私は挙げることができないであろう。しかし私はできる限りこの事柄を(一つの例をもって)解説することに努めよう。)において示したことから、我々の精神の現在的存在は精神が身体の現実的存在を含むことにのみ依存するということが分かる。最後に、精神が物を表象し・想起する能力も同様に精神が身体の現実的存在を含むことに依存するということを我々は示した(第二部定理一七(もし人間身体がある外部の物体の本性を含むような仕方で刺激されるならば、人間精神は、身体がこの外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、その物体を現実に存在するものとして、あるいは自己に現在するものとして、観想するであろう)および第二部定理一八(もし人間身体がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものをも想起するであろう。)ならびにその備考(要約:記憶(メモリア)の何たるかを明瞭に理解する。すなわちそれは、人間身体の外部に在る物の本性を含む観念のある連結にほかならない。そしてこの連結は精神の中に、人間身体の変状(アフェクティオ)〔刺激状態〕の秩序および連結に相応して生ずる。)を見よ。以上の帰結として、精神の現在的存在およびその表象能力は、精神が身体の現在的存在を肯定することをやめるや否や消滅するということになる。しかし精神が身体のこの存在を肯定することをやめる原因は精神自身ではありえない。この部第三部の定理四(いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。)により。だからといってこの原因は身体が存在することをやめることにも存しない。なぜなら第二部定理六(おのおのの属性の様態は、それが様態となっている属性のもとで神が考察される限りにおいてのみ神を原因とし、神がある他の属性のもとで考察される限りにおいてはそうでない。)により、精神が身体の存在を肯定する原因は身体が存在することを始めたことには存しないのである以上、同じ理由からして、精神が身体の存在を肯定することをやめる原因もまた身体が存在することをやめることには存しないからである。このことは寧ろ第二部定理八(存在しない個物ないし様態の観念は、個物ないし様態の形相的本質が神の属性の中に含まれていると同じように神の無限な観念の中に包容されていなければならぬ。)により我々の身体の現在的存在、したがってまた我々の精神の現在的存在、を排除するある他の観念から生ずるのである。だからそうした観念は我々の精神の本質を構成する観念と相反する。



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最終更新日  2022年01月30日 06時10分04秒
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