Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年02月18日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-324
 定理二六 我々は、我々の憎むものを悲しみに刺激すると表象するすべてのものをその憎むものについて肯定しようと努める。また反対に我々の憎むものを喜びに刺激すると表象するすべてのものを否定しようと努める。
 証明 この部第三部の前定理二五(我々は、我々自身あるいは我々の愛するものを喜びに刺激すると表象するすべてのものを、我々自身および我々の愛するものについて肯定しようと努める。また反対に、我々自身あるいは我々の愛するものを悲しみに刺激すると表象するすべてのものを否定しようと努める。がこの部第三部の定理二ー(自分の愛するものが喜びあるいは悲しみに刺激されることを表象する人は、同様に喜びあるいは悲しみに刺激されるであろう。しかもこの両感情が愛されている対象においてより大でありあるいはより小であるのに応じて、この両感情は愛する当人においてもより大でありあるいはより小であるであろう。)から帰結されたように、この定理はこの部第三部の定理二三(自分の憎むものが悲しみに刺激されることを表象する人は喜びを感ずるであろう。 これに反して自分の憎むものが喜びに刺激されることを表象すれば悲しみを感ずるであろう。そしてこの両感情は、その反対の感情が自分の憎むものにおいてより大でありあるいはより小であるのに応じて、より大であり、あるいはより小であるであろう。)から帰結される。
 備考 これで我々は、人間が自分自身ならびに自分の愛するものについて正当以上に感じ、将又、自分の憎むものについて正当以下に感ずるということが起こりやすいことを知りうる。 こうした表象は自分について正当以上に感ずる人間自身に関係する時は高慢と呼ばれ、そしてこれは狂気の一種である。なぜならこのような人間は、単に表象においてのみ達成されることをすべてなしうるものと目を開きながら夢み、そのためにそれらのことを実在するかのように観想し、そしてそれらの存在を排除しかつその人間自身の活動能力を限定するものを表象しえない限りにおいて、それらについて誇っているのだからである。ゆえに高慢とは人間が自分自身について正当以上に感ずることから生ずる喜びである。次に人間が他のものについて正当以上に感ずることから生ずる喜びは買いかぶりと呼ばれ、最後に人間が他のものについて正当以下に感ずることから生ずる喜びは見くびりと呼ばれる。
 現代にあっては高慢は人類須らく陥っている問題かもしれない。其れ故に陥穽には気を配る配慮はあらゆる場面で必須であり、明日は人間、若しくは、なかでも自己が認識する世界さえ消失することを肝に銘じて生涯を全うしたいものです。



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最終更新日  2022年02月18日 06時10分04秒
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