Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年02月23日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-329
 思想、殊に哲学では「欲求」と「欲望」を区別します。 動物の、飢えたから食べたいというような身体的な必要を「欲求」と呼び、意味の世界の中で人間化された諸「欲求」を「欲望」と呼ぶ。 そして、欲求は有限なので満足させることができるけれど、人間の欲望は無限なので限界がないとします。詰まりは、生物学的・動物的本能を起因とする欲は「欲求」であり、精神感情に関わるならば「欲望」と大まかには区分されます。とは云え、其の区分は人間に関しては案外難しく曖昧性が伴います。たとえば金銭欲、其の目的意識は限りない美食・性欲・情欲等々多肢に渡ります。また、金銭欲とは対象的な名誉欲があります。家門の誉れなどの武士道などの部類も其の一例です。此のことが、史上、古今東西において商いが武を背景にした権力に貶められてきた原因です。とは云え、某有名人の「金で母親は買える」との発言を聞けば金銭欲を名誉欲の下位にするのは致し方ないでしょう。:記
 定理二九 我々は人々(*下記注意を参考)が喜びをもって眺めると我々の表象するすべてのことをなそうと努めるであろう。また反対に我々は人々が嫌悪すると我々の表象することをなすのを嫌悪するであろう。
 *注意。ここおよび以下において「人々」というのは、その人々に対して我々が何の感情もいだいていない場合と解してもらいたい。
 証明 人々があるものを愛しあるいは憎むと我々が表象することによって、我々はそのものを愛しあるいは憎むであろう(この部第三部の定理二七 我々と同類のものでかつそれにたいして我々が何の感情もいだいていないものがある感情に刺激されるのを我々が表象するなら、我々はそのことだけによって、類似した感情に刺激される。により)。言いかえれば我々は(この部第三部の定理一三の備考 要約:すなわち愛とは外部の原因の観念を伴った喜びにほかならないし、また憎しみとは外部の原因の観念を伴った悲しみにほかならない。なおまた、愛する者は必然的に、その愛する対象を現実に所有しかつ維持しようと努め、これに反して憎む者はその憎む対象を遠ざけかつ滅ぼそうと努めることを我我は知る。により)そのことのためにそうしたものの現在を喜びあるいは悲しむであろう。したがって我々は(前定理第三部定理二八 我々は、喜びをもたらすと我々の表象するすべてのものを実現しようと努める。反対にそれに矛盾しあるいは悲しみをもたらすと我々の表象するすべてのものを遠ざけあるいは破壊しようと努める。により)人々が愛しあるいは喜びをもって眺めると我々の表象するすべてのことをなそうと努めるであろう云々。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 備考 ただ人々の気に入ろうとする理由だけであること差したり控えたりするこの努力は名誉欲と呼ばれる。ことに我々が、我々自身あるいは他人の損害になるのも構わずにあること差したり控えたりするほど熱心に民衆の気に入ろうと努める場合にはそう呼ばれる。しかしそれほどまででない場合は鄭重と呼ばれるのが常である。次に我々を喜ばせようとする努力のもとになされた他人の行為を表象する際に我々の感ずる喜びを私は賞讃と呼び、これに反してその人の行為を嫌悪する際に感ずる悲しみを非難と呼ぶ。



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最終更新日  2022年02月23日 06時03分34秒
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