Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

2022年03月24日
XML
カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-358
 謙虚という語彙を持つのは英語ではHumbleですが、謙譲という語句が西洋圏にあるかどうかは不分明です。まして、謙遜の語彙に至っては其の意味のとり方世界の東西圏では思いの外大きく相違します。「謙遜」は東方世界では形容動詞として卑下することは別にして、諸事に控ええめにすることを美徳とします。ところが、西方世界のキリスト教では、おそれをいだいて、神のあわれみを請うこととあります。謙譲の美徳や謙遜は西洋認識とは相当な開きがあり、スピノザにしてもこの傾向が見られます。スピノザの哲学の根底に流れるのは、古祖ユダヤの旧約の教え、流浪となった民族の悲しみ、イエス・キリストへの迫害者として描かれながら基督教を受け入れざるを得ないユダヤ民族の歴史が根底にあります。其れ故に謙遜は西洋世界の神へのあわれみを請うことの語彙を持つ「謙遜」は自劣感とされ悲しみを表象するのです。
 定理五五 精神は自己の無能力を表象する時、まさにそのことによって悲しみを感ずる。
 証明 精神の本質は精神が有るところのもの・できるところのもののみを肯定する。あるいは自らの活動能力を定立することのみを表象することは精神の本性に属する(前定理第三部五三 精神は自己自身ならびに自己の活動能力を観想する時に喜びを感ずる。そして自己自身ならびに自己の活動能力をより判然と表象するに従ってそれだけ大なる喜びを感ずる。により)。だから「精神が自己自身を観想する際にその無能力を表象する」と我々が言う時それは「精神がその活動能力を定立するある物を表象しようと努める際に精神のそうした努力が阻害される。すなわち(この部第三部の定理一一の備考 要約:精神感情の経緯に伴う比較衡量の諸例により)精神が悲しみを感ずる」と言っているのにほかならないのである。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 第一の系 この悲しみは人間が他人から非難されることを表象する場合にますます強められる。このことはこの部第三部の定理五三の系(要約: 喜びは人間がより多く他人から賞讃されることを表象するに従ってますます強められる。なぜなら彼がより多く他人から賞讃されることを表象するに従って、彼は他人が彼からそれだけ大なる喜びを表象し、しかも彼自身の観念を伴った喜びに刺激されることを表象する。注:喜びを悲しみに変換)と同様の仕方で証明される。
 備考 我々の弱小の観念を伴ったこの悲しみは謙遜〔自劣感〕と呼ばれる。これに反して、我々自身を観想することから生ずる喜びは自己愛または自己満足と称される。そしてこの喜びは人間が自己の徳あるいは自分の活動能力を観想するたびに繰り返されるから、したがってまた各人は、好んで自分の業績を語ったり、自分の身体や精神のカを誇示したりすることになり、また人間は、このため、相互に不快を感じ合うことになる。さらにまたこの結果として、人間は本性上ねたみ深いということ(この部第三部の定理二四の備考 これらの感情ならびに憎しみから来るこれと類似の諸感情はねたみ(妬み)の中に入れられる。したがってねたみとは人間をして他人の不幸を喜びまた反対に他人の幸福を悲しむようにさせるものと見られる限りにおける憎しみそのものにほかならない。および、定理三二の備考 人間の本性は一般に、不幸な者を憐れみ幸福な者を妬むようにできていること云々を見よ)、すなわち自分と同等の者の弱小を喜び、反対に自分と同等の者の徳を悲しむということになる。なぜなら、各人は自分の活動を表象するたびに喜びを感じ(この部第三部の定理五三 精神は自己自身ならびに自己の活動能力を観想する時に喜びを感ずる。そして自己自身ならびに自己の活動能力をより判然と表象するに従ってそれだけ大なる喜びを感ずる。により)、しかもその活動がより多くの完全性を表現するのを表象するに従って、またその活動をより判然と表象するに従って、
 言いかえれば(第二部定理四〇の備考一 要約:一次概念である共通概念から二次概念である特殊概念への変遷云々で述べたことにより)、その活動をより多く他から区別して特殊な物として観想しうるに従って、それだけ大なる喜びを感ずる。ゆえに各人は自己自身を観想するにあたって、他人に認めないあることを自己の中に観想する時に最も多く喜ぶであろう。だが自分について認めることを人間あるいは動物の一般的観念に属するものとして見る時にはそれほどには喜ばないであろう。また反対に自分の活動が他人の活動と比較してより弱小であることを表象する時には悲しむであろう。そして彼はこの悲しみを(この部第三部の定理二八 我々は、喜びをもたらすと我々の表象するすべてのものを実現しようと努める。反対にそれに矛盾しあるいは悲しみをもたらすと我々の表象するすべてのものを遠ざけあるいは破壊しようと努める。により)除去しようと努めるであろう、しかも自分と同等の者の活動を曲げて解釈し、あるいは自分の活動をできるだけ修飾することによってそうしようとするであろう。
 こんな次第で、人間は本性上憎しみおよびねたみに傾いていることが明らかである。さらにこの傾向を助長するものに教育がある。なぜなら、親はその子を単に名誉およびねたみの拍車によって徳へ駆るのを常とするからである。 
 最後の段の「親はその子を単に名誉およびねたみの拍車によって徳へ駆るのを常とする」は、現代の教育ママを想起させます。



哲学・思想ランキング





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022年03月24日 11時07分41秒
コメント(0) | コメントを書く
[絶対存在論] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

プロフィール

cap-hiro

cap-hiro

カテゴリ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: