Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年03月25日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-359
 第三部定理五五の系の第二と証明
 しかしおそらくこうした疑念が残るかもしれない。我々は人間の徳を驚嘆してその人間を尊敬するということも稀でないではないかと。ゆえにこの疑念を除くため、私は次の系を付加するであろう。
 系 何びとも自分と同等でない者をその徳のゆえに妬みはしない。
 証明 ねたみは憎しみそのものである(この部第三部の定理二四の備考 これらの感情ならびに憎しみから来るこれと類似の諸感情はねたみの中に入れられる。したがってねたみとは人間をして他人の不幸を喜びまた反対に他人の幸福を悲しむようにさせるものと見られる限りにおける憎しみそのものにほかならないを見よ)、あるいは(この部第三部の定理一三の備考 これらのことによって我々は愛および憎しみの何たるかを明瞭に理解する。すなわち愛とは外部の原因の観念を伴った喜びにほかならないし、また憎しみとは外部の原因の観念を伴った悲しみにほかならない。なおまた、愛する者は必然的に、その愛する対象を現実に所有しかつ維持しようと努め、これに反して憎む者はその憎む対象を遠ざけかつ滅ぼそうと努めることを我我は知る。しかしこれらすべてについては、以下においていっそう詳しく述べるであろう。により)悲しみである。言いかえれば(この部第三部の定理一一の備考 喜び・悲しみ・欲望の基本感情の観念の時にはより大なる完全性へ、また時にはより小なる完全性へ移行変遷についての云々。により)人間の活動能力あるいは努力を阻害する感情である。ところが人間は(この部第三部の定理九の備考 要約:我々はあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を感じ・欲望するがゆえにそのものを善と判断するということである。により)与えられた自己の本性から生じうることのみをなそうと努めかつ欲する。ゆえに人間は他人の本性に特有であって自己の本性に無関係なような活動能力、あるいは、同じことだが、徳を自分に与えられることを欲しないであろう。ゆえに自分と同等でない者の中にある徳を観想することによって彼の欲望は阻害されえない。言いかえれば(この部の定理一一第三部の備考 同上により)そのことによって彼自身悲しみを感じえない。したがってまた彼はその者をねたみえないであろう。これに反して自分と同じ本性を有すると認められる同等の者に対してはねたむであろう。Q・E・D・=此れが証明すべきことであった。
 備考 それでさきに、この部第三部の定理五二の備考において、我々はある人の聡明、強さなどを驚嘆するためにその人を尊敬すると言った場合、そのことは、その定理自身によって明らかなように、それらの徳がその人に特有であって我々の本性に共通したものでないことを我々が表象するゆえに起こるのである。したがって我々はその人をそれらの徳のゆえに妬みはしないであろう。あたかも樹木をその高きがゆえに、また獅子をその強きがゆえに妬たまないと同様に。
 妬むとは 、デジタル大辞泉によれば、他人が自分よりすぐれている状態をうらやましく思って憎む。とありますが、元々に、其の価値を認め徳を認識している人間には羨むことはあれ、妬むどころか崇敬が浮上します。:記



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最終更新日  2022年03月25日 06時00分57秒
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