Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年03月26日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-360
 スピノザは精神感情を、基本感情を大きく三つに分類する。喜び、悲しみ、および欲望の三者です。それ以外の諸々の感情は、すべてこの三つの基本感情から派生したものである。:記
 定理五六 喜び、悲しみ、および欲望には、したがってまたそれらから合成されたすペての感情(例えば心情の動揺のごとき)、あるいはそれらから導き出されたすべての感情(例えば愛、憎しみ、希望、恐怖など)には、我々を刺激する対象の種類だけ多くの種類がある。
 証明 喜びと悲しみ、したがってまたこれから合成されあるいはこれから導き出された感情は受動である(この部第三部の定理一一の備考 要約:精神がもろもろの大なる変化を受けて時にはより大なる完全性へ、また時にはより小なる完全性へ移行しうることが分かる。この受動が我々に喜びおよび悲しみの感情を説明してくれる。こうして私は以下において喜びを精神がより大なる完全性へ移行する受動と解し、これに反して悲しみを精神がより小なる完全性へ移行する受動と解する。云々により)。ところで我々は非妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きを受け(この部第三部の定理一 我々の精神はある点において働きをなし、またある点において働きを受ける。すなわち精神は妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きをなし、また非妥当な観念を有する限りにおいて必然的に働きを受ける。により)、またそうした観念を有する限りにおいてのみ働きを受ける(この部第三部の定理三 精神の能動は妥当な観念のみから生じ、これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する。により)。
 言いかえれば我々は(第二部定理四〇の備考 要項:表象の概念について云々を見よ)表象する限りにおいてのみ、すなわち(第二部定理一七 もし人間身体がある外部の物体の本性を含むような仕方で刺激されるならば、人間精神は、身体がこの外部の物体の存在あるいは現在を排除する刺激を受けるまでは、その物体を現実に存在するものとして、あるいは自己に現在するものとして、観想するであろう。ならびにその備考 要項:観想と真の原因云々を見よ。)我々の身体の本性および外部の物体の本性を含む刺激を受ける限りにおいてのみ必然的に働きを受ける。ゆえにおのおのの受動の本性は必然的に、我々を刺激する対象の本性を表現するような仕方で説明されなければならぬ。例えばAという対象から生ずる喜びはまさにこのAという対象の本性を含み、またBという対象から生ずる喜びはまさにこのBという対象の本性を含む。こうしてこれら二つの喜びの感情は、異なった本性を有する原因から生ずるゆえに、その本性を異にしている。同様にある対象から生ずる悲しみの感情もまた、他の原因から生ずる悲しみとはその本性を異にしている。このことは愛、憎しみ、希望、恐怖、心情の動揺、などについてもあてはまる。したがって喜び、悲しみ、愛、憎しみなどには、我々を刺激する対象の種類だけ多くの種類が必然的に存する。
 さてまた欲望は、各人の本質ないし本性がその与えられたおのおのの状態においてあることをなすように決定されたと考えられる限り、その本質ないし本性そのものである(この部第三部の定理九の備考 要項:意志と衝動云々を見よ)。ゆえに各人が外部の原因によってこのあるいはかの種類の喜び、悲しみ、愛、憎しみなどに刺激されるに応じて、言いかえれば彼の本性がこのあるいはかの状態に置かれるに応じて、彼の欲望もそれぞれ異なったものでなければならぬ。そして一つの欲望の本性は他の欲望の本性と、ちょうどそれぞれの欲望の生ずる源である諸感情が相互に異なっているだけ異ならねばならぬ。だから欲望には喜び、悲しみ、愛などの種類だけ多くの、したがってまた(すでに示したところにより)我々を刺激する対象の種類だけ多くの、種類が存する。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。
 備考 きわめて多様であるべき感情の種類(第三部前定理五五 精神は自己の無能力を表象する時、まさにそのことによって悲しみを感ずる。により)の中でも特に著しいのは美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲である。これらは愛もしくは欲望の感情の本性をその関係する対象によって説明する概念にほかならない。なぜなら、我々は美味欲、飲酒欲、情欲、食欲および名誉欲を美食、飲酒、性交、富および名誉への過度の愛もしくは欲望としか解しないからである。なおこれらの感情は、単にその関係する対象のみによって相互に区別される限り、反対感情を有しない。なぜなら、通常我々が美味欲に対立させる節制、飲酒欲に対立させる禁酒、最後に情欲に対立させる貞操は、感情あるいは受動ではなくて、それらの感情を制御する精神の能力を表示するものだからである。
 なおまた私は感情のその他の種類を一々ここに説明することはできない(なぜならその種類は対象の種類だけ多くあるから)。またたとえできたとしてもそれは必要でない。というのは我々の目標のためには、すなわち感情の力と感情に対する精神の能力を決定するためには、我々にとって、おのおのの感情に関する一般的定義をもつだけで十分だからである。たしかに、感情を制御し、抑圧する精神の能力がどのような種類のものであり、またどのように大きいものであるかを決定しうるためには、我々にとって、感情および精神の共通の諸特質を理解することで十分である。そこで、例えば子に対する愛と妻に対する愛との間に相違があるように、愛、憎しみ、欲望におけるこのおよびかの感情の間には大きな相違があるけれども、我々にとってはしかし、これらの相違を認識して諸感情の本性と起源をこれ以上深く究めることは必要でないのである。



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最終更新日  2022年03月26日 06時10分04秒
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