Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年04月30日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-395
 第四部定理八
 善および悪の認識は、我々に意識された限りにおける喜びあるいは悲しみの感情にほかならない。
 証明 我々は我々の存在の維持に役立ちあるいは妨げるものを(この部第四部の定義一 善とはそれが我々に有益であることを我々が確知するものと解する。および同じく同部の定義二 これに反して、悪とは、我々がある善を所有するのに妨げとなることを我々が確知するものと解する。により)、言いかえれば(第三部定理七 精神の能動は妥当な観念のみから生じ、これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する。により)我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。我々はこうしてある物が我々を喜びあるいは悲しみに刺激することを知る限りにおいてそのものを善あるいは悪と呼ぶのである。喜びおよび悲しみの定義による。第三部定理一一の備考におけるその定義 喜び・悲しみ・欲望のほかには私は何ら他の基本的感情を認めない。を見よ)。したがって善および悪の認識は、喜びあるいは悲しみの感情そのものから必然的に生ずる喜びあるいは悲しみの観念にほかならない(第二部定理二二 人間精神は、身体の変状〔刺激状態〕のみならずこの変状の観念をも知覚する。により)。ところでこの観念は、精神が身体と合一しているのと同じ仕方で感情と合一している(第二部定理二一 精神のこの観念は、精神自身が身体と合一しているのと同様の仕方で精神と合一している。により)。言いかえれば(同定理の備考 抜粋:精神の観念と精神自身とは同一の必然性をもって同一の思惟能力から神の中に生ずるのである。で示したように)この観念は感情自身と、すなわち、身体的変状の観念と、実は単なる概念によって区別されるのみである。ゆえに善および悪の認識は、我々に意識された限りにおける感情そのものにほかならない。Q・E・D・此れが証明すべきことであった。



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最終更新日  2022年04月30日 06時10分05秒
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