Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年05月29日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-424
 定理三五 人間は、理性の導きに従って生活する限り、ただその限りにおいて、本性上常に必然的に一致する。
 証明 人間は受動という感情に捉われる限り本性上異なりうるし(この部第四部の定理三三 人間は受動という感情に捉われる限りにおいて本性上たがいに相違しうるし、またその限りにおいては同一の人間でさえ変りやすくかつ不安定である。により)、また互いに対立的でありうる(前定理三四 人間は受動という感情に捉われる限り相互に対立的でありうる。により)。しかし人間は理性の導きに従って生活する限り、ただその限りにおいて働きをなすと言われる(第三部定理三 精神の能動は妥当な観念のみから生じ、これに反して受動は非妥当な観念のみに依存する。により)。したがって理性によって規定される限りにおける人間本性から生ずる一切は、その最近原因としての人間本性のみによって理解されなければならぬ(第三部定義二 我々自らがその妥当な原因となっているようなある事が我々の内あるいは我々の外に起こる時、言いかえれば(前定義により)我々の本性のみによって明瞭判然と理解されうるようなある事が我々の本性から我々の内あるいは我々の外に起こる時、私は我々が働きをなす〔能動〕と言う。これに反して、我々が単にその部分的原因であるにすぎないようなある事が我々の内に起こりあるいは我々の本性から起こる時、私は我々が働きを受ける〔受動〕と云う。により)。ところで各人は自己の本性の法則に従って自分が善と判断するものを欲求し、自分が悪と判断するものを遠ざけようと努めるのであるから(この部第四部の定理一九 各人はその善あるいは悪と判断するものを自己の本性の法則に従って必然的に欲求しあるいは忌避する。により)、なおまた我々が理性の指図に従って善あるいは悪と判断するものは必然的に善あるいは悪なのであるから(第二部定理四一 第一種の認識は虚偽〔誤謬〕の唯一の原因である。これに反して第二種および第三種の認識は必然的に真である。により)、この結果として、人間は、理性の導きに従って生活する限り、ただその限り、人間本性にとって必然的に善なることを、したがってまた、おのおのの人間にとって必然的に善なることを、言いかえれば(この部第四部の定理三一の系抜粋: 各人は自分の愛するものを人々も愛するように、また自分の憎むものを人々も憎むようにできるだけ努めるということになる。こんなところから詩人のあの言葉も出ている云々。 我ら愛する者はかつ望みかつ恐れようよ  他人の捨てるものを愛するなんて野暮なことだ  (オヴィディウス)により)おのおのの人間の本性と一致することを、必然的になすことになる。したがって人間は理性の導きに従って生活する限り相互間においても必然的に常に一致する。Q・E・D・=此れが証明すべきことだった。



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最終更新日  2022年05月29日 06時00分40秒
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