Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年07月26日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-482
 定理六 精神はすべての物を必然的として認識する限り、感情に対してより大なる能力を有しあるいは感情から働きを受けることがより少い。
 証明 精神はすべてのものが必然的であること(第一部定理二九 自然のうちには一として偶然なものがなく、すべては一定の仕方で存在し・作用するように神の本性の必然性から決定されている。により)、また原因の無限な連結によって存在および作用へ決定されること(第一部定理二八 あらゆる個物、すなわち有限で定まった存在を有するおのおのの物は、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。そしてこの原因たるものもまた、同様に有限で定まった存在を有する他の原因から存在または作用に決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。このようにして無限に進む。により)を認識する。したがって(前定理五 我々が単純に表象するのみで必然的とも可能的とも偶然的とも表象しない物に対する感情は、その他の事情が等しければ、すべての感情のうちで最大のものである。により)そのことによって精神は、そうした物から生ずる感情から働きを受けることがより少ないように、また(第三部定理四八 愛および憎しみ、例えばペテロに対する感情は、憎しみが含む悲しみおよび愛が含む喜びが他の原因の観念と結合する場合には消滅する。また両者、愛および憎しみは、ペテロがそのどちらかの感情、喜びあるいは悲しみの唯一の原因でなかったことを我々が表象する限りにおいて減少する。により)そうした物に対して刺激を感ずることがより少ないようにすることができる。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 備考 物が必然的であるというこの認識が、我々のより判然とまたより生き生きと表象する個物の上により多く及ぶに従って、感情に対する精神のこの能力はそれだけ大である。このことは経験によっても実証される。なぜなら、失われた善に対する悲しみは、その善を失った人間がいかなる仕方でもその善を保持することができなかったと考える場合、ただちに軽減されるのを我々は知っているからである。同様にまた、幼児が話すことも散歩することも推理することもできず、その上に幾年間も自己意識を欠いたような生活をするからといって、誰も幼児を憐まないことを我々は知っている。しかしもし多くの人が成人として生まれ、一、二の者が幼児として生まれるのだとしたら、誰しも幼児を憐むであろう。なぜならこの場合は、人は幼児の状態を自然的あるいは必然的なものとは見ないで、自然の欠陥あるいは過失として見るからである。こうしたことについて我々は、なお他に多くの例を挙げることができる。



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最終更新日  2022年07月26日 06時10分05秒
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