Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2022年08月28日
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カテゴリ: 絶対存在論
神の存否-514
 定理三八 精神はより多くの物を第二種および第三種の認識において認識するに従ってそれだけ悪しき感情から働きを受けることが少なく、またそれだけ死を恐れることが少ない。
 証明 精神の本質は認識に存する(第二部定理一一人間精神の現実的有を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念にほかならない。により)。ゆえに精神がより多くの物を第二種および第三種の認識において認識するにつれて精神のそれだけ大なる部分が残存し(この部第五部の定理二三 人間精神は身体とともに完全には破壊されえずに、その中の永遠なるあるものが残存する。および第五部定理二九 精神は永遠の相のもとに認識するすべてのものを、身体の現在の現実的存在を考えることによって認識するのではなくて、身体の本質を、永遠の相のもとに考えることによって認識する。により)、したがってまた(前定理三七 自然の中にはこの知的愛に対立的であったりあるいはこれを消滅させたりしうるようないかなる物も存しない。により)精神のそれだけ大なる部分が我々の本性と相反する感情から、言いかえれば(第四部定理三〇 いかなる物も、それが我々の本性と共通に有するものによって悪であることはできない。それが我々にとって悪である限り、その限りにおいてそれは我々と対立的である。により)悪しき感情から冒(おか)されなくなる。ゆえに精神がより多くの物を第二種および第三種の認識において認識するにつれて精神のそれだけ大なる部分が害されずに残り、したがって精神はそれだけ感情から働きを受けることが少ない、云々。Q・E・D・=これが証明すべきことであった。
 備考 このことから、第四部定理三九の備考(*死の本相)において触れ、この部において説明すると約束した事柄が明らかになる。それはすなわち、精神のもつ明瞭判然たる認識が大になればなるほど、したがってまた精神が神を愛することの多ければ多いほど、それだけ死が有害でなくなるということである。さらに、第三種の認識からおよそ存在しうる最高の満足が生ずるのだから(この部第五部の定理二七 この第三種の認識から、存在しうる限りの最高の精神の満足が生ずる。により)、この帰結として、人間精神はその中で身体とともに滅びることを我々が示した部分が(この部第五部の定理二一 精神は身体の持続する間だけしか物を表象したり・過去の事柄を想起したりすることができない。を見よ)その残存する部分と比べてまるで取るに足りぬといったような本性を有しうるものであるということになる。しかしこれについては今にもっと詳しく述べる。  (死の本相)



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最終更新日  2022年08月28日 06時10分07秒
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