Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年10月18日
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カテゴリ: 霊魂論
真相から見た宇宙の進化
第1講 土星紀における地球の内的側面-Ⅲ
ベルリン 1911年10月31日
 宇宙の根底に横たわるものを把握するためには、それを概念において語ったり、それについての考えを作り出したりするだけでは不十分です。古土星存在を特徴づける無限の空虚に直面したときに経験するものの像を呼び起こすことの方がずっと重要なのです。そのとき、魂は恐怖の感情を、たとえそれがそれを暗示するものに過ぎないとしても、把握します。山のように高い場所におけるめまいの感情、しっかりとした足場もなく深淵の縁に立つときの感情、あるいは、自分ではどうしようもない力に圧倒されながらあちこちと振り回されるときの感情を再現することによって、この土星状態を超感覚的に見上げることができるようになるための準備をすることができます。これが最初の段階、初めの感情です。次に、足下の大地だけではなく、目で見るもの、耳で聞くもの、手で触るもの-周囲の空間中に存在するありとあらゆるものが失われます。そして、不可避的に、人はあらゆる思考を失い、一種の黄昏あるいは眠りの状態に沈み込むのですが、そこでは何も認識的に把握することができません。あるいはまた、人はあらゆる感情の中に浸り、そして、しばしば克服することのできないめまいの状態に捉えられ、死の状態に落ち込むことしかできなくなるのです。
 今日の人間には、深淵を前にして恐怖に捉えられることに打ち克つために、ふたつの可能性があります。ひとつの確立された方法は、福音書の理解、ゴルゴダの秘儀についての理解を通過する道です。福音書を本当に理解する人、福音書について現代の神学者が語るような方法によってではなく、内的に経験することができるその最奥のものを吸収する人は、彼あるいは彼女とともにその深淵の中に何かを持ち込むのですが、それは、まるで一点から広がっていき、勇気の感情、ゴルゴダにおいて供儀を完成させた存在と一体になることを通して守られているという感情によってその空虚を完全に満たしていくような何かです。これがひとつの道です。もうひとつは、福音書ではなく、真の、真正な人智学によって精神的な世界に貫き至る道です。これもまた可能なのです。ご存じのように、私がいつも強調しているのは、私たちのゴルゴダの秘儀についての考察は福音書から始めるのではない、ということです。その理由は、たとえ福音書が存在しなかったとしても、私たちはゴルゴダの秘儀を見いだすはずだからです。このことは、ゴルゴダの秘儀が生じる「以前」には不可能なことでした。しかし、それが今日可能になったのは、精神的な世界を精神的な世界の印象そのものから把握することを人々に可能にするような何かがゴルゴダの秘儀を通して世界の中にやって来たからです。これは世界における聖霊の存在、宇宙的な思考による世界の統治と呼んでもいいようなものです。とはいえ、人はそのための準備ができていなければなりません。「記:宗教>神学=信教。秘学>霊学=神秘学」
 私達が恐怖を呼び起こすような空虚に直面しなければならないときでも、福音書あるいは人智学を携えているならば、道を失ったり、無限の深淵の中に飛び込んだりすることはないでしょう。もし、私たちが「いかにして超感覚的な世界の認識を獲得するか」、そして、それに続く他の著作の中で紹介されている準備を経てこの幽鬼的な空虚に近づき、そして、精神的な世界、そこで生じるあらゆるものは私たちの感情は痙攣させ、私たちの思考を飲み込む状況に貫き至るならば、私たちは動物、植物、あるいは鉱物界における存在たちとは全く似ていない存在たちに出会うことになるでしょう。私たちが「土星」という存在、そして、そこには雲も、光も、音もないのに親和し、適応するようになれば、私たちは存在たちを知るようになります。実際、私たちは、私たちの呼び方で、「意志の霊」あるいは「トローネ(座)」と呼ばれる存在たちを知るようになるのです。私たちが具体的な現実として知るようになる「意志の霊」たちは、いわば波打つ勇気の海から構成されているのです。人間にとって最初は想像することしかできなかったものが、超感覚的な能力によって、具体的な「存在」となります。皆さんが海の中に浸されていると考えてみてください、そして、キリスト存在とひとつになり、キリスト存在によって支えられていると感じている精神的な存在としてその中に浸され、泳いでいるのですが、それは今や水の海ではなく、流れる勇気、波打つ力で構成され、無限の広がりを完全に満たす海の中なのです。それはただの無関心で未分化な海ではありません。そこでは、勇気の感情として記述することができるようなもののあらゆる可能性と多様性が私たちのところへとやって来ます。私たちがそこで知るようになるのは勇気から構成されている存在たちなのですが、全く個別化されているのです。彼らは完全に勇気から成っているとはいえ、私たちが出会うのは勇気だけではなく、具体的な存在としての彼らなのです。肉からなる人間と同様に現実的でありながら、肉ではなく勇気からなる存在たちに出会うというのは確かにおかしなことのように思われるかも知れません。しかし、然りそうなのです。私たちは正にこの種の存在であるところの「意志の霊」に出会い、そして、彼らに出会うとともに、それによって、「土星」存在について記述しているのです。と申しますのも、それこそ勇気から成る「意志の霊」によって表現されているものだからです。それが去りし「古土星」なのです。それは球のような形をした世界ではありません。六つの角も四つの角も持っていません。空間的な側面を適用できないのです。ですから、「古土星」存在には「終点」というものを見いだす可能性がありません。ここでも「泳ぐ」というイメージを用いたいのであれば、「土星」は海面を持たない海であると言うことができるかも知れません。その代わり、あらゆる場所で、あらゆる方向に、「勇気の霊」あるいは「意志の霊」が見いだされるのです。人はこのような洞察にすぐには到達しないのですが、何故そうなのかについては、後の講義で説明するつもりです。と申しますのも、ここでは以前に用いた「土星」から「太陽」、「月」という順番を用いようとしているのでが、本当は、反対の順番で超感覚的な方法で実際に知覚される順番、つまり、「地球」から「土星」へという方向に進む方がよいからです。しかし、今のところは、「土星」から「太陽」、「月」の順に特徴づけしていきたいと思います。順番そのものは重要ではありません。



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最終更新日  2023年10月18日 06時10分06秒
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