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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第八項 最近の世紀における自然科学の進歩は、より高次の人間的な要求を満足させる世界観へと科学を参画させる可能性のあるあらゆる概念を破壊する方向に導いてきました。それは、空間を占める活動する力や物質と同様、「概念」や「アイデア」も現実の世界に属しているというのは馬鹿げたことだと主張するように「現代の」科学者たちを導いてきたのです。そのように考える人たちにとって、概念やアイデアは人間の脳が作り出したものであり、それ以上のものではありません。スコラ哲学者たちはこれらのことがらの本質をまだ理解していました。現代の科学者たちは、スコラ哲学とは何であるかを、特に、それのどこが健全な面で、どこがそうではないかを知ることなく、それを退けます。スコラ哲学における健全な面とは、概念やアイデアは現実を理解するために人間の心が考案した単なる想像上のものではなく、何らかの仕方で事物そのものと、しかも物質や力以上に関連しているという感情でした。この健全なスコラ哲学的感性はプラトンやアリストテレスの偉大な観点の遺産だったのです。他方、スコラ哲学に関して不健全な点は、この感情が中世におけるキリスト教の発展の中に入ってきた概念と混合されるようになったということです。この発展の中で主張されたのは、別世界の、したがって、知ることのできない神が概念やアイデアを含むすべての精神的な現実の源泉であるということです。それは何かこの世のものではないものへの信仰に依存していました。他方、健全な人間の精神はこの世界にこだわり、他のいかなる世界も必要としません。その代替として、この世界を精神で染め上げたりもします。そのような精神は、ちょうどこの世の現実を感覚世界の事物やできごとに帰属させるように、概念やアイデアにもそれらを帰属させるのです。ギリシャ哲学はこのような健全な考えに由来していました。スコラ哲学はそれへの親和性を保っていましたが、それを読み変え、別世界のものであるキリスト教信仰にそれを対応させようとしたのです(*主観一辺倒主義)。概念やアイデアは、もはや人間がこの世界のプロセスの中に見ることができる最も深遠なものではなく、むしろ神であり、別の世界であると考えられたのです。何かについてのアイデアが分かってしまえば、私たちはその「源泉」についてさらに調べる必要を感じませんが、それは私たちが知識に対する人間的な必要を満たすものを見出しているからです。しかし、そのような知識に対する人間的な必要についてスコラ哲学者たちが何か気にとめていたことはあるでしょうか。彼らは神についてのキリスト教的な観点であると彼らが見ていたものを保持しようとしたのです。事物の内的な存在を求める彼らの探求は概念とアイデアにしか導きませんでしたが、彼らは別世界の神の中に世界の源泉を見い出そうとしたのです。参考画:God made the universe (第17章 ゲーテ対原子論 第八項了)人気ブログランキングへ
2024年06月26日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第七項 ここで私が述べていることは現代の物理学者たちの耳には不可能なことのように聞こえるに違いありません。けれども、私には、現代科学の思考習慣は論理の規範である(「論理」第2巻)というヴントの観点を受け入れることはできません。この仮定が無思慮なものであることは、彼が振動する物質というアイデアをエネルギーの振動で置き換えようとするオストヴァルドの試みを検証するときに明らかとなります。ヴントは次のように述べています。「介入する現象(の存在)はある種の振動を仮定する必要を生じさせる。しかし、動きは動く物質なしに考えることはできないため、光の現象は何らかの種類の力学的なプロセスにまで遡らざるを得ない。」。ところが、オストヴァルドは、光エネルギーを物質媒体の振動ではなく、振動状態にあるエネルギーとして定義することによって、この第二の仮定を回避しようとしたのである。言い換えれば、我々は可視的な面と完全に概念的な面という二面性を持った概念について考えているのであるが、この曖昧さの存在自体が衝撃的に示唆しているのは、エネルギーの概念そのものが観察可能な要素にまで導くような分析を必要としているということである。実際の動きが定義され得るのは、空間中における実体的な基盤の位置変化としてのみである。その基盤の存在が明らかにされ得るのは、そこから放射される力の影響によってか、あるいは、それによって保たれていると我々が仮定するところのあの力の働きによってである。しかし、それ自体が概念としてのみ把握され得るそれらの力の働きについては、何らかの種類の基盤を「仮定」しない限り、それらを動きとして思い描くのは不可能なように思われる。オストヴァルドのエネルギーについての概念はヴントが言うところの「現実的な」基質よりもずっと現実に近いものです。光、熱、電気、磁気等の知覚された現象のすべては、力の生成、あるいはエネルギーという概念で括ることができます。例えば、光あるいは熱が物体中の変化の引き金になるとき、エネルギーの生成が引き起こされます。光や熱を「エネルギー」として記述すれるとき、私たちは共通したひとつの一般的な性質のためにそれらに固有の特質を無視しているのです。そのような性質は、確かに現実のすべての側面を網羅してはいませんが、それはひとつの現実的な性質なのです。他方、物理学者たちや哲学における彼らの同調者たちが彼らの仮想的な「物質」に帰した性質の概念は本質的に自己矛盾です。これらの性質は感覚世界からの借り物であるにもかかわらず、感覚の領域の一部ではない基質に適用されると思われているからです。「光エネルギー」の概念が単に二つの側面、「物理的に観測可能な」側面と「概念的な」側面を持つからといって、ヴントが何故それは不可能であると主張できるのかを思い描くことはできません。哲学者ヴント(*ヴィルヘルム・マクシミリアン・ヴント(Wilhelm Maximilian Wundt/1832年 - 1920年ドイツの生理学者、哲学者、心理学者)は、感覚的な現実に関連するすべての概念は観測可能な要素と純粋に概念的な要素の両方を含んでいなければならないということを理解し損なっているのです。「塩の立方晶」という概念は感覚にとってアクセス可能な塩の結晶という知覚可能な部分と、固体幾何学によって確立される純粋に概念的な部分を有しているのです。参考画:ヴント父子記:哲学者としてのヴント この章に登場する「哲学者」としての「ヴント」とは、ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner/1861年2月27日 - 1925年3月30日(64歳没)と同時代のドイツのヴント父子を指し示すが、名を挙げられた「ヴント」は父子ともに思想家として勇名を馳せており、父子の何方を言っているのか、掲載年表から想像してみた。心理学の創始・構成主義と機能主義、1879年にライプチヒ大学に初めての心理学研究室を創設し、構成主義心理学といわれる「実験心理学」を展開しこれが、心理学の起源とされてる「心理学の祖」とされるヴィルヘルム・ヴントは1832 - 1920の人物、其の子マックス・ヴントは1879年1月29日 - 1963年10月31日の生涯を学窓に捧げた人物であり、何方かいずれを指し示しても可能である。 (第17章 ゲーテ対原子論 第七項了)人気ブログランキングへ
2024年06月25日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第六項 色彩、音、そして、そのようなものとしての熱を回避し、対応する機械的なプロセスのみを扱いたいという気持ちは、数学や力学の単純な法則は私たちの感覚世界のその他の側面における特徴や相互作用に比べてもっと簡単に理解できるようなものであるという考えから来ているに違いありません。けれども、そうではないということは確かです。私たちは、空間的、数的な配列における最も単純な特質や関係について考えることは難しくないと主張しますが、それは私たちがそれらを容易にかつ完全に調べることができるからです。すべて数学的、力学的に理解するということは、私たちがそれらに気づくやいなや、理解することができる単純な事実にものごとを還元するということを含んでいます。二つの値が第三の値に等しく、したがって、それらは互いに等価でもあるという記述は、私たちがその内容に気づくとき、直ちに理解されます。同様に、音、色、そして、その他の感覚的な知覚の領域における単純な現象は直接的な観察を通して認識されるのです。物理学者たちが音や色という特定の性質を現象世界から排除し、それらに対応する動的な出来事だけを考慮するのは、単に彼らが その偏見によって、単純な数学的あるいは力学的な事実の方が音や色の基本的な知覚よりも理解しやすいと信じるように導かれたからに過ぎません。そして、彼らは、何らかの動くものなしに動きについて考えることができないために、動きの担い手としてあらゆる性質に欠けた物質を考え出します。この偏見に捕われている人たちだけが、動的な状態そのものが感覚知覚可能な性質に関連している、ということに気づき損ねることになるのです。様々な音に対応する振動の内容は音の性質そのものです。同じことはすべての感覚的な性質について言えます。現象世界における振動の中身を私たちに気づかせてくれるのは、抽象的なことがらを思いつきで加えることではなく、直接的な認識なのです。参考画:quantum fluctuation記:我々は「森羅万象、揺らぎの世界」に生きています。量子力学の世界では、エネルギーが最低状態となる絶対零度付近においてさえ、原子の振動は止まることがないと言われています(ゼロ点振動)。また、振動は自然科学に属するテーマの一つですが、実は社会科学や人文科学とも密接な関係にあります。例えば、政治・経済・社会が発展すれば、それに伴って建築物・居住環境・工業製品も進化し、同時に要求される振動環境もより高度なものになっていくからです。このように私たちは「振動」が常に身近に存在する中で暮らし、日々の社会活動を営んでいますが、普段意識することはあまりありません。それぞれの場には必要とされる振動環境(静寂さ)があり、その許容限度を超えた時に初めて「振動」を意識するようになるのです。また、量子ゆらぎは量子物理学において量子真空ゆらぎ、真空ゆらぎとも呼ばれ、 空間のある点におけるエネルギーの一時的な変化で、ヴェルナー・ハイゼンベルクの不確定性原理で説明されます。量子ゆらぎは宇宙の構造の起源において非常に重要であり、 インフレーションのモデルによれば、インフレーションが始まったときに存在した宇宙は増幅され、現在観測されるすべての構造因を作った。 真空エネルギーは現在の宇宙の加速(宇宙定数)の原因であることが既に認証されています。 (第17章 ゲーテ対原子論 第六項了)人気ブログランキングへ
2024年06月24日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第五項 世界観を形成するための能力がデカルト、ロック、カント、そして、現代生理学によってまだ破壊されていない人たちにとって、光、色、音、熱、等々を人間有機体の単なる主観的な状態として考え、同時に、完全に客観的なプロセスの世界が有機体の外に存在していると主張することがどうして可能なのかを理解することは決してできないでしょう。もし、人間有機体そのものが音、色、熱を創造すると主張するのであれば、私たちは同時に、それは広がり、大きさ、位置、動き、力、等々を創造すると言わなければならないでしょう。これらの数学的、機械論的な特徴をその他の知覚可能な世界から実際に分離することはできないのです。熱、音、色、そして、その他の感覚的な特質から空間、数、動き、そして、その他の力の表現を分離するのは抽象的な思考だけです。数学的、機械論的な法則は経験の世界から導かれた抽象的な実体やプロセスと関係しており、したがって、それらはそのようなものとして経験世界に適用することができるだけです。もし、私たちが、数学的、機械論的なプロセスもまた主観的なものであると主張しなければならないとしたら、客観的な事物やできごとについての私たちの概念の内容として役立つものは何も残っていないことになるでしょう。そして、空虚な概念から現象を導き出すことはできないのです。現代の科学者たちとそのカバン持ちである哲学者たちは、感覚的な知覚は客観的な事象によって引き起こされた主観的な状態に過ぎないという考えにしがみついています。そうであるならば、健全な思考は、彼らは空虚な概念を弄んでいるのではないか、あるいは、主観的であると宣告された世界のあの部分から借りてきた内容を客観的な世界に割り当てているのではないかと反論しなければならないでしょう。私はいくつかの私の著作の中でこの不条理について言及しました。(編注:「ゲーテの世界観の中で暗示された認識論の概要」1886年、「真実と科学」1892年、「自由の哲学」1894年)。私は、それらを生じさせる波動プロセスや力、最近の物理学はすべての自然現象をそれらから導き出しますが、それらを感覚的な知覚の形態とは異なる現実についての形態に帰属されるべきかという問題に立ち入るつもりはありませんが、ただ、数学的、機械論的な世界観によって達成されるものとは何かと問うかも知れません。アントン・ランパの意見は次のようなものです。「数学なしでも数学的な方法を用いることはできる。したがって、課題としての数学と方法としての数学とは同じものではない。二項式も満足に解けなかったファラデーは、電気に関する彼の実験的な研究において、このことについての古典的な例を提供している。数学とは、私たちの通常の論理的な思考様式にとっては過剰であることが分かるはずの多くの複雑なことがらについて、単に論理的なプロセスを簡略化することにおいて、私たちの助けとなる方法であるに過ぎない。しかし、数学にはそれ以上のことが可能である。つまり、各定式がそれ自身の生成過程を表現する程度に応じて、それは探求の出発点として役立つ基本的な現象への生きた橋を架けることができるのである。したがって、大きさが測定できないときにはいつでもそうなのだが、数学を用いることができないような手法においては、それが数学的な方法論を用いるべきものであったとしても、単に厳密な論理に固執するだけではなく、非常に注意深く、ものごとを基本的な現象にまで遡って追求するようにしなければならない。そうでなければ、それは、正にそれが数学的な構造を欠くところにおいて、正道を踏み外すことになる。しかし、それが達成されるとき、それは、その正確さという特徴をもって、「数学的」であると正しく主張することができるであろう(「探求者の夜」P92)。ランパが現代の自然科学者としてそれほど完璧な例でなかったとしたら、私は彼のためにこれほど多くの時間を費やすことはなかったでしょう。彼は彼の哲学的な必要をインド神秘主義によって満足させますが、それは彼が彼の機械論的な世界観をあらゆる雑多な哲学思想によって混乱させていないということを意味しています。彼が心に抱いていた自然についての理論とは、いわば今日の科学の「純粋な」観点なのです。ランパは数学におけるひとつの重要な特徴を完全に無視していたということが分かります。確かに、あらゆる数学的な方程式は探求に向けた出発点として役立つ基本的な現象への「生きた橋を架け」ますが、基本的な現象というものは、そこから橋が架けられるところのさらに複雑な要素と本質的には同じものなのです。数学者たちは複雑な空間的、数的構造の特徴やそれら相互の関連を最も基本的な数的、空間的な構造にまで遡って辿ります。力学的な技術者は彼らのフィールドで同じことを行います。彼らは「複合的な」動きや力を単純で容易に調べることができる動きや力にまで遡って辿ります。彼らはこれを行うために、数学的な法則を用いて、動きや力の効果が幾何学的な形や数式で表現されるようにします。力学的な法則を表現する数学方程式においては、個々の要素、あるいは方程式は、もはや純粋に数学的な様式ではなく、力や動きを表現しています。これらの定式がその中に組み込まれているところの関連性は純粋に数学的な法則によってではなく、実際の力や動きの特性によって決定づけられているのです。これらの力学的な定式の特定の意味を忘れるや否や、私たちはもはや力学的な法則性ではなく、単に数学的な法則性を扱っていることになります。力学と数学の間の関係は物理学と力学の間の関係に相当します。物理学者の使命は、色、音、熱、電気、磁気、等々の複雑なプロセスを「同じ領域の内部で」単純なできごとにまで辿っていくということです。彼らは、例えば、複雑な色の事象を最も単純な色の発生にまで追っていかなければなりません。そのとき、彼らは、色という現象が空間的、数的に分析可能な形式を含むように、力学的、数学的な法則を用いなければなりません。数学的な方法が物理学に適用されるとき、それは、色、音、等々の間の結びつきをそれらの現象自体の「内部で」調べる、ということを意味しているのであって、色や音に欠ける物質の中の力や動きにまで遡ってそれらを辿っていくということではありません。現代の物理学はそれ自体としての音、色、その他の性質を回避し、変化することのない引力や斥力、そして空間中の動きだけを調べます。このアプローチの影響の下で、物理学はほとんど応用数学や応用力学の形態を取るに至りました。科学のその他の領域もまたその方向に向かっています。無色の物質が空間中の特定の位置で一定の動きをしているという事実と、別の位置で誰かが赤色を見るという事実の間に「生きた橋」を架けることは不可能です。動きから導かれ得るのは動きだけです。感覚に影響し、したがって脳に影響する動きがあることから、数学的、力学的な方法にしたがえば、脳は刺激を受けて一定の動きに応答するということになるのですが、実際の色、音、その他を感知することにはなりません。デュ・ボア-レイモン(Emil Du Bois Reymond)が次のように問いかけたとき、彼はそのことを既に認識していました。「一方には、私の脳内の特定の原子の動きがあり、他方には、私が痛み、喜び、甘さ、薔薇の香り、オルガンの音楽、あるいは、赤を経験しているという直接的かつ定義はできないけれども否定することができない事実がある。しかし、それらの間にはどのような関係があり得るのか。・・・動きは動きだけを生じさせることができる。(「科学的認識の限界について」P34,35)」。参考画:Emil Du Bois Reymond デュ・ボア-レイモンがここに見ているのは科学的な認識の限界です。しかし、私の意見では、赤色を見るという経験を特定の動きから導き出すことができない理由を示すのは簡単です。それは「赤」という性質と一定の動きのプロセスとは実際には分離不可能な統一体であるということです。知的、概念的なものが二つの出来事を分離するに過ぎません。赤という性質に対応する特定の動きは、独立した現実性を持つものではなく、抽象的なものです。動きのプロセスから赤色を見るという経験を導き出そうとするのは、ちょうど立方体に対応する数式から塩の立方晶が有する実際の性質を導き出そうとするのと同じくらい馬鹿げたことなのです。動きからその他の感覚的な性質を導き出すことが妨げられるというのは私たちの認識の限界ではありません。そうしようとすること自体がナンセンスなのです。 (第17章 ゲーテ対原子論 第五項了)人気ブログランキングへ
2024年06月23日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第四項 ある若い物理学者たちは、物質的な動きというアイデアに対して、彼らの感覚的な経験に対してよりも高い要求はしないと主張します。その中にアントン・ランパがいます。記:科学者としてオーラの存在を最初に主張したのは19世紀ドイツのカール・フォン・ライヘンバッハといわれる。ライヘンバッハは、宇宙に存在するすべてのもの(特に星々や惑星、水晶、磁石、人間など)から発出している物質が存在すると考え、オドの力と名づけた。オドの力には重さも長さもないが、計測可能であり、観察可能な物理的効果を及ぼすことができるとした。カール・フォン・ライヘンバッハ(Karl Ludwig Freiherr von Reichenbach/ 1788年2月12日 - 1869年1月19日)は、ドイツの化学者、地質学者、博物学者、実業家、哲学者である。 クレオソートやパラフィンなど多くの化学製品の精製を行った一方で、人間の精神に作用する未知の力についての多くの著書を書いた。参考画:カール・フォン・ライヘンバッハ 彼には、機械論的な科学者であると同時にインド神秘主義の追随者であるという顕著な功績があります。彼はオストヴァルドの発言に対して、次のように反論します。「彼の科学的な唯物主義との戦いは風車を槍で突いているようなものに過ぎない。科学的唯物主義という巨人がどこにいるというのか。それは存在すらしていない。かつては、ビュフナー、フォイクト、そしてモレショーの科学的唯物主義があった。それはまだ存在しているが、自然科学の中にではない。何故なら、それはそこでは居心地がよくないからだ。オストヴァルドはそれを見逃していた。そうでなければ、彼はただ「唯物論的な」観点に反対する立場を取っていただけであっただろう。けれども、彼は、その誤解のゆえに、たまたまそれを行ったに過ぎない。そして、もし、彼の誤解がなかったとすれば、恐らくそうすることは全くなかっただろう。そのとき、科学が、キルヒホッフによって切り開かれた道を辿りながら、唯物主義がそうしたように、物質について考えるというようなことがあり得ただろうか。それは明らかな矛盾であり、あり得ないことである。物質についての概念が意味を持つのは、力についての概念と同様、最も単純な記述に対する要求によって正確に決定されるとき、あるいは、カントの言葉を借りれば、経験主義的な意味においてだけである。そして、もし、科学者が「物質」という言葉にさらなる意味を付与するとすれば、科学者としてそうするのではなく、唯物主義的な哲学者としてそうするのである(「時代」ウィーン、1895年11月30日)。」。これらの言葉から判断すると、ランパは私たちの時代の典型的な科学者であると考えなければなりません。彼はより便利で機械論的な説明の仕方をしますが、そのような説明の現実的な性質についてさらに考えることを回避します。それは彼が彼には解決不可能な矛盾の中に巻き込まれることを恐れるからです。どうすれば明晰な心を持つ人が、経験の世界を越えていくことなく、物質についての概念を理解するなどということができるでしょうか。経験に基づく世界の中には、様々な大きさと位置を持った物体が存在し、動きや力が存在し、光、色、熱、電気、生命等々の現象が存在します。けれども、経験は、大きさ、熱、色、等々が「物質」に付随するものであるということを私たちに告げることはありません。物質が私たちの経験の中に見出されることはあり得ません。もし、私たちが物質について考えたいのであれば、それを案出し、私たちの経験に「つけ加え」なければなりません。現象的に経験された世界への物質のこの知的な付加が目につくのは、カントやヨハネス・ミュラーの影響を受けた今日の自然科学の中でもきわめて一般的な物理学的あるいは生理学的な考察においてです。それらは、耳の中の音、目の中の光、熱を感知する器官の中の熱へと続く外的な事象は、音、光、そして熱の「感覚」とは全然関係がないと私たちが信じるように仕向けます。これらの外的な事象は単に特定の物質の動きであると思われているのです。科学者たちは、音、光、あるいは色を人間の魂の中に生じさせるのはどのような種類の外的な動きなのかを決定します。彼らは、赤、黄、あるいは青は人間有機体の外側に存在しているのではなく、繊細で可塑的な物質であるエーテルの波に似た動きがあり、それが目を通して感知されるとき、赤、黄、あるいは青として知覚されると結論づけます。もし、目がなかったならば、色は存在せず、あるのはエーテルの動きだけだったでしょう。彼らは、エーテルはひとつの客観的な事実であるが、色は主観的で、人体の内部で創造されるようなものであると主張します。今日のドイツにおける最も偉大な哲学者の一人として高く評価されているライプチヒのヴント教授は、物質とは基質であり、「決して直接に観察されるものではなく、その効果を通してのみ観察され得るものである」と言います。そして、彼は、「自らと矛盾しない現象についてのいかなる説明も」そのような基質を仮定しなければならないということを見い出します(「論理学」第2巻参照)。明晰で混乱した心象についてのデカルトの妄想は、物理学においては、物質を表現する基本的な方法となったのです。記::デカルトの機械論的アプローチは物理学や化学において非常に有効です。複雑な現象を理解するために、現象をより小さな部分に分解して研究します。例えば、化学反応は分子や原子レベルでの相互作用を研究することで理解され、物理学では物体の運動を力やエネルギーの観点から分析します。ただし、量子力学の世界では機械論的アプローチには限界があります。量子もつれ現象などでは、部分に分解しても全体像を把握することは困難です。 (第17章 ゲーテ対原子論 第四項了)人気ブログランキングへ
2024年06月22日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第三項 もし、私たちの時代の科学者たちが彼らの仲間うちではない者たちの著作をも読んでいたとすれば、オストヴァルド教授がこのような論述を行うことは決してなかったでしょう。と申しますのも、私は既に1891年に、ゲーテの色彩論のための序論の中で、私たちはそのような「形態」を非常によく想像することができ、未来の科学はゲーテの基本的な科学上のアイデアを洗練させる使命を持つことになるだろうと書いたからです。私たちは物理的なプロセスをエネルギーの状態に「還元する」ことができない以上に、原子の力学に「還元する」ことはできません。そのような還元主義が役に立つのは、私たちの注意を現実の感覚的世界の内容から逸らし、その代わり、それを抽象性へと、つまりその悪化した特質がそれでも結局は感覚的世界から取られてきたような抽象性へと向けさせるということにおいてだけなのです。ある一群の感覚的な特質、光、色、音、匂い、味、暖かさ等々を、別のグループの感覚的な特質、大きさ、形、位置、数、エネルギー等々に還元することによって説明することはできません。自然科学の使命は、ある範疇の特質を別の範疇の特質に「還元する」ことではあり得ません。それはむしろ世界の知覚可能な特質の間の結びつきや関連性を見出すべきなのです。私たちがそれを行うとき、私たちはある感覚的な知覚が必然的に別の知覚に移行する特別な条件を見出します。私たちが見出すのは、ある現象は別の現象に比べてより密接に関連しているということです。私たちは無作為の観察による偶然の結果以上の結びつきを確立します。私たちは、ある関係は必然的なものであり、別の関係は「偶発的」なものであるということを認めます。ゲーテは現象間の必然的な関連を「元型的な現象」と呼びました。「ひとつの感覚的な知覚が別の知覚を不可避的に生じさせる」と言うとき、私たちは元型的な現象を扱っているのを知っています。これは私たちが「自然法則」と呼ぶところのものです。例えば、「物は暖められれば膨張する」と言うとき、私たちは感覚世界の現象、つまり、暖かさと膨張の間の合法則的な関連を表現しています。私たちは「元型的な現象」を認め、それを「自然法則」として表現しました。元型的な現象はオストヴァルドが求めていたもの、無機的な自然の中の最も普遍的な関連性を表現するあの形態に対応しているのです。数学や力学の法則もまた、その他の感覚的な関連を定式化する法則と同様、元型的な現象の表現に過ぎません。力学の使命は自然の動きを「最も単純で、最も完全な仕方で」記述することであるというキルヒホッフの言葉は間違っています。力学は自然の動きを最も単純で、最も完全な仕方で記述するだけではなく、一定の「必然的な」動きをも自然の中で生じる動き全体の中に探し求めます。そのとき、それはこれらの必然的な動きを「基本的な力学法則」として定式化します。キルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff)の言葉は、きわめて単純な力学法則を確立するだけでその誤りが証明されるということに気づかれることなく、途方もなく重要なものとして繰り返し引用されてきました。その理由は極端な無思慮によってのみ説明することができます。元型的な現象は現象世界の要素の間の合法則的な関連を表現しています。1892年6月11日のワイマールでのゲーテ会議でヘルムホルツが行ったスピーチの中で述べられたこと以上に不適切な発言はほとんどあり得ません。それは「当時、既に確立していたホイヘンスによる光の波動理論についてゲーテが知らなかったというのは残念なことである。彼は彼がその目的のために選択した懸濁液中で生じる色彩におけるようなかなり不適切で込み入ったプロセスよりも遥かに正確で具体的な元型的な現象をそこに見出していたことだろう。」です。彼は、波のような知覚不能で光という現象に対する推論的な付加物の方が、私たちの正に眼前で展開するプロセスよりも正確で具体的な「元型的な現象」をゲーテに提供するはずだと主張しているのです。後者のプロセスはそれほど複雑なものではなく、曇らされた媒体を通して見た光が「黄色」として、照明された媒体を通して見た闇が「青」として含まれるというようなものです。感覚知覚可能なプロセスの知覚不可能な機械的な動きへの「還元」は現代の物理学者たちにとってあまりにも習慣的なものとなっているために、現実を抽象で置き換えていることに彼らは気づいていないように見えます。ヘルムホルツによるこのような宣告は、ゲーテによる以下のような記述が反駁されたときにのみ許容されるべきものです。「最高の成果は、あらゆる実際のものは既に理論であるということを理解することにある。青い空は私たちに色の基本法則を明らかにする。現象の背後に何も探すべきではない。それら自体が理論なのだ。」(散文の中の韻)ゲーテは現象の領域「内」に留まります。現代の物理学者たちは、これらの仮想的な現実から実際に知覚された経験という現象を導き出すために、世界の細々としたものをいくつか集めてきて、それらを現象の「背後に」置きます。参考画:Gustav Robert Kirchhoff (第17章 ゲーテ対原子論 第三項了)人気ブログランキングへ
2024年06月21日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第二項 寸法、形、位置、動き、力といったものは、例えば、光、色、音、匂い、味、冷たさ、あるいは熱と同様に感覚的な知覚です。事物の大きさを考えるとき、それはもはや「現実の」事物を扱っているのではなく、知的な抽象化物を扱っているのです。感覚的な経験から抽出されたものに対して、感覚的に知覚可能な事物そのものに対して以上に、より高次の現実性を帰属させることに意味はありません。空間的あるいは数的な関連性を用いることのメリットは、ひと目でそれらを概観することができるという、更なる容易さと簡便性の付与にあります。数学という科学の確かさはそのような容易さと概観性とに由来しているのです。現代の科学は物理的なプロセスをいつも数学的、力学的な関係に還元しますが、それは容易さと簡便さとをもってそれらを取り扱うことができるからです。人間の思考はどちらかというと便利さを好むものなのです。そのことは上記で引用したオストヴァルドの講義でも表現されています。この科学者は物質と力をエネルギーで置き換えようとします。彼の言葉を聞いてみましょう。「我々の感覚のひとつが活性化するとき、その決定的な要因とは何か。どんなにそれを眺めてみても、見つかるのは”我々の感覚器官がその環境とそれら自身との間のエネルギーの差に反応している”ということだけだ。もし、我々が生きている世界の気温が我々の体温といつも同じであったならば、我々は決して暖かさについて知ることがなかっただろう。ちょうど我々がその下で生きている一定の大気圧を経験することがないように。圧力が変化したときにのみ、我々はそれに気づく。誰かがあなたを棒で叩くと想像してみなさい。あなたが感じるのは棒か、それともエネルギーか。答えはエネルギーにならざるを得ない。何故なら、振り回されさえしなければ、棒は世界で最も無害なものなのだから。しかし、あなたは応えるだろう、我々は静止している棒にぶつかるかも知れないと。その通り。しかし、我々が経験するのは、私が言ったように、我々の感覚器官とのエネルギーの差であり、この観点からすれば、棒が我々にぶつかるのも、我々がそれにぶつかるのも何ら変わりはない。もし、それらが同じ方向に同じスピードで動いていたとしたら、我々の感覚という観点からして、もはや棒は存在しない。何故なら、それは我々に接触することも、エネルギーの変化を生じさせることもないのだから。」。ここでオストヴァルドは、知覚の領域から「エネルギー」を、つまり、エネルギーでないあらゆるものからエネルギーを分離しているのです。彼はあらゆる知覚を知覚世界における単一の特徴。「エネルギーとしての表現」へと還元し、そして、それによってひとつの抽象性へと還元しています。オストヴァルドがいかに現在の科学的な習慣に捕えられているかは明白です。もし、私たちが彼のアプローチにおける正当性について彼に尋ねるとしたら、彼が見つけることができる唯一のものは、彼の因果論的な説明に対する必要が自然のプロセスをエネルギーの相互交換に還元することで満足させられるのは心理学的な経験上の事実であるということだけです。実際、ドイツの医師、生理学者であるエミール・ハインリヒ・デュ・ボア=レーモン (Emil Heinrich du Bois-Reymond/1818年 - 1896年)が19世紀の原子の力学に頼るのも、オストヴァルドがエネルギーの相互交換に頼るのも同じことです。いずれにしても、心的な便利さに対する人間の必要が満足させられることになるのです。オストヴァルドは彼の講義を次のように締めくくっています。「自然を理解するために、エネルギーがどんなに必要かつ有用であったとしても、物理的な世界を説明するのに十分なものであるのか。あるいは、現在知られているエネルギーの法則をもってしても完全には説明できない現象があるのか。・・・私は私の今日の発表におけるその他の部分に対してと同様の責任を持ってこの問いに答えることが必要であると感じているのであるが、強調したいのは、その答えは「ある」のであるということだ。私の意見では、物質的、あるいは力学的な説明に対してエネルギーの観点から世界を説明することの途方もない利点とは無関係に、既知のエネルギーの法則によっては説明することが「できない」いくつかの場合が既に存在している。それらはそれらを越えた原則の存在を示唆している。エネルギー論はそれらの新しい法則と共存しながら生き残るであろう。しかし、それは将来、現時点で我々が考えているような自然現象を把握するための最も包括的な原則としてではなく、恐らく、「今日ではその形態をほとんど想像することもできないような」もっと一般的な関連性の特殊な表現として理解されていることだろう。参考画:エミール・ハインリヒ・デュ・ボア=レーモン記:科学的知識の限界についての議論(われわれはしらない、しることはないだろう、ラテン語: Ignoramus et ignorabimus,/イグノラムス・イグノラビムス)は、人間の認識の限界を主張したラテン語の標語。 (第17章 ゲーテ対原子論 第二項了)人気ブログランキングへ
2024年06月20日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第17章 ゲーテ対原子論 佐々木義之訳 1-9項第一項 今日、19世紀の自然科学の発展については非常に多くのことが語られています。私は、この関連で本当に話すことができるのは、重要な科学的経験と、それがいかに実際の生活を変えたかということに尽きると信じています。しかし、現代の科学がそれを通して経験の領域を「理解」しようとしている基本的な概念ということになると、それらは不健全で厳密な思考(第6章及び第15章)には耐えられないだろうと言わざるを得ません。この観点は、著名な化学者、フリードリヒ・ヴィルヘルム・オストヴァルト(Friedrich Wilhelm Ostwald、ラトビア語: Vilhelms Ostvalds、1853年-1932年)によってごく最近表明されました。参考画:Friedrich Wilhelm Ostwald記:ドイツ(バルト・ドイツ人)の化学者。オストワルトあるいはオストワルドとも呼ばれる。1909年、触媒作用・化学平衡・反応速度に関する業績が認められ、ノーベル化学賞を受賞した。ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフやスヴァンテ・アレニウスと共に物理化学という分野を確立した一人とされている。 彼によると、世界の内的な成り立ちについてどう思うと聞かれるとき、数学者から開業医に至るまで、すべての思慮深い科学者は、事物は動き回る「原子」から成り立っている。それらの原子とそれらの間で働く「力」とが究極の現実であり、それらから個別の事象が現われると言うだろう。我々は皆、これが物理世界を理解するための唯一の方法であり、原子の力学に立ち返らなければならないと語られるのを我々は何百回となく聞かされてきた。自然現象の多様性全体がそこから導かれ得るところの唯一の概念とは物質と動きであると思われるのだ。人はこの観点を科学的唯物論と呼ぶだろう。私は前章第16章で、現代の物理学者たちの基本的な観点は受け入れ難いと書きました。オストヴァルドが同意して言うには、「この力学的な世界観は、それがそのためにデザインされた目的に寄与しません。・・・それは、議論の余地がなく、よく知られ、そして認められた真実に矛盾しています。」これについての是認は続きます。「私は、私たちに自らを提示するような感覚知覚可能な世界とはその根底に実質的な基盤を持たない変容する知覚の寄せ集め」(第16章)であると言います。そして、オストヴァルドが言うには、我々が物質について知っているあらゆることがらはその性質に関連しているということに気づくなら、「ある物質がそのいかなる性質も欠きながら存在していると主張することは馬鹿げている」ということが明らかとなる。そのような純粋に形式的な仮定が役に立つのは、化学プロセスの一般的な事実の間の整合性、特に、物質の量論的な法則、そして、不変的な物質という思いつきの概念を打ち立てるときだけである。(編注:「科学的唯物論の克服」、リューベックにて、1895年9月20日)。そして、本書の中では、「これらの考察は、知覚された世界の領域を道義的に越えて行くような自然についてのいかなる理論も不可能であると考えるよう私に強いるとともに、感覚的な世界を自然科学の唯一の対象として思い描くよう私を導いたものです。」(第15章)そして、オストヴァルドの講義では、物理世界に関する我々の経験とは何か。明らかなのは、それは我々の感覚器官が我々に与える以上のものではないということである。・・・科学の使命は「現実」を、つまり、もっともらしく、測定可能な性質を収集し、そして、それら相互の関係を見出すことによって、ひとつが与えられれば別のものが結果として生じるようにするということである。そして、これは、仮説的なモデルを仮定することによってではなく、測定可能な性質の相互に依存する側面を検証することによってなされなければならない。もし、私たちが、オストヴァルドは現代科学の観点から語っている、したがって、感覚世界の測定可能な側面だけを見ているという事実を無視すれば、彼のここでの論点は私の論点と一致しています。つまり、「理論とは、目で知覚可能なものを包含するとともに、この領域の内部で相互関係を探求するものでなければなりません。」(第16章)。一般的な科学の知的な基盤に反対するオストヴァルド教授の講義におけるのと同じ戦いがゲーテの色彩論についての私の議論の中で挑まれています。しかし、確かなことは後で示すように、彼は彼が反対する科学的な唯物論者と同じ表面的な仮定から出発している。私が焦点を当てている概念はオストヴァルドの考えとは完全には一致しないということです。私は、現代の自然観の間違った基盤はゲーテの色彩論への不健全な評価のためであるということもまた示しました。現代の自然観についての私の議論をさらに詳細に進めていきましょう。この観点の健全性を評価するために、それが自らに設定した「目標」について考えてみたいと思います。デカルトの中には、不当にというわけではなくして、現代の自然観が知覚可能な世界を判断するために採用した基本的な定式化が見られます。物理的な事物をより詳細に考察するとき、それらの中には、私が「明確に」、そして「はっきりと」把握できるものはほとんどない。それらは大きさ、つまり、長さ、幅、奥行きといった広がりであり、広がりが終わることで結果として生じる形態であり、相互に関連した様々な形態を持つ物体の位置であり、動き、つまり、位置の変化である。そして、それには物質、持続、そして数がつけ加えられるだろう。しかし、光、色、音、匂い、味、熱、冷たさ、そして、その他の感触、なめらかさや粗さが私の心に入って来るとしても、それはあまりにも「曖昧」で「混乱」しているため、それらが本当なのか、あるいは偽りなのか。言い換えれば、これらの性質について私が持つアイデアは本当に真の対象についてのアイデアなのか、若しくは、決して存在しないはずの想像上の事物を表現しているに過ぎないのかを決めかねるのである。(「省察」第3部)。デカルトによるこの論述は今日の科学者にとって習慣的な考え方となったものを表現しています。そのため、彼らにとって、その他の考え方は本当に考慮する価値のないものとなっています。彼らは、光は数学的に表現できる運動プロセスの結果として知覚されると言います。彼らは光が現われると、それを振動にまで辿り、そして、1秒当たりの波数を計算します。あらゆる知覚を数学的に表現できる関連性にまで辿ることができるとき、感覚世界全体を説明することができるであろうと信じられているのです。この観点によれば、そのような説明を提供できた心は自然界についての考え得る最も高次の洞察を達成しているということになります。そのような科学者の良い例であるデュ・ボア-レイモンは「そのような心は我々の頭髪でさえ数え上げ、1羽の雀でさえそれに知られることなく地面の上に落ちることはないだろう」(「自然科学の限界について」、1882年)と述べています。世界を数学的に処理することは一般的な科学の理想となっているのです。現代の科学者たちが世界を説明するために用いることができる要素の中に力そのものを組み入れているのは、仮想的な物質の各部分にとって、外的な力の介入なしに動き始める方法はないという理由からです。デュ・ボア-レイモンが、「自然を知るということは云々・・・物体内部の変化を、時間から独立したそれらの中心的な力によって引き起こされる原子の運動にまで辿ることを意味している。それは原子力学の意味で自然のプロセスを理解するということである。」(同著)と述べているように、力の概念を導入することによって、数学は力学になります。今日の哲学者たちが独立して考えるための勇気を全く失っているのは、科学者たちの影響をあまりにも深く受けているからです。彼らは科学者たちの観点を躊躇なく受け入れます。最も著名なドイツの哲学者の一人であるウィルヘルム・ヴントは、「物質の質的な不変性からして、あらゆる自然のプロセスは結局のところ動きから構成されているという原則にしたがえば、物理学の目標とは、その応用力学への翻訳ということになる。」(論理学、1830-1833年)と述べています。デュ・ボア-レイモンは、「そのような解決法、つまり、自然のプロセスを原子の力学に還元することがいつも因果論的な説明に対する我々の必要を一時的に満足させるだけに留まる」のは心理学的な経験の問題であると考えています。確かに、デュ・ボア-レイモンにとって、それは経験の問題かも知れません。しかし、物理世界についてのそのようなありきたりの説明では満足できない人たちがいるということも言っておく必要があります。そのような人物の一人がゲーテです。誰であれ、因果論的な説明に対する欲求が自然のプロセスを原子の力学に還元することで満足させられる人にとっては、ゲーテを理解することは不可能でしょう。 (第17章 ゲーテ対原子論 第一項了)人気ブログランキングへ
2024年06月19日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 佐々木義之訳 1-66.ゲーテ、ニュートン、そして物理学者たち 色彩の本質的な性質を観察することに対して、ゲーテはさしあたり芸術的な興味を持っていました。彼の先見的な天才が間もなく気づいたのは、絵画における色の使用は深い法則性に準拠しているということです。絵画理論の範囲内に留まっている限り、その法則性の特質を発見することはできませんが、画家たちもまた彼に満足のいく答えを提示することはできませんでした。画家たちはどのように色を混合し、用いているかについて、実践的な方法で知っていましたが、自分たちが行っていることを概念化することができませんでした。イタリアに赴いたゲーテが見たのは、所謂かの芸術における最も崇高な例だけではなく、最も壮大な「自然の色彩」でした。そして、彼の中に色彩の法則を理解したいという強い欲求が目覚めたのです。ゲーテは「色彩論の歴史」の中でその課題の歴史的な側面について詳しく説明しています。ここではその心理学的かつ実際的な側面に焦点を当てることにしましょう。ゲーテはイタリアから帰った直後に色の研究を開始しました。これは1790年と1791年に強化され、彼の死に至るまでの主要な関心事であり続けました。色の研究を始めたときのゲーテの世界観の状態を考察してみましょう。彼は既に有機的な実体の変容に関する彼の偉大な考えを発展させていました。顎間骨の発見によって、既にあらゆる自然存在の統一性が明らかになっていたのです。彼にとって個別のものはアイデアの特別な変化形として現われました。彼はイタリアからの手紙の中で、植物が植物であるのは「植物というアイデア」をそれ自身の内に担っているからであるという考えを表明していました。そのアイデアは、彼にとって、精神的な内容に満たされた具体的な統一体であり、それぞれの植物の中で活動していました。それは物理的な目をもってしては見ることができませんが、精神の目をもってすれば理解することができるものです。それを見る者は「それぞれの」植物の中にそれを見ます。それは植物界全体を、この観点をさらに洗練させれば、すべての自然を、精神により理解することができる統一体にするところのものなのです。とはいえ、私たちの感覚が提供するような多様性を単にアイデアから構築することは誰にもできません。先見的な精神はアイデアを知ることができますが、「個別の形態」にアプローチすることができるのは、私たちが観察し、考察しながら私たちの感覚を外なるものに向けるときだけです。私たちの感覚という現実の中で、何故、あるアイデアの変化形がひとつの形態を取り、別の形態を取らないのかという疑問に対する答えは、知的な考察によって見出すことはできません。つまり、現実の世界を「見る」必要があるのです。このゲーテに特有のものの見方は「経験主義的な理想主義」として最も良く記述することができるでしょう。それは次のように要約することができます。「感覚に生じる事物の多様性」を観察するとき、それらの事物が似通っている程度に応じて、それらの根底に「精神的な統一性」を見出すことができる。そして、それがそれらすべての類似性の源泉なのだと。こうして、ゲーテは、色彩知覚の多様性の背後にある精神的な統一性とは何かと問うに至りました。私は「それぞれの」色の中に何を知覚するのでしょうか。すぐに明らかになったのは、「光」がそれぞれの色に必要な基礎となっている、光がなければ色もないということです。しかし、色彩は光が変化したものです。ですから、今度は光を変化させ、それに特殊性を付与する要素を見つける必要がありました。彼には、この要素こそが光を欠く物質、あるいは活動的な闇、言い換えれば、光に対抗するものであるということが分かりました。ですから、彼にとっては、それぞれの色は闇によって変化させられた光だったのです。ゲーテが光について語るとき、それは具体的な太陽光あるいは通常の「白色光」のことを意味していたと考えるのは正しくありません。人々がこの考えから脱却できないこと、複雑な構成の太陽光をそのようなものとしての光の代表として見るということは、ゲーテの色彩論を理解する上で唯一の実際的な障害となっているものです。ゲーテが闇に対抗するものとして見るときの光とは、あらゆる色の知覚に共通した純粋に精神的な実体なのです。ゲーテはそのように明確に述べたことは決してありませんでしたが、ゲーテの色彩論全体は、それ以外にそれを理解する方法はないというような仕方で提示されています。彼が太陽光を用いてその理論を実験的に検証したのは、確かに太陽光は太陽という天体の複雑なプロセスの産物ではあるけれども、その各部分がその内部に保持されているところのひとつの統一体として私たちに自らを提示するという理由からです。色彩論のために太陽光を観察することによって得られるのは、単に現実を「近似する」ところのものだけです。それぞれの色の中には光と闇が目に見える現実として実際に含まれているということをゲーテの理論は示唆していると考えるべきではありません。私たちの目に映る現実は個別の色合いに過ぎません。色という感覚的な事実を二つの精神的な実体、光と光ではないものに分離することができるのは精神だけです。そこに含まれている外的な条件や物理的な過程は、今述べられたことによっていささかも影響されません。私に赤が現れるとき、エーテルの振動がそこにあるということに疑いはありません。とはいえ、既に示されたように、知覚の中に含まれる実際の物理的なできごとはその「本質的な特質」とは何の関係もありません。人は、すべての感覚は主観的であることが証明されている。私たちの脳内で起こっていることを除けば、感覚の背後には実際に波動プロセスが存在していると主張するかも知れません。しかし、これでは、単に物理的なプロセスの根底に横たわるものの理論を除いて、いかなる「知覚に関する物理的な理論」についても語ることはできません。この証明は、aにいる誰かがbにいる私に電報を打つとき、私がこの手に受け取る電報はbに発するものであると主張するのと同じです。電報の発信者はbにいて、aには存在しなかった紙の上に、aには存在しなかったインクを用いて書き、実際、aがどこなのか見当もつかない、言い換えれば、私の目の前にあるものはaに発したものでは全くないということが証明されるのです。しかし、それでも、bに発したこれらすべてのことがらは、電報の実際の「内容」、あるいは本質には全く関係がありません。つまり、私にとって重要なことがらがbを通って媒介されたというだけのことです。電報の意味を説明したいのであれば、私はbで起こったことを完全に無視しなければなりません。目(*眼)についても同じことが言えます。理論は、目で知覚可能なものを包含するとともに、この領域の「内部」で相互関係を探求するものでなければなりません。時空間中での物質的な過程は、知覚の「生起」にとっては非常に重要かも知れませんが、それらの本質的な特質には無関係なのです。このことは、今日、光・熱・電気といった様々な自然現象のすべてがエーテル中での同様な波動プロセスによって生じるのかどうかについてしばしば投げかけられる問いにも当てはまります。最近、ハインリッヒ・ヘルツ(1857-1894年)によって、空間中における電気的な効果は光の効果と同じ法則にしたがうということが証明されました。光を運ぶ波動は電気の根底にも横たわっているということがこれから推測されます。太陽光スペクトルの中にはただ「ひとつの」種類の振動が働いており、それらが接触する試薬が熱、光、あるいは化学的な作用に反応するかどうかによって、熱、光、あるいは化学的な効果を生じさせるということは既に認められていました。参考画:heinrich rudolf hertz このようなことはすべて言うまでもないことです。もし、ここで問題になっている実体が媒介されている間、空間中で何が起こっているかを調べるならば、私たちは「同じ型の」動きを見出すことになるでしょう。単に動き「だけ」が可能な媒体中では、刺激に対するいかなる反応も動きを通したものになるに違いありません。それによって遂行されるいかなる媒介も動きの形でなされることでしょう。そして、もし、私がこの動きの形態を調べるとしたら、私は伝えられるものの特質ではなく、それが伝達されるその仕方だけを経験することになるでしょう。熱や光が動きであると主張するのは馬鹿げています。動きとは単に動く可能性のある物質が光に出会ったときの反応に過ぎません。ゲーテ自身、生存中に波動理論が誕生するのを見ていますが、その中には色彩の性質に関する彼自身の確信と合致しないものは何も見られませんでした。ゲーテは光と闇を感覚知覚可能な現実として考えていたのだという見方を私たちは捨てなければなりません。そうではなく、それらを「単なる」原則として、つまり、精神的な実体として考えるならば、私たちは全く新しい光の下に彼の色彩論を見ることになるでしょう。もし、ニュートンのように、光を単にすべての色の混合物として見るならば、私たちは具体的な実体としてのいかなる「光」の概念も見失ってしまいます。それは現実に対して何の対応物も持たない空虚な一般化物へと蒸発してしまいます。そのような抽象的な概念はゲーテには縁遠いものでした。彼によれば、あらゆる概念は「具体的な」内容を持っていなければなりません。しかし、彼にとって、「具体的な」というのは物理的なものに限定されてはいませんでした。実際、現代の物理学はいかなる光のための概念も有していません。特定の光あるいは色彩が一定の組み合わせにおいて「白」という感覚を引き起こすことをそれは認めます。しかし、この白を光と同じものと考えることはできません。事実、白は「混合色」でもあるのです。通常の物理学にとって闇がそうであるように、ゲーテの意味での光は見知らぬものです。ゲーテの色彩論の基本的な概念については「何も」知らない物理学者たちの概念によって触れられていない領域の中でそれは展開されます。ゲーテは彼らが終わるところから始めるのです。ですから、彼の理論を評価することは彼らにはできません。ゲーテのニュートンや現代物理学に対する関係についていつも言われることは、それらは全く異なるものであるという事実を完全に見落としている非常に表面的な問題の把握に基づいています。私たちは、もし、人が感覚の本性についての私たちの議論を正確に理解するならば、ここで示されたゲーテの色彩論の観点もまた共有するであろうということを確信しています。けれども、もし、私たちの基本的な理論を認めないのであれば、人は物理的な光学の観点を主張し、ゲーテの色彩論を完全に拒否しなければならなくなるでしょう。 (第16章 6.ゲーテ、ニュートン、そして物理学者たち 了/第16章 完。 )
2024年06月18日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 佐々木義之訳 1-65.ゲーテの空間概念 物理学におけるゲーテの仕事を十分に理解するためには、彼の「空間」に関する概念を展開させる必要があります。この概念を理解するための必要条件はこれまでの節の中に内在する確信、すなわち、第一に、私たちの経験の中で別々のできごととして現われる現象は相互に内的に関連しているという確信です。実際、それらは全世界を包含する統一の絆によって結びつけられているのです。それらすべの中には「ひとつの」原理が生きています。第二に、私たちが別々の事物にアプローチし、それらの関連性を決定することでそれらを結びつけようとするときにはいつでも私たちが創造するところの概念的な統一性は、それらの事物にとって外的なものではなく、自然存在そのものの正に中心から導き出されるものであるという確信です。ひとつのプロセスとしての人間の認識は事物の外側で生じるのではありません。それは純粋に主観的で恣意的なものではありません。むしろ、自然法則として私たちの精神の中に生じるもの、私たちの魂の中に生きるようになるものこそ、正に宇宙の鼓動なのです。私たちの現在の目的のために、私たちの精神が経験の対象物の間に打ち立てるあらゆる関連の中でも最も外的なものを検証してみましょう。経験によって精神的な活動が喚起される最も単純な例を見てみることにします。現象世界における二つの単純な要素を想像してみましょう。ものごとをできるだけ簡単にするために、二つの光の点を想像します。心に大きな問題を突きつけるひどく複雑な現象をこれらの光の点がそれぞれ示しているかも知れない、という事実は完全に無視してください。それらの感覚的な特徴は無視して、二つの別々の、つまり私たちの感覚が私たちに告げる限りにおいて、別々の要素という単純な事実についてだけ考えてください。そこには二つの要素があり、それぞれが私たちの感覚に影響を及ぼしていますが、それだけの意味しかありません。このことはまた、これらの要素の内のひとつの存在がもうひとつの存在を排除しない、つまり、それらの両方が「ひとつの」知覚器官によって知覚され得るとも言えるでしょう。もし、これらの要素の内のひとつの存在が何らかの仕方でもうひとつの存在に依存していると仮定するならば、私たちは非常に異なった問題に直面することになるでしょう。もし、Bの存在が、それはAの存在を排除するけれども、それにもかかわらずその存在はそれに依存しているというようなものであったとしたら、それらは「時間」の意味で結ばれていることが示唆されます。と申しますのも、もし、Bの存在がAに依存し、そして、Bの存在がAを排除するとしたら、AはBに先立つものでなければなりません。しかし、それは別の問題です。そのような関係を私たちの目的のために想像することはありません。私たちはこれらがお互いを排除せず、共存すると仮定します。それらの内的な本性によって要求されるあらゆる関係を無視することによって、二つの別々の実体としてのそれらの関係だけが残ります。私は一方から他方へと行くことができ、そして、二つの間には間違いなくその種の関連が存在しています。もし、私がひとつの事物から別の事物へと移行することができ、それぞれがその過程で全く変化しないままに留まるとしたら、それらの間には「空間」という意味での結びつきだけがあるはずです。その他のいかなる関係もそれらの質的な違いを含むものとなるでしょう。しかし、空間は、それらが「分離している」という事実を除いて、あらゆることに中立です。もし、私が、Aは上にあり、Bは下にあると言うならば、AあるいはBが何であるかということは問題になりません。それらについての私の唯一の考えは、それらは私の感覚に提示される二つの別々の世界要素であるということです。経験にアプローチするときの私たちの心は、あらゆる分離が克服され、全体の力が個別のものの中で明らかになるのを欲します。私たちは、世界を空間的に見るとき、この分離そのものを克服することだけを求めます。私たちは「最も普遍的な結びつき」を確立するように努力します。この空間的な関連が確立するものとは、AとBはそれぞれがそれら自身の世界なのではなく、それらは何か共通のものを持っているということです。これが空間的な並置が意味しているものです。もし、それぞれがそれ自身のためだけに存在していたとしたら、空間的な並置は存在しなかったでしょう。いかなる種類の関係も事物の間で形成されることはなかったでしょう。さて、このように別々の実体の間に外的な関係を打ち立てるということが私たちをどこに導くかを見てみましょう。そのような関係にある二つの要素について考える方法が「ひとつ」だけあります。AをBの「隣に」あるものとして考えることができるのです。感覚的な世界におけるさらに二つの要素―CとD―についても同じことができます。こうして、AとBの他に、CとDの間にも具体的な関係が確定します。今、個別の要素A、B、C、そしてDについては忘れ、二つのペアの間の関係だけを考えることができます。AとBを関連づけたのと同じようにしてこれらの個別の実体を関連づけることができるということは明らかです。ここでは単に具体的な関連が述べられているだけです。私はこれらの組みをa、bと呼ぶことができます。これをさらに次の段階に進めると、aとbの間の結びつきを見ることができます。けれども今、私はすべての個別性を見失ってしまいました。私がaを見るとき、お互いに関連したAとBを見ることはもはやありません。それはbについても同じです。いずれの場合にも、関係が確立された、という単純な事実だけが見出されます。aとbを区別することを可能にしたのは、それらがA、B、C、そしてDのことである、ということでした。もし、私がこの個別性の痕跡を捨て去り、aとbだけを関連づけるならば―つまり、特殊なものが関連づけられているということではなく、それらは関連性である、という事実だけがあるならば―私は全く一般的な方法で私が出発点とした空間的な関連性へと再び至りました。そこから先に行くことはできません。私は私が求めていたもの、「空間」についての内的な認識を達成したのです。「ここには三次元性の秘密が横たわっています。」最初の次元において、私は感覚的な世界の二つの具体的な要素を関連づけます。第2の次元において、私はそのような空間的な関連性の間に関連性を確立します。それは関連性の間の関連性です。具体的な現象は除かれ、残っているのは具体的な関連性だけです。今、私はこれらを空間的な関連性へともたらしますが、それはこれらの関連性の具体的な性質を完全に無視することを意味しています。私は私が別のものの中に見出したひとつの関連性と「正確に同じ」ものをこうして見出すのです。同じ実体間の関連性を確立した今、関連づける可能性が止みますが、それはすべての差異が消滅したためです。私は今、探求のための視点としてそこからはじめたもの―それは完全に外的な関連性です―へと、ただし、今回は感覚的な像としてのそれへと戻って来ました。私は上で述べた3回のプロセスを実行することにより、空間的な視点を取ることから空間そのものへと、つまり、私の出発点へと至ったのです。「空間が3次元でなければならないのはこの理由によります。」ここで私が空間に関して提示したことは私たちの一般的な観察方法の本当にひとつの特殊な例に過ぎません。私たちは共通の視点から具体的な対象物を観察します。こうして私たちは特殊なものの概念を得、次いで、これらの概念そのものを同じ視点から観察することによって、概念についての概念を得ます。つまり、もし、私たちがそれらを再び結びつけるならば、それらはひとつの理想的な統一体、それ自身との関連でのみ見られるような統一体へと融合するのです。次のような例を取り上げてみましょう。私は二人の人物A、Bと知り合いになります。私は友情という観点から彼らを観察します。この場合、私はこれら二人の友情について、ひとつの非常に明確な概念aを持つでしょう。次に、私は別の二人C、Dを同じ観点から眺めます。私は彼らの友情について、ひとつの異なる概念bを持つでしょう。さて、私はさらに進んで、友情に関するこれら二つの概念を並べて置きます。私が私の具体的な観察から抽象化を行うとき、私に残されるのは「友情という一般的な概念そのもの」です。けれども、この概念はまた、EとFの友情や、さらに、GとHの友情を同じ観点から観察することによっても達成されます。これらの場合にも、他の無数の場合と同様、一般的な友情の概念に至ることができます。これらすべての概念は本質的に同一であり、それらを同じ観点から眺めるとき、ひとつの統一性が見出されたことに気がつきます。ですから、「空間」とは、ものごとを眺めるひとつの方法であり、私たちの心が別々のものを統合する方法なのです。最初の次元は二つの感覚的な知覚(カントの言う感覚)の間の結びつきを確立します。第2の次元は二つの具体的な心象をお互いに関連づけ、そして、「抽象化」の領域へと入っていきます。第3の次元は二つの抽象的なものの間の理想的な統一を確立するだけです。ですから、空間の三つの次元が同じ重要性を有していると考えるのは正しくありません。最初の次元の性質は知覚された要素に依存します。けれども、きわめて特殊で最初のものとは異なる意味が他の二つにはあります。カントはここで間違いを犯しました。つまり、空間をそれ自体が概念的に規定され得るひとつの実体としてではなく、ひとつの統一体として考えたのです。ここまで私たちはひとつの関係性としての空間について語って来ました。今、問わなければならないのは、そこにあるのは並置という関係だけなのか、それとも、それぞれの事物には絶対的な位置というものがあるのかということです。私たちのこれまでの考察では、これらの問題には全く触れられて来ませんでした。「絶対的な位置」とか特別な「そこ」といったようなものがあるのかどうかを見てみることにしましょう。私は「そこ」によって実際に何を言おうとしているのでしょうか。私は問題の対象物の直近にある特定の対象物のことを言っているに過ぎません。「そこ」とは、指名された対象物の近くに、という意味です。このように、絶対的な位置は「空間的な関係性」にまで遡ることができますが、これによって私たちの探求が結論づけられます。今、私たちの調査によれば、空間とは何なのかと直接問いかけてみましょう。それは、あらゆる事物が、それらの本質的な性質とは無関係に、完全に外的な仕方で、それらの分離状態を克服し、それによって、たとえ外的なものとはいえ、ひとつの統一へともたらされるように、それらに生来備わっている必然性なのです。ですから、空間とは世界を統一体として理解するためのひとつの方法なのです。「空間とはアイデアであり」、カントが信じていたような感覚器官による知覚ではありません。参考画:絵の中の時空間 (第16章 5.ゲーテの空間概念 了)人気ブログランキングへ
2024年06月17日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 佐々木義之訳 1-64.ゲーテの色彩論の体系 ゲーテが生きていたのは、それがそれ自身の中にその充足を見出すような絶対的な知識に向けて普遍的で力強い努力がなされていた時代、認識に対するあらゆるアプローチを探求し、最も重要な問いに対する答えを発見するために、より深い洞察を再び熱心に求めていた時代でした。東方の神智学、プラトンとアリストテレスの時代、そして、デカルトとスピノザの時代は同様の内的深化の時期でした。ゲーテは、カント、フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲル抜きには考えられません。これらの人々はすべて奥深い観点、高みへと引き上げられた彼らの目を共有していたのですが、ゲーテ自身の思索は身近な現実の出来事にその焦点が当てられていました。 とはいえ、彼の注意深い眼差しの中にはその奥深さの幾ばくかが見られるのですが、彼がこのより奥深い洞察を行使したのはその自然観察においてでした。彼の自然観察はその時代の精神によって内的な生命の色合いを与えられました。そして、これは細部についての彼の観察に力を与えているものであり、より幅広い観点によって、それは絶えず生き生きとしたものとされます。ゲーテの科学では、いつでも中心的な重要性を有する問いに焦点が当てられるのです。私たちは、特に彼の色彩論においてこのことに気づきます。植物の変容に関する彼の随筆を別にすれば、これは唯一完全にまとめられた彼の科学的な業績です。そして、何と力強い自己充足的な体系が主題そのものの性質にしたがって考察されていることでしょうか。その内的な構造について見ていきましょう。自然という存在に根ざしたものであれば何であれ、それが現われるための前提条件が存在します。つまり、それを可能にする原因、事物がその中で自らを開示するための器官がなければなりません。「永遠かつ不死の自然法則は、たとえそれを思い描く人間が存在していなかったとしても、いつでも権力の座に留まっていたはずです。(*果たしてそうか。認識するもの無しの宇宙は安定して在るだろうか。マルチバース理論がそれに答えます。)」しかし、それらが現われることはなかったでしょう。それらは存在としてそこにあったかも知れませんが、顕現することはなかったでしょう。知覚する目がなかったとしたら、光や色についても同じことが言えます。私たちはショーペンハウアーのように、色彩はその存在を目に負っていると仮定することはできません。それでも私たちは色彩を知覚する可能性を目の中に見なければなりません。「目は色を決定づけるのではなく、それが現われる原因」となるのです。ここで色彩論が登場します。それは目を調べて、その性質を見つけなければなりません。ゲーテが「生理学的な」色彩論から仕事に取り掛かったのはそのためです。とはいえ、彼の考えはこの光学の領域で通常理解されているものとは非常に異なっています。彼は目の機能をその物理的な構造という意味で理解しようとはせず、その特徴と能力を理解するために、様々な条件下で目を観察するのです。ゲーテのプロセスはいつでも「観察」のプロセスです。例えば、目に対する光と闇の影響とは何か。それが明確なイメージに出会うときには何が起こるのか?等々です。知覚が生じるときには目の内部でどのようなプロセスが生じているのか、と問うことから始めるのではなく、むしろ、見るという「生きた」活動の中で実際に生じているものの根底に至ろうとするのです。これが彼の目的にとってさしあたり唯一重要な問いかけです。それ以外のものは、厳密に言えば、色の生理学的な理論に属しているのではなく、人間有機体の科学、あるいは一般的な生理学に属しています。ゲーテが目に興味を持つのは、それが見る限りにおいてであり、死んだ目を観察することで導かれるような視覚についてのいかなる説明にも興味が持たれることはありません。彼はここから、それを通して色彩現象が生じるところの客観的なプロセスへと進みます。ここで私たちが知っておかなければならないのは、ゲーテが客観的なプロセスについて考えるときには、仮説上の知覚不可能な物質的プロセスや動きに興味を持っていたのではなく、いつでも自らを知覚可能な世界に限定していたということです。(*実存的認証主義) 記:現代物理科学宇宙論の二つの認識されるも、直接的観察及び認証方法が未だに見い出されないダークマターとダークエネルギーをゲーテならどうその存在を表現したでしょう。ダークマター、ダークエネルギーが何なのかは結論づけられていませんが、重力との関係からその推論が行われています。ダークマターは人間が知覚できるものに影響を及ぼす重力のようなものを持ち、ダークエネルギーは宇宙を加速度的に拡張させる斥力を持ちます。これまでの研究では、両者は異なる現象として扱われることがほとんどでしたが、オックスフォード大学の天体物理学者であるジェイミー・ファーンズ氏は新たな研究で、この2つの現象が負の質量を持つ「暗黒流体」というコンセプトの一部である可能性を示しています。参考画:Dark fluid(暗黒流体) 彼の「物理的な色彩論」、それは彼の研究の二次的な部分にとどまりますが、色が目とは無関係に作り出されるときの関連する条件を探求します。それでも、その興味は実際の知覚のみに留まっています。彼がそこで見るのは、プリズムやレンズ等を通して色彩がどのように現われるかということです。彼は色彩が生じるのを追っていくことで、つまり、そのようなものとしての色が対象とは無関係に生じるのを観察することでとりあえずは満足します。「化学的色彩論」の中の独立した章においてはじめてゲーテは固定されたものとしての、あるいは対象に「付着した」ものとしての色彩へと進みます。「生理学的な」色彩論は、そもそも色彩はいかにして現われるのかという疑問に答えますが、「物理的な」色彩論はそれらが現われるときの外的な条件を取り扱います。彼は今、いかにして対象の世界は「色づけられた」ものとして現われるのかという疑問に答えます。こうして、ゲーテは、現象世界の特徴としての色を観察することから、この特徴をもって現われるような現象世界そのものの探求へと進み、最終的には、「色の感覚的-道徳的な影響」の中の一章において、色彩を有する物理的な世界と人間の魂の世界との間のより高次の関係の観察へと進みます。これはきわめて厳密な、つまり、条件としての主観から世界についての満足を世界の中で見出すような主観へと立ち返るような科学の道(*ヘーゲル哲学の思惟方法 ―弁証法)です。主観から客観へと立ち返るこの道の中で、ヘーゲルの全体的な体系という構築物へと導いた時代の衝動が明らかになります。この意味で、「色彩論の概観」はゲーテの光学における主要な仕事と見られるべきものです。彼の二つの随筆、「光学への貢献」と「色彩論の要素」は序論的な研究と見ることができるでしょう。「ニュートンの理論を暴露する」は彼の仕事に対する反論的な捕捉に過ぎません。 (第16章 4.ゲーテの色彩論の体系 了)人気ブログランキングへ
2024年06月16日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 佐々木義之訳 1-63.自然科学の体系 今、私たちの探求は、思考の使命を知覚の秩序づけに限定することによって、さしあたり私たちがあれほど強く擁護した概念とアイデアの自律性そのものに対して問題を投げかけているかのように見えるかも知れません。そうではないということは、考察をさらに進めることによって示されるでしょう。結局のところ、思考が知覚と知覚の間の関係を確立する目的とは何なのでしょうか。知覚a及び知覚bについて想像してみましょう。さしあたり、それらは概念を欠く実体として私たちに与えられます。私の感覚に提供される性質を概念的な思考を通してその他のものに変化させることはできません。もし、私が感覚的な経験によって与えられるものに知覚を通してアクセスできなかったとしたら、それを構築すべきいかなる概念的な性質もまた見い出すことはできません。例えば、私がどんなに「赤」という性質を概念的に記述したとしても、色盲の人にそれを伝える方法はありません。感覚知覚には決して概念の中に入って来ることのない側面、そもそも認識の対象となるためには経験されなければならない何かがあるのです。参考画:普遍的色彩論 では、私たちが感覚的な知覚に付加する概念の役割とは何でしょうか。明らかにそれは何か全く新しいもの、それ自身に立脚しながら、その感覚的な知覚に属するとはいえ、その知覚自体の中には決して現われることのない何らかのものに貢献するものでなければなりません。さて、この新しい「何か」とは概念が感覚的な知覚にもたらすものであって、正に私たちの説明への必要を満たすものであるということは確かです。私たちが感覚世界における何らかの要素について理解することができるのは、それについての概念を持つときだけです。感覚的な現実が私たちに提供するものが何であれ、私たちはいつでもそれを指し示すことができます。そして、それを知覚する能力を持つ人であれば誰であれ、それが何であるかを正確に知っていることでしょう。概念は、感覚の世界では知覚され得ない何かを私たちに語らせます。このことから明らかになるのは、もし、感覚的な性質において知覚の本質が十全に表現されるならば、概念は何も新しいことをつけ加えることはできないだろうということです。このように、感覚的な知覚とは、不完全なもの、ひとつの側面、見られるだけの側面から構成されるものです。概念を通してはじめて私たちは私たちが見ているものが何かを理解します。今では、私たちは前節で「方法論的に」発展させたものの「内容」の重要性について定式化することができます。感覚世界における何かが「何」であるかは、私たちがそれを概念的に理解するとき、はじめて明らかになります。私たちには、私たちが観察するものの内容を表現することができませんが、それはその内容全体が「いかに」現われるかにおいて、つまり、それが現われるその「形態」において与えられるからです。こうして、世界は概念を通してはじめてその十全たる内容を達成します。しかし、私たちが見出したのは、概念は個々の現象を越えて事物の関係性を指し示すということです。感覚的な現実の別々に孤立したものとしての現われは「ひとつの統合された全体」として概念に提示されます。こうして、私たちの科学的な方法論はそれ自体が「一元論的な自然科学」という究極の目的へと導かれるものとなります。しかし、この一元論は、ある統一性を仮定するとともに、単に「具体的な」存在という個別の事実を包含するというような抽象的なものではありません。むしろ、それは、感覚的な存在の見かけ上の多様性がアイデアという領域の中でいかにひとつの統一体として自らを現すかを段階的に示していくというような具体的な一元論なのです。そのような多様性は統合された世界の本質がその中で自らを表現するところのひとつの形態に過ぎません。感覚はこの統合された内容を理解できないため、多様性に固執します。つまり、感覚は生来の多元論者なのです。しかし、思考は多様性を克服し、統合された世界原則にまで遡る道を徐々に辿ります。自然界における差別化は、概念(*アイデアの三つの形態の一)が感覚世界の中に顕現する個別の「方法」によって説明されます。感覚知覚可能な実体が完全に概念の外にある存在性のみを獲得するとき―言い換えれば、もし、概念がその変容を決定づけるところのひとつの「法則」としてのみ支配しているとき―私たちはその実体を「無機的」と呼びます。そのような実体に何が生じたとしても、それは別の実体の影響にまで遡ることができます。そして、その二つがどのように相互作用するかは、外的な法則によって説明することができます。私たちはこの領域において現象と法則とを扱っているのですが、もし、それらが主要なものであるならば、それらは「元型的な現象」と呼ぶことができるでしょう。この場合、理解すべき概念は知覚された多様性の外に横たわっています。しかし、「感覚知覚可能な統一体」はそれ自身を越えたところをも指し示します。私たちがそれを理解しようとするとき、それは知覚可能なものを超越した決定的な要素を探すように私たちに強います。そのとき、私たちが概念として理解するところのものは感覚知覚可能な統一体として現われます。これら二つのもの、概念と知覚されたものは同じではありませんが、その概念はその「外に」ひとつの法則として存在するのではなく、感覚的な多様性の「内に」ひとつの原理として現われるのです。私たちは現象の根底に概念を見出しますが、それは現象に浸透しており、もはや感覚知覚可能なものではありません。これは私たちが「型」と呼ぶところのものです。私たちは今や「有機的な」科学の領域内にいます。しかし、ここでも概念は、「型」としてのみ現われ、まだ概念としてそれ自体の形態において現われるのではありません。型がちょうどそのようなものとして、つまり、固有の原理として―現われるのではなく、その概念的な形態において現われるところでは、それは「意識」として現われます。低いレベルでは存在としてのみそこにあったものが、今、最終的に自らを現すのです。つまり、概念そのものが今や知覚可能なものとなりました。これが認識する人間の領域です。「自然法則」、「型」、そして「概念」はアイデアの三つの形態です。自然法則は多様性の上位に立つ抽象性であり、無機的な科学を支配しています。ここでは、アイデアと感覚的な現実性とは完全に分離しています。型はそれらをひとつの存在へと結びつけます。精神は活動的な存在になりますが、それはまだそのようなものとして活動しているのでも、そのようなものとして存在しているのでもありません。それがその実際の存在において観察されるためには、感覚知覚可能な形態において知覚されなければなりません。これは私たちが有機的な自然において見出すところのものです。概念は知覚可能な形態において存在しています。人間の意識においては、概念そのものが知覚できるものとなります。観察とアイデアが一致するのです。つまり、私たちは実際にアイデアを知覚するようになるのですが、これはまた、より低いレベルの自然の内的な原理を私たちに見えるようにするものでもあります。人間の意識とは、より低いレベルにおいては単に存在しているものの顕現していないものを十分に顕現した現実として知覚できるようにさせるものです。 (3.自然科学の体系 了)記:ルドルフ・シュタイナーは世界内の物事全てに「自然法則」、「型」、そして「概念」を求めます。すなわちカントが言う「普遍」に相当します。参考画:ドイツ観念論系統人気ブログランキングへ
2024年06月15日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 佐々木義之訳 1-6 2.元型的な現象 私たちは、感覚的な知覚が存在するときにはいつでも生じるはずの一連の事象全体を、たとえ感覚器官の周辺にある神経末端から脳に至るまでずっと追っていくことができたとしても、それでもなお、機械的、化学的、有機的な(時空間の)プロセスが終わり、私たちが感覚的な知覚と呼ぶところの何か、つまり、熱、光、音、その他等々の感覚が始まる地点にまでは至ることはできないでしょう。原因となる動きからその効果、つまり知覚への移行地点はどこにも見い出されないのです。これらの側面の間の関係を原因と結果として記述することはできるのでしょうか。ものごとを客観的に見てみましょう。私たちの意識の中に特定の感覚が生じると仮定します。それは私たちの注意をそれがそこに起源を有するところの対象に引きつけるというような仕方で生じます。私が赤という知覚を有するとき、私の赤という心象内容は直ちに特別な空間座標、すなわち、空間あるいは表面に結びつけられ、そして、私はその知覚をそこに帰属させます。そのようなことが起こらない唯一のケースは、目に対する突然の圧力に対応した光の知覚のように、感覚器官そのものが外的な影響に対してそれ自身の仕方で応答するときです。私たちはそのような事例に関わる必要はありません。何故なら、それらは通常の知覚に特徴的なものではなく、そのような例外はこの知覚の本質について私たちに何も示さないからです。もし、私が特別な場所に結びついた赤という知覚を持つならば、私の注意はさしあたり外的な世界にあるその知覚の源泉としての何らかの対象に向けられるでしょう。私は私がその赤い色に関連づけるものの中で生じる空間的・時間的な経過について問いかけ、そして、機械的、化学的、あるいはその他のプロセスが私の問いかけに対する答えとして提示されるということが明らかになるでしょう。私は私のために赤という色を事物から私の感覚器官に至るまでの途上で仲介するプロセスの探求へと進むことができます。ここでもまた、私が見出すことができるのは動きのプロセス、電流、化学変化といった媒体だけです。たとえ私がその伝達を感覚器官から対応する脳の中心部へとさらに探求できたとしても、結果は変わらないでしょう。この経過全体を通して伝達される「何か」とは赤という知覚です。この知覚が刺激から知覚へと続く道に沿ってたまたま横たわっているものの中で「どのように」自らを提示するかは、もちろんその横たわっているものの特性に依存します。知覚は、たとえそのようなものとして明確にというわけでは全くないにしても、最初の刺激から脳に至るまでのどの場所にも存在していますが、たまたまその場所にある対象の特性に対応した仕方で存在しているのです。これによって、物理学や生理学を理論的に基礎づけるもの全体に光を当てるのに適した真実が明らかになります。私が私の意識に知覚として入り込むプロセスに含まれる何かを調べることによって知ることになるものとは何でしょうか。私が本当に知ることができるのは、その特定のものが知覚から進み出てくる働きにどのように対応するかということだけです。言い換えれば、時空間世界におけるその特定の対象の中で、知覚がどのように「自らを表現する」かということだけです。時空間的なプロセスとは、決して私の内部の知覚を創り出す「原因」ではなく、時空間中に存在する事物の中で知覚が及ぼすところの「効果」なのです。刺激から知覚器官に至る道に沿って、いくらでも事物を並べることができるかも知れませんが、それぞれがそれ自体の特性によって決定づけられ、同時に制限される、というような仕方で対応することでしょう。こうして、「知覚自体」がそれぞれのプロセスの中で自らを表現するものとなるのです。音の伝達には長さ方向の空気の振動が、光の伝達には仮想的なエーテルの振動が含まれます。これらの形態は、単にそれらの特別な知覚が正にその特性から希薄化と濃縮化、言い換えれば、振動することしかできない媒体の中で顕現するその仕方であるに過ぎません。知覚そのものがその媒体中に見出されることはありません。それは「それがそこには存在し得ない」からです。そのようなプロセスが知覚の客観的な特性を体現していると言うことはできません。それらはむしろその特性がその中に顕現するところのひとつの形態なのです。さて、それらの媒介するプロセスの特徴とはどのようなものかと問うてみましょう。私たちの感覚を通すことなく、それらを探求する方法はあるのでしょうか。感覚そのものを除く何らかのものを用いて私の感覚を探求することは本当にできるのでしょうか。周辺にある神経末端や脳の渦巻きは感覚的な知覚とは異なる何かなのでしょうか。これらすべては主観的であると同時に客観的、もちろん、それらが区別できるとすればですが。そのことに対して、今はもう少し正確なアプローチができるようになりました。私たちが知覚を刺激から感覚器官にまで追っていくとき、私たちは実際にはある知覚から別の知覚へと継続する移行を探求しているのです。赤という知覚がさしあたりそのプロセス全体を開始させる原因となったのですが、それは私たちにその刺激を指し示します。私たちがそこを見るやいなや私たちは赤に関連するその他の知覚を見出します。それらは動きのプロセスであり、今度はそれらが刺激と感覚器官の間にある別の動きとして現われるという具合です。けれども、これらすべては感知された知覚でもあります。そのすべては他ならぬ感覚として、そもそもそれらが感覚的な観察にかかり得る限りにおいてですが―自らを現すところのものが変容したものなのです。「感覚の世界とは変容した知覚の集合体に他なりません。」便宜上、私たちの表現方法はこれらの結論とは完全には調和し得ないようなものとなりました。私たちは、刺激と感覚器官との間のギャップに自らをはめ込むそれぞれの「もの」はその特性に応じた感覚を引き起こすと言いました。もちろん、厳密に言えば、「もの」とはその外観を構成するプロセスの総体です。さて、人々は、これらの結論は現在進行中の世界過程からあらゆる永続性の感覚を排除するものであると主張するかもしれません。私たちの主張は、ヘラクレイトスと同様、唯一の世界的な原理とは事物の絶えざる流れであり、そこには永続的なものは何もない、というものです。確かに、すべての現象の背後には「物自体」が、つまり、この変化する世界の背後には「永続的な物質」があるに違いありません。ですから、私たちは「永続的な物質」、あるいは「変化における永続性」の問題に対して、別の見方をしなければなりません。私の目が赤い表面に向かうとき、私の意識の中には赤の感覚が現われます。私たちはその感覚の始まり、中間、そして終わりを区別することができます。この移ろいゆく感覚とは対照的に、私たちは持続的、客観的なプロセス、時間の中でも同じく客観的に限定されたプロセス、つまり、始まり、中間、そして終わりを持つプロセスを見出そうとします。けれども、このプロセスが生じるのは、始まりも終わりもなく、破壊不能で永続的な物質的基盤との関連においてであると考えられています。この物質はこれらの変動するプロセスの中で真に永続的な要素であると考えられているのです。このような結論が有効なのは、時間の概念が正しく感覚に適用されるときでしょう。けれども、恐らく私たちは感覚そのものの本質あるいはその内容とその表現とを明確に区別する必要があります。私の知覚にとってそれらはもちろん同じものです。何故なら、その本質がなければ、そもそも私にその感覚が現われることはないはずだからです。今、この本質という観点から見て、それがある特定の瞬間に私の意識の中に入り、次の瞬間にそこから離れるかどうかで何か違いがあるでしょうか。感覚の本質(その客観的な存在)はそのようなことすべてから独立しています。そのとき、もし、何かが(編注:永続的な物質が)その本質的な性質と何ら関係がないとすれば、それは知覚の存在にとって基本的なものであると主張することに何か意味があるでしょうか。始まりと終わりがあるプロセスとの関係で時間の概念を適用することもまた正しくありません。もし、何かが新しい特徴を獲得し、それがしばらくの間様々な仕方で発展し、そして、消え去るとしたら、その特徴の「内容」、あるいは特質もまたこの場合にはその本質と見なさなければならないはずです。この本質的な特徴は、それ自体、始まり、持続、そして終わりの概念とは全く何の関係もありません。私たちが「本質的な」と言うときには、実際に何かをそれがそれであるところのものにする何か、あるいは、それがそれ自身を提示する仕方について語っています。重要なことは、時間の中のある特定の瞬間に何かが現われるという事実ではなく、実際に現れるものとは「何か」ということです。この「何か」を通して自らを表現するあらゆる個別の特徴こそが世界の本質的な存在を構成しているのです。今、この「何か」が、様々な条件下で、多様極まりない形態を取って現われます。これらすべての形態は相互に関連しています。つまり、それらはお互いのお互いに対する条件を創り出しているのです。こうして、それらの関係の特質は「時空間」中における分離のひとつとなります。「物質」の概念は非常に間違って導かれた時間の概念により生じました。一般には、もし、私たちがつかの間のできごとの総体を、様々な個別の形態は変化するにしても、時間の中で継続する永遠不変の現実の中につなぎ留めなかったとしたら、世界は存在を欠く単なる幻想の中へと蒸発してしまうだろうと信じられています。しかし、時間は変化がその中で生じるための入れ物ではありません。時間は事物より「前」に、あるいは、それらの「外」に存在しているのではありません。それはできごとが、それらに固有の性質によって、逐次的な相互関係を形成するという事実の明らかな表現なのです。感覚知覚可能な事実a1、b1、c1、d1、e1の複合体、そして、内的な必然性によってそれに依存する別の複合体a2、b2、c2、d2、e2があると想像してみましょう。第2の複合体の特性は、それを最初の複合体から概念的に導き出すことによって理解することが可能です。ここまで私たちはこれらの複合体を、時間や空間とは無関係にそれらの本質にしたがって記述してきました。ここで、両方の複合体が実際に現れると想像してみましょう。もし、a2-e2が現われるとすれば、a1-e1も現われなければなりませんが、それは、それらの必然的な関連性が明らかなような仕方によってです。これは、現象a1-e1がまず存在し、現象a2-e2を準備するのですが、後者が現われることができるのはその後です。このことから、時間が生じるのは何らかの「存在」が「外的に現われる」ときだけであるということが分かります。ですから、時間は見かけ上の世界に属しており、事物の存在、あるいはその本質とは関係がありません。そのような存在はアイデアとしてのみ理解できます。自分自身の思考の中で見かけ上のものをその本質的な存在にまで辿っていくことができない人たちだけが、時間を事実に先立つものとして考えるのです。けれども、彼らはそのとき、ある種の存在を、つまり、あらゆる変化を通して持続し、破壊することができない物質という概念の中に彼らが見出すような存在を必要とします。こうして、彼らは、時間に浸透せず、変動によっても変化せずに持続する何かを作り出します。けれども、これによって強調されるのは、時間に拘束された事実の外観からその本質的かつ永遠の存在へと貫き至ることが彼らにはできない、ということだけです。私に言えるのは、その本質は他の何らかのものの本質と関連しており、その結果として生じる関係が時間的に連続したものとして現われる、ということだけです。事物の本質は破壊することができません。それは時間を超越し、実際、時間を決定づけているのです。ですから、ここに見られるのは、めったに理解されることのない二つのもの、すなわち、顕現あるいは表出と、存在あるいは本質的な特性です。ここでの説明が理解されるとき、事物の本質の非破壊性を証明しようなどとは考えないでしょう。何故なら、破壊は時間の概念を示唆しますが、それは事物の本質的な特性とは何の関係もないからです。ですから、「我々に自らを提示するような感覚知覚可能な世界とは、その根底に実質的な基盤を持たない変容する知覚の寄せ集めである」と言うことができます。ここで述べられたことによって、知覚の主観的な性質について語ることはできないということもまた示されました。私たちが何かを知覚するとき、私たちはその過程を刺激から中心的な器官まで追っていくことができますが、まだ知覚されていないものの客観性から主観的な知覚への飛翔を観察できる地点はどこにも見当たりません。このことは、感覚知覚可能な世界は主観的である、という考えを否定するものです。知覚世界はそれ自身に根ざすものであり、さしあたり、主観にも客観にも関係していないのです。これらの考察は、その古さと同じくらい不正確な物質についての形而上学的な概念と同様、物理学の基礎としての物質の概念にのみふさわしいものです。物質を現象の根底に横たわる実際の現実として見ることと、それを現象あるいは表出として理解することとは全く別のことがらです。私たちの考察は最初の見方にのみ向けられたものであり、後の見方には関係がありません。もし、私が物質を単に空間を占めているところの何かとして考えるとすれば、それは私にとって他のすべての現象以上の現実性を持つことのない現象のことを言っているにすぎません。物質のこの特徴を心に留めておくだけのことです。あらゆる科学の対象となるのは、知覚を通して、つまり、広がり、動き、休止、力、光、熱、色、音、電気、等々として、私たちに自らを提示する世界です。もし、知覚された世界が、その感覚的な外観によってその本質が完全に表現される、というようなものであったとすれば―言い換えれば、もし、私たちに現れるあらゆるものがその内的な本質の完全で阻害されていない表出であったとすれば―私たちは科学というものを全く必要としなかったでしょう。何故なら、理解する、ということは正に知覚という行為の中で生じるものだからです。確かに、本質的な存在と現象的な外観との間にいかなる相違もなく、それらが完全に一致しているということがあったかも知れませんが、そのようにはなっていないのです。要素Aが現実世界の中で要素Bに関係していると想像してみましょう。私たちの考察にしたがえば、両方とも現象であり、それ以上のものではありません。そして、それらの間の関係はまたひとつの現象として現われます。私たちはそれをCと呼ぶことにしましょう。私たちが現実の世界において確認することができるのは、A、B、及びCの間の関係ですが、知覚可能な世界には、ちょうどA、B、及びCのような要素が他にも無数にあります。第4の要素Dを無作為に取り上げてみましょう。それが加えられるやいなや、他のすべてがその存在によって変化させられます。Cを与えるAとBの代わりに、Dの存在はさらに別の現象Eをその出現へと導くでしょう。ここでの主要な点は、私たちがひとつの現象に向かうときにはいつでもそれが無数の条件によって変化させられているのを見るということです。それを理解するためには、これらの関連すべてを探求しなければなりません。あるものは近く、またあるものは離れた、あらゆる種類の関連があります。もし、現象Eが私に現れるのであれば、その他の多かれ少なかれ関連した現象が役割を果たさなければなりません。そのいくつかはその現象が存在するために不可欠なものです。つまり、それ以外のものがなくても、そのような現象のあるものが生じるのが妨げられるということはないかも知れませんが、それでも、それらはそれが生じる特定の仕方に影響を及ぼす可能性があります。したがって、私たちが区別しなければならないのは現象の必然的な条件、及び偶然の条件です。必然的な条件に基づく影響を通してのみ生じる現象は「主要な」現象、そして、その他の現象は「派生的な」現象と呼ぶことができます。それらの条件を知ることで主要な現象の理解へと導かれるとしても、その他の条件を含めることによって、派生的な現象もまた理解することができます。このように、必然的な条件のみに依存する現象を見出すことにより現象世界についての深い理解を得るというのが科学の使命であり、それらの必然的な関連の概念的な表現が「自然法則」なのです。私たちがある特定の分野の現象にアプローチするときにはいつでも、まずそれらを記述し、記録するとともに、どの要素が必然的な関連を有しているかを確定しなければなりません。それらの要素とは元型的な現象です。そのとき、私たちは、より遠隔的な方法でそれらの要素に関連づけられる条件を見出し、それらが元の現象をどのように変化させるかを発見しなければなりません。科学は、あらゆる現象は導かれたものであり、したがって、さしあたりそれを理解することはできないというような仕方で現象世界を見ます。科学は、現象間の相互関係を理解するために、元型的な現象を指導的なもの、派生的な現象をそれらから続くものとして見ます。科学が現象間の関係を確立し、それによってそれらを理解可能なものにする程度に応じて、科学的なシステムは自然のシステムとは異なってきます。科学は、現象世界に何ら貢献する必要はなく、ただその隠された関連性を発見しさえすればよいのです。知性はこの仕事に限定して用いられるべきです。知性やあらゆる科学的な努力がその正当な領域を越えていくのは、それらが知覚可能なものを説明するために知覚不可能なものに頼るときです。ゲーテの色彩論を理解するには、これらの概念の絶対的な正しさを理解していなければなりません。現象の特質、暖かさ、光等々をその外観上の本質以外のものであると推測するほどゲーテの考え方から遠いものはないでしょう。要するに、彼は思考の使命について適切な認識を持っていたのです。ゲーテによれば、光は知覚として与えられました。光と色の間の結びつきを説明しようとする彼の試みを可能にしたのは、思索ではなく、色が生じる前に光が出会うべき必然的な条件を探すことによって、つまり、「元型的な現象」を通してだけでした。ニュートンもまた色は光との関係で生じると見ていましたが、さらに進んで、どうすれば色は光から生じるのかと推測するに至りました。そうすることは彼の推論的な思考方法に根ざしたものであり、現象の中に自ら沈潜し、それ自体の使命を正しく理解していたゲーテの思考にではありませんでした。「光は色のついた光から成る」というニュートンの仮説はゲーテには不当な推論の産物のように見えました。記:プリズムの発見 分光する透明な光学ガラスの原型が出来上がった時点を以てプリズムの発見と云うのであれば、紀元前5世紀頃だとされています。科学史に於いて、最初に分光が語られたのは、水晶柱での分光(元々には無い色の光が見える)を記したアリストテレスだと思います。(但し、虹の原理は屈折ではなく反射だと表明していますが・・・)プリズムとはギリシア語(=ラテン語)のprismaに由来し、原義は断ち切った・削るです。当時のギリシャには中国で発明された透明ガラスは入っていないので、水晶柱を断ち切ったモノでアリストテレスは太陽光の分光を見たのだと思います。そうするとプリズムの発見は、紀元前4世紀となります。参考図:ゲーテのニュートン批判 彼は、光と色の「関連」について語ることが正当化されるのは一定の条件が与えられたときだけであり、光そのものについて推論的な概念を導入しながら語ることは正しくないと感じていたのです。「光は私たちが知っているものの中で最も単純で、最も細かく分割され、最も均一化された存在である。それは本質的に複合体ではない。」という彼の言葉はここから来ていました。光の「複合」について語られる現象の論述はすべて知性によるものです。しかし、知性本来の領域は現象間の「相互作用」の論述に限られます。このことは、ゲーテがプリズムを通して光を見たとき、何故、ニュートンの理論を受け入れることが「できなかった」のかを、より深く明らかにするものです。プリズムは色の出現にとって「第一の条件」であるはずでした。けれども、別の要素、つまり闇の存在はそれが生じるためのもっと基本的な条件であることが証明されたのです。プリズムは第二の条件であるに過ぎませんでした。私は、これにより、色彩に関するゲーテの仕事を理解したいと思っている読者にとってのあらゆる障害が取り除かれるものと信じます。もし、人々が、これら二つの理論の違いには相矛盾する説明が含まれており、単にその相違の有効性が検証されればよいと繰り返し考えてこなかったとすれば、ゲーテの色彩論の偉大な科学的価値はずっと以前に認識されていたことでしょう。この問題に関して、現代物理学の観点を受け入れ続けている人たちは、知覚を知性による推論を通してその根底に横たわる原因にまで辿っていく必要がある、という基本的に間違った考えに捕らわれているのです。しかし、現象を説明する方法とは、理解することによって確立された文脈の中でそれらを「観察する」ことである、ということを理解する瞬間、人はゲーテの色彩論を「原理的に」受け入れざるを得なくなります。何故なら、それは私たちの思考と自然との間の関係についての正しい観点から出発しているからです。ニュートンにはこの観点がありませんでした。もちろん、私はゲーテの色彩論におけるすべての側面を擁護するつもりはありません。しかし、私が本当に擁護したいのはその「原理」です。とはいえ、彼の時代には知られていなかった色彩現象を導き出すためにゲーテの原理をここで使う、というのも私の使命ではあり得ません。いつの日か、ゲーテの理論に沿った色彩論を完全に最新の研究に基づいて書くための時間と方法に恵まれたならば、その仕事に取りかかるかも知れません。それは私の人生における最も価値ある仕事のひとつになるでしょう。この序論では、ゲーテの色彩論における彼の「思考方法」を科学的に正当化することに終始しなければなりません。次の節では、その内的な構造を明らかにするつもりです。参考画:色彩論 (第16章 2.元型的な現象 了)人気ブログランキングへ
2024年06月14日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 佐々木義之訳 1-61.ゲーテと現代科学 もし、真実を認識しているという感覚があるとき、正直に話す義務があるという感情が生じなかったとしたら、以下のページは決して書かれることはなかったでしょう。現在の自然科学の方向性を見れば、その分野の専門家たちによってそれがどのように評価されるかについて疑問の余地はありません。これらのページは、「内情に通じた」人たちによって、遥か昔に解決された問題を蒸し返そうとする学者じみた試みとして記述されることでしょう。その件について言うべきことを持っている人たちの軽蔑的な意見について考えるとき、あまり抗弁したいとは思わないと認めざるを得ません。とはいえ、そのような反論を予想して尻込みするわけにはいきません。と申しますのも、私自身がそのような反論をしようと思えばできるからです。それは、それらがいかに有効でないかを私は知っているということでもあります。現代科学の意味で「科学的に」考えることは、本当はそれほど難しいことではありません。その点で、どちらかというと注目に値するケースとして、最近、エドゥアルト・フォン・ハルトマンの「無意識の哲学」が出版されました。強健なこの本の著者はその不完全さを最後まで否認することでしょう。しかし、私たちがそこで出会う思考の質は事の真相に迫るものです。より深い洞察への必要を感じているすべての人たちの上にそれが強い印象を残したのはそのためです。けれども、概してそれに反対している、より皮相的な自然科学者たちにとって、それは苛立たしいものであることが判明しました。その攻撃がそれほど成功していなかったとき、ある匿名の著者が「哲学並びに降下理論から見た無意識(1872年)」を出版しました。その著者は現代の自然科学の観点からそれに反対するために使えそうなあらゆる主張を持ち出して、新しい哲学を強く批判したのです。その本は大騒ぎとなり、学者たちはすっかり満足しました。彼らはその著者もその主張も彼ら自身のものであると断言したのです。ところが、その後、彼らが大いに落胆したことには、その著者は他ならぬハルトマン自身であることが判明したのです。これによって、あるひとつのことの確かな証明が提供されました。つまり、真剣に努力する人々が最新の傾向にまだ同調できないと感じるとき、それは、彼らが科学的な探求に無知であったり、素人であったりするからではなく、それらの傾向は間違った道を辿っていると考えているからであるということの証明が提供されたのです。哲学にとっては、意識的に現代科学の立場を取ることは難しいことではありません。ハルトマンは、見ることに吝か(やぶさか)でない人にそれを示したのです。私がこのことに触れたのは、私が述べたことに対して提起される可能性がある反論そのものを私が定式化することは容易であるという私の以前のコメントを裏づけるためです。現在では、ものごとの本質に関して真剣な哲学的考察を行う人は誰であれ、学者じみている、と考えられる傾向があります。単に世界観を持っているだけで、機械論的な(あるいは、もっとましな言い方をすれば、実証主義的な)確信を持っている私たちの同世代人から、少し理想主義的な傾向があると見られるのです。この意見は、これらの実証主義的な考え方の持ち主たちが「物質の本質」、「認識の限界」、「原子の性質」等々について語るのを聞き、彼らの無知がいかに絶望的であるかが分かるとき、容易に理解できるものになります。そのような話によって、基礎的な科学的事象に対する彼らの素人的なアプローチを研究する機会が十二分に提供されるのです。私たちは、現代の自然科学により、技術の分野において達成された力強く見事な成果にも関わらず、これらのことすべてを認める勇気を持たなければなりません。そのような技術的な成果は、自然を理解したい、という真の願いとは関係がありません。それは私たちが評価し始めることすらできないような未来にとって意義のある発明を行いながら、深い「科学的な」あこがれに欠けている私たちの同時代人たちの中に見てきたことです。その力を技術的に用いるという目的をもって自然の過程を観察することと、それらの本質をより深く理解するという目的をもってそれらの過程を研究することは全く異なっています。真の科学は、探求する精神が「いかなる外的な目的もなしに」それ「自身」の必要を満足させることを求めるときにだけ存在します。言葉の最も高次の意味で、真の科学とは、客観的なアイデアを扱うものであり、「理想主義以外のものではあり得ません。」何故なら、それは結局のところ精神的な必要に根ざすものだからです。自然は解決を要求する問題を私たちの中に目覚めさせますが、自分ではその答えを与えることができません。自然が、私たちの認識への能力を通して、より高次の領域に直面するとき、そのような新しいチャレンジが生じます。このより高次の特質を有していない存在にとって、そのような疑問は生じることさえないでしょう。ですから、答えはこのより高次の本性そのものを通してのみ得ることができます。基本的に、科学的な疑問とは、問いを発する存在が自分で折り合いをつけるべき問題なのです。その精神が、それらの問題によって、それ自身の領域を超えたところへと導かれることはありません。そうではなく、その精神が安らぎ、生きて織りなす領域とは、アイデアと思考の世界なのです。言葉の最も高次の意味で、科学的な活動とは、考えることの中で生じた疑問を思考の中で思いついた答えを通して取り扱うということを意味しています。結局のところ、あらゆる科学的な試みは、このより高次の使命に仕えるという機能を持っているのです。科学的な観察について考えてみてください。それはそれ自体がアイデアの性質を有する自然法則の理解へと私たちを導く、と思われています。現象の背後で支配する法則を探そうとする衝動は精神から生じます。そして、精神的な存在だけがこの衝動を感じることでしょう。観察について言えば、私たちはそれで本当は何を達成しようとしているのでしょうか。実際、感覚的な観察によって、精神が作り出した疑問に答えを見つけることができるのでしょうか。それは全く無理です。結局のところ、もし、精神が本当にそれで満足するのであれば、どうして二度目の観察が最初の観察よりもさらに大きな満足を私たちに与えるのでしょうか。つまり、一度の観察で十分なのではないでしょうか。本当は、その観察が二度目であるかどうかが問題なのではなく、むしろ、それは観察のための理想的な基盤を見つけるかどうかの問題であり、観察が理想的な説明を与えるにはどうすればよいのかということが問題なのです。それを可能とするために、私はどのように「考え」たらよいのか。私たちが感覚の世界に出会うとき、私たちのところにやってくる疑問とはそのようなものです。私は私の精神の奥底から感覚の世界には欠けていると思われるものを引っ張り出してこなければなりません。私は、感覚的な領域に出会うとき、私の魂がそれに向けて奮闘するところのより高次の本質を私自身で創造しなければなりません。それを私のために行ってくれるものは他には何もありません。科学的な結果は精神からしかやって来ることができません。そのため、それらは「アイデア」でなければならず、それが生じるのはそれ自身の必然性からであるということに議論の余地はありません。あらゆる科学の理想的な性格がそれによって裏づけられます。現代の自然科学は、正にその本質から、認識はアイデアによって特徴づけられる、ということを信じることができません。それはアイデアを、最初の、最も原初的な創造作用としてではなく、むしろ、物質的なプロセスの最終的な「産物」として眺めます。これらの物質的なプロセスは、感覚を通して観察することができる世界に属しているけれども、より深く理解されるならば、自らをアイデアの中へと解消する世界である、ということに科学は気づいていないのです。観察されるべきプロセスとは次のようなものです。私たちは機械論的な法則にしたがって現われる事実、熱、光、磁気、電気、最後に生命プロセスやその他ものが現われるのを私たちの感覚を通して知覚します。それは生命という最高のレベルにおいて、人間の脳に担われた概念、あるいはアイデアの形成へと上昇するということが分かります。私たちは私たち自身の自我がこの思考の領域から現われるのを見ます。これは物理的、化学的、そして有機的なものにまでずっと続く一連のできごとを通して仲介される複雑なプロセスの最高の産物であるように見えます。しかし、私たちのアイデアの世界、それは自我の本質ですが、それを調べてみるならば、このプロセスの単なる最終的な産物「以上」のものが見い出されます。この思考世界の個々の側面は私たちが単に観察するだけのプロセスの各部分とは全く異なる仕方で関連しているということが分かるのです。ある考えが私たちの中に生じ、それによって別の考えが呼び出されるとき、それら二つの考えの間の関係は、例えば、私が一片の布の染色とその原因となる化学染料との間に観察する関係とは非常に異なる性質のものです。脳内の神経プロセスにおける一連の段階はその源泉を代謝系の中に有しており、私の思考を支えているのは正にその代謝系である、というのは全く当然のことです。けれども、ある思考が別の思考に「続く」理由はその代謝系の中には見出されないでしょう。これを見出すことができるのはただ思考そのものの間の論理的な関係性の中においてのみです。このように、思考の領域では、有機的な必然性だけではなく、「より高次の、理想的な性質」の必然性が支配していますが、精神はそのアイデアの世界の中に見出されるのと同じ必然性を宇宙における他の場所にも求めます。この必然性が私たちに生じるのは、私たちが単に「観察する」だけではなく、「考える」からなのです。言い換えれば、観察を通してだけではなく、考えることを通してものごとを理解するときにはいつでも、それらはもはや単にそれらの事実関係を通して私たちに現れるのではなく、内的かつ理想的な必然性によっても関連づけられることになります。このことに意義を唱えるために、もし、この世界の事物が、その本性から、そのような理解を許さないものであるとしたら、思考を通して感覚的な世界を理解しようとすることに意味はないのではないかと問うことはできません。この問いが可能となるのは、私たちがものごとの核心に到達し損ねるときだけです。アイデアの世界は私たちの内部で生命へと流出し、私たちが感覚を通して知覚する対象に出会い、そして尋ねます。私と私が直面する世界との関係とはどのようなものなのか。私にとってその世界とは何なのか?私は移ろう現実の上にそびえる私の理想的な必然性とともにここにあり、私の内には私自身を説明するための力があるが。どうすれば私が私の外で出会うものを説明できるのだろうかと。ここで私たちは、繰り返し持ちだされてきた重要な問い、例えば、それをあらゆる哲学的な思考の中軸として記述したフリードリッヒ・テオドール・ヴィッシャー(1807-1887)のような人によって持ちだされてきた問いに対するひとつの答えを見出します。それは精神と自然との間の関係についての問いです。互いに分離しているように見えるこれらふたつの形態の間の関係とはどのようなものなのでしょうか。それが正しい仕方で問いかけられるならば、その問いに答えるのは人が考えるほど難しいことではありません。結局、それは何を意味しているのでしょうか?その問いは精神と自然の両方を超えた優位な立場から理解しようとする第三者によって問いかけられるようなものではありません。そうではなく、それが問いかけられるのは、それらふたつの存在の内のひとつ、精神そのものによってです。精神がそれ自身と自然との間の関係を見出そうとしているのです。これは、私はどうすれば私が出会う自然との関係を確立できるのか、と問うのと同じです。私はどうすれば私の中に生きている要求と一致する仕方でこの関係を表現することができるのか。私はアイデアの中に生きているが、どのような種類のアイデアが自然に対応し、私が自然として思い描くものをどうすればアイデアとして表現できるのか。これはまるで間違った問いかけをすることによってしばしば満足のいく答えへと続く道を塞いでいるようなものです。しかし、正しい問いは半分の答えです。精神はいたるところで単に観察によって与えられる一連の事実を超越する道を追求し、「事物のアイデア」へと貫き至ろうとしています。科学は思考が始まるところから始まります。一連の事実として私たちの感覚に現れるものは科学の結果によって理想的な必然性として表現されます。それらの結果は上記の過程の最終的な産物として現われるだけですが、私たちは実際にそれらを全宇宙におけるあらゆるものの基盤として考えなければなりません。それらが私たちの観察においてどこに現れるかはどうでもよいことです。何故なら、それらの意義はそれらがどこで観察されるかには依存しないからです。それらの理想的な必然性は掛け値なしに全宇宙に広がっているのです。私たちはどこからでも始めることができます。もし、私たちが精神的な力を十分に有しているなら、最終的には「アイデア」へと至ることでしょう。現代物理学がこのことに気づき損ねる限り、それはあらゆる間違いの連続へと導かれることになります。例として、そのような間違いのひとつを指摘してみましょう。物理学者たちによって「物体に共通した特徴」のひとつとして典型的に記述されるものの定義、つまり「慣性」の法則について考えてみましょう。通常、それは次のように記述されます。外的な原因の結果としてそうなる場合を除き、いかなる物体もその現状における動的な状態を変えることはできない。この定義によれば、不活性な物体の概念は感覚の世界から抽出されたものであるという印象を受けます。そして、ジョン・スチュワート・ミル (John Stuart Mill)、彼はこの問題について探求することは決してありませんでしたが、ある人為的な理論を証明するために、あらゆるものをひっくり返してしまいました、その彼であれば、とりあえずそのように説明することをためらわないでしょう。しかし、それは正しくありません。不活性な物体の概念は純粋に概念的な構築を通して生じます。空間中に広がる何かを「物体」と呼ぶとき、私は、外的な影響によって変化を受ける物体と、それら自身の自発的な力によって動く物体とについて考えることができます。ですから、もし、私が外的な原因がなければ変化できない「物体」についての私の定義に合致する何かを外的な世界の中に見つけるならば、私はそれを「不活性なもの」、つまり、慣性の法則に従うものと呼びます。私の概念は感覚の世界から抽出されたものではなく、ひとつのアイデアから自立的に構築されたものであり、このアイデアの助けによってのみ私は感覚の世界の中で自分を方向づけることができます。したがって、その定義は次のように記述されなければなりません。その動きの状態を自ら変化させることができない物体は不活性であると。一度この定義に合致する物体を見つけるやいなや、私は不活性な物体に適用されるあらゆることがらをその物体に適用することができます。参考画:John Stuart Mill (第16章 1.ゲーテと現代科学 了)人気ブログランキングへ
2024年06月13日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)特注-記;神智学及び人智学における人間本質の階層 我々の通常一般世界での文化や宗教(*公教)の多くは、人間の構成を肉体を持つ身体と霊魂の二構成として捉え、その因子までを肉体と霊魂の二元論で考えます。対して、秘教や神秘主義的思想の多くは、「霊」と「魂」を分けて、霊・魂・体の三元論で考えます。ギリシャ哲学なかでも新プラトン主義やインド哲学などのいくつかの伝統では、更にもっと多くの階層的構造を基盤とします。とりわけ、それらを統合した近代の神智学、人智学では七階層で捉える傾向多くは好みます。ここではブラヴァツキー夫人に始まる神智学とルドルフ・シュタイナーの人智学における、人間本質の階層論について紹介します。プラトン、アリストテレスの階層論では、上位と下位は形相性の有・無で正反対の性質を持ちすが、究極的な神秘体験は、実体験からすれば「形」を感じないことが一般的です。そのような実体験を持っていた新プラトン主義のプロティノスは、プラトン哲学を継承しながらも、最上位の存在「一者」を「無相(無形相)」であるとしました。然し乍ら、「一者」が下位の秩序の根拠となり、固定する性質を持つ点は変わりません。プラトン以降のアカデメイアでは、様々な階層論がありましたが、クセノクラテスは「イデア」を「ヌース(霊的知性)」として捉えていました。それを受けつつ、プロティノスは、「一者/ヌース/魂」という階層を考え、それを定着させました。プロティノスは、「一者」から生み出された「ヌース」は、最初は「形相」を欠いた暗い素材的存在でしたが、「形相」を超えた「一者」を振り返って認識することで、光として「形相」を受け取り、形付けられると考えました。プロティノスの最上位の「一者」が「無相」であるなら、その点では、最下位の純粋な「質料」と同じです。つまり、この上下の極が同じで、この点で階層が対称となっています。ですが、最上位が「形相」の創造者、根拠であるのに対して、最下位は「形相」を受容者である点で、両者は異なります。新プラトン主義のイアンブリコスは、「ヌース」を、「存在/生命/知性」という三段階に階層化しました。これは、プロティノスが考えた、「認識対象/認識作用/認識主体(内容)」を捉えなおしたものです。といっても、ここには階層の上下対称性の考え方が潜在しています。新プラトン主義の大成者であるプロクロスは、それを理論化して、階層の上下対称性を、極だけではなく全体に広げました。プロクロスは、魂、限定すれば人間の魂、中でもプラトン言う魂の気概的部分を階層の中心にします。そして、アリストテレスの「動物/植物/無生物」の本質を、「知性/生命/存在」として捉えます。これは、イアンブリコスの「ヌース」の三階層の本質を、下位に折り返した形になっています。プロクロスの上下対象の階層論は、近代の神秘主義者であるシュタイナーの階層論にも見られます。プラトン、アリストテレスの階層論は、概念的(理念的)な知性を重視するものであるため、イメージや想像力、象徴をあまり評価しません。ですが、多くの神秘主義思想、特に魔術的な思想においては象徴的なイメージが重視されますし、啓示的な宗教でも、それらはヴィジョン(幻視)として与えられるものなので重視します。そのため、神秘プラトン主義でも、魔術に傾倒したポリピュリオスは、予言に関わる神的な想像力を重視しました。また、啓示宗教であるイスラム教の神秘主義哲学者も、それを重要しました。ペルシャ人のスフラワルディーは、イデア界に相当する恒星天と、動・植物魂に当たる惑星天の間に、神的・象徴的イメージの世界である「中間世界」を置きます。つまり、この象徴的なイメージ、創造的想像力の「中間世界」は、通常のイメージや想像力とは別のものなのです。そして、この位置は、「霊的知性(直観的知性)」の世界の下ではありますが、日常的な概念的思考やイメージの世界の上なのです。象徴的なイメージ、創造的想像力の段階を、上下対象の階層論に当てはめると、概念的意識の段階を中心にして、その下位のイメージの段階を、上に折り返した場所として考えることができます。これにぴったりと当てはまるのは、シュタイナーの「アストラル体」を折り返した「生命霊」でしょう。シュタイナーの階層論では、この段階は「霊視的」認識とも表現され、さらにその上は「霊聴的」、その上は「合一的」認識とされます。象徴やイメージ(心像)は視覚に限定されませんが、「中間世界」に対応するのは「霊視的」段階でしょう。視覚的なものより聴覚的なものを上にするのは、密教も同じです。密教では、聴覚的なマントラも視覚的な尊格の姿形(イメージ)も象徴性を持ちますが、マントラをより根源的なものとします。これは、マントラの方が視覚的イメージより形相性を脱しているからでしょう。例えば、密教の代表的な行法の「五現等覚」では、「虚空」から「光源(月輪)」→「放射光(日輪)」→「象徴的な音(種字)」→「象徴的な意味(三摩耶)」→「象徴的な視覚イメージ(仏身)」の順に観想して尊格を現します。つまり、形象的視覚よりも象徴的意味の直観、さらに聴覚、光の感覚をより根源的と考えます。もちろん、霊的感覚は、通常の日常的対象の感覚とは違うものなので、ここに書いたのは共感覚的な表現です。神智学におけるブラヴァツキー夫人はバラモン系のサーンキヤ哲学や、ヒンドゥー哲学の3シャリーヤ(三身)説、5コーシャ(五鞘)説などの階層論の影響を受けています。一方、シュタイナーは、神智学と共に、新プラトン主義のプロクロスの階層論の影響を受け、人間の本質を1904年の「神智学」、1906年の「神智学の門前にて」、1907年の「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘学概論」などでまとめて述べています。シュタイナーは、下記のように人間の9本質を考えます。1 霊人(アートマ) :インツゥイツィオーン認識(合一的直観)2 生命霊(ブッディ) :インスピラチオーン認識(霊聴的霊感)3 霊我(マナス) :イマギナチオーン認識(霊視的想像力)4 意識魂 :霊我と一体になった魂5 悟性魂(自我・私) :覚醒意識(人間的・対象的意識)、思考力 6 感覚魂 :アストラル体と一体になった魂7 アストラル体(魂体):夢の意識(動物的意識)、感覚・感情8 エーテル体(生命体):睡眠意識(植物的意識)、形成力9 肉体(物質体) :昏睡意識(鉱物的意識)三分説では、1から3が「霊」、4から6が「魂」、7から9が「体」です。そして、4と3、6と7が一体なので、実質的には7本質となります。5が「自我」だと言う場合、この「自我」は日常的な「自我」ですが、目覚めた「自我」は、5と4が一体の「自我」と捉えられます。また、5の「自我」を中心にして、上下が対象の構造になっています。つまり、「自我」は7から9を感覚によって知覚しそれを言語化し、1から3を直観によって知覚しそれを言語化します。そして、7、8、9、8は、それぞれに、3、2、1が変化したものであるとも言うことができます。「自我」を3「霊我」で満たすと、それが7「アストラル体」を照らし、それによって「自我」が「アストラル体」を支配することで、そこに「霊我」が現れるのです。つまり、「アストラル体」を意識化して働きかけることで、その部分が「霊我」になるのです。こうして、「アストラル体」は変化していない部分と、変化した部分(霊我)から構成されるものになります。2と8、1と9の関係も同様です。この上下対称性は、ブラヴァツキー夫人の神智学にはありません。ただ先に書いたように、プロクロスときわめて類似しています。然し乍ら、シュタイナーがプロクロスについて語っているのを知りませんし、プロクロスには下位のものが上位のものに変化するという関係はないと思われます。「魂」は「体」を通した「体験(印象)」を「表象」に作り変え、それを「霊」に受け渡すと、「霊」はそれを「能力」に変換して成長します。また、シュタイナーは、「人間は思考存在であって、思考から出発するときにのみ、認識の小道を見つけることができる」と言い、「悟性魂」が行う「思考」を重視します。ですが、単なる「抽象的思考」は超感覚的認識の息の根を止めると言います。「生きた思考」が、超感覚的認識の土台を築くのです。超感覚的認識というのは、「魂」、「霊」の諸感覚で、それぞれ、魂的、霊的存在を直接、知覚します。思考を「生きた」ものにするには、外界に対して偏見を排して帰依する態度で、自分自身を空の容器にして、事物や出来事が自分に語りかけてくるように、外部のものに思考内容を作り出させることが必要です。シュタイナーは、霊界の法則が思考存在としての私自身の法則と一致している時、はじめて私は霊界の法則に従うことができると言います。そのような「魂」の中の不死なる部分、真・善を担うのが「意識魂」です。そして、「私」として生きる霊は、「自我」として現れるから「霊我」と呼ばれます。また、独立した霊的人間存在が「霊人」で、「霊人」に働きかける霊的生命力、エーテル霊が「生命霊」です。ちなみに、動物の「自我」はアストラル界に1つの種類の動物の1つの群魂という形で存在します。同様に、植物の「自我」は低次の神界に、鉱物の「自我」は高次の神界に存在します。シュタイナーの歴史観によれば、「太陽ロゴス」である「キリスト」が、ゴルゴダの秘跡で「地球霊」になって以降、「意識魂」を育てる時代になりました。シュタイナーは、ブラヴァツキー夫人と違い、アフラ・マズダをこの「太陽ロゴス」と同じものと考えます。シュタイナーはマズダ教(ゾロアスター教)に従い、神智学はより古いミトラ教に従っている点が、二人に大きな相違を生んでいます。シュタイナーによれば、睡眠時、「自我」と「アストラル体」は、「エーテル体」と「肉体」から離れます。また、夢を見る時には、「アストラル体」が、夢無状態より、より「エーテル体」と結びつきます。睡眠時の「アストラル体」は、宇宙的なアストラル界から法則を受け取り、それをエーテル体の建設に使います。死後の人間は、まず、「肉体」を脱ぎ、次に「エーテル体」を脱ぎ、最後に「アストラル体」を脱ぎ、それぞれの「死に体(態)」はやがて消滅します。アストラル体を脱ぎ捨てた後は、霊界を認識してその世界を体験しますが、また、地上世界にも働きかけて、それを変化させます。その後、やがて、霊界から流れてくる諸力を受けて、「新しく」アストラル体を形成し、再生します。※エーテル体(エーテルたい、英: etheric body)は、神智学の『シークレット・ドクトリン』では、「魂の体、創造主の息」であり、ソフィア・アカモートが最初に顕在化した形態、7つの粗大順の物質(4つは顕在化し3つは未顕在)のうち最も粗大で塑性の物質であり物質の骨格であるとしている。アストラル光とも。初期の霊的世界において蛇として象徴されたものであり、ギリシア語の「ロゴス」に相当し、厳密にはアイテールとエーテルは異なるが、物質が存在する前は、現在のアーカーシャやアイテールと同様の「父であり母」であったと説明している。また、活力体、生気体 (vital body) とも呼ばれる。人智学で知られるルドルフ・シュタイナーは、生命体 (Lebensleib)、生命力体 (Lebenskraftleib)、形成力体 (Bildekr?fteleib) とも呼称しました。現代物理学いうところの、エーテルという言葉は19世紀の自然科学で提起された光を伝達する仮想上の媒質の名称として記憶されており、現在では不要な概念となっています。一方、シュタイナーは、エーテル体でいうところのエーテルは物理学とは関係のない別の意味の言葉として用いられていることを強調していることには注意が肝要です。。 (挿入参考文了)参考画:霊人(Atman)人気ブログランキングへ
2024年06月12日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第15章 感覚的な知覚の主観性について 佐々木義之訳 私がこの解説を書こうとしているのは、単に、ゲーテの作品集には彼の色彩論が適切な序論とともに含まれなければならないという理由からではありません。そうではなく、それは明晰性に対する私自身のより深い必要性から来ています。私自身も数学や物理学を研究することから始めましたが、自然に関する私たちの現代的な観点に含まれる無数の矛盾が、それらの方法論的な基礎の批判的な検証に取りかかるよう、私に強要したのです。以前の私の研究は厳密に経験論的な認識の方向に私を導きました。しかし、それらの無数の矛盾への私の気づきが、厳格で科学的な認識論を要求したのです。私の経験論的な出発点はヘーゲルの純粋に概念的な体系に立ち戻ることから私を守りました。私が、私の認識論的な研究の助けによって、最終的に見出したのは、現代の自然科学における多くの間違いの源泉は単純な感覚知覚に帰せられる間違った機能であるということです。今日の科学はあらゆる感覚的な特質(音、色、熱等々)を主観に帰し、それらの主観を超えた特質に対応する唯一のものは物質の動きであると仮定します。もちろん、そのような動きの過程、この「自然の領域」に存在する唯一のものであると主張されるものはもはや知覚することができません。それらは主観的な特質から推測されることになります。しかし、この結論について注意深く考えてみるならば、その矛盾が明らかになります。動きの概念は、さしあたり感覚的な世界から借りてきたものです。つまり、私たちがそれに出会うのは感覚的な特質を有する事物の中においてのみです。私たちは感覚的な対象物を通してでなければ、動きの経験を有することはありません。もし、私たちがこの推論を感覚的に知覚不可能な実体、不連続な物質の要素、あるいは原子がそのようなものであると推定されるものにまで拡張するとすれば、私たちは実際、この概念を拡張することによって、感覚を通して知られることになる特徴を非常に異なった、知覚不可能な存在形態に移し替えているということに気づかなければなりません。空虚な原子についての概念の中にとりあえず実際的な意味を見出そうと試みるとき、私たちは同様の矛盾に直面します。それがどんなに昇華されたものであったとしても、それに感覚的な特質を付与するという以外の選択肢はないのです。ある科学者は原子を突き通すことができないもの、あるいは力として記述し、別の科学者はそれを空間中における拡張性等々に。いずれにしても、感覚的な領域から借りてきた何らかの特徴を有するものとして記述します。そして、これらの特徴がなかったとすれば、私たちの概念は全く意味がないものであったでしょう。ここにあるのは首尾一貫していないものです。私たちは、知覚的な世界の真ん中に沿って線を引き、一方の側を客観的、他方を主観的であると宣言します。私たちが首尾一貫しているためには、もし、原子がそもそも存在しているとすれば、それらは単に物質の粒子であり、物質的な特徴を有している、それらが私たちに感知できない唯一の理由はそれらの微小なサイズがそれらを私たちの感覚にはかからないものにしているからであると言わなければならないでしょう。これによって、原子の動きを何か客観的なものとして音や色のような主観的な性質に対置する可能性が除かれます。動きと、例えば赤という知覚との関係では、完全に感覚の領域の内部にあるふたつのできごとが見出されるだけであるということもまたこれによって保証されます。その結果、この作家には、エーテルの動き、原子の位置等々は感覚的な知覚そのものと同じ範疇に属しているということもまた明らかになります。感覚的な知覚を主観的なものとして特徴づけるのは単に曖昧な思考の結果に過ぎません。もし、私たちが、感覚的な特質は主観的である、と主張するのであれば、それはエーテルの動きによるものであると言わなければならないでしょう。もし、私たちがエーテルの動きを知覚できないとすれば、それは原則のせいではなく、単に私たちの感覚が十分繊細に組織されていないからにすぎません。けれども、それは単に外的な状況による、偶発的なものに過ぎません。人間が感覚器官をますます洗練させることによって、いつかエーテルを知覚することが可能になるということは大いにあり得ることです。もし、人々が、遥かな未来において、「感覚の主観性というドグマ」を最終的に受け入れているとすれば、ちょうど今日の人々が色や音などを主観的なものであると宣言するように、彼らはエーテルの動きもまたそうであると宣言しなければならないでしょう。お分かりのように、この物理学的な理論はあり得ない矛盾へと導きます。感覚的な知覚は主観的なものであるという観点は「生理学的な考察」によっても支持されます。生理学が私たちに告げるのは、感覚は私たちの体の外にある機械的な過程が感覚器官の中の神経末端に伝えられ、そこから中心の神経系に伝えられ、そこで最終的に知覚を引き起こすことによって生じるということです。この理論の矛盾点については、この本の別の箇所(第17章)で記述しています。この過程で唯一主観的であると呼べる側面は脳実質の内部における動きの形態です。私たちがその仮定を主観の中で探求するとき、どこまで行っても、やはり機械的な領域の中に留まります。そして、知覚が脳の中に見出されるということは決してないでしょう。ですから、知覚の主観性と客観性について明確にするには、「哲学的な」考察に頼る以外、私たちに選択の余地はありません。そのような考察は次のような考えに導きます。知覚に関して、「主観的」というのは正確には何を意味しているのでしょうか。ひとつの概念としての「主観的」ということを正確に分析しない限り、私たちはどこにも行きつくことはできないでしょう。主観性が決定づけられ得るのは、もちろんそれ自身によってだけです。主体によって決定づけられることが証明されないようないかなるものも主観的であると呼ぶことはできません。私たちは今、人間的な主体に属するものとして記述できるものとは何かと問わなければなりません。それは、内的あるいは外的な知覚を通して、人が個人的に経験することができるものだけです。私たちは、外的な知覚を通して、私たちの体的な構成を探求することができ、内的な知覚を通して、私たちの思考、感情、そして意志を理解することができます。外的な知覚の場合、私たちは何を主体的なものとして分類するのでしょうか。多分、人によって多少異なる感覚器官と脳を含む私たちの体的な構成全体です。私たちがこのようにして見出すのは、私たちの知覚を仲介するような実質の特別な配置と機能です。この場合、主観的な側面に含まれるのは、知覚が、私の知覚、と呼ばれ得るまでに辿るべき道筋だけです。私たちの組織が知覚を伝達し、それらの道筋が主観的なのです。しかし、知覚そのものはそうではありません。では、内的な経験について考えてみましょう。私がある知覚を私自身のものとして記述するとき、私は内的に何を経験しているのでしょうか?私は私が思考を通してその知覚と私の個体性とを結びつけ、私の意識がその知覚を包含する方向で拡張するのを観察します。けれども、その知覚の「内容」を産み出すことに関する意識は私にはありません。私は私自身との結びつきを確立するのであって、その知覚の特質はそれ自身に根ざす要素なのです。私たちがどこから出発するにしても、つまり、それが内からであれ外からであれ、ここには知覚の主観的な特徴があると言うことができる地点には決して到達することができないのです。主観性の概念を知覚の内容に適用することはできません。これらの考察は、知覚された世界の領域を道義的に「越えて」行くような自然についてのいかなる理論も不可能であると考えるよう私に強いるとともに、感覚的な世界を自然科学の唯一の対象として思い描くように私を導いたものです。次に、私は私たちが自然法則と呼ぶものをこの感覚の世界の相互依存性の中に探さなければなりませんでした。これによって、私はゲーテの色彩論の根底に横たわる科学的な方法についての観点へと導かれました。これらの考察に同意する人たちは、今日の普通の科学者の目とは非常に異なる目をもってこの色彩論を読むことでしょう。本当は、それはゲーテの仮説とニュートンのそれとの間の衝突の問題ではなく、現代の理論物理学を容認できるかどうかの問題だということが彼らには分かるでしょう。もし、それが受け入れられないのであれば、いずれも色彩論に関するそれの観点とはなりません。この後の章では、読者の皆さんは私たちが物理学の理論的な基礎として見るものに精通するようになるでしょう。これはゲーテの作品を正しい光の下で眺めるための基礎を提供するはずです。 (第15章-了)記:現代物理学では、エーテル という言葉は19世紀の自然科学で提起された光を伝達する仮想上の媒質の名称として記憶されており、現在では不要な概念となっている。一方、シュタイナーは、エーテル体でいうところのエーテルは物理学とは関係のない別の意味の言葉として用いられていることを強調している。ルドルフ・シュタイナーは、自然界に存在する「四つのエーテル」を発見し、それらの働きを考察しました。四つのエーテルは、熱エーテル、光エーテル、音エーテル、生命エーテルと呼ばれ、それぞれに次のような働きがあるとされています。熱エーテル:感覚界に時間を生み出す光エーテル:空間をつくり出す音エーテル:分離しているものを結びつける生命エーテル:一つの統一体をつくり出す(*生命力)参考画: 植物エーテル体人気ブログランキングへ
2024年06月11日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第14章 ゲーテの気象学上のアイデア 佐々木義之訳 彼の地質学でも見てきたように、ゲーテの実際の業績を気象学への彼の直接的な貢献として見るのは間違っています(R.シュタイナーによる注:彼の「気象学概論」の中の「自己評価」と題された項参照)。彼は彼の気象学的な実験を完成させることは決してありませんでした。私たちにあるのは彼の観点だけです。彼の思考はいつも「プレグナントな(示唆に富んだ)」点を求めており、一連の現象はその光の下で自ら自然にまとまるもののはずでした(「ひとつの天才的な言葉による重要な助け」参照)。様々な現象の秩序だった配列を説明するために外的かつ偶然の要素を当てにするようないかなる説明も彼の心を満足させられなかったでしょう。彼は、何らかの現象に出会ったとき、ひとつの完全な全体を把握できるようにするため、同じ領域に属するあらゆる同様の、そして、関連する事実を求めました。あらゆる規則的なものの内的な必然性。実際、関連する現象の輪全体の内的な必然性がそれを通して明確になるような原則がその輪の中に存在しているはずでした。この輪の「内部に」現れるものを説明するに際して、その外側に横たわる条件を持ち出すのは彼には不自然なことのように思えたのです。これは彼が気象学のために打ち立てた原則の鍵となるものです。私は、そのような定常的な現象の原因を惑星、月、あるいは未知の大気の潮流に帰するのは十分ではないということにますます気づくようになりました・・・。私たちはすべてのそのような影響を拒絶します。地上における気象現象は宇宙的な事象でも惑星的な事象でもありません。私たちはそれらを、私たちの土地にしたがって、純粋に「地球の」現象として説明しなければなりません(「気象学概論」)。ゲーテは大気現象をそれらの地上的な原因にまで遡って辿りたいと思っていました。それには先ず、その他のあらゆるものを決定づける基本的な法則性を表現する特別な点を見つける必要がありました。そのような現象を提供したのが気圧計です。ゲーテはそれを元型的な現象と見なし、他のあらゆる事象をそれに結びつけようとしました。彼は気圧計の上昇や下降を追跡することを試み、その中に一定の規則性を観測したと考えました。彼はルードヴィッヒ・シュロンのデータ表を研究することによって、「水銀柱の上昇や下降は、異なる場所においても、ほとんど平行したコースを辿り、観測が行われる緯度や経度や高度に影響されない」ということを見出しました。彼はこの上昇と下降を重力の表現と考え、気圧計の変動の中に重力の特質の直接的な表現を見出したと信じていたのです。この説明にさらに何かを投影することに意味はありません。ゲーテは仮説を立てることを拒否していました。彼は観察された現象だけを表現したいと考えていたので、現代の自然科学のように実際の原因となる要素を探すことはありませんでした。他の大気現象は「この」特別な現象によって整理されると考えていたのです。ゲーテが最も興味を抱いていたのは雲の形成についてです。彼は絶えず変化するそれらの形態の中に一定の本質的な配置を区別し、そのことで、「変動する外観の中に生きるものを持続的な思考の中にしっかりと捉える」方法をルーク・ハワード(1772-1864)の理論の中に見い出しました。参考画:Luke Howard 彼は、ちょうど葉の典型的な形態の変容を説明する方法を植物の「精神的な階梯」の中に見つけたように、雲の形成における変容を理解するための方法をまだ探し続けていたのです。彼が気象学の領域において様々な変容をそれによって結びつけた「精神的な階梯」とは、様々な高度における大気の質的な違いでした。植物と雲のいずれの場合にも、ゲーテはその「精神的な階梯」が実際に実体的なものであると推察するような夢想家では決してありませんでした。彼は、感覚に関する限り、空間中における実際の現実として見ることができるのは個別の雲の形成だけであって、いかなるより高次の説明的な原則も精神の目のためにのみ意図されたものであるという事実に十分に気づいていました。ですから、今日、ゲーテを反駁しようとする試みはしばしばドンキホーテが風車に立ち向かうようなものとなります。人々は、彼が彼自身、彼の原則から排除した現実の形態を彼の原則に帰することによって、彼を打ち負かしたと思っているのです。しかし、彼がその基盤として考えた現実の形態、客観的で具体的なアイデアは現代の自然科学には見知らぬものに留まります。ですから、この関連で、今日の科学には、ゲーテ自身が未知なるものに見えるに違いありません。 (第14章-了)人気ブログランキングへ
2024年06月10日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第13章 ゲーテの地質学上の基本原則 佐々木義之訳 ゲーテを見つけることが全くできないところで彼を探すということがよくあります。ゲーテの地質学的な探求の評価においては特にそうでした。他のどの場所にも増して、ここでは彼が書いたあらゆるものを背景へと退かせ、彼の意図が前面に出てくるようにする必要があるでしょう。彼は、「人間の仕事を見ると、そして、自然の仕事もそうですが、私たちが特別な注意を払うに値するのはその意図です(散文の中の韻)。」という、そして、「我々がそこから働くときの精神こそが最高のものなのだ(ウィルヘルム・マイスターの修業時代)。」という彼自身の格言にしたがって評価されるべきです。見習う価値があるのは彼が成し遂げたものというよりも、彼がそれを達成するためにどのように働いたかということ、つまり、それは彼の方法論であって、彼の個々の理論ではありません。ゲーテが成し遂げた個別のことがらは彼の時代の個々の手段に依存しており、今では時代遅れとなっています。ゲーテの方法論は彼の精神の偉大さから生じたものであり、たとえその間に科学的な機器が完成されたものとなり、経験の幅が拡がったとしても、それが有効であることに変わりありません。ゲーテが地質学へと導かれたのは彼の公的な任務の一側面となっていたイルメナウ鉱山との関わりを通してでした。カール・アウグスト大公が権力の座に着き、長く見捨てられていた鉱山に専心するようになりました。専門家たちまずはその衰退の原因をつきとめようとしました。その後、あらゆる手段をもって、その再開が図られました。ゲーテはカール・アウグストの補佐役として精力的に仕事に着手し、自分で情報を集めるため、しばしばイルメナウ鉱山に入りました。1776年5月以降、彼は何度もそこで見かけられるようになりました。これらの「実際的な」関心事のただ中で、彼はそこで観察することができたものへと貫き至る自然法則をよりよく理解するという科学的な必要性をも感じていました。彼の心の中でますます明確に形づくられていた自然に関する包括的な観点により、彼は眼前に広がっているものに対する彼自身の説明を見出すように強いられたのです(彼の随筆「自然」参照)。ゲーテの特質が特別なものであることに私たちは初めから気づかされます。彼の関心事は多くの研究者たちのそれとは異なっているのです。他の人たちにとって、最大の関心事は個別のことがらを知るということです。そして、アイデアの大建造物、ひとつのシステムへの関心は、それが個別のことがらを観察するために彼らの役に立つ限りにおいて存在しています。ところが、ゲーテにとって、個別のことがらは単に彼が存在についての包括的な概念に向けて進むときのひとつの通過点に過ぎません。彼の随筆「自然」には、「彼女(自然)は多くの子供たちの中に生きている、そして、彼女は、母親はどこにあろうか。」とあります。そして、彼の「ファウスト」の中に見出されるのは、単に直接存在するものではなく、例えば、「すべての種子、すべての活動的な力を見ようとする」彼のあこがれについてファウストが語るときのように、それのより深い基盤を理解しようとするところの同様の苦闘です。ですから、彼が地表や地下で観察するものは、世界生成の謎へと貫き至るためのもうひとつの手段なのです。1789年12月28日付けの手紙で公妃ルイーズに「自然の働きはいつでも神によって新たに語られた言葉のようです」と書き送ったことによって、彼のあらゆる探求が生き生きとしたものになります。彼にとって、感覚的な経験はその中に創造の言葉を読み取ることができる精神となるのです。1784年8月22日に、ゲーテはこの趣旨で、フォン・シュタイン夫人宛に「『偉大で美しい記述』はいつでも解読できますが、人々が彼らの瑣末な考えや限界を無限の存在に移そうと努力するときに限って判読不能になるのです」と書き送っています。「ウィルヘルム・マイスター」の中で表現された「もし、私がこれらの裂け目やクレバスを私が解読すべき文字として扱うとしたら、もし、私がそれらを言葉に変換し、それらを読むことを学んだとしたらどうでしょうか」という言葉にも同様の傾向が見出されます。こうして、私たちは詩人が1770年代終盤に始まったこの記述の解読に向けて休みなく働くのを見ることになります。彼は観察された別々の事物の間に必然的な内的関連を見ることを可能にするような観点を発達させることに努めました。彼の手法は、「発展させ、展開することであり、組み立て、秩序づけることではありませんでした。」花崗岩、斑岩等々を眺めて、それらを外的な特徴にしたがってアレンジするだけでは彼には不十分だったのです。彼はあらゆる鉱物形成の根底に横たわる法則を追求しました。例えば、どのようにして花崗岩はここで、斑岩はそこで形成されるのかを理解するためにだけ彼はそれを必要としたはずです。彼はまず区別した後、統合する側面を探しました。1784年6月12日、彼はシュタイン夫人宛に「私が自分で紡ぎ出した単純な糸がこれらすべての地下宮殿のすばらしい案内役となり、乱れがあるところでさえ、私にひとつの概観を与えてくれます」と書き送っています。彼が探していたのは、それにしたがってある鉱物はここで、別の鉱物はそこで産み出されるような様々な条件下で顕現するところの共通の原理でした。彼は、彼の経験に照らして最終的と言えるようなものは何もなく、唯一変わることのない要素とはあらゆるものの根底に横たわる「原理」であると考えていました。その結果、彼はいつもある種の鉱物から別の鉱物への「移行」の中に没頭していましたが、それは、自然がその存在におけるひとつの特殊な側面だけを現し、「場合によっては行き止まりになっている」ような明確に形成された産物においてではなく、それらの移行において、意図、あるいは生成的な傾向をはるかに容易に認識することができるからです。現代の地質学が鉱物種の間でそのような移行があることを何も知らない点を指摘することでゲーテの間違いが証明される、と考えるのは間違いです。ゲーテは決して花崗岩が実際に何か別のものに移行すると主張したのではありません。一度花崗岩になってしまえば、それで終了し、完成された産物となり、何か別のものになるための内的な形成力はもはやありません。そうではなく、ゲーテは今日の地質学が欠いている何か。花崗岩が花崗岩になる前の、それを形成する「アイデア」、あるいは原則を探していたのです。そして、それはあらゆる生成の根底に横たわるアイデアと同じものです。ゲーテがある鉱物から別の鉱物への移行を論じるとき、彼は「実際の」移行ではなく、あるときは「この」形態を取って花崗岩になり、次には「別の」可能性を表現して粘板岩になるというように、様々な仕方で自らを表現する客観的なアイデアを意味していました。ゲーテの観点は具体的なアイデア主義(*制作の規範を自然の個別性,偶然性をこえた理想美におく立場。自然主義あるいは写実主義 ) に対立する態度)であり、何らかの粗野な変成理論ではありませんでした。けれども、この鉱物形成の原則がその中に横たわるものすべてを十分に表現するのは総体としての地球内部においてのみです。したがって、ゲーテにとって主要なことは地球の形成です。そこでは、個別のものは各々の場所を見出さなければなりません。彼は、それぞれの鉱物形成がいかにして全体としての地球の内部にその場所を見出すかということに興味を持ちます。彼が個別のものに興味を持つのは全体の一部としての個別に対してのみです。結局のところ、ゲーテにとって正しいと思われる鉱物学上の地質体系とは、地球のプロセスを模したものであり、何故、事物があれこれの特別な場所で生じるかを示すものです。彼にとって決定的な要素は、「どこで」そして「いかにして」ある種の岩石の形成が行われるかということです。ゲーテは他の点ではヴェルナーの仕事に対して大いなる敬意を払っていましたが、鉱物の分類に関しては、それらがどのようにして生じるかを私たちに告げるそれらの成り立ちにしたがってというよりも、むしろ偶然に生じる外的な特徴にしたがってそれを行う点で彼を非難しました。「完全なる体系づけは科学者によってではなく、自然そのものによってなされる。」ゲーテは総体としての自然をひとつの偉大で調和的な王国と見なしていたということを私たちは思い出さなければなりません。彼は、自然におけるあらゆる事物はある単一の傾向によって活発にされると主張しました。彼によれば、もし、事物が似ているとすれば、それはそれらが同じ法則にしたがっているからであるということでなければなりません。彼は、地質学的な現象には無機的な力以外の要素が働いているということを認めることができませんでした。何故なら、それらは本質的に無機的なものに他ならないからです。「ゲーテが地質学に関連して最初に行ったのは、無機的な法則の活動をその科学へと拡張するということでした。」この原則は彼がボヘミアの山々やポツオリにあるセラピス寺で観察された現象を理解するのに役立ちました。地球の死せる地殻はその他の物理現象の中で働いているのが見られるような法則と同じ法則にしたがって生じたと考えることによって、彼はそれに原則を導入しようとしていたのです。ゲーテはジェームズ・ハットン(1726-1797)やエリー・ド・ボーモン(1798-1874)の地質理論に内的に反発していました。彼があらゆる自然の秩序に違反していると考えていたそれらの理論をどうすることができたでしょうか。地殻の隆起や沈降理論のようなものはゲーテの「平穏な性質」と矛盾するというような言い方は陳腐です。そうではなく、それが矛盾していたのは「統合された」自然法則についての彼の感覚とでした。彼はそれらを自然に対応するひとつの観点へと適合させることができなかったのです。彼は既に(1782年)、この感覚を通して、数十年後に至るまでプロの地質学者たちによって認められることのなかった観点、つまり、化石になった動物や植物はそれらが埋められている石と何らかの関係を有しているという観点に至っていました。ヴォルテールは、それらの石について、まだ自然の「遊び心のある産物」として語っていたのですが、それは彼が自然法則の一貫性についての概念を欠いていたからです。ゲーテによると、何らかの特別な場所に見出されるものは、その環境との単純で自然な結びつきを見出すことができるときにのみ理解できます。同様の原則はまた氷河期についての実り多いアイデア、「地質学的な問題とそれらを解明する試み」へとゲーテを導きました。彼は、広い地域に分布する花崗岩の塊についての単純で自然な説明を追求するに当たり、それらは遠く離れた山々の雑然とした隆起によってそこに放り投げられたという説明は拒絶されなければならない、何故なら、それは既に存在し、よく知られた自然法則の「例外」、実際、その放棄の結果として自然の事実を説明するからであると感じました。彼はその代わり、かつて北ドイツ全体が千フィートの深さの水の塊で覆われており、その大部分は凍っていた、そして、その氷が解けたとき、その花崗岩の区画が後に残されたと考えました。この説明は私たちが自分で経験することができる公知の自然法則に基づくものでした。地質学に対するゲーテの貢献は自然法則の首尾一貫した働きについてのこの認識です。彼がカマーベルクをどのように説明したかは、カールスバッドの鉱泉についての彼の説明が正しいかどうかは問題ではありません。「私は意見を押しつけようとしているのではなく、誰でも選択すれば使うことができる道具としての方法を提供しようとしているのです。」(ゲーテからヘーゲルへ、1820年10月7日)参考画:ゲーテの地質学 (第13章-了)人気ブログランキングへ
2024年06月09日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第12章 ゲーテと数学 佐々木義之訳 科学にとってのゲーテの意義を公平に評価しようとするときの大きな障害のひとつは彼と数学との関わりに関する偏見です。これは二重の偏見です。第一に、ゲーテは数学的な科学の敵であり、人類の認識にとってのその重要性を大いに過小評価していたと信じられています。第二に、詩人は数学的な背景を欠いており、その不能さゆえに自然科学の物理的な側面に対するいかなる種類の数学的なアプローチも避けていたと主張されています。私たちは、最初の点に対して、ゲーテは数学的な科学に対するはっきりとした称賛を繰り返し表明しており、彼がそれを低く評価していたと言うのはほとんど意味がない、ということを強調しなければなりません。実際、彼はすべての自然科学が数学の持つ厳密な特徴をもって遂行されるのがより好ましいと思ったはずです。私たちが数学から学ばなければならないのは、あるものが以前のものからどのように続いているかを絶えず把握しながら、ものごとをその正しい順序で入念に配置するということです。そのようにして、私たちは、たとえ計算を用いないときでも、あたかも最も厳密な幾何学者にそれを説明しなければならないかのように、私たちの仕事に取りかかります・・・。私は数学の反対者、敵と呼ばれてきましたが、一方で、私以上にそれを高く評価することができる者は誰もいませんでした。ゲーテの特質に対してなにがしかの洞察を有する人にとって、第二の非難を真剣に取り上げるのはほとんど不可能です。ゲーテが繰り返し懸念を声にしていたのは、使命を帯びていながらその使命が自分たちの能力の範囲内にあるかどうかを決して考えることのない問題の多い人たちの仕事についてです。私たちは、ゲーテ自身がこの教訓を破った、彼は数学者としての彼自身の限界を考慮することなく彼の科学的な観点を発達させたと信じるべきなのでしょうか。ゲーテは、真実に続く道は無数にあり、私たちはそれぞれの個的な能力に最も適した道を進むことができるということを知っていました。私たちはそれぞれ私たち自身のやり方で考えなければなりません。何故なら、私たちはいつも私たちの人生の助けになるような何らかの真実であるもの、あるいは一種の真実をその途上で見出すからです。主要なことは、流されるのではなく、自制心を保つということ・・・。私たちは誰も私たちの個的な能力や技能の範囲内で仕事をすることで完全であることはできません。しかし、私たちがこの不可欠の節度から逸脱するとき、最も繊細な特質が曇らされ、無効にされます。(散文の中の韻)ゲーテは何かを成し遂げようとしてその知識を超えた分野に関わったはずだと主張するのは馬鹿げたことです。数学の使命とその自然科学への貢献とがどこから始まるかを決定するというのが主要な点であり、ゲーテはそれに対してきわめて慎重な注意を払いました。彼の創造力の境界を規定するということで彼の正確さを超えていたのは彼の天才としての深みぐらいのものでした。ゲーテの科学的な思考についての唯一のコメントが、彼は論理的な心的能力を欠いていたということであるような人たちのために、私たちは特にそのことを指摘したいと思います。数学の科学としての「特質」に関する深い理解は、ゲーテが彼自身の自然科学の方法と数学の方法との間に区別をつけたその仕方によって明らかとなります。彼は数学的な確実性の源泉を正確に知っており、数学の法則と他の自然科学の法則との間の関連について明確な概念を形成していました。ひとつの科学が認識にとって何らかの価値を持ち得るためには、まずは現実における特定の領域に対する洞察を提供しなければなりません。それは世界の特定の側面を発達させなければなりません。それが「どのように」なされるかは、それぞれの科学の精神によります。自然科学により計算を用いることなく達成され得るもの、あるいは達成され得ないものを決定するために、ゲーテは数学の精神を知っていなければならなかったはずです。これは本当に重要な点です。そして、ゲーテはその点をとても強調していました。彼が数学の本質を理解していたことはこれからも明らかです。数学の本質についてもう少し詳しく考えてみましょう。数学が取り扱うのは大きさです。つまり、量を決定するということです。しかし、大きさはそれ自体では存在しません。人間の経験におけるどの領域を探しても「単に」大きさであるものは存在しません。事物におけるあらゆる特徴の中には、何らかの数で記述され得るものがあります。数学は量的な要素に関わりますから、その対象は決して完成された現象ではなく、測定されたり、数えられたりできるような側面になります。それはそのような操作にかかり得るあらゆるものを現象から分離します。そして、抽象の世界全体を手に入れた後、それに働きかけることへと進みます。ですから、数学は、事物というよりも、事物を測定に適うものにするところのその側面を取り扱います。そして、それが認めなければならないのは、それは現実の「一側面」に過ぎず、そのコントロールが及ばない他の多くの側面があるということです。数学的な判断は、現実の対象物を完全には包含せず、私たちが完全な現実からその「ひとつの」側面として自ら概念的に分離するところの抽象性という知的な領域の中でのみ有効なのです。数学は事物の大きさと量を抽出します。それは大きさや数の間の理想的な関係を確立し、それによって、純粋な思考の領域へと上昇します。現実の対象物は、それが定量化される程度に応じて、数学的な真実が適用されるのを許容するのです。しかし、数学的な判断は自然をその全体性において包含し得ると信じるならば、それは大いなる誤りでしょう。「自然は単に量であるばかりではなく、質でもあります。ところが、数学は自らを量に限定するのです。」数学的な処理と質的な処理とは共に働かなければなりません。それぞれが一方の側から現象に接近しながら、その中で出会うのです。ゲーテは次のように述べて、この関係を表現しました。数学は、弁証法と同様、私たちのより高次の能力のための器官です。その実践は、修辞法と同様、芸術です。いずれの場合にも、形態が唯一の判断基準であり、内容は問題になりません・・・。数学が何ポンドあるいは何ギニーのどちらを加えるのか、修辞法が真実あるいは虚偽(のどちら)を擁護するのかは、それらにとって全くどうでもよいことなのです。(散文の中の韻)そして、ゲーテはその「色彩論の概要」の中で次のように述べています。「数学、最も素晴らしい人間の能力のひとつが、「ひとつの特別な側面」から、非常によく物理学に貢献したことを誰が否定できるでしょうか。」ゲーテはこのことを認めていたので、数学的な素養がない心でも、もし、その心が自らをその量的な側面に限定するならば、物理学における問題を取り扱うことは可能であると見ていました。 (第12章-了)記:ゲオルク・フェルディナント・ルートヴィッヒ・フィーリップ・カントール(Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor/1845年 - 1918年)は、ドイツで活躍した数学者。「数学の本質はその自由性にある」と主張しました。この言葉の通り、この世に存在するあらゆる事象は数学の対象になります。数学は、複雑な事柄から普遍的な法則を引き出し、また逆に簡単な原理から理論を展開し深化させる学問です。更には現代物理科学の言う「量子もつれ」は、無時間的な相互関係なので、仏教的に表現すれば「縁起」です。神秘主義思想が宇宙全体を一つの生命としてみなすように、宇宙は自身の結びつきを深めていきます。参考画:Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor人気ブログランキングへ
2024年06月08日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説~並びに、精神科学(人智学)の基礎~(GA1)第11章 他の観点と比較したゲーテの思考方法 佐々木義之訳 過去の思索家の理論やゲーテの知的発達に影響を与えた同時代人たちの理論は彼の観点のための基礎として役立ったのではありません。ゲーテの思考形態や方法、実際、正に彼が世界を眺めるその仕方は、彼の生来の資質によって形成されたのです。それは彼の幼少期からその人生を通して変わることはありませんでした。ここで注目に値するのはゲーテの主要な性格の中の二つのものです。ひとつはあらゆる存在の源と深みへの彼の渇きです。結局のところ、それは彼のアイデアに対する信念でした。ゲーテは絶えず何かより高いもの、より良いものの兆候に満たされていました。それを彼の性格の深く宗教的な側面と呼ぶことができるかも知れません。多くの人が必要と考えることがら、つまり、ものごとを彼ら自身のレベルにまで引き下げたり、あらゆる神聖なものをそれらから奪い取ろうとしたりする衝動は彼とは無縁のものでした。「彼が必要としたのは何か別のこと、何か高次のものを感知し、それに向かって努力するということでした。」彼はあらゆるものの中に何らかの尊敬できる側面を探し求めました。カール・ユリウス・シュレーアーはゲーテの愛の生活に関連して、魅力的な仕方でこのことを示しました。ゲーテはあらゆる軽薄な、また表面的なことを追い払いました。そして、彼にとって愛はひとつの献身の形となったのです。彼は彼の存在におけるこの基本的な性格を彼自身の言葉で美しく表現しています。我々の胸の内に波打つ純粋なあこがれ我々自身を自由に、そして感謝を込めて何か「より高次のもの、より純粋なもの、知られざるもの」に与えようとするものそれを我々は献身と呼ぶことにしよう。 (愛の三部作「エレジー」)ゲーテという存在のこの側面は別の側面と分かちがたく結びついています。彼は決してあのより高い存在に直接接近しようとはせず、自然を通して接近しようとします。「真実は神性に似て、決して直接現われようとはしない。我々はそれをその顕現を通して直観しなければならない」(散文の中の韻)。彼のアイデアへの信頼に加えて言えることは、ゲーテはアイデアが達成されるのは外的な現実を観察することによってであると信じていたということです。彼は絶えず自然の働きの中に神的な要素を見いだそうとしました。彼にとってそれ以外のところに神性を求めることは思いもよらないことでした。その少年時代においてさえ、ゲーテは自然と直接結びついた(「詩と真実」、第1冊、パート1)偉大な神のための祭壇を打ち立てました。そのような儀式が生じたのは、私たちに到達可能な最高のものは、自然と私たちとの関係を忠実に育むことによって達成されるという彼の信念からでした。ですから、私たちが詳述してきた認識論はゲーテ生来の観察方法だったのです。彼は、すべての事物はアイデアの顕現であり、それは我々の感覚的な経験を精神的な観照にまで上昇させることによってのみ獲得されるという信念をもって現実に向かいました。この信念は子供時代に始まったものですが、彼の一部に、つまり彼の世界観における基本的な前提となっていました。いかなる哲学者であってもそのような確信をゲーテに与えることはできなかったでしょう。彼が彼らに求めていたのは何か別のものだったのです。彼の観察方法は彼の存在の深みに根ざしていましたが、彼はそれを定式化するための言葉を必要としていたのです。彼の本性は哲学的な仕方で働き、哲学的な形式で自己を表現しましたが、それは哲学的な前提があってはじめて表現し得るものです。そこで彼は哲学者たちに彼が何者で「あるか」について十分に気づいてもらうように、つまり、彼の中に生きる「活動」に気づいてもらうように配慮しました。彼は彼らが彼自身の存在を説明し、正当化するように気をつけたのです。彼がスピノザを研究し、同時代の哲学者たちと科学について議論したのはそのためでした。若き日のゲーテには、彼の内的なあり方を最も力強く表現しているのはスピノザ(1632-1677)とジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)であると思われました。いずれの場合にも、彼は彼らの作品に対する攻撃を通して彼らに出会ったのですが、それにもかかわらず、彼らの教えが彼自身の本性に関連していることに気がついたというのは特筆すべきことです。これは特にジョルダーノ・ブルーノの教えについて言えることです。彼はベイルの「歴史と批評の辞典」の中でブルーノに出会ったのですが、その中でブルーノは激しく攻撃されていました。それがゲーテに与えた影響は、彼がベイルを読んでいた1770年頃に考えられたファウストの各パートの中にブルーノの文章が言葉として響いているのが見出されるというほどのものでした。詩人は、日誌やノート(Tag- und Jahresheften)の中で、1812年にブルーノに戻ったと私たちに伝えています。そのときの印象はもっとさらに深く、その年に彼が書いた詩の多くにノラ出身の哲学者への同調が鳴り響いていました。しかし、これはゲーテが何か特定のものをブルーノから借りてきた、あるいは、学んだということではなく、むしろ、彼自身の本性の中にいつも生きていたものを定式化する方法を彼の著作の中に見出したということです。彼は、ブルーノの言葉を用いるときに最も明確に彼自身を表現できるということを見出したのです。ブルーノは普遍的な理性を「宇宙の創造者であり指導者」であると考えていました。彼は理性を、事物(「マテリア」)を「内から外へと」形成する「内的な芸術家」と呼びました。理性は存在するものすべてを生じさせます。理性が愛情を込めてそれに参加しないようなものは何もありません。ブルーノは、「それがどんなに小さく、脆いものであっても、それは精神的な実質の一部を含んでいる」、と述べています。このことは、私たちが何らかのことがらを判断するとき、普遍的な理性がどのようにしてそれをそこに置いたのか、そして、それはどのようにして私たちが出会うようなものになったのかを理解できなければ、私たちは正しく判断することができないというゲーテの観点と一致していました。感覚的な知覚は十分ではありません。それは私たちの感覚が事物の普遍的なアイデアに対する関連をより大きな全体にとってのその意義という意味で説明することに失敗するからです。ですから、私たちは、感覚が伝えるものを理解する上で理想的な基礎となるものを私たちの理性が構築するというような仕方で観察を行わなければなりません。私たちはゲーテが言うように「精神の目をもって見」なければならないのです。ここでもまた、彼はひとつの定式化をブルーノから借りてきます。我々は色や音を認識するために異なる感覚器官を用いる、同様に、芸術の基質や自然の基質を同じ目で見ることもない、何故なら、一方は感覚的な目で、他方は理性の目で見るのだから (同上)このことはスピノザについても当てはまります。彼の教えは、神性は十分に世界の中に入り込んでいるという考えに基づいています。人間は世界の中に飛び込むことによってのみ神を知ることを望むことができるのです。スピノザ的な観点から見れば、他のいかなる方法も不可能であるように見えますが、それは神が自分自身の存在を諦め、世界の外には見出され得ないからです。むしろ、私たちは彼がいる場所で彼を探さなければなりません。世界についての真の認識は、それがいかなるものであれ、神についての何らかの認識を私たちに提供するものでなければなりません。ですから、すべてのより高次の認識とは神との出会いなのです。私たちはそれを「注視する中での認識」と呼びます。私たちは事物を「神の流出」として知ります。私たちの心が認識する自然の法則は神の存在であって、単に神によって作られたものではありません。私たちが論理的な必然性として見るあらゆるものがそのようになっている理由は、神の存在、あるいは永遠の法則性が本来その中に備わっているからです。この観点はゲーテの琴線に触れました。彼は自然がそのあらゆる活動において、神を現していることを確信し、その信念を次のように非常に明確な仕方で表現しました。ゲーテは、当時、スピノザを別の光の下に提示しようとしていたフリードリッヒ・ジャコビに対して、「私は汎神論者(スピノザ)の神への尊敬にますます固執するようになっています」、と書き送っています。ここに存在しているのはスピノザとゲーテの親近性です。ゲーテの存在とスピノザの教えとの間のこの深く内的な調和はゲーテがスピノザに惹かれた表面的な理由、つまり、どちらも究極的な原因によって世界を説明することに我慢できなかったということを強調する人たちによって見過ごされてきたものです。実際、ゲーテとスピノザの両方がそれを拒絶したのはもっとずっと根源的な観点の結果でした。目的因の理論(目的論)について考えてみましょう。それは何らかのものの存在や特徴を何か別のものにとってのその有用性を定めることで説明しようとします。事物が一定の仕方で構成されているのは何か別のものの特定の特徴によるということが示されます。それは、世界の創造主がそれら二つの上に存在し、一方が他方の要求に合致するようにそれらを作ったと仮定しますが、もし、創造主がすべての事物の内部に存在しているのであれば、その説明は意味がありません。何故なら、そのとき、ある事物の性質はその「内部の」活動的な原則から生じなければならないからです。私たちがある事物の特質を調べるのは、それがある一定の仕方でそうなっていて、別の仕方でそうなってはいないからです。もし、私たちが、神性は各事物の内部に生きている、と信じていれば、その合法則性を説明するために何らかの外的な原則を探すなどということは思いもよらないことでしょう。ゲーテのスピノザに対する関係は、彼は彼自身の内的な世界を表現するための形式と科学的な言語をその作品の中に見出したという事実以外の説明を必要としません。ゲーテとその同時代人との関係を考察するとき、一般的には、現代哲学の創設者と考えられているイマニュエル・カント(1724-1804)について主として語られるべきでしょう。彼が生きていた時代には、教育のある人物であれば誰であれ彼と折り合いをつけることが求められるというような雰囲気がありました。この知的な出会いはゲーテにとっても必要でしたが、それは彼にとって無益であることが分かりました。カントの理論とゲーテの思考方法として私たちが語るべきこととの間には深い矛盾があったからです。実際、私たちは、ドイツのすべての思想は並行する二本の線、ひとつはカントの思考方法に浸透され、もうひとつはゲーテの考えに近い線に沿って走っていると躊躇なく言うことができます。現代の哲学がカントのそれに近づけば近づくほどゲーテからは離れていきます。ですから、ますますゲーテの世界観を理解したり、評価したりすることができなくなってきているのです。ここでは、ゲーテの観点に関連する範囲で、カント哲学の主要な点について述べることにします。カントによれば、人間の思考の出発点は経験、すなわち心理学的、歴史的な事実等々の形で私たちの内的な感覚がもたらすものを含むところの感覚に現れる世界です。世界は空間中の事物と時間的なプロセスの多様性から成り立っています。ある特定の対象が私に直面したり、あるいは、その特定のプロセスを私が経験したりすることは問題になりません。それは全く別のものであったかも知れないのです。実際、思考の中では、事物やプロセス全体の多様性を除去することさえできます。けれども、私は「空間」と「時間」のない世界を想像することはできません。私にとって空間的でも時間的でもないものは存在しません。たとえ、そのようなものが存在したとしても、私は空間や時間を欠くものを何も思い描くことができないので、それを認識することができません。私には、物自体が空間と時間の中に存在しているかどうかを知ることはできません。私が知っているのは、私が事物に出会うときのその形態とは私にとってどのようなものであるに違いないかということだけです。ですから、「空間」と「時間」は「私の」感覚的な知覚条件なのです。私は「そのようなものとして」の事物について何も知りません。私が知っているのは、もし、それらが私にとってそもそも存在しているのであれば、それらがどのようにして私に「現れる」に違いないかということだけです。これによってカントは新しい問題を導入しました。彼は科学に新しい種類の疑問を持ち込んだのです。以前の哲学者たちは事物の特徴を知りたいと思っていましたが、彼はいかにして事物は我々の認識の対象になるべく現われなければならないかについて知ろうとします。カントにとっての哲学とは世界についての人間の経験が可能となる条件に関する科学なのです。私たちは「物自体」について何も知りません。しかし、単に時空間中における対象の多様性を知覚するだけでは私たちの使命は成就しません。私たちはその多様性の中で統一性を創り出そうとするのですが、それはまた、私たちが直面する感覚的な世界を再構成された形態へと組織することを目的とするような活動の総体である知性の使命でもあります。知性は二つの感覚的知覚を、ひとつは、例えば、原因として、もうひとつは結果として、あるいはまた、ひとつは実質として、そして、もうひとつは性質として確定することによって結びつけます。ここでもまた、哲学的な科学の使命はいかなる条件下で知性は世界の体系を創造することができるかを示すということです。ですから、カントの意味での世界とは感覚世界と知性という形で生じる主観的な顕現なのです。私たちが確実に知ることができるのは、物自体が存在するということだけです。その顕現は私たちの有機的な組織に依存します。知性によって形成されたこの感覚世界は私たち自身の認識能力にとって意義があるという以上のことを仮定することは明らかに意味がありません。カントがアイデアの世界の意味について語るとき、それは最も明確になります。彼によれば、アイデアとは単に見晴らしのよい理性であり、私たちの知性が創り出すより低次の要素はそれに従属させることができます。例えば、私たちの知性は心理学的な顕現の間の結びつきを確立し、理性はアイデアへと向かう私たちの能力はそれらすべてが魂から輝き出ているかのように、それらの結びつきを把握します。しかし、それは実際の現実そのものにとっては何の意味もありません。つまり、それは私たちの認識能力にとっての単なる方向づけのための手段に過ぎないのです。これが、私たちがそれに興味を持つ限りにおいてのカントの理論哲学です。これとゲーテの哲学との対極性は明らかです。私たちは、カントによれば、与えられた現実を決定づけます。つまり、私たちがそれをそのように考えるからこそ、それはそのようであるのです。カントは実際には認識論的な問題をスキップしているのです。彼は「純粋理性批判」の最初のところで彼が正当化していない歩みを二歩進めますが、その結果、彼の哲学的な大建造物全体が被害を蒙ることになります。彼は単純に主観と客観の間を区別しますが、私たちの知性が現実における二つの領域、この場合には、認識する主体と認識される客体の間でそのような区別を行うという事実の重要性を検証することなくそうするのです。そして、彼はこれら二つの領域の間の相互関係を「概念的に」定式化しようとします。もし、カントがこの中心に位置する認識論的な問題を歪められた観点から眺めていなかったとしたら、主観と客観の間の区別は認識の過程における単なる中間段階であり、それら両方の下にあるのは理性によって知覚可能なひとつの統一体であり、私たちが事物に帰属させる性質は単に主観的なものではないということに気づいていたことでしょう。事物は理性によって構成される統一体であり、「物自体」と「我々にとっての物」とを区別するのは知性なのです。ある場合にはその物に帰属され、別の場合には拒絶されるかも知れないというのは全く容認できることではありません。同じものはあるひとつの観点から見ようが別の観点から見ようがひとつの統合された全体であることに変わりはありません。カントの哲学的な大建造物に忍び込んだ間違いは、感覚的に知覚可能な世界の多様性は何か固定されたものであり、科学はその多様性を体系化する点にその特徴を有するという彼の信念です。この多様性は、もし、私たちがそれを理解するならば、何らかの克服しなければならないような究極的なものではない、ということに彼は決して気づきませんでした。その結果、カントによれば、あらゆる理論は単に理性や知性によって経験の上につけ加えられたものであるということになります。彼にとって、アイデアとは、表面の多様性を打ち破った理性が所与の世界のより深い基盤として認識するものというわけではなく、どちらかというと現象の組織化を容易にする方法論的な原則です。カントによれば、もし、私たちが、事物はアイデアから概念的に導き出すことができると信じるならば、私たちは道に迷ってしまう、私たちは私たちのすべての経験があたかもひとつの統一体から生じる「かのように」それらを組織できるだけだということになります。彼によれば、事物がそれ自体で存在するときの基盤に関する概念を持つことは不可能なのです。事物についての私たちの知識は私たちのためだけに存在し、私たち個々人にとってのみ有効なのです。この観点から多くのものを得ることはゲーテにはできませんでした。彼の観点によれば、快不快の反応を含む私たち自身という意味での事物の観察が果たす役割はいつでも補助的なものです。彼が科学に期待したのは、事物が私たち自身との関係でどうなっているかを告げるということ以上のことだったのです。彼は、彼の随筆「主観と客観の仲介者としての実験」の中で、研究者の使命について記述していますが、彼らは彼ら自身の標準や基準を当てはめるのではなく、観察された事物の領域の内部からそれらを取り出してくるべきなのです。いかにカントの思考方法とゲーテのそれとが異なっているかを示すにはこの一文だけで十分です。カントは、事物についてのあらゆる判断は単に主観と客観の産物であって、主観が客観をどのように見ているかを告げるだけだと考えました。一方、ゲーテによれば、主観は無私の態度で客観の中へと入っていき、判断のための基準を事物自体の文脈の中から取り出してきます。ゲーテ自身が、カントの弟子たちについて、「彼らは確かに私の言うことを聞くことができたけれども、応じることはできず、何の役にも立たなかった」と述べています。詩人は、カントの「判断力批判」から得るものの方がずっと多いと感じていたのです。ゲーテは哲学的にはより報いるところが多い関係をシラーに対して持っていました。見るということについての彼自身の方法に対するゲーテの洞察はシラーを通して一歩前進したのです。よく知られているシラーとの会話に至るまで、ゲーテは世界を眺めるためにある特定の方法を実践していました。彼は植物を観察し、そこから個々の形態を導き出すことができるような元型的な植物を確立しました。彼の心の中で形成された元型的な植物、そして、同じく対応する元型的な動物は、関連する現象を説明するのに役立ちました。けれども、彼は決して元型的な植物の本質的な特徴とはどのようなものであるかについては考えませんでした。シラーはそれを「アイデア」と呼ぶことで彼の眼を開いたのです。それ以後、彼は彼の理想主義を意識するようになりました。それまで彼は元型的な植物を経験と呼んでいたのですが、それは彼がそれを自分の目で見たと信じていたからです。彼は彼の随筆「植物の変容」のために後に書いた序論の中で、「こうして私は元型的な動物を見出そうと努力したが、それは、結局のところ、動物の「アイデア」を意味していたのだ」と述べています。とはいえ、シラーがゲーテにもたらしたのは彼にとって見知らぬものではないということを私たちは心に留めておかなければなりません。むしろシラーがゲーテの認識方法を観察することによって初めて「客観的な理想主義」への道を見出したのです。シラーの貢献は、彼がゲーテの中に認め称賛した認識方法を記述するための用語にだけありました。ゲーテがフィヒテから受け取るべきものはほとんどありませんでした。その領域はゲーテのそれからはあまりにもかけ離れていたために、いかなる現実的な影響も及ぼさなかったのです。フィヒテは最も輝かしい仕方で意識の科学を打ち立てました。彼がそこで辿っていたのは人間の自我が所与の世界を思考の世界へと変容させる活動でした。彼は、所与のものに満足のいく形態を与え、断ち切られた所与のものの間に適切な結びつきを創り出す人間の自我について記述するところでやめておくこともできたのですが、自我の中で生じるあらゆることがらはその活動によって創造される、という間違った信念を持つに至りました。したがって、彼の観点はその内容全体を意識から取り出してくるような一面的な理想主義ということになっています。絶えず客観的なものを求めるゲーテが、フィヒテの哲学の中に、自分を引きつける多くのものを見出すことはあり得ませんでした。ゲーテはその中にある有効なものに対する理解を有していなかったのです。フィヒテがそれを普遍的な科学へと拡張するそのやり方には欠陥がある、と詩人が見ていたことは確かです。フィヒテの弟子であった若き日のシェリングとはずっと多くの接点がありました。彼は自我の活動を分析することへと進んだだけでなく、意識が自然を理解するときの意識内部の活動をも探求しました。自然の客観的な現実性、その実際の原理は、私たちの自然認識を通して、私たちの自我の中で自らを展開するとシェリングは見ていました。彼にとっての外的な自然とは私たちの自然についての概念が単に固化した形態であるに過ぎませんでした。理想的な自然観として私たちの中に生きているものが、私たちの外に、ただし、時空間の中に隔絶したものとして、再び現われるのです。私たちが私たちの外で自然として出会うものは生きた原理の完結した産物であり、決定づけられて硬化した形態です。この原理は外的な経験を通して達成されるのではなく、まず私たちの魂の中で創造されなければなりません。シェリングは彼の「自然哲学のためのアイデア」の中で次のように述べています。「自然について哲学するとは自然を創造することを意味する・・・単なる生産物としての自然(ナチュラ・ナチュラータ)は、我々が対象としての自然(あらゆる経験主義の関心事)と呼ぶところのものである。生産活動としての自然(ナチュラ・ナチュランス)は、我々が主体としての自然(あらゆる理論の関心事)と呼ぶところのものである・・・経験主義と科学の違いは、経験主義がその対象を存在しているもの、完成したもの、成し遂げられたものとして見るのに対して、科学はそれを成っている状態にあるもの、まだ生じつつあるものとして見るという事実にある。」。ゲーテがシェリングのこれらの観点について知るようになったのは、ひとつには、哲学者に個人的に会うことによってでしたが、それによって詩人はさらに一歩前進することになりました。今や、彼は、完成された産物から成っている状態にあるものへと、あるいは産み出されつつあるものへと発展するというのが彼の傾向であるということを理解するようになりました。私たちはこのシェリングとの共鳴を彼の随筆「先験的知覚による判断」の中で聞くことになるのですが、そこで彼が書いているのは、「創造し続ける自然を観察することによって」、彼自身が「自然の生産に精神的に参加する価値があるもの」となるように努めたということです。ゲーテが元型的な現象の位置づけを明確にするのを哲学的な観点から助けたのは、最終的には、ヘーゲルでした。ヘーゲルは元型的な現象の意味を深く理解し、1821年2月20日付けの彼の手紙の中でそれを次のように特徴づけています。「貴方はシンプルで抽象的なものを上に置き、適切にもそれを元型的な現象と呼びます。そして、いかに具体的な現象がさらなる影響や条件の結果として生じるかを示します。そして、最後に、プロセス全体を組織化することによって、一連のものが単純な条件からより複雑なものへと進み出るとともに、このランクづけと段階的な仕上げの結果として、複雑なものが十分な明晰さをもって現われるようにします。元型的な現象を追求すること、それを他の偶発的な周囲の条件から解き放つこと、私たちが言うところの「抽象性」においてそれを理解すること、それは自然についての偉大で精神的な理解によって達成されたものであり、この分野における認識の真に科学的な側面を表現するものである、と私は確信しています。私たちのために掲げられたこの元型的な現象に対して私たち哲学者が抱く特別な関心についても触れさせていただくならば、私たちはそのような精髄を確かに用いることができるということです。私たちには私たちの絶対的なもの、最初は、あまりにも得体が知れず、灰色か全く暗いものがあります。私たちはそれを光と空気の中にもたらそうと苦闘するのですが、今や芽生えつつあるそれに対するあこがれを完全に日の光の中にもたらすためには、窓を開ける必要があります。もし、私たちがそれらをあまりにも性急に世界の不愉快さの色鮮やかで混乱した仲間に引き入れるならば、私たちの計画は雲散霧消してしまうでしょう。閣下の元型的な現象が重用されるのはここにおいてです。すなわち、この二重の光、その単純さにおいて精神的かつ概念的、その官能性において可視的かつ明白な光―の中で、二つの世界、私たちの難解な世界と明白な存在性の世界が出会うのです。」。こうして、ヘーゲルがゲーテのために明確にしたのは、経験論的な科学者は元型的な現象に至る道をずっと辿っていかなければならない。そして、そこから先へは哲学の道がさらに続いているという考え方でした。けれども、これによって明らかになるのは、ヘーゲルの哲学における基本的な考え方はゲーテ的な思考形態の結果であるということです。ゲーテもヘーゲルも、外的な現実へと深く貫き至ることによってそれを超越し、それによって、創造されたものから創造するものへと、つまり、決定づけられるものから決定づけるものへと上昇するということが根本的なことなのだと考えます。もちろん、ヘーゲルは、その哲学の中で、すべての事物がそこから進み出てくるような永遠のプロセスを明らかにすることをひたすら望みます。彼は所与のものを彼が絶対的なものとして認識するものから結果として生じてくるものとして理解しようとするのです。したがって、ゲーテが哲学者たちやその哲学的な傾向に関する知識を持つようになったことは、彼が彼の中に既に存在していたものを理解する上で助けとなりました。彼自身の観点に関する限り、彼が何か新しいものを得たということではありません。そうではなく、彼が得たのはそれらについて彼が語るための手段、彼が行っていたこと、彼の魂の中で生じていたことを話すための手段だったのです。結果として、ゲーテの世界観は、哲学のさらなる展開にとって、無数の観点を提供しています。当初、ヘーゲルの弟子たちだけがそれらを把握していました。他の哲学は礼儀正しく距離を置いたままでした。詩人を深く尊敬していたショーペンハウアーだけは彼自身の哲学のいくつかの側面をゲーテの作品の上に基礎づけました。色彩論に対するショーペンハウアーによる賞賛については後の章で述べることにして、ここではショーペンハウアーの考えとゲーテのそれとの間のより一般的な関係に話を絞りたいと思います。彼はある一点に関してゲーテに近づきます。それは、彼が与えられた現象を外的な原因から導き出そうとするいかなる試みをも拒絶し、内的な合法則性の活動、ひとつの顕現から次の顕現へと一歩一歩進めるプロセスだけを認める点においてです。これは物自体の内部に説明の諸要素を見出すというゲーテの原則の名残です。しかし、この類似は見かけ上のものです。ショーペンハウアーは現象の領域の内部に留まるように私たちに求めますが、その理由は、私たちに与えられるすべての現象は実際には心的な表象であり、それらの表象は私たちを私たち自身の意識を超えたところにまで連れていくことはできず、それにとって外的なもの、私たちには手の届かない「物自体」を達成することは不可能だからです。他方、ゲーテは現象に留まろうとしますが、それは彼がそれらを説明する要素を実際に現象自体の中に見出すことを期待しているからです。最後に、ゲーテの観点をエドゥアルト・フォン・ハルトマン(Karl Robert Eduard von Hartmann/1842-1906年)のそれと比較してみましょう。参考画:エドゥアルト・フォン・ハルトマン彼の科学的な観点は私たちの時代において最も重要なものとなっています。この著者による「無意識の哲学」は大いなる歴史的重要性を有しています。後の著作では、その最初の本の中で単に概観されていただけのものが洗練され、多くの点で新しい素材がつけ加えられました。この作品は全体として私たちの時代の精神的な特質全体を反映しています。ハルトマンが自らを傑出したものとしているのは、その賞賛すべき心の深さと様々な科学についての彼のすばらしい熟達を通してです。彼は現代の知的成果における最先端の位置にいます。彼の偉大さを十分に認めるために彼に同意する必要はありません。「無意識の哲学」だけしか知らない読者はハルトマンとゲーテの観点がいかに近いかを理解することはできないかも知れません。彼らの接点が見えるようになるのはハルトマンが後に発展させた彼の原理から引き出された彼の「結論」においてのみです。ハルトマンの哲学は理想主義です。彼は理想主義者「以上の」ものであろうとしますが、世界についての彼の説明が何か絶対的なものを求めるときには、彼はいつでもアイデアに訴えます。彼はあらゆる事物の根底に横たわる基本的な現実としてのアイデアを最も重要なものとして考えています。無意識についての彼の仮定は、私たちの意識の中にあるアイデアは必ずしもそのすべてが意識的な形態に結びつけられているわけではない、という事実に基づいています。アイデアはそれらが意識されているところにのみ活動的に存在しているのではなく、他の形態においても存在します。アイデアは主観的な現象以上のものであり、それら自体として、それら自体で重要です。アイデアは決して主観の中にのみ存在しているのではなく、客観的な世界の原則なのです。ハルトマンが世界の形成原理にアイデアとともに意志を含めたとしても、それでも、あらゆる概念は単に意識の主観的な現われであるとする信念を極限にまでもたらしたショーペンハウアーの単なる追随者として彼を眺める人たちのことを理解するのは困難です。ショーペンハウアーに関して言えば、アイデアが現実的な原則として世界の形成に参加した可能性は問題になりません。彼の観点では、意志「だけ」が世界の基本となっています。これは、ハルトマンがその原理をあらゆる科学の領域にまで追求していったのに対して、ショーペンハウアーがその哲学との関連で様々な分野の科学をうまく発展させられなかった理由です。ショーペンハウアーは歴史の豊かさについて、それが意志の顕現であるということを除いて、何も述べていません。他方、ハルトマンはあらゆる歴史的な現象の中心にアイデアを見出し、人間進化におけるより大きなプロセスの中にそれを組み込みます。ショーペンハウアーは個別の存在や現象には興味がありません。何故なら、彼がそれらに関して言うべき唯一重要なこととはそれらが意志の表現であるということだけだからです。ハルトマンはそれぞれ個別のことがらを把握し、いかにアイデアが至るところに見出されるかを示します。ショーペンハウアーの世界観の本質的な特徴は画一性であり、ハルトマンのそれは統一性です。ショーペンハウアーは世界を空虚で画一的な衝動から導かれたものとして眺めます。ハルトマンは世界をアイデアの豊かな内容から導かれたものとして見ます。ショーペンハウアーは抽象的な統一性を仮定する一方、ハルトマンは一つの原則としての具体的なアイデアを仮定しますが、その統一性は、あるいは、むしろその自己調和性は、ひとつの特徴であるに過ぎません。ショーペンハウアーは決して、ハルトマンが行ったようには、歴史哲学、すなわち宗教の科学を創造しませんでした。ハルトマンは「理性はアイデアの形式的、論理的な原則であり、意志と分かちがたく統合されることによって世界の過程を例外なく制御し、決定づけている」と述べています。このことによって、彼は自然や歴史のあらゆる顕現の中に私たちの思考によって(たとえ私たちの感覚によってではないにしても)把握され得る論理的な中心点を求めるようになりました。この前提を受け入れる人たちだけが、アイデアという意味での思考を通して、世界を理解したいという願いを正当化することができるのです。ハルトマンの客観的な理想主義は総体的にゲーテの世界観という基盤の上に立っています。ゲーテは「我々が意識するようになるものすべて、話すことができるものすべてが正にアイデアの顕現なのだ」(「散文の中の韻」)と述べています。そして、彼は人々に、アイデアが彼らに見えるようになる程度に応じて、外的な世界が感覚に明らかになるのと同様に、認識に対する彼らの能力を発達させることを要求します。こうして、彼は、単なる意識の顕現としてのアイデアというよりも、それが客観的な世界の原理となるような基盤の上に立っています。世界は私たちの思考の中で稲妻のように点火するものによって客観的に形成されるのです。アイデアに関しては、私たちにとってそれが意識のレベルで何を意味しているかということではなく、それがそれ自体で何であるかということが重要なのです。すなわち、それはそれ自体の存在性によって世界の根底に横たわる原理なのです。こうして思考はそれ自体として存在するものを意識するようになります。アイデアというのは、意識なしには現れることができなかったとはいえ、意識の中へのその現われというよりも、私たちのそれについての意識がそれに対して何ら貢献することのないその本来の特徴という意味において、それはそれ自体として存在しているというのがその主な特徴であるというような仕方で理解されるべきものです。ですから、ハルトマンによれば、私たちはアイデアを、その意識の中への現われは別にして、世界の根底に横たわる活動的な無意識として見なければならないということになります。ハルトマンの本質的な貢献は、アイデアはあらゆる無意識的なものの中に求められなければならないという点にあります。とはいえ、意識的なものを無意識的なものから区別するだけでは不十分です。この区別は「私の意識」にとってだけ意味があります。私たちはアイデアをその客観性と十全性において追及しなければなりません。アイデアが有効「である」ということだけではなく、その有効な主体の性質とは「どのような」ものであるかをも知っていなければなりません。もし、ハルトマンが、アイデアは無意識的なものであると断言することで満足していたとしたら、そして、この無意識、アイデアのひとつの特徴であるその意味で世界を説明するとしたら、そのとき、彼は抽象的な形式に基づいて世界を説明する多くの理論にひとつの統一的な理論をつけ加えたに過ぎなかったでしょう。実際、彼の最初の主要な著作はこのことを完全には免れていません。しかし、ハルトマンの考えは非常に集中的かつ深遠なものであったので、アイデアを無意識的なものとして定義するだけでは不十分であるということを理解しないままにはしてはおきませんでした。私たちはむしろ私たちが無意識的なものとして認識するものの中にさらに深く入っていかなければなりません。つまり、私たちはその特徴を超えて、その具体的な内容を決定し、そして、そこからその個別の顕現を導き出さなければならないのです。ハルトマンはこのような仕方で「無意識の哲学」の頃にはまだそうであったような抽象的な一元論者から具体的な一元論者へと進化しました。ゲーテが元型的な現象、型、そして、「厳密な意味でのアイデア」という三つの形態で取り組むのは「具体的な」アイデアなのです。私たちがゲーテの世界観でハルトマンの哲学の中にも見出すような側面とは、私たちがアイデアの世界の客観的な特性を意識するようになると、その気づきに応じて、それに没頭するようになるということです。客観的なアイデアを追求するようにハルトマンを動機づけたのは彼の無意識の哲学でした。アイデアの本質はその意識性に基づいているのではないということに気づくや否や、彼は、アイデアとは一つの客観的な現実としてそれ自身で存在するような何かであるということもまた認めざるを得なかったでしょう。彼がゲーテと異なっているのはアイデアに加えて意志を世界の形成原理として眺める点です。けれども、この意志のモチーフはハルトマンの哲学における真に実り多い側面とは関係がありません。彼の意志に関する仮定は、アイデアはそれ自身の上に安らいでおり、活動的になるためには意志によって促されなければならないという彼の考えから生じています。ハルトマンによれば、意志だけでは決して創造的にはなり得ないのですが、それはそれが存在へと突き進む空虚で盲目的な原動力だからです。意志が「何か」を存在へともたらすことができるためには、それに先立って、アイデアが役割を果たさなければなりません。何故なら、それだけがその「内容」を提供することができるからです。とはいえ、意志はどのようにして扱うべきものなのでしょうか?私たちがそれを把握しようとする瞬間、それは私たちから逃げ出してしまいます。何故なら、空虚で意味のない衝動を捕まえることは不可能だからです。ですから、私たちが世界の原則として把握することができる唯一のものとはアイデアであるということになります。「把握できるのは内容と意味に満たされたものだけ」であって、意味を持たないものではありません。「意志」の概念が把握されるためには、アイデア的に意味があるものとして現われなければなりません。つまり、それはアイデアとともに、アイデアを通して、現われることができるだけであって、単独で現われることはないのです。存在するものは何であれ「内容」を有していなければなりません。つまり、すべての存在は満たされたものでなければならず、空虚であることはできません。このことはゲーテがアイデアを「活動的」で効果的なもの、さらなる推進力を必要としないものと考えた理由です。意味に満ちた何らかのものが意味を持たないものからその顕現に向けた推進力を受け取ることはあり得ません。ですから、アイデアとは、ゲーテの意味では、「エンテレキー」、つまり、活動的な存在として理解すべきものです。そして、私たちはまずそれをその活動的な形態から抽出するとともに、意志として再導入しなければなりません。純粋な意志という考えは経験主義的な科学にとっても意味がありません。ハルトマンは具体的な現象を取り扱うときにはそれを用いません。記:entelechy(エンテレキー)は哲学用語であり、「潜在的なものを現実にする」という意味があります。参考画:Aristotle's concept of entelechy ハルトマンとゲーテとの近縁性はその倫理においてより一層明確です。エドゥアルト・ハルトマンは、あらゆる幸福への努力―あらゆるエゴイズムの追求―は倫理的に無価値である、何故なら、それらは満足へと導き得ないから、と考えます。エゴイズムから行為することは、ハルトマンによれば、幻想から行為するということです。私たちは世界によって私たちに割り当てられた仕事を把握し、無私の態度でそのためにだけ働くようにしなければなりません。私たち自身のために何かを得ようとするのではなく、私たち自身をそのために捧げる、というのが私たちの目的であるべきなのです。これはまたゲーテの倫理における根本的な特徴でもあります。ハルトマンは彼の道徳的な理論、つまり、「愛」を表現する言葉を抑制すべきではありませんでした。(R.シュタイナーによる注:私たちはハルトマンがその倫理の中で愛の概念を考えなかったと言っているのではありません。彼はそれを現象学的、形而上学的な観点から取り扱いました。しかし、彼は倫理における究極的な目的として愛を考えているのではありません。自己犠牲的で愛に満ちた世界プロセスへの献身は、それ自体が目的であるものとしてではなく、単に存在の問題から解放されるための手段、私たちから失われた恵みに満ちた平和の状態を再び獲得するための手段としてハルトマンの前に現れます。)。私たちが個人的な要求をせず、私たちの行為が客観的な使命によってのみ動機づけられ、私たちが行為そのものの中にそれを行うことの動機を見出すとき、私たちの行為は道徳的なものとなります。けれども、そのとき、「私たちは愛から行動しているのです。」自己中心的なもの、単に個人的なあらゆるものは消え去ります。ハルトマンはアイデアをその無意識的な形態において一面的な仕方で把握しましたが、それでも彼は具体的な理想主義への道を見出しました。彼はまた悲観主義の倫理から出発しましたが、それでもこの歪められた観点は彼を愛の道徳へと導きました。これが彼の健全で力強い心にとって特徴的なことです。けれども、ハルトマンの悲観主義は、私たちの行為の無益さについて不満を言いたがる人たち、単に彼ら自身が受け身であることの言い訳のためにそうする人たちによって喧伝されているようなものとは異なっています。ハルトマンは不満の中に沈潜することなく、純粋な道徳性に対するそのような見せかけを超越します。彼は幸福を追求することの実りのなさを明らかにすることによってその無益さを示します。そして、私たちの行為自体の重要性を指し示します。そもそも彼が悲観論者であること自体が彼の間違いであり、それは彼の思考における以前の段階の名残でもあるということかも知れません。しかし、彼は、現実の世界において不満足が支配していることの経験論的な証明の上に悲観論を基礎づけることは不可能であるということを彼が立っている場所から理解すべきです。私たちの中の最も高次のものがそれ自身の幸福を創造すること以外のことを望むはずはなく、それを外からの贈り物として受け取りたいとも思っていません。私たちの中の最も高次のものはそれ自身の活動の中で幸福を追求します。ハルトマンの悲観論は彼自身によるより高次の考察という光の中で解消されます。「世界が私たちを不満足なままにしておくからこそ、私たちは私たち自身で、私たち自身の活動を通して、最も美しい幸福を創造するのです。」ハルトマンの哲学は異なる出発点から同じ場所に至ることができるということのさらなる証明を提供します。彼の仮定はゲーテのそれとは異なっていたのですが、私たちはそれらを洗練させていく中で、あらゆるところでゲーテの一連の思考の流れに出会います。私たちがここでこのような描写を行ったのはゲーテの世界観の深く内的な完全性を示すためです。それは世界存在の中に非常に深く根づいているので、精力的な思考が認識の源泉へと貫き至るところではどこでもその主要な特徴に再び出会う、ということは確かです。ゲーテにおいてはすべてがあまりにも独創的で、単に彼の時代に流行した観点ということでは全くなかったために、彼の反対者たちですら彼のように考えざるを得なかったのです。世界の永遠の謎は個人を通して顕現しますが、近代においては、それはゲーテを通して最も意義深く語りました。実際、「ある人の観点の意義を今日推量することができるのは、ゲーテの世界観に対するそれらの関係によってである」と言うことができます。 (第11章-了)人気ブログランキングへ
2024年06月07日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第10章 ゲーテのアイデアというその光の下での認識と行為1-5 佐々木義之訳5.倫理的、歴史的な科学 私たちは、認識とは何かという問いに答えることで、世界に対する私たちの関係についての何らかの明晰性に至りました。この問題を取り扱う中で私たちが発達させてきた観点は人間の行為の価値と重要性にも確かに光を当てます。私たちが私たちの人間としての役割をどのように考えるかによって、私たちが世界の中で成し遂げることがらにどのような意味があるかが決定づけられることになるでしょう。私たちの最初の仕事は、人間の活動の本質を調べるということになります。人間の行為がもたらす影響は宇宙的なプロセスにおけるその他の出来事による影響とどのように比べられるでしょうか。二つのこと、つまり自然の産物と人間の創造、例えば、結晶と車輪について考えてみましょう。どちらの対象物も概念として表現され得る法則の結果として私たちの前に現れます。唯一の違いは、結晶はそれを規定する自然法則の「直接の」産物であると考えるべきであるのに対して、車輪の場合には概念(法則)と対象物の間に人間が介入している点です。自然の対象物が有する現実性の根底にあると考えられるものが、人間の活動を通して、現実の中に導入されるのです。私たちは知るという行為を通して感覚的な経験を決定づけている原則を経験します。すなわち、私たちの思考が現実の内部に既に存在している「アイデア」の世界を明らかにするのです。私たちは、絶えず産物を生じさせていますが、もし、私たちの思考がなければそれら自身の内に永久に隠されたままに留まるであろう主体を呼び出すことによって、世界のプロセスを完成させるのです。とはいえ、私たちがまだ実現していないアイデアの世界を現実へと導入することによってこのプロセスを補足するのは、私たちの活動を通してです。私たちはアイデアがすべての存在の基礎、それを決定づける条件であり、自然の意図であることに気づきました。私たちが世界プロセスの傾向、創造の意図を私たちの自然環境の中に含まれる兆候の中で把握できるようになる地点にまで私たちを導くのは私たちの認識です。私たちはそれを行った後、私たちの行為の中で、その意図の実現に向けて個人として働くように促されます。ですから、私たちの行為はその種の生産性の直接的な成就として現われるのです。つまり、それらは世界の根底から直接流れ出すものなのです。そして、それにもかかわらず、私たちの行為とあの自然の活動とはいかに異なっていることでしょうか。自然の産物はそれらを支配しているように見える理想的な法則性を決してそれら自身の内に担ってはいません。それらはより高次の何か、人間の思考との出会いを求めています。そして、支配する原則が「この思考」の前に現れるのです。人間の活動においては、アイデアが活動的な対象物の内に、つまりは、人間の中に直接宿っており、その点で異なっています。そして、より高次の存在がそれに出会うとすれば、この存在は私たちの活動の中に私たち自身がそこに置いたものだけを見出すことができるでしょう。すなわち、完全なる人間の行為とは私たち自身が意図したものの結果であり、他のものではありません。ある自然の産物が他の産物に影響を及ぼすのを見るとき、私たちはひとつの効果を見ます。その効果は概念として表現し得る法則によって決定づけられます。けれども、それを何らかの法則に結びつけるだけでは、その効果を理解するには不十分です。私たちは第二の知覚可能な事物、それもまた私たちは完全に概念へと帰着させることができなければならないものを必要とします。地面に穴があいているのを観察するならば、私たちはそれを作った物体を探します。こうして私たちは、ある現象の原因が別の外的な知覚として現われるときに活動している主体に関する概念、つまり、「力」という概念へと導かれます。私たちが力に出会うのは、あるアイデアがまずひとつの知覚対象の中に現れ、そして、その形態において、別の対象に影響を及ぼすときだけです。これとは対照的に、そのような媒体が抜け落ち、直接アイデアが感覚の世界に近づく例があります。そのような状況では、アイデアそのものが原因をなす主体として現われます。私たちが「意志」について語るのはここにおいてです。「意志とは、力として捉えられるアイデアそのものなのです。」意志を独立した主体として語ることは全く容認できません。人間が行為を遂行するときに意志がアイデアにつけ加えられる、と言うことはできません。そのように語る人がいるとすれば誰であれ、関係する概念についての明確な理解に至っていません。人間の個性とは、もし、それを満たすアイデアの世界を度外視するならば、結局のところ、何なのでしょうか。もちろん、それは活動的な存在です。それを別様に、死んだ惰性的な自然の産物のように考えるならば、生命のない石のレベルにそれを置くことになります。とはいえ、この活動的な存在性は抽象的なものであり、具体的な現実ではありません。それは掴むことができず、実体のないものです。もし、私たちがそれを掴み、それに内容を与えようとしても、私たちは活動に携わるアイデアの世界へと立ち戻るだけです。エドゥアルト・フォン・ハルトマンはこの抽象性をアイデアに次ぐ第二の世界を構成する要素とします。けれども、それは顕現した形態におけるアイデア以外のものではありません。アイデアを欠く意志は「無」です。このことはアイデアについては言えません。何故なら、活動はその要素の一つであり、一方、アイデアはそれ自身で自立した存在だからです。アイデア(IDEA):イデアはidea; Idee;と表現され、語源的にはギリシア語の「見る、知る」という意味の動詞変化形ideinによる。ギリシア語の日常的用法では「見えているもの、姿、形」の意でした。ピタゴラス学派では,感性的な図形と区別された図形の本質そのものを意味した。プラトンの対話篇では、ソクラテスの定義運動で確認された「物それ自体としての存在」、すなわち、もろもろの感覚的存在を超越し、ただ思惟によってのみ把握されうる自己同一的な存在としての真実在をイデアと呼んだ。これはエイドスとともにプラトン哲学の中心概念の一つであり重要です。しかるに、このいわば客観的実在として考えられていたイデアが、中世以後次第には精神内容,意識内容として解されるようになります。現代語のイデー,アイディアは理想,理念,観念などと訳され,プラトン的イデアとはほとんど無縁となっています。ルドルフ・シュタイナーは、「アイデア」に非常に深い意味合いを持たせています。彼の哲学である人智学では、物質的な世界だけでなく、精神的な世界も重要であるとされています。シュタイナーは、目に見える物質的なものだけを追求する現代社会の限界を指摘し、人間の精神や魂の探求を通じて、より高次の真理や普遍的なアイデアへと到達することを目指していました1。彼の考えでは、「アイデア」は単なる思考の産物ではなく、人間の内面に存在する霊的な真実や普遍的な法則を反映しています。シュタイナーは、自由、平等、博愛という価値を社会の三つの領域(政治=法領域、経済領域、精神=文化領域)に適用し、それぞれの領域が独立して機能することで、真の社会的調和を実現すると考えていました。また、シュタイナーは教育や芸術、医学、農業など多岐にわたる分野で、アイデアの具体化を図りました。特にヴァルドルフ教育では、子どもたちの個性を尊重し、彼らが自由な自己決定ができる人間として成長することを目指しています。シュタイナーの「アイデア」は、目に見えないが、人間の成長や社会の進歩に不可欠な精神的な要素を含んでおり、それを理解し実践することで、より豊かな人生を送ることができるという意味合いを持っています。彼の思想は、現代においても多くの人々に影響を与え続けます。ルドルフ・シュタイナーの「アイデア」は「ものの観念」の意味合いが強く「形相・形質・本質・形姿」が大きく関わってきます。 さて、今まで述べてきたことから必然的に生じてくるような人間の活動における別の特徴について考えてみましょう。私たちが自然の出来事を説明するとき、私たちはそれをその条件にまで辿っていきます。つまり、与えられた産物の「制作者」を見つけようとします。私が一つの効果を観察するとき、その原因を探すだけでは不十分です。これら二つの知覚だけでは説明を求める私の必要を満足させません。むしろ、私は「この」特別な効果を有する「この」特別な原因が従っている法則に立ち返らなければならなりません。ここでは決定する法則性そのものが活動を担っており、産物を形成する原因となる主体が登場します。この顕現する実体の場合、私たちはその根底に横たわる決定要因をさらにそれを超えて探す必要はありません。私たちが芸術作品として体現されたアイデアを認識するとき、私たちはその作品を理解するのであって、アイデア(*原因)と効果(作品)の間の法則的な関連を超えるものを探す必要はありません。私たちが政治的な指導者の行動を理解するのは、私たちがそれらの背後にある意図(*アイデア)を知るときであって、それ以上のことを調べる必要はありません。「こうして、私たちは自然のプロセスと人間の行為とを区別します。自然のプロセスにおいては、法則は表現された存在へと至るものの背後にあって、その根底に横たわる決定要因である一方、人間の行為においては、存在そのものが法則となり、ひたすらそれ自体によって決定づけられます。」したがって、あらゆる自然のプロセスにおいて、私たちは決定づけるものと決定づけられるものとを区別することができます。決定づけられるものは必然的に決定づける要因の後に続きます。ところが、人間の行為はそれら自体によってのみ決定づけられます。それが行動の「自由」です。自然の意図(そして、それらは表現されたものの背後にあってそれらを決定づけています)が人間の中に入るとき、それらは隠された原因によって決定づけられるのではなく、表現されたものとして自らを開示するのです。すべての自然のプロセスがアイデアの表現であるとすれば、人間の活動は行為の中のアイデアそのものなのです私たちは、私たちの認識論の中で、私たちの意識は単に世界の根幹に関するイメージを形成するための手段ではなく、この基本的な法則性自体が私たちの思考の中でその最も主要な形態において自らを開示しているのだ、と結論づけました。ですから、人間の行為の中にもこの主要な法則性が無条件に活動しているのが分かります。私たちは私たちの行為に目的と方向性を付与するために世界の導き手を必要としません。世界の導き手はその力を放棄し、人間の手にすべてを委ねました。つまり、彼は独立した存在性を放棄し、その仕事を続けることを私たちの使命として割り当てたのです。私たちはこの世界にあって、自然を観察し、何かより深いもの、隠された法則と意図―がそこに示唆されているのを認めます。私たちの思考が私たちに気づかせるようにしたそれらの意図は私たちの精神的な所有物となります。私たちは今や世界の根底へと貫き至り、それらの意図の実現に向けた活動に取りかかります。ですから、ここで提示された哲学は真の「自由の哲学」なのです。人間活動の領域において、それは自然の必然性も外的な創造主あるいは世界の指導者の影響も認めません。何故なら、いずれの場合にも人間は自由ではあり得ないからです。もし、自然の必然性が、他の存在の場合にはそうであるように、私たちの中で機能していたならば、私たちは強制の下で活動していたことでしょう。そのような活動を理解するために、私たちはそれらを規定する外的な要素を探さなければならず、自由は問題外だったでしょう。もちろん、私たちはこの範疇に入る無数の人間活動があるという事実を排除するものではありませんが、ここではそれらについては考えません。人間は自然の存在である程度に応じて、自然のプロセスを支配する自然法則の意味でも理解することができるでしょう。けれども、厳密に自然法則の観点から人間存在を考えるとしても、認識する存在あるいは真に倫理的な存在としての私たちの活動を説明することにはなりません。私たちが自然のできごとの領域を実際に乗り越えて行くのはこの点においてです。ここで立証したことが当てはまるのは私たちの最も高次の可能性についてであり、それは現実的というよりはむしろ理想的なものです。人が生きる途上には、自然存在であることから今お話ししたような存在に向けての私たちの進化が含まれています。すべての自然法則から自分たちを解放し、私たち自身の法則を自分たちに付与することが私たちの使命なのです。私たちはまた他の世界から人間の運命を導くものをも拒絶しなければなりません。私たちがそのような指導による存在性を担うやいなや、私たちはもはや真の自由について語ることはできなくなります。そのような力は人間の活動を決定づけながら方向づけるので、人間は方向づけられたようにせざるを得なくなります。こうして、私たちは私たちが自分で設定した理想としての私たちの行為の動機づけではなく、あの力による戒律としての動機づけを経験することになります。そこでの私たちの行為は自由というよりも、決定づけられたものとなります。私たちは外的な強制から自由ではなく、それに依存している、より高次の力による意図のための単なる媒体としか感じられないでしょう。私たちが見てきたような教条主義は、私たちの主観的な意識の外にあって、それにとっては接近不可能な主体を求めることによって、何かが真実であることの理由を見出すよう努めることを含んでいます。一方、私たちの観点がひとつの判断の真実性を確認するのは、私たちの意識の中に含まれ、その判断へと流れ込む概念の中にその理由が存在しているからです。私たちのアイデアの守備範囲を超えたところに世界の基盤を考える人たちは、私たちが何かを真実であると認める理由はその真実性のための客観的な理由とは異なるものであると信じていなければなりません。こうして真実はドグマとして思い描かれることになります。倫理の領域における戒律は科学の領域におけるドグマと同じものです。自分の行いを戒律の上に基礎づける人たちは彼らが定式化したのではない法則にしたがって活動します。つまり、彼らは彼らの行いのために外的に処方された規範を求め、「義務」から行動するのです。義務について語ることに意味があるのはこの文脈においてのみです。私たちが外的なものとして動機を経験するとき、私たちは「必然性」に屈服し、義務から行動しながらそれに従うのです。人間の本性が道徳的な成熟に達したところでは、私たちの認識論はこの種の行為の正当性を認めることができません。私たちはアイデアの世界の無限の完成度を認めます。つまり、私たちは、私たちの行いのための衝動は私たちの中にあるこの世界から輝き出してくるということ、したがって、唯一の倫理的な行いとは私たちの内部にあるそれらに対応するアイデアから直接輝き出してくるものであるということを知っています。この観点によると、私たちが行為を遂行するのはそれを実現するための内的な必要性を感じるからに他なりません。私たちは外的な力ではなく、私たち自身の意欲が私たちを動機づけるからこそ行動するのです。私たちがその概念を形成するやいなや、私たちの行為の対象が私たちを内的に満たし、それによって、私たちはそれを遂行するように活発に努めます。私たちの行為にとっての唯一の動機づけはアイデアを実現しようとする衝動、目的を達成するための意欲でなければなりません。私たちを行動へと駆り立てるものであれば何であれ、まず私たちの中でアイデアとしてその生命を展開しなければなりません。そして、私たちは義務や盲目的な本能からではなく、「私たちの行為が向けられている対象への愛」から行動します。その対象は、私たちがそれについて思い描くとき、その本性にしたがって、私たちの中に行為への意欲を呼び起こします。これが、そしてこれだけが自由な行いです。もし、対象への興味を超えた別の動機があるとしたら、私たちは行為のためだけにではなく、「何か別のこと」を達成するために活動していることになります。そのときの行為は何か私たちが本当には欲していないもの、「私たちの意志に反する」行為でしょう。私たちがエゴイスティックに行動するときには、これが当てはまります。そのとき、私たちは行為そのものに興味はなく、それが私たちにもたらすものへの必要を感じているのです。けれども、そのとき、私たちはある種の強制を感じるのですが、それは私たちが望む利益を得るためにはその行為を遂行しなければならないからです。行為そのものへの必要性は感じられず、もし、利益がもたらされないのであれば、私たちはそれを行うこともないでしょう。しかし、そのためだけに遂行される行為でなければ自由な行為ではありません。「エゴイスティックな行為は自由ではありません。」行為自体の客観的な満足以外の理由から為される私たちの行為はいずれにしても不自由です。私たちが「それ自体のために」行為を遂行するとき、私たちは「愛」から行動します。「私たちの活動への愛、つまり、客観的な世界への献身によって導かれるときにのみ、私たちは真に自由なのです。」もし、そのような無私の献身ができないのであれば、私たちは決して私たちの行為における自由を経験することはないでしょう。もし、人間の活動が私たち自身のアイデアの実現以外のものでないとしたら、もちろんそれらのアイデアは私たち自身の内に存在していなければなりません。私たちは内的に生産的でなければなりません。結局のところ、私たちの心の中で形成されるアイデアを除いて、私たちを動機で満たすものが他にあるでしょうか?そのアイデアがより明確に、より鮮明に輪郭づけられていればいるほど、それはより多くの実りをもたらすでしょう。私たちはひとつのアイデアとして十全に形成されたそれらの行為の実現に向けて力強く駆り立てられます。漠然と考えられた不明確な理想は行為への動機として適当ではありません。もし、それらが生き生きとして明確なものでなかったとしたら、どうして私たちの熱情に火をつけることができるでしょう。ですから、私たちの行為への動機はいつでも個人的な意図として生じなければなりません。人間が行うあらゆる実り多きことがらは個人的な衝動に発するものです。すべてに適用される普遍的な「道徳法則」や倫理的な規範は全く無価値です。もし、カントの言うところにしたがって、道徳性が法則として誰もが受け入れることができるものからのみ成り立っているとしたら、私たちのそれに対する答えは、もし、誰もがすべてに適うことだけを行うべきであるならば、前向きな活動は止み、偉大さは失われるであろう、というものです。そうではなく、行為は漠とした一般的な倫理規範によってではなく、最も個人的な理想によって導かれなければなりません。誰もがそれを望むことができるものなど存在しません。望みは人によって、それぞれの天命にしたがって、様々に異なります。「カントにおける倫理的な自由」(ベルリン、1882年)という随筆の中で、J.クライエンビュールは次のように述べています。「もし、自由が実際に私の自由であるならば、つまり、もし、ある道徳的な行為が私のものであるならば、そして、もし、善や正義が私を通して、この特別な個人の行為を通して実現されるのであれば、あらゆる並列する状況や要求を顧慮しない一般的な法則、あらゆる行為に先立ってそれを導く動機が普遍的な人間本性の抽象的な規範に合致するかどうか、そして、それが私の中に生きて働くとき、振る舞いの一般的な標準になり得るかどうかについて、私が検証する一般的な法則で私が満足することはあり得ない・・・。このような仕方で一般的に受容可能なものに適応することは、あらゆる個人の自由、通常的で偏狭なものを越えて行く進歩、そして、意義深く、顕著で、そして、画期的ないかなる倫理的成果をも不可能にしてしまうだろう。」このことはいかなる倫理体系にとっても答えるべき問いに光を当てます。通常、それらは倫理が人間の活動を方向づけるための規範の集合であるかのように取り組まれます。この観点からすると、倫理は自然科学の、実際、現実を扱うすべての科学の対極に置かれます。科学が存在するものの法則を示そうと努めるのに対して、倫理は存在すべきものの法則を私たちに教えると考えられているのです。倫理はあらゆる人間的な理想、「善とは何か。」という問いに対する詳細な答えを包含する行動規範であると期待されているのです。その種の科学は不可能です。この問いに対する普遍的な答えはありません。倫理的な行いとは個々人の内に生じるものの産物です。それはいつも個別の場合に生じるのであって、一般的に生じるのではありません。人が行うべきこと、あるいは行うべきでないことについての一般的な法則はありません。人は様々な国の法律をそのような仕方で見るべきではありません。つまり、それらもまた個別的な意図の表現以上のものではないのです。ある人が道徳的であると感じたものが国全体に移されて「その土地の法律」になったのです。すべての民にいつの時代にも通用するように企図された普遍的な自然法則はひとつの怪物です。法哲学や道徳の概念は国によって、あるいは人によってさえも移り変わります。結局のところ、決めるのはいつでも個人です。ですから、このような仕方で倫理について語ることはできないのです。とはいえ、倫理という科学が答えることができる他の問いがあります。それらの問いにはついでの折に触れてきましたが、具体的には、人間の活動と自然の事象の違い、意志と自由の特性、等々です。これらはすべてひとつの問い、つまり、人間はどの程度本質的に倫理的であるかという問いに集約されます。これは簡単に言えば人間の道徳的な本性への洞察に関する問いです。その問いは、人間は何を為すべきなのかではなく、むしろ、人間がその内的な本性にしたがうときには何を為すかというものです。すべての科学をあらゆる存在するものについての科学と何が存在しなければならないかについての科学という二つの領域に隔てていた壁がこうして取り払われます。「あらゆる科学と同様、倫理とは何が存在するかについての科学なのです。」この意味で、すべての科学に共通するもの、つまり、それらは所与のものから進み出て、それを決定づける条件へと発展するということがあります。とはいえ、人間の活動についての科学は存在し得ません。何故なら、そのような活動は不定で、生産的で、創造的なものだからです。法学は科学ではなく、ひとつの国家の個別性に適う法的な慣習についての「記録の集成」です。個人としての人間は、自分自身に属しているだけではなく、二つのより大きな全体に属しています。まず、国家の一員として、個々人は社会的な慣習によって結びつけられ、共通の文化、言語を有し、観点を共有しています。しかし、個人としては、私たちは歴史の市民でもあり、人類進化の偉大なプロセスに参画しています。この偉大な全体に対する二重の忠義は私たちの自由な人間活動を制限しているように見えます。私たちの活動は個人の産物であるだけではなく、私たちが私たちの国家と共有しているものによっても条件づけられているように見えます。私たちの個人性は国家的な性格によって根こそぎにされているように見えるのです。では、もし私の行為が私の個人的な性質の表現としてだけではなく、大部分が私の国籍の表現としても説明することができるとしたら、私は自由なのでしょうか。私がある一定の仕方で振舞うのは、たまたま自然が私をこの特定の国家共同体の一員にしたからなのでしょうか。人類史の中での私の位置についても同じことが言えます。私は私の時代の子供として、私が生まれてきた文化的な時代の影響を受けることになります。けれども、もし、私たちが知識と行為の両方を有する存在であるとしての私たち自身を眺めるならば、その矛盾は自ずと解消します。認識能力は、私たちが私たちの国民としてのアイデンティティーの特徴を理解し、私たちの仲間の市民がどこへ向かおうとしているのかが分かるようにしてくれます。私たちを決定づけているように見える要素こそが、正に私たちが超越し、十全たる意識をもって私たち自身の中に取り込むべき要素なのです。そうすれば、それらは私たちの中で個別的なものとなり、自由な行為における個人的な特徴を獲得します。私が私の位置をその中に占めるところの歴史的な進化についてもそれは言えます。私が私の時代の支配的な考えや道徳的な力への洞察を獲得するとき、それらはもはや私を決定づけるのではなく、個人的な動機となります。私たちは私たちの時代や文化に活発に貫き至ることによって、私たちがそれらに導かれるのではなく、私たち自身が導くようになる必要があります。私たちは私たちの国家の特徴によって盲目的に導かれるのではなく、それを理解することによって、私たちの国家精神において「意識的に」働くことができるようにならなければなりません。私たちは文化的な発展に押し流されるのではなく、むしろ、私たちの時代の考えを自分のものとすべきなのです。そのためには、まず私たちがその中に生きる文化を理解しなければなりません。そして、私たちは自由の中で私たちの時代の使命を果たし、適切な文脈の中で私たちの努力を傾注することになるでしょう。私たちが人文科学(歴史、文化的かつ文学的な歴史等々)を必要としているのはここにおいてです。人文科学において、私たちは人類が達成したもの―文化、文学、芸術、等々が成し遂げたもの―を見ます。そこでは、精神が精神的なことがらを把握します。人文科学の目的は、偶然が私たちを個人としてどこに据えたのかを私たちに認識させるということであるべきです。私たちは何が達成され、何を成し遂げる必要があるのかを認識しなければなりません。人文科学は私たちが世界の働きに参加するための正しい場所を見つけるのを助けてくれます。私たちは文化的な世界を認識し、それにしたがって私たちの貢献を決定しなければなりません。グスタフ・フレイタグは彼の著書「ドイツの過去のイメージ」(ライプチヒ、1859年)第1巻の中で次のように言っています。「国家的な力によるあらゆる偉大な創造物―伝統的な宗教、慣習、法律、そして政府―は、もはや個人的な人間が達成したものと見なすことはできない。それらはより高次の生命の有機的な創造物であり、どの瞬間を取ってみても個人を通してのみ目に見えるようになるもの、どの瞬間を取ってみても個々の精神をひとつの偉大な全体へと統合しているものである・・・。したがって、それについては神秘的になることなく民族魂について語ることができる・・・。しかし、個人の意志とは異なり、国家の生命は意識的には働かない。歴史の中で自由で理性的であるものは個人によって代表される。国家的な力は原初の力の暗い強制とともに飽くことなく働いているのだ。」。もし、フライタグが国家の生命を検証していたとしたら、彼はそれがその個人たちの行為の総体へと自らを解消するのを見たことでしょう。彼らは無意識的であるものを彼らの意識へと上昇させることによってこの暗い強制を克服します。彼は正に彼が民族魂と呼び、暗い強制として記述するものがいかに意志という個人的な衝動、人間の自由な行為から生じるかを見たはずです。とはいえ、私たちは個人的な人間の国家の中での働きにおけるさらに別の側面について考えてみなければなりません。個々人は精神的な可能性、力の総体を表しており、それらはその活動を展開する可能性を求めています。ですから、個人としての私たちは私たちの働きが国家有機体の中に有意義に組み込まれ得る場所をそれぞれ見出さなければなりません。私たちが私たちの場所を見出すかどうかを偶然にまかせるわけにはいきません。国家の憲法の目的は各人が適当な活動場所を見つけるのを保証するということです。国家とは国家有機体がその中に生きる形態のことです。人類学と政治学の使命は、どうすれば人々が国の中で個人としての能力を発揮することができるかを見出す、ということです。憲法はその国の最奥の存在から生じなければなりません。最良の憲法とはその国の特徴を明確な形式において表現するものであるはずです。政治的な指導者たちは憲法を国民に強制することはできません。彼らは彼らの国の性格を最も深いところにまで検証し、適切な憲法を通して潜在的な傾向に通じるチャンネルをつけなければなりません。ある国の大部分がそれ自身の性格とは対立する方向へと引っ張られる、ということが起こり得ます。ゲーテによると、そのとき国家の指導者たちはその国によって自らが導かれるように強いられるのであって、大多数の一時的な要求によって導かれるのではありません。そのとき彼らは、国家に対して、国家の最奥の特質を代表すべきなのです(散文の中の韻)。ここで歴史的な探求の方法について一言つけ加えておくべきでしょう。歴史学は、歴史的なできごとの原因は個々人の個人的な意図、計画、等々の中に見出される、ということをいつでも心に留めておかなければなりません。歴史的なできごとをその根底に横たわる計画にしたがって説明するのはいつでも間違いです。一定の個人たちの目標、彼らが取った道筋、等々について、いつも問わなければなりません。歴史学はいつでも人間的な性質、人間的な意志、人間的な傾向に基づいていなければならないのです。私たちは今、ゲーテ自身の言葉によって、倫理的な科学について述べられてきたことを実のあるものにすることができます。理性の世界は偉大かつ不死の個として考えられるべきものであり、止むことなく必要なことがらを行い、そうすることによって、偶然のできごとさえ使いこなす。(散文の中の韻)私たちがこれを理解できるのは、私たちが記述してきたような個々人と歴史的な進展との間の関係という意味においてのみです。彼が次のように言うとき、ゲーテは歴史における個々人の積極的な活動に言及しているのです。いかなる種類のものであれ、絶対的な行為は破産へと導く・・・。私たちは誰も、その能力と技術の限界内で活動する限り、完璧ではありえない・・・。(その国民や時代の指導的な考えへと自らを高める必要性に関しては)我々一人一人が我々の時代に働きかけるために、我々が有するどの器官が使用可能であり、かつ使用すべきかを我々自身に問いかけようではないか・・・。我々は我々自身がどこに立っており、他の人間たちがどこへ行きたがっているのかを知る必要がある・・・。(私たちの義務に関する観点が確認されるのは)「義務」とは、人が自らに行うように命令したものを愛するときのことである。(散文の中の韻)私たちは認識し活動する存在としての個人の独立性を一貫して確立してきました。私たちはいかに私たちのアイデアが世界の根底と一致するかを示し、私たちが行うあらゆることがらは私たち自身の個別性からのみ輝き出すことができるということを認めてきました。私たちは存在の核心を個人的な人間の内部に求めます。誰も別の人間に教条的な真実を明かすことはできず、誰も別の人間に行動を強制することはできません。私たちは個人として、私たち自身に立脚しています。個人としての私たちが何者であるにせよ、他の人たちの力によってではなく、自分自身の力によってそれにならなくてはなりません。私たちは、私たち自身の幸せの源泉を含め、あらゆるものを私たち自身から産み出さなければなりません。私たちは、私たちを導く力、方向性や私たちの存在の内実を決定づけ、私たちに依存を強いる力は問題になり得ないということを見てきました。もし、私が幸せを見出すべきであるならば、それを生じさせることができるのは私だけです。何らかの永遠の力が私の行動規範を前もって処方することはあり得ません。また、そのような力は私の中に満足の感情を目覚めさせる能力を事物に付与することもありません。私はそれを自分で行わなければなりません。私にとって満足や不満足が存在するのは、まず私がそれらの感情を私自身の中に目覚めさせる力を対象物に帰属させていたときだけです。私たちに満足を与えたり、何も与えなかったりするものを外から決定するような創造主がいたとすれば、私たちを鎖に繋いで引き回すことになっていたでしょう。あらゆる楽観主義や悲観主義はこうして反駁されます。楽観主義者は、世界は完全で人に最大限の満足を与える源泉である、と考えます。もし、私がそれを真実と仮定するならば、私はまず達成され、そしてそれによって満足させられるべき必要を「私の中に」発達させていなければならないでしょう。私が世界の対象物から要求するものを、私が引き起こさなければならないでしょう。一方、悲観論者たちは、世界とはいつも私たちを不満足のままにしておくものであり、幸福は不可能であると信じています。もし、自然が私たちに外から幸福を許諾するものであったとしたら、人間とは何と哀れな生き物であったことでしょう。地上の力は、私たちがまず私たちを引き上げ、そして私たちを幸福にする魔法の力をそれに貸与していなかったとしたら、私たちに満足を与えることはないという事実を考えてみるとき、私たちを満足させ損なう存在や厳しい世の中についてのあらゆる不平は終息するに違いありません。幸福とは、私たちが事物から私たち自身で創り出すもの、私たち自身の創造行為から生じるべきものなのです。これだけが自由な存在に値するものです。 (第10章-5了)参照画:グスタフ・フレイタグ(Gustav Freytag/1816年 - 1895年)人気ブログランキングへ
2024年06月06日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第10章 ゲーテのアイデアというその光の下での認識と行為1-5 佐々木義之訳4.認識の限界と仮説の形成について 今日では、認識の限界についてよく語られます。存在する現実を説明するための私たちの能力はある程度のところまでしか到達できず、私たちはそこで立ち止まらなければならないと言われます。私たちは、この問題は正しく問いかけられない限り正しく答えられないと考えます。正しい問いかけをすることで、間違いの大軍から逃れることができるというのはよくあることです。私たちが、説明すべき対象は所与のものであるという事実について考えてみるならば、所与のもの自体が私たちを制限することはあり得ないということが明確になるでしょう。それは説明や理解を要求する以前に、与えられた現実という世界の内部で、私たちに対して自らを開示しなければなりません。所与のものの領域の外に留まるものであれば、それが何であれ、説明を要求することはありません。何らかの限界が生じるのは、与えられた現実に直面するとき、私たちがそれを検証するための手段を欠いているときだけです。説明する必要が生じるのは、私たちの思考が私たちに提示するものの水平線上に、私たちがそれによって与えられたものを規定したいと願う方法、私たちがそれに与えたいと願う説明が現われるからに他なりません。私たちにとって、説明、つまり説明されるべきものの本質が未知であるということが説明を要求するのではないのです。そのようなことは全くなく、私たちの心にそれが現われるということがそれを要求するのです。説明を要求する事物と私たちの説明手段の両方が入手可能なのです。私たちに必要なのは両方の結びつきを確立するということです。説明とは未知のものを求めることではなく、二つの既知のものの関連を明確にすることです。私たちが既に知っているのではない何かの意味で与えられたものを説明するということは決して起こり得ません。これは、基本的には、説明には限界がない、ということを意味しています。とはいえ、知識には限界があるという理論を正当化するように見えるものが確かにあります。何らかの外的な現実が存在するということに気づきながらも、私たちの観察の範囲からは取り除かれている、ということがあるかも知れません。私たちはその痕跡、その影響を感じ取り、その存在を推定します。その意味では、私たちは認識の限界について語ることができます。けれども、この場合、達成できないのは、それは説明の原則を提供することになる、というような種類のものではありません。むしろ、それは何か知覚可能なものではあるけれども、まだ知覚されていないようなものです。私の知覚にとってのそのような障害は認識に対する根本的な限界を構成するものではなく、偶発的、外的なものであり、克服可能なものです。今日は疑うだけの何かが、明日は完全な経験になっているかも知れません。けれども、ひとつの原則にとっては、通常は空間的あるいは時間的なものである外的な障害は何もありません。それは私に内的に与えられます。私がそれを自分で観察しない限り、私の他の事物についての認識を通しては、その存在を推定することはできません。ここで仮説理論が問題になってきます。仮説とは、その仮定が真実であるかどうかを直接にではなく、ただその結果を通してのみ知る、ということです。私たちは、直接的には経験できないような基本的要因を前提にするときにのみ、説明される一連の顕現を見ることになります。そのような仮説は原則の推定にまで拡張できるでしょうか。それは明らかに不可能です。何故なら、内的な原則を経験することなく推定するというのは矛盾だからです。仮説によって仮定できるのは、私がまだ知覚していないものであって、もし、外的な障害が取り除かれたならば知覚することになるものだけです。「仮説は確かに知覚されない何かを仮定することができますが、可能性としては知覚できるものでなければなりません。」ですから、私たちはあらゆる仮説を、将来の経験を通して、検証できなければなりません。仮説が正当化されるのは、それが仮説的であることを越えていく可能性があるときだけです。「中心的な科学的原則」に関する仮説に価値はありません。ある事物が既に知られた具体的原則を通して説明され得ないとき、それは説明不可能であり、説明を求めることもありません。参考画:ゲーテとシラーの棺人気ブログランキングへ
2024年06月05日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第10章 ゲーテのアイデアというその光の下での認識と行為1-5 佐々木義之訳3.科学の体系 十分に発達した科学はゲーテの思考方法という光の下でどのような形態を取るでしょうか。私たちは、まず科学の全体的な「内容」は与えられる一部は感覚的な世界から外的に与えられ、一部は内側から、アイデアの世界から与えられるという事実について明確にしておかなければなりません。私たちのあらゆる科学的な活動は、この与えられるものの全体的な内容がその中で自らを提示するところの個別の形態を克服し、満足すべき形態をそれに付与するということを含んでいます。このことが必要なのは、与えられるものの内的な統一性は、私たちが最初にそれに出会うとき、私たちには隠されており、ただその表面だけが私たちに現れるということによります。これらの統合する関係を確立する方法は、私たちが活動する現象領域によって異なっています。様々な仕方で関連する多様な感覚的要素を扱う領域についてまず考えてみましょう。私たちが私たちの思考を用いてこれらの要素を深く考え始めるにしたがって、それらの相互関係が明らかになってきます。あれこれの要素がある特別な仕方で別の要素によってある程度条件づけられているのが分かるでしょう。あるものを決定づける条件は別のものを考えるときに明らかになります。つまり、私たちはある現象を別の現象から導き出します。例えば、暖められた石という現象は暖める太陽光線の影響として導かれ得るでしょう。したがって、後者は原因であることが分かります。ある事物の中に知覚されるものはそれが別の知覚可能なものから導かれるときに説明されることになります。私たちはいかに理想的な法則がこの領域の中に現れるかを見ます。それらは感覚的な事象を包含し、それらを超えたところに立っています。それらは、あるものが別のものによって決定づけられている限りにおいて、その合法則的な反応を決定づけているのです。ここでの私たちの使命は、一連の現象の必然的な繋がりが明らかになり、それによってそれらが完全に合法則的な総体として機能するのを見る、というような仕方でそれらをまとめることです。このようにして説明することが可能な領域は「無機的な自然」です。けれども、私たちの経験によれば、時間または空間の中で最も近い位置にあるものは、いつでもその内的な性質の意味で最も近いものであるというような仕方で私たちの前に現れるわけではありません。私たちは時空間の中で最も近い位置にあるものから概念的に最も近いものへと進んでいかなければなりません。概念的な領域の中で直近の位置にある現象を探さなければなりません。お互いに補完し、支え合う一連の事実を集めるように努めなければならないのです。そのようにして、私たちは相互作用する感覚知覚可能な要素のグループへと至ります。関連する要因に続く現象が私たちの眼前で一種の透明な仕方で展開します。ゲーテにしたがって、私たちはそのような現象を元型的な現象、あるいは根源的な事実と呼びましょう。「この元型的な現象は客観的な自然法則と同じものです。」。一方、私たちが記述している諸々の関連は、例えば、私たちが水平に投げられた石に影響する諸要因:第一に慣性力、第二に地球の重力、第三に空気抵抗について考えるときのように、心的に確立することができます(*観念論対実証論)。そして、これらの要因から石の軌道を導き出すことができます。逆に、個別の要因を物理的に集積し、結果として生じる現象を待つこともできます。これは私たちが実験するときに行っていることです。自然現象が私たちを当惑させるのは私たちがその影響(あるいは現れ)を知っていてもその原因(あるいは必要条件)を知らないからです。一方、実験によって生じた現象が明確なのはその原因となる要因を私たち自身が集めてきたことによります。「科学的な研究の道とはこのようなものです。私たちは、実際に何が関係しているのかを見るという経験から始め、何故そうなっているのかを実際に観察を通して決定することへと進み、そして、そこにある合法則的な関連が実際にどのようにして自らを表現するかを見るための実験というクライマックスに至るのです。」。残念ながら、これらの観点を支持するゲーテの随筆は失われているようです。それは彼の随筆「主観と客観の仲介者としての実験」の後に続くはずのものでした。私たちはこの随筆からはじめて、私たちが手に入れることができる唯一の情報源、ゲーテとシラーの往復書簡から失われた随筆の推定される内容を再構築してみようと思います。随筆「主観と客観の仲介者としての実験」はゲーテが自らの光学に関する探究を正当化するために行った研究から生じたものです。その後、その随筆は詩人が新たな活力をもってその研究を再開し、シラーとともに自然科学的な手法の基本原則に関する完全で科学的な調査を開始した1798年までそのままになっていました。1798年1月10日に、ゲーテはその随筆をシラーに送ってコメントを求め、1月13日には、その中で提示された観点を新しい随筆の中で拡張したい旨を友人宛に書き送っています。彼はその仕事を続け、1月17日には、科学的な方法の特徴のひとつを概説する短い随筆をシラーに送りました。この随筆は彼の作品カタログには載っていません。それは科学的な方法論に関するゲーテの基本的な観点を十分に評価する上で確かに非常に貴重なものであったでしょう。けれども、1798年1月19日のシラーの詳細な手紙の中にその考えが示されているのを見出すことができます。この手紙が示していることがらはゲーテの「散文の中の韻」によって確認され、補足されます。(後に、シュタイナーによってつけ加えられた脚注:ゲーテ全集34巻XXXVIIIページの序論の中で、私は、経験、実験、そして科学的な知識に関するゲーテの考えを最もよくサポートするその随筆は不幸にして失われてしまっているように見えると述べています。しかし、それは失われておらず、ここで述べるような形でゲーテアーカイブへの道を辿りました。その随筆は1798年1月15日付で、17日にシラーに送られました。それは随筆「主観と客観の仲介者としての実験」の続編です。私はその随筆の中で表明されている考えを書簡から取ってくるとともに、今、手に入るのと正確に同じ仕方で序論のXXXIXページに示しました。内容という意味では、その随筆は私がそこで書いたことに何もつけ加えません。実際、彼の他の著作に関する私の研究を通して得られたゲーテの認識に関する方法や様式に対する洞察があらゆる点で確認されます。R.シュタイナー)。ゲーテは科学的な探求における三つの方法を区別します。さらに言えば、これらは現象に対する三つの異なるアプローチによるものです。第一の方法は「通常の経験主義」です。それは経験される現象あるいは直接的な事実を越えて行くことなく、個別の顕現に没頭します。もし、通常の経験主義が何らかの結果をもたらすべきものであるならば、それはその活動をそれが出会う現象の詳細な記述、つまり、在庫目録を作ることに限定しなければなりません。経験論者の観点から言えば、科学とは個別の事実を記述したものの総体に他ならないでしょう。経験主義に対して、合理主義は次の段階を代表しています。それは「科学的な現象」を確立しようとします。単なる現象の記述に自らを限定するのではなく、原因を見つけたり、仮説を立てたりしながらそれらを説明しようとするのです。この段階では、現象から出発して、それらの原因や関連性についての原因を知性によって引き出すことへと進みます。ゲーテはこれらの立場のいずれもが一方的なものであると考えました。通常の経験主義は粗野で非科学的ですが、それはそれが決して偶然の出来事の単なる記述から逃れられないためです。他方、合理主義は現象世界の原因や関連性を読み解こうとしますが、それらはその内部には含まれてはいません。通常の経験主義は事実の世界という十全たるものから自由な思考へと上昇することができず、合理主義は足下の確かな事実という基盤としての現象を見失い、甘い考えと主観的な幻想に陥っているのです。ゲーテは観察から結論へと突進する熱情を強く非難します。彼の「散文の中の韻」の中では以下のように述べられています。「観察から直ちに結論へと飛びつき、そして、それらを同等に扱うというのは良くないことであるが、しばしば見られることだ・・・。理論とは現象を排除し、イメージや概念、ときには単なる言葉をもってそれに代えようとする性急な知性による拙速の産物である、というのはよくあることだ。それがその場しのぎに過ぎないことが疑われ、また、明らかにそれと見てとれることもある。熱情や党派主義はその場しのぎが大好きなのではないか。いや、確かにそうだ、彼らはそれらをとても必要としているのだから。」。ゲーテは因果的な論理づけを乱用することに対して特に厳格です。合理主義はその野放図な想像力をもって事実がそれを保証しないところで因果律を追い求めます。彼は「散文の中の韻」で、「最も本質的で最も重要な概念「原因」と「結果」の概念は無数の、際限なく繰り返される間違いへと導くような仕方で用いられている」と述べています。人は特に単純な関連への偏愛により、厳密に直線的な仕方で次から次へと続く原因と結果の連鎖における結びつきのような現象を考えがちです。けれども、実際には、以前の事象によって条件づけられるいかなる現象も同時にその他の多くの影響を受けています。このような場合、自然の「長さ」については考慮されていますが、その「幅」についてはそうではありません。ゲーテによれば、いずれの道も、つまり、通常の経験主義の道も合理主義の道も、より高次の科学的な方法への途上にある「中間的な」段階であって、超越されるべき段階であるに過ぎません。合理的な経験主義によってそれは達成されますが、それが扱うのは客観的な自然法則と同じものであるところの「純粋な現象」です。通常の経験主義、つまり、仲介されない経験によって与えられるのは関連のない個別の事実、外的な現われの寄せ集めに過ぎません。それらは科学的な過程の結論としてではなく、その最初の経験として与えられます。科学が私たちに要求するのは、関連性を追求し、個々の事実を相互に関連したものとして眺める、ということです。この意味で、概念化する必要性と与えられた事実の間には隔たりがあるように見ます。認識する精神にとっては関係性だけが存在していますが、自然の中にあるのは分離だけです。精種(あるいは型)を求めますが、自然が創り出すのは個別だけです。結びつける精神の力は内容を欠いており、したがって、それ自身、どんな具体的なものも把握することはできませんが、一方、自然の対象物が分離しているのはそれらの本質的な問題ではなく、それらの空間における表現である、という事実について良く考えてみるとき、私たちはこの矛盾から逃れることができます。事実、私たちが個別のものの本質に至るとき、私たちの注意は種、あるいは型へと引きつけられます。自然の対象物は分離したものとして現われます。したがって、私たちが必要としているのはそれらの「内的な」結びつきを私たちに示すような精神の統合する力です。そして、理性の統一性はそれ自体では空虚であるため、それを満たすための自然の対象物を必要としているのです。こうして、「第三の段階」において、現象と精神的な能力が出会い、「ひとつ」になります。そのとき初めて精神が満足させられるのです。もうひとつ別の探求の領域がありますが、そこでは、個々の事実は別の不連続の事実の結果として現われるわけではありません。したがって、別の同様の事実の助けを借りてそれを理解することはできません。そこでは、一連の感覚知覚可能な要素が統合的な原則の直接的な表現として現われます。もし、私たちがいずれにしても個別の事実を理解したいのであれば、私たちはこの原則へと貫き至る必要があります。私たちはその現象を外的な影響の結果として説明することはできません。それは内から外に向けて展開されなければなりません。以前には決定的な役割を果たしていたものが、今や単なるひとつの影響、あるいは刺激となります。以前に議論した無機的な領域においては、もし、ある事実を他の事実の影響として見ること。つまり、外的な条件からそれを演繹すること―ができるならば、私はいかなるものであっても理解することができました。けれども、今や、私は異なる問いかけをするように強いられます。私が外的な影響を知っていたとしても、やはりその現象がどのように反応するかについては何も確かなことは分かりません。その反応は外的な影響を受ける現象の中心的な原則から演繹されなければなりません。私はこの外的な影響が何を及ぼすかについて語ることはできませんが、その現象の内的な原則はある一定の外的な影響に対してある一定の仕方で反応するということだけは言うことができます。生じることはどんなことであれ「内的な」法則性の結果なのです。私の探求が見出すべきものとは自らを内から外へと形成するものです。「型」とはこの領域におけるあらゆる現象の根底をなす自己構築的な原則であり、私は個々のものの中にそれを探さなければなりません。今、私たちは有機的な自然の領域にいます。私たちが無機的な自然との関係で元型的な現象と呼ぶものは有機的な自然における「型」なのです。型とは有機体の「一般的なイメージ」、あるいは「アイデア」としての動物における動物性のことです。第4章で議論した主なポイントを繰り返してきましたが、それは型についての私たちの考察にとってそれらが重要だからです。しかし、倫理的、歴史的な科学においては、より狭い意味でのアイデアが関係してきます。科学としての倫理や歴史はそれらが探求する現実であるところのアイデアによって導かれます。それぞれの科学の使命は、元型、型、あるいは歴史の場合、指導的なアイデアに到達するまで与えられた素材を吟味するということです。かつて、物理学者たちは我々が元型と呼んだところのものを理解するに至ったが、彼らに間違いはなく、哲学者たちも同様である。彼らは彼らの科学の最前線に到達し、経験的な高みに至ったということ、そして、そこからは経験のあらゆる段階を見降ろし、概観することができるということ、そして、たとえ理論の領域にまで入っていかないにしても、そこからはそれを望むことができるということを確信するようになった。哲学者たちもまた間違いがないが、それは彼らが物理学者たちの結論を取り上げ、それを彼ら自身の仕事の出発点に据えるからである(*色彩論)。哲学者たちの仕事が本当に始まるのはここからです。彼らは元型的な現象を取り上げ、それらを満足のいく内的な関連へともたらします。私たちは今、ゲーテの観点から、形而上学に取って替わるべきもの、すなわち、アイデアによって導かれる観察、元型的な現象の結合と導出を見ます。ゲーテはこのような仕方で経験的な科学と哲学の関係について繰り返し、そして、彼のヘーゲルへの手紙の中では特別な明晰さをもって語ります。彼は「年代記」の中で自然科学の図式について何度も語っています。もし、これが見つかっていたとしたら、彼がいかに個別の元型的な現象の間の関連について考えていたかが、そして、いかに合法的な順番でそれらを整理していたかが分かったことでしょう。私たちは様々な種類の影響についての彼のリストを見ることによって、これがどのようなものであったかを自分で理解することができます。偶発的な-機械的な-物理的な-化学的な-機械的な-心霊的な-倫理的な-宗教的な-天才から生じるような、この階層的なリストは私たちが元型的な現象を秩序づけるための助けになります。参考画:ゲーテとシラー(Friedrich von Schiller)人気ブログランキングへ
2024年06月04日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第10章 ゲーテのアイデアというその光の下での認識と行為1-5 佐々木義之訳2.教条的な方法と内在的な方法 教条的な方法と内在的な方法の科学的な判断は二つの概念、もしくは一つの知覚と一つの概念を結びつけることによってなされます。「原因なしに結果なし」というのは前者の種類の判断であり、「チューリップは植物である」というのは後者の例です。日常生活では、ある知覚を別の知覚に結びつける-例えば、「バラは赤い」というようなこともあります。私たちが判断するときにはいつでも何らかの根拠に基づいて行います。ここで判断のための根拠を眺める二つの方法があります。第一の学派の考え方は、判断が真実であるための客観的な根拠はその判断に貢献した概念や知覚によって提供される証拠を超越したところにある、というものです。この観点では「判断が真実であるかどうかの根拠はその判断へと導いた主観的な根拠とは必ずしも一致しません。」この観点によると、「論理的な」根拠を「客観的な」根拠と混同すべきではありません。この学派の考え方は私たちの洞察の客観的な基礎に至る道を示唆する一方私たちの認識する心に起因すると考えられる方法はその目的にとって十分なものではないということになります。私の主張の根底にある客観的な現実は私の見知らぬ世界の中にある、というのです。その主張そのものが、その「形式的な」根拠、内的な首尾一貫性、公理による支持、等々とともに、私の認識の内部にある唯一の側面です。この種の観点に基づく科学は、それがいかなる種類のものであれ、教条的です。顕現に基づく神学的な哲学は教条的な科学の例ですが、それは現代科学も同様です。ちょうど「顕現というドグマ」があるように、「経験というドグマ」もまたあるのです。顕現というドグマが伝えるのは、人間の視界からは完全に遠ざけられたことがらについての真実です。人間は出来合いの信仰条項が処方された世界について知ることはありません。私たちは私たちの信仰がよって立つところの基盤を決して見出すことができず、何かが「何故」真実なのかをそもそも知ることができません。達成可能なのは「信仰」であり、「認識」ではないのです。けれども、単に観察し、記述し、その変化を体系化する一方、直接的な経験においては「まだ与えられていないような」条件へと上昇することが決してないような実験的な科学の主張もまた、それが純粋な経験に自らを限定するべきであると主張する限りにおいて「ドグマ」です。この場合も、真実は対象への洞察を通して達成されるのではなく、外側から私たちの上に押しつけられます。私は何が起こっているかを、そして、そこに何があるかを見て、それを記録します。何故それがそうなっているかの理由はその対象の内部にあると考えられます。私は結果を見るのであって、決して原因を見ません。かつて、科学は「顕現」のドグマに支配されていました。今は、「経験」のドグマに支配されています。過去には、顕現された真実の原因について考えることはおこがましいことであると考えられました。今日では、事実が表現する以上のいかなるものも知ることはできないと考えられています。「何故」事実はこのような仕方で語り、別の仕方ではないのかという問いかけは経験の視界を越えたところにあり、したがって、それに答えることはできない、と考えられているのです。記:ドグマ(Dogma):ギリシア語では元来公的機関の政治的決定もしくは命令を意味し、さらに哲学上の諸学派の学説をもさした。教義・教説などと訳され,固定された堅固な信条をいう。したがってときには柔軟性を欠く無批判な信念という侮蔑的意味でいわれる。基本的には一つの団体なり流派なりに固有の信念であって、ドグマを認めるか否かが正統と異端とを分つ。哲学説についていうときはほとんどあしき意味である。一般にはキリスト教の教義をさし,それは啓示の意味を人語によって明確にし、公会議などが啓示真理であると宣言したものであり、全信徒を拘束する。その権威は第一に聖書に基づくが、教義決定機関としての公会議と教会 (およびその首長) の性格をめぐっての考えの相違に応じて、カトリック、ギリシア正教、プロテスタントではドグマの評価も異なる。共通して認められているドグマは三位一体と,キリストの位格 (ペルソナ) についての教理である。なお,カント哲学ではドグマはマテマ(Mathema)に対立し、概念からの直接的総合的命題をいう。なお、教条主義(ドグマティズム)とは、哲学の分野では中世のスコラ学などの定説主義や、独断主義を指す。イマヌエル・カントは批判主義に対立するものとして独断主義をとりあげた。 何故その陳述が真実であるかを、判断の真実性についての認識を超越したところで推し量ることに意味はないということを私たちは示してきました。私たちは、ものごとの本質がアイデアとして私たちの中に生じる地点にまで突き進むとき、そのアイデアは完全に自立的、自己充足的、自己完結的であり、さらなる外的な説明を要しないものであるということを理解します。すなわち、その中に安んずることができるようになるのです。私たちは、それに必要な能力が私たちに与えられるならば、アイデアはそれ自身の中にそのすべての構成要素を含んでいる、その中には私たちが求め得るすべてがあるということを認識することができます。存在の全ての基盤はアイデアの中に現れ、その中にいかなる留保もなく自らを注ぎ込んでいるので、私たちはそこから先を探す必要がないのです。私たちがアイデアの中に見出すのは私たちが事物の中に探し求めているものの「像」ではなく、それ自体なのです。私たちのアイデアの世界の各部分が私たちの判断の中に流れている分だけ、それら自体の内容によってその結果がもたらされるのであって、何か外的な理由によってもたらされるのではありません。私たちの思考の中には、私たちの主張に対する具体的な基盤が直接存在しており、それらの形式的な基盤が存在しているのではないのです。ですから、すべてのアイデアを越えたところに、思考自体を含めて、すべての事物を支える絶対的な現実がある、という観点を私たちは拒絶します。その世界観によって、到達可能な世界の中に存在の基盤を見出すことは全くできません。その観点にとって、存在の究極的な原因は私たちに現れるような仕方では世界の中に入ってきていません。それはむしろ自ら閉じた存在、現在の世界からはかけ離れた存在なのです。「現実主義」と呼ぶことができるこの観点は二つの形態をとります。つまり、世界を基礎づける現実的な存在の多様性を前提とする(ライプニッツ、ヘルベルト)か、あるいは、統一的な現実を仮定する(ショーペンハウアー)かです。いずれにしても、この「現実」がアイデアと同じものであるかどうかを知ることはできません。その性質そのものが基本的に異なっているとみなされているのです。現象の本質的な特徴に関する問題が私たちの意識の中に充分に入ってくるやいなや、現実主義者であることは不可能になります。と申しますのも、世界の「本質的な特徴」について問いかける目的とは何なのでしょうか。それは、私がものごとを見るというところにまで、そして、内なる声が、結局のところ、それは本当に私が目にしている以上のものなのだということを私に告げるところにまで本当に来ているということです。けれども、実際には、私がその事物を見ているときにも、そのより偉大な現実は既に私の中に現れようと活発に試みているのです。もし、私が説明を探し求めるとしたら、それは私の中で活動するアイデアの世界が周囲の世界についての私の説明を要求しているからに過ぎません。その内部にアイデアが生じないような存在は、ものごとをより深く説明するように動機づけられることはないでしょう。そのような存在は感覚に現れるもので十分満足するでしょう。世界を説明しようとする意欲が生じるのは、私たちの思考にとって入手可能なアイデアの内容を外観の世界へと統合し、概念的な仕方であらゆる事物に貫き至るように。つまり、私たちが「見たり、聞いたりするようなことがらを理解することがらへと変える」ように促されるときです。もし、これらのことがらをこれ以上なく深刻に考えてみるならば、私たちが記述したような現実主義を信奉することはできなくなります。アイデアではない何らかの現実を通して世界を説明しようとする試みはいかなるものであれ自己矛盾であり、第一そのような発想がどうやって追随者を獲得するのかを理解することは困難です。知覚可能な現実を、何か思考とは根本的に異なるものを通してはもちろん、思考そのものの中に見出されないような何かを通して説明する必要はありませんが、また、できることでもありません。ひとつには、私たちには完全に見知らぬものである何か、私たちには隠されてさえいるようなものの観点から世界を説明するように私たちを動機づけるものとは一体何なのでしょうか。私たちがこの隠された因子に出会うと仮定しても、一体どこで、どのような形態でと問わなければならないでしょう。それは思考の中に見出すことはできません。思考の中でないとするならば、私たちはそれを何か外的な、あるいは内的な知覚の中に見出すと期待すべきなのでしょうか?けれども、知覚世界を説明するに当たって同じ性質のものをもってすることがどのような意味で役立つというのでしょうか。私たちに残されているのは第三の可能性、私たちは、思考することはできないけれども、それでも非常に現実的な世界に思考や知覚以外の方法で到達できるという仮定―です。この過程は私たちを直ちに神秘主義へと導きます。私たちは今これに関わる必要はありません。何故なら、私たちにとって興味があるのは、思考と存在、「アイデアと現実」の関係についてだけだからです。神秘主義の認識論について書くのは神秘主義者にまかせましょう。後期のシェリングの観点は、私たちの理性は世界内容とは「何か」を展開することができるだけであって、そもそもそれが「存在する」という事実に至ることは決してできないというものでした。私たちには、これ以上馬鹿げたことはないように見えます。ある事物の「存在」は私たちにとってそれが「何」であるかの前提条件であり、それが「存在すること」を最初に確立していなければ、ある事物の「何であるか」を達成する方法はないはずです。私たちの理性によれば、ある事物が存在しているという事実は私がその意味を把握しているという事実そのものの一部です。シェリングは、世界の意味を解明することはその存在を確信していなくても可能であると考えました。このことと、存在について知ることができるのは「より高次の経験」を通してのみであるという彼の確信は、自省的な思考にとって、考えも及ばないことのように見えます。シェリングはゲーテにあれほどの衝撃を与えた彼の初期の観点をその晩年にはもはや理解できなかったと考えざるを得ません。参考画:Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling-01記:シェリングの自然哲学のうちには、生きた自然の強調、自然と精神の同根性への着眼、自然の自己組織性の指摘、自然の内的構成の原理的把握、物質の重視といった思想が認められ、きわめて現代性に富む考え方が提起されている。シェリングの関心は神の実存にのみあったとも評される。 アイデアの世界にとって接近可能な存在形態よりもさらに高次の存在形態を仮定することは許されません。人々がさらに別の現実を探し求めるのは、アイデアという存在が知覚された現実よりもはるかに高貴で十全たるものであるということを彼らが把握できないからに過ぎない、ということはよくあることです。もし、私たちがアイデアに満足できないとすれば、それは私たちがそれらを内容がなく、いかなる具体的な現実性にも欠けた心の作り話であると考えているからです。実際、それは私たちがアイデアの積極的な性質を把握できていないからです。それらを単に抽象的なものであると考え、それらの十全性、完全性、健全性についてのいかなる経験も有していないのです。教養と自己発現を通して、より高次の観点へと自らを高め、そこから、目で見ることができず、手で触ることもできず、ただ理性のみが包含することができる存在の具体的な「現実性」を理解できるようになる必要があります。言い換えれば、私たちは「理想主義」を確立しようとしているのです。しかし、それは同時に「現実主義」でもあります。このことが意味しているのは、思考はアイデアを通して現実を理解しようと願っている、ということです。この願いは「現実の本質とは何か」という問いに隠されています。この問いに対する答えは科学的なプロセスの最後にのみ現れてきます。現実主義者は真の現実を仮定し、そこから彼らの経験の世界を導き出すのですが、私たちはそのようなことはしません。私たちは、世界を説明するために私たちが有している唯一の手段はアイデアであるという事実に充分に気づいている点で現実主義者から区別されます。現実主義者たちが持っているのもこの手段だけなのですが、彼らはそのことに気づいていません。現実主義者たちは自分たちの世界をアイデアから導き出しながら、別の現実からそれを導き出していると信じているのです。モナドというライプニッツの世界はアイデアの世界そのものです。しかし、ライプニッツはアイデアの世界よりもさらに基本的な現実を手に入れたと信じていました。すべての現実主義者は同様の間違いを犯します。彼らは現実を考え出しますが、アイデアの領域に留まっていることに全く気づいていないのです。私たちはこのような現実主義を拒絶します。何故なら、それは、実際にはアイデアがその世界形成の基礎であるという事実に関して、思い違いをしているからです。私たちが同じ確かさをもって拒絶するのは、我々は我々の意識を超越できない、何故なら、我々はアイデアの世界から逃れることができず、したがって、我々の観念のすべてが、そして、全世界そのものが主観的な幻想、我々の意識が見る夢なのだから(フィヒテ)、と信じている偽りの理想主義です。そのような理想主義者たちが理解し損なっているのは、我々はアイデアの世界を超えていくことはできないけれども、それら自体が客観的な現実であり、その現実の基礎はそれ自体の中にあるのであって、主観的なものの中にではないということです。彼らが忘れているのは、我々は思考の普遍的な性質からは逃れられない、けれども、正に理性的な思考が我々を客観性のただ中に連れていくのだということです。「現実主義者が理解し損なっているのは、客観的なものとはアイデアのことでだということであり、理想主義者が理解し損なっているのは、アイデアとは客観的なものであるということです。」。私たちはまた、アイデアを通して現実を説明しようとするすべての試みは弁解の余地のない哲学的な推論であると主張する経験論者たちについて考える必要があります。彼らが強く主張するのは、我々は我々の感覚を通して直接アクセスできるものだけに限定するべきである、ということです。この観点に対する私たちの答えは単純であって、その要件はその性質上「方法論的」かつ「形式的」なものでしかあり得ないというものです。もし、私たちが所与のもののところで立ち止まらなければならないとしたら、それが意味し得るのはたったひとつ、私たちは私たちに出会うべくしてやってくるものを自分のものにしなければならないということです。けれども、私たちに出会うべくしてやってくる「何か」は「この」観点によってあらかじめ決定づけられることはできません。何故なら、その「何か」はまず所与のものそのものの中に見出されなければならないからです。純粋な経験について主張し、同時に感覚的な世界の範囲内にとどまることを要求するにはどうすればよいかを考えるのは困難です。何故なら、アイデアもまた、所与のものであるという基準を満たすことができるからです。実証主義は、「何か」とは与えられるものであり、したがって、理想主義的な探求の結果と容易に両立し得る、という問題に答えを出さないままにしておくように強いられます。この場合、経験主義の要求は私たちのものと一致します。私たちはあらゆる観点を「それらが正当化される限りにおいて」統合します。私たちの観点は世界の根幹をアイデアの中に見出すがゆえに理想主義であり、アイデアを具体的な現実として取り扱うがゆえに現実主義です。そして、それは、先験的な構成概念によってというよりは、むしろ所与のものとしてのアイデアの内容に向けて邁進する限りにおいて、実証主義(*経験的事実にのみ立脚し,先験的ないし形而上学的な推論を一切排除する哲学の立場。 狭義には神学的、形而上学的、実証的という「三段階の法則」を唱えた。A.コントの哲学とされますが、注目すべきは自然科学の成果を重んじて形而上学的な思弁を排撃することにあります。現代物理科学の基本原則:捻くって表現して物理教)あるいは経験主義です。私たちの経験的な方法は現実へと貫き至るとともに、究極的には、理想的な結果の中に満足を見出します。私たちの観点によれば、何らかの与えられるもの、知られているものに基づいて、それを基礎づけ、決定づけるところの与えられない何かの存在を結論づけることは許されません。私たちは各要素の中の一つでも与えられないようないかなる結論も拒絶します。結論を引き出すということは、与えられる要素から同様に与えられる別の要素へと論理的に移行するということに他なりません。結局、私たちはaをcによってbに結びつけるのですが、これらのいずれもが与えられなければなりません。フォルケルトは、思考は所与のもの以外の現実を仮定し、それを超越することを私たちに強いると言いますが、私たちは、私たちが直接与えられるものにつけ加えたいと思っているものは既に私たちの思考の中で活動していると言います。私たちが拒絶するのは、与えられないもの、あるいは、何か仮定されたものを通して所与のもの(*哲学で、思考の働きに先立ち、意識に直接与えられている内容。)を説明することから成るすべての形而上学です。私たちにとって、結論とは単に形式的な行為に過ぎません。すなわち、それは新しい何かへと導くのではなく、実際に存在している諸要素を結びつけることなのです。記:イツ観念論を完成させた「偉大な体系家ヘーゲル」。 西洋哲学史のテキストを開いてみれば、そのほとんどに、ヘーゲルとは「壮大な哲学体系」を構想し、みずからの哲学体系をもって哲学史の終焉を宣言した絶対的観念論の哲学者だと記されている。また、マルクス=エンゲルスの唯物主観はヘーゲルの論理学において最初の思弁的概念として生成というカテゴリーのもとに定式化されている弁証法抜きには完成しなかった。参考画:ドイツ近代哲学01人気ブログランキングへ
2024年06月03日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第10章 ゲーテのアイデアというその光の下での認識と行為1-5 佐々木義之訳1.方法論参考図:プラトンのイデア論と光の下での認識 私たちは科学的な思考を通して達成されるアイデアの世界と、媒介されることなく「与えられる」経験との間の関係を確立してきました。私たちはプロセスの初めと終わり、つまり、アイデアに欠けた経験とアイデアに満ちた現実の概念化について知るようになりましたが、これら二つの間に横たわっているのが人間の活動です。私たちの使命は初めであるものから終わりであるものを活発に展開することです。それを「いかにして」行うかというのが私たちの方法論です。もちろん、科学的なプロセスの初めと終わりの関係を私たちがどのように考えるかということについては特別な方法が求められます。その方法は何に基づけばよいのでしょうか。科学的な思考は私たちが直接与えられるものとして記述した現実の影のような形態を一歩一歩を克服し、アイデアの輝く明晰性へと上昇させなければなりません。言い換えれば、私たちの方法は、あらゆる事実について、それはいかにしてアイデアの統合された世界に貢献するかと繰り返し問いかけることにあります。その場所は世界についての私の概念的なイメージの中のどこにあるのでしょうか。私がそれを理解し、事物が私のアイデアにどのように関連しているかに気づくとき、私の認識に対する必要は満足されます。ひとつだけ不満足の源泉になり得るものが残っていますが、それは私の概念に結びつくことを否定するような事物が現れるときです。私はそれについて次のように言わなければならないようなものによって生じる知的な不満足を克服する必要を感じます。つまり、私はそれが存在していることを理解し、そして、私がそれに出会うとき、それは疑問符であるかのように私に相対するが、私はそのもののために私のアイデアと調和する場所をどこにも見つけられない。私の概念体系をどんなにひねくり回しても、それが私の中に生じさせる疑問は解決されないままであると。これは私たちが対象について考察するときに、私たちが何を必要としているのかを示唆しています。私が最初にそれにアプローチするとき、その対象は孤立したものとして私に相対します。私の思考世界はそれについての概念が横たわる地点に向けて苦労しながら進みます。私は、最初は孤立した現象として私に相対するものが私の概念体系に必須の部分として現れるまで安心することができません。そして、その対象の孤立状態は解消され、より大きな文脈の中で再び現れます。それは今や他のすべての対象についての統合された思考によって照らされます。すなわち、今やそれは全体に貢献し、私はこのより大きな調和の中でその意味を十分に理解します。このすべては私たちが経験の対象に思慮深くアプローチするとき、いつでも私たちの中で生じることです。すべての科学的なプロセスはある現象がこのようにしてアイデアの世界の調和の中に組み込まれる地点に気づくようになることに基づいているのです。これについて誤解しないようにしましょう。それは、あたかもアイデアの世界は閉ざされており、あらゆる新しいものは私たちが既に有している古い概念の意味で理解されなければならないかのようであって、あらゆる現象は既に存在している概念に基づいて説明できなければならないという意味ではないのです。私たちのアイデアの世界が広がるにつれて、私たちはまだ誰にも考えられていないような地点にやってくるでしょう。実際、科学の歴史的な発展は正に新しいアイデアの出現に基づいています。それらのひとつひとつが、何千もの糸によって、他のすべての可能な思考へと結びつけられます。これらの結びつきのそれぞれが独自の形態を取ります。いずれの場合も、結びつきは異なっています。「そして、科学的な方法とは正にこのこと、つまり、ある特定の現象についての概念をアイデアの世界の他の部分との結びつきにおいて示すことなのです。」このプロセスは概念の演繹あるいは証明と呼ばれます。いかなる種類の科学的な思考も、諸概念の間の結びつきを見出すこと、ある概念を他の概念から生じさせることだけから成立っているのです。科学的な方法はこの概念間の行き来を含んでいます。読者の皆さんは私が単に理解可能な世界と感覚世界の間の調和という語りつくされた物語の別のバージョンを記述しているだけではないかと思うかもしれません。その教義によれば、もし、このようにして概念の間を行ったり来たりすることが私たちを現実についての正確なイメージへと導くのだと信じるならば、客観的な世界と私たちの概念の間には調和が存在していると仮定しなければならなくなります。けれども、それは個々の対象と概念の間の関係についての間違った見方なのです。私がある特定の対象あるいは現象に最初に直面するとき、私は、それが「何」であるかについて、何のアイデアも持っていません。私がそれに貫き至り、その概念が私にとって明確になった後ではじめて、私は私が「何」を見ているのかを知るのです。このことは、特定の対象とその概念とは二つの「異なる」ものであるということを示唆するものではありません。そうではなく且つそれらは同じものです。ある特定の対象において私に自らを提示するものは、その概念そのものに他なりません。私がその対象を孤立したもの、現実のその他の部分から切り離されたものとして見るのは、私がまだそれをその本質において知覚しておらず、それがまだありのままの姿で私に自らを提示していないという理由によります。このように考えることにより、私たちは、個別の対象は思考体系の中で特別な内容を示すという科学的な方法の特質をさらに特徴づけたことになります。それはアイデアの世界の全体性に根ざしており、この全体性との関連でのみ理解され得ることです。こうして、あらゆる対象物は必然的に二重の使命を私たちの思考に提示します。私たちは第一に、対応する思考の輪郭をしっかりと確立し、第二に、その思考からアイデアの世界全体につながる糸を打ち立てなければなりません。現実は個々の詳細における明晰さと、総体における深みを要求します。一方は知性の仕事であり、他方は理性の仕事です。知性は現実の個々の側面のために思考形態を創造します。それらをより正確に記述すればするほど、それは輪郭をより鮮明に描き出し、その仕事はより忠実に行われることになります。そして、理性は、アイデアの世界と調和して、それらの思考にそれらの場所を割り当てます。このことはもちろん、知性によって創造された思考内容の内に統一性が既に存在しているということ、つまり、知性は私たちの思考内容のすべてを人工的に分離したままにするけれども、ひとつの生命がそれらに浸透している、ということを前提としています。理性は明晰性を失うことなくその分離を克服します。知性が私たちを現実から引き離す一方、理性が私たちをそれに引き戻すのです。このことは図式的に表現することができます。挿入図1:α1.2.3.4.5 すべての部分が全体的な構成の中で結びつけられています。つまり、同じ原則がすべての部分の中で働いています。知性は個々の形態を分離しますが、それは私たちが、与えられた外的な世界の中で(実線で示されるように)、それらに別々に出会うからです。そして、理性は(破線で示される)それらの統一性を認識します。二つの経験-1)太陽が照りつけている、2)暖かい石を仮定するとき、私たちの知性はそれらを分離したままにしますが、それはそれらが「二つの」現象として自らを提示するからです。一つは原因、他方はその結果と考えられます。そこに理性がやってきて間仕切りを取り去り、「二重性の中に統一性」を見ます。知性によって創り出された全ての概念―原因と結果、実質と特性、体と魂、アイデアと現実、神と世界、等々―は統一的な現実を人工的に分離したままにするやり方に過ぎません。他方、理性の役割は知性の明晰性を神秘的な仕方で曖昧なものにしたり、創造された内容を帳消しにしたりすることではなく、多様性の中に内的な統一性を求めることです。こうして、私たちは知性によって遠ざけられた統一的な現実へと引き戻されます。より正確に言うならば、「概念」とは知性の産物であり、「アイデア」とは理性の創造物です。ここで、科学の道は概念を通してアイデアへと導くということが分かります。このような考えは知るということに関する主観的な要素と客観的な要素の間の明確な違いを提示します。私たちの現実が分割されているのは純粋に主観的なことであり、私たちの知性によって創り出されている、ということは明らかです。私は同一の客観的統一体を他の人たちとは異なる個別の思考へと分割することができます。しかし、理性は、その結びつきを通して、私たちがそこから出発した客観的な統一体を復元することができます。挿入図2:Fig.1-Fig-2.Fig-3 現実の統合されたイメージ(図1)は、それを理解するために分解することができます。私はある方法でそれを分解する(図2)かも知れませんが、別の人は別の方法で分解するでしょう。私たちの理性はそれを結びつけ、同一の統合されたイメージに戻します。このことは、現実は同じはずであるにもかかわらず、何故、人間はそれについてあれほど多くの異なる概念や様々な観点を有しているかということの理由を理解するための助けとなります。「その違いは私たちの知的なアプローチの違いによるのです。」このことは様々な科学的観点の発達の上に光を投げかけ、哲学的観点における多様性の起源を理解する助けとなりますが、それらの内のいずれをも真実として認定する必要はありません。人間の概念の多様性を考えるとき、問題は単にその概念が正しいか間違っているかということではありません。私たちはいつもある特定の思索家の知的世界がいかにして世界調和の中から生じてくるかということを理解しようとします。つまり、私たちは、たまたま私たちの意見とは一致しない意見を、間違いであるとして糾弾するのではなく、むしろ理解しようとするのです。科学的観点における相違は各人が異なる経験の領域を持っているという事実に関連しています。私たちはそれぞれ、全体としての現実のほんの一部だけに出会いますが、各人の知性が処理するのはその一部であり、そのわずかな部分がアイデアへの道を仲介するのです。ですから、私たち全員が同じアイデアを認識していたとしても、それはいつも異なる領域においてなのです。「最終的な結果」だけが「同じ」である可能性があるのであって、そこに導く道は異なっているかもしれません。私たちの認識を構成する個別の判断や概念が一致する必要はないのです。とはいえ、重要なのは、それらの判断や概念が、最終的には、アイデアが流れる川の中で私たちを泳がせるようにするということです。全てが語られ、そして、為されたとき、全ての人間がこの流れの中で出会うのですが、それは活動的な思考が彼らをその隔てられた観点を越えた地点へと連れていくときです。もちろん、限定的な経験や非生産的な心は「一方的で」不完全な観点へと導きます。しかし、最も限定的な経験であっても最終的には私たちをアイデアの世界へと導いていくはずです。何故なら、私たちがこの領域へと上昇するのは、私たちの経験の広さによってではなく、私たちの人間としての生来の能力によってだからです。限定的な経験の結果として生じるのはアイデアの領域についての一方的な「表現」であるに過ぎません。それは私たちの内に輝く光を生じさせるための私たちの手段を限定的なものにしますが、この光が私たちの内に生じることを完全に妨げるものではありません。私たちの科学的な、あるいは一般的な観点が網羅的なものであるかどうかはそれらの精神的な深さとは全く関係がないのです。ゲーテに戻りますと、彼の多くの叙述はこの章の中で記述された考えから導かれるということが理解されるようになるでしょう。そして、私はこれが著者と解説者の間の唯一の正しい関係であると考えているということをつけ加えておきたいと思います。ゲーテは「もし、私が私自身や外の世界に対する私の関係を知っているならば、私はそれを真実と呼ぶ。そして、誰もが自分自身の真実を有することができるとはいえ、それでもやはりそれはいつも同じものなのだ(散文の中の韻)」と書いています。これはこれまでの考察に基づいてはじめて理解できます。人気ブログランキングへ
2024年06月02日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第9章 ゲーテの認識論 佐々木義之訳 私たちはこれまでの章で、ゲーテの科学的世界観は決して完全に一体的なものとして定式化されたり、一つの原則から発達したりしたのではないという事実を指摘してきました。あれこれの考えがいかにして彼の思考方法という光の中で現れるかを示す個々の表現だけが私たちの前にあるのです。それは彼の科学的な著作についても、彼の「散文の中の韻」や彼の友人たちに宛てた手紙の中で彼が与えた簡単な示唆についても言えることです。彼の世界観の芸術的な定式化は最終的には彼の詩集の中に見出されますが、それらもまた彼の基本的な考えに対する実に様々な手掛かりを与えてくれます。私たちは、ゲーテはその基本的な原則を決して一貫性のある総体としては表現しなかったということを率直に認めるとしても、彼の世界観は厳密に科学的な仕方で定式化し得る理想の中心から湧き出してはいないという主張を正当化するつもりは全くありません。私たちの前にあることがらをはっきりさせましょう。ゲーテのあらゆる創造に浸透しつつ、それらを生き生きとさせ、内的に推進する原則として彼の精神の中で働いていたものは、そのようなものとして現われることはあり得なかったのです。それは彼の作品すべてに浸透していたために、同時に、独立した実体として、彼の意識の中に現れることは不可能でした。もし、それが現われていたとしたら、実際にはいつもそうだったように活発に働く代わりに、何か完成されたもの、静止したものとして、彼の心の前に現われていたことでしょう。ゲーテを解説する者としては、この原則の様々な活動や現れをその絶えざる流れの中で追求し、それによってその理想的な輪郭を統一性のある総体として描き出すということがその仕事になります。私たちがゲーテの顕教的な作品をその真の光の下に見ることができるのは、この原則の科学的な意味を明解かつ正確に定式化することに成功し、科学的な一貫性をもってその様々な側面を発達させるときだけです。何故なら、私たちはそのときそれらが共通の中心点から展開してくるのを見ることができるからです。この章では認識についてのゲーテの理論、つまり認識論(Epistemology)を扱うことになりますが、この科学とゲーテとの関係を考察する前に、不幸なことにカント以来続いてきたその使命に関するある種の混乱について簡単に触れておかなければなりません。カントが信じていたのは、彼以前の哲学が迷路に陥っていたのは、ものごとの本質的な特質を認識するに当たって、そもそもそのような認識が可能かどうかをまず問うことなくそれを追及していたからであるということです。彼は、彼以前のあらゆる哲学することにおける根本的な病理は思考家が私たち人間の認識能力を検証する以前に対象の本質について考えていたという事実の中にあると見ていました。そこで、彼はこの根本的な哲学的問題の検証に乗り出し、それによって新しい思想の潮流を作り出しました。カントに基礎を置くそれ以後の哲学はこの問題において語られて来なかった認識力に焦点を当ててきました。そして、今日の哲学界において、その解決に向けたアプローチが今までになかった程になされています。けれども、その結果、認識論とは、「認識はいかにして可能か」という問題に対する包括的な答え以上のものではないと思われるようになりました。ゲーテに当てはめてみますと、その問題は「認識の可能性についてゲーテはどのように考えていたのか。」ということになるでしょう。けれども、より綿密に検証してみますと、この問題に対する答えは認識論への出発点にはなり得ないということが分かります。何故なら、もし、私が、何らかのものはいかにして可能になるかと問うのであれば、私はそのものの本質を既に検証していなければならないからです。一方、カントとその追随者たちによって全く受け入れがたいと考えられた認識、彼らはそれが可能かどうかを問うたそれについての概念はどうなるでしょうか。もし、それが透徹した批判に耐えられないとしたらどうでしょうか。もし、私たちの認識のプロセスが、それに関するカントの定義とは全く異なる何かであったとしたらどうでしょうか。そのとき、彼のこの分野における仕事のすべては価値のないものとなるでしょう。カントは普通に受け入れられていたような、知るということについての概念を当然のものとして、それから、その可能性を調べたのです。この概念によると、知るということは、私たちの意識の外にそれ自体として存在する現実についての記述です。けれども、私たちは、知るということがどういうことなのかを理解する前に、知ることができるかどうかを決定することはできません。したがって、いかなる認識論にとっても、「知るということはどういうことか。」という問題が主要な関心事となります。ですから、私たちの使命は、知るということについて、ゲーテがどのように考えていたかを示すということになります。何らかの判断を下すこと、あるいは、ある事実又は一連の事実を認識すること、それはカントにとっては認識と呼べるような何かは、ゲーテの意味では、まだ知るということではありません。そうでなければ、彼は、(芸術の最高の形としての)型が認識における最も深い根底に存在している、したがって、それは単なる自然の模倣、すなわち、芸術家が自然の対象物に向き合い、その形や色を最高の正確さで忠実かつ熱心に模倣し、それらから少しでも遠ざかることを注意深く避けるような模倣とは区別されるとは言わなかったはずです。この直接感覚に与えられる世界から距離を置くことは純粋に知ることについてのゲーテの観点に特徴的なものです。直接与えられるものとは経験のことです。私たちが知るとき、直接的に与えられるものの像を創り出すのですが、それは感覚、あらゆる経験を仲介するものが与えることができるよりもかなり多くのものを含んでいます。ゲーテの意味で自然を把握するためには、その直接的な事実関係に拘泥すべきではありません。自然は、認識のプロセスを通して、一見したときに現れるよりも何か本質的により高次のものとして現われるに違いありません。ジョン・ステュアート・ミルの学派は、私たちが経験に関してできることは様々な事物をグループ分けし、それらを抽象的な概念として保持することだけだと考えています。けれども、それは真に知ることではありません。何故なら、ミルの抽象的な概念は、直接的な経験という特質のすべてとともに、感覚に自らを現わすものを単に要約しているに過ぎないからです。真に知るということは、与えられた感覚知覚可能な世界の直接的な形態はまだその本質的な形態ではなく、知るというプロセスの中でのみそれは自らを私たちに現わす、ということを認めるものでなければなりません。知るということが私たちに与えるのは、感覚的な経験は与えないけれども現実であるところのものであるに違いありません。ミルが言っているのは、真の知るということではありません。何故なら、それは、私たちの目や耳が私たちにもたらすものをそのままにしておく感覚による経験を洗練したものに過ぎないからです。それは、以前の、あるいは、より最近の形而上学者たちが好んでするように、経験の領域を越えてファンタジーの世界に自分を見失うことではありません。私たちはその代わり、感覚に与えられるものとしての経験から私たちの理性を満足させる経験の形へと前進しなければなりません。今や、新しい問い、仲介されない経験と知の過程で生じる経験像との間の関係とはいかなるものかという問いが生じます。私たちはこの問いに対して、まず私たちとしての答えを出し、そして、それがゲーテの世界観からも導かれることを示したいと思います。最初、世界は空間と時間の中における多様性として私たちの前に自らを現わします。私たちは空間と時間の中にある個々のものを別々に、つまり、ここにはこの色が、あそこにはこの形が、今この音が、今あの雑音が、等々というように知覚します。まず無機的な世界からの例を取り上げ、私たちが感覚を用いて知覚するものと認識プロセスを通して生じるものとの間の違いを大いなる正確さをもって区別してみましょう。私たちは石がガラス板めがけて飛んで来て、それを打ち破り、最後に地面の上に落ちるのを見ます。私たちは、直接的な経験としてここで与えられるのは何なのかと問います。それは、石によって次々に占められる場所からやってくる一連の視覚的な知覚、ガラスが砕け散るときの一連の音の知覚、飛び散るガラスの破片、等々です。私たちは、もし、自分を欺くつもりがないのならば、私たちの直接的な経験に提示されるのはこの雑多な知覚の寄せ集め以上のものではないと言わざるを得ないでしょう。直接的な知覚(感覚による経験)に関する同様の厳格な制限については、フォルケルトによるカントの認識論に関する優れた論文の中に見ることができます。これは現代哲学が生みだした最高のもののひとつです。しかし、フォルケルトが何故、個別的な知覚表象を心的な像と見なし、それによって、最初から客観的な認識の可能性を排除したのかを理解するのは不可能です。直接的な経験を心的な像の総体と見なすのは間違いなく先入観によるものです。もし、私の前に何らかの物体があるとすると、私はその形や色を見、ある種の硬さやその他のものを知覚します。最初、私の感覚に与えられるこのイメージの寄せ集めが私にとって何か外的なものなのか、あるいは単なる内的な表象なのかは私には分かりません。最初、石の温かさが太陽光で暖められた結果なのかどうかがよく考えてみなければほとんど分からないように、私に与えられる世界と、心象を形成する私の能力との間の関係がどのようなものなのかは分かりません。フォルケルトは彼の認識論を始めるに当たって、「我々は様々な種類の多様な心象を有している」という命題を立てました。私たちには多様性が付与されているというのは正しいとしても、私たちはこの多様性が心象から成っていることをどうやって知るのでしょうか、フォルケルトが最初、直接的な経験によって私たちに何が与えられるかを確かめなければならないと主張した後、経験の世界は心象の世界であるという与えられることができないような何かを仮定するとき、実際、彼は全く許容できないようなことを行っているのです。私たちがそのような憶測を行う瞬間、私たちは今特徴づけたような認識論的に不正な質問をせざるを得なくなります。もし、私たちの知覚が心象であるならば、私たちの認識の全てが心象であることになり、ある心象はそれが表していると考えられる対象といかにして一致し得るのかという問いが生じることになります。参考画:ヨハネス フォルケルト(Johannes Volkelt)記:ヨハネス フォルケルト(Johannes Volkelt/1848 - 1930)はドイツの哲学者。元・ライプチヒ大学教授。バーゼル、ビュルツブルク、ライプチヒ大学教授を歴任した哲学者で、美学者としても名高い。カント、ヘーゲル、ショウペンハウワーの影響を受け、認識論から批判的形而上学を唱え、自説を主観主義的超主観主義と称す。また美学においてはリップスの感情移入説を用い思弁的美学と心理学的美学の総合に立ち、究極のところ美に形而上学へと向かう。 とはいえ、何らかの真の科学がそもそもこの問題に取り組むということがあったでしょうか。数学について考えてみましょう。3直線が交わることによってできる形つまり三角形があります。3つの角α、β、γは一定の関係、つまり、合わせて180°あるいは直角2つ分になるという関係を維持しています。これは数学の命題です。知覚されているのは角α、β、γです。上記の認識論的な判断には、思索的な考察に基づいて到達します。この判断は3つの知覚像の関係を確立します。三角形という心象の背後に何らかの対象物を考えることが問題になることはありません。すべての科学についても同様です。それらはひとつの心象から別の心象へと糸を紡ぎ出し、直接的な知覚という観点から見ると混沌であるところのものに秩序をもたらします。しかし、与えられたものの他にはいかなるものも考察の対象として入ってくることはありません。心象とその対象物との一致に真実があるのではなく、むしろ、2つ(あるいはそれ以上)のものの間にある関係の表現が真実なのです。石と窓ガラスの例に戻りましょう。私たちは、石がそこを通って移動するところの個々の場所からやってくる視覚的な知覚を結びつけます。この結合によって曲線(放物線)が与えられ、放物線の法則が得られ、さらに進むと、ガラスの物質としての特徴が知覚され、そして、石は原因であり、ガラスが割れたのはその結果でありというようなことが分かります。すなわち、私たちは与えられたものに概念を浸透させ、それによって、それを理解するようになるのです。この働きの全ては私たちの意識の中で生じますが、それによって、知覚されたものの多様性は概念の統一体へと集約されます。知覚的なイメージのアイデア的な相互関係は、感覚を通して与えられるのではなく、むしろ、私たちの心により、独立して把握されるのです。感覚知覚能力だけを付与された存在にとっては、この過程全体は生じ得ないものです。外的な世界は、そのような存在にとって、私たちが最初に(直接的に)直面するものとして特徴づけたように、構造を持たない知覚的な混沌のままに留まるでしょう。ですから、人間の意識とはいくつかの知覚的なイメージがそれらのアイデア上の相互関係において現れる場所であり、そこでは後者が前者の概念的な対応物としてそれらの前にさらされます。この概念的(法則的)な相互関係がその実質的な側面において生じるのは私たちの意識の中においてであるという事実は、それがその意義という点で主観的なものであることを意味してはいません。逆に、その意味あるいは内容は、ちょうどその概念的な形態が私たちの意識から生じてくるのと同様、確かに客観的な世界から生じてきます。それは知覚的なイメージを必然的、客観的に補足するものなのです。私たちがこの必然的な補足物をつけ加えるように強いられるのは、正に、私たちの感覚による知覚が不完全であり、それ自体では未完成であることによります。もし、直接与えられるものがそれ自体で満足すべきものであり、あらゆる点で私たちに問題を生じさせないのであれば、私たちがそれを超えていく必要は決してなかったことでしょう。けれども、知覚的なイメージは、ひとつのものが別のものに続き、それがその結果として生じるのを見ることができるというような仕方で生じることは決してありません。それらはむしろ感覚的な知覚をもってしては近づくことができないような何か別のものの結果として生じます。概念的な理解がそれらと出会い、感覚には隠されたままに留まる現実の側面を把握することになるのです。もし、感覚的な経験がそれ自体で完結した何かを私たちに提供したとすれば、知るというプロセスは本当に無用なものであったことでしょう。感覚的に知覚可能な事実を結びつけたり、秩序づけたり、あるいはグループ化したりすることは、そもそもいかなる客観的な価値も持っていなかったことでしょう。認識活動が意味を持つのは、感覚に与えられる構造を完全なものとは見なさず、それは単に全体の半分に過ぎない、それはそれ自身の内に何かもっとより高次の秩序、それはもはや感覚にとって直接知覚することができないような何かを有していると私たちが見なすときだけです。人間の精神が活動的になり、今や、そのより高次の要素を知覚します。ですから、思考を現実の本質に何かをつけ加えるものとして考えるべきではありません。それは目や耳と同様、知覚器官以上のものでも以下のものでもありません。ちょうど、目が色を知覚し、耳が音を聞くように、思考はアイデアを知覚するのです。ですから、アイデア主義な探求の原則と経験主義的な探求の原則とは完全に両立します。アイデアとは、主観的な思考の内容ではなく、探求の結果なのです。現実が私たちに出会うのは、私たちが開かれた感覚を持ってそれに近づくときです。それは私たちに偽りの姿で自らを提示し、私たちはそれをその真の形態であるとは見なしません。私たちが後者に至ることができるのは、私たちの思考を働かせるときだけです。知るということは、私たちが感覚的な経験という半分の現実に対して思考を通して知覚するところのものをつけ加えるということ、そして、それによって、私たちの現実についての像が完全なものになるということを意味しています。すべては私たちがアイデアと感覚知覚可能な現実との間の関係をどのように考えるかにかかっています。後者は私たちの感覚が私たちにもたらす知覚の総体を意味しています。今、最も広まっている観点は、概念とは単に私たちの意識が外的な現実に関するデータを自分のものにするための手段に過ぎないというものです。現実の本質は物自体の中にのみ存在しており、たとえ私たちが実際にその主たる本質に至ることができたとしても、私たちに残されるのはただその概念的な表現だけであり、決してその本質自体ではない、と考えられているのです。ですから、この観点は二つの完全に別の世界、つまり、客観的な外的世界、それはその内部にその本質的な特質、その存在の基礎を担っていと主観的なアイデアという内的な世界、外的世界の概念的な複製物を仮定します。この内的世界は、外的世界にとって全く関心のない出来事であり、それによって求められることもなく、単に認識を行う人間にとってのみ存在しているのです。この基本的な観点の認識論的な理想はこれら二つの世界の調和を達成するということでしょう。その追随者としては、私たちの時代の主流となっている科学だけではなく、カント、ショーペンハウアー、そして、新カント主義の哲学が含まれますが、シェリング哲学の最終局面も同様です。これらの思想的な潮流はすべて、主観を超越した領域に世界の本質を求めますが、彼らの観点からして、主観的でアイデア的な世界は彼らにとっては単なる心的な表象の世界に過ぎませんし、現実自体にとっては何の意味もなく、単に人間の意識にとってのみ意味があると認めざるを得ないという点で一致しています。既に示したように、この観点は概念(アイデア)と知覚の完全な一致という仮定へと導きます。知覚の中に見出されるものは、その概念的な対応物の中では、単にアイデア上の形態において模造されるはずのものです。それらの本質に関しては、両方の世界が完全に一致していなければならないでしょう。時空の現実的な状態は、知覚された空間的な広がり、形、色等々の代わりに、対応する心象が存在するはずであるという点を除けば、アイデアの中で正確に繰り返されることになります。例えば、もし、私が三角形を目にするならば、その輪郭、大きさ、線分の傾き等々を私の思考の中で追って行き、その概念的な写像を自分で創り出さなければならないでしょう。第2の三角形に向かうときにも、外的あるいは内的な感覚世界におけるあらゆる対象物に関しても、同様にしなければならないでしょう。ですから、世界についての私のアイデア像の中には、各対象物がその正確な位置と特徴を伴って再び見出されるはずです。私たちは今、この広く支持されている観点の結果は事実と一致するのか?と問います。全く一致しません。三角形という私の単一の概念は、あらゆる個々の知覚された三角形を包含しています。すなわち、私がそれを何度意識に上らせたとしても、それはいつも同じものに留まります。三角形という私の様々な心象はすべて同一です。私は三角形というたったひとつの概念を有しています。現実には、あらゆる個別の事物は十分に定義づけられた「これ」として、同様によく定義づけられ、完全に現実的な「あれら」に対置されて自らを提示します。厳密にひとつの統一体であるところの概念がこの多様性と出会います。その中には、いかなる個別のものも、いかなる部分も存在しません。それは増殖せず、何度写し取られたとしても同じものに留まります。さて、ここで、概念の同一性の実際の源泉は何かという疑問が生じます。その心象としての表れでないことは確かです。と申しますのも、バークレーが、木についての私の現在の心象は私が目を閉じたまま1分経った後に私が有することになるはずの心象とは何の関係もない、そしてもし、何人かの人たちが同じ対象についての心象を形成したとしても、それらはやはりお互いに何の関係もないだろうと主張するとき、彼は完全に正当化されるからです。このように、同一性はただ心象の意味の中に存在することができるだけです。それらの同一性を裏づけるのはそれらの意味、あるいは本質的な内容(概念的な側面)なのです。こうして、概念あるいはアイデアに対してあらゆる独立した意味を否定する観点は崩れ去ります。この観点が特に主張するのは、概念的な統一性そのものは(それ自体の)内容を全く欠いている。それが生じるのは経験の対象となるものの中の何らかの特別なものを省略することによってのみであるということです。共通の要素は強調され、私たちの知性に組み込まれますが、その理由は、最小限の一般的な用語を使って、つまり、最少エネルギー消費の原則にしたがって―客観的な現実の多様性を包含することにより、その簡便な把握を達成するためです。ショーペンハウアーはこの観点を現代科学の哲学と分かち合っています。その最も粗野で、したがって、最も一面的な帰結が、リチャード・アベナリウスの小冊子「エネルギー消費最少の原則にしたがって世界を考える哲学」の中で表現されています。けれども、この観点は、単に概念の内容に関してだけではなく、知覚内容に関しても、完全な誤解の上に成り立っています。この問題を明らかにするために、個別性のある知覚を普遍性のある概念に対置させる基本的な洞察に立ち戻りましょう。私たちは、個別性を実際に区別しているものは何なのかと自分に問わなければなりません。私たちはそれを概念的に規定することができるでしょうか。私たちは、概念的な統一性はあれこれの個別的な知覚的多様性にブレークダウンすることができる、と言うことができるのでしょうか。それは確かに不可能です。概念自体は個別性とは何の関係もありません。したがって、その個別性はそのようなものとしての概念にとっては接近不可能な要素から成立っていなければなりません。知覚と概念の間の中間段階については知られていませんから、今日ではほとんど真剣に取り上げられることのないカントが言うところの想像上の神秘的な図式を導入するつもりがないのであれば、個別のもののこれらの要素は知覚自体に属していなければなりません。それらの個別性の理由は概念から導かれるのではなく、知覚そのものの中に求められなければなりません。ある対象の個別性を構成するものは概念的に把握され得るのではなく、ただ知覚されることができるだけなのです。知覚された現実の総体を概念自体から導き出そうと試みるあらゆる哲学の避けがたい挫折の理由はここにあります。世界全体を人間の意識から導き出そうとしたフィヒテの古典的な失敗もまたここにあります。実際に、知覚を概念から区別しているのは、本質的には概念化されることができず、ただ経験されなければならない正にこの要素なのです。こうして、概念と知覚は、二つの異なる世界の両側面として、とはいえ、その本質的な特徴においては同一のものとして並置されています。そして、既に示してきたように、知覚は概念を要求することから、その本質はその個別性にあるのではなく、その概念的な普遍性にある、ということになります。とはいえ、その表現に関しては、この普遍性はまず主観の中に見出されなければなりません。何故なら、それは対象からは導き出され得ない一方、主観が対象を調べるとき、それは実際、主観によって見出され得るものだからです。概念はその内容を感覚的な経験から引き出すことができません。その理由は、それが正に経験に特徴的なもの、つまり、その個別性をそれ自身の中に取り込まないからです。あらゆる個別的なものは概念にとっては見知らぬものです。したがって、概念はそれ自身の内容を提供しなければならないのです。よく言われるのは、経験の対象は個別的で生き生きとした知覚であるのに対して、概念は、内容に満ちた知覚と比較して、抽象的で、貧しく、空虚で、微々たるものである、ということです。これらの多様で感覚的な個別性という豊かさはそれらの数の中に求められますが、それは空間の無限性のゆえに、確かに偉大なものであり得ます。しかし、だからといって、概念がより不十分に定義されるというわけではありません。何故なら、そこでは、数は質によって置き換えられるからです。そして、ちょうど量が概念の中に見出されないように、知覚はダイナミックな質的特徴に欠けています。概念は知覚と同様、個的なものであり、その内容は同じように豊かなのです。ただ違いは、知覚の本質を把握するためには、感覚を開くということ以外、つまり、外的な世界に対する純粋に受動的な関係以外には何も要求されないのに対して、世界のアイデア的な重要性は、そもそもそれが現れるべきであるならば、私たち自身の自発的な精神活動を通して生じなければならない、というところにあります。概念は生き生きとした知覚の敵であるというのは考えのない、月並みな言い方です。概念は知覚の本質存在であり、それを実際に動かす活動原則なのです。すなわち、それはそれ自身の内容を知覚内容につけ加えながら、後者を排除することはありません。何故なら、それはそのようなものとしての知覚上の内容には関係していないからです。しかし、それにも関わらず、それは知覚の敵であると考えられているのです。概念が知覚の敵となるのは、間違った哲学が感覚世界の豊かさのすべてをアイデアから紡ぎだそうとするときだけです。そのような哲学は、生きた自然の代わりに空虚な言葉の体系だけを生み出すでしょう。私たちはここで示された方法によってのみ、経験に基づく認識を実際に構成するものについての満足のいく説明に至ることができます。もし、概念が私たちの感覚知覚に何か新しいものをつけ加えるのでないとすれば、何故、概念的な理解へと進まなければならないかを説明することはできないでしょう。純粋に経験的な認識は私たちの知覚の前に置かれた何百万もの個別のものを越えて、一歩も進むことはできないでしょう。純粋に経験的な認識が首尾一貫したものであるためには、それ自身の内容を否定しなければならないでしょう。と申しますのも、何故、私たちは私たちの知覚の中に既に存在しているものを概念的に再創造しなければならないというのでしょうか。これらの考察の光の下では、首尾一貫した実証主義はすべての科学的な働きを直ちに停止し、ランダムな生起にのみ依拠しなければならなくなるでしょう。実際にはそうなっていませんから、それはそれが理論的に拒絶していることがらを実行していることになります。事実、唯物主義も写実主義も暗に私たちの主張を認めているのです。それらが実際に行っていることがらが正当化されるのは私たちの観点からのみであって、それら自身の根本的な理論とは明らかに矛盾しています。私たちの立場からすれば、科学的な認識の必然性と感覚的な経験を越えていく必要性は矛盾なく説明することができます。感覚的な世界は、さしあたり、そして、直接的に与えられたものとして、私たちの前に現れます。それは巨大な謎のように私たちに相対しますが、それは私たちがこの世界そのものの中にそれを突き動かし、形作り、活発にさせるものを見出せないからに過ぎません。今、理性が入り込んできて、その考察の対象となるアイデアの世界をもって、謎への解答を構成する支配原則を感覚の世界に向かって掲げます。これらの原則は感覚の世界そのものと同様に客観的なものです。それらが感覚には現れず、理性にのみ現れるという事実はそれらの内容とは関係がありません。もし、思考する存在がいなかったとすれば、これらの原則は決して現れなかったことでしょう。けれども、そのことで、それらが現象世界の本質であるという事実から貶められることは決してありません。こうして私たちは、ロック、カント、後期のシェリング、ショーペンハウアー、フォルケルト、新カント主義、そして、現代科学の超越論的な世界観に対抗して、真に意識内在的な世界観を掲げます。彼らが現実についての主要な原則を、私たちの意識を超えた、見知らぬ領域の中に求めるのに対して、意識内在的な哲学はそれらの原則を理性に現れるものの内に求めます。超越論的な世界観は概念的な認識を世界の像と見なします。意識内在的な見方はそれを世界が最高の形態で現れたものとして見ます。前者が生み出すことができるのはせいぜい思考と実際の存在との関係とはいかなるものかという問いに基づく認識についての形式的な理論です。後者はその認識論の最初に、知るとは何かという問いを置きます。前者は、思考と存在との間には本質的な違いがあるという偏見から始めます。後者は、私たちに思考についての確かさを与える唯一のものの探求へと偏見なしに入っていきます。そして、それは、思考の外側にはいかなる存在も見出すことができないということを知っています。私たちの認識論的な考察の総括は次のような結果に至ります。私たちは私たちの思考を動かす前に、私たちの感覚に与えられるままの全く不確定で直接的な現実の形態、単に見たまま、聞いたまま、等々のもの―から始めなければならない。重要な点は、感覚によって私たちにもたらされるものと私たちの思考がそれにもたらすものとを区別するということです。感覚は事物の間に何らかの特別な関係があること、例えば、これが原因で、あれが結果であるというようなことを私たちに伝えたりはしません。感覚にとっては、すべてのことがらが世界の成り立ちにとって同等の重要性を有しています。考えに欠けた観察は、一粒の種は路上の砂粒よりもさらに高い複雑さのレベルにある、ということを示しません。感覚に関する限り、それらが似たようなものに見えるならば、それらいずれも同じように重要なのです。このレベルの観察においては、ナポレオンがどこか田舎の農夫以上の世界史的な重要性を有することはありません。今日の認識論はこの程度にまでしか進歩していないのです。事実上すべての認識論者たちが、知覚の最初の段階で、当初は不確かで定まらない表現として私たちに相対するものを心象であると直ちに指定するという間違いを犯しているという事実は、これらの真実が決して徹底的に考え抜かれてこなかったということを示しています。しかし、それは正に今私たちが獲得したばかりの洞察を無作法に踏みにじることに他なりません。私たちが純粋な感覚知覚の段階に留まる限り、私たちは、落下する石が、それが落ちた地面の穴の原因であることを知らないのと同じくらい、それがひとつの心象であることを知る由もないのです。私たちが前者の判断に至ることができるのは注意深い考察を通してのみであって、私たちに与えられる世界が単なる心象に過ぎない(それが真実であると仮定すればですが)という洞察に至ることができるのは、よく考えてみることを通してのみなのです。私の感覚は、それがもたらすものが実際の存在なのか、あるいは単なる心象に過ぎないのかについて、何の手がかりも私に与えません。感覚の世界は瞬間的に、あたかもピストルから発射されたかのように私たちに突進してきます。もし、私たちがそれを純粋なままにしておきたいのであれば、私たちはそれにいかなる質的な特徴も付与することを控えなければなりません。私たちに言えるのはひとつだけ、それが私たちに相対している、私たちに与えられているということだけです。それはこの感覚的な世界そのものについて何も述べません。私たちは、このように前進することによってのみ、与えられたものの偏見のない評価への干渉を避けることができます。私たちが、与えられたものに対して、最初から特別な特徴づけを行うならば、この偏見からの自由は失われます。例えば、もし、私たちが、与えられたものは心象である、と言うならば、私たちの探求全体がこの前提の上に基礎づけられることになるでしょう。私たちはそのとき、認識に関する偏見のない理論を提供するのではなく、むしろ、感覚に与えられるものは心象であるという前提に基づいて、知るとは何かという問いに答えることになるでしょう。フォルケルトの認識論の根本的な間違いはここにあります。最初、彼は、すべての認識論は偏見から自由でなければならないという厳密な要求を打ち立てます。けれども、次に彼は、我々は多様な心象を有しているという主張へと進みます。こうして、彼の認識論は、もし、与えられたものが多様な心象であると仮定するならば、いかにして知ることが可能となるかという問いに対するひとつの回答に過ぎなくなります。私たちのアプローチは全く異なっています。私たちは与えられたものをそのまま、つまり、多様なもの、あれこれのものであって、もし、私たちがそれとともに流されるままになるとすれば、自らを私たちに現すようになるものとして受け取ります。このようにして、私たちは、対象自身に語らせることによって、客観的な認識を獲得する見通しを得ます。私たちに自らを提示する現象が私たちに必要なものすべてを明らかにする、ということを私たちが望むことができるのは、その宣言が私たちの判断力に自由に接近することを妨げるいかなる妨害的な偏見も許さないときです。と申しますのも、たとえ現実が私たちにとって永遠に謎のままに留まるとしても、そのような真実を知ることが意味を持つのは、それが実際の事物との関連で得られるときだけだからです。一方、私たちの意識は世界の事物に関していかなる明晰性にも至ることができないような仕方で構成されているという主張は全く無意味です。事物の特質を把握するために私たちの精神的な能力は十分なものであるかということ、これが、私たちがこれらの物自体との関係で自ら確かめてみるべきことです。私が最も完成された心的能力を持っていたとしても、もし、事物が自分たちについて何も開示しないのであれば、私の才能は何の役にも立ちません。そして、逆に、たとえ私が私の力はわずかなものであると知っていたとしても、そのこと自体が、それらは事物について知るには十分でないと私に告げるわけではありません。私たちはまた、上で特徴づけられたような形で直接与えられるものは私たちを不満足のままにしておくということを理解しています。それは解決されるべき問題、謎を提示します。それは私たちに言います。私はここにいる。しかし、私は私の真の形態においてお前の前に現れることはないと。私たちがこの外からの声を聞くとき、つまり、私たちが直面しているのは半分の現実、ひとつの実体ではあるけれども、そのより良い側面は私たちには隠されたままに留まっているということへのますます増大する気づきをもってそれを聞くとき、私たちの内部から自らを告知するのは、私たちがそれを通して反対側の現実についての認識を達成し、与えられた半分を補足することによって、全体を生み出すことができるような器官の活動です。私たちは、私たちが見たり聞いたりしないものは、私たちの思考を通して補足されなければならないということに気づきます。知覚によって提示される謎を解くために、私たちの思考が呼び出されるのです。私たちがこの関係を理解するのは、何故、私たちは知覚可能な現実では満足できず、思考を通して達成可能な現実に満足するのかということを探求するときだけです。感覚的な現実は何らかの完成されたものとして私たちに相対します。それは単にそこにあり、それがそのようにしてそこにあることに私たちは何の貢献もしていません。ですから、私たちは、私たちが生み出したのではない。実際、その生成に際して、私たちがそこにいることさえなかったような何か見知らぬものに直面していると感じます。私たちは、既に存在している実体の前に立ちます。とはいえ、何かを十分に理解するためには、私たちはそれがどのようにしてそのようになったのかを知り、眼前にある事物へと導く歩みに従う必要があります。私たちの思考の場合にはそうではありません。思考の構成体は、私が自分でその生成に参加しない限り、自らを私に提示することはありません。すなわち、それが私の知覚の領域に入ってくるのは、知覚不可能性の暗い深淵から私が自分でそれを引き上げるときだけです。思考は、感覚知覚がそうであるように、完成された実体として私の中に現れるのではありません。逆に、私がそれを完成された構成体としてしっかりと保持するとき、私がそれを自分でこの形態へともたらしたのだ、という事実に気づくことになります。私の前にあるものは見知らぬ実体として私の前に現れるのではなく、その内部にいつも私が立っているほど密接に私に結びつけられているようなプロセスの完成形として現れるのです。正にこれが、私の知覚という水平線上に現れるものが何であれ、もし、私がそれを理解すべきであるならば、それに関して私が完遂しなければならないことです。何も私にとって獏としたものに留まってはなりません。何も完結したものとして私に相対すべきではありません。私は自分でそれを完成へと追っていかなければなりません。私たちが通常、経験と呼ぶところの現実の直接的な形態が私たちにそれを科学的に探求するようにさせる理由はそこにあります。私たちが私たちの思考を動きへともたらすとき、私たちは、私たちに与えられたものを決定づけるところの当初は隠されていた要因を発見します。私たちは生み出されたものから、それを生み出すことへと、私たち自身を引き上げるのです。すなわち、私たちは、思考が透けて見えるのと同じような仕方で、感覚的に知覚できるものが透けて見える段階へと至るのです。こうして、私たちの認識への内的な要求が満たされることになります。何かについての私たちの科学的な理解が完全なものとなるのは、私たちの思考が感覚的に知覚できるものに十分に、そして完全に浸透したときだけです。世界のプロセスが私たちによって完全に浸透されたものとして現れるのは、そのプロセスが私たち自身の活動であるときだけです。思考は私たちがその中に立つプロセスの帰結として現れます。その中に私たち自身を完全に置くことができる、私たち自身を完全に沈めることができる唯一のプロセスとは考えることです。科学的な観察にとって、経験された現実は、純粋な思考自体がそうであるのと同様に、展開する思考プロセスから生じるというような仕方で現れなければなりません。事物の本質的な特性を探究するということは、私たちの思考世界の中心から進み出るということ、そして、私たちの魂の前に私たちの外的な経験と同じであるように見える思考の構成体が生じてくるまで私たちの外へと向かう道に取り組むということを意味しています。私たちが事物や世界の本質的な特性について語るとき、それが意味しているのは、その現実性を思考として、アイデアとして理解するということ以外のものではあり得ません。私たちはアイデアにおいて、事物の原則、すなわち、そこからあらゆるそれ以外のものが導き出されるべきものを知るようになるのです。哲学者たちが絶対かつ永遠なる存在と呼ぶところのもの、世界の根源であって、宗教が神と呼ぶところのもの、私たちはそれをここで提示された認識論に基づいてアイデアと呼びます。世界の中で、直接アイデアとしては現れてこないものも、結局はそれから進み出てくると認められることでしょう。表面的な考察にとっては、アイデアとは関係がないように見えるものも、より深い考えによって、それから導かれます。アイデアから導かれるもの以外のいかなる存在形態も私たちを満足させることはありません。いかなるものもその外部に孤立したままにしておかれるべきではなく、すべてがアイデアによって包含されるところのより大きな全体の一部にならなければなりません。とはいえ、アイデアはそれ自身を越えて行くことを要求しません。それはそれ自身の上にしっかりと基礎づけられ、打ち立てられた本質的な存在です。その理由はアイデアが私たちの意識の中に直接存在しているという事実の中にあるのではありません。それはアイデア自体の中にあるのです。もし、アイデアがそれ自身の存在を提示しているのではないとしたら、ちょうどその他の現実の部分がそうであるように、私たちに説明を要求しているように見えることでしょう。このことは上で述べられたことアイデアは私たちを満足させる形態において現れる、何故なら、私たちはそれが存在するようになることに積極的に関与しているのだからということと矛盾しているように見えます。けれども、それは私たちの意識という組織から出てくるのではありません。もし、アイデアがそれ自身の基礎の上に打ち立てられるのではないとしたら、私たちはそもそもそのような(満足という)意識を持つことができなかったでしょう。もし、何かがそれ自身の内に、そこからそれが湧き出してくるところの中心点を持たず、それ自身の外にそれを持っていたとしたら、それがそれ自身を私に提示するとき、私は私自身、それに満足していると宣言することはできません。私はその中心を見つけるためにそれを越えて行かなければなりません。私が、今お前はその中心に立っている、お前はここに留まることができる、という意識を達成することができるのは、私がそれ自身を越えたところを指し示すのではない何かに出会ったときだけです。私がある事物の内部に立っているという私の意識は、その客観的な特質、それがそれ自身の原則を包含しているという事実の結果に過ぎません。そのアイデアを保持することによって、私たちは世界の中心に入っていくことができます。私たちがここで把握するのは、すべてがそこから湧き出てくる源泉です。私たちはこの原則とひとつになりますが、それによって、そのアイデア、最も客観的であるところのものは、同時に、私たちにとって最も主観的なものとして現れるのです。事実、感覚知覚可能な現実が私たちにとってそのような謎である理由は、正に私たちがその内部にその中心を見出さないからです。それがそのような謎であることを止めるのは、それが私たちの内部で開示される思考の世界と同じような中心を有しているということに私たちが気づくときですそのような中心はひとつの統合されたものでなければなりません。実際、それは、他のすべての事物がそれらの源泉を説明するためにそれを指し示すというような種類のものでなければなりません。もし、世界に複数の中心、世界がそれを通して知られるようになる複数の原則があったとして、もし、ひとつの現実の領域がこの世界原則を、別の領域があの世界原則を指し示すとすれば、私たちがひとつのそのような領域にいるのを見出すやいなや、私たちはその中心だけに振り向けられることでしょう。さらに別の中心について調べてみるということにはならないはずです。ひとつの領域は別の領域について何も知ることはないでしょう。それらはお互いに存在していないのと同じです。ですから、ひとつ以上の世界について語ることは全く無意味です。様々な種類の意識があり、それぞれがアイデアについてのそれ自身のイメージを有している、という事実が、アイデアは世界のどこにおいても、いかなるタイプの意識においても、ひとつの同じものであると、いう事実を変えることは全くありません。世界についてのアイデアの内容はそれ自身の基礎に上にあり、それ自身の内部で完成し、完結したものとなっています。私たちはそれを生み出したりせず、それを理解しようとするだけです。私たちの思考はそれを生み出すのではなく、それを知覚するのです。思考とは生み出すのではなく、理解する器官なのです。ちょうど、様々な目がすべて同じ対象を見るように、様々な種類の意識が同じ思考内容を考えます。それらは同じものを考えますが、異なる側面からそれにアプローチするのです。したがって、それはそれらにとって様々な変化形で現れます。けれども、これらの変化形は対象における違いに由来するのではなく、むしろ、視角の違いによります。人間の観点における相違は、ちょうど景色が二人の観察者の立ち位置の違いによって、異なって提示されるのと同じようにして説明することができます。もし、私たちがアイデアの世界に貫き至ることがそもそもできたとしたら、私たちはこの世界が誰にとっても共通であることをいずれは確信することができるでしょう。もちろん、それでも私たちがそれを非常に一面的な仕方で見る、例えば、私たちの観点からすればそれは最も好ましくない等々の光の下に現れるというようなことはあり得るでしょう。私たちが完全に思考内容に欠けた感覚世界に直面するということは、恐らく決してないでしょう。私たちが純粋な感覚知覚に最も接近するのは、多分、まだ思考の痕跡すらない最初の幼少期においてです。私たちの通常の生活における経験は半分思考に浸透されています。つまり、それは既に、多かれ少なかれ、漠とした知覚から精神的な理解の明晰な光の中へと引き上げられたものとして現れます。科学は、この獏としたものを完全に克服し、経験の中には思考に浸透されていないものは何もないようにするという目標に向かって歩みを進めています。さて、認識論は他の科学のために何を成し遂げたのでしょうか。それはすべての科学の目的と使命を明確にしました。それはあらゆる個別の科学の重要性を私たちに示しました。私たちの認識論は他のすべての科学の特性と使命を決定づける科学なのです。それは、個々の科学が達成するのは世界存在の客観的な基礎であるということを明らかにしました。諸科学は特定の概念に至り、認識論はこれらの概念の実際の使命に光を当てます。ゲーテの認識論にしたがって定式化された私たちの認識の理論は、この特徴的な結果を通して、現在の他のすべての認識論から分化します。それは、単に思考と存在の間に形式的な関係を打ち立てようとするのではなく、論理だけを通して認識論的な問題を解決しようとするのでもなく、積極的な結果に至ろうとします。それは私たちの思考内容とは何であるかを示し、それはそれが同時に客観的な世界内容であることを見い出します。このことは認識論を人間にとって最も意義深い科学にします。それは私たちに人間としての役割を明らかにし、私たちが世界との関係でどのような立場にあるかを示し、それによって、それは私たちにとっての満足の源泉となります。それは私たちに私たちの真の天命を示します。私たちがその真実を自分のものとし、自分たちが引き上げられていると感じるとき、私たちの科学的な探求は新しい光の下に現れます。私たちが今初めて知ることになるのは、私たちは世界存在の最奥の核に最も直接的な仕方で結びつけられている、そして、この核は他のすべての存在にとっては隠されたままに留まるけれども、私たちによって発見される、世界精神は私たちの中で開示される、それは私たちの中にあるということです。私たちは世界の過程が私たちの中で完成へともたらされることを理解します。世界の他の力たちが達成できないことを達成するために私たちは召喚されている、そして、それを達成することが創造の極致なのだ、ということを私たちは理解するのです。もし、宗教が、神は人間を神自身の姿に創造した、と教えるのであれば、私たちの認識論は、神は創造を一定の地点にまでしか進めなかったということを私たちに教えます。この地点で神は人間を存在へともたらしました。そして、私たちが私たちを知るようになり、私たちの周りを見回すようになるとともに、私たちは、その仕事を前に進めるという使命、原初の力が始めたものを完成へともたらすという使命を自分たちに課します。私たちは自分たちを世界の中に浸し、既に敷かれた基礎の上に何を打ち立てるべきなのかを知ります。つまり、私たちは原初の精神の意図を理解し、そして、それらを遂行することを学ぶのです。こうして、認識の理論はまた、人間の意義と天職の科学となります。そして、それは(「人間の天職」についての)この問題を、フィヒテが18世紀から19世紀への変わり目に行ったよりもはるかに明確な仕方で解決します。真正な認識の理論から導かれることができるのと同じくらい十分な満足をあの力強い心による本から得ることは決してできません。私たちの使命は、個々の存在に働きかけ、それによって、それがアイデアから現れてくるように、その個別性が十分に昇華され、私たち自身がその要素の中へと移されているように感じるようなそのアイデアへと融合させるようにする、ということです。私たちの精神にとっての使命は、与えられたすべての外的な現実がアイデアから進み出てくるかのようにその現実を見通すことができる能力を獲得する、というような仕方で自らを形成することです。私たちは、私たちのあらゆる経験の対象がアイデアとして私たちの世界像の一部として現れるまでそれを変容させることにおいて、飽くことのない働き手であるように努めなければなりません。私たちは今、ゲーテの世界観がその出発点とした地点へとやってきました。述べられてきたことを用いて、アイデアと、ゲーテによるその探求の中で実際の行いとして示された外的な現実との間の関係を想像してみましょう。ゲーテは、ここで正当化されたような仕方で、事物の中心へと貫き至りました。彼は彼自身、彼の内的な仕事の方法を生き生きとした発見的能力であると見ていました。それは、彼がそれについて悪い予感を持っていたところの知られざる法則(アイデア)を認めつつ、それを外的な世界に導入しようとするものでした(散文の中の韻)。ゲーテが私たちに、私たちの器官を教育せよと警告するとき(編注:「動物は彼らの器官に教育され、人間は彼らの器官を教育し、そして、自分のものとする(散文の中の韻)。」)、それが意味しているのは、「私たちは私たちの感覚がもたらすものに単に屈服するのではなく、それらが事物を正しい光の下で示すように、それらを指導しなければならない(*プラトンのイデア論の洞窟の比喩参照」ということでもあるはずです。 (第9章了)人気ブログランキングへ
2024年06月01日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第8章 芸術から科学へ 佐々木義之訳 思索家の精神的な発達を描写しようとするときには、その発達の特別な方向性がどのようにして生じてきたのかをその人物の人生に関わる事実から心理学的な意味で説明しなければなりません。ところが、「思索家」としてのゲーテを提示する場合、重要なのは、彼の特別な科学的方向性を正当化しながら説明するというよりも、「そもそも」この天才が科学者として活動するようになったのは何故なのかを示す必要があるという点です。ゲーテは同時代人たちの間違った考え、つまり、詩的な創作活動と科学的な探求が一人の人間の中で統合されることはあり得ないという考えに大いに苦しみました。ここで最も重要なのは、この偉大な詩人に科学を取り上げさせた動機は何かという問いに答えることです。芸術から科学への移行は単に彼の主観的な傾向、個人的な思いつきから生じたものなのでしょうか。それとも、ゲーテの芸術的な性向が「必然的に」彼を科学へと導いたのでしょうか。もし、前者が本当であったとしたら、ゲーテの芸術と科学への同時献身は、単に人間的な努力の二つの側面に対する個人的な熱中から「偶然の」結果として生じてきたことになり、私たちは「たまたま」思索家でもあった詩人を取り扱うことになったはずです。人生の過程が少し異なっていれば、ゲーテは科学に何の興味も持たなかったとしても同じように詩作を取り上げていたことでしょう。その場合、この人物の両方の側面が別々に私たちの興味の対象になったはずです。また、両方の側面が人類の発達に大きな貢献をしたことでしょう。けれども、これら二つの精神的な方向が二人の異なる人物の中に生きていたとしても、それは同様に真実であったことでしょう。「詩人」であるゲーテと「思索家」であるゲーテはお互いに何の関係も持たなかったはずです。ところが、第二の仮定が正しいとすれば、ゲーテの芸術的な衝動がそれ自身の内的な必然性から科学的な考え方によって補われることを要求したということが考えられ、二つの衝動が二人の人物の間で分割されることなど全く考えられなかったことでしょう。二つの衝動のそれぞれが「単にそれ自身の目的のため」だけではなく、一方の他方への関係という理由によっても私たちの興味の対象になったはずです。そのとき、芸術から科学への「客観的な」移行、つまり、一方の分野に精通することが他方の分野に精通することを要求するような仕方で両方が出会う地点が存在するはずです。もし、そうであるならば、ゲーテは単に個人的な傾向に従っていたのではなく、科学的な活動を通してのみ満足させ得る必要を彼の中に目覚めさせたのは、彼が没頭していた芸術的な衝動だったはずです。私たちの時代には、芸術と科学はできるだけ離しておくものだと信じられています。それらは人間の文化的な発展の両極端だと考えられています。科学は最も客観的な世界像を提供する、つまり、鏡のように現実を私たちに示す。言い換えれば、客観的に与えられるものに完全に忠実であり、すべての人為的な主観性を排除すると思われています。その法則はそれが従うべき客観的な世界によって決定され、科学は何が真実であって何が偽りであるかの判断基準を感覚的に経験される対象の中だけに見出すと考えられているのです。芸術的な創造活動ということになると、すべてが全く違ってくると思われています。その法則は人間精神の自律的で創造的な力から生じるというのです。科学においては、あらゆる人間的な主観性の介入は現実の歪曲・経験の越権行為であり、他方、芸術は天才の主観性を糧に育つものと考えられています。その創造は人間的な想像力の産物であり、外的世界の鏡像ではありません。科学的な法則の起源は私たちの外、客観的な存在性の中にあり、審美的な法則の源泉は私たちの中、私たちの個別性の中にあるのであって、後者は何らかの認識論的な価値を有しているとは考えられません。つまり、現実の要素など微塵もない幻想を創り出しているだけなのです。このようにものごとを見る人がゲーテの詩作とゲーテの科学との間の関係を明確に理解することは決してないでしょう。その結果、彼らは何も理解しません。ゲーテの偉大な歴史的重要性は、彼の芸術が原初の存在の源泉から直接流れ出しているという事実、それに関しては何ら幻想的、主観的なものはなく、むしろ、自然の働きの奥深くにある世界精神に耳を傾けるとき、詩人として理解した法則性の先駆けとしてそれは現われるという事実の中にあります。芸術はこの段階において、ちょうど科学が別の意味においてそうであるように、世界の秘密を説明するものとなります。事際、ゲーテはいつでも芸術をこのような仕方で見ていました。彼にとって芸術は世界の原初的な法則性の「ひとつの」顕現であり、科学は「また別の」顕現だったのです。彼にとっては、芸術も科学も「単一の」源泉から湧き出してくるものです。研究者は現実を深く探求し、その原動力を思考の形で定式化しようとするのに対して、芸術家は同じ原動力を彼らの媒体の中に吹き込もうとします。科学は一般的なものの認識、抽象化された認識と呼ぶことができる一方、芸術は活動に適用された科学と言えるでしょう。つまり、科学は原因であり、芸術はその働きです。ですから、それを実際的な科学と呼ぶこともできるでしょう。ですから、結局のところ、科学は定理であり、芸術は課題なのかも知れません。科学がアイデア(*定理)として表現するものは、芸術がその媒体をそれで満たすところの法則性と同じものです-つまり、それは芸術の課題となります。「人間の働きの中で最も言及する価値があるのは、自然の働きにおけるのと同様、その意図なのです。」(散文の中の韻)記:IDEA(イデア)とは「何かが保存されるという想定」、観念上の想定であり、まさしくイデアです。もっと広く言えば、「法則」こそイデアに他なりません。このような理念に自然現象の本質があると考えて探求しているのが現代の自然科学、とりわけ物理学なのです。物理学者のリー・スモーリンもこう言っています。「プラトニズムは、移ろい知覚される世界の背後にある永遠で抽象的な世界の探求は、古代から現在まで物理学者と数学者たちの探求を駆動してきた。」参考画:リー・スモーリン記:リー・スモーリン(英: Lee Smolin、1955年6月6日 - )は、アメリカの理論物理学者、ペリメーター理論物理研究所教員、ウォータールー大学の物理学教授、トロント大学の哲学部の大学院教授のメンバー。2006年に出版した「迷走する物理学」の中で弦理論を批判した。彼は量子重力理論、特にループ量子重力理論(*ループ量子重力理論は、時空(時間と空間)にそれ以上の分割不可能な最小単位が存在することを記述する理論)として知られるアプローチに貢献。 ゲーテが外的な世界の中に探し求めたのは、感覚に与えられるものだけではなく、世界がそれを通して生じたところの傾向でした。「この傾向」を科学的に把握し、芸術的に形成すること、それが彼の使命だったのです。自然はそれ自体の働きを形成する中で、「あたかも袋小路に行き着くかのように」その詳細へと入り込みます。私たちは、ちょうど数学者があれこれの三角形に焦点を当てるだけではなく、あらゆる可能な三角形の根底に横たわる原則にいつも注意するように、自然の傾向が何の障害もなく自己実現していたとしたら生じたであろうことがらに戻って行かなければなりません。本質的な問題は、自然が「何を」創造したかではなく、「いかなる原則に従ってそれを創造したのか」なのです。そのとき、やるべきことは、その原則をそれ自身の内的な傾向に適うように発展させるということであって、無数の偶発的なことがらに左右されながら自然の中でそれが生じたようにそれを発展させるということではありません。芸術家の使命は「ありきたりのものから高貴なものを、不格好なものから美しいものを発展させる」ということなのです。ゲーテとシラーは芸術をその深遠さにおいて包括的に把握しました。美しさとは「秘密の自然法則が顕現したものであり、もし、それが現れなかったとしたら、永久に我々から隠されたままになっていたようなものです。」(散文の中の韻)彼が次のように述べたとき、それは空虚な言葉などではなく、深く内的な確信であったということに気づくには、その詩人の「イタリア紀行」を少し覗いてみるだけで十分です。偉大な芸術作品とは、同時に、「真の自然法則」にしたがって、人間によって生み出された最も崇高な自然の作品です。ここにあるのは、あらゆる気まぐれ、あらゆる空想が抜け落ちた、必然であり、神なのです。」(1787年9月6日)。彼にとって、自然と芸術が共通の源泉を有していることは明白でした。彼はギリシャ芸術について次のような調子で述べています。「それらは自然そのものと同じ法則、私がその足跡を追っているのと同じ法則にしたがって生じた、という気がしてならない。」そして、シェークスピアについては、「シェークスピアは世界精神と同類だ、彼は世界がそうするように世界を完全に理解しており、両者には隠されたものは何もない。けれども、事が起こる前に、そして、しばしば起こった後でさえ、秘密にしておくのが世界精神のやり方であるとすれば、その詩人にはその秘密を暴露するつもりがある。」と述べています。ここでもう一度、思い出していただきたいのは、詩人がカントの「判断力批判」のお陰で過ごした「楽しい時間」についてです。その時間が過ごせたのは、彼がそこで、芸術の創造と自然の創造とが同様に扱われており、審美的な判断能力と目的論的な判断能力がお互いに照らし合っているのを見た・・・。詩という芸術と自然の比較研究の両方が非常に密接に関連しており、同じ判断能力に左右されると考えられているのが嬉しかったという事実によります。ゲーテは、彼の随筆「たったひとつの天才的な言葉による重要な前進」の中で、全く同じ意図をもって、参加型の彼の客観的な「詩作」と客観的な「思考」を同列においています。ですから、芸術と科学はゲーテにとって同じように客観的なものとして現われます。ただ、それらの形態だけが異なっているのです。両方が「ひとつの」存在の表現として、「単一の」発展におけるいくつかの必然的な段階として現われます。芸術あるいは美を人間進化の全体像から「遠く離れた」孤立した位置に追いやるようなあらゆる観点は彼に対してひどく反発します。ですから、彼は言います「審美的な領域で美についてのアイデアを語るというのはよくないことです。そうすることで、私たちは美を孤立させ、それを別個のものとして考えることができなくなります。(散文の中の韻)型は、私たちがそれを目に見える形で把握することを許される限りにおいて、「知」という最奥の基盤に、つまり、ものごとの本質的な特質に基づいています。(「単純な自然の模倣、マンネリズム、型」)「ですから、芸術は知ることに基づいています。」科学は、世界がそれにしたがって構成される秩序を思考の中で再創造するという使命を、芸術は、その秩序についてのアイデアを個別の詳細において発展させるという使命をもっています。芸術家は手に入れることができるあらゆる世界の法則性を彼らの作品の中へと取り込みます。ですから、芸術作品は世界のミニチュアとして現われるのです。」。ゲーテ的な傾向を持つ芸術が科学によって補われなければならない理由はそこにあります。芸術であっても、それはひとつの知の形態なのです。ゲーテが実際に望んでいたのは科学でも芸術でもありません。「彼が望んでいたのはアイデアだったのです。」彼は、たまたまそれが彼に自らを提示するその仕方によって、それを記述したり、描写したりしました。ゲーテは、世界精神の働きを明らかにするため、それと自らを連合させ、芸術あるいは科学という媒体を通して、必要なことは何でもしました。ゲーテの本性の中に横たわっていたのは、一面的な芸術的努力でもなく、一面的な科学的努力でもなく、むしろ一瞬たりとも休むことのない衝動、「あらゆる種子、あらゆる活動的な力を見よ」(ファウスト384行)という衝動だったのです。とはいえ、これによってゲーテが哲学的な詩人になることはありません。何故なら、彼の詩作は、思考という遠回りをして、それらの感覚知覚可能な形成へと導かれるのではなく、むしろ、あらゆる生成の源泉から直接流れ出しているのですが、それはちょうど彼の科学的な探求が詩的な想像力によって浸透されるのではなく、アイデアの直接的な知覚にかかっているのと同じです。ゲーテは哲学的な詩人ではありませんが、哲学的な観察者にとって、彼の基本的な傾向は、それでも哲学的に見えます。このように、ゲーテの科学的な仕事に哲学的な価値があるかどうかという問題は全く新しい形態を取ります。私たちがこれらの仕事に関して知っているものから、それらの根底に横たわる基本的な原則を導くかどうか、ということが問題になります。それらの前提からゲーテの科学的な主張が流れ出てくるようにするには、私たちは何を仮定すればよいのでしょうか。私たちの使命は、ゲーテによっては明らかにされないまま残ったものを明らかにするということですが、そのことによってのみ彼の観点を包括的なものとすることができるでしょう。 (第8章了)
2024年05月31日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第7章 ゲーテの科学的著作集の編集 佐々木義之訳 自然科学に関するゲーテの著作集を編集する責任者としての私を導いてきたアイデアは、詳細なことがらの根底に横たわる壮大なアイデアの世界を示すことによって、それらの探求を生き生きとしたものにするということでした。私は、もし私たちが深く包括的なゲーテの世界観への十全たる理解をもってそのあらゆる主張にアプローチするならば、それらはまったく新しい意味で、実際にその真の意味を獲得すると確信しています。彼の時代以降、著しく進歩した現代の科学から見れば、彼の科学的な主張の多くが取るに足らないもののように見えることは否定できません。けれども、ここではそれが問題なのではなく、そのような主張が「ゲーテ自身の観点という文脈の中で」有している意義こそが重要なのです。科学的な疑問は、その詩人が立っていた精神的な高みにおいては、より大きな強度を帯びたものとなります。しかし、そのような疑問なしに、科学はあり得ません。「ゲーテが自然に問うた疑問とはどのようなものだったのでしょうか。」それこそが重要な問題なのです。彼がそのような疑問に答えたかどうか、どのように答えたかについては二次的なものと考えられます。もちろん、今日、私たちが用いることができる、より充実した手法や経験をもってすれば、彼が問うた疑問に対して、より十分な答えを見出すことも可能でしょう。けれども、私の解説が意図しているのは、私たちが用いることができる、より大きな手法をもってしても、彼が示した道を進む以上のことはできないということです。私たちがとりわけゲーテから学ぶべきこととは、「どのようにして自然に問いかけるか」です。私たちは、単に、ゲーテの時代以降に再発見され、今や、私たちの世界観にとって重要な位置を占めるようになった様々な観察を彼の業績に帰することで、何が最も重要なのかを忘れてしまっています。ゲーテの場合、研究結果は彼がそれによってそこにたどり着いた方法ほどには重要ではないのです。彼は「あえて発せられる意見は、チェス盤の上で動き回る駒に似ている、それらは取られるかも知れないけれども、勝利されることになるゲームを開始したのだ」と適切にも自分自身で述べています。ゲーテは自然と完全に調和した方法を発展させました。彼は、彼が用いることができる手法を用いて、その方法を科学に導入しようとしました。彼の探求の個々の成果は科学の進展に伴って変化させられてきたかも知れませんが、そのようにして導入された科学のプロセス自体は科学にとっての変わらぬ進歩であり続けています。これらの観点は、当然のことながら、編集された著作の構成に影響を及ぼします。私はこの素材を構成するに当たって通常のやり方から出発したので、何故、最も賢明と思われる次のようなやり方を採用しなかったのかと問うことは許されるでしょう。すなわち、第1巻に一般科学、第2巻に植物学、鉱物学、そして気象学、そして、第3巻に物理学を配置することによって、最初の巻には一般的な観点が含まれ、他の巻にはこれらの基本的なアイデアが個々に洗練されたものが含まれるというようにしなかったのかということです。これは非常に魅力的ではありますが、私はそのような構成にするつもりは全くありませんでした。そのようなやり方をすれば、私は私の目的、つまりゲーテの比喩に帰すれば、ゲームにおける最初の動きがその根底に横たわる戦略を明らかにするという目的を決して達成できなかったでしょう。意識して一般的な概念から始めるということほどゲーテにとって無縁なものはありません。彼はいつでも「実際の事実」から始めて、次にそれらを比較しアレンジしました。そのようなことを行っている間に、その事実の根底にある基本的なアイデアが彼には明らかとなりました。あのよく知られた「ファウスト」のアイデアに関する彼の言葉に基づき、ゲーテの創作活動の背後にある駆動力はアイデアではないと主張するのは非常に間違っています。ものごとをよく考えてみるとき、本質的ではない偶発的なことがらを除去した後、残ったものが彼にとっての彼の言葉の意味での「アイデア」だったのです。ゲーテが用いた「方法」は、彼がアイデアへと上昇するときでさえ、いつでも純粋な経験に基づいていました。彼は主観的な要素が彼の探求に潜り込むことを決して許しませんでした。彼は単に偶発的な現象を解き放ち、それらのより深い基盤へと進むことができるようにしただけです。彼の主観は、その対象の最奥の本質を明らかにするような仕方で、それを説明することだけを意図していました。「真実とは神のようなもので、直接には現れません。むしろ、その顕現を通して理解されるべきものです。」人は、「真実」を見ることができるような仕方で、それらの顕現を結びつけなければならないのです。真実あるいは「アイデア /ドイツ語でIdee(観念。理念としてのイデア若しくは着想)」(プラトンの哲学*真の認識とは「想起」(アナムネーシス)にほかならない)は、私たちが直面する事実の中に既に含まれているのですが、観察においては、それを覆い隠しているベールが取り除かれなければなりません。真の科学的な方法とはそのベールを取り除くことなのです。ゲーテはこの道を取りました。もし、私たちが彼の心に十分に近づきたいと思うのであれば、彼に従わなければなりません。言い換えれば、私たちはゲーテの植物学から始めなければなりません。何故なら、彼はそこから始めたからです。豊かな内容が初めてそのアイデア、それは私たちが後に一般的かつ方法論的な問題に関する彼の随筆の要素として見出すことになるアイデアを彼に現わしたのは、そこにおいてだったのです。もし、私たちがそれらの著作を理解したいのであれば、私たちはまず私たちの心をその内容で満たさなければなりません。方法論を扱っている随筆はゲーテが歩いた道をたどる労を取らない人たちにとって、単に紡ぎ出された考えに過ぎません。物理的な現象に関する研究はゲーテの自然観の結果として生じたものと言えます。 (第7章了)記:ゲーテの社会的評判としてベートーヴェンがよく取り上げられていますが、真相は如何なものでしょう。参考画Ⅰ:Goethe and Beethoven-01参考画Ⅱ:Goethe and Beethoven-02参考画Ⅲ:Zur Farbenlehre(Goethe and Newton)人気ブログランキングへ
2024年05月30日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第6章 ゲーテの認識方法 佐々木義之訳 1794年6月にヨハン・ゴットリープ・フィヒテは彼の「科学理論」の最初の部分をゲーテに送りました。参考画:Johann Gottlieb Fichte-01 6月24日にはゲーテは此の著名な哲学者に次のように応えています。「私は哲学者なしで済ますことなど決してできませんでしたが、同時に、彼らとの一体感を持つことも決してできませんでした。もし、貴方が私を哲学者たちとの最終的な和解に導くことになるならば、私としましては、途方もない恩義を貴方に負うことになるでしょう。詩人がフィヒテに求めていたもの、以前はスピノザから得ようとし、後にはシェリングやヘーゲルに求めることになったものとは、彼自身の思考方法に完全に対応する哲学的な世界観でした。けれども、彼が出会った哲学的なアプローチのどれもが彼を完全には満足させませんでした。私たちは哲学的な観点からゲーテにアプローチしようとしていますから、このことは私たちの使命をよけいに難しくします。もし、彼が科学的な立場を求めていたならば、私たちはそれに言及することもできたでしょう。しかし、そうではありませんでした。したがって、私たちの使命は、私たちが入手可能な詩人の作品の全てを考慮しながら、その哲学的な中心を見極め、その際立った特徴を描き出すということです。この問題への正しいアプローチとは、ゲーテやシラーがその生涯を捧げたのと同じ「最高の」人間的な要求を満足させようとしてその道を歩んできたドイツ理想主義哲学を基盤とする思考の系譜に従うことであるというのが私たちの主張です。それは同じ文化的な運動から生じたので、今日一般に科学を支配している観点よりもはるかにゲーテに近いものがあります。この哲学から始めることにより、ゲーテの詩や科学に関する作品を導きだすことができるような観点をそこから構築することができるでしょう。科学における今日の傾向に基づいてそれを行うことは決しできません。それは、今日、私たちがゲーテの特質に生来備わっていた考え方から遠く隔てられているからです。実際、私たちがあらゆる文化的な領域で進歩したことは確かですが、それが「深さ」方向への前進であったと主張することはほとんどできないでしょう。結局のところ、ある時代の重要性は発達の深さによってしか測ることができませんが、私たちの時代は真の人間的な深化の可能性をことごとく拒絶したという事実によって最もよく特徴づけられる、と言いたくなります。私たちはあらゆる分野で気弱になってしまいましたが、それは特に私たちの思考と意志においてそうなのです。思考に関して言えば、際限なく情報は集積されますが、それを包括的な現実に関する科学的な観点という文脈の中に据える勇気がありません。一方、ドイツ理想主義哲学が科学的ではないといって責められるのはそのような勇気を持っていたからです。今日、人々は感覚によって「知覚」したいのであって、「思考」したいとは思っていないのです。思考への信頼は全く失われてしまいました。世界と人生の謎に貫き至る力は思考にはないと考えられているのです。人々は存在の大いなる謎に対する解決策なしに生きることに完全に甘んじており、唯一可能であると考えられているのは、「感覚的な経験によって与えられるものを体系化する」ということだけなのです。この観点は、はるか昔に克服されたと信じられている立場へと私たちを導くということが忘れられています。よく考えてみてください、あらゆる思考を拒絶し、感覚的な経験だけに頼るということは、宗教に見られる啓示に対する盲目的な信仰と同じものです。いずれにしても、そのような信仰は、お仕着せの真実として教会から与えられるものを信じなさいと言われることに基づいています。それらのより深い意味にまで貫き至ろうと努力したとしても、思考は「真実にアプローチする」能力、それ自身の力によって世界の深みへと貫き至る能力を欠いているのです。感覚的な経験に限定された科学は思考に何を要求するでしょうか?事実に基づく情報の考察とその説明、そしてその整理です。この科学は世界の中心にまで浸透する思考の独立した力を否定します。神学は人の思考に対して教会による支配への盲目的な服従を要求する一方、科学は感覚による支配への盲目的な服従を要求します。どちらも、独立した、深く洞察する思考には何の重きも置きません。経験主義的な科学が忘れているのは次のようなことです。つまり、何千何万という人々がある感覚知覚可能な事実を観察しながら、それについて何も特別なことに気づくことなく、そのそばを通り過ぎた後、誰かがそれを見て、ある重要な法則がその中に働いているのに気づく、というようなことがありますが、私たちはこれをどのように説明すればよいのでしょうか?その発見者はそれ以前にやって来た人たちとは異なる仕方で見ることができたはずなのです。その発見者は異なる目でその事実を知覚し、その事実を他の事実に「いかに」関係づけるかについて、あるいは、そこでは何が重要で何が重要ではないかについて、ある一定の考えを持っていた、ということです。そのように、科学的な発見を行う人たちは「思考」を通して彼らの経験を理解し、秩序づけますが、その結果、他の人たちに比べてより多くを見ることになるのです。「彼らは精神の目をもって見るのです。」あらゆる科学的な発見の基礎には観察者が正しい思考によって導かれるような仕方で観察できる状況が横たわっています。「考える」ということが観察を導くのは当然ですが、探求する人がそれへの信頼を失い、その適用範囲と重要性を理解しないのであれば、そうはいきません。何の助けもなく現象の世界をさまよい歩く経験的な科学はその経験へと貫き至る思考のエネルギーを欠いています。そのため、それにとって世界は個別的なものの混乱した多様性となります。今日、人々が認識の限界について語るのは、思考の使命を理解し損なっているからです。彼らは自分たちが「何を」達成したいのかについて、明確な観点を欠いており、それを達成する能力に疑いを抱いています。今日、誰かがやってきて存在の神秘に対する解答を私たちに示したとしても、私たちはそれをどうしてよいか分からず、それから得られるものは何もないことでしょう。私たちの意志や行為についても全く同様です。人々は実際に達成することができる明確な人生の使命を自分たちに課すことができないでいるのです。彼らは不明確で漠とした理想について単に想像するだけです。そして、彼らは彼らがほとんど思い描くこともできないようなものを達成できないからといって不平を言います。今日の厭世主義者たちに、彼らが実際何を望んでおり、何が達成できないからといって絶望しているのか聞いてみるとよいでしょう。彼らには何の考えもありません。彼らの本質は問題の中に絡め取られ、いかなる状況にも対処できず、いかなるものにも満足することがありません。誤解しないでいただきたいのですが、私は人生における瑣末な喜びに満足し、何らより高次のものに憧れることのない表面的な楽観主義を奨励したいのではありません。私たちのあらゆる行為を麻痺させる状況、私たちがそれを変えようとして無駄な努力をしている状況へのきわめて悲劇的な依存に対して、苦痛に満ちた意識を有する人々を責めるつもりもありません。苦しみは楽しみの先駆けであることを忘れないようにしましょう。子供たちの繁栄という母親の楽しみは、その楽しみが心配や苦しみ、そして努力によって勝ち取られたものであればあるほど、より甘美なものとなります。実際、考える人であれば誰であれ、外的な手助けによって差し出されるどんな幸せも拒否しなければならないでしょう。何故なら、私たちは、結局のところ、努力せずに手渡される賜物によっては本当の幸せを経験することはできないからです。もし、創造主が幸せを遺産として人間に付与するつもりであったのであれば、そもそも私たちを創造しなければよかったのです。そうすればもっとうまくやれたはずです。人間の尊厳が高まるのは、私たちが創造したものがいつも無残にも破壊されるときなのです。いずれにしても、その結果、私たちは絶えず新たに構築し、創造しなければなりません。私たちの幸せは私たちの行為の中に、私たちが達成するものの中にあります。顕現された真実は苦労せずに与えられた幸せのようなものです。私たち人間の尊厳は、感覚的な経験や顕現によって導かれるかどうかではなく、私たち自身で真実を追い求めるかどうかにかかっています。一度このことが完全に認められるならば、顕現された宗教は自らの役割を果たしたことになります。もはや人々は神の顕現を求めたり、いくらでも与えられる祝福を望んだりはせず、彼ら自身の思考を通して得られる認識や彼ら自身の努力を通して得られる幸せを欲することでしょう。私たちにとって、より高次の力が私たちの運命をより良い方向に導こうとしているのか悪い方向に導こうとしているのかはどうでもよいことです。私たちは自分で自分たち自身の道を決定しなければなりません。神性についてのもっとも高められた考えとは、それでもやはり神なのですが、それは、人間を創造した後、完全に世界から手を引き、全面的に私たち自身の工夫に委ねる神なのです。 感覚による知覚能力を超えた知覚能力を思考に帰する人であれば誰であれ、この能力は感覚知覚可能な現実を超えた対象に狙いを定める、ということもまた認めなければならないでしょう。思考の対象は「アイデア」です。私たちの思考が、あるアイデアを理解するとき、それは宇宙的な存在の根本と一体化します。外的な世界の中で生き生きと活動するものが人間の精神の中に入ってきます。すなわち、人間はその最高の力を持って、客観的な現実と「ひとつになる」のです。「外的な現実の中にアイデアを見ることは、人間の真のコムニオン(聖体拝領、交わり)なのです。」。思考のアイデアに対する関係は、目の光に対する、耳の音に対する関係と同じです。すなわち、「知覚器官」なのです。この観点は、現在、完全に相容れないものと考えられている二つのアプローチ、科学的な世界観としての経験主義的な方法と理想主義を統合するものとなります。今日、経験主義的な方法を受け入れるということは必然的に理想主義の拒絶につながると信じられています。これは確かな真実ではありません。もちろん、もし、私たちが、客観的な現実の唯一の知覚器官は感覚であると信じているとすれば、私たちの結論はそうなるでしょう。感覚が提供するのは機械的な法則へと還元できるようなことがらの間の関係だけです。それに基づけば、機械論的な世界観が唯一のものとなります。しかし、この観点は、機械論的な法則に還元することが「できない」ような、他の同様に客観的な現実の要素を単に無視するという間違いを犯しています。「客観的に」与えられるものは、機械論的な観点が主張するような「感覚に」与えられるものとは決して一致しません。感覚に与えられるものは、与えられるものの半分に過ぎません。他の半分は「アイデア(*ルドルフ・シュタイナーの語彙:観念、理念)」から成っています。それはまた経験、それは確かに、より高次の経験での対象でもあり、思考器官によってアクセスすることができるものです。ですから、アイデアは帰納法によっても達成することができます。現代の経験主義的な科学は全く正しい方法に従っています。つまり、その方法は与えられたものに忠実に従うのですが、受け入れられない規定をつけ加えるのです。つまり、その方法は感覚知覚可能で事実に即した結果に導かなければならないという規定をつけ加えます。私たちは、「いかにして」私たちの観点に到達するかという問題に自らを限定するのではなく、むしろ、初めから、これらの観点の本質とは「どのような」ものかということを決定します。唯一満足できる科学的なアプローチとは、その結果として、アイデアへと導く経験主義的な方法です。それは理想主義なのですが、漠然と想像された「普遍的な統一性」を追及するような種類のものではなく、今日のきわめて正確な科学が事実を追い求めるときと同じ経験の確かさをもって、現実に関する具体的なアイデアを把握しようとする理想主義なのです。私たちは、これらの観点をもってゲーテにアプローチすることにより、彼の存在の正に本質へと突き進んでいると信じています。私たちは理想主義を掲げているのですが、私たちがその発達の基礎とするのはヘーゲルの弁証法ではなく、より高次の、より純化された経験主義です。エドゥアルト・フォン・ハルトマンの哲学もまた同様の観点に基づいています。彼は、理想的な統一体が、実際の形態の中で、内容に満たされた思考に自らを譲り渡すときのその統一体を自然の中に追い求めました。彼は単なる機械論的な世界観や外観にしがみつく超ダーウィン主義を拒絶しました。科学において、彼は具体的な一元論を打ち立て、歴史や美学においては、具体的なアイデアを追求しました。このすべてにおいて、彼は経験論的、帰納的な方法論に従いました。ハルトマンの哲学が私のそれと異なっているのは、厭世主義の問題、そして、彼の「無意識的なるもの」を形而上学的に強調する点に関してだけですが、これについては後で議論することにします。ハルトマンが厭世主義の「基礎」として提示するもの、世界には何も満足すべきものはなく、不満足はいつも楽しみよりも多いという観点は、正に、私たちが人間として、私たちの「幸運」と呼ぶところのものです。彼が提供するものは、私にとっては、幸福を追求することに意味はないということの証明に他なりません。私たちは確かに、あらゆるその手の努力を放棄し、私たちの理性により設定される理想主義的な使命を無私の態度で達成することに私たちの人生の目的を見出さなければならないでしょう。このことは正に、私たちは「創造」という絶えざる活動の中にのみ自分たちの幸せを追究すべきであるということを意味しているのではないでしょうか。自分たちの運命を何とかして成就しようとする人々とは、活動する人々、実際、その活動において鷹揚な人々、何ら報酬を望まない人々をおいて他にありません。私たちの活動に対する報酬を望むことは馬鹿げたことです。つまり、真の報酬などあり得ないのです。ハルトマンはこのような洞察の上に立脚すべきです。彼が指摘しなければならないのは、そのような状況下で、私たちの活動に対する動機づけは実際にはひとつしかあり得ないということです。望む目標を達成する見通しが崩れ去るやいなや、その動機づけとなる力はその対象自体への無私の献身以外にはあり得ません。つまり、「愛以外にはあり得ないのです。」、愛から生じる行為のみが道徳的であり得ます。科学においては、私たちを導く星は「アイデア」でなければなりません。私たちの行為においては、それは「愛」でなければなりません。そして、このことは私たちをゲーテに引き戻します。「活動的な人間は正しいことを行うことに関心があるのであって、正しいことが起こるかどうかにではない・・・。生きるという行為には、存在するために自分たちの存在を諦めるということが含まれる。(散文における韻)」。このことに関しては、私はゲーテやヘーゲルを研究することによってのみ私の世界観に到達したわけではありません。私は、機械論的、自然主義的な世界観から始めたのですが、そのとき気がついたのは、強化された思考はそのような見通しを受け入れがたいものにする、ということです。私は厳密な科学的手法に従って前進しながら、客観的な理想主義が唯一満足すべき世界観であることを見出したのです。私の「認識論」は、いかに思考が、それがそれ自身を理解し、それ自身と矛盾しないときにこの観点に到達するかを示しています。そして、私は、この客観的な理想主義が、その根本的な洞察において、ゲーテの世界観に十分に浸透するということに気づきました。私自身の観点は、実際、何年にもわたって、私のゲーテ研究と平行して発展してきました。そして、私の基本的な見通しは「原則として」ゲーテの科学的な仕事とは決して衝突しないということが分かりました。もし、私が、第一に、私の観点をそれが他の人たちの中にも生きるような仕方で発展させることに、そして、第二に、これは確かにゲーテの立場であるということを彼らに確信させることに、少なくとも部分的にでも成功していたならば、私の使命は達成されたと考えられます。 (第6章了)参考画:ドイツ国民に告ぐJohann Gottlieb Fichte-02人気ブログランキングへ
2024年05月29日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第5章 ゲーテの形態論についての結語 佐々木義之訳 ゲーテの変容理論に関する以上の考察の最後に当たり、言及する必要があると感じられた観点を振り返るとき、思想界の様々な学派を代表する著名な人物たちの多くは私の観点とは反対の観点を分かち合っていると認めざるを得ません。彼らのゲーテに対する立場は私には明白であり、私たちの偉大な思想家であり詩人を描出するという私の試みに対する彼らの評価も完全に予見可能です。ゲーテの科学的な試みに対する意見は二つの正反対の陣営に分かれています。ヘッケル教授に率いられた現代の一元論者たちはゲーテをダーウィン主義の予言者と見ています。つまり、有機的な世界に関しては、彼らと同様の、つまり、無機的な自然の中に働くのと同じ法則によってそれは支配されているという考えを有しているものと見ています。ただ、ゲーテに欠けていたのは自然淘汰の理論であり、それによってダーウィンは一元論的な世界観のための「基礎」を与え、進化論を科学的な確信のレベルにまで引き上げたのだと彼らは言うでしょう。この観点に対抗する別の観点は、ゲーテの元型についてのアイデアを一般的な概念、あるいは、プラトン哲学の意味でのアイデアに過ぎないと見ます。ですから、彼らは、ゲーテの生来の汎神論が進化論を連想させる様々な主張を彼にさせたのであって、究極の「機械論的な基礎」にまで貫き至る必要性を彼は全く感じていなかった、したがって、現代的な意味での進化論をゲーテに帰すことはできないと主張します。ゲーテの観点に関して、いかなる独断的な立場も取ることなく、純粋にゲーテ自身の特質とその精神全体に基づいてそれを説明しようとする私の試みは、これら二つの立場のいずれもが、それらのゲーテに対する評価への貢献がいかに重要であったとしても、自然についての彼の観点を全体として正しく説明しているとは決して言えないということを明らかにしました。最初の観点について言えば、ゲーテは、有機的な自然を説明する試みにおいて、有機的な世界と無機的な世界の間には越え難い障壁があるとする二元論的な論法に反対したと主張する点で確かに正しいと言えます。しかし、ゲーテが有機的な自然は理解可能であると主張するとき、それは、その形態と現象が機械論的に説明できるという理由からでは決してありません。むしろ、それらがその中に存在するところのより高次の文脈は、私たちの認識にとって、実際に近づくことができるものであるということに気づいたからこそ、彼はそのように主張したのです。事実、彼は宇宙を一元論的な仕方で、つまり、そこから人間が排除されることは決してないようなひとつの分かち難い統一体として思い描いていましたが、彼がこの統一体の「内部に」それら自身の法則に従う段階にあるものを見分けることができると見ていたのは、正にその理由からだったのです。ゲーテは、若い頃でさえ、この統一性を「画一的なもの」として思い描くような傾向、有機的な世界が―実際、自然の中でより高次の段階で現われるものであれば何であれ―無機的な世界の中で働く法則によって支配されていると考える傾向を拒絶していました。この拒絶は後に、有機的な自然を理解する手段としての先験的な知覚による判断の正当性を仮定し、無機的な自然を理解する推論的な知性からそれを区別することへと彼を導きました。ゲーテは世界をそれ自身の説明原則を持つそれぞれの環からなる環と考えていました。現代の一元論者たちは、たったひとつの環、無機的な法則に支配される環だけを認めます。第二の観点は、ゲーテにおいて私たちが扱っているものは現代の一元論とは何か異なるものである、ということを認めます。しかし、この観点を代表する人たちは、科学が無機的な自然を説明するのと同じ方法で有機的な自然を説明しなければならないと信じており、そのため、ゲーテのような観点を前に恐れをなし、彼の探求をより綿密に見ることには何の意味もないと考えているのです。したがって、ゲーテによる高次の原則は、どちらの陣営からも、決して「完全に」有効なものとは考えられていません。そして、これらの原則こそが彼の探求における傑出した要素となっているものなのです。ゲーテの探求におけるいくつかの「細部」を訂正する必要があることが判明したとしても、その深遠さを十分に認識している人たちにとって、それらの原則の重要性が失われることはありません。ですから、ゲーテの観点を解説しようとする人に義務としてかかってくるのは、ゲーテ的な自然の見方において「中心的な」ものに対する注意を引くということであって、何か特別な科学の領域における彼の発見の詳細に関して、批判的な評価にとらわれることではありません。私は、そのような使命を果たそうとしてきた中で、私にとって最も残念な誤解、すなわち純粋な経験論者たちからの誤解を受ける可能性に直面することになりました。私が言っているのは、その相互関係を事実として示し得る有機体(*自らを経験的に提示する物質)のあらゆる側面を探究し、今日、有機的な世界の基本的な原則に関して公に問いかけているような人たちです。それらと私が提示するものとは関係がなく、彼らに反対することもあり得ません。逆に、私の希望の一部は経験論者たちの上に打ち立てられます。と申しますのも、正にすべての道が彼らには開かれているからです。彼らはゲーテの主張のいくつかを正すことができる人たちです。何故なら、実際的な面では、彼はときとして判断を誤っているからです。この点では、天才といえどもその時代の限界を克服することはできません。とはいえ、彼は原則の領域においては基本的な観点に到達しており、その観点の有機的な科学に対する重要性は、ガリレオの基本法則の機械論に対する重要性と同じです。私はこの事実を確かなものにするという仕事を自分に課しました。私の言葉に確信が持てない人たちにも、少なくとも、私が意図していた問題、それは、ゲーテの科学的な著作を彼の特質全体から説明し、私にとって示唆的であると思われる確信に表現を与えるということでしたが、その解決に向けて真摯な意図をもって努力したということを認めていただければと思います。そのような仕方でゲーテの詩を説明しようとする試みが、幸いにも成功裏に始められたという事実自体が、彼の作品のすべてを同様のアプローチにより探求し直すためのチャレンジとなります。遅かれ早かれ、そのようなことが起こることは間違いありません。そして、私の後を引き継ぐ人たちが私以上の成功を収めるならば、私にとってこの上ない喜びとなるでしょう。若くして苦闘する思想家や探究者、特に、その観点が、単に幅広いだけではなく、「中心的な」洞察へと直接貫き至るような人々が、私の考察に注意を払い、私が提示しようとしたものをより完全な仕方で提示するために、大挙して後に続いてくれますように。 (第5章了)参考画:Charles Darwin人気ブログランキングへ
2024年05月28日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第4章 ゲーテの有機形態論に関する著作の本質と重要性 佐々木義之訳 ゲーテの形態論に関する著作の重要性は、それらが有機的な自然を探求するための理論的な基礎と方法論を確立したということにあります。それは「第一級の科学的業績」です。私たちがこの事実を正しく評価するためには、とりわけ無機的な現象と有機的な現象の間の途方もない違いが考慮されなければなりません。例えば、2個のビリヤードのボールが衝突するのは無機的な現象です。もし、1個のボールが静止しており、もう1個がある方向からある速度をもってそれに衝突するならば、静止していた方はある方向にある速度をもって動き始めるでしょう。そのような現象については、感覚に直接与えられるものを概念に変容させるだけで「理解する」ことができます。感覚的に知覚可能なものであって私たちが概念的に把握しなかったものが何もない限りにおいて、私たちはそれを行うことができます。私たちは1個のボールが別のボールに近づいて衝突し、その別のボールが動き出すのを見ます。私たちがこの現象を「理解した」と言えるのは、最初のボールの質量、方向、速度と第2のボールの質量から第2のボールの速度と方向を予測できるとき、言い換えれば、この現象が与えられた条件下で「必然的に」起こるのを見るときです。けれども、このことは、私たちの感覚に現れるものは私たちがアイデアとして仮定するところのものの「必然的な結果」として現れなければならないということを意味しているに過ぎません。その場合、概念と現象は一致すると言うことができます。「現象ではない概念はなく、概念の中にない現象もありません。」を無機的な自然の中で必然的な生起へと導くような条件についてもう少し詳しく考察してみましょう。私たちはここで、無機的な自然における感覚的に知覚可能な生起を決定づける条件は感覚の世界にも属しているという重要な事実に出会います。先ほどの例で言えば、質量、速度、そして方向であり、実際に「感覚」の領域に属する条件が考察の対象となります。他のいかなる条件もその現象を規定しません。感覚にとって直接に知覚可能な要素のみが「お互いにお互いを」決定づけます。ですから、そのような生起の概念的な理解は、単に目に見える現実から目に見える現実を演繹するに過ぎません。空間的、時間的要素、質量、重量、あるいは、光や熱のような感覚的に知覚可能な力は、すべて同じ範疇に属する現象を引き起こします。物体は暖められ、それによって膨張しますが、原因と結果、つまり、加熱と膨張の両方が感覚の世界に属しています。したがって、私たちはそのような生起を把握するために感覚の世界を超えて行く必要がありません。その世界の「内部で」、ある現象を別の現象から演繹しさえすればよいのです。ですから、私たちがそのような現象を説明し、概念的に理解したいのであれば、感覚によって「知覚され」得る要素だけを含めればよいのです。私たちが理解しようとするものはすべて知覚することができます。そこにあるのは知覚されたもの外)と概念との一致です。そのような出来事の中には私たちにとって獏としたままのものは何もありません。私たちは無機的な世界の本質的な特質を引き出し、いかにそれを「それ自体を通して」、それを超えて行くことなく、説明することができるかを示しました。人類が初めて考え始めたのはそのようなことがらの特質についてですから。このことに関してはいかなる疑問もありませんでした。もちろん、彼らは概念と知覚対象との一致へと導く上記の判断過程をいつも辿ったわけではありませんが、先に示したような現象自体の本質的な特質を通してそれらを説明することを決してためらいませんでした。(R.シュタイナーによる注:哲学者の中には、私たちは感覚世界の現象をその根源的な要素にまで辿ることができるけれども、だからといって、私たちが生命の本質的な性質について説明することができる以上にこれらを説明できるわけではないと主張する人たちがいます。このことに関して言えば、これらの要素は「単純」であるそれら自体がより単純な要素からは構成され得ないということを強調しておく必要があります。とはいえ、それらの単純さの中で、それらを導き出したり、それらを説明したりすることができない理由は、私たちの認識能力の限界によるものではなく、それらがそれら自体に依存しているという事実によります。つまり、それらはそれらの全くの直接性において私たちの前に提示され、それら自体で完結し、それらは他のいかなるものからも導き出すことができないということです。)。けれども、「有機的な」領域における現象については、「ゲーテに至るまで」それは真実ではありませんでした。有機体の感覚的に知覚可能な側面、その形、大きさ、色、温度等々は、同じ種類の要素によって決定されているようには見えません。例えば、植物の根の大きさ、形、位置等が、葉や花の感覚的に知覚可能な特徴を決定していると言うことはできません。そうであるならば、そのような物体は有機体ではなく、機械であるはずです。生きた存在の感覚的に知覚可能な特徴は、無機的な自然とは異なり、その他の感覚的に知覚化能な条件の結果として現れることはないということが認められなければなりません。(R.シュタイナーによる注:有機体と機械の差はここにあります。機械において本質的なのは、その部品の相互作用だけです。その相互作用を支配する統合的な原則はその対象自体の中に存在しているのではなく、それを組み立てた人の頭脳の中にある計画として、その外にあります。機械においては、その部品の相互作用を支配する決定的な原則は外的そして抽象的なものであるのに対して、有機体においては、それはその対象自体の中で現実的な存在性を帯びているという事実こそが正に有機体と機械との間の相違点であるということを否定できるのは最も近視眼的な見方によってだけです。ですから、有機体の感覚的に知覚可能な状態は、単にひとつのものが別のものに続いて生じるようにして現れるのではなく、感覚には知覚不能な内的な原則によって支配されているのです。その意味で、この原則は、組み立てる人の頭脳の中にあって心にとってのみ存在している計画以上に感覚にとっては知覚不可能なものです。それは本質的にはそのような計画なのですが、それが有機体の内的な存在の中に入り込んでおり、第三者、すなわち組み立てる人を介して作用するのではなく、直接それに作用するという点で異なっているのです。)実際、知覚に関連した特質が有機体の中に生じるのは「もはや感覚にとっては知覚不能な」何かによってです。それらは感覚的に知覚可能なプロセスの上に浮遊するより高次の統一性の結果として現れます。それは根の形が茎の形を決定づけ、茎の形が葉の形を決定づけ、等々というようなものではありません。そうではなく、これらの形はすべて、それらの上方に存在する何か、感覚によってはその形に近づくことができないような何かによって決定されています。知覚可能な要素はお互いにとっては存在していますが、お互いの結果として存在しているのではありません。それらはお互いによって決定されるのではなく、何か別のものによって決定されています。ここでは、私たちが私たちの感覚をもって知覚するものを他の感覚要素へと還元することはできません。つまり、私たちは感覚の世界には属さない要素を、ものごとについての私たちの概念に含めなければなりません。「私たちは感覚の世界を越えて行かなければならないのです。」。現象を理解しようとするならば、私たちが知覚するものだけでは不十分です。私たちは「統合する原則」を概念的に把握しなければなりません。とはいえ、その結果、知覚されたものと概念との間には距離が生じ、もはやそれらは一致しないように見えます。つまり、概念は観察されたものの上に浮遊し、それらがどのように関連しているのかを理解するのが困難になるのです。無機的な自然においては、概念と感覚的な現実はひとつのものですが、ここではそれらは分岐し、実際、ふたつの異なる世界に属しているように見えます。知覚されるもの、自らを感覚に直接提示するものが、それ自身の中に、それ自身の説明あるいはその本質をもはや担っていないように見えるのです。そのものは自己説明的であるようには見えません。しかし、それはその概念が何かそれ以外のものから取られているからなのです。そのものは感覚にとっては存在しているにもかかわらず、感覚的な世界の法則には支配されていないように見えるために、あたかも自然の中の解決できない矛盾に遭遇しているかのようなのです。それはまるで自己説明的な無機的現象と有機的な存在との間に深淵が横たわっているかのように見え、後者においては、自然法則が何者かの侵害を受けて、正当な法則が突然打ち破られているかのように見えます。実際、科学の世界では、「ゲーテによって」このミステリーが解決されるまで、この深淵は当然のことと考えられていました。それまでは、無機的な自然だけがそれ自身を通して説明可能であり、人間の知識に対する能力は有機的な自然の段階で終わると信じられていたのです。近代哲学の偉大な改革者「カント」がその古い間違った概念を共有していたばかりではなく、何故、人間の心は有機的な実体を決して説明することができないのかということについての科学的な「理由」を探究しさえしたことを考えると、ゲーテが達成したことがどれほどのことだったのかを理解することができます。実際、カントは、先験的な知性が有機的な存在と無機的な領域の両方において、概念と感覚的な現実との間の関係を把握することができる可能性を確かに認めていたのですが、人間がそのような知性を有する可能性を否定していたのです。カントによると、人間の知性は事物の統一性や概念を把握できるけれども、ただ、それはその各部分の相互作用から生じるものとして、抽象的な論理立てを通して達成されるところの分析的に一般化されたものとして、把握できるだけであり、各部分が明確で具体的な(合成的な)統一性の結果、先験的な概念の結果として生じるというような仕方で把握されるのではありません。ですから、彼は、人間の知性が有機的な性質、その活動は全体から各部分へと放射しているのを説明することは不可能であると考えていたのです。カントは言います。「したがって、私たちの知性は、私たちの判断力に関して、奇妙な特質を有している。つまり、知性による認識においては、個別のものは普遍的なものによっては決定されず、したがって、それだけから導くことはできないという特質を。(「判断力批判」段落77)」この記述にしたがえば、私たちが有機的な実体を探究するとき、私たちは、総体(それは単に思考することができるだけ)についての考えと時空の中で私たちの感覚に現れるものとの間の必然的な関係を知る可能性を放棄しなければならないということになります。カントによれば、私たちはそのような関係が存在することを知ることで満足しなければならず、そのような一般的な思考、あるいはアイデアが「いかにして」そこから一歩踏み出しながら感覚的な現実として現われるのかを知ろうとする私たちの論理的な思考を私たちは満足させることができないということになります。私たちは、そのかわり、誰かがあるアイデアにしたがって何らかの合成物・機械のようなものを組み立てるときのように、概念にとっても感覚的な現実にとっても外的な影響によってそのようなものが生じさせられた後、何らの仲介もなく対峙すると考えざるを得なくなります。こうして、有機的な世界を説明する可能性は否定された、実際にはその不可能性が証明されたように見えました。ゲーテが有機的な科学に没頭し始めた頃の状況とはそのようなものでした。彼は、繰り返しスピノザ哲学を読むという最も適切な準備を行った後、これらの研究に取りかかりました。ゲーテが最初にスピノザを取り上げたのは1774年の春でした。彼は「詩と真実」の中で、この哲学者との最初の出会いについて次のように書いています。「私のとんでもない存在を教育するための方法を求めて、世界中を探し回った後、私はついにこの男の「倫理(エチカ)」に出会った。」。その同じ年の夏、ゲーテはフリッツ・ジャコビに出会いました。当時、ジャコビはスピノザの教えに関する彼の1785年の手紙が示すようにスピノザを研究していました。ジャコビこそがゲーテをその哲学者の本質へとより深く導いた人物でした。当時、彼らはスピノザについて大いに議論しましたが、それは、ゲーテにとって「まだすべてが発酵し、泡立ちながら、何らかの最初の影響を及ぼし、そして、またその影響を受けていた」からです。参考画:Baruch Spinoza ほどなく、彼は父の蔵書の中に、ある本を見つけましたが、それはスピノザに対して悪意に満ちた攻撃をしかけ、実際、彼を完全に戯画化するほどにまで歪曲していた著者によるものでした。ゲーテはこの深い思索家を再び真剣に研究することでそれに応えました。彼はスピノザの著作の中に、当時彼が問いかけることができた最も深い科学的な疑問に対する鍵を見出したのです。詩人がフォン・シュタイン夫人とスピノザを読んだのは1784年でしたが、11月4日には彼女宛てに「私はラテン語でスピノザを持ち歩いています、ラテン語ではすべてがずっと明確なのです」と書いています。ゲーテはその哲学者が途方もない影響を彼に及ぼしたという事実をいつでもその全く率直に認めていました。1816年、彼はゼルター宛てに、「シェークスピアとスピノザを除けば、亡くなった魂たちの中で、私に(リンネほど)大きな影響を与えた者を知らない」と書いています。ですから、彼は、彼に最も大きな影響を与えた人物はシェークスピアとスピノザの二人であるとみなしていたのです。彼がその「イタリア紀行」の中でラバターについて書かざるを得なかった点について考えてみるとき、その影響がいかに彼の形態論的な研究において現われているかを最も明確に見て取ることができます。ラバターは、生きた有機体はそれ自体の本性の中には本来存在しない影響を通して、つまり、普遍的な自然法則の侵害を通して生じることができだけであるという当時流布していた観点を主張していました。ゲーテは次のように書いています。「最近、私は、チューリッヒの予言者による嘆かわしくも使徒的で僧侶的な御託宣の中に、次のような愚かな言葉を見つけました。それはすべての生あるものは、それ自身の外にある何かを生き通していると少なくともこのように聞こえました。さて、これは正にそのような異教の宣教師が書きそうなことであって、どんな守護神も彼がそうするようには彼の裾を引き寄せたりはしないでしょう。(「イタリア紀行」1787年10月5日)」。これはスピノザの精神そのものです。スピノザは三種類の知識を区別します。第一の知識は私たちが一定の言葉を聞いたり読んだりするときに生じます。私たちは言及されていることがらを思い出し、それについての心的な像、私たちがものごとを自分で思い描くとき一般に用いるような像を形成します。第二の種類の知識において、私たちはものごとの特徴に関して十分に形成された私たちの心的な像から一般的な概念を創り出します。第三の種類の知識において、私たちは、神の何らかの属性に関する実際の特質についての十分なイメージからものごとの本質的な特質についての十分な知識へと前進します。スピノザはこの種の知識を「直観知/scientia intuitiva」あるいは「見ることにおける知識」と呼んでいます。ゲーテが追及したのはこの最高の種類の知識でした。スピノザが、ものごとはその本質において何らかの神の属性が認識されるような仕方で知られなければならない、と言ったとき、彼が何を意味していたのかを明確にしておきましょう。スピノザのいう神とは世界の思考内容、駆り立て、すべてを支え、すべてを保持する原則(記*スピノザの汎神論及び唯物論は≒物理法則)でした。さて、私たちはこの原則を独立した存在、限りある世界から独立し、自立した存在、限りある存在たちから離れていながらそれらを支配し、活気づける存在であると仮定することによって思い描くことができます。他方、私たちはこの存在について、限りある世界に入ってきたものとして、もはや現世的なものの上方や傍らにいるのではなく、それらの「内部に」存在しているものとして考えることができます。この観点は決してあの太古の原則を否定しているのではなく、それを完全に認めています。ただ、その原則が世界の中に「注ぎ出されている」と見るのです。最初の観点は有限の世界を無限の世界の顕現として見ますが、この無限性はそれ自身の存在の内にとどまり、自分自身からは何も譲渡しません。それは決してそれ自身を越えて行くことはなく、それが顕現する前の状態にとどまります。第二の観点もまた有限の世界を無限の世界の顕現として見ますが、この観点はこの無限の存在がその顕現を通して完全にそれ自身を越えて行った、それ自身の存在と生命をその創造の中に据え、今や、「その創造の中にのみ」存在している、と考えます。さて、明らかに、知識とはものごとの本質を知覚することであり、その本質はそれが限りある存在としてあらゆるものごとの根本的な原則に関与する程度においてのみ存在しているわけですから、知るということは、ものごとの中の無限なるもの(R.シュタイナーによる注:つまり、それらの中にある一定の神の属性)を知覚するということを意味しています。既に記述してきましたが、実際、ゲーテ以前には、無機的な自然はそれ自体を通して説明することができる。それはそれ自体の説明とそれ自体の本性をそれ自体の内に含んでいる。しかし、それは有機的な自然の場合には当てはまらない、と考えられていました。後者の場合、対象の中に現れる本質的な特質あるいは存在はその対象自体の内部に見出すことはできない、したがって、それはその対象の外側に存在すると考えられていたのです。言い換えれば、有機的な自然は最初の観点に、無機的な自然は第二の観点にしたがって説明されました。このように、スピノザは、統合された知識の必然性を証明しましたが、この理論的な洞察を様々に分化した有機的な科学の専門分野の中で証明するにはあまりにも哲学者過ぎました。この仕事はゲーテのために残されたのです。スピノザの観点への彼の確固とした支持は、先に引用された文章によってだけではなく、多くの他の文章によっても示すことができます。彼は「詩と真実」の中で、「自然は永遠不変の法則にしたがって働く、それはあまりにも神聖であって、神ご自身でさえその中の何ものをも変えることはできない」(第16冊、第4部)と書いています。1811年に出版されたジャコビによる本(「神的な事物とその顕現について」)を引用しながら、ゲーテは次のように述べています。「非常に愛すべき友人による本が、自然は神を内に秘めているという命題を発展させているのを見るのは、私にとって非常な喜びであった。私の純粋で深淵な、そして、経験豊富な生来のものの考え方、特に、「自然の中に神を見、神の中に自然を見る」ということを私に教え、それによって私の全存在を基礎づけているこのものの考え方をもってすれば、そのような奇妙で、一面的に限定された主張によって、私が愛し、尊敬してきたこの人間として最も高貴な心から私がいつまでも精神的に遠ざけられているということなどあってはいけないことではないのか。」ゲーテはその踏み出そうとしていた一歩が科学の将来に大きな影響を及ぼすことを十分に知っていました。彼は、無機的な自然と有機的な自然の間の境界を破壊することによりスピノザの考えを推し進めることによって、科学の方向性を大きく変えようとしていることに気づいていました。そのことは彼の随筆「先験的な知覚による判断」の中で表明されています。彼は、人間の知性は有機体を説明することができないことを証明しようとしたカントの「判断力批判」の試みに言及した後、次のような反論を述べています。「ここで著者は確かに神的な知性に言及しているように見えます。しかし、もし、私たちが本当に道徳的な領域において、神、善、そして不死への信仰を通して、より高次の領域に上昇し、原初の存在に近づこうとするのであれば、知的な領域においても、私たちは絶えず創造する自然の考察を通して私たちをその創造に精神的に参加する価値があるものとすることができるのではないでしょうか。いずれにしても、私は、元型的、典型的なものに向かって最初は無意識に、そして、内的な衝動から休むことなく突き進んできて、それがいかに自然法則にしたがって展開するかを示すことにも成功してきました。ですから、今や、ケーニッヒスベルクの聖人その人がそう呼んだような「理性の冒険」へと大胆に乗り出すことを妨げるものは何もありません。」、「本質的なことは、無機的な自然の中でのできごとは、つまり、何か感覚的な世界の中だけで生じるものは、同様に感覚的な世界の中だけで生じる過程が原因となって決定されるということです。原因となる過程が要素m、d、そしてv(運動するビリヤード球の質量、方向、そして速度)、そして、結果となる過程が要素m’、d’、そしてv’から構成されていると想像してみましょう。m、d、そしてvが与えられるときにはいつでもm’、d’、そしてv’はそれらによって決定されるでしょう。原因と結果からなるこのできごと全体を理解するためには、それらの両方を含むひとつの概念によってそれを定式化しなければなりません。けれども、その種の概念はそのできごと自体の中には存在せず、それを決定づけることもありません。それは両方の過程をひとつの共通の表現の中に包含していますが、その原因となることはなく、それを決定づけることもないのです。感覚世界の物体だけがお互いを決定づけます。要素m、d、そしてvもまた外的な感覚にとって知覚可能ですが、この場合、概念は外的なできごとを要約するために働いているだけです。それは何かアイデアや概念としては現実的ではないけれども感覚にとっては現実的なものを「表現して」いるのです。それが表現するこの「何か」とは感覚的な知覚対象です。無機的な自然についての知識は、感覚を通して外的な世界を理解し、概念を通してその相互作用を表現することができる可能性に基づいています。カントは「そのようにして」ものごとを知る可能性を人間が近づくことができる唯一の種類の知識であると見なしていました。カントはこのような考え方を推論的と呼びました。私たちが知ろうとする「もの」は外的な知覚であり、概念あるいはひとつに結びつけるものは単なる手段なのです。けれども、カントによれば、私たちが有機的な自然を理解しようするときには、私たちは理想的、概念的な側面を、何か別のものを表現したり、示唆したりすることによって、その意味を借りてくるものとして把握することはできません。むしろ、私たちは「理想的な要素をそれ自体として」把握しなければならないはずです。それは、空間的-時間的な感覚の世界に発するのではなく、それ自身に発するそれ自身の意味を含んでいなければならないはずです。無機的な世界の場合、私たちの心が単に抽象的に思い描くところの統一性はそれ自身を「それ自身から」形成しながら、それ自身の上に構築しなければならないでしょう。それはそれ以外の対象からの影響によってではなく、それ自身の存在にしたがって形作られなければならないでしょう。自己形成し、自己顕現する実体を理解することからは、カントによれば、人間は排除されているのです。そのような理解を達成するためには何が必要なのでしょうか。私たちはある種の思考を必要としているのですが、それは外的な感覚知覚から導かれたのではない実質を考えに付与することができるような、つまり、感覚によって外的に知覚されたものを理解するだけではなく、感覚の世界から離れた純粋な考えを把握することもできるような思考です。感覚の世界から抽出されたのではない概念、その内容がそれ自身から、そして、それ自身だけから発展するような概念を「先験的な概念」と呼ぶことができます。そして、そのような概念を理解することを「先験的な知識」と呼ぶことができるでしょう。それから導かれるものは明確です。「生きた有機体は先験的な概念を通してのみ理解できる」です。ゲーテは実際にこのような知の可能性を示しました。無機的な世界は、できごとを構成する個々の要素の相互作用、つまり、それらがお互いを決定づけるその仕方によって支配されています。これは有機的な世界には当てはまりません。そこでは有機体を構成する個々のものが別のものを決定づけているのではなく、全体(あるいはアイデア)がそれ自身から、それ自身の存在と調和して、それらを決定づけているのです。この自らを決定づける実体に言及するとき、私たちはそれを、ゲーテの言葉にしたがって、「エンテレキー」と呼ぶことができます。すなわち、エンテレキーとは自らを存在へと呼び込む力です。その結果現れるのが感覚的な存在であり、それらはこのエンテレキー的な原則によって決定づけられているのです。このことから明らかな矛盾が生じるのですが、それは、有機体は自己決定的であり、前提となる原則に従ってそれ自身からその特徴を生じさせるにもかかわらず、感覚的に知覚可能な現実性を有している、という矛盾です。すなわち、有機体はその他の感覚世界の対象とは全く異なる仕方で感覚的に知覚可能な現実性を達成し、その結果、それは不自然な仕方で生じるように見えます。有機体は外的には他の物体と同様、感覚世界の影響にさらされているということもまた理解できます。屋根から落ちるタイルは無機的な対象にも、生き物にもぶつかる可能性があります。有機体は、栄養やその他のものを取り込むことを通して、外的な世界に関連づけられています。すなわち、外的な世界の物理的な状況の影響を受けるのです。もちろん、このことが生じるのは、有機体が空間的-時間的な感覚世界の対象物である限りにおいてのみです。この外的世界の対象物-エンテレキー的な原則が外に向かって現れたもの-は、有機体の外的な表現ですが、それはそれ自身と完全に一致しているようには見えず、それ自身の本性に厳密に従っているようにも見えません。それはそれ自身と調和しているようにも、それ自身の本性に厳密に従っているようにも決して見えませんが、その理由は、有機体がそれ自身の形成的な法則に従っているだけではなく、外的な世界の条件にも左右されていることによります。つまり、それはそれ自身を決定づけるエンテレキー的な法則に従えばそうなるはずのものであるだけではなく、それが依存している外的な要因の影響によりそうなったものでもあるからです。人間理性が関係してくるのはここにおいてです。有機体がそれ自身の原則にのみ対応し、外的な世界の影響を無効にしながら展開するのは「アイデアの領域において」なのです。「いわゆる」有機的なものとは関係のないあらゆる偶発的な影響は完全に抜け落ちます。有機体における純粋に有機的な側面に対応するこのアイデアこそが元型的な有機体であり、ゲーテが言うところの「型」なのです。こうして、型というアイデアの際立った有効性が明らかになります。それは単なる「知的な概念」ではなく、すべての有機体における真に有機的な側面であり、それなしでは有機体ではあり得ないような何かなのです。それは「あらゆる」有機体の中に現れるので、いかなる実際かつ個別の有機体よりもより現実的なものです。それはまた、「いかなる個々の特別な有機体よりも」より十全に、そして、より純粋に有機体の本質を現わします。私たちが型についてのアイデアに至る道は、外的な現実から抽出された概念、内的に活性化していない無機的なプロセスに関する概念に至る道とは根本的に異なっています。有機体についてのアイデアはそのエンテレキーとして有機体内部で活発に活動しています。それは、私たちの理性によって理解される形を取ったエンテレキーそのものの本質なのです。アイデアは経験の総体ではありません。それは経験を「生み出す」ものなのです。ゲーテはそのことを次のように表現しました。「概念とは経験の『総体』であり、アイデアとはその『結果』である-概念を理解するためには知性が必要であり、アイデアを把握するためには理性が必要である。」この言葉はゲーテの元型的な有機体(元型的な植物あるいは動物)に帰せられるべき種類の現実性を説明しています。このゲーテ的な方法論は明らかに有機的な世界の本質を理解するための唯一の方法です。私たちは、無機的な領域においては、多様性に富むその現象はそれを説明する法則性と同じものではなく、何かその外側にあるものとして、この法則性を単に指し示しているに過ぎないのだ、という本質的な状況に気づかなければなりません。私たちが「知覚する」もの―外的な感覚を通して与えられる私たちの知識における物質的な要素―と「概念」―あるいは、私たちが知覚するものの必然性を認識するための形式的な手段―との関係は、それらがお互いをその対象物として必要としている、というようなものです。その関係は、概念は経験されたできごとという個別のことがらの中に生きているのではなく、それらのことがらの相互関係の中に生きている、というようなものなのです。この相互関係は、多様なものをひとつの統合された全体へと結びつけており、与えられた個別のものに基づいていますが、実際、「全体」(あるいは統一されたもの)としては具現化されません。この関係の中では、「個別のもの」だけが外的な存在性の中に―対象の中に―現れます。統一性あるいは概念が「そのようなものとして」現れるのは、現象の多様性を結びつけることをその使命とする私たちの知性の中においてのみです。つまり、概念は現象の「総体」としてその多様性に関係づけられているのです。ここで私たちが扱っているのはひとつの二面性、私たちが「知覚する」多様な現象と、私たちが「思考する」その統一性という二面性です。有機的な自然においては、有機体の多様で個別のものはそのような外的な相互関係を有していません。統一性は知覚されるものの中に現れます。それは多様性と共に存在するようになります。つまり、それらは同じものなのです。現象する総体(有機体)の個々の構成要素の間の関係はひとつの現実となり、もはや私たちの知性の中にだけではなく、対象の中にも具体的に現われます。そして、そこでは、それはそれ自身から多様性を生み出します。概念は、単にその「外側」にある対象物を要約する要素としての役割を演じるだけではなく、完全にその対象物と一体になっています。私たちの知覚対象はもはや私たちがそれを通して思考するところの概念ではありません。私たちは概念そのものをアイデアとして知覚するのです。ですから、ゲーテは有機的な自然を把握する能力を「先見的な知覚による判断」と呼びました。説明するもの、私たちの知識の形式的な要素である概念と説明されるもの、物質的な要素である知覚されたものが同じなのです。ですから、私たちがそれを通して有機的なものを理解するアイデアは、私たちがそれを通して無機的なものを説明する概念とは本質的に異なっています。それは単に与えられた多様性をひとつの要約のようにして結びつけるのではなく、それ自身からそれ自身の内容を生じさせるのです。それは与えられたもの(経験)の結果であり、具体的な現れなのです。(編者による注:したがって、例えば、時計についての概念はその各部分を通して直接的に自らを表現したりはしません。それはそれらの相互作用と目的を知的に理解することによってのみ把握することができます。そこでは、その統一性あるいは目的はその各部分を通して直接的に現れることはありません。有機体の場合は違います。例えば、動物の各器官の形成やその振る舞いの各側面は、その本質的な性質、あるいはアイデアの直接的な表現です。このアイデアは直接知覚され、賦活され、経験を通して深化されます。その意味で、それは経験の「結果」なのです。)。無機的な科学においては、私たちは「法則」(自然法則)について語り、事実を説明するためにそれらを用いますが、有機的な科学においては「型」が用いられるというのはそのためです。「法則」はそれが支配する知覚された多様性と同じものではなく、その上に立つものです。一方、型においては、理想と現実が一体化しており、多様性は全体の中のひとつの点、そして、その点は全体と同じものなのですが、その点から生じてくるものとしてのみ説明することができます。ゲーテの探求における重要な側面は無機的な科学と有機的な科学の間のこの関係がよく洞察されていることです。今日よく言われるように、ゲーテの科学が見通していたのは、有機的なものを無機的な自然を決定づけるために用いられるのと同じ原則(機械的、物理的な範疇と法則)に還元することによって、それらを包括するような統合された自然観を目標とするところの一元論であると言うのは間違いです。私たちはゲーテが一元論的な観点をどのように思い描いていたかを見てきました。有機的なものを説明する彼の方法は彼の無機的な領域に対するアプローチとは根本的に異なるものです。彼は、より高次の原則にかかわることでは、必然的に機械論的な説明が厳密に拒絶されるのを見たいと思っていたのです。(R.シュタイナーによる注:「私たちは重要なことがらが部分の中に集められているのを見ます。建築作品について考えてみれば、いかに多くのことがらが規則的あるいは不規則的な仕方で寄り集まることにより生じるかが分かります。したがって、原子論的な概念は非常に便利なものであり、有機的な生命が含まれる場合にも、それらを適用するのをためらいません。何故なら、正にダイナミックな説明だけが可能な問題を脇に押しやるときにだけ、機械的な説明の仕方が再び時代の趨勢になるのですから。」[散文の中の韻])彼は有機的な現象の原因を無機的なものに求めようとしたキーザーとリンクを批判しています。このゲーテについての間違った観点が生じてきたのは、彼が有機的な自然を理解する可能性に関してカントに対して取った立場によるものです。カントが我々の知性は生きた有機体を説明することができないと主張するとき、それは、それらが機械的な法則によって規定され、物理的あるいは機械的な分野に属しているためにそれらを把握することができないのだ、と言っているのではありません。カントによれば、我々の知性が説明できるのは正に物理的-機械的なものだけなのですが、有機体にとって本質的な存在はそのような性質のものでは「ない」という事実こそがそれを不可能にしている理由なのです。もし、それがそのようなものであったならば、知性は、自分が得意とする分野を通して、それを理解することができたでしょう。もちろん、ゲーテは有機的な世界を機械的な観点から説明することによってカントに反論しようとしていたわけではありません。彼の論点は、我々は有機的な世界の本質である創造的な活動におけるより高次の形態を把握する能力に欠けてはいないということだったのです。今お話したことを考えてみるとき、直ちに分かるのは、無機的な特質と有機的な特質との間には重要な違いがあるということです。無機的な自然においては、「いかなる」プロセスも別のプロセスの原因となる可能性があり、その別のプロセスもまたさらに別のプロセスの原因となる可能性があることから、一連のできごとは決してそれ自体で完結するようには見えません。すべてが連続する相互作用に向けて開かれており、どの対象となる集団も他の集団の影響から自らを隔離することはできません。無機的なできごとの連鎖には始まりも終わりもないのです。ひとつのできごとと次のできごとの間には偶然の関係があるだけです。石が地面に向けて落ちるとき、その影響はたまたまそれがぶつかるものの種類によります。有機体においては、状況は全く異なっています。そこでは統一性が主要な要因になります。自立した生命が持つ、目的へ向かって完成し全体化する力であるエンテレキーは多数の感覚的に知覚可能な発展型から構成されており、それらの中のあるものは最初に、別のものは最後に来なければなりません。それらの間では、あるものの後に別の何かが続くということは一定の仕方で決まっています。理想的な統一性は一定の空間的な関係性の中で、時間の経過にしたがって、一連の感覚的に知覚可能な器官を生み出します。それはある一定の明確に決められた仕方で自然の他の部分からそれ自身を切り離し、その様々な状態をそれ自身から生み出します。ですから、これらのことがらは理想的な統一性から進み出てくる一連の状態の形成を追っていくことによってのみ把握することができます。言い換えれば、「有機体は、それが成ることにおいてのみ、つまり、その発達においてのみ把握することができます。」無機的な物体は完成され、固定されています。それは内的には非動的であり、外から動かすことができるだけです。有機体は決して同じところに留まりません。それは絶えず内から外へと自らを再構成し、変容し続けます。ですから、ゲーテは次のように述べています。「理性はその活動領域を成っているところのものの中に見出し、知性はそれを完成されたものの中に見出します。理性は「何のために」とわざわざ聞いたりはしません。知性は「どこからなのか」を問うことがありません。理性は発達しているものの中に喜びを見出し、知性はすべてをしっかりと把握することによってそれを利用しようとします・・・。理性は生きているものだけを規定します。地理学の関心事である既に成っている世界は死んだ世界です。(詩と散文)」。有機体は自然の中で主に二つの形態を取って私たちの前に現れます。ひとつは植物、もうひとつは動物ですが、それぞれ異なる仕方で現れます。植物は、「現実の」内的生活が欠如している点で、動物とは異なっています。動物においては、この内的生活は感覚や意図的な動き等々として現われます。植物はそのような魂的な原則を有していません。それはその外的な「形態」の発達を越えて行きません。植物においては、エンテレキー的な原則がその形成的な活動をいわばある一点から展開するとき、それぞれの器官は共通の形成的な原則にしたがって形づくられる、という事実を通して現れます。エンテレキーは個々の器官を形成する力として現われます。すべての器官はひとつの形成する型にしたがって形成されます。「ひとつの」基本的な型が変容したものとして現われるのです。つまり、それらはその器官の様々な発達段階における繰り返しなのです。植物を植物としているところのある「特別な形成力」がすべての器官の中で同じ仕方で働いているのですが、その意味で、あらゆる器官は他のすべての器官と、そしてその植物全体と「同じもの」なのです。ゲーテはこのことを次のように表現しています。「私は私たちが通常、葉と呼ぶところの植物の器官は、あらゆる形成の中に自らを隠し、そして、現す、真のプロテウスを隠し持っているということに気づきました。後ろにも前にも、植物はひたすら葉であり、未来の種子と不可分に結びついているために、一方を他方抜きで考えられないほどです。(イタリア紀行、1787年5月17日、1787年7月の報告に含まれる)「このように、植物は、ちょうど複雑なものがあまり複雑ではないものから成り立っているように、いわば多くの個別の植物から成り立っているように見えます。植物の発達過程は段階を経て進行し、その器官を形成します。各器官はすべての他の器官と形成的な原則において同一ですが、外観において異なっています。植物の内的な統一性は外に向かって広がっています。つまり、それは様々な形態において自らを表現するとともに自らを失うことにより、動物がそうするようにはそれ自身の具体的な存在性と一定の独立性を達成するということがありません。そして、それは、生命の中心点として、その器官の多様性に出会い、それらを外界との仲介者として利用します。私たちは今、それらの内的な原則の意味で、そうでなければ同一であったはずの植物器官の外的な差異は何によって生じさせられるのかと問わなければなりません。どうして、「単一の」形成的な原則によって導かれる形成的な法則が、ある場合には葉を生じさせ、別の場合には萼を生じさせるのでしょうか。植物は完全に外的な領域に存在していますから、この差異は外的、空間的な要因に基づいているに違いありません。ゲーテは拡張と収縮の交替こそがそのような要素であると考えていました。植物のエンテレキー的な原則が一点から外に向かって働きながら外的な存在性へと入っていくとき、それは空間的な実体として現れます。形成的な力は空間中で活動し、一定の空間的な形をもった器官を創り出します。さて、これらの力は、収縮期においては、一点に向かって集中し、拡張期においては、展開しつつ、いわばお互いに離れようとして分散します。植物の一生を通して、三つの拡張期と三つの収縮期が交代します。この拡張と収縮の交代こそが、植物の本質的には同一の形成的な力が分化する原因となっているのです。最初、植物のポテンシャルのすべては一点へと収縮し種子の中で眠っています(a)。次に、それは葉の形成という形で出現し、展開し、そして「拡張」します(c)。形成的な力はお互いにますます反発し合うようになりますが、その結果、下部の葉はコンパクトで原初的なものとして現れ(cc’)、上部では肋骨状でぎざぎざになります。そして、密集していたものすべてが分かれ始めます(葉d、e)。以前は連続した間隔によって分離していた(zz’)ものすべてが-萼の形成とともに(f)-茎上の一点へと引き寄せられることによって現れます(w)。これが第2の収縮です。花の花冠では新たな展開あるいは「拡張」が生じます。萼片(f)に比べると花弁(g)はより洗練され、より繊細になっていますが、これは一点へと向かう収縮が弱まることによります。つまり、それは形成的な力の拡張がより強くなることにより生じることができるようになったものです。次の収縮は雄しべ(h)と雌しべ(i)という生殖器官の内部で生じます。そして、新たな拡張は果実(k)の形成の中で始まります。果実から現れる種子(a’)の中では、植物の存在全体が再び一点へと濃縮されます。(R.シュタイナーによる注:果実は雌しべ下部[子房、l]の成長を通して発達します。つまり、それは雌しべの後半の段階ですから、ただ別個のものとして描くことができるだけです。果実の形成は植物における最終的な拡張なのです。その生命は今や、その環境から自らを閉ざす器官―果実と種子―の中で分化したものとなります。果実において、すべては兆候となりました。つまり、それは外見的な兆候に過ぎず、自らを生命から引き離し、死せる産物となったのです。植物におけるすべての本質的な内的生命衝動は種子の中へと濃縮され、そこから新しい植物が生じることになります。種子はほぼ完全なアイデアです。その外見は最小限のものへと還元されています。)。芽あるいは種子が展開あるいは実現したものが植物全体です。それらが十分に展開し、植物を形成するためには、正しい外的な影響だけが必要です。芽と種子の違いは、種子はその基盤として地面を必要としているのに対して、芽は一般に植物上での植物の形成に相当している、ということに過ぎません。種子はより高次の性質を有する個別の植物、いわば、植物形成における循環全体を表現しています。新芽によって、植物はその生命の新しいフェーズを開始します。つまり、それはそれ自身を再生し、その力を濃縮しながら新たなものとするのです。したがって、芽の形成は植生のプロセスを中断することになります。生命を現出するための条件が欠けているときには、植物の生命は芽の中へと引き下がり、再び正しい条件が現れたとき、また発芽させることができます。植生の成長が冬の間に中断するのはこの理由によります。ゲーテはこのことについて次のように述べています。「極寒によって植生の成長が中断されない場合、それがいかに継続するかを観察することは非常に興味深いことです。ここ(イタリア)には芽というものがないので、芽とは何かを理解し始めています。(イタリア紀行、1786年12月2日)」このように、私たちの気候条件では芽の中に隠されているものがそこでは露骨に現れているのです。実際、その中には植物の真の生命が隠されており、ただそれが展開するための条件だけが欠けているのです。交代する拡張と収縮というゲーテの概念は特別に強力な反対に出会うことになります。とはいえ、それらの攻撃のすべては誤解-つまり、これらの概念に対する物理的な原因が見出されない限り、そして、植物の内的な法則がいかにその拡張と収縮の原因となっているかを示すことができない限り、それらは有効ではあり得ないという信念-から出たものでした。しかし、それは馬の先に馬車をつなぐようなものです。拡張と収縮の原因としては何も仮定することができません。他のすべてはそれらから続いており、それら自身が段階を追って展開する変容の原因となっているのです。そのような誤解は、私たちが概念をそれ自身の先見的な形態において理解することに失敗し、それは外的なできごとの結果に違いないと主張するときには、いつでも生じます。私たちは拡張と収縮を原因ではなく、結果としてのみ考えますが、ゲーテはそれらを植物の中の無機的なプロセスの結果として生じるというよりは、むしろ、植物のエンテレキー的な原則が自身を形成する方法であると見なしていました。ですから、彼はそれらを感覚的に知覚可能なプロセスの総計から演繹されるのではなく、内的、統合的な原則そのものから生じてくるものとして見ざるを得なかったのです。植物の生命はその新陳代謝によって維持されています。栄養を地面から吸収する根に近い器官と、他の器官を通過してきた栄養を受け取る器官とでは、それらの新陳代謝に基本的な違いがあります。地面に近い器官はその無機的な環境に直接依存しているように見えますが、他の器官はそれに先立つ有機体の部分に依存しています。ですから、連続した各器官はそれに先立つ器官によっていわば特別に準備された栄養を受け取ることになります。自然は、後から来るものが前に来たものの結果として現れるように、種子から果実へと、段階を追って発達します。ゲーテは「精神的な階梯に沿った発達」として、この段階的な発達に言及しています。私たちが示してきた以上のものは、彼の次のような言葉の中には見当たりません。上部の節はそれに先立つ節から生じ、それによって仲介される樹液を受け取るので、茎のより高いところにある節はその樹液をより洗練され、よりろ過された状態で受け取るに違いありません。そして、それは以前の葉の発達からの利益を享受し、その形態を洗練させ、さらに洗練された樹液をその葉や芽に送り込みます。私たちがこれらのことすべてを理解し始めるのは、それらをゲーテのアイデアという光の下で見るときです。そこで提示されるアイデアは、何らかの個別の植物において現れるような要素、その本来の形態においてではなく、外的な条件に適応した形で現れるような要素ではなく、元型的な植物の特質の中に、元型そのものにのみ対応するような仕方で横たわっているような要素です。当然のことながら、動物の生においては、何か別のものが介入してきます。動物の生命は、外的な特徴の中に自らを失うのではなく、むしろ、自らを分離し、その身体性をもって自らに仕え、その身体的な現れを単に道具としてのみ用います。それは、もはや単に内部から有機体を形成する能力として現れるのではなく、むしろ、有機体のそばにあるものとして、有機体の内部でそれを支配する力として活動しながら、自らを表現します。動物はひとつの自己完結した世界として、あるいは、植物よりもはるかに高次の意味で、小宇宙として現れます。それはそのひとつひとつの器官によって仕えられるひとつの中心を有しているのです。それぞれの口は上手に餌をくわえ、弱く歯のない顎であれ、恐ろしい歯を持つ強力な顎であれ、身体の必要に適ったものとなっています。いずれにしても、あるひとつの器官は他のすべての器官に供するのに完全に適したものとなっています。それぞれの足もまた、長いものであれ、短いものであれ、大いなるスキルをもって、その生き物の衝動と必要に仕えるために動きます。(「動物の変容」より)植物の各器官は植物全体を包含していますが、生命の原則は、明確な中心点としては、どこにもありません。各器官の存在理由はそれらがすべて同一の法則にしたがって形成されているという事実の中にあります。動物においては、各器官は明確な中心点からやってくるように、つまり、その中心点がそれ自身の性質にしたがってすべての器官を形成しているように見えます。こうして、動物の形態はその外的な存在性の基礎を与えるものとなるのですが、それは内部から決定されます。したがって、それらの同じ内的な形成原則によって、動物がどのように生きるかが方向づけられることになります。一方、動物の内的な生活は自由であり、それ自身の内部に限定されません。つまり、それはある一定の限度内で外的な影響に適応することができます。それは外的、機械的な影響によってではなく、型の内的な性質によって決定づけられます。言い換えれば、適応は有機体が外的世界の単なる産物として現れるようになる原因にまではならず、その形成は一定の限度内に制限されています。いかなる神もこれらの限度を超えることができない。何故なら、それらは自然によって尊重されているのだから。そのような限度を通してでなければ、決して完全なるものが達成されることはなかったのだ。(「動物の変容」より)もし、すべての動物が元型的な動物原則にのみ一致していたとしたら、すべて同じ動物となっていたことでしょう。ところが、動物の有機体は各々が一定程度発達する能力を有するいくつかの器官体系へと分化していますが、そのことが異なる進化への基礎を与えているのです。理想的には、それらはすべて同じように重要とはいえ、ある器官体系が卓越し、有機体の形成力の蓄積全体を自らに引きつけるとともに、他の器官から引き離すということがあり得るのです。そのような動物はその器官体系に向けてとりわけ発達したものとして現れる一方、別の動物は別の仕方で発達することになるでしょう。それによって、元型的な有機体が現象世界に入っていくとき、様々な種や属として分化する可能性が生じるのです。この分化の実際の(事実上の)原因はまだ述べられていません。外的な要素がその役割を果たすようになるのはここにおいてです。それは有機体がその外的な環境にしたがって自らを形成する「適応」であり、卓越した条件に最もうまく適応した生き物だけが生き残るのを許す「生存競争」です。けれども、適応と生存競争は、もし、その形成原則が内的な統一性を維持しつつ多様な形態を取ることがなかったとしたら、有機体に対していかなる影響も及ぼさなかったことでしょう。私たちはこの原則が、ひとつの無機的な実体によって別の実体が影響を受けるのと同じ仕方で外的な形成力の影響を受けると想像すべきではありません。確かに外的な条件は元型がある特別な形態を取るという事実に対して責任がありますが、その形態自体は内的な原則から導かれるのであって、それらの外的な条件からではありません。形態について説明するとき、私たちはいつも外的な条件を考慮しなければなりません。しかし、形態自体が「それらの」結果として生じると考えるべきではありません。ゲーテは、ちょうどある器官の形態を外的な目的という観点から説明する目的論的な原則を拒否したように、有機的な形態が環境の影響から単に因果律によって導かれるという考え方にも反対したはずです。動物の器官体系はその外的な構造(例えば、その骨格)により深く関連していますが、私たちはその中に―例えば、頭骨の骨格形成の中に―植物において観察される法則が再び現れるのを見出します。純粋に外的な形態の中に内的な法則性を見るゲーテの才能がここでは特に明白なものとなります。植物と動物の間には明確な境界はないのではないかという疑念には確かな理由がある、という最近の科学により発見された事実からすれば、ゲーテの観点に基づく植物と動物の間のこの違いは不適切なもののように見えるかも知れません。ゲーテもまたそのような境界を打ち立てるのは不可能であると気づいていましたが、それによって植物と動物を明確に規定するのを妨げられるということはありませんでした。それは彼の世界観全体と関係していました。ゲーテは、現象世界においては、定常的で固定されたものは一切なく、すべてが絶え間なく変動し、動いていると考えていました。けれども、私たちが概念において把握するものの「本質」は、変動する形態からではなく、それがそこにおいて観察され得るようなある種の「中間的な段階」から導かれることができます。ゲーテの世界観は、当然のことながら、一定の定義づけを行いますが、それにもかかわらず、私たちが特別な遷移状態にある形態を経験するとき、その定義が堅固に保持されることはありません。実際、ゲーテが自然の生命の柔軟性を見たのは正にそこにおいてだったのです。ここで記述されたアイデアによって、ゲーテは有機的な科学の理論的な基礎を据えました。彼は有機体の本質的な特質を見出しましたが、もし、私たちが元型(それ自身からそれ自身を形成する原則、エンテレキー)を何か別のもので説明することができると考えるならば、この事実を容易に見逃してしまうことになります。とはいえ、そのような仮定は正当なものではありません。何故なら、元型は、先験的に理解されるならば、自己説明的なものだからです。それ自身にしたがってそれ自身を形成するこのエンテレキー的な原則を理解した人であれば誰であれ、これが生命の神秘に対する解答であることを理解するでしょう。他のいかなる解答も不可能です。何故なら、それがものごとの本質だからです。もし、ダーウィン主義が原初の有機体を仮定するように強いられるならば、ゲーテはその原初の有機体の本質的な特質を見出したのだと言うことができます。(R.シュタイナーによる注:現代科学においては、原初の有機体という言葉は、通常、原始的な細胞[原始細胞]、有機的な進化における最も低次の段階にある単純な実体のことを指しています。ゲーテの意味での「原初の、あるいは元型的な有機体」という言葉はそのことを指しているのではなく、本質的なもの[存在]、あるいは「原始細胞」を有機体にするところの形成的、エンテレキー的な原則のことを指しています。この原則は、最も単純な有機体にも、最も完成された有機体にも現れますが、これらは異なった発達段階にあります。それは動物の中の動物性であり、生きた存在を有機体にするところのものです。ダーウィンは初めからそれを仮定しています。それはそこにあり、導入されているのですが、そのとき彼は、それは環境の影響に対してあれこれの仕方で反応すると言います。ダーウィンにとって、それは不定項Xだったのですが、ゲーテはその不定項Xを説明しようとしたのです。)種や属の単なる分類を打破して、有機体の真の本性に沿った有機的な科学の再生を始めたのはゲーテでした。ゲーテ以前の分類学者たちが外的に存在する異なる種の数だけの(彼らはそれらの間を取り持つものを何ひとつ見つけることができませんでした)概念、あるいはアイデアを必要としていたのに対して、ゲーテは、すべての有機体はアイデアにおいて同一であり、外見的な違いがあるだけだと宣言したのです。そして、何故そうなのかを説明します。こうして、有機体の科学体系のための基礎が打ち立てられ、後はそれを洗練させるだけとなりました。どのような意味で、存在するすべての有機体はアイデアの顕現に過ぎないのか、そして、それらはどのようにして個別のケースにおいてそれを現すのか、ということが示されるはずでした。この偉大な科学上の業績は、より深い教育を受けた科学者たちによって、広く認められることになりました。ダルトン弟(エドワルド・ジョセフ)は、1827年7月6日、ゲーテに宛てて次のように書いています。そのすばらしい見通しと、新しい観点を通して、植物学が完全なる変容を遂げたというだけではなく、骨相学の分野においてもまた、自然科学は多くの第一級の貢献を閣下に負っています。もし、その閣下にお褒めの言葉をいただけるような努力を、私が同封させていただいたページの中に見ていただけるならば、これ以上の喜びはありません。ネース・フォン・エーゼンベックは1820年6月24日に、あなたの随筆「植物の変容を説明する試み」の中で、植物は自らについて私たちに初めて語りかけました。そして、まだ若かったころの私もまた、そのような美しい擬人化の虜になってしまったのです。そして、最後にフォイクトは1831年6月6日に次のように書いています。「私は生き生きとした興味と謙虚な感謝をもって、変容についてのあなたの小作品を受け取りました。私はこの理論への当初からの参加者として加えられていることを感謝します。動物の変容(古くから知られている昆虫の変容ではなく、脊柱から来る変容)が植物の変容に比べてより公平に扱われているのは奇妙なことです。盗作や乱用とは別に、そのような静かな認識は、動物の変容というものは「あまりリスクを含んでいない」と信じることから来るのかも知れません。と申しますのも、骨格系においては、個々の骨はいつでも同じであるのに対して、植物系においては、変容によって用語全体に、したがって、「種の同一性」に革命が起こる恐れがあるからです。これは弱い者にとっては脅威です。何故なら、彼らはそのようなことがどのような結果をもたらすかを分かっていないのですから。」ここにはゲーテのアイデアに対する完全な理解が見られます。そこにある気づきとは、個別(の有機体)を見るためには新しい観点が必要であり、そのような観点だけが個別のものを探究する新しい科学的な体系のための基礎を与えることができる、ということです。自己形成する「元型」は、それが現れるとき、無限に多様な形態を取ることができます。種や属は実際に時空の中に生きているので、そのような形態は私たちの感覚による知覚対象となります。私たちの心が統一性の中にある有機体の世界全体を理解するのは、一般的なアイデア―元型―を理解した程度に応じてです。私たちが個別の現象形態の中で何らかの形を取る元型を「見る」とき、それらは理解可能なものとなるのです。それらは段階や変容の過程を追って現れますが、元型はその中で自らを表現します。ゲーテの洞察に基づく新しい体系的な科学の使命は、本質的には、これらの様々な段階を指し示すということです。動物界と植物界の両方において、上昇する進化過程が卓越しています。つまり、有機体はその発達の度合いにしたがって分化しています。何故それが可能になっているのでしょうか。私たちは有機体の理想的な形態あるいは元型を、それが空間的、時間的な要素から成り立っているという事実によって特徴づけることができます。その結果、それは「感覚的/超感覚的」な形態としてゲーテの前に現われました。それはアイデアとして(先験的に)知覚することができる空間的-時間的な形態を含んでいます。それが現象世界に現れるとき、実際に感覚的に知覚可能な形態、今やそれは先験的に知覚されることはないが理想的な形態に完全に対応しているいないこともあるでしょう。つまり、元型は十全なる発達を遂げていることも、遂げていないこともあります。ある種の有機体が低次の状態にあるのは、彼らの現象形態が有機的な元型に十分に対応していないからです。ある特定の存在の外見と有機的な元型が一致していればいるほど、その存在はより完全なのです。それは上昇する進化の連続した過程にとっての客観的な根拠となります。何かを系統的に提示しようとするならば、この関連を各々の有機体の形態の中に探究することが必要です。しかし、元型、すなわち主要な、あるいは元型的な有機体を確立しようとするときには、そのことを考慮することはできません。つまり、最も完成された元型の表現を代表する形態を見つけなければならないのです。ゲーテの元型的な植物はそのような形態を表しています。ゲーテは、その元型を確立するに際して、「隠花植物」の世界を無視したとして批判されてきました。私たちは既に、彼もまたそのような植物を研究していたので、それが十分に考慮された決定であったに違いない、ということを述べてきました。「隠花植物」というのは実際、元型的な植物がきわめて一方的な仕方でのみ現われているような植物なのです。それらは一方的で感覚的に知覚可能な仕方でのみその植物のアイデアを現わしており、達成されたアイデアにしたがって評価することができるかも知れませんが、そのアイデア自体が実際に成就するのは「顕花植物」においてのみなのです。しかし、ここで重要なのは、ゲーテが基本的な考えを洗練させることは決してなかった、ということです。彼は個別の領域にあまり深く入っては行かなかったのです。ですから、彼の作品はすべて断片的なものに留まりました。彼の「イタリア紀行(1786年9月27日)」の中の記述は、彼もまたこの領域を解明する意図を持っていたということ、そして、彼のアイデアをもってすれば、今日に至るまでただ思いつきによってのみ為されている種や属を真に決定することが可能になっていたであろう、ということを示しています。彼は、彼のアイデアと個別の世界、つまり特定の形態という現実の世界との間の関係を協調的な仕方で提示することによって、この意図を最後まで追求するということはありませんでした。そのことを彼は彼の断片的な著作の欠陥であると見なしていましたが、それについては、F.J.ソーレー宛てのドゥ・カンドーレに関する彼の書簡(1828年6月28日)の中で次のように述べています。「彼がその意図をどのように見ていたのかが私にもますます明確になってきました。私はその意図を持ち続けており、「それは私の変容についての随筆の中で明確に表現されています。しかし、私がずっと知っているような経験的な植物学とそれとの間の関係は十分に解明されているとは言えません。」。これはまたゲーテの観点が非常に誤解されてきた理由であるように見えます。それらが誤解されてきたのは、そもそも「それらが理解されなかった」からです。ゲーテのアイデアはまた、ダーウィンやヘッケルの発見、つまり、個体の発達(個体発生)はその全体的な進化(系統発生)の繰り返しであるという発見に対して概念的な説明を与えます。いずれにしても、ヘッケルがここで提示しているのは、説明されていない事実、つまり、各個体は個別の有機的形態として古生物学によって記述されるすべての発達段階を簡略化した仕方で通過するという事実以上のものではないと考えるべきです。ヘッケルとその追随者たちはそれを遺伝の法則に帰着させました。しかし、その法則自体がその事実の「簡略化された表現」に過ぎません。その説明とは、様々な古生物学的な形態であれ、いかなる現生生物であれ、すべて引き続く時代の中で、可能性としてその中に横たわる形成的な力を展開するたったひとつの元型が現れたものであるということです。より高次の個体というのは、実際、それがその内的な本性にしたがって自由に発達することを許すような好ましい周囲の影響によって、より完成されたものとなっています。他方、もし、ある個体が様々な影響によってより低次の段階に留まるように強いられるならば、その内的な力の一部分だけが現れます。そして、そのようにしてひとつの全体として現われるものは、より発達した有機体の一部だけを含んでいることでしょう。こうして、より高次の段階へと発展する有機体はより低次の有機体から成っているように見え、同じ理屈から、より低次の有機体は、その発展において、より高次の有機体の部分として現われるのです。私たちは、より高次の動物の発達の中に、すべてのより低次の動物の発達を認めることができるのです(ヘッケルによる生物発生の法則)。物理学者たちは単に事実を述べたり記述したりすることでは満足せず、それらを支配する「法則」、現象についてのアイデア-を探究します。同様に、生きた存在の本質へと貫き至ろうとする人たちは、単に近縁性、遺伝、生存競争といったような事実を引用するだけでは満足せず、それらの背後に横たわるアイデアを知りたいと思うでしょう。それこそゲーテが求めていたものです。彼の元型に関する考えの有機的な科学者に対する関係は、ケプラーの3法則が物理学者に対して有している関係と同じです。そのような法則がなければ、私たちは世界を単なる事実の迷宮として経験することでしょう。これはしばしば誤解されてきたことですが、ゲーテの変容についてのアイデアは私たちの知性の中で抽象的に生じる単なる「イメージ」に過ぎない。彼は、葉が花という器官に変容するという概念が意味を持つのは、これらの器官(例えば、雄しべ)がかつて実際に葉であった場合だけであるということに気づいていなかったのだと主張する人たちがいます。けれども、これはゲーテの観点を逆転させています。あるひとつの器官を原則的に主要なものとして、そこから他の器官を逐語的に導き出しているのです。ゲーテは決してそのようなことを意図していたわけではありません。彼にとって、時間的に最初に生じる器官は、アイデアあるいは原則という意味では、決して主要なものではありませんでした。雄しべが葉と関連しているのは、それらがかつて実際の葉であったからではありません。そうではなく、それらがかつて葉であったというのは、それらの内的な本性を通して、つまり、原則としてそれらが関連しているからです。感覚的に知覚可能な変容はそれらがアイデア上で関連している結果であって、その反対ではありません。植物の水平方向の器官はすべて同一であるということがここで経験的に確立されました。しかし、何故、それらは同一であると考えられるのでしょうか。シュライデンによると、それはそれらが「すべて」水平な突起物として茎の上で発達しながら外側へと押しやられるために、水平な細胞形成が茎の近くで継続する一方、最初に現れた先端部分では新しい細胞が形成されないことによります。この純粋に外的な関連が同一性という考えの基礎になっているのです。ゲーテによると、そうではなく、水平な器官が同一であるのはそれらの理想的、本質的な特質によるものです。だからこそ、それらは外的な形成においても同一のものとして「現われる」のです。彼によれば、感覚の前に現れる関係性は内的、理想的な結びつきの結果です。ゲーテの観点と唯物的な観点とでは質問の立て方が異なっています。それらは矛盾しているのではなく、相補的な関係にあります。ゲーテのアイデアは唯物的な観点のための基礎を与えます。ゲーテのアイデアは後の発見の詩的な予言以上のもの、独立した、理論的な発見なのですが、その価値はまだ認められ始めたばかりです。科学はこれからもずっと支えとなる栄養をその発見から引き出し続けることでしょう。ゲーテが用いた個々の経験的事実は、より正確で詳細な探究に取って代わられ、あるいはある程度反証されるかも知れません。しかし、彼が確立したアイデアはいつでも有機的な科学を基礎づけるものとして留まり続けるでしょう。何故なら、それらは個々の経験的事実から独立したものだからです。ちょうど新しく発見された惑星が恒星の軌道をケプラーの法則に従って周回しなければならないように、有機的な自然におけるプロセスはすべてゲーテのアイデアに従わなければならないでしょう。星の世界のできごとはケプラーやコペルニクス以前にも長く知られてきましたが、これらの人たちによって初めてその法則が発見されました。有機的な自然はゲーテ以前にも長く観察されてきましたが、彼がその法則を発見したのです。「ゲーテは有機的な世界におけるケプラーであり、コペルニクスなのです。」ゲーテの理論の特徴は次のような仕方でも説明できます。通常の経験的で純粋に事実を集める機械論の他に、基本的に機械論的な原則の内的な特質から先験的な法則を導き出す合理的な機械論があります。経験的な機械論の合理的な機械論に対する関係は、ダーウィン、ヘッケル、その他による理論のゲーテの合理的な有機的科学に対する関係に似ています。当初、ゲーテは彼の理論のこの側面に明確に気づいていたわけではありません。しかし、後になって、彼はそのことを非常に強調しています。ですから、彼はH. W. F. バッケンローダー宛に次のように書きました。「引き続きあなたの興味を引くものを何でも私に教えて下さい。私の観察にどこかで結びつくはずですから。」(1832年1月21日)これは、有機的な科学の基本原則は彼により発見されていたので、他のあらゆるものはそこから演繹できるはずだということを意味しています。けれども、以前には、このすべてが彼の心の中で無意識のうちに働いており、彼はそのようにして事実にアプローチしていました。それが意識的になったのは、彼がシラーと科学について初めて会話をしたことによってです(これについては後で記述するつもりです)。シラーは直ちにゲーテの元型植物の理想的な特質に気づき、外的な現実は決してそれと完全に一致することはないだろうと主張しました。これによって、ゲーテは彼が「元型」と呼んでいたものと経験的な現実との間の関係について考えるようになりました。彼は今や、アイデアと外的な現実、思考と経験の間の関係とは何か?というすべての人間の探求におけるもっとも重要な問題のひとつに直面することになったのです。個別の経験的な対象物は彼の元型に完全には一致せず、それと同じものは自然の中には存在しない、ということが彼にはますますはっきりとしてきました。したがって、元型という概念は、たとえそれが感覚的な世界との「出会いを通して」獲得されるとしても、感覚的な世界そのもの「から」やって来ることはありません。その結果、元型が生じることができるのはそれ自身からだけということになります。元型的な存在というアイデアは内的な必然性によってそれ自身からその内容を発展させ、そして、その内容は現象世界の中に別の形態、知覚表象として現われるのです。この関連で、ゲーテが、経験主義の科学者たちとの出会いにおいてさえ、いかに「経験の正当性」を是認し、アイデアと対象を厳密に区別したかを見るのは興味深いことです。1796年、ゾンメルリンクは彼に1冊の本を送りましたが、その中で彼が試みていたのは魂の座を見つけるということでした。ゾンメルリンクへの手紙(1796年8月28日)にもあるように、ゲーテはその観点の中にあまりにも多くの形而上学を織り込んでいたことに気づきました。彼は、「経験の対象物」についてのアイデアがその対象物自体の本質的な特性に基づくのではなく、もし、それを越えて行くとすれば、そのようなアイデアが正当化されることはないということを述べています。彼は、経験の対象となるものを扱うときのアイデアとは現象の必然的な相互関係を理解するための器官であって、そのような器官がなければ、現象は時間と空間の中でランダムに生じるものとして盲目的に知覚されるだけであろうと主張したのです。アイデアはその対象物に何も新しいものをつけ加えませんが、それから導き出されるのは、対象物はその実際の本質において理想的な特質を持っているということです。実際、すべての経験的な現実はふたつの側面を持っていなければなりません。ひとつは、それを通してそれが個別のものとしての特質を有することになるような側面、もうひとつは、それを通してそれが理想的、普遍的な特質を有することになるような側面です。ゲーテと同時代の哲学者やその著作との交わりはゲーテにこの問題に関する数多くの観点をもたらしました。彼はシラーの「世界魂について」や(最初の)「自然科学体系概論」(ゲーテの年譜1798-1799年参照)や、ヘンリック・シュテッフェンの「哲学的自然科学の基礎」から刺激を受けました。彼はまた多くの問題についてヘーゲルと議論しました。これらすべてのことがらによって、彼は再びカントの著作についての研究へと導きかれ、シラーに促される前に、それを行うことになりました。1817年には(彼の年譜参照)、カントを研究していた年月がいかに自然と自然現象についての彼のアイデアに影響を及ぼしたかについて論評がなされています。これらの考察は次のような随筆に結びつきました。ゲーテはそれらの中で科学における最も中心的な諸課題に取り組みました。「幸運な出会い」「先験的な知覚による判断」「再考とあきらめ」「形成的な衝動」「正当な企て」「設定された目的」「序文の内容」「私の植物学研究史」「植物の変容についての随筆の起源」です。これらすべての随筆は先に触れた考え方、つまり、すべての対象には二つの側面-外見(現象形態)という直接的な側面とその「本質」(存在)を含む第二の側面-があるという考え方を表現しています。こうして、ゲーテは自然についての唯一の満足すべき観点に至ったのですが、そのことによって真に客観的な方法のための基礎が据えられたのです。アイデアを対象そのものとは異質なもの―単に主観的なもの―と見なす理論は、そもそもアイデアを用いる限り、自らを真に客観的なものであると主張することはできません。一方、ゲーテは、予め対象の内部に存在していないものは何もつけ加えないと主張することができます。ゲーテはまた、彼のアイデアが関係する科学分野における詳細で実際的な側面も追及しました。彼は1795年に、ローダーの靭帯に関する講義に出席しました。彼はこの時代を通してずっと解剖学と生理学を視野に入れていました。このことは彼が当時、骨相学の講義を執筆していたことから余計に意義深いものとなりました。彼は1796年に、暗闇と色つきガラスの下で植物を育てる実験を行いました。その後、彼は昆虫の変容についても研究しています。ゲーテはまた、文献学者F. A. ヴォルフから刺激を受ける中で、植物の変容について、ゲーテのアイデアに似たアイデアを公表していたヴォルフ(彼の同名人)に注目するように促されました。それによってゲーテは1807年を通して、ヴォルフのより詳細な研究へと導かれました。とはいえ、彼がその後に見出したのは、ヴォルフはその鋭敏さにもかかわらず、本質的な問題については明確ではなかった、ということです。彼はまだ元型を感覚には知覚不能な実体、純粋に内的な必然性からその内容を発達させる実体としては考えてはいなかったのです。彼はまだ植物を個別の詳細からなる外的で機械的な複合体と見なしていました。このように、彼は、多くの科学者である友人たちとの交わりによって、あるいは多くの気の合う仲間たちから認められたり、熱心に見習われたりする幸せから、1807年には、それまで差し控えていた科学的な業績の断片を出版することを考えるようになっていました。彼はより大部の科学的著作を執筆するという考えを徐々に放棄していたのです。とはいえ、その年の彼は個別の随筆を出版する時間を持つことができませんでした。彼の色彩論への興味によって、形態論はしばらくの間、再び背景へと押しやられることになりました。彼の随筆の最初の小冊子はその後10年に渡って出版されることはありませんでした。しかし、1824年までには、合計二巻で四冊からなる第一巻と、二冊からなる第二巻が出版されました。彼自身の観点に関する随筆に加えて、形態学上の重要な文学的出版や他の学者たちの論文について議論したものが見出されますが、それらの発表はいつでも何らかの仕方で自然についてのゲーテの説明を補足するものとなっています。ゲーテはその後、二度にわたって自然科学をより集中的に取り上げることに挑戦しました。いずれの場合にも、ゲーテ自身の仕事に密接に関連した重要な科学的出版が含まれています。最初の挑戦は植物学者カール・フリードリッヒ・フィリップ・フォン・マルシウス(1794-1868年)による植物における螺旋への傾向に関する仕事に触発されたものであり、二番目はフランス科学アカデミーにおける科学上の論争に触発されたものでした。マルシウスは植物の発達における形態を螺旋と垂直という二つの傾向の組み合わせであると見ていました。垂直への傾向はそれを根から茎に至る線に沿った成長へと導き、螺旋への傾向は 広がっていく葉や花やその他の器官によって表現されます。ゲーテがこの考えの中に見たのは、変容に関する彼の随筆によって1790年に確立していた彼自身のアイデアを単に空間的な側面(垂直や螺旋)を強調する方向で綿密化したものに過ぎませんでした。ここでゲーテの「植生における螺旋への傾向について」に関する私たちのコメントに言及しておきましょう。そうすれば、ゲーテはこの随筆の中で、彼の以前のアイデアに関しては、何も本質的に新しいものを提示していない、ということが明確になります。私たちが特にこのことを強調するのは、ゲーテの随筆の中に彼の以前の明確な観点から「神秘主義の深淵」への退化を見る、と言う人たちがいるためです。最晩年になって、ゲーテはさらに二つの随筆(1830-1832)を仕上げました。それらはフランスの科学者ジョルジュ・バロン・フォン・キュビエとエチエンヌ・ジョフロワ・サンチレールとの間の論争についてでした。これらの随筆も際立った簡潔さをもって集積されたゲーテの自然観についての原則を含んでいます。キュビエは古い学派に属する経験論者でした。彼が追及していたのは各々の動物種のための適切な個別概念でした。彼は、彼の有機的な自然に関する体系という壮大な概念の構築物の中に、自然に見られる様々な動物種と同じだけ多くの型を含めなければならない、と信じていました。とはいえ、これらの型はいかなる仲介もなく並立していました。彼が見落としていたのは、知識を求める人たちは、個別のものがその直接的な現象形態においてそのまま私たちの前に現れたとしても、それに満足することはない、という事実です。そうではなく、私たちは、感覚世界の中で、ある対象を知ろうとする意図をもってそれにアプローチするわけですから、私たちは私たちの知識に対する能力の欠如のために個別のものでは満足できないのだ、と考えるべきではありません。むしろ、その対象自体が私たちにとっての不満足の理由を含んでいるはずなのです。その個別のものの特性はその中で、つまりその個別性の中で言い尽くされるわけではありません。すなわち、私たちは、その理解に向けての努力において、何か個別のものにではなく、何か一般的なものに向けて駆り立てられるのです。この一般的なアイデアこそが個別のものとして存在するものすべての真の存在その本質であり、その個別性はその存在性の一側面に過ぎません。そのもうひとつの側面が一般的なもの、あるいは元型です。このことは、一般的なものの形態としての個別のものに言及するとき、理解しておくべきことがらです。一般的なアイデアは個別的なものの真の存在あるいは本質ですから、それを個別のものから演繹あるいは抽出することはできません。一般的なものはその本質を個別のものから借りてくることができないので、自分自身で提供しなければなりません。ですから、一般的な型の特質とは、その本質と形態が一致しているということです。したがって、それは、個別のものとは独立して、全体としてのみ理解することができます。科学は、それぞれ個別のものが、その特質を堅く守ることによって、いかに一般的なアイデアに関連しているかを示すという使命を持っています。こうして、「特別な種類の存在」が認識の領域に参入してきますが、私たちは、その領域において、それらの相互決定と相互依存を再構成します。そうでなければ関連のない仕方でのみ、つまり、空間と時間の中で孤立した実体として知覚されるはずの事物が、今や、その「必然的、合法則的な」相互関連性において理解されることになります。キュビエは、ジョフロワ・サンチレールが主張したこの観点をきっぱりと否定しました。実際、ゲーテが興味を引かれたのは彼らの論争におけるこの側面だったのです。この問題は、偏見なくそれらにアプローチする場合とは非常に異なった光の下で事実を提示する最近の観点によってしばしば歪められてきました。ジョフロワ・サンチレールの主張は彼自身の探求だけではなく、ゲーテを含む数多くの同様な心を持ったドイツの科学者たちの仕事にも基づいていました。ゲーテはこのことに大いに興味を持ち、ジョフロワ・サンチレールの中に同志を見出したことを深く喜びました。1830年8月2日に、彼はエッカーマンに次のように述べています。今や、ジョフロワ・サンチレールはそのフランスにおけるすべての重要な学生や同調者たちとともに明確に私たちの側に立っています。このことは私にとって信じがたいほどの価値を持っています。そして、私の人生を捧げ、非常に特別な意味で私自身のものでもある主張の最終的な勝利を本当に喜んでいるのです。ドイツにおいては、ゲーテの探求に対する好意的な反応は主として哲学者たちからであって、科学者たちからはそれほどでもなかったのに対して、フランスでは科学者たちから好意的な反応があったというのは確かに特筆すべき現象です。オーガスタン・ピラーム・ドゥ・カンドールはゲーテの変容理論に最高の注意を払っており、彼の植物学へのアプローチはゲーテ自身のアプローチに近いものでした。ゲーテの随筆「変容」(1790年版)はジンジャン・ラサラによって既にフランス語に訳されていました。そのような状況下では、ゲーテの植物学に関する著作がフランス語に訳されたとしても、それが彼の協力の下で行われたならばですが、それは不毛な大地に落ちることはまずないだろうと思われました。その翻訳は1831年に、ゲーテの絶えざる協力の下、フリードリッヒ・ジャコブ・ソレによって為されました。そのフランス語訳はオリジナルのドイツ語を見開きとして出版されました。それはあの1790年の最初の「試み」とともに、ゲーテの植物学研究の歴史、彼の理論が彼の同時代人たちに及ぼした影響、ドゥ・カンドーレに対する何らかの影響を含んでいました。 (第4章了)参考画:フィボナッチ数列 フィボナッチ数列は、自然界の秩序や美しさを表す法則としても解釈されています。これは、私たちの世界が偶然ではなく、何らかの意味や秩序に従って成り立っているという哲学的な視点からの見方です。また、フィボナッチ数列は無限に続くため、人々はその中に無限の可能性や神秘を感じることがあります。宇宙生成のインストレーションからビッグバンへの流れ以前の我々の「有無」の意識構造を超えた「虚」の解明をも可能にする不可思議性を備えます。人気ブログランキングへ
2024年05月27日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説並びに精神科学(人智学)の基礎(GA1)第3章 動物の形態学に関するゲーテの思考の起源 佐々木義之訳 ラバターの「人相学についての随想」が出版されたのは1775年から1778年にかけてでした。ゲーテはその発行責任者としてばかりではなく、執筆分担者としてもこの仕事に生き生きとした興味を持っていました。しかし、今、私たちにとってこれらの貢献が特に興味深いのは、その中に彼の後の動物学上の作品となったものの種子が見出されるからです。人相学では、人々の内的な性質や精神をその外的な形態を通して見定めようとします。形態はそれ自体として捉えられるのではなく、魂の表現であると考えられました。ゲーテが有する彫刻のような、まるで、ものごとをその外的、形式的な関係性において把握するために創られたような精神が、そのようなアプローチに限定されるはずもありませんでした。単に内的な存在を認識するためにだけ外的な形態にアプローチするようなこれらの研究に関わりながら、ゲーテは形態自体の独立した意義に気づくようになりました。そのことは「人相学についての随想」第2巻パート2に挿入された動物の頭蓋に関する彼の1776年の研究の中に見て取ることができます。彼がその年にこれらの研究を始めたのは、人相学についてのアリストテレスの著作を読んで刺激を受けたからです。彼はまた人間と動物の違いを検証しようとしました。彼はその違いを、人間の形態においては、いかにその構造全体がその頭部を際立たせているかという点に見出しました。つまり、その体のあらゆる部分がその中心として指し示すところの高度に発達した人間の脳の中にそれを見い出したのです。「いかに人間の形姿全体が天を映し出すドームを支える柱としてそこに立っていることか。」動物の構造にはその正反対であるところのものを見出しました。「頭部は脊椎に補足的に取り付けられているに過ぎない!脊椎神経の先にあるその脳は、その動物の精神を表現するために必要な、そして、その場限りの感覚を通して生きる生き物を方向づけるために必要な羅針盤以上のものではない。」。このように示唆することによって、ゲーテは人間本性の内と外との相互作用に関する考察を超えて、包括的な全体の把握、形態そのものの考察へと進みます。彼は人間形態の「全体」をその生のより高次の表現のための礎として見るようになりました。そして、彼は「その全体」が有するある特徴の中に、それによって人間が創造の頂点に置かれたところのある前提条件を認めました。私たちは、このような考えを形成するに当たって、ゲーテは動物の形態を完全に発達した人間の形態に関連づけようとしていたのだということを心に留めておかなければなりません。とはいえ、動物においては、主として動物的な機能に仕える器官がいわば支配的になっており、彼らの組織全体がそれに向けて方向づけされているのに対して、人間の有機組織の場合は、特に精神的な機能に奉仕する器官が発達しています。この初期の段階においてさえ、私たちは、ゲーテが動物有機体として心に描いていたのは、もはや私たちが感覚的な現実の中に見出すような個別の有機体ではなく、それはむしろ、人間においてはより高次の側面に向かい、動物においてはより低次の側面に向かってさらに発展するようなひとつの理想的な有機体であったということが分かります。ここにはゲーテが後に「元型」と呼んだものの種子が横たわっているのですが、彼がそれによって意図していたのは「個別の動物」ではなく、動物というアイデアだったのです。そうです、もっと言えば、私たちは後に彼が定式化した法則についての暗示をここに見出すのですが、それは「形態の多様性は、ある部分がその他の部分に対して卓越することから生じる」という重要な暗示でした。実際、既にここでは、動物と人間との間の相違はひとつの理想的な形態が二つの方向に逸脱することを通して生じる、そして、それによって、異なる様々な器官体系が優越性を獲得するとともに、その生き物全体に特有の性質を与えると考えられていたことが分かります。同年(1776年)には、動物有機体の形態にアプローチする方法が明確になっていたということも分かります。後に彼が彼の解剖学的な研究、それはいつも骨学から出発しました-の中で擁護した考え、つまり、骨が形態の基礎であるということに彼は気づいていたのです。その年に彼は次のような適切な文章を書いています。「動的な部分はそれら骨にしたがって、それらとともにと言った方がいいかも知れませんが出来上がっており、その硬い部分が許す限りにおいて、その役割を演じる」と。そして、ラバターの「人相学」では、もうひとつの示唆がなされました。私が、「骨格体系は人間の基本的な素描」であり、頭骨は骨格体系の根幹であり、そして、肉質部分はこの素描の色づけ以上のものではあり得ないと考えていることは既にお分かりでしょう。恐らくこれは、ラバターとこれらのことがらについてしばしば議論したゲーテの示唆によるものだったと思われます。このような観点は確かにゲーテのものと同じだからです。しかし、彼は私たちが考察すべきさらなる観察を行います。特に頭蓋をはじめとする骨の研究を行うことによって、骨格が形態の基礎であることを明確に理解することができるというこのコメントは、ここでは動物においては議論の余地がないにしても、人間の頭蓋における相違に適用するときには、かなりの反対に遭うかも知れません。ゲーテがこの後1795年に記述しているような複合的な人間の中により単純な動物を探すことを除き、彼はここで何をしようとしているのでしょうか。(編者注:ゲーテは、その随筆「形態学について」の「提示された目的」の部分で、この部分の記述に次のように光を当てています。「生き物が不完全であればあるほど、その各部分はお互いに、その全体に、より相似したものとなる。生き物が完全であればあるほど、その各部分は不相似となる。前者の場合、その全体は多かれ少なかれその各部分と同様であり、後者の場合、それはその各部分と同様ではなくなる。各部分が似ていれば似ているほど、それらは互いにより少なく依存し合っている。その各部分の依存性は、より完成された生き物であることの証なのだ。」)私たちはそれによって、動物の形態学に関する彼の後の考えをその上に基礎づけたところの基本的な概念をゲーテが確立したのは、彼が1776年のラバターの「人相学」に没頭していたことによる、と結論づけるように導かれます。この年はゲーテが解剖学の詳細な研究を始めた年でもあります。1776年1月22日に、彼はラバター宛に「公爵は私に6つの頭蓋を送るよう手配してくれました。私は輝かしい観察を行うことができましたから、もし、貴方がまだ私抜きにそれをされていないのであれば、お伝えできます」と書き送っています。ゲーテのイエナ大学との結びつきは彼の解剖学の研究をさらに刺激することになりました。1781年にその最初の示唆があります。ゲーテは、カイルによって編纂された日記の中で、1781年10月15日に「アインシーデル老」とイエナに行き、解剖学に精を出したと記しています。イエナにはローダーという学者がいて、ゲーテの研究に大いに貢献しました。ゲーテを解剖学の分野へとさらに導いたのは彼だったのです。ゲーテはそのことについて10月29日にはフォン・シュタイン夫人宛に(R.シュタイナーによる注:「私が関わっている面倒な愛の労働は、私を私の探求へとさらに導いています。ローダーは私に骨や筋肉のすべてについて説明してくれています。そして、私は2,3日の内に多くのことを理解するでしょう。」)、そして、11月4日にはカール・アウグスト宛に(R.シュタイナーによる注:「彼[ローダー]は私に、骨学と筋肉学について、8日間に渡ってみっちりと-私の注意力が持ちこたえる限りにおいてですが-説明してくれました。」)書簡を送っています。この手紙の中で、彼はその意図について次のように述べています。「芸術学院の若い人たちに、人間の体に関する知識の概略を説明し、それに向けて彼らを導くためです・・・。私がこれを行うのは、私と彼らの両方のためですが、彼らは、この冬季過程を通して、私が選んだ方法により、体の基礎に完全に精通するようになるでしょう。」ゲーテの日記の記述は、実際に彼がこれらの講義を行い、それが1782年1月16日に終了したことを示しています。ローダーとは、この時期に、人間の体の構造についてかなり議論していたはずです。1月6日のゲーテの日記には「ローダーによる心臓の説明」という記述があります。私たちはゲーテが早くも1776年には、動物の有機体の構造に関する先見的な考えを抱いていたことを見てきました。ですから、この時点において、彼の精力的な解剖学への関わりは詳細なことがらを超え、より高次の観点へと上昇していた、ということに全く疑いの余地はないでしょう。彼は1781年11月14日に、ラバターとメルク宛に、彼が「すべての生命とあらゆる人間的なものをそれに補足することができる文脈としての骨を」扱っている、と書き送っています。私たちがある文脈を読むとき、私たちの心の中で像と考えが形成されます。それはその文脈によって引き起こされ、創造されたように見えます。ゲーテは骨をそのような文脈として取り扱いました。つまり、彼がそれらを観察している間、すべての生命とあらゆる人間的なものに関する考えが彼の中に生じました。それらを深く考察する過程の中で、有機体の形成に関するあるアイデアが彼に刻印されたのです。1782年のゲーテの頌歌「神」は、人間の人間以外の自然に対する関係について、当時の彼がどのように考えていたかを私たちがある程度理解するための助けとなります。。初の韻文には次のようにあります。「高貴であろうではないか、役立つもの、善良なものであろう。それらだけが、私たちが知るあらゆる存在から私たちを区別するのだから。」この韻文の最初の二行で人間の属性を特徴づけた後、ゲーテはそれら「だけ」が私たちを世界のあらゆる他の存在から区別すると主張します。この「だけ」は、人間の物理的な構成はその他の自然と完全に調和しているとゲーテが考えていたことを非常に明確に私たちに示しています。私たちが以前に注意を促した考え、つまり、ひとつの基本的な形態が人間と動物の両方の形を支配しているけれども、人間においては、それは自由な精神的存在の乗り物になるほどの完成の域に達している、という考えは彼の中でますます生き生きとしたものになっていたのです。感覚的に知覚可能な特徴に関しては、韻文が語るように、私たちはまた人間として、「私たちの存在という円環を完成させなければならない・・・。強大な、鉄の必然という永遠の法則にしたがって。」とはいえ、私たちの場合、これらの法則は、私たちに「不可能」を行わせるのを許すような仕方で発達します。「我々は区別し、選択し、評価する、そして、その瞬間に永遠の形態を与える。」私たちはまた、ゲーテの観点がますます明確なものになっていた1783年には、彼が「人類史の哲学に関する考察」を定式化し始めていたハーダーと活発に連絡を取り合っていたということに注意しておかなければなりません。この仕事はこれら二人の男の議論から生じてきた、そして、そのアイデアの多くはゲーテにまで辿ることができると言っても差し支えないでしょう。その文体はハーダーのものでしたが、そこに表現された考えはしばしば全くゲーテのものでした。ですから、私たちはそこから、当時のゲーテの考えについて、信頼するに足る結論を引き出すことができるのです。ハーダーは彼の作品の第1部で、自然の世界について次のような観点を発達させました。我々は、あらゆる存在を貫き、様々な仕方、自らを実現するような原則的な形態を仮定しなければならない。「石から結晶へ、結晶から金属へ、それらから植物の創造へ、植物から動物へ、それらから人間へと」我々は「組織形態の上昇」を見る。それとともに、この生き物の力と衝突しますます可変的なものとなり、ついには、それらを包含できでに人間の形態の中へと統合される。この考えは完全に明確なものであり、理想的、典型的な形態は、そのようなものとしては感覚的な現実性を有しておらず、空間的に分離され、質的に多様な存在、そして、それは人間に至るまでそうなのですが、そのようなものとして自らを実現するということです。より低いレベルの有機的な組織においては、それはいつもある特定の方向で自らを実現し、非常に顕著な仕方でそれに向けて発達します。この典型的な形態が人間へと上昇するとき、それは低次の有機体の中で一面的な仕方で発達させられたあらゆる存在の間に配分されるすべての形成的な原理を「ひとつ」の形態へと集約します。そのことによって、きわめて高い完成度が人間において達成される可能性が創造されたのです。自然はここにおいて、多くの段階や秩序の下にある動物たちの間に分散させていたものをひとつの存在へと付与しました。この考えはその後のドイツ哲学に非常に実り多い影響を及ぼしました。ここで、この概念をさらに明確にするために、オーケンによって後に定式化されたものを参照してみましょう。「動物界とは、たったひとつの動物のことである。別の言い方をすれば、それは、その有機体のひとつひとつがそれ自体の中に全体として存在するというような仕方で動物性を代表しているのである。個々の有機体が一般的な動物体から分離し、しかも動物としての本質的な機能を確立するとき、個々の動物が存在することになる。動物界とは、最高の動物である人間がバラバラにされたものに過ぎない。人間の類、族、種にはたったひとつしかないが、それは単にそれが動物界全体であるからという単純な理由によるものである。(自然哲学教本、イエナ、1831年)」。ですから、動物たちの中には、例えば、触覚器官が発達したものがいますが、彼らの有機体全体」が実際に触ることに向けて方向づけられており、それが目的となっているのです。また、食べるための器官が特に発達した動物やその他の動物たちがいます。言い換えれば、それぞれの動物種において、ひとつの体系が一方的な仕方で際立っており、その動物全体がそれに浸っている一方、それ以外のものはすべて背景へと退いているのです。ところが、人間の構成においては、すべての器官と器官体系は、それぞれの器官が他の器官に自由に発達するための余地を残しておくというような、つまり、それぞれがその他のすべての自己実現を許すのに十分なだけ引き下がるというような仕方で発達します。ですから、個別の器官や体系の調和的な相互作用が生じることによって、他のすべての生物の完成度を統合しつつ、人間を最も完全な存在にするところの調和が創り出されるのです。このような考えは、ゲーテとハーダーとの会話の内容になっていますが、後者はそれらを次のように表現しています。「人類とは、人間性を達成するために集合する「より低次の有機的な力の大いなる合流」である・・・したがって、我々は「人間を動物の中でも中心的な生物、つまり、あらゆる種の特徴がその最も繊細な本質においてそこに集められた最終的な形態」であると考えることができる。(ハーダー、「人間性の歴史に関する哲学の考察」第5冊のⅠあるいは第2冊のⅠ)」ゲーテがクネーベルに出した手紙の次のくだりは、ゲーテがどれほどハーダーの「人間性の歴史に関する哲学の考察」に関与していたかを示しています。「ハーダーは歴史哲学を書いています。ご想像の通り、一から新しく積み上げながら。一昨日は、最初のいくつかの章を一緒に読みましたが、すばらしい出来です・・・。今や、世界史と自然史が私たちとともに正に荒れ狂っているようです。」ハーダーの(人間有機体とそれに結びつくあらゆるものに固有の直立姿勢こそ人間の思考にとって基本的な前提条件であるという:同、第3冊のⅥ、及び第4冊のⅠ)観察は、上で述べたゲーテによる人間と動物の属的な差異に関する1776年の示唆を直接思い出させるものです。(「人相学についての随想」第2巻第2章)ハーダーの表現はこの考えのひとつの定式化に過ぎません。このすべては、ゲーテとハーダーが自然の中の人間の位置づけについて、当時(1783年)本質的に一致していたという私たちの仮定を裏づけるものです。さて、そのような基本的な観点のひとつの帰結とは、ある動物の器官、あるいは部分は人間の中にも見出されるけれども、全体が調和していることによって課される限定の範囲内に抑制されている、ということです。例えば、特定の骨が特定の動物の中で卓越しているのであれば、それはある一定の仕方で実際に発達していなければなりませんが、それはまたすべての他の動物の中に少なくとも示唆されていなければならず、そして、人間の中に不在であってはなりません。それは、動物の中では、それ自身の法則性に対応した形態を取るのに対して、人間においては、全体に適応しつつ、その形成的な法則を有機体全体の法則に適合させなければなりません。しかし、もし、自然という織物が引き裂かれるべきではないとすれば、それは全く不在というわけにはいきません。何故なら、もし、そうであったならば、元型の首尾一貫した仕上げが妨げられたはずだからです。ゲーテがこの偉大な考えと完全に矛盾する意見に突然気づいたときの彼の観点とはそのようなものでした。当時の学者たちの関心は動物種を見分けるための特徴を見出すことにありました。動物と人間の違いは、動物には左右対称の上顎の間にあって門歯を支えている小さな骨―顎間骨―がある点であると信じられていたのです。この骨は人間にはないと考えられていました。1782年に、骨学に興味を持ち始めていたメルクは、当時、最も著名だった学者の何人かに助けを求めました。その年の10月8日に、優れた解剖学者であったゾンメルリンクは動物と人間の間の相違についての情報をもってそれに応えました。「顎間骨」については、ブリューメンバッハをご覧になるとよいでしょう。それは、他のすべては同じであるけれども、オランウータンに至るまでの類人猿以上の動物には見られて「人間には決して見られない」ただひとつの骨なのです。この骨を例外として、あなたが人間の中に見出されるあらゆるものを動物に移しかえるのを妨げるものは何もありません。ですから、私が雌鹿の頭をあなたに提供しようとしているのは、ブリューメンバッハがそう呼ぶところのこの「顎間骨」は、上顎に門歯を持たない動物にも存在していることを確認していただくためです。ブリューメンバッハは人間の胎児や幼児の頭骨の中に「顎間骨」の原始的な痕跡―実際、そのような頭骨のひとつには、実際の顎間骨のように完全に分離した二つの小さな核さえあったのです-を見出していたのですが、それでも彼はその存在を認めようとはしませんでした。彼は、「これと真の顎間骨との間には、ひとつの世界ほどの違いがある」と言っています。当時の最も有名な解剖学者、キャンパーも同じ意見でした。彼は顎間骨について、例えば「人間には全く見いだされていない」ものとして言及しています。キャンパーを非常に尊敬していたメルクは彼の著書を読みふけっていました。メルクは、ブリューメンバッハやゾンメルリンクと同様、ゲーテと手紙の交換をしていました。ゲーテのメルクとのやり取りは、彼がその骨学研究に大いに興味を持っており、それについて意見交換をしていたことを示しています。1782年10月28日に、彼はメルクに、キャンパーの「未知の動物」について何か書き送ってほしい、キャンパーからの手紙を送ってほしいと頼んでいます。もっと言えば、1783年4月に、ブリューメンバッハがワイマールを訪れたことに注意する必要があります。ゲーテは同じ年の9月に、ブリューメンバッハをはじめすべての教授たちに会うためにゲッチンゲンを訪れています。9月28日に、彼はフォン・シュタイン夫人宛に、「私はすべての教授を訪問することにしました。数日の内に一回りするとしたら、どれほど忙しくなることか、ご想像いただけるでしょう」と書き送っています。それから、彼はカッセルに赴き、フォルスターとゾンメルリンクに会いました。そこからフォン・シュタイン夫人宛てに彼が次のように書き送ったのは10月2日のことでした。記:シャルロッテ・アルベルティーネ・エルネスティーネ・フォン・シュタイン(シャルト)(Charlotte Albertine Ernestine von Stein(Schardt) ,/1742年12月25日 - 1827年1月6日)はドイツ・ヴァイマール公国のフォン・シュタイン男爵の妻であり、ヴァイマール時代のゲーテと親しかった人物。「(フォン)・シュタイン夫人」としても知られる。彼女の存在は、ゲーテのほかシラー、ヘルダーなど同時代のヴァイマルの文人たちに大きな影響を与えた。彼女自身も文人として知られていた。「私はとても美しく、すばらしいものを見ています。私の静かな勤勉さが報われているのです。今や私は正しい途上にある、今からは、私に関して何も失われることはないだろう、と言うことができるという事実こそが、今最も幸運なことなのです。」参考画:Charlotte Albertine Ernestine von Stein ゲーテが顎間骨に関して支配的だった観点を初めて知ったのは恐らくこの交流があった頃だったでしょう。彼の観点からは、直ちにこれは間違いであると思われました。それは、それによってすべての有機体が形成されるところの典型的で基本的な形態を破壊するようなものだったからです。ゲーテは、あらゆる高等動物の様々な発達段階で見出されるこの部分は人間形態の構築にも関わっているけれども、そこでは精神的な機能に仕える器官のために栄養に関わる器官が全体として退いているために、ただ後退しているに過ぎないということに疑いを持つことができませんでした。ゲーテは、その全体としての内的な方向づけから、人間にも顎間骨があるに違いないと考えざるを得なかったのです。問題は、それが人間の中でどのように形成され、人間有機体全体にそれがどの程度適合しているかを検証することによって、それを経験的に証明することだけだったはずです。1784年の春に、ゲーテはローダーと共にイエナで人間と動物の頭骨を比較し、その証明を見つけることができました。彼はその発見を3月27日に、フォン・シュタイン夫人(R.シュタイナーによる注:「めったにない喜びですが、私は重要で美しい解剖学上の発見を行いました。」)、そして、ハーダー(R.シュタイナーによる注:「私が見つけたのは―金でも銀でもなく、それは言葉にできないほどの喜びを私に与えてくれるものー人間の顎間骨です。」)の両方に伝えています。私たちはこのひとつの発見だけを過大に評価するのではなく、その基本となった偉大な考えと対比しながら推し量るべきです。ゲーテにとって、それは、彼の考えを有機体における最も仔細なことがらに至るまで一貫して追求するのを妨げるように見えた偏見を取り除くことができたという点で価値があったに過ぎません。ゲーテはまたそれを独立した発見であると見ていたのではなく、絶えず彼の自然についてのより大きな観点との関連で見ていたのです。私たちはそのように理解すべきですが、それは、ゲーテがハーダーに宛てた手紙の中で、「それはあなたを大いに喜ばせるはずです。何故なら、それは人間にとっての要石のようなものだからです。それは失われたのではなく、やはりそこにあったのです。しかし、どのようにして。」と書いていることからも分かります。そして、彼は直ちに別のことがらについても彼の友人に次のように思い出させています。「私はまた、あなたの全体像との関係でそれを考えていました。それがそこにあれば何と美しいことだろうと。」ゲーテにとって、動物には顎間骨があるけれども人間にはない、というような議論は無意味だったのです。もし、有機体を形成する力が動物のふたつの上顎の間に顎間骨を置いたのであれば、人間の中にも、動物の中でその骨が見つかった場所に対応する位置に、外的な表現は異なるとしても、本質的に同様の仕方で、その同じ力が働いていなければなりません。ゲーテは有機体を、死んで固定されたものの組み合わせとは決して考えておらず、内的な形成力から絶えず生じてくるようなものであると考えていました。ですから、彼は、この力は人間の上顎の中では何をしているのだと問わざるを得なかったのです。顎間骨が存在するかどうかを問うのではなく、むしろその特徴と形態とを決定しようとしたのです。それは経験論的に行われなければなりませんでした。彼の様々な陳述が示しているように、今やゲーテの中では、自然に関して、より包括的な作品をという考えがますます大きな活力をもって掻き立てられるようになっていました。こうして、ゲーテは、彼の発見についての論文をクネーベルに送付した際に、彼に次のように書き送りました。「現時点で注意を引くのを差し控えている。」「私は現時点でその結論それはハーダーがその考察の中で既に示唆していた。人間と動物の間の差異はいかなる個別事象の中にも見いだされないという結論です。」、ここで最も重要なのは、ゲーテがこの基本的な考えを述べる前に「現時点で注意を引くのを差し控えている」と言っている点です。ですから、彼は後に、より大きな文脈の中で、そうするつもりだったのです。さらに言えば、この陳述は、私たちにとって最も興味深い基本的な考え方、すなわち、動物の型についてのゲーテの偉大なアイデア―はその発見のはるか以前から彼の心の中に生きていたということを示しています。ここでゲーテはそれらがハーダーの「考察」の中で示唆されていたことを認めていますが、そのことが述べられた文章は顎間骨の発見以前に書かれたものだったのです。「ですから、顎間骨の発見はこれらの壮大な観点の結果に過ぎないのです。」そのような観点を持つことができなかった人たちにとって、その発見は理解不能なものにとどまったに違いありません。ゲーテの広く知れ渡った観点―動物たちの間に配分された要素を「ひとつの」人間形態の中に調和的に統合し、それによって、すべての個別的な部分は同じであるにもかかわらず、自然の中で最高の位階を人類に付与する総体としての差別化―について、彼らが思い至ることはほとんどありませんでした。彼らの観察方法はアイデアを通してではなく、外的な比較によるものでした。実際、その観察にとって、顎間骨は人間の中には存在していなかったのです。彼らはゲーテが求めたもの、つまり、「精神の目をもって」見るということをほとんど理解しませんでした。彼らとゲーテの間で評価の仕方に違いがあるのもまたその理由からです。ブリューメンバッハが-彼もまた物事を非常に明確に眺めた人です-「これと真の顎間骨との間には、ひとつの世界ほどの違いがある」と結論づけたのに対して、ゲーテの場合には、「必然的な内的」同一性があるとすれば、そのような外的な相違は、それがいかに大きなものであったとしても、どのようにして説明できるだろうかと問うことによって物事が判断されたのです。ゲーテは今やこの考えを首尾一貫した仕方で仕上げようとしていました。1784年5月1日に、フォン・シュタイン夫人はクネーベルに宛てて次のように書いています。「ハーダーの最近の仕事は、私たちが始めは植物や動物だったかも知れないと思わせるものです・・・。今、ゲーテはこれらのことがらについて非常に慎重に考察しています。そして、彼の心をよぎるあらゆるものは、きわめて興味深いものとなっています。」。ゲーテは自然に関する彼の観点を主著の中で提示したいと望んでいました。その願望がいかに強烈なものであったかということは、新しい発見がなされるたびに、彼の考えが自然全体を包含するように拡大する可能性について友人たちに断固として語られたその力強さの中に生き生きと見て取ることができます。1786年に、彼は、いかに自然が、いわばひとつの主要な形態を巧みに操ることによって、その多様な生命を創り出しているかということについての彼の考えを自然のすべての領域、その王国全体に拡張するという彼の願望について、フォン・シュタイン夫人宛に書き送っています。そして、イタリアでは、植物界における変容の概念が、そのあらゆる詳細に至るまで、彫刻のような明快さをもって彼の精神の前に立ちました。1787年5月17日に、彼はナポリで「同じ法則をすべての生き物に適用することができるだろう」と書いています。彼の「形態論ノート」(1817年)の最初の随筆には、「こうして、私が若い頃の熱情の中で完成された仕事として夢見ていたものが、下書きとして、断片的なコレクションとして、今提示されることになりました」という言葉があります。結局、そのような仕事が彼のペンから流れ出すことは決してなかったというのは私たちにとって非常に残念なことであったと言わざるを得ません。私たちが手に入れることができるものだけから判断しても、そのような制作が行われていれば、これまでの時代に達成されたその種の仕事のいずれをも凌駕するものとなっていたはずなのです。それは原則に関する標準的な根幹になるとともに、そこからあらゆる科学的な努力がなされ、その精神的な本質をそれに即して評価することができるというようなものになっていたことでしょう。最も深遠な哲学的精神(*それがゲーテの中にあるのを見逃すのは表面的な心の持ち主だけです。)が、感覚的な経験を通して与えられるものへの愛に満ちた沈潜と、そこでひとつに結びつくというようなものになっていたはずです。彼の仕事は、ひとつの一般的なスキームにすべての存在が包含されると主張する体系に取りつかれた偏狭さとはかけ離れたものであり、個々人を正当に取り扱うものであったはずです。人間的な試みにおけるひとつの分野だけを他のすべてに対して偏重することもなく、それにもかかわらず、たとえ個別の課題に没頭しているときであっても人間存在全体がいつもその背後に存在しているような心による仕事がそこにあったはずなのです。こうして、個々の活動は全体との関係で正しい位置を占めることになり、その心は、それが考察すべき諸目標に客観的に沈潜するとき、完全にそれらの中に入っていくことになります。ですから、ゲーテの理論は対象物から抽出されたもののようにではなく、考察の中で自らを忘れ去る心の中で、対象物そのものから形成されているかのように見えるのです。この最も厳密な客観性はゲーテの仕事を科学的な仕事の中でも最も完成されたもの、あらゆる科学者がそこに向けて努力すべきひとつの理想にしたことでしょう。哲学者たちにとって、それは客観的な世界考察に関する法則を見出すための元型的な模範になったことでしょう。今や、いたるところで科学の哲学的な基礎として現われている認識論は、ゲーテの観察方法や考察方法をその参照点として据えるようになるまで、実り多いものとはならないだろう、と推測することができます。ゲーテ自身が、1790年の「年代記」の中で、その仕事が決して実現しなかった理由を、「それはあまりにも荷が重過ぎて、たった一回の取り乱した生涯の中で解決するのは不可能であった」からと述べています。この観点からすると、断片的に手に入れることができるゲーテの科学的な仕事の重要性は途方もないもののように思われます。実際、あの偉大な全体性から、いかにしてそれらが生じてきたかを私たちが理解しない限り、それらの価値を正しく推し量り、理解することはできないでしょう。とはいえ、1784年に、顎間骨についての論文がいわば単に予備的な習作として作成されることになりました。それは、ゲーテからゾンメルリンクに宛てた1785年3月6日の文書にあるように、さしあたり公表される予定はありませんでした。「私の小論は全く刊行の予定はなく、単に最初の草稿とみなすべきものです。ですから、あなたがこの課題について私と共有したいと思われるようなものであれば何であれ、喜んでお伺いしたいと思います。」。とはいえ、その計画は必要なすべての個々の研究とともに非常に注意深く達成されました。直ちに何人かの若い人たちが(ゲーテの指導の下で)描画を手助けするために招集されました。1784年4月23日に、ゲーテはこの方法に関する情報の提供をメルクに依頼するとともに、キャンパーの方法による描画を彼に送るようゾンメルリンクに頼んでいます。メルク、ゾンメルリンク、その他の知人たちはあらゆる種類の骨格や骨の提供を求められました。4月23日のメルク宛の手紙には、「myrmecopfagous(南アフリカアリクイ)、bradypus(ナマケモノ)、ライオン、虎、あるいはそれと同様の骨格を入手したいのですが」とあります。ゾンメルリンクは5月14日に象とカバの頭骨を、9月16日に山猫、ライオン、若い熊、アメリカマンモス、アリクイ、ラクダ、ヒトコブラクダ、そしてアシカの頭骨を依頼されています。彼の友人たちには特定の情報も求められました。メルクには、サイの口蓋についての記述、特に「実際、サイの角が鼻の骨の上についているのは何故なのか」ということについての説明が求められました。ゲーテはこれらの研究に完全に没頭していました。ヴァイツはキャンパーの方法にしたがって多くの角度から象の頭骨を描写しました。そして、ゲーテは、その頭骨の縫合線がまだほとんどと共に成長していないのを見て、自分が所有する大きな頭骨やその他の頭骨とそれとを比べてみました。その頭骨を調べているうちに、彼は重要な観察を行ったのです。他のすべての動物においては、顎間骨から生えているのは門歯だけで、犬歯は上顎骨に属しているが、象だけは例外であり、恐らく犬歯も顎間骨に属しているはずだ、と以前から考えられていました。今、その骨はそれが事実ではないということを示していたのですが、ゲーテはハーダーへの手紙の中でそのことを書いています。ゲーテの骨学研究は、その夏のアイゼナッハとブラウンシュバイヒへの旅の間も続けられました。彼は、ブラウンシュバイヒに滞在している間に「象の胎児の口の中を見て、ツィンマーマンと心からの対話を続けたい」と考えていました。彼はメルク宛にこの胎児についてさらに次のように書き送っています。「ブラウンシュバイヒにあるような胎児が私たちの保管庫にもあったなら、すぐにでも解剖して、骨格標本に仕立てることができるのですが。その内部構造を説明するために、それを分解しないというのであれば、そのような巨大なアルコール漬けの化け物が何の役に立つのでしょうか。」これらの研究は、キルシュナー文学全集のゲーテ自然科学論集第1巻に収録されている論文(編者注:「顎間骨は動物や人間の上顎に存在する」)になっています。ローダーはこの論文を作成するに当たって非常な助け手となり、彼の助力によってラテン語の語句が導入されました。彼はラテン語の訳も準備しました。ゲーテはその論文を、1784年の11月にはクネーベルに、12月19日にはメルクに送っていますが、その少し前(12月2日)までは、そのことで年末までに多くのことが生じるとは思っていませんでした。その仕事には必要な図表とともに、キャンパーのためのラテン語の訳がついていました。メルクはその仕事をゾンメルリンクに送ることになっており、彼はそれを1785年1月に受け取りました。そこからそれはキャンパーの元に届けられました。今、ゲーテの論文がどのように受け取られたかを見るならば、私たちはどちらかというと不愉快な場面に直面することになります。当初は、ゲーテが共に働いたローダーとハーダーを除いて、誰もそれを理解することができなかったのです。メルクはその論文を楽しみにしていましたが、その主張が真実であるとは確信していませんでした。ゾンメルリンクはその論文が届いたことを次のようにメルクに知らせています。ブリューメンバッハは既に主要なアイデアを有していました。彼(ゲーテ)の一節は、「したがって、疑問の余地はありません。それら(縫合線)の中の他のものは共に成長しているからです」というように始まっています。ただ問題は、それらが全く存在していないということです。私はここに3ヶ月から生まれる前までの胎児の顎の骨を持っているのですが、そのどれひとつにも前面に向かう縫合線は含まれていません。その説明は、骨が互いに押し合う圧力のためということになるのでしょうか。実際、自然がハンマーと楔を操る大工のように働いたと。」1785年2月13日に、ゲーテはメルク宛に「私はゾンメルリンクから全く思慮に欠ける手紙を受け取りました。彼は実際、そのことについて私と徹底的に話し合いたいのです。ああ、何ということでしょう。」と書いています。そして、1785年5月11日に、ゾンメルリンクはメルク宛に「昨日のゲーテからの手紙によると、彼は『顎間骨』に関する彼のアイデアを捨てる用意ができていないように見受けられます」と書いています。そして、キャンパーですが、彼は、1785年9月16日に、添付されていた図は確かに彼の方法によって描かれたものではない、とメルクに報告しています。彼はそれらが全く間違ったものであるとさえ思っていたのです。彼は美しい原稿の外観を賞賛しましたが、ラテン語の訳を批判し、著者にそのラテン語を磨くように示唆することさえしたのです。3日後、彼は、それまでに何度も顎間骨を観察したけれども、人間にはそのような骨は存在しないと主張し続けざるを得ない、と書いています。彼はゲーテの観察が正しいことを認めましたが、人間に関する観察は別でした。そして、彼は再び1786年3月21日に、多数の観察の結果、「人間には顎間骨は存在しない」と結論づけたと書いています。キャンパーの手紙が明確に示しているのは、彼はそのことがらについて調べることに全くやぶさかではなかったけれども、ゲーテを理解する能力には完全に欠けていた、ということです。ローダーはゲーテの発見を正しい光の下で直ちに理解しました。彼は1788年に出版された彼の「解剖学ハンドブック」の中でそれに重要な位置づけを与えるとともに、その後の彼のすべての著作の中で、疑う余地のない科学的に完全に受け入れられた事実としてそれに言及しています。ハーダーはクネーベル宛に「ゲーテは骨に関する彼の論文を私たちに示しましたが、それは非常に簡潔で美しいものです。この男は自然の中で真実の道を歩んでおり、幸運が彼に訪れています」と書いています。ハーダーは、ゲーテがそうしたように、本当にその「精神の目」をもって物事を見ることができたのです。その能力なしには、それと折り合いをつけることは全くできなかったでしょう。このことは、ゲッチンゲン大学の講師であったウィルヘルム・ジョセフィが彼の「哺乳類の解剖学」(1787年)の中で次のように書いていることからも分かります。「顎間骨」は人間とサルとを区別する主要な特徴のひとつであると考えられているが、私の観察によれば、人間もまた、少なくともその人生における最初の数ヶ月間は、そのような「顎間骨」を有している。しかし、それらは通常、非常に初期の段階から、実際、まだ母親の胎内にいる間に、特にその外側に関して、真の上顎骨と共に成長するため、しばしばそれらを見分けることができるような痕跡は残らない。ゲーテの発見は、実際、ここで完全に確認されることになるのですが、とはいえ、それは型の首尾一貫した仕上げの結果としてではなく、直接目で見ることができるものの表現として確認されたのです。もちろん、もし、目だけに頼るとしたら、それは偶然だけに、つまり、実際にそこでは物事を正確に「見る」ことができるような標本をたまたま見出すことができるかどうかにかかってきます。ところが、ゲーテのようにして、アイデアを通して物事を把握するならば、これらの特別な標本は単にアイデアを確認するためのもの、もしそうでなければ自然によって隠されていたであろうものを「おおっぴらに」表現するためのものとなります。とはいえ、アイデア自体はいかなる標本の中でも明らかなものとなり、それぞれの標本はそのアイデアの特別な例を表現するものとなります。私たちが実際にアイデアを有しているならば、正にそのアイデアを通して、それがもっとも明確に表現されているような標本を見出すことができます。しかし、アイデアなしには、私たちは偶然の恩恵を待つしかありません。実際、科学の共同体は、ゲーテがその偉大な考えを通してその衝動を与えた後で、多数の例を観察することによって、徐々に彼の発見の正しさを確信するようになったのです。メルクは迷い続けていたように見えます。1785年2月13日に、ゲーテは彼に、分離していた人間の上顎の骨とマナティーのそれとを一緒に送り、それらをいかに理解すべきかについてのヒントを与えています。4月8日のゲーテの手紙からは、メルクが多かれ少なかれ宗旨替えをしていたことが見て取れます。けれども、彼はすぐに再び考えを変えます。と申しますのも、1786年11月11日に、彼はゾンメルリンク宛に「ヴィック・ダジュールは実際、『ゲーテのいわゆる発見』を彼の本に含めたと聞いています」と書いているからです。ゾンメルリンクは徐々にその反対の姿勢を捨てるようになりました。彼はその「人体の構造について」という著作の中で次のように述べています。「上顎の顎間骨が動物と同様、人間にも見出されるということを、比較骨相学を通して示そうとした1785年のゲーテによる天才的な試みは、その非常に正確な図とともに、公的に認知されるに値する。」ブリューメンバッハの考えを変えさせるのはもっと困難でした。彼はその「比較解剖学ハンドブック」(1805年)の中で、人間には顎間骨がない、という彼の確信について主張しています。とはいえ、ゲーテはその随筆「動物学的な哲学の原則」(1830-1832年)の中で、ブリューメンバッハの改宗について語ることができるようになっていました。個人的なやり取りの後、彼はゲーテの側につくことになったのです。1825年12月15日に、彼はゲーテにその発見を実証する美しい標本を提供することさえしています。一人のヘッセン人アスリートが顕著に卓越して動物的な「顎間骨(がっかんこつ)」を手に入れるために、ブリューメンバッハの同僚であったラーゲンベックの助けを求めました。ゲーテの考えの擁護者については後でさらに議論する予定ですが、ここでは次のことをつけ加えるだけにしておきましょう。M.J.ウェーバーは、希釈した硝酸を用いて、上顎骨が溶解してもその後に残る顎間骨を単離することに成功したのです。ゲーテはこの論文を完成させた後も骨の研究を続けました。同時に行われた植物学上の発見は自然に対する彼の興味を強化しました。彼は関連する研究対象を友人たちから借り続けていました。1785年12月7日に、ゾンメルリンクは「ゲーテは骨を返してくれない」と怒り始めています。ゲーテがそれらの頭骨をまだ持っていたことは、彼のゾンメルリンク宛の手紙(1786年6月8日)から分かります。ゲーテの偉大な考えは彼と共にイタリアに赴くことになりました。元型的な植物についての考えが彼の心の中で形を取るようになっていたとき、彼は人間の形態についての概念をも発達させていたのです。1787年1月20日に、彼はローマで次のように書いています。「解剖学に関する準備は相当にできており、かなり努力したとはいえ、私は人体に関する知識をも獲得している。ここにある永遠に瞑想する彫像の傍らにいると、より高められた仕方においてではあるが、人の注意は絶えず人体へと引きつけられる。我々の医学的-外科的な解剖学はその各部分を知ることのみに関心があるので、その目的にとっては、情けない筋肉でも役に立つ。ところが、ローマでは、その各部分は、それらが高貴で美しい形態の一部でもあるということでない限り、何の意味も成さない。サン・スピリートの偉大な病院では、芸術家のために、非常に美しい筋肉組織のモデルが、人をその美しさへの称賛で満たすような仕方で、設置されている。それは皮を剥がれた半神半人、マルシャスでも通るだろう。ここでの習慣は、古代の習慣に従って、人為的にアレンジされた骨の塊としてではなく、それに生命と動きを与える靭帯とともに骨格を研究するということなのだ。」。注:顎間骨(がっかんこつ)または切歯骨。上顎骨の前部を占める一対の骨で,間顎骨または顎間骨ともいう。「人間では発生の初期に狭義の上顎骨と合着してしまう」が,一般に哺乳類ではよく発達し,終生,独立の骨として存在する。現代ではそれほど神秘的なものではなくなった。 ゲーテが主として求めていたのは、自然が有機的な形態、特に人間の形態を形成するときにしたがう法則、その形成に当たって、それにしたがうところの傾向に通じるということでした。ゲーテは、無数の植物形態の多様性のただ中で、それにしたがえば必然的に首尾一貫した植物を無数に創り出すことができるような元型的な植物、自然の傾向に完全に合致し、対応する条件さえ生じれば存在するようになる植物を探していたのですが、それと同様に、彼は、自然の法則に完全に合致した「理想的な特徴を発見する」ため、動物や人間を探求するつもりだったのです。イタリアから帰って間もなく、彼は「解剖学に熱心」となりました。そして、1789年には、ハーダー宛てに「新たに発見された『調和した自然』を提示したい」と書いています。彼の新しい発見は頭蓋の脊椎理論の一部だったと思われますが、この発見が完成したのは1790年になってからです。彼は、それ以前にも、頭の後ろ側を構成するすべての骨は三つの変化した脊椎骨によって表わされるということを知っていました。ゲーテはそのことを次のように考えていました。脳は最高度に完成された脊椎索物質の塊である。主として有機体下部の機能に仕える諸神経は脊椎索で終わると同時にそこから枝分かれしている、それに対して、より高次の精神的な機能に仕える神経、主として感覚神経は脳で終わると同時にそこから始まる。脳として現れるものは、潜在的にではあるけれども脊椎索の中に示されているところのものが単に十分に発達させられた形態を取ったものであるに過ぎない。脳とは十全に発達した神経索であり、神経索とは未分化の脳である。さて、脊柱の脊椎骨は脊椎索の様々な部分と完全に調和して形成され、それらを包み込むのに必要な保護構造を構成しているが、もし、脳が実際に可能な限りの高みへと引き上げられた脊椎索であるとすれば、それを包み込む骨もまた、より高次の段階へと引き上げられた脊椎骨に過ぎない、ということはあり得ることのように思われる。したがって、頭部全体が、より低次のレベルで存在する体的な器官の中で予め形成されていたように見える。付随的なレベルで活動する力はここでも働いているのであるが、それらは可能な限りの高みへと発達させられている。ゲーテはここでも、いかにそれが外的な現実の中に実際に現われているか、ということを確かめることだけに関心を持つようになります。彼は自分が非常に早くから、頭蓋の後部に当たる後頭骨や前と後の蝶形骨との関係で、この関連に気づいていたと述べています。けれども、彼の北イタリアへの旅の途中にリドの砂丘の間に散らばっていた羊の頭骨を見つけたとき、彼は、口蓋骨、上顎、そして、顎間骨もまた変化した脊椎骨である、ということに気づいたのです。羊の頭蓋骨は、その様々な部分が個別の脊椎骨であることを容易に見て取ることができるような幸運な仕方でバラバラに落ちていたのです。1790年4月30日に、ゲーテはこの美しい発見をフォン・カルプ夫人に示し、次のように言っています。「ハーダーに伝えてほしいのですが、私は、全体の成り立ちから見たときの動物の形態とその様々な変容へとますます近づいています。それも、非常に奇妙な偶然を通して」。この発見の重要性は非常に大きな広がりを持っていました。それは、ひとつの全体としての有機体のすべての部分はアイデアにおいて同等であり、「内に向かって形成されてはいない」有機的な塊が外に向かって広がっていくとき、それらは異なる仕方で発達するということを示していたのです。言い換えれば、ひとつの同じものが、より低次のレベルにおいては、脊椎神経として現れ、より高次のレベルにおいては、感覚神経として感覚器官へと至り、それが外的な世界を取り込み、把握し、理解するものになった、ということです。こうして、あらゆる生きものは、自らを内から外へと形成する能力の中で、形態を創造する力として現れました。つまり、今初めて、それを「真に生きた」実体として理解することができるようになったのです。ゲーテの動物の形成に関する根本的なアイデアもまたひとつの結論へと至りました。今やそれらを仕上げるときが来ていました。とはいえ、F.H.ジャコビとの往復書簡の中でも示されているように、彼はもっと以前にそれを行う計画でした。ゲーテが公爵に随行してシレジアの野営地(ブレスラウ、1790年7月)に赴いていたとき、彼は動物形態学の研究に没頭し、そこでその課題についての彼の考えをまとめ始めました。8月31日に、彼はフリードリッヒ・フォン・シュタイン宛に「この大騒ぎのただ中で、私は動物形態学に関する私の講話を書き始めました」と書いています。より大きな意味では、動物の型に関するアイデアは、1820年初版のゲーテの二番目の「形態学ノート」に掲載された詩「動物の変容」の中に含まれています。1790年から1795年まで、ゲーテは主として色に関する科学的な探求を行いました。1795年の初頭には、彼はフォン・フンボルト兄弟、マックス・ジャコビ、そして、シラーとともにイエナにいました。ゲーテは比較解剖学に関する彼のアイデアをこれらの友人たちに示したのですが、彼らはそれが非常に重要なものであると考え、それらを書き留めるように彼に促しました。ジャコビ兄へのゲーテの手紙は、彼の比較骨学に関する概略をマックス・ジャコビに書き取らせるという形で直ちにその提案を受け入れたことを示しています。その序章は1796年に仕上げられました。これらの講話には、ちょうど植物形態学に関する彼の観点が、その「植物の変容を説明する試み」(編注:「植物の変容」の原題)の中に見出されるように、ゲーテの動物形態学についての基本的な観点が含まれています。シラーとの交友(1794年に始まる)を通して、彼の観点は節目を迎えました。彼は今や、彼自身の研究方法を観察し、それによって、物事を観察する彼のやり方を「意識する」ようになったのです。私たちはこれらの歴史的な展開を追ってきましたが、これからは有機体の形成に関するゲーテの観点の本質とその重要性について考察していきたいと思います。 (第3章了)人気ブログランキングへ
2024年05月26日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説 並びに、精神科学(人智学)の基礎 (GA1)第2章 ゲーテの変容についての概念の起源 佐々木義之訳 有機的形態論に関するゲーテの考察について、その発達の歴史を辿るとき、確かに、詩人の若き日に、つまり、彼がワイマールに来る前の時代に何を帰せばよいのかと不思議に思うかも知れません。「外的な自然とは一体何なのかについて、いかなる概念も私にはなく、まして、そのいわゆる三つの世界についての知識などほとんどなかった」というように、ゲーテ自身が、その時代における彼の科学についての知識を高く評価してはいませんでした。この陳述からすると、ゲーテの科学的な考察が始まったのはワイマールに着いた後、1775年の彼が26歳のときからと一般には考えられます。とはいえ、彼の観点の全体的な精神を説明しないままにしておきたくないのであれば、もっと過去にまで遡る必要があるように思われます。彼の探求を以下に述べるような方向で導いた強力な衝動は既にその最初期の時代にその姿を現していました。ゲーテがライプツィヒ大学に入学したとき、そこでのすべての科学的な試みは、18世紀を通して特徴的であった精神、そして、その精神は科学全体を二つの極に分離し、誰もそれを統合する必要を感じていなかったのですが、そのような精神にまだ支配されていました。一方には、完全に抽象の領域に浸された存在論を演繹的科学とし、アプリオリに知ることができ、2 つの基本原則に基づいていると考えたクリスチャン・ヴォルフの哲学があり、他方には、際限なく続く詳細事項の外的な記述の中に自らを失い、探求すべき世界の中で、より高次の原則を見出す努力をしないままでいた科学の様々な分野があったのです。ヴォルフの哲学は、抽象的な概念の領域から直接的な現実の世界、個別存在の世界へと続く道を見出せないままでいました。もっとも明白なことがらが徹底した完璧さをもって処理されました。人が学んだのは、「もの」とは矛盾を含んでいないような何かである、実質には限定されたものと限定されないものがある等々というようなことがらです。けれども、それらの生命や働きを理解しようと試みる探求者が、これらの一般的なことがらをそれらのもの自体に適用しようとするときには、直ちに全く立ち往生することになりました。つまり、彼らは、その中に住み、理解しようとしている世界にそれらの概念を適用することができなかったのです。その代わりに、私たちの周囲にある実際的なものは、ほとんど何の原則も含んでいないような仕方で、つまり、純粋に、外見と外的な特徴にしたがって記述されていました。すべての生きた内容に欠け、直近の現実の中にきわめて忠実に没頭することのない原則の科学と、原則や理想的な意味に欠ける科学とが並び立っていたのです。これらは仲介されることなく対峙しており、それらのどちらも他方に実りをもたらすことがありませんでした。ゲーテの健全な特質にとって、そのどちらもその一面性において受け入れ難いものだったのですが、彼はそれらに立ち向かうことによって、後に彼を自然の生産的な理解、すなわち、そこではアイデアと経験とが完全な相互作用の中で、互いに互いを賦活させつつひとつの全体となるような理解なのですが、そのような理解へと導くことになる観点を発達させました.参考画:クリスチャン・ヴォルフ(christian_von_wolff) ですから、ゲーテはまず、それらの両極端には全く理解できないような概念、つまり「生命の概念」を発達させたのです。生きた存在は、その外観において観察されるとき、そのメンバーや器官として私たちの前に現れる個的なものの総体として自らを現します。これらのメンバーをそれらの形、相対的な位置、大きさ、等々において記述することは、上に述べた科学の第二の学派によって精力的に実行されるような種類の探求の目的です。とはいえ、無機的な物体が機械的に組み立てられているようなものであれば、このような仕方で記述することもできます。有機体を考察するとき、主として心に留めておくべきなのは、その外観は内的な原則によって支配されている、あらゆる器官の中には全体が働いているということであるということは全く忘れ去られていました。その外観、その構成要素の空間的な配置は、その生命が破壊された後でも検証することができます。何故なら、それはしばらく存在し続けるからです。けれども、私たちの前にある死んだ有機体は、本当はもう有機体ではありません。すべての個的なものの中に浸透していた原則は失われてしまったのです。以前には、ゲーテは、より高次の観点を得るという可能性と必要性のために、生命を破壊することによってそれを探求するというアプローチに直面していました。それは既に、1770年7月14日の日付がある手紙の中に見られます。当時、彼はストラスブールにいて、蝶について次のように書いています。「哀れな生き物は網の中でバタバタしながら、そのもっとも美しい色を撒き散らしている。そして、無傷で捕らえられれば、硬直し、生命なく、ピン留めされる。死体は生き物全体ではない、何か別のものがそれに属している。ひとつの重要なもの、そして、この場合、実際、その他あらゆるものの場合にも、それが主たるものなのだ、つまり、その生命が・・・。」。次のファウストからの言葉も同様の観点から生じてきます。「生きることの始まりを探求し、記述するためにその各部分から精神を追い出そうというのか、彼の手のひらの上にはすべての断片にないものなど何もない、精神とのつながりを除いては」 (ファウスト、1936-1939行)ものごとに対するひとつの見方を否定したままで満足するようなゲーテではなかったので、彼はますます自分自身の観点を発達させようとしました。そして、私たちが手に入れることができる1769年から1775年までの間の彼の考えを示唆するものの中に、彼の後の作品の種子となるものを見て取ることができます。その存在の各部分は他の部分を賦活し、その存在の中ではひとつの原則があらゆる個的なものの中に浸透している、そのような存在についての考えを彼は発達させていたのだということが次の文章から分かります。彼はファウストの中で次のように語ります。「全体の中ですべてが織りなしている。ひとつひとつが他のものの中に働き、生きて・・・」 (447-448行)そしてまた、ザティロス(第4幕)の中で語ります。「無から原初が生じ、光の力が闇を貫いて鳴り響く、存在の深みで炎が点火したのだ。願望に担われた創造の喜び、それらの要素は世界の中へと注がれる、渦巻く相手を互いに貪るように、すべてに浸透し、すべてが浸透される。」ゲーテはこの存在を、時間の中で絶えざる変化を免れないけれども、これらの変化のすべてを通して、いつでもただひとつの存在として自らを現し、変化のただ中にあって永続し、安定したものとして自らを主張する何かであると考えていました。ザティロスには、この根源のものについて、さらに次のような記述があります。「そして、上下左右に揺れながらやって来たのは、すべてでありひとつである永遠なるもの、いつまでも変化し、どこまでも続くもの。」。この文章と、変容についての研究の導入部分として1807年にゲーテが書いた次の文章とを比較してみてください。「けれども、もし、私たちがすべての形態を、とりわけ有機的な形態を観察するならば、永続的なるもの、完成され、静止しているものなど何もない」すべては絶え間なく揺れ動いているのだということが分かります。この流れと対照的なものとして、今やゲーテはアイデアあるいは「何か単にしばらくの間、経験の中にしっかりと保持されているようなもの」を「一定のもの」として仮定します。ザティロスの一節から、ゲーテの認識論的なアイデアの基礎は既に彼がワイマールに来る前に敷かれていたということに全く明確に気づくことができます。けれども、気をつけなければならないのは、この生きた存在についてのアイデアは個別の有機体、宇宙全体はそのような生きた存在には適用されていなかったということです。もちろん、この概念は、ゲーテがライプツィヒから帰還した後(1768-1769年)、フォン・クレッテンベルグ嬢とともに行った錬金術的な研究、そして、テオフラストゥス・パラケルススを読んだことにその起源を有しています。当時、何らかの種類の実験によって、宇宙全体に浸透する原則を明らかにする、つまり、何らかの実質を通してそれが現れるようにするという試みがなされました。けれども、この種の「神秘的なるもの」と境を接するような世界の見方は、ゲーテの発達過程における一時的なエピソードを構成しているに過ぎず、すぐに、より健全で客観的な考え方へと道を譲っています。とはいえ、宇宙全体をひとつの大いなる有機体として見る観点は、ファウストやザティロスの一説の中に示されているように、1780年頃までゲーテの考えの中で不可欠なものとして残りました。そのことは後で彼の随筆「自然」との関連で見ていきたいと思います。普遍的な有機体に浸透する生命原則としての地球の精神については、ファウストの次の箇所でも記述されているのが分かります。「生命の潮の中で、行動の嵐の中で、あちらこちらと私は波打つ、永遠に織りなせ!誕生と墓場、永遠の海、変化に満ちた闘い、輝く生命。」 (501-507行)ゲーテはこうしてある観点を発達させる一方で、ストラスブールにおいて、彼自身の世界観に真っ向から反対する世界観を確立しようとしていた本、ホルバックの「自然の体系」に出合います。それまでのゲーテは、生きているものを個的なものの機械的な寄せ集め「であるかのように」記述しようとする傾向を、単に批判していればよかったのですが、彼は今や、ホルバックにおいて、生きた有機体を実際に機械的なものであると「見なす」哲学者に出会ったのです。以前には、単に生命の根幹を認識できないことから生じていたものが、ホルバックにおいて、生命を否定するドグマへと導かれていました。彼は彼の自叙伝「詩と真実」の中で次のように書いています。「物質は、永遠の昔から存在し、運動の中にあったかのように考えられていた。そして、今や、何のさらなる骨折りもなく、その運動によって、右や左に、そして、あらゆる方向に、際限のない存在という現象を生じさせることになっていた。もし、その著者が、私たちの目の前で、彼の活動する物質から本当に世界を作り出していたのであれば、私たちはそれで満足していたことだろう。しかし、彼は私たち以上に自然について知っていたとは言えないのかも知れない。何故なら、彼は、二乃至三の一般的な概念へと突き進むやいなや、自然よりもより高次のもの、あるいは、自然の中のより高次の自然のように見えるものを、物質、つまり、より重い要素、確かに、活動してはいるけれども、方向性も形もないものへと変換するために、すぐにそれらの概念から離れ、それでかなりのことを達成したと考えているからである。」ゲーテはこれらすべての中に何も見出せなかったのですが、「動きの中にある物質」に関しては、それに反対したことで、彼自身の自然についての概念がますます明確な形を取ることになりました。これらのことは、1780年頃に書かれた彼の随筆「自然」の中で、首尾一貫した全体として提示されているのが分かります。それまでただ散見されるだけだった自然についてのゲーテの思考のすべてがそこにまとめられていることから、この随筆は特別な重要性を帯びることになります。「私たちはそこで、絶えざる変化を蒙りながら、それでも同じものとして留まる存在についてのアイデアに出会います。すべては新しく、それにもかかわらずいつでも古い・・。彼女(*自然)は永遠に自らを変容させ、彼女の内には一瞬たりとも立ち止まるものはないけれども彼女の法則は不変である。」。後で見ていくように、ゲーテはここで既に示唆されているような考え、つまり、植物形態の際限のない多様性の中のひとつの原型的な植物というものを追求していました。彼女(*自然)の働きのひとつひとつがそれ自身の存在を有しており、そのそれぞれの表現は最も孤立した概念を有しているが、それでも、すべてが「ひとつ」を構成している。実際、例外に関する彼の後の立場、つまり、例外を単に不完全な形成と見なすのではなく、自然法則の現われであるとして説明する立場でさえ、既に、「最も不自然なものでさえ自然であり、例外はまれである」というようにきわめて明確に表現されているのです。私たちはゲーテが既にワイマール以前にも、有機体についての明確な概念を発達させていたということを見てきました。と申しますのも、「自然」は彼のワイマール到着のずっと後に書かれたとはいえ、そこに含まれているのは概して彼の初期の観点だからです。彼はその概念を自然現象の個別の秩序、すなわち個々の生物にはまだ適用していませんでした。それを行うためには、生きた自然という現実の世界に直接接近する必要があったのです。ゲーテは人間の心をよぎる反映されたものとしての自然による刺激を受けていませんでした。ライプツィヒで行われた枢密顧問官ルードヴィッヒとの植物学についての会話やストラスブールで行われた医者仲間との夕食会での会話もより深い影響を与えることはありませんでした。若きゲーテはその科学的な探求の中で正にファウストのようにして現れます。直接的で新たな自然の眺めを奪われたファウストはそれへのあこがれを次のように表現しています。「ああ、高い山の上で あなたの月のやさしい光の中で 洞窟や木々の間をさまようことができさえしたら。夕暮れ時に曲がりくねった・・・。 (392-395行)この思いは、ゲーテがワイマールに到着して、「部屋と都会の空気が、田舎と森と庭にとって代わられたとき」に満たされたように見えます。詩人が植物の研究に乗り出すことになった直接の動機は、彼がカール・アウグスト公から賜った庭の植栽に関わったことであったということが分かります。彼がその庭を受け取ったのは1776年4月21日だったのですが、彼の日記(*カイルにより編纂されたもの)には、それ以降、しばしば彼がこの庭で仕事をしたことが記されており、それは彼のお気に入りの時間のひとつになっていました。チューリンゲンの森によってこの種の活動の場はさらに追加されたのですが、より下等な有機体に関する現象を知る機会をそこで持つことになりました。彼が特に興味を持ったのはコケや地衣類でした。1777年10月31日、彼はフォン・シュタイン夫人に、繁殖させることができるよう、できるだけ根と湿り気がついたままのあらゆる種類のコケを依頼しました。ゲーテが当時、既にこれらの下等な生物の世界に関わっていたこと、それにもかかわらず、後に高等植物の組織に関する法則を導き出したという事実はきわめて意義深いことであると考えなければなりません。以上の状況から、その事実は、多くの評論家がそうしてきたように、彼がより未発達な有機体の重要性を過小評価していたことにではなく、十分に意識的な意図をもっていたということに帰せられると考えられます。それ以後、詩人が植物の世界を離れることは決してありませんでした。彼が当初からリンネの著作を取り上げていたことはほぼ間違いありません。彼がそれらに通じていたことが分かるのは、フォン・シュタイン夫人に宛てた1782年の手紙からです。「植物についての知識に体系的な概観をもたらそうとしたのはリンネです。彼が目指したのは、あらゆる有機体がその内部で特定の場所を占めるような明確な系統的法則、それらをいつでも容易に特定できるような、実際、その無限の多様性の中で方向づけを行うための方法となるような系統的法則を見つけるということでした。そのためには、植物が相互に関連する度合いを検証し、それに応じてグループ分けする必要がありました。主要な点は、いかなる植物であってもその体系の中で同定し、容易に分類するということでしたから、特にある植物を別の植物から区別するための特徴に注意が払われなければなりませんでした。混乱が生じないように、主としてこれらの区別を行うための特徴が追及されたのです。こうして、リンネと彼の門下生たちは、「外的な特徴」大きさ、数、個々の器官の位置を特徴的なものと見なしました。植物は確かに系統的に秩序づけられましたが、一連の無機物もまた同様の方法で整理することができるような仕方、つまり、植物の内的な本性から捉えられるのではなく、それらの外観から捉えられるような特徴によって秩序づけられたのです。それらが秩序づけられたその仕方は、必然的な内的結びつきに欠けた表面的なもののように見えます。ゲーテは生きた有機体についての特別な概念を有していたので、このような仕方で植物を見ることで満足することはありませんでした。何故なら、それは植物の根本的な特質へのいかなる探求も含んでいなかったからです。ゲーテは「ある自然存在を植物にしているものとは何か。」と自問せざるを得なかったのです。さらに言えば、彼は、それが何であれ、すべての植物において同様に生じなければならないということを認めざるを得ませんでした。そして、それでも個々の実体は無限に多様化しており、それは説明を要するものとしてそこにあったのです。この一体性はいかにしてそのように多様な形態の中で自らを現すのか。ゲーテがリンネの著作を読んだときに生じた疑問とはそのようなものであったに違いありません。と申しますのも、彼自身が「彼、リンネが無理に引き離そうとしたものは、私自身の最奥の衝動にしたがえば、ただ一体性に向けて苦闘しているだけのように見える」(「わが植物研究の歴史」)と述べているからです。ゲーテがルソーの植物学上の研究に出会ったのは、彼が最初にリンネを知ったのとほぼ同時期でした。1782年6月16日に彼はカール・アウグストに次のように書き送っています。ルソーの仕事の中には、植物学についてのすばらしい手紙類がありますが、その中で彼はこの科学をひとりの夫人に最高に明瞭かつ魅力的な仕方で説明しています。それは本当に教え方の模範となっており、「エミール」の補足にもなっています。ですから、私は今、この機会を利用して、私の友人である美しいご夫人たちに美しい花の世界をお勧めしたいと思います。ルソーの植物学上の研究はゲーテに深い印象を与えずにはおきませんでした。植物の本性に対応して生じてくる命名法の強調、観察の独創性、いかなる実利的な考察からも距離を置く植物そのものへの熟考-ルソーの仕事が有するこれらすべての側面はゲーテに強く訴えかけたのです。二人に共通していたのは、彼らが植物研究に取りかかったのは、何か特別な科学的目的があったからではなく、むしろ純粋に人間的な動機からであった、ということでもあります。同じ興味が同じ課題へと彼らを引きつけたのです。次にゲーテが植物界について徹底的な観察を行ったのは1784年のことでした。ルースヴュルムと呼ばれるウィルヘルム・フライヘール・フォン・グライヒェンは、「植物界からの最近の便り」、「植物、花、昆虫、及びその他の注目すべき事物との関連で、顕微鏡を用いてなされた代表的な発見」という探求を取り扱う二つの仕事をちょうど出版していたところでしたが、それらはゲーテの興味を強く引くところとなりました。それらの著作はいずれも植物の受精過程を取り扱っていました。花粉、雄しべ、雌しべが注意深く調べられ、それらの内部で生じるプロセスが美しく設えられたプレートに描写されました。今度はゲーテがそれらの調査を追試します。1785年4月2日、彼はF.H.ジャコビに「私は種の問題について、私の経験が許す限りにおいて、よく考えてみました」と書き送っています。これらの探求すべてにおいて、彼は細かなことがらには興味がありませんでした。つまり、彼の努力が目指していたのは、植物の本質的な特質を探究する、ということでした。1785年4月8日、彼はメルクに「植物学における満足のいく発見と組み合わせを見つけた」と報告しています。「組み合わせ」という表現は、彼の意図が植物界におけるプロセスの思考像を構築することにあった、ということをも示しています。彼の植物学の研究は明確な目標に向かって急速に接近していました。当然のことながら、この関連で私たちが心に留めておかなければならないのは、ゲーテは既に1784年に顎間骨を発見しており、それによって彼は自然が有機体を形成する仕方についての秘密に近づくための重要な一歩を踏み出していた、ということですが、そのことについては後で詳細に議論する予定です。私たちはまた、ハーダーの「人間性の歴史に関する哲学の考察」は1784年に完成し、当時ゲーテとハーダーとは自然に関することがらに関してしばしば会話していた、ということを心に留めておかなければなりません。そこで、フォン・シュタイン夫人は1784年5月1日に、クネーベルに次のように報告しています。「ハーダーの新しい作品は、私たちが最初は植物や動物だった可能性を示唆しています・・・今、ゲーテはこれらについて非常に深く思索しているのですが、彼の心に浮かんだあらゆることがらはとても興味深いものとなっています。」。これは、当時、最大の科学的な問題であったところのものに対するゲーテの関心の特質を示しています。したがって、彼の植物の特質に関する思索と1785年春における彼の「組み合わせ」は全く包括的なもののように見えます。その年の春、彼はその疑問や問題を急いで解くためにベルヴェデールに赴きました。そして、5月15日にはフォン・シュタイン夫人にそれを伝えています。自然という本が私にとっていかに読みごたえのあるものになっているか、とてもお伝えすることができそうもないほどです。お手紙をお書きするたびにずっと解明しようとしてきた私の努力が役に立ちました。今や全く突然、それが効果をあげ始めており、私の静かな喜びは表現しようもないほどです。この少し前には、彼は簡単な植物学の論文を書いてクネーベルをこの科学に引き込もうとさえしていたのです。(R.シュタイナーによる注:1785年4月2日付けのクネーベル宛の手紙には「もし、既に植物学についての課題が書けてさえいたら、喜んで貴方にお送りしたところなのですが」とあります。)彼は植物学に強く惹かれていたので、1785年6月20日に始まり、その年の夏をそこで過ごすことになるカールスバッドへの旅は植物探査旅行となりました。彼に随行したのはクネーベルです。イエナの近くで彼らは17歳のディートリッヒに出会ったのですが、その標本箱は彼がちょうど植物採集の帰りであることを示していました。この興味深い旅行については、ゲーテの「わが植物研究の歴史」と、ディートリッヒの原稿にもとづいてブレスラウのコーンが書いた報告書からもっと詳しく知ることができます。カールスバッドでは植物学についての会話がしばしば楽しいひとときを提供することになったのです。旅から帰ったゲーテは植物学の研究に大いに力を注ぎました。リンネの「植物学」の助けを借りて、彼がきのこ類、コケ類、地衣類、藻類の観察を行ったことは、フォン・シュタイン夫人への手紙から分かります。彼にとってリンネがより役に立つようになったのは、彼が多くのことを考え、観察した後でのことに過ぎません。つまり、彼はリンネを通して多くの詳細なことがらについての情報を見出したのですが、そのことが彼の「組み合わせ」を前進させるために役立ったのです。彼は1785年9月9日付の手紙でフォン・シュタイン夫人に次のように報告しています。私はリンネを読み続けていますが、他の本が手元にないので仕方がありません。私にとって本を最後まで読むというのは簡単なことではなく、一冊の本を意識的に読むというのは最もよい方法ですから、もっとしばしばやるべきことでしょう。この本は読むというより要約するようにできていますから、私にはとても役立ってくれています。と申しますのも、私はその重要な点のほとんどを自分で考えてみたからです。この研究の過程を通して、「個々の植物の無限の多様性として現れるものは、結局のところ、たったひとつの基本的な形態である」ということがますます明確になってきました。すなわち、この基本的な形態そのものがますます知覚可能なものになってきたのです。さらに彼は「この基本的な形態の内部に横たわっているのは、それによって統一性から多様性が生み出されるところの無限に変化する能力である」ということに気づきました。1786年7月9日、彼はフォン・シュタイン夫人に「それはいわば、自然がいつもそれとともに単に戯れながら、そして、その遊びの中でその多様な生命を生み出しているところの形態に気づくようになるということです。」と書き送っています。今や彼が必要としていたのは、この持続する一定の要素、いわば自然がそれとともに戯れるところのこの元型的な形態を取り上げ、それを詳細に把握することができるような像へと発展させる、ということでした。これを行うために、彼は植物形態における真に一定で持続する要素から変化するもの、移ろい易いものを分離する機会を必要としていました。ゲーテの探求は、この種の観察を行うにはまだあまりにも視界が狭かったのです。彼は同一種の植物を異なる状況や影響の下で観察しなければならなかったでしょう。何故なら、そのときだけ移ろい易い要素が本当に可視化されるようになるからです。それは異なる種の植物においてはそれほど顕著ではありません。このすべては、9月3日にカールスバッドから旅立ったイタリア旅行によって叶えられました。アルプスの植物相によって、彼は多くの観察の機会を与えられました。ここで彼が見つけたのは、彼が初めて見る植物ばかりではなく、既に知っていたものもあったのですが、それらは「変化していた」のです。[低地では、葉柄や茎はより強く、より厚みがあります。芽はより密集しており、葉はより広くなっています。山の高いところでは、葉柄や茎はより繊細なものとなり、芽は互いにより離れるようになり、そのため、節と節の間にはより広い空間ができています。そして、葉は槍の先のような形態を取るようになります。これは柳やリンドウにおいて見られますが、それらは別の種ではないと私は確信しています。バルヒェンゼー(バイエルン)でも、イグサは低地のものより長く、細くなっているのが見られます。(「イタリア紀行」、1786年9月8日)]。同様の観察が繰り返し行われました。[海の側のベニスでは、砂交じりの土の古い塩だけが、さらに言えば、塩気のある空気だけが与えられるような特徴を示す様々な植物に出会いました。彼がそこで見つけたのは「私たちが知っている無垢のフキタンポポではあるが、鋭い武器で武装し、皮のような葉と、同じく鞘や茎も皮のようになった、つまり、すべてが厚く、太くなった」(同、1786年10月8日)植物でした。]ゲーテは植物の外的な特徴、すなわちその外観に属するあらゆるものの不定性、絶えず変化する特質に出会っていました。このことから、彼は、植物の本質はこれらの特徴にではなく、より深いレベルで探さなければならないと結論づけたのです。ダーウィンが類や種の外的な形態の一定性についての疑問を提示したときも同様の観察に基づいていました。しかし、二人の思索家が到達した結論は全く異なるものでした。ダーウィンは、実際、有機体の本質はそのような外的な特徴に限定されると信じており、その可変性から見て、植物の生命には何ら一定のものはないと結論づけたのに対して、ゲーテはさらに深く追求し、もし、外的な特徴が一定でないのであれば、一定であるところのものは、そのような変化する外面性の下に横たわる何か別のものの中に探さなければならない、と結論づけたのです。この「何か別のもの」の概念を発展させることがゲーテの目的になったのに対して、ダーウィンの努力は有機体の多様性の原因を詳細に探求し、説明することに向けられました。両方のアプローチが必要であり、互いに補い合うものとなります。有機的な科学におけるゲーテの偉大さは彼がダーウィンの先駆者であったことによる、と単純に信じるのは全くの間違いです。ゲーテのアプローチはもっとはるかに広範なものだったのです。それは二つの側面を含んでいます。ひとつは元型―すなわち、有機体の中に現われる法則性、及び動物の中に現れる動物存在、すなわち、それ自身から展開する生命、様々な外的形態(種、類)において、その内部に横たわる可能性を通して、自ら発展する力と能力を有する生命であり、もうひとつは有機体と無機的な自然との相互作用、並びに、有機体同士の相互作用(適合と存在に向けた苦闘)です。ダーウィンは有機的な科学における後者の側面だけを発展させました。ですから、ダーウィンの理論はゲーテの基本的なアイデアを進化させたものである―それは実際には、それらのアイデアのひとつの側面を発達させたものに過ぎません-と言うことはできません。それは、生きた有機体の世界が一定の仕方で展開する原因となる諸事実のみを見るのであって、それらの事実に決定的な影響を及ぼすものとされる「何か」を見ることはありません。このひとつの側面だけを追求しても有機体に関する完全な理論へと導かれることは決してありません。そのような理論は、本質的に、ゲーテの精神において追求されなければなりません。このひとつの側面は、彼の理論の別の側面を通して補足され、深化させられなければならないのです。ものごとをより明確にするために単純な比較をしてみましょう。鉛を取り上げ、それを液体になるまで加熱した後、水に注ぐとしましょう。鉛は連続する二つの段階を通過することになります。つまり、それは二つの状態、最初は高温によって生じる状態、二番目に低温によって生じる状態を通過します。二つの段階がどのような形態を取るかは、単に熱と冷たさの性質だけによるのではなく、全く本質的に、鉛の性質自体にも依存します。異なる実質は、同じ影響に曝されても、非常に異なる変化を示すでしょう。同様に、有機体もその環境からの影響を受けますが、それらの影響を受けるときに彼らが取る状態は異なります。そして、彼らは、正に彼らの性質にしたがって、つまり、彼らを有機体として成り立たせている本質的な存在にしたがってそうするのです。そして、私たちがゲーテのアイデアの中に見出すのはこの本質的な存在なのです。それについて、つまり、彼らの本質的な性質であるところのものについて理解するときにのみ、私たちは、何故、有機体がある特定の影響に対して一定の仕方で反応するのか、何故、別の仕方では反応しないのか、ということを理解することができます。そのとき初めて、有機体が表現する形態の多様性、そして、それに関連するそれらの適合と生存競争を支配する法則についての正しい観点を形成することができるのです。(R.シュタイナーによる注:この観点は現代の進化論に疑問を投げかけるものではなく、その主張を制限しようとするものでもないということを明確にしておかなければなりません。逆に、それはそのような主張にとってしっかりとした根拠を打ち立てるものです。)。元型的な植物についてのアイデアはゲーテの心の中でますます明確ではっきりとした形を取っていました。見知らぬ植物相のただ中で移動したパドヴァの植物園では、「多分、ひとつのものからすべての植物形態を発展させられるだろう、という考えがますます生き生きとしたものになって」きました(イタリア紀行、1786年9月27日)。11月17日に、クネーベルに次のように書き送っています。結局、こうして私の若干の植物学は私に大いなる喜びを与えてくれます。より幸福で、より妨害を受けることの少ない植物相がくつろいでいるこのような土地では特にそうなのです。私は既に一般的なものへと向かう傾向を持つかなり喜ばしい観察、貴方もまたそれを心地よいと思われるような観察を行いました。1787年2月19日に、彼はローマで、「新しく美しい関係性、その自然、その膨大さ、筆舌に尽くしがたい豊かさが、いかに単純なものから多様性を発達させるかということを見出す」途上にあると書いています。5月25日に、彼は、彼が間もなく元型的な植物についての準備を整えるはずだということについて知っておいてほしいとハーダーに頼みます。4月17日には、彼はパレルモで元型的な植物について次のように書いています。「確かに、そのようなものがあるはずだ。もし、そうでなければ、もし、それらすべてが同じ型にしたがって形成されないとすれば、私はどうしてあれこれの形態が植物であると認識することができるだろうか。(イタリア紀行)」彼が心に抱いていたのは、植物を組織し、植物を植物にしている形成的な原則-それを通して自然の中の特定の対象が私たちの中に「これは植物である」という思考を引き起こすところの形成的な原則の複合体、つまり、元型的な植物でした。したがって、それは何か理想的なもの、つまり、思考においてのみ把握できるとはいえ、形態を取ることができるもの、特定の形態、大きさ、色、器官の数、等々を取るようなものです。この外的な現象は何ら固定されたものではなく、無限の多様性を経験することができ、そのすべてがあの形成的な原則の複合体と調和しながら、必然的にそれから生じるものです。私たちがこれらの形成的な原則―植物のこの元型的な像―を把握するということは、自然がそれに基づいてあらゆる個々の植物を基礎づけるところの正に根幹、彼女がそこから植物を導き出し、それを通してそれが存在するようになるのを許すところの根幹をアイデアとして把握するということです。実際、人は、この法則性にしたがえば、植物の本質的な性質から必然的に生じるような植物形態を作り出すことさえできるでしょう。そして、もし、必要な条件が生じれば、それは存在することができるでしょう。こうして、ゲーテは自然がその形成する働きの中で達成するものを思考において再現しようとします。1787年5月17日に、彼はハーダーに次のように書き送っています。「もっと言えば、私が植物の発生と組織化の秘密にきわめて近づいているということを貴方に打ち明けなければなりません。そして、それは考え得る最も単純なことです。元型的な植物は世の中で最も途方もない生き物であり、そのために自然そのものが私をうらやむことでしょう。この型とそれへの鍵をもってすれば、人は首尾一貫した植物を際限なく作り出すことができるでしょう。言い換えれば、たとえそれらが存在していないとしても、存在する可能性があり、画家や詩人の単なる思いつきではなく、内的な真実と必然性を有しているのです。同様の法則を生きとし生けるものすべてに適用することができるでしょう。(同)」。この時点で、ゲーテの観点とダーウィンのそれとのさらなる違いが明白になりますが、後者が通常どのように表現されているかを考えるとき、それは特に明白になります。(R.シュタイナーによる注:私たちはここで、経験的な事実に基づいて結論づける科学者たちが持ち出す進化論についてそれほど言及しているわけではなく、むしろ、ダーウィン主義の下に横たわる理論的な基礎あるいは原則、特に、ヘッケルに率いられたイエナ学派によって提示されるようなものですが-に言及しているのです。ダーウィン主義的な理論は、この第一級の知性において、その一面性にもかかわらず、その最も首尾一貫した表現へと至りました。)。この観点が想定しているのは、外的な影響は有機体の性質に対して機械的な原因として働き、そのようにしてそれを変化させるということです。ゲーテにとって、個別の変化は元型的な有機体の様々な表現です。そして、その元型的な有機体はその内部に多様な形態を取る可能性を有しており、いつの場合にも、その周囲の状況に最も適した形態を取ることになります。これらの外的な状況は内的な形成力が特定の仕方で現れるための外的な誘引に過ぎません。植物の中で、これらの力だけが本質的な原則、創造的な要素なのです。したがって、ゲーテは1787年9月6日に、それらを植物世界における「ひとつであり、すべてであるもの」と呼んだのです。さて、私たちがこの元型的な植物そのものを考察するとき、次のように言うことができます。生きているものとは、いずれにしてもそれ自体から様々な状態を生じさせるところの自立した総体であると。すべての生きた実体は、その構成部分の感覚的に知覚可能な特徴、あるいは、それによって以前の段階が後の段階を決定づけるような何らかの種類の機械的な因果関係によっては決定づけられないと思われるような相互作用を、その構成要素の空間的な配置においても、その時間的に遷移する段階においても現します。それらの相互作用は、むしろ、その構成要素やその段階よりも上位に立つところのより高次の原則によって支配されているのです。ある一定の段階が最初に生じ、別の段階が最後に生じるというのは総体的であるものの本質的な特徴であり、継続する中間段階もまた総体という考え方の中で決定されます。つまり、初めに来るものは最後に来るものに依存し、逆もまた真なのです。要するに、生きた有機体においては、あるものからあるものへの「展開」、ある段階から別の段階への遷移があるのであって、何か特別なものが完成し、完了した状態で存在するのではありません。そうではなく、絶えざる生成があるのです。植物の中で、このように各々の構成体が総体によって個別に決定されるのは、その器官のすべてが同一の基本的な形態にしたがって構築されているからです。1787年5月17日に、彼はこの考えをハーダーに次のように伝えています。私は、私たちが通常葉と呼ぶところの植物の器官は真のプロテウス(著者注:いかなる形態を取ることもできるギリシャの神)を有しており、それはすべての形態の中に自らを隠すこともでき、現すこともできます。後にも先にも、植物は葉に過ぎず、それは未来の種子と不可分に結びついていて、その結びつきは、片方を他方なしには考えられないほどです。動物においては、すべての個体を支配する、より高次の原則は、その器官を動かし、それらをその必要にしたがって用いるところのものとして、具体的に、私たちのところにやってくるのに対して、植物はまだそのような手に取るように分かる生命の原則を欠いています。その生命の原則はより不明確な事実、つまり、そのすべての器官が同じ形成する型にしたがって構築され―実際、植物全体が可能性としてその各々の部分の中に存在しており、適当な条件下では、それがそれらの部分から産み出される―という事実の中に現れるに過ぎません。ゲーテにとってそのことが明確になったのは、顧問官ライフェンシュタインとローマで散歩していたときに、彼があちこちで小枝を折って、もし、それらが地面に突き刺さったならば、一本の植物にまで育つだろう、と言ったときです。ですから、一本の植物とは、時間の経過とともに、同一のアイデアにしたがってすべてが構築されるような特定の器官、そして、それらの器官は互いに関連しており、各々の器官は全体と関連しているのですが、そのような器官を発達させる存在なのです。各々の植物は、植物たちから構成される調和した総体です。(R.シュタイナーによる注:正にこれらの個体がいかに全体と関係しているかについては、この序論の中の様々な箇所で議論されることになるでしょう。生きた部分的実体から構成される全体という概念を現代の動物学から借りれば、昆虫の群れの例を取り上げることができるでしょう。これは一種の生きた存在たちの共同体、独立した個体から構成される個体、より高次の種類の個体です。)ゲーテにはそのことが明らかにななりましたが、唯一残された課題は、展開する植物の様々な発達段階を詳細に記述することが可能になるような個別の観察を行うということでした。そのために必要な下地は既にできていました。私たちが見てきたように、ゲーテは既に1785年の春には、種子に関する研究を行っていました。1787年5月17日に、彼はイタリアから、胚が隠されるポイントを非常に明確に、かつ疑いもなく発見した、とハーダーに報告しています。これは植物の生における最初の段階に当たります。けれども、すべての葉の形成における統一性もまた間もなく明らかになりました。無数の例がありましたが、とりわけ新鮮なフェンネルにおいて、上方の葉と下方の葉が同じ器官であるにもかかわらず、強力に分化しているのを見出しました。3月25日(1787年)に、彼はハーダーに、子葉についての彼の研究はあまりにも昇華され過ぎており、先に進めるのは困難である、ということを知っておいてほしいと頼んでいます。花弁、雄しべ、雌しべもまた変化した葉である、ということを認めるためには、わずかな一歩しか残っていませんでした。英国人の植物学者ヒルの研究は、当時、より一般的に知られるようになっていましたが、それは花の特定の器官の別の器官への変化を取り扱うものでした。その関連で、それはゲーテのための道ならしとなりました。図1.花びらから雄しべへの変化=参考画:Change from petals to stamens 植物存在を組織する力が実際に存在するようになるとき、それらは空間的な形成過程を取ります。今や、求められているのは、これらの形態を前後に結びつける生きた概念でした。 1790年に(「植物の変容」の中で)定式化された変容についてのゲーテの研究を検証すれば、ゲーテにとってこの概念は交代する拡張と収縮の概念であった、ということが分かります。種子においては、植物の形成は最も強く収縮あるいは濃縮されています。葉で起こっているのは形成力の最初の発現と拡張です。種子において一点に圧縮されたものは、今や葉において外に向かい、空間の中へと到達します。蕾の中では、力は再び萼の軸を中心に集まります。花冠は次の拡張の結果です。雄しべと雌しべは次の収縮によって生じ、果実は第三の、そして最後の拡張を通して生じます。そして、植物の生命力全体(その活力原則)は再び最も強力に収縮した状態である種子の中に隠されます。さて、私たちはゲーテの変容についての考えを、1790年の随筆の中で、その最終形に至るまで、ずっと追っていくことができます。しかし、拡張と収縮についての彼の概念に関しては、それはそれほど容易ではありません。とはいえ、この考え(ついでに言えば、それはゲーテの精神に深く根ざしていました)は、イタリアにおいて、既に彼の植物形成についての概念の中にも織り込まれていた、と考えても間違いはないでしょう。拡張と収縮についての概念は形成力にしたがって決定されるような多かれ少なかれ空間的な展開を含んでおり、直接目に見えるような形で提示されるので、私たちがその自然な形成にしたがって植物を描けば、その概念は非常に容易に生じてくる、ということは確かでしょう。ゲーテはローマで潅木のようなカーネーションを見つけたのですが、その中で彼は特別な明晰さをもって変容を知覚することができました。このすばらしい形態を保存する方法を見つけられなかったので、私はその正確な描写を試みました。そして、それによって、私は変容についての基本的な概念に対する洞察を深めたのです。彼はそのような描写をしばしば行い、それによって、当の概念に導かれたのかも知れません。1787年9月、再度ローマに滞在していたゲーテは友人のモーリッツにその問題について、つまり、そのような描写を通して、それがいかに生きた活力あるものになるかが分かった、ということについて解説しています。何かが議論されると、それらは必ず書き留められました。この(「イタリア紀行」の中の)文章やその他のゲーテの言葉から、変容についての彼の研究における最初の少なくとも金言的な定式化もまた、既にイタリアで行われていたと思われます。彼は続けます、「私はこうして―つまり、モーリッツに提示することによって初めて、私の考えのいくつかを紙に書き留めることができました」と。こうして、その仕事が今の形で書かれたのは1789年末から1790年初めにかけてであった、ということに疑いはありませんが、この原稿の中で、どれほどが単なる論説であって、当時どれほど書き加えられたかを決めるのは困難なままに留まります。次の謝肉祭の書籍フェアに向けた本の告示はいくつかの同様の考えを含んでいたかも知れません。そして、それは1789年秋には、ゲーテがその考えを取り上げ、それらの出版に向けて準備をするための誘引になったかも知れません。11月20日に、ゲーテは、植物学についての彼の考えを書き留めるように駆り立てられていた、と大公宛てに書き送っています。彼は早くも12月18日には、イエナの植物学者バッチに読んでもらうために原稿を送付し、20日には、それについてバッチと自分で議論するためにそこに赴き、22日には、バッチがそれを好意的に受け取ったとクネーベルに報告しています。帰宅した彼は再度推敲し、もう一度原稿をバッチに送付したのですが、彼は1790年1月19日にそれを送り返したのです。その原稿とその印刷版がその後辿った運命については、ゲーテ自身によって長々と記述されています。彼の変容についての概念とその特徴の大いなる重要性については、この後の第4章「有機的形態論に関するゲーテの著作の本質と重要性」で取り扱われる予定です。 (第2章了)
2024年05月25日
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ルドルフ・シュタイナーゲーテの自然科学論序説 並びに、精神科学(人智学)の基礎 (GA1)Einleitung zu Goethes Naturwissenschaftlichen SchriftenZugleich eine Grundlegung der Geisteswissennschaft(Anthroposophie) 佐々木義之 訳■ゲーテの自然科学論序説~並びに、精神科学(人智学)の基礎~ GA1 ◎第1章 緒論 2008.10.4.登録◎第2章 ゲーテの変容についての概念の起源 2008.10.4.登録◎第3章 動物の形態学に関するゲーテの思考の起源 2009.1.5.登録◎第4章 ゲーテの有機形態論に関する著作の本質と重要性 2009.8.12.登録◎第5章 ゲーテの形態論についての結語 2009.11.8.登録◎第6章 ゲーテの認識方法 2009.11.8.登録◎第7章 ゲーテの科学的著作集の編集(2009.11.8.登録◎第8章 芸術から科学へ 2009.11.8.登録◎第9章 ゲーテの認識論(2010.1.11.登録◎第10章 ゲーテのアイデアという光の下での認識と行為 2010.6.14.登録◎第11章 他の観点と比較したゲーテの思考方法 2010.8.23.登録◎第12章 ゲーテと数学 2010.11.4.登録◎第13章 ゲーテの地質学上の基本原則 2010.11.4.登録◎第14章 ゲーテの気象学上のアイデア 2010.11.4.登録◎第15章 感覚的な知覚の主観性について 2010.11.4.登録◎第16章 思索家、そして研究者としてのゲーテ 2011.6.20.登録◎第17章 ゲーテ対原子論 2011.9.19.登録◎第18章 ゲーテの「散文の中の韻」における世界観 2011.11.1.登録第1章 緒論 佐々木義之訳 1787年8月18日、イタリアにいたゲーテはクネーベルに次のように書き送っています。ナポリ周辺やシシリア島の植物や魚たちの中に私が見たのは、私がもう十歳若かったら、インドに旅してみようと思わずにはいられなかったであろうというようなものでした。何か新しいものを見つけるためにではなく、既に発見されているものを私自身の方法で観察するために。この言葉は、ゲーテの自然科学論を考察するための視点を与えてくれます。彼にとって問題だったのは、何か新しいことを発見するということではなく、「新しい見通しを開く」、ある特別な仕方で自然を眺めるということでした。ゲーテが数多くの偉大な発見、例えば、顎間骨の発見や頭蓋脊椎理論の提唱といった骨学上の業績の他、植物の器官と葉との間の内的な相似性といった植物学上の発見等々を行ったのは確かです。けれども、自然についての壮大な観点こそが、これらすべての個々の業績に浸透していたところの生き生きとした魂だったのです。それらの業績はこの観点に基づいてなされました。有機体に関するゲーテの研究においては、ひとつの偉大な発見は他のすべての発見、それは有機体そのものの本性についての発見に影を投げかけていました。ゲーテは、ひとつの有機体が何故そのように現れるかという原則について、つまり、生命がその外的な表現へと導かれる要因について詳述しています。実際、彼は、そのようなことがらに含まれる原則に関して、あらゆることに光を当てているのです。有機的な科学の分野におけるゲーテの努力は、初めからその目標(*生命がその外的な表現へと導かれる要因)に向けられていました。彼がその目的を追求するとき、発見は自然に生じました。ですから、彼はさらに努力を重ねていく上で、それらが妨げにならないようにしなければなりませんでした。ゲーテ以前の自然科学は生命現象の本質に気づいていませんでした。有機体を探求するとき、ちょうど無機的な現象を探求するときのように、単に部分的な組成や外的な特徴を探求するにとどまっていたのです。したがって、そのような古い科学は、しばしば詳細なことがらについて不正確な説明をし、偽りの光の下にそれらを提示してきました。もちろん、個別のことがら自体を探求しても、そのような間違いが露見したりはしません。説明的な判断は私たちが有機体を理解して初めて可能になるのです。何故なら、特殊なことがらを個々に考察しても、それらを説明する原則はそこには含まれていないからです。それらは全体としての自然を通してのみ説明され得るのですが、それは、それらに存在と意味を与えているのは「全体」であるからです。ゲーテは全体としての自然を発見した後で、初めてそれらの説明の間違いに気づきました。それらの説明は、生きた存在についての彼の理論とは相容れないものであり、矛盾するものだったのです。そこから少しでも先に進もうとするのであれば、そのような偏見は取り除かれなければなりませんでした。顎間骨の場合がそうです。例えば、背骨の特徴を持つものとしての頭蓋の理論のようなものがあって初めて有効で興味あるものとなるというような事実は以前の自然科学には知られていませんでした。これらすべての障害は個別の発見を通して取り除かれる必要がありました。ですから、ゲーテの場合、これらの発見は決してそれ自体が目的ではなかったのです。それらが必要とされたのは、いつの場合でも、大いなる考えを確証するため、彼の「中心的」な発見を確認するためでした。ゲーテの同時代人たちが結局は同様の観察を行ったこと、ゲーテの努力がなかったとしても、恐らく今日ではそれらすべてが知られるようになっていたであろうということを否定することはできません。しかし、今日まで、有機的な自然のすべてを包括する彼の偉大な発見を、あれほどまでにすばらしい方法で、独立して定式化した人は誰もいないということを否定するのは、もっとはるかに難しいことでしょう。実際、彼の発見についてのいくらかましな評価でさえ未だに欠けているのです。 R.シュタイナーによる注:この関連で、私たちは、ゲーテが全く理解されてこなかったと言っているのではありません。むしろ、私たちはこの文章の中で、繰り返し、ゲーテの考えを推し進め、洗練させてきたと思われる人たちに言及しています。その中には、フォイクト、ネース・フォン・エーゼンベック、ダルトン父子、シェルバー、C.G.ガルス、マルティウス、その他等々が含まれます。けれども、これらの人たちは、ゲーテの著作の中で据えられた観点を基礎として、その上に彼らの体系を構築しています。ですから、彼らについて言えることは、彼らは「ゲーテなしに」彼らの概念に至ることはなかったであろうということです。他方、ゲーテの同時代人たちは、例えば、顎間骨の場合にはゲッチンゲンのジョセフィ、背骨理論の場合にはオーケンですが、独立してそれらの発見に至っています。 このような基本的な観点からすれば、ゲーテがある事実を最初に発見したのか、あるいはただそれを再発見しただけなのかを問題にするのは不適切なことのように思われます。と申しますのも、その事実が真の意義を有するのは、彼がそれを彼の自然についての観点に適合させるときのその仕方によってだからです。それはこれまで見過ごされてきたことです。特殊なことがらがひどく強調されてきたのですが、それは不当な挑発や論争を呼び起こすことになりました。確かに、自然の一貫性についてのゲーテの確信はしばしば指摘されてきたことですが、それは彼の観点におけるほとんど重要ではない特徴に過ぎないということに気づくことなくそうされてきたのです。例えば、無機的な科学における主要な目的は、この一貫性の基礎となるものを明らかにするということでしたが、もし、それを「型」と呼ぶのであれば、ゲーテにとって型の本質的な特質(*形質)とは何かということが分かっていなければなりません。例えば、植物の変容に関して重要なのは、葉、萼、花冠等々が同一の器官であるという個別の事実を発見するということではないのです。そうではなく、相互に貫通する形成的な諸原則から成る生きた総体について思考された壮大な構造が重要なのです。その発見から生じるこのダイナミックな思考された構造は、植物の発達の詳細や個々の段階をそれ自身から決定します。このアイデアの偉大さが、その後、ゲーテは動物界にもそれを拡張しようとしました。私たちの上に啓(ひら)けてくるのは、私たちがそれを私たち自身の心の中で生命へともたらすように試み、それを再考察しようと試みるときだけです。それは、私たちが、この思考された構造は正に植物自身の本性であり、ひとつの「アイデア」の形へと翻訳されたものである、それはちょうど対象の中に生きるように私たちの心の中にも生きているということに気づく瞬間です。私たちはまた、それを死んだもの、完成された対象としてではなく、進化し、生成し、決して自分自身の内部で止むことのないものとして思い描くとき、私たちは私たち自身で、ひとつの有機体を、正にその最小の部分に至るまで、生命へともたらすのを観察することになります。次章からは、ここで示されたものすべてを詳細に提示するように試みることになりますが、同時に、ゲーテ的な自然観と今日の自然観、特に現代の進化論との真の関係を見ていくことになるでしょう。 (第1章了)参考画:long-lived trees
2024年05月24日
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ルドルフ・シュタイナー真相から見た宇宙の進化 Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen第5講 地球期における地球の内的側面 ベルリン 1911年12月5日 佐々木義之 訳 今回の連続講義の中で、これまで私たちが私たちの魂の前に置いてきたのは、私たちがマーヤあるいは大いなる幻想と呼ぶあらゆるものの背後には精神的なものが立っているということを示す一連の観察結果でした。今日は、もう一度、私たち自身に問いかけてみましょう。私たちは、私たちを取り巻くすべてのものの背後には精神的なものが認められる、ということを、私たちの物理的な身体を通してもたらされるような私たちの感覚や宇宙についての理解という観点から、どうすれば知るようになるのかと。これまでの探求の過程で、世界の直接的、外的な現象はさておき、真の現実についての特徴に貫き至るように努めることによって、私たちは精神的なものを特徴づけることができました。そして、その特徴を、喜んで犠牲を捧げること、与える徳、そして、諦め、あるいは拒絶、それらは私たちが私たち自身の魂の中をのぞき込んだときにだけ知るようになる特徴でと見なしました。実際、その特徴は私たち自身の魂の文脈においてのみ理解し、受け取ることができるようなものなのです。言い換えれば、もし、幻想世界の背後で、現実的かつ真実なるものを体現していると考えられる、あの特徴を理解したいのであれば、それらをその真の本性において理解したいと望むのであれば、私たちは次のように言わなければなりません。真の存在や実在から成るこの現実の世界は現実的で生きた特徴あるいは性質を含んでいる。しかし、それは私たちが私たち自身の魂の中で知覚することができる特徴とだけ比べられるようなものであると。例えば、外的には熱として自らを現しているものを特徴づけたいのであれば、それを、捧げられる犠牲、世界の中に流れ出す犠牲というようなその真の本性との関連で特徴づけようとするのであれば、私たちは熱の要素を精神的なものにまで辿るとともに、外的な存在性のヴェールを取り払い、それによって、外的な世界の中のこの特徴は私たち自身の精神的な本性と同じものであることが分かるということを示さなければなりません。私たちは、観察を続ける前に、もう一つ別の考えについて考察しなければなりません。それは、私たちが幻想の世界の中に見いだすあらゆるものは本当に一種の無の中に消え去るのかということについてです。感覚知覚と外的理解の世界には、いわゆる真実あるいは現実であるところのものに対応するものは何もないのでしょうか。次のような比較をしてみてもよいでしょう。私たちは、ちょうど水塊の中には流れの内的な力、あるいは、正に大海そのものが隠されているように、真実あるいは現実の世界はさし当たり隠されていると言うかも知れません。ですから、マーヤの世界は水の表面の波の働きと比べられるかも知れません。それは、何かが実際に大海の底からわき上がって来て、表面にさざ波を生じさせるということを私たちに示します。ですから、それは正しい比較であり、それはまた、この何かとは水の実質であり、水の力による一定の配列であるということをも私たちに示します。けれども、あれこれの比較を行うことが重要なのではありません。私たちはさらに、広大なマーヤの領域内には「本当に」存在しているものはあるのかと問わなければなりません。今日、私はこれまでの講義で行ってきたようにして話を進めて行きたいと思います。ここでは、私たちの魂の経験を出発点として、私たちが私たちの魂の前に置こうとしているものへと徐々に近づいていくことにしましょう。「土星」、「太陽」、そして「月」存在としての進化を精神的に辿った後、私たちは今や「地球」存在へとやって来ました。ですから、前回までに比べると、より親しみのある、より一般的とさえ言える魂の経験から始めることになります。前回は、魂生活の隠れた深み、すなわち、精神科学がアストラル体と呼ぶものの中に生じるところのものを見てきました。そこでは、あこがれがざわめくのを感じるとともに、ある存在の内部で、この場合には人間ですが。あこがれがいかに作用するかを見てきました。私たちはまた、魂生活におけるそのようなあこがれが、いかに像の世界においてのみ和らげられ得るかということも見てきました。私たちは像の世界を魂生活における内的な動きとして理解するようになりました。そして、それによって、個々の魂の小宇宙から、私たちが運動霊に帰属させた創造する世界の大宇宙へと続く道を見いだしたのです。ですから、今日は、よく知られた魂の経験、そして、それは古代ギリシャ人に示唆され、よく知られていたと同時に、今日でもその真実性においてきわめて意味深いものですが、そのような経験を私たちの出発点にしたいと思います。この経験は次のような言葉によって暗示されるでしょう。すべての哲学は、つまり、ある種の人間の知へと向かうすべての努力は驚きから生じる。実際、この言い方は正当なものです。多少なりとも、ものを考え、何らかの学びに近づこうとするとき、自分の魂の中で生じるプロセスに注意を払う人であれば誰であれ、認識への健全なる道はその起源を、驚き、あるいは、何かに驚くことに有しているということを既に見いだしているでしょう。、すべての学びの過程はそこから生じる驚きと不思議は、単調で、空虚で、無味乾燥なものを高揚させ、それに生命を吹き込みます。と申しますのも、私たちの魂の中に生じた知識で驚きから生じなかった知識とはどういう種類のものでしょうか。それは空虚と学者趣味に浸かった知識に違いありません。驚きから生じて、謎を解く中で経験する無上の喜びへと導く魂の過程だけが―それは驚きを越えたところへと上昇します。つまり、驚きに始まる魂の過程だけが、学びを高貴なものにし、それを内的に生き生きとしたものにします。皆さんは、実際、これらの内的な感情に満たされていない知識がいかに無味乾燥なものかを感じ取るようにしなければなりません。真の健全な知識は、驚きと、謎を解く喜びという文脈から生じます。他の種類の知識は外側から獲得され、あれこれの基盤の上に適用されます。しかし、これらふたつの感情に包み込まれていない知識は、それがいかに真剣なものであれ、本当には人間の魂からわき上がって来るものではありません。知識の中の生きた要素が醸し出す雰囲気によって生じる知識の「アロマ(芳香)」はすべてこれらふたつのことがら、驚き、不思議を解く喜びから生じるのです。しかし、驚きそのものの起源とはどのような種類のものでしょうか。驚き、すなわち外なるものへの驚嘆が魂の中に生じるのは何故でしょうか。驚きや驚愕が生じるのは、私たちが何らかの存在、事物、あるいは事実の前に立ち、それによって不思議な喜びを感じるからです。この不可思議さが驚きや驚異に導く最初の要素です。けれども、私たちは、私たちにとって不思議なものすべてについて驚きや驚愕を感じるわけではありません。私たちが何らかの不可思議なものに対する驚きを体験するのは、同時に、私たちがそれと関係していると感じられるときだけなのです。この感情は次のように言うことによって表現することができるでしょう。この物、あるいは存在の中には、まだ自分の一部にはなっていないけれども、自分の一部になるかも知れない何かがあると。私たちが驚きや驚愕をもって何かを受け取るとき、私たちはそれを不思議であると同時に、私たちに関係していると感じているのです。「(*不可思議なものに対する)驚き」という言葉は、「(*雷に打たれたような)驚愕」という言葉と関係があります。知覚可能な関係を見いだすことができないような驚きという現象に、何かが付け加えられるのです。けれども、それは単にその人の間違いかも知れません。少なくとも、責任はその人にあるはずです。そして、その人物は、仮に、彼または彼女がその「不可思議な」何かは、彼または彼女に関係しているはずだと結論づけないかぎり、拒絶や反論の精神をもって、その物あるいはできごとにアプローチすることはないでしょう。と申しますのも、唯物論的な、あるいは純粋に知的な概念に基づいて行動する人たちは、例えば、他の人たちがひとつの驚きであると認識しているものを、それが嘘あるいは不真実であるという直接的な証拠がないにもかかわらず、何故、否定するのでしょうか。今日では、哲学者でさえ、人間の目の前に広がっている世界の現象に基づいたのでは、ナザレのイエスの中に受肉したキリストは死者の中から甦らなかったと証明することは決してできないということを認めざるを得ないでしょう。この主張に対する反論は可能ですが、それらがどのような反論であれ、論理的な意味では、持ちこたえられません。今日の啓蒙主義的な哲学者たちは既にそれを認めています。何故なら、唯物主義の側から持ち出され得る反論、例えば、今まで、キリストが死者の中から甦ったようにして甦った人を見た者はいないというような反論は、論理的には、魚しか見たことがない者は、鳥は存在しないと結論づけなければならないという主張と同じレベルにあるからです。ある種の存在がいるということに基づいて、別の存在がいないということを導き出すのは、論理的に首尾一貫した方法によっては、不可能なのです。同様に、物理的な世界の中で人間が経験することに基づいたのでは、ゴルゴダのできごと、それは「驚き」として記述されなければならないについて、何も導き出すことができません。とはいえ、もし、皆さんが誰かに「奇跡」として記述されなければならないようなことについて語り、その人物が「私には理解できない」と言ったとしても、この人物は私たちが驚きの概念について話したことに対して反対しているのではありません。何故なら、その人物は、彼または彼女にとって同じように真実であるようなあらゆる知識へと向かうときには、それと同じ出発点に立つということを示しているからです。その人物は皆さんの記述が彼または彼女自身の内部でこだますることを求めているのです。ある意味で、その人は、自分に伝えられることを精神的あるいは概念的に自分のものにしたいのですが、それが可能であるとは信じられず、自分に関係があることであるとも考えられないために、その受け入れを拒否するのです。私たちは自分自身の「驚き」の概念に到達することができますが、驚きや驚愕が生じるためには、すべての古ギリシャ哲学の観点から言えば、人間が何か不可思議なものに直面し、それと同時に、何か関係があるもの、よく知っているものがそこにあると認識できなければならない、ということを認めなければならないでしょう。さて、ここで、以上の概念と、前回、私たちが私たちの魂の前に置いたあれらの概念との間に橋を架けることを試みてみましょう。前回お示ししたのは、喜んで犠牲を捧げようとする存在たちがいるということ、そして、ある存在たちがこれらの捧げものの受け取りを拒み、その犠牲がそれらを捧げた存在たちに戻ってくることによって、いかにある一定の前進が進化の中にもたらされるかということでした。私たちは、差し戻される犠牲の中に、古「月」進化期における重要な要素のひとつを認めました。実際、ある存在たちがより高次の存在たちに犠牲を捧げ、そして、後者がそれを差し戻したということが、古「月」進化期における最も重要な側面のひとつなのです。こうして、月存在たちの犠牲の煙がより高次の存在たちに向かって立ち上りますが、その存在たちは犠牲を受け取ろうとはせず、そのため、その煙は、実質として、犠牲を捧げようとした存在たちの中に導かれ戻されました。「月」存在たちに関して最も特徴的なのは、彼らがより高次の存在たちの元へと送り届けようとしたものが犠牲の実質として彼ら自身の中へと突き返されるのを感じたという点であるということもまた私たちは見てきました。そうですね、確かに、私たちが見てきたのは、より高次の存在たちの一部になろうとしたけれども、そうすることができなかった実質は、正にそれを送り出した存在たちの中に取り残されるということ、そして、そのことによって、拒絶された犠牲を差し出したこれらの存在たちの中に、あこがれへと向かう能力が生じたということでした。実際、私たちが私たちの魂の中であこがれとして経験するものすべての中には、古い「月」の上で生じたものの遺産、その犠牲が受け入れられなかったことを知った存在たちの遺産が今なお存在しているのです。古い「月」の発達期と、その精神的な雰囲気を精神的な観点から理解するとすれば、それは、当時、犠牲を捧げようとしたけれども、より高次の存在たちがその受け取りを差し控えたために、それが受け入れられなかったことを知った存在たちがいたという事実によって特徴づけられるでしょう。古い「月」の特徴的な雰囲気の背後にあるのは、他に類を見ないような憂鬱な状況、つまり、拒絶された犠牲なのです。そして、カインもまた彼の犠牲が受け取られなかったのを見たのですが、地球における人類進化の出発点を指し示すこのカインの拒絶された犠牲は、カインの魂を捉えた古い「月」進化の基本原則の繰り返しであるかのように現れます。ちょうど、古い「月」状態における存在たちの場合のように、そのような拒絶とは、あこがれを生み出す悲しみや痛みを私たちの中に生じさせるような何かなのです。私たちは、前回、古い「月」上に運動霊が入ってきたことによって、犠牲とそれが受け取られなかったことで存在たちの中に生じたあこがれとの間にバランスあるいは矯正が生じたということを見てきました。少なくとも、犠牲が拒絶された存在たちの中に生じたあこがれがある程度満足させられる可能性が創出されたのです。最も生き生きとした方法で次のように想像してください。犠牲を捧げられるべきより高次の存在たちがいますが、彼らはその犠牲の実質を送り返します。犠牲行為を行おうとした存在たちの中にあこがれが生じ、彼らは今や次のように感じます。「もし、私が犠牲を与えることができていたとしたら、私の中の最良のものがあれらの存在たちの中で生きることになっただろう。実際、私自身があれらの存在たちの中に生きていたことだろう。けれども、私はこれらの存在たちによって排除された。私はここに、そして、より高次の存在たちは向こうに立っている。」けれども、今や、運動霊に(私たちはこのことをほとんど文字通り理解しなければなりません)よって、これらの存在たちは、その中では拒絶された犠牲から来るあこがれが、より高次の存在たちに向かって煌めいているのですが、多くの異なった側面から、より高次の存在たちに近づくことができるような地点へともたらされます。拒絶された犠牲を捧げた存在たちを取り巻く、それのより高次の存在たちから受け取る豊かな印象によって、拒絶された捧げものとしてこれらの存在たちの中に留まっているものに均衡と補償がもたらされます。こうして、犠牲を捧げようとした存在たちとそれを拒絶したより高次の存在たちとの間にひとつの関係が創り出されます。それらの新たな関係によって、捧げものが差し戻されたために満たされることがなかったものが、あたかも犠牲が受け取られたかのように補償されるのです。もし、私たちが、より高次の存在たちを象徴的に太陽として視覚化し、より劣った存在たちが、ある一点にひとつの惑星として集まるものとして視覚化するならば、ここで意味していることを明確にすることができます。より劣った惑星の存在たちがその犠牲をより高次の惑星、つまり太陽に捧げることを欲すると仮定してみましょう。けれども、太陽はそれを差し戻し、犠牲の実質はそれを捧げた存在たちとともに留まらなければなりません。これらの存在たちは、その孤独と隔離の中であこがれに満たされます。そして、運動霊が彼らをより高次の存在たちの周りを巡る周回へともたらします。今や、犠牲を自分自身の中に保持する存在たちにとっては、より高次の存在たちに向けて直接、犠牲実質の流れを送り出す代わりに、その実質を彼らの周りを巡る動きへともたらし、それによって、その犠牲をより高次の本質を有する存在たちとの関係へともたらすことが可能になりました。それはちょうど、深いあこがれが、ひとつの大いなる達成によってではなく、一連の部分的な満足を経験することによってなだめられるようなものです。その人の魂全体が、そのような一連の部分的な満足によって、動きへともたらされるのです。私たちは前回このことを非常に正確に記述しました。私たちは、より高次の存在たちと内的に結ばれていると感じられない存在に、外から来る印象がひとつの代替物として生じるのを見てきました。これらの代替物としての満足は、そのような存在がいかに部分的な充足を達成するかということを私たちに示しているのです。けれども、捧げられるように意図された犠牲は、より高次の存在たちの中では、より低次の存在たちの中に留まったときに取る形態とは異なる形態を取ったであろうということは否定できません。と申しますのも、実際には、その意図された存在形態にとっての必要条件はより高次の存在たちの中にあるからです。ここでもまた、私たちはこれを図象的に想像することができます。もし、ある惑星の実質全体が「太陽」の中に流れ込んでいたとすれば、「太陽」がそれを拒絶しなかったとしたら、この惑星存在たちは、「太陽」存在として、「太陽」がその実質をその惑星に差し戻していたとしたら見いだしていたはずの条件とは異なる存在条件を見いだしていたはずです。私たちが犠牲の内容と呼ぶべきものの疎外(それはこの犠牲実質のその起源からの疎外)はその拒絶を通して生じるのです。次のことについてよく考えてみてください。存在たちが喜んで犠牲として捧げようとしたもの、つまり、その真の目的が達成されるのはそれが捧げものとして差し出されるときだけであると彼らが感じるようなもの、それを彼らは彼ら自身の内に保持せざるを得ません。もし、皆さんがそのような存在たちの経験を甦らせることができるならば、私たちが、「宇宙存在たちのある部分が自らの本質的な意味から、そして、偉大な宇宙の目的から排除されたできごと」と呼ぶところのものを経験するはずです。存在たちは絵画的に語るとすれば、実際には別の場所でその目的を達成できたはずの何かを彼ら自身の内に保持します。その結果、拒絶された犠牲の煙が排除されたこと、そのような犠牲の実質の排除によって、その犠牲実質はそれ以外の宇宙進化の過程から排除されるのです。もし、皆さんが、表現されていることを、単に皆さんの知性によってではなく、と申しますのも、知性はそのようなことがらに関しては機能しないからですが、皆さんの感情で把握するならば、皆さんは、普遍的な宇宙のプロセスから引き離されるということがどういうことなのかを経験するでしょう。犠牲を拒絶した存在たちにとっては、何かを彼ら自身から遠ざけたということに過ぎません。けれども別の存在たち、その中に犠牲の実質が留まる存在たちにとっては、それは自分自身の起源からの疎外という刻印を担っているような何かです。そのとき、そこにいるのはその実質が自分自身の起源から疎外されたことを示しているような存在たちです。このことを注意深く理解するならば、もし、それ自身の起源からの疎外がその中に潜んでいるような何かについてのこの考えを注意深く魂の前に置くならば、それは死についての考えであるということが分かります。宇宙における死とは、その犠牲が拒絶されたために、それを自分自身の内に保持せざるを得なかった存在たちの内部で生じたものに他なりません。こうして、私たちは、私たちが進化における第3の段階で見いだした諦めと拒絶から、より高次の存在たちによって拒絶されたもの、すなわち死へと進んで来ました。そして、死の真の意味とは、本来の場所に居るのではなく、本来の場所から排除された状態にあるということに他なりません。死が人生において具体的に発生するときにも同じ原則が当てはまります。幻想の世界に取り残される死体を見ますと、それは、死に際して、自我、アストラル体、そしてエーテル体から引き離され、それによって、肉体としての唯一の真の意義をそれに付与したものから疎外されることになった実質だけから構成されているのが分かります。人間の肉体は、エーテル体、アストラル体、そして自我なしには意味がないものだからです。死の瞬間に、肉体はその意味を失うのです。それはその意味の源泉から疎外されます。人が死ぬとき、もはや感覚では知覚できないものが、大宇宙の中で、自らを私たちに開示します。より高次の領域における宇宙的な存在たちが、犠牲として彼らにもたらされようとしたものを投げ返したために、この犠牲の実質は死を免れないものとなりました。死とは宇宙的な実質あるいは宇宙的な存在がその真の目的から除外されるということだからです。記:死についての哲学的な視点を考えると、宇宙的な存在がその真の目的から除外されるという観点は興味深いものですが、いくつかの視点を共有します。物理的な視点:宇宙的な存在(物質やエネルギー)は、物理法則に従って相互作用し、変化します。死は、この物理的な過程の一部であり、エネルギーの転換や物質の再構成として捉えられます。したがって、宇宙的な存在がその真の目的から除外されるという視点は、物理的な現象の一側面を考慮しています。哲学的な視点:エクスキューズ(exculsion)という概念は、哲学的な議論においても重要です。これは、ある条件や要因によって他の要因が除外されることを指します。死が宇宙的な存在にとってエクスキューズであるとする視点は、人間や他の生物が死を通じて新たな次元や状態に移行することを意味するかもしれません。宗教的な視点:宗教的な信念によって、死は魂の旅路や永遠の存在への移行と結びつけられることがあります。例えば、キリスト教では死後の世界があり、神との交わりが待っているとされています。この視点では、死は宇宙的な存在が真の目的へ向かうための一歩となる可能性があります。個人的な視点:人々は個々の経験や信念に基づいて死を解釈します。自己意識や人生の目的についての考え方、宇宙的な存在とのつながりによって、死に対する意味が異なります。以上の視点は、死に対する真の目的を探求する際に考慮すべきものです。宇宙的な存在がその真の目的から除外されるという視点は、私たちが人生と死について考える上で、新たな視座を提供してくれるものと言えるでしょう。 こうして、私たちは私たちが宇宙における第4の要素と呼ぶところのものへとやって来ました。もし、火がその純粋な意味において犠牲であるとすれば、火あるいは熱が生じるところでは、どこでもその背後には犠牲が横たわっています。私たちが、私たちの地球の周りに空気として広がっているものの背後に、贈り物を与えること、あるいは徳の付与を見いだすとすれば、私たちが、流れる水、すなわち流体の要素を精神的な諦めあるいは拒絶として特徴づけるとすれば、土の要素については、死を担うものとして、拒絶を通してその意味から疎外されたものとして特徴づけなければなりません。仮に、土の要素がなかったとしたら死は存在していなかったでしょう。ここには、いかに流体から固体が生じるかを具体的な形態において示す何かがあります。そして、それはまた、ある意味で精神的な過程を反映しています。例えば、池に氷が張り、それによって水が固体になると想像してみてください。水の氷への変換が生じるのは、実際、水に水としての意味を与えているものから水を引き離すものによってです。この過程の中には、固体になるということの精神的な表現、土になるということの精神的な表現があります。と申しますのも、4大元素としての特徴に関して言えば、氷は実際には土だからです。つまり、液体であるとろこのものだけが水なのです。自らの目的と意味から引き離されること、それは私たちが死と呼ぶものであり、死は土の要素の中で自らを開示するのです。私たちは、幻想(マーヤ)の世界の中に、何か現実的なものがあるのか、その内部に何か現実に対応するものがあるのかという問いから始めました。今私たちが私たちの魂の前に置いた概念を注意深く考えてみてください。最初に私が皆さんに申し上げたのは、今回の講義で取り上げる概念はかなり込み入ったものになるということでした。ですから、私たちはそれらを単に知的に受け止めるのではなく、それを瞑想しなければなりません。そうしたときに初めて、それらは私たちにとって明らかなものとなるでしょう。この死の概念、すなわち土に関連するものについての概念を取り上げてみましょう。それは実に注目すべき側面を示しています。私たちが取り扱ったすべての他の概念については、私たちの周囲に広がるマーヤの世界の中にはいかなる現実性も見いだされず、真実なるものはただ根本的に精神的なものの中においてのみ見いだされると言わなければなりません。けれども、私たちがここで確認したのは、マーヤの領域において、何かが死として自らを特徴づけるということでした。それは、それが正にその目的から引き離されたものであり、本当は精神的な領域の中に存在すべきものであったということによります。つまり、何かが切り離され、このマーヤの中に閉じこめられたのです。それは本当はそこにあるべきでものではなかったのです。マーヤと幻想の広大な領域のすべてを通して見いだされるのは偽りと幻想だけです。しかし、私たちは、マーヤの中で何かが真実に対応しているということ、つまり、何か真実であるところのものが、精神的なものの中でそれに意味を与えるものから切り離される瞬間、破壊と死を被るようになるということを見いだします。ここには正に大いなる真実と言えるようなものがあります。つまり、死は「マーヤの世界の中で、ただひとつ、その現実性において自らを現している」のです。他のすべての表現に関しては、それに対応する現実へと辿らなければなりません。マーヤの中に生じる他のすべての表現の背後には、現実であるところのものが横たわっているのです。ただ、死に関してだけは、それが現実的なものとして見いだされるのは、マーヤの中においてなのです。つまり、マーヤの領域全体を通して、死だけが現実なのです。ですから、もし、私たちが、普遍的なマーヤの中の至るところに広がっているものから偉大な宇宙の原則へと向かうならば、精神科学にとって最も重要で最も適切な帰結とは次のような命題であるということ、つまり、私たちのマーヤの世界において、何か現実的なものとして存在しているのは死だけであるということが分かります。ここで私が言おうとしていることは別の面からアプローチすることもできます。例えば、私たちの周囲を取り囲んでいる別の領域に属する存在たちについて考えてみることができます。次のように問うことができるでしょう。例えば、鉱物は死ぬのかと。鉱物が死ぬというのは神秘学者にとっては意味をなしません。と申しますのも、それは、切り取られた爪は死んだと言うのと同じだからです。爪は、それ自身の存在に対して、それ自身がそれ自身で正当性を有しているものではありません。それは私たちの一部であり、私たちが爪を切るとき、私たちはそれを私たちから切り離し、それが私たちと共にしていた生命から引き離します。それが死ぬのは私たち自身が死ぬときだけです。それと同じ意味で、精神科学にとって、鉱物は死にません。鉱物は、ちょうど、爪が私たちの有機体の構成要素であるように、より大きな有機体の構成要素に過ぎないからです。そして、鉱物が破壊されたように見えるとしても、それは、ちょうど爪の一部が切り取られて私たちの有機体から切り離されるように、単に大いなる有機体から引き離されているに過ぎないのです。鉱物の破壊は死ではありません。と申鉱物は、それ自身が、それ自身で生きているのではなく、むしろ、それをひとつの構成要素とするより大きな有機体の内に生きているからです。もし、皆さんが、植物の本性についての私の講義を思い出されるならば、植物自体もまた独立した存在ではないということが分かるでしょう。植物もまた地球有機体の構成要素なのですが、それは必ずしも鉱物がより大きな有機体の一部であるような仕方においてそうなっているのではありません。精神科学的な観点から言えば、個々の植物の生について語ることには意味がなく、むしろ、地球有機体について語るべきなのですが、それは、植物がこの有機体の至るところでその一部になっているからです。植物の死に関しては、指の爪を切るときの状況に似ています。指の爪が死んだと言うことはできません。植物についても同様です。何故なら、彼らは、地球全体に等しいより大きな有機体に属しているからです。地球はひとつの有機体です。それは春になると眠りにつき、その器官としての植物を太陽に向けて送り出します。秋には、再び目覚めて、植物を自らの中に精神的に取り戻しますが、それはその種子をその存在の内部に受け入れることによってそうするのです。植物を個別のものとして見るのは無意味です。それは、たとえ個々の植物が枯れたとしても、総体としての地球有機体が死んだわけではないからです。同様に、私たちの髪が白くなっても、私たちは死にません。たとえ私たちが私たちの白い髪を、少なくとも何らかの自然な方法によっては、黒くすることができないとしても、私たちが死ぬことはありません。もちろん、私たちは植物とは異なる立場にあります。しかし、地球は白い髪を黒い髪に戻すことができる人間に喩えることができるでしょう。地球自体が死ぬことはありません。私たちが、しおれる植物の中に見るのは地球の表面で生じている過程です。彼らはしおれますが、それでも、植物が真の意味で死ぬと言うことはできません。動物もまた、私たちが死ぬような仕方で死ぬとは言えません。個々の動物は真の意味では存在していないからです、その動物の集合魂が超感覚的な世界の内部に存在しています。真に動物であるところのもの、つまり、その真の存在は、アストラル平面上において、集合魂としてのみ存在しているのです。個々の動物は、その集合魂から濃縮されて出てきます。そして、その動物が死ぬと、それは集合魂の構成要素として取り置かれ、そして、別の動物に置き換えられるのです。ですから、私たちが、鉱物、植物、動物界において、死として出会うところのものは、単に見かけ上のもの、死の幻想に過ぎません。現実には、「人間だけが死ぬのです。」それは人間が個別性を発達させ、肉体の中に下降するまでになっているからです。人は、その肉体の中で、地上的な存在性を担うことによって、現実的なものであろうとしているのです。死に意味があるのは、地上に存在している間の人間にとってだけなのです。このことを把握すると、「人間だけが実際に死を経験することができる」と言わなければなりません。さらに言えば、精神科学的な探求から学ぶことができるように、人間だけが、本当に死を克服することができるのです。死に対する真の勝利が可能なのは、私たちにとってだけです。と申しますのも、他のすべての存在たちにとっては、死は見かけ上のものに過ぎないからです-それは本当には存在していません。もし、私たちが、人間性を越えて、より高次のヒエラルキア存在たちにまで上昇するならば、より高次の存在たちは、人間的な意味においては、死を知らないということが分かるでしょう。真の死、すなわち物理的な領域における死を経験することができるのは、物理平面上における存在性から何かを引き出してこなければならないような存在たちだけなのです。人間は、物理的な文脈の中で、自我意識を達成しなければなりませんが、それは死なしには見つけることができないものです。人間より下のランクに位置する存在たちにとっても、上に位置する存在たちにとっても、死について語ることに意味はありません。他方、私たちが「キリスト存在」と呼ぶ存在の地上における最も重要な行いが無効になることはありません。実際、「キリスト存在」に関しては、ゴルゴダの秘蹟「死に対する生の勝利」が、あらゆるできごとの中で最も重要なできごとであったのを私たちは見てきました。そして、死に対するこの勝利はどこで遂行されたのでしょうか。それはより高次の世界の中で行われ得るものでしょうか。そうではありません。私たちが鉱物、植物、そして動物の領域の中で言及したような、より低次の存在たちに関しては、死について語ることができませんが、それは、これらの存在たちが真に存在しているのは、感覚の世界を越えた、より高次の世界の中だからです。そして、より高次の存在たちについて語ることができるのは、「死ではなく、変容、メタモルフォーゼ(Metamorphose)、そして、再編についてだけです。」。私たちが死と呼ぶところの生への切り込みが生じるのは、人間状態に関してだけなのです。そして、人間が死を経験できるのは、物理的な文脈の中においてだけです。もし、全く物理平面の中に入って行かなかったとしたら、人間は決して死を知らなかったでしょう。と申しますのも、物理平面に入って行かない存在は、死について何も知ることはないからです。他の世界の中に、死と呼べるようなものは何もありません。そこにあるのは変容とメタモルフォーゼだけです。もし、「キリスト」が死を通過しようとするのであれば、物理平面に下る以外にはなかったでしょう。何故なら、彼が死を経験できるのは、物理平面においてだけだからです。こうして、私たちは、人間の歴史的な発展において、より高次の世界の現実が、マーヤの中で、驚くべき仕方で働いているのを見ます。私たちが歴史的なできごとについて正しく思考しているのであれば、確かにそれは物理的な領域の中で起こっているけれども、その源泉は精神的な世界の中にあるということに気づくはずです。このことはあらゆる歴史的なできごとについて言えます。ひとつのできごとを除けば。ゴルゴダのできごとに関しては、それは物理平面上で生じたが、それに対応する何かがより高次の世界の中に存在しているとは言えないからです。確かに、「キリスト」自身はより高次の世界に属し、そして、物理平面へと下って来ました。けれども、他のすべての歴史的なできごとに関して存在しているような元型は、ゴルゴダで成し遂げられたことがらに関しては存在していないのです。ゴルゴダの秘儀は物理的な領域の中でのみ生じ得たできごとだったのです。精神科学はその証拠を提供することになるでしょう。例えば、次の三千年にわたって、ダマスカスにおけるできごとの新しい例が多数見られるようになるでしょう。これについてはしばしば言及してきましたが、パウロがダマスカスで見たように、人間は、アストラル平面上で、エーテル形姿の「キリスト」を見る能力を発達させるでしょう。より高次の能力を通してキリストを知覚するこの経験は、次の三千年期を通してますます発達しますが、私たちの二〇世紀において始まるでしょう。今の時代以降、これらの能力は徐々に現れ、次の三千年期を通して、多数の人々によって身につけられることになります。それは、多くの人々が、「より高次の世界を覗き見ることによって」、「キリスト」はひとつの現実であるということ―彼は生きているということ―を知るようになる、ということです。彼らは彼を知るようになるのですが、それは「彼が今生きている」からです。彼らは、いかに今彼が生きているかを知るようになるのではなく、むしろ、正にパウロがそうであったように、彼は死に、そして復活したということを確信するようになります。けれども、このことの基礎はより高次の世界にではなく、物理平面上に見いだされなければなりません。もし、今日、いかにして「キリスト」自身の発達が成し遂げられるのかということ、そして、それとともに、いかにしてある種の人間の能力もまた発展するのかということを理解するならば。もし、そのことを精神科学によって理解するならば、人間が死の門を通って行くときにも、彼がダマスカスでのできごとに与るのを妨げるものは何もありません。何故なら、今や、死は人間の世界に最初に輝き込む「キリスト」の顕現として現れるからです。今日、肉体の中に居ながらにして、このできごとに備える人たちは、死と新生の間の生活においてもそれを経験することができます。けれども、それに備えない人たち、今回の受肉において、それを全く理解しない人たちは、死と新生の間の生活においても、「キリスト」に関して、今既に生じ、次の三千年を通して生じ続けることがらについて、何も知ることができません。彼らは再び受肉するまで待たなければならないでしょう。彼らは、再び地上に戻るとき、それに対するさらなる準備をしなければなりません。ゴルゴダにおける死とその死から生じたもの、それは「キリスト」の実質全体が地上で展開するために必要だったのを理解することができるのは、肉体の中に居る間だけなのです。私たちのより高次の生活にとって唯一重要な事実は、肉体の内にある間に把握されなければなりません。一旦肉体の中で理解されたならば、それはより高次の世界の中でさらに働き続け、ますます育成されるでしょう。けれども、それはまず肉体の中で理解されなければなりません。ゴルゴダの秘儀は、より高次の世界の中では決して起こり得ず、より高次の世界の中に元形を有してもいません。それは、物理的な世界の中に完全に限定されるところの死を包括するできごとなのです。したがって、それが理解できるのは物理的な文脈の中おいてだけです。地上にいる人間の使命のひとつとは、彼または彼女のどれかの受肉において、この理解を達成するということなのです。ですから、私たちはここで、直接的な現実、直接的な真実を示すような重要な何かを、物理平面上に見いだしたと言わなければなりません。物理平面上にあって現実的であるものとは何でしょうか。物理平面上にあって、あまりにも現実であるため、立ち止まって「ここには真実がある。」と言うようなものとは何でしょうか。それは人間の世界の中にある死であって、他の自然の領域における死ではありません。地球進化の過程の中で生じる歴史的なできごとを理解するためには、それらのできごとから精神的な元形へと上昇しなければなりません。けれども、ゴルゴダのできごとに関してはそうではありません。ゴルゴダの秘儀に関しては、直ちに、そして直接現実の世界に属するところの何かがそこにあるのです。今お話ししたことの別の面もまた明らかになります。それは途方もなく興味深いものです。今日では、ゴルゴダでのできごとは真実ではないとされ、外的な歴史に関しては、このできごとを歴史的な事実と認めるのは不可能である、と人々が言うのを聞くのは非常に重要なことです。大きな歴史的事実の中で、ゴルゴダの秘儀ほど外的、歴史的に確認できる方法で証明することが困難なものはほとんどありません。これに比べれば、外的な世界における人間の進歩にとって重要なソクラテス、プラトン、あるいはその他のギリシャ人たちの存在についての歴史上の議論をすることがいかに容易なことかを考えてみてください。「ナザレのイエスが実際に生きていた」ということは歴史を根拠にして主張することはできないと。それはある程度正当なことですが、多くの人は其のように言います。けれども、それに関する否定的な歴史的証拠も存在していません。いずれにしても、他の歴史的事実を取り扱うような仕方で、ゴルゴダの秘儀という事実を取り扱うことはできないというのは確かなことです。この外的、物理的な平面上で生じたできごとが、すべての超感覚的な領域における事実と同じ特徴、つまり、いかなる外的な方法によっても証明され得ない、という特徴を有しているのは正に特筆すべきことです。そして、超感覚的な世界を否定する人たちの多くが、同時に、このできごと、それは超感覚的なできごとを把握する能力を欠く人たちでもあるのです。そのできごとが現実であることはそれが与える影響によって確かめられるということは事実ですが、その人々は、その現実のできごと自体が歴史的な意味で実際には起こらなかったとしても、それらの影響は生じ得るだろうと推測するのです。彼らはその影響を社会学的な状況の結果として説明しますが、宇宙的な創造の過程を知っている者にとっては、「キリスト教」の影響はその背後に立つ力なしでも生じ得たと考えるのは、ちょうど、畑に種を植えなくてもキャベツは育つと言うのと同じくらい賢い考えなのです。この話をさらに進めれば、福音書の著作に携わった一人一人の個人にとっても、ゴルゴダの秘儀という歴史的なできごとを歴史的な証拠に基づく歴史的な事実として証明する可能性はなかったのだ。何故なら、それは外的な観察によって知覚可能な痕跡を残すことなく生じたからですと言うことができます。皆さんは、ヨハネ福音書の著者)彼は直接的な目撃者)を除く福音書の著者たちが、どうやってこれらのできごとを確信するようになったのかをご存じでしょうか。彼らにとっては、伝承と秘儀についての書物以上のものはなかったので、歴史的な出典によって説得されたということではありません。この状況に関しては、私の「秘儀的な事実としてのキリスト教」の中で概説されていますが、彼らが「キリスト・イエス」の実在を確信したのは、星の配列を通してだったのです。と申しますのも、彼らはまだ、大宇宙と小宇宙の関係について非常によく知っていましたから。彼らが有していた知識、今日でもそれを持つこと可能によると、星の配置を通して、世界史における重要な時点を計算することができたからです。彼らは、「星座がこのような配置であるとき、「キリスト」と言われる「存在」が「地上」に生きたはずだ」と言うことができました。マタイ、マルコ、そしてルカ福音書の著者たちが歴史的なできごとについての確信を得たのはこのようにしてだったのです。彼らは、福音書の内容については超感覚的な能力によって獲得しましたが、あれこれのことが地上で起こったはずだという確信は、宇宙における星座の配置から引き出したのです。これについての知識がある人は福音書の著者たちを信じることができるはずです。福音書の歴史性についての反論は不正確なものであるということを証明するのは割に合わない仕事です。私たちは、人智学者として全く異なる基礎、精神科学への洞察を通して得られる基礎の上に立っているということを明確にしておかなければなりません。これに関連して、今回の連続講義を通して私が確立しようとしたことがらに対する注意を促しておきたいと思います。それは、人智学が語る現実を、それら自体が、そしてそれら自体で、正しい反論によって傷つけ、だめにしようとしても、それは不可能であるということです。人間というものは、自分たちの知識にしたがって、いくらでも正しいことを言うことができますが、それによって精神科学が否定されることはありません。私は、「いかにして神智学の基礎を見いだすか」という講義の中で、比喩を引きながら次のように言いました。小さな少年が家族のために朝食用のロールパンを買いに村に通っていました。さて、その村では、ロールパン1個が2クロイツァーしていたのですが、その少年はいつも10クロイツァーもらっていました。その少年はパン屋からたくさんのパンを持ち帰っていましたが、ここで注意しなければならないのは、彼は大数学者ではなかったということです。それについてそれ以上のことは考えていませんでした。それから、その家族に養子がやって来ました。彼は最初の少年の代わりに、パン屋にパンを買いにいくように言われたのですが、その養子はよい数学者だったので、自分に次のように言い聞かせました。「10クロイツァー持ってロールパンを買いに行く。パンはひとつ2クロイツァーで、10÷2は5だから、家に持って帰るのは5個のはずだ。」ところが、家に帰ってみると、6個のパンを持ち帰っているのが分かりました。そこで彼は自分に言いました。「これはおかしい!10クロイツァーでそんなに買えるはずがない。計算は正しいはずだから、明日は5個持って帰ることになるだろう。」次の日も彼は10クロイツァーで6個のパンを持って帰りました。計算は正しかったのですが、それは現実には対応していなかったのです。と申しますのも、実際の現実は異なっており、その村では、10クロイツァー分のパンを買う人は誰でも、おまけにもう1個のパンをもらうので、5個ではなく、6個のパンを受け取る、という習慣になっていたからです。その少年の計算は正しかったのですが、現実には対応していなかったのです。このように、精神科学に対する最も批判的に考え抜かれた反論は、「正しい」かも知れませんが、全く異なる原則の上に立っていることがある現実とは何の関係もない可能性もあります。この顕著な例は、数学的に正しいことがらと実際に真実であることがらとの間の違いを理論的にと言ってもよいほど示しています。以上のように、私たちの努力によって、マーヤの世界は現実へと導かれ帰っていくということが示されました。この過程が私たちに示したのは、火とは犠牲であり、空気の要素とは流れ与える徳であり、あらゆる流体はあきらめと拒絶の結果であるということでした。私たちは今日、この3つの真実に4つ目の真実を付け加えました。それは、「土あるいは固体の要素の本性とは、死であり」、ある実質の宇宙的な目的からの分離であるということでした。この分離状態が始まったとき、死そのものが、マーヤあるいは幻想の世界の中に、ひとつの現実的なものとして入ってきたのです。神々自身は、何らかの仕方で物理的な世界に下降し、マーヤあるいは幻想の世界であるその物理的な世界の中で、死をその真の本性において理解しない限り、決してそれについて知ることはなかったでしょう。以上が、これまで私たちが議論してきた概念に付け加えたいと思ったことです。ここでもまた、これらの概念、それは、後で見ていただくことになりますが、マルコ福音書に書かれていることを根本的に理解するには、とても必要な概念について、何らかの明晰さを獲得することができるのは、規則正しい瞑想を通してそれらの概念を繰り返し私たちの魂に作用させることによってだけです。と申しますのも、マルコ福音書を理解することができるのは、最も意義深い宇宙的な概念の中に礎石を置くときだけだからです。 (第5講了)-真相から見た宇宙の進化(完)記:メタモルフォーゼ(Metamorphose)人気ブログランキングへ
2024年05月23日
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ルドルフ・シュタイナー真相から見た宇宙の進化Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen第4講 月期における地球の内的側面 ベルリン 1911年11月21日 佐々木義之 訳 私たちは、私たちの世界観における困難な側面について、ある程度でなら外的感覚的な世界の顕現の背後に横たわる精神的な現実を見ることを学ぶところまで追求してきました。とはいえ、私たちは、感覚的な世界の中で私たちが見るものの背後には精神的なものに特徴的な形態が実際に立っているという本当の事実は外的に見ただけではよく分からないものであることを私たちの魂の生活の中で経験します。けれども、私たちは、そのような外観の背後には、精神的な活動、精神的な性質や特徴が本当に立っているのだということを認識するようになりました。例えば、私たちは今や、私たちの通常の生活において、暖かさ、熱、あるいは火の性質として現れるものは犠牲の精神的な表現であるということを知っています。そして、私たちが空気として出会うもの、それが精神的なものであるということは、私たちの概念の中では、ほとんど明らかになりませんが、その中には、私たちがある特定の宇宙的な存在によって与えられる徳と呼ぶところのものが認められます。水の中に認められるのは、私たちが諦め、拒絶と呼ぶところのものです。以前の世界観、これには簡単に触れるだけにしますそこにおいては、当然のことながら、外的、物質的なものの内にある精神的なものの存在はもっとすみやかに直感され、認識されました。このことの証拠は、私たちが日常的に使うスピリット(エキス)という言葉、私たちはそれをスピリチュアルなものに関して特別な仕方で用いますが、特別に揮発性の高い物質を表しているということにも見られるでしょう。私は「スピリット」というよりも、むしろ「ス ピリチュアル(精神的なもの)」と言います。けれども、外的な世界においては、人々は「スピリチュアル」という言葉を必ずしも真に精神的な現実あるいは感覚を超えたものには適用しません。 皆さんの何人かは、かつてミュンヘン精神主義者協会に宛てられた手紙が、誰も精神主義者協会とは何かを知らなかったために、「スピリット」つまりアルコール飲料協会本部に届けられたことがあったのをご存じですね。本題に戻りますと、今日は、地球惑星の進化が古「太陽」から古「月」にまで進展したときに生じたその発達における重要な移行について見ていくことにしましょう。そうすることで、私たちは別の種類の精神的な発達について考察することになるでしょう。私たちは、前回の講義で取り上げた点、拒絶という行為から始めなければなりません。前回、私たちは、精神的な存在たちがこの拒絶、あるいは「差し控える」という行為の中で、犠牲、私たちはこの犠牲、意志あるいは意志実質を捧げることとして認識しましたが、それを受け取る機会を諦めるのを見てきました。ある存在たちがその意志実質を捧げたいと望み、一方で、より高次の存在たちが、その差し控えるという行為によって、この意志を受け取るのを拒むところを見るとき、私たちは、この意志実質は、それをこの存在たちはより高次の精神的な存在たちに捧げたいと望みましたが、それを許されず、それを捧げたいと望んだ存在たちとともに留まらざるを得なかったのだという概念へと容易に上昇することができるでしょう。ですから、宇宙的な文脈の中には、犠牲を捧げる準備、自分たちの最奥の存在の中に安んじているものを献身的に捧げる準備ができているにもかかわらず、それを許されず、そのために、自分たちの内にそれを留めなければならない存在たちがいるのです。あるいは、別の言い方をすれば、これらの存在たちは、 その犠牲が拒絶されたことで、もし犠牲を捧げることが許されていたとしたら生じたであろうより、高次の存在たちとのある種の結びつきを確立することができませんでした。聖書の中で、カインがアベルに立ち向かう場面は、この「拒絶された犠牲」の意味のいくらかを、強調された仕方ではありますが、擬人化し、歴史的に象徴するものとなっています。カインもまたその犠牲を神に捧げたかったのですが、その犠牲は神の喜ぶところとはならず、神はそれを受け取ろうとはしません。 一方、アベルの犠牲は神によって受け取られました。私たちがここで注意を向けたいのは、その犠牲が拒絶されたことを知ったときのカインの内的な経験です。このできごとに対する最高度の理解へと私たちが至るためには、通常の生活の中においてのみ意味を持つ考えをここでお話ししている、より高次の領域に持ち込むべきではないということをはっきりさせておかなければなりません。犠牲の拒絶は欠陥や悪行によって生じたのだと言うならば、それは間違いでしょう。これらの領域においては、私たちが通常の生活において知っているような罪や贖いに言及することはまだできないのです。そうではなく、私たちは犠牲を拒絶したより高次の存在たちの観点からこれらの存在たちを見なければなりません。言い換えれば、より高次の存在たちは、単に犠牲の受け取りを差し控え、それを譲り渡したに過ぎないのです。私たちが先週特徴づけた魂の雰囲気の中には、欠陥や失敗を示すようなものは何もありません。むしろ、諦めや拒絶の行為はあらゆる偉大で意味深いものを包含しています。とはいえ、私たちは、犠牲を差し出そうとしたあの存在たちの中に―たとえそれが極めてかすかな反対であったとしても、彼らの犠牲を拒否したあの存在たちに対する何か反対のようなものを始める雰囲気が、確かに生じるのを感じ取ることができます。ですから、この反対の雰囲気が、例えば、カインの場合のように、後の時代になって私たちの前に提示されるとき、それは増幅されたやり方で提示されることになります。カインの中に見いだされる雰囲気と同じ雰囲気を、「太陽」から「月」への移行期に発展したあの存在たちの中に私たちが見いだすことはないでしょう。この存在たちの間に反対の雰囲気が生じるといっても、それは異なる程度においてなのです。ここでもまた、私たちが信頼できる仕方でこの雰囲気を知るようになることができるのは、前回の講義でもそうしたように、私たち自身の魂の中をのぞき込み、私たちが自分に、私たちは、私たちの魂の中の、どこにそのような雰囲気を見いだすことができるのか。そして、どのような魂の状態がそのような雰囲気、つまり、その犠牲の捧げものが拒絶された者たちの中に醸し出されたに違いない雰囲気を私たちに気づかせてくれるのかと問うときだけです。私たちの中のあるこの雰囲気は、そして、ここで私たちは地上的な人間の生にますます近づいてきました―、実際、その不確かさにおいて、そして同時に、その苦しみあるいは苦痛において、どの魂にもなじみのあるものなのですが、それについては次の木曜日の公開講演「魂生活の隠れた深み」(GA61)の中で十分に取り上げるつもりです。どの魂にもなじみがあるこの雰囲気あるいは態度は、魂生活の隠れた深みを支配し、恐らく、その雰囲気があまり苦しみを生じさせないときには、その表面に向かって押し上げてきます。けれども、私たち人間はしばしばこの雰囲気の周りを巡っているだけです。私たちのより高次の意識の中では、私たちはそれをそれと気づくことなく担っているのです。私たちは、「あこがれを知っている者だけが私の苦しみを知る」というある詩人(ゲーテ「ウィルヘルム・マイスター」)の言葉を思い出すかも知れません。これらの言葉は、漠としているけれどもしつこい魂の苦痛、同時に苦しみの感情を伴う苦痛をよく捉えています。これは魂の雰囲気としてのあこがれを意味しています。それは、単に魂があれこれのことを熱望したり、それらに向かって苦闘したりするときだけではなく、人間の魂の中に、魂の雰囲気として絶えず生きているようなあこがれです。私たちが古「土星」と「太陽」の進化期において精神的に生じたことがらの中に身を置こうとするのであれば、私たちは私たちの眼差しを魂の特別な状態、つまり、人間の魂がより高次の努力に向けて舵を取り、苦闘し始めるときに現れる魂の状態に向けなければなりません。私たちは、第2講の中で、諦めや犠牲の本性を、私たち自身の魂の生活からそれを描くことによって明らかにしようとしました。私たちは、「喜んで与えること」あるいは「自分自身の自我を 進んで諦めること」とでも呼べるようなものへと滴り落ち、そして、それから生じるのが見られるような叡智から人間が何を達成できるかを見てきました。私たちは、以前の状態から発展してきた地球の状況に近づけば近づくほど、今日の人間でもまだ経験できるような魂の状態に似た状態にますます出会うようになります。けれども、私たちは、私たちの魂生活の全体は、私たちの魂が地上的な体の中に挿入されていることで、その表面の下深くに流れる隠れた魂生活の上にある最上層のように横たわっている、ということを明確にしておかなければなりません。隠れた魂の生活がある、ということに気づかない人がいるでしょうか。人生は、そのような魂の生活が存在しているということを十分に教えてくれます。この隠れた魂の生活について何らかのことを明らかにするために、一人の子供が、7才か8才、あるいは別の年代の子供としましょうか、あれこれのことを経験すると仮定してみましょう。例えば、実際にはしていない何らかのことで責められ、ひとつの道理を経験するかも知れません。子供たちはしばしばこのようなことがらに対して特別に敏感です。しかし、それをしたということでその子を責めることによって事を納めるのが、その子を取り巻く人間たちにとっては都合のよいことでした。実際、子供たちはこのような仕方で道理に苦しめられることに対して本当に敏感です。けれども、人生とは、この経験がこの若い生命の中に深く食い込んだ後、年を経るにしたがってさらなる層がその魂の経験に付け加えられ、その子は、少なくとも日常生活の意味では、そのことを忘れてしまうというようなものです。多分そのようなことは二度と再び生じないでしょう。けれども、その若者が15才か16才のとき、例えば学校で、新たな道理を経験すると仮定してみましょう。すると、今や、そうでなければ波打つ魂の奥深くに眠っていたはずのものが起き出すのです。問題の若者は、彼または彼女が子供のときに経験したことの思い出が作用しているのだということも知らず、実際、全然別の考えや概念を形成するかも知れませんが、もし、以前のできごとが起こっていなかったとしたら、例えば、それがひとりの若い男であったならば、彼はただ家に帰り、いくらか涙を流し、そして、多分いくらか不満を言うかも知れませんが、それでも、彼はそれから立ち直るでしょう。ところが、以前のできごとが正に生じていたために、ここで私は、何が起きているかについて、その若者が知っている必要はないということを特に強調したいのですが、ちょうど、静かに見える海面下で波が打ち寄せるように、その以前のできごとがその魂の生活の表面下で働きかけるのです。そして、そうでなければ単なる涙と不平、そして侮辱で終わったはずのものが、今やひとりの学生の自殺というという結果をもたらします。こうして、魂生活の隠された深みは、最も深いレベルから表面へと上昇し、その役割を果たすことになります。そして、これらの深みで支配する最も重要な力とは、それは、その本来の姿で上方へと押し進むとき、最も意義深いものになるのですが、それにもかかわらず、私たちはそれについて無意識のままに留まりますし、あこがれなのです。私たちはこの力が外的な世界の中で有しているいくつ かの名前を知っていますが、それらは漠として比喩的なものです。何故なら、それらの名前は複雑な関連を表現するものであり、意識の中にまでは全く入ってこないからです。よく知られた現象を取り上げてみましょう。町に住んでいる人たちはそれにあまり影響されませんが、それでも、他の人たちの中にそれを認めるかも知れません―つまり、私 が言いたいのは「ホームシック」と呼ばれる感情のことです。もし、皆さんがホームシックとは本当は何なのかを探求するとしたら、皆さんには、それが基本的にはそれぞれの人間によって異なるものであるということが分かるでしょう。ある人にとってはあれこれであり、別の人にとっては何か別のものです。ある人は、家で聴いた親しみのある物語にあこがれますが、本当は家を恋しがっているのかも知れません。個々人の中に生きているのは、とりとめのないあこがれであり、方向性のない望みです。別の人は故郷の山や、あるいは、さざ波を見るときには―よく遊んだ川に あこがれます。これらすべての異なる性質は、魂の中でしばしば無意識に働いていますが、「ホームシック」という言葉で括ることができるかも知れません。そして、それは何千もの異なった仕方で演じられますが、それでも、一種のあこがれとして最もよく記述されるような何かを表現しています。さらに漠としているのが切望ですが、それは多分、人生において最も人を苦しめるものとして生じます。人はその関連に気づきませんが、それでもそれはあこがれなのです。とはいえ、このあこがれとは何なのでしょうか。私たちは、犠牲を捧げることを望みながらそれを諦めなければならなかった存在たちの雰囲気にそれを関連づけることによって、それが一種の意志であることを示唆しました。そして、私たちがこのあこがれを検証するときにはいつでも、それはある種の意志であるということが分かります。けれども、それはどういうタイプの意志なのでしょうか。それは成就され得ない意志あるいは意図なのです。と申しますのも、もし、それが成就されたならば、それはあこがれであることをやめるからです。それは実現され得ない意志なのです。私たちはあこがれをこのように定義しなければなりません。ですから、私たちは、その犠牲が拒絶されたあの存在たちの雰囲気について、次のようにすれば、いくらか特徴づけられるかも知れません。私たちが、私たちの魂の深みにおいて、あこがれとして感じ取ることができるものは、私たちが今お話ししているあの太古の時代から受け継がれてきたものとして、私たちの中に留まっているものです。ちょうど、私たちが別の性質を、別の太古の発達段階からの遺産として受け取るように、私たちが古「月」の進化段階から受け取るのは、魂の深みに見いだされるあらゆる形態のあこがれ、あらゆる形態の成就され得ない意志、阻止された意志なのです。この発達期の間に捧げられた犠牲が差し戻されることによって、 抑制され、阻止された意志を持つ存在たちが創造されたのです。彼らは、この意志を抑制し、それを自分自身で保持しなければならなかったために、非常に特別な状況に置かれました。そして、ここでもまた、もし、これらのことがらを感じ取り、経験したいのであれば、人は自分自身の魂の状態の中に身を置かなければなりません。と申しますのも、単なる思考はこれらの状態に貫き至るためにはあまり十分ではないからです。意志を捧げることができた存在は、ある意味で、その犠牲が生じた相手の存在とひとつに結ばれることになります。私たちはそれについても、つまり、私たちが犠牲を捧げる存在の中に、いかに私たちが生きて、自分自身を織りなすかということ。すなわち、その存在がいることによって、いかに私たちが充足感と幸福を感じるかということについても―人生の中で感じ 取ることができます。ここで私たちがお話ししているのは宇宙的な存在を含むより高次の存在たちへの犠牲です。彼らに犠牲を捧げる存在たちは全くの喜びの中で上方を見やるのですが、正にそのために、阻止された意志として、あこがれとしてその存在たちによって差し戻されたものは、その犠牲を完遂することがされたとしたらそうでなったであろうものとは、内的な雰囲気において、 内的な魂の内容において。決して同じものではあり得ません。と申しますのも、もし、犠牲を捧げる存在たちがその犠牲行為を許されていたとしたら、それはその別の存在の一部になっていたはずだからです。ですから、比較という方法で語るとすれば、もし、地球やその他の惑星存在たちが太陽への供儀を許されていたとしたら、それらは太陽とひとつに結ばれていたであろうと言うことができるでしょう。けれども、それらが太陽への供儀を許されず、それらが捧げたはずのものを保持せざるを得なかったとしたら、それらは離れたままになり、その犠牲を自分たちの中へと引き戻すことになったはずなのです。もし、私たちが今お話ししたことを一言で把握するとすれば、私たちは、宇宙という総体の中に何か新しいものが入って来ているということに気づきます。それは何か別の方法で表現することはできないものだということをはっきりと理解してください。つまり、自分の中に生きているものすべてを、別の存在に捧げようとする存在たち、宇宙的な存在に自分を捧げようとする存在たちは、その供儀が受け入れられなかったとき、その犠牲を自分自身の内に担うように導かれるのです。皆さんはここで、私たちが「エゴ(自我)」あるいは「自我性」と呼ぶような何か、そして、それは後に「エゴイズム」としてあらゆる形態において現れるのですが、そのような何かがきらめくのを感じないでしょうか。こうして、私たちは進化の中に流れ込んだものが、あの存在たちの内部で、遺産として生き続けるのを感じ取ることができます。私たちは、あこがれの内部に、たとえそれが最も弱められた形においてであるとはいえ、エゴイズムが稲妻のように光るのを、そしてまた、あこがれが宇宙進化の中に忍び込んで来るのを見ます。こうして、私たちは、あこがれに身を任せる存在たち、つまり、自分のエゴイズムに屈服する存在たちが、もし、何か別のものが介入しなかったとしたら、いかに、ある意味で、一面性の中に突き落とされるかを、自分たちの中だけに生きるようにさせられるかを見ることになるのです。供儀を許された存在について想像してみましょう。この存在は別の存在の中に生きます。その中に永久に生きるのです。供儀を許されなかった存在はそれ自身の存在の中に生きることができるだけです。ですから、そのような存在は、彼あるいは彼女が他の存在の中で、この場合、より高次の存在を経験できたはずのものすべてから排除されるのです。そのときには、実際、その問題の存在たちは、進化の過程から排除され、一面性へと突き落とされ、消えてしまうことでしょう。もし、その一面性を取り除くために進化の過程に介入しようとするような何かが生じなかったとしたら。この「何か」とは、一面性への宣告と追放を阻止する新しい存在たちの介入です。ちょうど、「土星」上における意志存在や、「太陽」上における叡智存在の場合のように、「月」上では運動霊が現れて来るのが見られるのです。私たちは「動き」という言葉によって、空間中での動きをイメージするのではありません、そうではなく、より思考過程に関連した何かに言及するのです。「思考の動き」という表現は正にその人自身の思考の流れや流動性を表しており、その表現は誰でも知っていますが、この表現からだけでも、もし、動きを包括的に把握しようとするのであれば、動きは空間中における単なる位置の変化(それは動きのひとつの側面に過ぎません)以上の何かであるということを理解しなければならないということが分かります。もし、あるより高次の存在に対して、多、数の人間たちが自らを捧げるならば、それらの人間たちは、そのとき、その存在はその人間たちの中にあるすべてを表現することになりますが、それは、その存在が犠牲として差し出されたものすべてを受け入れているからです。そのひとつの存在の中に生き、その中で充足します。しかし、もし、彼らの犠牲が拒絶されたとすれば、これらの人間たちは 彼ら自身の中で生きざるを得ず、決して充足することができなくなります。そうなったとき、運動 霊がやって来て、そうでなければ自分自身に頼らなければならなかったはずの存在たちを、他のすべての存在との関係へと導くのです。運動霊を単に位置の変化を生じさせる存在として考えるべきではありません。そうではなく、彼らは、ある存在を絶えず別の存在との新しい関係に導くような何かを生じさせる存在なのです。私たちはここでも、魂の対応する雰囲気を考察することによって、宇宙進化のこの段階で達成されたものについての考えを形成することができます。あこがれが停止させられ、行き詰まったとき、そして、いかなる種類の変化も経験することができなくなったとき、それがいかに苦痛に満ちたものであるかを知らない人がいるでしょうか。人はそれによって耐え難い状態、私たちが退屈と呼ぶところの状態に陥ります。私たちは通常、退屈というものを表面的な人々にのみ帰属させますが、それにはあらゆる段階があります。偉大で高貴な本性の中にも、外的な世界の中では満足させることができないようなあこがれとして、それらの本性自身の本質が表現するところのものが生きているのですが、退屈の中には、そのような本性に影響を及ぼすようなレベルの退屈もあるのです。そして、このあこがれを満足させる方法として変化以上に良いものがあるでしょうか。それは、このあこがれを感じる存在たちが絶えず新しい存在たちとの関係を求め続けていることからも分かります。あこがれの耐え難い苦しみは、絶えず変化する新しい存在たちの 集団との関係によってしばしば克服へともたらされます。こうして、私たちは、「地球」がその「月」の相状態を通過する間、運動霊 が、そうでなければ荒廃状態に陥ったはずのあこがれに満たされた存在たち、退屈とは一種の荒廃であるから生活の中に、変化、動き、新しい存在たちや状況との絶えず更新される関係をもたらすところを見ことになります。ある場所から別の場所への空間中での移動というのは、私たちがお話ししている動きに関する幅広いスペクトルの内のひとつの側面に過ぎません。私たちが別の種類の動きを経験するのは、朝起きたとき、魂の中にある一定の思考内容を自分の中だけに留めず、誰か別の人に話すときです。こうして、私たちは、多様性、変化、そして私たちが経験するものの中における動きを通して、私たちのあこがれの中にある一面性を克服します。外的な空間中に存在しているのは変化に対するある特殊な能力に過ぎません。太陽に面している惑星について考えてみましょう。その惑星が、太陽 との関係で、いつも同じ位置にあるとしたら、もし、それが全く動かないとしたら、それは一面性の中に固定されてしまうでしょう。その惑星はいつも同じ面を太陽に向けることになります。しかしそのとき、運動霊がやって来て、その惑星が太陽の周りを回転するように導き、その位置に変化をもたらします。位置の変化は、変化の一種に過ぎません。そして、運動霊が宇宙における位置の変化を生じさせるとき、彼らは動きという一般的な現象の中の特別な例を生じさせているのです。運動霊が動きと変化を宇宙に導入したことで、何か別のものがそれとともにやって来ました。私たちが進化の中に、つまり、運動霊、人格霊、叡智霊、意志霊等々の形で進化する全宇宙の多様性の中に、見てきたのは、空気や気体の精神的な基礎を形成するように放射する叡智に向かって流れる与える徳の形態の中には物質性もまた存在しているということでした。これは、今やあこがれへと変容した意志とともに流れ、そして、これらの存在の中で、人間が「像」として知っているところのものになります。それはまだ思考としては知られていません。これは私たちが夢を見るときに持つイメージによって最もよく視覚化することができます。流動的で過ぎ去る夢の像は、その中に意志があこがれとして生きている存在、運動霊によって他の存在との関連へともたらされる存在、そのような存在の中で生じるもののイメージを、呼び起こすことができます。ある存在が別の存在の前に立たされるとき、前者が後者に完全に帰依することは不可能ですが、それはその存在の中に自分自身の自我性が生きているからです。けれども、その問題の存在は別の存在の過ぎ去る像、夢の像のようにその中に生きている像を受け取ることができます。こうして、イメージの潮流とでも呼べるようなものが魂の中に生じます。言い換えれば、この進化期の間に、像の意識(形象意識)が存在するようになったのです。そして、私たち人間は、現在の 地上的な自我意識なしにこの進化期を通過したことから、私たちは、私たち自身を、今日、私たちの自我を通して私たちが達成するところのものを欠いていたものとして想像しなければなりません。当時、私たちは統合的な宇宙の中に存在し織り込まれていたのですが、一方で、私たちのあこがれの経験に比較できるような何かが私たちの中に生きていたのです。ある意味で、苦しみとは地球上に現れる苦しみの条件を度外視すれば、詩人が述べているように「あこがれを知る者だけが私の苦しみを知る」というようなものに他ならないと想像することができるでしょう。魂の表現としての苦しみや痛みが私たちの本性の中に、そして、私たちの進化に結びついた他の存在たちの本性の中に入り込んで来たのは、「月」の進化期においてでした。それ以降は、そうでなければ空虚であったはずの内的な自我が、それはあこがれに苛まれる内的な自我が、治癒的な慰めに満たされることになったのですが、それは運動霊の活動を通してこれらの本性たちの中に注ぎ込まれた像の意識の形でなされました。このことが生じなかったとしたら、これらの「月」存在たち(月の本性たち)の魂の中に あこがれ以外のものは何も存在しない空虚な存在となったことでしょう。けれども、像という慰めが、その孤独と空虚の中に滴り落ち、多様性で満たし、存在たちを追放と非難から解放するのです。私たちがそのような言葉を真剣に受け止めるとき、私たちは、私たちの地球が「月」の相状態にあったときに発達したものの根底に精神的なものとして横たわっているものと、そして、今や私たちの意識の奥深くに、「地球」としての相状態の下に層を成して横たわっているものの両方を把握することができます。しかし、それは、魂のあまりにも奥深くに横たわっているために、そして、これについては、明後日の公開講演(GA61)で、分かりやすくお示しするつもりです。ちょうど、海の底を押し寄せる水が海面に波を生じさせるように、私たちに気づかれることなく活動を始め、そして、意識の中へと現れて来ます。私たちの通常の自我意識の表層下には、表面へと押し寄せる可能性がある魂に深く根ざした生活があるのです。そして、この魂の生活が表に現れて来たとき、それは何を語るのでしょうか。私たちがこの魂の無意識的な生活の宇宙的な根拠をひとたび理解するならば、私たちは、魂の奥底から生じるように感じられる私たちの魂の生活とは、「月」の発達期に設定されはしたけれども、正に「地球」期になって初めて、私たちに 浸透したものを打破するものであると言うことができるようになります。私たちが 「月」の本性と私たちの「地球」の本性との相互作用を把握するとき、私たちは、古い「月」から「地球」の存在状態へと精神的にもたらされたものとは何かを、本当に説明することができるようになるのです。覚えておいていただきたいのは、今お話ししましたように、荒廃を緩和するためには、絶えず像が浮かび上がってくる必要があったということです。そうすれば、皆さんは 非常に重要で意義深い概念に至るでしょう。つまり、渇望と空虚の苦しみの中であこがれる魂は、 次から次へと生じる一連の像によって満足させられ、このあこがれを調和の中に保つという概念に至るでしょう。そして、いくつかの像が生じ、しばらくは留まるのですが、その後、魂の奥底で再び古いあこがれが目覚め、運動霊が新しい像を呼び起こします。そうすると、新鮮な像がまたしばらく存在するようになるのですが、結局はさらに別の像へのあこがれが新しく生じてきます。この魂の生活の側面について、私たちが言うべき重要なことは、絶えず新しい像を求める像によってあこがれが満足させられたとしても、この際限なく続く流れに終わりはないということです。この過程に介入する唯一の方法とは、この際限なく続く像の流れの中に何かが参入するということですが、それは像以外のものによって、すなわち、現実によって、あこがれを購うことができる何かです。言い換えれば、私たちの「地球」が惑星的に体現した相状態、そこでは運動霊の 活動によって導かれる像があこがれを満足させるのですが、そのような相状態は、「地球」として 惑星的に体現した相状態、つまり、「救済」の相と呼ばれるべき状態によって置き換えられなければならなりません。実際、これから見ていきますように、ちょうど「地球」以前の体現である 「月」存在が「あこがれの惑星」と呼ばれ得るように、それは無限に続き、決して終わることのない経過を通してのみ満たされ得るあこがれですが、「地球」は「贖いの惑星」と呼ぶことができるでしょう。私たちがこの人生を通して地上的な意識の中で生きるとき、そして、その意識は、既に見てきましたように、ゴルゴダの秘儀による贖いの行為を私たちの前にもたらし、贖いへのあこがれを絶えず生じさせるものが私たちの魂の奥底から生じてきます。それはまるで、意識の表面には通常の意識の波があり、その下、私たちの魂の生活という海の底には、魂の岩盤があこがれの形を取って生きているかのようです。そして、このあこがれは、それを満足させてくれる宇宙的な存在への無限に続く像の連なりによってただ単に慰めるのではなく、それを最終的に満足させてくれる存在です。供儀を遂行しようと飽くことなく熱望しているかのようです。私たちは、地上に生きる人間として、これらの雰囲気を実際に感じ取ることができます。そしてこれらの雰囲気は人が経験することができる最良のものです。実際、これらの地上に生きる人間の中で、今日、このあこがれを感じる人たちが、とりわけ、私たちの時代において私たちの精神科学的な運動に参加して来ているのです。外的な世界においては、私たちは私たちの通常の表面的な意識を満足させるあらゆるものを認識することを学びます。しかし、私たちの無意識から脈打って来るのは、外的な事情によっては決して満足させられることがなく、人生の中心的な根拠を切望する何かです。けれども、私たちがこの中心的な基盤を獲得することができるのは、単に人生における特別なことがらだけではなく、その全体に関与する普遍的な科学を手に入れたときだけです。今日、魂の奥深くで生じるものは、それはより高次の意識へともたらされることを求めます。世界の中に生きる普遍的なものと交わるようにさせられなければなりません。この接触がなされないならば、何らかの達成不可能なものへのあこがれが魂の奥底から生じてくるでしょう。この意味で、精神科学は魂の奥底に生きているあこがれへのひとつの回答です。そして、世界の中で生起していることの序章は以前の時代にあったということを考えますと、今日生きている人々が、彼または彼女の魂の中にあるあこがれの力を精神科学によって和らげようとしていることは、特に、そのような魂の力が意識的な気づきを越えたところにあり、そのようなあこがれが脅威となるように、人を消耗させようとしているときには私たちにとって驚くべきことではありません。もし、そのような人物が、この精神的な叡智が存在せず、したがって、それを手に入れることができなかった以前の時代に生きていたとすれば、彼または彼女は、彼らが正 に「偉大な精神」であるが故に精神的な叡智に対する絶えざるあこがれに苛まれ、そして、人生の意味を把握する可能性から疎外されて来たはずなのです。他方、今日では、像へのあこがれを和らげ、絶望を沈黙させ、それを退治するような何かがその魂の中に滴り落ちています。以前には、 この一連の像の行進が止むのを待ち望み、その像がますます大群となって居座れば居座るほどそれをさらに待ち望むということしかできませんでした。ハインリッヒ・フォン・クライストが友人に宛てて次のように書き送っているのを見ますと、魂のあこがれの中に香油のように自らを注ぎ出すこの精神科学をまだ手に入れることができなかった時代に生きていた人の言葉で、いかにそれが表現されているかを聞き取るこができます。「この地球の上で幸せになりたいって。そんなことを言うやつがいたら、ほとんど、恥を知れとでも言いたい。すべてが死で終わるところで、そんな目的に向かって努力するなんて、いかにも先が読めないご立派な人間がすることだ。我々は出会い、三度の春をお互いに愛し合い、そして、永久にお互いから逃げ出す。愛がないのに、その努力にどんな価値があるというのか。ああ、何か愛以上の、幸せ以上の、名声以上の、xyz以上の、何か我々の魂が夢想さえしないようなものはないのか。世界のてっぺんにいるのは悪い精神ではあり得ない。それは何か不可解なものに過ぎない。我々だって、子供が泣いているとき、笑わないか。この無限の広がりについて少し考えてみたまえ。無数の時間領域、それぞれがひとつの生命、それぞれが我々のこの世界のように顕現した存在なのだ。ああ、静止した瞬間よ、教えてくれ、これは夢なのか。我々が夜、仰向けになって見る二枚の菩提樹の葉の間には、その先見性において、我々の思考が捉え、言葉が表現することができるよりもずっと豊かな見通しが広がっているではないか。よし、何か善い行いをしよう、そして、それをしながら死のう。我々は既に無数の死のひとつを死に、そして、未来にもまた死ななければならない。まるで、ひとつの部屋から別の部屋に行くようなものだ。ほら見てごらん、僕には世界が大も小もなく一緒くたに箱詰めにされているように見える。」これらの言葉で表現されたあこがれは、この人物を促し、その友人に宛てたこの手紙を書かせました。けれども、この精神、クライストは、現代の魂が精力的な理解力をもって精神科学に近づくような仕方では、まだそのあこがれに対する充足を見いだすことができませんでした。と申しますのも、この精神は、百年前にまず友人のヘンリエッテ・ヴォーゲルを、次に 彼自身を撃ってその涯を閉じたのですが、今は、一世紀前に彼の亡骸が最初に葬られたヴァンシー河岸にある寂しい墓の下に眠っているからです。クライストが表現したことがらについてここでお話しすることができるというのは、特筆すべき天啓です。カルマの行為と言ってもいいでしょう。それは、差し止められた犠 牲への意志があこがれへと変化させられたことについて、今まで私たちがお話ししようとしてきたことがらを、運動霊によるあこがれの緩和、その最終的な充足に向けた衝動、そして、それが「贖いの惑星」上で達成されるであろうということを最もよく記述しているのです。この焦点の定まらないあこがれを最も気高い言葉で表現へともたらし、そして、この切なる望みを、それが体現し得る最も悲劇的な行いへと注ぎだした魂を思い出させることがらについて、今日、正に私たちがお話ししていることは特筆すべきカルマの解消なのです。それに気づこうとしさえすれば、この男の精神は、それが私たちの前に立つときの全体性において、本当に魂の奥深くに生き、私たちを地上的な存在性以外の存在性へと連れ戻すものの生きた体現であるということに気づかないことなどあるでしょうか。クライストが最も意義深い仕方で私たちのために記述してくれているのは、自分を越えたところに横たわっているものを探し求めるように人間に強いるものについて人間が経験できるもの、それは、仮に彼が彼自身の生命の糸を未成熟なまま断ち切らなかったとしたら、後になって理解することになったはずのものについてではないでしょうから。正に皆さんが「個人と人類の精神的な導き」の最初のページに書いてあるのを見いだされることを、彼は経験したのではないでしょうか。フォン・クライストの「ペンテシリア」(アマゾンの女王ペンテシリアとアキレスの血みどろの戦いについてのギリシャの伝承に基づいて書かれた凄惨な悲劇)について考えてみてください。ペンテシリアの中には、彼女自身の地上的な意識をもって推し量ることができるよりも、いかに遙かに多くのものがあることでしょうか。もし、彼女の魂は彼女がそれは偉大な魂ですが、彼女の地上的な意識をもって包含することができるよりもはるかに無限の広がりを持っているということを私たちが仮定しないならば、彼女をその特殊性において理解することは全く不可能でしょう。ですから、その無意識をドラマの中に芸術的な仕方で引き込む状況が劇中で生じなければなりません。こうして、一連のできごと、クライストがアキレスのために設定するようなできごとが、より高次の意識で検分される可能性は阻止されなければなりません。そうでなければ、私たちはその悲劇の重大さを経験することができないでしょう。ペンテシリアは、アキレスによって囚われの身となるのですが、アキレスの方が彼女の囚人であると思い込まされます。「彼女の」アキレスという言い方がなされるのはそのためです。意識的な気づきの中に生きているものは、無意識の中へと投げ入れられなければなりません。そして、ハイルブロンのカティーの中で表現されているような状況においては、特に、カティーと、シュトラールのヴェッターとの間の特筆すべき関係、そして、それは十全たる意識の中で遂行されますが、人間には気づかれることなくその間を行き来する力が潜む魂の奥深いレベルにおいて遂行されますにおいては、この低次の意識はどのような役割を果たすのでしょうか。私たちは、この状況を目の当たりにするとき、世の中の重力や引力といった通常の力の内部に横たわるものの精神的な本性を感じ取ります。世界の力の内部に横たわるものを感じ取るのです。例えば、私たちは、カティーがその愛する人の前に立つ場面で、何が意識下に生きているかを、そして、それが、外的な世界の中に生きているもの、諸惑星の引きつける力として無味乾燥に言及されるものとどのように関連しているのかを見ます。一世紀前には、透徹し、苦闘する魂でさえ、この意識の深いレベルにまで潜入することができませんでした。今日では、それが可能になっ ています。悲劇「ホンブルグの王子」(1810年に書かれたクライストの最後で偉大な作品)もまた、今日では、一世紀前とは異なる仕方で私たちに感銘を与えます。私は、人間が達成するあらゆることがらを理性に帰属させようとする現代の抽象的な思索家たちが、ホンブルグの王子のような人物、すなわち、彼のすべての偉大な行い、最終的な勝利へと導いたあれらの行いさえも一種の夢の状態で成し遂げた人物を、どのように説明するのかを知りたいものだと思います。 実際、クライストは、王子はその意識的な気づきから勝利を達成し得たのでも、より高次の意識という意味ではとりわけ秀でた人物でもなかったということを。と申しますのも、彼は後に、死に直面して、めそめそ泣いたからですことがはっきりと示しています。王子が力を発揮できたのは、 彼の魂の奥深くに生きていたものを途方もない意志の努力によって引っ張り出してきたときそのときだけだったのです。人類にとって、「月」の意識からの遺産として残ったものは、何か抽象的な科学によっては引き出してくることができないようなものです。それは、多くの側面を持つ繊細な概念、緩やかな輪郭を持った精神的なことがらを把握することができる概念、つまり、精神科学によってもたらされるような概念から導かれなければならないような何かです。最も偉大な諸概念は、中間的で通常の諸概念に自らを結びつけます。こうして、私たちが私たちの今日の魂の中で経験する状態は宇宙と宇宙の総体とに結びつけられているということを精神的な科学は示すということが私たちには分かるのです。私たちはまた、私たちが魂の中で経験できることだけが事物の精神的な根拠についての概念を形成することができるということを理解します。さらに、私たちは、私たちの時代においては、 私たちの時代に先立つ時代があこがれたけれども、私たちの時代においてのみ与えられることができるものを達成することができるようになったということを理解するようになります。こうして、以前の時代の人間たちに対する、つまり、その心があこがれたものへと続く道を見いだすことができなかった人間たち、世界は彼らにそれを与えることができませんでした。その心があこがれたものに対する一種の賞賛が生じます。私たちが、すべての人生はひとつの総体であるということ、そして、今日の人間は人類が既にはるか昔に必要としていたような―彼らの運命は本当にそのことを私たちに示しています 。精神的な運動に彼または彼女の人生を捧げることができるということを思い出すとき、確かに、そのような人物たちに対するある種の賞賛が生じて来ます。ですから、私たちは精神科学を人類のあこがれに対する救済を担うものとして指し示すことができるかも知れません。荒れ狂うと同時に悲惨に満ちた人間たちが長い間探し求めてきたものを精神科学は今や与えることができるということを私たちが思い出すのに適した日には。と申しますのも、これらのあこがれに満ちた人物たちのひとりが悲劇的な死を遂げてから一世紀経つからですが、とりわけそうすることができるかも知れません。私たちがこのような考えを、多分、人智学的な考えも胸に抱くことができるのは、ドイツの最も偉大な詩人のひとりが亡くなって百年経ったこの記念の日においてかも知れません。 (第4講了)記:ハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist) ハインリヒ・フォン・クライストは、19世紀のドイツの劇作家であり、彼の作品は感情豊かで複雑なキャラクターと哲学的なテーマ性を持っています。彼の代表作には悲劇『ペンテジレーア』や喜劇『こわれがめ』があります。一方、シュタイナー(Rudolf Steiner)はオーストリアの哲学者、神秘家、教育者で、アンソポゾフィー(Anthroposophy)という独自の思想体系を提唱しました。彼は教育、芸術、農業、医学など多岐にわたる分野で影響を与えました。 クライストとシュタイナーは異なる時代と分野で活躍しましたが、彼らの作品と思想は今日でも多くの人々に影響を与えています。ハインリヒ・フォン・クライストは、軍人の家庭に生まれ、代々続く軍人の家系で育ちました。彼の作品は、人間の葛藤や社会の不条理を描いており、カフカなどにも影響を与えました。しかし、生前にはあまり評価されず、上演される機会にも恵まれず、失望と苦悶の中で、34歳の若さでピストル自殺を遂げています。参考画:Heinrich von Kleist人気ブログランキングへ
2024年05月22日
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真相から見た宇宙の進化Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen(GA132) 佐々木義之訳第3講:土星紀における地球の内的側面 ベルリン 1911年11月14日 私がこれまで2回の講義の中で指摘しようとしたのは、私たちの宇宙におけるあらゆる物質的な現象の背後には何か精神的なものが横たわっているということでした。熱や流れる空気の現象の背後に見いだされる精神的な現実を特徴づけようとしたのです。私は、そのような特徴を皆さんに伝えるために、私たちの進化発展における遙かなる過去にまで遡らなければなりませんでした。私たちはまた、物質的な宇宙の根幹をなす精神的な文脈を記述するため、私たち自身の魂の生活をのぞき見ました。いずれにしても、何かを特徴づけようとするときには、それに用いるアイデアはどこか別の場所から取ってこなければなりません。言葉だけでは不十分です。明確なアイデアそのものが必要なのです。私たちが言及しなければならない精神的な文脈は、現時点で人類が経験するものから、つまり、今日の人間が知ることができるものから遙かに隔たったところに横たわっているということを私たちは見てきました。ですから、この文脈を理解するためには、私たちは滅多に見いだされることのない状況、一般に、私たち自身の魂や精神の生活においては理解されることのない文脈を呼び出さなければなりません。私たちは、外的、物理的な火や熱の顕現からは遠く離れた、熱や火の状態の最も深い性質を探求しなければならない、ということを見てきました。確かに、私たちが犠牲、それも、特定の存在による犠牲、すなわち、「地球」の進化における古「土星」状態の間に私たちが出会った存在であり、そして、当時、その犠牲をケルビームに捧げた存在であるところのトローネによる犠牲を宇宙における火と熱のあらゆる状態の本質と同一視するととき、それは今日の人間にはおとぎ話のように聞こえるに違いありません。けれども、本当の意味で語るならば、それが宇宙進化におけるその時点で生じたとき、熱あるいは火の状態で外的、幻視的に私たちの前に現れるあらゆるものは、犠牲から構成されていると言わなければならないのです。同様に、私たちが流れる空気あるいはガスと呼ぶところのあらゆるものの背後には、何か非常に遙かなるもの、つまり、私たちが与える徳、精神的な存在たちが彼ら自身の存在を献身的に注ぎ出すこと、と呼んだものが横たわっているということを私たちは前回に指摘しました。あらゆる風のひと吹き、あらゆる空気の流れの中に存在しているのはこれなのです。外的、物理的なものとして知覚されるものは、実際には、幻想、マーヤに過ぎません。私たちは、幻想から精神的な現実へと進んだときにだけ、正しい考えを持つことができるのです。火や熱や空気は、人が見る鏡に映った人間のイメージの中に人間が存在していないのと同様、現実的なものとしては存在していません。つまり、鏡に映った像が、人間との関係で言えば、本質的には幻影であるのと同様、火や熱や空気は幻影であり、ちょうど現実の人間が鏡の中のイメージと関係しているように、その背後にある真実が現実なのです。真実という現実の中に私たちが探し求めるのは火や空気ではなく、犠牲であり与える徳なのです。私たちは、与える徳が犠牲に付け加えられるのを見たとき、古い「土星」の生活から「太陽」の生活へと上昇しました。私たちの地球による第二の体現の中に私たちが見いだすのは、私たちの発達における本当の状況へと私たちを一歩近づけるような何かです。そして、ここで私たちは、もう一度、幻想の世界に対抗する真の現実の領域に属する概念を導入しなければなりません。それは、私たちが私たちの進化発達における実際の状況を取り上げる前に、ある特定の概念を獲得しなければならないということです。次のようにして、この概念に近づいてみましょう。人間が外的な生活の中で何かを行い、あるいは何かを達成するとき、一般にその結果は彼または彼女の意志衝動からもたらされます。人間が何をするにしても、それが単なる手の動きであれ、偉大な行為であれ、その活動の背後には意志衝動があります。ある人物に何かをさせたり、何かを達成させたりするように導くあらゆるものは、そこから放射して来ます。そして、強力で力に満ちた行い、例えば、治癒や恵みをもたらす行いは、強い意志衝動から来る、そして、あまり重要でない行いはより弱い衝動から来る、と言われるかも知れません。一般に、私たちは、行いの程度は意志衝動の強さにかかっていると考えがちです。けれども、もし、私たちが私たちの意志を強化すれば、私たちは世界の中で何か重要なことを達成するだろうと言うならば、それはある程度正しいに過ぎません。ある地点を越えれば、もはやそうではないのです。驚いたことに、人間が遂行し得るある一定の行い、特に、精神的な世界に関連した行いは、私たちの意志衝動の強化に依存していないのです。もちろん、私たちが住んでいる物理的な世界においては、行いの程度は確かに意志衝動の強化に依存しています。つまり、より多くのことを達成しようとすれば、より多くの努力が必要となります。けれども、精神的な世界においてはそうではなく、むしろ、その反対なのです。精神的な世界において最も偉大な行いを達成し、最も偉大な結果をもたらすためには、前向きな意志衝動の強化が必要なのではなく、むしろ、ある種の身を引くこと、諦めが必要なのです。私たちは、最も些細な純粋に精神的なことがらに関しても、この仮定に則って前進することができます。私たちは、私たちの切なる望みを働かせたり、それに没頭したりすることによってではなく、私たちの意志を抑え、望みを抑制し、それらを満足させることを諦めることによって、一定の精神的な成果を達成するのです。ある人が、内的、精神的な方法を通して、世界の中で何かを達成しようとしていると仮定してみましょう。その人は、まず自分の意志や望みを抑制することを学ばなければなりません。そして、物理的な世界の中では、よく食べ栄養が行き届き、それによってよりエネルギッシュになるとより強くなるのに対して、精神的な世界の中で何か意義のあることを達成できるのは、これは記述であって、アドバイスではなく、断食を行い、意志や望みを抑制するための、あるいは諦めるための何かを行うときなのです。最も偉大で精神的な努力に向けた準備には必ず意志、望み、そして意志衝動を捨てることが含まれています。私たちは、意志することが少なければ少ないほど、人生が私たちの上に降りかかるのに任せる、あれこれのことを望むのではなく、むしろカルマが私たちの前にそれを投げかけるままにものごとを受け取るとますます言うことができるようになります。つまり、私たちは、カルマとその結果を受 け入れることができればできるほど、つまり、私たちが人生において、そうでなければ達成したいと思ったはずのあらゆることを諦め、静かに振る舞えば振る舞うほどにますます強くなるのです。このことが正しいのは、例えば、思考活動に関してです。あこがれに満たされ、とりわけ、良い食べ物や飲み物を好む教師や教育者の例では、その教師が生徒に向けて語る言葉はあまり多くのことを達成できない、それは生徒の一方の耳から入り、片方の耳からすぐに出ていくということが明らかになるでしょう。そのような教師は、それは生徒の責任だと信じるかも知れませんが、いつもそうであるとは限りません。人生におけるより高次の意味を理解し、慎みをもって生き、生命を維持するのに必要なだけ食べ、とりわけ、運命が与えることがらを意識的に受け入れるような教育者は自分の言葉が大きな力を有していることに徐々に気づくようになるでしょう。そのような教師を一目見るだけでも大きな効果がありま す。実際、その教師が生徒を見る必要さえないでしょう。そのような教師は生徒の近くに居さえすればよく、勇気づけるような考えを持ちさえすればよいのです。その考えが言葉で表現される必要はありません、そんなことをしなくても生徒には伝わります。すべては、そうでなかったとしたら強く望まれるようなことがらに関して、人が行使する諦めと断念の程度にかかっているのです。諦めの道は精神的な活動における正しい方法であり、より高次の世界の中で精神的な結果へと導きます。この点に関して、私たちは多くの幻想に出会います、そして、たとえ諦めの幻想が外的には真の諦めに似ているように見えたとしても、幻想が正しい結果に導くことはありません。通常の生活において、禁欲主義、すなわち自ら課す苦しみと言われているものを皆さんはご存じですね。多くの場合、そのような自ら課す苦悩は、自己陶酔、あるいは自己満足のため、何かより大きな欲望、あるいはどこか別の源泉から来る欲望を成就するために人が選択するものである可能性があります。そのような場合、自己否定は効果的ではないのですが、それは、精神的なものに根ざした諦めを伴っているときにだけ自己否定に意味があるからです。私たちは創造的な諦め、創造的な断念の概念を理解しなければなりません。諦め、あるいは創造的な断念、それを私たちは魂の中で実際に経験することができます―を日常的な生活からは遙かにかけ離れた考えとして認識することがきわめて重要です。そのとき初めて、私たちは、人類の進歩において、一歩先に進むことができるのです。と申しますのも、「太陽」の発達段階から「月」の発達段階に移行する進化の過程において、そのようなことが生じたからです。そのとき、何か諦めに似たことがらが、より高次の世界の存在たちの領域において生じたのですが、彼らはあの「地球」の発達過程に結びついた存在たちでした。このことを理解するために、私たちは、もう一度、古い 「太陽」における発達について考えてみる必要があるでしょう。けれども、その前に、私たちが既に知っているけれども現在に至るまである意味で謎めいて見えたような何かに注意を向けてみましょう。私たちが繰り返し指摘してきたのは、発達の過程で後に取り残された存在にまで遡ることができるような、発達における先行者たちについてでした。私たちは、実際、ルシファー的な存在たちが地上の人間の中に介入しているのを知っています。そして、度々指摘してきましたように、これらのルシファー的な存在たちは、古い「月」の発達期に達成できたはずの発達段階に到達することができなかったために、地球進化期において、私たちのアストラル体に侵入することができるようになったのです。この文脈の中で、私たちはしばしばちょっとした比較を行ってきましたが、それは、ひとつの学級を繰り返すのは生徒だけではなく、偉大な宇宙進化の過程においても、宇宙的な存在たちがひとつの発達段階を全うすることができず、後になって、他の存在たちの発達段階に介入することがあるということでした。そのようにして、ルシフ ァー的な存在たちは古い「月」の発達期において後に取り残され、「地球」上で人間たちに介入しているのです。表面的には、これらの存在たちには何か欠陥があったはずだ。世界進化における弱者に違いない。そうでなければ、どうして達成できたはずのことを達成できなかったのかと安易に考えがちです。そのような考えが私たちに起こるかも知れません。けれども、別様に考えることもできます。もし、「月」上において、ルシファー的な存在たちが取り残されなかったとしたら、人間は決して自由に到達することができなかったはずだ、決定を行うための独立した能力を発達させることは決してできなかったであろうと。一方では、私たちは私たちのアストラル体の中に欲望、衝動、熱情を有していますが、それがいつも私たちを一定の高みから駆り立て、私たちの存在のより低い部分へと引きずり下ろそうとするのは、ルシファー的な存在たちに依るものです。け れども、他方では、私たちが、私たちのアストラル体の中にあるルシファー的な存在たちの力を通して、善からさまよい出て、悪になる能力を持たなかったとしたら、私たちは自由に行動することも、私たちが自由意志、あるいは選択の自由と呼ぶところのものを有することもできなかったでしょう。ですから、私たちは私たちの自由をルシファ ー的な存在たちに負っている、と言わなければなりません。ルシファー的な存在たちは人間を正道からはずれさせるためにだけ存在しているという一面的な観点では不十分なのです。むしろ、私たちは、ルシファー的な存在たちの背後にある残りの部分を何か善きものとして、それなしには私たちは言葉の真の意味において人間としての価値を達成できなかったであろうような何かとして見なければなりません。とはいえ、私たちがルシファー的な存在たちの、そしてアーリマン的な存在たちの背後にある残りの部分と呼ぶところのものの根幹には、何かより深いものが横たわっています。私たちは既に古「土星」上でそれに出会いましたが、それに気づくのはきわめて困難であり、そのため、いかなる言語においても、それを特徴づけるための言葉を見いだすのは非常に難しくなっています。とはいえ、もし、私たちが今日記述したような諦め、あるいは断念の概念を考慮することによって、古「太陽」の現実へと歩を進めるならば、私たちはそれを非常に明確に特徴づけることができます。と申しますのも、存在たちが後に取り残されることとその影響の根幹は、より高次の存在たちの側での諦め、あるいは拒絶の中に横たわっているからです。そのとき私たちは古「太陽」上で次のようなことがらが生じるのを見ます。私 たちは、トローネ(意志の霊)がケルビームに供儀を捧げたと言いました。前回、見てきましたように、彼らはこの供儀を「土星」期の間だけではなく、「太陽」期の間にも捧げ続けます。トローネ、つまり、意志の霊は、「太陽」期においてもまた、ケルビームに供儀を捧げるのです。熱あるいは火の状態としてこの世界に存在するあらゆるものの実際の本質はこの供儀の中にある、ということもまた私たちは見てきました。さて、 もし、私たちがアーカーシャ年代記を遡って見てみるならば、私たちは、「太陽」期の間に何か別のことが生じたということに気づくことができます。トローネたちは犠牲を捧げ、その犠牲の行いを維持し続けます。私たちは犠牲を捧げるトローネを見ます。私たちはまた、多くのケルビームたち、彼らに向かって犠牲が上昇していきますが、犠牲から彼ら自身の中に流れ込む熱を受け取るのを見ます。けれども、同時に、多くのケルビームたちが別のことを行うのです。つまり、彼らは犠牲を拒絶し、それに与りません。私たちは、このことに気づくことによって、前回の講義の中で私たちの魂の中に入ってくることを許したイメージを完全にすることができます。この像の中には犠牲を捧げるトローネ、そして、犠牲を受け取るケルビームが見られますが、そこにはまた、犠牲を受け取るのではなく、犠牲として彼らに向かって突き進んでくるものを反射するケルビームも見られるのです。このことをアーカーシャ年代記の中で辿っていくのは途方もなく興味深いことです。つまり、私たちは、古 「太陽」期の間に、大天使によって「太陽」の最外殻から光の形で反射される供儀の煙が立ち上るのを見るのですが、それは与えるという徳が叡智霊から犠牲の熱の中へと流れ込むことによります。しかし、私たちはまた何か別のものをも見ます。それは、あたかも古い「太陽」の広がりの内部で何か全く別のもの、つまり、大天使によって光として反射されることもなく、ケルビームによって受け取られることもなく、そのために 逆流する供儀の煙が存在しているかのようなのですが、それによって、「太陽」の広がりの中には、上昇する犠牲と下降する犠牲であるところの供儀の煙、すなわち、受け取られる犠牲と拒絶され、戻される犠牲が存在することになります。この実際の精神的な雲のイメージによる「太陽」の広がりの中における自らとの出会いというものは、前回、私たちが外と内と呼んだものの間にも見いだされます。私たちはそれを「太陽」上のふたつの次元の間にある別々の層として見いだします。こうして、私たちは、中央には犠牲を捧げるトローネを、高みには供儀を受け取るケルビームを、そして、その供儀を受け取るのではなく、それを方向転換させて元に戻すあのケルビームたちを見いだします。この方向転換させて戻すことを通して環状の雲が生じ、そして、その周りには反射された光の塊が見られるようになります。この像を生き生きとした方法で想像してください。この古「太陽」の広がり、 この古「太陽」の塊は、宇宙的な球のように存在していますが、その向こうには何も想像することができません。そのため、私たちが考えることができるのは大天使までの広がりしか持っていない空間です。その中心では、受け入れられた供儀と拒絶された供儀との間の出会いから、輪が形成されると想像してください。これらの受け入れられた供儀と拒絶された供儀から、古「太陽」の内部で、何か「太陽」実質全体の分化、多様性とでも呼べるようなものが生じます。もし、私たちが、古い「太陽」を外的な像 になぞらえたいのであれば、それは私たちの現在の土星、つまり、環に取り巻かれた天体と比べることができるだけです。集積する犠牲の塊は中心部へと引き寄せられ、外側に取り残されるものは環の形を取るように命じられます。こうして、「太陽」実質 は停止させられた犠牲の潜在力という力を通してふたつの部分に分割されます。犠牲を拒むケルビームが生じさせるものとは何でしょうか。ここで私たちはきわめて困難な課題へと近づいてきました。皆さんは、長い瞑想の過程を経た後で初めて、私たちがこれから考察しようとしている概念を把握できるようになるでしょう。 ここで提示されようとしている概念は皆さんが長い間思索した後で初めてその下に横たわる現実を見いだすことになるようなものなのです。私たちが言うところの諦めは、時間の創造、そして、それは古「土星」上で生じたことを私たちは知っていますが、その時間の創造に結びつけられなければなりません。私たちは、時間の霊、アルカイとともに古「土星」上で最初に時間が生じたということ、古「土星」以前の時間について 語ることには意味がないということを見てきました。さて、この過程の中で繰り返しが生じるのですが、とはいえ、その時点から時間は続いている、と言うことはそれでも可能なのです。継続、存続という概念は「時間」という言葉に包含されています。私たちが「時間は継続的である」と言うとき、それは、私たちがアーカーシャ記録の中で「太 陽」や「土星」について語られることを検証するとき、時間は「土星」期の間に創造され、「太陽」上にも存在しているのを見いだすということを意味しています。さて、もし仮に、「土星」と「太陽」に関するすべての条件がこれまで二回の講義の中で特徴づけたような仕方で続いていたとしたら、「時間」は進化の過程の中で生じたあらゆるものの構成要素のひとつとなっていたことでしょう。私たちは進化におけるあらゆるできごとから時間の要素を取り除くことができなかったでしょう。私たちが見てきたのは、時間の霊が古「土星」上で創造され、時間があらゆるものの中に埋め込まれたということです。ですから、それ以後の進化について私たちが思い描き、想像するあらゆることがらは時間の文脈の中で捉えられなければなりません。もし、生じたことがらが、私たちが提示してきたこと、犠牲を捧げることや与える徳からのみ構成されているとしたら、このすべては時間を前提とするものでなければなりません。時間に左右されることなしに存在するものは何もなかったでしょう。存在するようになるあらゆるもの、消え去るあらゆるもの、したがって、時間に関係するあらゆるもの、つまり、すべては時間に左右されることになったはずなのです。犠牲を拒絶し、それとともに犠牲の煙の中に存在していたものを拒絶したあれらのケルビームがそれらを拒絶したのは、それによって、彼らがこの犠牲の煙の中に含まれる性質に拘束されることから脱するためでした。さて、犠牲の煙の中に含まれる性質の中には、とりわけ時間と、そして、それとともに、生じたり、消え去ったり する経過があります。ですから、犠牲の拒絶全体の中に横たわっているものとは、時間の条件を超えて成長するケルビームの能力なのです。これらのケルビームは時間を超えて前進します。彼らはもはや時間に左右されません。こうして、古「太陽」進化の諸条件は分割され、ある条件は犠牲や与える徳として「土星」から直接継続する線上で時間に左右されるものに留まり、一方、他の条件は犠牲を拒絶したケルビームの指導の下で自らを時間から引き離しますが、そのことによって、生じたり、消え去った りする過程を被ることのない永遠、永久が存在するようになります。これは特筆すべきことです。つまり、私たちは古「太陽」進化の中で時間と永遠が分離した地点へと至ったのです。古「太陽」進化期の間のケルビームによる断念によって、その進化期の間に生じたある条件の結果として、永遠が生じたのです。ちょうど、私たちが私たち自身の魂の中をのぞき見るとき、人間が拒絶と諦めを引き受けるときには、ある種の効果が魂の中に生じるのが見られたように、今や、ある種の神的、精神的な存在たちが犠牲と与える徳の遺産を拒絶したことによって、永遠と不死が古「太陽」上で生じるのが見られます。ちょうど、「土星」上で時間が存 在するようになったのを見たように、今や、私たちは、ある種の状況を通して、「太陽」進化の局面から時間が引き剥がされるのを見るのです。既に申し上げましたように、もちろん、このことには注意していただきたいのですが、永遠は「土星」期の間に既に準備されており、それが始まったのは、実際には「太陽」期の間ではありません。けれども、そのことを概念の形で表現できるほど明確に見ることができるのは「太陽」期においてのみなのです。私たちの概念と言葉は、何かそのようなことが古「土星」とその進化にとっても存在していた、ということを十分に特徴づけることができるほど正確ではないので、永遠の時間からの分離を「土星」上で知覚するのはほとんど不可能なのです。私たちは今や、諦め(古「太陽」期の間における神々による拒絶)と不死の達成の両方の意味を知るようになりました。このことのさらなる結果とは何でしょうか。「神秘学概論」によりますと、とはいえ、その中の記述はある意味でマーヤのヴェールがかけられていますが、「月」進化期が「太陽」期に続き、終わりには、すべての存在条件が一種の黄昏、宇宙的なカオスの中に沈められ、そして、これらが再び「月」として現れたということが分かります。私たちは犠牲の出現を再び熱として見ることができるのですが、「太陽」上で熱に留まるものも「月」上では外 的な熱として現れます。以前に与える徳であったものはガスあるいは空気として再び出現します。諦め、犠牲の拒絶もまた継続します。私たちが諦めと呼んだところのものは古「月」上で生じるあらゆるものの中に存在しています。それは本当にそうなのです。つまり、私たちは、私たちが「太陽」上で諦めとして経験することができたところのものを、「太陽」からやって来て、古い「月」上に存在するあらゆるものの中に存 在する力としても、そして、何か外的な世界の中に存在していると考えられるものとは異なるものとしても考えなければなりません。犠牲として存在していたものは、マーヤの中では、熱として現れ、与える徳であったものはガスあるいは空気として現れ、諦めとして存在していたものは液体あるいは水として現れます。水は外的にはマーヤであり、もし、拒絶と諦めの中にその精神的な基礎を有していなかったとしたら存在していなかったでしょう。世界の中で、水があるところには必ず神的な拒絶があるのです。ちょうど、熱が幻想であり、その背後には犠牲が存在しているように、ちょうど、ガスあるいは空気が幻想であり、その背後には与える徳が存在しているように、物質としての水は外的な現実としては単なる物質的な幻想であり、真に存在しているもの、すなわち、ある存在たちが別の存在たちから受け取ることができたはずのものの拒絶の反映なのです。水は諦めがその現象の下に横たわっているときに世界の中を流れることができるだけだ、と言うことができるでしょう。さて、私たちが知っているのは、「太陽」から「月」への移行に際して、空気の状態が水の状態に濃縮したということです。水が最初に存在するようになったのは「月」上であり、「太陽」期の間には水はありませんでした。私たちが古「太陽」進化期の間に集積する雲の塊の中に見たものが圧縮されるにしたがって水となり、「月」進化期の間に「月」の海として現れたのです。私たちがこのことを考慮するとき、ここで提示される疑問を解くことができま す。水は諦めから生じます。実際には、水は諦めそのものなのです。こうして、私たちは、水とは本当は何なのかという疑問に対して、非常に特別なタイプの精神的概念を獲得します。けれども、私たちは次のように問いかけることもできます。ケルビームがこの諦めを達成しなかったとしたら生じたであろう状態と。彼らが彼らに提供されたものから自由になったときに生じた状態との間には相違があるのではないのかと。この違いは何らかの方法で表現されるでしょうか。はいそのとおり、それは表現されます。それは、あの諦めの結果が「月」の状態の間に生じたという事実によって現されます。もし、この諦めが生じていなかったとしたら。もし、拒絶するケルビームが彼らにもたらされる犠牲を受け取っていたとしたら、彼らは図式的に言えば、彼ら自身の実質の中に犠牲の煙を有することになったでしょう。つまり、犠牲の受容は犠牲の煙の中に表現されることになったでしょう。これらのケルビームがあれこれの行為を遂行すると。仮定してみましょう。その時、その行為は、外的に表現すれば、自己変容する空気の雲を通して現れたことでしょう。捧げられる実質を受け取ることによってケルビームが行ったであろうことは、空気の外的な形態の中に表現されることになったでしょう。けれども、彼らは捧げられる実質を拒絶し、そのことによって、死ぬ運命から退き、不死の中に入っていきました。一時的なものから退き、継続するものへと入っていったのです。犠牲の実質はまだそこにあるのですが、そうでなければそれを吸収したであろう力から、いわば解放されるのです。捧げられる実質はもはやケルビームの傾向や衝動に従う必要がありません。何故なら、それはこれらのケルビームによって解放され、差し戻されたからです。そのとき、この犠牲の実質に関して何が起こるでしょうか。別の存在たちが独立できるようになるのです。これらの存在たちはケルビームの近くに見いだされますが、もし、ケルビームが犠牲の実質を受け取っていたら、彼らはその指導の下にあったことでしょう。けれども、その実質はもはやケルビームの内部にはなく、独立したものとなっています。そのことによって、諦めとは正反対のことが起こる可能性が生じるのです。つまり、別の存在が、その注ぎ出された犠牲の実質を彼ら自身へと引き寄せ、その内部で活動するようになるのです。これらは後に取り残された存在たちです。ですから、後に取り残されたものたちの存在はケルビームによる拒絶行為の結果なのです。後に取り残された存在たちを生み出したのはケルビーム自身です。彼らはそのようにして「後に取り残される」可能性を生じさせました。ケルビームによる犠牲の拒絶を通して、それを諦めず、自分自身の欲望や望みに身をまかせながら、それらを表現へともたらす他の存在たちが、供儀とその実質を自分のものにする可能性、そして、他の存在たちと並んで独立した存在になる可能性を得たのです。こうして、「太陽」進化から「月」への移行に際して、そして、ケルビームが 不死になるとともに、他の存在たちが、彼ら自身の実質の中で、ケルビームの継続する発達から自分自身を分離する可能性、実際、不死なる存在から自分自身を完全に引き離す可能性が生じたのです。後に取り残されることのより深い理由を見いだせば、これらの存在を後に引き留めた責任は、もし、原因の究極的な要因について語りたいのであれば、それらの存在たち自身にはないということもまた理解できます。これは私たちが把握しなければならない最も重要な点です。もし、ケルビームが犠牲を受け取っていたら、ルシファー的な存在たちが後に取り残される可能性はなかったのです。何故なら、彼らがこの犠牲実質の中に体現するようになる機会はなかったはずだからです。諦めこそ、存在たちがこのようにして独立するための前提条件だったのです。賢明なる宇宙の導きは神々自身がその反対者たちの存在を呼び出すように命じます。もし、神々が自分自身から自由にならなかったとしたら、存在たちが彼らに反対することは不可能だったでしょう。あるいは、もっと簡単に表現すれば、神々は、もし、彼らが、「土星」から「太陽」への移行の後も、それまでと同様に創造行為を続けていたとしたら、自分自身の主体性から行動する自由な存在たちは決して存在しなかっただろうということを見通していたと言うことができるでしょう。神々は、自由 な存在が創造されるためには、敵対者たちが全宇宙の中で彼らに反抗し、それによって、彼らが時間に左右されるあらゆるものの中で、抵抗に遭遇する可能性が与えられなければならないということに気づいていたのです。彼らは、すべてを支配する者が彼ら自身だけであったとしたら、そのような反対を見いだすことは決してできないだろうということを知っていました。もし、神々がすべての犠牲を受け入れていたとした ら、ものごとは彼らにとって非常に容易なものとなったはずだ―何故なら、そのときには、すべての進化は彼らの思い通りになっていたはずということを彼らは認めざるを得ないだろうと私たちは想像することができます。けれども、彼らはそうしないことに決めました。彼らは彼らから自由な存在たち、彼らに反抗することができる存在たちを望んだのです。そのため、神々は、犠牲のすべてを受け取ることはせず、それによって、存在たちが、神々自身の諦めを通して、そして、その他の存在たち自身がその犠牲を受け取るという事実を通して、彼らの反対者になるように定めたのです。ですから、お分かりのように、悪の起源はいわゆる悪の存在たちの中にではなく、いわゆる善なる存在たちの中に、つまり、その拒絶によって、世界の中に悪をもたらすことができる存在たちを通して悪が生じる可能性を初めて与えた存在たちの中に探さなければなりません。さて、誰かが次のように反論することは十分考えられます。そして、皆さんには、この考えを皆さんの魂の中にきわめて正確に作用させるようにしていただきたいと思います。つまり、誰かが「今まで私は神についてもっとましな意見を持っていた、神々は必ずしも悪を創造しなくても人間の自由のための舞台をセットすることができるはずだと考えていた筈なのに一体どうしてこれらの神々は悪なしに人間の自由を世界の中にもたらすことができなかったのか。」と反論するかも知れません。皆さんに思い出していただきたいのですが、世界があまりにも複雑すぎると考えたスペインの王様は、もし、神様が世界の創造を自分に任せてくれていたら、もっとずっと簡単にしていたのにと言いました。人間たちは、その弱さの故に、世界はもっとシンプルにできたはずだと考えるでしょう。しかし、賢明な神様たちは世界の創造を人間たちには任せませんでした。精神科学の観点から見ると、この状況をもっとずっと正確に特徴づけることができます。何かの台を必要としている人に、誰かが、柱を立ててれば、その上に物を置く支えになるよ、と示唆すると仮定してみましょう。そのように言われた人は、「しかし、別の方法もあるだろうに、どうして別のやり方でやらないのだ。」と言うかも知れません。あるいはまた、別の誰かは、建設中に三角定規を使いながら、「どうしてこの三角定規には三つの角しかないのだ。多分、神様は三つの角を持たない三角定規を作れたはずだ。」と言うかも知れません。けれども、神様は悪や苦の可能性なしに自由を創造できたはずだと言うのは、三角定規は三つの角を持つべきではないと言うのと同じくらいナンセンスなのです。ちょうど三つの角が三角形に属しているように、自由は精神的な存在たちの側からなされた諦めによってもたらされた悪の可能性に属しているのです。私がお話ししてきたことはすべて神の諦めに属しています。と申しますのも、神々は、犠牲を受け取ることを諦めることによって不死のレベルに上昇した後、悪を導いて善に戻すために、不死から進化を創造したからです。それは正にこの諦めという手段を用いてなされました。神々は、それだけが自由の可能性を与えることができる悪を回避しませんでした。もし、神々が悪を抑え込んでいたとしたら、世界は貧弱で単調なものになったことでしょう。神々は、自由のために、悪が世界の中に入り込むのを許さなければならず、それによって、悪を善へと導くのに必要な力をも獲得しなければなりませんでした。そして、この能力は拒絶と諦めの結果としてのみやって来ることができるような何かだったのです。諦めは、偉大な宇宙の神秘を写し出すために、いつも像やイマジネーションとして存在しています。今日、私たちは、太古の発達段階に言及するとともに、犠牲や与える徳の概念に諦めの概念を付け加えることによって、マーヤや幻想に対峙する真の現実に至るためのさらなる一歩を踏み出しました。宗教はそのような像や概念を私たちに提供します。ですから、聖書的な宗教においてもまた、私たちは犠牲や諦め、あるいは犠牲の拒否といった概念に近づくことができるのです。例えば、アブラハムの物語では、自分の息子を「神」に犠牲として捧げようとするのですが、「神」は 父祖の犠牲を受け取るのを差し控えます。もし、私たちがこの「差し控える」という概念 を私たちの魂の中に取り入れるならば、私たちが既に述べた瞑想のイメージもまた私たちの元にやって来ます。かつて私は、アブラハムの犠牲が受け入れられ、イサクが犠牲になっていたらという仮定について示唆しました。もし、「神」がこの犠牲を受け 取っていたとしたら、イサクに発する古代ヘブライ民族の全体が地球から取り去られていたことでしょう。「神」は、ヘブライ民族の領域を諦めることによって、つまり、自分 の影響が及ぶ範囲からそれを締め出し、それが自分の外にあるようにすることによって、アブラハムに由来するすべてを贈り物として与えたのです。もし、「神」がアブラハムの犠牲を受け入れていたとしたら、「神」は古代ヘブライ民族が活動していた領域全体を自分自身の中に取り込んでいたことでしょう。と申しますのも、犠牲になったイサクは「神」と共にいることになったでしょうから。しかし、「神」はそれを放棄し、それ によって、この進化の流れ全体が地球上に発散するに任せたのです。太古の父祖によって提供された犠牲の意味深い像を通して、すべての諦めや犠牲の概念が私たちの中に呼び起こされます。私たちはまた、より高次の存在による諦めあるいは犠牲のもうひとつ別の例を地球の歴史の中に見いだすことができます。私たちは、ここでもまた、既に前回触れたことに、つまり、レオナルドダビンチの絵、「最後の晩餐」に言及することになり ます。「地球」と「キリスト」双方の本質的な意味を同時に私たちの目の前にすることになる場面を思い描いてください。その絵の持つ完全な意味の中に貫き至るようにしてみましょう。そして、「もし、私が死の供儀を避けたいと欲したならば、天使の大群を 呼び出すことができないということがあろうか。」(マタイ二六章五三節)という福音書 の中の言葉を思い出してみましょう。諦めと拒絶によって、「キリスト」は発動できたは ずのこの明確で安易な解決法を拒否したのです。キリストイエスが私たちの前にもたらす拒絶の最も偉大な例が生じたのは、彼を裏切るイスカリオテのユダが彼の領域に入って来ることを許したときです。もし、私たちがキリストイエスの中に見ることができ るはずのものを本当に見るべきであるならば、私たちは彼の中に、犠牲を諦めなければならなかったあの存在たち、その本性自体が諦めであるところのあの存在たちのひとつの反映を見なければなりません。「キリスト」は、ちょうど神々自身が、古「太 陽」期の間に、彼ら自身の反対者たちをその拒絶行為を通して呼び出したように、もし、ユダが彼の反対者として行動することを許さなかったとしたら生じたであろうことを拒否したのです。こうして、私たちは、このできごと―宇宙の力に対する反対者たちの出現―が「地球」上において絵画的に繰り返されるのを見ます。私たちは十二人の真ん中にいる「キリスト」が、裏切り者としてそこに立つユダとともにいるのを見ます。人 類にとって計りがたい価値をもつものが進化の過程に入ってくるために、「キリスト」自身が彼の反対者を彼自身に対立する位置に置かなければならなかったのです。この絵が私たちに深い印象を与えるのは、「最後の晩餐」を見つめることが、力強い、宇宙的な瞬間を私たちに思い出させるからです。「私とともにその手を皿に浸した者が私を裏切る」(マタイ二十六章二十三節)という「キリスト」の言葉を私た ちの前に掲げるとき、私たちは神々自身によって神々に反対する位置に置かれた神々に対する反対者たちの地上的な反映を見ます。これはいつも言っていることですが、火星の住人が地球に降りてきたとすれば見ることになるあらゆるものは、たとえ彼らがそれを十分に理解できなかったとしても、多かれ少なかれ、興味深いものであるはずです。けれども、そのような火星人たちがこのレオナルドダビンチの手になる絵を見たならば、宇宙的な観点から見て、地球にとってばかりではなく、火星にも密接に関連した、そして、実際には、太陽系全体に関連した何かを見いだすことになるでしょう。そして、それによって、「地球」の意義が認識されることでしょう。「最後の晩餐」の中 に地上的な図式において示されているのは全宇宙にとって意味があることなのです。つまり、ある種の力が不死の神的な力に対抗する者としてそれに対立する位置に置かれたということが示されているのです。そして、死を克服し、地上における不死の勝利を具体的に示した「キリスト」が証しているのは、神々が時間にとらわれた存在たちから自らを区別し、時間に対する勝利を達成したとき、つまり、不死になったときに生じた意義深い宇宙的な瞬間なのです。私たちがレオナルドダビンチによる「最後の晩餐」を見るとき、このすべては私たちの心の中で感じられるかも知れません。どうか、素朴で単純な感受性を持って「最後の晩餐」を見る人は、今日私たちがお話ししたようなことは理解しない、などと言わないでください。そのような人がこ れらのことがらを知る必要はないのです。と申しますのも、人間の魂の神秘的な深みとは、人間の魂の中で感じられることがらは知的に知る必要はないというようなものだからです。花は、それによって自分が育つ法則を知っているでしょうか。いいえ、そんなことに関係なく、それは育つのです。花が自然法則に対していかなる必要性を有しているというのでしょうか。そして、もし、私たちが、神とその反対者が私たちの目の前で繰り広げているものを見るとき、つまり、表現することができる最も高貴なできごと、不死と死の差別化が私たちの前へともたらされるとき、私たちの目の前に存在するものの圧倒的な重要性が感じられるとすれば、人間の魂は、理性に対して―つまり、知性に対して、いかなる必要性を有しているというのでしょうか。それを知的に知る必要はありません。人が世界の意味そのものを写し出すこの絵の前に立つとき、むしろ、その経験が、不思議な力によって、その魂の中へと貫き至るのです。その絵を描くために、画家が神秘家である必要もありません。そうでなかったとしても、レオナルドの魂の中には、正にこの最も高く、最も意義深いものを表現へともたらすことができる力が存在していたのです。偉大な芸術作品がそれほどまでに力強い効果を有しているのはそのためです。つまり、それはそれらが宇宙的な秩序の意味に密接に結びついているからなのです。以前の時代には、芸術家たちは、それと知ることもなく、ぼんやりとした意識の中で、宇宙的な秩序の意義に結びつけられていました。けれども、将来においては、もし、精神科学が、新しい知の形として、芸術に対する新しい基礎をもたらさなかったとしたら、芸術は存続していくことができないでしょう。無意識の芸術は過去のものとなりました。精神科学によって息を吹き込まれるのを自らに許す芸術はその発達の初期段階に立っています。過去の芸術家は、彼らの芸術の根底に立つものを知っている必要はありませんでした。しかし、未来の芸術家はそれを知っていなければならず、それも、もう一度不死を描き出すことができる力、それは魂の内容全体から何かを提示することができる力です-によって、それを知らなければならないでしょう。精神科学を知的な科学に、図式や範例で表現される知的な科学にしようとする人は誰であれ、それを理解していませんが、私たちがここで展開したあらゆる概念、犠牲、与える徳、そして拒絶のような概念によって、言葉のひとつひとつについて、その言葉から湧き出てこようとしているもの、その考え方そのものをその絵の多様性から流れ出て来るものを経験しながら経験するような人、そのような人は誰であれ、精神科学を理解している人です。もし、人が、世界の発達は抽象的な概念の中で成し遂げられると信じているならば、図式を提示することもできるでしょう。けれども、もし、犠牲、与える徳、そ して、諦めのような生きた概念を提示しようとするのであれば、図式はもはや十分ではありません。これら三つの言葉は、いくつかの文字の向こうにあるものをあまり考えさえしなければ、図式的に提示されることもできます。けれども、もし、私たちがこれらの概念―犠牲、与える徳、そして、拒絶―についてよく考えてみようとするのであれば、私たちは前回私たちが記述したような絵を、つまり、犠牲を捧げるトローネ、ケルビームに供儀を送る者たち、犠牲の煙をまき散らす者たち、大天使から反射される光を受け取る者たちの絵やその他の絵を自分で描かなければなりません。そして、私たちは、次回の講義で「月」存在の考察へと進むとき、いかにその絵がより豊かになるかを見ることになります。私たちは、いかに集まる雲の塊が液体となり、「月」の塊としてさざ波を立てるかということを、そしていかにセラフィー ムの魅了する光をそれに付け加えなければならないかということを見ることになるでしょう。そのとき、私たちは十全なる理解に達しようと努めなければなりません。これについては、次のように言わせていただきたいのですが、未来において、人類は、外的な世界において、外的な世界のために、そうでなければアーカーシャ年代記の中に読むことができるものを表現へともたらすための可能性、芸術的な素材、そして、芸術的な手法を創り出すための方法を見いだすであろうと。 (第3講了)参考画:Freedom of Lucifer人気ブログランキングへ
2024年05月21日
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真相から見た宇宙の進化Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen(GA132) 佐々木義之さん訳■第2講:土星紀における地球の内的側面 ベルリン 1911年11月7日 前回の講義から、私たちの「地球」の創造に先立つ3つの発達段階のそれぞれを記述するのはきわめて難しいことだということがお分かりになったと思います。私たちは、それを行うためにはまず私たちの宇宙的な発達の中でも遠く離れた見知らぬ状態にまで至るのに必要な概念と思考を構築しなければならないということを見てきました。既に指摘しましたように、古「土星」期やそれに続く「地球」の惑星体現期に関するいかなる記述も、例えば、「神秘学概論」の中の記述などですが、網羅的なものではありません。私は、その本を書くに当たって、身近で手近なものから導き出された図式の衣装をその主題に着せることで満足しなければならなかったのですが、それは、その本が公衆にとって理解可能で、かつ、過度にショッキングにならないように意図されたものだったからです。「神秘学概論」の中で与えられた記述は、ただ不正確であるというのではなく、図式的にいえば、幻想あるいはマーヤの中に浸されているのです。真実に貫き至ろうとするのであれば、幻想の中を努力しつつ進まなければならないのです。例えば、古い「土星」は、私たちが地、水、あるいは空気として知っているあの諸要素からではなく、全く熱から成り立っている、と記述できるかも知れません-そして、これが正しいのはある限度の範囲内なのです。同様に、空間に言及するときにはいつも図式的な記述にならざるを得ないのですが、それは、前回の講義の中で見てきたように、古「土星」上には時間さえ存在しなかったからです。古「土星」上には、少なくとも私たちの言葉の意味での空間はありませんでした。しかし、一方では、その当時、初めて時間が存在するようになったのです。ですから、私たちが自分を古「土星」の文脈の中に置くときには、私たちは空間を持たない領域の中にいることになります。ですから、もし、私たちがこのことを思い描こうとするのであれば、それは像に過ぎないのだということを明確にしておかなければなりません。このように、もし、私たちが古「土星」の「空間」の中に入ることができたとしても、そこにはガスとして記述できるほど濃厚な実質は見いだされなかったでしょう。そこにあるのは暖かさと冷たさだけだったでしょう。実際、空間の一部から出たり、別の部分に入ったりすることについて語ることはできなかったのです。そこにあるのは、より暖かい状態とより冷たい状態の間を動くという感情だけです。超感覚的な能力を有する人でさえ、古「土星」の時代の中に身を置くと想像するときに経験するのは、空間を持たない暖かさが満ちたり引いたりするという印象だけなのです。けれども、この印象は「土星」状態の外的な覆いに過ぎません。と申しますのも、神秘主義でいうところのこの火の暖かさは、その精神的な基盤において、私たちにその実体を現すのですが、既に見てきましたように、古「土星」上で実際に生起しているのは精神的な行であり、できごとだからです。私たちは、古「土星」上で起っているのはどのような種類の精神的な行為なのかということについてのイメージを形成しようとしました。私たちがお話ししたのは、「意志の霊」トローネが犠牲行為を遂行したということでした。このことは、私たちが「土星」上で生じたことを振り返るとき私たちが見るのはケルビームとトローネから流れ出す供儀であるということを意味しています。トローネからケルビームへと供儀が流れ出すのですが、外から見たときには、これらの犠牲行為は熱として現れます。ですから、熱の状態とは供儀の外的、物理的な表現なのです。実際、全宇宙の中で、私たちが熱を知覚するときには、それがどこであれ、熱はその背後に立つものの外的な表現なのです。熱は幻想であり、熱の背後には、精神的な存在たちによる犠牲行為という現実があります。ですから、熱を正確に特徴づけたいのであれば、「宇宙の熱とは、宇宙的な供儀、宇宙的な犠牲行為の表現である」と言わなければなりません。私たちはまた、トローネたちがその犠牲行為をケルビームに捧げるときには、私たちが時間と呼ぶところのものが同時に生まれるということを見てきました。既に触れましたように、「時間」という現代の言葉は、私がこれから記述しようとしていることがらに、それほど適合してはいません。ここでいう時間は、私たちが今日感じるような「前に」や「後で」というような抽象性をまだ包含していません。時間は、「人格の霊」あるいは「時間霊」とも呼ばれる精神的な存在の外的な配列として始まったのです。これらの「時間霊」は、太古における時間の表現であり、トローネとケルビームの所産なのです。とはいえ、時間的側面を持った存在たちが古「土星」上で生まれたのは、犠牲行為という状況があったからです。私たちが暖かさの背後に立つものを本当に理解しようとするとき―古「土星」は暖かさから構成されていたと言うとき、私たちは単に外的、物理的な概念だけを適用すべきではありません。私たちが暖かいという言葉を使うとき、それは物理的な概念である、ということを思い出していただきたいのですが、ここではそうではなく、「魂の」生活―魂の道徳的な生活、叡智に満ちた生活-から導かれる概念を適用すべきなのです。自分が所有するもの、自分が持っているもの、自分自身であるところのものさえ、喜んで捧げるということが何を意味しているかを想像することができない人は誰であれ、暖かさとは何かを知ることができません。必要なのは、魂の観点から、自分自身の存在を捧げるということ、自分自身を意識的に諦めるということが何を意味しているかについての理解に至るということです。言い換えれば、自分の最良のものを世界の治癒のために与えるということ、自分の最良のものを自分のために取っておくのではなく、全宇宙という祭壇の前に捧げようとすることについて想像することができなければならないのです。もし、私たちがこれらのことすべてを生きた概念として、私たちの魂に浸透するひとつの感情として把握するならば、それは私たちを熱の顕現の背後に立つものについての理解へと少しずつ導いていくことができるでしょう。現代生活においては犠牲の概念が何に結びついているかということを想像してみてください-つまり、意識的に犠牲を捧げる人が自分の意志に反してそうすることは考え難いことである、ということを。もし、誰かが自分の意志に反して犠牲を捧げるとすれば、そのような圧力を感じていたからに違いありません。強制があったに違いないのです。けれども、それはここでいうところの供儀が意味しているものでは全然ありません。ここでは、供儀は、それを捧げる存在から当然のこととして流れ出るのです。もし、誰かが、何らかの外的な強制や、何かを成し遂げるという期待なしに、もし、誰かが内的に促されるのを感じて犠牲を捧げるとしたら、その人は内的な熱と至福を経験するでしょう。私たちが内的な熱と幸福で輝くのを感じるとき、それが表現しているのは、「犠牲を捧げ、そして、暖かさに浸透されるのを感じる人が幸福で輝くのだ」と言うことによってのみ記述することができるような何かです。私たちは、いかに犠牲の輝きが世界における外的な熱という幻想の中で私たちに近づくかを自分で経験することができます。世界の中で、暖かさがあるところにはどこでも、その基盤としての魂的、霊的な現実がある、ということを把握する人だけが、暖かさとは何かを本当に理解するのです。暖かさとは、犠牲の喜びを通して存在し、活動するようになる何かです。暖かさをこのような方法で経験することができる人であれば誰でも、物理的な暖かさという現象、つまり幻想の背後に存在し、隠されている現実へと至ります。さて、もし、私たちが古「土星」存在から古「太陽」存在へと突き進もうとするのであれば、私たちの現在の太陽ではなく、古い「太陽」の実質についてのイメージを創造するための概念に向けて、その基礎づけを行わなければなりません。この場合にも、私が「神秘学概論」の中で提示したのはその外的な表現に過ぎませんでした。古「太陽」は、空気と光を熱につけ加えることによって、その熱を高めたのですが、ちょうど私たちが「意志の霊」によってもたらされた犠牲の輝きを知覚するためには熱を越えたところを探求しなければならなかったように、今や、仮にも私たちが古「太陽」上で熱につけ加えられた空気と光を理解したのであれば、私たちは、空気と光の本質として、何か道徳的なものを探さなければなりません。私たちが古「太陽」上における空気と光についての考え、表現、感情に至ることができるのは、私たちが、魂的、霊的な方法で、私たち自身の内部で経験することができるものを探求するときだけです。この感情は次のような方法で魂の経験として記述することができます。皆さんが真の犠牲行為を観察すると想像してみてください。つまり、前回の講義の中で記述したように、トローネがケルビームにその供儀を捧げるというイメージが皆さんを深く感動させ、そのため、そのイメージが皆さんの魂を無上の喜びによって生き生きとさせると想像してみてください。もし、皆さんが、そのような犠牲を捧げる存在を観察するならば、あるいは、皆さんの魂を目覚めさせ、生き生きとさせるようなこの種の像について想像するならば、皆さんの魂は何を感じるでしょうか。もし、皆さんが生命に満ちた感情を持っているとしたならば、もし、皆さんが、犠牲行為の中で感じる喜びを前にして、無関心で立っていることができないのであれば、皆さんはこの犠牲行為を目の当たりにして、深い目覚めを経験せざるを得ないでしょう。皆さんは、犠牲から生じる無情の喜びを見守るということは最も美しい行いであり、そもそも魂の中で生じ得る最も美しい経験である、と皆さんの魂の中で感じざるを得ません。別の経験も生じ得ます。それは完全に身を任せるという態度です。実際、もし、犠牲が、魂の中に、完全な献身をもってそれを見つめたいというあこがれを生じさせないとしたら、そして、自己犠牲の雰囲気をもたらさないとしたら、皆さんは一片の木でなければならないでしょう。そのように自らを諦める無我について考えてみてください。それは行為の中で変容された自己犠牲です。そして、能動的で意識的な自己犠牲について熟考することにより、自分を譲り渡すということ、自らをなくすということ、自己を忘れるということに対する親和性を作り出すことができます。もし、そのような雰囲気、あるいは、少なくともそれについての示唆もしくは残響を作り出すことができないとしたら、犠牲についてのより綿密な理解へと本当に至るということは決してないでしょう。実際、私たちは、淡々と自己を諦める、というこの雰囲気を魂の中に注ぎ込むならば、より高次の認識形態が私たちに与えることができるものへと至ることができるかも知れません。自己犠牲の精神を創造することができない人は、より高次の認識を達成することもできません。この自己犠牲という態度の正反対のものとは何でしょうか?それは自己意志、自分自身の意志を主張するということです。自分が思索するものの中に自らを無くすこと、そして、自らの意志で自分の中にあるものを主張すること、これらが魂の生活におけるふたつの極です。これらは大いなる対極です。もし、皆さんが真の認識を達成し、皆さん自身を叡智で満たしたいとすれば、この自己意志は致命的なものとなります。日常生活においては、自己意志は偏見として知られています。そして、偏見はより高次の洞察を絶えず破壊します。実際、自己犠牲への能力として私がここで記述しているところのものを思考の中で強化する必要があるのですが、それは、自己犠牲の強化された感覚によってのみ、人はより高次の世界に向けて歩を進めることができるからです。より高次の世界においては、自分を捨てる能力、少なくともその魂的な雰囲気を経験できなければなりません。もし、私たちが科学的な知識や日常的な思考だけでやっていくならば、より高次の認識を達成することは決してできないということを強調しておきたいと思います。通常の科学や日常的な思考が働くのは、通常の人間的な意志、すなわち、私たちが受け継ぎ、あるいは涵養してきた経験、感情、そして、考えにおいて自己意志が創り出してきたあらゆるものを通してであるということを私たちは明確にしておかなければなりません。私たちはここで間違った方向に導かれる可能性があるのですが、実際、この領域では、錯覚することが非常に多いのです。人々がやって来て、例えば、次のように言うかも知れません。精神科学が提示する知識のあれこれの側面を受け入れるべきであると言われても、私は、私が既に考えたことと一致しないものは何ひとつ受け入れるつもりはない、証明されないものを受け入れるつもりはないのだと。確かに、証拠なしに何かを受け入れるべきではありません。しかし、私たちが私たちに提示されたものの中から私たちが既に知っているものだけを受け取るとしたら、私たちは一歩も前に進むことができないでしょう。超感覚的な能力を持ちたいと願う人であれば誰であれ、自分は自分が既に証明したものだけを受け入れることにしよう、などとは決して言わないでしょう。超感覚的な能力を持ちたいと願う人はあらゆる自己の追求から自由でなければならず、宇宙から自分たちのところへやって来るものはすべて、ただ「恩恵」という言葉で記述されることができるだけだということをあらかじめ知っていなければなりません。そのような人々は、照らし出す恩恵からあらゆるものがやって来ることを見通しています。では、人はどのようにして超感覚的な認識を達成するのでしょうか?それは私たちが既に知っているあらゆるものを脇にやることによってのみ可能となります。私たちは、通常、私には私自身の判断がある、と考えています。けれども、通常の判断は皆さんの先達が既に考えたこと、皆さんの願望を刺激するもの、あるいはその他のものを単に新しくすることからやって来るに過ぎません。決して自分自身で判断するかどうかが問題なのではありません。自分自身の判断を行使していると最も主張する人たちが、いかに自分自身の偏見に隷属的に結びつけられているかに最も気づいていない人たちなのです。もし、私たちがより高次の認識を達成したいのであれば、これらのことすべてから脱却していなければなりません。魂は空虚でなければならず、空間もなく、時間もなく、対象もなく、事象もない、隠された、秘密の世界から受け取ることができるものを静かに待つことができなければなりません。私たちは、顕現あるいは悟り、つまり、照らし出すものとして私たちに提供されるあらゆるものに出会うための雰囲気が私たちの中に醸成されることを待つことなしでも、より高次の認識を獲得できると決して信じるべきではありません。私たちに近づいてくるあらゆるもの、他でもない恩恵として、私たちのところに「来るべきもの」として、私たちに何かを与えるところのあらゆるものを私たちが待っていられるのは、ただこのような雰囲気の中においてのみです。そのような認識はどのようにして自らを現すのでしょうか。私たちのところへとやって来るはずのものは、私たちが十分に準備できたとき、どのようにして現れるのでしょうか。それは、精神的な世界から私たちに出会うためにやって来る贈り物によって、祝福されるという感情として自らを現すのです。もし、私たちの人生において、そのようにして私たちの前に立つところのもの、恵みに満ち、私たちをその認識で満たしながら私たちの前に立つもの、それが何らかの存在であれ、何か別のものであれ記述したいのであれば、それを表現する仕方はただ次のようなものだけです。つまり、私たちは、恵みを与えるものとして、贈り物をするものとして、私たちに何かを与えるものとして、私たちのところへとやって来るものを経験すると。ある存在の主な特徴が、付与し、与え、提供する恵みを注ぎ出し、降り注ぐ能力で構成されているとき、そのような存在の本性を把握するには、トローネのケルビームに対する犠牲のイメージを自分のものとする必要があるのです。ある存在が、トローネによるケルビームへの供儀の意味を理解している人のところにやって来る、と想像してください。それは、トローネの犠牲を理解する能力を与えるという能力、自らの贈り物を自らの周りに恵みとして注ぎ出すという能力に変化させることができる存在です。私たちが薔薇を見て喜びに満たされ、そうすることで、私たちが「美しい」ものとして眺める何かによって祝福されるという感情を経験していると想像してください。そして、また別の存在について想像していただきたいのですが、それは、ケルビームに対するトローネの犠牲の意義を理解し、それが有しているものを周囲のものに捧げる存在であり、与える精神の中で、与えられるものすべてを世界の中へと注ぎ出す存在です。もし、私たちが、そのような存在について想像するならば、それは、「神秘学概論」の中でも記述したように、土星存在期の間に知られるようになったあの存在たちに、太陽存在期の間に、つけ加えられたあの叡智の霊たちなのです。さて、もし、太陽存在期に現れ、土星存在期を通して既に存在していた霊たちにつけ加えられたこれらの叡智霊たちの特徴とはどのようなものか、と問われるならば、私は次のように答えなければならないでしょう。これらの霊たちは、そのはっきりとした特徴として、与えるという、授けるという、恩恵を行使するという、徳を有している、と。もし、私がこれらの存在たちについての定義を見いだそうとするならば、彼らは叡智の霊、大いなる譲与者、宇宙における偉大な与える者たちである!と言わなければならないでしょう。ちょうどトローネを偉大な犠牲者と呼んだように、叡智霊については、彼らは偉大な与える者たちであり、宇宙がそれから織りなされ、生かされている正にその贈り物を授ける者たちである、と言わなければならないでしょう。何故なら、彼らは、彼ら自身を宇宙の中に注ぎだし、最初に秩序を創り出したからです。「太陽」上における叡智霊の影響とはそのようなものです。つまり、彼らは彼ら自身の存在をその周囲に向けて与えるのです。けれども、もし、私たちが外的な観察に顕れるものを、より高次の感覚知覚によって見たいのであれば、「太陽」上では何が起こるかと問うかも知れません。私たちが「太陽」を見るとき、私たちが観察するのは「神秘学概論」の中で記述されたところのものです。熱に加えて、「太陽」は空気と光からも構成されています。けれども、単に、「太陽」は熱だけではなく、空気と光からも構成されていると言うならば、例えば景色について、遠くに灰色の雲が見えると言うようなものです。もし画家であったならば、この印象を得たとき、灰色の雲を描くかも知れません。しかし、もっと近づいてみるならば、灰色の雲というよりも、むしろ虫の大群のようなものを見いだすかも知れません。実際、灰色の雲のように見えたものは、無数の生きた存在たちだったのです。私たちが遠く離れたところから古「太陽」存在について考えるとき、私たちはそれと同じような状況にあります。遠くから見ると、古「太陽」は空気と光からなる天体のように見えます。けれども、もっと近くからそれを見るならば、私たちはもはや空気と光からなる天体を見るのではありません。そうではなく、叡智の霊による授与という大いなる徳が現れてくるのです。空気を単にその外的で物理的な性質にしたがって記述する人は決して空気の真の本質を見いだしません。これらの性質は単なる幻想(マーヤ)であり、外的な顕現に過ぎません。宇宙においては、空気があるところには必ず、贈り物を授与するという叡智の霊の行為がその背後にあります。織りなし、働き続ける空気は、大宇宙の霊による授与という徳を顕しているのです。空気の真の本質を見る人だけが、私はここに空気の要素を知覚する、しかし、実際には、叡智の霊たちが贈り物を周りに与えている、何かが叡智の霊からその周囲へと流れ出しているのだと言います。こうして、私たちは、今や、古「太陽」は空気からなっている、と言うときには、本当は何について語っていたのかを知ります。私たちは、今や、外的には空気として現れるものは、実際には、叡智の霊たちが彼ら自身の存在をその周囲へと流れ出させている活動であるということを知るのです。ところが、この時点で、超感覚的な視覚の前に、古「太陽」上での顕著なできごとが現れて来ます。このことを理解するためには、与えるという徳についてのもっと正確な考えを魂の生活の中から創造することができなければならない、ということをはっきりさせておく必要があります。私たちがこれまで記述してきたような、供儀の雰囲気の中での知覚や考えを私たちに浸透させることができるときに持つことができるような感情を、もう一度創り出してみましょう。そのようにして浸透させられた考えは、私たちにいつも特別な感情を起こさせます。それは科学的な考えのようなものではありません。それに非常によく似た経験は、芸術の領域において見いだされるかも知れません。その領域においては、ひとつの独立した実体を世界に提示するために、色や形態が世界の中へと流れ出すその流れ出し方をマスターした考えが必要になります。そのような贈り物を与える能力を持った存在を特徴づけるとすれば、この贈り物に結びつけられるのは生産性、創造性である、と言うことができるかも知れません。と申しますのも、与えるという行為そのものが創造的な活動だからです。そのように考え、その考えが世界に治癒をもたらすと感じ、そして、それを芸術作品の形で提示する人であれば、それが誰であれ、与えるという徳のもたらす果実を正しく理解しています。芸術家の心の中にある創造的な考えについて、そして、その考えがいかに物質の中に顕現するかについて、考えてみてください。つまり、この考えとは、正に空気の精神的な存在なのです。空気があるところには創造的な活動がある、ということです。そして、この生きた創造行為が「太陽」上にあったことにより、空気と創造的な活動とは関連しているということを事実として見て取ることができるのです。時間の霊が古「土星」上で誕生したことを思い出してみるならば、「太陽」上にも時間が存在していた。と申しますのも、時間は「土星」から「太陽」へとやって来ていたからということも分かります。そこにも時間は存在していたのです。原型的な与えるという行為が存在していたことで、古「土星」上では生じ得なかったひとつの可能性が古「太陽」上には存在していました。もし、時間が存在していなかったとしたら、与えるということはどうなっていただろうかと考えてみてください。つまり、与えるということは、与えることと受け取ることの両方から成り立っていますから、授与ということはあり得なかったことでしょう。受け取るということなしに、与えるということは考えられません。ですから、与えるということは与えることと受け取ることのふたつの行為から成り立っているのです。そうでなければ、与えることには何の目的もなくなってしまいます。「太陽」上では、与えるということは、受け取るということに対して、非常に特別な関係にありました。「太陽」上には既に時間が存在していますから、古「太陽」の周囲へと送り出される贈り物は時間の中に保存されるのです。叡智の霊たちがその贈り物を注ぎ出すとき、それらは時間の中に存在する状態に留まります。そのとき、それを受け取ることができる何かがやって来なければなりません。叡智の霊たちによる活動との関係で、受容ということが時間の流れにおける後の地点において起こります。叡智の霊たちが与えるのは以前の瞬間においてであり、その与えるということに受け取るという形で必然的に結びついていることがらが生じるのは後の時点においてなのです。このことについての正確な像を得るためには、もう一度、私たち自身の魂の経験を考察しなければなりません。皆さんが何かを理解しようとして、あるいは、何らかの考えを形成しようとして大変な努力をすると想像してみてください。皆さんは、今や、あれこれの考えを創造しました。次の日、皆さんは、前の日に皆さんの思考の中で創造したあらゆるものを再び心の中にもたらすために、皆さんの心の中を空にします。皆さんはこのようにして、昨日形成したものを今日受け取るのです。古「太陽」上でも状況は同じです。つまり、以前の時点において与えられたものは保存されたままとなり、そして、後の瞬間になって受け取られるのです。しかし、この受け取るということにはどのような意義があるのでしょうか。原型的な与えるということと同様、受け取るということもまた古「太陽」上における行いあるいはできごとだったのです。受け取るということが与えることと異なっているのは時間的な意味においてだけです。受け取るということが起こるのは後になってからです。与えるということは叡智の霊から生じますが、では、誰が受け取るのでしょうか。誰かが受け取るということが生じるためには、まず受け取る者が存在していなければなりません。「土星」上でのトローネによるケルビームへの犠牲が時間の霊の誕生へと導いたのと同様に、「太陽」上における叡智の霊による宇宙的な授与が始まったことで、私たちが大天使あるいはアークアンゲロイと呼ぶあの霊たちが生じたのです。大天使とは古「太陽」上で受け取る者たちのことです。けれども、彼らは非常に特別な仕方で受け取ります。と申しますのも、大天使たちは、叡智の霊から受け取るものを自分たちのために保持するのではなく、ちょうど鏡が、受け取った像を反射するように、それを反射するのです。こうして、「太陽」上の大天使たちは、以前の時点において与えられたものを受け取るという使命を持っているのですが、そのため、それは保持され、大天使によって後の時間の中へと再び反射されるのです。ですから、「太陽」上には、与えるという以前の行為と、受け取るという以後の行為が存在していますが、ここで言うところの受け取るとは、以前の時点において与えられたものを投げ返す、反射するということです。地球を現在あるがままにではなく、以前の時代に起こったことが再び現在へと流れ込んで来ていると想像してみてください。私たちは実際そのようなことが起こっていることを知っています。私たちが生きているのは第5後アトランティス時代ですが、第3後アトランティス時代である古エジプト-カルディア時代に起こったできごとは今の時代にまで流れ込んで来ているのです。第3の時代に生じたことは再び出現し、反射されるのです。これは古「太陽」発達期に生じた、与えることと受け取ることの再現です。このように、私たちは叡智の霊を古「太陽」期における与える者、そして、大天使を受け取る者と見なすことができます。このことから特筆すべきことがらが生じてくるのですが、それを正確に思い描くには、与えられるべき何かがその中心から放射してくるような内的に閉じられた天体を想像するしかありません。中心から周辺へと何かが放射され、そして、そこから再び反射されて中心点へと戻って来るのです。大天使たちは、自分たちが受け取ったものを、その天体の外表面の内から再び反射しています。外側から何かかが来ると想像する必要はありません。私たちは中心から外に向かって動く何かを想像しなければならないのですが、それは叡智の霊からやってくるものです。それはあらゆる方向へと放射され、それを反射し、返す大天使たちによって受け取られます。空間中へと反射し、返されるものとは何でしょうか。再び反射されるところの叡智の霊による贈り物とは何なのでしょう。再びその源泉へと向けられる放射する叡智とは何なのでしょうか。それは「光」なのです。大天使たちは光の創造者でもあるのです。光とは外的な幻想の中に現れるようなものでは全くありません。光が生じるところではどこでも、叡智の霊による贈り物が私たちに向けて反射されているのです。光があるあらゆる場所にそれが居ると考えなければならないような存在とは、大天使たちのことなのです。ですから、私たちは、溢れる光線の内部には大天使たちが隠れている、と言わなければなりません。私たちの元に来る溢れる光線の背後には大天使たちが隠れているのです。光を流出する大天使たちの能力は、叡智の霊たちが彼らに向けて放射するところの与えるという徳から生じます。こうして、私たちは古「太陽」の像に至ります。想像してみてください。中心では、叡智の霊たちが、古「土星」から受け継がれてきた遺産、トローネによるケルビームへの犠牲行為についての思索の中に沈んでいます。この犠牲の行いについて思索することによって、叡智の霊たちは彼ら自身の内実、与えるという徳の形を取った流れる叡智を放射するように促されます。この徳は、時間に浸透されているために、送り出された後、再び反射されるのですが、そのため、私たちの前にあるのは、その源泉、中心へと反射し、返される徳によって内的に照らし出された天体です。と申しますのも、私たちが想像しなければならないのは、古「太陽」は外に向かってではなく、内に向かって輝いているということだからです。そして、このことによって何か新しいことが生じるのですが、私たちはそれを次のように記述することができます。叡智の霊が「太陽」の中心で、犠牲を捧げるトローネについて思索し、彼ら自身の存在をそのはるかな周囲へと放射すると想像してください。そして、彼らが放射したものは、その天体の表面から、光の形で戻ってきて、再び彼らによって受け取られます。あらゆるものがますます照らし出されるようになるのですが、彼らに反射し、返されるものから彼らが受け取るものとは何でしょうか。大宇宙への贈り物として捧げられたのは彼ら自身の存在、彼らの最奥の存在です。今やそれが反射されて戻ってくるのです。彼ら自身の存在が外から彼らのところへと戻ってきます。彼らは大宇宙全体にばらまかれた彼ら自身の内的存在が光として、つまり、彼ら自身の存在の反映として、反射され、戻ってくるのを見るのです。今や、内と外とがふたつの極として私たちの前に立ち現れます。前と後とが自ら変容し、内と外とになります。空間が生まれるのです!叡智の霊によって与えられた授与するという徳の贈り物から、古「太陽」上で空間が生じます。それ以前には、空間とは、単に寓意的な意味しか持つことができないものでした。けれども、古「太陽」上には今や実際の空間があるとはいえ、それは2次元的なものに過ぎず、上下も、左右もなく、ただ内と外があるだけです。実際には、これらふたつの極は、古「土星」期の終わりには既に現れていたのですが、古「太陽」上での空間の創造に際して、その過程が繰り返されるのです。そして、もし、私たちがこれらのできごとのすべてを想像し直そうとするならば-ちょうど、以前、犠牲を捧げるトローネが時間霊を生じさせたことを私たちの魂の前にもたらしたように-光からなる天体を思い描いてはなりません。と申しますのも、光はまだ外に向かって放射するのではなく、単に内に向かって放たれる反射として存在していたからです。私たちはむしろ内的な空間としての天体を想像しなければなりません。その中心では、「土星」の像の繰り返し、つまり、ケルビームの前に跪く霊として存在するトローネ―ケルビームは自分自身の存在を捧げるあの翼を持つ存在たちです。そして、それらに加えて、犠牲の思索の中に浸る叡智の霊が生じます。今、想像することができるのは、犠牲(トローネの犠牲の火)の中に横たわるきらめきが叡智の霊の犠牲へと自ら変容するということですが、その犠牲の物質的な表現は、犠牲行為の間、捧げる煙として生じる空気です。ですから、次のように想像するならば、私たちは完全な像を得ることができます。・ ケルビームの前に跪き、犠牲を捧げるトローネ、・ 「太陽」の中心では、トローネの犠牲の印象を前にして祈りを捧げる叡智霊の合唱、・ 彼らの献身は犠牲の煙のメージとなり、あらゆる方向に広がり、外へと流れだし、周辺で雲へと濃縮する、・ 大天使が煙の雲から生じる、・ 周辺からは、犠牲の煙という贈り物が光の形を取って反射し、返される、・ 「太陽」の内部を照らし出す光、・ 叡智霊の贈り物が返戻(へんれい)され、それによって、「太陽」の領域が創造される。 この領域は燃える熱と犠牲の煙という外に向かって注ぎ出される贈り物から成立っています。外縁には光の創造者である大天使がいて、「太陽」上で以前に生じていたものを反射しています。時間がかかりましたが、最終的には、犠牲の煙が光として返戻されることになりました。大天使は何を保持していたのでしょうか?彼らは以前に生じていたものを保持していたのですが、それは叡智霊の贈り物です。彼らはそれを受け取り、そして、その後、反射し、戻したのですが、とはいえ、以前には時間として存在していたところのものを、彼らは空間として返したのです。時間を空間として反射し、戻すことによって、大天使たちは彼ら自身がアルカイから受け取っていたものを返したのです。こうして、彼らは原初の天使たちとなります。と申しますのも、彼らは以前から存在していたものを後の時代にもたらしたからです。大天使とは原初(アルカイ)の御使いたちなのです!真の秘儀の知識からこのような「言葉」が再び現れてくるということ、そして、この「言葉」が太古の伝統の中で生じ、パウロの弟子であるディオニシウス・アレオパギータの学院を通して私たちのところにまで伝えられた、ということを思い出してみるのはすばらしいことです。この言葉はあまりにも深く刻みつけられたために、私たちがそれを再び、書かれたものとは別に、見いだすとき、最初に生じたもの―最初の意味―が再び生じてくる、というのはすばらしいことです。それは私たちを大いなる尊敬の念で満たします。私たちは秘儀の叡智に参入するための古い聖なる秘密の学院に結びつけられているように感じます。それはこの太古の伝統が私たちの中に流れ込んでいるかのようなのですが、それは、たとえ、私たちが私たち自身の責任で、その古い伝統とは別に、この知識を獲得しているとはいえ、私たちがそれを理解することによって把握しているからです。私たちに伝えられてきた古い表現形式の雰囲気について何かを経験することができる人たちは、たとえそれらの伝統に気づいていないとしても、人間精神の内にある時間霊の影響の下に置かれていると感じます。人類の進化全体に結びつけられているというすばらしい感情、これらのことがらにおける確かさの感情がここから生じるのです。大天使たちは原型的な原初の思い出を保持しています。あれこれの惑星上に存在していたものであれば何であれ、後の時代に繰り返されるのですが、後で現れるときには、いつも何か別のものがつけ加えられます。ですから、ある意味で、私たちは、私たち自身の「地球」上に見いだすものの中においても、「太陽」の存在に出会うことになるのです。このイマジネーションの全体、私たちが発達させることができるこの感情全体が私たちに与えるのは、犠牲を捧げるトローネの像、その供儀を受け取るケルビームの像、その供儀から放射するきらめきの像、空気のように拡散する供儀の煙の像、そして、原初に生じたものを後の時代のために保存する大天使から反射する光の像です。この感情が私たちの中に目覚めさせるのは、これらの創造に関連したあらゆるものについての理解なのです。この環境、私が魂の状況としてここで描写した環境は、私たちが以前、物理的な表現を通して達成したところのものを、より精神的な観点から提示します。そして、私たちは今や、キリスト存在として「地球」上に現れた存在が生まれるのはこの環境からであるということを理解します。キリスト存在が「地球」に何をもたらしたのかを私たちが理解することができるのは、宇宙の光として「太陽」体内部の実質に向けて反射される、そして、それはこの光によって浸透され、照らし出されます。そのような、与えるという慈悲を生じさせる徳についての概念を自分のものにするときだけなのです。もし、私たちが今述べたようなこのイメージを掲げ、それをイマジネーションへと変容させ、そして、この存在が地球へともたらし、そこで体現したのはこれであると考えるならば、キリスト衝動という精神的な存在をより深く経験することができるでしょう。人間の魂の中に住むことができるぼんやりとした暗示が、この表現によって今記述されたことは「地球」上に再び住むことができるのだということを感じ取るとき、私たちはその暗示を理解することができるようになるでしょう。私たちが「太陽」について今述べたことがらが、ある「存在」の魂の中に集積され、完全に濃縮され、そして、後になって再び前面に持ち出されると想像してみてください。この「存在」は地上に現れ、原型的な行為と犠牲の煙が創り出したもの、つまり、光を生じさせる時間と与える徳から、賦活する慈悲の精髄が受け継がれ、魂の熱と輝く光が宇宙から反射されるような仕方で働きを行いました。このすべてがたったひとつの「魂」の中に濃縮され、その「魂」がそれを「地球」存在に受け渡すと想像してください。そして、それを反射し、返すとともに、後に残る「地球」存在のためにそれを保持する意図を持った者たちがその「魂」の周りに集まると。中心には、犠牲から、犠牲を通して、与える「者」が、そして、この「存在」の周りには、それを受け取る意志を持った者たちがいます。ここで私たちが結びつけたのは、一方では、地上的な存在へと置き換えられた、犠牲であるところのものと、その犠牲に属するものであり、他方では、この犠牲を破壊する可能性です。と申しますのも、慈悲を生じさせるために人間に与えられる可能性があるものはすべて、拒否されるか、あるいは、受け取られるかのどちらかだからです。このすべてが直感的知覚(インテュイション)の中に体現される、と想像してみてください。そのとき、そこにあるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の前に立つときに経験するものです。つまり、そこには、以前の時代に生じたものを後の時代へと伝えるために選ばれた「者」たちから反射し、返される全「太陽」であり、それは、犠牲を捧げる「存在」たち、与える徳の「存在」たち、魂を暖める喜びと光に満ちた荘厳さの「存在」たち、それは魂によって把握されともにあります。このすべては、特に「地球」のために、同時に、それが裏切り者によって拒絶される可能性とともに設えられました。「太陽存在」が「地球」上に再び現れたものとしての「地球の存在」は、このようにして経験することができます。外的、知性的な仕方ではなく、真に芸術的な方法でこれが感じられるならば、「地球」存在の精髄を反映するあの偉大な芸術作品の中に、真の推進力を経験することができるでしょう。そして、次にこの絵を見るときには、「キリスト」がいかに「太陽」の環境から育ってきたかということを知るとともに、私たちがしばしば語ってきたことをよりよく理解することにもなるでしょう。つまり、もし、ある精神が「火星」から「地球」にやってきて、彼が見るものすべてを理解できなかったとしても、その精神がレオナルドの「最後の晩餐」を自分に作用させるようにするならば、彼は「地球」の使命を理解できるだろうということを。火星の住人は、「太陽」存在が「地球」存在の内部に隠されているに違いないということを理解することができるでしょう。そして、私たちがこのことの重要性について語ることができるあらゆることが、彼には明らかとなるでしょう。その火星の住人は「地球」が意味あるものであることを理解し、「地球」にとって何が重要なのかを知ることでしょう。彼は自分に次のように言うかも知れません。「これは地上のどこかで起こり得ることであり、「地球」存在の片隅でのみ意味を持つことかも知れない。しかし、もし、この行い、中央の人物のそれを取り巻く人物たちとの関連における色彩から私に向かって流れてくる行いを本当に表現することができるなら、「叡智の霊」たちが「太陽」上で経験したところのものが、ここでは「私の記念にこれを行いなさい」という言葉の中にこだましているのを感じることができるだろうと。ここには以後における以前の保存があります。これらの言葉を理解することができるのは、私たちがちょうど学んできたように、全宇宙の文脈からそれらを把握するときだけです。私がここで指摘したかったのは、第一級の芸術行為がいかに宇宙の発達全体に関連しているかということでした。次回の講義では、「月」の精神的な「存在」の観点へと進むために、「太陽」の精神的な「存在」の観点から「キリスト存在」を理解するということが私たちの仕事になるでしょう。参考図:霊的太陽系-01人気ブログランキングへ
2024年05月20日
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真相から見た宇宙の進化Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen(GA132) 佐々木義之さん訳■第1講:土星紀における地球の内的側面 ベルリン 1911年10月31日 去年の支部の夕べにおいて私たちが行った考察をさらに進めていきたいと思うのであれば、私たちがこれまでにお話ししてきたものとは別の何らかの概念、考え方、あるいは感じ方を自分のものとしなければなりません。と申しますのも、もし、私たちが私たちの宇宙体系全体の発展を前提としない限り、人類が残してきた福音書やその他の精神的な文献について私たちが語るべきことがらは、それだけでは十分であるとは言えないと思われるからです。私たちはこの進化を私たちの惑星そのものが「土星」、「太陽」、そして「月」の存在状態を通過し、ついには現在の「地球」としての存在状態を取るに至ったものとして記述してきました。私たちがこれらの基本的な原則にいかにしばしば言及してきたかを思い出す人であれば誰でも、それらが人類の進化に関するあらゆる秘教的な観察にとってもまたいかに必要なものであるかを知っています。けれども、もし皆さんが「神秘学概論」の中に記述されている「土星」、「太陽」、「月」、そして「地球」の発展段階に関する説明をご覧になるならば、そこに書かれていることは、たとえ拡張されているとはいえ、単なるスケッチに過ぎず、それ以外のものではあり得ないということを認めざるを得ないでしょう。それはある観点から描かれたスケッチに過ぎませんから、また別の特定の観点から説明することもできます。と申しますのも、ちょうど地球の存在状態が詳細な内容を途方もなく豊かに提供するように、「土星」、「太陽」、そして「月」の存在状態についてもまた、記録すべき無数の詳細な内容があるというのは当然のことだからです。とはいえ、これらの詳細についての大まかなスケッチや概要を描いてみせるということは、まさにいつでも可能なのです。ですから、今回の連続講義では、さらに別の面から進化の特徴を描いてみるということにならざるを得ないでしょう。私たちがこれらの説明すべては一体どこから来たのかと自らに問うとき、私たちは、それらはいわゆるアカシャ年代記への参入に由来するものであるということを知っています。私たちは、宇宙的な発展の経過の中で一度生じたことであれば何であれ、アカシャ実質と呼ばれる精妙な精神的実質の中に刻まれた印象を用いて、ある程度読みとることができるということを知っています。かつて生じたことがらすべてが残したこの種の刻印から、物事はかつてどのように存在していたのかを聞き取ることができるのです。物理的な世界においては、私たちが何かを見るとき、私たちのより近くにあるものは、その詳細において、一般に明確ではっきりとしているけれども、それがより遠くになるにしたがってあまり明確ではなくなると考えることができます。物事が、時間的に、私たちにより近い場合にも、より遠く離れている場合に比べて、より正確な姿で現れてきます。超感覚的な能力をもって振り返るときも同様です。例えば、「土星」や「太陽」の存在状態は「地球」や「月」の発達期に比べてその概要はより不明確なものとなるでしょう。しかし、一体何故そのようなことをする必要があるのでしょうか。何故、私たちは私たちの時代からそれほどまでに遠く離れている時代を追跡することを重要だと考えるのでしょうか。誰かが次のように問うかもしれません。「何故、この人智学者たちはそんな大昔のことを今さら持ち出すのか。私たちはそんなことに関わる必要は全くない。私たちには現在進行中のことが沢山あるのだから。」と。そのように言うのは間違っています。何故なら、時間の流れの中にかつて置かれたものは、今日においても、実りを迎え続けているからです。土星期の間に存在へともたらされたものは、単にその時代だけに、あるいは、その時代のためだけに存在したのではありません。当時起こったことは私たちの時代にまで影響を及ぼし続けているのです。とはいえ、それは人間をとりまく物理世界の中で外的に存在しているものとの関係においては、ヴェールをかけられ、見ることができないものとなっています。実際、はるか昔の古「土星」存在期に起こったことは今日ではほとんど見ることができなくなっています。にもかかわらず、古「土星」存在期は人類にとって今でも重要なのです。それが私たちにとって何故重要なのかを考えるために、次のことがらを私たちの魂の前に置いてみましょう。私たちは、私たちの存在の最奥の核は私たちが「私」と呼ぶところのものとして私たちの前に立つということを知っています。私たちの存在の最奥の核であるところのこの自我は今日の人間にとっては本当に実体がなく、知覚できないものとなっています。それがいかに知覚不可能なものになっているかということは、いわゆる「公的な」心理学の中で魂についてどのように語られているかを見れば推し量ることができます。それらはもはや自我を構成するものについてのいかなる考えも、あるいは、実際にはそのような自我を示唆することができるかもしれないという考えすら持っていないのです。私は19世紀のドイツ心理学において、「魂なき魂理論」という表現が徐々に使われるようになったという事実に注意するようにということをしばしば言ってきました。ウイルヘルム・ヴントの世界的に有名な学院は、ドイツ語を話す地域だけでなく、心理学について語られるところであればどこでも、大いなる尊敬を集めてきましたが、その学院が「魂なき魂理論」を流行らせたのです。この「魂なき魂理論」は、魂の特質を記述するにあたって、独立した魂の実存を前提としません。そのかわり、あらゆる魂の特質が最初に一種の焦点に集まるのです。つまり、自我の中へと集合するのです。かつて魂に関する理論に関連づけられたものの中で、これほどの愚考はありません。けれども、今日の心理学は完全にその影響下にあるのです。つまり、今日では、この概念は世界中でもてはやされているのです。将来、私たちの時代を研究するであろう文化歴史学者は、一体何故そのような理論が19世紀から20世紀に至るまで心理学の分野における最大の成果とまで見なされるようになったのかということを知るために、それらの仕事を切り抜きして利用することになるかも知れません。私がこのようなことを申し上げるのは、単に、「公的な」心理学が、自我すなわち人間の中心点に関して、いかに不明確であるかを指摘したかったからです。もし、私たちが自我をその真の性質において把握し、肉体を目の前に置くような仕方で、それを私たちの前に置くことができるとしたら、そして、肉体が目によって外的に見ることができ、感覚を通して知覚することができるものに依存し、栄養を必要とし、そして雲や山やその他のものを周囲の物理的な世界の中に見いだすのと同様の意味で、自我が依存している環境を見いだそうと努めるならば、つまり、もし、私たちが肉体についての文脈を知るのと同じ意味で自我にとって本質的な文脈を見いだそうと努めるならば、私たちは今日においても私たちの周囲に不可視的に浸透している宇宙の像あるいは絵巻物に至るのですが、それは古「土星」期の宇宙像と同じものなのです。言い換えれば、自我をそれ自身の世界において知ろうとする人であれば誰でも、古「土星」期の世界に似た世界を想像できなければならないのです。この世界は隠されています。つまり、それは人間にとって感覚知覚を超えた世界なのです。実際、私たちの現在の発達段階においては、その知覚を担うことは不可能なのです。それは境域の守護霊によりヴェールがかけられていることで、隠されたままになっているのですが、それは、そのような像を見ることに耐えられるためには、ある一定段階の精神的な発達が必要とされるからです。実際、人が最初に慣れなければならないのは、古土星が提示するような像を見る、ということです。皆さんは、何にもまして、一体どうすればそのような宇宙像を何か現実的なものとして経験することができるのかということについてのイマジネーションを形成しなければなりません。皆さんが感覚をもって知覚するあらゆるものを皆さんの思考から取り除かなければなりません。同様に、皆さんの内的な世界は魂の内部における潮の満ち引きから構成されていますから、皆さんはそれを捨て去らなければなりません。皆さんは世界に存在するものについての思考を消し去り、思考そのものもすべて解消するのです。感覚を通して知覚されるあらゆるものを外的な世界から取り除かなければなりません。つまり、皆さんは皆さんの内的な世界における魂や思考活動を消去しなければならないのです。このことを行った後、もし、皆さんが、この考えを本当に把握しようとするときに到達しなければならない魂の状態、あらゆるものが完全に取り除かれ、人間だけが残るということを思い出し、それについての考えを形成したいのであれば、皆さんが言うことができるのは、私たちの周囲に口を開けている底なしの空虚、無限に続く無の恐怖に耐えることができなければならないということだけです。完全に恐怖に満たされた環境を経験できなければならないのですが、同時に、自分自身の存在の内的な堅固さと確かさによってこれらの感情を克服できなければなりません。魂におけるこれらふたつの傾向―存在の無限に続く空虚への恐怖とそれを克服すること―なしには、古土星存在がいかに私たちの宇宙存在の基盤に横たわっているかを暗示するいかなるものも経験することはないでしょう。今、私が性格づけしたふたつの経験を、人々が自分で発達させることはめったにありません。また、この状態について書かれたものを見つけることもほとんどありません。もちろん、それを何年にもわたって超感覚的な力を用いて探求しようとしてきた人々はそれについて知っています。けれども、書かれたり出版されたりしたものの中には、人々が無限の深淵を前にしたときの恐怖やその克服について経験したということを示唆するものはほとんどないのです。私は、このことについての何らかの洞察を得る目的で、計りがたい空虚を前にしたときの恐怖らしきものが表現されている最近の文献を調査してみました。一般に哲学者はきわめて賢いので、概念については物知り顔にしゃべっても、恐怖を起こさせる印象については触れるのを完全に避けているのです。ですから、哲学的な文献の中に何かがこの問題について記録されているのを見つけるのは容易ではありません。何も見つけられなかった文献について今話すつもりはありませんが、それでも、ヘーゲル派の哲学者、カール・ローゼンクランツの雑誌の中に、この経験の残響のようなものを見いだすことができました。この雑誌の中で、ローゼンクランツは彼がヘーゲルの哲学に没頭しているときに経験した非常に親密な感情を記述しています。私は彼が全くそれとは知らずに彼の雑誌の中に載せている注目すべき文章に出会ったのです。ローゼンクランツにとって全く明白であったのは、ヘーゲルの哲学はヘーゲルによる「純粋存在」の理解に基づいているということです。ヘーゲルの原則である「純粋存在」については、19世紀の哲学文献の中で、非常に多くの表面的なことがらが語られてきましたが、実際には、それはきわめて貧弱にしか理解されていません。19世紀後半の哲学がヘーゲルの「純粋存在」について理解しているのは、雄牛が1週間ずっと飼い葉を食べ続けてきた日曜日について理解しているのと同じ程度においてであると言ってもいいくらいです。「純粋存在」というヘーゲルの概念―存在の経過ではなく、存在するという状態そのもの―は私が定義づけたような恐怖が流れ込む恐ろしい空虚のようなものと全く同じではありません。そうではなく、ヘーゲルの「存在」における空間のすべては人間が経験することができない特質、つまり、存在というものに満たされた無限の色合いを有しています。そして、カール・ローゼンクランツはかつてこれを、単なる存在以外の内容をもたない空間の宇宙的な広がりという恐ろしく打ちひしがせるような冷たさの状態として経験したのです。宇宙の根底に横たわるものを把握するためには、それを概念において語ったり、それについての考えを作り出したりするだけでは不十分です。古土星存在を特徴づける無限の空虚に直面したときに経験するものの像を呼び起こすことの方がずっと重要なのです。そのとき、魂は恐怖の感情を、たとえそれがそれを暗示するものに過ぎないとしても、把握します。山のように高い場所におけるめまいの感情、しっかりとした足場もなく深淵の縁に立つときの感情、あるいは、自分ではどうしようもない力に圧倒されながらあちこちと振り回されるときの感情を再現することによって、この土星状態を超感覚的に見上げることができるようになるための準備をすることができます。これが最初の段階、初めの感情です。次に、足下の大地だけではなく、目で見るもの、耳で聞くもの、手で触るもの-周囲の空間中に存在するありとあらゆるものが失われます。そして、不可避的に、人はあらゆる思考を失い、一種の黄昏あるいは眠りの状態に沈み込むのですが、そこでは何も認識的に把握することができません。あるいはまた、人はあらゆる感情の中に浸り、そして、しばしば克服することのできない目眩(めまい)の状態に捉えられ、死の状態に落ち込むことしかできなくなるのです。今日の人間には、深淵を前にして恐怖に捉えられることに打ち克つために、ふたつの可能性があります。ひとつの確立された方法は、福音書の理解、ゴルゴダの秘儀についての理解を通過する道です。福音書を本当に理解する人、福音書について現代の神学者が語るような方法によってではなく、内的に経験することができるその最奥のものを吸収する人は、彼あるいは彼女とともにその深淵の中に何かを持ち込むのですが、それは、まるで一点から広がっていき、勇気の感情、ゴルゴダにおいて供儀を完成させた存在と一体になることを通して守られているという感情によってその空虚を完全に満たしていくような何かです。これがひとつの道です。もうひとつは、福音書ではなく、真の、真正な人智学によって精神的な世界に貫き至る道です。これもまた可能なのです。ご存じのように、私がいつも強調しているのは、私たちのゴルゴダの秘儀についての考察は福音書から始めるのではない、ということです。その理由は、たとえ福音書が存在しなかったとしても、私たちはゴルゴダの秘儀を見いだすはずだからです。このことは、ゴルゴダの秘儀が生じる「以前」には不可能なことでした。しかし、それが今日可能になったのは、精神的な世界を精神的な世界の印象そのものから把握することを人々に可能にするような何かがゴルゴダの秘儀を通して世界の中にやって来たからです。これは世界における聖霊の存在、宇宙的な思考による世界の統治と呼んでもいいようなものです。とはいえ、人はそのための準備ができていなければなりません。私たちが恐怖を呼び起こすような空虚に直面しなければならないときでも、福音書あるいは人智学を携えているならば、道を失ったり、無限の深淵の中に飛び込んだりすることはないでしょう。もし、私たちが「いかにして超感覚的な世界の認識を獲得するか」、そして、それに続く他の著作の中で紹介されている準備を経てこの幽鬼的な空虚に近づき、精神的な世界、そこで生じるあらゆるものは私たちの感情は痙攣させ、私たちの思考を飲み込無事に貫き至るならば、私たちは動物、植物、あるいは鉱物界における存在たちとは全く似ていない存在たちに出会うことになるでしょう。私たちが「土星」という存在、そして、そこには雲も、光も、音もないのに親和し、適応するようになれば、私たちは存在たちを知るようになります。実際、私たちは、私たちの呼び方で、「意志の霊」あるいは「トローネ(座)」と呼ばれる存在たちを知るようになるのです。私たちが具体的な現実として知るようになる「意志の霊」たちは、いわば波打つ勇気の海から構成されているのです。人間にとって最初は想像することしかできなかったものが、超感覚的な能力によって、具体的な「存在」となります。皆さんが海の中に浸されていると考えてみてください、そして、キリスト存在とひとつになり、キリスト存在によって支えられていると感じている精神的な存在としてその中に浸され、泳いでいるのですが、それは今や水の海ではなく、流れる勇気、波打つ力で構成され、無限の広がりを完全に満たす海の中なのです。それはただの無関心で未分化な海ではありません。そこでは、勇気の感情として記述することができるようなもののあらゆる可能性と多様性が私たちのところへとやって来ます。私たちがそこで知るようになるのは勇気から構成されている存在たちなのですが、全く個別化されているのです。彼らは完全に勇気から成っているとはいえ、私たちが出会うのは勇気だけではなく、具体的な存在としての彼らなのです。肉からなる人間と同様に現実的でありながら、肉ではなく勇気からなる存在たちに出会うというのは確かにおかしなことのように思われるかも知れません。しかし、そうなのです。私たちは正にこの種の存在であるところの「意志の霊」に出会い、そして、彼らに出会うとともに、それによって、「土星」存在について記述しているのです。と申しますのも、それこそ勇気から成る「意志の霊」によって表現されているものだからです。それが「土星」なのです。それは球のような形をした世界ではありません。六つの角も四つの角も持っていません。空間的な側面を適用できないのです。ですから、「土星」存在には「終点」というものを見いだす可能性がありません。ここでも「泳ぐ」というイメージを用いたいのであれば、「土星」は海面を持たない海であると言うことができるかも知れません。その代わり、あらゆる場所で、あらゆる方向に、「勇気の霊」あるいは「意志の霊」が見いだされるのです。人はこのような洞察にすぐには到達しないのですが、何故そうなのかについては、後の講義で説明するつもりです。と申しますのも、ここでは以前に用いた「土星」、「太陽」、「月」という順番を用いようとしているのでが、本当は、反対の順番で、超感覚的な方法で実際に知覚される順番、つまり、「地球」から「土星」へという方向に-進む方がよいからです。しかし、今のところは、「土星」、「太陽」、「月」の順に特徴づけしていきたいと思います。順番そのものは重要ではありませんから。このようなものの見方に特徴的なのは、もし、人が少しずつ、慎重にその考えに到達するように注意していなかったとしたら、想像するのがきわめて難しいような何かが生じてくるということです。と申しますのも、そのとき何かが存在するのをやめるのですが、それは何にもまして通常の想像力に密接に結びついているものだからです。つまり、「空間が存在しなくなる」のです。例えば、「の頂上で」、「の下で」、「の前で」、「の後ろで」、「右へ」、「左へ」私は泳ぐというような、あるいは、実際、空間に関連したその他のあらゆる表現がもはや意味をなさなくなるのです。古「土星」においては、空間的な関連は全く意味をなしません。「至るところで」というのも「同様」です。けれども、最も重要なのは、「土星」の最初期の時代に入るときには、時間もまたなくなるということです。正に、後も先もなくなるのです。当然のことながら、それは今日の人間には想像するのがきわめて難しいことがらです。何故なら、ある考えは別の考えの前あるいは後に現れるというように、今日では人の考えそのものが時間の中を流れているからです。とはいえ、時間の欠如は感情を通して見積もることができるでしょう。しかし、この感情は心地よいものではありません。皆さんの思考形成能力が麻痺して、皆さんが思い出すことを可能にしているあらゆるもの、皆さんが行おうと計画しているあらゆるものが固まった棒のように麻痺したと想像してみてください。こうして、皆さんは、まるで皆さんの考えがしっかりと捕捉されて、もはやそれに触ることができないかのように感じます。この状態においては、皆さんは、皆さんが「以前に」経験した何かは、時間の中のある「時点」において生じたと言うことができません。皆さんはそれに結びつき、それはそこにあるのですが、それは完全に固定されているのです。時間が意味をなさなくなっているのです。時間は全く存在していません。ですから、次のように問うことは無意味なのです。「ところで、「土星」、「太陽」、あるいはその他の存在について記述したわけだが、「土星存在の前には何があったのかね」と。この文脈の中では、「前に」というのは無意味なのです。当時、時間は存在していなかったので、私たちは時間に関連したものを示すあらゆるものなしにやっていかなければなりません。「土星」存在というのは板張りされた世界の中にいる状況と似ています。思考は行き止まりになっているのです。超感覚的な能力も同様です。通常の思考はずっと前に置き去りにされています。それはそれほど遠くまで行けません。イメージ的に表現すれば、皆さんの脳は凍りついてしまいます。皆さんがもはや時間を包含しない意識についてのイメージに近づくことができるのは、皆さんがこの麻痺した状態を知覚できる程度においてです。ここまで来ますと、その全体像の中に生じる顕著な変化に気づきます。別のヒエラルキアに属する存在たちが、「意志の霊」とともに存在し、勇気からなる無限の海という時間のない世界であるところの麻痺の中に入り込み、活動するようになるのです。時間の不在が明らかになる正にその瞬間に、他の存在たちの活動に気づくのです。勇気からなる無限の海の内部に何かが存在しているのに気づくのですが、それは不明瞭な意識によってです。まるでそのことを経験しなかったかのようなのです。この広がりの中に何かが点灯するのですが、それは稲妻の素早い発光というよりは、明かりのようなものです。それは最初の差別化であるところのひとつの明かりなのですが、明るい光の印象を与えるような明かりではありません。皆さんは別の方法でこれらのことを理解するように努めなければなりません。例えば、次のようなことを想像してみるのもよいでしょう。皆さんは皆さんに何かを語りかける誰かに出会い、「この人物は何と知的なのだろう。」という感情を抱きます。この人物が語り続けるにつれて、この感情は強くなり、皆さんは「この人物は賢い、無限を経験している、だから、賢明なことがらを語ることができるのだ」ということに気づきます。さらに言えば、この人物は魅惑的なオーラを発散しているかのような感じを起こさせるのです。そして、この魅惑の要素が無限に強化されると想像してください。勇気の海の中に雲が現れるのですが、その中に、稲妻の光というよりは、正確にはきらめく放射が見られるのです。全体として、皆さんが想像することになるのは、今や「意志の霊」の内部で活動する存在、単なる叡智ではなく、放射する叡智の流れであるところの存在についてです。ここで、皆さんは、「ケルビーム」とは何かについて、超感覚的な知覚によるところの考えを持つことができます。つまり、「ケルビーム」とは、勇気の海に流れ込む存在たちのことなのです。さて、私が記述したもの以外には皆さんの周りには何もないと想像してください。実際、既に強調してきましたように、皆さんは、皆さんの「周囲」に何かがあると言うことはできないのです。皆さんが言うことができるのは、「そこに」それがある、ということだけです。そのように考えるようにしなくてはなりません。さて、何かが点灯しているというイメージは全く正確というわけでありません。そのため、私は瞬間的な煌めきというよりも、どちらかというと燃えるような輝きと言ったのです。と申しますのも、あらゆることが同時に起こっているからです。何かがある瞬間に存在するようになり、別の瞬間に消え去るというようなものではありません。すべてが同時なのです。とはいえ、「意志の霊」とケルビームの間には結びつきがあるという感情を持ちます。彼らがお互いに関係しているという感情を持つのです。このことが意識されるようになります。そして、「意志の霊」、トローネが彼ら自身の存在をケルビームに捧げる、ということが意識されるようになります。これが「土星」を逆向きに辿るときに得られる最終的なイメージです。「意志の霊」がケルビームにこの供儀を捧げる、というイメージを受け取るのです。それより先は宇宙がまるで「板張り」にされているかのようです。けれども、私たちが「意志の霊」によるケルビームへのこの供儀を経験する程度に応じて、何かが私たち自身の存在から絞り出され―押し出されて来ます。このことを言葉で表現するならば、「意志の霊」からケルビームにもたらされる供儀から「時間が生まれる」と言うことができます。けれども、この時間は私たちがそれについていつも話しているような抽象的な時間ではありません。それは独立した存在です。この時点で、私たちは初めて、何かが始まるということについて語ることができるようになります。最初は、時間とは時間存在、完全に時間から成る存在なのです。時間だけから成る存在が生まれて来るのですが、この存在は「人格の霊」、私たちがヒエラルキア存在の中の「アルカイ」として知っているところの存在です。「土星」存在においては、「アルカイ」とは全くの時間なのです。私たちは彼らのことを「時間*霊時間を司る霊」としても表現しました。彼らは霊として生まれてくるのですが、実際には、完全に時間から成る存在なのです。「意志の霊」によるケルビームへの供儀、そして、「時間の霊」の誕生に与る(*関与する)ということはとてつもなく重要なことです。時間が生まれた後で初めて、「土星」の状態、つまり、現在、私たちの周りを取り巻いているものに似た何かであるかのように語ることを私たちに許すような何か別のものが生じることになります。私たちが「土星」における熱の要素と呼ぶのはトローネによる供儀の煙であり、時間を生じさせるものです。私はいつも、「土星」は熱の状態として存在していると言って来ましたが、そのように言うことによって、そこに存在しているものを記述して来たのです。と申しますのも、現在、私たちの周囲にあるすべての要素の中で、古い「土星」にも存在していた要素として、熱だけを認めることができるからです。熱は「意志の霊」がケルビームに捧げた犠牲から生じたのです。このことはまた私たちが火についてどのように考えるべきかを私たちに示します。私たちが火を見たり、熱を感じたりするところでは、今日の人間が当然のこととして習慣的にそうするように、それを物質的に考えるべきではないのです。むしろ、それは、私たちが火を見たり熱を感じたりするところではどこでも、今日においてもなお「意志の霊」によるケルビームへの供儀なのです。熱の精神的な基礎を私たちの周囲に見ることはできないとしても、それは存在しています。あらゆる熱の顕現の背後に立っているのは供儀であるという真実に世界が至るのはこの洞察を通してなのです。「神秘学概論」の中では、人々を過度に怒らせることがないように、古土星の外的な状態だけが述べられていますが、それでも怒りを買ってしまいました。現代の科学的な文脈の中でしか考えることができない人々はこの本を全くのナンセンスであると見なします。けれども、もし、人が実際に次のように言うことができたとしたら、それは何を意味しているかということを考えてみてください。・古土星は、その最奥の存在として、正にその根底として、「意志の霊」に属する存在たちを有しており、彼らは彼ら自身をケルビームに捧げた。・「意志の霊」のケルビームへの供儀により生じた煙から、時間が生まれた。・時間が誕生したことにより、アルカイあるいは「時間の霊」がもたらされた。・私たちが知っているような熱は「意志の霊」による供儀の外的な表現、反映である。・したがって、外的な熱は幻想(マーヤ)である。もし、真実を語りたいのであれば、熱が顕現するところではどこでも、実際には、供儀(*ケルビームの前に捧げられるトローネの供儀)があると言わなければならない。 イマジネーションの能力を発達させることは薔薇十字的な秘儀参入の第2段階に当たります。このことは「いかにして超感覚的な認識を獲得するか」やその他のところでしばしば触れられています。人智学徒は、世界についての健全な表象からイマジネーションを形成しなければなりません。そのようにして、私たちは思考を想像力に染められたイマジネーションへと変容させることができるのです。私たちは今日お話ししたことがらを例として取り上げることができます。トローネあるいは「意志の霊」は完全な献身をもってケルビームの前にひざまずくのですが、それは卑しさの感情からではなく、捧げることができる何かがあるという意識から生じるものです。強さと勇気に基づき、喜んで供儀を捧げようとするトローネたちはケルビームの前にひざまずき、その捧げものを彼らに向けて差し上げます。トローネたちはその供儀を泡立つ熱、燃え上がる熱として送り出し、そのため、供儀の炎から立ち上る煙は翼をもったケルビームに向けて燃え上がるのです。私たちはそのようにこの現実を描写できるでしょう。そして今や、この供儀から生じるものとして、そして、それはまるで私たちが言葉を空中に向けて発し、その言葉が時間、それも「存在」としての時間であるかのようなのですが-これらのできごとの全体性から生じるものとして、「時の霊」あるいはアルカイが現れます。このアルカイを発生させるというイメージは非常に力強いものです。そして、私たちの魂の前に置かれたこのイメージは、私たちを隠された知の領域へとますます深くもたらすことができるようなイマジネーションにとって、きわめて強い効力を持っているのです。私たちがイマジネーション、すなわち像の中へと受け入れるアイデアをこのようにして変容させるということは、私たちが成し遂げるべきことがらです。たとえ私たちが形成する像が原始的なものであったとしても、それらが擬人化されたものであったとしても、たとえ私たちが描写しようとするこれらの存在たちが翼をもった人物であったとしても、それは重要ではありません。それが問題ではないのです。私たちの努力につけ加えられる必要があるものがあれば、それが何であれ、最終的には私たちに与えられるでしょう。私たちのイマジネーションが有するべきでないものは消え去るでしょう。もし、私たちがそのような像の中にひたすら浸るようにするならば、そのような活動そのものが私たちを実際にそのような存在の元へと導くことになるでしょう。もし、皆さんが、勇気に満たされ、叡智に満ち溢れた存在を特徴づける、という試みを受け入れることができるならば、皆さんは、魂がすぐに頼らなければならなくなるのは、理性によって形成される概念とはかけ離れた、ありとあらゆる種類の像である、ということが分かるようになるでしょう。知性的な概念が存在するようになったのはずっと後のことです。いずれにしても、純粋に知性的な方法で「土星」存在に近づくべきではありません。超感覚的な能力が、知性的に方向づけられた人たちとは異なる仕方で、素朴な超感覚的能力から何かを描き出そうとする人物の心の中で展開するということが何を意味しているかを、皆さんは理解するようにしなければなりません。知性的な人たちの側からそのような心が適切に理解されるということは決してありません。そのような例を皆さんに示したいと思います。アルバート・シュヴェグラー(1819-57年)の「哲学の歴史」(シュテュットガルト、1848年)を取り上げてみましょう。この本は、かつて学生たちが試験の前に勉強するのを好んだものですが、哲学から魂が取り除かれたことにより、もはや役に立たないものとなっています。しかし、後の版では改訂を受けているとはいえ、初版本の重要なところは完全には失われていません。つまり、それはヘーゲル哲学の観点から見た哲学の歴史書なのです。ですから、皆さんがシュヴェグラーの「哲学の歴史」を取り上げますと、皆さんはそれが書かれた当時の哲学像を知るためのよい例、ヘーゲル哲学の優れた参考文献をそこに見いだすことになります。けれども今、ヤーコブ・ベーメに関する短い章を読んでみますと、知的な哲学書を書く人物が、ヤーコブ・ベーメのような精神に直面するときには、いかに無力なものであるかを知ることができます。幸いなことに、彼はパラケルススを取り上げていませんが、もし取り上げていたとしたら、彼についての相当にひどい代物を書いていたことでしょう。とはいえ、シュヴェグラーがベーメについて何を書いているか読んでみましょう。彼はベーメの中にひとつの心を見いだしました。そして、その心の中では、古「土星」の像ではなく、「土星」の繰り返しの像が素朴な仕方で夜明けを迎えていたのです。この「土星」像の繰り返しは「地球」期において繰り返されたものです。シュヴェグラーがベーメの中で出会ったのは、知性を通しては理解できないような何かを言葉と像で記述しようと試みることしかできない精神でした。「土星」の繰り返しを把握しようとする純粋に知的な方法のすべては失敗するしかありません。つまり、それは、まるでこれらのことがらを全く理解できないかのようであるというよりは、もし、通常の、無味乾燥の哲学的論理にしがみつくだけならば、それらを把握することができないということです。お分かりのように、重要な点は、通常の知性の十全さを越えて自らを上昇させる、ということです。通常の知的な能力をもってしても、まだシュヴェグラーの「哲学の歴史」のように優れた作品を作り出すことはできますが、だからこそ、それは並はずれた知性が、ヤーコブ・ベーメのような精神に直面したとき、いかに完全に立ち止まらざるを得ないかということを示すよい例となっているのです。私たちは今日、古「土星」に関する考察の中で、私たちの「地球」が太古に体現した惑星状態の内的な側面に貫き至ろうとしました。私たちは古「土星」存在を振り返り、トローネたちが自らをケルビームに捧げることよって時間存在を創造したときの印象を生じさせるようにしましたが、この後の講義では、私たちがそれによって達成した概念に負けず劣らず印象深い概念に到達するために、「太陽」と「月」存在について同じことをしていくことにしましょう。時間とは犠牲から生じたものであり、生きた「時間」から成立っているのですが、「太陽」存在の間に、いかにこれらのことすべてが変化していくのかを、そして、私たちが「土星」存在から「太陽」そして「月」存在へと進むとき、宇宙におけるその他の力強いプロセスがいかに生じるのかを見ていくことにしたいと思います。 (第1講了)参照画:Saturn Mind記:ヤーコプ・ベーメ(Jakob B?hme):[1575~1624]ドイツの哲学者。靴屋職のかたわら、神秘主義思想家として、独特な汎神論的自然哲学を形成。のち、シェリング・ヘーゲルにより再評価された。主著「曙光」。参考画:haublin_result(Jakob B?hme)人気ブログランキングへ
2024年05月19日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第9講 1924/1/1 ドルナハ 今、私たちは、人智学運動のための力強く重要な出発点とせねばならないこの会議の最終回に集っておりますので、この講義を次のように展開させていただきたいと思います、つまりこの講義がその衝動にしたがって、この連続講義によって与えられたさまざまな観点に内的につながりながらも、他方においては、ある意味で感受力に応じて、とでも申し上げたいしかたで、未来を、とりわけ人智学的努力の未来を示唆することもできるように、そのように展開させていただきたいのです。今日世界を眺めますと、なるほどもう数年来、きわめて夥しい破壊的様相が現れています。西の文明がさらにいかなる破滅の淵へと導かれるかを予感させる諸々の力が働いています。けれども、こう言ってよいかもしれません、生活のきわめてさまざまな分野においていわば外的な主導権を握っている人々を直視してみれば、これらの人々がいかに恐るべき宇宙的眠りにとらわれているかに気づくだろうと。彼らはほぼ次のように考えます。そしてつい最近までたいていの人はこう考えていました。十九世紀まで、人類は理解力と観照に関しては素朴で子供じみていたと。それからきわめてさまざまな分野に近代科学が到来した。そして今や、末永く真実として保存されねばならないものがきっとあるのだと。このように考える人たちは実にとほうもない高慢のなかに生きているのですが、ただそのことをわかっておりません。これに対して、今日の人類の内部には、事態はやはり、私がたった今大多数の人々の意見として示したようなものではないという何らかの予感が現れることもあるのです。少し前にドイツで、ヴォルフ事務所によって企画されたあの講演(☆1)を行うことができ、非常に多くの聴衆を得て、実際いかに人智学(アントロポゾフィー)が求められているか、少なからぬ人が気づいたわけですが、このとき、数多くのたわいない敵対の声に混ざって、ひとつの声が発せられました、なるほどほかのものに比べて取り立てて内容的に思慮深いところはないのですが、それでも独特の予感を示している声です。それは新聞の小記事で、私がベルリンで行うことのできた講演のひとつが引き合いに出されていました。その新聞の論評というのはこうでした、このようなこと、私があの時ベルリンでの講演で述べたようなことですが、それを傾聴するなら、人間たちを今までとは異なる霊性へと駆り立てる何かが、単に地上のみならず、私はほぼその記事どおり引用しています、全宇宙において起こっているということに気づかされるだろうと。今、単に地上的な衝動のみならず、いわば宇宙の諸力が、人間に何かを要求している、宇宙における一種の革命を、その成果がまさに新たな霊性への努力でなければならない一種の革命を要求していることがわかると。ともかくもこのような声がありました、そしてこれは実際注目すべきことです。と申しますのも、今や私たちがドルナハから始めようとするものに正しい衝動を与えなければならないもの、それは、私がここ数日間さまざまな観点から主張しましたように、地上で芽生えた衝動ではなく、霊的世界で芽生えた衝動でなければならないからです。私たちはここで、霊的世界からの衝動に従う力を発達させようとしているのです。ですから私は、このクリスマス会議の期間中夕方の講義で、歴史的進化のなかにあったさまざまな衝動についてお話ししました、霊的衝動を受け入れるために心を開くことができるようにです、まず地上世界へと流れ込ませなければならず、地上世界そのものにとらえられてはならない霊的衝動を。と申しますのも、今まで正しい意味で地上世界が担ったものはすべて、霊的世界に起源を有していたからです。そして私たちが地上世界のために実り多いことを成し遂げるべく定められているなら、そのための衝動は霊的世界から取ってこられねばなりません。このことは、愛する友人の皆さん、この会議から今後の活動のなかに私たちが持ち帰るべき推進力が、いかに大きな責任と結びつかねばならないかを指摘させずにはおかないのです。この会議を通じて私たちに大きな責任として負わせられるもののそばに、数分ばかりとどまらせてください。過去数十年間、霊的世界に対するある感覚をもつひとは、幾人もの人物のそばを通り過ぎることができたでしょう、霊的に観察し、この観察から地球の人類に到来しつつある運命に対して辛い感情を覚えながら。まさに霊において可能なあのしかたで地上の同胞のそばを通り過ぎ、そしてこうした人々を観察することができたでしょう、睡眠中に物質体とエーテル体を去り、自我とアストラル体とともに霊的世界に滞在しているときのこうした人々を。過去数十年間、人々が眠っている間の自我とアストラル体の運命の上方を逍遙するのですが、これがすでに、こういうことを知ることができる人に対して責任の重さを指摘する経験へのきっかけだったのです。眠りについてから目覚めるまで物質体とエーテル体を離れていたこれらの魂が、それからしばしば境域を守る者(境域の守護霊/Hueter der Schwelle)へと近づいていくのが見られました。この霊的世界への境域の守護者は、人類進化の経過にともない、きわめて多種多様に人間の意識の前に登場しました。少なからぬ伝説、神話、なぜならもっとも重要な事柄は、歴史的伝承という形式ではなく、こういう形で維持されるのが常なのですから、それが、かつての時代において、あれこれの人物が境域の守護者と出会い、そしてこの守護者から、霊的世界へといかに参入し、物質界へとまたもどってくるべきか教えられたことを示しています。と申しますのも、霊的世界への正しい参入にはすべて、どの瞬間においても物質界へと帰還することができるという可能性がともなっていなければならないからです、夢想家ではなく、夢想的な神秘家ではなく、まったく実際的で思慮深い人間として物質界のなかに現実的にしっかりと両脚で立つ可能性が。結局のところ、霊的世界への参入を目指す何千年にもわたる人間の努力のすべてを通じて境域の守護者に対して求められたのはこのことでした。けれどもとりわけ十九世紀の最後の三分の一の時期には、目覚めた状態で境域の守護者のところまで達する人間はほとんど見られなくなりました。何らかの形で境域の守護者のかたわらを通過することが歴史的に全人類に課せられている現代においては。しかし、申しましたように、霊的世界のなかをふさわしく逍遙してみると、眠っている魂が自我およびアストラル体として境域の守護者に近づくのがますますいっそう見出されます。今日得ることのできる重要な形象(光景)とは、目覚めた状態では境域の守護者に近づく力を持たないため、睡眠中に接近してくる、眠れる人間の魂集団に取り囲まれた厳格な境域の守護者なのです。そしてそのとき起こっている光景を見ると、不可欠の大きな責任の芽生えと名づけたいものと結びついている考えに至ります。このように眠った状態で境域の守護者に近づく魂たちは、人間が睡眠中に有している意識、目覚めた意識にとっては無意識的かあるいは下意識的なものをもって、霊的世界への参入を、境域を踏み越えることを要求します。そして数え切れないほど多くの場合、厳格な境域の守護者の声が聴こえます。お前はお前自身の救済のために境域を踏み越えることは許されない、お前は霊界への参入を許されない、お前は戻らなければならないと。と申しますのも、境域の守護者がこういう魂たちにあっさりと霊的世界への参入を許すとしたら、こういう魂たちは、境域を通過し、今日の学校、今日の教育、今日の文明に与えられた概念とともに、霊的世界に参入してしまうだろうからです、今日人間が六歳から結局は地上生活が終わるまでの間、それとともに成長していかざるを得ない概念や理念とともにです。これらの概念や理念にはこういう特性があります、現代の文明や学校を通じてこれらの概念や理念とともに人はこうなったわけですが、こういう概念や理念をもって霊的世界に参入すると、人は魂的に麻痺してしまうのです。すると思考も理念も空虚な状態で物質的世界に戻ってくることになるでしょう。もし境域の守護者がこれらの魂を、現代の人間たちの多くの魂を、厳格に突き返さないなら、これらの魂を霊的世界に入らせてしまうなら、これらの魂は、目覚めて再び帰還するとき、決定的な目覚めの状態で戻ってくるとき、こういう感情を持つことでしょう。私は考えることなどできない、私の思考は私の脳をとらえない、私は考えることなく世界を歩いて行くしかないと。と申しますのも、今日人間があらゆるものに結びつけている抽象的な理念の世界とは、その理念とともに霊的世界に入っていくことはできても、その理念とともに出てくることはできないというものだからです。そして、今日ふつう思われている以上に数多くの魂が今日睡眠中に実際に体験しているこの光景を見ると、人はこう言うのです、おお、これらの魂が睡眠中に体験していることを、死においても体験しなくてすむよう、これらの魂たちを守ることに成功しさえしたらと。と申しますのも、このように境域の守護者の前で体験される状態がじゅうぶん長く続いていくとしたら、すなわち、人間の文明が、今日学校で受容され、文明を通じて受け継がれ保存されるもののもとに長くとどまるとしたら、眠りから生が生じるようになるでしょうから。人間の魂は死の門を通過して霊的世界に入っていくでしょうが、理念の力をふたたび次の地上生へともたらすことはできないでしょう。今日のような思考とともに霊的世界に入っていくことはできますが、その思考とともにまた出てくることはできないからです。魂的に麻痺した状態で再び出てくることしかできません。よろしいですか、現在の文明は、これほど長期にわたって育成されてきた霊的生活のこういう形式に基づいていますが、生はこの形式には基礎を置くことはできないのです。この文明はしばらく続いていくでしょう。魂はまさに目覚めている間は、境域の守護者について何ら予感することもなく、麻痺してしまわないように睡眠中に境域の守護者に拒絶され、とどのつまり「*鯔の詰まり」、未来において、この未来の地上生のなかで知性も、人生における理念も示すことのない種類の人間が生まれるでしょう、そして、思考は、理念のなかの生命は、地上から消えてしまうでしょう。地球は、病的な、単に本能的な人類を住まわせるしかなくなるでしょう。理念の力に導かれることのない、劣悪な感情と情動だけが人類進化のなかに蔓延(はびこ)るでしょう。そう、悲惨な形象(光景)が霊視する者の前に現れるのは、単に描写しましたようなしかたで、霊界に参入できない境域の守護者の前にたたずんでいる魂たちを観察することによってのみではありません、別の関連においても現れるのです。特徴をお話ししましたあの逍遙、境域の守護者の前の眠っている人間の魂を観察することのできるあの逍遙の際に、今度は西ではなく、東の文明に起源を持つ人類を見てみますと、そのような東の人類を見てみますと、彼らから、西の全文明に対する恐るべき非難のように霊の声が高まってくるのが聞こえます。「見るがいい」このようなことが続けば、今日生きている人間たちが新たに地上に受肉して現れるとき、もう地球は荒れ果てているだろうと。人間たちは理念を持たず、本能のなかでのみ生きるだろう。お前たちも落ちぶれたものだ、お前たちが東洋の古の霊(Spiritualitaet)にそむいたからだと。実際のところ、人間の課題であるものにとって、霊的世界への私が描写しましたこのような眼差しこそが、強い責任の所在を明白に示すことができるのです。そしてここドルナハには、それを聴きたいと思う人たちにとって、霊的世界におけるあらゆる重要な直接的体験について語られることのできる場所がなければなりません。ここは単に、思案の限りを尽くし論理を操る経験的な現代の科学性のなかに、霊的なもののかすかな痕跡があそこあるいはここにあるということを示唆する力が見出されるだけの場所でなければならないというのではありません。ドルナハがその課題を実現しようとするなら、ここは、霊的世界において歴史的に生じるもの、霊的世界で衝動として起こり次いで自然的存在のなかに入り込んでいって自然を支配するものによって開かれていなければなりません、ドルナハにおいては、真の体験について、真の力について、人間の霊的世界での真の本質について聞くことができなければなりません。ここは真の精神(霊)科学の大学でなければなりません。そして、私が描写しましたように眠っている人間を厳格な境域の守護者の前に導いていく今日の科学性の要請を前にして、私たちは今後、退却することは許されません。ドルナハにおいていわば、これは霊的な意味で申し上げたいのですが、霊的世界に真正面から真に対峙し、霊的世界について経験する力を獲得することができなければならないのです。ですから、ここで今日の科学理論の不十分さについて論理を弄ぶ長弁舌を振いたいわけではありません、そうではなく人間が通常の学校のなかにその末端の見られる科学理論に貫かれて、どういう状態で境域の守護者の前にやってくるか、そのことに注意を喚起しなければならなかったのです。今この会議に際して、一度このことを真剣に自らの魂に対して認めたなら、このクリスマス会議は力強い衝動を魂のなかに送り込むことでしょう、そしてこの衝動はこれらの魂を今日人類に必要な力強い働きへと導いていくことができるでしょう、人間たちが真に境域の守護者に出会うことができ、つまり、文明そのものが、境域の守護者の前で耐えられる文明になるような次の受肉を人間たち見出すために必要な働きへと。今日の文明を以前の文明と比べてみてごらんなさい。かつてのあらゆる文明には、まず超感覚的世界へ、神々へと上昇してゆく概念、理念、つまり産出し、創造し、生み出す世界へと上昇していく概念、理念がありました。次いで、仰ぎ見るなかでとりわけ神々に属している概念とともに、ひとは地上世界を見下ろし、今度はこの地上世界をも神々にふさわしい概念と理念で理解することができたのです。神々にふさわしく神々に値するよう育成されたこれらの理念とともに境域の守護者の前にやってくると、境域の守護者はそのひとにこう言ったのです、お前は通過することができる、地上生の間に物質体のなかですでに超感覚的世界に方向づけられたものを、お前は超感覚的世界のなかへと携えていくからだと。それなら、物質的ー感覚的世界に帰還するときにも、超感覚的世界を見ることによって麻痺させられないための力がお前に残されるだろうと。今日人間は、時代の精神にしたがって単に物質的ー感覚的世界にのみ適用しようとする概念と理念を発達させています。これらの概念理念は、ありとあらゆる計量できるもの、測定できるものその他を扱いますが、ただ神々を扱うことはできません。これらの概念理念は神々にふさわしくありません、神々に値しないのです。それゆえに、神々に値せず神々にふさわしくない理念の唯物主義にまったく陥ってしまった魂たちに雷のような声が轟きます、眠りながら境域の守護者のところを通りかかるとき彼らに対して雷のような声が轟くのです、境域を越えてはならぬ!と。お前はお前の理念を感覚界に対して誤って用いた。それゆえお前はお前の理念とともに感覚界にとどまらねばならない、魂的に麻痺してしまいたくないなら、お前はその理念とともに神々の世界に入ることはできないと。よろしいですか、こういう事柄について語られねばなりません、それについてあれこれ考えをこね回すためにではなく、その心情が、これらの事柄によって貫かれ、浸透され、かくも厳粛な人智学協会クリスマス会議より持ち帰るべき正しい気分に至るために、語られねばならないのです。と申しますのも、私たちが持ち帰るほかのすべてにもまして重要になるのは、私たちが持ち帰る気分、ドルナハにおいて、霊的認識の中心が生み出されるだろうという確信を与える気分だからです。ですから、今日の午前、ここドルナハにおいて育成されるべきひとつの分野、つまり医学の分野のために、ツァイルマンス博士(☆2)によって次のように語られたことは、非常に真実味をもって響きました、つまり、今日、通常の科学の方からはもはや、ここドルナハで基礎固めをしなければならないものへと橋を架けることはできない、ということです。私たちの地盤の上に医学的に育つものについて、私たちが、我々の論文は現代の臨床的な要求にも耐えうると自負している、というように述べるなら、私たちの本来の課題である事柄をもってしては、私たちは決して特定の目標に到達することはないでしょう、なぜなら、そうすればほかの人々はこう言うだろうからです、ああ、新薬ですね、我々ももう新薬を造りましたよと。けれどもやはり重要なのは、人智学の生のなかに、医学のような生の実践の一部門が取り入れられるだろうということです。このことを私は今日の午前ツァイルマンス博士(☆2)の切望と解しました。と申しますのも、この目標に対し彼はこう語ったからです、今日医者になった人は、私はまさしく医者になったと言います。けれども彼は、新たな世界の一角から衝動を与える何かを切望しているのですと。そしてよろしいですか、医学の分野では、将来疑問の余地なく、これをここドルナハから実行していかなければなりません、人智学的なもののなかに胚胎されていた人智学的活動の数多くの他部門がまさに活動してきたように、そして今、私の協力者であるヴェークマン博士(☆3)とともに、まさにあの人智学そのものから形成される医学システム、人類はこれを必要とし、まずこれが人類の前にあらわれるでしょうが、あの医学システムが作り上げられたように。同様に私が意図しているのは、あれほど祝福に満ちた活動をしているアーレスハイムの臨床医療研究所との緊密な関係を、ゲーテアヌムとこの研究所とのできるだけ密接な結びつきを、できるだけすみやかに近い将来確立することです、そうすれば実際に、そこでの成果が人智学の真の方向づけのラインに乗っていくことでしょう。これはまた、ヴェークマン博士自身の意図するところでもあります。さて、これとともに、ツァイルマンス博士はある分野のために、ドルナハの理事会が人智学的活動の今やあらゆる分野において課題とするであろうことを指摘されました。したがってどういう事情なのか、今後わかってくるでしょう。ひとはこうは言わないでしょう、あそこにオイリュトミーを持っていこう、人々がまずオイリュトミーを見て、人智学について何も知らないなら、オイリュトミーは人々の気に入るだろう。それからその後、オイリュトミーが気に入ったのでひょっとしたら彼らはやってくるかもしれない、そしてオイリュトミーの背後に人智学があることを知るかもしれない、そうしたら人智学も彼らの気に入るだろうと。あるいは、まず最初に、人々に薬の実用を示さなければならない、そうすれば人々はこれを買うだろう。そうすれば彼らは後になっていつか、その薬の背後に人智学が潜んでいると知るだろう。そうすればそのときは彼らも人智学に近づくだろうと。注:オイリュトミー(Eurythmie)は、ドイツの哲学者・教育者ルドルフ・シュタイナーが1911年ごろに創出した教育法で、ギリシャ語で「調和のとれた美しいリズム」を意味します。音楽や言葉のリズムに合わせて身体表現を行う運動芸術で、手足を使った固有の動きに母音や子音の響き、音楽のリズムなどを表します 私たちは、このようなやり方をとることを不誠実とみなす勇気を持たなくてはなりません。私たちがこのようなやり方を不誠実とみなす勇気を持ち、そういうことに内的な嫌悪を覚えてはじめて、人智学は世界へと通じる道を見出すことでしょう。そしてこの点において、将来ここドルナハが、ファナティスムなしに、誠実でまっすぐな真理への愛のなかで堅持しなければならないものとは、まさに真理への努力でしょう。そうすることによってこそ、過去数年にかくも甚だしく働かれたかなりの不正を糺していくことができるかもしれないのです。軽々しい思いではなく厳粛な思いをもって、私たちは一般人智学協会設立に通じたこの会議を去らねばなりません。けれども私が思いますに、クリスマスにここで起こったことから誰もペシミズムを持ち帰る必要はなくなりました。なるほど私たちは毎日、悲惨なゲーテアヌムの廃墟の前を通っております、けれども、この会議のためにこの丘を登ってきてこの廃墟のそばを通り過ぎたどの魂のなかにも、同時に、ここで行われたことを通じて、つまりありありと目に見えるように、ここで私たちの友人たちによっておそらく心のなかで理解されたであろうことを通じて、あらゆるものからやはりこういう思いが起こってきたと思うのです、まさに再建されつつあるゲーテアヌムからの真の精神生活として将来の人類の恵みのためにぜひとも生み出さねばならない霊的な炎が、私たちの勤勉を通じて、私たちの帰依を通じて生み出さねばならない霊的な炎が、きっと出てくるのだ、という思いが。そして私たちが、人智学上の事柄を行う勇気をもってここから出かけて行けば行くほど、私たちの集いによってこの会議においてともかくも希望に満ちた霊の行進のように進行したことを、私たちはいっそうよく聞き取ることになるでしょう。と申しますのも、皆さんに描写しましたあの光景、しばしば目にすることのできあの光景、境域の守護者の前で眠っている退廃した文明と学校とともにある今日の人間、これは本来、感受性のあるアントロポゾーフたちのグループにはやはり存在しないからです。それでもやはり、状況によっては、勧告のみを要するものもあります、その勧告はこのようなものです、お前は霊の国からの声を聞くために、この声を自ら認め、発展させる強い勇気を持たなければならない、お前は目覚め始めているのだからと。ただ勇気の欠如だけが、お前を眠りに導くことができると。勇気を出すように勧める声、勇気による目覚めへと勧告する声、これが別のヴァリアンテ(変形)、現代の文明生活におけるアントロポゾーフたちのためのヴァリアンテです。アントロポゾーフでない人たちにはこのように聞こえます。霊の国の外にとどまるがいい、お前は理念を単なる地上的な対象に誤用した、お前は、神々に値するような、神々にふさわしいようなどんな理念も集めなかった。それゆえお前は、物質的ー感覚的世界に再び帰還する際、麻痺せざるを得ないだろうと。しかしアントロポゾーフの魂であるような魂にはこう語られるでしょう、お前たちの心情の傾向により、お前たちの心の傾向により、お前たちが声として聞き取ることができるであろうものを認める勇気においてのみお前たちを試すこととしようと。親愛なる友人の皆さん、私たちがかつてのゲーテアヌムを焼き尽くした燃え上がる炎を見たときから昨日一年目を迎えましたが、きょう私は、私たちは一年前に外で炎が燃え上がっていたときでさえ、ここでの仕事の継続を妨げられはしませんでしたので、こう望むことを許されるでしょう、物質的なゲーテアヌムが立つときには、私たちはもう活動していて、物質的ゲーテアヌムは、今世界へと出ていく私たちが共に理念として受け取りたい霊的ゲーテアヌムの単なる外的な象徴(シンボル)になっていることを。私たちはここに礎石を据えました。この礎石の上に建物を築いていかなければなりません。私たちのすべてのグループにおいて今や広い外の世界でひとりひとりによって成し遂げられる働きがそのひとつひとつの石となるような建物を。精神において今、こういう働きを眺めましょう。すると、今日お話ししました責任が私たちに意識されるでしょう、境域の守護者の前にたたずんでいる現代の人間たち、霊的世界への参入を拒まれねばならない人間たちに対する責任が。私たちに一年前にふりかかったことについて、この上なく深い苦痛と悲しみを感じる以外、決して思い浮かばないというのはまったくたしかです。しかしながら、世界においては何事も私たちはこれも心に刻みつけておいてよいでしょう。世界においてある一定の偉大さに到達したものはすべて、苦しみから生まれるのです。ですから愛する友人の皆さん、皆さんの働きによって力強く輝かしい人智学協会が苦しみから生まれるように、そのように私たちの苦しみが用いられますように。これを目指して、私が最初に語りましたあの言葉のなかに私たちは沈潜しましたが、あの言葉をもって私はこのクリスマス会議を終えたいと思います、単に年の始まりのためのみではなく、霊的生を帰依に満ちて育むために献身しようとする宇宙紀元の始まり(Welten-Zeitenwende-Anfang)のためにも、私たちの聖夜、クリスマスとせねばならないこのクリスマス会議を(☆4)。人間の魂よ!お前は四肢のなかに生きる、宇宙空間を貫き霊の海のうねりのなかでお前を担っていく四肢のなかに。魂の深みに霊を思い出せ、そこにしろしめす宇宙創造存在のなかで自身の自我は神なる自我のうちにある。 かくてお前は真に生きるだろう人間宇宙存在のなかで。なぜなら高みの父なる神は存在を生み出しつつ宇宙の深みでしろしめすのだから。セラフィム、ケルビム、トローネよ、高みより響きわたらせよ、深みに反響(こだま)すものを。それは語る、エクス デオ ナスキムル(神より生まれる)。元素霊たちがそれを聴く、東で、西で、北で、南で。どうか人間がこれを聴くように。人間の魂よ!お前は心臓と肺の鼓動のなかに生きる、時のリズムを貫きお前を自身の魂の本質を感じることに導く鼓動のなかに。魂の均衡のなかに霊を思え、そこにうねる宇宙生成行為は自身の自我と宇宙自我をひとつにする。かくてお前は真に感じるだろう人間の魂の働きのなかで。なぜなら経巡るキリスト意志は魂を祝福しつつ宇宙のリズムのなかでしろしめすのだから。キュリオテテス、デュナーミス、エクスシアイよ、東より鼓舞せよ、 西によって形作られるものを。それは語る、イン クリスト モリムル(キリストにおいて死ぬ)。元素霊たちがそれを聴く、東で、西で、北で、南で。どうか人間がこれを聴くように。人間の魂よ! お前は休らう頭のなかに生きる、永遠の奥底からお前に宇宙思考を明かす頭のなかに。思考の静寂のなかに霊を観よ、そこでは神々の永遠の目的が宇宙存在の光を自由な意志のために自身の自我に贈る。かくてお前は真に思考するだろう、 人間の霊の奥底で。なぜなら霊の宇宙思考は光を懇願しつつ宇宙の本質のなかでしろしめすのだから。アルヒャイ、アルヒアンゲロイ、アンゲロイよ、おお、深みより請い求めよ、高みにおいて聴かれるものを。それは語る、ペル スピリトゥム サンクトゥム レヴィヴィスキムス(聖霊により甦る)[元素霊たちがそれを聴く、東で、西で、北で、南で。どうか人間がこれを聴くように。](☆[ ]内の言葉は速記原稿によればここでは語られていない)紀元の初めに宇宙の霊の光が地上存在の流れに歩み入った。夜の闇が蔓延(はびこ)っていたが 真昼のように明るい光が 人間の魂を照らした。光、それは貧しい羊飼いの心を暖める。光、それは聡い王者の頭を照らす。神的な光よ、キリスト太陽よ、暖め給え、私たちの心を。照らし給え、私たちの頭を。私たちが心の底から目的を定めて導いていこうとするものが良くされるように。 このように、わが愛する友人の皆さん、皆さんが人智学協会のための礎石を据えたときの暖かい心を担っていってください、この暖かい心を、世界への力ある、治癒力ある働きかけへと担っていってください。そして、今皆さん全員が目的意識をもって導いていこうとするものが皆さんの頭を照らすことが、皆さんの助けになるでしょう。きょう私たちはこのことを全力で決心したいと思います。けれども私たちにはわかるでしょう、私たちがそれにふさわしく自己を示せば、ここから意志されたものの上に良き星がしろしめすであろうことを。従いなさい、わが愛する友人の皆さん、この良き星に。神々がこの星の光によって私たちをいずこに導いていくか、私たちは見てみたいのです(*)。神的な光よ、キリスト太陽よ、暖め給え、私たちの心を。照らし給え、私たちの頭を!□編集者註☆1 ヴォルフ事務所によって企画されたあの講演:1921年の秋冬と1922年の新年に、当時最大のコンツェルトディレクション、ベルリンのヘルマン・ヴォルフ及びユーレス・ザックスが、シュタイナーとの講演旅行を企画した。ベルリン、シュトゥットガルト、フランクフルト、ケルンその他の大都市において、シュタイナーは人智学の本質、人智学と科学、人智学と霊認識といったテーマについて語った(GA80として出版予定)。1922年ミュンヘンにおける不幸な暗殺計画の後、もはや講演者の安全が保障されないことが明らかになった。この後シュタイナーはもはやそれ以上の公開講演の義務にもはや応じなかった。☆2 ツァイルマンス博士:F. W. Zeylmans van Emmichoven ツァイルマンス ファン エミヒョーベン 1893-1961 医学博士、オランダの医師、著述家、オランダ地区協会事務総長。とくに『ルドルフ・シュタイナー 伝記』(シュトゥットガルト1961)を著した。 *邦訳『ルドルフ・シュタイナー』伊藤勉・中村康二訳(人智学出版社)☆3 イタ・ヴェークマン:Ita Wegman 1876-1943 医学博士、チューリヒ大学で研究、診療の後、1921年アーレスハイムに臨床医療研究所(現在イタ・ヴェークマン・クリニック)を設立。1923年クリスマスから1935年まで一般人智学協会理事会書紀、自由大学医学部門の長。1924/1925年、シュタイナーの主治医及び『精神科学的認識による治療芸術拡張のための基礎』(GA27)をシュタイナーと共著。☆4 以下の朗唱詩は速記原稿により、シュタイナーに語られたままがここに再現されている。旧版では、この詩はシュタイナーの最初の手書き草稿にしたがって印刷された。これについては『一般人智学協会設立のためのクリスマス会議1923/1924年』(GA260 1985年版、300 頁)の巻の特註を参照のこと。□訳註* この最後の数行でシュタイナーは、聴衆に向かって今までのSie(通常の敬称二人称) に代わって、古い形のIhr (十七世紀以前に使われた敬称二人称)によって呼びかけています。 (第9講了)人智学の光に照らした世界史完了参考画:Aヒトラー とR・シュタイナー-1人気ブログランキングへ
2024年05月18日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第8講 1923/12/31 ドルナハ 今日(きょう)この日、私たちは、苦痛に満ちた記憶の徴(しるし)のなかに立っております。そして私たちは、今日まさにこの講義の内容としなければならないものを、何としてもこの苦痛に満ちた記憶の徴のなかに据えたいと思うのです。ちょうど一年前、かつての私たちの建物のなかで私が行うことを許された講義は(☆1)、ここにいらっしゃる皆さんのご記憶にもあると思いますが、地上の自然の諸関係から出発して、霊的世界と、この霊的世界を歩む星々からの開示(顕現)へと至る道筋を取りました。そしてその際、人間の心、人間の魂は、その本性に従って、人間の精神(霊)を次のようなものに関係づける可能性があったのです、地上的なものから出発し、単に星々の広がる世界のみならず、この星々の世界を通じて、霊的なものを宇宙の歩みのように写しているものにまで入っていくときに見出せるものに。そして、その直後に私たちから奪い去られたあの部屋で、私が黒板に描き出すことを許された最後のものは、まったくもって人間の魂を、霊的な高みにまで上昇させてゆくことを目的としていました。それによってまさにあの晩、私たちのゲーテアヌム建築がまさにその本質のすべてを通して捧げられるはずであったものに直接結びつけられたのです。ですから、あのとき結びつけられたものについて、今日はまず、ちょうど一年前にここで行われた講義の続きのように語らせていただきたいと思います。エフェソスの火災より前の時代において秘儀のことが話題になるとき、心情において秘儀についていくらか理解していた人たちの話はすべて、ほぼ次のように響きました。人間の智慧、人間の叡智は、秘儀のなかに場所を、居場所(安住の地)を持っていると。そしてあの古(いにしえ)の時代に世界の霊的指導者たちの間で秘儀のことが話題になったとき、つまり超感覚的な世界において秘儀について話されたとき、私はあえてこういう表現をしたいと思います。この表現はもちろん、超感覚的世界から下へと思惟され、感覚的世界へと作用が及ぼされるしかたを比喩的に示しているだけなのですが、つまり超感覚的世界において秘儀について話されたとき、その話はほぼ次のように響いたのです、供犠を捧げる人間と我々神々が出会うことのできる場所を、人間は秘儀のなかにしつらえる、供犠のなかで人間は我々を理解するのだと。と申しますのも、それは実際のところ、古の世界における一般的な認識だったからです、秘儀の場において神々と人間が出会うということを、世界が支え持つものはすべて、秘儀において神々と人間たちとの間で起こることに関連しているということを、古の世界にあって知っていた人たちの一般的な認識です。けれども、外的歴史的にも受け継がれてきたひとつの言葉があります、それはこの歴史的伝承からも実際人間の心に感慨深く語りかけることができますが、その言葉がとりわけ感慨深く語りかけるのは、青銅の、しかし霊(精神)においてほんの一瞬だけ目に見える文字で人類の歴史のなかに書き込まれるように、まったく特殊な出来事からその言葉が形作られてくるのを見るときです。そしてこれは、霊的な眼差しをヘロストラトスの行為へと、エフェソスの火災に向けるとき、このような言葉をいつも見ることができる、ということです。この火焔のなかに、「神々の妬み(der Neid der Goetter)」という古の言葉が見いだされます。とは言え、古の時代から受け継がれてきて、私が今描写しましたように古の時代の生活のなかに見いだされる数々の言葉のうち、この「神々の妬み」という言葉はこの物質界において最も恐ろしいもののひとつだと思います。あの古の時代にあっては、物質体を持って地上に現れる必要のない超感覚的存在として生きているものすべてが、神(Gott)という言葉で表され、きわめてさまざまな種類の神々があの古の時代には区別されていました。そして、人間の最も内的な本性にのっとって人間を生み出し、時代の推移を通過して送り出すというかたちで人間と結びついている神的ー霊的存在たち、私たちが外なる自然の壮麗さそしてきわめてささやかな現象を通して感じ取り、私たちの内部に生きているものを通じても感じ取っているこの神的ー霊的存在たち、こうした神的ー霊的存在たちが妬み深くなることはあり得ないというのは確かです。けれども、古の時代においては、「神々の妬み」ということで何か非常にリアルなものが意味されました。人間という種族がエフェソスの頃まで進化した時代を追求してみますと、比較的進化した人間個体が、秘儀において良き神々が彼らに喜んで与えたものの多くを自らのものとしたことがわかります。と申しますのも、次のように言えば、私たちはまったく的を得ているからです、つまり、良き人間の心と良き神々の間には、秘儀においてますます固く結ばれた親密な関係があった、そのため、人間が良き神性へとますますいっそう近づかされた。そのことが、ある種のほかの、ルツィファー的・アーリマン的神存在たちの魂の前に現れたと。そして、人間に対する神々の妬みが生じた。精神を希求する人間が悲劇的な宿命を辿るとき、古の時代にはその悲劇的な宿命が神々の妬みと関連づけられて示されるのですが、私たちは、歴史のなかにおいてこれを何度も何度も、聞かなければならないのです。ギリシア人たちは、この神々の妬みというものがあることを知っていました。そして人類進化おける外的な出来事のうち少なからぬものについて、その由来をこの神々の妬みに求めたのです。そもそもエフェソスの火災とともに明らかになったのは、人間のさらなる進化に対して妬みを抱く神々すなわち超感覚的存在たちがいるのだということを意識するようになったときにのみ、人類は霊的にある種さらに進化することができるということです。このことは結局、エフェソスの火災に続く且つアレクサンダーの誕生に続くと言うこともできますが、すべての歴史に特殊な色合いを添えます。そしてこのこと、つまりある種類の神々の妬みに満ちた世界を見渡すということは、また、ゴルゴタの歴史の正しい理解の一部でもあるのです。そうです、魂の雰囲気は、すでにペルシア戦争直後の時代以来、ギリシアにおいてもともとこの神々の妬みの作用に満ちていました。そして、その後マケドニア時代になされたことは、神々の妬みが霊的な雰囲気となって地表面を覆っているということを完全に意識して行われざるを得ませんでした。けれどもそれは、神々と人間との誤解に抗って、勇敢に、大胆に行われたのです。そして、神々の妬みに満ちたこの雰囲気のなかに、世界に実在しうる最大の愛を為すことのできた神の行為が下降していきました。他のすべてのものに、古代世界、つまりヘラス、マケドニア、前アジア、北アフリカ、南ヨーロッパにおける雲の形象(Bild)をもさらに付け加えることができるときにのみ、神々の妬みの現れであった雲の形象を付け加えることができるときにのみ、ゴルゴタの秘蹟を正しい光のなかで見ることができます。そしてこの暗雲に満ちた雰囲気のなかに、奇しくも暖みを与え穏やかに光を放ちつつ、ゴルゴタの秘蹟を通じて流れ出る愛が入り込んでいくのです。当時、こう申し上げてよろしければ、神々と人間との間に起こった事柄であったものは、この現代においては、人間的自由の時代においては、より下位の物質的な人間の生活において起こざるを得ません。それがどのように起こっているかを描写することもできます。古の時代においては、秘儀のことを考えるとき、ひとは地上でそれについてこう語りました、人間の認識、人間の叡智は、秘儀のなかにその居場所を持っている、と。ーー神々のもとにあったとき、ひとはこう語りました。私たちが秘儀のなかに沈潜していくと、私たちは人間の供犠を見いだす。そしてこの供犠の捧げる人間において私たちは理解させられると。結局のところエフェソスの火災とは、秘儀の本質の古い形式が次第に消え去っていく時代の始まりでした。私はそれがあちこちで、たとえばヒベルニアの秘蹟におけるように壮麗に存続されてきたようすを物語りました、ヒベルニアの秘儀においては、かなたのパレスティナでゴルゴタの秘蹟が物質的に起こったのと時を同じくして、祭祀(さいし)においてこの秘蹟が祝われていたのです。人々はこれをパレスティナ(*現代のアラブ人移民国は違いペルシテ人居住の国)とヒベルニアとの間の霊的な中継からのみ知ったのです、物質的な中継からではありません。とは言えやはり、物質界における秘儀の本質は、ますますいっそう衰退していきました。外的な居場所、神々と人間との出会いの場所は、ますますその意味を失っていきました。それらは紀元後十三、十四世紀にはほぼ完全に失われたのです。と申しますのも、たとえば聖杯への道を求めるひとは、霊的な道を歩むすべを理解しなければならなかったからです。エフェソスの火災より前の古の時代には、物質的な道を行きました。中世には霊的な道を行かなくてはなりませんでした。十三、十四世紀、とりわけ十五世紀以降、真の薔薇十字の教えを授かろうということであればとくに、霊的な道を歩まなくてはなりませんでした。と申しますのも、薔薇十字の神殿は、外的物質的な体験からは深く秘されていたからです。多くの真の薔薇十字会員は神殿の訪問者でしたが、いかなる外的物質的な人間の目もこの神殿を見いだすことはできまでんでした。けれども、智慧と人間の神聖な行いの隠者のようにそこかしこで見つけ出され得たこの古の薔薇十字会員たち、穏やかな目の輝きから神々の言葉を聴くことのできるひとには見いだすことのできたこの薔薇十字会員たちのところに行った弟子たちもいたにちがいありません。私は偽りを申し上げているのではありません。私は比喩を述べたいのではなく、まったくもって真実を述べたいのです、私が示唆します時代においてほんとうに重要な真実であった真実を。物質的な穏やかな目の輝きのなかに天の言葉を聴くことのできる能力が獲得されたとき、ひとは薔薇十字の導師(マイスター/Rosenkreuzer-Meister)を見い出しました。その後、中部ヨーロッパにおいてまさに十四、十五世紀には、きわめて質素な環境において、きわめてつつましい関係のなかで、ひとはこれらの独特な人物たちに出会いました、内面を神に満たされ、霊的な神殿、実在はしているけれども、名高い伝説において聖杯への接近として描写されている接近が困難であるように、実際に近づくことは困難な、そういう霊的な神殿と内面において関わり合っていた人物たちです。このような薔薇十字の導師とその弟子との間に起こったことを眺めると、近代的形式ではあっても神々の叡智を示す、地上を歩みながらのいくつかの語らいを聞き取ることができます。その教えはまったくもって深く具体的でした。孤独のなかで薔薇十字の導師は、彼を探し彼を見出すことに身を焦がした弟子によって見いだされました。このとき弟子たちのひとりが、神々の言葉を語る穏やかに見つめる目を見ると、弟子はつつましくたとえば次のような教えを受け取ったのです。見るがいい、わが息子よ、お前自身の本質を。お前は、外的物質的な目が見ているあの肉体を担っている。地球の中心点が、肉体を可視的にする力をこの肉体に送っているのだ。それがお前の物質体だ。だが地上のお前自身の周囲を見るがいい。お前は石を見る、石はそれ自体として地上にあることを許されている。石は地上に馴染んでいる。石はある形態をとると、地球の諸力によってこの形態を維持することができる。結晶をごらん、結晶は自らのうちにその形(フォルム)を担っている、結晶は地球によって自身の本質の形を維持するのだ。お前の物質体はそうすることができない。お前の魂が物質体を去れば、地球は物質体を破壊する、地球は物質体を塵(土)にもどすのだ。地球はお前の物質体に対してはいかなる力も持たない。地球は、驚くべき形態を与えられた透明な結晶構成物を形成し維持する力を持つが、お前の物質体を維持する力は持たない、地球はそれを塵に返さねばならない。お前の物質体は高次の霊性の一部だ。セラフィム、ケルビム、トローネ、お前の物質体の形(フォルム)と形態(ゲシュタルト)であるものは、これらの一部なのだ。この物質体は地球の一部ではない、この物質体は、お前にさしあたって接近できる最高の霊的力の一部なのだ。地球は物質体を破壊できる、だが決して物質体を組み立てることはできない。そしてお前のこの物質体の内部には、お前のエーテル体が宿っている。いつか、お前の物質体が地球に受け取られ破壊に向かう日が来るだろう。そしてお前のエーテル体は、宇宙の広がりへと消散していくだろう。宇宙の広がりはなるほどこのエーテル体を解消することはできるが、組み立てることはできない。エーテル体を組み立てることができるのは、デュナーミス、エクスシアイ、キュリオテテスのヒエラルキアに属するあの神的ー霊的存在たちのみだ。お前にエーテル体があるのはこれらの存在たちのおかげなのだ。お前は地球の物質的素材をお前の物質体と同化させる。だがお前のなかにあるものは、地球の物質的素材を変化させる、お前の内部で地球の物質的素材が、物質体の周囲に物質的にあるすべてのものと同じではなくなるように。お前のエーテル体は、お前の内部で液体であるもの、水であるものすべてを、お前の内部で動かす。内部を巡り、循環する液体、それはお前のエーテル体の影響のもとにある。だがお前の血をごらん、この血を液体としてお前の血管のなかに巡らせているのは、エクスシアイ、デュナーミス、キュリオテテス、これらの存在たちなのだ。お前は物質体としてのみ人間なのだ。お前のエーテル体のなかではお前はまだ動物だ。ただし、第二ヒエラルキアによって貫かれ霊化された動物なのだ。私がここで皆さんに、今は不十分な言葉でではあれ、要約してお話ししていることは、その穏やかな眼差しのなかに弟子が天の言葉を聴きとったあの導師の長い教えの対象でした。続いて弟子は、私たちがアストラル体と呼ぶ人間の本質の第三の部分を示されました。弟子がはっきりと理解させられたのは、このアストラル体は、呼吸のための、人間の生体組織において空気であるものすべてのための、人体組織のなかを空気として脈打っているすべてのもののための衝動を含んでいるということです。けれども、人間が死の門を通過してから後も長期間にわたって、地上的なものが空気状のもののなかでどうにかしていわば騒ぎたてようとしたり、そして霊視的な眼差しには、地球の大気圏の現象のなかで数年にわたって、死者たちのアストラル体が騒ぎ立てているのが感知できるのにも関わらず、やはり地球も地球の周囲も、アストラル体の衝動に対して、それを解消するということ以外に何をすることもできないのです。と申しますのも、アストラル体の衝動を形成できるのは、第三ヒエラルキア、つまりアルヒャイ、アルヒアンゲロイ、アンゲロイといった存在たちだけだからです。そして、弟子の心を深くとらえながら、導師はこう言ったのです。お前がお前のなかに鉱物界を取り入れてそれを変化させる限り、お前がお前のなかに人間界を取り入れてそれを加工する限り、お前はお前の物質体にしたがって、セラフィム、ケルビム、トローネの一部なのだ。お前がひとつのエーテル体である限り、お前はエーテル体においては動物のようだが、お前は第二ヒエラルキア、キュリオテテス、デュナーミス、エクスシアイの霊たちと呼ばれる霊たちの一部なのだ。そしてお前が液体エレメントのなかで活動する限り、お前は地球の一部ではなく、このヒエラルキアの一部なのだ。そしてお前が空気の形状のエレメントのなかで活動することで、お前は地球の一部ではなく、アンゲロイ、アルヒアンゲロイ、アルヒャイというヒエラルキアの一部なのだと。そしてこの教えを十分に伝授された後では、弟子はもはや自分を地球に属するものとは感じませんでした。彼はいわば、自分の物質体、エーテル体、アストラル体から出て、鉱物界を通じて彼を第一ヒエラルキアに結びつけ、地球の水状のものを通じて第二ヒエラルキアに結びつけ、大気圏を通じて第三ヒエラルキアに結びつける諸力を感じたのです。そして、熱エレメントとして自分の内部に担っているものを通じてのみ自分は地上に生きているのだということが彼に明らかになりました。けれども同時にこの薔薇十字の弟子は、自分のなかに担っている熱を、自分のなかに担っている物理的(物質的)な熱を、本来の地上的にして人間的なものと感じたのです。そしてさらにいっそう、彼は魂の熱と霊の熱を、この物質的な熱と親和性のあるものと感じることを学ぶようになりました。そして自分の物質的内容、エーテル的内容、アストラル的内容が、固体的なもの、液体的なもの、気体の形状のものを通じて神的なものとどのように関連しているかについて、後の人間はますます誤解していきますが、一方薔薇十字の弟子は、これについてまさに良く心得ていて、真に地上的ー人間的なものは熱エレメントであると知っていたのです。薔薇十字の弟子に、熱エレメントと人間的ー地上的なものの関連についてのこの秘密が明かされた瞬間、この瞬間に、弟子は自分の人間的なものを霊的なものに結びつけることを知ったのです。そしてこのような薔薇十字の導師たちが住んでいたしばしばほんとうに質素なあの住まいでは、弟子たちはそこに入る前に、しばしばわざとらしくない、不思議に思われるようなやりかたで、心構えをさせられました、彼らは気づかされたのです。ある者はこういうやりかたで、また別の者は別のやりかたで、それは表面的にはしばしば偶然のように見えました。お前は、お前の霊的なものが宇宙的ー神的なものと結びつくことのできる場所を探さなくてはならない、そう気づかされることで、心構えをさせられたのです。そしで、皆さんに今お話ししましたあの教えを弟子が受け取ったとき、そう、そのときに、弟子は導師に次のように言うことができました。私は今、地上で私に得られうる最大の慰めとともに、あなたのもとから去ります。なぜなら、あなたは私に、地上の人間はそのエレメントをほんとうに熱のなかに持っているということを示されました、それによってあなたは私に、私の物質的なものを魂的なもの霊的なものと結びつける可能性を与えてくださったからです。私は、固い骨、液体としての血液、気体の形状の呼吸のなかには、魂的なものをもたらすことができません。熱エレメントのなかに私は魂的なものをもたらすのです。つまり、この上ない静けさとともに、あの時代において教えを受けた者たちは導師たちのもとから去っていきました。そして面差し(Antlitz)の静けさから、この静けさは大いなる慰めの成果を表していましたが、この面差しの静けさから、天の言葉を語ることのできるあの穏やかな眼差しが徐々に育っていきました。そしてこのように、十五世紀の最初の三分の一までは、深い魂的な教えが根底にあったのです、外的な歴史が伝えるあの経過にとっては隠匿されていましたが。けれども、全人間を感動させた教えの伝授が行われていたのです、人間の魂に自身の本性を宇宙的ー霊的なものの領域に結びつけさせた教えが。このまったく霊的な気分は、前世紀の経過とともに消え去っていきました。その気分はもはや、現代の文明のなかにはありません。そして外面的な、神と離れた文明が、今しがた皆さんに描写しましたようなことをかつて見た場所の上に広がったのです。今日ひとは、今皆さんに描写しましたような場面に似た場面のいくつかについての、霊のなかにのみ、アストラル光のなかにのみ作り出すことのできる記憶とともにそこにいるのです。しばしば暗黒の時代として描写されるあの時代を振り返り、それから現代に目を向けると、今日基調となっている気分を与えられます。けれどもこのように見ても、十九世紀の最後の三分の一の時代から人々に可能になる霊的な開示から、心のなかに、霊的なしかたで再び人間に語りかけようという深い憧れが立ちのぼってくるのです。そしてこの霊的な方法は、単に抽象的な言葉によって自らに語らせるのではありません。この霊的な方法は、包括的に語るためにさまざまに徴(しるし)を必要としています。そして、一年前に焼失した私たちのゲーテアヌムの形(フォルム/Form)は、現代の人類に語りかける使命を持つあの霊的存在たちのために見出されるはずであった言葉、そのような言語フォルム(Sprachform)だったのです。演壇から聴衆の理念へと語りかけられていたものは、真に、このフォルムのなかで(☆2)語り続けられるはずでした。そして同時に、まったく新しいフォルムのなかで古のものを真に再び思い起こすことができた何かが、ある方法でゲーテアヌムとともに存在していました。秘儀に参入しようとする者がエフェソスの神殿のなかに歩み入ったとき、彼の眼差しは、ここ数日にわたってお話ししましたあの立像、心の言語で次のような言葉を実際彼に語りかけたあの立像に向けられました。「宇宙エーテルとひとつになりなさい、するとお前はエーテルの高みから地上的なものを見るだろう」という言葉を。このようにエフェソスの少なからぬ弟子が、エーテルの高みから地上的なものを見たのです。そしてある種類の神々がこれを妬むようになりました。それでも、ゴルゴタの秘蹟前の数世紀間、大胆な人々は神々の妬みに抗して、太古の聖なる人類進化の年月からエフェソスの火災まで働きかけてきたものを継続していく、弱まった状態ではありましたが、弱まりながらも作用し続けることはできたのですが、可能性を見い出しました。そして私たちのゲーテアヌムが完成していたら、西側に入っていくことにより、眼差しはやはりあの立像に向けられたでしょう、ルツィファー的な力存在とアーリマン的な力存在の間に据えられ、神を担い内的に存在を調停している宇宙的な存在として自己自身を知れという要求を、人間はあの像のなかに見いだしたことでしょう。そして、列柱、台輪(アーキトレーブ/Architrav)のフォルムに注目しますと、それはひとつの言葉を語りました、演壇から発して霊的なものの理念のなかへと翻訳するように継続してゆく言葉を。言葉はさらに、彫塑的に形成されたフォルムに沿って響きました。そして上のドームには、人類進化を霊的な眼差しに近づけることのできた場面が見られました。このゲーテアヌムにおいても、感じ取ることのできるひとにとって、エフェソス神殿の記憶を見出すことができたのです。けれども、ゲーテアヌムをゲーテアヌムそのものによってスピリチュアルな生の改新の担い手にしていかねばならなかった進化のまさにあの時点に、かけ離れてないやりかたで、つまりかつてのやりかたと似ていなくもないやりかたで、またも松明がこのゲーテアヌムに投げ込まれたとき、この記憶は実に苦痛に満ちたものとなりました。愛する友人の皆さん、私たちの苦しみは非常に深いものでした。私たちの苦しみは筆舌に尽くしがたいものでした。けれども私たちは、私たちを襲ったこの上ない悲惨、悲劇に妨げられることなく、霊的世界のための私たちの営みを続けていくことを決意しました。と申しますのも、心のなかで自らにこう言い聞かせることができたからです、エフェソスから燃え上がる炎を見ると、まだ人間に自由がなく、良き神々悪しき神々の意志に従わねばならなかった時代には、神々の妬み、と炎の中に書き込まれているのが見えると。現代においては、人間は自由に向けて組織されています。そして一年前の大晦日、私たちは焼き尽くす炎を見ました。赤い火焔は天へと燃え上がりました。暗い青の、赤みがかった黄色の炎の筋が、ゲーテアヌムに収めてあった金属の楽器から発してあまねく拡がる炎の海を、内部にさまざまな色彩を帯びた炎の海を貫いて、めらめらと燃え上がったのです。そして内部の多彩な筋とともにこの炎の海を見たとき、魂の苦悩に語りかけてくるものを、人間たちの妬み(Der Neid der Menschen)を、読み取らねばなりませんでした。人類進化において時代から時代へと語りかけるものは、このように最大の災厄のなかですら、ことごとく配列されているのです。人間がまだ不自由な状態で神々を見上げていたけれども、不自由から自らを自由にしなければならなかった時代、あの時代の最大の災厄を表現する言葉から、一筋の糸がつながっています、炎のなかに、神々の妬みと書かれているのが見えた時代のあの災厄から、人間が自らのうちに自由の力を見出すべき現代、炎のなかに人間たちの妬み、と書き込まれた現代の私たちの災厄まで、霊的進化の一筋の糸がつながっているのです。エフェソスには神々の像が、ここゲーテアヌムには人間の像がありました、人類の代表者、キリスト・イエスの像です、このキリスト像において私たちは、それと一体化しつつ、きわめて謙虚に、認識において上昇しようとしたのです、かつて、エフェソスの弟子たちが、今日の人類にはもはや完全には理解しがたい当時特有のしかたで、エフェソスのディアーナにおいて上昇したように。昨年の大晦日に私たちにもたらされたものを歴史的な光のなかに見ても、私たちの苦悩はやわらぎません。建物全体と調和するようにしつらえられた演壇上に最後に立つことを許されたとき、私はまさにあのときの聴衆の眼差しを、魂の眼差しを、地上の領域から星々の領域へと導こうとしたのです、意志と叡智、霊的宇宙の光を表している星々の領域へ。私はあのとき、皆さんに描写しましたように中世において弟子たちを教えていた精神の持ち主たちのうち少なからぬ人数が立ち会っていたことを知っております。そして最後の言葉が語られた一時間後、私はゲーテアヌム火災のため呼び戻されました。そして私たちは、昨年の大晦日の夜をゲーテアヌム火災のかたわらで過ごしたのです。こういう言葉を語るだけでもう、私たち全員の心、私たち全員の魂の前に、名状しがたいものが湧き起こります。けれども、人類進化におけるひとつの聖なるもの以上のものが奪い去られたときも、物質的なものが消滅したあともなお霊(精神)のなかで、物質的なものが供犠として捧げられた霊のなかで作用し続けることを誓った幾人かが常にいました。そして、私たちのゲーテアヌムの災厄から一年目を迎えるこの瞬間に私たちはここに集いましたので、私たちはこう述べることが許されると思います、物質的なフォルム、物質的な像、物質的な形態を通してゲーテアヌムとともに物質的な目の前にも置かれ、ヘロストラトス的行為によって物質的な目から奪い去られたものを、人類の前進する波を通って精神(霊)においてさらに担っていくことを私たち全員が誓うなら、私たちの魂は、私たちがともにあることについての正しい気分を持つのですと。かつてのゲーテアヌムには私たちの苦悩がこびりついています。私たちが今日記憶のなかで、誰もが魂のなかに担っている神的な最良のものの前で、あのゲーテアヌムのなかに外的なフォルムとして現れた霊的な衝動に忠実であり続ける、と誓うときにのみ、私たちは、このゲーテアヌムを建築することを許されたことによってともかくも私たちに課せられたものにふさわしくなるでしょう。このゲーテアヌムは私たちから取り上げられました。このゲーテアヌムの精神は、私たちが真に誠実で率直であろうとするなら、私たちから取り上げられることはあり得ません。私たちの愛したゲーテアヌムから炎が燃え上がった一年前のあの時点からまだ間もないこの真に厳粛な時間に、この瞬間に、私たちが単に苦悩を新たにするのみならず、苦悩から脱し、十年間にわたってこの場所を建設することを私たちに許したあの精神に忠実であり続けようと誓うなら、このゲーテアヌムの精神が奪われるおそれは最も少ないでしょう。愛する友人の皆さん、今日この内なる誓いが、誠実に、率直に、心からあふれ出し、私たちが苦悩を、苦難を、行為の衝動へと変化させることができるなら、そのとき私たちは、悲しい出来事をも祝福へと転じていくことでしょう。そうすることで苦悩が和らぐことはないかもしれません、けれども、それは私たちに、苦悩から脱して、行為への、精神(霊)における行為への推進力を見出させずにはおかないのです。愛する友人の皆さん、このように私たちは、私たちをあれほど言いようのない悲しみで満たしたあの恐ろしい火焔を振り返ります。けれども今日(きょう)は、私たち自身のなかの最良の神的諸力に誓って、私たちの心のなかの聖なる炎を感じましょう、私たちがこの意志を人類の前進の波を通って担い続けることにより、ゲーテアヌムとともに意志されていたものをこの炎で霊的に照らし暖めなければならないのです。この瞬間、私たちはこのように、私が一年前、ほぼ同じ時刻に語ることを許されたあの言葉を深めつつ繰り返しましょう。あのとき、私はほぼこういうことを語りました、私たちは大晦日に生きています、私たちは新たな宇宙年(Weltenjahr)を迎えて生きなければなりません、と。おお、ゲーテアヌムがなおも私たちのもとにあるなら、この激励を今この瞬間に新たにすることができるなら。もはやゲーテアヌムは私たちのもとにはありません。それはもはや私たちのもとにないからこそ、この奨励の言葉を、今日この大晦日の晩、何倍も力を強めて発することが許されると思います。ゲーテアヌムの魂を、新たな宇宙年へと担っていきましょう、そして、新たなゲーテアヌムのなかに、かつてのものの肉体にふさわしいモニュメントを、ふさわしい記念碑を打ち立てるべく努めようではありませんか。愛する友人の皆さん、これが私たちの心を、私たちが諸元素へとゆだねなければならなかったかつてのゲーテアヌムに結びつけてくれますように。これが私たちの心を、このゲーテアヌムの精神(霊)に、魂に、結びつけてくれますように。そして、私たち自身のなかの最良の存在へのこの誓いとともに、私たちは単に新年へと生きていくのみならず、力強く行為し、霊を担い、魂を導きつつ、新たな宇宙年へと生きていこうではありませんか。愛する友人の皆さん、皆さんはかつてのゲーテアヌムへの追憶のなかで身を起こし、私を迎えてくださいました。皆さんはかつてのゲーテアヌムへの追憶のなかに生きておられます。さあ今こそ、立ち上がりましょう、私たち人間の本性をかたどる像のなかに見出すことのできる最良の力とともに、私たちはゲーテアヌムの精神においてさらに活動し続ける、という誓いの証(あかし)として。どうかそうあらんことを。アーメン。そして、愛する友人の皆さん、私たち人間の魂を神々の魂に結びつける意志に従って私たちがそうできる限り、私たちはこれを持ち続けようではありませんか、私たちはこの神々の魂に精神において誠実であり続けようします、私たちがゲーテアヌムの精神科学を求めた人生のあの時、神々の魂へのこの誠実を私たちはその精神から追求したのです。そして理解しましょう、この誠実を守るということを。 (第8講了)参考図:Rosenkreuzer-Meister□編註☆1 ちょうど一年前 … 講義は:1923年12月31日ドルナハでの講義。『人間と星界の関係 人類の霊的な聖体拝領』(十二回の講義、1922 GA219)所収。☆2 この形のなかで:ルドルフ・シュタイナー『ゲーテアヌムの建築思想』(1921年6月29日、ベルンでの講義、GA290 シュトゥットガルト、1958)参照のこと人気ブログランキングへ
2024年05月17日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第7講 1923/12/30 ドルナハ 人類の歴史的進化における最後の大きな転換点(区切り)は、しばしば言及しました十五世紀の最初の三分の一の頃、悟性魂あるいは心情魂と呼ばれるものから意識魂への移行が起こった頃です。私たちは、人類にもっぱら意識魂の発達が起こっている時代に生きているわけですが、この時代には、自然のより深い衝動や力、すなわち自然における霊の衝動や力と人間を関係づける真の洞察は失われてしまいました。私たちは今日、人間と人間の物質的な成り立ちについて語るとき、たとえば化学者が今日いわゆる元素(エレメント/Element)と定めている化学物質について語ることさえします。けれども、何らかの食物が、炭素、窒素云々を含むことを知ったところで、それはもはや人間認識にとって、この時計がガラスとあるいは銀とその他いくつか別の素材からできていると知ることが時計のメカニズムにとって持つ以上の価値はありません。このように、実質的なものを、水素、酸素云々といったこのきわめて外的な抽象に還元することはすべて、結局真の人間認識はもたらしません。時計のメカニズムが力システムの連関から知られなければならないのとまったく同様に、人間の本質も、自然の諸領域に分割され宇宙のなかで別様に作用している宇宙のさまざまな衝動が、人間のなかで今まさにどのように発現しているか、その発現のしかたから知られなければならないのです。すでに退化したとはいえ、生まれつき良い本能に恵まれた人物たちによって十四、十五世紀まではいくらかのことが可能であったのですが、このようにそれでもまだ比較的残っていたもの、人間と宇宙との連関を真に見通すものは、パラケルススやヤーコプ・ベーメなどの少数の例外を除いて、少しずつ、完全に消え去ってしまいました。十五世紀以来徐々に形成された近代科学は、たとえば、そうですね、植物界、動物界と人間との関係について何を知っているでしょう。科学はまさに植物の化学的成分を調べ、それから何とかしてこの化学的成分の人間にとっての意味を研究しようとします、そして場合によっては、健康な人間と病気の人間への物質の作用について表象を形成しよう。これもたいがい放棄されるのです。けれども結局これらすべては人間をめぐる認識の闇をもたらすだけです。歴史的な洞察に基づいて人間認識において前進したいと思うなら、今日まったくもって重要なのは、人間の外にある自然と人間との関係についてまた知るようになるということです。十五世紀の最後の大きな飛躍までは、人間は明確な感情を持っていました。外部の自然のなかの金属と、人間の実質的なもの、人間の物質的なものに目を向けるとき何らかのしかたで現れてくる金属、そうですね、たとえば人体組織のなかにさまざまな結合して現れる鉄、あるいはマグネシア(苦土/Magmesia)などといった金属との間にどれほど大きな違いがあるかということについて、明確な感情があったのです。人体組織そのものを調べれば見出せるような金属と、人体組織を調べてもまずは見つからない金属が存在するということ、地上の金属に見られるこの違いについて、十五世紀までは、深い、根本的な感覚がありました。と申しますのも、人間はミクロコスモスである、と言われていたからです。マクロコスモスである外部世界に見出せるものはすべて、何らかのしかたで人間のなかに見出せるのです。これは何か普遍的抽象的な原理などではなく、かつて何らかの方法で秘儀参入学に近づいたひとにとって、それは人間の本質と宇宙の本質に必然的に結びつけられたものとして続いていきます。と申しますのも、全自然をその衝動と物質的な内容のすべてと関係づけるときにのみ、人間をほんとうに認識できるようになるからです。そのとき人間の本質についての像が、イマジネーションが得られます。そしてもし人間そのもののなかに見出すことのできない何かが外部の自然のなかにあるとしたら、この像、このイマジネーションは、損なわれるだろう。そうですね、まだ九、十、十一世紀の初頭に自然研究者であった人物はこのように考えたのです。けれども、人間が物質的な食物を通じて取り入れるものは、人間の物質的な生体組織を、生体の組織全般を維持しているものの一部にすぎないし、おそらくは最も重要なものですらないということも当時はよく知られていました。さて、呼吸というのもやはり新陳代謝なのですが、物質的な栄養から呼吸へと上昇するということには容易に思い当たりますね。ところが今日の人間は、さらに上昇していくということには思い至らないのです。十五世紀の自然研究者は、知覚というものに目を向ければ、単に目によって見ているというだけではなく、知覚プロセスが続く間、限りなく微細に分割された物質的なものが宇宙万有から目を通じて取り入れられるのだということをはっきりと理解していました。このように目を通し耳を通して、それは起こるのですが、人間の生体組織のほかの部分を通してもこれは起こりました。そして最も重要なことと見なされたのは、人間が粗雑な状態では自らのうちに有していないもの、そうですね、例えば鉛ですが、人間はこれを、まず予想できないほど限りなく微細に分割された状態から摂取するということです。鉛はさしあたり体内には検出されない金属です。けれども鉛は、拡散した金属、人間の思慮の及ぶ全宇宙にまで非常に希薄な状態で拡散した金属なのです。そして人間は鉛を、呼吸プロセスよりもずっと精妙なプロセスを通じて宇宙から取り入れます。人間は絶えず、周辺の(peripherisch)方向に自分から物質を分泌しています。皆さんは単に爪を切るというだけでなく、絶えず皮膚から物質を分泌しているのです。けれどもこれは単に退去するというだけではなく、物質が去っていく一方でほかの物質が摂取されるのです。よろしいですか、このように中世の九、十、十一、十二世紀の自然研究者はまだこうした思考の道筋のなかに生きていました。彼にとってはまだ、諸々の物質が、力が、どのように作用しているかを定めるのは、秤などではありませんでした、無骨な測定器でもありませんでした。そうではなく、自然の内なる特質(Qualitaeten)のなかに入り込んでいくこと、自然の内なる衝動と、自然と人間の関係のなかに入り込んでいくことでした。そうすることによって、この十五世紀までは多くのことが知られていました、それらをまた知ることが始められなければなりません。今日人間についてはまったく何もわからなくなっているからです。人間の成り立ちを探究して、一種の分類、一種の一般的なプランとでも申し上げたいものを与えるために、私たちはまず、人間は物質体、エーテル体、アストラル体、自我あるいは自我組織(Ich-Organisation)から成ると言っていますね。そう、これらはとりもなおさず言葉です。こういう言葉をもって始めるというのは良いのです、これらの言葉で誰しも何か少しは思い浮かべることができるでしょうから。けれどもこれらを生の実践において用いようとするなら、つまり人間の認識から追求しうる最も重要な生の実践である治療において用いようとするなら、これらの言葉にとどまっているわけにはいきません、言葉を真の内容で満たすもののなかに入っていかなければなりません。まず最初に問いましょう、物質体です、私たちはどのようにして物質体の表象に辿り着くでしょう。私がなぜこの概念を展開するのか、皆さんはのちほどすぐおわかりになるでしょう。私たちはどのようにして物質体の表象に辿り着くか。さて、地上において人間の外部に何かある対象が、そうですね、石があるとしますと、石は地面に落ちます。石は重い、石は地球に引き寄せられる、石には重さがあると私たちは言います。私たちはそのほかにも作用している力を見出します。石が結晶へと形成されるとき、石のなかには形(フォルム)を成す力が働いています。けれどもこれらの力は地上的な諸力に親和性があります。要するに、私たちが周囲の世界を見ると、地上的な本質に従っている物質があるわけです。私たちはこのことを心に留めておきましょう、私たちは地上的な本質に従っている物質を持つと。こういうことにきちんと目を向けないひとがやってきて、一個の炭、黒い炭を見せるでしょう。実際これは何なのでしょう。地球の近くでのみこれは炭なのであって、この炭を比較的短い距離であっても地球から離すとその瞬間に、それはもはや炭ではなくなるでしょう。地上で炭を炭たらしめているものはすべて、地球の諸力なのです。つまり皆さんはこう言うことができます、ここに地球があるとすると、地球の諸力はこの地上的なもののなかにあるのだが、この地球上で私が持つどの対象のなかにもあると。そして、人間の物質体はなるほど複雑に組み合わされているけれども、根本においてこれも、地球のこれらの物質的な力、地球の中心点からやってくる力に従う対象なのです。これは人間の物質体です、これは地球の中心からやってくる諸力に従います(外向きの矢印)。さて然し乍ら、地上には別の諸力もあります。これらの力は周囲からやってきます(内向きの矢印)。私がまったく定かならぬ遠方まで出かけていくとひとつ考えてみてください。そのとき、ちょうど地球の力とは逆に、定かならぬ遠方から力がやってきます。この力は至るところから働きかけてきます。そう、いたるところから作用してくる力、宇宙のあらゆる方向から地球の中心点に向かって働きかけてくるこのような力があるのです。これらの力について、まったく確かで具体的な表象を得ることができます、それは以下のようにしてです。有機体の、つまり植物、動物、人間の有機体(生体組織/Organismus)の基礎をなす最も重要な物質は、蛋白質です。けれども蛋白質はまた、植物、動物、人間の新たな生体組織の基礎でもあります。胚細胞(生殖細胞/Keimzelle)、受精した胚細胞から、植物、動物、人間の生体組織として発達するものが発生します。蛋白質は物質です。今日、ひとは真の科学を行う代わりにいたるところで空想しますので、こう思い描きます、蛋白質、これは、いわゆる炭素、酸素、水素、窒素、硫黄、いくらかの燐から複雑に組み合わされた、まさしく複雑に組み合わされている物質であると。つまり蛋白質のなかに、原子論者が考えるような理想の組み合わせが得られるというわけです。まったく複雑に原子と分子を描き込まなければならないでしょう。そしてそれから、動物母体あるいは植物母体のなかでこの複雑な蛋白質分子が形成されていく、あるいは好まれる言い方によれば、これがさらに発達していって、純粋な遺伝によって新たな動物が発生すると。しかしながらこういうことはすべて、霊的な眼差しの前ではまぎれもないナンセンスです。ほんとうは、動物母体の蛋白質は複雑に組み合わされているのではなく、完全に損なわれ、カオスとなっているのです。通常身体のなかに含まれている蛋白質というものはまだいくらか秩序があるのですが、生殖のもとになる蛋白質の特徴とはまさに、内的に完全にカオス状態で入り乱れ揺り動かされているということ、物質素材が完全にカオスへと引き戻され、もはや構造がなく、内部で完全に寸断され引き裂かれ破壊されているためにもはや地球に従っていない物体の堆積にすぎないということなのです。蛋白質は、なんとかまだ内的にまとまっている限りは地球の中心的な諸力に従っています。蛋白質が内的に分裂させられる瞬間、蛋白質は全宇宙領域の影響の下に移ります。力はいたるところから入り込んできます。そして生殖の元になる小さな蛋白質の塊が生じるのです。私たちにもまず最初に見渡すことのできる全宇宙万有の写しとして。どの蛋白質の塊もひとつひとつが全宇宙万有の写しです。なぜなら、蛋白質の実質は分裂させられ、破壊され、カオスへと導かれ、それによってまさに宇宙の塵として、全宇宙に従うのにふさわしくされるからです。こういうことについて、今日何も知られておりません。今日こう信じられています。さてここに親の鶏がいる。それはまさに複雑な蛋白質を持っている。蛋白質は卵のなかにもたらされる。それから新しい鶏が生まれる。それは継続され、さらに発達させられた蛋白質である。それからまた胚実質となり、こうして鶏から鶏へと続いていく。けれどもそうではないのです。ある世代から次の世代へと移行が起こるたびごとに、蛋白質は全宇宙にさらされるのです。したがって私たちはこう言わなければなりません、私たちは、一方において、地上的な中心的諸力に従う地上的な物質を持つけれども、私たちはある意味ではその物質を、宇宙万有の境界からいたるところから働きかけてくる力に従うものと考えることもできると。この後者の力は、人間のエーテル体のなかで働いている力です、エーテル体は宇宙の力に従うのです。よろしいですか、今、私たちは物質体とエーテル体についてのリアルな表象を持ちます。今、皆さんが、皆さんの物質体とは何かと問いかけるなら、物質体とは、地球の中心点からやってくる諸力に従うものです。皆さんのエーテル体とは何かと問うなら、それは皆さんにおいて、周辺のいたるところからやってくる諸力に従うものです。これも描いてみることができます。ひとつ考えてみてください。ここに人間がいるとします。人間の物質体は、これが地球の中心点へと向かうなら(赤)、地球の中心点へと向かう諸力に従うものです。人間のエーテル体は、宇宙万有の果てのいたるところから入り込んでくる諸力に従います(緑)。こうして今、人間のなかにひとつの力組織があると考えられます、垂直に位置しているあらゆる器官のなかにもともと存在していて、下降していく力と、外からやってきて、本来このような方向性を持つ(矢印)力から成る力組織です。皆さんはこのことを、一方の性質ともう一方の性質を代表している人間の形(フォルム)から形として見て取ることができます。脚を研究するなら、皆さんはこうおっしゃるでしょう、脚は周辺の力よりも地球の力に適合しているので、当然その理由からあのフォルムを有していると。頭は地球の力よりも周辺の力に適合しています。同様に皆さんは腕を研究することもできます。これはとりわけ興味深いことです。皆さんが腕を体に押しつけると、腕は、地球の中心点に向かう諸力に従います。皆さんが腕を活発に動かすと、皆さん自身が腕を、周辺のいたるところから入り込んでくる諸力に従わせるのです。よろしいですか、これが脚と腕の違いです。脚は一義的に地球の中心的な力に従い、腕は特定の姿勢でのある条件においてのみ、地球の中心的な力に従うのです。人間は地球の中心的な力から腕を引き上げて、周辺のいたるところからやってくる私たちがエーテル的と名づける力のなかに組み込むことができます。けれども、ひとつひとつの臓器についてもこのように、これらの臓器がどのように宇宙に組み込まれているかを実際いたるところで見ることができるのです。さて、皆さんは物質体、エーテル体を有しています。けれどもアストラル体とは何なのでしょう。空間のなかにはもはや、第三の種類の力はありません。そういうものはもはや存在しないのです。アストラル体はその力を空間の外に持っています。エーテル体の力は周辺のいたるところから入り込んできますが、アストラル体はその力を空間の外部から受け取るのです。地球の物質的な力が、あらゆる方向からやってくるエーテル的な力に組み込まれているようすを、自然の特定の場所に捜し出すことができます。ひとつ考えてみてください、蛋白質、これはまず物質的な地球に存在します。蛋白質のなかで、硫黄、炭素、酸素、窒素、水素が化学的にどうにか安定している限り、蛋白質はまさに物質的な地球の力に従います。蛋白質が生殖の領域に入ると、蛋白質は物質的な力から引き上げられるのです。周囲の宇宙万有の力が分裂した蛋白質に働きかけ始め、全宇宙万有の写しとして新たな蛋白質が生じます。けれども、よろしいですか。こういうことが起こることもあります。つまり分裂がじゅうぶんに進行することができないといった事態です。たとえば、何らかの動物に生殖が起こるためには、全宇宙万有の力に組み込まれることができるよう、産みつけられた卵のなかで分裂させられなければならない蛋白質もあるでしょう。こういう動物は、もっぱら全マクロコスモスのなかに組み込まれなければならないこのような蛋白質を生殖のために提供することを何らかのかたちで妨げられているのです。生殖可能な蛋白質は全マクロコスモスに組み込まれなければなりません。この動物は生殖可能な蛋白質を問題なく形成することを妨げられているわけですが、そう、たとえばタマバチ(Gallwespe)がそうですね。それではタマバチは何をするでしょう。タマバチは何らかの植物の一部に卵を産みつけるのです。タマバチが卵を産みつけた柏その他の木々にはいたるところでこれらの虫こぶ(没食子/Galle)が見つかるでしょう。するとこうした奇妙な虫こぶがたとえば葉についているのを皆さんはごらんになるでしょう、虫こぶのなかにはタマバチの卵があります。なぜこういうことが起こるのでしょう?なぜタマバチの卵は、たとえば柏の葉に産みつけられ、今発育しようとする卵が内部に入ったこのような虫こぶができたのでしょう。卵は自分だけでは発育することができないでしょう。なぜなら植物の葉は自らのうちにエーテル体を有しています。このエーテル体は全宇宙エーテルに適合していて、そしてこれがタマバチの卵の助けになるのです。タマバチの卵は自分だけではどうすることもできません。ですからタマバチは、すでにエーテル体を内部に持ち、全宇宙エーテルに組み込まれている植物の一部分に卵を産みつけるのです。つまりタマバチは、自分の蛋白質に分裂を起こすために、回りの宇宙周辺が柏の葉を、柏を通じて働きかけることができるように、柏の木に近づくのです、一方、タマバチの卵だけでは崩壊してしまわざるをえません、タマバチの卵はあまりに固く結合していて分裂できないからです。よろしいですか。このことは、自然のなかでいかに不思議な活動が営まれているかをのぞき見る可能性さえ与えます。けれどもこの活動は通常も自然のなかにあるものです。と申しますのも、想像してみてください、この動物は単に、生殖のために宇宙エーテルにさらされうる胚実質を提供することができないのみならず、自分自身のなかで任意の物質を食物に変え、内的な栄養に用いることもできないと。ミツバチの例(☆1)がすぐ思い浮かびますね。ミツバチは何でも食べるということはできません。ミツバチが食べることができるのは、植物によってすでに配分されたものだけです。けれどもさて今皆さんは非常に不思議なものをごらんになるでしょう。ミツバチは植物に近づき、蜜液をさがしてそれを摂取し、体内で加工し、ミツバチについて私たちが驚かざるを得ないものを作り上げます、まるごとの蜂の巣を、巣箱のなかの巣房を作り上げるのです。私たちはこれらふたつのまったく不思議な驚くべき経過を眺めます、外で花にとまっているミツバチが花の蜜を吸い、それから、巣箱に入り込んでいって、ほかのミツバチとともに、蜂蜜で満たすための蜜房を自分自身から作り上げるのです。いったいここで何が起こっているのでしょう。よろしいですか、皆さんはこれらの蜜房をその形(フォルム)に従って見なければいけません。それらはこのように形成されています(図参照、右)、ここにひとつ、続いてふたつめと続きます。これらは小さな房で、その空洞はもちろん物質で満たされるように形作られるのですが、水晶、つまり珪酸の結晶の形成のとはいくぶん違って形成されています。皆さんが山に出かけて、水晶をごらんになれば、皆さんはそれもこのように描くことができるでしょう。水晶はいくぶん不規則なところはありますが、連続した巣房に似た図になるでしょう。ただ、巣房は蜜ろうから、水晶は珪酸から出来ています。これを追求していくと、こういうことがわかります、普遍的なエーテル的、アストラル的なものの影響下で、地球進化の特定の時期に、珪酸の助けを借りて、山のなかに水晶が形成されたと。皆さんはここに、地球の周囲からやってくる諸力、エーテル的ーアストラル的力として作用し珪酸のなかに水晶を形成する力を見るのです。皆さんは外の山地のいたるところにそれを見出します。まさに驚くべき水晶、この六角形の形成物を。この水晶であるもの、これは、空洞となれば巣箱のなかの巣房です。つまりミツバチは、かつて六角形の水晶を作り出すべく存在していたものを花から取り出します。ミツバチはこれを花から取り出し、自分自身の体を通して水晶の複製を作り出すわけです。このとき、ミツバチと花の間では、かつて外部のマクロコスモスで起こったことに似た何かが起こっているのです。私がこういうことをお話ししますのは、炭素、窒素、水素、酸素云々のなかに存在しているこのまったく嘆かわしい抽象を眺めるだけでなく、驚くべき形成(ゲシュタルトゥング/Gestaltung)プロセスを、自然と自然の経過における内的で親密な関連を見ていくことがどんなに不可欠か、皆さんにおわかりいただくためです。そしてこういうことが実際かつては本能的に科学の基礎となっていました。それは十五世紀頃から人類の歴史的進化にともなって失われてしまいました。それは再び獲得されなければなりません。私たちは再び、自然の存在とその人間への関わりとの内密な関係のなかへと入っていかなければならないのです。このような関係が再び知られるようになるときにのみ、健康な人間と病んだ人間への真の洞察が再び存在するようになるでしょう。さもなければ、どんな薬学においても、内的な連関は洞察されることなく、単に試してみるばかりという状況は変わりません。十五世紀から今日まで人間の精神の進化において一種の不毛の時代があったのです。この不毛の時代は人類を圧迫しました。と申しますのも、植物を見ても、動物を見ても、人間を見ても、鉱物を見ても、あらゆることについてもはや何もわからなくなったこういう不毛な時代は、人間全般をあらゆる宇宙連関から引き離したからです。そしてとどのつまり、人間はあのカオスのなかに入り込んでしまいました、そのカオスのなかで人間は今日、もはや宇宙との何らかの関連のなかで自らを知るということのない世界に対峙して生きているのです。このような事柄がよく考えられていた時代には、生殖が起こるたびごとにマクロコスモス全体が語りかけていることを、人間はよく知っていました。生殖可能な胚あるいは種子のなかで、全マクロコスモスの写しが生じます。大宇宙は外にありますが、きわめて小さな胚のなかには、大宇宙のいたるところからやってくる作用の結果があるのです。さて人間のなかでは最初、地球の物質的ー中心的な力が共に作用しています、それらは人間のすべての器官(臓器)のなかで作用していますが、これらの力に対して、あらゆるところからやってくるエーテル的な力が随所で作用しています。なんらかの方法で肝臓を、脾臓を、肺をごらんになってください、そこでは地球の中心点からやってくる力と周囲の宇宙のいたるところからやってくるあの力が共に作用している、ということを知るときにのみ、皆さんはまずこれらの臓器を理解なさるでしょう。ーーさらに、ある種の臓器はアストラル体に、また自我組織(Ich-Organisation)に浸透されています。けれども、ほかの臓器は、これら高次の構成部分にはあまり浸透されていませんし、そもそも人間は睡眠状態では自分のなかにアストラル体と自我組織は持っていないのです。ひとつ何らかの臓器を、肺を(最初の図参照、右上)、考えてみてください。何らかの原因で、宇宙万有のいたるところからやってくる力(矢印)が、人間の肺にあまりに強く働きかける状態になったとします。肺は病気になってしまうでしょう、なぜなら、肺のなかで地球の中心点から作用するものと、周囲のあらゆる方向からやってくるものとの間には、一種の調和的な均衡状態が生じていなければならないからです。今、皆さんが、肺のなかであまりに強く働きかけているエーテル力の釣り合いをとる鉱物(ミネラル)実質をどのようにして見つけ出せるか首尾良く知ることができるなら、皆さんは、強く作用しすぎているエーテル的諸力を除去する治療薬を得るでしょう。そして逆のことが起こる可能性もあります、つまりエーテル的諸力があまりにも弱くなって、地球の中心点から作用する物質的な諸力が強くなりすぎるといったような。皆さんは、何らかの臓器を通じてエーテル的諸力を強めるように人間に作用することのできるものを、周囲の植物界のなかに求めるでしょう。そうすれば、皆さんはふさわしい治療薬を得るでしょう。単に物質体を観察するだけでは、最少の治療薬をどうにか見つけ出すことも不可能です、物質的な人体そのものには、人体の成り立ちについて何かを語る根拠はまったくないからです。と申しますのも、人体のなかで起こっているいわゆる正常なプロセスは自然のプロセスですが、病気のプロセスもまた自然のプロセスだからです。皆さんがいわゆる正常な肝臓をお持ちだとすると、皆さんは自然のプロセスのみがそこで起こっている肝臓をお持ちなのです。けれども皆さんが潰瘍を起こした肝臓をお持ちだとしても、皆さんはやはり自然のプロセスのみがそこで起こっている肝臓をお持ちなのです。物質体からはこの違いを見つけだすことはけっしてできません。物質体からは、ある場合は別の場合とは異なって見える、という事実を確認することができるだけで、原因については何も知ることはできないのです。皆さんの肝臓に潰瘍があったとすると、こういう場合たとえばアストラル体が、そうすべき程度よりずっと強力に肝臓に介入しているということを知っているときにのみ、皆さんは潰瘍の原因を発見するでしょう。皆さんは、肝臓の潰瘍形成の場合肝臓に強く介入しているアストラル体を、肝臓から追い出さなければなりません。そして、物質体から出て、人間本性の高次の構成部分にまで入っていかないことには、健康な人間と病気の人間についてリアルに語る可能性などそもそもないのです。ですから結局こう言うことができます、そもそも薬学というものは、人間の物質体から出ていくときにはじめてまた可能だろう、病気の本質は、物質的な人体からは理解することができないからだと。今回私は、事柄を歴史的関連で叙述することだけを意図しております。けれどもまさしく、古の時代から近代へともたらされてきたものがどんどん光を失っていったとき、人間認識一般もことごとく消え去ってしまったということなのです。今日私たちは、再び人間認識を獲得しなければならないという急務の前に立っております。この人間認識は、人間と周囲にある自然界の関係を再び把握することができるときにのみ獲得されるでしょう。ひとつ人間の自我組織から出発してみましょう。まず、そうですね、秘儀参入学由来のイマジネーション認識を通して人間の自我組織についての観照を得ると、自らにこう問いかけることができます、今日の人間の生体組織のなかではいったいこの自我組織はとくに何と関係しているのだろうと。この自我組織は、人間のなかで鉱物的であるものととくに関係しています。ですから皆さんが鉱物質(無機質)のもの、本質上鉱物質のものを摂取すると、たとえば塩を舌の上にのせると、たちまちこの鉱物質のものに襲いかかるのは自我組織なのです。次いで鉱物質のものはさらに送られ、胃のなかに移ります。自我組織は、塩実質が胃のなかにあるときにも、そこに居残っています、自我組織はそこに居残っているのです。塩はさらに進み、むろんいろいろな変化を遂げますが、腸を通過し、さらに進みます、けれども皆さんの塩は、決して自我組織に見捨てられることはありません。これらは、つまり自我組織と人間のなかに入ってきた塩は、対になったもののようにふるまうのです。よろしいですか、皆さんがたとえば、蛋白質という物質とまだいくらか結合している目玉焼きを食されるときには、そうではありません。皆さんが目玉焼きの蛋白質を舌の上に運ぶときには、自我組織は少し気にかけるだけです。さらにそれが胃のなかへと入り込んでいく間も、アストラル体はそれをほとんど気にかけません。さらに進むと、エーテル体が集中的に働きかけ、次いで物質体がそうします。皆さんが目玉焼きとともに皆さんの生体組織のなかに取り入れた蛋白質を、これらが皆さん自身のなかで分解するのです。そして今、目玉焼きは皆さん自身のなかで完全に鉱物的にされます。それは分解されます。腸壁においてこれら外的に取り入れられた蛋白質は、どうにかまだ蛋白質であることもやめ、完全に鉱物化されるのです。こうして今それはまた自我組織のなかに移行していき、そして鉱物化された蛋白質は、そこから自我組織に摂取されるのです。こうして私たちはいつもこう言うことができます、自我組織は鉱物質のものだけと関わり合うと。けれども鉱物質のものはどれも、人間の生体組織のなかで自我組織によって、外部にあるときとは異なったものになっています。人間の生体組織のなかでは何ものも、それがこの人間の生体組織の外部にあるときのままであることは許されないのです。自我組織は非常にラディカルにそのことを気にかけなければなりません。単に、そうですね、食塩やそういった物質が、自我組織に捉えられて、外部にあったときとはまったく別の何かに内的に変えられるというだけではなく、人間がある特定の熱状態に囲まれているとき、外的な熱状態が人間に何らかのしかたで浸透しているときですら、それは{外的な熱がそのままであることは}許されないのです。皆さんの指が、外的な熱として広がっているものによって満たされることは許されないのです。熱は皆さんに刺激として作用することが許されるだけで、皆さんは内部に持つ熱を自分で生み出さなければなりません。皆さんが単なる対象となり、皆さんの暖かさあるいは冷たさを自分では生み出さず、皆さんのなかのどこかで熱を、たとえば何らかの対象の場合のように作用させ続けるだけであるなら、その瞬間に、皆さんは病気になります。外的な熱そのものによって、単なる物質によってではなく、外的な熱によって病気になるのです。ちょっと考えてみてください。ここに布かスポンジか何かがあり、向こうにストーブがああるとしましょう。ストーブの熱はまったく静かに広がり、布あるいはスポンジに浸透するでしょう。布あるいはスポンジは、そこにストーブの熱として広がっているものを単に継続するだけです。ストーブの熱が皮膚まで到達すると、そうすることは許されません。ストーブの熱が感覚の刺激を引き起こすと、反応が返ってこなければなりません、つまり内部の熱が内から生み出されざるを得ないのです。風邪の状態というのはまさに、内部の自分の熱を生み出すべく刺激を与えさせるだけにとどまらず、外部の熱をいくらか皮膚の下に入れてしまって、その結果、自らの作用、自らの衝動そのものに満たされた完全に活動的な人間として自身を世界のなかに据えるのではなく、ひとつの対象のように自分を置き、自分を通じて外界の作用に浸透されるままになっていることに起因するのです。自らのうちに鉱物質のものを取り入れ、けれどもこれを内的に徹底的に変え、何か別のものに変化させること、これが自我組織の本質です。私たちが死んではじめて、鉱物質のものは再び外的自然の鉱物質のものとなります。私たちが地上に生きて、鉱物質のものを私たちの皮膚の内部に有している間は、自我組織が絶えず鉱物質のものを変化させています、私たちが摂取する植物質のものは、アストラル組織によって、アストラル体によって、絶えず変化させられているのです。したがって私たちはこう言うことができます、人間の自我組織は、鉱物質(無機質)のものすべて、単に固体状のもののみならず、液体状のものも、気体状のものも、熱状のものも、徹底的に変容させるのだと。おおざっぱな言い方をすれば、むろん、このあたりに水がある、私は飲む、水は今私の内部にあると言うことはできます。けれども私の生体組織が水を取り入れる瞬間、私の内部にあるものは、私の自我組織を通じて、もはや外部の水であるものと同じではなくなります。私がそれを汗として染み出させたりあるいはほかの方法で水に戻すとはじめて、それはもとに戻るのです。私の皮膚の内部では、水は水ではなく、生きた液体性である何かです。このようにして常に、限りなく多くのことが考え直されなければなりません。今日は皆さんにほんの小さな示唆を与えることができただけです。けれども皆さんがこのことを考えぬき、蛋白質は全マクロコスモスの作用のなかに入るために分解させられねばならないことがおわかりになるなら、私が飲む水は内的に生きた液体であり、もはや無機的な水ではなく、自我組織に浸透された水であることがおわかりになるなら、また、皆さんがキャベツを食べるとき、外にはキャベツがある、アストラル体がすぐさま内的にキャベツを、少なくとも現実の、物質的なキャベツを取り入れ、それを何かまったく別のものに変化させるとじっくりお考えになるなら、ここで私たちは、とほうもなく重要な経過の観察に至り、次のような観照へと押し進みます、つまり、私たちは私たちの新陳代謝のなかに、私たちのたとえば脳のなかにあってそこで神経系その他を作り出している代謝プロセスと、進化のある種の段階だけ異なっている経過を有しているのだ、という観照へ。これについては明日もさらにお話しするつもりです、紀元後十二世紀と二十世紀の人類のまったくラディカルな違いを際だたせるために、そして、そこからさらに、人間認識がすべて消え去ってしまい、健康な人間についても病気の人間についてももはや何もわからなくなってしまわないためには、さらなる進展になかで健康な人間と病気の人間のために、新たな衝動がやってくることがどうしても必要であることをご理解いただくためです。 (第7講・了)参考画:自我組織(ego organization)□編註☆1 ミツバチの例:1923年12月1日ドルナハでの講義を参照のこと。『人間と宇宙自然における霊の作用ーーミツバチの本質について』(ゲーテアヌム建築に携わる労働者たちのための15回の講義、第5巻 GA351)所収□記;シュタイナーの「自我組織」は、人間の意識と肉体の関係に焦点を当てています。以下に要約します。自我の付与には肉体が必要:人間は肉体を持つことで「自己同一性」と「自己独立性」の意識を形成します。低次自我と高次自我:現在の自我は低次のもので、「私は私である」という自己同一性と「私と他者は別の存在である」という自己独立性を持っています。真の自我性への成長:真の自我性は「自己独立性」と「自他同一性」を統合した意識であり、肉体を通じて形成されます。必要悪としての自我の下降:肉体による自我は利己主義や物質的欲望を生み出し、唯物論的思考を促進します。シュタイナーは、真の自我性を意識的に育てる時代が到来していると考えています。人気ブログランキングへ
2024年05月16日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第6講 1923/12/29 ドルナハ ゴルゴタの秘蹟前の三世紀から四世紀までと、ゴルゴタの秘蹟後の三世紀から四世紀まで、この間六百年から八百年にわたりますが、この時代は、東洋との関連という点で西洋の歴史を理解するためにとくに重要です。私がここ数日お話ししてきました出来事、これはアリストテレス主義(アリストテリスムス)の登場とマケドニアからアジアへのアレクサンダーの遠征において頂点に達しましたが、この出来事の本質とは、これらの出来事が、まだ秘儀の本質への衝動のなかにまったく浸りきっていたオリエントの文明にとって、ある種完了させるものとなるということです。このまぎれもなく純粋なオリエントの秘儀衝動のいわば終焉は、あの冒涜的なエフェソスの火災でした。そこにはいわばヨーロッパにとって、ギリシアにとって、神に浸透された古(いにしえ)の文明が秘儀の伝統のかたちで、いわば影像のかたちで残されていたものがあったのです。そしてゴルゴタの秘蹟後の四世紀、私たちは別の出来事を通して、いわば秘儀本質の廃墟のうちになおも残存していたものを見ることができます。私たちはこれを背教者ユリアヌス(ユリアヌス・アポスタータ/Julianus Apostata)(☆1)に見ることができるのです。ローマ皇帝最後の「異教徒皇帝」背教者ユリアヌスは、四世紀に、エレウシス秘儀の導師の最後のひとりによって、まさにひとが参入させられることのできたものに参入させられました。つまり、背教者ユリアヌスは、オリエントの古代の神々の秘密であったもののうち、紀元後四世紀にエレウシスでまだ体験することができた分だけを体験したわけです。こうして私たちは、ある時点に、ある時代の出発点に、エフェソスの火災を置きます。エフェソスの火災の日はアレクサンダー大王の誕生日にあたります。この時代の終わり、つまり363 年には、命日があります、かなたのアジアでの背教者ユリアヌスの非業の死があります。こう言ってよいかもしれません。この時代の真ん中にゴルゴタの秘蹟があると。ここで、私がたった今区切りましたこの時代は、人類の全進化史のなかでそもそもどう見えるかということをもう一度見ておきましょう。私たちはまさに今、奇妙な事実を前にしているのです、人類の進化をこの時代の向こうまで遡って見通したいと思うなら、私たちはその観るということにおいて、何か別のものに似たことをしなければならないという事実をです。ただ、私たちは通常このふたつのことを関連づけることはありませんが。思い出してください、私は『神智学』(☆2)において、私たちが考慮すべき諸世界を示す必要がありました、つまり、物質界、それに境を接する中継的世界つまり魂界、そして人間の最高の部分だけが入っていくことのできる世界としての霊界(ガイスターラント、霊の国[Geisterland])です。そして、この霊界、つまり現在人間が死と新たな誕生との間に経験するこの霊界の独自の特性を度外視し、このように霊界の普遍的な特性に目を向けるなら、こういうことになります、つまり、この霊界を理解するためには私たちが私たちの魂状態を方向づけしなおさなければならないのと同じように、この時点の向こう側にあるものを理解するためには、私たちの魂状態を方向づけしなおさなければならないのです。今日の世界に適用できる概念と表象をもって、エフェソスの火災の背後にあるものを理解できるなどと思ってはなりません。ここでは別の概念と表象を育成しなければならないのです、人間が呼吸プロセスにおいて外部の空気と関わり合っているのと同様に、自分たちは魂を通じて絶えず神々と関わり合っているのだとまだ知っていた人たちを見晴るかすことをも許すような概念と表象を。すると今や私たちは、いわば地上のデヴァカン(Devachan)、地上にある霊界(霊の国)であるこの世界を見ます、物質的世界はこの世界には何の役にも立たないからです。次いで、キリストより前の356年からキリストから後の363年までのあの中間の期間(Zwischenzeit)が来ます。さてそれではこの中間の期間の向こうには何があるのでしょう。その向こうにはアジアの方向へも、ヨーロッパに向かっても、まさに概念において現代の人類がそこから発してきた世界があります、ちょうど古代人類がオリエント世界からギリシア世界を経てローマ帝国へと入って行ったように(図参照)。と申しますのも、中世の数世紀を通じて現代に至るまで文明として発達してきたもの、これは、秘儀の本質の本来の内容を度外視すれば、人間がその概念と表象をもって育成しうるものを基礎として形成され、展開されてきた文明だからです。ギリシアではすでに「歴史の父」とも呼ばれるヘロドトス以来、それが準備されてきました、ヘロドトスは歴史の事実を外的なしかたで記述し、霊的なものにはもはや近づかないか、せいぜいのところきわめて不十分に近づいただけでした。この文明はますますいっそう形作られていきます。けれどもギリシアには、霊的な生活を思い出させたというあの影像の息吹のいくばくかがあいかわらず残っているのです。それに対してローマにおいては、現代の人類に親和性のあるあの時代が始まります、ギリシアの魂状態であったものとさえまったく違うしかたで、ある魂状態を得るあの時代が。背教者ユリアヌスのような人物のみが、古(いにしえ)の世界への抑えがたい憧れのように何かを感じ取り、そして彼はある種の敬虔さをもってエレウシスの秘儀へと参入することを受け入れます。けれども彼がそこで得るものには、もはや何の認識力もありません。何はさておき、彼は、オリエントの秘儀の本質の伝統としてあったものをもはや魂の内部をもってしては完全に理解することはできない世界の出身なのです。もしアジアの後にギリシア・ローマが続かなかったとしたら、今日の人類は決して発生しなかったでしょう。今日の人類というのは、個人性(パーソナリティ/Persoenlichkeit)に、ひとりひとり別個の(individuell)個人性に基づくあの人類です。オリエントの個人性、オリエントの人類は、ひとりひとり別個の個人性に基づくものではありませんでした。ひとりひとりは、自らを、絶えざる神的なプロセスの一分岐と感じていたのです。神々は地球進化に対して意図を有し、神々はあれこれと意志しました、それでこの地上であれこれのことが起こったのです。神々は人間の意志のなかにインスピレーションを与えつつ働きかけました。皆さんに示唆しました力強い人物たちがオリエントで行ったことはすべて、神々のインスピレーションだったのです。神々が意志し、人間が行為しました。そして古代世界にあって秘儀とはまさに、この神々の意志と人間性とを正しい軌道へと導くことに適していたのです。エフェソスにおいてはじめて事態は変化しました。皆さんに申しましたように、エフェソスでは、秘儀の入門者たちはもはや季節の経過ではなく、彼ら自身の成熟を頼りにせざるを得ませんでした。ここではじめて個人性の最初の痕跡が現れてきたのです。その前の受肉でのアリストテレスとアレクサンダー大王も、当地で個人性の衝動を受け取りました。しかし今、オリエントの秘儀の本質たる人間でありたいという最後の憧れを背教者ユリアヌスが持った時がその黎明となる時代がやってきました。今や、人間の魂において、ギリシアにおいてさえそうであったものとはまったく別の状態になる時代が到来するのです。エフェソスの秘儀においてたとえば行を達成したというような人間を思い浮かべてみてください。エフェソスの秘儀によってではなく、その人があの時代に生きたということによって、その人の魂においてはこういう状態だったのです。よろしいですか、今日、普通言われるようにある人が思い出すということをするとき、彼は何を思い出すことができるでしょう。彼は誕生以来個人的に体験した何らかのことを思い出すことができます。ある年齢のひとがいます、彼は二十年前、三十年前に体験したことを思い出します。内的な記憶想起は個人的な人生を越えていくことはありません。たとえばまだエフェソスの文明に加わっていた人々の場合にはそうではありませんでした。エフェソスにおいて達成されるべきあの行のほんの痕跡を得ただけで、彼らは思い出し、今日個人的な人生の記憶が浮かび上がってくるように、地上以前の生存や出来事が彼らの魂のなかに浮かび上がってきました、自然の個々の領域における地球進化に先立つ月進化、太陽進化、といった出来事が。このとき人は自らの内をのぞき込むことができたのです、そして宇宙的なものを、人間と宇宙的なものとの結びつきを、いわば人間の宇宙的なものへの依存を見たのです。人間の魂のなかに生きていたものは、自己記憶(自己想起/Selbsterinnerung)でした。つまり私たちはこう言うことができます、私たちはここにひとつの時代を持つ、エフェソスで宇宙の秘密を体験することのできたあの時代だと。当時は、人間の魂が宇宙における太古を思い起こすということがありました。この想起(記憶)より前には、太古の時代の内部に実際に生きるということがありました。そのなかで、単に太古の時代をのぞき込むということだけが残ったのです。ギルガメッシュ叙事詩が語っている時代においては、私たちは、宇宙における太古についての人間の魂の記憶と言うことはできません。そこでは、現在における太古の体験、と言わなければならないのです。今や、アレクサンダーから背教者ユリアヌスに至るあの時代がやってきます。さしあたってはこの時代を飛ばしましょう。次いで私たちは、中世と近代の西欧文明がそこから育ってきた時代に至ります。そこにはもはや、宇宙における太古についての人間魂の記憶も、現在における太古の体験もなく、残されているのは伝統だけでした。 第一に:現在における太古の体験 第二に:宇宙における太古についての人間の魂の記憶 第三に:伝統 ひとは起こったことを記録することができました。歴史が生じたのです。この歴史というものはローマ時代に始まります。この圧倒的な違いを考えてみてください。以前のエフェソスの入門者たちが加わった時代のことをよく考えてください。彼らには歴史の書物は必要ありませんでした。起こったことを書き留めるなどということは、彼らにとってはこっけいに思われたことでしょう。と申しますのも、じっくりと、じゅうぶんに深く考えざるを得なかったからです。そうすれば、意識の底から、起こったことが浮かび上がってきたのです。そして、これを心理分析として描写する現代の医者などはおらず、生き生きとした記憶からかつて存在したものをこのように取り出してくるのは、まさしく人間の魂の歓喜だったのです。それから、人類がこのようなことを忘れてしまい、起こったことをかろうじて記録せざるを得なくなった時代になりました。けれども、以前人間の魂のなかで宇宙的な記憶力であったものを人類が退化させて行かざるを得なかった期間に、つまり、世界の出来事を記録する、歴史を書く云々ということを人類が不器用に始めざるを得なかった期間、この期間に、人間の内部では、個人的記憶力(das persoenliche Gedaechtniss)、個人的記憶(想起)というものが発達したのです。どの時代にもそれぞれ独自の使命が、独自の課題があります。ここで皆さんは、私が最初の講義で、時間記憶が登場した、と説明いたしましたことの別の面をごらんになるわけです。この時間記憶の最初の揺籃の地はギリシアでしたが、その後他ならぬローマ・ロマン文化を経て、近代にまで至る中世へと発展してきました。そしてすでにもう背教者ユリアヌスの時代に、この個人文化へのきっかけが芽生えたのですが、このことを証明しているのが、背教者ユリアヌスはエレウシスの秘儀への参入を受け入れたけれども、それが彼にはもはや何の役にも立たなかったということです。さて今や、西洋の人間は紀元前三、四世紀から現代に至るまで、地上生活の間霊的世界のまったく外部で生きるという時代となります、単なる概念と理念、抽象のなかで人間が生きる時代です。ローマにおいては神々でさえ抽象となります。人類がもはや霊的世界との生き生きとした関係について何もわからない時代がやってくるのです。地球はもはや、諸天の一番下の領域であるアジアではなく、地球はそれ自体ひとつの世界となり、諸天は遠く、人間の観照のなかで薄れていきました。そしてこう言うことができます、ローマ文化として西洋に到来したものの影響のもとに、人間は個人性を発達させると。霊界(Geisteswelt)に、上方の霊の国(Geisterland)に接して下に魂界(Seelenwelt)があるように、ちょうどそのように、今や時代にしたがって、西洋の文明であるものつまり一種の魂界も、この霊的なオリエント世界に接しています。そしてこの魂界がそもそも直接現代の日々にまで入り込んでいることが明かです。けれども今日人類は大多数においてまだ、大きな飛躍が実際に進行中なのだ、ということに気づいておりません。私の話をしばしば聴かれた何人かの友人の皆さんは、ある時代が過渡期であるということについて私が話すことを好まないのはご存じでしょう、なぜならまさにどの時代もが過渡期であり、つまり以前のものから後のものへと移行しているからです。問題はただ、何から何への移行が起こっているのかということです。けれどもまさに私が皆さんにお話ししたことによって示唆しましたのは、この移行が、ひとが霊の国から魂界へ、そしてそこからはじめて物質界へ至る、というようなものであるということです。おお、今まで発展してきた文明のなかには、いつもある種の霊的な響き(Anklaenge)がありました。唯物主義(マテリアリスムス)のなかにすらある種の霊的な響きが漏れ出ていたのです。あらゆる分野における本来の唯物主義というのは、十九世紀半ばになってはじめて出てきたもので、まだきわめてわずかのひとにしか唯物主義の完全な意味は理解されておりません。しかし唯物主義は巨大な力をもって存在しています。そして今日の時代は、第三の世界への過渡期に当ります、前のローマ世界がオリエント世界と違っていたように、このローマ世界ともまったく違う第三の世界への過渡期です。さて、申し上げたいのですが、アレクサンダーとユリアヌスの間のある時代にいわば触れずにおきましたが、この時代の真ん中にゴルゴタの秘蹟が起こるのです。このゴルゴタの秘蹟はもはや、人々が秘儀を理解していた時代のようには受け取られませんでした、そういう時代であれば、ナザレのイエスという人間のなかに生きたキリストについて、人はまったく別の表象を得たことでしょう。ゴルゴタの秘蹟の同時代人で秘儀に参入したわずかのひとのみが、まだそういう表象を有していました。ヨーロッパの人類の大多数は、ゴルゴタの秘蹟をスピリチュアルに理解するためのどんな表象も持っていませんでした。したがって、ゴルゴタの秘蹟が地上に根付くしかたはまず、外的な伝統を通じて、外的な伝承を通じてというものでした。最初の数世紀における秘儀参入者のグループ内においてのみ、ゴルゴタの秘蹟と同時に起こったことをがスピリチュアルに理解されることができたのです。けれども、また別のこともありました、これについてはつい先日の講義で(☆3)すでに何人かの方々にはお話ししましたが。彼方のヒベルニア、アイルランドには、古アトランティスの叡智の余韻が残っていました。一昨日皆さんに概略をお話ししたヒベルニアの秘儀においては、入門者には、二つの暗示的な姿をとって、古アトランティス人たちが見ていたように鋭く世界を見る機会がありました。そしてこのヒベルニアの秘儀は、自らのうちに厳しく閉ざされた、とほうもなく厳粛な雰囲気に覆われたものでした。ヒベルニアの秘儀はゴルゴタの秘蹟の数世紀前にあり、ゴルゴタの秘蹟の当時にもありました。彼方のアジアでゴルゴタの秘蹟が起こり、その後伝統的歴史的に福音書のなかに伝えられることがイェルサレムで起こりました。けれども、人間のだれかれの口が情報をもたらしたわけでもなく、何らかのそれ以外の結びつきがあったわけでもないのに、ゴルゴタの秘蹟が悲劇的に成就した瞬間、ヒベルニアの秘儀においては、パレスティナにおいて真のゴルゴタの秘蹟が起こったということが霊視的に知られたのです。ヒベルニアの秘儀の地において、同時に、象徴的な光景が実現したのです。その地でひとは伝統を通して学んだのではありません、そこではゴルゴタの秘蹟がスピリチュアルな方法で知られたのです。そして偉大な壮麗な出来事がパレスティナで外的物質的事実のなかにもたらされる一方で、ヒベルニアの秘儀においては、そのアストラル光のなかにゴルゴタの秘蹟の生き生きとした光景を生じさせるあの祭式がとりおこなわれていたのです。ものごとがいかに連鎖しているか、おわかりですね、神々との古(いにしえ)の関わりが消えるとともに、一種の世界の谷間とも申し上げたいものが事実生じるのです。東洋では、エフェソスの火災の後、神々についてのこの古い観照は堕落していきます。ヒベルニアにおいてはこの観照は存在し続けますが、これもやはり消えていきます。と言っても、それは紀元後になってからですが。そして、ゴルゴタの秘蹟から放射するものすべてが、伝統を通じて、口承によって、展開されます。西洋で発達するのは全般に、口承のみに頼るか、あるいは後になっては外的な自然研究、純粋に感覚的な自然研究を頼りとする世界なのです、つまり、自然の分野においては単なる伝承に、歴史の分野においては文字に記録されたかあるいは口伝えによる伝承に対応しているのです。ですから、ここに個人性の文明(die Zivilisation der Persoenlichkeit)がある、と言うことができるのです。心霊的なもの(スピリチュアリスティッシュなもの/das Spiritualistische)、ゴルゴタの秘蹟は、歴史的に伝承されはしますが、もはや観られることはありません(次の図を参照)、ただ生き生きと思い描いてほしいのです、背教者ユリアヌスの時代以後、スピリチュアルなものを排除した文明がいかに広がっていくか、思い描いてほしいのです。十九世紀末になってはじめて、七十年代の終わりから、いわば霊的な高みからの新たな呼びかけが人類に近づいてきました。私がしばしばミカエルの時代として特徴づけましたあの時代が始まったのです。今日はこのことを、こういう観点から特徴づけたいと思います、つまり私が言うのは、人間が古い唯物主義(マテリアリスムス)にとどまりたいと思うなら人類の大部分は最初これにとどまりたいと思うでしょう。人間は恐ろしい奈落へと入り込んでいくだろうということです。人間は、古い唯物主義にとどまりたいと思うなら、必ず人間以下のもの(das Untermenschliche)に陥り、人間的な高みにとどまることはできないのです。人間的な高みにとどまるためには、人間は感覚を開かなくてはなりません。これから先得られるべきスピリチュアルな啓示に向かって人間が感覚を開くことは、十九世紀末以降、どうしても必要なことなのです。ある種の霊的な力存在たち(geistige Maechte)が活動していて、それらはヘロストラトスという人物のなかに、いわば外的な顕現のみを見出していました。ヘロストラトスとはいわば、ある種の霊的な力存在たちがアジアから突き出した最後の剣だったのです。そしてヘロストラトスがエフェソス神殿に松明を投げ込んだとき、いわば彼を単なる剣か松明の延長としてかざしながら彼の背後にいたのは、魔的な存在たち(daemonische Wesenheiten)でした、要するにこのヨーロッパ文明にスピリチュアルなものをもたらすまいともくろんでいた存在たちです。よろしいですか、これに抵抗するのがアリストテレスとアレクサンダー大王なのです。そもそもいったい何が起こったのでしょう。アレクサンダーの遠征によってアジアへともたらされたものは、アリストテレスの自然智であったものでした、そしていたるところに、根本的な自然智が広まりました。アレクサンダーは、アレクサンドリアだけでなく、エジプトだけでなく、かなたのアジアにもいたるところにアカデミアを設立していましたが、そこに彼は古代の叡智を定着させ、その結果この叡智はそこにあって長い間保存されたのです。ギリシアの賢人たちはいつでもそこに行くことができ、そこに自分たちの安住の地を見出しました。自然智はアレクサンダーによってアジアへともたらされたのです。ヨーロッパは正直のところ、最初この深い自然智に耐えられませんでした。単に外的な知、外的な文化、外的な文明のみを欲していたのです。そのため弟子のテオフラストスは、アリストテレス主義のなかにあったもののうち、西洋にゆだねることができたもののみを取ったのです。けれどもこのなかにはなおも途方もなく多くのものが潜んでいます。西洋は、アリストテレスの論理学的傾向の強い著作を得ました。けれどもまさにこれがアリストテレスの独特なところなのですが、アリストテレスが抽象的で論理的であるところですら、アリストテレスは他の著作者とは別様に読めるのです。内的な、スピリチュアルな、瞑想に基づいた経験とともに、ひとつプラトンを読むのとアリストテレスを読むのとの違いを見出そうと試みてほしいものです。真正の霊的な感覚を備えた現代人が一定の瞑想に基づいてプラトンを読むと、その人はしばらくして、自分の頭が物質的な頭より少し上にあるかのように、物質的な体組織から少し抜け出したようにこ感じます。単に大ざっぱにプラトンを読むのでない人の場合、必ずそうなのです。アリストテレスの場合はそれは別のものです。アリストテレスの場合、アリストテレスを読むことによって体の外に出るなどという感覚は決して得られません。けれども、一定の瞑想的な準備という基礎を整えてアリストテレスを読むと、まさに物質的な人間のなかで活動している、という感情が得られるでしょう。まさにアリストテレスによって、物質的人間が前に出てきます。これが活動するのです。それは単に観察される論理学ではなく、内的に活動する論理学です。アリストテレスはそれでもなお、後からやってきてアリストテレスから論理学を形成した小物たちよりも一段上なのです。アリストテレスの論理学の著作は、ある関連においては、それが瞑想の本として理解されるときにのみ正しく理解されます。こうして、奇妙なことが起こります。ひとつ考えてみてください、マケドニアから西に向かって、中部ヨーロッパ、南ヨーロッパへと、西洋へと、アリストテレスの自然学の諸著作が単に移動したとしたら、それらは、災いに満ちたものになったであろうしかたで受容されたことでしょう。なるほど、人々に受け入れられるものもあったでしょう、しかしそれは災いに満ちたものとなったでしょう。と申しますのも、アリストテレスがたとえばアレクサンダーに自然学的にーー私はこれについての見本をお見せしました。伝えることのできたものは、エフェソス神殿の火災以前のエフェソス時代の秘儀の本質にまだ触れられることのできた魂をもって理解されなければならなかったからです。そういう魂は、かなたのアジアか、エジプトのアフリカにのみ見出されました。ですから、アレクサンダーの遠征を通じて、アジアへと、自然存在認識と自然存在洞察(黒板にさらに描かれる;右へのオレンジ色)が移動させられたのです、それはのちに弱められた姿で、あらゆる可能な道筋を通ってスペイン経由でヨーロッパに到来しましたが、篩(ふるい)にかけられ、弱められた状態になっていました(右から左への黄色)。けれども直接もたらされたのは、アリストテレスの論理学の諸著作でした、アリストテレスの思想的なものだったのです。そしてこれは生き続けました、中世のスコラ学のなかに生き続けたのです。そうです、今、この二つの潮流が得られたわけです。中部ヨーロッパ的洞察に基づき、細々とではあれ、いくぶん素朴な(primitiv)人々の間にさえ広汎に流布している、とでも申し上げたいものがつねにあったのです。ひとつごらんになってください、かつてアレクサンダーがアジアへともたらした種子が、あらゆる可能な道筋を通って最初アラビアその他を越えて行き、けれどもその後十字軍参加者たちによって陸路でヨーロッパへとやってきた種子が、細々と、秘密の地においてではありますが、いたるところで生きていることを。この秘密の地に、ヤーコプ・ベーメやパラケルススといった人々、その他数多くの人々が赴き、このような迂回路を通ってヨーロッパの素朴な人々の間に広く入り込んだものを受け取ったのです。ここに、通常考えられているよりはるかに多く、民衆的叡智(eine volkstuemliche Weisheit)が伝えられています。民衆的叡智が生きているのです。そしてこれは、ヴァレンティン・ヴァイゲル、パラケルスス、ヤーコプ・ベーメ(☆4)、その他ほとんど名前を知られていない人々、といったような蓄えのなかに流れ込んでいることもあります。ヨーロッパに後になってはじめて到来したアレクサンドリア学派(アレクサンドリニスムス)、つまりバシリウス・ヴァレンティヌス(☆5)その他のなかにあったあるいは現にあるものが、豊かに輝きを発するのです。修道院においては、真の錬金術的叡智が生きていました、これは単に物質のいくつかの変化について解明するようなものではなく、宇宙万有における人間の変化そのものの最も内奥の特性について解明する叡智でした。定評ある学者たちが扱っているのは、むろん歪曲され、ふるいにかけられ、論理化されたアリストテレスです、けれどもこのアリストテレス、スコラ学及び後には科学が哲学として扱ったこのアリストテレスは、それでもやはり西洋にとって恵みとなるのです。と申しますのも、十九世紀になってはじめて、アリストテレスについて何も理解されなくなり、あたかも、アリストテレスを行ずるべし、ではなくアリストテレスを読むべし、というふうに、つまりあたかもアリストテレスは瞑想の本ではないかのように、そのようにのみアリストテレスが研究されるようになったのですが、そういう十九世紀になってはじめて、人々はアリストテレスから何も得られない、という状態になったからです、なぜなら、アリストテレスは人々のなかで生き生きと作用することはなく、それは行の本ではなく研究対象であるために、単に研究されるだけだからです。十九世紀まで、アリストテレスは行の本でした。けれどもよろしいですか、十九世紀においては実際すべてにおいて、前には行であったもの、能力であったものが、抽象的な知へと変化していくという状況なのです。ギリシアにおいては、このもうひとつの線によってもこのことを特徴づけできます、人間が洞察として有しているものは、まるごとの人間(der ganze Mensch)から出て来るのだという信頼があります。教師はギムナスト(体操家/Gymnast)なのです。肉体的な動きのなかに神々が働き、その動いているまるごとの人間から、いわばそのとき到来して人間の洞察となるものが現れ出るのです。ギムナストは教師です。ローマにおいては、のちにギムナストの代わりにレートル(雄弁家/Rhetor)が現れます。これはすでに、まるごとの人間からはいくらか抽象化されたものですが、それでも少なくともまだ、生体の一部における人間の動きと関連しているものがありました。私たちが語るとき、何が動き始めるでしょうか!私たちの心臓、私たちの肺のなかで、私たちの横隔膜、そしてさらに下へ向かって、なんと語りが生きていることでしょう。それはもはや、ギムナストが行っていたものほどは強度をもってまるごとの人間のなかで生きてはいませんが、それでも人間の大部分のなかでいつも生きています。そして、考えというのは、語ることのなかに生きているものの単なるエッセンスなのです。レートルがギムナストたちに代わって現れます。ギムナストはまるごとの人間に関わります。レートルがまだ関わっているのは、いわばもう四肢を閉め出した、つまり人間の一部から頭へと洞察であるものを上昇させるもののみです。そして、第三の段階は、近代になってようやく現れます、これがドクトルです、ドクトルは頭以外のものは何も訓練せず、おもに考えのみを見るようになります。いわば十九世紀においてはまだ、いくつかの大学では弁論の教授が任命されておりましたが、語ることに何かを与えるということがもはや一般的でなくなったために、万事ただ考えるということのみが欲されたために、これらの教授たちはもはや弁論を行うことができなくなってしまったのです。レートルたちは死に絶えてしまいました。まるごとの人間のうち、きわめて小部分のみを代表するドクトルたちが教育の指導者となったのです(☆6)。そして、ほんとうのアリストテレスが生きていた頃は、実際にアリストテレスから帰結として出てくるものは、行、節制(Askesis)、黙想でした。そしてこれら二つの潮流が依然として残っていました。あまり若くはなく、十九世紀の半ばから最後の数十年までに起こったことに意識的に加わったひとは、たとえばパラケルススが地方の人々のところを遍歴したようなしかたでいくらか歩き回れば、中世の民の智慧(Volkswissen)の最後の名残が、ヤーコプ・ベーメ、パラケルススから汲み出されて、結局十九世紀の七十年代、八十年代にまで現存していたことがわかるでしょう。そして結局のところこれもまた正しいのです、つまり、とりわけ特定の結社の内部や特定の親密なグループの生活のなかで、十九世紀の最後の数十年にいたるまで、一種の実践の、内的な魂実践のアリストテリス主義が維持されていたことも。それで、こう言ってよいでしょう、一方においては、アレクサンダーによってアリストテレスからアジアへともたらされたもの、他方においては、西南アジア、アフリカを通ってスペイン経由で入ってきて、バシリウス・ヴァレンティヌスといった人々やその後の人々のなかに民衆的叡智として生き返り、ヤーコプ・ベーメ、パラケルスス、その他多数の人たちをも生み出したもの、これらの最後の末裔たちと、まだ知り合うことができたのだと。それはまた十字軍を通じて別の道筋でももどってきました。それは広く民衆のなかにあり、まだそれを見出すことができたのです。十九世紀の最後の数十年にはひとはまだこう言うことができました、ありがたいことだ、ほとんど見分けがつかず、腐敗したかたちであるとはいえ、アレクサンダーの遠征によって古代の自然智としてアジアへともたらされたものの最後の末裔たちがまだここに生きていたのだ、と。古の錬金術によって、古の認識および、自然の実質と自然の諸力との連関によって、素朴な民のなかに不思議になおも生きていたもの、それは最後の余韻でした。今日、それは死に絶えました、今日もはやそれは存在しません、もはやそれを見出すことはできず、もはやそのなかに何も認識することはできないのです。同様に、知り合うことのできた特定の少数の人々においては、アリストテレス的な霊修行がありました。今日それはもはや存在していません。当時東方へともたらされたもの(黒板に続けて描かれる;右から左への赤色)と、アリストテレスの弟子テオフラストスという回り道を通って西方へともたらされたもの(中央から左への青色)が保存されていたのです。けれども、東方へともたらされたものは、またもどってきました。そしてこう言うことができます、十九世紀の七十年代、八十年代には、皆さんに描写しましたあの出来事を最後の末裔たちのなかに受け継いでいたものに、新たな、直接的なスピリチュアルな認識をもって結びつけられることができたと。これは驚くべき関係ですと申しますのも、そこから見て取れるのは、アレクサンダーの遠征とアリストテレス主義は、古のスピリチュアルなものとつながる糸を保持するためにあった、唯物的な文化となっていこうとするもののなかに、効果を、新たなスピリチュアルな啓示がやってくるはずのときまで続く効果を与えるためにあったのだということだからです。よろしいですか、こうした観点のもとでは、実際にこのように思えますし、また、一見不毛に思えることも、人類の歴史的生成のなかで極めて意味深いことが明らかになる、ということは正しいのです。アジアとエジプトへのアレクサンダーの遠征は退潮して(verfluten)しまっただろうにと安易に言うことはできます。それは退潮してはおりません。アリストテレスは十九世紀に途絶えた、と言うこともできます。それは途絶えておりません。二つの流れは、新たなスピリチュアルな生が始まる可能性のある時まで続いてきたのです。実にさまざまな場所で皆さんにしばしばお話ししたことですが、この新たなスピリチュアルな生は、十九世紀の七十年代の終わりに最初の示唆として開始され、さらに世紀末とともにますますさかんになりました。今日私たちには、高みから私たちのもとに来ると申し上げたい完全な霊的生を開始するという課題があります。私たちがこの奇妙な関連と以前のものとのこの結びつきを意識しないなら、私たちの周囲の霊的生のなかで起こっているきわめて重要な出来事に対して実際眠り込んでいることになります。今日、きわめて重要な出来事に対してほんとうになんと眠り込んでいることが多いことでしょう。けれども人智学によって人々を目覚めさせなければなりません。今このクリスマス会議にお集まりのすべての皆さんにとっては、目覚めを引き起こしうる衝動があると思います。よろしいですか、私たちは、まさにこの日を目の当たりにしております、この会議において、この悲しい出来事の一周年を見通していくことをせねばならないでしょう、私たちは、ゲーテアヌムを焼き尽くした恐ろしい火柱が燃え上がったあの日を前にしているのです。さてこのゲーテアヌムの消失について、世間が、この火災は人智学運動の発展においてとほうもなく重い意味を持つ、と考えたがるならそうさせておけばよいのです。けれども、一方において、不可思議に、これについては明日以降もお話ししますが、オルガンのパイプやその他の金属製のものから、金属が焦げながら炎となって燃え上がり、そしてこの炎に不思議な色彩が生じたとき、このときこの物質的な炎がどのように燃え上がったかを見ていないなら、このことをやはりその完全な深さにおいて判断することはできません。記憶を昨年へと携えていかなければならないでしょう。けれどもこの記憶のなかに、物質的なものはマーヤであるという事実が生きていなければなりません、私たちは今や、心のなかに、魂のなかに霊的な火をかき立て、その炎のなかから真実を探し出さなければならないのだという事実が。物質的に燃えるゲーテアヌムのなかに、霊的に作用するゲーテアヌムを、私たちはぜひとも生み出さねばなりません。私たちにかけがえのないものとなったゲーテアヌムが恐ろしい巨大な炎に包まれて燃え上がるのを一方において見、また背景に、魔的な力存在たちに導かれてヘロストラトスが松明を投げ込んだ冒涜的なエフェソスの火災を見る、ということをしないなら、これが完全な歴史的意味において起こることができると思ってはおりません。前景にあるものと、背景にあるものを、ともに感じ取ることのなかで、私たちが一年前に失い、全力で再建しなければならないものを、私たちの心のなかにじゅうぶん深く刻み込むことのできるひとつのイメージを得ることができるかもしれません。□編註☆1 背教者ユリアヌス:フラヴィウス・クラウディウス・ユリアヌス Flavius Claudius Julianus、361年から363年までローマ皇帝、キリスト教に対する背教者[von den Christen Apostata, der Abtruerninige]と呼ばれた。1917年4月19日ベルリンでの講義(『ゴルゴタの秘蹟の認識のための礎石』GA175所収)を参照のこと。☆2 私は『神智学』において:『神智学ーー超感覚的な世界認識と人間規定への導き』(1904、GA9)「三つの世界」の章を参照のこと。☆3 つい先日の講義で:第四講の☆1参照のこと。☆4 ヤーコプ・ベーメ:Jakob Boeme, 1575-1624、テオフラストス・パラケルスス:Theophrastus Paracelsus, 1493-1541 ヴァレンティン・ヴァイゲル:Valentin Weigel, 1533-1588 シュタイナー『近代の精神生活の黎明のなかでの神秘主義と近代の世界観』(GA7)参照のこと。☆5 バシリウス・ヴァレンティヌス:Basilius Valentinus 十五世紀の錬金術師、おそらくエルフルトのベネディクト会士。 彼の名で、1600年頃、一連の錬金術的著作が出版された。1924年4月26日のシュタイナーの講義(『カルマ的関連の秘教的考察』第2巻 GA236)参照のこと。☆6 ギムナスト、レートル、ドクトル:シュタイナーはこれについてたとえば1923年8月6日の講義(『現代の精神生活と教育』GA307所収)で詳細に語っている。1924年7月24日の講義(『教育という文化世界における人間認識の教育的価値』GA310所収)も同様。 (第6講・了)参照画:燃えるゲーテアヌム(Goetheanum)人気ブログランキングへ
2024年05月15日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史(GA233)翻訳紹介:yucca第5講 1923/12/28 ドルナハ 古代の秘儀のうちでもエフェソスの秘儀はまったく特殊な位置を占めています。私は西洋の歴史において、アレクサンダーという名に結びつくあの進化因子とともに、このエフェソスの秘儀のことをも考えざるを得ませんでした。かつてのあらゆる古代文明の源は秘儀の本質であったわけですが、これがオリエント(東方)からこちらのオクツィデント(西方)、つまりまずギリシアへと経てきた急激な変化のなかに入っていくときにのみ、新旧の歴史の意味を理解できます。そしてこの急激な変化とは以下のようなものです。よろしいですか、東洋のかつての秘儀をのぞき込んでみますと、秘儀の祭司たちは、彼らの観たものから偉大な意味深い真実を弟子たちに啓示することができたのだという印象をいたるところで受けます。そうですね、時代を遡れば遡るほど、これらの祭司賢者たちは、神々そのものを、惑星界あるいは地上の現象を導く霊的諸存在を、秘儀において直接現前させることができました、神々は実際にそこに現われたのです。人間とマクロコスモスとの関連、それは実際さまざまな秘儀において明かされました、ヒベルニアの秘儀やアリストテレスがまだアレクサンダーに語ることができたものについて昨日皆さんにお話ししましたが、あのように壮大なしかたで明かされたのです。けれどもどの古オリエントの秘儀においても、とりわけ、道徳的なもの、道徳的な衝動が、自然の衝動と厳密に分かれていなかったということが言えます。アリストテレスがアレクサンダーに水のエレメントの霊たちが支配していた北西を指し示すことで北西からやってきたものは、今日のように風やその他純粋に物質的なものがやってくるといった単に物質的な衝動だけではありませんでした、物質的な衝動とともに道徳的な衝動もやってきたのです。物質的なものと道徳的なものはひとつでした。それが可能だったのは、そもそもこれらの秘儀において与えられたあの認識を通して、人間は自らを全自然と、人間は自然の霊を知覚していたわけですから一体のものと感じていたからです。たとえば、ギルガメッシュの生涯と、次の受肉でエフェソスの秘儀に近づいた個体の生涯の間に流れ去ったちょうどその時期に、人間の自然に対する関係において、あるひとつのことがあります。ちょうどその時期には、人間と霊自然(Geistnatur)との関連についての直観がまだ生き生きと見い出されます。この関連はこのようなものでした。自然のなかの元素霊たちの作用や、惑星の経過のなかの知性的存在たちの作用について、当時知っていたことすべてを通じて、人間はこう確信するに至っていました。外ではいたるところに植物界が広がっているのが見える、新緑に芽吹き、生長し、実を結ぶ植物界が。春に生え出し秋には枯れてゆく一年生植物が、草原に、野原に見える、そこには何百年も成長し続ける木々も見える、樹皮と木質部を外側に持ち地中深く根を伸ばした木々だ。この外界で一年生草本や花として根を降ろしているものすべて、硬い衝動とともに地中へと伸びてゆくものすべてを、人間としての私はかつて私のなかに担っていた。こういう確信です。よろしいですか、今日人間は、どこかある部屋に人間の呼吸によってできた炭酸があるとすると、私はこの炭酸を吐き出したと感じます。人間は、自分は炭酸をこの部屋のなかに吐き出したと感じるのです。人間は今日、まだわずかしか宇宙と関わり合っていないと言ってよいかもしれません。人間存在の空気的な部分において、生体組織のなかで起こっている呼吸及びその他の空気プロセスの根底にある空気において、人間は大いなる宇宙と、マクロコスモスと、まったく生き生きと関わり合っています。人間は吐き出された呼気を、つまり最初内にあって今は外にある炭酸を眺めることができます。人間が今日、実際そうしないにしても、そうすることは可能でしょう。吐き出された炭酸を眺めるように、ちょうどそのように、オリエントの秘儀に参入したか、あるいはオリエントの秘儀から外に流れ出た叡智を受け入れた人は、植物界全体を眺めていたのです。その人はこう言いました。私は宇宙進化において古い太陽紀を振り返って見る。そのとき私はまだ内部に植物を担っていた。その後私は植物を地球存在のあたり一面に流出させた。けれども、私がまだこの植物を私のなかに担っていたとき、私がまだ、植物界とともに全宇宙を包含していたあのアダム・カドモンであったとき、そのときこの全植物界はまだ水(液体)的ー空気(気体)的な何かであったと。人間はこの植物界を自身から分離(分泌)したのです。もし皆さんがこの地球の大きさになって、それから植物的なものを、今や水の元素のなかで変容し、生じ、枯れ、成長し、別様に変化し、まさしくさまざまな姿をとるこの植物的なものを、内に向かって分泌すると思い浮かべてごらんになれば、皆さんは当時の心情を皆さんのなかに呼び起こすことができるでしょう。そしてかつてはこのようであったということ。これを、ギルガメッシュの時代に彼方のオリエントで教育を受けたひとたちは語ったのです。彼らは草原の植物の成長を見るとこう言いました、私たちは、私たちの進化の前段階で植物を分離したが、地球が植物を受け取ったと。そのうち根のようなものは、木質のもの、植物のうち木の性質のものすべてと同様に、最初地球にはありませんでした。けれども、植物性のもの全般を人間は自分から切り離し、それは地球に受け取られました。人間は植物性のものすべてと密接な親和性を感じていました。高等動物に対して人間は[植物に対するのと]同じ親和性は感じておりませんでした、と申しますのも、動物的形成を克服し、進化の途上で動物たちを置き去りにしたことによってのみ人間は地上に到達することができたということを知っていたからです。人間は植物を地球まで携えてきて、それから植物を地球に委ねました、地球は植物を自らの懐に受け入れたのです。地球上で人間は、植物にとって神々の仲介者、神々と地球との間の仲介者となったのです。したがって、今やあの大いなる体験、これはごく単純化してこのようにスケッチできますが(図参照)、あの体験を現実に有したひとたちは、人間は宇宙(黄)から地球にやってきたと感じたのです。数は問題になりませんよ、昨日すでに申しましたように、人間たちは互いに合体していた(ineinanderstaken)のですから。人間は植物的なものをすべて分離し、そして地球は植物的なものを受け取って、それに根のようなものを与えたのです(暗緑色の線)。このように人間は、自分が植物の成長とともに地球を包み込むように(赤い覆い)、また地球がこうして包み込まれることに感謝しつつ、人間が液体ー気体的植物エレメントのかたちで地球に吹きかけることのできたものを受け入れたように感じました。そしてこのようなことを感じたひとたちは、このように地球に植物をもたらすことに関連して、自らを神、つまり水星の主神(Hauputgott des Merkur)と密接な親和性のあるものと感じました。自分が地球に植物をもたらしたのだというこの感情を通して、人は水星神と特別な関わりを持つに至ったのです。これに対して、動物についてはひとはこう感じました、動物を地球にもたらすことはできなかった、動物を切り離し、動物から自分を解放しなければならなかった。さもないと正しいしかたで人間の形姿を発達させることはできなかっただろうと。いわばひとは動物を自らから押し出し、その結果動物は人間からまさに押し出され(外側の赤い線)、人間のそれよりは低次の段階で動物自身の進化を遂げざるを得なくなったのです。このように一方において、まさにギルガメッシュ時代およびそれに続く時代の古代人は、自分が動物界と植物界の間に据えられていると感じたのです。植物界に対して人間は自らを、神々の代理としていわば地球に授精する担い手と感じました。動物界に対しては、動物という重荷を下ろし、そのため動物は退化するのですが、重荷を脱して人間となるためにあたかも動物界を自分から突き放したかのように感じました。ところで、エジプトの動物礼拝全体はこの直観と関連しています。アジアに見られる動物に対するあの深い同情の多くもこれと関連しているのです。そしてそれは、一方において植物界との、他方において動物界との人間の親和性を感じていた偉大な自然観でした。動物界に対しては解放を、植物界に対しては植物界との緊密な親和性をにひとは感じていたのです。人間としてひとは、植物界を自分自身の一部分と感じ、親密な愛のなかで地球を感じていました、なぜなら地球は、植物というこの人間性の一部を、自らのうちに受け入れ、自らのうちに根づかせ、しかも木々においては自分の素材を樹皮として植物を覆うことさえしてくれたからです。物質的な外界の判断のなかにはあらゆるところに道徳的なものがありました。ひとは草原の植物に近づいていき、この植物のなかに単に自然の成長を感じ取るのみならず、人間とこの成長との道徳的関係をも感じ取っていたのです。動物に対してもやはり道徳的な関係を感じ取っていました、ひとは動物を超え出ていったのだと感じたのです。つまりあちらのオリエントでは、こうした秘儀から大いなる霊自然観(Geistnatur-Anschauung)が流れ出していたのです。ギリシアにおいては当時秘儀は存在していましたものの、真の霊自然観をともなうことはずっと稀(まれ)でした。ギリシアの秘儀はなるほど壮大なものでしたが、まさにその本質からしてオリエントの秘儀とは区別されました。オリエントの秘儀においてはすべてが、地球上で人間はそもそもこの地球を通して自らを感じるのではなく、自分を宇宙、宇宙万有に組み込まれたものと感じていたという具合でした。ギリシアにおいては、秘儀の本質は最初、人間が自分を地球と結びいたものと感じるという段階に至ります。したがって、オリエントにおいて秘儀のなかで現われたもの、あるいは感じられたものは、本質的に霊的世界そのものだったのです。古えのオリエントの秘儀においては、供犠を捧げ祈りを唱える祭司たちのもとに神々自身が出現したと言われるとき、絶対的な真実が描写されているのにほかなりません。秘儀の神殿は同時に、神々を地上に迎える場所でした。そこで神々は天の宝として人間たちに贈るべきものを、祭司賢者たちを通じて人間たちに贈ったのです。一方ギリシアの秘儀においては、神々の像(映像、イメージ/Bild)、写し(模像/Abbild)、何か影像(Schattenbilder)のようなもののみが現われました、真の純粋な像ではありましたが、影像のようなもので、もはや神的存在たちそのもの、現実の存在ではなく、影像のみが現れたのです。そのためギリシア人は、古えのオリエントの秘儀の一員であった人とはまったく異なった感情を持っていました。ギリシア人はこう感じたのです、神々は存在する、けれども人間にできることは、これらの神々の像(Bild)を得ることだけだ、ちょうど記憶においては体験の像が得られるだけで、もはや体験そのものではないようにと。それはギリシアの秘儀から発してきた深い根本感情でした、自分たちは宇宙の記憶のような何かは有しているが、宇宙の現象そのものではなく宇宙の像だ、神々の像は持っているが神々そのものではない、土星、太陽、月上での経過についての像(Bild)は有しているが、土星、太陽、月上で現実(リアル)であったことと、たとえば人間が子ども時代とリアルに結びついてるようなそれほどの生きた結びつきはもはやないと人間たちは感じたのです。そしてこの、土星、太陽、月とのリアルな結びつきを、オリエント文明の人々の方はその秘儀から得ていました。このように、ギリシアの秘儀の本質には何か像のようなもの(etwas Bildhaftes)がありました。神的ー霊的現実の影のような霊たち(Schattengeister)が現われたのです。けれどもこのことは別の重要なことをもたらしました。と申しますのも、よろしいですか、オリエントの秘儀とギリシアの秘儀の間には、もうひとつ違いがあったのです。オリエントの秘儀においては、そこで経験できる大いなるもの巨大なもののうちいくらかなりと知ろうとするなら、ひとはまず時が熟すまで待たなければならないということが常でした。それに付属する供犠を、つまりいわば超感覚的な試み(Experimente)を、秋に行なう、あるいは別の試みを春に、また別のそれを真夏に、また真冬に行なう、するとそのときにのみ何かを経験することができると言う具合だったのです。そしてまた、月がある特定の位相をとることによって正しい時期と知ることのできた時期に、何らかの神々に供犠が捧げられるということもありました。神々はそのとき秘儀のなかに姿を現わしました。神々が顕現したのです。さらにまた、何らかの神的存在が秘儀においてまた顕現する機会がやってくるまで、そうですね、三十年ほど待たなければなりませんでした。たとえば土星に関わるすべてのものは、何らかのかたちで三十年ごとに秘儀の領域に入ってくることができるのみでしたし、月に関わるすべては常におよそ十八年ごと、等々でした。ですから、オリエントの秘儀の秘儀祭司たちは、彼らが得た壮大巨大な認識と観照を、時間と空間とあらゆる可能なものに左右されるかたちでのみ獲得することができたのです。たとえば、洞窟の奥深くではまったく違う啓示が得られましたし、山の頂上では別の啓示が得られました。どうにかしてあちらのアジアの奥深くにいたりあるいはまた海岸その他にいるときには、違った啓示が得られたのです。つまり、地上の空間と時間への依存、これがまさにオリエントの秘儀において特徴的なことでした。ギリシアにおいては、大いなる現実(リアリティ)は消え去っていました。像(Bilder)だけが残っていたのです。けれども、今やひとは季節や世紀の流れや場所に依存することなく像を得ることができました、人間として正しいしかたで準備をすれば、あれこれの黙想をし、あれこれの人格上の(persoenlich)供犠を捧げれば、この像を得ることができたのです。供犠と人格的成熟のある段階に到達すれば、ひとは人間としてそれに到達したがゆえに、大いなる宇宙の出来事と宇宙存在たちの影を近くするようになったのです。これは古(いにしえ)のオリエントからギリシアへの秘儀の本質における大きな変化です、古オリエントの秘儀は地上の場所と地上の空間の諸条件に従属していて、一方ギリシアの秘儀においては、人間は自分が神々にもたらしたものに関わり合ったのです。神がスペクトルム(Spektrum)の姿で自分のところにやってくるようにと行なった準備を通して人間が評価されたときに、神々はいわば、影像の姿、スペクトルムの姿でやってきたのです。このことによってギリシアの秘儀は、新たな人類を真に準備するものとなりました。さて、古のオリエントの秘儀とギリシアの秘儀との中間の位置にエフェソスの秘儀がありました。それはまさに特殊な位置を占めていました。と申しますのも、エフェソスにおいては、そこで秘儀に参入したひとたちは、古オリエントの巨大で壮麗な真実のいくばくかをまだ経験することができたからです。人間と大宇宙(マクロコスモス)の関連、大宇宙の神的ー霊的存在たちと人間との関連についての内なる感受と感覚によって、まだそれらの真実に触れることができました。おお、エフェソスにおいては、地上を超えたものについてまだ多くのことが感じ取られていたのです。そしてエフェソスの秘儀の女神アルテミスとひとつになることによって、あのまだ生き生きとした関係がもたらされました。植物界はお前の世界である、地球はただ植物界を受け取ったのだ。お前は動物界を克服した、お前は動物界を置き去らなければならなかった。お前が人間となることができるために置き去りにせねばならなかった動物たちを、お前はありったけの同情をもって眺めなければならない。このように大宇宙と自分がひとつであると感じること、この感情が、エフェソスの秘儀参入者たちにはまだ直接の体験から、現実(リアリティ)から、伝えられたのです。けれどもエフェソスにおいては、西洋に向けられた最初の秘儀として、季節あるいは世紀の流れ、要するに地上の時と場所からの独立というものがありました。エフェソスにおいてはすでに、人間が行なう黙想、そして神々への供犠と帰依を通じてどのように自分を成熟させるかというそのやり方に注目されていました。その結果、実際のところエフェソスの秘儀は、一方で秘儀の真実の内容を通してまだ古オリエントを指し、他方、人間進化へと、人間性へとすでに押しやられたことによって、エフェソスの秘儀はすでにギリシア精神への傾向を有していたのです。それはいわば、古の大いなる真実が人間に近づいていた、近づくことができたあの東方における最後の秘儀でした。と申しますのも、東方においては秘儀がすでにもう頽廃(Dekadenz)に至っていたからです。古の真実がもっとも長く維持されていたところ、それは西方の秘儀のなかでした。キリスト教成立後数世紀になおもひとはヒベルニアについて語ることができました。けれども、ヒベルニアの秘密は根本的に言って二重に秘密に満ちていると申し上げたいのです。と申しますのも、よろしいですか、昨日私が皆さんにこれら二つの立像についてお話ししたこと、そのひとつは太陽像でもうひとつは月像、ひとつは男性像でもうひとつは女性像だったのですが、この立像の秘密というのは、今日、その秘密自体をいわゆるアーカーシャ年代記から探究することがまだ困難な状況なのです。こうした物事において修練された人たちにとっては、オリエントの秘儀の像に近づいて、これらの像をアストラル光のなかから取り出してくることは、比較的困難ではありません。ところが、ヒベルニアの秘儀に近づこうとすると、アストラル光のなかで近づこうとすると、ひとは最初何か麻痺(眩惑)のようなものに見舞われます。それはひとをはね返します。このアイルランドの秘儀、ヒベルニアの秘儀は、もともとの純粋さを最も長く保っているにもかかわらず、今日もはやアーカーシャ年代記のなかに自分の姿を見せようとはしないのです。さてよく考えてみてください、アレクサンダー大王のなかに入り込んだ個体(個人)は、ギルガメッシュ時代、今日で言うブルゲンラント地方に至る西への旅のときに、ヒベルニアの秘儀によって触れられました。それはこの人間個体のなかで生きました、この西方に依然としてアトランティス時代の強い余韻があった時代に、非常に古いしかたで生きたのです。それは、死と新たな誕生との間に経過する魂的状態を通じて担われていきました。それからふたりの友、エアバニとギルガメッシュは、今度はまさにエフェソスにいました、そしてそこで、以前のギルガメッシュ時代に、神的ー霊的世界との関連で多かれ少なかれまだ下意識的に体験されたことを、非常に意識的に体験したのです。このエフェソス時代は、その前のもっと活動的な時代に魂のなかに引き入れられたものを消化し、加工する比較的静かな人生でした。さて、よく考えてみなければなりません。この両個体がギリシアの頽廃期、マケドニアの全盛期に再び出現する前に、このギリシアを通過していったものは何だったのでしょう!この古代ギリシア、海を越えて拡がりエフェソスをも包含し、小アジアの奥にまで入り込んでいたこの古代ギリシアは、古の神々の時代の余韻をなおすべて影像のなかに有していました。人間と霊的世界との関連は影のなかでまだ体験されていたのです。けれどもギリシア精神はこの影のなかから徐々に抜け出します、そして私たちは、ギリシア文明がいわゆる神的な文明から純粋に地上的な文明へと入り込んでいくさまを、段階を追って見ることができるのです。おお、今日の唯物論的に外面的な歴史なるものにおいては、歴史的生成のうちでももっとも重要な事柄が、まったく触れられてもいないのです。ギリシア精神の理解全体にとっても重要なのは、ギリシア文明のなかには、人間が超感覚的世界と関わっていた古の神性の影像のみがあったために、人間が徐々に神々の世界から出て人間自身の、完全にひとりひとり個人的な霊的能力を用いるようになったということです。このことは段階的に起こりました。古の神々の時代についてなおも感じられていたことが、今度は芸術的な像のなかに現われてくるさまを、私たちはアイスキュロスのドラマのなかにまだ見ることができます。ところがソフォクレスに至るやいなや、人間はいわばこの、神的ー霊的存在と自分をひとつと感じることから引き離されます。そしてそれから、ある観点からすればあまり評判の良くないのももっともな、ある名前と結びつくものが登場します。世のなかにはさまざまな観点があるものですけれども。よろしいですか、実際ギリシア古代においては、歴史を記述する、ということは必要ありませんでした。いったい何のために歴史がいるのでしょう。当時は重要な過去の出来事の生きたシルエット[Abschattung]がありました。歴史は、秘儀において示されるもののなかに読みとられました。影像が、生き生きとした影像があったのです。いったい歴史として何を書き留めると言うのでしょう。それから、これらの影像が下の世界に沈んでしまう時代がやってきました。人間の意識はもはや影像を受け取ることができなくなりました。ここではじめて、さあ歴史を書こうという衝動が生まれたのです。ここで最初の歴史の散文家ヘロドトス(☆1)が登場しました。そしてこの時から多くの名を挙げることができるでしょう、いわば人類を神的ー霊的なものから引き離し、純粋に地上的なもののなかに据えることが常に目指されるようになったのです。けれどもギリシア精神がこうしてまったく地上的になっていく、その上には、いつもひとつの輝きがありました、明日私たちはこれついて聞かされるでしょうが、これはローマ精神にも中世にも受け継がれませんでした。けれどもひとつの輝きがあったのです。影像から、ギリシア文明の黄昏のなかで光を失ってゆく影像から、それらは神的な起源を持っていたということをひとはなおも感じ取り、感受していました。そして、あらゆるもののさなかに、文化の断片とでも申し上げたいかたちでそのギリシアに存在していたすべてについて解き明かされる隠れ家のようなあらゆるもののさなかに、エフェソスはありました。ヘラクレイトス、最も偉大な哲学者たちの数々、プラトンも、ピュタゴラスも、彼らは皆まだエフェソスから学んでいました。エフェソスとは真に、ある時点まで古えのオリエントの叡智を維持してきたものだったのです。そして、アリストテレスとアレクサンダーであったあの個人たちもまた、ヘラクレイトスよりも少し後になってから、その叡智を経験することができました、オリエントの秘儀のなかにまだ古(いにしえ)の智としてあったものは、エフェソスの秘儀のなかに遺産として残されていたのです。エフェソスで秘儀の本質として生きていたものは、とりわけアレクサンダーの魂と密接に結びつきました。さて今や、あの歴史的な出来事が起こります、凡俗な人はこれを表面的な偶然とみなしますが、これはまさしく、人類進化の内なる連関に深い深い根拠を持つ出来事なのです。この歴史的な出来事の意味を見通すことができるように、ひとつ以下のことを魂の前に呼び起こしてみましょう。考えてみてください、のちにアリストテレスとなった人の魂(*ポリス的人間魂)と、アレクサンダー大王(*世界人間魂)となった人の魂、この両者の魂のなかで、太古の時代に由来して内的に加工されたものがまず生き、次いで、エフェソスにおいて彼らにとって途方もなく価値あるものとなったものが生きました。アジアがまるごとにとでも申し上げたいのですが、ただしエフェソスでギリシア的になった形をとって、この両者の魂のなかに、とりわけのちにアレクサンダー大王となった魂のなかに生きたのです。さて、この人物の性格、私はこれをギルガメッシュ時代から述べたのを思い浮かべ、さらによく考えていただきたいのです。さて今やアレクサンダーとアリストテレスの生き生きとした交流のなかで、古オリエントとエフェソスに結びついていた智が繰り返されました。新たな形をとって繰り返されたわけです。このことをひとえに思い浮かべていただきたいのです。もともとこの両者の魂のなかで途方もない強度をもって生きた巨大な記録、この巨大な記録であるエフェソスの秘儀が存在していたなら、つまりアレクサンダーとしての受肉においてもアレクサンダーがエフェソスの秘儀に出会ったとしたら、どういうことにならざるを得なかったでしょうか。このことを思い描いていただきたいのです、そしてさらに事実を正しく評価していただきたいのです、アレクサンダーが生まれた日に、ヘロストラト(Herostrat)がエフェソスの聖域に燃える松明を投げ込み、そのためエフェソスのディアナ神殿は、アレクサンダーの生まれた日に、冒涜者の手によって燃え尽きたという事実(*1)を。アレクサンダーの記念碑的記録と結びついていたものはもはや失われました。それはもうなくなり、結局今はただ歴史的使命として、アレクサンダーの魂とその師アリストテレスの魂のなかにあるのみとなったのです。さてここで、彼らのなかで魂的なものとして生きたものを、私が昨日、地の配置から読みとれるもののように、アレクサンダー大王の使命のなかに示したものと結びつけてみてください。すると今や皆さんも理解なさるでしょう、オリエントにおいて現実に、神的ー霊的なもののリアルな顕現であったものは、エフェソスとともに消し去られたようになったのです。ほかの秘儀は根本において、伝統を保持し続けているのみの衰退した秘儀(Dekadenzmysterien)にすぎませんでした、たとえそれが非常に生き生きとした伝統であったにしても、またとりわけ素質のある性質のなかに当然ながら霊視的な力を呼び起こすような伝統であったとしても。古の時代の偉大さ、巨大さはもうありませんでした。アジアからやってきたものは、エフェソスとともに消し去られたのです。今や皆さんは、アレクサンダー大王の魂のなかの決心を正しく評価なさるでしょう。かつて有していたものを失ったこのオリエントに。ギリシアにおいて影像のなかに自らを保管してきた形で、せめてそれがもたらされねばならないという決心です。それとともに、移動できうる限りアジアへ移動しようというアレクサンダー大王の思いが生じたのです、オリエントが失ったものを、ギリシア文化の影像のかたちでオリエントにふたたびもたらすために。そして今や私たちは、このアレクサンダー大王の遠征とともに、実際まったく驚くべきしかたで行われたのは文化征服ではない、ということがわかります、いかなるかたちであれアレクサンダー大王はヘレーネントゥム(ギリシア文化/Hellenentum)を外的なしかたでオリエントにもたらそうとするのではありません。いたるところで土地の風習を受け入れるばかりでなく、いたるところで彼は、人々の心、心情から考えることができるのです。彼がエジプトのメンフィスに行くと、彼は、それまで支配していた霊的なあらゆる奴隷拘束具からの解放者とみなされます。彼はペルシア帝国に、ペルシアには不可能であったある文化、文明を浸透させます。彼はインドまで押し進みます。彼はヘレニズム文明とオリエント文明との間に宥和を、調和を生み出すというプランを立てます。いたるところに彼は学院(アカデミア/Akademien)を創設します。後世にとって最も重要な意味を持つのは、彼がエジプト北部、アレクサンドリアに創設した学院ですね。けれども最も重要なことは、彼がアジアのいたるところに大小の学院を設立し、そこでその後の時代に、アリストテレスの諸著作と、アリストテレスの伝統が培われたということです。そしてこれは数世紀を通じて西南アジアにまで作用し続けました、アレクサンダーが開始したものが相変わらず弱々しい残像のように繰り返されるとでも申し上げたいしかたで作用し続けたのです。アレクサンダーはまず、力強い一撃で、自然智をかなたのアジアに、インドの中へと植え付けました。早く訪れた死のために、彼はアラビアまで行くことはできませんでしたが、アラビアに行くことが彼の主要目的だったのですが。インドの中へ、エジプトの中へ、いたるところへと。アレクサンダーは自然霊の智(Naturgaeist-Wissen)としてアリストテレスから受け取ったものを移植しました。そして彼はそれをいたるところに据えました、それを受け取るべき人々が、それを自分たちに押しつけられたなじみのないヘレニズム的なものと感じるのではなく、自分たち自身のものと感じ、それによって、実り豊かなものとなるように据えていったのです。実際のところ、そこで引き起こされたようなことを起こすことができたのは、このアレクサンダー大王のような火を吹くような性質の人だけでした。常に後援軍がやってきたからです。後の時代の多くの学者もまたギリシアを出て行きました、とりわけ学院のうちあるものはエデッサ郊外(*ゴンディシャプールの学院がありました)数世紀にわたって繰り返しギリシアからの移住を経験したのです。ここで、途方もないことが成し遂げられました、オリエントからやってきたもの(描かれる、両方が重ね合わせられる;黒板原画8参照、右から左への赤、明色の斑点)、ヘロストラトスの松明によってエフェソスで止められたもの、これが、ギリシアにあったその影像によって、また照らし出されたのです(左から右への明るい緑)、それは、東ローマの暴虐によって(☆2)ギリシアの哲学者たちの学院が紀元後6世紀に閉鎖され、最後のギリシア哲学者たちがゴンディシャプールの学院へと逃れていった最後の幕まで続きました。それは、先に進んだものと、残存されてきたものが相互に働きかけあうというものでした。このことによって、多かれ少なかれ無意識的であったにせよ、実際のところこの使命のなかにあったものは、ある意味でギリシアにおいてはルツィファー的なしかたで文明生活の波が到達し、かなたのアジアにおいてはそれがアーリマン的なしかたで残されていた、エフェソスに両者の調停があったということなのです。そしてアレクサンダーは、エフェソスが物質的には彼の誕生した日に崩壊してしまったために、霊的なエフェソスを、その太陽光がオリエントとオクツィデントを照らすべく建設しようとしたのです。深い意味でアレクサンダーの意図の根底にあったものは、西南アジアを通ってインドの内部まで、アフリカのエジプトを通って、ヨーロッパ東方を通って霊的なエフェソスを建設するということでした。この背景を知らないと、西洋の人類の歴史上の進化を理解することはできません。と申しますのも、このことが起こった直後に、つまりここで太古の由緒あるエフェソスを広範囲に拡げようとすることが試みられた後、結局エジプトのアレクサンドリアにおいて、くすんだ写字の形ではあっても、エフェソスにおいてかつて輝く広い文字のなかにあったものが保存されたからです。そして、このエフェソスの遅咲きの花が咲き誇った後、かなたの西方では今やまったく別世界であるローマ精神が勃興していました、もはやギリシアの影像とは関わりなく、人間の本質のなかにはこの古の時代への追憶のみしか残されていないローマ精神が。したがって、歴史において研究されうる最も重要な区切りは、エフェソスの火災の後アレクサンダーによって霊的なエフェソスが建設されたときの区切りなのです、この霊的なエフェソスはその後、最初はローマ精神として、次いでキリスト教その他としてさらに西方で勃興していくものによって押し戻されるのですが。そして、人類の進化は次のように言うときにのみ理解されます。つまり、知性で理解し、意志から働きかける私たちのやりかた、心情気分を持った私たちそのままに、私たちは古代ローマを振り返ってみることができる。そのすべてを理解できる。ところがギリシアを、オリエントを振り返ってみることはできない。その場合イマジネーションのなかで見なければならない、そのためには、霊的に観ること(geistiges Schauen)が不可欠であると。南に向かっては、通常の素っ気ない散文的な知性をともなった歴史的生成のなかで見ていくことも許されるでしょう、けれども東方に向かってはそれは許されません。と申しますのも、東方を見るとき、私たちはイマジネーションのなかで見なければならないからです、背景にあるアトランティス後の太古アジアの力強い秘儀の神殿を。そこでは、祭司賢者たちが弟子のひとりひとりに、宇宙の神的ー霊的なものとの連関を明らかにし、私が皆さんに描写しましたようなギルガメッシュ時代に受け入れられることができたような文明が存在していたのです。さらに私たちは、この驚くべき神殿がアジア中に拡散されたのを観るとともに、いかにエフェソスが中心になっているかを見なければなりません、アジア中に拡散された神殿のなかで色褪せてしまったものの多くをまだ維持しながら、すでにギリシア精神のなかに移行していたエフェソスが。人間はもはや、エフェソスで神々の啓示を受け取るために、星位や季節の到来を待つ必要はありません、人間は、黙想をすれば、人間が成熟に至ったときに供犠に捧げるものによって、神々に近づくことができるのです、神々が恩寵豊かに人間のところにやってくるわけです。そして今や私たちは、この像(光景/Bild)によって再現される世界に、ヘラクレイトスの時代に、皆さんにお話しした人物たちが準備されているのを見ます、今や私たちは、紀元前356年、アレクサンダー大王の誕生した日に、エフェソスの神殿から火炎が燃え上がるのを見ます。アレクサンダーは生まれ落ち、師アリストテレスを見出します。そして、この天へと昇っていくエフェソスの火炎から、理解できる人々にとって、このように響いてくるかのようです、古の物質的なエフェソスがその中心中核として記憶のなかに存在することのできる場所に果てしなく、霊的なエフェソスを建設すると。このように私たちは秘儀の地のあったこの古のアジアの像(光景)を見ます、前景に燃え上がるエフェソス、その弟子たち、そしてほぼ同時期、少し後に、ギリシアが人類の進化のなかで与えることのできたものをあちらにもたらしたアレクサンダーの遠征、そしてその結果アジアがその内実をなくしてしまっていたものが像としてアジアにやってくるのです。そしてはるかに見晴るかし、そこに巨大なものとして起こるものによって私たちのイマジネーションに翼が与えられて、私たちはイマジネーション的に捉えなければならない歴史の真の古い断絶を振り返ります。そしてそのときはじめて私たちは、ローマ世界が、中世世界が、現代の私たちにまで続いてきている世界が、前面に上昇してくるのを見るのです。その他のあらゆる区切り、古代、中世、近世、その他私たちが区分と称しているようなものは、根本において誤った観念しか呼び起こしません。私が今皆さんの前にお見せしましたこの像(光景)だけが、皆さんがそれをますます深く追求していかれるなら、今日に至るまでヨーロッパの歴史の生成のなかに生じている秘密についても真の展望を皆さんに与えてくれるのです。これについては明日さらに続けましょう。参照画:Temple of Artemis at Ephesus□編註☆1 ヘロドトス:Herodotos von Halikarnassos 前5世紀、最古のギリシアの歴史家、ペルシア戦争史の記述者。☆2 東ローマの暴虐によって:ユスティニアヌス[Justinian](東ローマ皇帝(527-565)、農民の息子)は、529年にアテネに対して、当地では哲学を教えてはならないという勅令を発した。そのため、アテネの最後の哲学者7人がローマ帝国を去り、ペルシアに移住した。Ernst von Lasaulx 『ヘレニズムの没落とキリスト教会による神殿財宝の吸収』(1854)を参照のこと。H. E. Lauer 編『埋もれたドイツの著作』(1923 シュトゥットガルト)に再出、とくに196頁以下。□訳註*1アレクサンダーの生まれた日に:歴史に名を残そうと、前356年、ギリシアの王ヘロストラトス[Herostratos]は、エフェソスのアルテミス神殿を焼き払った。Herostrat「売名的犯罪人」 の意味の由来。(第5講・了)人気ブログランキングへ
2024年05月14日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第4講 1923/12/27 ドルナハ 昨日の私の課題は、世界史上の進化がどのように起こるかということを個々の人物を手がかりに示すことでした。精神科学の方向で前進したいと思うなら、ひとは出来事の結果を人間のなかに反映させるという以外には表現しようがありません。と申しますのも、よく考えてみてください。この現代だけが、この連続講義においても引き続きお話ししていく理由から、人間が自らをその他の世界から切り離された個別の存在と感じるように性格づけられているのですから。以前のあらゆる時代、そして将来のすべての時代において、これははっきり強調されねばならないことですが、人間は自らを全宇宙の一部、全宇宙に組み込まれたものと感じましたし、感じるようになるでしょう。たびたび申しましたように、人間の一本の指はそれ自体で完結した存在ではあり得ず、人間に所属するものであるように、また他方、指が人間から切り離されればもはや指ではなく崩壊してしまってまったく別ものとなり、生体組織とは別の法則に従うようになるように、ちょうどそのように人間は、地上生という形(Form)であれ、死と新たな誕生との間の生という形であれ、何らかの形で全宇宙と関り合っている存在にすぎないのです。けれどもこのことについての意識は、まさしく前の時代には存在し、これからまた存在するようになるでしょう。この意識が曇り、暗くなっているのは今日の時代だけです、なぜなら、私たちがこれから聞くことですが、人間が自由の体験をまったく完全に自らのうちに育成することができるように、この意識が曇り、暗くなることが人間には必要だったからです。そして時代を遡れば遡るほどますます、いかに人間が自分は宇宙の一部であるという意識を持っていたかがわかります。さて私は皆さんに、ふたりの人物、ひとりは名高い叙事詩においてギルガメッシュと呼ばれ、もうひとりは同じ叙事詩でエアバニと呼ばれた人物を描写し、それから私は、このふたりの人物が古代カルデアーエジプト時代に当時の人に可能であった生き方で生き、その後エフェソスの秘儀を通じてさらなる深まり(深化)を経験したようすを皆さんに示しました。さらに昨日注意を向けていただいたことは、この同じ人間存在たちがその後アリストテレスとアレクサンダーとして世界史の進化のなかに置かれたということでした。けれども私が描き出しましたことがこれらの人物たちに起こったあの時代において、地球進化の歩み全般がどのようなものであったかを私たちが完全に理解することができるためには、このような魂たちがこの三つの相前後する時代において自らのうちに受け入れたものを、さらに厳密に見通さなければなりません。私は皆さんに、ギルガメッシュという名前の背後に隠れている人物が西への道を辿り、アトランティス後の一種の西方のイニシエーションをともかくも通過することに注意を促しましたね。さて今度は、さらに後のものを理解するために、このような後になってのイニシエーションがどのようなものであったかについて思い浮かべてみましょう。むろん私たちは、こういうイニシエーションを、古えのアトランティスのイニシエーションの余韻が長い間残っていた土地に探さなくてはなりません。そして、ここドルナハにいらっしゃる友人の皆さんにはすでに前回お話ししましたが、ヒベルニアの秘儀(☆1)がそれでした。けれどもここで考察することを私たちが完全に理解できるためには、お話ししたことのいくつかを繰り返さなければなりません。※「ヒベルニアの秘儀」とは、古代アイルランドにおける霊的な儀式や教えのことを指します。これらの秘儀は、古代アトランティスの叡智の余韻が残る中で行われ、象徴的な光景や精神的な存在の輪郭が明確に浮かび上がる霊界を参入者に見せる機会を提供していました。また、ヒベルニアの秘儀は、ゴルゴタの秘蹟が起こる数世紀前から存在し、ゴルゴタの秘蹟当時にも続いていたとされています。これらの秘儀は、自然界や宇宙との深い関連を持ち、人間とマクロコスモス(大宇宙)との関連を明かすものでした。秘儀においては、自然の元素霊や惑星の経過の中の知性的存在たちの作用についての知識を通じて、人間は宇宙との関わりを感じ取ることができたと言われています。ヒベルニア自体は、アイルランド島の古称であり3、その地で行われた秘儀は、西洋の霊的伝統の中でも特に重要な位置を占めていたと考えられています。これらの教えは、現代においても人智学や神秘学の研究において参照されることがあります。 アイルランドの秘儀であるヒベルニアの秘儀はほんとうに長い間存続してきました。それはキリスト教成立の時代にもなお続いていて、アトランティス民族の古えの叡智の教えをある面からもっとも忠実に保存してきた秘儀なのです。さてまずはこれから皆さんに、アトランティス後の時代にアイルランドの秘儀に参入を許された誰かの持った体験について、ひとつの像(イメージ)をさし上げたいと思います。この秘儀、このイニシエーションを受けることになった人は、当時、厳しく準備を課せられなければなりませんでした。古代においてはそもそも秘儀参入への準備には途方もない過酷さがつきものものでしたが。その人は実際、内的にその魂状態、人間としての状態をまるごと造り替えられなければならなかったのです。それから、ヒベルニアの秘儀においては、その人はまず人間を取り巻く存在のなかの虚偽のもの、人間がまず感覚知覚にのっとって自分の存在の拠り所としているあらゆる事物のなかの虚偽のものに対して、強い内的体験をしつつ注意を向ける、という準備を課せられました。そしてその人はさらに、彼が真実を、ほんとうの真実を希求するときにたちふさがる困難と障害のすべてに注意を向けさせられます。その人は、感覚世界において私たちを取り巻くすべては根本的に幻影(Ilusion)なのだ、感覚は幻影的なものを与え、真実は感覚の背後に隠れてしまう、つまり真の実在はそもそも感覚知覚を通じては人間には到達できないのだと気づかされたのです。さて皆さんはこうおっしゃるでしょう、人智学に長く親しんでそれはいつももう十分確信していることだと。それはもうよくわかっていると皆さんはおっしゃるでしょう。けれども、感覚的外界の幻影的性格について、そもそも現在の意識のなかで人間が持ちうるあの知識などは、当時ヒベルニアの秘儀参入のために準備を課された人々によって経験された内的な震撼、内的な悲劇に比べれば、まったく無に等しいのです。と申しますのも、このように、全てはマーヤだ、全ては幻影だと理論的に言うとき、そもそもそれは非常に軽く考えられているのですから。けれどもヒベルニアの秘儀入門者たちの準備は彼らが自分にこう言うところまで押し進められたのです、幻影を突き抜け実際の真実の存在にいたる可能性は人間にはないのだと。入門者たちは、いわば最初は絶望の念から、内的、魂的に幻影に自足する、という準備を課せられました。この幻影の本性はあまりに強圧的、圧倒的なので、ひとはそもそも幻影を越えてゆくことなどできないのだ、という絶望に満ちた気分のなかに彼らは入り込んでいきました。そしてこの入門者たちの生のなかに繰り返しこういう気分がありました、さてこれからひとは幻影のさなかに在り続けなければならない。けれどもそれは、これからひとは足もとの基盤を失わざるを得ない、幻影に確実な足場は求められないからだということでした。そう、古えの秘儀における準備の過酷さ、これに関しては、今日のひとは根本においてほとんど想像もつかないでしょう。人々は内的な進化を真に促すものの前ではまさにひるんでしまうのです。そして存在と存在の幻影的な性格についてと同様に、入門者たちにとっては真理を求める努力についても事情は同じでした。そして彼らは、人間が真理に至ろうとするのを、情緒のなかで、人間を打ち負かす暗い感覚と感情のなかで妨げるものを、認識の明澄な光を曇らすものすべてを知ったのです。こうして彼らはここでも、次のように言う時点に至りました、私たちが真理のなかに生きることができないのなら、私たちは錯誤のなか、虚偽のなかで生きざるを得ないと。これはまさしく、人生のある時期に、存在と真理に絶望するに至るなら、その人の人間性は自己自身からもぎ離されるということなのです。これらすべては、人間がとどのつまりに目標として到達すべきものの反対のものを体験することを通じて、この目標に正しく深い人間的感情を向けることができるために必要だったのです。と申しますのも、錯誤と幻影とともに生きるということがどういうことか知るに至らなかった人は、存在と真実を尊重するということなどわからないからです。それでヒベルニアの秘儀の入門者たちは、真実と存在を尊重することを学ばされねばならなかったのです。そして入門者たちがこのようなことを為し遂げ、彼らがいわば最終的に行き着かなければならないもの対極を為し遂げると、彼らはここで起こったことを私は、当時実際にヒベルニアの秘儀においてリアルだったように具象的に描写しなければならない一種の聖域に導かれました、そこには二つの立像、途方もなく強い暗示の威力を持つ立像がありました。そしてこれらの巨大な立像の一方は、内部が空っぽでした、この空洞を囲む外側の面、つまりこの立像が作られている全実質はきわめて弾力のある素材で、そのためどこを押してもこの像を内部へと押すことができましたが、押すのをやめた瞬間、形はもとどおりになりました。立像全体は、頭の部分を主として形成されていて、この像に向き合ったひとは、力が頭から巨大な体躯のほかの部分へと放射している、と感じるほどでした。と申しますのも、空洞の内部空間は見えず、知覚することもできず、押してみてはじめてひとは内部空間に気づいたからです。頭以外の体躯全体が頭の力よって放射されている、この立像にあっては頭がすべてを為していると感じられたのです。散文的な生をおくっている今日の人間がこの立像の前に連れて行かれたとしても、抽象的なもの以外の何かを感じることなどほとんどないだろうということを認めるのに私は吝(やぶさ)かではありません。なるほど、内部全体で、その精神(霊)、その魂、その血、その神経をもって幻影の力と錯誤の力を体験したということは、そしてこのような巨大な姿の暗示的な猛威を体験するというのは、まさに何か別のことなのです。この立像は男性の特徴を持っていました。この像のかたわらに、女性的特徴を持つもう一方の像が立っていました。こちらは空洞ではありませんでした。このもう一方の像は、弾力的ではないけれど可塑的な素材から造られていました。この像を押すと、ー人は今度も像を押すように促されたのです。形は壊れ、像の体には穴が開きました。けれども、一方の立像のところで、弾力があるために形態がすべてもとにもどってしまうということを経験し、もう一方の立像のところで、押すことによって像を変形させることを経験したあとで、入門者は、私がこれからお話ししていくいくつかの別のことにしたがって、部屋を去り、それから、可塑的ではあっても弾力のない、女性的特徴を持つ立像に彼がつけた欠損と変形がすっかりもとにもどされてから、またこの部屋に連れ戻されました。入門者は、立像が無傷の状態にもどされてから連れ戻されたのです。こうして入門者が成し遂げたすべての準備を通して、私は事態を概略的に描写できるだけなのですが、入門者は、女性的特徴を備えた立像のところで、霊、魂、体による全人間性においてある内的体験を得ました。この内的体験はすでにもう以前から準備されてきたことではありますが、立像そのものの暗示的な作用によりきわめて完全に起こったのです。入門者は自らのうちに、内的な硬直の感情を、内的に凍りつき硬直する感情をおぼえました。そしてこの硬直の感情は、彼のうちに、自分の魂がイマジネーションで満たされるのを見るという作用を及ぼしました、そしてこれらのイマジネーションは地球の冬の像、地球の冬を示す像でした。つまり入門者は、内部から霊のうちに冬的なものを観ることに導かれたのです。もう一方の立像、男性的な立像の方ですが、こちらの像の場合はこのような状態でした、つまり入門者は、ふつう彼の全身のなかにある生命のすべてが血液のなかに流れ込むときのような、つまり血液が力に浸透されて皮膚を圧迫するときのような何かを感じたのです。つまり入門者は、一方の立像の前では、凍り付いた骸骨になると思わざるを得なかったのですが、他方、もう一方の立像の前では、自分の内部の全生命が暑熱を帯びて崩壊し、自分が張りつめた皮膚のなかで生きている、と思わざるを得ませんでした。そしてこの、表面を圧迫された全人間の体験が、入門者を、次のように自らに言う洞察へと導いたのです、お前は感じ取る、お前は感じ、お前は体験する、とりわけ宇宙において太陽だけがお前に作用するときになっているであろう状態のお前をと。そして入門者はこのようにして、宇宙的な太陽作用をその区分において知るようになりました。彼は人間の太陽への関係を知るようになったのです。さらに彼は、宇宙のほかの方角からのほかの諸力がこれらの作用を修正するというこの理由によってのみ、実際のところ自分は、今太陽の像の暗示的な作用のもとに出現した状態の自分ではない、ということも知るようになりました。このようにして入門者は、宇宙に慣れ親しむことを学びました。そして入門者が月の像の暗示的な作用を感受したとき、つまり内的に硬化して凍りついたものを、冬の風景を体験したとき、太陽像の場合彼は夏の風景を自分自身から生み出されたように霊の中で体験したのですが、そのとき人間は、もし月の作用のみしかなかったら人間はどのようになるだろうということを感じたのです。よろしいですか、現代において人はそもそも宇宙(世界)について何を知っているでしょう。人は宇宙について、チコリは青い、薔薇は赤い、空は青い、云々といったことを知っています。けれどもこれは震撼するような印象というわけではありませんね。これらは、人間の周囲にあるきわめて日常的なことを告げているにすぎません。人間は、宇宙万有の秘密に通ずるようになりたいと思うなら、全本質をもってより集中的に感覚器官にならなければなりません。それで、まさに太陽像の暗示的な作用を通じて、彼の本質はその全血液循環に集中させられたのです。人間はこれらの暗示的な作用を自らのうちで体験することで、自らを太陽存在として知るようになりました。さらに人間は、女性的な像の暗示的な作用を体験することで、自らを月存在として知るようになりました。さらにそれから、人間はその内的な諸体験から、今日人間が自分の目の体験によって薔薇がどのように作用するかを、自分の耳の体験によって嬰ト音がどう作用するか等を言うことができるように、そのように太陽と月がどのように人間に作用するかを言うことができたのです。このように、この秘儀への入門者たちはアトランティス後の時代においてなお、人間が宇宙に組み込まれていることを体験していたのです。これは彼らにとって直接的な経験でした。さて、私が皆さんにお話ししましたのは、キリスト教の発展の第一世紀まで、ヒベルニアの秘儀において、太陽体験および月体験に導かれた入門者たちによって宇宙的な体験としてまったく壮大に体験されていたことの短いスケッチにすぎません。エフェソス(エペソ)の秘儀、小アジアのエフェソスの秘儀において入門者たちが成し遂げた体験はまったく別のものでした。このエフェソスの秘儀においては、のちにヨハネ福音書の冒頭の言葉、(太初に言葉/Wort)があった。そして言葉は神のもとにあった、そして「言葉は神であった」に模範としての表現を見出したものが、とくに集中的に、全人間をもって体験されました。エフェソスでは入門者は二体の像の前に連れて行かれるのではなく、エフェソスのアルテミスとしてよく知られている像の前に連れて行かれました。そして、生命に満ち、いたるところで生命に満ち溢れているこの像と同一化することで、入門者は宇宙エーテルに深く親しみました。内なる体験と感情の全てをもって彼は単なる地上生から引き揚げられ、宇宙エーテルの体験へと引き揚げられたのです。そして彼には以下のことが明らかになりました。彼にまず伝えられたのは、人間の言葉とはそもそも何かということでした。そしてこの人間の言葉、つまり人間の写し(Abbild)、世界ロゴスにして宇宙的なロゴスの、人間における写しであるロゴス、これを手がかりに、いかに宇宙言語(Weltenwort) が創造的に宇宙(コスモス)を貫いて生き生きと動き沸き立っているかが彼に明らかにされたのです。私はここでも概略をお話しすることだできるだけです。それはこのような経過でした。入門者は、とりわけ、人間が話すとき、人間が呼吸で吐く息に言葉を刻印するときに起こることを真に体験することに注意深くさせられました。入門者は、次のような体験に導かれました、このとき彼自身の内なる行為を通じて生命に移行するものは、空気のエレメント(元素)のなかで生起すること、しかもこの空気のエレメントのなかで起こっていることに、二つの別の経過が結びついていること、これらを体験するように導かれました。思い描いてみましょう、これが呼気だとします(図参照、右部分、赤い(rot)線を伴う明るい青(hellblau)、この呼気に人間が話す何らかの言葉形成物(Wortgebilde)が刻印されるとします。言葉に形成されたこの呼気が私たちの胸から外へと流れ出る一方、リズミカルな振動が、人間の生体組織(有機体)に浸透するまったく水のような液体的エレメントのなかへと下降していきます(明色/hell;水/Wasser)。それで人間は話す際、その喉頭の上部、言語器官のなかに、空気のリズムを持っているのです。けれどもこの話すことと並行して、人間の内部では液体的身体(Fluessigkeitleib)が浸透し動きうねっています。言語領域の下の方にあるこの液体が振動し始め、人間のなかで共振するのです。そして私たちが話すことに感情が伴っている、これは本質的なことですね。人間のなかの水状のエレメントが共振しないとしたら、言葉が中立した状態で外へ、つまり無造作に外へと出ていくとしたら、人間は話されたことに共感することはないでしょう。けれども上に向かって、つまり頭に向かっては、熱エレメント(赤)が上昇していきます、そして私たちが呼気に刻印した言葉は、上方に流れていく熱(暖かさ)の波を伴っています、この波が私たちの頭に浸透し、そこで私たちが言葉に思考を伴わせるように働きかけるのです。そのため、私たちが話すとき、私たちは三重のものと関わっています、つまり空気、熱、水あるいは液体と。人間が話すときに活動し生きているものの全体像をはじめて与えるこの経過が、エフェソスの秘儀入門者の場合、最初の時点で取り入れられたのです。次いで彼に明らかになったことは、このとき人間のなかで起こっている経過は、もっと古いある時代に地球そのものに働きかけた宇宙的出来事が人間化されたものである、ということでした、ただしそのとき地球においてこのようにうねり動いていたのは、空気エレメントではなく、水、液体的エレメント(図の左部分、青/blau)、昨日私が揮発的ー流動的卵白としてお話ししたあの液体状エレメントだったのですが。人間が話すとき、そのとき人間のなかに呼気のかたちで小規模に空気があるように、ちょうどそのように、かつては、大気として地球を取り巻く揮発的ー液体的卵白があったのです。ここで空気状のものが熱エレメントに移行していくように、これはさらに一種の空気エレメントに移行していき(左、明るい青)、そして下の方で一種の土状エレメントに移行していきました(明色)。その結果、私たちの場合には私たちの体のなかで液体エレメントを通じて感情が生まれるように、地球においては地球形成、地球の諸力、地球において力として作用し湧き起こるものすべてが生じたのです。そして空気エレメントの上方には、地球的なもののなかで創造しつつ働きかける、活動する宇宙的思考であるものが生まれました。かつてマクロコスモス的にあったもののミクロコスモス的な余韻が自らの言葉のなかに生きていることに注意を導かれたとき、人間がエフェソスにおいて得たものは、荘厳な、圧倒的な印象でした。そしてエフェソスの秘儀入門者は、話すことで、その話すという体験のなか、宇宙言語の作用への洞察を感じたのです、かつて意味深く揮発的ー液体的エレメントを動かし、上では創造する宇宙思考に、下では生まれ出る地球諸力に接していた宇宙言語の。このように入門者は、話すと言うことを正しく理解するということを学んで、宇宙的なものに精通するようになりました。つまりこういうことが学ばれたのです、お前のなかには人間ロゴス(der menschliche Logos)がある。「人間ロゴスは、お前が地球紀を過ごす間、お前から作用する、人間としてのお前は人間ロゴスなのだ」。と申しますのも、実際のところ、液体エレメントのなかで下へと流れ出すものを通じて、人間としての私たちは言語から形成されるのですから。上へと流れ出すものを通じては、私たちはこの地球紀の間は私たちの人間としての思考を持ちます。しかしお前のうちでもっとも人間的なものがミクロコスモス的ロゴスであるように、ちょうどそのように、かつてロゴスが原初にあった、ロゴスは神のもとにあり、自身が神であったのだと。こういうことがエフェソスでは、人間を通じ人間そのものにおいて理解されたために、徹底的に理解されました。よろしいですか、今皆さんが、ギルガメッシュという名前の背後に隠れているような人物をごらんになるなら、皆さんはこのような感情をお持ちになるにちがいありません、この人物は秘儀から放射されたまったき境遇、まったき環境のなかで生きたのだ、と。と申しますのも、以前の時代においては、すべての文化、すべての文明は、秘儀からの放射だったからです。そして私が皆さんにギルガメッシュの名を挙げるなら、彼はまだ故郷のエレクにいたときはなるほどまだエレクの秘儀そのものには参入しておりませんでしたが、こうした宇宙との関係を通して感じられ得たものに実質的に貫かれた文明のさなかにいたことは確かです。その後、西に向かう旅路において彼が体験したものは、むろん彼を直接ヒベルニアの秘儀に通じさせはしませんでした、彼はそこまで行けなかったわけですが、いわばこのヒベルニアの秘儀のコロニーにおいて育まれたものには通じることができました、皆さんにお話ししましたように、このコロニーは今日で言うブルゲンラントにあったのです。このことがこのギルガメッシュの魂のなかに生きていました。このことは死と新たな誕生との間にさらに育て上げられ、今も継続し、そのために次の地上生の際、当のエフェソス(*トルコのエーゲ海地方の中央に位置する古代都市)において魂の深まり(深化)が起こったのです。今や、私が話してきましたふたりの人物のために、このような魂の深まりが起こりました。ここでいわば普遍的な文明から、これらの人物の魂に現実性をもってどよめいてきたものは、なおも強く集中的な現実性をもってどよめいてきたものは、ホメロス時代以来ギリシアにおいてはもう本質的に美しい仮象にすぎなくなったものでした。はるかなエフェソス、かつてヘラクレイトスも生き、後のギリシア時代、紀元前六世紀から五世紀頃まで古えの真実の数々がなおも感受されていたあの地、ほかならぬこのエフェソスでは、かつて人類がそのなかで生きていた現実(リアリティ)全体をまだ追感することができました、人類がまだ神的ー霊的なものと直接関わり合っていた頃、まだアジアがもっとも下位の天であった頃の現実です、このもっとも下位の天でひとはまだ、この天に接する上位の天と結びついていました、なぜならアジアにおいては自然霊たちが体験され、その上の天ではアンゲロイ、アルヒアンゲロイその他が、その上ではエクスシアイその他が体験されたからです。それでこう言うことができます、すでにギリシアにおいてさえ、かつて現実であったものを手がかりにその余韻が形成されるだけとなった。現実であったものが、根源の事実を示唆していることが明白に見て取れる英雄伝説の像へと変化していった。つまりギリシアにおいては、根源の事実の劇的要素がアイスキュロスにおいて生命を得た。他方、エフェソスにおいては、あいかわらず人は秘儀の深い闇のなかに沈潜し、人間が神的ー霊的世界と直接関わり合って生きていたかの古えの現実の余韻を感じ取っていたと。そしてギリシア精神にとって本質的なことは、ギリシア人は、人間にとってより身近な神話や人間にとってより身近な美と芸術のなかに、つまり模像のなかに、かつて宇宙との関わりのなかでまさに人間によって体験され得たものを潜ませたのだということです。さて、一方においてこのギリシア文明が今やすでにその絶頂に達し、ペルシア戦争におけるように古代アジアの現実性の側からなおも反撃しようとしたものすら誇らかに退けたとき、つまり一方でギリシア文明がその絶頂に達し、しかし他方ではすでに崩壊に瀕していたとき、かつて人間の霊、魂、体のなかの神的ー霊的な地上的現実であったものの余韻を魂のなかにはっきりと担っていた人物たちがどのような体験をしたのか、私たちは今思い描いてみなければなりません。私たちはこう思い描かざるを得ません、そもそもアレクサンダー大王とアリストテレスは、何と言っても彼らにまったく合致しない世界、本来彼らにとっては悲惨な世界に生きていたのだ、と。奇妙なことに、アレクサンダーとアリストテレスのなかに生きていたのは、霊的なものに対して彼らの環境とは別の関係を持っていた人間たちでした、彼らはサモトラケの秘儀をさして気に留めていなかったにもかかわらず、その魂においては、サモトラケの秘儀においてカベイロスとともに起こったことに多大な親和性を有していたのです。このことは長い間感じ取られていました、中世においてはまだ感じ取られていました。そしてこう言わざるを得ませんーーこのことについて今日の人間はまったくまちがって思い描いているのですがーー、中世においてはまだ、十三、十四世紀頃までは、あらゆる階級の何人かの人々には、少なくともかつて古えのオリエントでアジアと呼ばれた領域において、はっきりとして霊的観照があった、と。そして中世にある司祭によって著わされた「アレクサンダーリート」(アレクサンダーの歌)(☆2)は、何と言ってものちの中世の非常に重要な文献です。アレクサンダーとアリストテレスを通じて起こったことについて、今日歴史のなかにゆがめられて生きているものに対して、ラムプレヒト司祭が十二世紀頃にアレクサンダーリートとして著わしたものはなおも、アレクサンダー大王を通じて起こったことについての古えの把握に近しい雄大な把握のように思われます。皆さんは以下のことを魂の前に据えてくださりさえすればよいのです。ラムプレヒト司祭のアレクサンダーリートのなかには実際すばらしい叙述があります、たとえば次のようなすばらしい叙述です。毎年、春がやってくるとひとは森に出かけていき、森の縁まで行く、森の縁には花々が育ち、同時に太陽は、森の木々から影が森の縁に育つ花々の上に落ちる位置にある、そしてひとは、春に森の木々の影のなかで、花々のうてなから霊的な花の子どもたちが出てきて、森の縁で輪になって舞い踊るのを見るというような。そして、ラムプレヒト司祭のこのような叙述において、真の経験、当時の人々がまだ得ることのできた経験のいくばくかがほのかに輝いているのがはっきりと認められます。その経験は、人々が森に出かけていって、散文的に、ここに草がある、ここに花がある、ここで木が始まるなどと言うような経験ではありません、そうではなく、人々が森に近づくと、太陽が森の背後になって影が花々の上に落ちるとき、この森の影のなかで、花々から被造物である花の世界全体が彼らを迎えたのです、彼らが森に入る前からその世界は彼らのためにそこにあったのですが、森のなかで彼らはまたほかの元素霊(エレメンタルガイスト)たちも知覚しました。この花々の輪舞、これはラムプレヒト司祭にとってとりわけ描写したい好ましいものに思われたのです。そして、何と言っても重要なのは、ラムプレヒト司祭がアレクサンダー遠征を描写しようとしたとき、この描写にまだ十二世紀、十二世紀の初頭ですが、自然の描写を浸透させ、流れ込ませたことです、いたるところに元素界(エレメンタル界)の顕現を内包している自然の描写を。全体が意識によって支えられているのです、アジアへのアレクサンダー遠征が始まり、アレクサンダーがアリストテレスに教えを受けたとき、かつてマケドニアで何が起こったのかを描写しようとするなら、それを描写しようとするなら、人は周囲の散文的地球を描写することでそれを描写することはできない、散文的地球にエレメンタル存在たちの領域を付け加えてのみそれを描写することができるのだという意識に。けれどもよろしいですか、今日皆さんが歴史書を読まれるとき、今日の時代にはそれはまったく当然のことですねー。そう、そのとき皆さんはこう読むでしょう、アレクサンダーは師のアリストテレスに不従順で師の序言に逆らって、次のような使命があると思い込んだ、異邦人たち(バルバーレン)を文明化された人々と宥和させ、文明的ギリシア人つまりヘレーネン、マケドニア人、異邦人から成る平均的文化といったようなものを生じさせなければならない、と。これはなるほど今日の時代にとっては正しいことですが、真実、ほんとうの真実にとってはまさしく愚かしいことです。アレクサンダー遠征を描写するラムプレヒト司祭がこのアレクサンダー遠征にまったく別の目的を置いているのを見ると、雄大な印象が得られます。そしてあたかも、私がたった今、自然ーエレメンタル界つまり自然のなかの霊的なものが自然のなかの物質的なものに入り込んでいることとしてお話ししましたこと、このこともまさに導入部にすぎないかのように思われるのです。ラムプレヒト司祭のアレクサンダーリートにおけるアレクサンダー遠征の目的とは、いったい何なのでしょうか。アレクサンダーはパラダイスの門まで行くのです!なるほど当時のキリスト教的なものに置き換えられてはおりますが、これから詳述していきますように、これは本来かなりな程度真実に合っているのです。と申しますのも、アレクサンダーの遠征は単に侵略をするためになされたのではなく、あるいはアリストテレスの助言にそむいて異邦人をギリシア人と宥和させるためになされたわけでもないからです、そうではなくアレクサンダーの遠征は真の高い霊的な目的に貫かれていました、それは霊から発動されたのです。そして私たちがさらにラムプレヒト司祭、彼はつまりアレクサンダーの生きていた時代から十五世紀後に、非常に献身的に彼のやりかたでこのアレクサンダー遠征を描写したわけですが、彼の書物から私たちが読み取るのは、アレクサンダーはパラダイスの門まで行くけれども、パラダイスそのものには入らなかった、ということです、なぜなら、ラムプレヒト司祭の言うように、パラダイスに入ることができるのは真の謙譲(Demut)を有する人だけだからです。けれども前キリスト教時代におけるアレクサンダーはまだ真の謙譲を持つことはできませんでした。と申しますのも、キリスト教(Christentum)がはじめて真の謙譲を人類のなかにもたらすことができたからです。ともかくも、狭量な感覚ではなく、心広い感覚でこのようなことを把握するなら、キリスト教司祭ラムプレヒトが、アレクサンダー遠征の悲劇的なもののいくばくかを感じているようすが私たちに見えるのです。さて、このアレクサンダーリートの叙述によって私がただ皆さんの注意を喚起したかったのは、西洋の人類史における先行するものと後続のものを東洋に付加された状態で描写するために、まさにこのアレクサンダー遠征の例で始めても、驚く必要はないということです。と申しますのも、この場合感情として根底にあるものは、皆さんもご存じのように、中世の比較的後期に至るまで、単に普遍的な感情としてのみ存在していたのではなく、このアレクサンダーリート、皆さんに特徴をお話ししたふたつの魂を通じて起こったことを、実際真に、大いに劇的に描き出すこのアレクサンダーリートが生み出されるほどに、具体的に存在していたのです。まったくもってマケドニア史のこの時点は、一方においてはるかな過去を、他方においてはるかな未来を示唆しています。その際とりわけ考慮しなければならないのは、アリストテレスとアレクサンダーのもとにあったすべての上に、世界史上の悲劇が漂っているということです。この世界史上の悲劇はすでに外的に現われています。実際、特殊な関連によって、特殊な世界史上の運命の関連によって、アリストテレスの著作のほんのわずかな部分しかヨーロッパ西洋に伝わっておらず、その後教会によって保管されたということによって、その悲劇は露呈しているのです。実際それらは、論理学の著作と、論理学的なものをまとわされた著作のみでした。けれども今日なお、アリストテレスの自然科学的な著作に含まれているわずかなものに沈潜する人には、宇宙と人間との連関においてアリストテレスの洞察がいかになお強力なものであったかが見えるしょう。ここでひとつのことにだけ注意していただきたいと思います。私たちは今日、土状のエレメント(元素)、水状のエレメント、空気状のエレメント、火状のあるいは熱エレメントについて、そしてさらにほかのもの、エーテルについても話しますね。アリストテレスはどのように記述するでしょう。彼は地球を記述します、固体状地球(図参照、明色の核)、液体状地球、水(明るい赤)、空気(青)、全体は火に貫かれ火に取り巻かれている(深い赤)。けれどもアリストテレスにとって地球は月まで達しています。そして宇宙から、星々から、月へと。つまり、もはや地上領域のなかにではなく、月まで、ここまでなのですが、獣帯から、星々から、空間的ー宇宙的エーテル(外側の明色)が入り込んでくるのです。このエーテルは月まで下降してきます。学者たちは今日なおこのことを、アリストテレスについて書かれた書物のなかに読むことができます。けれどもアリストテレス自身が弟子のアレクサンダーに常に繰り返し言ったのは、こういうことでした。この地上的ー熱的なものの外側にあるあのエーテル、つまり光エーテル、化学エーテル、生命エーテルは、かつて地球と結びついていた。これらすべては地球まで達していた。ところが古い進化において月が退いたとき、そのときエーテルも地球から退いた。そして、アリストテレスは弟子のアレクサンダーにこう言ったのです。外的空間的に死んだ世界であるものは、このように地上で最初にエーテルに浸透されていないのだ。けれどもたとえば春が近づくと、元素霊たちは、生まれてくる存在たち、植物、動物、人間のために、月からエーテルを、月領域からまたこの存在たちのなかへともたらすのだ、それで月は形成するものなのだと。ヒベルニアにおいて一方の女性的な形姿の前に立つと、ひとはこれをまったく生き生きと感じました、エーテルは本来地球に属するものではなく、存在が生まれるのに必要な限り、年ごとに元素霊たちによって地上へともたらされるということを。アリストテレスにおいても人間と宇宙との連関についての深い洞察がありました。それについて扱われている著作を、弟子のテオフラストス(☆3)は西方にはもたらしませんでした。これらの書物のいくつかは、このような事柄への理解がまだあったオリエントへともどっていきました。そしてその後、北アフリカとスペインを経て、ユダヤ人とアラビア人を通じて、それはヨーロッパ西部へとやってきて、私がさらに述べていきたいと思いますしかたで、放射、つまりヒベルニアの秘儀からの文明放射とぶつかったのです。けれども、私が皆さんに今まで特徴づけてきましたものは、アリストテレスがアレクサンダーに与えた教えにとってはまったく出発点にすぎないものでした。これらはまったくもって内的体験に関わっていました。そして私が事態をいわばいくらかざっと素描してみますなら、次のように言わなければならないでしょう。アレクサンダーはアリストテレスを通じてよく知るようになった、外部宇宙(世界)に土、水、空気、火のエレメントとして生きているものは、人間の内部にも生きているということ、人間はこの関連で真にミクロコスモスだということ、人間のなかには、人間の骨のなかには土のエレメントが生きているということ、人間の血液循環と人間のなかで液体、生きた液体であるものすべてのなかには、水のエレメントが生きているということ、人間のなかでは空気エレメントが呼吸と呼吸刺激という状態で作用し、言葉のなかに作用しているということ、火のエレメントは思考のなかに生きているということを。アレクサンダーはまだ宇宙のエレメント(諸元素)のなかに自分が生きているのを知っていました。宇宙のエレメントのなかに生きている自分を感じることで、人はまだ地球との密接な親和性をも感じたのです。今日人間は、東へ、西へ、北へ、南へと旅行しますが、彼はそこでそもそも自分に押し寄せてくるすべてが何なのかを感じることはありません、彼は外的な感覚が知覚するものしか見ないからです、彼は地上的な物質は彼のなかで知覚するもののみを見て、エレメントが彼のなかで知覚するものを見ないからです。けれどもアリストテレスは、アレクサンダーに教えることができました。地上を東へ向かえば、あなたはますますいっそうあなたを乾燥させるエレメントのなかへと入っていくでしょう、あなたは乾いたもののなかに入っていくのですと(図参照)。このことを、アジアへと向かうと、人はまったく干からびてしまうなどと想像なさってはいけません。これらが精妙な作用であることはもちろんです。これらの作用をアリストテレスの導きによってアレクサンダーが自らのうちに受け取ったのです。アレクサンダーはマケドニアで自らにこう言うことができました。私のなかにはある程度湿ったものがある、私が東へ向かうと、それは湿ったものを減少させると。このように彼は、地上を遍歴しながら地球の構成を感じたのです、ちょうどそうですね、ある人の体のどこかある部分を撫でていくと。鼻と目と口がどう違うのか感じられるように。描写されたこの人物はこのように、乾いたもののなかにますますいっそう入り込んでいくときに体験することと、もう一方へつまり西へ、湿ったもののなかに入り込んでいくときに体験することにはどういう違いがあるかを、なおも感じ取っていたのです。おおざっぱにではあっても、今日なお人々はまた別の違いを体験しています。北へ向かって人々は冷たさを南に向かっては熱、火的なものを体験しますね。けれども北西へと出かけていっても、あの湿ー冷の共演を人々はもはや感じないのです。アリストテレスはアレクサンダーのなかに、ギルガメッシュが西への道を辿ったときに体験したものを喚起しました。そしてその帰結として、弟子は直接的な内的体験において、今やまさに湿と冷の間の中間地帯で北西に向かって体験されるもの、つまり水を知覚することができるようになりました。それでアレクサンダーのような人間にとって、北西へと進軍すると言わずに、水のエレメントが統治しているところへと進軍すると言ったのは、まったくもって単に可能な言い方ではなく、非常に現実的な言い方だったわけです。湿と暖の間の中間地帯には、空気が統治しているエレメントがありました。古代ギリシアの大地の秘儀で教えられたこと、古えのサモトラケの秘儀(☆4)で教えられたこと、アリストテレスによって直弟子に教えられたことはそのようなことでした。そして、冷と乾の中間地帯、つまりマケドニアからシベリアへの方向では、地そのもの、地上的なものが統治していた地球領域が体験されました、地(土)のエレメント、固体的なものです。暖と乾の中間地帯、つまりインドに向かっては、火のエレメントが支配的であったあの地球領域が体験されました。それはこういう具合でした、アリストテレスの弟子は北西を指して、私はそこで水の霊たちが地上へと働きかけているのを感じると言ったのです。また彼は南西を指して、ここでは空気の霊たちを感じると言いました。彼は北東を指して、そしてそこで主として地(土)の霊たちが漂ってくるのを見ました。彼は南東、インドの方向を指して、火の霊たちが漂ってくるのをあるいは火のエレメントのなかに見たのです。さて最後に私が、アレクサンダーのなかにこういう言い方が生じた、と申しましたら、皆さんも自然のものと道徳的なものに対するあの深い親和性をお感じになるでしょう、つまり、私は冷たく湿ったエレメントから火へと突入しなければならない、インドへの進軍を行なわなければならないというアレクサンダーの言い方です。これは、道徳的なものと同様、自然のものにも結びついている言い方です、これについては明日さらにお話ししてきたいと思います。私は当時生きていたものがありありと見えるように皆さんをそのなかに導き入れたいと思いました。と申しますのも、当時アレクサンダーとアリストテレスの間で話されたことのなかに、皆さんは同時に世界史上の進化における激変そのものが反映しているのをごらんになるでしょうから。当時においてはなお、過ぎ去った時代の大秘儀について内輪の授業で語られることもありました。その後人類は論理的なもの、抽象的なもの、カテゴリーのみをいっそう取り入れ、そのほかのものは突き返すようになりました。したがって、このことをもって同時に私たちは、人類の世界史上の進化における途方もない激変を示唆するのです、オリエントとの関係におけるヨーロッパ文明の全経過のなかでもっとも重要な時点を。これについてはまた明日にいたしましょう。参照画:Alexander's coffinインド神話に登場するスカンダ神は、戦争と勇気の神であり、仏教では「韋駄天」としても知られています。スカンダ神は、アレクサンダー大王の名前から派生したとされることがあります。一時期、アレクサンダー大王がスカンダ神のモデルになったという伝説が広まりましたが、これは歴史的な証拠に基づいていないものです。スカンダ神はアレクサンドロス(イスカンダル)が元になったという説があります。このスカンダは後に仏教へ取り込まれ「韋駄天*私的には毘沙門天。」となっていますので、この説が正しいのなら形を変えて日本にまで到達しているとも言えますが、如何なものでしょう。□編註☆1 ヒベルニアの秘儀:シュタイナーはすでにこの直前、1923年12月7、8、9日にこれについて詳しく述べている(『秘儀の形成』GA232 *邦訳『秘儀の歴史』西川隆範訳、国書刊行会)。両方の描写を比較すると、同じ事柄についてのふたつの両立しない説明なのかどうかという問題に通じる。『秘儀の形成』に記述されている経過ーー太陽像の作用による冬のイマジネーションの体験、月像の作用による夏のイマジネーションの体験ーーは、この12月27日の説明、つまり月像に直面して冬のイメージが、太陽像の前で夏のイメージが出現する、という説明によって解消されるように思われる。けれどもふたつの描写を厳密に比較すると、ふたつの異なる体験の局面があることがわかる。当面の講義では、ふたつの立像に直面しての体験で、入門者は立像を通して自らを太陽存在あるいは月存在として知るようになるのだが、それに対して12月8日の講義では、特定の像の前での体験、外から近づいてくる太陽及び月の宇宙作用を入門者に開示する体験の、徐々に生じてくる余韻を扱っている。ーー詳細は『ルドルフ・シュタイナー全集に寄せる論文集』Nr.69☆2 『アレクサンダーリート』:フランケンの聖職者、司祭ラムプレヒトにより1125年頃に著わされた。ドイツ語の最初の世界的叙事詩。花のエピソードについては、母及びアリストテレス宛のアレクサンダーの手紙(5001ー5205節)を参照のこと。☆3 テオフラストス:紀元前390ー305(*) アリストテレスの弟子、アリストテレスは彼をアテネのペリパトス学派の指導者として後継者に任命した。(*紀元前372頃ー286頃とも)☆4 ギリシアの大地の秘儀[…]サモトラケの秘儀:1923年12月4日と21日の講義参照のこと。『秘儀の形成』(GA232)所収。画像参照:宇宙のエレメントのなかに生きている自分(第4講・了)人気ブログランキングへ
2024年05月13日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第3講 1923/12/26 ドルナハ ちょうど十三年前のこの日、私はシュトゥットガルトにおきまして、やはりクリスマスから新年にかけて連続講義を行ない(☆1)、今回と共通するところのあるテーマについてお話ししました。ただ、当時のテーマに沿って定められていた観点を、今回は少しばかり変えていかなくてはならないでしょう。私たちの取り組みは、二回の導入的な講義で、歴史上の、とりわけ先史時代の進化が経過していくなかで、人類の心情および魂の状態が根本的に変化したということについての理解を私たちの魂にもたらすことでした。今回は、少なくともさしあたっては数千年以上前にさかのぼる必要はありません。皆さんもご存じのように、地球を襲ったいわゆるアトランティスの大災害以後、歴史的なものおよび有史以前のものにとって生じるきわめて重要な関係だと私たちが精神科学的に見なすものは、通常地球が氷結していく時代、初期氷河期と呼ばれるものです。けれども当時はまだ、今日大西洋の海底を形成しているアトランティス大陸の沈没の最終段階が進行中でした。そしてこのアトランティスの大災害ののち現代に至るまで、これについてはしばしば注意を促してまいりましたが、五つの大文化期が相次いで(☆2)起こりました、これらのうち最初のいくつかの文化期については、歴史的伝承はまったく残されていませんが。と申しますのも、あちらのオリエントにおいて文献に含まれているものは壮大なヴェーダや深遠なヴェーダンタ哲学においてさえ、常に原インド文化期、原ペルシア文化期として「神秘学概論」のなかでも話題にしましたあの文化期を示そうとするとき描写しなければならないものの余韻にすぎないからです。さて、今日はその時代まで遡ることはせずに、ギリシア文化期の前の、私がしばしばカルデア・エジプト文化期と呼んできました時代に目を向けてみることにしましょう。私たちが注意を払わなければならないのは、アトランティスの大災害とギリシア時代の間のこの時代において、記憶の能力、人間の記憶力に関連して、そして人間の共同生活に関連して、大きな変化が起こった、ということです。私たちが今日持っているような記憶、この記憶により私たちは時間をさかのぼって何かを現実化することができるのですが、このような時間記憶(Zeitgedaechtnis)というものは、この後アトランティス第三文化期にはまだ存在しておらず、当時あったのは、私が描写しましたようなリズム体験に結びついた記憶でした。そしてこの記憶は、アトランティス時代にとくに強く存在していた場所化された記憶から生じてきたものです、当時人間はそもそも現在意識しか持っておらず、人間が外界において見つけるか自分で建てるかした可能な限りのものを目印とし、この目印を通して人間は、単に自分自身の人格の過去のみならず、人類一般の過去とも関係を結んでいたのです。けれども、単に直接地面にしつらえられたものだけが目印だったわけではありません、かなり古い時代においては天の星位、とりわけ諸惑星の星位もまた目印であり、この繰り返され、変化をともなって繰り返される星位から、人々は前の時代がどうであったかを知りました。ですからもともと古代人類の外的な場所化された記憶の育成にとっては、天と地が共に作用していたのです。けれどもこの古代人類は、そのまったき人間としての組み立てにおいても、後の人類とは異なっており、この現代の人類とはなおさら異なっていました。現代の人類は、目覚めているとき自我とアストラル体を自分の物質体のなかにそれと気づかず担っていて、ほとんどの人はそもそも、その人自身よりずっと意味深い有機組織(Organisation)であるこの物質体が、エーテル体とならびアストラル体と自我組織を自らのうちに担っていることに気づいていないのです。皆さんはこの関係をご存じですね。けれども古代人類は、自身の存在という事実をまったく別様に感じていました。さて私たちが先の後(ポスト)アトランティス第三文化期、つまりエジプト・カルデア文化期へと遡っていきますと、私たちはそのような人類にまで戻っていきます。その頃人間は、目覚めているときでさえ、まだ物質体的なものエーテル体的なものの外部で、高度に霊と魂として自らを体験していました。人間はこう区別することを知っていました、私はこれを、私の霊及び私の魂として、私たちはこれを自我とアストラル体とを有し、これは私の物質体および私のエーテル体と結びついていると。人間はこういう二重の状態(Zweiheit)で世界を歩いていました。人間は自分の物質体とエーテル体を私(自我、イッヒ/Ich)とは呼びませんでした、人間はまずもって自分の霊と魂のみを私(自我)と呼んだのです。霊的であり、下に向かって物質体およびエーテル体とある種のしかたで、しかし当人も関知している関係を結んでいたもののみを。そして人間は、この霊ー魂的なもの、この自我とアストラル体のなかに、神的ー霊的ヒエラルキアが押し入って来るのを感じていました、ちょうど今日の人間が自然の物質が自分の物質体のなかに押し入ってくるのを感じるように。人間はこの物質体のなかではこう感じますね、食物とともに、呼吸とともに、自分は外部の自然界の物質を取り入れているのがわかる、と。外界の物質ははじめは外にあって、それから人間の内部に入ります。これらの物質は人間に浸透し、人間の一部になる、という具合に作用するのです。当時人間は、自分の霊的ー魂的なものが物質体的ーエーテル体的なものからの若干分離していることを感じていましたが、次のようなことを知っていました、つまりアンゲロイ、アルヒアンゲロイから最高のヒエラルキアに至るまでの存在たちは、霊的にして物質(実質)的なもの(Geistig-Substantielles)であり、今や人間の霊的ー魂的なものを通じて浸透しているこの霊的にして物質的なものが、こういう表現をしてよろしければ、人間の一部となる、ということを知っていたのです。ですから人間は、生のどの瞬間にも、私のなかには神々が生きていると言うことができたのです。人間は自分の自我を、物質的、エーテル的実質によって下から組み立てられたものと解していたのではありません、そうではなく、人間は自我を、恩寵によって自分に贈られたもの、上から、ヒエラルキアの側からやってくるものとして把握していたのです。そして、人間は自分の物質的ーエーテル的なものを、いわば荷物のように、乗り物のように、物質的世界で前進するために使う人生の車に似た何かのように把握していました。このことをふさわしいしかたで魂の目のなかにとらえなければ、人類進化の歴史上の経緯などはそもそも理解できません。さて、私たちはさまざまな特徴ある例を手がかりに、人類進化のこの歴史上の経緯を追求していくことができるでしょう。今日はいわば私たちの前に一筋の糸を置いてみたいと思います、十三年前の当時にも、私は、これからお話ししようとするあの進化の最古の段階を示しているあの歴史的ー伝説的文献(☆3)、つまりギルガメッシュ叙事詩「Gilgamesch-Epos」を引合に出すことでこの糸に触れたわけです。このギルガメッシュ叙事詩はまさに一部が伝説的なのですが、申しましたように十三年前にお話ししましたこの経過を、今日はそれが霊的な観照から直接生じてくるようにお話ししていきたいと思います。当時、西南アジア(近東)のある都市に、ギルガメッシュ叙事詩ではエレク/Erek☆4)と呼ばれていますが、昨日お話ししましたような、あの侵略者的性質の人々のひとりが見られました、昨日特徴づけされたあの魂状態と人間社会の状態からまさしく育ってきたあの性質の人々のひとりです。叙事詩はこれをギルガメッシュと呼んでいます。つまりここで私たちが関わり合うのは、今話題となっている時代において、ちょうど私が特徴づけたような性質を持っていた人物、それより前の時代からの古い人類の特性をまだ多く保っていた人物です。けれども当時このような人物は、自分がいわば二重の存在(Doppelheit)であること、つまり、神々が入り込んでくる霊的ー魂的なものと、地球物質および宇宙物質つまり物質的実質とエーテル的実質が入り込んでくる物質的ーエーテル的なものとの間で二面性を持っているということをはっきりと理解していました、そしてまた、このギルガメッシュ叙事詩が語る人物が生きていた時代において、まさに特徴的な人々、代表的な人々がすでにその後の人類進化への過渡期(移行期)にあったということもひとつの事実です。そしてこの移行というのは、比較的その直前の時代には霊的ー魂的なもののもとで上の方にあった自我意識(Ich-Bewusstsein)が、こういう表現をしてよろしいなら、体的ーエーテル的なもののなかに沈みこんでいったということなのですが、その結果、ギルガメッシュはまさしく、内部で神々を感じることのできる霊的ー魂的なものに対して私(Ich)と言うのではなく、地上的ーエーテル的なものに対して私と言い始めた人々のなかにあったのです。それがこの新たな魂状態でした。私たちが話題にすることのできるこの魂状態のなかへと、霊的ー魂的なものから自我が下降しました、体的ーエーテル的なもののなかへと、自我は意識的自我として(als bewusstes Ich)下降したわけですが、この人物においては同時にまだあの古い習慣が、主としてリズムのなかで体験されたもののみを記憶のように体験するというあの習慣が残っていましたし、人間を思慮深さへと導くものを生み出すのは本来死の力だけなので、死の力に精通しなければならない、と感じていたあの感受性もありました。今、このギルガメッシュという人物において私たちが関わるのは、ある魂、つまり当時すでに数多くの受肉を経てきたけれども、私がたった今描写しましたような人間存在の新たな形式のなかに歩み入っていた魂、そういう魂なのですが、それによって、この人物は、物質的生存において、ある種の不確実さを自らのうちに担うことになったと申し上げたいのです。いわば侵略という習慣やリズム的記憶の根拠は、もはや地上にとって有効なものではなくなってきました。このように、この人物の体験はまったくもって過渡期の体験であったわけです。そのため次のようなことが起こりました、この人物が古来の習慣から、ギルガメッシュ叙事詩でまさしくエレクと呼ばれているあの都市を侵略によって占領したとき、この都市に紛争が生じたのです。最初この人物はこの都市で歓迎されず、よそ者と見なされました、都市で生じていた困難のすべてをひとりではうまく処理できなかったためもあるのでしょう。ここで運命によってここに導かれたもうひとりの人物、ギルガメッシュ叙事詩ではエアバニ(Eabani☆5)と呼ばれているのが見い出されます、私が「神秘学概論」に記述しました意味での、地球人類が一定期間過ごしたあの惑星生存状態から、比較的遅くなってから地上に降りてきた人物です。皆さんもよくご存じのとおり、地球進化の非常に早い時期に宇宙のさまざまな惑星へと地球から退いていた魂たちが、アトランティス時代に、あるものは早く、あるものは遅く、相次いで地球に降(くだ)ってきたのです。ギルガメッシュにおいて私たちが関わっているのは、比較的早く地球にもどってきた個体で、私がお話ししている時代には多くの受肉を体験していました。やはりあの都市に導かれたもうひとりの人物において私たちが関わるのは、惑星生存状態に比較的長い間とどまり、遅くなってからやっとまた地球に赴いた、そのような個体です。十三年前に精神科学(霊学)の立場から歴史について行なわれた私の連続講義においては、このことはいくらか異なった観点から読まれなければなりませんでしたけれども。さてこの人物は、ギルガメッシュと親密な友情を結び、それからふたりは共同して、小アジアの都市エレクに真に堅固な社会状態を作り出すことができました。このことが可能だったのはとりわけ次のようなことによります、つまり、この第二の人物が、あまり地球への受肉をしないことにより、地球外の宇宙での滞在で維持されてきたあの智のうち比較的多くを残していたからです。すでに前回シュトゥットガルトでも申しましたように、この人物には、一種の透視(霊視/Hellsichtigkeit)、霊聴(Hellhoerigkeit)、光明を得た明澄な認識(Hell-Erkenntnis)がありました。そして、一方の人物のなかに存在していた古来の侵略習慣とリズム志向の記憶に由来するものと、もうひとりの人物の宇宙の秘密を見透す能力、この両者が合流することから、もう少し古い時代にはたいていそうであったように、西南アジアのあの都市に社会秩序が確立されていったのです。この都市には平和が訪れ、住民の幸福が訪れました、そして事実の経過全体を別の方向に導いたある特定の出来事が再び起こらなかったら、まずすべては秩序を保っていたことでしょう。あの都市には、ある種の秘儀が、ある女神の秘儀がありました、そしてこの秘儀は非常に多くの宇宙の秘密を保持していました。それは当時の意味において一種の綜合的な秘儀(synthetische Mysterium)とでも申し上げたいものであり、すなわち、当時この秘儀のなかにアジアのきわめてさまざまな秘儀の啓示が集められていたのです。そしてさまざまな時代に、秘儀の内容は変更され、変容させられて、その地で保存され教えられました。叙事詩においてギルガメッシュという名を持つ人物は最初このことを理解できず、この秘儀の地を、矛盾だらけのことを教えていると非難しました。それで、権威ある筋から、私がお話ししているこのふたりの人物は、何と言っても都市全体に秩序を与え管理した人物だったからですが、つまり意味深い立場から秘儀が非難されたことによって、諸々の困難が生じ、これは結局、古代の秘儀において伺いを立てることのできたあの権威に、秘儀の祭司たちが伺いを立てる、という事態に通じていきました。古えの秘儀においては、高次ヒエラルキアの霊的存在たちに伺いを立てることが実際に可能だったのだということを、今日は皆さんも、いぶかしく思われることはないでしょう、昨日皆さんに申しましたように、古えのオリエントの時代にあっては、アジアは本来最も下位の天であり、この最も下位の天においても、人々は神的ー霊的存在たちの実在を知り、これらの存在と交渉を持っていたからです。とりわけ秘儀のなかでこういう交渉は続けられました。こうしてイシュタル秘儀の祭司職が、啓示(光明/Erleuchtung)を得ようとするときふだん常に伺いを立てていたあの霊的な威力に伺いを立て、その結果、この霊的威力が都市に対して一種の刑罰を科するという状況になったのです。当時このことは、本来は高き霊的な力であるものが、エレクにおいて動物的な暴力として、不気味な動物的力として働きかけたと言うことで表現されました。ありとあらゆるものが住民たちにやってきました、肉体的な病気、とりわけ魂の錯乱が。そして、ギルガメッシュの味方となった人物、叙事詩でエアバニと呼ばれている人物が、これらの困難のために死んでしまうという結果になるのですが、彼は、もうひとりの人物ギルガメッシュの地上での使命を継続するために、死後も霊的にこの人物のそばにとどまりました。つまり私たちは、叙事詩においてギルガメッシュという名を担っているあの人物のその後の人生、その後の進化を、ふたりの特徴ある人物の間の共同はさらに続いたというように理解しなくてはなりません、エアバニの側からギルガメッシュに霊感(Eingebungen)、啓示が与えられるということが起こったのです。すなわち、ギルガメッシュは、彼自身の意志のみでひとり行為し続けたのではなく、ふたりの意志から、ふたりの意志の合流から行為し続けたのです。このことをもって私は、この古えの時代にあってまったくもってひとつの可能性であった何かを再度皆さんの前に据えたわけです。あの古えの時代、人間の心情は今日のそれのように一義的なものではありませんでした。したがって、感覚においても今日のような自由の体験というものは存在し得なかったのです。当時できたことは、一度も地上に受肉したことのない霊的存在が地上のある人物の意志を通じて働きかけるか、あるいは、ちょうどこのギルガメッシュの場合のように、すでに死を通過して死後の生(Postmorten-Leben)を送っている人物が地上の人物の意志を通じて話したり行為したりするか、いずれかでした。そしてギルガメッシュの場合もそうでした。こうしてふたりの意志の合流から生まれたものから、ギルガメッシュのなかに、彼が本来どのような歴史的状態にあるのかということについてのかなりはっきりとした認識が浮かび上がってきました。ギルガメッシュは、まさにインスピレーションをもたらしてくれる霊の影響によって、自我が死すべき物質体とエーテル体のなかに下降してきたということを知り始め、そしてギルガメッシュにとって、不死の問題が強く集中的な役割を演ずるようになってきました。ギルガメッシュの憧れのすべては、どうにかしてこの不死の問題の背後に至ろうとすることに向けられました。当時地上での不死について語るべきことを保管していた秘儀は、当初ギルガメッシュには明かされませんでした。これらの秘儀は、まだ伝統と、この伝統から現存する生きた認識の大部分を有していましたが、一方地上では古アトランティス時代の太古の叡智が有力でした。けれども、かつて霊的存在として地上を歩き回っていたこの太古の叡智の担い手たちは、とっくに退き、月の宇宙的コロニーを建設していました。月は今日の科学が描写するような硬い凍結した物体だなどと考えるのは、子どもじみています。月は、とりわけ地球人類の最初の偉大な教師たちであったあの霊的存在たちの宇宙での滞在地でした、かつて地球人類に太古の叡智をもたらし、物理的天体としての月が地球を去って太陽系内に自らの位置を獲得した直後に、この月へと引き揚げていったあの存在たちの滞在地です。今日、イマジネーション的認識を通じて、真に月を知る能力を持つひとは、この宇宙のコロニーのなかに、かつて地上で人類の太古の叡智の教師であったあの霊的存在たちをも知るようになります。これらの存在たちがかつて教えていたこと、そして人が自らこの太古の叡智とある種の関わりを持つことを可能にするあの衝動をも、この秘儀に保管されていました。とは言え、たとえば西南アジアのこの秘儀と、叙事詩の中でギルガメッシュと呼ばれている人物との間では、正しい結びつきはありませんでした。けれども、死後の状態でギルガメッシュとひとつになった友人の超感覚的な影響を通じて、ギルガメッシュのうちに内的な衝動が目覚めました、魂の不死性について何らかのことを経験できるようになる道を、世界のなかに探し求めようとする衝動です。中世には、霊的世界について何かを体験したいと思えば、人間の内面に沈潜するということが一般的になってきました。近代においては、さらに内的な経過が普通になっていると言ってよろしいでしょう。けれども、今お話ししているあの古えの時代においては、地球は、今日の地質学が記述しているようなあんな岩石の塊ではなく、生き生きと魂を吹き込まれた霊的な存在物なのだ、ということを人々はまったく正確に知っていました。そして、ちょうど小さな生き物が人間の上を走り回るとき、その生き物が鼻や額の上、髪の毛を伝わって走り、この旅によって知識を獲得することで人間のことを知ることができるのと同じように、当時においては、人間は地球(大地)の上をあちこと歩き回ることで、さまざまな場所でさまざまな土地の成り立ちから地球(大地)を知り、それを通じて霊的世界を洞察していたのです。人間は霊的世界を洞察していました、秘儀への接近が許されているにせよいないにせよ、洞察していたのです。ですから、ピュタゴラスや同様の人たちについて、彼らが認識の獲得のために大いに遍歴したと語られる(☆6)のは、実際どうでもよいことではありません。この地球のさまざまな場所の、霊的ー魂的ー物質的地球のさまざまな形成のされ方から観察されうるものを、地球の成り立ちの多様性のままに受け取るために、人間は地を巡回したのです。今日、人間はアフリカやオーストラリアに旅行することができますが、見物の対象となる表面的なものを除いては、家にいて体験することに比べてさほど変わった体験をするわけではありません。と申しますのは、地球のさまざまな場所の間に存在する根本的な差異に対して、人間の感受性はまさに死に絶えてしまったからです。今お話ししている時代においては、この感受性は死んでおりませんでした。ですから、地上の遍歴を通じて不死性の問題の解明のための何かを得ようとする衝動は、ギルガメッシュにとって非常に重要な意味があったのです。こうしてギルガメッシュは、遍歴の第一歩を踏み出しました。彼にとってこの遍歴は何と言っても、とてもとても重要な結果をもたらしました。彼は、近ごろよく話題になるとは言えその社会状況は当然ながら非常に変わってしまったある地域、つまりいわゆるブルゲンラント(*1)地方で、ある古い秘儀に出会いました、ブルゲンラントをツィスライターニエンの一部とするかハンガリーの一部とするか最近議論されましたが、つまりこのブルゲンラントの地で古い秘儀に出会ったのです。この秘儀の大祭司は、ギルガメッシュ叙事詩ではクシストロス(Xisuthros ☆7、*2)と呼ばれています。ギルガメッシュは、ある古い秘儀に出会いました、古アトランティスの秘儀を純粋に受け継ぐ形式の秘儀です、ただし後の時代にはしばしばそうであったであろうように、もちろん変化してはいましたが。そして実際のところ、この秘儀の地においては、ギルガメッシュの認識力を判定し、評価するすべが知られていました。人々は彼を出迎えようとしました。当時秘儀参入の弟子たちの多くに課せられていた試練がギルガメッシュに課せられました。その試練とは、七日七晩を通じて完全に目覚めた状態で、ある種の黙想(Exerzitien)をすることでした。ギルガメッシュにはそれができませんでした。そこで彼はこのような試練の代用品(Surrogat)に屈しました。この代用品というのは、服用して実際にある種の光明(啓示/Erleuchtung)が得られる特定の物質がギルガメッシュのために調合されたということです、例外を認める一定の条件が保証されないときはこの地方ではいつもそうだったのですが、たとえこれらの物質がある意味で疑わしいものであっても、調合されたのです(*3)。こうして今やギルガメッシュにある種の光明がもたらされました、宇宙連関への、宇宙の霊的な構造へのある種の洞察が。こうして、ギルガメッシュがこの遍歴を終えて再び帰還したとき、彼のうちには実際に高次の霊的洞察があったのです。ギルガメッシュはほぼドナウ河に沿って遍歴し、ドナウ沿いを南方に向かって故郷へ、選ばれた故郷の地へと戻ってきました。けれども、彼は私が描写しました別のしかたではなく、あのいくらか問題の多いしかたでアトランティス後の秘儀への参入を授けられたために、この故郷の地に到着する前に最初の試みに屈服してしまいました、彼は都市に起こったことについて聞き、自分にふりかかった出来事についての恐ろしい怒りの発作に屈したのです。彼は都市に到着する前に、そのことを聞きました。恐ろしい怒りが沸き起こり、この湧き起こる怒りのために光明(啓示)はほとんど完全に曇らされ、彼は光明なしに到着する結果となりました。とは言っても、そしてこれがこの人物の特別なところなのですが、死んだ友人との関係を保ち、この死んだ友人とともに、この死んだ友人の霊とともに、霊的世界をのぞき見る可能性、あるいは少なくとも霊的世界についての情報を得る可能性は、ひき続き失われませんでした。それでもやはり、イニシエーションを通じて霊的世界を直接見通す、あるいは死後の状態にある人物について情報を得る、というのは、別のことなのです。けれども、不死の本質への洞察のいくばくかがギルガメッシュのなかには残されている、と言うことはできます。さて今度は、死後になし遂げられることから読みとってみます、死後に成し遂げられることというのは、当時も今も、次の受肉の意識のなかに働きかけます、まだそれほど強く働きかけるのではないのですが、意識のなかに働きかけるのです。生命のなか、内的な構成のなかへの働きかけはなるほど非常に強いのですが、意識のなかへの働きかけは強くはありません。よろしいですね、私は皆さんに、ふたりの人物を描写しました、後アトランティス第三文化期のほぼ中頃の人間の霊状態をともに表わしていて、その生き方から、人間が二つの部分から成り立っていることが強く見て取れるような、まったくもってまだそのような生き方をしていた人物たちです。と申しますのも、一方のギルガメッシュは、自我意識が下降するということ、自我が物質的ーエーテル的なもののなかに沈み込むということを成し遂げた最初の人々のひとりであったにしても、この二元性をよく意識していたからです。もうひとりの人物は、地上に受肉したことがあまりなかったために、明澄な認識(Hell-Erkenntnis)を有していて、それによって物質、素材、などというものは存在せず、すべては霊的なものであって、いわゆる物質的なものというのは、霊的なものの別の形(フォルム)にすぎない、という洞察を得ていました。皆さんはこのように思い描くことができるでしょう、人間の本質がこのように構成されていたのなら、今日考えたり感じたりしていることすべてを、当時の人間が考えたり感じたりすることができなかったのは当然だ、と。人間の思考や感情の全体がまったく違っていたのです。そしてこのような人物たちに近づくことのできたものは、今日私たちが学校で学ぶようなことではなく、今日の小学校や高等学校で学ぶことに似た何かでもありません、霊的、文化的、文明的に人間たちに近づいてきたものは、実に秘儀から流れ出してきて、何らかのしかたであらゆる通路をとおってきわめて広汎に人々に告げられたのです。けれども本来それを育成するのは、秘儀の祭司である賢人たちでした。さて私がお話ししている人物ふたりに独特なことは、私がたった今描写しましたあの受肉において、独自の魂の性質により、秘儀に、つまりまさに彼らの周囲にあった秘儀と親密になることができなかったということです。ギルガメッシュ叙事詩でエアバニと呼ばれている者は、地球外に滞在していたことによって秘儀に親しんでいました。ギルガメッシュと呼ばれている者は、あるアトランティス後の秘儀において、一種のイニシエーションを体験しましたが、これは彼にその果実を半分しかもたらしませんでした。けれどもこのすべてが作用を及ぼして、これらの人物自身の存在のなかで、彼らを人間の先史時代に似せる何かが感じられるようになりました。ふたりはこう話し合ったことでしょ。我々はいったいどうなったのか。地球進化にともない我々はふたりでいったい何をしてきたのか。我々はまさに地球進化を通じてこうなったのだ。我々はその時いったい何をしたのか。ギルガメッシュが悩み、格闘した不死の問題、これは当時まさに人間の魂のなかにあったものを通じて、地上の先史時代の進化について欠くことのできない洞察と関わっていました。そして、地球の最古の進化段階、月状態、太陽状態云々の時期にすでにそこにいた人間の魂が、その後地上的になったものが自分に近づいてくるのをどのように見たかということについてのい洞察が同時になかったら、そもそも当時の感覚では、魂の不死について、考えたり感じたりすることはできませんでした。人は、自分は地球の一部である、自分自身を認識するためには自分と地球との関係を見通さなければならないと感じていました。参考画:gilgamesh さて、あらゆるアジアの秘儀のなかで培われていた秘密というのは、何をおいても宇宙的な秘儀であり、宇宙との関係のなかでの地球進化の経過をその教義と叡智の内容としていました。それはこれらの秘儀にまったく生き生きとしたしかたで現われ、人間のなかで理念となることができました、地球がどのように進化してきたか、そして物質の波とうねり、地球の諸力のなかで人間がいかにこれらの物質すべてとともに、太陽紀、月紀、地球紀を通じて進化してきたか、この概観が人間の前にもたらされました。この光景がきわめて生き生きと見せられたのです。このような光景を人間に見せていた秘儀のひとつは、非常に後の時代まで維持されていました。それがエフェソス(エペソ)の秘儀の地(☆8)、エフェソスのアルテミスの秘儀の地です。このエフェソスの秘儀の地、それは、その中心に女神アルテミスの像を持つものでした。今日誰かがエフェソスのアルテミス女神の模造品を眺めても、乳房を露出した女性の姿というグロテスクな印象を持つだけでしょう、こういうことが古えの時代にはどのように体験されていたのか見当もつかないからです。古えの時代にはまさにこういうものを体験するということが重要だったのです。秘儀の入門者たちは準備を終え、それから秘儀の本来の中心に導かれました。このアルテミス像がこのエフェソスの秘儀の中心でした。入門者たちがこの中心に導かれると、彼らはこの像とひとつになりました。この像の前に立つと、人間はその皮膚の内部の何かであるという意識が中断されました。人間は、自分はこの像であるという意識を持ちました。彼はこの像と一体化したのです。そして、このようにエフェソスの神々と意識のなかで一体化することは、こういう作用を及ぼしました、つまり、人はもはや周囲の地球領域、石や木々や河や雲などを見ることはなく、アルテミスの像のなかに入り込んでいると感じることで、自分とエーテル界との関係を内的に観照するに至ったのです。人は自分が星々の世界と、星々の世界の出来事とひとつであると感じました。人は人間の皮膚の内部の地上的な物質性を感じず、自らの宇宙的存在を感じました。エーテル的なもののなかに自らを感じたのです。そしてこのエーテル的なものなのかで自らを感じることを通じて、人間の以前の地上生活の状態、そしてその地上生活そのものが、その人に明かされました。今日私たちは、地球を、すでに話しましたように、一種の岩の塊のように見ています、その表面の大部分を水に覆われ、酸素や窒素その他の物質が含まれ、とりわけ人間が呼吸のために必要としたりなどする物質が含まれる大気圏に囲まれた岩塊のように。そして今日、人間が通常の自然認識なるもののなかで思弁を繰り返し、観察し、観察を解釈するということを始めると、何か正しいことが明らかになるいうわけです。今日の状態に先行するもっとも古い時代におけるものというのは、霊視(Geistesschau)によってしか獲得することができません。けれども地球と人類の太古の状態(☆9)に関するこのような霊視が、エフェソスの秘儀の入門者たちには明かされました、彼らが神々の像と一体化したときにです。そのとき彼らは、今日地球の周囲の大気圏であるものがかつては現在のようではなく、今日の大気圏があるこの地球の周囲に存在していたものは、きわめて精妙な、流動性ー揮発性の(fluessig-fluechtig)卵白(蛋白質/Eiweiss)、卵白実質(Eiweisssubstanz)であったことを知りました。すなわち、地上に生きていたすべてが生じるために、すべてのものはこの地球の上を流動し揮発していた卵白の力を必要としていましたし、その中で生きていたのです。そしてさらに観照されたことは、この卵白の中にある意味ですでにあったもの、細かく分散された、けれどもいたるところで結晶化しようとする(図参照、赤系)傾向を持つもの、つまり細かく分散された状態で珪酸としてそこにあったものが、地球の一種の感覚器官であったことです、宇宙のいたるところからの影響を、イマジネーションを自らのうちに受け入れる感覚器官です。このように、地上的ー卵白状大気の珪酸の内容物のなかには、いたるところに、真の、外的なありようのイマジネーションがあったのです。このイマジネーションは、巨大な植物有機体の形(フォルム)をとっていて、そしてこの、自らを地上的ものにとってのイマジネーションと考えたものから、植物のようなものが発達してきました、のちに大気状の物質を受け入れることによって植物となるのですが、最初はまだ地球の周囲の揮発性ー流動性のフォルムをとっています。それはあとになってから地面へと下降してきて、のちの植物類となりました。さらに珪酸含有物の外部には、このアルブミン大気の中へと、細かく分散された石灰的なもの(Kalkiges)が埋め込まれていました。石灰的なものからは、この卵白の凝固の影響を受けながら、動物的なものが発生しました。そして人間は、これら全ての内部に自らを感じていました。人間は、自分が太古の時代には全地球とひとつであったと感じました。人間は、イマジネーションを通じて地球で植物として形成されたもののなかに生きていました、人間は、地上的なもののなかに動物として形成されたもののなかに生きていました、これは私が今しがた描写しましたとおりです。根本においてどの人間も自分を、地球全体に拡がっている、地球とひとつである、と感じていたのです。ですから人間たちは、私が『「神秘的事実としてのキリスト教」という著書で、人間の理念能力に関連してプラトンの教義のために叙述しましたように、互いのなかに組合わさっていたのです。さてよろしいですか、私がシュトゥットガルトで語り、今もまた話題にしておりますあのふたりの人物は、運命の導きで、エフェソスの秘儀に所属する者としてふたたび受肉し、私がこれまで概略をお話ししてきたことを親しく魂のなかに受け入れました。それによって彼らの魂的なものが、ある種のしかたで内的に強められました。以前は体験のなかで、とは言え大部分は無意識の体験でしたが、体験のなかでのみ接近したものを、ふたりは今や、秘儀を通じて受け取ったのです。つまりこのことにより、このふたりの人物における人間的なものの体験は、二つの別々の受肉に分けられたのです。これにより、彼らは自らのうちに、上方の霊的世界と人間が関連しているという強い意識を持つようになり、同時に、地上的なものすべてに対する強い、集中的な感受性を持つようになりました。と申しますのも、よろしいですか、ある人にとって二つのものがいつも入り混じって流れているとしたら、二つを切り離すことができなければ、その二つは混じり溶け合ってきます。けれども二つが明確に分けられれば、双方をもう一方に照らして判断することができるのです。それでこのふたりの人物も、生から導かれた上方の世界の霊的なものを、以前の受肉の余韻として内部に生きていたものを、一面において判断することができました。さて今や、秘儀において、女神アルテミスの影響下にあるエフェソスの秘儀において、こういうことがふたりに伝授されたわけですが、今やふたりは、地上の事物が人間の外にどのように生じたか、人間以外のものが、人間をも包含していた原初の物質的なものから、地上でどのように徐々に形成されてきたかを、判断することができるようになりました。これにより、ほかならぬこのふたりの人物の人生、一部ヘラクレイトス(☆10)がエフェソスで生きていた最後の時代に当たりますが、その後の時代に当たるこのふたりの人物の人生は、とりわけ内的に豊かな、宇宙の秘密に貫かれて内的に強く光を放つものになったのです。そしてさらに、人間はその魂生活において、単に水平的に地上に拡がっているものだけではなく、人間がその本質を上へ伸ばすときには、上に向かって拡がるものとも関連しているのだ、という強固な意識も生じました。そしてこのふたりの人物、古エジプトーカルデア時代にふたりして働きかけ、その後、ヘラクレイトスの時代と言えるかもしれませんがそれよりは少し後の時代に、エフェソスの秘儀と関わりつつ生きたふたりの人物の内的な魂形成(Seelenkonfiguration)、この共同作用は、継続し続けることができました。お互いが育て上げた魂形成、これは死を通過し、霊的世界を通過して行って、それからある地上生を準備しました、それが原因で根本的に多くのことが問題とならざるを得なかった、むろんさまざまなしかたで問題とならざるを得なかった地上生です。そして、これらふたりの人物が地球進化の歴史的経過に自らを置かざるを得なかったまさにこのやりかたを手がかりに、カルマ的に後の地上生のなかへも継続してゆく、魂の前の時代に由来する体験によって、どのようにものごとが準備されるかを見ることができます、後の時代にまったく変容して組み込まれ、地球人類進化のなかに現われるものごとが。私がこの例を引きますのは、これらふたりの人物がその後歴史上の進化のきわめて重要な時代に登場するからなのですが、この時代については前にシュトゥットガルトでも示唆いたしました。もともとこういうことすべてを十三年前にもう特定の観点から述べているのです。エジプトーカルデア時代に、はるかに拡がった宇宙生を通過したこれらふたりの人物、その後この宇宙生を内的に深め、その結果ある意味で魂を強めたこれらの人物は、のちの受肉において、アリストテレス(☆11)とアレクサンダー大王(☆12)として再び生きました。そしてアリストテレスとアレクサンダー大王の魂のなかのこの根底に注目してはじめて、私がすでにシュトゥットガルトであの歴史の章で述べましたように、ギリシア精神の退嬰のなかローマ・ロマン民族による統治の出発点にあったこれらの人物のなかで、当時あれほど問題のあるしかたで作用し、その後これらの人物を通じて作用したものがそもそもどこにあるのか、理解することができるのです。これについてはさらに明日、次の講義で引き続きお話ししたいと思います。※Gilgamesh:ギルガメッシュ叙事詩は、世界最古の文学作品の一つで、古代メソポタミアの文学作品です。この叙事詩は、ウルクの王であるギルガメッシュの冒険を描いています。彼は強大な力を持つ半神半人の英雄であり、唯一の親友であるエンキドゥと共に様々な冒険に旅立ちます。ギルガメッシュはウルクの王で、英雄である一方で暴君としても恐れられていました。彼は都の乙女たちを奪い去るなどの悪業を働いていました。ウルクの人々は神々に訴え、大地の女神アルルは粘土からエンキドゥという野獣のような猛者を造り上げました。エンキドゥはギルガメッシュと戦うために作られた存在で、物語は二人の間に芽生えた友情とともに進んでいきます.参照画:□編集者註(*はyucca による補足、主に『ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫訳 ちくま学芸文庫)解説を参考にしました)☆1 シュトゥットガルトにおきまして[…]:『隠れた歴史 世界史の人物と出来事についてのカルマ的関連の秘教的考察』(六回の講義、1910/11 GA126)*邦訳:『世界史の秘密』(西川隆範訳 水声社)☆2 五つの大文化期が相次いで:R・シュタイナー『神秘学概論』(GA13)参照のこと。さらに多数の講義録の叙述、たとえば『西洋の光の中の東洋。ルツィファーの子どもたちとキリストの兄弟』(九回の講義、ミュンヒェン1909 GA113)参照。*邦訳:『西洋の光の中の東洋』(西川隆範訳 創林社)☆3 あの歴史的ー伝説的文献:ギルガメッシュ叙事詩は、クジュンドゥシュクの丘、アシュルバニパル王宮の遺跡で発見された楔形文字粘土板十二枚に刻まれている。それは、断片がいくつか発見されたさらに古いシュメール語原典に遡る。*シュメール民族は、前第五ー四千年紀ごろからメソポタミア地方に居住し、高度な文明を発達させたとされるが、セム民族に征服されていった。セム人の王朝の首都はアッカドと呼ばれたので、この王朝はアッカド王朝と呼ばれ、その後北方のアッシリアと南方のバビロニアに分かれる。彼らは文化的にはるかに進んでいた先住民族のシュメール人から、きわめて多くの文明的諸要素を取り入れた。シュメールの都ウルクの遺跡には、シュメールの王名を記した表が残っているが、大洪水後のウルク第一王朝第五番目の王としてギルガメシュの名が出てくる。ギルガメッシュが登場するシュメール神話(英雄詩)は五つほど知られているが、そのうちの四つがのちにアッカド語(アッシリア語、バビロニア語)で『ギルガメシュ叙事詩』にまとめられたとされる。☆4 エレク:この都市は、聖書で(モーゼ I、10ー10)エレクと呼ばれている。楔形文字テキストではウルクと呼ばれる。*彼の王国の初めは、バベル、エレク、アッカドで、それらはみなシナルの地にあった(創世記10ー10)「彼」はメソポタミアの神話的英雄ニムロデ。「シナル」はシュメール。*「ギルガメッシュ」という名は19世紀末まで正しい読み方が分からず、このニムロデと同一視あるいは同系統のものとみなされて、『ニムロデ叙事詩』と題されたこともあった。☆5 エアバニ:楔形文字テキストではエンキドゥ[Enkidu]あるいはエンギドゥ[Engidu]と呼ばれる。☆6 ピュタゴラスや[…]と語られる:ディオゲネス・ラエルティウス『名高い哲学者たち』第二巻8冊 ピュタゴラス、プラトンその他も参照。☆7 クシストロス:バビロンのベルの神官ベロッソスは、紀元前280年頃、ギリシア語でバビロニアーカルデアの歴史を著わし、それがバビロンの寺院書庫から発見されたのだが、ベロッソスはこのように、ジウスドラというシュメール語の名をギリシア語化している。この名は楔形文字テクストではウトナピシュテムとなっている。☆8 エフェソスの秘儀の地:これについてシュタイナーは1923年12月2日の講義で詳しく述べている:『秘儀の形成』(十四回の講義、ドルナハ 1923 GA232)参照。*邦訳:『秘儀の歴史』(西川隆範訳 国書刊行会)☆9 地球と人類の太古の状態:シュタイナー『神秘学概論』、さらに『真実の観点から見た進化』(五回の講義、ベルリン 1911 GA132)、及び『秘儀の形成』所収の1923年12月1日の講義参照のこと。☆10 ヘラクレイトス:エフェソスのヘラクレイトス、前535ー475、ソクラテス以前の哲学者。シュタイナー『神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀』(索引)参照。*『神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀』(石井良訳 人智学出版社)付録の「編者の注」より。この人物については、ディオゲネス・ラエルティオス『著名哲学者の生活と意見』のなかの古代エピグラムに、その特徴が伝えられている。ヘラクレイトスの書物の頁は、性急にはめくらぬこと、登らねばならない小径は、急で、けわしい。暗黒が支配し、不可解な闇が支配しているが、奥義を受けた者が、汝を導くならば、この書物は日光より明るく汝を照らすであろう ☆11 アリストテレス:前384ー322 シュタイナー『哲学の謎』(GA18)参照。☆12 アレクサンダー大王:前356ー323、前336年よりマケドニア王、バビロンで死亡。訳註*1 ブルゲンラント:オーストリアの東端、ハンガリーとの境にある州。*2 クシストロス:☆7のように、ギルガメッシュ叙事詩のシュメール語版の主人公ジウスドラ(アッシリア語ではウトナピシュテム)がギリシア風になまったものとされています。旧約の大洪水の記述との関連も指摘されますが、ベロッソスの『バビロニア史』の第一巻に見られる大洪水の話の主人公がクシストロスです。*3 この部分に関連する『ギルガメッシュ叙事詩』のテキストからの概略:不死の生命を求めてやってきたギルガメッシュに対し、ウトナピシュテムは「起きて六日と六晩眠らずにいてみよ」と言うが、ギルガメッシュはたちまち眠ってしまう。彼が眠っている間、ウトナピシュテムの妻は毎日パンを焼き、七個目のパンが炭火の上にあるとき、ウトナピシュテムはギルガメッシュに触れて彼を起こす。[…]落胆して帰途につこうとするギルガメッシュに、ウトナピシュテムは水底の草を教える。その草を得れば生命を得るという。ギルガメッシュは水に飛び込んで草を取る。そしてこれを故郷に持ち帰ろうとするが、途中、泉で水浴をしているときに、草は近寄ってきた蛇に奪われてしまう。『ギルガメシュ叙事詩』(矢島文夫訳 ちくま学芸文庫 129頁以下)第十一の書板(アッシリア語テキスト)参照。なお、シュタイナー『世界史の秘密』によると;ギルガメッシュはこの試練を受けるのですが、すぐに寝入ってしまいます。そこで、ウトナピシュテムの妻は七つの神秘的なパンを焼きます。このパンを食べることによって、六日と七夜かけて獲得されるものが得られるのです。この生命の霊薬を持って、ギルガメッシュは道を進み、若返りの泉に浴し、チグリス川とユーフラテス川のほとりの故国の岸に戻ってきました。ここで、一匹の蛇が生命の霊薬の力を奪ってしまいます。こうしてギルガメッシュは、生命の霊薬なしに国に帰ることになるのです。けれども、不死にいたる意識をギルガメッシュは持ち、少なくとも、エンキドゥの霊を見られるという憧れに満ちていました。エンキドゥの霊は現われ、ギルガメッシュと話をします。このことから、どのようにエジプトーカルデア文化期において霊的世界とのつながりが意識されるようになったのかを、私たちは知るようになります。ギルガメッシュとエンキドゥの間の、この関係が大事なのです。『世界史の秘密』(西川隆範訳 水声社)16頁 (第3講・了)
2024年05月12日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 (GA233)翻訳紹介:yucca第2講 1923/12/25 ドルナハ 昨日お話したことからおわかりいただけたと思いますが、地上の人類進化の歴史的経過について正しく観ることができるのは、異なる時代に存在していたまったく異なる魂状態に関わり合うことによってのみなのです。さらに昨日私は、本来の古オリエント、アジアの進化を限定し、アトランティス民族の後裔がアトランティスの大災害ののち西から東へ、徐々にヨーロッパへの道を見出し、アジアに定住するようになったあの時代を示唆しようとしました。アジアでこの民族を通じて起こることは、リズム的なものに慣れ親しんでいたこれらの人々の心の状態に強く影響されていました。最初はまだ、アトランティスにおいて完全なかたちで存在していた場所化された記憶の余韻、はっきりとした余韻が認められました。次いでオリエント進化の間に、リズム的記憶への移行が起こります。そしてみなさんに示しましたとおり、ギリシア進化とともにようやく、時間記憶への飛躍が始まります。けれども、本来のアジア進化ーーと申しますのも、歴史が記述しているのはすでに退廃に至った状態(Dekadenzzustaende)だからなのですが。というものは、後の時代の人間とは全く別種の人間の進化であり、外的な歴史上の出来事といえども、あの古(いにし)えの時代にあっては、人間の心情のなかに生きていたものに左右される度合いが、後の時代よりもずっと大きかったのです。あの古えの時代に人間の心情のなかに生きていたものは、まさに全人のなかに(im ganzen Menschen)生きていました。人間は今日のような分離された魂生活、思考生活というものを知りませんでした。人間の頭の内部の出来事との関連をもはやまったく感じられないようなこういう思考を知りませんでした。血液循環との関連をもはや知ることのないこういう抽象的な感情は知らず、頭の中の出来事として同時に内的に体験するような思考、呼吸リズム・血液のリズムなどのなかに体験するような感情のみを知っていました。人々は、分けられない統一されたものとしての全人を体験し感じていたのです。けれどもこれらすべては、世界との関係、万有との、宇宙(コスモス)との、宇宙における霊的なもの及び物質的なものとの人間の関係が、後の時代とはまったく異なって体験されていた、ということに結びついています。今日の人間は、地上において多かれ少なかれ、田舎で体験し、あるいは都市で体験します。人間は、彼が森として、河として、山として眺めるものに囲まれています、あるいは人間は、都市の外壁であるものに囲まれています。そして人間が宇宙的ー超感覚的なものについて語るとき、それはいったいどこにあるでしょう。現代人は謂わば、宇宙的ー超感覚的なものを思い描かせてくれる領域をこれと言って示すすべを知らないのです。実際現代人にとってはどこであれ、とらえることも、つかむこともできないのです、これは魂的ー霊的な意味で、とらえ、つかむことはできないということですが。あの古えのオリエント進化においてはそうではありませんでした、あの古オリエントの進化においては、そもそもが今日の私たちなら物理的環境とみなすであろう環境というものも、統一的に考えられた世界の一番下の部分にすぎませんでした。人間の周りには、三つの自然領域に含まれているもの、河や山その他に含まれているものがありましたが、これは同時に、霊と密に混じり合い、こう言ってよろしければ、霊が流れ込み、霊に織りなされていました。そして人間はこう言ったのです、私は山と共に生きている、私は河とともに生きている、だが私は山の元素霊たち、川の元素霊たちとも、共に生きている。私は物質領域に生きているが、この物質界は霊的領域の体である。私の周りにはいたるところに、霊的世界が、最も下位の霊界があると。※宇宙の呼称:ユニバースorマルチバース、スペース、コスモスetc 此の内本講に出てくる「コスモス」は宇宙はギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の「Kosmos, Cosmos」に由来する「cosmos」は、哲学者のピタゴラスが、秩序によって調和を保っている宇宙のことを「cosmos」と呼び始めたと言われ、「コスモスは数学、音楽、哲学、芸術、建築によって魂を開いた人間であれば見ることのできる神聖な秩序である」とも述べています。それ故に、英語の「universe」の類義語ですが、コスモスには秩序・調和の存在が暗示されています。神秘学・神秘体験を語るルドルフ・シュタイナーには適切な用いれ方だといえます。参考画:Pythagorean model of the Cosmos 私たちにとって地上的なものとなったこの領域は下にありました。人間はここで生きていました。けれども人間はまさに像(イメージ/Bild)のなかで(図参照)、ちょうどこの領域(明色/hell)が上に向かって中断するところで、別のものが始まり(黄赤/gelb-rot)、この別のものへと下のものが移行していくこと、そしてさらにまた別のもの(青/blau))が、そして最後に、なお到達しうる最高のもの(オレンジ/orange)が続くということを思い描きました。そして、私たちの間で人智学的認識として慣れ親しまれているものに従ってこの領域を名づけようと思うなら、古代オリエントの生活においては別の名称がありましたが、それはともかく、私たちにおなじみの名称で呼びたいと思います。この上の部分はセラフィム、ケルビム、トローネの第一ヒエラルキア、続いてキュリオテテス、デュナーミス、エクスシアイの第二ヒエラルキア、そしてアルヒャイ、アルヒアンゲロイ、アンゲロイの第三ヒエラルキアとなります。さて今度は人間の生きている場である第四の領域です、今日では私たちの認識に合わせて、対象としての自然、自然の経過のみが置かれていますが、この当時の人たちは、この領域で、自然の経過と自然の事物が水や土の元素霊たちに貫かれ織りなされているのを感じていました。そしてこれがアジアでした(図参照)。アジアとは、まだ人間の生きた場であった最も下位の霊領域を意味していました。けれども、人間の日常的意識のためにある、今日の私たちの通常の見かたは、あの古えのオリエントの時代にはありませんでした。あの古オリエントの時代に、人々がどこかに霊なき物質を想像する可能性もあったなどと考えるのはまったくばかげたことと言えるでしょう。あの古えの時代には、今日私たちが酸素、窒素について語っているようなことを考えることはまったくできなかったでしょう。酸素とは、すでに生命あるものを生き生きと励起させ、生命あるものの生を促進する作用をする霊的なものでした。窒素は空気中に酸素と混ざって含まれていると今日私たちは考えていますが、窒素とは世界を貫いて織りなす霊的なものでした。窒素は生命ある有機的なものに作用することで、自らのうちに魂的なものを受け入れるようこの有機的なものを準備するのです。例えば酸素と窒素について人々が知っていたのはこれだけでした。そして人々はあらゆる自然の経過を霊的なものとの関連において知っていました、なぜなら、今日世間一般のひとがするような見かたはまったくなされなかったからです。こういう見かたのできた人々も若干いましたが、それは秘儀参入者、イニシエーションを受けた人たちにほかなりませんでした。それ以外の人々は、通常の日常的なものに対して、醒めてみる夢、ただし私たちにおいては異常な体験のなかにのみまだ存在しているような醒めてみる夢に非常によく似た意識状態を有していました。こういう夢とともに、人間は歩き回っていました。こういう夢とともに、人間は草原に、木々に、河の流れに、雲に近づきました、そしてこの夢状態で見たり聞いたりするような、そういうしかたですべてを見ていたのです。今日の人間にとってはここで例えばどういうことが起こりうるか、ひとつ想像していただかなければなりません。人間が眠り込みます。突然この人の前に像(Bild)が、夢のなかで燃えるストーブの像が現われます。その人は火事だ!という声を聞きます。外ではどこかの火事を消すために消防自動車が走り去っていきます。いわゆる人間理性が無味乾燥に、そして通常の感覚的な見方がこの消防隊のふるまいから聞き取るものは、夢が人間に見せてくれるものから何とかけ離れていることでしょう。けれども、あの古代オリエントの人類が体験していたすべてはこのように夢のなかに流れ込んでいました。そこでは外部の自然領域のなかにあったものはすべて像に変化していました。そしてこの像のなかで人々は、水の、土の、空気の、火の元素霊たちを体験したのです。私たちのあのずだ袋眠り(Plumpsackschlaf)、文字通り袋のように横たわってまったく意識がなくなっているようなあの眠りのことを申し上げているのですが、そういう眠りは当時の人間にはありませんでした。でもこういう眠りは現在よくありますね。けれども当時の人間にはそういう眠りはなく、彼らは睡眠中(*睡眠中も脳活動は活発に働いており、休止しているわけではない。)もぼんやりとした意識を有していました。彼らは一方において、今日私たちが言うように身体を休めるのですが、その間、彼らのうちで霊的なものが生き生きとした外界となって活動し始めました。そしてこの活動のなかに第三ヒエラルキアであるものが知覚されたのです。通常の目覚めての夢状態、すなわち当時の日常的な意識のなかでは、アジアが知覚されました。第三ヒエラルキアは眠りのなかで知覚されました。そして、この眠りのなかに、さらにぼんやりとした意識が沈んでくることがありました、そのひとの体験を心情のなかに深く刻みつける意識です。つまり、このオリエント民族は、このようにすべてがイマジネーションや像へと変化していく日常的意識を有していたのです。このイマジネーションや像は、あのもっと古い時代、つまりたとえばアトランティス時代やレムリア時代、あるいは月紀のものほどリアルではありませんでしたが、ともかくも、このオリエント進化期にもまだ存在していました。つまり当時の人々はこうした像を有していたのです。さらに彼らは、睡眠状態において、次のような言葉で表わすことのできたものを有していました、つまり、通常の地上的状態から眠りに落ちると、私たちはアンゲロイ、アルヒアンゲロイ、アルヒャイの領域に入っていき、それらの存在たちのもとで生きるという言葉で。魂は生体から自らを解き放ち、高次ヒエラルキアの存在たちのもとで生きるのです。同時にはっきりと理解されていたことは、アジアに生きている間、ひとはグノームたち、ウンディーネたち、ジルフェたち、サラマンダーたちと、すなわち土、水、空気、火の元素霊たちとともにあり、肉体を休める睡眠状態では、第三ヒエラルキアの存在たちを体験していて、同時に惑星的な存在とともに、地球に属する惑星系のなかに生きているものとともに体験していたということです。けれども、第三ヒエラルキアが知覚されていた睡眠状態のなかに、さらにまったく異なる状態が入り込んでくることがありました、眠っているひとがその時、まったく見知らぬ領域が私に近づいてくる、それはいくらか私を引き受け、私を地上的状態からいくらか引き離すと感じるような状態です。第三ヒエラルキアのなかに移されている間はまだこれが感じられることはないのですが、このもっと深い睡眠状態がやってくると、こう感じられるのです。もともと、この第三の種類の睡眠状態の間に起こることについては、はっきりとした意識があったことはありませんでした。けれども、人間の全存在を深く深く貫いて、第二ヒエラルキアから体験されたものが入り込んできたのです。人間はこれを目覚める際に心情のなかに感じ、こう言いました、私は、惑星状態を超えて生を持つ高次の霊たちから祝福された、と。ーーこのときこの人間は、エクスシアイ、キュリオテテス、デュナーミスを包括するあのヒエラルキアについて語ったのです。ーー今私が皆さんにお話ししていることは、基本的に古代アジアではいわばふつうの意識状態でした。つまり、目覚めながらの眠り、眠りながらの覚醒と、第三ヒエラルキアが入り込んでくる睡眠、という二つの意識状態は、すでに最初から誰もが有していたものでした。そして若干の人々に、特別な生来の資質により、さらにこのより深い眠り、第二ヒエラルキアが人間の意識のなかに入り込んで活動するこの眠りが到来したのです。※「階層制(ヒエラルキア/hierarchy)」: そして秘儀に参入した人々、彼らはさらにまた別の意識状態を獲得しました。どういう意識状態でしょう。それはまさに驚くべきものです。当時の秘儀参入者たちはどういう意識状態を獲得したのかという問いに答えるなら、その答えは、今日皆さんが日中いつも有している意識状態です、ということになります。皆さんは人生の二年目,三年目の頃に自然なしかたでこの意識状態を発達させます。古代オリエント人は、自然にこの状態に到達することは決してなく、意図的にこれを育成しなければなりませんでした。古代オリエント人は、これを、目覚めながら夢見ている、夢見ながら目覚めている状態から育成しなければならなかったのです。この目覚めながら夢見、夢見ながら目覚めている状態で動き回っていたとき、古代オリエント人は、今日私たちが鋭い輪郭のものとして見るものを多かれ少なかれ象徴的にのみ与えてくれるだけの像をいたるところに見ていました、しかし他方で秘儀参入者たちは、今日人間が通常の意識で毎日見ているように事物を見る、というところにまで到達していたのです。当時秘儀参入者たちは、この発達させたばかりの意識を通じて、今日(こんにち)におる小学校でどの生徒も学んでいるようなことを学ぶという状態に達していました。今日との相違は、内容が異なっていたということではありません。とは言え、今日のような抽象的な活字というようなものは当時にはありませんでした。文字は、宇宙の事柄や経過ともっと親密に関わり合っていた特性を示していました。それはともかく、書くこと、読むことを学んだのはこの古えの時代では秘儀参入者たちだけでした、なぜなら、書くこと、読むことを学ぶことができるのは、今日自然なものである知性に即した意識状態においてのみだからです。つまり、当時のありようそのままの人間のいるこういう古オリエント世界がどこかに再び出現し、今日のような魂のありかたのまま皆さんがこれらの人たちのなかに歩み入ると想像なさるなら、皆さんは全員当時の人々にとっては秘儀参入者だということになるでしょう。違いは内容上のことではありません。皆さんは秘儀参入者でしょうが、皆さんが秘儀参入者だと知られた瞬間、皆さんは当時の人々から可能なかぎりのあらゆる手段によって土地から追い立てられるでしょう、なぜなら、当時の人々は、秘儀参入者は今日の人間たちが知るように物事を知ることは許されないということをよく知っていたからです。たとえば、当時の見方をこういうイメージで特徴づけます。当時の人々の見解にしたがえば、今日の時代の人間が書くように書くことができるということは許されませんでした。当時のある心情のなかに入り込んでみたとして、その心情(の持ち主)がこのような似非(えせ)秘儀参入者、すなわち現代の普通に利口な人間と対面するとしたら、あの時代のその人はこう言うことでしょう。この人は書くことができる、この人は何かを意味する記号を紙に書き付けている、しかも、このようなことをしながら、意識してさえない、こういうことを行ないながらも、こういう行為は神的な宇宙意識の委託を受けた状態でのみ許されるのだという意識が内部にないなどというのはどれほど悪辣きわまることかを。何かを意味する記号を紙に書き付けてよいのは、手の中で、指の中で神が働きかけている、神が魂のなかで作用している、だから魂がこの字母の形を通じて自らを現わすのだ、と意識しているときだけだ、そういう意識がないとは。この、内容の違いではなく、人間による事態のとらえ方の問題ということ、これが、内容的には同じものを有している現代人と古えの時代の秘儀参入者とがまったく異なっている点です。今度新版の出た私の著作「神秘的事実としてのキリスト教」(☆1)を読み返していただければ、冒頭すぐに、古代の秘儀参入者の本質とは本来この点にあったことが示唆されていることがおわかりでしょう。そして本来、宇宙進化においては常にそうなのですが、後の時代に自然なしかたで人間のなかに成長するものは、それ以前の時代には秘儀参入によって獲得されなければならないのです。このようなことをお話しすることで、皆さんは、こうした先史時代の進化段階の古オリエントの心情のありようと、後になって文明のなかに登場してきた人間との根本的な相違を感じ取ってくださるでしょう。最も下位の天をアジアと呼んでその名のもとに自らの土地を、自らを取り巻く自然を理解していたのは別の人類です。最後の天がどこにあるか人々はよく知っていました。今日の見方と比較してごらんなさい、現在の人間が、自分を取り巻くものを最後の天とみなすことがどんなに少ないか。たいていの人々はこれを最後の天とみなすことはできません、この最後の天に先行する天も知らないからです。さて、おわかりのように、この古えの時代には霊的なものが自然存在の内部深くまで入り込んでいます。とは言っても、私たちはこれらの人々のもとで、現代において少なくとも私たちの大多数にとって野蛮きわまりなく思えるであろうものに出会います。当時の人間にとって、誰かが今日ものを書くときのような気持ちで書くことができたとしたら、それは恐ろしく野蛮なことに思えるでしょう。それは彼らにとっておよそ悪辣なことに思えるでしょう。しかし逆に現代の大多数の人間にとって、あのアジアの地で、西から東へと遠く移動していったある民族が、先住の別の民族をしばしば非常に残酷に支配し、土地を征服し、人々を奴隷にしたのはまったく当然であったということが非常に野蛮に思えるのは確かです。そもそもこれが広い範囲にわたって全アジアを通じてのオリエント史の内容なのです。これらの人々は今特徴をお話ししましたような、高度なスピリチュアルな観照をしていましたが、他方でその外的な歴史は、ほかの地を絶えず侵略し、その民を隷属させることで過ぎていきました。このことはたしかに現代の多くの人間にとって野蛮に思えます。そして今日では何らかの侵略戦争があるとき、その際、その戦争を弁護する人々でさえ、心にまったくやましいところがないわけではありません。侵略戦争の弁護からも、まったくやましいところがないわけではない、ということが察せられます。当時においては、ほかならぬ侵略戦争に対して、人々は心にいささかもやましいところはありませんでした、しかも、この侵略はそもそも神の意志によるものだ、と見なされていたのです。そして、のちになってから平和への憧憬としてアジアの大部分に広がったものは、本来、文明の後期の産物(Spaetprodukt)なのです。これに対してアジアにとっての文明の早期の産物(Fruehprodukt)とは、他の土地の絶えざる侵略と人々の奴隷化です。先史時代を過去に遡れば遡るほど、こういう侵略は数多く見出されます、クセルクセスや同様のひとたちがしたことも、こういう侵略の影にすぎません。けれどもこの侵略原理の根底には、何か確固たるものがあります。当時の人々においては、皆さんに描写いたしましたあの意識状態によって、人間の他の人間に対する関係も世界に対する関係も、今日とはまったく異なった状態にあったのです。地球の諸民族の何らかの違いは、今日その原理的な意味を失っています。当時その違いは今日とはまったく異なるしかたで存在していました。そこで、ひとつ、しばしば現実にあったことを、例として私たちの魂の前に据えてみることにしましょう。ここ左にヨーロッパ地域(下図)、右がアジア地域だと考えてください。侵略民族(赤)は、アジアの北方からもやってきたかもしれませんが、アジアのどこかの地域に広がり、人々を隷属させました(黄色の周囲の赤)。実際そこで何があったのでしょう?実際の歴史進化の流れを定めたこの場合においては、侵略行為をする人々というのは常に、民族あるいは種族として、若かったのです。若く、青春の力にあふれていました。さて、現在の地球進化の人間の場合、若いとはどういうことでしょうか。現在の地球進化の人間の場合、若いということは、その生のどの瞬間にも死の力を自らのなかに担っているということ、人間の死にゆく経過を必要とする魂の力をまかなえるだけの量の死の力を担っている、ということです。私たちは私たちのなかに、芽吹き芽生える生命力を有していますが、この力は私たちを思慮深くさせず、私たちを気絶させ、意識を失わせます。解体する死の力もまた常に私たちのなかで作用していますが、死の力はいつも睡眠中に生命力によって克服されます。その結果私たちはまさに人生が終わるときにのみ死の力のすべてをこの一度の死のなかに総括するわけですが、この死の力が絶えず私たちのなかになければなりません。この死の力が思慮深さを、意識をもたらすのです。これがまさに現代の人類の特徴です。あの若い種族、若い民族は、あまりに強い生命力に悩まされていました。そういう人間は絶えずこういう感情を持っていました、私は始終、私の血を肉体の壁に向かって押しつけ続けている。私は血を押しとどめることができない。私の意識は思慮深くなろうとはしない。私は若さのゆえに私の人間性のすべてを発達させることができないと。参考画:power of death もちろん普通の人々はこんなことは言いませんでしたが、当時まだこの歴史的経過全体を導き方向づけていた秘儀に参入した人たちは、このように語りました。このようにこうした民族は、自らのうちに、あまりに多くの若さを、あまりに多くの生命力を有していて、思慮深さを与えてくれるものはあまりににわずかしか持っていませんでした。それから彼らは出かけていって、もっと古くからの民族が住んでいた地域を侵略しました、古い民族はすでに退廃状態に達していたために、すでに何らかのしかたで死の力を自らのうちに受け入れていたのですが、出かけていってこの古い民族を支配したのです。侵略者たちと奴隷にされた人々との間に、血縁関係が生じる必要はありませんでした。侵略者たちと奴隷にされた人々との間で魂の内部で無意識に演じられたものは、若返らせる作用をしましたし、思慮深さに向かわせる作用もしました。今や奴隷を所有しその土地に城を築いた侵略者も、自分の意識への影響を必要としているだけでした。侵略者はこの奴隷たちに意識を向けさえすればよかったのです、すると、気絶への憧れのうちに魂が和らげられ、とでも申しますか、そして意識が、思慮深さが生じてきたのです。今日私たちが個人として達成しなければならないものが、当時は他の人々との関係のなかで達成されたのです。堂々と登場するけれども若く、完全な思慮深さには到達していない民族よりも多くの死の力を有していた民族、そういう民族がいわば自分の周囲に必要だったのです。若い民族は、ほかの民族を征服することによって、自分が人間として必要としているものへとよじ登っていったのです。このように、これらしばしばぞっとするような、今日の私たちには野蛮に思える古代オリエントの闘いは、人類進化全般の衝動にほかなりません。これはなくてはならないものでした。これらの今日の私たちには野蛮に思えるぞっとするような戦闘の数々がなかったとしたら、人類は地上で進化することはできなかったでしょう。けれども秘儀に参入した人たちは、すでにもう今日の人間が見るような世界を見ていました、ただ、それに結びついていたのは異なった魂状態、異なった心情でした。彼らにとって、今日私たちが感覚によって知覚する際に外的事物を鋭い輪郭で体験するように、秘儀参入者たちが鋭い輪郭で体験したものは、彼らにとってはいつも、神々からやってきたもの、人間の意識のために神々からやってきたものでした。よろしいですか、そうですね、稲妻が起こったとしましょう。ありありと思い浮かべてみましょう。さて、今日の人間は、皆さんもよくご存知のとおり、まさしく稲妻を見るように稲妻を見ます(図参照、上)。古い時代の人間はそのようには見ませんでした。彼が見たのは生きた霊的存在たちが動いていくようす(黄)で、稲妻の鋭い輪郭は完全に消えていました。それは、宇宙空間の上あるいはそのなかを前へと押し進んでいく霊存在たちの行軍あるいは行進でした。稲妻そのものは彼には見えませんでした。彼が見たのは宇宙空間を漂っていく霊たちの隊列でした。秘儀参入者はと言えば、彼もまたほかの人々と同様にこの行軍の列を見ましたが、彼のなかで開発された観かたにとっては、隊列の像が徐々にぼやけそして消えていく一方で、稲妻が今日誰もが見ているような姿で現われてきたのです。今日誰もが見ているような自然は、古えの時代においては秘儀参入によって獲得されなければなりませんでした。けれどもひとはこのことをどのように感じていたのでしょう。今日の人間が認識や真理を感じるときのような無頓着さでこれを感じるということはまったくありませんでした。このことはまったくもって道徳的一撃(落雷)とともに(mit einem moralischen Einschlag)感じ取られていたのです。秘儀の入門者たちに起こったことを観るなら、私たちはこう言わなければなりません。彼らは、のちには自然の流れによって誰もが到達できる自然観に導き入れられた。厳しい内的試練と試しを通過したわずかの者のみがこの自然観に導かれた。けれども彼らはまったく自然に即してこのような感情も持っていた、ここに通常の意識の人間がいる、彼は空気中を行進してゆく元素霊たちの隊列を見ているという感情を。しかしこのように観ることにより、通常の意識の人間には人間の自由意志が欠けていた。彼は神的ー霊的世界にすっかり身を委ねていた。と申しますのも、この目覚めながら夢見、夢見ながら目覚めている状態においては、意志は自由な意志として生きるのではなく、神的な意志として人間のなかに流れ込んでいたからです。そして、このイマジネーションから今や稲妻がやってくるのを観た秘儀参入者は、これをこう感じました、彼の導師を通じてこう語ることを学んだのです、私は、宇宙において神々なしでも動くことを許される人間でなくてはならない、神々はこの人間のために宇宙内容を不確定なもののなかへと投げ出すのだが、そういう人間でなくてはならないと。イニシエーションを受けた人たちにとって、彼らが鋭い輪郭のなかに観たものはいわば、神々によって投げ出された宇宙内容でした、秘儀参入者は神々から独立するためにそれに近づいていったのです。これは何らかの調停する要因がなかったら耐えられない状況であったろう、ということがおわかりでしょう。けれども調停する要因はありました。と申しますのも、秘儀参入者は、神に見捨てられ、霊に見捨てられたアジアを体験することを学ぶ一方、他方においては、第二ヒエラルキアにまで達する意識よりもさらに深い意識状態を知るようになったからです。秘儀参入者は、神のいない世界に、セラフィム、ケルビム、トローネの世界を知るようになったのです。アジア進化のある特定の時期、ほぼ中間期頃、時期についてはもっと厳密にお話しすべきでしょうが、これらの人々、つまり秘儀参入者たちの意識状態というのは以下のようなものでした。彼らは地上を歩き回り、地球領域についてほぼ現代人が見ているような光景を見ていたのですが、彼らは本来はこれを四肢のなかで感じていました。彼らは、自らの四肢が神の去った地球物([Erdenmaterie)のなかで神々から解放されるのを感じました。しかしその代わりに、彼らはこの神々なき土地で、セラフィム、ケルビム、トローネという高位の神々に出会ったのです。秘儀参入者である者は、単に、森の像、木々の像であったあの灰緑色の霊存在たちのみならず、秘儀参入者である者は、霊なき森をも知るようになったのです、けれどもその代わりに調停するものがありました。つまり森のなかで、ほかならぬ第一ヒエラルキアに属するものたちに、セラフィム、ケルビム、トローネの領域からの何らかの存在に出会ったのです。これらすべてが社会の成り立ちとして把握されるというのがまさしく古代オリエントの歴史的生成における本質的なことです。さらなる進化を促進する力は、若い種族と古い種族との間に調停を求める力です、その結果、若い種族は古い種族をもとで成熟することができます、支配された魂たちのもとで成熟することができるのです。このように遠くアジアを見晴るかしますと、私たちは至るところにこの、自分自身では思慮深くなることのできない若い種族が、侵略行為のなかに思慮深さを求めているようすを見出します。けれども私たちが眼差しをアジアからギリシアへと向けてみますと、状況はいくらか異なってくることがわかります。ギリシアにおいても、ギリシア進化の最盛期にもう、年老いていくことをむろん理解していたけれども、この老いていくことを完全な霊性で浸透するということは理解できなかった民族がありました。私はしばしば聡明なギリシア人のあの特徴ある表明、影の国の王であるよりは上の世界で乞食であるほうがよい(☆2)という表明に注目を促さなければなりませんでした。外なる死、及び人間の内にもある死と、ギリシア人はうまく折り合っていけませんでした。けれども他方においてギリシア人はこの死を自分のなかに有していました。ですから、ギリシア人の場合、思慮深さは内に衝動として存在していたでしょうから、思慮深さへの憧れはなく、ギリシア人の場合死への不安があったのです。若いオリエントの民族はこういう死への不安を感じることはありませんでした、彼らは、民族として死を正しいしかたで体験できなかったら、侵略に出かけていったからです。けれども、ギリシア人が死とともに体験した内的な葛藤、これが内的な人類衝動となって、私たちにトロヤ戦争として伝えられているものに通じていきました。ギリシア人たちは、思慮深さを内部に獲得するために、ほかの民族のなかに死を捜し求める必要はありませんでしたが、まさに自分たちが死から感じ取っていたもののために、死についての内的な生き生きとした秘密を必要としていました。そしてこのことが、ギリシア人自身と、ギリシア人のアジアでの後裔である人々との、あの葛藤を招いたのです。トロヤ戦争は憂慮の戦争(Sorgenkrieg)、トロヤ戦争は不安の戦争(Angstkrieg)です。トロヤ戦争において、小アジアの祭司文化を代表する者たちと、内部に死を感じてはいるけれども死に対して何らなすすべのないギリシア人たちが対峙し合っているのがおわかりですね。侵略に出かけていったオリエントのほかの民族は、死を欲していました、死を有していなかったからです。ギリシア人は死を有してはいましたが、死を扱うすべを知りませんでした。ギリシア人たちには、いくらか死を扱っていくすべを知るために、まったく別の一撃が必要でした。アキレウス、アガメムノン、これらの人々はすべて、死を自らのうちに担っていましたが、死について何らなすすべがなかったのです。彼らはアジアを見晴るかしました。そして、アジアには逆の状態の民族が、真反対の魂状態の直接的な印象に悩まされている民族がいました。向こうにいたのは、ギリシア人のような強烈さで死を感じることはなく、根本において死を生に逆らう何かと感じる人々です。ホメロスは実際これを驚くべきしかたで表現しました。トロヤ人がギリシア人に対峙させられる至るところにヘクトールやアキレウスといった特徴ある人物をごらんなさい。至るところにこの対立があります。そしてこの対立のなかに、アジアとヨーロッパの境界で起こることが表現されているのです。あの古えの時代においてアジアにはいわば死に対する生の過剰があり、死に憧れていました。ギリシア基盤のヨーロッパには、人間のなかになすすべを知られぬ死の過剰がありました。このようにヨーロッパとアジアは二重の観点から対立していたのです、つまり一方においてはリズム的記憶から時間的記憶への移行があり、他方には人体組織における死に対してのまったく異なった体験がありました。今日は考察の最後にこの対立を皆さんに暗示することができただけですが、これをさらに明日詳しく考察していきましょう、人類進化にこのように深く食い入っているあの移行、アジアからヨーロッパへと移ってきて、これを理解することなしには、根本において人類の現代の進化におけるどんなことも理解することができないあの推移のことををよく知るために。 (第2講・了)□編集者註☆1 『神秘的事実としてのキリスト教』:R・シュタイナー『神秘的事実としてのキリスト教と古代の秘儀』Das Christenthm als mystische Tatsache und die Mysterium des Altertums (GA8)*邦訳 『神秘的事実としてのキリスト教と古代密儀』石井良訳 人智学出版社☆2 影の国で王であるよりは … :ホメロス『オデュッセイア』第11歌 489-491 行、下界でのアキレウスの言葉。人気ブログランキングへ
2024年05月11日
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ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史(GA233)Die Weltgeschichte in anthroposophischer Beleuchtungund als Grundlage der Erkenntnis des Menschengeistes 翻訳紹介(全9講) 翻訳者:yucca●第1講 1923/12/24 ドルナハ (2001.5.22.登録)●第2講 1923/12/25 ドルナハ (2001.7.3.登録)●第3講 1923/12/26 ドルナハ (2001.8.10.登録)●第4講 1923/12/27 ドルナハ (2001.9.15.登録)●第5講 1923/12/28 ドルナハ (2001.11.22.登録)●第6講 1923/12/29 ドルナハ (2002.1.26.登録)●第7講 1923/12/30 ドルナハ (2002.2.10.登録)●第8講 1923/12/31 ドルナハ (2002.3.7.登録)●第9講 1924/1/1 ドルナハ (2002.4.6.登録)ルドルフ・シュタイナー人智学の光に照らした世界史 GA233 翻訳紹介:yucca第1講 1923/12/24 ドルナハ 今夕のクリスマス会議では、皆さんに地上の人類進化についての展望を示したいと思います、現代の人間というものをますます親密に強度に意識のなかに受け入れることに通じていくような展望です。全文明にとってこれほど重大きわまりないことが準備されていると申し上げてよいであろうまさにこの現代のような時代にあっては、深く考えるということをする人間なら誰しも、本来なら次のような問いを投げかけて然るべきでしょう、人間の魂の現在のような形での現われ、現在のような状態は長期の進化からどのようにして生じてきたのかという問いをです。と申しますのも、現在のものは、それが過去からどのように生じてきたかを理解しようとすることによって理解できるものになるというのは実際否定できないことでしょうから。さて、とは言え、まさにこの現代においては、人間と人類の進化に関して非常に偏見に支配されています。まずはこう考えられております。歴史上の全時代を通じて人間は魂的ー霊的生活に関しては本質的に今と同じようなものであったと。確かに、狭義の科学的なものとの関連でこう考えられているのです、古い時代、人間は幼稚で、ありとあらゆる空想的なものを信じていた。そしてつい最近になってようやく人間は科学的な意味でほんとうに賢くなったと。だが狭義の科学的なものというものを度外視すれば、今日の人間が有する魂状態をギリシア人もオリエントの人もおしなべてすでに有していたと考えられています。細部においては魂生活における変遷ということが考えられるにしても、全体としては、歴史上の時代を通じて本来すべては今日と同様だったのだと。つまり、歴史上の生活が先史時代へと流れるとすると、当時人間は正しいことは何も知らなかったと言われます。さらに時代を遡ると、当時人間はまだ動物のような姿をしていたと。つまり歴史を遡っていくと、魂生活はほとんど変わらないものと想像され、続いて霧のなかのぼやけた映像、そして、動物のような不完全な人間、いくらかなましな猿のような存在というわけです。今日ほぼこのように思い描かれるのが常となっていますね。これはまさにとほうもない偏見に基づいています。と申しますのも、このような想定をすることで、現代の人間と比較的そう昔でない時代。そうですね、十一、十、九世紀の人間との間にもすでにどれほど深い違いがあるか、あるいは、今日の人間とゴルゴタの秘蹟の同時代の人々、あるいは今日の人間とギリシア人との間においても魂状態にどれほど大きな違いがあるか、これを認識する努力がなされてないからです。さらに、ギリシア文明を一種の植民地(コロニー)、後期コロニーとしていたオリエント世界へと遡ると、私たちは現代の人間の魂状態とは全然異なる魂状態のなかに入っていきます。それで私はこれから、そうですね、およそ一万年ないし一万五千年くらい前にオリエントで生きていた人間が、ギリシア人とも、また例えば私たち自身ともまったく異なった状態であったことを、実例で、実際の事例で皆さんに示したいと思います。ひとつ私たちの魂の目の前に私たちの魂生活を据えてみましょう。私たち自身の魂生活から何かを取り出してみましょう。私たちは何らかの体験をします。諸感覚あるいは人格を通じて私たちは体験に関与するわけですが、私たちはこの体験から、理念を、概念を、表象を形成します。私たちはこの表象を思考のなかに保持し、表象はしばらくしてから記憶(想起/Erinnerung)として私たちの思考から意識的な魂生活のなかにまた浮かび上がってくることでしょう。皆さんは今日、そうですね、もしかしたら十年前の知覚体験に遡る何らかの記憶体験をお持ちだとします。さてここで、それが実際何であるか正確に捉えてください。皆さんは十年前に何かを体験しました。そうですね、皆さんは十年前にある人たちのパーティーに出かけ、その人たちひとりひとりの顔その他のついて表象を得ました。これらの人たちが皆さんに何を話しかけたか、彼らと一緒に皆さんが何をしたか、それぞれが云々を体験しました。これらは全て、今日像のかたちで皆さんの前に現われてくるでしょう。それは、たぶん十年前の出来事について皆さんのなかにあった内的な魂の像なのです。そして科学に従ってのみならず、ある普遍的な感情、当然のことながら今日ではもう極めて弱々しく体験されるだけとはいえたしかに存在している普遍的な感情に従って、体験を再びもたらすこのような記憶表象は人間の頭に位置づけられます。頭には、体験の記憶として現存するものがあると言えるのです。さてここで人類進化をかなり大きく跳躍しつつ遡ってみましょう、そしてオリエント地方の住人たち、今日の歴史で描かれる中国人、インド人その他は本来その後裔なのですが、この人々を眺めてみましょう。つまり私たちは実際に何千年も遡るわけです。この古い時代の人間に目を向けてみますと、その生活からして当時の人間は、私が外的生活のなかで経験し、行なったことについての記憶は私の頭のなかにあるとは言いませんでした。このような内的体験を人間は有しておらず、人間にとってそういうものは存在しなかったのです。人間はその頭を満たす思考も理念も持っていませんでした。今日我々は諸々の理念、概念、表象を有している、歴史上いつの時代にも人間は常にこれらを有していたと思うのは現代人の皮相さです。然し乍らそうではないのです。霊的洞察をもってじゅうぶん過去に遡ると、私たちは理念、概念、表象を頭のなかにまったく有しておらず、つまり、頭のでこのような抽象的な内容を体験することがなく、皆さんにはグロテスクに思われるかもしれませんが、頭全体を体験していた人間に行き当たります。これらの人間は私たちの諸感覚に見られる抽象性に関わることはありませんでした。頭のなかで理念を体験するというようなことを彼らは知りませんでした、けれども自分自身の頭を体験すること、これを彼らは知っていました。そして、皆さんがある体験にともなう記憶像を持つとき、この記憶像を体験に結びつけるように、皆さんの記憶像と外部にあった体験との間にある関係が成立するように、ちょうどそのように彼らは彼らの頭の体験を地球に、全地球に結びつけていたのです。彼らはこう言いました、宇宙(世界)には地球がある、宇宙には私がいて、私には頭が付いている。そして私が両肩の上に担っているこの頭、これは地球についての宇宙的記憶なのだ。地球は以前からあったが、私の頭は後からだ。けれども私が頭というものを持っていること、これが記憶なのだ、地球存在についての宇宙的な記憶なのだ。地球存在はなおも常にある、しかし人間の頭の全構成、全形態であるもの、これは全地球と関連している。このように、古代オリエント人は自身の頭のなかにこの地球惑星そのものの存在を感じていたのです。古代オリエント人は言いました、「神々は、自然界をともなう地球、数々の山河をともなう地球を、普遍の宇宙存在から創り出し、生み出した。一方この私は、両肩の上に頭を担っている。この頭は地球そのものの忠実な写し(模像)である。内部に血液の流れるこの頭は、地表の河の流れや潮流の忠実な写しである。地上で山脈の形に現われるものは、私自身の頭の中の脳の形のなかに繰り返される。私は両肩の上に、地球という惑星の私所有の写しを担っているのだ。」現代人が記憶像を体験に関係づけるのとまったく同じように、古代オリエント人は自らの頭全体を地球惑星に関係づけていました。よろしいですね、人間の内部観照(内視/Innenanschauung )というのもかなり異なっていたのです。続けましょう。古代オリエント人が地球の周囲を知覚し観照のなかに捉えるとき、この周囲、つまり地球を取り巻く大気的なものは、太陽と太陽熱及び太陽光に浸透されたものとして彼に現われます、そしてある意味で、地球の大気圏のなか太陽が生きてると言うことができるのです。地球は、自分から送り出す作用を大気圏に委(ゆだ)ね、自らを太陽作用に明かすことで、自らを宇宙万有に開きます。そしてこういう古えの時代には誰もが、自分が今まさに生きている地球の地域を、とくに重要なもの、とくに本質的なものと感じていました。しかも、そうですね、古代オリエント人は、地表のどこかの部分を、下は大地、上は太陽に向けられた周囲(の気圏)までを、自分の部分と感じていました。大地のその他の部分、左右前後、というのは、もっと普遍的な状態でぼやけていました(図参照、左部分)。挿入図:Sonnenzugewandter Umkreis(太陽に向けられた周囲/Erde:地球) つまりたとえば、インドの地に住むある古代インド人が、このインドの地を彼にとってとくに重要なものと感じたとき、地上のそれ以外の部分、東方、南方、西方は全部彼にとって消え去りました。ほかの土地で地球(地)が宇宙空間にどのように接しているかということは、さしたる関心事ではありませんでした。それに対して、まさに自分が立っている土地は彼にはとくに重要でした(図参照、左、赤)。その地域における地球(地)の宇宙にまで延びる生が彼にとってとくに重要となりました。この特別な地で自分はどのように呼吸すればよいのか、これを彼は自分にとって特に重要な体験と感じました。今日人間は、特定の土地でどのように呼吸するかと問うことはあまりありません。もちろん人間は、より好都合なものであれ不都合なものであれ諸々の呼吸条件の影響下にあるのですが、これは意識のなかに受け入れられることはないのです。古代オリエント人はもともと、どのように呼吸すればよいかというまさにそのやりかたにおいて深い体験を有していました、そしてこれに関連するもうひとつのこと、地球が宇宙空間へとどのように接していくかということにおいてもそうでした。地球全体であったもの、これを人間は自分の頭の中に生きているものと感じていました。けれども、この頭は、固い骨の壁によって、上、両側面、後ろに向かっては閉じられています。しかし頭には下に、胸郭に向かって、ある種の出口、ある種の開口部があります(前図参照、右)。古い時代の人間たちにとって、いかに頭が相対的な自由さをもって胸郭に向かって開いているかを感じることは、とくに重要なことでした。人間は頭の内的な構成を地球的なものの写しと感じました。地球を自分の頭と関係づけなければならないとき、人間は、周囲、つまり地球の上方にあるものを、自分のなかで下の方に向かうものと関係づけなければなりませんでした。下に向かって開くこと、心臓の方向に向けられること、人間はこれを、周囲に連なることとして、像として、宇宙に向かう地球の開け(あけ/Oeffnung)として感じました。そして人間が次のように言ったとき、それは人間にとって圧倒的な体験でした。私の頭のなかに私は全地球を感じる。この頭は小さな地球なのだ。けれどもこの全地球は、心臓を担う私の胸郭の中へと開いている。そして、私の頭と私の胸郭、私の心臓との間で起こること、これは、私の生から宇宙へと、太陽に向かう周囲へと担われていくものの写しである。さらに、古代の人がこう言ったとき、それは重要な根本的な体験でした、私の頭のなかに、私のなかに、まさにここに地球が生きている、私が下降すれば地球は太陽に向かう(矢印を参照)、私の心臓は太陽の写しなのだと。ここで人間は、古(いにし)えの時代における私たちの感情生活に相当するものに行き着いたのです。私たちはまだ抽象的な感情生活を有していますが、私たちの心臓については直接何も知りません。解剖学、生理学によって私たちは心臓についてなにがしかを知っていると信じています。けれどもこうして知られたことは、私たちが紙製の心臓模型について知っていることとおよそ変わらないのです。私たちが世界の感情体験として有しているものをかつての人間は持っていませんでした。その変わりに心臓体験を有していました。そして私たちが感情を、私たちとともに生きている世界へと関係づけていくように、ある人を好んでいるのか、ある人に反感を持って向かうのか、あれこれの花を好み、あれこれの花を嫌うのかを私たちが感じるように、つまり私たちが私たちの感情を世界に、とは言え、堅固な宇宙から空気のような抽象へともぎ離された世界、とでも言ってよいでしょうか、そう言う世界へと関係づけるように、そのように、古代オリエント人はその心臓を宇宙へ、すなわち地球から周囲へ、太陽へと向かうものに関係づけたのです。そして、今日私たちはたとえば、私たちが歩くとき、私たちは歩きたいと言います。私たちは、私たちの意志が四肢のなかに生きているのを知っています。古代オリエントの人間は、本質的に異なった体験をしていました。今日私たちが意志と呼んでいるものを、古代オリエントの人間は知りませんでした。私たちが思考、感情、意志と呼んでいるものが古代オリエントの民族にもあったと思うのは、偏見にすぎません。断じてそういうことはありませんでした。彼らが有していたのは、地球体験であった頭体験、太陽までの地球に隣接する周囲の体験であった胸体験ないし心臓体験だったのです。太陽は心臓体験にあたります。さらに彼らには、四肢へと伸び、広がっていくという体験、両脚と両足、両腕と両手の動きのなかに自身の人間性を感じるということがありました。彼らはその動きのなかにいました。四肢へと伸びてゆくこの伸長のなかに内在して、彼らは単に地球の周囲の写し(模像)のみを見出していたのではありません、彼らはそこに人間と星界との関係の写しを直接感じ取っていたのです(前掲図参照)。私の頭のなかに私は地球の写しを見る。頭のなかで心臓目指して胸へと下に開いて広がっていくもののなかに、私は地球の周囲の写しを見る。私の両手両腕、両足両脚の力と感じるもののなかに、彼方の宇宙空間に生きている星々と地球との関係を写し取るものがある。ですから、あの古えの時代の人間が今日そう呼ばれるであろうところの意志する人間として得た体験を言い表わすとき、私は歩く、とは言いませんでした。そういう言葉では言い表わせなかったのです。私は座るとも言いませんでした。古い言葉のこういう精妙な内容をよく吟味してみるなら、「私は歩く」と私たちが表現する事実に対して、古代オリエント人では、火星が私に衝動を与える、火星が私のなかで活動していると表現されることがいたるところで見つかるでしょう。前進するということは、両脚のなかに火星衝動(Marsimpulse)を感じることです。「何かをつかむ」という手にともなう感情は、金星が私のなかで作用すると表現されました。何かを指すこと、乱暴な人間がほかの人をけ飛ばすことで何かを示そうとすることであれ、何かを指し示すことはすべて、水星が人間のなかで作用すると言うことによって表現されました。座るということは人間のなかの木星活動でした。そして、休息するにせよ、怠慢のためにせよ、横たわるということは、土星の衝動に身を任せると言うことによって表現されました。このように人々はその四肢のなかに外部はるかに広がる宇宙を感じていたわけです。地球から宇宙の彼方へと歩みを進めると、地球からその周囲へ、星領域へと至るということを人間は知っていました。頭から下へ降るとき、人間は自分自身の本質のなかで同じことを行なうのです。人間は頭においては地球のなかにいます、胸郭と心臓においては[地球の]周囲に、四肢においては外部の星宇宙にいるのです。ああ、哀れなわれわれ現代人は抽象思考を体験するのだと私は申し上げたいのですが、ある観点からすれば、こう言うことはまったく可能なのです。それがどれほどのものでしょうか。私たちは抽象思考をたいそう誇りにしていますが、自らのきわめて利口な抽象思考に夢中になるあまり自分の頭のことを忘れています。私たちの頭というものは、私たちの最も利口な思考よりもはるかに内容豊かなのです。脳のただひとつの回旋ですら、解剖学も生理学も脳の回旋の驚くべき秘密について多くを知ってはおりません。人間の誰それかの最も天才的な抽象の学よりもすばらしく圧倒的なものです。そしてかつて地球上には、人間が単にみすぼらしい思考だけではなく、自分の頭を意識していた時代、人間が頭を、そうですね、私が思いますに、四丘体(Vierhuegelkoerper)や視床(視丘/Sehhuegel])を感じていた時代、それらを人間が地球の特定の物質的な山の成り立ちを模写しながら感じていた時代があったのです。当時人間は単に何らかの抽象的な学説から心臓を太陽に関係づけていたのではありません、そうではなく人間はこう感じていたのです、私の頭と私の胸、私の心臓の関係のように、地球は太陽と関係があると。それは、人間がその生全体をもって宇宙万有と、宇宙(コスモス“cosmos”は、「秩序ある調和のとれた宇宙」)と合体していた時代でした。しかもこの合体は人間の生全体のなかに現われていました。とは言え私たちは、頭の代わりにみすぼらしい思考を据えることによってこそ、思考的な記憶というものを得る状態に移ったわけです。私たちは、私たちが生きてきたものについての思考像を、私たちの頭の抽象記憶として形成します。思考を有さず、まだ頭を感じていた人にはこれはできませんでした。思考を持たないひとは記憶を形成することはできなかったのです。ですから、人々がまだ自分の頭を意識していて、思考、つまり記憶も有していなかった太古オリエントのあの地域に入っていくと、私たちにまた必要となってくるものが、特殊な形で見出されます。人間は長い間それを必要としませんでした。それで、私たちにそれがまた必要となるというのは、実際のところ私たちの魂生活のちょっとしただらしなさというものです。私が話しましたあの時代、私が話しましたように頭を、胸を、心臓を、四肢を意識していた人たちが生きていた地域に入っていきますと、いたるところで、地面に何か小さな杭が打ち込まれていたり、何かしるしになるものが立てられていたり、何かの壁に何かしるしが付けられていたりといったことが見られます。人間の生きるあらゆる領域、あらゆる生の場所は目印だらけでした、当時まだ思考記憶というものがなかったからです。そこに建てられた目印を手がかりに、できごとをふたたび体験したのです。人間はまさに頭において地球と合体していました。今日人間はただ頭のなかにメモ(覚え書き)をするだけです。そして私が申しましたように、私たちは頭のなかにメモをとるだけではすまず、メモ帳その他にもメモをとるということをまた始めましたが、これもやはり申し上げましたように、「魂のだらしなさ」というものです。私たちはますますメモ帳を必要とするようになるでしょうけれども。けれどもかつては、思考、理念というものがそもそも存在していなかったために、頭のなかにメモするということはあり得ませんでした、それであらゆるところが目印だらけだったわけです。そして人間のこの自然に即した資質から、記念碑建造ということが生まれたのです。人類の進化史に登場してくるものはすべて、人間の性質の内部から条件付けられているのです。記念碑を建造することのほんとうの深い根拠を、現代の人間はまったく知らないのだということを正直に認めなくてはならないでしょう。現代人は慣行として記念碑を建てます。けれども記念碑というのはあの古い目印の名残なのです、当時人間はまだ今日のような記憶を持っておらず、何かを体験した場所に目印をしつらえ、そしてふたたびそこにやってくるたびに、どういうしかたであれ、地球と結びついているものすべてを甦らせることのできる頭のなかでその体験を甦らせるというやりかたに頼らざるを得なかったのです。私たちは頭が体験したことを地球に委ねる。これが古えの時代の原理でした。私が申し上げたいのは、古代オリエントにおいて、太古の時代、つまりすべて記憶にのっとったものが本来的に、地上に記憶のしるしを建てることと結びついていた、場所化された(ひとつの場所に結びつけられた、局所化された)記憶(想起/lokalisierte Erinnerung)の時代を認めなくてはならないということです。記憶は内部にはなく、外にあり、いたるところに記念碑や石碑がありました。人々は地面に記憶の目印を据えました。これが場所化された記憶(Gedaechtnis)、局所化された記憶(想起)です。人間の内部に見られる記憶ではなく、人間と地上の外界との関係のなかで繰り広げられ、形づくられるかつての記憶に何かを結びつけるというのは、今日でもなお、人間のスピリチュアルな進化のためには本来非常に良いことなのです。例えば、私はあれこれを憶えておくのではなく、あちこちに目印をしておこうと言うのは良いことです。あるいは、私はあることについて、目印にしたがって内なる魂的な感受性を発達させるだけにしようと。私は部屋の一隅に聖母像を掛けよう、そしてこの聖母像が私の魂の前に現われることで、まさに私の魂が聖母に向けられるなかで体験されうるものを体験したいと。と申しますのも、私たちが少しばかり東方に行くだけでも、私たちが居間で出会う聖母像といったような調度品に対する繊細な関係が見られるからです。ロシアにおいてのみではなく、東欧の中部においてもう至るところでそうなのです。基本的にこれらすべては場所化された記憶の時代の名残です。記憶は外部の場所に固着していたのです。けれども、人間が場所に結びついた記憶からリズム化された記憶(rhythmisierte Erinnerung)へと移行する第二の段階はまた異なっています。つまり、第一に場所化された記憶、第二にリズム化された記憶となっていきます。人間は今や巧妙に意識された技巧からではなく、自身の内なる本質から、リズムのなかに生きようという欲求を発達させます。人間は何かを聞くたび、聞いたものをあるリズムが生じてくるように自分の中で再生しようという欲求を発達させました。牛(モー/Muh)を体験すると、人間はそれを単にモーではなく、モーモー(Muhmuh)と呼びました、あるいはもっと古い時代になると私が思いますにはモーモーモー(Muhmuhmuh)と呼んだでしょう。つまり、知覚したものを、あるリズムが生じてくるように積み重ねていったのです。今日においてもこのことをたどることのできる語形成がいつくかあります、たとえばガウガウ(Gaugauch)あるいはカッコウ(Kuckuck)、 といったものです。あるいは、語形成が直接順次並んでいるというのではなくても、少なくとも子どもたちの場合にはこうした繰り返しを形成する欲求がまだあるということはおわかりになるでしょう。これはまだ、リズム化された記憶がはびこっていた時代の遺産なのです、単に体験されただけのものは記憶されず、リズム化すること、つまり繰り返し、リズミカルな反復のなかで体験されたもののみが記憶されていた時代の遺産です。ですから並んでいるもの同士の間には、少なくとも類似がなければなりませんでした、マン(人間/Mann)とマウス(ねずみ/Maus)、シュトック(杖/Stock)とシュタイン(石/Stein)というように。体験したものをこのようにリズム化すること、これは、あらゆるところでリズム化しようとする高度な憧れの最後の名残なです。と申しますのも、場所化された記憶に続くこの第二の時代においては、人間はリズム化されなかったものを記憶にとどめることはなかったからです。そしてもとをたどればこのリズム化された記憶から、古来の全詩学(Verskunst)、韻文による文芸一般が発達してきたのです。次いで第三段階となってようやく、私たちが今日まだ知っている時間的な記憶(zeitliche Erinnerung)というものが形成されました。私たちはもはや空間としての外界には記憶の手がかりを持たず、もはやリズムにも頼ることはできません、時間のなかに置かれたものを後から再度呼び起こすことができるだけです。私たちのこういうまったく抽象的な記憶は、記憶進化のなかの第三の段階なのです。さて、人類進化のなかで、まさにリズム的記憶が時間記憶に移行する時点に正確に注目してください、現代人の痛ましい抽象性のなかで私たちには自明である時間記憶というものが最初に現われる時点に。時間記憶にあっては、私たちが呼び起こすものは像のなかに呼び起こされ、私たちはもはや、何かを再度生じさせたければ、なかばあるいは完全に無意識的な活動のなかでリズミカルに反復しながらそれを呼び起こさなければならないという体験をすることもありません。リズム的記憶から時間的記憶へのこの移行の時点を想定していただくと、古代オリエントがまさにギリシアへと植民してくるあの時点、歴史上、アジアからヨーロッパへと創設された植民地の成立として記述されているあの時点となるでしょう。アジアあるいはエジプトからやってきてギリシアの地に居を定めた英雄たちについてギリシア人たちが物語ることは、もともとはこういうことを意味していた物語だったはずです、つまり、かつて偉大な英雄たちがリズム的記憶が存在していた国を去り、リズム的記憶を時間的記憶、時間記憶へと移行させることのできる風土を探し求めていたと。これをもってギリシア精神(グリーヒェントゥム)出現の時点が正確に示されます。と申しますのも、ギリシア精神の母なる地あるいは元なる地としてオリエントにあったものというのは、根本的にいってリズム記憶を発達させていた人々の地域だからです。そこではリズムが生きていました。そもそも古代オリエントというのは、人間がこれをリズムの地と思い浮かべるときにのみ正しく理解されるのです。そして楽園(パラダイス)というものが聖書がそうしているところまで元の場所に引き戻されるなら、つまり私たちが楽園をアジアに移すなら、もっとも純粋なリズムが宇宙を貫いて響き、リズム記憶であったものが人間のなかで再び燃え上がらされ、リズムを体験する者としての人間がリズムを生み出す者として宇宙のなかに生きていた地域を私たちは思い浮かべたことでしょう。みなさんがバガヴァッド・ギーターのなかに、かつてあの雄大なリズム体験であったものについてなおいくばくかを追感されるとき、ヴェーダ文学のなかにそれを追感されるとき、さらに西アジアの文芸と西アジアの文献の多くのもののなかにもそれを追感されるとき、こういう現代の言葉を使うことが許されるなら、そこにはかつて全アジアを荘厳な内容で貫いていたリズムの余韻が生きています、地球の周囲の秘密として人間の胸郭のなかに、人間の心臓のなかに反映していたリズムの余韻が。そして私たちはもっと古い時代へと入っていきます、リズム的な記憶が場所化された記憶へと後退してゆく時代、人々が何かを体験したら目印を立ててそれを頼りとしていた時代です。人々がその場所にいないときは目印は用いられず、その場所にやってきたときに彼らは思い出さずにはいられませんでした。けれども人々が思い出したのではなく、目印が、地球が彼らに思い出させたのです。そもそも地球というものが、人間の頭をその写しとして持っているように、今や地上の目印も、場所化された記憶を有するこうした人々の頭の中に写し取られたものを呼び起こすわけです。人間はまさに地球とともに生きており、人間はまさに地球との結びつきのなかにその記憶を有します。福音書も、キリストが地面に何かを書き込むと伝えるある箇所で、まだこのことを思い起こさせます(☆1)。そして私たちは、場所化された記憶がリズム的記憶に移行する時点を確定することができます。それは、古アトランティスの沈没にともない、西から東へ、アジアに向かって、太古の後アトランティス民族たちが移動していく時点です。と申しますのも、ヨーロッパからアジアへと移動していくときに、今日大西洋の底にある古アトランティスからアジアに向かっての移動(図参照)がまずあり、それから文化がヨーロッパへと再び戻ってくるからです。アトランティス民族のアジアへの移動の際に場所化された記憶からリズム化された記憶への移行が起こり、リズム記憶はアジアの霊生活のなかで完成を見ました。次いで、ギリシアへの植民の際に、リズム的記憶から今日なお私たちが有しているような時間的記憶への移行が起こります。挿入図:記憶の移行1-2-31-lokalisierte Erinnerung:場所化された記憶2-rhythmisierte Erinnerung:リズム化された記憶3--zeitliche Erinnerung:時間的な記憶 アトランティスの大変動とギリシア文明の成立との間の全文明、歴史的にというよりは多分に伝説的、神話的に古えのアジアから私たちに響いてくるすべては、このように記憶が養成されてくるなかにあります。私たちは、とりわけ外的なものに目を向けることによって、つまり外的な文献を調べることによって、地上の人間の進化を学ぶのではありません、人間の内部に生きているものの進化発達に目を向けることによって、記憶力、記憶能力というような何かがいかに外から内へと進化してきたかに目を向けることによって学ぶのです。こういう記憶力が今日の人間にとってどういう意味を持つのか、みなさんもご存じでしょう。みなさんも、人生の覚えておいてしかるべき部分を突然病的なしかたで消し去ってしまった人たちについてお聞きになったことがあると思います。私の親しくしていたある人は、次のようなことが起こったことによって死の前におそるべき運命を経験しました。ある日のこと彼は自宅を出て、駅である地点までの切符を買い、それから下車してまた切符を買いました。その間、切符を買うまでの彼の人生の記憶は一時的に彼の内部で消し去られていたのです。彼はすべてを賢明に行ない、知性はまったくもって健全でしたが、記憶は消えていました。その後の彼は記憶を再び以前のものに結びつけることで、ベルリンの浮浪者収容施設にいる自分を見出しました、彼はそこに辿り着いていたのです。後に確かめられたことによると、彼はそうこうする間、この体験を以前の体験に結びつけることができないまま、ヨーロッパを半周の旅をしていたということです。彼が自分ではまったく分からずに、この浮浪者のためのベルリンの収容施設に着いたあとで、ようやく記憶が明るくなってきたのです。これは私たちが人生において出会う数多くの事例のひとつにすぎませんが、この例で、記憶の糸が私たちの誕生後のある時点までとぎれないままでなかったら、現代人の魂生活はいかに損なわれたものとなるかかがわかります。このことは、場所化された記憶を発達させていた人間の場合にはあてはまりません。彼らはそもそもこういう記憶の糸などというものを知りませんでした。けれども、自分の体験を思い出させてくれる記念物に土地のいたるところで囲まれていないとしたら、彼らが自分で建てた記念物にも、彼らの父たち、姉妹たち、兄弟たちその他によって建てられ、作りが彼ら自身のものによく似て見えるために彼らを親族のところに導いてくれる記念物にも囲まれていないとしたら、彼らは魂生活において不幸であることでしょう、何かが私たちの内部で自己(Selbst)を消し去ったときに私たちがなるような状態になるでしょう。私たちが内的に私たちの健全な自己の条件と感じているものが、これらの人々にとっては外的なものだったのです。人類におけるこの魂の変遷を私たちの魂の前に引き出してみることによってのみ、この魂の変遷が人類の歴史的進化において持つ意味へと至ることができます。こういうことを考察することによって、歴史ははじめて光を放ちます。それで私はまず最初に、ある特殊な例を手がかりに、人類の魂の歴史は記憶力に関してはどのようなものであるかということを示したいと思ったのです。さらに明日以降、このように人間の魂の学(Seelenkunde)から引き出される光で照らすことができてはじめて、歴史上の出来事はその真の姿を表わすだろうということを見ていきたいと思います。□編集者註☆1 福音書も[…]このことを思い起こさせます:ヨハネ8,6参照のこと。人気ブログランキングへ
2024年05月10日
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ルドルフ・シュタイナー「キリスト衝動の告知者としてのノヴァーリス」 1912年12月29日、ケルンでの講義(GA143所収) yucca訳:以下に訳出してみましたのは、GA(シュタイナー全集)143 Erfahrungen des Uebersinnlichen.Die drei Wege der Seele zu Christus 所収の1912年12月29日ケルンでの講義です。 ノヴァーリス(Novalis1772-1801 本名 Friedlich von Hardenberg 作品『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』(青い花)、『ザイスの学徒たち』など)についてはほかの著作、講義でも触れられていますが、この1912年12月29日は、連続講義「バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡」(GA142)の第2日目にあたり、「バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡」の内容との関連も深く、古インドのヴェーダやサーンキヤ哲学の余韻がゲーテやフィヒテに響いていることなどがここでも語られています。ノヴァーリスは、こういうゲーテやフィヒテ、そしてシラー等の形成する豊穣な精神的地平のなかに育ち、深く共感・沈潜しながらその内容を血肉化し、さらにこれらをいわば未来へ向かって、愛=キリスト衝動で貫き暖める。このノヴァーリスが、新しい精神潮流(この翌年シュタイナーは神智学協会を離れ、人智学協会を発足させます)の導きの星のひとつとされているのが印象的です。「夢幻的な浪漫派詩人」としてのノヴァーリスにとどまらず、30年に満たない生涯のなかで、カントやフィヒテ研究をはじめ、鉱山官としての実際的な仕事に加えて(とくに『青い花』の第5章などでは、鉱山実務に携わった人ならではの体験が活かされています)数学、化学、物理学等々当時の自然科学全般に深く親しみ、膨大なメモを取りながら、精神と自然のあらゆる学の分野を綜合する「百科全書学(エンチュクロペディー)」を構想していたノヴァーリス。高次の自然学としての詩学を追求するノヴァーリスと芸術を認識原理としてとらえながら諸学に生命を吹き込むことを目指したシュタイナー、こういう点でも、ちょうどシュタイナーの一世紀前に生きたノヴァーリスの志向は、シュタイナーの精神科学的人智学の魅惑的な序曲のようにも思えます。*「すべて、見えるものは見えないものに、聞こえるものは聞こえないものに、感じられるものは感じられないものに付着している。 おそらく、考えられるものは考えられないものに付着しているだろう」(ノヴァーリス)。参照画:Novalis このように、私たちの愛するノヴァーリスの心の響き、彼をかくも親密にキリストの使命について告知することに導いたこの心の響きを聴きますと(☆1)、私たちは私たちの精神潮流を正当さを証しする何かを感じます、と申しますのも、その全性質が宇宙の謎と宇宙の秘密のすべてと深く親しんでいた人物から私たちはそれを感じるからであり、私たちが目指すのと同じ世界観を通じてこれからの新しい人間が求めていかなければならないあの霊的世界への憧れのように、何かがこの人物から響いてくるのを感じるからです。ノヴァーリスがそうであったような、そのような人間の心魂のなかに沈潜していくのは、驚くべきことです。ノヴァーリスはヨーロッパの精神生活の何という深みから成長し、霊的世界への憧れを何と深く把握したことでしょう。そしてさらに、ノヴァーリスがその受肉においていかに若々しい心のなかにこの霊界を流れ込ませたか、そしてこの霊界が彼に向かっていかにキリスト衝動により輝きわたらされたかをそのように私たちに作用させるなら、私たちはこれを、私たち自身の魂、私たち自身の心を奮い立たせるもののように感じるでしょう、ノヴァーリスの前に常に神々しい光のように輝いていたものに向かって、ノヴァーリスがその短い生涯をかけて目指したものに向かって、彼とともに邁進して行こうと。そして私たちは、彼がこの受肉において、私たちが霊界において探求しようとするもののための近代における預言者のひとりであったことを感じます、さらにまた、ノヴァーリスの心、魂のなかに生き、そしてキリスト衝動に親密に貫かれることで彼のものとなったあの霊感(Begeisterung)によって、この探求のためにいかに私たちがもっともよく霊感を吹き込まれうるかということも感じます。そしてまさしく今この瞬間、つまり一方においては人間の謎のすべてを自らのうちに包み込もうとする人智学協会を設立し、他方においては、オリエントからかくも輝かしく射してくる光(☆2)をキリスト衝動との関連においても考察しようという現在のこの瞬間、私たちはこの瞬間においてキリスト衝動のひとつの現われとしてこのノヴァーリスの魂のなかに生きたものと結びつくことが許されるでしょう。私たちは、それがかつて古代ヘブライにおいて偉大な預言として、創造から迸る意義深いエリヤの言葉として響いていたのを知っています。私たちは、それが宇宙的なキリスト存在がナザレのイエスの体に下ったときにそこに居合わせた衝動であったことを知っています。私たちはそれが、人類進化に組み入れられるべきものを当時預言として前もって告知していた衝動と同じ衝動であったことを知っています。私たちはそれが、ラファエロの魂のなかで人間の注視の前にキリスト教の無限の秘密を不可思議に現出させたのと同じ衝動であったことを知っています。そして憧れに満ち謎を感じつつ、私たちは、ノヴァーリスの中に再受肉したエリヤの、洗礼者ヨハネの、ラファエロの魂に向かい、この魂とともに、その霊的な振動のすべてが人間の新たな精神生活への憧れを貫き燃え立たせているのを感じます、そして勇気を感じ、さらには人類のこの新たな精神生活に向かって生きていく力のいくばくかが私たちに与えられるのを感じます。おお、このノヴァーリスは、いったいなぜスピリチュアルに捉えられるべきキリスト衝動を預言的に告知すべく近代に生まれ落ちたのでしょうか。彼をめぐるその精神的地平は、実に全人類の偉大な精神潮流が復活したかのようでした。ノヴァーリスは、ヨーロッパの神智学ー人智学的世界観の最初の告知のごとく精神生活そのものが燃え上がっていたグループのなかから成長しました。ゲーテという太陽、シラーという太陽の輝きのなかで、キリスト衝動へと止むことなく憧れるこの魂は成熟していったのです。ゲーテのなかにはどのような精神潮流が生きていたのでしょう。霊太陽はゲーテを通じてどのように顕われ、ゲーテの若き同時代人ノヴァーリスを照らしたのでしょう。ゲーテは、自らの熱く燃えさかる情熱を静め至福に導き霊へと向かわせることのできる全てを、スピノザの世界観から感受しようとしました(☆3)。スピノザの包括的世界観から、ゲーテは宇宙の広がりへの眺望、この宇宙の広がりを織りなし人間の魂のなかに輝き入る霊的存在たちへの眺望を探し求めました、この存在たちが輝き入ることで、人間の魂はあらゆる存在と宇宙のなかに活動し生きているこの存在を感じ認識して、自然を解明し自身の謎を解くことができるのですが、そういう眺望を求めました。このようにゲーテは、スピノザから得られたものから清澄さと観照へと跳躍しようと努めたのです。ゲーテは、古いヴェーダの言葉から私たちに響き輝いてくる、あのスピリチュアルな意味での一神論的な(monotheistisch)世界観のいくばくかを感じていました。そして、耳を傾けようとしさえすれば、ゲーテが再生させる宇宙的ヴェーダ(☆4)の言葉とノヴァーリスから響いてくる暖かい霊感が、宇宙のキリストの秘密のなかでこの上なく美しく共鳴しているのを聴くことができます。キリストを告知するノヴァーリスの言葉が、ゲーテの光に満ちた言葉のなかに流れ込むのを感じるとき、ゲーテのヴェーダの言葉から私たちに光が迸り、光の中に愛と熱が流れ込みます。さらに私たちが別の位置でのゲーテ、つまりゲーテは、宇宙ー統一認識を十全に知覚しつつ、どの魂にもライプニッツ的な意味での独立を認めるのですが(☆5)、そういうゲーテをとらえるとき、サーンキヤ哲学(☆6)の再生の響きであるヨーロッパのモナド論が、言葉の上ではなく心情に即してゲーテから私たちに吹き寄せてきます。サーンキヤ哲学の再生の響きのように当時のヴァイマール、当時のイェナが体験したものすべてへと、ノヴァーリスはキリストに向けられた心とともに成長していきました。そして時にひとは、フィヒテのようにその生硬さのなかで近代的なニュアンスでサーンキヤの心情に浸透された精神を感じ、そしてその精神の傍らに、帰依に満ち熱中しつつその精神を受け入れるノヴァーリスを思うとき、いかにこの精神が時代の真の精神へと和らげられたかを感じるのです。一方ではフィヒテの独特に再生された古インドの言葉が聞こえます、我々を取り巻く世界は夢にすぎず、通常の思考は夢の夢にすぎない、しかしこの夢の世界に力として意志を注ぎ込む人間の魂は現実であると。フィヒテの新たに再生されたヴェーダの言葉(☆7)はこのようなものでした。その傍らにノヴァーリスの確信があります。おお、ノヴァーリスはその確信をほぼこのように感じます。そう、物質的存在は夢で、思考は夢の夢だ、けれどもこの夢からは、人間の魂がその最も価値あるものと感じ感受し、そのように感じ感受しつつ精神的に行為しうるものすべてがほとばしり出ると。そしてノヴァーリスの魂はこの生の夢から、キリストに霊感を与えられた自我から、彼の名づけるところの魔術的観念論を、すなわち精神(霊)に支えられた観念論を創造するのです。そしてノヴァーリスの愛に満ちた魂が、同時代のまた別の精神の英雄のかたわらに立っているのを感じるとき、つまりその観念論によって世界に霊感を吹き込もうと試みたシラーに耳を傾けながら、ノヴァーリスの魂がこの英雄のかたわらに立っているのを感じるとき、さらにノヴァーリスがシラーの倫理的観念論を描き出すことで、彼自身の内部でキリストに霊感を与えられた心からいかに魔術的観念論を告知するかを感じるとき、私たちは、宇宙空間におけるいつもの状態よりもほとんど調和的に何かが結び付き合うのを感じるのです。それにしてもこれは何と深く私たちの魂に語りかけることでしょう、ノヴァーリスが感激してシラーについて書くとき(☆8、*1)の善良さ、ノヴァーリスの最も内面的なヨーロッパの親密な善良さとでも呼びたいこの善良さは。ノヴァーリスにとってシラーがそうであったもののために、人類にとってシラーがそうであったもののために、このシラーを讃えて語るノヴァーリスのこのような言葉を私たちに作用させてみるとき、そこには人間の魂の善意のすべてが、人間の魂の愛の能力のすべてが表現されています。この称讃を表明するために、ノヴァーリスはほぼ次のように言います。私たちが霊たちと呼ぶあの欲望を離れた存在たちが、シラーから流れ出るこれほどの言葉、これほどの人間の智を霊の高みで聴き取ることができるなら、私たちが霊たちと呼ぶ欲望を離れた存在たちですら、人間界に降(くだ)って受肉したいという願いではちきれそうになるだろう、このような人物から流れ出るこのような智を受け取ることを許された真の人類進化のなかで働きかけるために。愛する友人の皆さん。このように敬い、このように愛することのできるのは何という心でしょう。これは、混じりけのない真の献身的尊敬と愛の感情に身を捧げたいと思うすべてのひとにとって模範となる心です。このような心はまた、宇宙と人間の魂の秘密であるものをもきわめて平明に語ることができます。それゆえ、ノヴァーリスの口から発せられた言葉の数々も価値あるものです、三重の人間の潮流から霊へと、あらゆる時代を通じてかくも憧れに満ち、時にかくも光にあふれて鳴り響くことを許されたものを、あたかもふたたび鳴り響かせるかのごとく価値あるものなのです。このように彼は私たちの前に立っています、この三十歳に満たないノヴァーリス、この再生したラファエロ、この再生したヨハネ、この再生したエリヤは。このように彼は私たちの前に立ち、そして私たちはこのように彼そのひとを敬うことを許されています、このように彼は、霊的な世界観潮流のなかで追求される霊の啓示に加えて、私たちがいかに真正の心、真正の愛、真正の情熱、真正の帰依をも見出すことができるか、その道を教える数ある仲介者のひとりなのです、崇高な霊の高みから降ろしてこようとするものを、私たちが最も素朴な人間の魂にも流れ込ませることができるようになるための。と申しますのも、だれかれがこの新たな精神探究の理解しがたさについて何を言おうとも、この理解しがたいというのが真実でないということは、ほかならぬ素朴な魂、素朴な心情によって証明されるでしょうから。なぜなら彼らは、この精神潮流における私たちの追求によって霊の高みから降ろしてこられたものを理解するでしょうから。霊的な高みからのこの道を、私たちは単に、何らかの形である種の知的な精神生活のなかで自らに作用させうるひとたちのためのみ見出そうとするものではありません、真実と霊への憧れを持つすべての憧れる魂のためにこの道を追求していこうとするのです。そしてその平明さによってこそ十分深く捉えられねばならない「叡智は真実のなかにのみある」というゲーテの言葉(☆9)を私たちの序の言葉としたいように、私たちの目指す目標は次のようなものでなければなりません、つまり、私たちが求め耳を傾けるスピリチュアルな生活を、スピリチュアルな力の恩寵によって私たちに与えられるように変容させ、それがありとあらゆる憧れる魂に接近することができるようにこのスピリチュアルな生活を刻印することです。このように私たちは努めなければなりません。実際のところ私たちは、受肉のいかなる段階にあるにせよ、あらゆる探し求める魂への道を見出すべく、働きかけたゆまず心がけたいと思っています。受肉の秘密は奥深く、ほかならぬノヴァーリスそのひとのそれのような受肉の道が私たちにそのことを示してくれます。このノヴァーリス自身が一種の導きの星のように私たちの行く手に輝いています、彼を感じ従いつつ、認識において全力をあげて彼のところまで高まろうという良き意志を私たちが持てるように、また他方で、霊的なものを真実求めるいかなる人の心にも認識とともに押し迫っていこうという生き生きとした意志を私たちが育むように、その星は輝きます。このように、ノヴァーリス自身がかくも見事に語ったもの、そして私たちにとって決意するための一種の座右銘(モットー)でもありうるものが、人智学的な精神潮流の出発点で私たちの前に輝いているのです。精神の言葉が世界観を基礎付けるものであるとき、言葉はもはや単なる言葉ではなく、そのとき言葉は最高の魂にとっても最も素朴な魂にとっても輝き暖めるものとなります。これが私たちの憧れでなくてはなりません。これがノヴァーリスの憧れでもありました。ノヴァーリスはこれを美しい言葉に表現しています、私はこの言葉の最後を一語だけ変更して、愛する友人のみなさん、みなさんの心のためにこれをご紹介させていただいと思います。私はノヴァーリスのこの語を変えます、自分を自由な精神と思い込んでいるうるさがたは少々ご立腹かもしれませんけれどもね。そうしてノヴァーリスの美しい言葉のなかにあるもの(☆10)も、他の導きの星々とならんで私たちの導きの星となりますように。 数と図形がもはや あらゆる被造物の鍵でなくなり、 歌ったり口づけしたりするものたちが 学識深き人たちよりも多くを知るとき、 世界が自由な生へ、 そして世界へと立ち帰るとき、 それからふたたび光と影が結婚し ほんとうの澄みきった明るさが生まれるとき、 そして童話(メールヒェン)と詩のなかに ひとが永遠の世界歴史を識(し)るとき、 そのとき、ひとつの秘密の言葉を前に、 道を誤ったものたちの群はことごとく飛び去るだろう(*2)。 Wenn nicht mehr Zahlen und Figuren Sind Schluessel aller Kreaturen, Wenn die, so singen oder kuessen, Mehr als die Tiefgelehrten wissen, Wenn sich die Welt ins freie Leben Und in die Welt wird zurueckbegeben, Wenn dann sich wieder Licht und Schatten Zu echter Klarheit werden gatten, Und man in Maerchen und Gedichten Erkennt die ewgen Weltgeschichten, Dann fliegt vor einem(原文斜字) geheimen Wort Das ganze verkehrte Herden-Wesen fort.■編集者註☆1 このように私たちの愛するノヴァーリスの心の響き[…]を聴きますと:この発言の直前に、マリー・フォン・ジーフェルスによるノヴァーリスの「宗教的な歌」の朗唱が行なわれた。☆2 オリエントからかくも輝かしく射してくる光:1912年12月28日から1913年1月1日までの講義『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』(GA142)参照のこと。☆3 ゲーテは[…]スピノザの世界観から感受しようとしました:スピノザはーー新プラトン主義とデカルトから出発してーー汎神論的な必然性哲学を説いた。彼は倫理的な理想として情念からの解放を提示し、人間は存在物の必然的法則の明確な洞察によって導かれるべきであるとした。ーーゲーテは自叙伝『詩と真実』において、この世界観に影響されたことについて以下のように記している。「かくも決定的に私に作用し、私の思惟方法全体にかくも大きな影響を与えたにちがいないこの精神は、スピノザであった。つまり私は、私の不可思議な本性を教化するすべを見出すべくむなしく世界中を探しあぐねた末に、ついにこの人物の”エーティク”[エチカ]に行き着いたのだ。この作品から何を読み取ったにせよ、作品のなかへ何を読み込んだにせよ、私には釈明の余地はないだろうが、ともかく十二分に、私はこの作品に私の熱情を静めるものを見出した。それは私に感覚的道徳的世界について偉大にして自由な展望を開いてくれるように思われた。[…]すべてを宥和させるスピノザの静謐は、すべてを揺り起こす私の奮闘と対照をなし、スピノザの数学的方法は、私の詩的な感覚の使い方および叙述法の反対であった。そしてひとが倫理的対象に対してはふさわしくないとみなしたがったまさにあの法則的な扱い方こそが、私を彼の熱狂的な弟子、公然たる崇拝者としたのだ。精神と心、理性と感覚が必然的な親和力[Wahlverwandtschaft]をもってたがいに求め合い、この親和性を通じて異なった本性の一致が達成されたのである。」(14 巻第3部)「私は[スピノザの]読書に没頭し、私自身の内を見つめるにつけても、世界をこれほど明瞭に見たことはついぞないと思った。」(16 巻第4部)☆4 ヴェーダ:リシ(聖仙)によって啓示されたインド人の聖なる智慧。インド、インドゲルマン文献のうち最古の記録。☆5 ゲーテは、宇宙ー統一認識を十全に知覚しつつ、どの魂にもライプニッツ的な意味での独立を認めるのですが:1813年1月23 日ヴィーラントの埋葬の日、ゲーテはファルクとの対話のなかでこう述べている(ゲーテと個人的に親しく交流して書かれたファルクの『ゲーテ対話録』チューリヒ1969 第2巻、771頁)。「[…]私はあらゆる存在の究極の根本要素には、つまりいわば自然におけるあらゆる現象の原点(起点[Anfangspunkt])というべきものには、さまざまなクラスや序列があると思いますが、全体の魂化(魂を吹き込むこと)[Beseelung]はここから始まりますので、私はこれを魂[Seelen]、あるいはむしろ単子(モナド[Monaden])と呼びたいと思いますーーライプニッツのこの用語を憶えておいてください!最も単純なものの単純さを表現するのに、これ以上良い表現はないでしょうから。ーーさて、これらの単子ないし起点のうちのいくつかは、私たちに経験が示すとおり、非常に小さく取るに足らないものなので、せいぜい副次的な役割あるいは副次的な存在にしか向いていません。これに対して、非常に強く力強い単子もあります。この後者のような単子は、近づいてくるすべてのものを自分の圏内に引きずり込んで自分に帰属するものにしてしまうことを常としています、つまり、人体や、植物や、動物や、さらには天の星にまで変化させるのです。そして、その志向を霊的に内在させている小世界(小宇宙)あるいは大世界(大宇宙)が外的に姿を表わすまで、それは続けられます。この後者の単子のみを私は魂と呼びたいのです。その帰結として、世界単子、世界魂が存在するように、蟻の単子、蟻の魂が存在し、両者はその起源においては完全にひとつとは言えないまでも、元なる存在という点では親和性のある、ということになります。」☆6 サーンキヤ哲学:六つの古典的正統的なインド哲学体系のひとつ。シュタイナーの1912年12月28,29,30日の演『バガヴァッド・ギーターとパウロ書簡』(GA142)、また1909年9月16日の講演『ルカ福音書』(GA114)に見られるサーンキヤ哲学についての言及も参照のこと。☆7 フィヒテの新たに再生されたヴェーダの言葉:ヨーハン・ゴットリープ・フィヒテ『人間の使命』(1800年フランクフルト及びライプツィヒ)を参照のこと。第2巻「知識」には、「あらゆる実在/Realitaet)は、夢見られる生も夢見る精神もない不可思議な夢に転ずる、自己自身についての夢のなかで凝集する夢に。直観(直観すること/Anschauung)は夢であり、思考(思考すること/Denken)私が空想するあらゆる存在とあらゆる実在の源泉、私の存在の、私の力の、私の目的の源泉ーーは、かの夢の夢である」とある。☆8 ノヴァーリスがかつて感激してシラーについて書くとき:1791年10月5日、ノヴァーリスはイェナ大学哲学教授ラインホルト(1758ー1823)(*1)宛にこう書き送っている。「シラーは幾百万の凡人を超えています、私たちが霊たちと呼ぶあの欲望を離れた存在たちに、死すべき者となりたいという望みを抱かしめたのですから。シラーの魂は愛情をもって(コン・アモーレ con amore )自然を形づくったように見えます、彼の倫理的な偉大さと美は、彼自身がそこに住まう世界を、定められた没落から救済することができるでしょう[…]」ノヴァーリス著作集、Paul Kluckhohn 編、ライプツィヒ(出版年なし)、第4巻『書簡と日記』(Nr.21)22頁。☆9 「叡智は真実のなかにのみある」というゲーテの言葉:『箴言と省察』☆10 ノヴァーリスの美しい言葉のなかにあるもの:『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』[邦訳『青い花』未完]の遺稿に見られる詩。この続編を企図したティークの報告も参照のこと(Paul Kluckhohn 編ノヴァーリス著作集 第1巻『文芸作品』244,251頁)。最終行はノヴァーリスでは Das ganze verkehrte Wesen fort 「狂った(あべこべになった、道を誤った)ものはすべて飛び去るだろう」となっている。■訳註*1 ラインホルト:Karl Leonhard Reinhold ノヴァーリスはイェナ大学在学中にこのラインホルトとシラーに深く影響を受けた。ノヴァーリスはフィヒテをとくに深く研究したが(彼の父がフィヒテの学資援助者であった関係もあって個人的にも早くから交流があった)、フィヒテはラインホルトの後任として1794年からイェナの教授となった。*2 シュタイナーはこの詩の最終行にHerden(群れ)という一語を付け加えてHerdenーWesen としています。 『青い花』遺稿に見られるこの詩の邦訳をここにいくつかご紹介しておきます: もしも数と図形が、 すべての自然の鍵でなくなり、 もしもすべての自然が、深遠な学者が知っているよりも豊かに、 歌い、接吻するならば、 もしも世界が自由な命(いのち)のなかにおもむき、 自由な世界にもどるならば、 もしもそれから、光と影がふたたび結婚して、 まことの澄みきった明るさが訪れるならば、 そしてひとが童話(メールヒェン)と詩のなかに 真実の古い歴史を識るならば、 そのとき、一つの秘密の言葉をまえにして、 逆さまになっていたすべてのものが飛び去るだろう。 (中井章子訳) 最早数や図形などが すべての被造物を解く鍵ではなく、 歌ったり口づけし合う人々が 学者たちより知に勝るとき、 そして世界が自由な生へ、 <自由な>世界へふたたび帰り、 こうしてふたたび光と影が 真の明澄へと結び合わさり、 ひとびとが童話と詩の中に <古い>真の世界歴史を認識するとき、 ひとつの神秘な言葉の前に、 狂ったものはすっかり飛び去る。 (薗田宗人訳) もはや数学と図形が 全ての存在物をとく鍵とはならず、 歌い口づけしあうものたちが、 深い学識の人より多くを知るなら、 世界が自由な生活へと戻るならば、 そして再び光と影が交わって 真の光明に変じるならば、 メールヒェンと詩の中に、 <もとの>真の世界の歴史が認められるならば、 その時こそ秘密のひとつの言葉から、 狂ったものはすべて飛び去る。 (青山隆夫訳)※ドイツ・ロマン派の詩人ノヴァーリスの小説『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』(原題)の邦訳名である『青い花』は、肺結核による29歳前のノヴァーリスの死により未完に終わっています。1799年秋から翌年にかけて書き始められ、1802年に発表されました。ドイツロマン主義文学の未完の傑作。詩人を志す主人公ハインリヒの現実世界での冒険と出逢いと、心理世界における旅の記録。本作は未完であるがゆえ、後半の第二部は作者の友人やその他遺稿に基づく構想集となっている。本作がロマン主義の傑作たりえた理由はこの不完全性、「未完故の余白の多さ」にあるのではないか。未完ゆえに解釈の余白、構想が読者たちによってもたらされていく。そしてロマンの象徴である青い花は己の心や身近にしかないことを示す。参考画:Rose Blue Novalis人気ブログランキングへ
2024年05月09日
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ルドルフ・シュタイナー「精神的な探求における真実の道と偽りの道」 (GA243)佐々木義之 訳 トーケイ、ディヴォン、1924年8月11日-22日第十一講 精神的な探求と精神的な探求の理解とはどのような関係にあるか 今回の講義の中で私が触れたよりもさらに多くのことがらをつけ加えることはもちろん可能なのですが、今日はこのテーマ全体を総括することによって、それらを結論づけるように努力することにしましょう。今回の講義全体を通して私たちが取ったアプローチが投げかける重要な問題とは、人智学あるいは人智学として提示されるような精神的な探求に対する態度とはどのようなものであり得るか?ということです。今日、別の世界に関する人智学的な記述を感じ取り、それを完全に自分で検証することを可能にするような精神的な訓練や実践に直ちに取りかかることができる人はほとんどいないと思われます。では、そのとき、人智学が教えるところのものを理解するという点に関しては、どのような立場があるのでしょうか。 この問題は、人智学を取り上げなければならないという衝動、あるいは憧れさえをも感じるような人々の心のすぐ近くに横たわっているのですが、いつも間違った光の下に眺められ、正に、私がこの連続講義の中で擁護してきたような正しい手続きが把握され得ないために誤解される可能性が高い問題となっているのです。人々は次のように問うかも知れません。私が自分でそれをのぞき見ることができないとすれば、精神世界についてのこれらの記述は一体何の役に立つのかと。そこで、今日は、ざっとした分析の中で、この問題に触れてみたいと思います。自分で精神世界を探求できない限り、人智学の教えやその理解に対する正しい洞察を獲得することはできないと言うならば、それは真実ではありません。特に、現代においては、別の世界に関する事実を実際に発見するということがそれらの事実を理解するということから区別されるというのが本質的なことなのです。今日、私たちが知っているような人間について、彼は実際には別の世界に属しているのであって、彼の経験は別の世界から導き出されるのだということを思い起こすならば、この区別は皆さんにとって明らかなものになるでしょう。今日のように構成された人間にあっては、その一連の知識とその日常的な意識は彼が毎日の経験を通過する中で獲得されます。この意識は私たちの探求の出発点なのですが、それは、人間が目覚めて生活をしている間、ある限定された分野について、つまり、感覚知覚によって近づくことができるとともに、人間がその進化の過程で発達させてきたところの知性という手段によって把握し、説明することができるような世界の側面について、彼に一定の見通しを与えることができるだけなのです。人間は、その理解力によって、既に指摘したような漠としてはっきりしない仕方で、夢の中に、つまり現象世界の背後に隠された世界の中に貫き至ります。彼は、その魂的な生活の中で、彼が死と再生の間に通過する世界との接触を持つのですが、ただ、それは夢のない眠りの中においてであり、そこでの彼は、精神的な闇に取り囲まれ、通常は思い起こすことができない生活を送っているのです。人間は三つの意識状態-覚醒、夢、そして深い眠り-を知っています。しかし、彼はこの三重の意識によって近づくことができる世界の中でのみ生きているのではありません。と申しますのも、彼はその王国に多くの邸宅を持つ存在だからです。彼の肉体は、そのエーテル体が住む世界とは異なる世界に住んでおり、エーテル体はまたアストラル体とは異なる世界に、そして、その両方ともが自我とは異なる世界に住んでいるのです。そして、この三重の意識、はっきりとした覚醒意識、夢の意識、そして眠りの意識(意識が存在しないと言いたいかも知れませんが、それは減退した意識としてしか記述することはできません)は、今日見られるような自我に属しています。そして、この自我は内側を見るときにも三つの意識状態を有しています。それが外側を見るときには、目覚めの(昼の)意識、夢の意識、そして眠りの意識があるのですが、内側を見るときには、まず、はっきりとした知的な意識があります。次に、感覚意識、すなわち感覚生活があるのですが、これは通常、想像されているよりもはるかに不透明で夢のようなものです。そして、最後に、漠とした黄昏のような意志の意識があり、これは深い眠りの状態に似ています。通常の意識によっては、眠りの起源を説明できない以上に、意志の起源を説明することはできません。人間が意志の行為を遂行するときには、明確ではっきりとした思考が伴っています。さらにこの思考にはより不確かな感情が被せられています。感情に浸透された思考は四肢へと降りて行くのですが、その過程を通常の意識によって経験することはできないのです。私が昨日と一昨日お話しした種類の探求に対して意志が提示する図とは次のようなものです。つまり、思考が頭の中で何かを意志し、それが感情を通して体全体に移されることによって、人間が彼の体全体で意志する間、微妙で繊細かつ親密な燃焼過程に近い何かが生じるというような図です。人間は、秘儀に参入する意識を発達させるとき、熱の影響にさらされるところのこの意志の生活を経験することができるようになるのですが、それは通常の意識には隠されたままに留まります。これは意識下に横たわるものがいかに秘儀に参入する意識レベルにまで上昇させられるかを示すひとつの例です。昨日触れた本の情報がますます公のものとなるとき、人々は、人間によって遂行される意志の行為が秘儀に参入する意識の中で熟考されるとき、それはろうそくの光、あるいは暖かさを与える光の点火をも見ているような印象を与えるということに気づくことになるでしょう。私たちは、ちょうど、この場合には、外的な現象についての明確な像を有しているように、意志の中に沈殿したものとしての思考を見ることができるようになっているでしょう。そのとき、私たちは、思考が感情を発達させる、感情から、それは人間の中で下降する方向に向かいますが、暖かさの感情、人間の中の炎が発すると言います。そして、この炎が意志するとき、それは段階を追って点火されることになります。私たちはこの通常の意識を次のような図式で示すことができます。(「内的」 「外的」 明晰な思考 目覚めた昼の意識 感情生活 夢の意識 意志の意識 眠りの意識)さて、それにもかかわらず、精神的な世界を探求するためには、私たちは、必然的に、私たちの意識を私たちが意識的に理解しようとする世界に向けなければなりません。とはいえ、もし、私たちの探求の果実を正直に伝えようとするならば、口頭で伝えられる考えは、それとは別の意識形態を持つ言語によって表現されなければならないのです。多分、皆さんには、これは二重の過程である、ということがお分かりでしょう。私たちは、まず第一に、例えば、私が昨日説明したような人間の器官の世界を探求します。私たちは、人間が、その人生の経過を通して、精神世界に近づくとき、彼の中に突然現れる力を利用して問題の現象を探求します。私たちがそのとき見いだすのは、その理解の範囲内で現れる事実です。そして、世の中には、これらの事実に気づき、それを世界に伝える人たちがいるのですが、そのような人たちによって世界に伝達されるそれらの事実は、もし、私たちが必要な客観性をもってそれらを見るならば、通常の意識によって理解することが可能なのです。人間進化の過程においては、いつの時代にも、精神世界に関連した事実の探求に自らを捧げ、その探求の成果を他の人々に伝える少数の人たちがいたのです。さて、今日、あるひとつの要素がそのような知識の受容に不利に働いています。それはつまり、一般に、人々は、ある社会環境の中で、そして、彼らがただ事実の世界、感覚の世界、そして感覚の世界から導かれる論理的な情報だけを信じるようになるまでに彼らの習慣的な反応を条件づけるような教育システムの下で成長するということです。この習慣はあまりに強く、根深いために、人々の間には、「大学には、教えることに加えて現象世界のある実際の側面について研究する、あるいは、教育の分野で他の研究者が見いだしたことを確かめるような教育学部の卒業生がいる」と言う傾向があるほどです。誰もが彼らの発見を受け入れ、自分でその事実を探求しないときでさえ、それを信じているのです。この際限のない馬鹿正直さは特に現代科学のために取っておかれています。人々は、洞察を有している人にとっては、単に問題が多いというだけではなく、全くのうそであるところのものを信じているのです。この状況は何世紀にもわたる教育の結果として現れてきました。この教育の形態はそれ以前の世紀に生きた人間にとっては見知らぬものであった、ということを指摘したいと思います。彼らはまだ彼らの意志と感情に適合していた精神的な世界に対する古い洞察のいくらかをまだ保持しており、その中に参加していたために、精神的な事実を探求する人たちを信じる傾向の方がはるかに大きかったのです。今日の人々はそのような知識とは無縁です。彼らは、大陸においてはより理論的なものとして、イギリスとアメリカにおいてはより実践的なものとして今やしっかりと確立された観点に慣れ親しんでいるのです。大陸には、これらのことがらについての詳細な理論が存在する一方、イギリスとアメリカには、彼らにとってそれを克服するのが決して楽ではないようなそれらに対する本能的な感情が存在しています。何世紀も経過する間に、人類は現象世界に関連する科学的な観点に慣らされ、例えば、天文学、植物学、動物学、医学等を、有名校や学習センターで教えられるような形で受け入れるようになったのです。例えば、化学者が彼の実験室で何らかの研究に取りかかるとき、人々はそこでどのような技術が使われているのかをほとんど理解していません。その仕事は喝采をもって迎えられ、彼らは躊躇なく「ここには真実がある、信仰に訴えかける必要のない知識がある」と断言するのですが、実際、彼らが知識と称しているところのものは信仰なのです。現象世界を探求し、論理という道具によって現象世界の法則を確かめるために採用される方法の中には、ひとつとして精神世界についてのほんのわずかの情報さえも提供するものはありません。しかし、精神世界全体をそれなしで済ますことができる人もほとんどいません。そうできるという人は自分に正直なのではなく、そう思いこんでいるだけです。人類は精神世界について何かを知るという差し迫った必要を感じているのです。人々は、現在知られているような精神世界について彼らに何ごとかを語る人たちをまだ無視していますが、歴史的な伝統や聖書の教え、東洋の聖典についての話しを聞く準備はできています。彼らがこれらの伝統的な書物に興味を持つのは、それ以外には、精神世界との何らかの関係をもつという彼らの必要性を満足できないからです。そして、人々は、聖書や東洋の聖典が個々の秘儀参入者によってのみ探求されてきたという事実にも関わらず、それらの聖典は別の種類の見方を反映しており、現象世界の知識、科学的な知識とは関係がなく、信仰に依存し、信仰に訴えかけるものであると主張します。こうして、科学と信仰の間には厳格な仕分けの線が引かれ、人々は科学を現象世界に、信仰を精神世界に関連づけるのです。大陸の福音派教会の神学者たち、福音派や自然科学者の二元論を認めず、古い伝統を保持するローマカトリック教会の神学者ではありませんが、彼等の間に存在しているのは、知識には明確な境界線があり、信仰が問題になるのはその向こう側であるということを示すための無数の理論です。それ以外の可能性はないと彼らは確信しているのです。イギリスではそれほどまで悪夢に悩まされるということはありません。しかし、それは理論化することがそれほど一般的ではないからです。そこでは、科学が語るべきことには耳を傾け、信仰の中では-私は、信心家ぶってとまで言うつもりはありません-敬虔に生きることによって、これらふたつの領域を厳密に切り離しておくというのが伝統的な態度になっているのです。過去のある時代においては、俗人と学者がこの観点を採用していました。※プラトンとアリストテレスの師弟関係と思想対決:哲学者アリストテレスの師はプラトンで、プラトンの師はソクラテスです。つまりギリシア哲学は三代はっきりと連続性のある直接的な結びつきがあるわけです。そしてアリストテレスは観照的生活、現代に言う合理的を理想として自分でも学問一筋な生き方をしたが、師のプラトンやソクラテスはそうではありませんでした。つまり、弟子は師の教えるところを鵜呑みにして同意した「信仰」ではなく、その思考論理を学び自己実践したのです。哲学とは自己の思考を持って思想を確立することが本分だからです。参照画:Plato and Aristotle ニュートンは重力理論、つまり、正にその本性によって、いかなる精神的な見方の可能性も排除するところの空間概念に関する理論の基礎を打ち立てました。もし、世界がニュートンによって記述された通りのものであったとすれば、それは精神を欠くものであったでしょう。しかし、それを認める勇気を持ち合わせている人は誰もいません。神的-精神的な存在がニュートン的な世界の中で生き、活動し、その中に存在するということを想像することなど誰にもできないのです。けれども、精神を排除する空間と時間の概念は、この考えを信奉する人たちによってだけ最終的に受け入れられたのではなく、研究活動に独自で取り組む人たちによっても受け入れられることになります。ニュートン自身が後者のよい例です。と申しますのも、彼は精神的なものを排除する世界観の基礎を据えただけではなく、同時に、黙示録に関する自身の解説の中で、精神的なものを完全に受け入れているからです。現象世界の知識と精神世界の知識との間の結びつきは断ち切られてしまいました。今日、理論家たちはこの二元論のしっかりとした証拠探しに乗りだしています。そして、理論を信用しない人たちの思考と感情にこの考えを植え付けることによって、最終的に彼らを条件づけるためのあらゆる努力がなされているのです。他方、人間の知性、理解し、考えるための力、思考能力は、今日、もし、彼がそれらに対する意識的なコントロールを保持しているとすれば、理論によっては秘儀に参入する科学の教えを探求することはできないにしても、理論によってそれを把握することができる地点にまで達しています。本質的なのは、次のような観点が広く受け入れられるということです。つまり、精神世界への探求は以前の受肉からの力を現在の地上生において呼び出すことができる人たちによって引き受けられなければならない、何故なら、精神的な探求を行うために必要な力はそのような力から導かれるからであるが、この探求の結果はますます多くの人々によって受け入れられ、理解可能な考えの中に取り込まれることになるだろう。さらに言えば、精神的な探求の結果が他の人々の健全な理解力によって受け取られるとき、この理解力のお陰で、これらの人々が、精神世界について、本当の経験をするための道が準備されることになるというような観点がです。と申しますのも、しばしば述べてきましたように、精神世界に参入するための最も健全な道とは、まずそれについて書かれているものを読む、あるいは、それについて語られることを自分のものにするということだからです。もし、私たちがそれらの考えを受け入れるならば、それらは内的に生き生きとしたものになり、私たちは、理解する、ということだけではなく、カルマ的な発達にしたがって、超感覚的に見るということをも達成することになります。これとの関連で、私たちはカルマの考え方を深刻に受け止めなければなりません。今日の人間はカルマに関心を持っていませんから、ちょうど実験室で硫黄を分析するように、いわゆる超常現象と言われるものの起源を実験室的な手法によって分析できると信じていたり、通常ではない認識形態を示す人を、硫黄と同様に、実験室的な試験に供しなければならないと信じているのです。けれども鉱物としての硫黄はカルマを有していません。人体に関連した硫黄だけがカルマを有しているのです。何故なら、カルマに左右されるのは人間だけだからです。実験室において人間のカルマの一部を試験することが、もし、その探求が何らかの価値を持つべきであるならば、必要な前提条件となるであろうと仮定することは私たちにはできないのです。私たちが精神科学を必要とするのはこの理由によります。他の人の手助けによって精神世界の知識を獲得することを私たちに可能にするようなカルマ的な条件を探求することがまず第一に必要になるかも知れません。私の著書「神智学」の最近の版では、その最後のところでこのことが明確に説明されています。今日の人類にはこの考えを受け入れる準備ができていませんが、それは彼らが無能であるからではなく、保守的であるからなのです。けれども、それは途方もなく重要な考えなのです。私たちは直ちに精神世界の探求に取りかかる必要はない、しかし、他方で、もしカルマ的な必然性がないところでカルマの実験をしたり、私たちが理解しない技を使う霊媒たちを使って実験するというような望ましくないやり方を採用せず、この世に適した意識状態であるところの日常意識を頼りにするならば、私たちは秘儀に参入する科学が伝えるものについての完全な理解に至るであろうということに気づくこと、それが本質的なことなのです。もし、とりあえず自分自身で精神的な世界を経験できないならば、それを理解することはできないだろうと想像するならば、それはとんでもない間違いです。「自分でそれを経験できないならば、精神世界が何の役に立つのか。」と言うとすれば、それは今日よく犯される別の間違いを助長することになります。それは最も大きな、最も危険な、最も明らかな間違いを犯すことであり、人智学協会のような運動に携わる人たちは、そのことをはっきりと意識しているべきです。この物理平面上における人間の存在は別の世界における存在と結びついています。このことは、偏見のない見方に対しては、次のような事実、つまり、人間の経験とは、その経験全体という光の中で見たときには、人生における最も決定的な問題との関係で、ある意味では、それらが密接に関連しているにもかかわらず、お互いに無関係のように見えるために、通常の日常意識によっては理解されないという事実によって説明することができます。ですから、ここでは簡単な説明しかできませんが、まず最初に、人間の物理世界への参入と退出、つまり、誕生と死についてお話ししたいと思います。私たちの地上における人生の中で最も重大なできごとである誕生と死は通常の意識にとっては別々の現象のように見えます。私たちは、誕生に先立つものすべて、つまり、人間の受肉に関係するものすべてを私たちの地上における人生の始まりに関係づけ、死をその終わりに関係づけます。それらは引き離されているようにも見えます。しかし、精神的な探求を行う人にはそれらがますます接近するのが分かるのです。と申しますのも、もし、私たちが月の秘儀へと導く道を辿り、昨日お話しした仕方で夜を昼の中に召還するならば、私たちは、いかに肉体とエーテル体が誕生の過程の中でますます成長し、繁栄するようになるかを、つまり、いかにそれらが芽の状態から段々と人間の形を取るようになるかを、そして、いかに地上に生きる間、それらの活力が、35才になるまでは、ますます増加するとともに、その後は段々と減少し、衰退が始まるかを知覚するからです。もちろん、この過程を外的に観察することはできませんが、昨日お話しした月の道を辿る人は、肉体とエーテル体が細胞状態から成長し、発達するとともに胎児の形態を取る一方、人智学ではアストラル体と自我と呼ばれる別の生命形態が衰退と死の力に曝されるということを知覚するのです。私たちが生命の奥深くに隠された場所を暴くとき-これについては昨日、具体的な記述を行いました。私たちは肉体とエーテル体の誕生、そして、アストラル体と自我の死を意識するようになるのです。私たちは死が生命に織りなされ、人生の冬がその春と提携させられるのを知覚するのです。そして、ここでも、私たちが秘儀に参入する意識をもって人間を観察するとき、私たちは、人間の体が衰退する一方で、35才を境に、自我とアストラル体が芽吹き始めるということを意識するようになります。この芽吹く生命は肉体とエーテル体の中に存在する死の力によって遅延させられますが、にもかかわらず、はっきりとした再生が本当に生じるのです。そして、そのようにして、私たちは、精神的な探求という手段によって、「生命の中には死が存在し、死の中には生命が存在している」ということに気づき始めます。参考画:多細胞型ロボット こうして、私たちは、誕生の時点で死んでいくのが見られるところのものをそれらがその十全たる意義と偉大さにおいて現れる地上以前の生活にまで辿っていくための準備をするのです。また、私たちは、衰退していく肉体とエーテル体の中に、アストラル体と自我が徐々に芽生えてくる。と申しますのも、それらは肉体とエーテル体の中に捕らえられているのを知覚し、それらが、死の瞬間に、肉体とエーテル体から精神世界へと解き放たれるのを追っていく準備をします。このように、誕生と死はお互いに相関しているにもかかわらず、通常の意識には別々のできごとのように見えるということが分かります。精神的な探求によって明らかにされるこれらの情報のすべては、今日の講義の最初に示したように、通常の意識によって把握することができるのですが、同時に、通常の意識には実証的あるいは科学的な証拠を要求するのを諦めさせる準備ができていなければなりません。かつて、次のように主張した男がいました。ちょうど石が地面に落ちるように、椅子を持ち上げて離せばそれもまた地面に落ちる。何故なら、すべては重力に曝されているのだから。したがって、もし、地球が支えられていなかったとすれば、それも必然的に落下するだろうと。彼が気づきそこなっていたのは、物が地面に落ちるのは地球の引力に引きつけられているからであって、地球自体は、お互いに支え合い、引きつけ合っている星のように、自由に空間中を動いているということです。現代の科学者のように証明が感覚的な証拠によって支えられていることを要求する人は、地球は、もし、しっかりとピンで留められていなければ、落下するに違いないと信じているこの男に似ています。人智学的な真実はお互いを支え合う星のようなものです。全体的な構図を見る準備ができていなければなりません。そして、もし、それが可能であったとすれば、人々は誕生と死の相互関係というような人智学的な考えを本当に把握し始めることでしょう。話しをもう少し進めて、現代科学の原則にしっかりと基づいている一方で、人智学的な考えにも注意を払うとともに、受容的であるにもかかわらず、人間全体を考慮に入れることは学んでおらず、昨日お話しした仕方で、個々の器官だけを考慮する人の場合を取り上げてみましょう。秘儀に参入する過程の中で獲得されたその器官についての知識を通して、私たちは誕生と死だけではなく、何か全く異なるものをも意識するようになるのです。この器官についての光の下では、誕生と死はその通常の重要性を失います。と申しますのも、死ぬのは人間全体であって、彼の個々の器官ではないからです。例えば、彼の肺は死ぬことができません。今日の科学がぼんやりと気づいているのは、人間全体が死んだとしても、彼の個々の器官はある程度賦活されることができるということです。人間が埋葬されようと、火葬されようと、彼の個々の器官が死ぬということはないのです。それぞれの器官はそれぞれが関係づけられているところのあの宇宙領域へと向かう道を辿ります。人間が地下に埋められたとしても、それぞれの器官はそれぞれの場合に応じて水、空気、あるいは熱を通って、宇宙への道を見いだします。実際には、それらは解消されるのですが、消え去るのではありません。消え去るのは全体的な人間だけなのです。ですから、死が意味を持っているのは全体的な人間に関してだけです。動物においては器官は死にますが、人間においてはそれらは宇宙へと解消されるのです。それらは急速に解消されます。埋葬はよりゆっくりとした過程であり、火葬はより速い過程です。私たちは個々の器官が無限へと向かう道、それぞれがそれ自身の領域へと向かう道を辿るのを追っていくことができます。それらは無限の中に失われるのではなく、昨日お話ししたような力強い宇宙的な存在形態を取って還っていくのです。こうして私たちは、秘儀に参入する意識をもってその器官を観察するとき、死に際してそれらの器官に一体何が降りかかるのかを、つまり、いかにそれらの器官がそれぞれが属する宇宙領域へと流れ出していくのかを見ます。心臓は肺とは異なる道を、肝臓は肺や心臓とは異なる道を辿ります。それらは宇宙全体にばらまかれるのです。そして、宇宙人間が現れます。つまり、私たちは彼を宇宙に組み込まれた真の姿において見るのです。そして、この宇宙人間の視覚の中で、私たちは例えば引き続く受肉の源泉とは何かについて意識するようになります。私たちは、以前の地上生が現在の人生にカルマ的に戻ってくることを再び、明確に、はっきりと意識することができるようになるためにこの視覚を必要としているのですが、その視覚はその起源を人間全体の中にではなく、いくつかの器官の知覚の中に有しているのです。月の道を通って精神世界に接近した人たち、神秘家や神智学者たちはきわめて不思議な現象、かつては地上に生きていた人間の魂、神、そして精神を知覚したのですが、彼らには、それが一体何者なのかを理解したり、決めたりすることも、そこにいるのがアラヌス・アプ・インスリスなのか、ダンテなのか、あるいはブルネットー・ラティーニなのかをはっきりさせることもできませんでした。それらの実体はときとして最もグロテスクな名で呼ばれました。つまり、彼らには、そのとき接触している受肉が彼ら自身のものであったのか、それとも別の人々のものであったのか、あるいは、それらが何者であったのかを決めることができなかったのです。ですから、精神世界は昼の中に招き入れられた月意識の領域と関連しているのですが、金星衝動の流入によってこの視界が失われ、私たちは、今や、精神世界をその全体性において眺めることになります。しかし、それは本来そうあるべきであるような明確に規定された世界ではありません。私たちが全体としての人間の世界的な状況、宇宙存在としての人間の立場に最初に気づき始めるのはこの領域においてなのです。けれども、この関連で、私たちは悲劇的な現実に気づかざるを得ません。と申しますのも、もし、人間がこの地上ではそのように見えるところの完璧に物理的な人間でさえあったならば、彼はきわめて有徳かつ素直、そして高貴な存在であったはずだからです。ちょうど、通常の意識をもってしては、死について探求することがほとんどできない。死についてはいつでも既に示唆したような意味で理解することができます。こように、私たちは、通常の意識という手段によっては、何故、人間は正直そうな顔をして-彼らが正直そうな顔をしていることは否定できません。悪いことができるのかを知ることはほとんどできないのです。悪人になることができるのは全体としての人間ではありません。現在のような彼の外皮、皮膚は高貴で善良なものなのですが、人間はその個々の器官を通して悪人になるのです。つまり、悪の可能性は彼の器官に存在しているのです。こうして私たちはそれらの器官とそれに対応する宇宙領域との関係、あるいは悪への強迫観念がどの領域にその起源を有しているのかを理解するようになります。つまり、基本的には、ほんのわずかでも悪が現れるところには必ず強迫観念が根底にあるのです。こうして、私たちの人間全体に関する知識によって、まず、誕生と死が明らかなものとなり、次に、彼の有機体についての知識によって、彼の宇宙に対する関係が健康や病気すなわち悪において明らかになります。そして、私たちが、人間の器官学を通して、宇宙人間を眺めることができるとき、私たちはゴルゴダの秘儀を経験したあの存在を初めて精神的に知覚することができるようになるのです。と申しますのも、キリストが太陽からやってきたのは宇宙人間としてだったからです。その瞬間に至るまで、彼は地上の人間であったのではなく、宇宙的な形態をとって地球に接近したのです。もし、まず最初に、宇宙人間をその真の姿において理解する準備が私たちにできていないとしたら、どうしてそれを認識することができるでしょうか。 キリスト教が発展していくことができるのは、正にこの宇宙人間についての理解からなのです。こうして、いかに真の道が精神世界に向けて、つまり、誕生と死、人間有機体の宇宙に対する関係、悪の認識やキリスト、すなわち宇宙人間についての知識へと導くかが分かります。このすべてが理解できるようになるのは、それらが様々の側面でお互いに支え合っているのが示されるというような仕方で提示されるときです。そして、精神世界への道を見いだすための最良の方法とは、理解すること、そして、理解したものを瞑想することです。瞑想のためのその他の原則は付随的な役割を果たします。今日の人間にとっては、これが精神世界への正しい道なのです。他方、意識の正常な道筋を維持し、利用することに失敗するその他のあらゆる方法、霊媒術、夢遊病、催眠術等々のトランス状態を用いるあらゆる試み、意識によっては理解できない世界事象についての現代自然科学を戯画化したものであるところの方法によるあらゆる探求。これらすべては偽りの道です。何故なら、それらは真の精神世界には導かないからです。精神的な探求により見いだされたものを人間が感覚的に意識するとき、すなわち、器官に関する知識を通して宇宙人間が返ってくるということ、秘教的な探求と洞察に明かされるもののすべてが秘儀に参入する意識に受け入れられ、彼の意識生活の重要な部分になるならば、ある程度、この宇宙人間の帰還はキリストの理解へと導くことができるということを人間が意識するとき、感情を通して、神が地上的なものの中に現れるのです。そして、そこに芸術の本分があります。芸術は人間が今お話ししたような道に沿って精神的な世界から受け取るところのものを感情を通して半意識的に体現します。ですから、いつの時代でも、精神的なものに物質的な形態をまとわせてきたのは、そのカルマによってそうすることが運命づけられた人々だったのです。私たちの自然主義的な芸術は精神的なアプローチを捨て去りました。芸術の歴史における絶頂期においては、精神が感覚的な形態の中に示されるか、あるいは、むしろ物質的なものが精神の領域に引き上げられました。ラファエロが高く評価されるのは、他の画家たちよりもはるかに高度に、精神的なものに感覚的な表象という衣を着せることができたからです。さて、芸術の歴史の中には、より造形的、写実的な芸術への傾向を持つ一般的な動きが存在していました。今日、私たちはもう一度、造形芸術に新しい命を吹き込まなければなりません。それは、何年も昔に当初の衝動の直接性が失われてしまったという理由によります。何世紀にもわたって「音楽」への衝動が増大し、広がってきています。したがって、造形芸術は多かれ少なかれ音楽的な性格を持つようになっています。言語芸術における音楽的な要素を含めて、音楽は未来の芸術であることを運命づけられているのです。ドルナッハの第一ゲーテアヌムは音楽的に構想されましたが、そのため、その建築、彫刻、及び絵画はほとんど理解されませんでした。同じ理由により、第二ゲーテアヌムもまたほとんど理解されないでしょう。と申しますのも、絵画、彫刻、そして建築には、人間の未来の進化と調和して、音楽の要素が導入されなければならないからです。人間進化における最高の地点として私が言及したキリストという存在の到来、精神的に生きたものであるところの存在の到来は、ルネッサンスあるいはルネッサンスに先立つ時代の絵画の中にすばらしい描写を見いだしましたが、未来においては、音楽を通して表現されなければならないでしょう。キリスト衝動に音楽的な表現を与えようとする衝動は既に存在しています。それはリヒアルト・ワーグナーの中で予見され、最終的に「パーシファル」が創造される原因となりました。けれども、「パーシファル」においては、キリスト衝動の現象世界への導入、そして、そこでは、最も純粋なキリスト精神に表現を与えることが追求されたのですが、その導入においては、ドーブ等の登場に見られるように、象徴的な示唆が与えられているに過ぎません。聖餐式もまた象徴的に示されました。「パーシファル」の音楽では、宇宙と地上におけるキリスト衝動の真の意義が表現できていないのです。音楽はこのキリスト衝動を音楽的に、つまり、精神によって内的に浸透された調べの中で表現することができます。もし、音楽が精神科学によって霊感を吹き込まれるのにまかせるとすれば、キリスト衝動を表現する道を見いだすことになるでしょう。と申しますのも、いかにキリスト衝動が調べの中で、交響曲的に、宇宙と地上において目覚めさせられるかが、音楽によって、純粋に芸術的に、そして先験的に明らかにされることになるからです。そのためには、隠された感情の深みに貫き至るところの音楽的な経験を内的に豊かなものにすることによって、正に、長三音階の領域についての私たちの経験を深めることができるようになる必要があります。もし、私たちが長三度の領域を人間の内的な存在の内部に完全に包み込まれた何かとして経験するならば、そして、そのとき、完全五度の領域が「包み込む」性格を有しているのを感じ、それによって、私たちが五度の構成の中へと成長して行くならば、私たちは人間的なものと宇宙的なものとの境界に達することになります。そこでは、宇宙的なものが人間的なものの領域の中へと鳴り響くとともに、あこがれに燃え上がる人間的なものが宇宙的なものへと殺到することを希求しています。そして、そのとき、長三度と完全五度の領域の間で演じられる秘儀の中で、宇宙的なものへと到達する何か人間の内的な存在のようなものを音楽的に経験することが可能になるのです。そして、もし、私たちが、そのとき、七度の不協和音を、そして、それは、人間が様々な精神的な領域に向けて旅をするとき、大宇宙の中で経験するところの感覚的なものを表現しているのですが、その不協和音を解き放ち、宇宙的な生命を響かせることに成功するならば、つまり、もし、私たちが七度の不協和音を死滅するにまかせ、その死滅を通して、それらにある種の確かさを獲得させることに成功するならば、それらは、死滅する調べの中で、音楽的な耳にとっては何か音楽の大空に似たものの中へと最終的に調和させられることになるのです。ですから、もし、私たちが、既に「長調」によって「短調」をかすかに示唆した後、七度の不協和音が死滅しつつある緊張の中で、つまり、この不協和音の全体性への自発的な再創造の中で、七度の不協和音から、あるいは、これらの消滅しつつある不協和音が調和に近づきつつあるところから、短調の雰囲気の中で、五度の領域に移行する方法を見いだすならば、そして、その地点から五度の領域に短三度の領域を混合させるならば、私たちは、それによって、受肉についての、そして、もっと言えば、キリストの受肉についての音楽的な経験を呼び覚ますことになるでしょう。私たちは、一見したところ八度音階によって支えられていることによって、宇宙的な感情にとっては単に見かけ上不協和音であるに過ぎない七度の領域、私たちが「大空」へと形成するところの七度の領域に向けて手探りで歩み出るのですが、もし、私たちが、そのとき、それを感情で把握した後、既にお示しした仕方で私たちの歩みの跡を辿るとともに、いかに、私たちが、短三度和音の胎児的な形態の中に、受肉を音楽的に表現する可能性があるかを見いだすならば、この領域において、私たちが長三度への私たちの歩みの跡を辿るとき、キリストへの「ハレルヤ」がこの音楽的な構成の中から純粋な音楽として鳴り響くことができるようになります。人間は、そのとき、その調べの構成の中で、超感覚的なものについての直接的な認識を魔法のように出現させ、それを音楽的に表現することでしょう。キリスト衝動は音楽の中に見いだすことができます。そして、ベートーベンの中に見られるような交響曲的なものの不協和音に近いものへの解消は、音楽における宇宙的なものによる支配への回帰によって救い出されることが可能になります。ブルックナーは、伝統的な枠組みという狭い範囲においてですが、これを試みました。しかし、彼の死後に発表された交響曲は彼がこの限界から逃れられなかったということを示しています。私たちは、その偉大さを賞賛する一方で、真の音楽的な要素に接近することへの躊躇、そして、私たちが既にお話ししたような仕方で出現させるところの、つまり、純粋音楽の領域に歩みを進め、そこで、調べを通して、ひとつの世界を魔法のように出現させるところの本質、すなわち、根本的な精神を見いだすときに初めて経験することができるこれらの要素を十分に実現することに失敗しているのを見いだすのです。もし、人類が退廃へと沈み込んでいかないとすれば、私がお話しした音楽的な進歩がいつの日か達成される、ということに疑いはありません。そして、最終的には、それは完全に人類にかかっています。キリスト衝動の真の本性が外的に明らかにされることになります。このことに皆さんの注意を促したのは、皆さんに、人智学は人生のあらゆる側面に浸透することを求めているということに気づいていただきたかったからです。もし、人間が、彼の方で、人智学的な経験と探求への真の道を見いだすならば、これは達成されることができるでしょう。いつの日か、音楽の領域が人智学の教えの中にこだまし、キリストの謎が音楽を通して解決されるということさえ起こることでしょう。以上述べたことによって、私が思い描いていた目的を示すとともに、今回の連続講義では単に示すことができただけのものを結論づけることができたならばと思います。しかし、付け加えさせていただきたいのは、人智学的な真実についての何らかの認識が皆さんの魂の中に呼び起こされるとともに、これらの真実が成長し、増大し、ますます広い人間生活の分野を豊かなものにするようになればということです。人智学が達成しようとしているはるかな目的にとって、この連続講義がささやかな貢献となります。 (第十一講・了)参考画:Space Harmony※宇宙(space)、宇宙全体(universe)、秩序ある調和のとれた宇宙(cosmos)に関連する「harmony」は、宇宙のあらゆるものが互いにつながっているという考え、または宇宙のあらゆるものが複雑な関係の網目の一部であるという信念を意味します。人気ブログランキングへ
2024年05月08日
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