Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年06月30日
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カテゴリ: 霊魂論



第18章 ゲーテの「散文の中の韻」における世界観 佐々木義之訳
第二段中断 注:ゲーテの観点とカント哲学
 ゲーテの観点はカントの哲学と鋭く対立しています。私たちの内的な心象世界は人間精神の法則に支配されており、したがって、外部からそれにもたらされるあらゆるものは主観的な反映としてのみそこに存在し得るというのがカントの仮定です。この観点にしたがえば、私たちは、物自体を知覚するのではなく、むしろ、それらの事物がどのように私たちに影響するか、そして、私たちがそれらの影響を私たちの知性と理性の法則にしたがってどのように結びつけるかということから結果として生じるイメージのみを知覚します。カントやカント主義者たちは、事物の本質存在は私たちの理性を通して語るということに思い至りません。したがってカント哲学はゲーテにとって何の意味も持ち得ません。彼がカントの原則の何某かを得たとき、彼はそれらにそれらの提唱者の教えの中に含まれていたものとは全く異なる意味づけを行いました。ワイマールにおけるゲーテ文庫の開始とともに初めて光を当てられることになったある覚書によって明らかになったのは、ゲーテが彼自身の観点とカントの観点との間のこの対照性について非常によく認識していたということです。ゲーテにとって、カントの基本的な間違いは、彼が「主観的な認識能力そのものをひとつの対象と見做し、そして、主観と客観が出会う地点を実に鋭く、しかし、間違ってというわけではなく区別する」ところにあります。主観と客観が出会うのは、外的な世界についての表現を私たちの内的な存在が語るものに結びつけるときなのですが、それらは事物の統合された存在となります。そのとき、主観と客観の対立はこの統合された現実へと解消されるのです。私は本書第11章の冒頭でこれについて示しました。ところで、カール・フォルレンダーは私がそこで書いたことを「カント研究」の初版の中で攻撃しています。彼によれば、カントとゲーテの対立についての私の観点は「どう見ても非常に一方的で、ゲーテ自身の明確な意見に矛盾しています。これはカントの超越的な方法についての完全なる誤解によるものです。」フォルレンダーは、ゲーテがその中に生きていた世界観について、何のアイデアも持っていません。彼と議論しても何にもならないのですが、それは私たちが異なる言葉を喋っているからです。彼は私が言うべきことを何でも理解し損ねるという事実は、彼の思考がいかに明確であるかを示しています。例えば、私はゲーテの次のような意見にコメントしました。私たちが周囲の対象に気づくやいなや、私たちは私たち自身との関連でそれらに注意を払います。そして、それが正当であるのは、私たちがそれらを好きか嫌いか、私たちがそれらに惹かれるか否か、それらが有益か有害かに私たちの運命全体がかかっているからです。事物を眺めたり、それらを評価したりするこの全く自然な方法は、それらが必要であるのと同じくらい安易なものであるように見えます。・・・私たちが、私たちの能動的な認識の追求において、自然の対象物を在るが儘に、そして、それら自身の相互関係において観察しようとするとき、私たちははるかに困難な仕事を引き受けたことになります。つまり、私たちはそのとき、喜ばせるものをではなく、存在するものを探求し、調査するのです。(「対象と主観との間を仲介するものとしての実験」)私のコメントは、「これはいかにゲーテの世界観がカントのそれの正反対であるかを示すものです。カントによれば、事物をありのままに見る観点は絶対にあり得ず、いかにそれらが「私たちとの関係で現われる」かという観点があるだけなのです。ゲーテはこの観点を事物に対するアプローチとしては劣ったものであると見ていました。」というものでした。フォルレンダーは次のように応じました。「ゲーテによるこれらの言葉は、単に心地よいものと真実であるものとの間の些細な違いを導入的な仕方で表現しようとしたものに過ぎない。研究者は何が喜ばせるかではなく、何が存在するかを探求すべきである。シュタイナーのような、事物へのこの第二の、実際、非常に劣った対処法がカントのやり方であると敢えて言う人たちには、まずカントの教義についての基本的な概念、例えば、「判断力批判」の第3節のような文章の中で記述されている主観的な感覚と客観的な感覚との間の違いを明確にするようにとアドバイスしたい。今、私の見解を述べることによって明確にしておきたいのは、私は事物へのこの対処法がカントの方法であると言ったことは全くないということです。むしろ、私が申し上げたのは、ゲーテの見方によれば、主観と客観の間の関係についてのカントの理解は事物本来の性質を知ろうとするときの私たちが有するそれらとの関係に対応していないということです。カント的な定義は人間の認識能力には対応しておらず、私たちが快と不快の意味で事物を眺めるときの私たちとそれらとの関係に対応しているというのがゲーテの見方でした。フォルレンダーのように発言を誤解することに長けた人は、彼らの哲学的な教育に関して、他の人にアドバイスする前にいかに文章を正しく読むかを学んでおいた方がよいかも知れません。ゲーテが言ったことを探してきて、それらを年代順に並べることは誰にでもできますが、ゲーテの世界観の精神においてそれらを説明することはフォルレンダーにはできないということは確かです。)
記:カントは知識を理性に基づいて構築すると考えます。彼の「純粋理性批判」では、知識は経験から得られる感覚的な知識と、理性によって構築される知識に分けられます。一方、ゲーテは直観的な知識を重視しました。彼は芸術や自然の観察を通じて直感的な理解を追求しました。
参考画:Karl Vorlander





第18章 第二段中断 注:ゲーテの観点とカント哲学 (了)

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最終更新日  2024年06月30日 06時10分10秒
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