Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2024年08月20日
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カテゴリ: 霊魂論



「精神科学と医学」 第三講 1920年 3月23日 ドルナハ*1998.11.21.改訳 1-5
本講1-5
 進化というものを、鉱物から始まって植物的なものを経て、さらに動物的なものを通って人間に至るというふうに考えるのではなく、出発点を中間に取って、植物的なものから始まって動物的なものを経て人間に至るひとつの進化を考え、今度は逆に鉱物的なものへと下っていくもうひとつ別の進化を考えると、つまり出発点を鉱物に置かず、自然の真ん中に置いてみると、一方は上昇する進化を通じて、もう一方は下降する進化を通じて現れてきます。このことから次のようなことが洞察できるようになります。つまり、植物から鉱物へ、とりわけ私たちがこれから見ていくように、きわめて意味深い鉱物すなわち金属へと下降していくことによって、この下降する進化においては、その鏡像である上昇する進化に対してまったく特別の関係にある諸力が現れるということです。要するに、鉱物においてはどのような特別の力が存在しているのかという問いが私たちの魂の前に提示されるのです。私たちがこの特別な力を研究できるのは、下等生物において研究してきた形成力を鉱物においても研究するときのみです。鉱物の場合、この力は結晶化のなかに現れてくるのが見られます。この結晶化が私たちに非常に明確に示しているものというのは、私たちが下降する進化を観察するときに現れてきて、上昇する進化を観察するときに形成力に現れてくるものと関係はしているけれども同じではないものなのです。したがって、鉱物のなかに力としてあるものを生体組織に供給すると、新たな問いが生じます。私たちはよく似た問いに次のように答えることができました。つまり、私たちが霊的・魂的なものによって私たちの生体組織から取り去った形成する諸力を、植物界、動物界から取り出して人間の生体組織に供給すると、生体組織を助けることができると。けれども今度は、下降する進化すなわち鉱物界のなかに存在する別の種類の力を人間の生体組織に供給すると、どんなことが起こるのでしょうか。きょうはこの問いを出しておいて、考察を進めつつ詳細にお答えしていこうと思います。しかしそれでもやはり、きょう考察の頂点で出された問い、つまり私たちは自分で自然から治療プロセスをひそかに学びとることができるのかという問われれば、未だ正しい意味で何かを役立たせるというところまでまだ到達していないのです。こういう問いにおいて常に重要なのは、正しい洞察力をもって、私たちはこういう事柄に関して少なくとも概略的にはこのような洞察力が得られるよう試みてきたわけですが、より自然に近づくこと、こうしてはじめてある出来事の本質が顕現する。これが重要なのです。さて、よろしいでしょうか、人間の生体組織には二つのプロセスが存在していて、これは動物にも存在しているのですが、さしあたっては重要ではありませんので割愛しますが、私たちが今までに得た理念を備えて観察すると、これはある意味で対立するプロセスとして現れてきます。この両者は完全に対立しているわけではないのですが、この説明を誤解なさらぬよう強調しておきたいと思います。かなりな程度までの対極的なプロセスが要因です。このプロセスとは、人間の生体組織に現れてきている、血液形成と乳汁形成のプロセスです。血液形成と乳汁形成、この両者はすでに外面的な点で本質的に異なっています。血液形成は、いわば人間の生体組織の隠された面へと強力に引き戻されています。乳汁形成は、最後にはむしろ表面の方へと向かう傾向を有するものです。けれども私たちが人間そのものを観察すると、血液形成と乳汁形成との間の本質的な差異というのはやはり、血液形成は、形成力を自らつくり出す能力を自身のなかに非常に多く有しているという点です。血液は実際、俗っぽい言い方をさせていただくなら、人間の生体組織の予算全体のなかで形成力を繰り込まねばならない部分なのです。つまり血液は、下等生物において認められる形成力をある意味でまだ有しています。この形成力を自らの内部に有しているのです。ところで近代科学が血液を観察するなら、ここで非常に重要なものに依拠することができるかもしれないのですが、結局のところ真に合理的な意味においては今日までそれはなされておりません。近代科学は、血液の主要成分は赤血球であり、赤血球は増殖能力を持たない、つまり増殖力が無いという特性を持つということを拠り所とすることができるでしょう。増殖力が無いという点は神経細胞と共通しています。けれどもこういう共通の特性を強調する際に重要なことは、共通である理由が、両者とも同じなのかどうかということです。理由は同じではありません。何故なら、神経細胞から取り去ったほどには、私たちは血液から形成能力を取り去ってはいないからです。実際表象生活の基礎を成す神経実質は、かなりな程度内的な形成能力を欠いています。人間の場合、生後しばらくの間は、神経実質はまだはるかに外的な印象に依存しつつ、それを模して形成されているのです。つまりここでは内的な形成能力は、外的な影響にもっぱら適応する能力に対して後退しているわけです。血液の場合は事情は異なっています。血液は内的な形成能力を高度に保存しています。この内的な形成能力は、生活上の事実からおわかりのように、ある意味では乳汁にも存在しています。なぜなら、乳汁に形成能力がなかったら、健康に良い食品として母乳を乳児に与えることなどできないでしょうから。乳児は母乳を必要としています。乳汁のなかには血液と似た形成能力があります。ですから、形成能力という点においては、血液と乳汁のあいだにはある種の類似があるのです。けれども少なからぬ違いもあります。乳汁は形成能力を有しています。けれども、血液がその存続のために最高に必要としているものを、乳汁は持っておらず、少なくとも少量、ほんのわずかしか持っておりません。それは鉄です。鉄は基本的に人間の生体組織内で唯一の金属であり、人間、つまり人間の生体組織との結びつきにおいて、自ら整然とした結晶化能力を示しています。従って乳汁がほかの金属を微量に有しているとしても、いずれにせよ、血液は自らの存続のためにまぎれもない金属である鉄を必要としているという点に違いがあるのです。乳汁も形成能力は有しているのですが、鉄を必要としていません。ここで、なぜ血液は鉄を必要とするのかという問いが生じます。これは結局医学という学問全体の根本問題なのです。血液はとりわけ鉄を必要とします。私がきょう触れた事実のための判断材料はもうここにあるでしょう。私がまず確認しておきたいのは、血液は人間の生体組織において、それ自身の本性によりもっぱら病んでいて、鉄によって絶えず癒されなければならない実質であるということです。乳汁の場合にはこれは当てはまりません。乳汁が血液と同じ意味で病んでいるとしたら、それは人間自身のための、現在そうであるような類の形成手段、人間に外から与えられた形成手段であることは不可能だからです。血液を観察すると、人間において人間の構成のゆえに、その組織構造のゆえに、常にいくらか病んでいるものが観察されます。血液はもっぱらそれ自身の本性により病んでいて、鉄の付与によって絶えず治療され続けなければならないのです。すなわち、私たちは、血液のなかで起こっているプロセスにおいて、私たちの内部に絶え間ない治療プロセスを有しているわけです。医師が自然を通じて試行しようとするなら、自然のなかのすでに異常なプロセスを何よりもまず観察せねばならないというのではなく、正常なプロセスを観察せねばなりません。血液プロセスは確かに正常なプロセスではありますが、同時に、自然自体が絶えず治療し続けねばならないプロセス、自然が、付与された金属つまり鉄によって絶えず治療し続けねばならないようなプロセスなのです。そういうわけで、血液において起こっていることを図で示そうとすると、次のように言わなければなりません。血液が鉄なしで自身の構造によってのみ有しているものは、下に向かう曲線ないし直線で、これはとどのつまりは血液の完全な分解に至るでしょう(図、赤い線)。一方、血液中で鉄が働きかけているものは、常に上に向かい、絶えず癒しています(黄色の線)。実際のところ私たちがここで有しているのは、正常なプロセスであって同時に、私たちがそもそも治療プロセスについて考えようとすれば、それを模して形成されねばならないようなプロセスなのです。ここで私たちは真に自然を通じて試行していくことができるのです。自然が、人間の外部にある金属の力を人間に付与することで、いかにプロセスを完了しているか、私たちはここで理解できるからです。そして同時に、あくまで生体組織のなかにとどまろうとするものすなわち血液が癒されねばならず、生体組織から外へと向かうものすなわち乳汁が癒される必要がないこと、乳汁は、形成力を有しているとき、形成力をほかの生体組織へと健全に導くことができることも理解できます。これは一種の両極性です。「一種の」であって、血液と乳汁との完全な両極性とは申しませんが、この両極性に目を向けなければなりません。このことを手がかりに、非常に多くのことが研究できるからです。これを明日さらに継続していきましょう。以上のことをすべて前もってお話しせねばならなかったのは、質問を見て、返答のための概念、基礎があれば、まったく違ったやりかたで質問に答えられることがわかったからです。
記:母乳はママの血液から作られています。「プロラクチン」の刺激は、乳房の中の乳腺に指令を出し、乳房の中の血管から母乳を作り出します。このことから、「母乳はママの血液から作られる」と表現されることとなります。 母乳が白色なのは、血液中の栄養分や白血球などは取り込まれても、赤い赤血球は取り込まれないためですプロラクチンの主な刺激因子は、乳児が母乳を吸引することです。この刺激により、プロラクチンの分泌量が増加し、乳汁の産生が促進されます。また、プロラクチンはドパミンによって抑制されており、視床下部からの制御を受けています。
参考画:generatio aequivoca



□編註
☆1 パラケルスス「オープス パラミールム」参照。
☆2 「魂の謎」(1917)GA21

「意識と不死」(講演、1920);「幸福な過去」(回想録、1921)
□訳註
*generatio aequivoca(平行生成)は、ラテン語由来の用語で、一般には神の創造行為によらない地球上の生命の発生に関する仮説を指します。この概念は多義的な生殖や発生を含む意味合いを持ちます。
   (第三講本講・了)

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最終更新日  2024年08月20日 06時14分30秒
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