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前回の日記でご紹介した映画「グラン・ブルー」 この作品でヒロインを務めたロザンナ・アークエット彼女が演じるジョアンナは大人の女性の可愛らしさと優しさが、溢れていてとってもステキグラン・ブルーそんな彼女だから実生活でもモテモテのはずで・・・彼女が一時一緒に暮らしていたのがTOTOのメンバー、スティーブ・ポーカロトイレメーカーの社員じゃないよということでこの曲は彼女のことを歌ったものだと言われているんだけど・・・Rosanna事実かどうかは別としてこの映画のことを考えるとどーしてもこの曲にまでたどり着いてしまうのよねこの映画を見てから、この曲のこと知りましたついでといったら語弊があるけど最近、仲良くさせてもらっているオヤ友仲間のブログDJTOSHI1956さん 1966リクエスト曲をじゃんじゃんかけてくれてありがとう~今回もSTINGの曲ばっちりリクエストに応えてもらったんですが1つ、追加ってことでこちらでご紹介お酒の飲めないあたしだけどこれを聞くと、バーボン片手に飲み明かしたい気分に・・・7styleさんからお借りしましたWe'll be togetherアルコールはいらなくても腰がうずうずしちゃうよんあ、でもこれってビールのCM曲だったんだ!映画と音楽ってきってもきれない関係また次回の映画レビューでも音楽と共にお届けできたらいいな3年目の新たな試みってことで。鹿男のレビューは週末になりそうなので見に来てくれた方、ごめんなさいではまた週末に!最後まで読んでくれてありがとうございますお帰り前にポチっとよろしくお願いします↓
March 20, 2008
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監督リュック・ベッソン出演ロザンナ・アークエット (ジョアンナ・ベイカー)ジャン=マルク・バール (ジャック・マイヨール)ジャン・レノ (エンゾ・モリナーリ)ストーリーギリシャのキクラーデス諸島。少年時代のジャックとエンゾはここで初めて出会い、潜りを競い合う。12年後、一流ダイバーになったエンゾは幼なじみのジャックの行方を探していた。スキンダイビング選手権でジャックに勝利することが彼の夢だったから・・・・N.Y.の保険会社に勤めるジョアンナは仕事で行った南米・チリでジャックと出会う。どこか普通の人間とは違い、イルカと心を通わすジャック。大都会での生活に疲れていたジョアンナは彼が持つ不思議な魅力に次第にひかれていく。ようやくジャックを探し出したエンゾは彼をシチリアの競技会に出場するよう誘う。そこにジョアンナもやってきて・・・美しい映像をバックに繰り広げられるダイビング競技を通じてのジャックとエンゾの友情そしてジャックとジョアンナの恋深海の魅力に取り憑かれた彼らがたどりついた先は・・・そしてジョアンナの愛は・・・アルキメデスとグラン・ブルーの関係を一瞬で理解できた人すご~い!あたしのHNの由来となったアルキメデス。彼は古代ギリシャ人ですが生まれも育ちもシチリア島・シラクーサ。グラン・ブルーの舞台となるギリシャ、そしてシチリア島ととっても縁が深いのだ!ということで、∞大好きな映画をご紹介無限大 1992年に大ヒットしたカルトムービーエリック・セラの音楽も超々有名でいまもなお、様々な番組で(特に海関連)使われてるので誰でも一度は耳にしたことがあるはず。でも1988年に劇場で公開した「グレート・ブルー」こちらを映画館で体験した人は少ないんじゃないかな?グラン・ブルーはグレート・ブルーの仏語バージョン完全版。なんせ、ぜーーーーーん、ぜんヒットしなかったんだから.実はあたしは公開時に劇場でみたレアな人間の一人。その時の衝撃ってほんと言葉では言い表せないぐらい!ヒットしなかったのにその後口コミとマスコミでこの映画の評判がどんんどん広まって4年後、ついに完全版が日本で公開となってカルト的ヒットを生んだという珍しい作品なのだ。ジャン・レノの出世作として有名な作品なんだけどもしこの作品を見るなら1回はジャン・レノ目当てでもいいでも2度目は女性ならぜひジョアンナ目線でみてほしいんだ。どこか浮き世離れしていて、社会に全然馴染んでなくてそれなのにイルカと過ごす時間は家族と過ごしているかのように幸せそう・・・そう、まるで人魚のような・・・・男。童話の世界の人魚姫は人間の王子に恋してしまったけど人魚(男)に恋した現代のキャリアウーマンはどうしたらいいの?そんなジョアンナのラストシーンでの台詞があたしは大好き「わたしの愛をみてらっしゃい・・・」以下ネタバレなので文字反転深海の魅力に取り憑かれたエンゾとジャック。エンゾはジャックへの対抗心もあってダイビング中に無理をして死んでしまう。日増しに精神的に不安定になっていくジャック。そんな中、ジャックの子供を宿したことを知るジョアンナ。ある晩、ついに深海への想いに抗えなくなったジャックは彼を待つ深海へ潜っていこうとするの。まさに深海へ潜ろうとする瞬間、ジョアンナは彼を引き留めるんだけど、同時に彼の意志が固いことを見抜いちゃうんだよね。「「自分と一緒に、家族としてこの世界で暮らしていったとしても 彼は幸せになることはできない。彼が共にいることを選んだのは 海の中にいる彼の家族なのだ」そう悟った彼女は彼を解放してあげることで、彼女の彼に対する最大限の愛情を表現するんだ・・・大都会で仕事に追われて疲れきったキャリアウーマン。そんな彼女が出逢った男はイルカと会話する、風変わりでピュアな心をもった男。男と愛し合うことで、癒され、新しい命も授かりこの男と一緒に生きていこうと決めた、その矢先に彼が永遠に自分のもとを去っていっていこうとする・・・そんなシーンでこの台詞。こんな愛し方できる女性の強さに映画館で涙が止まらなかった・・・今もこの台詞を呟くと二人のラストシーンが目に浮かんで涙がでそうになるのアメリカ人であるロザンナ・アークエットはこの台詞を言うのにとっても苦労したそう。「なぜ彼女はこの場面でこんな風に言えるのか」ジョアンナの気持ちを理解できなかったんだって。すっごくわかる・・・・あたしだって絶対言えないもの・・・・海の映像と音楽、そしてジャン・レノばかりが話題となったこの映画。ジャックのキャラクターが非常に個性的なためジャックとジョアンナの恋はどうしてもわかりにくいって敬遠されちゃってわかりやすい魅力(エンゾ)の方に目がいくのは仕方がないよね。でも、できればジャックとジョアンナにも注目してみてほしいな~それと「グラン・ブルー」は見た人でもぜひ「グレート・ブルー」も見てほしい!もう無い?仏語版はたしかにシーンが増えてストーリーがわかりやすくなったという評価もあるけど反面、すごく緩慢な感じになってしまった感も。日本人ダイバーのコミカルなシーンなどは・・・はぁ。映画を作るにあたって、「削ぎ落とす」ってこともすごく大事なんだな~この映画のオープニングがまたステキギリシャといえば青と白のコントラストが美しい場所なのにオープニングの少年時代のシーンはあえてモノクロで撮られているの。You Tubeクリック!この映像と音楽で、もういきなりクラクラ~美しい海をモノクロで撮影することで逆に見る者の脳内により鮮明な青をイメージさせるんだよね・・・そしてフリーダイビングが見せる深海の世界。よくある”お魚ちゃんキレイ~♪”的な海の映像とはまったく違う青の世界。これはスクリーンで体感した人はあの不思議な感覚に身震いしたのでは?そしてこの映画にはエンディングが2つあるの。これもよくある話しでアンチBad-endingなAmericanのために作られたエンディングかと。 USA版 EURO版あたしは断然EURO版ジャックは死んだっていう解釈ではなく海に還っていったのだと。人間はかつて海から誕生したのだからジャックもまた生まれた場所に戻っていっただけなんだ・・・と。この作品とあたしとの関係はまだいろいろとありまして・・・単に好きとかじゃないもっと深い結びつきを感じているんだ。いつかもう一度、シチリアとギリシャに行きたい・・・ううん、還りたいな、かな先日は、たくさんのお祝いありがとうございました。本当に嬉しくて嬉しくて・・・コメントは必ず返しますのでもう少しお時間ください<(_ _)>最後まで読んでくれてありがとうございますお帰り前にポチっとよろしくお願いします↓
March 18, 2008
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前回書いた感想は以前日記でこの映画のことを「大好き」と書いた後ぐらいに思ったこと。今日、この映画のこと、もう一回考えてみようって思ったんだ。正直、前回の内容に関しては、無しってことにしてもいいんだけどあたしにしてはこういう風に評価が変化するのは珍しいパターンなので、これはこれで残しておこうかと。いやしかし、ネガな感想って書き方にほんと気をつかうね・・・だったら書くなって?「いい映画」と評価が高かったこの作品。ところが感想があまりに似通っていてものたりないなーって。で、自分なりにこの作品を解釈してみようって思ったのがそもそもの間違い。よく噛めば噛むほど味があるって言葉があるけど噛めば噛むほど、消えて無くなるっていう感じ。よく言えば綿菓子みたいってことかな?と、ちょっとここでなぜこの物語の舞台が「フィンランド」である必然性みたいなものを考えてみたの。でね、「かもめ食堂」の公式サイトのフィンランドの紹介ページなんだけど・・・「まじめで」「誠実で」「自然を愛し」「仕事漬けではなく」「自分自身の時間を大切にし」「ユーモアも忘れない」書いていたらきりがないくらい、誉め言葉のオンパレード。すげえな、フィンランド!日本人が憧れる全ての要素を持ち合わせてるのでは?「まじめにやっていれば、いつかは報われる」こんな言葉、真顔で言ったら、鼻であしらわれそうな今日。心の中ではそうあって欲しいと願いながらも、ハズかしくっていえやしない。日本人が昔から信じてきた思想が崩壊している日本に対し遠く離れたこのフィンランドという国では、まだそれがたしかに生きている少なくとも、生きているような気がしちゃう。(オフィシャルサイトの煽り方ははっきりいってすごい!)サチエさんも軽く口にしていたけどフィンランドを選んだ理由はこれかぁ! そして別の要素としてこの映画の舞台をフィンランドを選んだ理由を勝手に推測すると・・・フィンランドを初め、北欧のカワイイ雑貨、食器、インテリアは日本の女性に大人気。かもめ食堂も、サチエさんの家も、素敵なものでいっぱいこういう目に見える、分かり易い「可愛らしさ」に目を向けさせることでたいして気の利いた台詞もない脚本や作品の奥行きの無さからうまく目をそらしているというか・・「カワイイもの」「きれいなもの」「やさしいもの」って見てると気持ちいいもんね心地よい、穏やかな空気を感じ取らせて、見る者の気持ちを「ほっこり」させる。日本女性にとって、クリーンなイメージの強いフィンランドは、まさにその舞台にぴったり!うまいよな~!!!まるでおとぎ話のような雰囲気を漂わせて、その空気感だけを味わう映画。そういう楽しみ方にとどめておけば良かったのに・・・自分なりに咀嚼することでより味わいを増すかと思って、作品をあっちこっちから見ようとしたら全然違うものが見えてきちゃった・・・20代後半~ちょっと多目に見積もって50代ぐらいの女性をターゲットにしたカタログ映画監督さん、ほんとこの世代が好むテイストをしっかり掴んでるんだもんその点についてはほんとすごいと思う。というわけで、見終わった直後は、確かに「ほっこり」する映画だったけど、時間がたつにつれて、「大好きな」映画という評価からは遠ざかってしまった あとねかもめ食堂も、サチエさんの家も、サチエさんが作る食事も、サチエさんの生活もとてもきちんとして、とてもちゃんとして、とてもきれいにししていて・・・自堕落なあたしにとっては、ちょっと耐えられそうにありません!それにね、サチエさんのそばにいたら、自堕落でいられない気がする。きっとサチエさんはそんなあたしを見ても「いーんじゃないんですか~」って言ってくれると思うけどその横できちんと生活しているサチエさんみてたら、恐縮しちゃいそうで・・・ってこんな風に想像してしまうほど、あたしの自堕落ぶりは救いようがないってことか最初はこのサチエさんというキャラが魅力的に思えたんだけど、サチエさんのこと考えれば考えるほど、サチエさんの持つ、別の強さが感じられちゃうんだよね・・・あー、あたしってなんてひねくれもの!だからさっきも言ったように、この映画は深く考えちゃいけないっていってるじゃん!あの食堂を訪れれば、間違いなく美味しい食事と暖かい雰囲気を味わえるはず。確かにそうは思うんだけど・・・一度行けば十分かな。フィンランドはすっごく行きたい国でもあたしの目的は「オーロラ」「犬ぞり」「サンタクロース」思いっきり、アクティブ観光客として楽しみに行きたいんだもーんこの辺ですでにずれてる?それに焼き鮭定食より、トナカイのクリーム煮のおにぎりの方に猛烈に魅力を感じるし。これだから、サチエさんと合わない?いやでも、大絶賛の「かもめ食堂」に対して、こういした感想書くのは勇気いる~でも、ほんとなんで?っていうぐらい絶賛の嵐かつ冒頭にも書いたけど書いてある内容がほとんど同じ。映画って見る人の数だけ見方があるっていうのに・・ぞぞ!思わずYahoo!映画で☆少ない人たちの感想をわざわざ見に行っちゃったよ~まあ、まとめとしては、この映画が持つ清潔感をそのまま素直に受け取ってあんまりごちゃごちゃと考えない方が正解そーすれば、他の多くの人やあたしが最初に感じたのと同じ様な感想が持てるのでは? あたしってば、眺めていればキレイで、カワイイ品物をいろいろといじくり回したせいで、粉々に壊してしまったんだなって。ということで、どうぞサチエさんよろしく「こういう感想もいーんじゃないんですか~♪」って読み流してくださいませ。こんなひねくれた感想を書くEurekaの頭の中はどうなってるんだ!って思った方。どうそコチラをご覧下さい最後まで読んでくれてありがとう!応援のポチよろしくお願いします♪↓ タイトル かもめ食堂(ROUKALA LOKKI)(2005) 監督 荻上直子出演 小林聡美/片桐はいり/もたいまさこ ヤルッコ・ニエミ/マルック・ペルトラ/タリア・マルクスストーリー サチエ(小林聡美)はヘルシンキで "かもめ食堂"を始めたものの客はゼロ。 だが最初の客で日本かぶれの青年トンミ(ヤルッコ・ニエミ)、 ガッチャマンの歌詞をきっかけに知り合ったミドリ(片桐はいり)、 空港でロストバゲージに遭ったマサコ(もたいまさこ)など 次々にかもめ食堂に集う人たちが増えてきて・・・・ 評価 ★★★☆☆公式サイトhttp://www.nikkatsu.com/movie/official/kamome-movie/
September 22, 2007
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静かなフィンランドブームを巻き起こした「かもめ食堂」同じく大ヒットした「フラガール」が「動」ならばこちらは「静」。その分、各映画賞、作品賞、などの賞取り合戦は、「フラガール」がもっていっちゃった感が強いけどこちらの作品のファンも多いはず。「映画全体の雰囲気が心地よい」「主人公3人(小林聡美、もたいまさこ、片桐はいり)が醸し出す空気に癒される」「フィンランドの食器や調理器具、インテリア・・どれもみなカワイイ!ステキ!」「サチエさんが作るお料理がどれも美味しそう♪」「女性監督らしい細やかで、優しさ溢れる演出に心が温まります」「この映画みて、フィンランドに行ってみたくなりました♪」いろいろな映画ブロガーさんのとこをみて廻ってもおおむねこのような意見に代表されるような気がします。あたしも見終わった直後は、同じような感想でしっかりココにも「大好きな映画」ですって書いてるんだけど・・・実は時間がたつに従って、ちょっと違った想いがふつふつと浮かんできたのね。とりあえず思ったことをつらつらと。原作もパンフレットも何も読んでないので知識不足ゆえの誤解・勘違いがあるかもしれないけど、それはお許しを結構長いし、ぐだぐだと細かく書いてるので、お時間のあるときにどうぞ。この映画を見て感じたことその1「心の距離感」この作品、登場人物のバックボーンが非常に薄い。感情の起伏も非常に薄い。たった一人、フィンランド人のおばさんが多少泣いたり、笑ったりしてたけど主人公3人の喜怒哀楽の表現も薄い。薄いって書くとちょっと語弊があるかな。大きくないってこと。それでもって、観客が誰しも疑問に思うサチエさんがわざわざヘルシンキに食堂を開く理由ミドリさんが旅をしなくちゃいけないって思った理由マサコさんがフィンランドを旅先に選んだ理由それを語るシーンは一応用意されてはいるもののどれもが曖昧で、適当で、「ほうなるほど」と納得できるようなものではないんだよね。サチエさんにいたっては、ミドリさんにフィンランドに食堂を開こうとした理由(わけ)を聞かれた時に「その場で適当に思いついたことを言ってみただけ」あたしはこの前半のこのシーンが非常に印象に残ってるの。何もかもを見ている側にわからせるための説明的な台詞は不要だし主人公達にそれを語らせないという演出もアリだとおもうし、面白いと思う。ただ、この「思いつき」がサチエさんの照れ隠しの嘘か、本当に口から出任せをいったのかどうかは判断しにくいんだけどとりあえずミドリさんにたいして、「本当の気持ち」という形では伝えようとしてない。サチエさんという人は非常に「きちっと」した方なので単にボケとか笑いをとるために、こうした態度をとるとは考えにくい。ボケることで、この会話を笑いで包むことで自分の過去を、背景を語ることをうまく誤魔化してしまってるんだよね。「外国、しかも知り合いが居るわけでもないヘルシンキで、たった一人で店を開く」どう考えても、そこへ行き着くまでに、色々あってしかるべき状況。でも、そのことについて、他人に語ることはしたくないんだなと。よーするに、サチエさんはミドリさんに対して、こう言いたかったんだと思う。「そこは、突っ込むなよ。」 ミドリさんも、ちゃんと空気が読める人なので、そういう態度をとったサチエさんに対して、それ以上聞き出そうとすることはしない。 それはミドリさん自身も、触れられたくない、語りたくない、そういうものを抱えているから。そういうお互いの触れられたくないところ、見せたくないところ、弱いところ(?)に関して、全く無関心でいる優しさ。知ろうとしないこと、語らないことを許すことそういう優しさ。無関心というと、=「冷たい」という図式が容易に頭に浮かんじゃうほどたしかに現代社会にはそういう図式が成り立っている。他人と距離を置くことで、自分を守ってるっていう人たちは多いと思う。でも人と距離を置くってことは、一方で寂しさも抱えるってことでしょ?だけどこの映画の中では、他人との距離の取り方が、とっても理想的に描かれてるんだよね。触れられたくないところには触れない、だけど突き放したりはしない。心の繋がりを感じることができる、だけどその繋がりに縛られたりはしない。現代社会を生きるあたしたちにとって、こうした「程良い」距離を保てるってことほど、心地良い関係ってないのでは?その2「自己肯定」「個性」を重視しようといいながら、「集団」からはみ出ることは許さない。そのくせ「集団」の中に身を置いていると、「自分」というものが見えなくなったりもしくは無理矢理「集団」の中に身を置くために「自分」を殺してしまったり。他人に意見を否定することで、自分のアイデンティティーを主張する一方、他人に否定されることを極端に恐れる。もしくは否定されることも肯定されることもないように、周りの意見に同調し、あたりさわりのない言葉を重ねて、本当の気持ちはそっと心の奥にしまってしまう。今の人間関係って、正直しんどい。by堂本剛そんな中、サチエさんの他人へのスタンスはいつもこうだ。「いーんじゃないんですかぁ?」一見、投げやりにも聞こえかねないこの言葉。でも彼女のこの「いーんじゃないんですかぁ」には否定の要素は見えないしかといって、積極的な肯定も感じられない。非難されたり、そんなんじゃだめだ!って説教されたりするのはイヤだけどかといって、「そうだよ!そのとおりだよ!」ってぐいぐい後押しされるのもなんだかこそばゆいし、案外プレッシャーだったりする。「自分が思ってること、自分がしたいこと」「言葉でうまく伝わらない不器用な想い」「他の人からみればくだらないこと、ささいなこと」強い自己主張をしたい訳じゃないけどかといって、自分を殺したくはない。そんな想いに対して、「いーんじゃないんですかぁ?」という言葉が大きく暖かく、そしてなにより「程良く」包み込んでくれる。こちらもまた「程良く」というところが、ポイント。この言葉の持つ心地よさにミドリさんも、マサコさんも惹かれそんな言葉を発するサチエさんの人間性は、フィンランド人のトンミたちにも伝わって、そうしていつしか「かもめ食堂」に集うようになっていったんじゃないかな。その3 「郷に入っては郷に従がえ・・・・なくってもOK」一見、フィンランド人の生活スタイルに溶け込んでいるけど、ものすごく日本人であることを意識しているサチエさん。和食へのこだわりは相当だし、フィンランドの食文化を取り込もうという気はさらさらないよう。そのくせ、日本人観光客を相手にした商売はしたくない、あくまでも商売の相手はフィンランド人なんだっていう固いポリシーを持っている。そして売り物とするのは日本人のソウルフード「おにぎり」ミドリさんがかもめ食堂のためと思って、おにぎりにフィンランドの食文化を取り込もうとしたときも、サチエさんにしては珍しく「かもめ食堂のスタイルには合わない」と否定してた。わざわざ食材を買ってきたみどりさんに対しては、さすがに拒否できず、とりあえず作ってみましょう!と言ったものの、改善しようとか、そーいう提案をすることなしに、おにぎりには合わない、まずい、とあっさり却下。このあたりがサチエさんの「絶対に譲れないこだわり」それゆえにあのシナモンロールについては大いなる謎。やっぱりあれが客寄せのきっかけになったから、定番メニューにしちゃったの??それともよーするにサチエさんの好物ならなんでもOKとか!?他(よそ)の国で住むのであれば、その国の最も分かり易い文化=食を取り込むところから始めなきゃって思ってたし、その国を知るのに一番手っ取り早いのは「食」だって思っていたから、サチエさんみてたら、こんな風に思えたの「郷に入っては郷に従わなくもアリなんだ~♪」どんな集団に身を置こうと、自分が信ずるスタイルであればいい。そういう生き方しても、なんとかうまくやっていける。だめだったら、その時はそれはそれでいいじゃないか。そんなサチエさんの生き方は、見る人に元気を与えてくれるんだよね。文字数、思いっきりオーバー!改訂しようがないので、ここまでのとこアップしちゃいますね。あたし、映画に関してはちょい辛口だったりするので・・・中途半端ですみませんがこの記事へのコメントは無しで。続き読んだらがっかりしちゃいそう・・・
September 20, 2007
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