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2006年09月14日
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恵子がゆっくり立ち上がる。

「皆さん、ここに来てから、私にとっては、常識外のことをいっぱい経験しました。

皆さんは、何か変わろうとか、

新しいものを発見しようということがあるみたいですけど、

私はそんな特別なこと望んでなくて、

これまでの心と連続した平凡な日がいい。

人生、晴れの日も雨の日もある、そんなことみんな分かってるはずじゃない? 

周りに振り回されるのじゃなくて、

私は、淡々と日々を繋いでいくだけ。



野間さんといっしょに暮らしたいと思ったこともある。

……そんな話をしたから、

ヨーコさんはきっと私が野間さんと暮らせるように、

野間さんの本当の気持ちを引き出そうとしてくれたのよね」

恵子はヨーコのほうをちらっと向く。ヨーコはあいまいにうなづく。

「こちらに来て、私が一番感動したのは、昨日行った、あのガラス工房だわ。

美しい吹きガラスをつくるために、無駄のないぴったり息の合ったやりとり。

相手の動きの先に自分が動いて準備して、受ける。

そして手渡す。また受ける。

その作業の繰り返しのなかで、最終的には透明な美しいガラスができる。

私ら素人には、どのガラスもいい出来栄えに見えるけれど、



それでも、夫婦が理想の形をつくるために息を合わせている姿は美しいと思った。

何十年とかかって自然にできた夫婦のかたちよね。

自分もあんなパートナーがいたら、いいなあ、と思った。

でもね、野間さんと私とでは違いすぎる。

何十年かかっても、あんなふうにはなれないと思う。



さっき、自分でも言ってたと思うけれど、<変わる>ことが好き。

私は逆で、静かにひとところで落ちきたい。

それが分かったから、しばらく距離を置いていた。

距離を置くと、駄々っ子のように今度は自分の方へ引っ張る。

逢ってて退屈な人じゃない。私も、淋しいところあるから、

つい情にほだされてしまうからいけない。

それは分かっているつもり。でも、ついつい逢ってしまう。

野間さんは、心にいっぱい<記念品>を持っているといったわ。

そう言うのは野間さんの勝手だからしかたない。

でもね、その<記念品>は、私と共有できない。

誰とも共有できない。きっと、共感する人もいないと思うわ。

ここへ来るとき、伊賀上野の松尾芭蕉の生誕の家に野間さんと寄りました。

あそこへ行くまで、芭蕉さんはなんだか偉い人で、

私たちとずいぶん違うところにいると思っていたけれど、そうじゃないのね。

お母さんが亡くなったあと、故郷に帰ってお兄さんから、

大切に保存されていた臍(へそ)の緒をもらうの。

そのときの句が、たしか・・・」

恵子はそういって。傍らのバッグから自分の手帳を取り出した。

古里や 臍のをに泣く としのくれ

……死んだ母親を思って悲しんだ句というふうに、案内の方は説明したけれど、

もっといろんな事情がありそうな句だわ。

私は俳句の専門家ではないので、よくわからないけれど、

なんとなくすごく淋しそうな芭蕉が浮かぶ。

その淋しい芭蕉が、唯一、ほっとできる空間が故郷の家なのね。

こんな句もあるわ。

冬籠もり またよりそはん 此はしら

寒い冬、江戸から久しぶりに帰って、庵の柱一本に温かみを感じている芭蕉。

こちらの句も、心細そうな芭蕉がそこにいる感じね。

芭蕉はあんなにあっちこっち旅しながら、いつも心に故郷の家があったのね。

でもね、野間さんから故郷の話を聞いたことがない。

子供時代どんな子供でお母さんはどんな人かも。

まるで、宇宙から飛び降りてきた人に、私には見える。

野間さんは、車も家も妻も子もない。

自分で意図したことかどうか分からないけれど、

野間さんは形のあるモノをいっぱい持つことを嫌う。

身を軽くして、あっちこっち動き回っている。

そんな野間さんは、家庭人としては失格ね。

永遠の子供と言ってもいいかもしれない。

そんなわがままには、やっぱり付き合いきれない。

自分の居場所を探さなやね。定着できる場所を」


恵子の話は終わった。

皆の視線が僕に集まってくる。

何かを言え、といわんばかりだ。(つづく)





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最終更新日  2006年09月14日 22時29分26秒
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