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2006年02月18日
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そして、今は3回前のブログの本を読んでいます。それを基にまとめてみます。

まずは、織部について。織部焼という名称はその焼物が焼かれていた当初はその名称はなかったそうです。そして不思議に思うのは、この織部という名前は武将、古田織部からきているのですが、といっても一部に古田織部と織部焼は別のものとの説もあるようですが、人の名前が意匠になりそれが焼物の名称になるのは珍しいという思いと、なぜに武将の名前がついたのか不思議でなりませんでした。

普通、だれだれ作というものはあると思うのですが、織部焼というのはどのような意味合いがあるのか知りたいと思っていました。この本によると美濃の陶工が時代を席捲していて、かつこの地方出身のそして古くから交流のあった古田織部に、あなたの名前をつけて焼物を販売したらきっとたくさん器が売れるでしょうから是非、織部焼と銘々して販売したいと言ったとか。定かな話ではないようですがこの説明に私は大きくうなづく思いです。

決して古田織部が自ら作ったものではなく、だからこそ北大路魯山人や半泥子のようにこれは魯山人作だ、半泥子作だといったように器が残っているわけではない。織部焼という意匠から多くの形や種類の織部が存在するのでしょう。黒織部、織部黒、幾何学的文様のある緑釉薬の織部焼かつ、その中には鳴海織部や弥七田織部まだまだ織部の名がつく種類があります。この本によると織部自身が指導して焼かせたのは黒織部と織部黒だけだろうと言うコメントもありました。

そして、古田織部は徳川時代には不便な人物だったことで時代から抹消されたような形になっているのだとか。この時代背景を紐解くことにも興味が湧いてきました。

ちなみに以前もこのブログで書いたことがありますが、利休の死、その弟子の織部の死、その弟子の小堀遠州はふたりの死を繰り返すことなく魔を清めるために、お茶の点前の中で釜の蓋しかり、棗の蓋しかり、水指しの蓋しかり、カタカナのマの字で清めます。






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最終更新日  2006年02月18日 21時19分19秒
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