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Goldcraさんへ書き込みを沢山ありがとうございます。せっかくの内容なので、ひとつひと書き込みの返信にするにはもったいないと思いますので、敢えてこちらにまとめました。まずは重ね茶碗ですが、私の企みではありましたが、和子先生にはこの企みを明かしてはいませんでした。もちろん、先生のことですから私が語らなくともお察ししてらしたとは思います。ですので薄茶の点前中、私から説明するよりは先生から説明していただいたら良いかと、不意にお話を先生に振りました。それに先生もお応えくださったのでした。この掛け合いもまたお茶の面白さと感じ入っています。また、和運和運のお話ですが、私も最初なんていう禅語かと禅語の本をあちこちひっくり返して調べておりました。随分たってから、ああああ!!!ワンワンだ!!!と気づいたときには、やられた!と思い、自分のカチカチ頭を少し反省しました。(ちなみにまったくお茶とは無縁の友人たちに、すぐワンワンに掛けているんでしょ!と言われショックだったことは想像されることでしょうか)そして、お茶会の遠州席はお道具が素晴らしかった。特に棚が一番に目を引きました。遠州らしく細工が細かいです。そして私の好きな縞柿(=黒柿)で出来ており、七宝の透かし。そしてその中には水指は説明にもありましたが中国で大きな香炉として使われていたと思います。お軸ものはいずれもこの季節にしっくり、そして八勝館の紅葉の中、あんな大寄せでなければ心打つには最高の品々だったと思います。何せ、大寄せのお茶会は興ざめしてしまう。訥言は荷物をお預けするときに美術館でのこの方のポスターが貼ってありました。偶然ですが、面白いものだと思って拝見していました。無事のお軸とそして、きのこのお軸、いずれも中回しが粋でよろしかったかと。無事のお軸の書体は私の好きな隷書体でした。最初この書体を拝見したのは家元の道場でした。見慣れない書体に稚拙な感じを受けたのでしたが、見慣れてくるとこの字の華やかさを感じはじめました。いつか家元の隷書体のお軸も・・・、まずは茶杓からですが、どちらにしても野望です。お茶事の定期開催に向けて。そう、兄弟子が1月にお茶事をしてくれてそのお陰で、今回私も亭主役でお茶事をすることが出来ました。そして、なぜに総括を自身で行ったかというと今後につなげ、1年に1度でも(それ以上が望ましい)良いのでお茶事チームでも作ってお勉強して行きたいのです。そのため最低我が社中で必要な人数と役割を書き出し、日々互いにお勉強をしていけたら強いな、と思ったのです。お料理が出来ないならしないやり方を考えたり、お料理チームにお任せすることにしてもいいし、お茶は伸縮自在なものと心得て、やりたいと思います。兄弟子と宗磨でまずは・・・と期待していますがいかがですか?先日のお茶会でたまたま別の流派の知人に出くわし、この度のお茶事の話をしたら是非今度お茶事をすることがあれば参加したいとのこと。こんな和も広がっていくのかと思うとワクワクします。ちなみに通常のお茶事はもちろんのこと、宗磨究極のお茶事は一客一亭です。この場合はストーリーがまったく臨機応変、自由自在、この半年の間にしようと思っている一客一亭は音楽まであります。お風呂も布団も観光までも・・・。これはまたいつか。(ここであまり私の仕込みをばらしたらお客様がつまらないから)そして最後にトラックバックについてイタメールみたになもので、ちょくちょく削除しているのですがまた入っていただけです。Goldcraさんの精ではまったくありませんのでご心配なく。こういうネットの世界だから顔も素性もわからないからと、品格のないことをされるのは、はなはだ・・・。私は安倍総理の”美しい国”を応援します。
2006年11月27日
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昨日 勤労感謝の日に行われた東海茶道連盟に参りました。大寄せのお茶会は好きではありませんが、素晴らしいお道具を拝見するのにはこういう機会しかありません。また、再来年行われる全国大会でお借りする名古屋でも屈指の八勝館というところで行われます。その下見も兼ねますので、それぞれのお茶室の様子も見てきました。お濃茶席はうちの流派の支部長が釜を掛けられています。まわった順番としては一番最後になりましたが、迷路のような建物と迷路のような寄付きから控え、お道具拝見の室、お茶室と4部屋も渡り歩きます。それぞれのところでお軸も掛けられ、さすがでした。何より私の心が騒いだのが田舎家で 裏千家さんが掛けられていた釜です。なぜなら、織部焼きが沢山出てましたから。お茶碗:主/わび黒 十代長左衛門喜寿記念造 替/織部黒 銘/山姥 同/志野織部 銘/祝の花 これがこの3つのお茶碗の中で一番 私のこころを捕らえました。大降りの志野の沓型に織部らしい 幾何学文様を施しながら、正面には紅葉の葉が一枚大きく描かれてました。数茶碗:多くのことはわかりませんが、現代の黒織部らしいものが出ていましたが、 20名くらいからちらほらと私の好きな茶碗の写しと思われるものが出て 来ました。これは織部焼きではありませんがワクワクしました。 それはピンクがかったオレンジで口縁が薄くなり、下膨れでふっくらとした その様子はまず間違いなく乙御前の写しと思われました。 本阿弥光悦作 赤楽で銘、乙御前は一度本物を見てみたいと思っておりました から、遠くでその写しが出てきたときにすぐにわかりました。 そしてご亭主の説明で私の推測が間違っていなかったことを知りました。 私のところに来たお茶碗は生憎、織部でも乙御前でもありませんでしたが、 京都の窯の竹泉さん作の磁器(?)で寿の字が肌にたくさん書かれ 内側には鳥が沢山飛んでいました。素敵な藍色でこれはこれで良いものでした。 火入れも織部八角のものでいい形をしていました。会記を見直して今気づきましたが、タバコ壺は明治三九丙午歳とあります。あの丙午です。(ちょっぴり運命を感じます。) 結界で使われていたのは亭主ご自身の作で杖を結界代わりに置かれていました。瓢頭杖を竹製の枕に乗せて。面白い趣向です。このご亭主にはなんだか惹かれるものがあると思っていましたが、もしお話をする機会を得られるとしたら、今回私が書き出したお道具類だけでも充分楽しめそうです。独りよがりな勝手な思いですが。さて、宝のお言葉を残しておきたいと思います。非公開日記として。お言葉をくださった方に公開するかどうかの許可をまだいただいていないので・・・。そして、また一句できました。【小雪(しょうせつ)の すすき川面(かわも)にそよがれて 渡りくる風 頬につきさす】宗磨
2006年11月24日
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さて、昨日までのブログでひと通りのお茶事を連ねてきました。ここでは総括をしようと思います。お茶事前日までの準備。まずはお点前の準備をします。今回は11月12日なので本来ですと炉でのお点前になるかと思いますが、お道具の組み合わせなど考慮して、ぎりぎり(でも少し遅いかも)風炉でのお点前にしました。よって、風炉の時期になりましたら薄茶も濃茶も炭点前も本番さながらに練習します。本番で使う道具組を考える。そして、できる限り本番で使うお道具と場所でお稽古します。理由はまずはお道具にも特徴が色々ありますから、お道具の癖や注意する点などを理解しておくのです。今回の組み合わせの場合、濃茶で使用した萩は口縁が山6つあることもあり茶杓が乗りにくいことを知ります。本番で落としたりしないように用心します。やってみると沢山の発見があります。是非これは順番を覚えるだけの点前でなく、お道具の扱い方を心得ておくためにも、お薦めです。会記を書く。何を使うのか、作者の名前を覚えるためにもお道具が決まった時点でまずは下書きが必要。お茶事でのテーマを確立できると思います。 会席の料理を書き出す。できれば使う器も書き出すと良いと思います。また、青竹の箸は両細だったり、本節だったり、飯器の中身は最初ひと口、次一人前・・・・等々といった注意書きもご一緒に。また、お料理はまったく人任せにしてしまいましたが、何か本に載っているメニューであれば、分量が分かったり、作り方がわかるので本などのコピーも必要。招待状を出す。ちゃんとした定型というものがあるのでしょうが、宗磨流にお手紙を書きました。1週間から10日前にはご本人の手元にお届けします。 前日の準備。食材の買出し。会席料理の下ごしらえ。米を研ぎ一晩水につける。蹲(つくばい)を含めお庭の掃除。茶室を含め使うお部屋の掃除。雑巾掛けも忘れずに。灰型を作る。役炭を用意。種炭も忘れずに。お道具を用意する。薄、濃茶それぞれ違うお部屋であればそれぞれのお部屋に近いところにそれぞれのお道具をまとめて用意する。お茶を篩う。水指に水を張る。替茶碗や替建水、替茶器など予備を用意。当日の準備。蹲を改める。手拭きと籠、柄杓を用意。ぞうりの用意。床の軸を掛ける、同時に花をさす。お茶を茶器に入れる。会席の道具類はそれぞれ洗い、漆の器はお湯につけて温める。ご飯を会席始まると同時に炊き上がるように用意する。人の配置。茶席:お茶事をよく知った方、お詰めにも水屋のことを知った方(兼任も可)をお願いする。水屋:お茶事を知った半頭をお願いする。半頭は亭主とお客とのやり取りを聞いて判断をされると良いと思う。今回の例を挙げると会席中、向付に用いた器にそれぞれ違う文字が書かれていたが、4名でしたから5枚目の器には何が書かれているかと聞かれ、茶室を出たところでわかった半頭であれば、入り口のところでもう一枚の器を用意してくれていただろうな、と少し残念でした。(フォローのために、今回は水屋は先生以外まったくお茶事を知らない、数ヶ月前にお稽古を始めたわが後輩でしたので・・・。)会席料理:今回は破壊行為とおっしゃる2児の母さんがプロ級でした。今後は彼女に続き、先生のお宅のお嫁さんが頼もしい存在になられるようです。感謝。 よって、先生以外でお茶事経験者が正客(1)、お詰め(2)、半頭(3)を含め最低3名、プラス亭主が必要と思います。(お料理は除く)今後、茶事稽古を重ねるに当たって次のような役割り分担をしてやっていけたら良いと思います。必ず社中での役割:亭主役、半頭役、お料理班社中でも外のお客様でも良い役割:正客、お詰めちなみに私はどの役目でも大好きです。(お料理は更にお勉強が必要ですが)特に今までの仕事柄、裏方の働きが舞台の出来不出来を大きく左右するのも知っています。半頭は一番やりがいのある役割だと思います。ただし、目立ちたがり屋の私は亭主役も大いにしたいと思いますし、お客様にももちろんなりたいと思います。(でも、きっと素晴らしい働きをされる半頭さんの時しか嫌です。自分で働きたくなりますから。)そして大事なことはやはり社中だけでのお茶事はしないこと。せっかく時間をかけて用意するお茶事のことですから、なあなあにはしないほうがいいですね。それには社中だけですと、どうしても甘えが出がち。それに、お稽古お稽古よりお茶事そのものも楽しみたいですから、おひとりでも良いので本当にお客様をお呼びしたら、お稽古というよりお茶事として成り立つと思います。さて、そろそろ総括も締めくくりです。我が流派の流祖の遺訓、書捨の文を紹介します。(前略)道具とても さして珍器によるべからず 名物とても 異なりたる事もなく古き道具とてもその昔は新し (中略)数多きをうらやまず 少なきをいとはず (中略)一飯をすすむるにも 志を厚く 多味なりとも 志うすき時は 早瀬の鮎 水底の鯉とても味もあるべからず (後略)まさにその通りだと思います。以前は先代から受け継がれる方を羨ましくも思いましたが、東京の私の憧れのお茶人、久美子さんから”いくら沢山持っていてもお道具組がお下手だなぁ、と思う方もあるし、自分でひとつひとつ集められたもののほうが、心がこもって良いものよ”と言われ、納得しました。それからはむやみに羨ましく思うことはなくなりました。そして、志が厚くなければお料理も美味しくなく、お茶事そのものが大変まずいものになるということだと。総括終了。 追伸:和歌を詠んで見ようと試みました。上手くはありませんが一句。付知峡の清流に流れていく紅葉をみながら詠む。【清流の 行くに身まかせ もみじ葉の 付知の谷の 秋はみちつつ】宗磨
2006年11月21日
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床は薄茶席の際は“和運”の色紙を掛けようと思っておりました。この色紙は今年の1月6日のブログを参照ください。座右の銘にしておりましたが、お陰でこれまで意識してやってこられました。これからもその気持ちを忘れないように努力して行きたいと思っています。生憎、これは掛けれず、お濃茶席で掛ける予定でした“平常心是道”を掛けました。また、うちの流儀では書院造りの復興も果たしたようで、家元のお茶会にお邪魔してた折、なぜかお茶とは無関係なものが書院棚にありなんだろうと思っておりましたが、広間に場所を移してそこでは和やかにさり気なく飾り付けをも楽しみながらお茶を頂くようです。それを意識して私も香人形を飾らせていただきました。 これはかぐや姫で丸いお月さんの後ろでお香(現代香)を炊くのですが、そのときに出る煙がいかにも月にたなびく雲のようなのです。この説明にその場にいらした皆さん、ほぉ、と感心してくださいました。この人形はカズ君の字が効いている向付けの器を作られた四日市の作家さんです。では、薄茶席の当初のお道具組を。床:和運和運の色紙釜:竹地文釜 般若勘渓風炉:色紙釜 般若勘渓 この釜と風炉は昨年の10月6日にも出ています。とっても小ぶりで次の幸来棚にはまたぴったりでした。生憎、この幸来棚は先生のものなので写真が出せませんが、宗慶好みだったかと思います。長板に右端から円を四分の一にしたような扇状の板を乗せる、そしてそれを支える柱3本に朱の房がついています。双方の大きさがぴったりなため、安定していました。問題はこの釜はとても小さいので8名分のお茶を点てるには不向きでした。そのため途中で湯を注ぎましたが。棚:幸来棚(上記参照)水指:御本 清水久嗣水が入ると肌にある青っぽい自然釉が更に青味を帯びてきます。蓋置:三つ人形 宗実家元が家元就任の折好まれたもの。生憎これも先生のものなので写真にできず。家元、そのお父様と家元のご子息三代が揃っていらっしゃるのは珍しいからとそれぞれが手をつないでいらっしゃる三つ人形。その頭に熱い釜の蓋を置くのかと思うとお可愛そうです。いつものぼる話題です。茶杓:自作茶器:蔦蒔絵大平棗 福田芳朗お茶道具屋さんで一目ぼれした一品。蔦の木製ですが、どれほど太い蔦の木なのか、蔦の木を棗にするというだけでもそこそこ太い木を探すのも大変と思いますが、それを大平棗にまでされています。その木地に蔦の葉を蒔いてあります。茶碗:犬の茶碗 重ね今回のお茶事で宗磨の世界を上手く、まんまと演出できたものがこのお茶碗でした。というのも、つねづね茶人とは美味しいお茶をお出しすることが第一と思っているとともに、次にもっとも大切なこととしてお客様を喜ばせること、楽しませること、また自身も含め遊ぶことと信じています。そのふたつを見事に演出できたと思っています。なぜならこのお茶碗は毎年干支にちなんで和子先生が作られるお茶碗のひとつで、今年のもの。恐らく参加者皆さんお持ちか、もしくはお稽古で使われています。しかし、大きいほうのが一つだけで、決して重ねにはなっていません。 いよいよお茶碗を両手に持ちながら点前座につこうとすると、正客、次客はじめ、驚きとそわそわした様子が伝わってきます。私の心の中は、しめしめ、私の思惑通りだわと楽しんでおります。なんで、あのお茶碗は重ねだったの?と疑問が無音で広間中満ちています。ひと碗づつ点てながら種明かしをします。和子先生に特別に作っていただいた重ねです。もちろん、和子先生にも今回の道具組みは一切お話をしていません。和子先生は寄付きで作家との付き合い方をお教えするわ、とおっしゃっていたとの事ですが、まさにこういうことを言うのよと皆さんに説明されていました。皆さんのやられた~という悔しさと、驚きとおかしさを私は胸いっぱいにしながら、宗磨の茶の湯はこれだと自身でもはっきりと分かったのでした。ちなみにこのお茶碗を少し詳しく説明しましょう。染付け写しとなっており、真ん中にある文字はINU(犬)を型どったものです。桃山の陶器の破片の中にはローマ字が既にあったということです。それを和子先生流に再現されていました。内側の四隅には笑、門、福、来の四文字が書かれ、外側の柄は宝尽くしとなっています。ゆったりとしたお茶碗で好きですが、残念ながら12年後にしか出すのが難しいようですね。お茶:宗実家元好み 星屑(せいじょう)の白 星野製茶園お菓子:麩やきの稲穂絵 和三盆の鳴子型 亀広良さて、次は総括としましょう。
2006年11月20日
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次は濃茶席です。これが当初予定していた道具組です。濃茶席床:平常心是道(びょうじょうしんこれみち) 書/大亀老師(か?) 目指してしまってはそれは道ではない。近道はないのだということ。当たり前のことを 当たり前に日々送ること、が道になるのだという禅語。私がこの禅語に出会う前、 会社での仕事で実践したことでした。 以前は常に目指すこと、そして特別なことをしてある日突然人生を開くことを常に考えており ました。それがこの半年間、そんな自分の生き方を改め、自分が今しなければならないこと (=当たり前のこと)を懸命にこなしました。 その結果、一緒に働く仲間からは頼られ、リーダーシップを発揮し、また新しい仕事が飛び込 んで来て、今後の自分の道がぱっと開けたのでした。その後、この禅語に出会い、これが私の やってきたことと一致したのでした。 ちなみにお軸はこの禅語に引き合わせてくれた友人宅のものです。水指:朝鮮唐津長水指 (和子先生作で先生と初めてお会いした折、買い求めたものでしたが、 生憎、爆発事件により使用できず。よって今回は写真は載せません。)茶入れ:緑茶入れ(宗久さんがネットオークションでお茶道具を購入されているとお聞きして、 覗いたオークションで見つけたもの。 箱はおろか牙蓋も仕服もついておらず、身一つでした。 どこの焼物か判断つかず。オークションでは古瀬戸とありましたが、高取のように釉薬を 二重にかけており、和子先生いわく、土は瀬戸のものと言っても良いけれど、釉薬は瀬戸 の場合、二重にかけないわね、とのこと。 そこで、ネットオークションのプロ、宗久さんいわく、経験上どこのものか分からない 場合、ネットオークションでは古瀬戸となっているねぇ、と。一同笑。) 仕服は日野間道。(オークションで手に入れた別の茶入れに寸法あわずでつけられていた ものを転用。) 茶碗:むらさき萩 玉村登陽作 阪神大震災の年、その前から幕末にはまっていた私は高杉晋作に会いに萩に行く 予定でした。その後震災でしたが、萩行きは強行。 新幹線がストップしていましたが、飛行機で福岡に入り、山陰本線で萩へ。 そして萩焼の抹茶茶碗を求めてレンタル自転車で市内を回り、とあるお店に入ると 東京の地下鉄駅が大混乱を起こしていました。それは東京地下鉄サリン事件でした。 この茶碗にはなんのゆかりもありませんが、日本が未曾有の事件、事故に見舞われていた ときに出会った茶碗という私の思い出の品です。 釉薬のかかり具合で正面を決め、茶杓を置くと上手く乗らないと話すと、和子先生いわく、 口の部分に山がありすぎると。山は3か5というお言葉。 数えてみると偶数の6ありました。なるほど。 また、買ったときから雰囲気が変わったかと聞かれましたが、 生憎、七化けはなかなかしません。 よ~く焼かれているから堅いのでしょう。だから化けにくいと。 茶杓:銘/ 峯紅葉 歌/ 秋風になびく浅茅は霜枯れて色ことになる峯の紅葉 作/ 宗慶宗匠 そう、この茶杓こそ私が今年のこの時期にどうしてもお茶事をしたかった理由です。 というのもこの茶杓は私の生まれた年に造られてもの。 詳しくは2005年(昨年の)11月22日の日記を参照。 昨年から、今年11月10日に40歳になった私はこの茶杓に出会い、20年後の還暦茶事をするこ とを目標にしました。であれば、ちょうど節目の今年お茶事をして、今回いらした方が20年 後また集まっていただくなんてことが実現したら面白いなぁ、と。 それで昨年茶名取得したことも合わせてお披露目としてお茶事を 決行したかったのです。 ちなみに20年後より10年後の半白の祝いをしましょう、ということにも なりましたのでまずは10年後を楽しみに。恐らく茶杓はこれを使います。 お茶碗も決まりました。ただし、まだその茶碗はこの世に生まれていません。 でも何を使うか決まりました。10年後をお楽しみに。このブログが 続いていたら読んでください。ふふふ・・・・。お茶:一玄の白(宗実家元好み) 小山園菓子:紅葉 亀広良ちなみにお濃茶は炭で台無しになったお茶室で行う予定でしたが、仕方なく広間に皆さん大移動することになりました。もともと薄茶は広間のつもりでしたから、続き薄のようにし、水屋担当の人たちもご一緒させていただき、皆でお茶をいただきました。次は薄茶席の説明に。
2006年11月16日
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昨日のコメントに会席で使われた器の説明をということなので少しここで説明します。生憎、ほとんどの器は先生のものをお借りしています。中でもとても気に入ったのが志野の四角い器です。先生のお宅のヤツデの葉を敷き、さわらの幽庵焼を並べました。白い志野の生地にヤツデの鮮やかなグリーンが映え、お料理がとても美味しそうに見えたと思います。また、幽庵焼がとても上手く味付けでき器とともに大成功。私の器はコメントでもお褒めいただきました、カズ君の字が生きた向付け。これがその写真です。右側の青い器は足つきで、瑠璃鉢。これには強肴を盛りました。白和えでしたからこれも色が綺麗に映えたことと思います。それと湯桶を最後にお持ちしますが、うちの流派では湯加減をご自由にということで、お湯以外にお水もお持ちします。そのとき使った器です。本当は木地の蓋があるといいのですが。(ちなみに木地蓋を作ってもらおうと思ったところ、数万円かかるとのこと。そんなに価値のある器でないし、少し迷っています。)いずれも四日市と瀬戸の現代陶芸家さんたちの作品です。先生の器は志野以外に織部もありましたから、自然、地元のものばかりとなりました。さて、では順に。お客様は社中の兄、姉弟子3名のつもりでした。兄弟子、宗久さんが一月にお茶事をされたのをきっかけに姉弟子たちもされる予定でしたが、お忙しいお二人は春、夏とも機会を逃されました。私は秋、と公言していましたが、お二人がされていないのに末っ子の私が先んじるのはいかがなものか、と思いながら、私にはどうしても今年のこの秋にお茶事をしたい譲れない理由がありました。その理由はまたお道具のご披露の時に。そこに私をお茶好きというところでサポートしてくださっている和子先生が、お客様としての名乗りを上げられました。このブログの最初のころの日記に一客一亭というものがあります。(2005年9月15日)そこで書いているのですが、和子先生をお客様としてお茶事をしたい、それを目標にお稽古に、稽古茶事に励もうと思っていたので、一旦はお断りをしました。もう一つに、皆さんとの調和を心配もしました。茶事をすること事態、はばかり、まして、和子先生をお呼びするとは身の程知らず。しかし、和子先生は社中だけではなあなあになってしまう、ひとり違う人間がいたら気が引き締まるっていうもの、といわれ、それ以上私にはどうしようもないのでした。さて、うちの先生にも相談しながら困った困ったとしばらく思い悩んだものですが、こうなったら、しっかりお稽古、皆さんに良かったと言われるお茶事を精一杯することしか他に道はないと心に決めたのでした。そして迎えた当日。11:00より開始。時間は守りたい、間延びするのも極力避けたいの一心です。私は少しあせりながら、炊き立てのご飯を膳に盛りたくて着火の依頼をしました。寄付きではなんだか大盛り上がりです。笑い声が絶えません。水屋にいる私たちは何が起こっているのか興味津々。席入りのご案内に向かいました。前回宗久さんのお茶事では貴人口から入りましたが、私はにじり口からの入室にこだわりました。あの入り方が厄介で、でもそれがやはり、お茶らしい気がして。そして、真っ先に床の間が目に飛び込んできます。初入り床:花/ 西王母(好きな椿ですが、本当は白い椿が欲しかった。 それでもちょうどいい感じに膨らみかけてくれました。) 百日紅の照葉(花盗人しました。お散歩ついでに街路樹からひと枝。 身もついていて色もちょうど良く、最初の写真ではあまり上手く 生けられてませんが、実際はもう少し風情がありました。 花盗人してごめんなさい。) 花入れ/ 鳴海織部(ずっと以前、なんでも鑑定団に鳴海織部の香炉が 素晴らしい評価額で出ていました。それがちょうど四角いもので 向付けを香炉につくりなおしたもの。今回の花入れはその後 みつけました。新しいものなので価値云々ではなく、四角い鳴海織部に 心惹かれました。正面は本来、扇に花ですが、裏がちょうど七宝紋。 うちの流派の紋様ですからそちらを使いました。) 本当はお軸が順番でしょうが、お食事が先なので緊張して空間よりお花を飾って気分良くお食事をしていただきたくて、先にお花にしました。風炉、釜:先生の鉄風炉に雲竜釜香合:黒柿香合/ ススキに赤蜻蛉 北浜風月作 輪島塗(先生のをお借りして。)炭斗:先生の風炉用のものをお借りして羽箒:白閑(なんて読むのでしょう?どなたかお教えください。)灰器:緑楽(本当は志戸呂焼のものがあったのですが、行方不明中。先生のもの。)香:沈香 鳩居堂*実際は炭の爆発により拝見に出せないままでした。お会席は一番最初に失敗。挨拶なくお膳を持ち出してしまいました。ああ・・・・。仕切り直して、おひとりづつご挨拶。しかし、あがっている私は早口に一方的に挨拶をします。三客の和子先生が私の“来年作陶歴45年おめでとうございます”の言葉に返礼をしっかりされ、前のお二人に返礼の間を取らなかったと気づかせてくださいました。反省。順々にお料理をお出ししていきますが、ご飯は早く炊きすぎました。開始時間と段取りは大きくずれ、タイミングがなかなか難しいです。ちょうど11時に炊けたのでしたが。それにしても、寄付きから爆笑の渦のお客様たち。どうやら和子先生がとても盛り上げてくださったようです。女性3名はお酒大好き。ちなみに私も大好き。とうとうお茶はいいから宴会宴会、なんて言って上機嫌な調子。爆笑していた一つは寄付きで和子先生がタバコを吸われ、その煙がちょうど輪を作ったらしく、その下に頭を入れた和子先生が“天使の輪”とおっしゃったものだから爆笑になったのだとか。先生のイメージは怖い、と皆さんが思っていたので、あまりの可愛らしさにギャップを感じ、この天使の輪依頼すっかり打ち解けたのだそうです。大宴会のようになった会席のお席でしたが、この後続いて炭点前になります。そして、その後起こった例の炭大爆発事件です。
2006年11月15日
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今回のお茶事参加者は、正客に宗好さん、次客に宗苗さん、三客に和子先生、お詰めに宗久さん、水屋は先生はじめ前日、当日合計5名です。もちろん亭主に私、宗磨。前日はあらかじめ先生と一緒に考えたメニュー構成に基づき食材を調達。そして、社中きってのお料理上手、2児の母さんが下ごしらえに来てくれて、ほぼ完成。彼女は会席料理をするのに創作活動でなく破壊活動と表現します。コンセプト、こだわり1。地元の材料、焼物を使うこと。会席料理のメニューは次の通りです。膳:ご飯(宗磨の実家の田んぼで採れた新米) 汁/ えのきに和からし、赤味噌(この地方は白でなく赤ですから、敢えて赤を使用) 向付け/ 白身の昆布じめとマグロ(カズ君の一文字白皿が生きてた~!)冷酒:蓬莱泉(北設楽郡のお酒。地元にこだわりたくて、本当はもっと焼物の地元に近い三千盛り を使いたかったのですが、お店になかった~。しかも、少~しの量でいいや、と思ったらま ったく足りませんでした。皆さん、飲むは飲むは・・・。予定外・・・。)椀盛:かやく生麩/ 富久福(ふくふく、という名。亡くなった前の先生が使われていたので本当 はえびしんじょうなどが良いのでしょうが、私の思い出。それと名前の良さ、もうひとつ、 手間要らず・・・。)三つ葉を結んで、ゆずを添えました。温酒:冷酒と同じ。同じお酒でも温めるとまた味わいが違います。このお酒は常温、熱燗どちらも いけます。汁替:花麩、三つ葉の葉焼物鉢:さわら幽庵焼(初めて幽庵焼を知ったのもやはり茶懐石でした。)煮物鉢:里芋、にんじんは炊きました。 ヨモギ生麩は片栗をまぶして軽く揚げました。酒肴:柿と春菊の白和え(これは先生のアイディア、柿と春菊の相性ばっちり美味しかった。)小吸物:じゅんさい(本当は蓮の実を探しましたが見つからず。蓮の実にこだわったのは和子先生 が蓮の花をお好きだから、織り交ぜようと。でも、じゅんさいも蓮の仲間でした。ほ!)八寸:チーズの雲丹のせ(次、温酒3回目ですが、ワインのため趣向を凝らしました。また、本当 はカラスミを使いたかったのですが、会費で賄えません・・・・!!) 松葉に銀杏(松葉は先生宅のお嫁さんがご実家へ帰省の折、持ってきてくれました。そして 銀杏は宗磨の実家のもの。防風林で祖父母が植えてくれたのが毎年銀杏を恵んでくれす。)酒:ドイツワイン(唐突になぜドイツワインかというと、昨年の万博の折、家元考案のプラチナの 茶室でお茶を振舞うということでお手伝いに出かけました。正客の宗好さんと二人で参りまし たが、お茶会後、訪れたドイツ館のレストランで着物を着た私たちに興味を示したドイツ人ス タッフとの交流後、お土産に頂いたのでした。二人で呑みましょうと言いながら、機会がなか ったので宗好さんにはサプライズで許可なくお出ししたのでした。デザートワインでしたが、 とても良いものでした。ワイン好きの私がいうのですから間違いありません。そして宗好さん にサプライズしてもらえたのか・・・???)コンセプト、こだわり2サプライズを入れること香の物:茄子、きゅうり、カブ主菓子:紅葉(練りきりで黄とオレンジ、つぶ餡にクルミとオーダーしました。縁高の外が緑、中 が黒ですからきっと色が映えるのではないかと思い、オーダーしました。こし餡でなくつ ぶ餡、餡だけでなくクルミを入れたのは宗磨のこだわり。こだわっているという主張が単 にこだわり。お仕着せのものを使わない。) うちにて撮影。本当は縁高。生栗:うちの流派ではなぜか生栗をここで出すようです。深い意味をこれから探ります。以上が会席メニューですが、私はまったくお料理を作ることには参加しておりません。2児の母さんの前日のお手伝い、そして先生とお嫁さんに作っていただきました。大感謝です。
2006年11月14日
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2006年11月12日は私の忘れられない初茶事の日となりました。私が亭主をしたのです。といってももちろん練習茶事。それでも私の思い入れは結構なものでした。そしてこのお茶事は大失敗の大成功でした。分かりにくい表現ですが、理由はこの後に続きます。まずは写真が床の花です。西王母と百日紅の照葉。しかし、この写真を撮った頃はこの後のトンでもない出来事を想像するすべはまったくありませんでした。そのトンでもない出来事を最初にしなくてはこのブログを続けることをはばかります。そのトンでもないことはそんなに時間の経過を必要としませんでした。お茶事は11月も中旬ですから本来は炉開きでしょうが、お道具の取り合わせと自分の誕生日の関係で11月中旬に風炉で行いました。そのため、茶事の進行は寄付きに始まり、初入り、会席、炭点前、濃茶、薄茶の順です。会席が終わり、さて、慣れない炭点前です。先生は本当はお席に入らない進行なのですが、私が余りに慣れないため監督として入っていただきました。炭斗を持ち出し、灰器を持って入ります。その頃からどうも炭が音を立てています。通常のパチパチッといった音でなく、バチ!バチ!っと怖い音です。パチ~ンと飛んできやしなかと冷や冷やしながらお点前を進めます。そこへ種炭が更に大きな音を立てて崩れました。すると音が止み、静かになりましたので落ち着いたのだと思い更に点前を進めます。紙釜敷きを取り出しその上に釜を置きます。崩れた種炭を改め湿し灰をし、その後胴炭を入れました。そして相手炭をおこうとした瞬間だったと思います。一瞬なにが起きたのか分からず、炭が、真っ赤になった炭が、当たり一面飛び散っています。とっさに着物なので襟に入っては一大事と首をかばいましたが、その後は真っ赤になった炭たちをどうしたらいいのか、身動きできずにおりました。そう、トンでもないことというのは炭の大爆発です。そしてこれがその後の茶室の様子です。写真だと分かりにくいのですが、畳はもちろんのこと、敷居、台目の棚も焼け大惨事です。呆然とする私でしたが、皆さんが炭を片付けてくださいます。とにかく火を出すわけには行きませんが、水をかけるわけにも行かず、大きな炭から形付け後は濡らした雑巾でふき取ります。掃除機で吸うといわれる方がありましたが、掃除機に火が引火しては怖いと思いました。大体のものを形つけた後で掃除機をやはり使いましたが、案の定、掃除機のお尻から火の粉が飛びました。少しこげた臭いもしましたので、すぐさま掃除機の中のごみを安全に捨てていただきました。点前座におりました私は奇跡的に着物一枚をパアにはしましたが、やけど一つしていません。きっと強力な何かに守られていたのだと思います。そして今日ふと思い当たることを思い出しました。着ていた着物は前の流儀の時の今は亡き先生が選んでくださった、しかもこの先生が一番好まれたきみどりの着物でした。無地の一つ紋は必要だから、とあまり茶道にも着物にも入れ込んでいない頃の私に購入を勧められた着物でした。その着物をダメにはしたものの私の身には一切炭は飛んで来なかったのです。きっと守っていただけたのです。不幸中の幸いはどなたにもお怪我がなく済んだこと。ただ、先生のお茶室がとんでもないことに。せめて畳みだけなら良いのですが、敷居や台目棚までもやられてしまったことが申し訳ないことでいっぱいです。ちなみに原因は不明です。この場を借りてもしどなたか同じ経験をされた方があれば教えてください。今、原因究明中です。大失敗の大成功のお茶事、ひとまず大失敗のお話でお仕舞い。
2006年11月13日
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やっとこぎつけたお仕事最終日。たくさんお花やプレゼントをいただきました。とっても幸せ。
2006年10月17日
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昨日の覚書きは昨日聖地、多治見、土岐に行ったものの覚えです。昨日は和子先生に誘われてセラミックパーク美濃のお茶会に行って来ました。そこでは千家のお茶が行われていましたが、最近では良いものをたくさん見せていただいてきたために、随分目が肥えてきたことが恐れながら自覚しました。薄茶、立礼席、点心、そして展示室入場がセットになった茶会券です。展示室には数千円から何百万とするものまである焼物の展示がしてあり、手にとって購入も可能です。これはとても良い構成かと思います。触らないで、の札もなく心置きなく手にして購入できます。その後、多治見にある岐阜県陶磁資料館に行きました。休日だというのにとてものどかなものであまり人もいません。しかし、私には心の満足度は高く、大満足でした。やっとここに来て見ごたえのある器を見ることができました。しかし、私はやはり人間国宝の方の作られたものの価値は分かりません。私が理解できるのは桃山時代に作られたものばかり。織部の破片ですら私の心を捉えて放しません。黄瀬戸:中国の青磁をイメージして焼かれますが、黄色くなりました。十分に還元焼成ができなくて酸化焼成となったのであろうということ。瀬戸黒:ある日、古瀬戸を焼いていて途中、器を窯から取り出したとき釉薬が水に落ち、それが真っ黒になったことから、瀬戸黒の色の出し方を発見したのだとか。瀬戸黒の台形で高台が非常に低いその姿が私は好きです。桃山の初期を感じます。織部黒:利休に好まれた瀬戸黒も時代は織部に移行。箆で腰の辺りが削られ、沓型に変形されます。黒織部:いよいよ幾何学的文様の絵が黒い肌の中に白い肌が現れた中に描かれます。・・・・・・・一気に昨日学んだことを書き上げてしまおうと思いましたが、まだまだ続きます。今日のところはここまでにしましょう。和子先生のお言葉。【桃山の陶工たちは食い扶持はあったでしょうが、良いものを作らないと死が身近だったのでしょう。だから私たちが一生懸命作っても敵わない。】と。
2006年10月10日
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セラミックパーク美濃 現代陶芸作家の作品岐阜県陶磁資料館 桃山の陶磁器 青磁模倣 黄瀬戸 瀬戸黒(高台低い) 織部黒(高台高く、沓型) 黒織部(織部文様) 白磁模倣美濃陶磁歴史館 窯跡 生焼けのもの 志野>鉄釉で絵を描く 鼠志野>鉄釉、釘で絵を引っかく 織部焼の硯作る!!!
2006年10月09日
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なかなかブログ更新できないまま来ていますが、今日もお茶もカナダ話も離れてお仕事の話。13年勤めてきた会社をとうとう今月17日に仕事納めをして(在籍は来月までですが)、辞めることになりました。ありがたいことになかなかお会いできないお客様に何人も直接挨拶が出来ることができ、うれしい限りです。その中でも○光子様にも直接挨拶が出来ました。ご本人はきっと私を認識をされていると思われなかったけれど、後輩がわざわざ呼びに来てくれて、是非挨拶をされたら?と提案してくれたので、せっかくだからと挨拶に向かいました。46年も同じ舞台を続けられ、テレビでもよく取り上げられていますが、ご本人の口からその話が出たので、私たちの目標ですから是非いつまでのお元気でご活躍くださいとお話をしました。(年齢的に)私を超えられないけれど、とお答えになられましたが、もちろん(ご本人の素晴らしさを)超えることはできませんが、女性のわたしたちのお手本ですから、ご活躍されることが私たちには元気を分けていただけるのです、と。ちなみにお年の割りにというより、年齢に関わりなく本当にシワがなく、びっくりします。それから6年ぶりにいらした方もあり、実際私が最後にお会いしたのはそれ以上前。歌舞伎の鼓をされる望月朴清様。もうお会いすることもないだろうか、と思っていたらようやくお会いできました。ヨーロッパの某航空会社のクルーのサキさんも何年も会えないままでしたが、昨日ばったり。何年に一度最近は連絡のある方からも先日電話があり、ご挨拶。残りの時間、どれだけのお客様に挨拶ができるのでしょうか。
2006年10月04日
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なんとなくここはどこ、大草原の小さな家の時代かと思いながらバイクで先を急ぎました。やっと着いたマーティンの両親のおうち。マーティンの両親が在宅でマーティン、ナターシャそれぞれダブルチークキスをしてご挨拶。私も遅れじと”ボン・ジュール、アン・シャンテ!”(こんにちわ、はじめまして!)とご挨拶。リビングに通していただくと、お部屋には様々絵がかかっています。それはマーティンのお母さんが描いた絵で、販売もしているそうです。マーティンの家の私のお部屋にかかっていた、男の子と女の子がブランコに乗って、でも後ろ向きを描かれた絵と同じ作者でした。それはお母さんの絵だったのです。お母さんの絵は少しどこか、心の裏側の何か秘めたものを感じました。このブランコの絵が象徴するように、主人公が前を向いていなかったり、リビングの顔が半分描かれて青い世界の中に浮かんでいたりして、すっとは理解できない表現です。そして、地下にある私たちように用意してあるお部屋にまずは荷物を置きに行きました。私はまた、このご両親用に用意したお土産を手早く持って上にあがっていきました。お父さんには孫の手とマーティンにも持ってきた、日本酒。お母さんには風鈴と折り紙。それをバックヤードにある、動くガーデンテーブルとイス腰掛けて渡しました。早速風鈴は庭の木の枝にかけられ、リンリンと音を奏でていました。少々の罪悪感は100円ショップで買ったもの。やはり音は良くありません。それなりの音です。次に来る時はもう少し気合いを入れて探したものにしようと思いました。ちなみに私はヨーロッパの文化も好きなので、庭に出てのドリンクは何が良いかと聞かれて、ハーブティを頼みますと彼らにはあまりその文化がないようでした。冬には飲むけれど、と。そう、彼らは冷たいドリンクをどんどん飲みます。私はそんなに冷たいものを飲むとお腹をこわすんじゃないかと思うのですが、温かいものを飲むのは冬に限るようです。そこでの語らいを済ませ、この後はケベックのダウンタウンへまたバイクにまたがって出発です。そうそう、地下にある私たち用のお部屋にはもう一つお部屋があって、ほんの少し開いていたドアから中を覗くと男性がひとりテレビを観ていました。私はてっきりマーティンの兄弟かと思ったのですが、両親の家に居候をしているまったくの他人でした。彼の子供は今刑務所に入っており、彼自身は離婚をして、引きこもりになっているのだとか。まだここ数ヶ月居候をしているということ。ちょっとない文化な気がします。次の日の朝、真っ暗なお部屋でそっとドアを開けて私たちと共同で使うトイレに入っていった音を聞きながら、私は寝たふりをしていましたが、普通ならちょっと怖いような話。それとも穏やかな彼ら性格から、問題を起こすことはないのか。
2006年08月21日
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蜂にさされて一週間経ったというのに、今さら蜂に刺されたところが腫れてきました。病院に行ってろくに診もされずに塗り薬だけもらって帰ってきました。さて、ケベック行きのバイクの後部座席。腰の下にある握り手か点前にあるベルトを持っていざ出発したのは良いのですが、慣れないヘルメットはクビにくる。バイクから落ちるのではないかという心配から、しっかり握っている手を伝わって肩はがっちがち。途中、ガソリンを入れるためにスタンドに寄る。そこに行き着くまでにまずは高速道路、これは本当にフリーウェイで料金は無料。そこから少し外れて入ったところでのスタンドは、なんとも素朴なところでした。ケベック行きの道はセントローレンス川という川沿いの道を行きました。ナターシャいわくこの道は、かわいくて田舎できっと私が好きな道だということでした。ガソリンを入れる間、ヘルメットを抜いでリラックスしていると、あたり一面に日本のタンポポの種よりもう一回り大きな種がフワフワと漂っていました。それがまたこの素朴な雰囲気とこの綿のような種が宙に舞っている様は、一種映画のようでした。そしてここから徐々に私はバイクに慣れていくのでした。マーティンとナターシャにそれぞれアドバイスを受け、腰でバイクに乗ることを覚えると両手を離してドライブ再開。鳥になったように後部座席で羽根を広げ、行きかう対向のバイクには手を振り。ファインダーは覗けないけれど、カメラのシャッターをきり、バイクの旅を楽しみました。途中、休憩をしに砂利の駐車場しかないこじんまりとしたお店に着くと、缶ジュースとプーチンという食べ物を口にしました。ふたりは意味深でしたが理由はプーチンというものが、ジャンキーな食べ物でマーティンには信じられない食べ物なのだそうです。フライドポテトに白いチーズ、このチーズの名前は忘れましたがモッツァレラチーズのような味ででも歯ごたえがあり、キュッキュという食感のチーズです、そこに甘辛いような日本式に言えばあんかけがかかっているのです。私にはとてもジャンキーなものには思えないのですが、マーティンにはこんなものを食べるなんて、とにかく信じられない、と。フライドポテトはフライドポテト、白いチーズは白いチーズでそれぞれ好きだけれど、このふたつを足してしかもあんかけをするなんて、こんなおかしなもの、こおんなジャンキーなものありえない、のだそうです。いずれにしろこれがこの日のランチです。その後ふたりは私の時差ぼけを懸念してお昼寝タイムを作ってくれました。このお昼寝タイムのハプニングはすずめをもう少し大きくしたくらいの鳥が、私の顔を蹴飛ばしていったことでしょうか。しかし、この道を走っていきながら気づくのはここはいったいどこなんだろう、ということ。セントローレンス川には大きな船が行きかいます。小さいころテレビで観たミシシッピー川を彷彿とさせます。まばらにある家々は大草原の小さな家の雰囲気に似ています。私は2-300年くらい昔のアメリカにタイムスリップしたような感覚に襲われました。
2006年08月14日
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さて、今日から盆休みというわけではありませんが、私にも4日間の休みが出来ました。この休みを使って、滞っているカナダ旅行記を書こうと思います。以前はモンロイヤルという丘に言ったお話まで行きました。その日の帰り、町の中を走っていると本当のベーグルだと言ってベーグル屋さんに入って行きました。家に帰ってから夕食の準備をしている間、今度は車で近くのスーパーに出かけ、私の必要とする日本へのお土産買いに出かけました。そこで仕入れたのはメープルリーフのクッキーを5袋に100%メープルシロップの缶を3缶。お値打ちでしたがなかなか量があり、帰ってからバッグに詰め込むとほとんどいっぱいになってしまいました。家に帰ってから夕食はというと、蟹とサラダ。蟹はゆでてサラダはナターシャ特製のシーザーサラダ。トッピングのクルトンはナターシャがパンからじっくりと作ったものでした。赤ワインとともに食して明日のケベックへ向けて早めにベッドに就いたのでした。その次の日、バイクの後部座席に乗っての小旅行が始まりました。朝、10時ころ出かけようと言っていたのですが、マーティンお薦めの本物のベーグルとチーズ、スモークサーモンを食べ、これまたマーティンお薦めのちょっとすっぱい、ジュース健康補助ドリンクらしいのですが、私にはこれまた同じ健康補助ドリンク、ニノによく似た味のジュースを飲んで時差ぼけを少しでも和らげるためにたくさん飲みました。といっているうちに11時をまわって12時近くにモントリオールの家を出ることになりました。さあ、これからがしばらく大変でした。肩は凝る、クビは疲れる。ケベックまでの道中どうなったのでしょう。続きはまた。
2006年08月12日
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カナダ旅行記がなかなかアップデートできないながら、今日は浴衣茶会を先生のお宅でしましたのでそのつれづれを。毎年参加できなかった浴衣茶会ですが、今年は参加することに。もともと先生が着物を着る機会が少ない生徒向けに、せめて気軽に浴衣を着てお茶会をしましょうと始めたもの。このごろでは着物を着てお稽古する生徒さんが増えてきましたから、気軽な茶会から少々本格的になってきました。一度もお稽古していない風炉の炭点前を私がすることになったのですが、昨年購入した自身の風炉釜とお釜を使用。これがとても小さいので炭点前は真似事にしないと炭がとても入りきらない。具体的にいうと、胴炭の変わりに点炭を使ったほど。これでいかに小さな風炉釜かご理解いただけますか?そして、今日のお茶会にはうちの会社のスタッフが私を含めて6人に。ここ数ヶ月であれよあれよと入門者が増えてうれしいやらなんやら悲鳴をあげてます。今日の参加者総数が15名のうちの6名全員が参加。しかも、われわれの休みは不定休なので全員が希望休を出して休みを取ってのでした。昨日、普段のお稽古をしたのでその際に持っていったうちの庭のトケイソウと西洋朝顔が薄茶席、濃茶席、それぞれの席でタイミング良く咲いてくれました。朝顔は最後のお点前までがんばって咲いていてくれました。本当はそれはそれはぎりぎりまで粘って咲いてくれていたようです。神妙な面持ちの中、爆笑する場面もありながら楽しい浴衣茶会は終了しました。それにしても、準備をしているときに私は不覚にもアシナガバチに左手と右肩を刺され、病院に駆け込みました。処置が早かったので腫れは引きつつあります。何となく点前がしにくかったのですが、炭点前と薄茶点前をしました。また、11月のお茶事の予行練習にもなったし、お茶会の楽しさを再確認しました。心を込めて用意し、お客様に喜んでいただける楽しんでいただけることが出来たならば、やはりこんな楽しいことはないですね。ちなみにトケイソウは亡くなった前の先生のお宅から生前頂き、挿し木をして増やしたもの。濃茶の茶入れは随分時代がかった先生の茶入れを使用したのですが、替え茶器に用意したのは私の茶器で、今日参加できなかった社中のお仲間が作ってくれた仕服のついた茶器を使うことで、そのお仲間に参加していただきました。そんな話を会話に織り交ぜることで、なんだか雰囲気が出せたのではないかと思っています。
2006年08月06日
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歯を食いしばってバイクに乗り、恐怖は心の中に押し込めてモントリオールのダウンタウンに到着。ランチを何にするかと考えて少しフラフラしつつもインドとベトナムと日本が混じったようなお店に入る。私は先日日本で食べたタイ風カレーが食べたくてそれを注文。しかし、味は日本でのほうが数段おいしかったし、思いのほか良が多かったので食べきれずに残してしまった。そして、お土産を買うのにあちこち見てみるけれど、なんだか寂れた街にしか私には写らない。ここにもある100円均一のようなお店、ワンコインショップ。こここそは、と期待して入ったけれど、気に入らない。そうこうしているうちに眠くてたまらない。時差ぼけの精です。イスに腰掛けて寝ることに。5分くらい寝てさてまた出発。ちなみにその週はF1があるらしくハードロックカフェがある通りには、F1を宣伝する旗や盛り上がりを取材するテレビ局がレポートしている風景に出会いました。このダウンタウンではカナダの国旗のボールペンやモントリオールのTシャツを買ってひとまずお土産探しは終了。その後またバイクに乗って出かけた先は”モンロワイヤル”という公園でした。小高い山の上にまでバイクで出かけ、モントリオールの町並みを見下ろしましたが、白い鶴のような建物がモントリオールオリンピックのドームと分かりました。残念なことにこのドームは今は使われていないということでした。そうそう、カナダの国旗がメープルであること、メープルシロップがとても有名なこと、それはこのモンロワイヤルでつくづく分かりました。メープルの樹が自生している様はそれはそれはたくさんあり、なるほど国旗にもなることと思いました。そして、マクドナルドのMのマークにもそのメープルのマークが入っていました。さて、今日はお茶の話題も。山本翠松先生とイジイジ塗り。昨日うちの先生の紹介で山本翠松さん宅にお邪魔しました。桑名市無形文化財になられた漆工芸塗師でいらっしゃいます。うちの先生はことあるごとに、翠松さん、翠松さんとおっしゃり、いぜんホテルのロビーで立礼茶会をした際も、3月でしたので翠松さんに依頼してたち雛の棗を作っていただいたり、また先日は茶懐石の際の椀物をうちの流派のものを再現して作成していただきました。うちの流派のものは芸が細かいので手間も費用もかかります。(なかなか私たちには手が出ないものが多くて難儀です。)そして、このたび山本翠松さんが無形文化財になられたお祝いでの引き出物に出された、菓子器もお稽古で使ってくださっていて、それがとても美しいのです。手のひらよりも小さいくらいの、高台付の丸い器です。真ん中は黒くまわりは緑、そして縁取りは赤です。緑の部分はイジイジ塗という技法で模様が付けられています。なんて斬新な色使い、翠松さんのオリジナルなんだと勝手に決め付けていました。しかし、これが私の勝手な思い込みと分かりました。というのはかぶら盆や桑名盆(どちらも同じものを指しますが)はもともと足つきのお膳でした。先ほどの菓子器の大きなものと考えても良いと思います。そのお膳の配色とイジイジ塗が桑名盆でした。そこには草木や果物の絵が書かれていたのですが、文政時代に幕府に献上をと考えた藩主がそのころ活躍していた谷文晃にかぶらを描かせて献上したのが、かぶら盆の始まりだということです。今、私たちが普通に思うかぶら盆は、足つきのお膳の足がとれ、緑と赤の配色は除かれ、生地を生かしたお盆に象徴化された単色のかぶらが描かれているのを主にかぶら盆と思っていますが、実は本歌はイジイジ塗を施された緑のふちに、赤の縁取りのお盆だったのです。それを復活されたのが山本翠松さんだったのでした。また良い出会いがありました。今後どのような進展があるのでしょうか。楽しみです。
2006年07月19日
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朝、目覚めてから、それが5時半くらいでしたのでマーティンたちが動き出すまで3時間ほど、ごそごそとしながら、眠りながら過ごしていました。やっとふたりが起きだし、マーティンはベーグルを買いにマーケットへ。ナターシャと私はボルフィーのお散歩。朝から買出しに出かけたマーティンでしたが、買ってきたベーグルはなんちゃってベーグルでおいしくないから気に入らないとマーティンは不満顔。それにしても、ベーグルと一緒に食べようと出てきたスモークサーモンの大きいこと。日本のスモークサーモンとは比べ物になりません。手のひらを広げたよりも大きいくらいのサーモンです。味もばっちりです。それとクリームチーズを合わせていただきました。ベーグルはともかくおいしい。そしてこの日の計画はバイクに乗ってモントリオールのダウンタウンに行くこと。バイクには初めて乗る私は、バイク慣れをしてそれが出来れば、後日ケベック市にバイクに乗っていくことに。そのための試運転のようなことででした。不安に思いながら挑戦してみることにしたのですが、ヘルメットをかぶることから大変でした。そしてダウンタウンに行くだけでフリーウェイを行きます。日本と違って本当にフリーです。風がビュンビュン。右折左折は身体ごと倒して走るので怖い怖い。しっかりと運転するマーティンに掴まっているのかと思っていたら、荷台の持ち手か座席のベルト、運転者の腰が持ち手。肩に力が入り、肩はより以上に凝り、クビも思いヘルメットに辟易。また、時差ぼけのところに持ってきて、バイクの振動は眠りを誘いました。後ろの座席でうつらうつらとしている私でしたが、頭ははっきりとしているのに眠くて仕方ありません。眠ってしまったらバイクから転げ落ちるのではないかとビクビクしておりました。ここダウンタウンでお土産など買おうと思ったのですが、なかなか。さてこの続きはまた。
2006年07月17日
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夜遅くやっとベッドにもぐったのでしたが、朝少し明るくなったくらいには既に目が覚めてしまいました。どうやら朝方2時に寝たのですが5時半くらいに目が覚めたようです。しかし、まだゆっくり寝ていようと8時過ぎまで粘って布団にもぐっていました。前日は夜も更けているというのに、まずはお土産を渡したくてマーティンには扇子つきに甚平、ナターシャには着物地のベルトと京都土産にあった着物地のハンドバッグ。居候さんのパトリックには扇子をプレゼントしました。そして、マーティンの大好きな熱燗ようのお酒、8月に結婚するマーティンとナターシャに少し早いのですが、結婚祝いにと徳利とお猪口。梅酒も日本的で良いかと思いチ○ーヤの梅酒。大感激されてわざわざ席を立って私のところにやってくると、はぐとキス攻撃をふたりから受けました。単に形を現すのでなく、本当にうれしいのだということを充分に示してくれるのです。プレゼントしたこちらまでとてもうれしくなりました。そうして、新しい陶器の消毒の仕方と、熱燗の作り方を教えてお酒を飲んで就寝。そして、粘ってもぐっていたベッドから抜け出すとマーティンとナターシャが起きているかと、彼らのお部屋のドアを見てみると大きく開け放たれています。あら、もう起きているのかと思ったのですが、いえいえふたりして仲良くまだ寝ています。ちょっとびっくりしながらオープンなふたりの性格を徐々に受け入れる私でした。この日の計画は朝食を食べながら話し合いをしました。朝食は大好きなスモークサーモンが出てきたのですが、さてこの話の続きはまた次回。
2006年07月12日
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なんだかんだとニューアークではありましたが、モントリオールに向けていよいよフライトです。ところで、ニューヨークの三ヶ所ある空港の中で一番新しいといわれるこのニューアーク空港より私はシカゴに行くときに寄ったデトロイトの空港のほうが私は好きかもしれません。トランジットの間にお買い物するのに、あちらのほうがまだお買い物が楽しめる作りだったと思います。さて、21:05、ニューアークからモントリオールに向けて飛行機は動き始めました。今度の飛行機はとてもスリムで通路を挟んで左右両方で座席は3席でした。そのためジャンボでは手荷物として機内に持ち込めたキャリーバッグも、機内に持ち込めず、入り口でお預けとなりました。中にはお土産の日本酒と梅酒、急須セットなど割れ物がいっぱい入っていたので預けるなんてとんでもない。なんとか持ち込めないかと交渉してみましたが、あえなく諦めました。結果、問題なくお土産は無事その役割を果たしましたが。それにしても、飛行機に乗り込んでからやっと飛行機が動き出したかと思ったのですが、なかなかスピードアップしません。ずっとずるずると動くかと思ったら機首が左右に動いたときに、窓外に見えたのは5、6機順番待ちをして並んでいたのです。一機づつ飛び出すのを空港のデッキからみるほうが爽快な気がします。ようやく飛行機が飛び立ちモントリオールに22:40に着きました。カナダ人の友人、マーティンとナターシャが待つ出口へと急ぎました。二人は出口付近で私を待っていてくれました。マーティンはデジカメで私の登場を写そうとカメラを構えています。ようやくふたりと挨拶をしてマーティンの車で家に向かいました。空港から15分くらいといわれていたので、そこからはさほど疲れることもなくマーティン家に到着。整然と区画された町並みはなんといって言いか分かりませんが、とにかく私の中では”外国みたい”って外国なんですけど。いわゆる私たちがイメージする外国の町並みです。まったく同じ色調の一軒家がひたすら並んでいる一画や、同じくらいの大きさの一軒家でそれぞれ色や形の違う家が並んでいる一画などいろいろです。ナターシャは明日の朝、明るい中で見るとまた違うわよ、と教えてくれました。車の中ではペットは大丈夫かと聞かれました。以前、マーティンに聞かれましたが再度確認のようです。どうしてもダメなわけではないけれど、家の中に犬、猫がいるのは衛生的にあまり好きではありません。でも、まったくダメなわけでもないので、しかもダメと言ってはどうにも困った状況にしかなりませんから、大丈夫としか言われません。また、マーティンの友人がどうの、という話も出たのですが、ああ、それも聞いたけど英語をよく理解できず分かっている分かっていると言っておきました。まずは家に着いて犬は一匹、いえいえ大きいので一頭、ボルフィーという名の彼は尻尾をふりふりじゃれついていました。猫は合計3匹です。そして、ふらっと現れた男性がもうひとり。彼がマーティンの友人でやっとここで理解したのが、離婚もして住居に困っているらしくマーティンの家に居候しているということでした。彼の名前はパトリック。最後までこの話題はしませんでしたが、8月に結婚を控えているマーティンとナターシャ。ナターシャは正直なところちょっと彼の存在には困ったいるようでした。日本だったらかなり困るのでしょうが、ここカナダの住居は一階はリビング、2階にベッドルームがふたつとバスルーム、地下にはシャワールームつきベッドルームがあるので、まだ許容範囲なのかもしれません。ここでよく考えると日本の家を出てマーティン家に着いたのは、ゆうに24時間経っています。私は先に簡単にシャワーを浴び、それからみんなでカクテルタイムとなりました。さあ、ようやくモントリオールで過ごす日々が始まります。
2006年07月09日
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さて、ニューアークでの飛行機の乗り継ぎはかつての旅行の中で、一番分かりにくいものでした。飛行機を降りて流れで自然と次の目的地にたどり着くのですが、この空港ではいったい私はどこに行ったら良いのか分からなく、途中係りの人に声をかけなければなりませんでした。黒人の彼は無愛想に君はこっちだ、とだけ言って次の私の行く先を教えてくれました。そして、セキュリティーチェックを通り、モントリオール行きの飛行機のゲートを探そうとボードを見ると、なんとそこにはフライト番号もモントリオール行きという表示も見当たりません。やっとの思いでインフォメーションを探し当て聞いてみると、当初のゲートから場所が変わって#112ゲートだと教えられました。しかし、それを鵜呑みにしているととんだことになることもあるだろうと、すぐには信用しない私は#112ゲートに行き、そこのスタッフに確認をしようと思いました。何せ、まだ案内ボードには私の飛行機の案内が出ていないのですから。#112ゲートには下を向いてひたすらコンピューターを打っている男性がいる横に、スタッフ同士5、6人ほどでべちゃくちゃ馬鹿笑いしながらしゃべっているスタッフがいました。おしゃべりしているスタッフには声をかけられるわけもなく、下を向いていた見た目かっこいい彼に声をかけました。すると彼は目配せで”横の連中に聞いてよ”というので横にいた黒人の女性に"Excuse me?"というと、楽しい会話を中断して何よ!とでも言いた気に対応をし始めました。そして、私のフライトはどのゲートと聞くとおもむろにコンピューターをたたき、そして何度もたたき、”ん~ん、ないわね。このフライトナンバーないわ。ん~ん・・・・。”独り言か私を不安にさせる気かぶつぶつ言っています。挙句、私の差し出したボーディングパスの用紙でおでこをポリポリ。その用紙はまた私の手元に戻ってくるのです。気持ち悪いからやめて、と思いながら次の彼女の行動を待っていると、突然電話が鳴りべちゃくちゃと私をほったらかしにして話し始めました。"Who can help me!!!!!!"いったい誰が私に協力してくれるのよ!!!と思わず声を発していました。すると下を向いていた男性のスタッフが、えっ?という顔をして今、彼女が(黒人の女性スタッフ)調べているから、というので私は、”彼女はほったらかしにして何も答えないじゃない!”と怒りました。それまで日本人が何か言ってきたわ、くらいにしか対応していなかった彼らがやっと真剣に対応し始めました。そして、間もなく#112ゲートで間違いがないという答えが返ってきたのでした。それでもしばらくは案内ボードに表示がなく、心配していましたが数十分後に表示もされやっと安心してトランジットの残りの時間を楽しむことになりました。5時間のトランジット時間も幸か不幸か長く感じなかったのでした。それにしても夜8時というのに外があまりに明るかったのにはびっくりしました。そしてこの明るさはモントリオールで過ごす日々、一日をフルに活動することにもつながったのでした。こんな空港の面白くない話を長々書いてもいけませんが、私の海外の印象はいつもだいたいこんなものです。しかし、モントリオールで過ごした日々がまったく違うものだったので対比として、ここにあえて残したかったのです。大概、人種差別的に対応をされ面白くない思いを何度となくするのが海外。それはそれでそこの国に行ったらそこでは私は外人だもんね、と思い逆にそれを楽しむのですが、明日からは精神的、人種差別的ストレスを感じることなく、人間的で暖かい人々、環境に恵まれて過ごした日々をつづろうと思います。
2006年07月08日
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やっと時差ぼけも回復し、身体の調子も良くなりましたので少しづつアップできるかと思います。カナダはケベック州モントリオールでの旅行記の始まりです。さて、6月19日。本当は地元の空港から発ちたかったのですが。エアーチケットが取れませんでしたので、仕方なく成田から発つことになりました。まったく脳天気に新幹線で行けばいいさと思ってのですが、大きなスーツケースとキャリーバック、デジカメの一眼レフに手荷物バッグを持って片道3時間近くはしんどいものでした。はっきりいってお上りさん候、スマートでないなあ。スーツケースを先に成田に送っておく手もあるのですが、またしても脳天気な私は、キャリーバックだけで行くつもりでしたから用意が遅く、送る手はずが出来るわけもありませんでした。以前ドバイに行く際、関西空港から出たのですがそのときも大阪駅から一時間もかけて空港に行くことに辟易としていましたが、その比ではありませんでした。夕方4時40分成田発、アメリカニューアーク行きに乗り込むため家を午前中に出ました。ニューアークでモントリオールへの飛行機に乗り換えなのです。この日は偶然にもシカゴ在住の知り合いのご夫婦も成田からシカゴに向けて発つことになっていました。前日はそのご夫婦と一緒にお食事をさせていただいて、しかも成田で会うなんてちょっと素敵、と思っていたのですが、お二人が成田に国内線で着いたときには私は搭乗手続きが始まっており、タッチの差でお会いできず。携帯電話で挨拶をして私は機内に乗り込みました。窓側の席を指定してチェックインしたのですが、実際、機内に乗り込むと窓側のシート記号Aは間違いなく、しかし、私の座った席は窓のちょうどないところでしかも、前後の席は主翼の隣。窓側を指定した意味がない、とひとりぼやきながら機内での身支度を始めました。U字の枕に空気を入れ、足にはエアーマッサージに空気を入れ、ブランケットをビニル袋から出したら準備完了。先日観た映画の本、ダ・ビンチコードを読みながら離陸を待ちました。機内での楽しみはまずは機内サービスでワインを飲み、眠くなれば寝て、気が向けば本を読む。が、しかし、なんてことでしょう。某アメリカ系航空はアルコールは有料。当然、どの業界でも価格破壊が進みサービスを下げなければ仕方ありません。同じサービス業なので理解はするのですが、なんだかここにもサービス低下を余儀なくされているのだなあ、と思うと淋しくなりました。機内サービスが3回あるのですが、なんだか今回はせわしなく感じながら飛行機は一路ニューアーク(本当はニュージャージ州ですが、ニューヨーク州、成田が東京国際空港というのと一緒でしょうね。)に向かいました。ニューアークはこの飛行機会社のハブ空港ということとニューヨークの三つある空港の中で一番新しいということでしたので、きっと素晴らしいところだろうと期待をしておりました。そして、初めての経験でしたがなんと、ニューアークに着くと乗り換え便の案内がボードにありません。ここまで来てカナダに行けないのでしょうか。続きはまた次回。
2006年07月06日
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久しぶりの日記更新です。しかし、茶の湯ではありませんが悪しからず。19日より一週間カナダに行って来ました。カナダ人の家にホームステイをしてきたので、観光旅行というより友人宅にふらっと遊びに行ってきた感覚ですが、ドアツードアで片道24時間以上でした。しばらくは、カナダで出会った人々やカナダの印象を少しづつアップしていきます。ちなみに私が行ったカナダはモントリオールでフレンチカナディアンの場所です。友人は英語が話せるので会話は英語でしたが、それでも時折フランス語が飛び交い、少しばかりフランス語をかじったことのある私は、挨拶程度にはフランス語を織り交ぜて会話を楽しみました。また、フランス語で話しているのをじっと聞いていると、たまになにを話しているのか分かるようになって、またフランス語を勉強しようという気がむくむく湧いてきました。さて、茶の湯でないとはいえ、日本大好きな私は折り紙と筆ペン、一筆箋、簡単な抹茶セットを持ってカナダへと旅立ちました。お土産には日本酒、梅酒、扇子に風鈴、孫の手など持っていったのです。さあ、どんな旅になってでしょう!
2006年06月27日
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ブログ休憩中です。家の庭が春爛漫になったので写真をアップしました。もっともっと手を入れて本当に爛漫にしたいものです。
2006年04月11日
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荒川静香選手、金メダルおめでとう!!!今日はライブで観るために早起きしました。こちら出身のミキティの4回転も楽しみで観てましたが、残念。でもきっと次のバンクーバーでは4回転を成功させてくれることでしょう。そして荒川選手、って思っていたら”鳴りやまないスタンディングオベーション”というナレーションに目が覚めました。そして次の村主選手を観ましたが、荒川選手のライブを観られず至極残念で、その後テレビにかじりついて何度も録画をいろんな局に切り替えつつ観ました。結局今日は何度荒川選手のスケーティングを観たことでしょう。それにしても何度観なおしても、美しい。観飽きません。エレガントで音楽とぴったりあった滑り。演技力、表現力はとても素晴らしかったと思います。正直、日本のスケーターは美しくなく好きではありませんでしたが、荒川選手のそれは、金メダルを彼女が取らずして誰が取れるのでしょう、というほど素晴らしかったと思います。そして、長野オリンピックからのスランプ。8年という長いトンネルを抜けての今日です。たった一年前の彼女の映像を観ても、今日の彼女とはまるで別人です。穏やかな、やさしげな彼女に今日はとても共感しました。実は彼女と私はとても近いものがあります。名前が一文字違うだけ。というだけでなく、なんだか自分を観ているようでもあります。今日は彼女にとても勇気付けられた一日でした。だからどうしてもお茶の話しか書かないこのブログに書き込んでしまいました。
2006年02月24日
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食籠と呼ぶのでしょうか。前の流儀も今の流儀も菓子器は蓋付の物ではないので、本来の使い方をよく知りません。これは和子先生に初めて出会ったときに、籤をまわしたら当たりが出て(しかも先生の作品をふたつ頂いていたので二回まわしていいと言われ、二回まわしたらふたつとも当たりだったのです。こんなことはまずない私です。)好きなものを選んでいいと言われたので、美濃伊賀の花入れとこれと迷ったのですが、この弥七田織部の食籠を頂いたのでした。そのころはまだ織部焼なぞ好きではありませんでしたが、巷の織部でなく作家物の織部はやはり違う、ということを感覚で思った程度でした。私はこれを普段のお茶菓子入れにして紅鉢の横に置いています。お茶を頂く前にこの蓋を開け、お菓子をいただきます。勝手に題名にキャンディーボックスと書きましたが、英語訳にしたらこういうのだなぁ、と先日思いついた物ですから。つい先日、家元の奥様が本を出されました。三代続いて同じファーストネームのお嫁さんだと言うことを初めて知りました。(家元のおばあ様もお母様も奥様も同じお名前、厳密にはおばあ様は”子”がつかないですが。)三代も同じ名前なんてなんてご縁なんでしょう。お茶の家の生活を垣間見て、生活の中のお行儀などについて厳しいところもあるのですが、四季を通して外に向けての行事だけでなく、ご家族の生活も四季折々大切に過ごしていらっしゃるご様子が、羨ましくもあり、忘れていた生活でもありました。さあ、おくらばせながら今日、お雛さまを飾りましょう。そうそう、宗磨お薦めの本の中に家元の奥様の本が写真つきで出ています。ご興味がございましたら、ご参考になさってくださいませ。(できることから・・という題名です。)
2006年02月20日
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少しづつ、美濃焼、瀬戸焼研究に入り始めました。といっても書物を読むにとどまっていますが、いずれ知識を持った上で実際のものを見たり、聞いたりしたいと思います。そして、今は3回前のブログの本を読んでいます。それを基にまとめてみます。まずは、織部について。織部焼という名称はその焼物が焼かれていた当初はその名称はなかったそうです。そして不思議に思うのは、この織部という名前は武将、古田織部からきているのですが、といっても一部に古田織部と織部焼は別のものとの説もあるようですが、人の名前が意匠になりそれが焼物の名称になるのは珍しいという思いと、なぜに武将の名前がついたのか不思議でなりませんでした。普通、だれだれ作というものはあると思うのですが、織部焼というのはどのような意味合いがあるのか知りたいと思っていました。この本によると美濃の陶工が時代を席捲していて、かつこの地方出身のそして古くから交流のあった古田織部に、あなたの名前をつけて焼物を販売したらきっとたくさん器が売れるでしょうから是非、織部焼と銘々して販売したいと言ったとか。定かな話ではないようですがこの説明に私は大きくうなづく思いです。決して古田織部が自ら作ったものではなく、だからこそ北大路魯山人や半泥子のようにこれは魯山人作だ、半泥子作だといったように器が残っているわけではない。織部焼という意匠から多くの形や種類の織部が存在するのでしょう。黒織部、織部黒、幾何学的文様のある緑釉薬の織部焼かつ、その中には鳴海織部や弥七田織部まだまだ織部の名がつく種類があります。この本によると織部自身が指導して焼かせたのは黒織部と織部黒だけだろうと言うコメントもありました。そして、古田織部は徳川時代には不便な人物だったことで時代から抹消されたような形になっているのだとか。この時代背景を紐解くことにも興味が湧いてきました。ちなみに以前もこのブログで書いたことがありますが、利休の死、その弟子の織部の死、その弟子の小堀遠州はふたりの死を繰り返すことなく魔を清めるために、お茶の点前の中で釜の蓋しかり、棗の蓋しかり、水指しの蓋しかり、カタカナのマの字で清めます。
2006年02月18日
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茶花の椿として好きな花の一つです。生憎、この寒さと水遣りを怠りすぎたせいでしょうか、花弁が少し茶色くなってしまってますが、先月のお茶のお稽古で先生が使ってくださった基木です。うちの庭にはこれ以外に後一つ。朴半という花弁が真っ赤で中のおしべが太く真っ白なものがあります。これはまだ小さなつぼみなので写真に載せられませんが。ただし、この椿は種から栽培されたものだと、真っ白なはずのおしべが赤が混じり印象的な紅白の花にはなりません。うちのは混じりの入ったほうなので、そうでないものをいつか手に入れたいと思っています。
2006年02月13日
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昨日観たテレビでかかっていた掛け軸がタイトルの”草非人非木非”。草にあらず、人にあらず、木にあらず。では何かといえば、順番に書いていくと現れてきます。”茶”。面白い言葉をつくって河井寛次郎さんはお軸にされていました。美濃焼きと瀬戸焼の研究を少し始めようかと、本を読み始めました。まったくの素人なので、私が理解をしていく順番に書き留めていくとしましょう。まずは美濃焼き、瀬戸焼を語るには古田織部を知らずして語れないようです。織部焼とはいったいなんだろう、古田織部が作ったものか、釉薬を緑にしたのが古田織部か。黒織部とか織部黒とか。もともと織部焼も美濃焼きや瀬戸焼の分類の中に入っていたようです。続きはまた順番に。
2006年02月12日
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しばらく書き込みしなかったのですが、生きてます。さて、アースデイの実行委員をしている友人からちょっとしたボランティアを頼まれました。そのボランティアの仕事をするついでに寄ったのが、ブック○フという本のリサイクルショップで、見つけたのがこの写真の本です。”利休そして織部”というタイトルは瀬戸・美濃焼きを研究しようとする私には少しわくわくする名前でした。本当はお古というものがあまり好きでない私は、リサイクル本も好きではありません。そうは言っても物を大切にしたい、リサイクルには興味もある私。矛盾も感じます。そしてこの本は調べたわけではありませんが、普通の本屋さんでは簡単に目にするものではありません。そして本当は800円くらいの値段がついていたのですが、ぱらぱらとページをめくると表紙ちかくのページには随分と赤青の色鉛筆で線が引っ張ってありました。お店の人に相談すると105円になりました。ならば購入しましょう、そして本も大いに生きるというもの、と手に入れたのでした。もったいない、もったいない。実はボランティアの仕事はこの言葉に大いに関係のあるものなので、なんだか面白く、なんとも有意義な一日でした。私のお手伝いがうまくいけば、なぜもったいないが大いに関係あるのかまたお知らせできることでしょう。
2006年02月07日
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今年は茶事元年になりそうです。まずは先週の日曜日。同じ社中の方が亭主役をされ練習茶事がされました。同じ流派の別の先生に正客になっていただき、11時30分から茶事が行われました。私はというとお詰めのお詰め、席中にいながら半頭をしました。お茶事は10年近くぶりでしたが、しかも違う流派だったのですが、身体がなんだか動く動く。練習茶事ということもあり気楽になっていたのかもしれませんが、まるで亡くなった前の先生が見守ってくださっていたのかと思うほどでした。残念だったのが薄茶の点前の際、替え茶器を用意しておき亭主の後ろに声をかけて置いたのですが、すぐに亭主が引いてくれると思っていたところなかなか引いてくれず、一瞬席をはずした折りに、亭主が替え茶碗を取ろうとして茶器を転がしてしまったことです。そんなこともあるかもと思い注意をしていただけに、少し残念でした。これは次回への反省点になりました。茶事後の片付けをしながら、普通の練習点前にない段取りをするときは練習をしましょうと反省会をしました。春は茶事が難しいかもしれませんが、夏、亭主役をするとおっしゃっている方があるので次回は夏の茶事になりそうです。そして私は秋に。ちょうどそれようにお道具が揃いつつあるのでタイミングが良いです。きっとそのときには例の秋の茶杓が主役になることと思います。早く支払いをして我が物にしたいと思います。
2006年01月14日
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明けましておめでとうございます。この色紙は和子先生が年末送ってくださったもの。和運和運とはなんという禅語かと思いながら、犬の声なんですね。これは平和を運ぶ使者という意味合いがあるそうですが、宗磨流に解釈し、かつ今年の座右の銘に。他人との和を大切にし、皆の運気を上げていこうと。これがなかなかうまく行くと心穏やかに。つらいなぁと思う時も心でささやくのです。”わうんわうん”今年もどうぞよろしくお願いします。追伸:etsunobu-san,itihana-san 年末にはコメントをありがとうございました。
2006年01月06日
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昨日はキャンドルガーデンと銘打って友人を呼んで、冬の一日を過ごしました。その友人がキャンドルガーデンが出来る!って以前言ってくれていたのでやってみようと思ったのです。そしたら今日は記録的な大雪。ひとりでキャンドルともしながら悦に浸っています。しかもお部屋の電気はつけないで充分に明るさを感じられます。今日はお茶の稽古納めの日。本当は夜お稽古をする予定でしたが、この大雪は夜、車を運転するには怖いと思い、先生にお願いして昼に変更。しかし、夕方お稽古終了して帰る道はひどく渋滞と雪降りで運転が少々怖かったのでした。家に着いて駐車場では積雪が15センチはあるようでした。さて、先日の漆器の展示販売での立礼式茶会について。(続きはまた後で)
2005年12月22日
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ここのところ仕事で精力使い果たし、とってもブログの更新が出来ません。今日は2連休の2日目。やっと汚かったガラスを磨き、チューリップの球根を植え、少したまっていた家の仕事を片つけました。もう少しやりたいこともありますが、少しづつ片つけて。さて、やりたいことの一つ、昨夜テレビを見ながら片付けました。それが写真の灰道具入れ。ミシンがないから手縫いで仕上げました。最近は毎日のように、しかも毎朝毎晩、炭でお湯を沸かします。灰を育てるために。なるべく灰形を壊さないように何度も炭を使ってからと思うのに、ついつい灰形を作り直したくなって、毎日もしくは2日に一度の割合くらいで作り直します。そのたびに購入した時に入っていた箱から道具を取り出すのがわずらわしいと思っていたので、道具を一まとめに出来るように簡単な巻くタイプの袋を作りました。最近は手仕事の何かがしたいなあと思います。
2005年12月09日
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とうとう先日の茶杓を購入することにしました。今日、美術商のところに行って来ました。画展もされておりお軸をひとつひとつ説明していただきました。中には一千万円以上もするお軸もあり、金額に目が奪われ、お軸の良さが少し理解しきれないで終わってしまったかもしれません。どちらにしろお軸にまで興味を湧かせないでいられて良かったです。さて、茶杓。すぐにはお払いできないからと取り置きして頂くことにして、今日は少し手付けを置いてきました。宗慶の秋の茶杓:秋/秋風になびく浅茅ばことにして(・・・・またしても覚えきれず、せっかく歌をコピーしていただいたけれど忘れてきてしまいました。)こちらが私の生まれた年に作られた茶杓。宗明の春の茶杓:春/岩走る 垂水の上の早蕨の 萌えいづる春に なりにけるかも」 万葉集・志貴皇子の歌遠州流では茶杓筒に歌を定家様でかかれます。それは上記のように歌集からの引用だったり、家元が詠まれた歌だったり。初釜(遠州では点初め式といいますが)では元旦に詠まれた茶杓が使われます。今年だったか昨年だったか、宗慶宗匠はふと同じ情景の歌がふたつ詠めたとおっしゃって、珍しく筒に2首書かれていました。
2005年11月28日
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(10月10日のブログを参照ください。)今日は職場に家元の紹介で、と言って男性からお電話が入りました。てっきり私あてかと思ったらそうでもないらしかったのですが、私がたまたま出たから双方話も早くまとまり良い結果になったのではないかと思います。仕事のことはさて置き、この御仁、あるデパートの古美術商の店主。通常だと敷居がとても高いのでなかなか入れない場所。これは良いチャンスという思いもあり、今日は早番で仕事が終わった後、別の用事があり、時間は余裕であったので、お店に寄らせていただくと伝えました。さて、ぷらぷらしながらたどり着くと、残念ながらその方はいらっしゃらず、店員さんが対応してくださりました。お茶を頂きながらお話をしていると、別の店員さんがたまたま店主から電話があったので私のことをお話してくださったらしく、店主が(うちの流派の)宗匠の茶杓があるから見ていただきなさい、とおっしゃったといって茶杓を持ってこられました。秋風に、で始まる和歌を付けられたその茶杓。情けないことに和歌を覚えられず、確か古今集にあった和歌を茶杓に付けられてました。お値段をお聞きしたところで手の届くものでなし、と思いながらもお聞きすると、思ったよりはしませんでした。いろいろ眺めてみてみると、宗匠がその茶杓を削られたのは、なんと私の生まれ年と分かりました。筒の裏に60年に一度注目される干支が書かれています。そしてその筒、煤竹をストライプ状に削られているのです。なんと細かい細工でしょう。ちなみに全て宗匠や家元ご自身の御手に寄るものです。これは縁ですねぇ。(ちなみにもう一本、とついでに出されたのが宗匠のお父様、今の家元のおじい様のものも出てきました。宗匠のものが秋ならば、早蕨にちなむその茶杓は春。二本を並べて見ると古いはずの早蕨は筒も茶杓も色白でとても綺麗。さすがに春を思わせ、それより新しいけれど秋風にちなむその一本は煤竹を使用していることもあるからでしょう。秋を感じさせる風合いです。)二本見比べていると頂くなら両方ともよね。理由は秋風は自分の生まれとし作。しかも宗匠の御手に寄るものをひとつは欲しいと思っていたこと。二本にしたら春と秋と両方楽しめます。そしていつかは今の家元のものをと楽しみが増えます。それが叶えば三代の茶杓を揃えられます。なかなかないものです。さて、今日のお題は【不二ひとつ 埋み残して若葉かな--与謝蕪村】。やっとこの歌の意味が分かりました。今日、先の美術商でいろいろと説明くださった方に、伺ってみました。その方は分からないけれど、としながらも、若葉のころは葉っぱが茂ってものが隠れて見えなくなるけれど、富士はそれよりも遥かに高いところに聳え立っているもの。そういう人間たれ。何となくそんなことかなぁ、と言う思いもありながら、うまく自分では表現できず、もやもやしておりました。これで理解。そして今の私は埋みにまどろんでいるなあ、と改めて実感。そろそろ自分の軸を立て直して、不二ひとつに目標を持って凛としていきましょう。
2005年11月22日
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昨日は三重支部のお茶会が四日市駅近くのお茶席で行われました。本当は先生がお越しになるはずだったのですが、ご都合が悪くなったということで、たまたま休みだったので代わりに私が参加させていただきました。最近やっと禅語にも興味を湧かせ、本を読んでいます。そして、この四日市でのお茶会のお席にかかっていたお軸は、【一行三昧】。一の字は”弐”(に)の点がひとつだけの字になっており、いち、と読ませておりました。そしてそれは宗慶宗匠の手によるものです。ひとつのことに精神を集中して邁進する。お茶のお点前はまだ精神統一できているかどうか。庭仕事は無心になってするのですけどね。
2005年11月21日
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なんだか風邪気味のようです。頭が痛い。とりあえず写真のアップをします。
2005年11月11日
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連休最後の今日はさて、充実した日をと思っていたのにお昼がとっても眠くて夕方まで寝てしまいました。これもこれで充実?さて、友人かおりちゃんからプレゼントが届きました。それがこれです。かおりちゃんありがとう!!欲しいと思っていた一冊でした。今や家には茶の湯からみの本がたくさんになってきました。文化のシーズンはまだまだ続く。
2005年11月10日
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はっかくのまばんくうりをはしる・・今日の掛物はこの禅語でした。これは宗慶宗匠の書かれた掛物でした。今日は初めて家元のお稽古に連れて行っていただきました。発表会でもご披露でもないので今さらあわてても仕方がなしと思い、通常のようにお点前をしましたが、それでもやはりあがっていたようです。たまにはこういうお稽古も良いかもしれません。いつも以上に身が引き締まりました。そしてまた、たまたま家元が炉開きをしようとおっしゃり、炭点前をしてくださり、かつ、お神酒まで家元の手から頂戴するという光栄を頂いたのです。その後は先生のお宅に行き、初めて台子点前をしましたが、前の流儀の台子と少し意味合いが違うように思うのですが、どうなんでしょうか。勝手な私の理解では、利休さんは台子が好きではなかったし、草庵に合うつましやかな点前を求めた。しかし、遠州さんは江戸が開け平らかな世の中になりつつある中、そのつましいものからまた一歩進めて、利休さん以前にあった書院作りの中にあるお茶も再び取り入れた。それに合うのが台子点前。なので以前の流儀は台子といえば格が高く、お濃茶がメインだったように思うのですが、うちの流儀は薄茶だけでも色々とあるのです。でも、以前の流儀ではあまり台子点前をしてませんし、知識不足ですので大間違いかもしれませんので、どなたかご存知でしたら教えてください。これは京都で購入した帯揚げと帯締め。今日はこれをしてお稽古に行きました。ちなみにこの帯揚げは先日の歌舞伎に行ったときに、お姐さんがされているのを見て、いいなぁと思っていたものでした。(珍しいものでもないのでしょうが、ひとがされているのを見て素敵に思えたのです。)さて、お知らせがひとつ。ご心配頂いていた方もあるのですが、京都に行った際になくしたという定期入れ、JRからお知らせ葉書が来て、どうやら新幹線の中に落としていたようです。(中身が全部あるのかまだ分かりませんが、恐らく大丈夫でしょう。)明日JRに連絡して受け取ろうと思います。お騒がせいたしました。
2005年11月09日
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2日前に京都に行き一旦帰宅したものの、昨日は午後から大阪に入りました。今回の休みはこの大阪行きが元々の目的だったのですが。(ちなみに京都でなくした定期入れは、未だ見つかりません。)さて、大阪ではビアンチェというイタリアンに行き、少し早いBirthdayのお食事会でした。そして今日は朝から奈良に向かいました。奈良には小学校の修学旅行と学生の時に奈良博で行ったくらいでしょうか。(あっ、年齢ばれます?)近鉄奈良駅に着き、そこに行くまでの車中からも平城京の復元や発掘作業を眺めながら、そして徒歩で奈良市内を回ることになりました。興福寺、春日大社、ランチはその近くで奈良とは思えない、南仏風の建物でフレンチを頂き、(Wild Frogという赤ワインはメルローとカベルネソーヴィニオンのミックスで私好みのワインでした。)その後、とっても行きたかった奈良国立博物館の正倉院展に行きました。そう、今日のメインは正倉院展。写真の絵は、平螺鈿背円鏡で2003年11月号の和楽を写したのですが、今年もこの円鏡は出ていました。ポスターはこの円鏡のものもあります。(後で分かったことですが、円鏡と八花鏡とよく似た別の鏡があることが分かりました。今回は八花鏡のようです。円鏡は丸いのですが、八花鏡は八弁のお花のようになっており、まん丸ではありません。)日本のお宝箱、正倉院は知っていましたが、またしても私の無知を暴露することになりますが、正倉院は聖武天皇の崩御に際し、光明皇后が思い出の品々を収めたのが正倉院なんですね。当然小学校の時に授業で習ったのでしょうが、さっぱり覚えはありません。それにしてもたった一人の天皇だけなのになんて、すばらしいお宝がこれほどたくさん保管されていることでしょう。奈良から帰る車中、購入した本をあれこれ読んだのですが、1200年もの間、出土品としてではなく、伝世品として守られてきたことが素晴らしいのだということ、また、このお宝たちは国産のものというよりも、シルクロードを渡って海外からやってきたものがほとんど。そして、超ド級の品々で貴族ですら持てないような、そんなお宝の山です。そして、今となっては手に入らない素材や、途絶えた技法などがあって世界中で正倉院にしかない貴重なものもあるとのこと。この時代、ゲームのひとつが囲碁、その碁局もありましたが、感動したのが碁石である、紅牙撥鏤碁子(コウゲバチルノキシ)、紺牙撥鏤碁子(コンゲバチルノキシ)という白と黒の碁石でなく赤と青のしかも撥鏤(バチル)という技法で花喰鳥の文様の彫ってある碁石。それはそれは美しく、本や図録の写真がなぜこれほど威厳なく、美しくないのかと思うほど、本物のそれは素晴らしいものでした。そしてこの撥鏤という技法が途絶えた技法のようです。毎年秋に正倉院展は開かれるとのこと。来年も是非行きたいと思います。茶の湯も正倉院に影響されているものが多い。それにしても、茶の湯の時代から考えると天平の古えは更に更に昔のこと。それにも関わらず、海外との交易は今に劣らず、中国、朝鮮半島はいうに及ばず、トルコやアフガニスタン、ミャンマーとつながるのです。さて、恐らく12月26日あたりにはまた奈良に行くことでしょう。友人の誕生日のお食事会ですから。今日行かれなった部分の奈良に行ってきたいと思います。
2005年11月08日
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なぜなら、今日午後から京都に行ってちょいちょいとお寺巡って、くづきり食べて夕食食べて(その場所では、舞妓さんやお姐さんたちと一緒になったり、女優の○○まりこさんと偶然一緒になったり、)ちょっとセレブーな気分を味わって、予定より早く食事も終了したので早々に新幹線に乗って、食後のアルコールは名古屋でということになり、新幹線に乗り込みました。そして、たまたまバッグの中身を探っていると、ない。定期入れが。その中には会社のIDカード(新旧両方あり、旧はクレジットカード機能付き)もあり、また車の免許証も。どこで落としたのかさっぱり分かりません。一度だけなんでバッグの口が開いているのか、ふと、気になったときがありましたが、財布がなくなったわけでなかったので、さほど気にせず・・・・。かなりへこんでます。ちなみに今日は有名人にかなり遭遇しました。上に書いた○○まりこさんや、京都駅では○○まなみさんと思しき人、名古屋に帰ってくれば○○きよしさんや○○純一さんなど。大概、有名人は見慣れてますが、こうも会社以外のところで、しかも場所がべつべつのなんの脈略もないところで、お会いというか、遭遇というか、したことはまれです。それにしても何よりもへこんでます。ああああああああ・・・・・・・・・・・・・・・・・。今日もこんなことより書きたいことがあるのに、それどころではないのでこの辺で今日は終了します。 クレジットカード紛失連絡 オオイソさん(これはメモです)
2005年11月06日
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今日はちょっとお茶から離れて、私の大切なものがたくさんある中のひとつ、オーディオについて。このオーディオはデンマーク製。この製品に出会うまでは大して音楽にあまり興味はなかったのですが、この製品に出会ったときは音のきれいさに驚いたのです。それから恋をしてしまったのです。3年間恋をして、たまたまチャンスがあったためにその後、3年間無利子のローンを組んで購入したのでした。ちょっとお値段が張るのですが、一生のうちに必ず購入するんだと心に決めていたので、無利子なら貯金しているつもりで払えばいい。貯金して貯金してやっと貯めたまとまったお金を動かすより、そのほうがいい。しかも少なくても3年も早くからB&Oを楽しめるのですから。というのがその時に思った理由でした。そしてそれもあと数えること、7ヶ月・・・もある。もう少しもう少しがんばりましょう。このオーディオの良さは音が心に響くということ。難しい理論はおいておいて、初めてこの音を聞いたときはたまたま家具などおしゃれなものはないかな、とふらふらしているときに、どこからか気持ちの良い音が心を揺さぶるのです。何これ?と見た時は値段がしっかり目に飛び込んできて、いくつかの製品が並んでいる中で一番お値打ちだったのですが、それ以外にもかっこいいオーディオが並んでいましたが、あまりの値段に見る気をなくしていました。そしてまた別の雑貨屋さんでもまたも同じ経験をして、すっかりB&Oに打ちのめされていました。そこでたまたまB&Oの直営店を見つけたとき、ついふとお店に入ってしまいました。そこでは一切、値段はつけてなく、逆に安心してお店の人にあれこれと質問できました。そこで聞いたことで覚えていることは、デンマークで作られていて、大部分を人の手で作っていること、モデルチェンジはされないこと(日本のようにころころと信じられない速さでのモデルチェンジはしないのです。それほど完成度の高いものを作ろうという精神の表れなのですが。)そして、ニューヨークの近代美術館に展示されているものであること、音が良いだけではなくデザインも良くなければいけない、ということでオーディオのデザイナーではないデザイナーを雇って、世界あちこちに旅させ、デザインをさせてデザインからオーディオを作るのですから、スピーカーは四角くて奥行きが必要などという概念が壊され、この写真のスピーカーなど細長いものになっています。(今は日本のメーカーなど、このスタイルになっているものがありますが、きっとこれに影響されているのではないでしょうか)など。そうして最初に見つけたB&Oよりもこの写真のB&Oのほうが、はるかにお値段はするのですが、すっかり恋をしてしまったわけです。値段をつけていない理由は、値段で判断されてしまうと、それ以上説明を聞いてもらえないから、というものです。まさしくその通りだと思います。今の世の中、金額だけが先行して、ものそのものの価値を判断しにくいのではないかと思います。確かにB&Oは私からするとかなり値の張るものでしたが、(オーディオマニアの方々は、もっともっとお金をかけられるので、これなどは大したことはないようですが)私の中の美意識に新たなものを吹き込んでくれたものの、大きなひとつです。
2005年11月05日
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今日は朝から庭仕事を久々にしました。この続きはまた後で。まずはあさがをの写真をアップ。さて、今日から7連休です。なんとか有意義に過ごしたいと思い、計画を早くから立てているのですが、体調不良。風邪か、花粉症か分かりませんが、この精で治療中の歯もうずき、単純に治療がよくなかったのかと思い、歯医者に出向いても良くならず、そんな中、午前と午後少し、庭仕事をしました。写真のあさがをは11月に入ったというのに、未だに元気良く毎日咲く西洋あさがをです。普通のあさがをとは違うのはお花が咲く部分が、このあさがをだといくつも花芽をつけること。そして次から次から花をつけます。また、茎は華奢なあさがをのイメージをまったく覆すほど、太くそしてどんどんと繁殖するかのように、縦横無尽に伸びていきます。そんなことから今はすっかり小さな、華奢な朝顔に憧れています。そしてたまたま駅に野生化した青とピンクの朝顔を見つけ、種を頂戴してきました。来年は可憐に咲く、華奢な朝顔を咲かせたいです。それでもいつの間にかこの西洋あさがをが、幅を利かせていると思います。とても丈夫な種類のようですから。やっと芝を刈り、枯れた壺などは横にやり、続きは明日へ。おやつの時間は体調を考え、お昼寝の時間にしましたが、夕方からお稽古の用意。今日は結城紬に作り帯。(本当は作り帯は好きでないのですが、色目が良かったので合わせました。)今日は今年初めての炉の日。薄茶の平点前をしました。うちの流儀は男点前なので棗は届かないし、茶杓は届かない。点前のあいだ中、体を動かして行っては物を取らないとなりません。そのたびに着物はぐちゃぐちゃ。そうそう、今日気づいたことがありました。最近、どうしても床の間中心の足運びがうまく行きません。裏千家の時は右で入り、左で出る、というもの。それが床の間中心だと畳ごとに歩幅が合いません。先生と一緒に考察すると、裏千家の時に最初の一歩を小さめにして右入り、左出の調整をしていたことに気づき、それがために今の床の間中心では最後の一歩を大きくするか、もう二歩余分にするかと苦労していたことをやっと理解したのでした。こんなところにもまだ前の流儀のものが残っていたのでした。(今までなぜ気づかずにやっていたのでしょう。)
2005年11月04日
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やっと念願かなって写真のアップが出来ました。今回の写真は私が会社や旅先にもって行く茶道具です。カラフルな袋はアジアンのイベントで見つけたもの。茶碗は黄瀬戸(もしくは黄いぼら)と織部(風の)沓型。袱紗は万博で見つけたシルクで出来たスカーフを袱紗に仕立てました。このお茶碗でどれだけの人、どれだけの幸せな時間を過ごしたきたのでしょう。そしてこれから先、どれだけの・・・・?
2005年11月02日
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今日半日の私の時間はショートトリップ。朝早く起きて、電車に乗り向かうは六古窯のひとつ常滑へ。正直常滑焼は好きではありません。なんだか野暮ったいのですもの。でも本題は箏の音を聴きに行くことでした。常滑の駅で降りたときは時間を作ってどこか常滑焼を見に行こうと思っていました。本場に行ったらきっと私の思っている野暮ったいばかりの常滑焼でないことが証明されると思うからです。さて、なぜに常滑で箏かと言えば、以前うちの会社で私がお茶を立礼で行ったとき、打ち合わせになかったことですがたまたま、立礼のお茶の横で白砂の上に箏奏者のかたがいらして、演奏しながらの茶の湯となったのです。その際に少し声をかけたことがご縁で、この箏奏者の先生としばしお手紙と携帯メールのやり取りをさせていただいており、その先生が今日、常滑と半田の郵便局でボランティアの箏演奏をしていらっしゃるということでしたので、そちらに参ったのでありました。尺八や胡弓との合奏です。常滑で少し拝聴し、その後、半田に移動してまた別の郵便局で演奏。同じことの繰り返しだから、と先生より一回目の演奏が終わった後、二回目の演奏が終わるまでの一時間、自由行動ね、と言われすぐ近くにあるミツカンの工場見学に行くことにしました。以前ここは夜のライトアップが素敵だからと、連れて来て貰ったことがある場所でしたが、当然夜だったので工場見学はしておらず、図らずも今日はそれができました。ここは創業以来の建物をそのままに、そして社長のお名前も代々継承されており、又左ェ門さんとおっしゃります。少しまえ、全国ネットの経済番組に出演されてお話もされてましたが、ご本人は最初やはりこのお名前を継承されるのは本意ではなかったとのこと。でも名刺の英語はかっこいいですよ。Matazaemon Nakano VII (7世)ですからね。仕事の関係で何度かお会いして声をかけるのですが、いつも足早にお出かけされなかなかお話をしていただけないのが残念ですが。http://www.tbs.co.jp/gacchiri/oa20050626-mo3.html
2005年11月01日
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うちの流儀では釜の蓋を清めるときも棗を清めるときも、カタカナのマの字に清めます。以前の千家の流儀の時はそのようにマの字にはしなかったので、こんなときにも流派によって違うなんて!と少し面白くなく思っておりました。ただ、これも単に違いをつけるためにそんなことをしているのではないのです。それを知ったのはうちの会社でお茶会を開く際にお願いして、お手伝いいただいたご年配の男性からでした。遠州は古田織部の弟子。その師匠は千利休。どちらも切腹しての死。遠州はその恐ろしい魔を清めるために、安泰を願う心からマの字で清めたのだと。そしてこのブログの10月11日に和子先生の言われた、遠州が織部焼の印(ハンコ)を持っていたという話。その時にその理由をどこかでつながる何かがあったと思ったら前述のご年配の方のお話だったのですね。そして和子先生からお話を聞いたとき、その印を一度見てみたいと思っていたら、写真ではありますがありました。小学館から出ている月刊誌『和楽』(書店にはありません。定期購読本です。)11月号のP187にその印はありました。そのページを開いたときにハッと気づきました。遠州に織部の印。桃山の終わりの時代にタイムスリップをするようです。忌まわしい時代の終焉に遠州の安泰を願う心を。
2005年10月31日
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やってしまいました。色紙風炉釜に釜をカ~ンと当ててしまい、疵が・・。どんなにショックか分かりませんが、考えないように考えないように。でも本当はショックです。ああ~~・・・・。今日はお休みで朝から炭でお湯を沸かそうと思い、やっていたのですがなかなか湯は沸かなくて、何度も釜を上げたり下げたり。炭と戯れること半日。少し炭との関わり方が理解できたように思います。ラジオやテレビをつけていたからかも知れませんが、あまり松風がなく釜が悪いか環境が悪いか、さてどっちでしょう。湿し灰は香りが良く、ちょっぴりうれしかったのは今日の喜びひとつ。本来は番茶で湿らすのですが、随分前に母が買ってきてくれた中国茶をもったいなくて捨てられずにいて、そのお茶で湿し灰を作っております。今日は入れ物から取り出す際、柔らかな良い香りがしておりました。そして、炭を片付けまた中国茶で湿らしながら篩いにかけ、しまいました。美しく育ってちょうだい、と願掛けながら。昨日はまた少し茶人としてはうれしいことが。今度のお稽古にうちで働いているロシア人のイリア君を連れて行くのですが、一緒にどう?と冗談半分に誘っていた女性のスタッフが、誘ったときはいやぁ、と引いていたのに行きたい、と目を輝かして言うのです。なぜかと聞くと、私がたまたま関西の初めでお会いしたお客さまとお茶の話が弾んだ後、彼女がお帰りまで付き添う間、そのお客様よりあなたもお茶をしなさい、そんな堅苦しいものじゃないわよ、っといわれたことが彼女の心を動かしたようです。たまたま数日前に私が携帯茶道具を持って会社に行き、宗磨のお茶講座とともにお茶を振る舞い、なぜお茶碗をまわすのかなど、彼女は少しばかり感動しておりました。そして、その後も少しお茶にまつわる私のお茶講座を仕事の最中に話して、彼女はすっかり希望に満ちているように思います。私の自己満足かもしれませんが。う~ん、やはり簡単お茶講座を出来る場所と私の勉強をすることが出来たら、と思いますね。
2005年10月27日
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行って来ました。中村勘三郎さんの襲名披露。何度か歌舞伎は観劇したことがありましたが、口上は初めてでこんなにおもしろいものとは知りませんでした。裃着た役者さんたちがずらっと並んで、順番に勘三郎さんについてのお話などされるのですが、ウィットにとんだ冗談を言われ、一人づつ〆に”お願い申し上げー奉り給います~うぅぅ。”と。そして、有名な唐獅子も初めてだったのですが、とても宗教がかったものだったので少し意外でした。唐獅子はよくテレビなどで長い髪を振り回す光景をテレビなどで拝見はしたことがあるので、その光景から宗教とは縁遠いと思っていたのですが。それにしても勘三郎さん親子3名の競演は、また見所の大きなひとつでした。小獅子のコミカルな動きもお二人の息がぴったりで、だから尚楽しいものでした。ふと、ここでも素敵な日本の文化が次世代にきちんと受け継がれるのか、かなり心配でした。というのも、ランチで入った劇場のレストランではほとんどご年配の女性ばかり。それに安い席のお客さんの層は、もう少しドレスコードを考えて欲しいような装い。歌舞伎を観るのにかかる費用は確かにお高い。今の若い層はそんなに裕福でないことを考えると少々、難しい。だからといって値段を下げるとがらっと質が落ちることも必至。それは上にあるようにドレスコードに引っかかるような装いで、立ち居振る舞いもひどい。ネクタイが必要、とかドレスを着ろ、とかそうではなくてTPOに合わせた装いをして、おしゃれに歌舞伎を楽しんだいただきたいと思うのです。ちなみに私は基本的に観劇の時は着物を、しかも紬を着て行きます。今回は京都の芸姐さんとご一緒だったので、さすがにスーツにしましたけど。今、必要なのが次世代に受け継がれる日本の文化、伝統であろうと思います。茶の湯をしていて強くそれが必要だと思うのです。そして、どの日本の文化も今、踏ん張りどころの気がします。がんばれ~!そしてがんばろう!そうそう、一つ目の演目は”五平とお国”でしたがこれは、超超超ストーカーのお話です。気色悪い、いじけた男の話。昔からこんなストーカーが居たのですね。
2005年10月24日
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今年の秋の足音はいきなりでっかい音とともにやってきた気がします。今日は仕事が午後からで、日中、駅から会社に歩く道々、なんて風が冷たいのかと思いながら歩きました。つい先日までお茶のお稽古で着物を着るのに暑くて仕方がなかったのに、次のお稽古は合わせにしたいほどです。紬の着物の出番もそろそろです。楽しみ、楽しみ。そうそう、ひょんなことで明日、中村勘三郎さんの顔見世に行くことになりました。しかも京都のお姐さんとご一緒することに。3人の席のようですが、初対面の方々ばかりなのです。ちょっと緊張と楽しみが交錯しています。この顔見世はとっても人気があって、チケットが取れなくて諦めていたのにふっと湧いて出てきたお話です。遅番の仕事が終わってロッカーに行くと携帯電話の合図音が。携帯電話にお姉さまのおひとりより留守電が入っており、コールバックすると彼女の代わりに行かない?というお誘いでした。お嬢様が体調崩しているため看病しなければ、ということでした。久しぶりの歌舞伎です。しかもとっても人気の中村勘三郎さん。楽しみ三重丸。
2005年10月23日
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