全47件 (47件中 1-47件目)
1
プロ野球史上初となるストライキは、ギリギリの折衝のうえなんとか延期となりました(中止ではなく…)今日現在の合意事項を簡単にまとめました。1.近鉄とオリックスの合併凍結については、交流試合の導入による可能性を分析したうえで、速やかに回答する。2.野球協約にある加盟料,参加料について、新たに加盟しやすいように撤廃し、預かり保証金制度などを検討する。3.来期(2005年シーズン)は、セ・リーグ6球団以上,パ・リーグは5球団以上を確約する。4.選手会は協議を継続させるため、明日あさってのストライキは実施しない。5.NPB(日本プロ野球組織)と選手会との間で、構造改革協議会を設け、ドラフト制や年棒などあらゆる問題点を徹底的に協議する。6.以上の協議が整った場合、以降のストライキは行わない。でした。球団数以外の点については「検討する」というコトですので必ずしも問題が解決したわけではありません。要するに経営者側が、問題が山積しているので時間をくれないかということですね。けれども選手側も経営者側も、これからの本来の日本の野球のあるべき姿を、初めて真摯に考えようと向き合ったように思います。ひとつ間違えば、そのまま沈滞して行くかもしれない野球人気に、一筋の光が見えたように思います。ここまで築き上げられた選手たちの記録,ファンのみんなの熱い声援,思い出をムダにしないためにも、ぜひ議論を尽くして今まで以上に魅力のあるプレイやゲームを見られるコトを願います。頑張れ古田選手会会長!虎党のボクも熱い応援を送るよ!
Sep 10, 2004
コメント(721)
「YOU RAISE ME UP」Josh Grobanこの夏の話題を独り占めにしたアテネ・オリンピックも終わりスポーツ界を賑やかせているのはプロ野球のストライキ問題という、深刻でネガティブな問題ですがそんな陰に隠れながらも、世界選手権で金メダルを獲得した若者を見つけました。稲垣正司(26歳)彼は男子競技者の少ないバトントワリングの世界で、このたび25回目となる記念大会により、見事10連覇を成し遂げました。6歳の頃、二つ年上の姉の習っていたクラブに一緒に入ったのがきっかけでした。両親は野球やサッカーなどの球技も勧めたらしいのですが、「人と争うコトが苦手」という彼の性格からか、結局最後まで続いたのがバトンでした。世界選手権では11歳から5年連続でジュニア部門優勝。シニア部門に移ってからも、初年度こそ3位に甘んじたがその後の大会ではいずれも優勝し、昨年まで9連覇を成し遂げています。大学を卒業してからはプロのトワラーとして、どこの企業や団体にも所属せず、フリーランスでトレーニングを続けていました。その間,経済的にも苦しくて、一時は年収が60万ほどしかない時期もあり、親族の家に居候をしながらの毎日もあったそうです。それでも自分の理想の演技を求めてコーチもいない中、たった一人で技術を磨いてきました。そんな中で迎えた今回の日本での大会。彼は金メダルの連覇よりも、今まで自分を支えてくれた人々の目の前で演技出来るコトが、何よりも嬉しいと語っていました。そしてその演技時間を彩る曲として彼が選んだのがジョシュ・グローバンの「YOU RAISE ME UP(私を高めてくれた人たちに)」でした。「自分はバトンとバトンを通じて出会ったたくさんの人に育ててもらったと思っています。そんな皆さんへの感謝の気持ちを込めて、この曲を選びました。」これからもバトントワリングの素晴らしさを広めるために全国を飛び回るそうです。
Sep 9, 2004
コメント(8)
今日は、先日放送されたトーク番組での中井貴一さんのチョットいい話をご紹介しましょう。中井貴一さんは今回「ヘブン・アンド・アース」という作品で、日本人俳優として、単身中国作品に参加しました。これは、紀元700年のシルクロードを舞台にした歴史時代物の作品です。彼はこの作品に出演するために、単身4ヶ月もの間,中国の新疆ウィグル地区(ほとんどイスラム圏)に乗り込んみました。しかし、言葉の壁,アジアカップでも味わった反日感情,そして製作現場での理不尽な扱いに終始不満を募らせていました。そして、契約終了期間が間近に迫るにもかかわらず、台本の半分も消化できていないスケジュールに苛立ちを隠せずにいたある日の朝、遂に彼は付き人に宣言しました。「悪いけど、今日オレはキレるから。もう日本に帰るから。君、荷物まとめといてくれる?」そんな彼の指示に従い、付き人がしぶしぶながらも荷造りを始めた時に、めったに鳴らないホテルの部屋のTELが鳴ったのです。丁重に応対していた付き人が言ったのは「貴一さん、高倉(健)さんからお電話です。」と。高倉健は、中井貴一が今回の仕事を引き受ける前に、最初に相談した相手でした。まわりから反対される中、どうしたら良いかと相談したところ、健さんが言ったのは「何も躊躇しないでやりなさい。そうすれば、人間として,俳優として変わっていけるよ。」というものでした。その言葉を聞いて彼は今回の作品に出演するコトを決めたそうです。普段なら自分の方から話しかける彼ではありませんでしたが、その時はよほどフラストレーションが溜まっていたのでしょう。今まで積もり積もった思いを高倉健にぶつけたのでした。その話を一通り聞いた後の高倉健の答えは意外なものでした。「君の気持ちはよく理解るよ。でも、君はそこに何をしに行ったんだ?もし、君がそこにケンカをしに行ったんなら、全員とケンカして帰って来い。ボクはよくやったと言うよ。でも君はそこに映画を撮りに行ったんだろう?映画を撮りに行ったのに、映画を完成しないで帰ってくるコトほどみっともないコトはない。それは君が負けたコトになる。オレはそんなコトで怒らないほうがいいし、キレる必要もないと思うよ。そこに居残って映画を完成させなさい。」その言葉を聞いた瞬間、中井貴一は目が覚めたというか、自分で今まで何を考えていたんだろうと思い直したそうです。そして、荷造りしていた荷物を解きほぐし、今までと同じように文句も言わず、大地の上で撮影待ちをしたそうです。今回、中井貴一さんはこの時の体験を一冊の本にまとめ、「日記」というタイトルで出版されました。この高倉健さんとのエピソードの他にも、日中の微妙な関係についても自分の体験を基にしたコトバで書き綴られています。映画とともに、この本も是非とも目を通してみたくなる、そんなお宝のお話でした。
Aug 25, 2004
コメント(501)
今日は特別なテーマはありません。「自分の日記なんだから、好きなコト書いときゃいいかなぁ」なぁんて思うときもあるんですがこうやって世間に公開しているワケですし、四十過ぎたオヤジの独り言なんて綴っても仕方ないとも思うしね。でも、そうやって先送りにしていると、いつまで経っても更新せずにいるとせっかく立ち寄ったゲストの方々にも申し訳ないので、せめて神戸の夜景でも楽しんでもらおうと画像を貼り付けました。これは、先日彼女とプチ花火大会をした際に撮ったものです。自宅から歩いて五分ほどのトコロにある、海沿い公園から撮ったものです。意外にも結構涼んでいて、今年の夏ももう終わりかなぁと感じました。今、次の仕事のためにAdobeを独学で勉強中です。いろんな機能が充実している反面、ひとつのコトをするために様々な手順が掛かるので、一苦労です。いつかマスターしたあかつきには、ココで披露したいんですけどね。おっと、女子ソフトボールがイタリアに勝ったようです。オリンピックからも目が離せませんね。それでは、今日はこの辺で…
Aug 19, 2004
コメント(6)
少し遅めに目が覚めた休日の今日、TOPの画像のハイビスカスを眺めながら「なんてキレイに咲いているんだろう…」と思いながら日付を確認すると、今日は8月15日「そうかぁ、終戦記念日なんだ」そう呟きつつTVのスィッチを入れると画面にはオリンピックの映像が映し出される。そんな連想からこの歌を思い出し、我が家のヴィデオ・アーカイブスから録画していたBSのドキュメンタリーを見直してみる。世紀を刻んだ歌「花はどこに行った」今日はこの内容から、自分なりにまとめた日記にしてみました。この曲は、今もなお世界中の人々に歌い継がれている代表的な反戦歌です。米国フォークソングの父と言われるピート・シーガーの作品で(他にも公民権運動で歌われた,We Shall Overcomeも彼の作品)、キングストン・トリオが最初にヒットさせました。その後PP&M(ピーター・ポール・アンド・マリー),ブラザース・フォー,ジョニー・リバース,その他にもEW&Fや、なんと坂本龍一が在籍していたY.M.Oなどもカバーしています。歌詞の内容は、花はどこに行った…少女たちがみんな摘んで行った。少女たちはみな何処に行った…男たちのもとへ嫁いでいった。男たちはみんな何処に行った…兵士となって戦場に行った。そして戦場で命を落とした男たちは墓石となりその墓石の周りに花が咲きはじめる。人はいつになったら悟るのか?こんなコトをいつまで続けて行くのだろうか?というものです。彼はこの歌を移動中の飛行機の中、ある小説の一節をモチーフに、わずか20分ほどで書き上げたそうです。その小説はロシアのノーベル賞作家,ミハイル・ショーロホフの作品「静かなドン」であり、そこで引用されたコサックの子守唄からこの歌が生まれました。この歌を愛した人の中には、ドイツの大女優,マレーネ・デートリッヒもいました。ハリウッドにその才能を認められた彼女は、第二次世界大戦前に米国へ渡り、永住権も獲得していました。しかし、ヒットラーにナチスの広告塔として帰国を促されても拒否し続け、戦時には連合軍の慰問にも参加していたため、母国の人々からは「祖国を捨てた裏切り者」として、戦後帰国してからも迫害を受けていました。そんな彼女があえてドイツ語に訳詩して歌ったのがこの歌です(編曲はなんと、あのバート・バカラック)そしてもうひとりのドイツ人女性もこの歌を愛しています。それがドイツ代表のオリンピック選手,カタリーナ・ビットです。彼女は1994年、リレハンメル冬季オリンピックのフィギュアスケートの演技にて、この「花はどこに行った」を伴奏に使い、当時のボスニア内戦への抗議を表しました。成績は7位に終わりましたが、その素晴らしい演技はスポーツ競技という枠を超えた美しさと強さを表現しており、芸術的な評価を受けて会場の観衆からは、その日一番の拍手と花束を贈られたそうです。ひとつの作品として、とてもメロディアスで誰でもすぐに口ずさめるような優しい美しい歌なのですが、この歌を歌い継がなくてもいい世界に少しずつ変わっていくことを、祈りたいものです。
Aug 15, 2004
コメント(13)
またまた半年ほど更新せずにおりました。引越しを済ませてから、回線をBBに変更したり,いろんな接続をしているうちにPCのメモリーがパンクしてしまい、とうとう動作不能状態に陥ってしまいました。知人に相談したところ、あれこれ増設するよりもこの際新機種を導入したほうが手っ取り早いというコトで、一念発起,NEWマシンを購入してしまいました。今度の機種は前機種とはメーカーが異なるので、同じコトをしようにも違うアプローチをしないといけないので、毎日悪戦苦闘してますよ。でも、音楽と映像分野が充実しているS社のモノなんで、今後がチョット楽しみです。これからまた、少しずつ更新していきますので、よろしくお願いいたします。まずは挨拶まで…
Aug 13, 2004
コメント(7)
「UNFORGETTABLE」 NATALIE COLE先日"全員集合"世代であるボク達のコント界のリーダー,いかりや長介さんがお亡くなりになりましたね。その数日後には、ボクにとってブラウン管の中の母親だった三ツ矢歌子さんが、そして今日のニュースではもう一人の"長さん",TVドラマ「太陽にほえろ」でお馴染みの下川辰平さんもお亡くなりになったとのこと。病を患っている方が、春先の季節の変わり目に命を落とすというケースは、案外多いらしいですね。ヒトの生死について身近に感じる今日この頃です。昨日、友人の母親が突然死したとの連絡が入りました。まだ死因ははっきりしていませんが、何の予兆もない上でのお別れということもあり、家族の方のお気持ちは計り知れないと思います。ボクは10歳のときに実母を亡くしています。それも4番目の兄弟の出産時での急死だっただけに、そのショックは耐えがたきものでした。その後、父はボクたち家族の為に再婚し、継母との生活が長くなり30年を過ぎた今では、その実母の面影は次第に薄れていきつつあります。実母の死後しばらくはワイドショー等で芸能人の訃報での、家族の方のインタビューを見ていても「いい大人が涙みせて、情けないなぁ。ボクなんか10歳で母親を亡くしたんだぞ。」とヒネた見方をしていました。その人と暮らした時間が長ければ長いほど、その悲しみの深さが増すコトを知ったのは、30代を過ぎてからのことでした。同世代の友が結婚し,家庭を持つ姿を見守るうちに、「自分がもしものときに、残された家族はどんなに悲しんでくれるだろうか?」そんな思いに、心が感じ取れる余裕が出来てきたからかも知れません。生きているうちは互いにわがままを言い合ったりして、時には憎しみさえ感じるコトもあるけれど、その心の底辺には愛する気持ちがあるからこそ。相手に分かって欲しいという思いがあるからこそ。だからこそ突然のお別れが来た瞬間に、それらの気持ちがすべて精算されるのでしょうか。「涙そうそう」を聴くたびに、無意識に瞳が潤んでくるのはそのせいかも知れません。昨日ケンカしたあの人とも、心のわだかまりを捨てて迎えたい今日の気分です。*「ナット・キング・コールの娘」というよりも、一人のジャズ・ボーカリストとして成長したナタリー・コールの1991年の作品。父のレパートリーである各曲を、気負うコトなく彼女流のヴォーカルで聴かせてくれる上質のジャズ・ヴォーカル・アルバムである。プロデュースはG.ベンソンとの共作でお馴染みのトミー・リピューマ,都会的なサウンド作りの名人D.フォスター,そしてアンドレ・フィッシャーの3人が分担。エンディング曲「アンフォゲッタブル」では、デジタル技術を駆使しての親子共演を実現している。「UNFORGETTABLE」 by NATALIE COLE1.君を想いて THE VERY THOUGHT OF YOU2.ペイパー・ムーン PAPER MOON3.ルート66 ROUTE 664.モナ・リザ MONA LISA5.ラヴ L-O-V-E6.ジス・キャン・ビー・ラヴ THIS CAN’T BE LOVE7.スマイル SMILE8.ラッシュ・ライフ LUSH LIFE9.ザット・サンディ、ザット・サマー THAT SUNDAY THAT SUMMER10.オレンジ色の空 ORANGE COLORED SKY11.メドレー:フォー・センチメンタル・リーズンス~テンダリー~枯葉MEDLEY OF:FOR SENTIMENTAL REASONS~TENDERLY~AUTUMN LEAVES12.ストレイトン・アップ・アンド・フライ・ライト STRAIGHTEN UP AND FLY RIGHT13.アヴァロン AVALON14.ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア DON’T GET AROUND MUCH ANYMOR15.トゥー・ヤング TOO YOUNG16.ネイチャー・ボーイ NATURE BOY17.ダーリン・ジェ・ヴー・ゼイム・ボークー DARLING JE VOUS AIME BEAUCOUP18.オールモスト・ライク・ビーイング・イン・ラヴ ALMOST LIKE BEING IN LOVE19.ゾウ・スウェル THOU SWELL20.ノン・ディメンティカー(忘れないで) NON DIMENTICAR21.アンフォゲッタブル UNFORGETTABLE*
Mar 26, 2004
コメント(10)
「SPICE」 SPICE GIRLS皆さん、お待たせしました。ドタバタの引越し騒動もやっと一段落して、ようやく日常生活を取り戻しつつあります。神戸の中心地,元町へ移ったのを機に、チャリンコを購入しました。ご存知の通り神戸は山と海に挟まれた立地なので、いたるところに坂が多く、以前の居住地ではあまり必要性を感じてなかったのですが、今回は平地に下りてきたので迷わず買っちゃいましたね。これで三宮から神戸駅前までスイス~イと移動出来るようになりました。TOPの画像は、その様子をセルフで撮ったモノです。神戸の街角で、このかわいいチャリンコでウロウロしている姿を見つけたら、気軽に声を掛けて下さいね~!*中古CDショップで物色していたら、バーゲンワゴンの中で見つけた一枚,ベッカム夫人としての知名度の方が高いビクトリアの在籍していたスパイス・ガールズのデヴューアルバム。全世界で4000万枚も売れたこのアルバムも、今や¥200の値札がつけられてしまう有様。シングルカットされた曲は耳にしていたが、あれだけのセールスをしたワケが分からずにいた。けれどもアルバムを通して聴くとそれほど悪い出来栄えでもないな。どこかディスコ世代のオレたちにも馴染みやすい,懐かしいビートが感じられた。あの頃の派手に遊んでいた時代を思い返しながら、不況の風邪を吹き飛ばしましょうか…*「SPICE」1.wannabe2.say you’ll be there3.2 become 14.love thing5.last time lover6.mama7.who do you think you are8.something kinda funny9.naked10.if u can’t dance
Mar 3, 2004
コメント(28)
Send On Ultimate Love!!今月末に住居を移転しますので、只今その準備に明け暮れております。日記更新,掲示板カキコミ,私書箱へのお便りのお返事等、遅れますが、来月には今まで通りUPしていきますんで、しばしお待ち下さい。皆さんの日記については、携帯で閲覧しております。それでは、来月をお楽しみに…
Feb 18, 2004
コメント(29)
「CHICAGO-V」 CHICAGO今回のG.グローブ賞授賞式の模様を観ました。「ラスト・サムライ」でのノミネートで、渡辺謙の受賞なるかと日本でも注目されました。既報どおり、残念ながら彼の受賞はなりませんでしたが、それでも会場での立ち居振舞いは、ハリウッド俳優達にもひけを取らない程堂々としたものでしたね。そんな中で、ボクの大好きな俳優が「日本」をテーマにした映画で、見事主演男優賞を受賞しました(その他に作品賞,脚本賞も含めて三部門での栄誉!)その彼の名前は、ビル・マーレイ。「ゴースト・バスターズ」のとぼけた隊長役や最近では「チャーリーズ・エンジェルズ」にも出演していましたね。特別オトコマエでもなく,役柄もどちらかといえば何処にでもいる普通のだらしのない、グータラな中年オヤジの設定が多いのですが、その難しい設定を彼の持ち味で見事に演じきってしまいます。彼の出演作の中でもボクのお気に入りは「恋はデジャヴュ」(1993)です。そのあらすじは…天気予報士役の彼が、とある地方の祭事の仕事のために雪の降る町にやってきます。彼にとっては取るに足らない仕事に思い,同行のTVクルーに悪態をつきながら、適当に仕事を済ませ帰路につこうとします。ところが突然の豪雪に道を阻まれ、やむなくその町に足止めを食ってしまいます。ツイテない一夜を過ごした彼が目覚めると、そこには昨日とまったく同じ光景が表れます。町の風景も,出会った人々も。不思議な一日を過ごした彼が、翌日目を覚ますとまたもや同じ光景が。何度か同じ一日を繰り返していくうちに、日常での失敗や悪事が何度でもやり直せるコトを知った彼は、いろんなコトを試してみるようになります。初対面の気に入った女性を口説いてみたり、現金輸送車のお金をネコババしたり…しかし、どんなコトをしても同じ一日を繰り返してしまう自分がイヤになり、遂には自ら命を絶とうと試みますが…彼の演技力が存分に発揮された作品だと思います。レンタルで見つけた方には是非オススメです。今回の受賞作品は「ロスト・イン・トランスレーション」という作品です。米の有名俳優が日本の酒造メーカーのCM撮影のために来日します。ところが通訳がある理由で不在となり、一人で仕事をこなさなければなくなり、言葉の伝わらない日本人とのギャップをテーマにしたラブ・コメディだそうです。これまでの作品とは少し趣が異なり、中年男性の純な心情が描かれているとも言われています(脚本はあのフランシス・F・コッポラの愛娘,ソフィア・コッポラのモノ)共演のスカーレット・ヨハンソンも、いしのようこ似のとってもチャーミングな娘です。今回、数々の時代モノや、「ロード・オブ・ザ・リング」などのファンタジーのノミネートの中、あらすじだけを追ってゆくと、誰にでも思いつくような日常の描写をした内容にも思われますが、三冠にも輝いたのですから彼の演技力が良かったのでしょう。日本ではG.Wに公開予定なんで、楽しみにしておきますか。追記:今回の外国語映画賞部門で、セディク・バルマク監督の「アフガン 零年 OSAMA」が受賞されました。これは戦後のアフガンの様子を一人の少女の目を通して描かれた、NHKとの共同制作によって作られた作品です。メイキングをドキュメンタリーで見たのですが、これにも注目しています。授賞式で、監督がステージへと向う途中で、渡辺謙と喜びを分かち合っている姿が印象的でした…*CMで流れるピアノのイントロで懐かしい曲を思い出した。シカゴの「サタディ・イン・ザ・パーク」70年代初頭、B.S&T(ブラッドスウェット&ティアーズ)やA.W.B(アベレージ・ホワイト・バンド)と共に"ブラス・ロック"なるジャンルを確立した、シカゴの5枚目のアルバム。先に挙げた2バンドが、どちらかと言うと黒人音楽のファンク・ビートを白人風に取り入れていたのに対し、よりロック色を強めた仕上がりとなっている(オープニング曲などはプログレッシブ・ロックのノリである)「CHCAGO-V」1.ヴァレーズに捧げる歌2.今は自由さ3.お前が去って4.ダイアローグ(パート1)5.ダイアローグ(パート2)6.街が眠りについて7.サタディ・イン・ザ・パーク8.俺たちのアメリカ9.グッドバイ10.俺達の見た未来ボーナス・トラック11.リチャードと彼の友人に捧げる歌12.ミシシッピー・デルタ・シティ・ブルース13.ダイアローグ(パート1&2)*
Feb 10, 2004
コメント(16)
「inside」DAVID SANBORN最近のコトなどは深酒なんかしてしまうと、その時友人と熱い議論を交わしていても、翌日目が覚めてからすっかり忘れていたりしてしまう今日この頃です。けれど、この日記を付けるようになって、ネタ探しに毎日様々な場面を思い返す機会が多くなってきてますが、こと「音楽との出会い」となると、十代の頃の記憶でもハッキリと思い出せるんですよ。人生の節目にあたる出来事よりも、後々まで聴き返したくなるような曲に出会った時の場面の方が鮮明に甦ってきます。と言うか、オイラの生活には常にB.G.Mが流れているのかも知れませんね。初めてLP盤なるものを自腹で購入した、S.ワンダーの「キー・オブ・ライフ」高校の卒業記念に作った、レコードのオープニングに使用したB.ジョエルの「素顔のままで」営業マンをしていた時に、フト立ち寄った喫茶店のB.G.Mで聴いたシャーデーの「ハング・オン」飲み友達から薦められて教えてもらったB.ブランドの「メンバーズ・オンリー」まだまだ数え切れないほどあります(それらはこれからの日記で随時紹介していきますね。)ひとつ気がついたコトがあるんですが、それらの記憶の残像を思い返していく時に、不思議な映像が見えるんですよ。それは、それらの残像のひとつひとつにかならず自分が登場するんですよ。今でこそAV機器の進歩で、皆さんは生まれた時からの想い出をビデオカメラで残しているので、そんなコトは当たり前かも知れませんが、オイラの若かりし頃には一般人がそんなモノを手にする御時世ではありませんし、実際そんな画像は残っていません。けれどその場面の残像は、第三者の視線でしっかりと思い出すコトが出来ます。オイラの廻りの人にも聞いて回ったんですけど、どうやらそんなクセはオイラだけらしいんです。自分の中に居る、もう一人の自分がこのオイラを常に見ているような不思議な思いを抱きつつ、今日も眠りにつくとしますか…*ワン・ノートを聴いただけで彼だと分かる、独特の音色で多くの熱狂的なファンを持つ、デヴィッド・サンボーンの1999年のアルバム。それまではパッショネイト・ブロワーとして知られるサンボーンが、この作品では非常に抑えた演奏を聴かせる。都会のクールな雰囲気を奏でたかと思うと、英国の無人の石造遺産の中で、むせび泣きながら吹くような音色を聴かせる曲もある。歳を経るごとにますます円熟味を増す彼のプレイに、今夜も乾杯!「inside」DAVID SANBORN1.Corners(for Hervie)2.Daydreaming3.Trannce4.Brother Ray5.Lisa6.When I’m With You7.Naked Moon8.Cane9.Ain’t No Sunshine10.Miss You参加ミュージシャンデヴィッド・サンボーン(Alt Sax)マーカス・ミラー(Bass,Keybords,Drums,Guitar,Vocal,e.t.c)マイケル・ブレッカー(Tenor sax)ウォレス・ルーニー(Trumpet)リッキー・ピーターソン(Hammond B-3 Organ)ビル・フリゼール(Guitar)ジーン・レイク(drums)他ゲスト・ヴォーカリストカサンドラ・ウィルソンエリック・ベネイレイラ・ハサウェイスティング*
Feb 2, 2004
コメント(18)
「CONCIERTO(アランフェス協奏曲)」JIM HALLここのところ楽天仲間のみなさんの日記にJAZZの話題が取り上げられているので、ここらでボクも参加させていただきましょう。「好きなJAZZアルバムは?」と聞かれて、まず思いついたのがこのアルバム。あれ、マイルスじゃあないの?とツッコマレそうですが、彼は別格。彼は彼自身が一つのジャンルなんです。聞くところによるとこのアルバム、業界でも名盤と名高い作品らしんですが、出会った頃にはそんなコトなど知る由もなし、純粋に音を聴いて愛聴盤となりました。中学時代にロックを聴き出し、特にギター・サウンドに惹かれた私は、それからジャンルを越えて気に入ったギター・サウンドを探し求めていました。当然、JAZZギターにも関心を持ったのですが、当時の私の感覚にはどれも同じに聞こえてしまい、もう一つ興味を引きませんでした。そんなある日、ながらで聴いていたFM番組(確かNHKの「軽音楽をあなたに」だったと思います。)からこのアランフェスが流れてきたのです。途端に私はこの曲に釘付けになり、即座にアーティスト名とアルバムタイトルを書き写し、レコード屋に走りました。そして付属のライナー・ノーツを見て、ビックリ!参加アーティストは当時JAZZ音痴だった私でも聞いたコトのあるミュージシャンの名前が…ジム・ホール(ギター)ローランド・ハナ(ピアノ)ロン・カーター(ベース)スティーブ・ガッド(ドラムス)チェット・ベイカー(トランペット)ポール・デスモンド(アルト・サックス)これだけのメンツが揃っているワケですから、その演奏がシロウトにも分かる名演であるワケですよねぇ。オマケにオープニングを飾るのが、コール・ポーター作の「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム」なんですから。ジムのこもったようなギターの音色(ウォーム・トーンというのですかね?)が非常に耳に心地良く,また、管楽器のソロがさりげなく絡んでゆき、それを支えるリズム・セクションの厚みのあるバッキングでバランス良くブレンドされています。一枚のアルバムにわずか4曲しか収録されていませんが(アランフェス協奏曲は、アナログ盤の片面をまるまる使う19:23の大作)非常に中身の濃いモノです。この一枚をキッカケにして、ジョー・パス,ケニー・バレル,バーニー・ケッセル,そしてウェス・モンゴメリーと多くのギタリストと出会うコトになりました。そういう意味でもこのアルバムは、私にとっては貴重なアルバムとなったのです。
Jan 28, 2004
コメント(17)
「英吉利の薔薇(English Rose)」FREETWOOD MACヒトが他の動物と決定的に異なるコトのひとつに、"言葉"を操れることがあります。 その言葉を交わすことによって他人と会話するようになり、自己の確立と他人との距離感を測ってきたとも言えるでしょう。そこには自分が体験してきた「真実の話」もあれば、他人から聞いた「噂話」もあります。今日はそんなハナシをテーマにしてみましょう。少し乱暴な例えですが、この会話をするヒトのタイプを大雑把に二つに分けてみました。自分のコト,他人のコトも含めて話をするヒトが"キツネ"。あまり話をせずに、寡黙でいるヒトを"タヌキ"。けれど気を付けなくてはいけないのが、決してキツネの人が口数が多く,流暢に喋るとも、タヌキの人が口ベタであるとは言えないというコトです。これには私にも苦い経験があるからです。十代の頃の話ですが、その頃の私はどちらかというと口ベタで、自分の考えを的確に廻りの人に伝えるのが苦手な方でした。そんな時に事件は起こりました。当時、私には仲良くしていた親友とその彼女がいました。3人でよく遊びに行ったりしていたんですが、ある日その彼の「浮気」を知ってしまったんです。彼が彼女以外の娘と頻繁に会っているというコトを聞かされたワケです。当然彼の素行は不自然になり,彼女も不審に思い始めた頃、私は彼女から相談を受けました。眼を潤ませながら「Chigeさんが知っているコトがあれば、本当のコトを教えて。」そう訴えかける彼女に、私はありのままを伝えてしまいました。今にして思えば浅はかな行動だと思いますが、当時歪んだ正義感に燃えていた自分は、そのコトには気づきませんでした。その後二人は別れてしまい、私も大事な友を二人失いました。そう、その頃の私は口ベタであったにも関わらず、キツネだったのです。それからもしばらくはその本当の意味も分からず、同じような失敗を何度か繰り返した記憶があります。私がタヌキになろうと自覚しだしたのは、酒場のマスターという立場になってからのコトです。お酒の席では、あらゆる人々が様々な会話をしたり,行いをして過ごします。その中にはモチロン「真実の話」もあれば、実際にはありもしない「噂話」もありましたね。ですから、いちいちそれらを真に受けていては大変です。また、人から聞いた話であっても、受け手によっては「~という話を○×のマスターがしていたよ。」と言われてしまっては、全責任が覆い被さるワケですから。それからはほんのわずかなコトでも、それこそ"タヌキ"のようにとぼける技を身に付けました。ウチの店にたびたび異なる娘と訪れるようなヤンチャなお客様でも、本命の彼女と来店した際は「オゥ、久しぶりやなぁ。半年振りかい?」と、表情ひとつ変えずに言ってみたりもしました。お陰で「あそこのマスターは口がカタイ。」と言われ、いろんな方の秘密の話も教えてもらいました。それこそ、墓場まで持っていかなくてはならない話がたくさんあります。その時のクセが今もついていて、今は逆に「秘密主義者」ということで、相手に不審に思われるコトもあります。キツネとタヌキ。どっちがどうというコトではなく会話をするときは、時と場合と相手を見てしなければならないですね。結局"言葉"という道具も使い方次第で、便利なモノにも危険なモノにもなるんだなぁと思う今日この頃です。*本来なら今日のテーマに沿って「噂」を取り上げようかとも思ったが、オイラにとっては"フリートウッド・マック"といえば、こっちの方がしっくりくるのである。当時、ロックのルーツを探る旅をしていたオレたちが"ジョンメイオール&ブルース・ブレイカーズ","テン・イヤーズ・アフター","クリーム"と共に愛聴していたグループである。奇異なジャケットからは想像もつかない程の渋いブルースを聴かせてくれる。あのサンタナの出世作である「ブラック・マジック・ウーマン」も、実はこのグループのリーダーであったピーター・グリーンの作品。今夜はこのナンバーを聴きながら、久しぶりにバーボンでも飲んでみようか?*
Jan 24, 2004
コメント(14)
「LIVE IN JAPAN」DEEP PURPLEなにやら世間のオヤジたちがROCKをし始めたらしい。といっても、今流行しているJ-POPだのハードコアだのではない。およそ30年ほど前の、自分達が若かりし頃の’70年代から’80年代のロックらしい。会社帰りに楽器店に立ち寄り、ショウウインドウに並ぶ"GIBSON "やら"Fender"に眼を輝かせているらしい。そう、単に聴くだけでなく自ら楽器を手にし始めたらしいのである。何故、今オヤジたちがROCKへと向うのか?オイラなりに考えてみた。その1.今まで家族の為に仕事一筋に頑張ってきたが、子供も成長し、手が掛からなくなってきた時期。その2.不景気のあおりで残業も減り、余暇に使う時間が増えた。その3.メディアの企画,制作現場に同年代の人間が増えて、tv,RADIOなどの媒体に、自分たちが昔慣れ親しんだ曲が採用されるようになり、耳にする機会が増えた。その4.釣りもゴルフも今やオンナ子供もたしなむようになり、自分だけの楽しみの分野が減ってきた。 などなど・・・まあ理由はさておき、一時期音楽と無縁の生活を続けていたオヤジたちが目覚めたのである。世の中不条理な事件が数多く起こり、「癒し」の音楽がブームになっている時期にハードロックをやり始めるなんて。でも、まあいいか。日頃のストレスを音楽にぶつけて発散してるんだ。そいでもって若かりし頃の熱い情熱を再燃させて、あの頃の自分を取り戻すのも・・・変に物分りが良くなって老け込むのには、まだまだ早いよ。自分だけでもいい。ギターをかき鳴らしながら、心の中でギターヒーローになりきってやろう。そして納得いかない時には遠慮せず、シャウトしようぜ!というワケで、今日の一枚はコレで決まり。*当時、"ライブ イン ジャパン"といえば間違いなくこのディープパープルのライブ盤のコトを指すのが、オレ達の合言葉だった。それからロックアーティストには「武道館ライブ」がメジャーの代名詞にもなったように思う。"ハイウェイ・スター"から始まり、ギターフリークなら御馴染みの"スモーク・オン・ザ・ウォーター",そして長いアドリブの掛け合いで幕を閉じる"スペース・トラッキン"まで全7曲。当時のバンドメンバーの油の乗りきった演奏が堪能出来る。この一枚によってロックバンドのライブ様式が形作られたといっても過言ではない、マスト・アイテムである。*
Jan 19, 2004
コメント(19)
「SACRED LOVE」STING今日、陸上自衛隊の先遣隊約40名が"人道的支援"のため、イラクへと旅立った。オイラが見ていた情報番組で、その報道と共に気になる数字を取り上げていた。アメリカ占領軍は開戦以来、すでに496名の死者を出している。その中で非戦闘中での死者が153名。そして、その内の約7人に一人の割合になる21名が自殺者である。*数字はMBS毎日放送「ちちんぷいぷい」より引用*戦地での非日常で過酷な環境,異国の人々との言語によるコミュニケーション不足,そして何よりまわりの人間が全て「敵」に見えてくる心理的プレッシャーなど。出発前には母国での熱い支持を受け、強い使命感で旅立ったとしても、今まで経験したことのない状況におかれた兵士たちは、次第に目的意識を失い,無力感に襲われ、ついには自ら命を絶つことになるのだ。かつて、ベトナム戦争や湾岸戦争を経てきた米軍兵士たちのこの数字。そして第二次世界大戦以降、戦地に出向いたことのない我が国の自衛隊が、依然戦闘行為の行われている地域のある国ヘ出向くのだ。戦地で命を落とすのは、何も戦闘行為による敵の砲撃によって「名誉ある死」ばかりではないのである。*前作「BRAND NEW DAY」が発表された当時は21世紀を迎える直前でもあり、何か世界情勢が好転するような期待を持って愛聴したものであった。しかし9.11テロに始まる世界の混乱によって、その期待は見事に裏切られてしまった。彼自身もアーティストとしての無力感を味わったはずである。あれから2年。彼は一時的な感傷や悲哀に囚われずに、ゆっくりと時間をかけて言葉と音符を紡いでゆき、ようやく一枚の作品に仕上げてきた。<聖なる愛> その詞の中には、声高に反戦を詠ったモノや、やテロに対する憎悪というフレーズはほとんど見当たらない。まるで一編の抒情詩のような作品群である。しかし、聴きこんでいくうちに彼の内なる言葉が響いてきて、それはやがて実体のあるメッセージとなってオレの海馬にインプットされてしまった。近年彼が「ハイブリット・ミュージック」と名付けたあらゆるジャンルの音楽を融合させたスタイルは本作品でも冴え渡っている。ゲスト・ミュージシャンにフラメンコ・ギターの名手,ヴィンセント・アミーゴ、R&Bの女性ヴォーカリスト,メアリー・J・ブライジ、そしてシタール奏者,アニューシュカ・シャンカール(あのラヴィ・シャンカールの娘でノラ・ジョーンズの異母姉妹)などが参加。特にお薦めは、新加入のピアニスト,ジェイソン・リベロによる「ネバー・カミング・ホーム」後半のピアノソロ,「シェイプ・オブ・マイ・ハート」のライブテイク,変則拍子のゴキゲンなファンク・ナンバー「ライク・ア・ビューティフル・スマイル」e.t.c*
Jan 16, 2004
コメント(9)
「H2O」DARYL HALL&JOHN OATESここ数年、成人式にて問題化している新成人たちのバカ騒ぎ。今年もご多分に漏れず夜のニュース番組のトップ項目を飾っていた。もうホントに勘弁してもらいたいものだ。あんな稚拙で醜い映像が世界に配信されたら、それこそ世界中の笑われ者になる。TVのコメンテーターが言ってたっけ。*と、ここまで書き綴ったところで友人から呼び出しのTEL。続きは帰宅してから書きこみますんで、お楽しみに・・・**続きです*「30年ほど前と比べると、今の人たちは実年齢よりマイナス7歳したぐらいでちょうどイイですよ。」と。というコトは今の成人はオイラたちの中学生レベルだろうか?そういえばあの映像ではしゃいでいる姿は、中学時代の思い出にオーバーラップして見えたものだ。今や今の大人たちが描いている「成人式」のあるべき様式は、今の若い世代に求めても無理なんだろう。だって、彼らが成人式に求めているモノは、役人や知識人というエライ方々のお話ではなくて、単に離れていた幼なじみとの再会や晴れ姿のお披露目ショーなのだから。ここらで自治体も、形骸化した成人式のカタチを変える時期なんじゃないだろうか?そこで提案。いっそのこと、成人式をその彼らの手に委ねて自主運営させれば良い。式の1年程前にどんな内容にしたらよいかコンペにして、式に参加する人のみで投票して択ぶ。たとえどんなモノが択ばれても部外者は一切関知しない。そして開催中に起こったトラブルも、全て彼らに解決させる。そういう過程を経ることによって、本当に「大人になる」という意味を感じ取れるのではないかい?今、この国に必要なのは(政治,経済,外交も含めて)他者から与えられた環境の中で物事を考えていくのでなく、その枠組み自体も自らで取り決めて運営していくコトではないかな。先日、NHKの番組で対談していた村上龍氏と利根川進氏の話を思い返しながらフト思いついたオイラの考えである(この内容については、後日取り上げてみたいものだ。)それと最後にオイラから一言。これだけ少子化,高齢化社会が進んでいる現代。「若い」というだけのコトは、それほど値打ちのあるモンじゃないと思う。これから大事なのは、どのように素敵に歳を積み重ねていけるかじゃよ。*"ホール&オーツ"といえば、MTVブームを挟んだ’70年代から’80年代に空前のヒットシングルを連発した人気デュオである。その洗練された作品群は,いわゆる"ポップスの王道"を行くようなものばかりではあるが、その根底に流れるものは、彼らが愛して止まない"R&B"への限りない敬愛と尊敬の思いである(今回のタイトルも彼らのシングル曲にはありましたが、残念ながら入手できず今回はこのアルバムにてご勘弁を。「MANEATER」「ONE ON ONE」等を収録)*
Jan 12, 2004
コメント(19)
「Songs In The Key of Life」STEVIE WONDER昨日、スティービーワンダーのライブに行ってきました(at 大阪城ホール)ここしばらく彼のアルバムを耳にする機会もなく、それほど積極的に行くつもりは無かったんですが、知り合いの22歳の若い娘に「彼氏と観に行く予定やってんけど、仕事でドタキャンされたんよ!Chigeさん付き合ってよ~」と泣きつかれたら、行かないワケにはいきません。オマケに彼女はかなりのベッピンさんやし、まるで不倫デートのノリで行ってきました(デヘッ!)会場に着いてからビックリしました。平日にも関わらずほぼ満席で、客層も若いコから家族連れ,白髪まじりの年配の方もいらっしゃいました。確かにオイラの世代にとっては偉大なスーパースターではあったけれど、しばらくメガヒットを記録していたわけでもなく、どちらかというと業界のメインステージからは少し距離を置いているように思っていたものですから。ステージ上は楽器とPAのみ。実にシンプルなセッティングが、大御所の力量と自信の表れに映りました。オープニングはスローなバラッドから。曲名はわかりませんでした。シングルカットされていないアルバムからのモノと思われます。けれど、非常に心地よく思わず夢心地になりそうなくらいの、美しい曲でした。2~3曲スローが流れました。不思議だったのは、数千人許容するホールであったのに、まるでこじんまりとしたクラブでのLIVEの様な親近感があったコトです。中盤に差し掛かり、CMでもおなじみの「愛するデューク」が流れ出すと、会場はにわかにオールスタンディング状態に。久々のLIVE鑑賞で少し照れもあったのですが、隣の彼女に促されてオイラも腰をあげました。そこからはもう往年のヒット曲のオンパレードとなり、ホールは巨大なクラブと化しました。一度でもチャートを賑わした曲はほぼ全曲といっていいほど惜しみなくやってくれました。あ、そうそう彼自身のプレイでドラムソロなんぞも披露してくれました。メインの締めくくりは「I JUST CALL TO SAY ”I LOVE YOU”」。もちろんアンコールもありました。たっぷりと。ただひとつ残念だったのは、それまでほとんどMCを入れてなかったスティービーが、その際に私達にメッセージを送ってくれたときのコト。はっきりとした内容は分からないのですが、「今日はボクのLIVEに来てくれてアリガトウ。みんな楽しんでくれたかい?ボクも皆とこのハッピーな時を過ごせてホントにハッピーだったよ。だけれどね、こうしてボクたちがハッピーな時間を過ごしている間にも、世界の何処かでは悲惨な現実が起こっているんだ。だから、ボクと一緒に唄ってくれないかい?」(たぶん、こんな内容でした。)そして口ずさんだのが、あのJ.レノンの「GIVE PEACE A CHANCE」でした。ところが、残念ながらその日のオーディエンスには唄えなかった。オイラも大きな声で口ずさんだけれど、ワンフレーズで終わってしまった。(これが「イマジン」だったら、もっと多くの人が唄えたかも?)けれど、それを差し引いてもとても心に残るLIVEでした。連れの彼女も大変感動して、最後はウルウルきたと言ってました。*”ステレオ”というモノがまだ一般家庭に行き渡っていない当時、中学生だったオイラが初めて自腹で手に入れたアルバムである。数ある彼の作品の中でも珠玉の一枚と言い切ってしまおう。今回のLIVEでも、このアルバムからの曲が数多く取り上げられていた。特にアルバムのオープニング曲「ある愛の伝説」は、30年近く経った現在でも是非耳にして欲しい作品である。*
Jan 7, 2004
コメント(20)
「ROAD TESTED」BONNIE RAITT先日オイラの音楽仲間のライブをサポートした。"Wild Horse Survival"主に関西圏のライブハウスやカントリーバーなんかで演っているバンドである。テンガロンハットに皮製のいでたちだし、選曲もカントリーのスタンダードを取り上げているので、素人目にはカントリーバンドだと思われるらしいが、自らのスタイルを"COWBOY ROCK"と名付けている。今回初めてステージを拝見させてもらったのだが、なるほどリードヴォーカルが女性であるものの、ギタリスト二人はなかなか骨太の音を出しているし、タイコのタッチもタイトに響かせている。どちらかというとサザンロックのテイストに近いかもしれない。なかなかゴキゲンなサウンドを聴かしてもらった。ただ、残念ながら準備期間が短かったとはいえ、オイラの力不足で聴衆の数は必ずしも満足出来るモノではなかった。今度は満杯にしてやろうぜ、Mr.タイチ!後日、彼らを紹介してくれたKAZ氏との歓談の中で、カントリーのよもやま話を聞くことが出来た。カントリーミュージックと聞くとついついバンジョーやフィドルの入った編成で、メジャーコードの軽快な曲調ばかりが想像されるが(中にはそういうスタイルのモノもあるが、必ずしもそればかりではない)実際は米国を代表する国民的音楽であり、その愛好者の愛着と裾野の広さから、今でも進化し続けているポピュラー音楽であるコト。それを裏付けるように、当時日本でもメガヒットとなったM.ジャクソンの「スリラー」でさえ、カントリー界のスパースター”ガース・ブルックス”には及ばなかったコト。(なんと彼の総資産は250億円超!)その彼のステージでは、彼がキアヌよろしくワイヤーアクションにてギターを弾きながらスタジアムの後方まで飛んでいったり、USJ並みの豪雨を降らせたりしているコト。どの話も音楽事情にチョイトうるさいオイラでさえ、目からウロコの話ばかりだった。その中でもひときわオイラの関心をひいたのが「カントリーゴールド」の話。九州に日本を代表するカントリー界の超大物がいる。「チャーリー永谷」氏。もう70歳に手が届くかという高齢ながら現役バリバリのカントリーシンガーである。二十代の頃にカントリーミュージックに魅せられた彼は、ベトナム戦争時代に沖縄や東南アジアの米軍基地を演奏して巡った。故郷を離れ,ホームシックに思い悩んだ兵士たちにとって彼の唄声は、唯一心和ませてくれるひとときであったに違いない。帰国した兵士たちの口から口へと彼の話が伝わり、やがて彼は全米のカントリーファンの中で伝説のシンガーとなる。その後、テネシー州やケンタッキー州などの名誉州民に認定されたり、本場のカントリーファンでさえ夢の舞台「グランド・オール・オープリー」に出演したり、クリントン大統領からホワイトハウスへも招待されている。そんな彼が1989年から手がけている一大イベント、それが"カントリーゴールド"だ。年に一回、阿蘇のふもとにある野外劇場「アスペクタ」(五万人超!収容可能)にて繰り広げられるカントリーの祭典だ。この日のステージにはグラミー賞受賞者も出演するとあって、全米各地のカントリーファンの人々が、JETを飛ばして集まるという。例の感染症の拡大や施設の存続問題で、今年の開催は危ぶまれたが、予定通り開催の運びとなっている。10月の第3日曜日 "カントリーゴールド"(約束の日)今年の開催にはオイラもぜひ参加したいと思っている。*本日の日記の内容は「あさひ九州いんふぉ」様からの記事の抜粋を編集して構成させていただきました。詳しい内容は下記アドレスにてご参照下さい。http://mytown.asahi.com/kumamoto/news02.asp?c=5&kiji=527また、チャーリー永谷氏のHPアドレスはhttp://www.countrygold.net/charlie/です。**ハスキーヴォイスとスライドギターという男勝りのスタイルで、ブルースファンの心をガッチリ掴んでいるボニー・レイットの1995年のライブアルバム。気心の知れた仲間たち(ブルース・ホーンズビー,ジャクソン・ブラウン,ブライアン・アダムスe.t.c)と肩の力の抜けた演奏を聴かせてくれる。彼女の歌声は時に優しく,時に激しく男と女の心模様を描いてくれる。ミュージシャンとしても円熟の域に差し掛かるお年頃(?)とはいえ、今なお女性としての魅力を感じさせる気になるオッカサンだ。*
May 29, 2003
コメント(20)
「DON JUAN’S RECKLESS DAUGHTER」JONI MITCHELL「いつも利用していたウドン屋さんも、閉店しちゃったのよ~。」彼女のこんな呟きから、今日の日記のテーマが決まった。神戸の港に浮かぶ人工島「ポートアイランド(神戸っ子は愛着を込めて”ポーアイ”と呼ぶ)」に彼女の勤務先はある。思えば22年前、"未来都市”の呼び名でポーアイは街として誕生した。企業が大きくなるにつれ東京,大阪へと本社を移転する中、地元企業の本社の誘致に成功したポーアイは、服飾や外食,音響会社という神戸を代表するファッション文化の担い手である企業の集合都市になった。誕生の年には「ポートピア’81」というイベントも開催され、全国各地からの観光客で賑わっていた(そういえばこのイベントのテーマ曲を当時人気絶頂の”ゴダイゴ”が唄ってたっけ。)アジアのハブ港としての物流アクセスポイントと、文化発信地の両方のメリットを狙ってたワケだ。それから四半世紀弱。陸地との通路が橋一本しかないというデメリットが、あの「阪神大震災」で露呈され、観光客どころか地元の神戸っ子でさえ足を運ぶコトが少なくなった。オマケに観光客目当ての施設も、今やその後に誕生した六甲アイランド,ハーバーランド(いずれも人工島または埋立地)に拡散され、次々とポーアイを離れていった。(一時は日本を代表する企業となったスーパーが経営していた大型ディスカウントショップ,今年で閉園となる遊園地ポートピアランドe.t.c)神戸のファッションを支えている企業人が出勤する横道を、大型トレーラーが列をなして通り過ぎていく。なんかイビツな光景だな。そのポーアイの南側に二期工事として新たに「神戸空港」が建設されつつある。あえて空港建設の是非を議論するつもりはナイが、この空港が開港したとして起死回生の展開となるのだろうか?地元市民として、この人工島と共に経済の地盤沈下にならないコトを切に願う。*稀有なヴォーカルスタイルでミュージシャンの間でも一目置かれているジョニミッチェルの1978年の作品。デビュー当初は”フォークシンガー”の肩書きで紹介された彼女だが、その後様々なミュージシャンとの交流から独自のスタイルを確立し、あらゆるジャンルのシンガーに多大な影響を与えている。本作品では”ウエザーリポート”のメンバーやチャカカーン,果てはJ.D.サウザーやグレンフライという豪華なゲストミュージシャンを招き、ジャズテイストな楽曲からプリミティブなアフリカンサウンドまで、幅広い作品を創り出している。*
May 20, 2003
コメント(17)
「NIPPON NO ROCK GUITARIST Vol.4」V.A.いろんな場面で10代,20代の若者と話す機会が多いのだけれど、最近特に目に付くコトがある。トラブルが起こった際にやたら「イイワケ」を用意するコが多いコトだ。トラブルの原因を追求すると、「ボクがやったワケじゃないんですけど。」「私はイケナイと思ったんですけど。」違うんだよ。何も君たちの立場を聞いてるんじゃない!何故そういうコトになったかをオイラは聞いてるんだよ。そのコトを認識しない限りは同じトラブルがまた発生するからね。とは言うものの、子供は親の鏡。そういう若者が増えたというコトは、その時代の大人たちが「イイワケ」しているからなんだろう。この10年の間、いろんな業界で様々な不祥事が露呈してきた。問題が発覚した時に、責任者のオトナたちは色々な言葉で「イイワケ」をしてきた。その姿をそのまま真似しているのかな。そんなコトを感じている時に、フト見たトーク番組であの哀川翔氏が語る言葉が気に止った。ご存知の通り今や「Vシネマの帝王」の異名を取る彼ですが、プライベートでは5人の子供の良きパパである。彼の教育方針。「親の立場で物を言うと子供は反抗しますからね。だから、立場で言うんじゃなくて、人生の先輩という立場でアドバイスしているだけですよ。」「あたりまえのコトをあたりまえに出来るようになれと。」具体的にどんな躾をと司会者に問われて、「例えば、トイレに入ったときにペーパーが切れていたら、次の人の為に芯を替えときましょうとか。」「ゴミが落ちていたら、拾ってゴミ箱に入れるとか。」「モチロンいい訳してきますよ。(これはボクが捨てたモノじゃないとか)その時はもうこんな大人は世間にはいないと感じるぐらいまでビビらせますよ。でないと身につきませんから。」いい訳無用!あたりまえのコトを当たり前に出来るコトこそ、一人前の大人になるステップなんだ。と思うと世間にはそれが出来ない大人達のなんと多いコトか…かつてこの国には「刀(guitar)」一本で世の中を渡り歩くサムライが数多く存在した。高中正義,小川銀次,山岸潤史,吾妻光良e.t.c.やがて時代は変わり、最新兵器を駆使して記憶媒体上ではあらゆるギターサウンドを表現出来るようになった。けれどもライブで再現できる職人が何人いるだろうか?立ち寄ったショップで偶然見つけたコンピレーションアルバムの一枚。あのB.B.KINGと山岸潤史がサシで勝負した一曲「DOUBLE DEALS」も収録
May 11, 2003
コメント(9)
「NEVER TO MUCH」LUTHER VANDROSS久しぶりに映画館にて映画鑑賞をした。わが伴侶のリクエストでロクアイ(ポートアイランドに次ぐ神戸の人工島”六甲アイランド”)のショッピングビルの最上階にあるシネコンに行った。作品は話題の映画「シカゴ」もともとミュージカル系に弱いオイラにとってはあまり気が進まなかったのだが、彼女の強い希望と,友人が絶賛していたのでトライしてみた。で、感想。いや~良く出来た映画でしたよ。いわゆる「ザッツ、アメリカ!」てな感じの内容でした。ま~ミュージカルがベースのモノなんで、ストーリーうんぬんよりも映像美に驚かされたというか。登場人物の心理描写をステージでのパフォーマンスで表現させる手法は、違和感がなく思わず唸ってしまいました。特に弁護士役のリチャードギアに言われた通りに法廷で証言するよう指示された主人公が、自分の立場を腹話術の人形に見たててパフォーマンスする場面には目を見張りました。あの部分はやはり映画ならではの部分でした。ラッパーあがりのクイーン・ラティファの歌も聴き応えあったし、単純に一本の映画を作る以上の手間と準備をかけているのは素人のオイラにも十分伝わってきました。だからレンタルビデオで家庭で見るよりも、ぜひ映画館に足を運んで観たい映画やね。でも、途中で不覚にも居眠りしそうになったコトだけは白状しておきます…現存するR&B界のNo.1バラディアーと断言出来るルーサーの1981年のソロデビュー作。社会人なりたての頃に、それまでのディスコ通いからオシャレなバーでくつろぎながらお酒を楽しむコトを覚えた時に、よく耳にしていた。それから二十数年。彼は今、病院にて意識不明の状態のまま病魔と闘っている。肺炎の気管手術のため、その自慢の喉にもついにメスが入れられた。あの世界中の女性を魅了した美声が再び戻ってくるコトを切に願っている…
May 5, 2003
コメント(14)
「FOR ALL WE KNOW」綾戸 智絵(EWCD 0005)LAドジャーズの野茂英雄投手が、メジャーリーグ移籍後の通算100勝を達成した。渡米後9年目,先発253戦目での快挙である。イチロー,松井秀喜など、日本での活躍を肩書きにメジャーへと渡った日本人選手が当たり前となった現在、少し影が薄くなった感はあるが、それでも彼は現役で頑張っている。思えば9年前,彼がメジャー挑戦を決断した時は、日本人の活躍など夢のまた夢という感じだった。また、その移籍の仕方が必ずしも円満なカタチでなかったため、関係者を含め,野茂ファンでさえ「大丈夫なのか?」「すぐに日本に戻ってくるさ!」という辛らつな意見が多かった。けれど彼は独りで海を渡り,たった独りで闘い、数々の歴史を作ってきた(メジャーでの2度のノーヒットノーランは、”日本人初の”という言葉を抜きにしても立派な快挙である)彼は、オイラがプロ野球を観戦するようになってから、ひいきのチーム以外で試合を観てみたいと思わせた男である。特異なフォーム”トルネード”はもとより、強力な打者を前にしても臆するコトなく正々堂々と勝負しにいく姿は、誰よりも”サムライ”を連想させる勇姿で勝負の結果はどうであれ、野球観戦の醍醐味を教えてもらった。今回の記録達成は、99勝目から実に4度目の挑戦での結果だ。それも4回表までに3失点された難産の末でのコトだ。決して華々しい試合内容でのコトではない。解説の荒木大輔氏によると、今季の彼のピッチングの中でも最悪の状態だったらしい。それでも、もうこれ以上点をやれないという場面では、この試合で最高のストレートで相手打者に空を切らせた。そこが野茂らしい。これからも続々と海を渡ってメジャー挑戦をしていく若者は増えていき、彼の作った記録も追い抜いていくだろう。けれども、そこへの扉は間違いなく彼が開いたものであり、彼なくしてはなし得ないコトである。そしてイチバン大事なコト。彼は今なお現役で、新たな歴史を作り続けている。更なる活躍を期待したい…今やライブチケットを取るのさえ困難なジャズ・ボーカリスト&プレイヤー”綾戸智絵”のメジャーデビューCD1998年の作品。十代で海を渡り、ジャズ,ブルース,ゴスペルと本場の音を吸収した上での彼女のヴォーカルは、確かな技術と魂に裏打ちされている。まだ無名だった頃に、オイラの馴染みのライブハウスでも気軽に耳にするコトが出来たコトを知った時には、自分の先見の明の無さに多いに悔やまれた。
Apr 22, 2003
コメント(18)
「WHO IS THIS BITCH,ANYWAY?」MARLENA SHAW (TOCJ-5877)いや~皆さん、お久しぶりです。オイラが更新していない間にもたくさんの方のご訪問を受けてまして、大変感謝しております。しばらく音沙汰ナシにしていましたが、決してあの戦争に対する反戦を訴えていたワケでも昨日審判が下った統一地方選挙の選挙活動をしていたワケでもなく,あるいは我が愛する球団の応援に東京ドームにはせ参じたワケでもなく、ただただ私事に追われていただけであります。な~んか己の存在がとっても小さく感じる今日この頃です。今回はたまたま観ていたトーク番組での赤阪泰彦氏のコトバを綴ってみます。中学生のときに「アメリカングラフィティ」に出会った彼は、その中に出ていたウルフマンジャックに憧れてDJ(ラジオのね)の世界に足を踏み入れたそうです。当時、まわりの友人が次々と企業に就職して行く中、「オレはサラリーマンにはなりたくね~」と公言していた彼は、ある種そんな彼らを蔑んだ目で見ていたそうです。久しぶりに旧友と酒を酌み交わし楽しんでいた彼に、その仲間が一言。「オレたち企業人はな、今晩こうやって浴びるほど酒を飲んでいてもな、みんな明日の朝9時にはピシっと朝礼に出席してるんだぞ!」と。そのコトバを聞いた赤坂氏は、それ以降逃げ口上にしていた「サラリーマンにはなりたくね~」というコトバを口にしないと誓ったらしい。また、DJとしてそれなりの地位を確立した彼はかねてから熱望していた憧れのウルフマンと遂に番組共演を果たすコトが出来た。憧れの人を前にして緊張気味の彼に、ウルフマンが膝をポンポンと叩いて、「コレはオマエのプログラムだ。オマエの好きにやるがイイぜ。オレはそのためには何でもヘルプするぜ!」と言ってくれたそうだ。無事放送を終え、別れたあとに彼からのメッセージには次のように書かれていた。「オレたちのやっているコトはハッピービジネスだぜ。世間の人は皆何がしかのストレスを抱えながら生きている。その彼らにオレ達のトークや紹介した曲で、少しでも安らぎを与えられるなら、こんな素敵なジョブはないじゃないか!」ところがその共演ののち3ヶ月後にウルフマンは他界してしまう。赤坂氏はそのメッセージを彼からのバトンと思い、今も心に刻み込みながら、そのコトバがウルフマンからプロのDJとして認められたコトを誇りに思っている。そんな彼が心がけているのは、曲の紹介をする時にその曲が何枚売れたかとか,何年の作品だとかという情報ではなく、リスナーがどこかでその曲と再開した時に「あの時、こんなエピソードを語っていたなあ」と思い起こしてもらえるハナシを織り込むコトだそうです。オイラもこの日記でいろんなジャンルの作品を取り上げていますが、彼のように紹介出来れたらと思っています。 ”ジャズボーカリスト”という肩書きを持ちながらその枠組みにとらわれるコトなく、イイ歌を唄う彼女の1974年の作品。まず耳に飛び込んでくるのは、都会の酒場での男女の会話がダイアローグとして挿入される心憎い演出で、それだけで彼女の世界に引き込まれてしまう。今ではJポップにカテゴライズされてしまっている、関西出身のシンガー”SAKURA”も、かつてアマチュア時代には彼女の曲もレパートリーに加えてファンキーに唄っていたコトを改めて思い出した。
Apr 14, 2003
コメント(18)
「M2」Marcus Miller(vicj-60737)掲示板でもお知らせしていますが、今週オイラは忙しくてなかなかネタを考えられないので、小ネタで済まします。1)吊り広告JR車中にあった牛丼屋の広告。遂に並盛が250円になった(期間限定ではあるが…)牛丼一杯の価格がデフレのバロメーターになっている。この調子でいけば年末には100均に肩を並べるかもしれない。オイラたち常連組にはありがたいハナシだが、下がっているのは牛丼だけではない。バイトの時給も,就職率も,オトーチャンのお小遣いも、みんな下がっているのだ~。そんな笑顔出来る場合じゃないよ、仲居クン!2)同じく車中にて…反対側に座っている乗客の端から端まで、みんなウオークマンを聴いていた。左端のhiphopperから作業着の職人クン,ファッション雑誌に目をやるOLさんと、その隣の50代の部長サンまで…一昔前なら若者のファッションアイテムだったのに、今ではケータイに次ぐ電車ツーキニストの愛用品になっているのか?でも、その光景は少し不気味でしたよ。と言いつつ、オイラもしっかり聴いてたんだけどね~(笑)残念ながら今日はこれで精一杯です。明日も早いんで、この辺で勘弁してチョンマゲ~。*現在活躍中のベーシストの中では第一人者と断言できるマーカス・ミラーの2001年の作品。多彩なゲスト(チャカ・カーンをはじめ、Pファンクの雄,メイシオ・パーカー、トニ・トニ・トニのラファエル・サディーク,ブラジルの星,ジャヴァンe.t.c)を迎えただけでなく、選曲もジャズの巨匠,ミンガスの「GOODBYE PORK PIE HAT」やトーキング・ヘッズの名曲「 BURNING DOWN THE HOUSE」,ビリー・コブハムの名作「SPECTRUM」からの一曲「RED BARON」と、単なるインスト・アルバムの枠を越えた作品となっている。マーカスにとっての「BLOW BY BLOW」と断言してしまおう。*
Apr 3, 2003
コメント(35)
「Family Style」THE VAUGHAN BROTHRS(CSCS-5269)今日は軽い内容なんで、気軽に読んで見て下さい。まー、しかしこの「楽天広場」というトコはホントに良く出来た広場でして、オイラも以前他のトコロでHPの設置を試みたんだけどなかなか上手く行かなくて。設定の仕方に多少の制約はあるものの、TOPに日記を表示させるとか,お気に入りリンクを簡単に設置出来るとか、ネット初心者にはありがたい構成になっていて、日々更新するのがホント楽しいです。と、「楽天広場」さんにオベンチャラを並べてと…一つ迷っているコトがあります。皆さんは日記の感想とかBBSへの書きこみへの返事はどうしていますか?自分のHP上でも返事出来るし,相手方のHPにも返信出来るでしょ?オイラは一応相手さんのHPへ返信しているのだけれど、それだとそこの訪問者にはケータイの会話みたいに何の話かワカランし、自分のHP上だと次回その書きこみした人が再訪問するまで返事したコトが分からないワケだし…。皆さんはその辺の使い分けに何かルールを決めてるんですか?なるべく訪問者の方に失礼のないようにしたいんだけど。どなたか良きアドバイスを教えて下さ~い!*白人ブルーズギタリスト”スティービー・レイ・ボーンが実兄ジミー・ボーン(映画「ブルースブラザース2000」に出演)とのコラボレーションによって制作された作品。SRVファンにとっては軽いタッチの楽曲が多いので、少し物足りなさも感じられるが、聴き込んでいくうちに血を分けた兄弟の「あうん」の呼吸が滲み出てきて、スルメがごとく「噛めば噛むほど美味しい」作品となっている。がしかし、奇しくもこのアルバムが遺作となり、彼はあの世へと旅立っていった。*
Mar 27, 2003
コメント(19)
「FRESH OUTTA ’P’UNIVERSITY」BOOTSY COLLINS(EPCR-1418)ここ最近のアカデミー賞授賞式は、形骸化していてあまり注目していなかったのだが、今回の授賞式は見所があった。既報のコトなのでご存知のかたも多いと思うが、歴代に無いモノだったので、ここで改めて紹介したい。主演男優賞「戦場のピアニスト」エイドリアン・ブロディ「私はこの映画の製作に携わって、戦争の悲惨さ,残酷さ,虚しさをを感じるコトが出来ました。神でもアラーでもいい。この戦争を早く終わらせるコトを願いたい。」さらに、時間切れの合図のB.G.Mを遮って「私の親友が今クエートで兵士として戦っています。早く無事に帰ってくるコトを願っています。」主演女優賞「めぐりあう時間たち」ニコール・キッドマン「このような状況下でアカデミーをと思われる方もいらっしゃると思い悩みましたが、このような時だからこそ大事だと思いました。芸術は不滅です。」なかでも圧巻だったのはドキュメンタリー部門で受賞した「ボウリング・フォー・コロンバイン」のマイケル・ムーア監督。「今この世で行われているコトは、インチキの選挙で選ばれた,インチキな大統領が,インチキの名目で,インチキの戦争を行っているだけだ!MR.ブッシュ,アンタの時代はもう終わりだ。オレたちは騙されないぞ!戦争反対!」これぞオイラが前から感じたコトを、全世界の注目の中で見事に言い当てたメッセージでした。今、世界の行く末を決めかねないブッシュは、前回の大統領選挙でゴア候補と僅差で択ばれた人なんよ(それも開票作業での不正疑惑のため、やり直した末の)。そんな人間にオイラたちの未来を託していいのかな。オイラはヤだよ。けれど、米国映画界に絶大なる権力を誇っている(全米ライフル協会の会長)チャールストン・ヘストンを敵に回してのこの発言、やっぱ本気で身体張って映画撮ってるよ、彼は。CIAに危険人物としてマークされるのも分かる。今回の件で暗殺されないことを望みます。*ジョージ・クリントン(と言っても米の元大統領ではない)と並び、Pファンク界の風雲児”ブーツイ・コリンズの1997年の作品。ファンク草創期から業界を暴れまくりながら、ラップ,hiphopの台頭により一時期なりを潜めていた彼が、それら若手アーティストに対して出した答えである。自らの古い楽曲をあえて取り上げ、バックに今風のトラックを用いながらも決して「焼き直し」に終わらせていないトコロに、ベテランの気骨を感じさせる。hiphopフリークの若者たちよ、先輩から学ぶべきモノはまだまだ計り知れないぞ!*
Mar 25, 2003
コメント(11)
What’s going onMARVIN GAYE(POCT-1822)弟と内食(⇔外食)した。ふたりで住んでいた時のように。といっても、スーパーで買ってきたコロッケとミンチカツを皿に並べただけなんだけどね~。テーブルに並んでTVのNEWSを観ながら「あ~でもない、こ~でもない」と二人でゴタクを並べながら。なんか久しぶりやな。でも、気がつくと二人ともずいぶん歳を取ったもんだ。これまでにも色々とコイツに迷惑かけてきたし(現在もそうだけど…)ケンカもしてきたけどこのままずっと仲良くしていたいなあ。と思いに耽った一日でした。*「ソウル」を語る上で避けて通れないマストアイテムの一盤、マービンゲイの名作。若かりし頃、詩の内容も知らずに聴き入っている時に「男と女のラブソング」と勘違いしていたほどの美しく、切ないメロディライン。その後、あの”ベトナム戦争"をモチーフにしたコトを知り、ずいぶん恥ずかしい思いをしたものだ。けれど、今この時期に改めて聴き直して思ったが、これは紛れもなく「愛の詩」の詩集である。
Mar 20, 2003
コメント(6)
「LENNON LEGEND」JOHN LENNON(TOCP-51110)いいわけにしか聞こえへんぞ!BUSH!だからオイラももう何も語りません!「Imagine」から始まり「Give Peace A Chance」で締めくくるレノンのベストアルバム。誰にでも分かるセンテンスでこの世界のコトを歌った彼のメッセージは、どれだけの人の心に響いただろうか?
Mar 18, 2003
コメント(8)
「THE BEST OF HUMAN SOUL」HUMAN SOUL (FLCF-3642)もはや時間の問題と危機感がつのる「イラク攻撃」だが、もしイラクが戦火にさらされるコトは、関西人にとって大問題なのである。というのも、関西人にとっての主食「お好み焼き・タコ焼き」に使われるソースの原料ナツメヤシ(デーツ)の原産国が中近東だからだ。モチロン、イラクもその主要国の一つで、戦争が始まれば当然供給困難になる。となると、ソースの価格が高騰,または入手不可になるかもしれない。某関西大手ソース会社 オリ○ーソースの社長によると「湾岸戦争時にすでに供給先を周辺諸国に変更しているので、心配ありません!」とのことだが、火種が広まったらそんなコトも言ってられない!関西のみならず、全国の「お好み焼き・タコ焼き」愛好家のみなさん、我々の主食確保のためにも是非この戦争を阻止しようぜ!*アポロ劇場初の日本人アーティストによるアマチュアナイト優勝を勝ち取った、関西が生んだスーパーソウル&ファンクグループ「HUMAN SOUL」のベストアルバム。R&Bをこよなく愛し、関西のコテコテの味付けで作られた楽曲は今も色褪せない。残念ながら解散してしまったが、タレント揃いのメンバーはそれぞれ個々に現在もその魂を受け継いで活躍中である。
Mar 13, 2003
コメント(7)
繊研新聞 2003/3/1付03年秋冬ミラノ・コレクションに反戦メッセージを込めた作品が登場した。写真はあの「D&G」の作品だ。虹色のデザインは「平和」をアピールする反戦旗柄。ミラノ市街ではこの反戦旗をアパートのバルコニーに飾って、個人の意思表示をする人が目立っている。あのボーイジョージも同じデザインの帽子を被って、反戦メッセージを応援したそうだ。さて、オイラはどういう手段で意思表示しょうか?
Mar 11, 2003
コメント(0)
「bow wow」JOHNNY"GUITAR"WATOSON (PSCW-5349) なるべく日記では愚痴や文句なんかのネガティブなコトは書かないようにと思っていたが、今日は一言言わせてもらおう。オイラのトコロは月極駐車場が立体駐車場になってるねんけど、日中は管理人が居て(たいていアルバイトやねんけど)車の出し入れに立ち会ってくれる。何人かの顔ぶれが居るけど、その中の一人(年の頃なら三十代?)がムッチャ愛想悪いねん。今日も車入れに行ったら、待機所から出もせんと本に目をやっている。入庫し終わったら、やっと出てきて口先だけのあいさつ。ホンマ殴ったろうか思いましたよ。車出し入れするだけやったら機械で自動的に出来るやん(現に深夜の入出庫は自動で行っている。)一時貸しの料金徴収のためだけに居るんか!長年接客業に身を置いている立場として、こんなん許されへんねん!オイラは職業に貴賎はないと思うてるんやけど、こんな対応しか出来ない人間だから、この程度の仕事しかないのかと思ってしまったぜ。なんか今日はしょうもないコトに怒って終わりそうなChige蔵であった…*ブルーズ界の伊達男、ジョニーギターワトソンの遺作となった1995年の作品。「ブルーズ」という枠組には収まりきれない彼の才能が晩年にも発揮されている。願わくば健在していて21世紀のブルーズを聴きたかった…
Mar 10, 2003
コメント(3)
「STREET SONGS」RICK JAMES POCT-1886今日はホンマ、ビックリしました。だって、あの我が阪神タイガースのご意見番「川籐幸三」さんに会ったんだから。芦屋の駅前でトイレに行こうとしたら、目の前に長いマフラーをなびかせサングラスをした強面のヒトがノシノシと歩いてくる。思わず道を空けてすれ違ったんだけど、振り返ればあの独特の歩き方。その後、店に行ってその話をしたら、ナントさっきまで居たらしい。美人の奥さん(学校の先生らしいです)とたまに寄ってくれるとのこと。あ~あ、それと分かっておれば30分早く家を出たんだが。以前にも今岡選手とすれ違ったし。今度は、星野監督!お待ちしておりますよ。*ファンク界の伊達男、リックジェイムスの通算第5作1981年の作品。ノリノリのフォンクビート(リックジェイムスにはあえてこう発音する)は、当時脂に乗り切った彼の絶妙なベースラインが堪能出来る。蛇足であるが、5曲目「SUPER FREEK」は後にMCハマーの「YOU CAN’T TOUCH THIS」のバックトラックとなって甦る。
Mar 5, 2003
コメント(3)
「SECRET STORY」PAT METHENY MVCG-87ドキュメント番組で知ったコトバ。それまでソビエトの援助を受けて工業化に励んでいた国「キューバ」。ところが例のソビエト崩壊によって、石油等のエネルギーの供給が滞ってしまった。その象徴として使われたのが、この言葉「スペシャル ピリオド」その国家的危機状況の中で、キューバ国民の選んだ道は「自給自足」だった。海外からのエネルギー資源は必要不可欠なモノにのみ絞込み、自分たちで賄えるものは自分たちで生み出す。例えば、サトウキビの工場では糖分を搾り取ったカスを火力発電の原料にしたり、ラム酒精製の時のミツを家畜の肥料にしたり。足りない電力はソーラー発電で賄ったり…モチロン、近代社会から見れば不都合なコトもたくさんある。週に一便しか通じないバス。でもそれにもめげず、近所の足には馬車を利用するようになった。馬車とパソコンが共生している国、キューバ。人類の一つの進歩を表しているのかも知れないな。ジャズ、フュージョン界のギター貴公子「メセやん」こと,パットメセニーの1992年の作品。カンボジアの子供達の歌声でオープニングするという、ワールドミュージック的アプローチが作品全体に響き渡っている。
Mar 2, 2003
コメント(0)
「STAYING POWER」BARRY WHITE恋愛の達人の先輩から聞いた言葉「イイ関係を持続させるには、引き出し(隠し事じゃなく)をイッパイ持つ努力をすること。」何も多趣味を薦めているワケでない。日常の当たり前にやっているコトにちょっとした味付けをしてみる。それだけで女性は喜んでくれるそうだ。そして大事なコト。努力をすること。そのひたむきさが、相手に「いつも注目しているよ」というメッセージになり、安心感を与えるそうだ。しかし、まだまだその域には遠そうだな…魅惑のバリトンヴォイス、バリーホワイトの1999年の作品。オープニングからトロトロのスロージャム的世界が広がる。チャカカーンが一曲参加。大事な彼女との甘い夜にどうぞ。
Feb 27, 2003
コメント(1)
「a Love affair」the music of Ivan Lins (CD-83496)今朝は早起きしたので、ゴミを出してやり、我がパートナーを会社まで車で送って行った。よく言われるコトだけど、朝のゴミ出しはオトコの仕事。同居するまでは「そんなコト、男のプライドとして絶対やらない!」と決めていたが、諸々の立場上アッサリ覆されてしまった。でも思った。オンナが一歩家の外に出るというのは、戦場に出て行くコトと同じコトなんだなと。近所のオクサマたちの厳しい目線にさらされるのだから。世のオトコたち、パンツ1枚で会社に出社しろと言われたらどうします?結局、頼まれる言い方なんだよね。「ゴメン、出してきてくれる?」その後彼女は車中で朝食を取り、化粧を整える時間が取れた。それだけで今日1日の二人の平穏な生活が保証された。人間関係なんて、実はごくシンプルに出来ているのかもしれない。「相手を思いやる心」それさえ忘れなければ、モノゴトすべて上手くいくんだな。ブラジルの天才的ソングライトアーティスト、イヴァンリンスに捧げられたコンピレーションアルバム。健在のアーティストに対しては、異例のことである。スティングに始まり、グローバーワシントンJr.、チャカカーン等その参加アーティストの顔ぶれが、彼の偉大さを物語っている。
Feb 25, 2003
コメント(9)
巷で密かに話題になっているのが、あのU2のボノが次回のノーベル平和賞候補にノミネートされているということ。オイラはあんまり知らなかったが、彼らはバンド活動のほかにも色々なボランティア活動もしていたらしい。もし本当ならば、ROCK界のみならず、音楽界の大偉業となるだろう。ボノについての記述は後ほど…ボノについての思い出かつて小林克也のTV番組「ベストヒットUSA」にゲストでU2が出演したときのインタヴューでの言葉が忘れられない。”ヨショア・ツリー”の成功により、ビッグスターの仲間入りした立場から日本のミュージシャンたちへのアドバイスを問われて…「世界のロックミュージックが必ずしもロンドンとニューヨークからしか発信されないというコトはないんだ。オレたちだってアイルランドの”ダブリン”という片田舎から出発したし。音楽をやっていく上で一番大事なコトは、どれだけ自分達が情熱をもって作品を作り続けていけるかってコトだ。」うーむ“継続は力”なり。成功を手にするためには、環境でも運でもない。好きなモノに情熱を注ぎ続けるパワーなんだ。彼らは身をもってそれを証明したんだな。
Feb 23, 2003
コメント(3)
ゴスペルクワイア仲間のギタリストK氏は、ギタークラフトマンでもあるが、彼の元に海外からの発注があったらしい。なんとその相手がジャズ,フュージョンファンならご存知のあのウイル・リーではないか!最近はあまり表舞台では名前を聞くコトが少なくなった(ように見える?)彼だが、もしもどこぞのメディア取材を受けてギターの製造元なんかを喋ったりしたら、内外のミュージシャンからの発注が殺到するのではと、彼は密かにほくそえんでいる…追記:確かウイル・リーも参加していたサントリーV.S.O.PのCF曲、何だったっけな~?あ~あ思い出せん。
Feb 21, 2003
コメント(1)
ビリー・ジョエルはオイラも大好きやけど、「素顔のままで」となると特別な思い入れがあるんですわ。十代の頃オイラは、神戸市の隣の某高等学校で生徒副会長職をしていたんだな。卒業を迎えるコトになって、卒業記念品を何にするかというハナシになった。生徒会役員にはオイラと同じように音楽好きが多かったので、「3年間の思い出を各クラスごとにラジオDJ風に1枚のアナログ盤にしたら」というコトになった。そのオープニングのテーマ曲に起用されたのがB.ジョエルの「素顔のままで」やったんですわ。そやからねえ、何処かでこの曲のイントロを聴くと、若かりし頃の思い出が走馬灯のようにフラッシュバックされて、パブロフの犬がごとく涙ウルウルでねえ。今もこの日記を書きながら、すでにモニターが滲んでいきますわ…
Feb 20, 2003
コメント(2)
最近TV-CMでよく耳にするようになったDoobies。世間では「二つの顔」を持つといわれている彼らだが、オイラはどちらの音も気に入っている。演奏スタイルが変わったとはいえ、その根底に流れるモノは前期と後期とさほど違いがないと思っている。だからこそ復帰後のライブにて新旧メンバーのオールスターズ共演なんて離れ業もやってのけれる。それだけメンバー個々のポテンシャルが高いからだろう。変わっていくモノといつまでも変わらずにあるモノ。それらが絶妙なバランスで融合したとき、「傑作」が生まれるのではないかな。その意味では今のE.クラプトンにも同じモノを感じられずにはいられない…追記:「Doobie Brothers」と名乗る彼らだが、その作品の中に描かれている世界には、宗教色の濃い歌詞が見受けられる。是非、訳詞にも目を通すコトをお勧めする。*NISSANのCMで使用されているのは、「マットビアンコ」バージョンの「WHAT A FOOL BELIEVES]ですね。念のため…*
Feb 19, 2003
コメント(2)
両親が南方出身であるからして、馴染みがないとは言え現地に住んだコトもなければ、その手の音楽を学んだコトもないのに、メロディを聴いていると和んでくるのは何故だろう。ひょっとしたらDNAに組み込まれているのかな…ゴスペルを習い始めた時、ニグロ・スピリチュアルの曲から練習して自分の想像していたものとの距離感を感じたのを覚えている。ジャズにしろブルーズにしろレゲエにしろ、プリミティブなモノはなかなか身体に受け付けにくいもんだ(まるで異国の言語を習得し始める時の様に。でも、それらの音楽の源泉は紛れもなくそこから発したモノなんだな。今の形で好きになるのは構わないと思う。でもそれらのルーツを辿っていくと、より身近に感じられるようになるんじゃないかそんなコトを思い巡らしながら過ごしたひとときだった。
Feb 17, 2003
コメント(3)
日記で紹介した映画のVIDEOは未だ観なアカンし、自分のHPは手直しせなアカンし、リンクさせてもらった人のHPも覗かなアカンし。ア~アもう、ネット生活がこんなに忙しくなるとは思わんかった…
Feb 14, 2003
コメント(0)
ハーパー探偵シリーズ 新 動く標的 1975年 アメリカBS2 20:00~21:50南部の石油王の一族である昔の情事相手に、義母の殺人事件をめぐるスキャンダルの調査依頼されたハーパーの活躍を描く。監 S.ローゼンバーグ 出 P.ニューマンエマニエル夫人 1974年 フランスTV大阪 深0:55~2:50外交官の夫の赴任先であるバンコクにやってきたエマニエルの性への好奇心と、解放された性を華麗な映像美で描く。監 ジュスト・ジャカン 出 シルビア・クリステルことの次第 1982年 西ドイツBS2 深1:30~3:35ハリウッド資本でSF映画を撮影中の西ドイツの映画監督に、ポルトガルのロケ先で降りかかる憂鬱なトラブルを描く監 ヴィム・ベンダース 出 パトリック・ポーショーザ・クリーナー 1997年 アメリカ関西テレビ 深1:55~3:39ロスを舞台に、悪人ばかりを消していくスゴ腕の殺し屋の戦いを、彼と心を通わせるFBIの女性捜査官を絡めて描いたアクション。監 グレッグ・ヤイタンス 出 スティーブン・レイ
Feb 13, 2003
コメント(1)
「動く標的」 1996年 アメリカBS2 20:00~22:05人気作家ロス・マクドナルドが描いた「私立探偵リュー・アーチャー」(映画では姓をハーパーに変更)シリーズの第一作を映画化したハードボイルドの傑作。監督 J.スマイト 出演 ポール・ニューマン,ローレン・バコール他「さすらい」 75年 西ドイツ BS2 深夜1:00~4:00名監督ヴィム・ベンダースのロードムービー三部作の第三作目。映画館を巡回して映写機の修理をしている男と、彼の車に便乗させてもらった男の旅を描く。監督 ヴィム・ベンダース 出演 リュディガー・フォーグラー他「接続(ザ・コンタクト)」 97年 韓国読売TV 深夜2:25~終了まで昔の彼女を忘れられないラジオ番組のプロデューサーと、片思いに悩む女性が、eメールを通して心を通わせるが…。監督 チャン・ユニョン 出演 ハン・ソッキュ,チョン・ドヨン,キム・テウ他
Feb 12, 2003
コメント(0)
オイラが在籍していたゴスペルクワイア「Kobe Mass Choir」のメンバー、ムラムラ氏のバンド Space of V.S.P.のライブ決定!2003/02/11(火)祝日 at Starting Over@神戸tel 078-251-8770open 18:30 / start 19:00charge adv. 2,500- / at door 3,000- (なお,入場時に飲食代として別途1,000円必要です)Funky松田(Vocal) 松岡ゆりな(Chorus) 大島けい(Chorus)酒井康充(Sax.) 安部俊秀(Guitar) 村瀬正樹(Keyboards) 会場マップ:http:www.startingover.jp/map.html
Feb 9, 2003
コメント(4)
「そして音楽が始まる」テレビ大阪 2/9(日) 22:54~23:24解説: ジョン・レノンの「イマジン」を紹介する。亡くなる直前、レノンはインタビューに答えていた。そこで彼は、歌の多くを妻であるオノ・ヨーコが作ったと告白している。これまで広く知られてきたレノンの思想は、夫婦が対等に生み出したものだった。アメリカで同時多発テロが発生してから二週間後。戦争の機運が高まるニューヨークの新聞に、「イマジン」の歌詞の一部が載った。その直後、あるラジオ局には曲へのリクエストが殺到したという。歌の誕生秘話とその後を、オノ・ヨーコ自らが語る。
Feb 8, 2003
コメント(0)
2/15(土) 関西TV(関西ローカル) 14:00~14:55おすぎとピーコが案内「熱演!!和太鼓!!林英哲」(仮タイトル)が放送されます。林氏は、日本が誇る和太鼓演奏集団「鬼太鼓座(おんでこざ)」出身の和太鼓演奏ソリストで、昨年ニューヨークにて三味線奏者、木下伸市氏らと共にコンサートを開催し、絶賛を浴びたアーティストです。また、現在ジャズピアニストの山下洋輔氏とのデュオによるコンサートツアーを日本全国で繰り広げております(二人の演奏によるクラシックの名曲”ボレロ”は圧巻!!)邦楽ファンのみならず、音楽を愛する人々全般に受け入れられるアーティストです。
Feb 6, 2003
コメント(0)
今日からインターネット上に自分の空間を構築できるコトになりました。これから色々と音楽のこと,映画のこと,世界のことを表現できたらなあと思っています。どうぞよろしく。
Jan 29, 2003
コメント(0)
全47件 (47件中 1-47件目)
1