日本奮闘記1688

日本奮闘記1688

2015年12月01日
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連日、翻訳の仕事を請け負って、やっと期日までに納品することができました。🎶
ブログの更新が気になって、やっとパソコンに向かうことができました。

● 初めてのバイト

初めてのバイトは旅館の洗い場の仕事と客室の布団敷でした。

日本語学校経由で保証人を紹介してくれて、(当時の法律では、留学生に保証人がつくことが法律で義務付けられていました。)その保証人が旅館のバイトと紹介してくれました。旅館に住み込みして、六畳の一部屋を与えてくれました。

洗い場の仕事は汚かった。宴会や客室から下げてきた残飯を捨てて、大量の食器を水槽の中に流れ、洗剤をたっぷりつけた水槽の中で何時間も手洗いするのです。しかも、手袋禁止。
私は日本に来る前は母に家の手伝いをよくするほうでしたが、こんなに大量な食器洗いはもちろん初めてです。

一番つらいのは、毎晩洗い場の仕事を終えて、掃除するときのごみ捨てです。ごみは生ごみ、つまり、残飯の集まりでしかも重たい、いつも二人で外の決まった場所へバケツごとに捨てに行った。
それと、洗い場のプラスチックマットを水洗いするときの臭いもきつかったです。


いいえ、こんなはずじゃなかった!!!
私の夢は「東京ラブストーリー」のような環境で仕事をしたいです。

でも、留学生の私には無理なことです。だって、日本語はまたろくに話せないし、意思表明さえできない自分はきれいな仕事をする能力はないと分かっています。それは、自分は文盲だからです。

中国にいたとき、農村から来た出稼ぎ労働者に対して、優越感を思ったことがありましたが、日本に来て、私は出稼ぎ労働者以下です。出稼ぎ労働者は読む書く聞くことは健全にできるが、私は異国に来て、言葉が通じないから文盲と同じです。だから、人間は知識がないと、いい仕事がない、人の言いなりに生きていくしかないと痛感した。早く日本語を覚えて、汚くない仕事に変えたいと思いました。


● その時の私の一日

*朝7時起床、旅館の社員食堂でご飯味噌汁を食べて、快速電車で日本語学校へ行く。
*午後1時に下校し、快速電車で旅館の寮に戻る、昼食は社員食堂で頂く。
*午後2時から4時30分まで自分の部屋で日本語の勉強。単語の暗記、テキストの朗読、文法の理解など。
*夕方5時から2時間ほど旅館客室のお布団を敷きに行く。10人ぐらいで一斉に敷く。終わり次第、夜の11時半頃まで、
ずっと洗い場で食器を洗う。土日祭日は旅館の呼び出しで午後2時から夜中12時までのロング出勤。
*夜12時から旅館の温泉に入って、一日が終わる。



そのとき、毎日の楽しみは、学校帰り道に100shopで103円のチョコレートを買って、帰り道で食べることです。
平成5年、消費税は3%の時代でした。
平成27年現在、消費税8%、うち国税6.3%、地方税1.7%、合わせて8%。私は日本に来てもう22年も経ちました。

このブログを書いているうちに、来た当初のことをいろいろ思い出して、波乱万丈とまでは言わないが、一生懸命生きてきたと言えます。

● 初めての日本語学校



私のクラスには、中国からの留学生が20人ぐらい、ほかにはアメリカ人1人、ネパール人2人、韓国人3人、ロシア人1人という構成でした。

先生たちは友好的でしたが、事務室にいる授業料徴収の方は、あまりいい印象はありませんでした。お金お金ばかりな感じです。
別に私は滞納したことは一回もないのに、期日到来する前から催促の話がよくありました。
ちなみに一か月の授業料はなんと5万円でした。それでも、洗い場のバイトをして、頑張って自分で納めました。

今考えたら、平成初期の頃、日本語学校は非常に効率のいいビジネスでした。
アジア発展途上国からの若者が日本への憧れを抱え、日本へ留学する需要がたくさんあったからです。
5万円は低所得層にとっては、当然取り過ぎだと思います。それでも払ってても、留学に来たい人がたくさんいました。バブルの日本は輝く宝石の時代でした。

さて、次回は阪神大震災の話をしたいと思います。

ご期待ください。
















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最終更新日  2015年12月26日 01時41分29秒
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