ベンチャーOLの仕事&プライベート

June 16, 2006
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カテゴリ: プライベート



これまでの人生というか家族ってものを考えることが多くなった。


私の両親は自宅で商売をしていたため
学校から家に帰れば従業員の人も含め誰かしらいつも家の中にいた。
当時は所謂「鍵っ子」にあこがれたりもした。
というのは、家が厳しかったこともあり、周りの友達よりも常に門限は1時間早く、
ちょっとでも過ぎると母親が心配して迎えにきてしまう、
なんてことがよくあったからだ。
たまには、思いっきり友達と遊びたい・・・とよく思ったものだ。


今になって思えば、母親は商売の手伝いをしながら
子供たちに美味しい料理を食べさせ、部屋の掃除をし(そこそこ広い家だったので、
かなりの重労働だったと思う)、洗濯物をきれいにたたみ、学校の行事にも顔を出し・・・
と本当に忙しい毎日だったと思う。
料理もインスタントみたいなものは一切使わなかった。
だしもちゃんととって、いつも美味しい料理を作ってくれた。
父の自慢は、友人や仕事仲間を自宅に招いたり、花見に行ったりすると、
必ず母が作った料理やお弁当の見栄えの美しさと美味しさに
皆が父をうらやましがることだった。
また、私も私の姉も学校でお弁当箱を開こうとすると、
友達が集まってきたものだった。

見栄えも本当に美しかった。


私の姉は幼少の頃からよくわからない病を抱えている。
歳をとるにつれ症状は重くなった。
世の中には姉の病より重い病を抱えている人は大勢いるけれど、
病を抱えた子供を育てていくのは本当に大変だと思う。

なかなかわからないことだと思う。
私はその現場にいたことで、子供を産むことや育てることに対して
かなりの恐怖心を持っている。
もし、自分の子供が重い病にかかったら私は立ち向かうことができるだろうか?と
25歳を過ぎた頃からよく考えるようになった。
このような話を友人にすると、
「とは言っても、誰しもどんな病気を抱えて生まれてくるかわからないわけだし」
とよく言われたものだ。
でも、重い病を抱えた家族を持つ一家、また、その病を抱えた本人が
味わった思いや痛みといったものは想像を絶するものだ。
口ではうまく言い表せないけれど、
ここまでくるには姉も私たち家族も相当ハードな思いを味わってきた。
私は、姉はよく生きることをあきらめなかったな・・・・と思ってしまうくらいだ。
だから私は、今までも簡単に「子供が欲しい」とは言えなかった。

なんだか暗い話になってしまったが、
父や母、姉のことを考えると、
私は姉の分もこれからいっぱいいっぱい幸せになって
父や母に恩返しをしていかないとな・・・と
昨夜 布団の中で思った。





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最終更新日  June 16, 2006 12:40:43 PM
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