カテゴリ未分類 0
全22件 (22件中 1-22件目)
1
先週末、3回目のリツキサン治療を受けてきました。前回が去年の8月だったので、本当なら半年後の今年2月に受けるはずでした。それが入院直前に風邪を引いて延期になり、その後、関東での仕事などもあって、遅れに遅れて、今回の入院となった次第です。途中、再発しないかとずいぶんヒヤヒヤしました💦さて、迎えた入院当日。3回目ともなるとほとんど緊張することもなく、ただし病院のご飯がイマイチなのはわかっているので、朝ごはんだけはたくさん食べておきました。いつものように検査と昼食をすませたら治療開始です。まずは、発熱を抑える薬を飲み(カロナールでした)アレルギーを抑える薬の点滴からはじまります。3回目の今回は、どんな薬なのかを確認する気持ちの余裕がありました。なるほど。アレルギーを抑える薬というのは抗ヒスタミン薬のポララミンだったのですね。どうりで毎回めちゃくちゃ眠くなるわけです。ポララミンが終わると、いよいよリツキサンです。最初の30分は50ml/時間の速度でゆっくり流し、様子を見ます。このあたりから、いつももうろうとしてきて、点滴が終わるまでの4時間弱、半分眠っている状態になります。30分おきに看護師さんがバイタルを確認に来る時だけぼんやり目を覚まし、すぐにまた眠りに引き込まれ、ちゃんと目が覚めた頃には終わっている。そんな感じです。このもうろうとした感じが実はけっこう気持ちよくて、今回もリツキサンが始まったあたりから、ヘッドホンをして小さな音でピアノ音楽を流し、4時間の睡眠を楽しむ体勢に入りました。大奮発して買ったソニーのノイキャンつきヘッドホン。電源を入れた瞬間にスッと周りの音が消えるのに毎回感動します。ところがです。リツキサンをはじめてしばらく経った頃から、なんとなく口の中に違和感が...キウイとかパイナップルを食べすぎた時に、口の中がイガイガしたり痒くなったりしませんか?それと似たような感じがしてきたのです。これはもしや良くない兆候では?まさか、アナフィラキシー?ちょうど看護師さんが調子を見にきたので、伝えると、口の中が赤くなっているそう。いったんリツキサンを止めて、もう一度ポララミンを投与することになりました。が、この後は、二袋目のポララミン投与で、眠気が不安を凌駕し、あまり記憶がありません。ポララミンで症状が落ち着いたので、程なくリツキサンが再開されたようです。看護師さんが、このペースだと夕飯は点滴しながら食べるようだねと笑っていたのだけ記憶に残っています。その後は何事もなく、次にちゃんと目が覚めたのは、夕飯が運ばれてきた時。看護師さんの言った通り、点滴液の袋にはまだ輸液がけっこう残っていて、点滴しながら夕飯を食べました。ようやく全て終わったのは夜の7時を回った頃でした。翌朝、様子を見にきてくれた担当医の先生によると、私の昨日のあれはアレルギー反応ではなく、インフージョン反応だと思うとのこと。リツキサンのような分子標的薬の副作用らしく、アレルギー反応とは違って、回を重ねるごとにひどくなることはないのだそう。次回はアナフィラキシーショックが起きたりしない?とちょっと不安だったので安心しました。というわけで3回目も無事終了です。1回目のリツキサン後、3カ月で再発してしまったので、2回目の後はなかなかプレドニンを減量してもらえませんでした。現在まだプレドニンを8mg飲んでいるのですが、今回は5mg以下まで減量できるといいなあ。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2024.05.22
コメント(7)
今年は航空機事故、地震と波乱の年明けでしたが、我が実家ではその頃、コロナ旋風が吹き荒れていました。コロナを実家に持ち込んでしまったのは、誰あろう、この私。免疫を下げる治療をしているため、これまでかなり気をつけてきたのですが、ふと気を緩めた瞬間、まんまとやられてしまいました。私と同様、免疫抑制剤を飲んでいたり、リツキサンの治療をしている方は、コロナに罹ったらどうなる?と今も不安を抱えているのではと思います。参考までに私のコロナ体験記を書いておきますね。|最初の異変最初にあれっと感じたのは、帰省の新幹線の中でした。なんだかのどがヒリヒリする?でも、その時は、暖房が効きすぎて乾燥しているのかとあまり気に留めませんでした。実家に向かう列車に乗り込むチョコが、その翌朝...ひどい悪寒と胃の痛みで目が覚めました。熱を測ると37°C。実は私、帰省前にインフルエンザとコロナのワクチンを打ってきたんですよね。私自身の感染対策だけでなく、実家の父が肺気腫でやはり重症化リスクが高いため、実家には絶対コロナを持ち込みたくなかったのです。それでも念のため、抗原検査キットで調べてみるとやはり陰性でした。ひと安心と思いきや…ひと眠りして目覚めるとさらに体調が悪くなっていました。熱も39°C近くまで上がっている。本来、免疫抑制剤を飲んでいると熱が出づらいそう。37°Cの熱が出たら38°Cの熱があるくらいの危機感を持ってと主治医に言われていたことを思い出し、近くの発熱外来に駆け込みました。|コロナ宣告病院に着くと真っ先にコロナとインフルエンザの検査を受けさせられました。この時点では自分がコロナだとは夢にも思っていませんでしたが、診察室に入ると、「コロナ陽性ですね」え〜〜〜?数時間前の検査では陰性でしたけど?「しかも重症化リスクが高いですね」治療歴(8月にリツキサン治療を受け、現在もステロイド服用中)を見たお医者様からダメ押しの一言。が〜〜ん。もちろんわかってはいましたけど、お医者様の口からあらためてそう宣告されるとおののきます。家に帰って、すかさず、もらってきた抗ウイルス薬(特大サイズのカプセルを一度につき4個!!)を飲み下しました。薬剤師さんは夕飯の時から飲み始めればいいですよと言っていましたが、ウィルスはあっという間に体の中で増えるので、そんな悠長なことはしていられません。その後、翌朝まで時々自分の口から漏れるうめき声で目を覚ましながらも、眠り続けました。2階に隔離されている私が気になってたまらないチョコ(夫撮影)|回復へ翌朝目を覚ますと、体がずいぶん楽になっていました。熱も37°Cまで下がっていました。体感として、快方に向かっている感じです。一方で、こんなに簡単に済むわけないでしょ?という不安もありました。だって相手はこの4年間、世界を混沌に陥れたコロナウィルスです。が、その日の夕方には熱が下がり、夕飯に小さなおむすびと豚汁が食べられるまでになりました。途中まで階段を登りフリーズしてしまったらしいその後はしばらく喉の痛みと咳が続きましたが、それも大したことはなく、あれよあれよというまに回復しました。結局、体がとてもしんどかったのは2日半くらい、そのうち熱があったのは1日と軽症ですみました。コロナが流行り始めてからずっと、もし感染したら、私は最悪、肺炎で死んでしまうこともあるのではと思っていたのですよね。ですので、このあっけない幕切れに、私がこの4年間こんなに恐れていたものの正体はこれだったのかとちょっと拍子抜けしました。重症化しなかったのは、1ヶ月前にワクチンを打っていたのと、抗ウィルス薬を飲んだのが早かったからじゃないかと思います。ついに私の部屋にたどりつき、私の隣で爆睡するチョコ。戦士の休息。|両親の発症私の発症の一週間後。「お父さん、熱があるの」早朝、切迫した母の声で起こされました。キットで検査をすると陽性。ああ、一番、恐れていたことが起きてしまった...肺気腫のある父は私と同様、いえ高齢なので私以上に重症化リスクが高いかもしれません。私が抗ウィルス薬がよく効いたので、すぐに病院に連れて行き、同じ薬を処方してもらいました。救いだったのは熱がある割には父が元気だったこと。腹へったと昼ご飯をぺろっと食べ、薬を飲んですやすや眠ってしまいました。ひと段落して、母も検査してみると、なんと陽性!ただ、全く症状はなく、念の為、病院に行きましたが、これならしばらく静養していればいいとのこと。というわけで、私と入れ替わりに父母が療養生活に入りました。はらはらしながら二人の様子を見守っていましたが、父は翌日には熱が下がり、そもそも症状がない母は寝ている必要を感じないらしく、二人とも二日後には床上げしてしまいました。結局、私よりさらに軽症で済んだという...二人とも真面目にワクチンを受け続けていて、つい一ヶ月前に7回目を接種したばかりでした。やっぱりワクチンが効いたのでしょうね。陽性が分かった時点では最悪の事も想像したのですが、本当に本当によかったです。コロナをうつしたことをさぞかし両親に恨まれると思いきや、やはりずっとコロナという顔の見えない化け物に怯えて暮らしていた父は、きちんと対処さえすれば、闇雲に恐れることはないのだとわかってかえって安心したとのことでした。ここで、私が今回の騒動で得た教訓です。1. 家庭内感染を防ぐのはすごく難しい。 (かなりきっちり隔離していたけどダメでした)2. 高齢の両親がいる実家に帰省する前は 感染リスクの高い行為は慎もう。 3. ワクチンはやっぱりこれからも打とう。4. 罹ったら早めに抗ウィルス薬を処方してもらおう。以上、我が家のコロナ騒動のてんまつでした。年末からコロナ感染者数が急増中しており、第10波の声も聞こえ始めています。皆様もどうぞお気をつけくださいませ。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2024.01.19
コメント(25)
先週末、2回目のリツキサン投与を受けてきました。前回からおよそ7ヶ月ぶりの投与です。2回目の今回は、前日から緊張でガチガチだった前回にくらべ、わりとリラックスして入院しました。たぶん私がまたいなくなるって気づいてた。案内された病室は6人部屋。その日は満床ということでしたが、みなさんカーテンを開けて思い思いの格好でくつろいでいます。ご挨拶すると明るいお返事が返ってきました。ふうっ、明るい雰囲気でよかった入院と言っても、退院間近の方や、私のように定期的な処置のために入院する人が集まる部屋はたいていこんな雰囲気です。いっそ湯治場みたいな。平均年齢が高いのもそんな雰囲気を醸し出しています。===============================さて、身の回りを片付けたら、まずは検査です。胸部レントゲンと心電図。これは前回と一緒です。検査から戻ってくると、お昼ごはん。ステントを入れるためにもう6回も入退院を繰り返しているというお向かいのベッドの方が開口一番、ご飯、おいしくないでしょ〜。まずくて有名なのよ、と。有名なご飯を記念撮影してみました。思わず、笑っちゃいました。いや、ほんと。前回、私もびっくりしたんですよね。お腹がペコペコでも喉に通らないほどで、これじゃあ治る病気も治らないんじゃないかと思いました。でも、大丈夫!わかってたから、今朝は好きなものをたくさん食べてきました===============================一休みしたところで、いよいよ治療の開始です。解熱鎮痛剤を飲み、アレルギー反応を抑えるため、ステロイドを点滴した後、リツキサンの点滴です。前回、特に問題がなかったため今回は少し点滴スピードをあげるとのこと。解熱鎮痛剤に眠くなる成分が入っているのか、点滴をはじめてしばらくすると、眠くなってきました。30分おきに看護師さんが体温と血圧を測りにきて、その時だけ目が覚めるのですが、すぐに寝てしまいます。ここ数週間、北海道も暑かったから、病室の効きすぎのエアコンがとっても気持ちよくて爆睡です。次に起こされた時にはすでに点滴が終わっていました。始めてから終わるまで3時間半くらいでした。今回も夕方、少し微熱が出たくらいで、特に問題なく終了しました。退院の朝。朝焼けがきれいでした。前回も思ったけれど、入院という形になるから色々手続きや準備があって、ものものしいけれど、治療自体はけっこうあっけないのですよね。外来じゃダメなのかな、と思うくらい。ただ、入院して、できることも、食べられるものも制限された状態にいると、不思議と心が静まります。あと、看護師さんに手厚く看護してもらっていると、私の体は本来、私自身がこうして丁寧にケアすべき大切なものなんだなあという謙虚な気持ちにもなる。そういう意味では、静かに病気と向き合う時間にはなっているのですがね...さて、今回の治療の効果はどれくらいもつかなあ。前回は半年待たずに2回も再発してしまいました。今回はうまくいくといいのですが。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.08.21
コメント(0)
実は一年ほど前から心療内科でカウンセリングを受けています。再発を繰り返す私の持病。心理的な側面が大きいという話もあり、私自身もそう感じることがあったからです。再発後のカウンセリングでは、やはり再発時の心の状態を振り返ってみることを提案されました。です、です。それでわかったのは、私が予定満載のGWを口では「楽しみ〜♪」と言いながら、その実、とても不安で、緊張していたこと。当初、新緑の関東でのんびりすごすはずだった私たちのGWは、気付けば、チョコをつれて8時間かけて私の実家に戻り、すぐにGWで混雑する東京を抜けて静岡の夫の実家へ。再び関東に戻ったら、今度は北海道から遠征してくるダンス仲間と合流し観光&競技会出場。その合間には、東京の練習場でダンスの練習もして…と怒濤の日程になっていました。なんでこんなことになったか私にもよくわかりません。競技会に出るのは最初に決まって、まあいいかなと。そのうち、流れでダンス仲間も合流することになり、私的にはもうそれでいっぱいいっぱいでしたが、夫の実家の話も断れず…それをあえてやるのを蛮勇という...ダンスの競技会ってね、とっても大変なのです。特に女性は早起きしてヘアセットとメイクをしなければならないし、重いドレスは運ぶのも、着るのも大変。次の日は起き上がれないくらい疲れて、毎回「もう2度と競技会には出ない!」と思います。これを慣れない旅先でやるわけです。当然、忘れ物がないようにパッキングしなくちゃ。実家にドライヤーはあったっけ?会場まではどう行こう?と、やることも考えることもいっぱい。さらに、今回はチョコと一緒です。去年一度帰省しているとはいえ、慣れない場所で体調を崩さないか心配で仕方がありません。できるだけ安心して過ごせるように、いつものフードやおやつをあらかじめ実家に送り、そうだ、今回は長時間お留守番もするからと自宅で使っているのと同じタイプのケージも送り…出発前のto do リストは数ページに膨れ上がりました。はいはい。あの時のことを思い出しながらそんなことを話すと先生はにこやかに一言。「壮絶でしたね」あはは。たしかに。そこでようやく気づきました。ある瞬間から、楽しいはずの旅行は、果たすべきミッションにすり替わっていたことを。私はそのミッションを無事にやり遂げるため、先生の言う通り、壮絶な気分でto doリストをこなしていただけだったのです。明日は〇時〇分にあそこに行って、そのあとは〇〇に行くから、その前に〇〇を買って、…そこに「楽しい」の入る余地はありませんでした。さらに。「お友達が来ることが気持ちの負担になっていた部分はありませんか?」そうなの。そうなんです。さすがに一年間、私の話を聞いてくださった先生はよくわかっていらっしゃる。北海道からわざわざ来てくれる友人をもてなすために、どうしようかなとずっと考えていたんですよね。友達が来てくれるのはとてもうれしいかった。でも、その反面、不安もありました。うまくおもてなしできるかなって。で、その気持ちの最たるものが、友達が来るのに、再発なんかさせてはならぬ、再発などありえないから検査薬はいらないと、あえて検査薬を旅行の荷物に入れなかったこと(笑)。これは心の底でバリバリ病気を意識しているのだそうです。とはいえ、とはいえですよ。これしきのストレスが再発の引き金になるでしょうか?これよりもはるかに大きなストレスはこれまでにもいっぱいありました。たとえば胃カメラとか(この世で一番怖い)。モラハラ上司とか、大勢の前での英語のプレゼンとか。個人的には、ストレスだけでなく、旅行直前にステロイドを減量し、ステロイド服用量がこの5年で一番低くなっていたこと、怪我していたこと(炎症反応が再発の引き金になる)などが複合的に影響して再発したのではないかな、と思っています。ただ、先生曰く、私は無意識に自分の気持ちにフタをしてしまうクセがあるそう。まずは、ストレスを感じている自分というものをありのままに受け止めることが必要なのだそうです。こんなことでストレスを感じるのはダメだとかジャッジしないで。確かにこうやって心の棚卸しをしてみれば、私があの時ストレスを感じていたことは間違ありません。自分の気持ちに向き合うことの大切さを知ったセッションでした。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.06.05
コメント(0)
今や7回の再発を経験し、ネフローゼとのつきあいも相当年季が入ってきた私ですが、いまだによくわからないのが、寛解後の過ごし方です。寛解しているのだから病気ではない。でも、再発の引き金になった原因はおそらくまだ体にくすぶっていて、薬を飲むのをやめたら、またあっという間にまた炎上するでしょう。つまり、大量の薬で症状は抑えられているけど、原因は解消されていないわけで…そんな時はどうやって過ごすしたらいいのか?同じ病気の知り合いがいたら、根掘り葉掘り聞きたい(笑)。もし同じ病気の方が読んでくださっていたら…どうしています(興味津々)??私と同様、寛解後どうしたらいいの?と思っている方も多いと思いますので、今日は私の場合についてお話しますね。今回、家にこもっている間はせっせと編み物をしていました。これはクッションカバーになる予定。|寛解後の仕事復帰仕事をしている方にとって最大の問題はどれだけお休みを取れるのかということではないでしょうか?私もこの病気になった頃はフルタイム勤務だったので、これはやはり悩ましい問題でした。初発時は治療が遅れ、心身ともに大打撃を受けたので、退院後はそれはそれは慎重に過ごしました。この病気のことがよくわからず、何かあれば再発して、再び病院送りになる大病人だと思っていた、というのもあります。ですので、この時は仕事を半年休み、人混みを避け、毎日体重、トイレの回数、血圧を記録し、神経質なほど自分の体調に気を配っていました。2年後、初めて再発した時もまだけっこう慎重で、やはり1ヶ月ほど仕事を休ませてもらいました。仕事に復帰してからも、週に一度、職場に来る産業医と面談しながら、最初は半日勤務、その後は時短勤務とゆっくり仕事に戻らせてもらいました。今、思えばとても恵まれた職場ですよね。次に作るセーターのためのスワッチ。そんな職場でも、再発が度重なれば、さすがに長い休みは取りづらくなります。再発2回目以降は1週間ほど休んで、寛解したらすぐに仕事に戻るようになりました。この頃には、自分がネフローゼ患者としてはそれほど重症ではなく、早期に再発に気づき、治療をすれば、大事にはならないタイプなのもわかってきました。1週間休んで復帰できるなら、インフルエンザと変わらないじゃない、と強気になってきたのもこの頃。でも、そんなことを繰り返すうちにだんだん再発までの期間が短くなり、ステロイドも効きづらくなり…結局、夫の転勤を機に、仕事を辞めました。今思うと、病気になるのにはやはり理由があるはずで、休めるならゆっくり休んだ方がよかったのでしょう。でも、あの時は再発して仕事の穴を開けるたびに関係各所に謝ってまわることのほうが辛かった。体はキツくてもいっそ働いてたほうが気が楽だったのですよね。当時の私は内心、そうやって仕事に復帰する自分を偉いとすら思っていたのですが、あの時にきちんと自分の病気に向き合い、ケアできたら、今頃こんなにこじらせてはいなかったのではと思います。ステロイドを大量に飲んでいる時は本を読みたい気分にならないことが多いのですが、今回はよく読んだ。|対処すべきはステロイドの副作用ネフローゼの原因がくすぶっていたとしても、大量のステロイドを飲んでいるうちはそう簡単には再発はしません(私の場合です)。ですので、実際問題、寛解後に最も悩まされるのはこのステロイドの副作用です。一番怖いのは免疫の低下による感染症。生活の質を著しく落とす不眠。生活習慣病につながりかねない高血糖、高血圧、高脂血症。私は寛解後はおもにこの辺に注意して生活するようにしています。基本的なことですが、・人混みなど感染リスクの高そうな事物は避ける。・規則正しい生活を心がけ、朝は日の光を浴びて、 体内時計をリセットする。・疲れたら無理せず休憩する。・甘いおやつ、コレステロールの高いものを避け、 ベジファーストをこころがける。・適度な運動をする(適度がいまだにわかりませんが)などですかね。ナッツやヨーグルトをおやつ代わりに。とはいえ、今は、はじめてこの病気にかかった時ほどがちがちに体調管理をしているわけではありません。再発も7回目ともなると、これくらいなら大丈夫というボーダーラインがなんとなく見えているので、ストレスにならない程度にやっています。私の場合、再発して寛解すると、ステロイドを20mg→15mg→12.5mg→10mg…と減量しますが、10mg以下になるとよく眠れるようになり、体がぐっと楽になります。そうなると、自然にそろそろあまり神経質にならないでも大丈夫かなという気分になってきます。|身体のいいなりになるこれは今でも全然できていなくて自戒を込めて言うのですが…そんな生活をしていると、時に周囲からネガティブになりすぎだとか、気にしすぎじゃないかとか、言われたりもします。でも、それに振り回されないこと。私の体の主人は私なのです。何かあったって、その人が私の病気を肩代わりしてくれるわけじゃない。そんな無責任な助言に従う必要はないと思います。そもそも、そうやって人の顔色をうかがってばかりいるからこんな病気になったんじゃないか、という気がしないでもなく…最近、もしかしたら寛解期の一番正しい過ごし方は、荒ぶる身体を鎮めるために、しばらく身体のいいなりに過ごすこと、なのではないかなと思うのです。乳がんになった筆者が、身体のいいなりになってどんどん健康になったというお話。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.29
コメント(0)
I先生のお計らいで無事に薬をもらえた私。でも、それで不安が消えたわけではありませんでした。もらったのは1日20mgのプレドニン(ステロイド)。これは自宅療養する場合に処方される最大量のプレドニンで(これより多いと感染症のリスクが高くなるため入院になります)、今までの再発ならこれで1週間後には寛解していました。ですが、今回は初発の時と同じくらい尿タンパクが出ています。その時は入院してこの2倍量のプレドニンを服用していたわけで...はたしてこの量で効くのでしょうか?私が伏せっている間、川越観光するチョコと夫。ネフローゼの最大の症状は、尿が出なくなり、むくむこと。初発の時は普段54kgの体重が気付いたら62kgを越えていました。ここまでくると内臓まで水浸しになり、吐き気や下痢、頭痛なども出てきます。症状の変化を見逃さないため、すでに振り切れて役に立たなくなった尿検査薬の代わりに 、体重と尿の回数をモニターすることにしました。|プレドニン服用2日目体重はあまり変わりませんが、前日には感じなかった足や手のむくみがあります。起き上がる気力もなく、1日ゴロゴロ。|プレドニン服用3日目尿検査は相変わらず振り切れたまま。相変わらずダルくて、1日寝たり起きたり。ただ、この時点で急激な体重の増加や尿量の減少がなかったので、薬が効いているかなという感覚はありました。後から思えばこのあたりが峠だったようで、翌日から少しずつ体調が好転していきました。一緒に競技会に出るため札幌から川越まで来てくれたダンス仲間。夫のアテンドで観光中。楽しそうだなあ。|プレドニン服用4日目ついに尿検査のタンパク量が少し減りました。最悪の事態は脱したと胸をなで下ろした瞬間(涙)。奇しくも、この日は私たちが出るはずだったダンス競技会の日でもありました。応援に行った夫の実況で、ダンス仲間の健闘を聞いていました。一緒に出たかったよ。|プレドニン服用5日目札幌へのUターン決行。ずっといつ帰るか迷っていたのですが、帰れる時に帰ったほうがいいと、急遽、切符を取りました。心配顔の両親と弟一家に手を振って、一路帰途へ。帰りも8時間の列車の旅。長旅の負担を考え、私1人、飛行機で帰るという案もありましたが、空の上で具合悪くなるのが怖くて…帰宅後ドキドキしながら検査すると、尿タンパクは前日よりさらに減っていました。長旅の影響はなかったみたいです。ホッ。この病気、本当に不思議なのですが、正のフィードバックがかかるというか、悪くなる時は急激に悪くなるのに、ひとたび治る方向に舵が切られると、これまた急激に治るのですよね。ダンス仲間の快挙。相変わらずカッコイイよ!ほんと、一緒に出たかった(涙)。そして札幌に帰って数日後。病院に行く頃には、私の尿からタンパクはきれいさっぱり消えていました。それはもうほんとに劇的な幕切れ。これじゃあ主治医も今回の再発をどう評価していいかわからないんじゃないか、あの時、薬を飲んだのは失敗だったかも、とちょっと後悔したほどでした。が、しかし。薬を飲んでしまいまして、とモゴモゴ言い訳する私に主治医は…「飲んでくれてよかった。むくんだでしょ?」と。実は血液に再発の履歴が生々しく残っていたそうです。つまり、尿からタンパクが出たせいで、血中タンパクがうんと減っていて、それを補うために肝臓がうんと頑張り、コレステロール値が跳ね上がっていたそう。やはり大きな再発だったのは間違いなかったのです。あの時、ギリギリの状況で私がとった行動も、それを受けとめてくださったI先生のご判断も間違いなかった。それはいまだに悔やんでも悔やみきれない7年前の判断ミスが教訓となって生かされたということで、やっと挽回できた、という気がしました。こうして無事に寛解宣言をもらった私は現在またプレドニン減量に取り組んでいます。以上、興奮冷めやらぬまま長々と語った8回目の再発の顛末でした。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.22
コメント(0)
前回からの続きです。明けて5月2日。私は朝からアドレナリン全開モードです。明日からは1週間どこも病院はお休み。なんとしても今日中に手を打たなければなりません。私の考えたシナリオはこう。1. 近所の病院に行って尿検査をする。2. 検査結果を病院から札幌の主治医に知らせてもらう。3. 主治医からこちらの病院に治療方針を伝えてもらう。4. こちらの病院で治療開始。ポイントはまず病院に行って検査してしまうこと。主治医に再発した〜と電話で泣きついたところで、正確な情報がなければ治療の方針は立ちません。なにより大学病院の主治医にアクセスするには受付→外来看護師→医局主治医とプロセスが長く、私が返事をもらうまでに半日かかってしまいます。ただ一つ不安だったのは、はたしてお医者様同士でこういうやりとりをしてくれるのかということ。なんかこうお医者様間のプライドとか縄張りとかありそうですよね?そうでなくても大学病院は手続きとか書類とかやたら形式ばっているし。とはいえ、ほかに良い方法は思いつかず、まずは尿検査をしてくれる病院を探すことにしました。本文とは関係ありませんが、かわいい写真が撮れたので使ってみました。すでにGWの真っ只中。平日ではあっても、この日個人病院はほとんどお休みになっていました。近所の総合病院はやっていましたが、すでに他で専門医にかかっている方は、通常の内科では診られません、と剣もほろろ。別に尿検査さえしてくれればいいんですですけどね。ようやく一軒の個人病院(I病院)が見つかりました。電話で事情を説明すると、検査してくださるとのこと。I病院に着き、尿を採取して待っていると、「〇〇さ〜ん、どうぞ」とI先生ご自身が診察室の入り口から顔を出して、呼んでくれました。ああ、気さくな感じの先生でよかった。なんせ私はこれからこの先生に面倒なお願いをしなくてはならないのです。「やっぱり相当、尿タンパク出てるよ。」検査結果を見せてもらうと4++の数字が。ヤバい… 想像以上に悪い。これはもう一刻の猶予もありません。気づけば、I先生に、札幌の主治医と連絡を取り、治療を始めていただけないかと頼んでいました。I先生はやはり気さくに引き受けてくださり、お医者様同士で相談してくださることになりました。私はいったん家に帰って、お沙汰を待ちます。数時間後、I病院から連絡がありました。なんと、主治医の判断は週明け8日に私が札幌の病院に来れるなら治療は保留。そして主治医がそう判断した以上、I先生は勝手な投薬はできない、とのこと。ええ〜?帰ってこいって言われれば飛行機探して帰るけど、それって結局札幌で病院の開く8日まで待つってこと?おそらく主治医はちゃんと血液検査して、私の体で何が起きているか見たかったんだろうと思います。リツキサン後初めての再発でしたしね。でも、その間にどんどん悪くなったらどうするの?どっちに転がるかは誰にもわからないのです。現に、私は7年前、お医者様の言う通り治療を1週間待ったばかりに取り返しのつかないことになってしまったのですから。どうしよう、どうしよう。でも、1人で悶々としていても仕方ありません。I先生にこの気持ちをそのまま伝えてみよう。それでダメならそれがエキスパートジャッジメントということであきらめよう、そう決めました。再び病院に行った私はI先生に切々と訴えました。これは再発歴8回の私が今まで経験したことのない大きな再発であること。7年前、たったの1週間で、緊急透析が必要と言われたほど症状が悪化したこと。万が一の場合にと主治医がI先生に伝えた量の薬は飲み慣れていてちゃんと自分で体調管理できること。I先生は私の方に向き直りじっと話を聞いてくれました。そして明るい声で、こう言いました。「治療を始めましょう」明日から病院が閉まってしまうという時にあなたをこのまま放り出すのははこっちも不安だ。札幌の先生には飛行機が取れなかったって言えばいいよ、と。安心して涙が出そうでした。薬を出してもらえたことはもちろんですが、不安でたまらない気持ちを先生に受け止めてもらえたことがとてもうれしかった。それだけでもう半分治ったような気になりました。でも、家に帰った私はそのまま動けなくなり、この後しばらく先行きの見えない日が続くことになります。(つづく)最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.19
コメント(0)
前回の更新からずいぶん時間が経ってしまいました。実はGW中に持病のネフローゼが再発しました。もう寛解したのですが、ちょうど帰省中だったため、色々大変でした。今回はその顛末を書き残しておこうと思います。今年のゴールデンウィークは、私と夫それぞれの実家に帰省し、ついでに久しぶりに関東のダンス競技会に出場する予定でした。競技会には北海道のダンス仲間も合流する予定で、楽しいこと間違いなしのゴールデンウィーク、のはずだったのですが…今回も新幹線で帰りました。異変に気づいたのは、札幌から私の埼玉の実家に到着した翌日のことでした。尿がわずかに泡立っていました。が、多少の泡立ちは疲れたり、激しい運動したりした後にはよくあること。ですので、その時は、長距離の移動で疲れたのだろうとあまり気にしませんでした。キャリーケースの中をちょっと直した時の様子。意外と快適そうです。で、翌日はそのまま静岡の夫の実家へ。雲行きが怪しくなってきたのはこの頃からでした。トイレに行くたびに尿の泡立ちがひどくなっていきます。尿の泡立ちはネフローゼの自覚症状の一つですが、実はこれまで、私自身は尿の泡立ちで再発に気づいたことってほとんどありません。尿が泡立ってくる時って、もうかなり尿中にタンパクが出ている状態なのです。私は普段わりとまめに検査薬でチェックしているので、たいていは尿が泡立ってくる前に再発に気づきます。そんな私がなぜこの時ばかりはのんびりしていたかというと、リツキサンのせいです。1月に入院して投与したリツキサンは、私よりはるかに再発頻度の高い患者さんでもぴたりと再発が止まる効きのいい薬なのです。投与してからまだ4ヶ月しか経っていないし、GW直前に病院でチェックした時も、免疫のレベルは適度に抑えられていて、どう考えても再発の目はない、と信じ込んでいた(信じたかった)からです。ですので、この期に及んでもまだ、この泡はトイレの洗浄薬(タンクの上の水が出るところに置くやつ)のせいだろうと必死に自分に言い聞かせていたのです。胸にうずまくドス黒い不安は、口にしたとたん、本物になってしまいそう。だから、静岡では、夫にも話さず、時に上の空になりながらも粛々と嫁のつとめをはたし、再び埼玉の私の実家に戻ってきたのでした。夫実家近くの安倍川をお散歩。で、帰宅早々、実家のトイレに駆け込み、用を足して、振り返ってみると。あわわ、あわ、あわ。かなりの勢いで泡立っています。確定だ…検査薬を買いに走り、チェックすると、ネフローゼ歴7年、再発歴8回の私が今まで見たこともない濃い〜深緑色に染まっています。何これ?こんなの見たことない。いったい何が起きてるの?手足ががくがく震えて、立っているのもやっとです。これまでになくひどい再発を起こしているのは間違いありません。呆然としたのも束の間。頭の中に5月のカレンダーが浮かび上がります。この日が5月1日。5月3日から5月7日までは祝休日で病院はどこも休み。つまり、翌日中にはなんとかしなければ、5月8日までの1週間、何の治療できないということ。そしたら、きっと大変なことになる。7年前はじめてこの病気になった時のことが頭をよぎりました。病院に行き、1週間後に入院と言われましたが、入院を待つその1週間で私は坂を転げ落ちるように、悪くなり、結局、腎臓機能の半分を失ってしまった。そんなことは2度とごめんです。だけど、私は主治医から遠く離れた関東にいて、猶予はたったの一日。さあ、どうする私?(つづく)最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.05.16
コメント(0)
1月中旬にリツキサンを投与し、2ヶ月が経ちました。Bリンパ球を抑制するというこの薬、実際のところどれくらい免疫が落ちるのかわからず、この2ヶ月はだいぶ緊張しながら暮らしていました。もしかしたら、ころっと感染症にやられてしまうんではないかと…が、結局、この2ヶ月、感染症とおぼしきものは、退院直後にできたヘルペスくらいでした。もちろん感染症のリスクが高そうなことは慎重に避けていましたけれど。私の場合、基本的な感染症対策をしていれば、ほぼ普段通りの生活をしていて大丈夫そうです。まだ北海道は桜には程遠いんですけど、私が春気分で...体感的にも、埃っぽい場所にいると咳が出たり、肌が揺らいだりと、軽いアレルギー反応が出るので、強く免疫が抑制されているわけではない感じ。医学的には免疫の状態は血液検査のIgGという項目で見るそうです。今の私はこの値が800mg/dL前後。基準値は870-1700mg/dLなので、ぎりぎり下限にひっかかるかかからないかくらいです。主治医曰く、ま、ちょうどいいでしょう、とのこと。ふうん、よしよし。このまま次の投与の7月まで何事もなければ、リツキサン治療は成功です。そうなるといいなあ。なにしろ日々の薬の量が減ったのが本当にラク。あらためて、毎朝、大量の薬を飲むのがどれほどストレスだったのか気づきました。春風そよそよ。それで、体調も安定していることですし、明日からしばらく実家に帰省することにしました友人が多く暮らすなつかしい街も訪問する予定です。2ヶ月間、雪に振り込められながら、緊張して過ごしてきたので、ここらで息抜きです。あちらは桜も咲き始め、春爛漫な様子まだモノクロの札幌に夫とチョコを置いていくのは心苦しいけれど、どこもかしこも淡い桜色に染まる関東の春を思い出すと胸が躍ります。チョコよ、ごめん。チョコは人質としてパパに預けて行くよ。桜の下でなつかしい人たちと会ったら、ママはもうこちらに戻って来られなくなりそうだから。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.03.23
コメント(2)
先週、入院し、初めてのリツキサン治療を受けました。心配だったアレルギー反応も起きず、今のところ目立った副作用もなく、元気にしています。ただ、成人の難治性ネフローゼへのリツキサン治療は、まだ例が少ないらしく、ネットでも体験談などがあまり見つからなかったので、参考までに私のケースを記録しておきますね。今季最大の寒波到来。いやあ、今朝は寒かった。|リツキサン治療にいたるまで2016年に一次性ネフローゼ発症。その後、2年間再発がなく、一度はステロイドを切ることができましたが、2018年に再発。その後はステロイドを減量するたびに再発を繰り返し、難治性ネフローゼと診断されました。2年前からはステロイドとあわせて免疫抑制剤も使っていましたが、あまり効き目がなく、ここ1年で2回再発させてしまいました。リツキサンについては以前から主治医からもちらちら話はあったものの、入院が必要なこと、抗がん剤であることから「すごく大変な治療」という印象があって、ずっと前向きになれませんでした。がしかし、度重なる再発にさすがの私もうんざりし、腎臓に負担のある免疫抑制剤をこれ以上飲みたくなかったのもあって、昨年秋、主治医にリツキサンに切り替えたいと伝えました。入院の日はチョコが病院の玄関まで見送りに来てくれました。いい子に待っててね。|リツキサン投与リツキサン投与はまれにアレルギー症状がでるので、入院して行うのが普通です。午前中、病棟に入ると、まずは胸部レントゲン撮影や心電図の検査をしました。昼食後はリツキサン投与の準備として、アレルギー反応をおさえるための点滴を2種類します。解熱剤も飲まされました。準備が整ったら、いよいよリツキサンの点滴です。はじめの30分くらいはゆっくりと入れていって、アナフィラキシーショックなど起きないか様子を見ます。この間、看護師さんがちょいちょい、息苦しくない?気持ち悪くない?と様子を見にきてくれます。何の症状もなかったので、30分後、点滴速度をあげます。点滴速度をあげてしばらくすると、微熱が出て、首や顔がほてってきました。でも、解熱剤を飲んでいるせいか、気持ちよくうつらうつらしているうちに、3時間経過。点滴終了です。点滴から24時間はアレルギー症状が出る可能性があるそうですが、私は夕方には熱も引き、翌朝も問題なかったので、そのまま退院となりました。|リツキサンの副作用リツキサンは免疫を司るBリンパ球を抑制するため、点滴後は感染症かかりやすくなります。感染症に注意しなければいけないのは、今までのステロイドや免疫抑制剤も同じでしたが、問題は今回、どれだけ感染症に弱くなっているかです。実は退院した翌日、約10年ぶりに口唇ヘルペスができ、やっぱり相当、免疫が弱っているんじゃないの?とおののきました。元看護師の友人によれば、そのほかにも、コロナやインフルはもちろんカンジダや尿路感染、食中毒なんかも気を付けたほうがいいそう。しばらくは手探りでその辺りの感触を確かめていく必要がありそうです。退院した日。なぜかベッドの変な位置にいるチョコ。もしかしてスネてる?|治療にかかった費用費用の総額は30780円でした。私は特定疾患に認定されていますので(難治性ネフローゼの方は皆さんそうだと思いますが)、これは1割負担の金額です。高額医療費の手続きが必要かなと思っていたので、思っていたより安いという印象でした。|今の気持ち終わってみれば、思いのほかあっけなく、私は一体、何をあんなに恐れていたのだろうと拍子抜けしました。こんなに簡単なら、もう少し早く始めていれば、その後の再発は防げていたかもしれないし、腎臓への負担を心配しながら飲んでいた免疫抑制剤ももっと早く辞められたのになあと思ったり。とはいえ、投薬は半年おきに2年間続きますので、長期的なQOL(生活の質)や体への影響など今の段階ではよくわからないこともあります。以上、リツキサン投薬1回目の報告でした。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2023.01.25
コメント(3)
気づけば最後の更新から1ヶ月も経っていました最近、時間が経つのがほんとうに早いんだ...なかなか寛解しなかった私の持病ネフローゼですが、何度か免疫抑制剤を増量し、少し前、ようやく寛解宣言が出ました。長かった...これまでの再発では 、ステロイドをどんと増量し、1週間程度で症状がおさまっていたので、これは初めての経験でした。いつもは寛解するまでは安静にしているのですが、ここまで長くなるとそうもいかず、後半はほぼ普段通りの生活をしていました。それで尿タンパクの量が急に増えるとかはなく、特に支障はなかったようです。一つ経験値が増えました(笑)。そうそう、悪くなったらどうしようってビクビクしながらおでかけしてたもんね。とはいえ、尿タンパクは今も微量(±)に出ていて、大量の免疫抑制剤でギリギリ症状を抑えている状態のようです。先日、ついに主治医から治療のステージを上げる話が切り出されました。まあそうだよね…リツキシマブ(リツキサン)というB型リンパ球をアタックする治療薬を使うもので、入院は必要だけど、うまくいけば半年に1回の投薬だけですむようになるんだそう。悪性リンパ腫の抗がん剤としても使われるらしく、それだけ聞くと怖いような気がするのですが、副作用はほとんどないとのこと。これまでもこの話はちらほら出ていたのですが、なんとなく聞き流していました(笑)。あまり辛い自覚症状が出ないので、入院とか言われてもピンと来なかったのですよね。でも、さすがに今回は自分でも、こう短い期間に再発繰り返してたらやってられんと思ったし、腎臓に負担があるという免疫抑制剤を大量に飲み続けるのも嫌だしで、だいぶ前向きです。小児ネフローゼではもうリツキサンの治療が主流よ、という主治医の言葉にも背中を押されました。子供が頑張ってるのに大人の私が怖がってどうするほんと、チョコはママの心の支えだよ。チョコがいてくれてよかった。来週、夫と一緒に主治医と今後の治療方針を話し合う予定です。大丈夫。前に進むだけ。少し怖いけど、不思議と明るい気分です。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.11.09
コメント(0)
持病の再発後、免疫抑制剤薬を増量して、そろそろ2週間になるのに、まだ寛解しません。今までなら、ステロイドを増量すれば、4, 5日で寛解していたのになあ。といっても、病気の勢いが強い時は、みるみる尿タンパクの量が増えていくのですが、今は偽陽性(±)のあたりをふらふらしているので、たぶん薬はそれなりに効いているのでしょう。しかし、この、寛解をただひたすら待つ、というのはなかなかに辛いものがあります。意味がないと分かっていても、1日に何度も尿検査したりして…以前、同じ病気の人のブログで、再発後は1日に20回くらい検査してしまうって書いてあって、ちょっと笑っちゃったんだけど(だって、1日にそんなにおしっこ出る?)、今の私はその気持ちがよ〜くわかる。それに、この待ち時間、どう過ごしたら正解なのかよくわからないのです。つまり、良くなるためならなんでもしたいけど、それがなんだかよくわからないという…お医者さんは「そう思い詰めず、のんびりしてて」と言います。しょうがないので、いつものとおり、睡眠たっぷり、塩分控えめなど腎臓病患者の基本を心掛けてはいますが、なにかもっとできることはないのかと焦れてきます。チョコは待てが上手です。もともと「待つ」とか「忍耐」がとても苦手です。行列は絶対に並ばないし、長時間キッチンにこもりきりになる作り置き料理も苦痛。何か困ったことがあると、一刻も早くそれから解放されたくて、いつもジタバタしてしまいます。そういえば、結婚当初、ライフワークバランスに悩み、職場のキャリアカウンセリングを受けたことがありました。その時、カウンセラーさんが何度も口にしたのが、「それはあなたの力でどうにかなること?」という言葉。つまり、自分の努力でどうにかなることと、どうにもならないことを切り分け、どうにもならないことに関しては思い悩むのはやめましょうということ。自分ではどうにもならないことまで悩むのは、一見、謙虚なようで、実はなんでも思い通りにできると自分の力を過信しているのだそう。そういえば、そうだった。あの時もしなくてもいい未来の心配までして、疲れ果てていたんだったなあ。この先にあるのはチョコの大好きなカフェだよ。その伝で言えば、今回のこれも私の力が及ばないこと。私の病気がいつ収まるかなんて誰にもわからない。お医者さんの「のんびりしてて」というのも、裏を返せば、これはあなたがどうこうできることではない、ってことなのでしょう。そうそう。待てば海路の日和あり、だ。そのうちに潮目も変わるでしょう。とりあえず、明日はのんびり本を読んで、韓国ドラマでも観ましょうかね。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.09.27
コメント(0)
またもやを持病を再発させてしまいました。8月末の検診で、今年3月の再発時と同じ量までステロイドが減量になったのですが(プレドニン4mg)、その時、ちらっと不安を感じたのです。いつも一年半くらいかけて減量していたのを、たったの半年でここまで減らして大丈夫なのかなあと。予感は的中。薬を減らして数日後には尿タンパク陽性になり、しばらく陰性、陽性の間を行ったり来たりして、ついに陽性のまま戻らなくなってしまいました。病院に行くと、ごくごく初期の再発だったらしく主治医には「よく気付きましたね」と褒められましたがうれしくもなんともありません。だって、またやり直しですもん。ヒートから数ヶ月するとチョコはいつも子育てをはじめます。今回のベビーはピンクのぶたさん。そもそも私の病気は発症のメカニズムすらわからず、薬はたんに腎臓の炎症を抑えているだけ。寛解後は謎の原因Xが解消されていると期待しつつ、そろそろと薬を減量していくのですが、この時、原因Xが消えずにくすぶっていれば、薬が減ったとたん病気は再燃します。だから、いかに再発させずに薬を減量するかがお医者様の腕の見せ所とも言われています。前回の再発時と同じ量の薬で再発したということは、原因Xが依然として解消されていなかったということ。ちょっと薬の減量を急ぎすぎたんだと思います。つまりこの再発は私の体調うんぬんというより、薬の調整に失敗したってことなんじゃなかろうか?毎度、再発のたびに、ど〜んと落ち込み、あれが悪かったのか、いやこれが悪かったかと、つい原因探しをしてしまうのですが、今回はそういうことじゃない気がします。それはそれは甲斐甲斐しいママっぷりです。主治医がステロイドの減量を急いでいたのにはワケがあります。2016年の発症から6年半、その間、私がステロイドを飲まずにいられたのはたったの半年。副作用を考えれば、そろそろ脱ステロイドをすべき、というわけです。そのために2年前から免疫抑制剤を併用し、少しづつステロイドを減らす予定でした。最終的に脱ステロイドを目指すという治療方針には、私も納得しています。ステロイドの副作用である骨粗鬆症も気になるお年頃ですしね。チョコお、ねえチョコったら、ママも具合悪いんだけど?が、しかしです。急ぐあまりに再発しては元も子もありません。絶好調だった8月末まで私が飲んでいたステロイドは5mg。これは人の体内で作られる副腎皮質コルチロイド(=ステロイドと同様のホルモン)とほぼ同じ量です。つまり、すでに服用量はだいぶ減っていたのです。実際、副作用もあまり感じていませんでした。それでも急いで減量しなければいけなかったのかなあ。もう一つ気になるのは、今回の再発を抑えるために、免疫抑制剤ががつんと増量されたこと。この免疫抑制剤、実は腎機能に影響すると言われています。腎臓の炎症をとめるために、腎機能を低下させる可能性のある薬を大量に飲むのってどうなんだろう?全般もやもやとしてしまいます...まずは今の症状の寛解が最優先ですが、次の検診までに、今の治療方針への不安や疑問点を整理し、主治医にきちんと相談しようと思っています。やっぱり自分の体ですし、納得した上で治療していきたいので。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.09.20
コメント(0)
札幌はライラックの季節を迎えました。いよいよ初夏です。大好きな季節のはずなのですが...今年はなぜか絶不調。体のあちこちが筋肉痛みたいに痛くて、頭はがんがんするし、ちょっと気持ちも悪い。とにかくだるくて何をする気もわきません。私がゴロゴロしていると必ずチョコも一緒にゴロゴロする...ついに更年期きたかと一瞬、思いましたが、先週のネフローゼの定期検診で、ステロイドが減量になったら、いっそう具合が悪くなって、気付きました。たぶんこれはステロイドの離脱症状です。離脱症状=つまりは禁断症状です。大量のステロイドを長期間服用していると、副腎が自前のステロイド(=副腎皮質コルチロイド)を作れなくなります。その状態でステロイドの服用量を急に減らすと、体内のステロイドが不足し、様々なつらい症状が出るというもの。2人で寝てばかりなのもどうかと思って、時々トレーニング。それにしても今回はきついです。今までこんなにひどかったっけ?実は、今の病院に通うようになり、今回が初めての再発だったのですが、今の先生、ステロイドをどんどん減らすんですよね。こんなに早く減量して大丈夫なのかしらとうっすら気になってはいたのです。参考までに前回までの治療と比較するとこんな感じ。これまでは再発後一年かけて20mg/1日→6mg/1日に減量していたのが、今回はなんとたったの3ヶ月で6mgまで減量しています。それはちょっと体もびっくりするんでないの?ねえ。なんか間違ってるけど、かわいいから合格!でも、ナゾの不調が離脱症状だと気づき少し安心した部分もあります。更年期障害だったら、ネフローゼの他にもう一つ、厄介なものを抱え込むことになりますから。離脱症状なら対処法も知っています。それは、ただただ、体のいいなりになって、嵐が過ぎ去ってくれるのを待つこと。これはもうホルモンの仕業なので、私がジタバタしてもはじまらないのです。私の体が今の状態に慣れ、副腎がまた元気に働き始めてくれるのを待つしかありません。思うように動けない自分にイライラしても、事態を悪化させるだけ。というわけで、ここで宣言します。私はしばらくお料理を手抜きいたします!不用不急の家事はいたしません!そして、そんな自分を責めないことをここに誓います。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.06.01
コメント(0)
再発から1ヶ月あまり...そろそろ元の生活に戻らないとなあと思っていました。いつもこのタイミングに悩みます。ネフローゼの症状自体は、初期ならば、ステロイド増量後、1週間もすれば寛解します。あとは体の回復と感染症の予防のため、ステロイドがある程度減量されるまで自宅療養するわけですが、じゃあ、どれくらい減量されれば、体に負荷をかけていいのか、人混みに行っていいのか、いつもよくわかりません。はっきりした基準はないらしく、主治医に聞いても気をつけながらね、とか、あまりストレスかけないようにね、とかなんともあいまいな返事が返ってくるのが常です。結局のところ自分の心と体に相談しながら、自分で決めるしかありません。暖かかったので、チョコと長いお散歩に出かけました。途中、カフェでコーヒーをテイクアウト。仕事をしていた時は、再発もたび重なると休みにくく、寛解と同時に職場復帰したりもしていたのですが、これはほんと良くなかったようで、どんどん次の再発までの時間が短くなっていきました。今回は急いで社会復帰する必要もなかったので、心ゆくまでのんびり療養していたのですが..そうすると、今度は完全に外に出るタイミングを見失ってしまいました。ダンスの先生から「その後、体調はいかが?」と電話をいただいても、友人から「ようこちゃん、そろそろ外出解禁になった?」とお誘いをもらっても、つい「いえ、まだ自宅療養を...」ともごもご言ってしまう。長いお休みの後に学校に行けなくなる子供みたいです。そもそもが家で1人でいるのが大好きなのです。で、病気を理由に堂々と非社交性を発揮しているという...まだ、寒々とした景色ですが...でも、チョコと久しぶりに遠出をしてみると、季節はすっかり変わっていて、公園では若者が腕まくりでバレーボールをしていて、近所の川では雪解け水がごうごうと渦巻いていて。2週間もすればめくるめく北国の春のはじまりです。さすがにこんなに待ち焦がれた遅い春を、家でやり過ごすのはもったいない気がする...「普段の生活に戻る前に3回目ワクチン打っといてね」主治医にそう言われていたので、今日、意を決して、これも1日伸ばしにしていたワクチン予約の電話をかけました。そしたら、ちょうど明日、空きがあるとのこと。よし。明日、ワクチンを受けたら社会復帰しよう、そう決めました。ああ、でもやっぱり副反応こわい...どうかどうか、軽くすみますように。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.04.13
コメント(0)
先日の投稿で、ステロイドの副作用がつらい、と切々と語りましたが、実はステロイドを飲んでいると良いこともあります。一つは、免疫抑制作用があるので、ネフローゼだけでなく、全身の炎症反応やアレルギー反応がピタリとおさまること。私の場合、花粉症や慢性的な肩こり・腰痛がすごく楽になります。お肌の調子もびっくりするほどよくなって、期間限定でお顔がツルスベになります。ずっと肌のキメが荒くて艶がないのは生まれつきと思っていたのですが、ステロイドを飲みはじめて、それが炎症反応(=慢性的肌荒れ)のせいだったのだとわかりました。でも、何よりすごいのは「元気な人」になること。私は普段、どちらかというと疲れやすくて、睡眠時間もたっぷり必要なタイプ。しかも自分に自信がなく、色々考えすぎては無駄に消耗します。それが、なぜかエネルギーに満ち溢れてくるのです。実際、副作用として「躁状態」とか「多幸感」があるとよく言われています。この感じ、うまく説明できないのですが、美術の教科書に、群衆の先頭で高々と旗を掲げるジャンヌダルク自由の女神の絵がありましたよね。by ドラクロワたとえていえば、このジャンヌダルク自由の女神になったかのような全能感や高揚感といいましょうか...(後日、この絵の女性はジャンヌダルクではなく、自由の女神だとご指摘がありました。きゃあ、お恥ずかしいでも、私の気分としてはやっぱりジャンヌダルクなんだなあ。)たとえば、新しいことにチャレンジしたり、何かを変えるのって元気も勇気も必要ですよね?ところがステロイドを大量に服用している時はそういうハードルをすっと乗り越えられます。40代にして、突然、社交ダンスなんてはじめたのは、まさにステロイドのこの作用が後押ししてくれたのだと思いますし、ステロイド服用中は断捨離がはかどるのも、「捨てる」ことに伴う変化が怖くなくなるからじゃないかなと思っています。対人関係でも、好きな人は好き、苦手な人は...、まあそんなこともあるわねと、あっさり割り切れます。人との関係で、必要以上に気をつかったり、クヨクヨしたりしないのは本当にラクで、これに関してはステロイドをやめてもずっとこうありたいと思います。素のままの自分で人と向き合えるせいか、病気をしてから不思議と友人に恵まれるようになりました。何も素のままの方がいいと言ってるんじゃないですよ。普段の私は、人に対してはじめから腰が引けててなかなか打ち解けられないってことです。まあでも、時々、言葉がストレートすぎて手痛い失敗をしてしまうこともありますが...===============================かつて、私の主治医は、私のこうした変化を、感情をコントロールする理性のフタが外れた状態と称しましたが、言い得て妙だなと思います。今のあなたが本来のあなたに近いのでしょう、とも。たぶん、年若い主治医は、私が入院当初「なぜこんなに腎臓機能が低下するまで何もしてくれなかった?」だの「透析するくらいなら死んだほうがまし」だのとくってかかったのを根に持っていたのでしょう(笑)。でも、もし主治医の言葉が本当だとしたら、長年の経験で培ってきた理性って(もはや思い込みって言ったほうがいいのかも)怖いなあと思います。私の本当の感情を私すら気づかないほどがんじがらめに縛りつけ、私を小さく縮こまらせていたわけですから。もし私がステロイドに感謝するところがあるとしたら、それは理性の檻に閉じ込められた私の感情を解放してくれたところなのです。でも、やはりこんな強い作用がある薬は飲まないに越したことはなく、次の診察での薬の減量が待ち遠しいです。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.04.04
コメント(0)
私の病気の治療は、基本、暴走している免疫を薬で抑制する、ただそれだけです。そして免疫がおとなしくなった頃をみはからって、少しずつ薬を減らしていく。その繰り返し。で、その薬こそがかの悪名高きステロイドです。ステロイドが効きづらい、あるいは効かなくなると、別の免疫抑制剤も併用しますが、まずはステロイド。再発前のとある週末、とあるカフェで...ステロイド。聞いたことない人がいないほどメジャーな薬ですよね。よくわからないけど万病に効く魔法の杖のような薬。だけど、なんだか怖い薬。そんなイメージでしょうか?私は子供の頃からアレルギー体質でして、肌がかゆいといってはステロイドを塗り、咳が止まらないといってはステロイドを吸引する、とステロイドは身近な薬でした。そんな私ですが、いざネフローゼ治療のために大量のステロイドを服用しはじめると、その副作用にあらためて驚かされました。「副作用のデパートへようこそ」主治医がそう言ったのは冗談ではありませんでした。ステロイドの副作用として知られているもののごくごく一部をあげますと...免疫低下(まあ、これはそのために飲んでいるので...)高血圧、糖尿病、高脂血庄、骨粗しょう症、潰瘍になりやすい、体毛が濃くなる、頭髪が薄くなる、ムーンフェイス、中心性肥満、食欲増進、多幸感、情緒不安定、躁状態、不眠、etc.あるわ、あるわ。それ自体が深刻な病気になりうるものから、なにそれ?というものまで、一通りなんでもある。でも、全体に中年のおじさん的症状が多いのが面白い薬の副作用って必ずしも出るわけじゃないですが、私の場合、いくつかをのぞき、このほとんどが出ます。6年前までは健康診断は常にAストレートで、健診前だからジョギングを始めたとかアルコールを控えるとか話している中年男子を他人事のように見ていました。ところが、ステロイドを飲み始めた年から、見事にコレステロールも血糖値もC判定に転落。そうでなくても、腎臓が悪い人はタンパク質や塩分を控えなくてはいけないのに、そのうえ炭水化物や脂質まで控えなくてはいけないとなると、もう何を食べればいいのよ、って話です。私も食べたい...背中や首筋、おでこには、産毛がうずまき、そのくせ頭髪の抜け毛は増えて、掃除をするたびにぎょっとさせられます。もうわかっているので、今回はステロイドが増量になった時点でばっさり髪を切りました。ムーンフェイスとは、顔の中心部分にお肉がついてアンパンマンのようにお顔が丸くなる症状ですが、この6年、薬の増減とともに私の顔は丸くなったり、細くなったり。いまや自分の本当の顔がわかりませんでも、社会生活を送るうえで何よりも大変なのは不眠と感情的になりやすいことかもしれません。今もそうですが、ほんと眠れません。たぶんちゃんと寝ているのは1日4時間くらい。それでもいつもより気持ちは元気なのですが、ふだんなら7時間は寝る私、体と脳は確実に疲れていき、時々スイッチが切れたように動けなくなります。今は仕事を辞めていて、日中疲れたら横になったりできますが、仕事をしていた時はもうふらふらでした。あと、なぜか思ったことがぽんぽん口から出てしまう。ため込まないので本人的にはけっこう爽快ですが、つい言い過ぎて、時々、手痛い失敗もします。職場の同僚は私がステロイドを飲んでいる時はなんとなくとわかると言っていましたし、夫は今も私がとつぜん何を言い出すかと戦々恐々としています。ごめんね、チョコ。他にも、こんな症状まででるの?と数え上げればきりがありません。長く服用しているので、どれくらい飲んでいるとどんな症状が出るというのは把握していますが、やっぱり辛いし、最終的には高血圧や高血糖で他の病気を併発をするのが怖い。免疫を長期間抑制するとがんのリスクが高まるというのも怖い。21世紀の今もなお、1940年代に開発された薬を使った治療法が主流というのはどうなんでしょう?どなたか、免疫疾患を根治させる治療法を見つけてくれないものでしょうか?最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.03.23
コメント(2)
今日はあらためて私の持病のお話です。これまで病気のことを書くのは気が重く、折々に触れることはあっても、できるだけさらっと深入りしないようにしてきました。できることなら、このまま病気を忘れてしまい、病気からも忘れてもらいたい。ずっとそんなふうに思っていました。だけど、今回の再発で少し気持ちが変わりました。やっぱり逃れられないのなら、もうこれは一度ちゃんと書いておこうかなと。こうしてたまたまブログを始めていたことも何かの縁。私が書くことで、少しは同じ病気の方のお役に立つかもしれない。私も病気になった頃、同病の方のブログを読んで、共に闘う戦友のような気持ちになったものです。だんだん読まなくなったのは、再発を繰り返した果てに待っているものを知るのが怖かったから。だけど初発から6年。5回の再発を経て、私は今もそれなりに元気です。不便はあるけれど、けっして不幸ではない。そんなことをお伝えできたらいいなと思ったのです。思い切って「闘病」カテゴリも作ってみました。さて、前置きがたいへん長くなりましたが、まずは私の持病「ネフローゼ」を紹介します。|ネフローゼとは簡単に言えば、自分の免疫が腎臓を攻撃する病気です。腎臓は血液を「ろ過」して尿を作りますが、免疫の攻撃によって、ろ過をするための「ふるい」の目が荒くなってしまうのです。目が荒くなったふるいからは、本来回収されるはずのタンパク質が流れ出し、体内の水分バランスが崩れてしまうわけです。どちらかというと子供に多い病気で、40代で発症するのはめずらしいそうです。初期の症状は尿の泡立ちやむくみなど。痛みなどはありません。この時点で気づけば薬ですぐに治療できますが、ほうっておくと体内の水分や老廃物が排出できず死にいたります。でも、普通は苦しくて死ぬ前に緊急搬送されるでしょうね。私が6年前にはじめてこの病気にかかった時、まさか自分が病気だとは思わず、ずいぶん進行するまで放置してしまいました52kgだった体重が60kgに増えているのに気づいて、病院に行った時には、すでに尿があまり出なくなっていました。入院直前には吐き気、下痢、頭痛がひどく、何も食べられず、体も動かず、苦しくて苦しくてたまりませんでした。入院して、看護師さんに取り囲まれた時には、ああこれで助かったと、そのまま気が遠くなりました。お医者さんによれば、身体中の臓器がいわば水浸しになって、うまく機能しなくなっていたのだそうです。ちょうど6年前の今頃、ラナンキュラスの季節でした。今でもラナンキュラスを見るとあの時のことを思い出します。|ネフローゼの治療ここまでひどくしてしまうと入院が必要になります。私の場合、入院当初はまだ病名がわからず、ひとまず大量の利尿剤を投与されましたが、体内の水はいっこうに排出されませんでした。免疫の攻撃が続いているので当然です。最終的には生検の結果を待たず、大量のステロイドの投与が始まりました。ステロイドには免疫抑制作用があるので、ネフローゼならステロイドで改善するはず。お医者さんはこの時点で私がネフローゼである可能性が高いと判断し、投与に踏み切ったそうです。ステロイドを投与されて数日。尿量はなかなか増えませんでした。免疫の攻撃は止まっても、荒くなったふるいの目がもとに戻るには時間がかかるのです。あと1日、尿が出なかったら透析を始めると言われた翌日からようやく尿が増え始めました。ここからがすごかった!!尿量を測るために排泄したものはすべて、袋に入れるのですが、それがすごい量なのです。ピークの時は1日3リットル(普通は1リットルくらい)を超えていました。私がトイレに入ると、ものすごい水音がするので(笑)、同じ病室の患者さんが馬みたいに出るわね、と笑っていました。それにあわせて体重も1日で2kg、3kgと減っていきました。体にたまっていた水がすべて出切った時には、私の体重は48kgまで減っていました。あの時の爽快感はちょっと言葉に表せません。体にたまっていた悪いものが全部出て行って、すっかり生まれ変わったような気がしました。この頃から食欲も戻って、私はみるみる元気になりました。この年は病室からのお花見になってしまいました。桜が咲く少し前に入院した私は、ゴールデンウィークが始まる頃、退院しました。1ヶ月ぶりに出た外の世界は、色と音と光に溢れ、目がまわりそうでしたが、顔に当たるあたたかい風に生きているって素晴らしいと心から思いました。あの時の幸せな気持ちは今も私を支えているように思います。本当に大変だったのは、実は退院してからでしたが、長くなりますので今日はここまでに。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.03.19
コメント(0)
悪いことは重なるもので、夫が入院する数日前、朝のトイレでイヤな予感がしました。あれ、尿が泡立っている?泡立つのは尿タンパクが出ているサイン。持病再発のサインです。少し時間をおいて今度は検査紙を使ってチェック。結果はクロ。何度、検査し直してもやっぱりクロ。しかもそこそこの量、タンパクが出ている。再発だ..すでに何度も経験しているので、この時点で再発を確信しました。外は真っ白。私の頭の中も真っ白。病院に行き主治医からくだされた診断もやはり再発。最後の再発から2年、少しずつ減らしてきたステロイドがまたど〜んと増やされました。振り出しに逆戻りです。この果てのない積み木崩しときたら...ものすごい徒労感です。ステロイドのもたらすさまざまな副作用に耐えながら、慎重に薬を減らし、ステロイドが減ったら減ったで離脱作用に悩まされ、ようやくゴールが見えてきたと思うと、再発。そんなことが、もうこれで5度目ですよ。初めて発症してから6年。その間、私がステロイドから解放されたのはほんの数ヶ月。早期に気づけば大した症状もない病気ですが、だんだんと人の心をむしばむ意地の悪い病気です。実は、私、前回の再発から2年も経っていたし、仕事も辞めてのんびり過ごしていたので、このまま再発はせずに治ってしまうのではないかと最近は楽観していたのですよ。実際、ストレスとか体調不良とか、再発の引き金になると言われるものもほとんどありませんでした。でも、やっぱりそう甘くはなかったなあ。楽観していた分、失望は大きく、異変に気づいた日は1日起き上がれませんでした。===============================でも、診断がおりてしまえば、腹をくくるしかありません。病院帰り、自宅療養をはじめる前に好きなものを食べておこうと、大好きな洋食屋さんによりました。お医者さんがみたら目を剥きそうなタンパク質たっぷりの一皿。腎臓が悪い人はタンパク質が制限されますが、今日だけは自分を甘やかします。どんなに落ち込んでいても、おいしいものは元気の源。ほろ苦いデミソース味のハンバーグを一口食べれば、おおっと心が弾みます。お皿が空になる頃には、ふつふつと闘志がわいてきました。だって、私、この状況でハンバーグを食べようって思えたんだもの。こんな大きなハンバーグ、残さず食べられたんだもの。また頑張れる。うんざりだけど、心底うんざりだけど、またスタート地点から6度目のステロイド・マラソンをはじめます。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2022.03.05
コメント(0)
実は、昨年秋、新しい免疫抑制剤を飲み始めてから、腎機能がごくわずかですが低下しつづけています。ゆるやかな低下なので、一回一回の診察ではとらえにくいのですが、5年間ずっとその値をグラフで残している私には一目瞭然です。前回の診察の時に、主治医に恐る恐るその話をしたら、「次回は腎機能をもう少し詳しくみて、その結果次第では入院して、もう一度腎生検をしましょう」と。もともと腎臓に影響があると言われていた薬です。先生も診察記録を見てすぐに納得してくださったよう。素早い判断をありがたく思う一方、「腎生検」という重い言葉が出てきたことで、そういう事態か、とすっと背筋が寒くなりました。===============================それから2ヶ月。ドキドキの診察日をむかえました。採血をし、不安と待合室の生あたたかい空気で気が遠くなりそうになりながら待つこと2時間...待ち時間のおともは大好きな内田洋子さんのエッセイ。それにしても病院ってどうしてこんなに待ち時間が長いのでしょう?ようやく名前が呼ばれ、診察室に入ると、「体調に変わりはなかったですか?」といつものように問診や血圧の測定が行われます。で、で、先生、私の腎機能、どうでしょう?「まあ、安定してますね。」安定ってどういうこと?よくなっているの?それとも低め維持ってこと?病気になってから気づいたのですが、お医者さんって数値に対してとても幅をもった解釈をするのですよね。たとえば腎機能。健康な人なら90%台ですが、それが50%になってもお医者さんは問題ないって言う。だって、50%って普通の人の半分でしょ?って私は思うけど、お医者さん的には大丈夫。このへん、生物分野で研究していた私とはすごく感覚が違います。私の分野では50%違ってたら明らかに違う。たぶんお医者さんの「大丈夫」は医学的な処置は必要ない、というほどのことなのでしょうね。で、念のため、先生の横から、さりげなくモニターを覗きこむと、ここしばらく見たことがなかった良い数字が目に入りました。はああ、良かった「良かったですね」と目で笑う先生。ああもう、本当に心臓に悪いったら。雨上がりの帰り道。なんかもう疲れちゃったなあ。ふとそんな思いがこみ上げてきました。これまで、何度こんな思いをしてきただろう?この先、何度こんな思いをしなければいけないんだろう?減塩・低タンパクの食事。水分は取りすぎても、取らなすぎてもダメ。毎日の血圧測定と大量の服薬。1週間おきの尿検査。規則正しい生活。適度な運動。風邪ひかないで、ストレスも避けて。この5年間、自分の病気を忘れた日はなく、細心の注意をはらって体調管理してきました。でも、それって、病気に遠慮して生きているような、もっと言えば、病気に自分の人生を捧げ続けているような、そんな気がしないでもありません。いっそ、病気のことなんか忘れて好きに生きたら、病気も私のことを忘れてくれないだろうか?忘れたフリして、薬を飲みのをやめたら、別に大丈夫だったなんてことはないだろうか?まあ、そんな大それたこと到底できないでしょうけど...でも、自己免疫疾患である私の病気は、気づけば再発が間遠になって、そのまま生涯、再発しないこともあるそうです。ならば、私もそろそろ卒業できないかな。歩きながら、病気に話しかけてみます。病気よ、私にはもうあなたは必要ないの。たしかに病気にでもなって、少しの間だけ休みたいと思った時もあったけど、私はそこから出ると決めた。離れてみたら、私が必死に握りしめていたものは、ちっぽけなものだとわかった。だから、そろそろ解放してくれない?最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2021.09.13
コメント(0)
本日、持病の再検査に行ってきました。本当は先週の予定だったのですが、結果を受け止める自信がなく、1週間延ばしてもらいました。結果はセーフ。2週間前、大幅に下がっていた腎臓機能はいつもの値に戻っていました。2週間分の緊張が一気にほどけ、全身の力が抜けます。おおげさですが、命がつながったと思いました。もし腎臓機能があのままだったらこれまで通りの生活は叶わないかもと思っていたので。検査の後、うれしくて久しぶりに1人でカフェに行きました。ほっとして心のバリアが緩んでいたせいか、このあと、実家の母と電話で話していて、心が大きく乱れてしまいました。仕事を辞めてからいつまでも家にいる私に、母が「あなたも何か新しいことができたらいいのにね」となにげなく言ったのです。これはもう母の口癖のようなもの。母にとって専業主婦は「何者でもないもの」で、つまりは私に何者かでいろ、と言っているのです。子供の頃から聞きなれたこの口癖の最近のバリエーションは、「家でできる仕事を始めたらいいのに」「翻訳の仕事でもしたらいいのに」「新しいことに挑戦したらいいのに」など。長く働いてきた私からすれば、そんなに簡単に新しい仕事がみつかれば誰も苦労はしないよと、普段は笑って聞き流します。ですが、今日に限ってはどうにも聞き流せませんでした。やっと仕事辞めたのに、まだ働かなければいけないの?病気なのに私、まだ頑張らないといけないの?退職金2回ももらってまだお金稼がないといけないの?私は新しいことなんて全然したくない。したいことなんてなんにもない。ただ、うちにいたい。このまま毎日チョコと一緒にいたい。言葉が奔流のようにあふれ出て止まりません。子供が駄々をこねているのと同じです。外で怖いことや嫌なことがあって、玄関先でお母さんの顔を見たとたん泣き出す子供のようです。自分でも大人げないってよくわかっています。でも、電話を切ってからも、一度ふたの開いてしまった箱からはたくさんの感情が飛び出してきます。頑張れじゃなくて、頑張ったねって言って欲しかった。私は別に何者にもなりたくなかった。本当はずっとこんなふうにゆったり暮らしたかった。もう頑張りたくないから、私、病気になったんじゃないの?うすうすわかっていたこともありますが、次々に飛び出してくる感情に自分でびっくりした部分もあります。夫には2人ともお気に入りのおはぎをおみやげを買いました。ちょうど新年度が近づき、そろそろ身の振り方をちゃんと考えなくてはいけないなあと思っていたところでした。仕事しないのって周りの人から言われることも増えてきました。でも、なんとなく思いました。たぶん、今日、命がつながったとまで感じた私の口から出た言葉は私の本心でしょう。だとしたら、私はもうこのままでいたほうがいい。そのうちにまた働きたくなる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。でも、いずれにしろ、次の道は自分の本当の気持ちに従って選ぼう。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2021.03.11
コメント(0)
今日は月一度の持病の定期検査の日でした。私の持病は免疫が腎臓をアタックしてしまうという自己免疫疾患で、今は免疫を抑える薬で再発を防いでいます。検査の結果、再発はなし。ですが、先生と一緒に検査結果を眺めていて、一瞬、息がとまりました。腎機能が下がっている。春はもうそこ、と思っていたのに。実は初めてこの病気になった時、私はかなり腎機能を落としています。病気自体は早く気付いて処置すれば腎機能にはあまり影響しません。でも、最初の時は病状が進行するまで気づかず、腎臓へ大きな負担をかけてしまったのです。そして、私が気になるのは病気の再発よりもむしろこの腎機能です。というのも、現代の医学には腎不全を治す方法はなく、唯一の対処療法が透析か腎移植だからです。日本では今でも臓器移植は大変なこと。ですので、多くの腎不全患者さんは透析をしています。この透析、じつに大変な治療です。体内の血液を機械に循環させ、きれいにしてもらうわけですが、これが1回につき4時間かかる。それを1日おきにしなければなりません。高熱を出そうと、家族に不幸があろうと休めません。休めば血液中に不純物が溜まってしまうから。つまり、透析を始めたら普通の生活がとても難しくなります。私はそれが怖くてしかたがないのです。死ぬまで機械につながれた生活。機械がなければ生きられない人生。夫にも大きな負担がかかるでしょう。数十年前、透析の技術が今ほど進歩していなかった頃は透析を開始するとお医者さんに告げられると絶望して自殺する方もいたそうです。もちろん、透析をしながら立派に仕事をし、充実した生活を送っている方はたくさんいます。だけど、私は怖くてたまらない。誰がなんと言おうと怖いものはやっぱり怖い。この人生、なんとしてでも透析から逃げ切りたい。そう願って、この5年間、腎臓に良い生活を心がけてきたのですが...=========================腎機能はまだ透析には遠い値ですが、ずっと安定していたので、不意打ちのように値が低下したことに取り乱してしまいました。一週間後にもう一度検査です。どうか一過性のものでありますように。最後まで読んでいただきありがとうございます。↓応援クリック、励みになります。にほんブログ村↓よろしければ読者登録も!!
2021.02.24
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1