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云わずと知れた巨匠ジョン・フォードの傑作西部劇だ。登場するのは駅馬車と背景に壮大なモニュメント・ヴァレー、それと点在する宿駅だ。西部劇ファンならずとも開巻から一気に展開するドラマに引き込まれてしまう。軽快な主題曲「淋しい草原に埋めないで」も楽しい。騎兵隊員が騎兵隊の宿舎に駆け込んでくる。アパッチ族が蜂起したとの知らせ。電信を打っている兵士が「線が切れました。受けたのは最初の一語だけ。」「見せろ」と隊長がひったくって読む。「ジェロニモ!」宿駅トントの町に、駅馬車が転がるように入って来る。馬の交換だ。乗って来たのはウイスキー商人、東部から夫に会いに来た身重の将校婦人ルーシー、それと大男のくせに臆病な馭者のバック。トントの町で新たに乗り込むのが酒場女のダラス、酔いどれ医者ブーン、賭博師ハットフィールド、それと保安官のカーリーだ。ダラスとブーンは町を追い出された組である。馬車は騎兵隊の護衛を受けて出発、町の出口付近で銀行家のゲートウッドが「電報が届いた」と言いながら鞄を持って乗り込む。「おかしいな、奴は何時電報を受け取ったんだろう」と首を傾げる保安官。こうしてアパッチ族の待ち受ける危険な状況の中、駅馬車は目的地ローズバーグに向かって町を出て行く。モニュメント・バレーの立ち並ぶ荒野を駅馬車は突っ走る。その行く手に立ち塞がる一人の男、ジョン・ウェイン扮する主役の脱獄囚、リンゴ・キッドだ。手に持ったウインチェスターを1回転させ、颯爽としたお出まし。「止まれ!保安官が護衛とはな、ローズバーグまでか。」ファンのしびれる名場面である。「キッドか、手錠をかけさせて貰うぜ」とカーリー。キッドが駅馬車の最後の客として乗り込み、再び出発。賭博師ハットフィールドはルーシーに細やかな気使いを見せる。水が欲しいという彼女に銀のコップを渡して水を飲ませるといった具合だ。「もう一人のレディには」と促すキッド。そして水筒を「すまん、銀のコップは無いがな」とダラスの手に渡す。ダラスは人並みの扱いをしてくれたキッドに感謝の眼差しを送りながら水を飲む。駅馬車という限られた舞台で、それぞれの人生を背負った者たちの間に巻き起こる確執と和解。登場人物のきめ細やかな性格描写が画面を引き締め見応えのある作品にしている。やがて駅馬車は途中の宿駅に滑り込む。だが居る筈の騎兵隊は移動したと言う。肩を落とすルーシー。賭博師は慰めるように彼女に椅子を引いてやり食事の皿を取ってやる。ポツンとテーブルから離れて座っているダラスを席に着かせるキッド。その前から逃げるように立って行くルーシーとハットフィールド。銀行家のゲートウッドまで離れた所に席を替える。ダラスに対するあからさまな差別だ。馬の交換を済ませた駅馬車は、逃げ腰の馭者バッグを追い立てるようにカーリーが馭者台に乗せて出発。駅馬車は走る、走る、荒野を疾駆する。そして終着駅ローズバーグの手前のアパッチウエルズに到着した。そこでルーシーは昨夜のアパッチとの小競り合いで夫が重傷を負ってローズバーグに運ばれたと聞かされる。部屋に入った彼女は崩れるように倒れた。ショックで産気づいたのだ。酔いどれ医者ブーンの出番だ。彼は駅馬車に乗っている間中、ウィスキー商人の隣に座りチビチビ呑んでおり酒の切れる時がなかった。ブーンの酔いを醒まさせるため、大量のコーヒーが沸かされキッドが吐かせる。更に水をカーリーが頭に何度もぶっかける。そうしてやっとブーンは鞄を提げルーシーの部屋に入っていった。後を追うように中へ入るダラス。何故か先を急ぎたがる銀行家が一人毒づいて喚きまわる。時が経ち、ダラスが赤ん坊を抱いて部屋を出てきた。待っていた男たちが群がる。「女の子よ」とダラス。「こりゃたまげたな。」とバッグ。「奥さんは?」と聞くハットフィールドに「大丈夫よ」と彼女。大役を果たしたブーンが出て来ると旨そうに一杯やる。夜、ダラスが外に出て行く。後を追うキッド。宿駅の主人がそのキッドを呼びとめ、ローズバーグへは行くなという。キッドの親父とは親友だったから行かせたくないのだ。プラマー三兄弟が揃っていて3対1では危険すぎると言う。だがキッドは「そいつを知りたかった」と答え、外へ出てゆく。キッドがダラスに話しかける。「親兄弟を殺された辛さはあんたには分からないだろう」「私も親を子供の頃、アパッチに殺されたわ」「女の子じゃ、さぞ辛かっただろうな」「キッド、あなた、何故逃げないの?今すぐ国境を越えた方がいいわ。逃げて」「それより、さっきあんたが赤ん坊を抱いているのを見て思ったんだ。国境を越えた所に今でも俺の牧場がある。女でも安心して住めるいいところだ。そこへ来ないか」「あなたは私がどんな女か知らないからだわ」「俺が聞きたいのは、あんたの返事だ」そこへ保安官カーリーがやってくる。「キッド、建物から離れるなと言ったろう。中へ入れ」翌朝、ブーンがルーシーの部屋に来る。彼女はダラスに髪を編んで貰っていた。「随分早起きだな。」とダラスにいう。「一睡もしないで看病してくれてたんです」とルーシーが答える。「もっと体力を付けなきゃいけないな。食事をして」「もう戴きましたわ」「コーヒーはまだだろう。煎れてきてあげなさい」ダラスは頷いて部屋を出て行く。そしてブーンの出てくるのを待ち、キッドから求婚かれたことを話し、意見を聞く。ブーンは「やって見るがいい」と賛成する。ブーンはキッドの所へ行き、ダラスを手伝ってやれという。キッドがダラスの傍にやって来て話しかける。「返事はどうなんだ?」「死にに行く人を待つなんて、耐えられないわ」「どっちなんだ、イエスかノーか」「イエスよ。キッド、お願いだから逃げて。馬なら用意してるわ」「銃がないと・・・」「銃も隠しといたわ。昨夜のうちに・・・」ダラスの差し出す銃を受け取り、二人はこっそり裏口へ向かう。カーリーがキッドの居ないのに気がつき探し始めた。馬に飛び乗って走りかけたキッドが馬を止めて下りる。駆けつけたカーリーがキッドに手錠をかける。「逃げやしねえよ。あれを見な」彼方の山にインデアンの狼煙が上がっているのが見える。「アパッチか」とカーリー。「戦いの合図だ」急遽、出発する駅馬車。馬車に丸太を括りつけ川を渡って対岸へ。そして狂気のように走る。突然、駅馬車に矢が突き立つ。応戦するカーリー、キッド。叫び声を挙げながら追ってくるインデアン。馬車の中からは賭博師と医者が拳銃で撃つ。このシーンは見ごたえのする場面の連続だ。特にインデアンが走る馬に飛び移るシーンとそのインデアンを撃ち落した後、馭者のバックが撃たれて転がり落ちそうになるのを支えたキッドが暴走する馬車から馬に連続で飛び移るシーン。この離れ業を演じたのはスタント・マンの第一人者だそうだが、凄いものと感嘆する他あるまい。やがて弾もつきる。迫るインデアンに、これで最後ならと思いを寄せるルーシーに銃口を向けるハットフィールド。そしてまさに引き金に指が掛かったとき、銃弾がハットフィールドを撃ち抜く。遠く近く騎兵隊のラッパの音が聞こえてきた。危機一髪、駅馬車は助かったのだ。こうして駅馬車は目的地ローズバーグに辿り着いたのである。馬車から降り立つキッドを見た町の男が「キッドだ、キッドが来た」と喚く。その声は酒場にいたプラマーにも届いた。プラマーは「弟を呼んで来い!」と手下に命じる。駅馬車からはルーシーが降ろされ担架に乗せられる。赤ん坊はダラスから女の手に渡された。「何かお役に立てることは?」とルーシーがダラスに言葉をかけるが、彼女は静かに首を振る。町の保安官がカーリーに声を掛ける。「誰か拘束する人間は?」「いない」と答えるカーリー。銀行家のゲートウッドが文句をいう。「名前は?」と保安官に聞かれ「ゲートウッドだ」と答えるや拘束されてしまう。公金横領の罪だ。カーリーがキッドに銃を渡してやる。「弾丸はないぞ」と。カウボーイ・ハットを脱いで帽子の間から弾丸を三発取り出して見せるキッド。「騙して悪かった。これだけ残していたんだ。」と銃に弾丸をこめる。そして「家まで送ろう」とダラスを伴って歩き出す。町の新聞屋を経営する男が事務所に飛び込んできて怒鳴る。「記事の差し替えだ。リンゴ・キッド、決闘で死亡。場所と時間は・・・空欄にしておけ」「発砲の音も聞こえませんが・・・」「これからするんだよ」家の近くまで来たキッドが、「待っていてくれ」と言って、プラマー兄弟との対決に向かう。一方のプラマーもウィスキーを飲み干し、酒場を出て行く。彼等の面前を黒猫が横切る。ダーンと銃声。だが、黒猫は走り去った。弟が撃ち損じたのだ。一歩一歩接近する両者。息を詰めて見守る町の人々。銃を手に歩くキッド。その黒い影がゆっくりと移動する。プラマー兄弟の姿が向こうに見えた。接近する両者。突如、キッドが地面に伏せった。銃声が酒場で待つ人々のところまで聞こえて来た。扉を開けて入って来たのはプラマー、カウンターの前で倒れて絶命する。ダラスの待つ場所へキッドが戻ってきた。駆け寄るダラス、キッドにしがみつく。長い抱擁。そこへカーリーが馬車を運んできた。ブーンも乗っている。馬車に乗るキッド、「お別れだ。保安官があんたを送ってくれる」とダラスに手を差し出す。「一緒に乗って行くか?」とカーリーがダラスにいう。頷くダラスをキッドが手を取って隣に乗せると、カーリーとブーンが目配せ、いきなり大声で馬に小石を投げつける。驚いて走り出す馬車。こうして二人は新天地へ向かったのである。本当に良い映画だとしみじみ思う。こんな素晴らしい作品が1939年に作成されたとは信じられない程だ。酔っ払い医者ブーンを演じたトーマス・ミッチェルは本作品でアカデミー助演男優賞をもらっている。それも当然という演技力である。ダラス役のクレア・トレヴァーも中々のものであった。「駅馬車」のフォードに乾杯!
2006.02.27
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今回、ひょっとすると日本勢はメダルなしで終わるのかと思っていた矢先、荒川静香さんが金メダルの栄誉に輝いた。嬉しい、本当に嬉しいことだ。日本中が沸いたことであろう。演技の見事さ、それは言うまでもないことだ。不振の日本勢全員が彼女によって救われた気がする。正に国民栄誉賞ものだ。小泉さんも当然考えておいでのことだろう。飲み助の人はいい機会と捉えて、普段以上に飲んだことであろう。いずれにせよ今日一日はお目出度い日になった。
2006.02.24
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合格発表の季節がきた。相変わらずのシーンが見られる。と思ったところ、意外にもネット上での発表だとか、新聞紙上での発表とか、様変わりがしたようだ。個人情報保護の観点から、又アブナイ人間が増えたからかもしれないが、味気ない時代になったものだと思う。目指す志望校に入れなかったとしてもショックは大きいが、それをバネにして頑張ることの方が長い人生、余程将来のプラスになる。落ち込む必要など無いのである。出発点はほんの始まりに過ぎない。前向きの思考をしていれば、いつか表舞台に出られるのが人生というものだ。若い人に声を大にして云いたい。合格も不合格も人生の一里塚、どっちになろうと前向きに歩いて行こうと考えることだ。若さこそが命である。若い命だからこそ、一日一日を大切に生きてほしい。
2006.02.23
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今日は暖かいかと思っていても、昼から曇ってきた。曇り空になると、肌寒くなる。私には寒いのが一番体に堪える。リューマチに悪いのは、体を冷やすこと。そうは云ってもいつも暖房の効いた部屋に居るわけには参らない。暖房費も体に響くからだ。ツライッ、あと少しなんだ、と自分を励ましながら一日一日を過ごしている。三寒四温とは云うものの暖かく感じる日の方が、圧倒的に少ないように思うが、如何な物か。寒いと何もしたくないし、何をする気にもなれない。こんなブログを読ませて申し訳ないと思う。もっとシャントせ~え!と自分をしばきたくなる。寒いなァと嘆くのもあと少し、月が替われば楽しい雛祭りがやって来る。
2006.02.22
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ワッハッハとまではいかないが、笑わせて貰ったエディ・マーフィー主演の怪作喜劇。監督はフランク・オズ。作品の出来としてはB,C級だが、着想の面白さは一級品かも。泣かず飛ばずのハリウッドの映画監督ボーフィンガー(スティーブ・マーティン)は、シナリオを読んで「こりゃー、傑作に成る!」と準備にかかる。製作資金はベッドの下に隠した2000ドル。これでは売れっ子のキット・ラムジー(エディ・マーフィー)とは契約できない。悩んだ彼はキットを内緒で主役に据え、隠し撮りで映画を撮ろうと考える。スタッフもキャストも騙しのテクニックで集め、撮影を開始する。ボーフィンガーはキットに覚られないようにあの手この手を使って、彼をカメラに収めていく。一方のキットは、元々精神的に不安定だったため、周辺で起き始めた宇宙人騒ぎで益々錯乱し、姿を隠してしまう。スターが居なくなり困った彼の前にキットそっくりの弟ジフが現れ、ジフを使って撮影は続いた。キットが地下駐車場でハイ・ヒールの音を耳にするシーンは笑わせてくれる。音がして後ろを振り向くと誰もいない、歩き出すと再びカツ、カツと又聞こえる。パッと振り向く、いない。ヒールを履いて歩いていたのは、なんとボーフィンガーの飼い犬だったとは。犬も前足にハイ・ヒールを穿かされ、驚いたことであろう。もう一つは弟ジフが高速道路を渡らせられるシーン。将に恐怖の場面だが、これが又おかしい。車に撥ねられるか急停車の車の衝突事故と思わせて、無事に渡ってしまうおかしさ。意表を突く場面の連続だ。クレーン車を使ってクレーンに木を乗せ木の葉に隠れてキットの車を俯瞰撮影するおかしさ、ラスト・シーンは、これは言わないほうがいいだろう。ともかく珍品と云える映画に仕上がっていた。
2006.02.19
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今日は○○整形にリハビリに行く。本当は昨日が注射の日なのだが、寒いので休んでしまった。リュウマチの注射とカルシュウムの注射だ。カルシュウムの注射は骨粗ソウショウになつてからずっと毎週打って貰っている。骨がスカスカになり、骨折しやすくなる病気だ。両腕にそれぞれ一本ずつか、片方に二本打つこともある。注射の腕は看護婦さんによって違う。優しい看護婦さんが上手とは限らない。「イテッ・・・」と呻くこともしばしばだ。滅多に注射などしてくれない院長先生が極まれにやってくれることがある。看護婦さんの手が空かないときで、院長の診察が空いているときに限られるが、年に数回やってもらう幸運にありつけた。「先生がやってあげましょう」と注射器を手に傍にくると、「先生が打つと痛くないですよ。いいですか、やりますよ」云うより早くチクッとしたと思うや、注射は終わっている。痛みもほとんど感じない。さすが院長だけのことはある、と感心したものだ。今日は誰?と思っているとアチャーー新米の看護婦さんだ。私は思わず覚悟をした。「お注射しましょうね」と仕度をテキパキとしてくれ、肩を出して待つ私に「いいですか、手先のしびれはありませんね?」とブスリと来た。「イテエッ!!!!!!」私は思わず呻いてしまった。新米さんは「ご免なさい。ご免なさい」と謝ってくれたが、謝ってもらっても痛いものは痛い。大体、私は注射は嫌いだ。注射の好きな人にお目にかかりたいものだ。当分注射とは縁がきれそうもない。
2006.02.16
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今日はバレンタイン・デー。あなたは幾つ貰いましたか? 1つ、いいじゃないですか。義理チョコであろうと何であろうと貰えれば・・・・・。こんなことを流行らせたのは誰? と云ってる女性がいました。チョコレート業界の陰謀かナ?でも、年に1回のこと。大目にみても良いのでは、と私は思います。度が過ぎないように、自己責任と云う事で、買い過ぎないように、食べ過ぎないように気をつけましょう。私も一切れだけ食べました。
2006.02.14
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『赤い靴』これはバレエ映画の傑作だ。踊りと恋を融合した不滅の恋愛映画とも云えるだろう。1948年製作と古いが一見の価値はある。監督はマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガー。中学校時代に学校からこの映画を観に連れて行って貰った記憶がある。バレエ映画の傑作ということで見せたのであろうが、悲恋映画と分かって許可したのであろうか?今から考えると、粋な先生がいたものだと思う。ラストのヒロインが露台から鉄路に身を投げるシーンがショックだったのを覚えている。それとヒロイン モイラ・シアラーの美しさも。本作品は残酷かつ華麗な芸術の世界を描いたバレエ映画の最高峰である。芸術至上主義のバレエ団の団長ボリス・レルモントフが一人のバレリーナを発掘するところから始まる。彼女をプリマに育て上げ、アンねんデルセン童話を題材にした新作バレエ「赤い靴」のプリマに抜擢する。これまでのプリマが「みんな聞いて、私、結婚するの!!」と嬉しそうに叫ぶのを祝福して遣るどころか「恋だ結婚だと騒ぐプリマなど誰が見にくるものか、彼女はもう終わりだ。踊りを選んだ者に他の人生はない」と団長は呟く。なんとも冷たい男である。ヒロインのヴィクトリア・ペイジを演じたモイラ・シアラーは、当時「眠れる森の美女」のプリマとしてロンドンのロイヤル・オペラハウスの舞台に立っていたが、本作品の主役に選ばれたことで世界的に有名になった。彼女の恋人役になる作曲家ジュリアン・クラスターは、教授が自分の曲を盗作していると文句をつけにいくが、団長のボリスから「盗作された方より盗作した者の方が、もっと傷ついているんだ。」云われ、それが縁でバレエ団の作曲家として雇われ「赤い靴」の作曲を命じられる。「赤い靴を履いた少女は舞台から街路に出、山を越え、野原や森を通り抜け・・・時や愛があっという間に過ぎる、人生が過ぎる。だが赤い靴は踊り続けるんだ。」とボリスはいう。現実の舞台シーンと架空の映像とを合成したこの踊りのシーンは本作品の白眉となった。撮影は名手ジャック・カーディフ。テクニカラーで写し出された画面は実に見事という他無い。二人が愛を語る唯一の場面、湖畔を馬車でゆっくり走らせながら、後部座席で抱き合ってジュリアンがヴィクトリアに囁く。「僕の晩年に美しい娘に聞かれたい”あなたの一生で最も幸せだった時は?”と。それはヴィクトリアと過ごした時、と応えるだろう。」だが、二人の恋を知ったボリスは激怒、ジュリアンを解雇。ヴィクトリアはジュリアンを追って退団し、二人は結婚する。しかし、バレエを捨てきれない彼女はボリスの誘いに応じて、再び『赤い靴』の舞台に戻る。その舞台の幕が上がる日、突如ジュリアンがあらわれる。舞台に立つのを止めようとする夫と、芸術に恋は不要だいうボリスの言い争いにヴィクトリアは動揺、「お別れだ」と去ってゆくジュリアン。舞台に出ようと進みかけた彼女は突然身を翻し、衣装を着けたまま表に駆け出して露台からジュリアンが乗ろうとした列車に身を投じる。ヴィクトリアの死を知ったボリスは、彼女が二度と舞台に立つ事は出来ないと観客に告げる。そして、プリマ不在のまま「赤い靴」だけの舞台を上演するのだった。この作品はバレエを志す人には是非見て欲しい。レッスン風景、舞台稽古なども面白く為になる。他のバレエ映画の追随を許さない一大傑作として映画史に残る名画である。
2006.02.11
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ここ数日、震え上がるような日が続いている。こう寒いとリュウマチが黙っておとなしくしていてくれない。手首が痛む、足が痛む、こうして春を迎えるのが、例年のことである。寒さに耐えている梅の花も、近いうちに一気に咲き誇るだろう。もうすぐである、桜便りもあとひと月の辛抱だ。お酒の好きな方、どうですか?チラホラと舞い落ちる粉雪を眺めながら、熱燗をクイッと飲み干す楽しみはあと僅かですぞ。(笑い)元気で梅満開の日を待ちましょう。
2006.02.09
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壮大なるスターウォーズ・エピソードの最終章。前章で冷凍人間にされたハンソロをルークとレイア姫一行が救出に惑星タトゥイーンに向かう。この星には銀河系一の大悪党ジャバ・ザ・ハットが巨大な宮殿を構えて住んでいた。なめくじのような体をした怪物人間だ。ハンソロは部屋の一隅に冷凍にされたまま飾られていた。ハンソロは変装したレイア姫の手で冷凍を解かれたがルークが部屋に入ったとき、他の仲間たちは既にジャバの手下どもに捕獲されていた。レイア姫は裸同然の姿でジャバの傍に鎖で繋がれており、掛け合ったルークも地下の大猛獣の部屋に落とされる。大猛獣とルークの闘いは彼の勝利となるが、彼もジャバの手下に捕まり、砂丘のアリ地獄で死刑を宣告された。ジャバは酒を呑みながらご満悦で刑の執行を見物だ。ルークが踏み板の上に立たされた。眼下に触手を伸ばして落ちてくるのを待つ怪獣が見える。「突き落とせ!」とジャバが命令を下すと、ルークが跳躍、ライト・サーベルを手に掴むや、群がる敵をやっつける。仲間同士助け合いながらの激闘が終わり、ジャバの乗る船を爆破した。帝国軍との最後の決戦が近づいていた。ルークたちは森の惑星エンドアでイウォーク族と手を結び、着々と準備を整える。一方、皇帝とダース・ベイダーはルークを闇の世界に取り込もうと画策していた。戦いが始まった。新たに建造中のデス・スターは強力なシールドに保護されており、シールドを解除しない限り攻撃は不可能だ。ハンソロたちは熊のようなイウォーク族と共に帝国軍との激烈な戦いの末、シールド破壊を企てる。その頃、ルークは単身デス・スターに乗り込み、父のもとへ向かう。そして待っていたダース・ベイダーを説得しようとする。父に何としても正しいジュダイの心を取り戻させたいと願ったのだ。だが、父は承知しない。「お前が嫌なら、妹を引き込むまでだ。」と、ダース・ベイダーは嘯く。ルークは我慢できず、遂に父に切りかかる。そして・・・、ルークの剣はダース・ベイダーの腕を切り落とす。ルークは皇帝から「わしのもとへ来い。」と言う言葉を撥ね退ける。「そうか、それならお前は無用の存在だ。わしの手で殺してやる。」と両手を向けて死の光線を発射させる。のた打ち回るルーク、「父さん、助けて!!」と全身で叫ぶ。皇帝の傍らでじっと見守るベイダー。「死ね!!」と尚も光線を浴びせかける皇帝。喘ぐルーク。瞬間、ベイダーの身体が動き、皇帝を抱えると宇宙空間へ投げる。絶叫と共に落ちて行く皇帝。「大丈夫か?」と、優しく息子に問いかけ、崩れるように倒れるダース・ベイダー。「父さん!」と駆け寄って抱き起こすルーク。「わしはもう駄目だ。面を取ってくれんか、ルーク。生の眼でお前の顔を見ておきたい。」ルークがベイダーの面をゆっくり外す。老いているが人間らしさを取り戻したやさしい顔が現れる。じっと見詰めるルーク。「父さん、僕と一緒に帰ろう。」その時、デス・スターの中枢である原子炉が反乱軍の手で破壊され、大爆発が起きる。「妹に愛していると伝えてくれ。さあ、早くここを脱出しろ、ルーク。」「嫌だ、父さんを置いていけない。」「お前のお蔭で、わしは・・・ジェダイに戻れた・・・。(事切れる)」「父さん!!!!!」かくして戦いは終わり平和が戻って来た。イウォーク族とハンソロたちは互いの肩を叩きながら勝利を喜んでいる。ルークは妹レイア姫と抱き合い、ハンソロはレイアに口づけして抱き合う。一体今までどこに隠れていたのかと思う位の人間が街路に溢れ出し歓声を挙げる。宇宙に本当の平和の日がやって来たのである。
2006.02.05
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3日付けの読売新聞夕刊紙上に書かれていた。蔦監督の命日の4月28日頃、思い出深い池田高校グラウンドで池高が徳島商業と試合をするとの報道である。存命中は徳商を仇敵視し「徳商に負けるな!徳商を倒せ!」を合言葉に選手たちを叱咤してきた蔦はんのこと、内心は嬉しくても『今頃、なんじゃい。』とうそぶくかもしれない。86年優勝メンバーの現徳商監督井上力氏が「蔦イズムを復活させたい。」と池田高校監督矢川雅英氏に練習試合を持ちかけ、矢川氏も快諾したものだ。蔦はんの教え子同士の対決とあって、面白い試合になりそうだ。蔦はんならきっと「野球は楽しくやるのが一番じゃ。どっちが勝ってもええ、姑息な試合だけはするな。」と云うだろう。今から目を細めて試合に見入っている蔦はんの姿が見えるようである。
2006.02.04
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今日は節分の日だ。私が子供の頃は豆まきが楽しみだった。年の数だけ食べなさいと母に云われて、父が「福は内!」と大声で部屋の中に撒いた豆を拾って食べたのを覚えている。当時は、精々12,3粒ほどしか食べれないのが残念でならなかった。昼間、豆を炒っている母のそばで豆に手を出し、「夜まで待ちなさい。」と叱られて、豆を恨めしそうに眺めたものである。夜になると方々の家から「福は内、鬼は外!」の声が賑やかに聞こえて来た。昭和24年頃のことである。作今、豆まきをしている家はどれ位あるだろうか。夜の住宅街を通っても、何も聞こえて来ない。『ほんに今夜は節分か。」という気にはなれない。豆まきする家があったとしても、室内に撒かれた豆を子供がそのまま拾って口にいれることを許す親が果たしているであろうかと思う。時代が違うという答えが返ってきそうだが・・・。豆まきはともかく、今日は寿司屋に協力して”丸かぶり”の巻き寿司を買って食った。今では豆まきよりも食い気が優先する時代になってしまったような気がする。昼間コンビニの前に幟を立てて巻き寿司を売っていたが、完売した店は如何ほどあっただろうか。他人事ながら気になることである。
2006.02.03
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